【土 木 史 研 究 論 文 集Vol.272008年 】
高度経 済成長期 に建設 され た橋梁 の系譜 とその背景*
The Genealogy and the Background of Bridges Constructed in the High Economic Growth Period in Japan
上 田 嘉 通**,佐 々 木 葉***
By Yoshimichi UEDA,Yoh SASAKI
Abstract
After World War 2, bridge technology in Japan has been developed rapidly with high economic growth. Consequently, it is thought that important bridges exist which denote bridge technology development. However, too many bridges were constructed to be found their value. Therefore in this research , the genealogy chart of bridges constructed at the high economic growth period was made through the document investigation and the hearing investigation, and bridges that had played an important role in that was specified, and the characteristic at the high economic growth period as the background of the bridge design was organized. As a result, 28 important bridges were specified, and it is clarified that there were "The engineer's challenge" and "Overcame of the construction condition" in the backgr
ound of the bridge development. Additionally, it was confirmed that there were conversion periods in the design system and the design subject in 1960's.
1序 論 (1)研 究 の背 景 と 目的 戦 後,日 本 の橋 梁 技術 は 急 速 な発 展 を遂 げ,今 で は 長 大 橋 技 術 で は世 界 最 高 水 準 に あ る.橋 梁 技 術 の 急 速 な 発 展 は 高 度 経 済 成 長 と と もに 成 し遂 げ られ た こ とは 疑 う余 地 が な い. した が っ て,そ の 当 時 に 建 設 され た橋 梁 に は 戦 後 の 橋 梁 技 術 発 展 の様 子 を物 語 る重 要 な 構 造 物 が 多 々存 在 す る と考 え られ る が,橋 梁 建 設 数 の 急 増 を受 け て,重 要 な 橋 梁 が そ の 中 に埋 もれ て しま い,価 値 を見 出 され て い な い よ うに思 わ れ る1).そ こ で,高 度 経 済 成 長 期 の 橋 梁 技 術 の発 展 に お い て 重 要 な位 置 づ け に あ る と考 え られ る橋 梁 に 光 を 当て る こ とは,高 度 経 済成 長 期 を歴 史 と して捉 え て い く上 で 重 要 で あ る とい え る. 一 方 ,高 度 経 済 成 長 期 に対 す る景観 や 構 造 デ ザ イ ン の 観 点 か らの評 価 は 「景 観 に 対 す る配 慮 を欠 い て い た2)」, 「近 代 構 造 物 と して の 合 理 的 な形 態 の 探 求 が,高 度 成 長 期 の標 準 設 計 の 考 え方 の 後,お ろ そ か に な っ て い る3)」 な ど批 判 的 な もの が 多 い.高 度 経 済成 長 期 に対 す る これ らの評 価 は,景 観 や デ ザ イ ン に 関す る多 数 の 文 献 に見 ら れ る が,そ れ に 至 る過 程 を具 体 的 に論 じた 上 で 評 価 を 下 して い る もの は ほ とん どな い. そ こ で,当 時 の橋 梁 建 設 に 影 響 を与 え た事 柄 を調 査 し, 橋 梁 建 設 の 背 景 と して の高 度 経 済 成 長 期 の 特 質 を明 ら か にす る こ とは 意 義 が あ る と考 え られ る. 以 上 よ り本 研 究 で は,高 度 経 済 成 長 期 の道 路 橋 を対 象 と し文 献調 査 や ヒア リン グ調 査 を通 して, 1.高 度 経 済 成 長 期 に建 設 され た橋 梁 の 系譜 図 を作 成 しそ の 中 で 重 要 な役 割 を果 た して い た と推 察 され る橋 梁 を 特 定 す る こ と 2.高 度 経 済成 長 期 の 橋 梁 建 設 の背 景 とな っ た 事 柄 を 整 理 し,そ の 特 質 を明 らか にす る こ と 以 上 の2点 を 目的 とす る.し か し,橋 梁 とそ の 建設 背 景 との具 体 的 な 関連 に つ い て,本 論 文 の成 果 の み か らは 論 じる こ とが で き な い た め,本 稿 で は,上 記2項 目の 内 容 の 調 査 ・考 察 を 目的 と し,そ れ らの 関連 につ い て は今 後 の 課 題 とす る. (2)既 存 研 究-研 究 の位 置 付 け 本 論 文 に 関連 の あ る既 存研 究 と して は.橋 梁 を社 会 経 済 情 勢 か ら論 じる もの,設 計 思想 か ら論 じる も の,設 計 制 度 か ら論 じた も の が あ る. a)橋 梁 の 発 展 と社 会 経 済 との 関 連 を論 じる もの 松 村4)は,古 代 か ら現代 ま で の 橋 の歴 史 の 流 れ を示 す と と もに,官 と民 が 主導 的 に行 っ た 橋 の 整備 事 業 の特 性 を 分 類,整 理 して い る.こ れ らを 通 して,橋 梁 建 設 にお け る軍 事 的 条 件 説 や 政 治 優 先 説 を否 定 し,橋 は 社 会 経 済 的 な 条 件 に よ って そ の存 立 が規 定 され る構 造 物 で あ る と の試 論 を 展 開 して い る. 五 十 畑 は5),日 本 の鋼 橋 建 設 産 業 の発 展 過 程 の 特 質 を 欧 米 と比 較 しな が ら述 べ て い る.そ の 中 で,日 本 の 鋼 橋 建 設 産 業 は,非 競 争 主 義 の 商 取 引慣 行,発 注者 が 建 設 実 務(計 画,設 計,施 工)に 主 導 的 に 関与 して い る,上 下 *keywords:橋 梁,高 度 経 済 成 長 期 ,技 術 発展 **正 会 員 工修 株 式 会 社 日建 設 計 シ ビル (〒541-8528大 阪市 中央 区 高 麗橋4丁 目6番2号) ***正 会 員 工博 早 稲 田大 学 創 造 理 工学 部 社 会 環 境 工学 科
部 工 分 離 発 注 で あ る,橋 梁 製 作 会 社 の業 務 範 囲 が 狭 い な どの 特 徴 を有 して い る こ とを 明 らか に して い る. b)高 度 経 済 成 長 期 に関 連 す る設 計 思 想 を論 じる も の 中井6)は,明 治 か ら昭 和 初 期 に か けて,橋 梁技 術 の 近 代 化 に 大 き く貢 献 した 樺 島正 義,太 田 圓 三,田 中 豊 の 仕 事 と設 計 思 想 を調 査 し,日 本 にお け る橋 梁 設 計 の 近 代 化 の 特 質 を 考 察 して い る.そ の 中 で,日 本 に お い て は モ ダ ニ ズ ム が 本 来備 えて い るべ き批 判 対 象 と して の 古 典 主 義 が 存在 しな い こ とか ら,日 本 にお け るモ ダ ニ ズ ム橋 梁 は 単 な る機 能 主 義,合 理 主 義 へ と陥 る危 険 性 を有 して い た, と述 べ て い る. 中嶋 ら7)は,戦 後 期 に お け る橋 梁 の 位 置 づ け を 明確 に す るた め,終 戦 か ら高 度 成 長 期 以 前(1945∼1964)を 戦 後 期 と定 義 し,そ の 時 代 にエ ポ ック と して の役 割 を果 た した と見 られ る事 例 及 び,中 心 的 な役 割 を担 っ て い た エ ンジ ニ ア を特 定 し,当 時 の橋 梁 の設 計 思 想 を概 観 した. そ の 結 果,構 造 形 式 の 決 定 や 新 技 術 導 入 の背 景 に は,技 術 者 の 思 想 が 大 き く反 映 して い る と述 べ,戦 後期 に 橋 梁 の 一 時 代 が 存 在 した こ とを 明 らか に した. c)設 計 制 度 に関 す る もの 斉藤 ら8)は,コ ン ク リー トT桁 橋 を対 象 に,標 準設 計 の 変 遷 を調 査 して い る.そ れ に よ る と,1965年 頃 か ら出 現 した 「直 接 的 ・原 則 的 利 用 」 とい う標 準設 計 の 作成 側 の 意 図 と当 時 の 実 務 の 実 態 とが 必 ず し も 一 致 しな か っ た こ と,ま た こ の意 図 が橋 梁架 設 に お け る 「責任 主 体 」 と 「設 計 主 体 」 の 違 い に強 く関係 した こ とを 指摘 して い る. 以 上 よ り,戦 後 か ら高度 経 済 成 長 期 ま で を対 象 と した 橋 梁 に 関 す る 研 究 は 見 られ る も の の,戦 後 期(1945∼ 1964)以 降 の,標 準 設 計 の 考 え方 や 仕 様 が 確 立 して い っ た と思 われ る 時代 を 直観 した研 究 は 見 られ ない.こ の期 間 を対 象 と して建 設 され た 橋 梁 事 例 と設 計 の 体 制 の両 面 につ い て 調査 す る点 に 本研 究 の 特 色 が あ る. (3)対 象 とす る 時 代 一 般 に 高度 経 済成 長 期 とは,「日本 の 経 済 成 長 率 が年 平 均10%を 超 え る高 度 成 長 を続 けて い た 時 代 を指 し,1955 年 か ら1973年 ま で の 約20年 間 の 総 称9)」で あ る. この 高 度 経 済 成 長 期 は,中 嶋 ら7)に よ っ て 明 らか に さ れ た橋 梁 の 一 時 代 とい え る戦 後 期(1945∼1964)を 一 部 含 み,オ イ ル シ ョッ クの 影 響 で建 設 業 が停 滞 し,景 観 や 環 境 な ど,こ れ まで と異 な る要 素 へ の 関 心 が 高 ま り始 め る1970年 代 半 ば10)まで に対 応 す る. した が って,高 度 経 済 成 長 期(1955∼1973)が,橋 梁 の 一 時 代 か ら標 準 設 計 の考 え 方へ と至 る過 程 を調 査 す る の に適 切 と考 え られ,そ の 当 時 に 計 画 され た 橋 梁 を含 む こ と も考 慮 した1955∼1975年 を研 究 対 象 とす る. (4)研 究 の方 法 本 論 文 は,文 献調 査 と ヒア リン グ調 査 に よ る. 文 献 調 査 は,対 象 とす る時 代 を 網 羅 す る建 設 専 門 雑 誌 11)をは じめ ,示 方 書,標 準 設 計 な どを 用 い た.ヒ ア リン グ調 査 は近 藤 和 夫 氏,吉 田巌 氏,藤 井 郁 夫 氏,松 村 博 氏, 五 十 畑 弘 氏 の5名 に 協 力 して 頂 い た. (5)論 文 の 構 成 本 論 文 は全4章 で構 成 され て お り,そ の構 成 を 以 下 に 示 す. 第1章 にお い て,本 研 究 の背 景 と 目的,既 存研 究 お よ び研 究 の 位 置 付 け,研 究 の方 法 を述 べ た. 続 い て 第2章 にお い て,高 度 経 済成 長期 の 橋 梁 の 系 譜 を作 成 す る.系 譜 の作 成 に は,建 設 専 門雑 誌 に 掲 載 され て い る橋 梁 の 工 事 報 告 等 を用 い る. 作 成 した 系 譜 図 を も とに,長 大 化 に貢 献 した橋 梁,新 技 術,新 工 法,合 理 的 計 算 方 法 を導 入 した橋 梁 な ど際 立 った 特 徴 を持 った 橋 梁 を,高 度 経 済 成 長 期 に重 要 な役 割 を果 た した 橋 梁 と して抽 出 し,そ の 特徴 を 考 察 す る. 第3章 で は,高 度 経 済 成 長 期 に橋 梁 を取 り巻 い た情 勢 に つ い て,経 済 社 会 情 勢,技 術 発 展,設 計 制 度(示 方 書, 標 準 設 計),設 計 主 体 を 整 理 す る.文 献 調 査 と ヒ ア リン グ調 査 を通 して,そ れ ぞ れ の特 徴 を整 理 し,そ れ らを 関 連 付 けて 考 察 す る. 最 後 に第4章 で これ らの成 果 を ま とめ る. 2高 度 経 済 成 長 期 の橋 梁 の発 展 本 章 で は,高 度 経 済成 長 期 に 建設 され た 橋 梁 の 発 展 の 流 れ を概 観 し,新 形 式 や 新 工 法 を 導 入 し橋 梁 技 術 の発 展 に大 き く貢 献 した橋 梁 を特 定 す る こ と を 目的 とす る. (1)対 象 橋 梁 の抽 出 建 設 専 門雑 誌 に掲 載 され る橋 梁 は,そ の 時 代 の 橋 梁 の 最 先 端 で あ る な ど,雑 誌 に載 せ る価 値 の あ る もの と考 え られ る.そ こ で,建 設 専 門雑 誌 の 工 事 報 告 等 に 記 載 され て い る道 路橋 の形 式,特 徴,建 設 年 を整 理 し,対 象 とな る橋 梁 を抽 出 した.建 設 専 門 雑 誌 は1955年 か ら1975年 を 網 羅 す る 建設 専 門雑 誌 で あ る 「土 木 学 会 誌 」,「道 路 」 を 用 い た.抽 出 した 記 事 は109,橋 梁 は89橋 で あ る. (2)系 譜 図 の 作 成 の 原 則 掲 載 され た 橋 梁 を,以 下 の 原 則 に従 い 関連 付 け,系 譜 図 を 作 成 した(図-1). a)工 事 報 告 内 で,計 画,建 設 に際 し参 考 に した橋 梁名 の記 述 が あ る場 合 は,そ れ を系 譜 図 上 で 関 連 付 け る. ま た,今 後 建 設 され る橋 梁 のモ デ ル ケー ス で あ る等 の 記 述 が あ っ た 場 合 も同 様 とす る. b)参 考 に した 橋 梁 につ い て の記 述 は無 い が,同 構 造, 同 工 法 で あ る もの は間 接 的 な繋 が りが あ る と判 断 し 建 設 年 次 順 に系 譜 図 上 で 関連 付 け る. (3)橋 梁 技 術 の 発 展 図-1よ り橋 梁 の発 展 の 流 れ が 概 観 で き る.こ れ よ り, 橋 梁 の 関連 性 は,同 材 料,同 形 式 の 中 に と どま り,他 の 形 式 との係 わ りが少 な い こ とが わ か る.そ の 傾 向 は,ア ー チ 橋,ト ラ ス橋,斜 張橋,吊 橋 で 顕 著 で あ る. 次 い で,図-1を も とに,橋 梁 技 術 の発 展 に お い て重 要 な役 割 を果 た した と推 察 され る橋 梁 を特 定 す る.こ こ で は,例 と してPCラ ー メ ン橋 の 技 術 発 展 につ い て 述 べ る. 図-2は,PCラ ー メ ン橋 の系 譜 につ い て,橋 長 と支 間長 を ま とめ た グ ラ フ で あ る. まず,特 筆 す べ き点 はDywidag工 法 の 導 入 で あ る.日
図-2PCラ ー メ ン橋 の橋 長 お よび支 間長(作 成:著 者) 本 初 のDywidag工 法 を 用 い た 嵐 山 橋(1959,神 奈 川)で は,設 計 並 び に技 術 指 導 は ドイ ツ の企 業 が行 い,架 設 に 当た っ て は ドイ ツ人 技 術 者2人 が直 接 現 場 指 導 に あ た っ た14).地 上 か らの支 保 工 無 しで 架 設 が で き,条 件 の厳 し い 場 所 で の 架 設 が 可 能 とな っ た. そ の 後,名 田橋(1963,徳 島)で は,12径 間 の施 工 を 可 能 に し,橋 長 を800mと した.一 方,中 の橋(1966, 熊 本)で は 支 間 長 が160mと,そ れ まで のPCラ ー メ ン橋 と比 べ,100m近 く支 間 長 が伸 び て い る.そ の後,さ ら に支 問 を伸 ば し,浦 戸 大 橋(1972,高 知)で は 当 時 の 世 界 最 長 支 問 の230mを 実 現 した. 以 上 よ り,PCラ ー メ ン橋 の 技 術 発 展 の流 れ にお い て, 日本 で 初 め てDywidag工 法 を採 用 した 嵐 山橋 同 工 法 に お いて 多 径 問 の施 工 を 可能 に した名 田橋,最 大 支 間 長 を 大 き く伸 ば しPCラ ー メ ン橋 の 長 大 化 に 貢 献 した 中 の橋 の3橋 が,技 術 発 展 の上 で重 要 な橋 梁 と推 察 で き る. 他 の形 式 に つ い て も同様 に,新 形 式 お よび 新 工 法 を導 入 した橋 梁,支 間 の長 大 化 に 大 き く貢 献 した 橋 梁 を高 度 経 済成 長 期 の 技術 発 展 に お い て 重 要 な役 割 を果 た した橋 梁 と して 特 定 した(表-1お よび 表-2). (4)新 技 術 導 入 の 背 景 特 定 した28橋 につ い て,そ れ ぞ れ 新 技 術 の導 入,ま た は 長 大 化 に 至 った 背 景 を工 事 報 告 等 か ら調 査 した 結 果, 新 技術 導 入 の 背 景 と して 「技 術 者 の 挑 戦 」,「架 設 条 件 の 克 服 」 の2つ が あ っ た と考 え られ る. a)技 術 者 の 挑 戦 橋 梁 の 形 式 はそ の架 設 条 件 に拠 る が,技 術 発 展 の た め に,経 済 的,合 理 的 な形 式 で は な く,あ え て 経 験 の 少 な い 形 式 を採 用 した例 が あ る. 坂 越 橋(1955,兵 庫,支 間25.5m)は 日本 で 初 め て 格 子 桁 と して計 画 され た橋 梁 で あ る が,架 設 条 件 は 格 子 桁 が最 も不 利 とな る場 所 で あ っ た.坂 越 橋 で の 格 子 桁 の 採 用 は,計 算 方 法 がや や 煩 雑 で あ る上 に,鋼 重 の 減 少 を あ ま り期 待 で き な い17).し か し当時,荷 重 の 分 配 作 用 が 著 しい こ とが認 め られ,こ れ ま で の 計 算 方 法 を改 善 す る必 要性 が 痛 感 され て い た た め,あ え て ドイ ツ で応 用 され て い た 荷 重 分 配 用 横 桁 に よ る作 用 を期 待 す る計 算 方 法 を採 用 した17).ま た,外 津 橋(1974,佐 賀,支 間170m)は 日 本 初 の 長 大RCア ー チ で あ る が,当 初 コ ン ク リー ト橋 の 代 替 案 にDywidag方 式 を用 い る案 もあ っ た.し か し,本 格 的 な 吊材 を使 用 した 片 持 ば り施 工 の鉄 筋 コ ン ク リー ト ア ー チ 橋 の 採 用 が コ ン ク リー ト技 術 の発 展(コ ン ク リー ト橋 の 長 大 ス パ ンへ の 適 用)に 寄 与 で き る と考 え て,国 内 で 実績 の あ るDywidag方 式 で は な く,鉄 筋 コ ン ク リー トア ー チ 橋 に 決 定 した18). 一 方 ,今 後 の 技 術 発 展 を期 待 し,比 較 的短 い支 間 で 実 験 的 に架 設 した 橋 梁 も あ る.江 口橋(1965,大 阪,支 間 30.8m)は 日本 で 最 初 に2主 桁 構 造 が 実 用 化 した 橋 梁 で あ る.江 口橋 の 場 合,主 桁 数 は4∼5本 とす る の が 一般 的 で あ るが,主 桁 を2本 と して,主 桁 間 中央 に縦 トラ ス1本, 横 桁5本 か らな る床 組 構 造 と し,約15%の 鋼 材 重 量 の 節減 を 可 能 に した19).この 江 口橋 の成 果 を活 か し,1967年 に, 同 じ大 阪 市 内 に 本 格 的 な2主 桁 構 造 とな る 新 十 三 大 橋 (1967,大 阪,支 間90m)が 建 設 され た20). b)架 設 条 件 の 克 服 従 来 例 の ない 条 件 の橋 梁 が必 要 と され,そ の 条件 を克 服 す るた め に新 た な 設 計 を 必 要 と した と思 わ れ る橋 梁 が あ る. 白糸 橋(1956,神 奈 川)は,日 本 初 の 曲 線 橋 で あ る. 一 般 的 に 曲線 橋 は不 経 済 で あ る が,自 動 車道 路 と して 考 えた 場 合,曲 線 部 に架 設 され る 直線 橋 は運 転 上 好 ま しい もの で は ない こ とか ら,白 糸 橋 に 曲線 桁 が 採 用 され た21). 橋 は直 線 で あ る とい う概 念 を 変 え,橋 は 道 路 の 一 部 で あ り道 路 曲線 に合 わせ る べ き,と い う思想 の さ きが け とい え る例 で あ る.こ の 白糸橋 の成 果 は,同 じ神 奈 川 県 内 の 米 神 橋(1960,神 奈 川)で 活 か され,日 本 初 のPC橋 に よ る 曲線 橋 が完 成 して い る22). また,城 ヶ島 大 橋(1960,神 奈 川,支 間95m)は,本 格 的 な鋼 床 版 箱 桁 橋 で あ るが,計 画 面 が 高 く,そ れ が 重 量 に 直接 影 響 を 及 ぼ し,下 部構 造 に 決 定 的 な 差 を もた ら す た め,PC橋 を 断 念 した.そ の結 果,鋼 橋 と して 技 術 陣 と話 し合 い3径 間連 続 鋼 床 版 箱 桁 橋 と決 定 した23).天門橋 (1966,熊 本,支 間300m)で は,海 面 距 離 や 航 路 幅 の条 件 か ら 中央 支 間長 を300m程 度 とす る こ と を前 提 と して 検 討 を した.そ の 結 果,当 時 日本 最 大 の トラ ス橋 とな っ た24). (5)2章 の ま とめ 2章 で は,高 度 経 済 成 長 期 に建 設 され た橋 梁 の技 術 発 展 の 流 れ を概 観 し,重 要 な役 割 を果 た した と推 察 され る 橋 梁28橋 を特 定 した. これ ら28橋 は,戦 後 の 日本 の橋 梁 技 術 の発 展 を 物 語 る 重 要 な構 造 物 で あ り,高 度 経 済 成 長 期 の遺 産 とな る可 能 性 を有 して い る と考 え られ る.し た が っ て,こ れ らに価 値 を見 出す こ とが 必 要 と思 わ れ,構 造 物 の 技 術 的 価 値 だ け で な く,そ れ に 関 わ っ た 技術 者 の 熱 意 を,広 く市 民 に 伝 え て い く こ とが 重 要 と考 え られ る.
3橋 梁 を 取 り巻 い た 情 勢 本 章 の 目的 は,2章 の 系 譜 図 よ り明 らか に した橋 梁 の技 術 発 展 の背 景 と して の 高 度 経 済 成 長 期 の 特 質 を 明 らか に す る こ とで あ る.文 献 調 査 で 客観 的 事 実 の 把握 に努 め,ヒ ア リング調 査 で は 当時 の 技術 者 の経 験 か ら,前 者 の補 完 を 行 って い る. (1)文 献 調 査 本 節 で は,高 度 経 済成 長 期 の 橋 梁 設 計 を取 り巻 い た 情 勢 を,経 済 社 会 情 勢,技 術 発 展,示 方 書 お よび 標 準 設 計, 設 計 主 体 に分 け て調 査,整 理 を行 った.調 査 に は,建 設 白書,示 方 書,標 準設 計,既 存 研 究25)を用 い た. a)示 方 書 1952年(昭 和27年)に 道 路 法 が 改 正 され,道 路 構造 令 も 同 年 に改 正 第 一 次 案,1953年(昭 和28年)に 改 正 第 二 次案 が 作 成 され た.さ らに1954年(昭 和29年)に は第 一 次 道 路 整備 五 箇 年 計 画 が 開始 され た.こ の よ うな 背 景 の も と,自 動 車 交 通 量 と重 量 の飛 躍 的 な 増 大 と橋 梁 技 術 の 進 歩 に対 処 す るた め,1956年(昭 和31年)に 「鋼 道 路 橋 設 計 示 方 書 」, 及 び 「鋼 道 路 橋 製 作 示 方 書 」 と して 改 訂 され た.そ の後 も 溶 接 技 術 の 発 達 に対 応 す る た め に 「溶 接 鋼 道 路 橋 示 方 書 (1957)」,合 成 桁 の 発 展 に 対 応 して 「鋼 道 路 橋 の合 成 桁 設 計 施 工 指 針(1959)」,プ レス トレス 道 路 橋 の 技 術 発 展 の成 果 を 「プ レス トレス道 路 橋 の設 計 指針(1961)」 が 制 定 され るな ど,技 術 の発 展 に対 応 し改 正 され て い る26),27). ま た,床 版 の破 損 の 問 題 を受 け て,1971年 に鋼 道 路 橋 の 鉄 筋 コ ン ク リー ト床 版 の設 計 規 定 が 整 備 され,1964年 の新 潟 地震 の 被 害 を受 け て,1971年 に耐 震 設 計 指 針 が 制 定 され るな ど,技 術 的 課 題 や 災 害 に応 じて整 備 され て い る26),27). 斉藤 ら8)は,コ ン ク リー トT桁 橋 の 示 方 書 の変 遷 を調 査 し,高 度 経 済 成 長 期 前 半 の 示 方 書 は,基 準 に反 映 され る べ き 技 術 的 知 識 の ス トック が少 な い た め,規 定 して い る項 目数 が 少 なか っ た が,1968年 のPC道 路 橋 示 方 書 以 降 は 規 定 が 格 段 に多 く な っ た こ とを 明 らか に して い る (表-3).示 方 書 の改 訂 が技 術 発 展 に 伴 い 行 わ れ て い る こ とか ら,コ ン ク リー トT桁 橋 と 同様 に,コ ン ク リー ト橋, 鋼 橋 全 般 に お い て も,示 方 書 改訂 時 に 規 定 項 目数 が増 加 して い る と考 え られ る. 表-3示 方 書 の 規 定 項 目数 の変 化(斉 藤 ら 「設 計 制 度 と し て の道 路 橋 の 標 準 設 計 の変 遷 」(2006)の 表 を修 正) ※構 造 細 目一 般 に 関す る規 定 の 項 目数 と,床 版 と桁(T桁)の 項 目に お け る構 造 細 目に 関す る規 定 項 目数 を カ ウ ン ト b)標 準 設 計 標 準 設 計 は 高 度 経 済 成 長 期 に2度 作 成 され て い る. 1958年 に 作 成 され た 「道 路 橋 標 準 設 計 図集 」 は,第 二 次 道 路 整 備 五 箇 年 計 画 を 円滑 に 遂 行 す る た め,「 設 計 並 び に施 工 の 単純 化 な い し規 格 化 が 必 要28)」と され て い る. しか し,「経 験 と技 術 に 秀 で た 技 術 者 を抱 え て い る 自治 体 は 標 準 設 計 を真 似 るの で は な く,優 れ た設 計行 為 ・手 法 を独 自に積 極 的 に 行 って も らい た い」 と考 え られ て い た 28) .ま た,「 標 準 設 計 とは 単 に実 用 上,最 も多 く利 用 さ れ る支 間 と幅 員 とに 合 わ せ た 設 計 図 で,そ の ま ま 現 場 に 使 用 す る だ け の もの で あっ て は な らな い28).」と され,強 制 力 は な く 「示 方 書 の活 き た解 説28)」で あ り,「 参 考設 計 30)」と して の位 置 づ けで あ った. これ に対 して,1969年 作 成 の 「建 設 省 制 定 土 木 構 造 物 標 準 設 計 第13∼17巻 」 の 目的 は,「 設 計,施 工,積 算, 契 約 等 に お け る業 務 の 簡 素 化 並 び に 構 造 物 の 精 度 向 上 を図 る こ と8)」と して 明文 化 され て い る.ま た,「 特 別 な 設 計 条 件 に係 る構 造 物 を 除 き適 用 す る」 「設 計 書 に 図 面 の 添 付 を しな い で よい8)」と され,「 原 則 的 に標 準 設 計 を 適 用 す る こ とが意 図 され て い た8).」これ は,地 方 で も増 加 した 橋 梁 建 設 の 品 質 を確 保 す るた めや,会 計 検 査 上 の 手 続 き を 容 易 に す る意 図 が あ っ た と考 え られ る.ま た, 発 足 当時 の コ ン サル タ ン トは 経 験 が 不 足 して お り,標 準 設 計 が 強 制 力 を持 っ た 背 景 に は,コ ンサ ル タ ン トの 経 験 不 足 を補 う意 味合 い もあ っ た と考 え られ る. 以 上 よ り,1958年 作 成 の 「道 路 橋 標 準 設 計 図集 」と1969 年 作 成 の 「建 設 省 制 定 土 木 構造 物 標 準 設 計 第13∼17巻 」 で は,利 用 に対 す る位 置 づ けが 大 き く異 な っ て い た こ と が わ か る.こ れ は標 準 設 計 に 掲 載 され て い る 図 面 数 に も 表 れ て お り,前 者 は 掲 載 図 面 数130に 対 し,後 者 は1173 で あ る. c)設 計 主 体 1960年 頃 ま で は,橋 梁設 計 技 術 は 一 部 の発 注者 と橋 梁 製 作 会 社 が保 有 して い た.橋 梁 製 作 会 社 は 発 注 者 の 直 轄, 発 注 者 にお い て は事 業者 と設 計 者 が 同一 の組 織 に 存在 す る直 営 設 計,い わ ゆ る イ ン ハ ウス エ ン ジニ ア体 制 で設 計 を 行 って い た28). 1951年(昭 和26年)に 社 団 法 人 「日本 技 術 士会 」 が発 足 し,1957年(昭 和32年)に は コ ンサ ル タ ン トの認 知 と して の 技 術 士 法 が制 定 され た.こ れ に よ り,技 術 の 民 間 へ の 移 行 が 始 ま り,東 京 オ リン ピ ッ ク,更 に1960年 代 半 ば の 列 島 改 造 論 に代 表 され る建 設 ブ ー ム の 中 で コ ン サル タ ン トも急 成 長 を遂 げ た32).初 期 の コ ンサ ル タ ン トは経 験,技 術 力 に不 安 が あ っ た もの の,橋 梁 製 作 会 社 か ら転 職 した 技 術 者 な どに よ っ て技 術 力 を高 め て い っ た28). コ ンサ ル タ ン ト誕 生 後 も,若 戸大橋(1962,福 岡)や 関 門 橋(1973,福 岡 ― 山 口)な ど大 規模 な 橋 梁 につ い て は,コ ンサ ル タ ン トの経 験 不 足 を 理 由に 直 営 設 計 で設 計 が行 わ れ て い る33),34). ま た,設 計 に お け る立 場 に つ い て 田原 は 「設 計 の 段 階 に お い て も発 注 者 側 にお い て,従 来 の 直 営設 計 の 郷 愁 が 捨 て 切 れ ず,コ ンサ ル タ ン トは な か ば発 注者 側 技 術 者 の 指 示 指 導 の も とで,そ の て こ と して 使 わ れ る 場 合 が 多 い 」35)と述 べ て お り,発 注者 が 未 だ に主 導 権 を持 って い た こ とが わ か る.
(2)ヒ ア リ ング 調査 本 節 で は,高 度 経 済成 長 期 の 橋 梁 技 術 発 展 に貢 献 し, 当時 の橋 梁 設 計 お よ び橋 梁 建 設 の 実 情 を 知 る人 物 へ の ヒ ア リン グ調 査 を行 っ た結 果 を ま とめ る.ヒ ア リン グ調 査 に協 力 して頂 い た方 の経 歴,ヒ ア リン グ 内 容 を以 下 に 記 す. (1)近 藤 和 夫 氏(元 大 阪市 助 役) 略 歴:1943年 京 都 帝 国 大 学 を卒 業 後,大 阪市 へ 奉 職.土 木 局 橋 梁 課 長,土 木 部 長,大 阪 市助 役 を務 め,辰 巳橋,新 十 三 大 橋,千 本 末 大 橋 な ど,戦 後 の 大 阪 市 の 橋 梁 建 設 に 中心 的 な役 割 を果 た した. 日時:2006年10月16日13:00-13:30電 話 に て 調 査 内 容:1.大 阪 市 橋 梁 課 の仕 事 ・気 風 2.高 度 経 済 成 長 期 の橋 梁設 計 に つ い て 3.コ ンサ ル タ ン ト誕 生 後 の発 注者 (2)吉 田 巌 氏((株)吉 田デ ザ イ ン コー ナ ー 会 長) 略歴:1953年 東 京 大 学 を 卒 業 後,建 設 省 へ 入 省.西 海 橋, 若 戸 大 橋 の 設 計 施 工 に携 わ っ た後,建 設 省 土木 研 究所,本 州 四 国 連 絡 橋 公 団 で 瀬 戸 大 橋,明 石 海 峡 大橋 の設 計 に 携 わ り,日 本 の 長 大 橋 技 術 の発 展 に 貢 献 した. 日時:2006年11月1日14:00-15:30 内容:1.西 海 橋,若 戸 大 橋 の設 計 2.技 術 開 発 と 当時 の 思 想 3.直 営 設 計 と発 注 設 計 の違 い (3)藤 井 郁 夫 氏(元(株)東 京 鐵 骨 橋 梁) 略歴:1953年 徳 島大 学 を卒 業 後,建 設 省 へ 入 省.日 本 道 路 公 団,本 州 四 国連 絡 橋 公 団,(株)東 京 鐵 骨 橋 梁 で橋 梁建 設 に 従 事.土 木 学 会 鋼 構 造 委 員 会 歴 史 的 鋼 橋 調 査 小委 員 会 委 員 と して 歴 史 的 鋼 橋 の調 査 を 多数 行 い,橋 梁 史 に も詳 しい. 日時:2006年11月10日13:00-14:00 内容:1.技 術 発 展 と 当時 の 思 想 2.直 営 設 計 と発 注 設 計 の 違 い 3.標 準設 計 の利 用 (4)松 村 博 氏((財)阪 神 高 速 道 路 管 理 技 術 セ ンタ ー 理 事) 略 歴:1969年 京 都 大 学 を卒 業 後,大 阪 市 に 奉 職.橋 梁 課 第 二設 計係 長 を務 め,大 阪 市 都 市 工 学 情 報 セ ン タ ー を経 て,(財)阪 神 高 速 道 路 管 理 技 術 セ ン ター 理 事.大 阪 市 の橋 梁 史 に も精 通 して い る. 日時:2006年10月25日11:00-13:45 内容:1.大 阪 市 橋 梁 課 の 仕 事 ・気 風 2.高 度 経 済 成 長 期 の 橋 梁 設 計 につ い て 3.コ ンサ ル タ ン ト誕 生 後 の発 注 者 (5)五 十 畑 弘 氏(日 本 大 学 生 産 工学 部 土木 工 学 科 教授) 略歴:1971年 日本 大 学 を卒 業 後,日 本 鋼 管(株)に 入 社. 橋 梁 上 部 工,鋼 構 造 物 の 設 計 お よび 開発 実 務 を担 当.国 内 お よび 海 外 の 鉄 ・鋼 橋 の発 展 過 程 に精 通 して い る. 日時:2006年12月8日16:00-16:30 内容:1.橋 梁 製 作 会 社 の 競 争 設 計 につ い て 2.発 注 者 か ら コ ンサ ル タ ン トへ の技 術 移 転 本 稿 で は,文 献調 査 の 結 果 と対 応 させ るた め,ヒ ア リ ン グ 内容 の うち,示 方 書,標 準 設 計,設 計 主 体 に 関す る 内容 を以 下 に述 べ る36). a)示 方 書 示 方 書 の規 定 項 目数 が増 加 して き た こ とは 前 節 で 確認 した.松 村 氏 は,「1970年 頃,鋼 床 版 や 合成 桁 が 設 計 示 方 書 に 取 り入 れ られ,実 際 の設 計 に使 用 す るバ ッ クボ ー ン が で きた 」 と述 べ,こ れ ま で進 め て き た 技術 の研 究 ・開 発 の 基 礎 的 な 部 分 が一 定 の成 果 と して ま とめ られ た と し て い る.そ して,そ れ 以 後 は,「 これ らの 研 究 ・開発 の 成 果 を も と に長 大 化 が 進 め られ る 時代 に な っ た.40)」と し, 1970年 頃 が 新 技 術 の 研 究 ・開発 の一 つ の 区切 りで あ っ た と推 察 で き る. b)標 準 設 計 1960年 代 に は,標 準 設 計 の 適 用 範 囲 が広 が り,強 制 力 も増 した が,藤 井 氏 は 「兵 庫 県 内 の名 神 高速 道 路 の設 計 の 際,全 て標 準 設 計 を使 用 して設 計 した ら非 常 に 高 い道 路 に な っ た.そ れ 以 来標 準 設 計 は 使 っ てい ない.」 と述 べ て い る.そ して,そ の 原 因 を 「道 路 橋 の標 準 設 計 は 幅員 が広 く,斜 め に 架 か る場 合 は効 率 が悪 く不 経 済 に な る. 古 くか ら存 在 す る鉄 道 の 標 準 設 計 は,幅 員 が狭 い た め に 斜 め に架 か っ て も金 額 の 増 大 は た か が知 れ て い る.」と し て い る.藤 井 氏 は,こ の 名 神 高 速 道 路 の建 設 以 来 「高速 自動 車 道 は 車 が 高 速 で 走 る機 械 を作 る」 とい う傾 向 に な り,「 自動 車 が 高 速 で 走 るの に邪 魔 に な る も の は 削 い で い く」とい う発 想 に な っ た と述 べ て い る.「 高速 自動 車道 の建 設 が 非 常 に 話 題 に な った た め に,コ ンサ ル タ ン トは この傾 向 を真 似 した の で は ない か.」と機 能 重 視 の道 路建 設 に 陥 っ た原 因 を推 測 して い る. この よ うな 状 況 の 中で,大 阪 市 は独 自の 存 在 と して橋 梁 建 設 を 行 っ て い た.大 阪 市 の 橋 梁 と して は,戦 前 の市 電 事 業 や 第 一 次 都 市 計 画 事 業 に よ る橋 梁16)が知 られ て い る が,近 藤 氏 は 「第 一 次都 市 計 画 事 業 の 多 くの 橋 梁 建 設 に携 わ っ た 堀威 夫 氏 以 来,大 阪 市 に は 『構 造 即 美 』 とい う伝 統 が あ り,そ れ は 戦 後 も変 わ ら ない 」 と して い る. ま た,「 高 度 経 済 成 長 期 に は お 金 が あ り,経 済 的,合 理 的 に 自 由 に設 計 を す る こ とが で き た た め 橋 梁 を 作 品 と して 考 え る余裕 が あ った 」 と も述 べ て い る.前 節 で 明 ら か に した標 準 化,機 能 重 視 とい う思 想 はな か った こ とが 考 え られ,独 自の 思想 を 持 っ て い た と推 察 され る.ま た, 「特 徴 の あ る橋 をつ く り,建 設 雑 誌 な どへ 積 極 的 に投 稿 す る よ う,上 司 か ら部 下へ 伝 え られ て い た こ と40)」も挙 げ られ る.雑 誌 へ 投 稿 す る には,他 とは異 な る特 徴 が必 要 とな るた め,そ れ が 新 技 術 へ の 関 心 を高 め る こ とに も 繋 が って い た の だ ろ う.他 の 自治 体 と異 な り,「1つ の 橋 梁 を 担 当 した ら,比 較 的 長 い 間,同 じ橋 梁 を担 当 で き た40)」点 も,設 計 上 の 工夫 を 可 能 に した 点 で 重 要 とい え る.高 度 経 済成 長 期 の 後 半 で は,標 準 設 計 が 強 制 力 を持 ち 始 め た が,松 村 氏 の 「標 準 設 計 の存 在 は知 っ て い た が, 見 た こ と もな い 」 との 発 言 か ら も,大 阪 市 が 極 めて 特 殊 な 自治 体 で あ っ た こ とが わ か る. 標 準 設 計 に 拠 らな い,特 徴 の あ る橋 梁 建 設 を進 め られ
表-5橋 梁 設 計 の背 景 と して の 高度 経 済成 長 期 の 特 質(作 成:著 者) た の は,戦 前 か らの 伝 統 と高 い 技 術 力,財 政 面 の安 定 だ け で な く,大 阪 の 進 取 の 気 風 も理 由 の1つ で あ ろ う. c)設 計 主体 前節 で,高 度 経 済 成 長 期 前 半 は橋 梁 製 作 会 社 と発 注 者 が橋 梁 設 計 技 術 を保 有 して い た こ とが わ か っ てい る が, 当 時 の 直営 設 計 に つ い て 「(事業 者 と設 計 者 が 同一 の組 織 に存 在 す る た め)意 思 疎 通 が 円滑 に進 ん だ37),38)」と い う メ リ ッ トが 聞 か れ た,西 海 橋,若 戸 大 橋 で 直 営 設 計 を経 験 して い る 吉 田氏 は,当 時 の 直 営 設 計 の 利 点 と して 「最 初 か ら最 後 ま で1人 の所 長 だ っ た こ と」,「所 長 が 若 い 技 術 者 に仕 事 を任 せ て くれ た こ と」 を挙 げて い る.ま た, 1956年(昭 和31年)の 若 戸 大 橋 の 形 式 検 討 の 際 に,吊 橋 との 比 較 案 と して 斜 張 橋 を 検 討 した こ と に つ い て,「 当 時,国 内 で どの よ うな動 き が あ るか は 全 く情 報 は 入 らな か っ た.し た が っ て,勝 瀬 橋 の 担 当者 も若 戸 の 勉 強 は知 らな か っ た はず.お 互 い の 情 報 交 換 な し に,個 人 の 動 き の 中 で,新 しい も のへ の トラ イ が進 め られ て い た.」 と述 べ てお り,個 人 の裁 量 に お い て 技 術 発 展 が 進 む 様 子 が 伺 え る. 1960年 頃 か ら コン サル タ ン トが設 計 を行 うよ うに な っ た が,「 コ ンサ ル タ ン トの 図 面 が 最 後 の仕 上 が りま で 生 き て い る こ とは ほ とん ど考 え られ な か っ た40」」,「実 質 は 発 注 者 に ポテ ン シ ャル が あ り,コ ンサ ル タ ン トは,作 業 を手 伝 っ て も ら うよ うな形 で使 っ て きた とい うの が 実 態 で あ る41」」 な どの 発 言 か ら,前 節 の 田原 の 指 摘 の 通 り, 当時 の コ ンサ ル タ ン トの 立 場 の 低 さ を確 認 で きた. 以 上 の調 査 結 果 を,社 会 経 済 の 出 来 事42)も含 めて 年 表 に して表-4に ま とめ た.尚,表 中 に2章 の 分 析 結 果 で あ る重 要 橋 梁 の建 設 年 もあ わせ て 記 した. (3)3章 の ま とめ 高 度 経 済 成 長 期 突 入 直 後 の 道 路 整備 状 況 は,経 済 の発 展 と比 べ 遅 れ を とっ て お り,道 路 整 備 五 箇 年 計 画 を き っ か け に急 速 に整 備 され 始 め た が,自 動 車 保 有 台 数 の伸 び が それ を上 回 り,道 路 投 資 は 拡 大 を続 けた. そ の道 路 整 備 五 箇年 計 画 を 円滑 に 進 め るた め に整 備 さ れ た示 方 書 や 標 準設 計 は,高 度 経 済 成 長 期 の前 半 で は技 術 者 の裁 量 が 大 き か っ た が,1960年 半 ばか ら,そ の規 定 数 や 利 用 の位 置 付 け に 変 化 が 見 られ た.ま た,同 じ頃, 設 計 主 体 も コ ンサ ル タ ン トが 急 成 長 しは じる な ど,1960 年 代 が,設 計 制 度 や 主 体 に お い て 転 換 期 で あ る こ とが 明 らか とな っ た.転 換 期 と考 え られ る時 期 を表-4の 網 掛 け 部 分 に示 して あ る. ま た,ヒ ア リ ン グ調 査 か ら,高 度 経 済 成 長 期 前 半 の 直 営設 計 で は,意 思 疎 通 が 円滑 に行 わ れ た,若 い技 術 者 に 仕 事 を任 せ て くれ た な どの 利 点 が あ る こ とが わ か っ た. 標 準設 計 の 強 制 力 が 増 す もの の,標 準 設 計 の使 用 が必 ず し も経 済 的 な 設 計 に な らな か った こ と,名 神 高 速 道 路 以 来 の 高 速 自動 車 道 建 設 の 思 想 が,一 般 の 道 路 計 画 に も 影 響 を 与 え て い る 可 能 性 が あ る こ とが わ か っ た. さ らに,標 準設 計 に 拠 らな い 独 自の 思 想 を持 っ て橋 梁 建 設 を行 っ て い た 自治 体 が 存 在 した こ とを明 らか に した. 以 上 を表-5に ま とめ た. 4ま と め 本 研 究 で得 られ た 成 果 は 以 下 の4つ で あ る. (1)建 設 雑 誌 か ら橋 梁 を抽 出 し,そ れ ぞ れ を技 術 的 な繋 が りに着 目 して 関連 付 け,高 度 経 済 成 長 期 の 橋 梁 の 系 譜 図 を作 成 した. (2)系 譜 図 を基 に,新 技 術 を 導入 した 橋 梁 お よび 長 大 化 に貢 献 した 橋 梁 計28橋 を,高 度 経 済 成 長 期 の 技 術 発 展 にお い て 重 要 な役 割 を果 た した 橋 梁 と して 特 定 し た. (3)高 度 経 済 成 長 期 の経 済社 会 状 況,技 術 発 展,設 計 制 度,設 計 主 体 を文 献 調 査,ヒ ア リング 調 査 か ら整 理 し,高 度 経 済 成 長 期 の 中 頃 に,設 計 制 度 お よび 設 計 主 体 にお い て転 換 期 が あ る こ とを 明 らか に した. (4)高 度 経 済 成 長 期 に 活 躍 し た 技 術 者 に ヒア リ ン グ 調 査 を行 い,直 営 設 計 の メ リ ッ トや,場 合 に よ って は 標 準 設 計 が 経 済 的 で な い こ と,独 自の 思 想 を持 った 自治 体 が 存 在 した こ とな どが わ か っ た. 尚,冒 頭 で も述 べ た よ うに,本 論 文 の 成 果 の み か らは, 橋 梁 とそ の建 設 背 景 との 具 体 的 な 関 連 につ い て 十 分 に論 じる こ とは で き な い.し た が っ て,今 後 各 橋 梁 の設 計 過 程 につ い て の詳 細 な 調 査 か ら,設 計 制 度 や 設 計 主 体 の変 化 の影 響 を 明 らか に す る必 要 が あ る.ま た,地 域 に よ っ て そ の影 響 も 異 な る と考 え られ,地 方 史 との 関 りに触 れ た さ らな る調 査 も必 要 と考 え,今 後 の 課 題 とす る. 参 考 文献 お よ び 注 釈 1) 例 え ば, 勝 瀬 橋(1960, 神 奈 川) は 日本 初 の 斜 張 橋 で あ る が, 老 朽 化 と歩 道 が 未 整 備 の 為, 新 橋 が架 け られ, 将 来 的 に取 り壊 しが 決 ま っ て い る. 2) 八 十 島義 之 助 ら 『土木 技 術 の発 展 と社 会 資 本 に 関す る研 究 』 総 合 研 究 開 発 機 構, 607p, 1985. 3) 山 下 葉 「戦 前 の 橋 梁 景観 設 計 の 思 潮 に 関 す る研 究 」 日本 都 市 計 画 学 会 学 術 研 究 論 文 集, pp697-702, 1990. 4) 松 村 博 「橋 の 日本 史試 論 」土木 史研 究vo119, pp201-208,
1999. 5) 五 十 畑 弘 「 鋼 橋 建 設 産 業 の 発 展 過 程 に 関 す る 史 的 調 査 」 建 設 マ ネ ジ メ ン ト研 究 論 文 集Vol.11, PP331-342, 2004. 6) 中井 祐 『 近 代 日本 の 橋 梁 デ ザ イ ン 思 想 』 東 京 大 学 出 版, 647p, 2005. 7) 中 嶋 義 全, 中 井 祐, 篠 原 修 「 戦 後 期 に お け る 橋 梁 設 計 思 想 」 土 木 計 画 学 研 究 ・講 演 集NO.22, pp43-46, 1999. 8) 斉 藤 大 輔, 一 丸 義 和, 齋 藤 潮 「 設 計 制 度 と し て の 道 路 橋 の 標 準 設 計 の 変 遷 ∼ コ ン ク リー トT桁 橋 を 事 例 と し て ∼ 」 土 木 学 会 論 文 集Vbl.62No.1, pp1―10, 2006. 9) 新 村 出 編 『 広 辞 苑 第 四 版 』 岩 波 出 版, p877, 1991 . 10) 例 え ば, 前 掲2 ) p352.で は 「オ イ ル シ ョ ッ ク(1973 年)以 降 に な る と, 自 然(環 境)と の 調 和 が か な り 配 慮 され る に 至 っ た. 」 と され て い る. 11) 「 土 木 学 会 誌 」 土 木 学 会, 昭 和30年 ∼ 昭 和50年 , 「 道 路 」 日本 道 路 協 会, 昭 和30年 ∼50年. 12) 高 岩 虎 雄 『 道 路 橋 大 鑑 』 土 木 界 通 信 社, 408p, 1961 . 13) 鉄 骨 橋 梁 協 会 編 「 鐵 骨 橋 梁 年 鑑1∼10巻 」 城 南 書 院. 14) 日本 橋 梁 建 設 協 会 編 『 橋 梁 年 鑑 昭 和54年 度 版 』 日本 橋 梁 建 設 協 会, 188p, 1979. 15) 関 野 昌 丈 『 か な が わ の 橋 』神 奈 川 合 同 出 版,pp127-130, 1981. 16) 松 村 博 『 大 阪 の 橋 』 松 籟 社, 452p, 1987. 17) 成 岡 昌 夫, 岩 本 幸 二 「 坂 越 橋 の 工 事 お よ び 載 荷 実 験 に つ い て 」 土 木 学 会 誌 昭 和31年6月, pp15-21, 1956. 18) 井 上 美 治, 宮 崎 雄 二 郎 「 外 津 橋 の 架 橋 」 道 路 昭 和 49年2月, pp11-19, 1974. 19) 井 上 洋 里, 山 本 知 弘, 成 岡 昌 夫 「 江 口橋-2主 桁 構 造 の プ レ ー トガ ー タ ー 橋-」 土 木 学 会 誌 昭 和41年 10月, pp38-41, 1966. 20) 近 藤 和 夫,井 上 洋 里, 加 藤 隆 夫, 佐 々 木 茂 範 「 新 十 三 大 橋 の 建 設 工 事 」 土 木 学 会 誌 昭 和42年8月, pp36-42,1967. 21) 難 波 隼 象, 上 前 行 孝, 鎌 田 正 義 「 白 糸 橋 ( 鋼 曲 飯 桁 橋 ) 工 事 報 告1道 路 昭 和32年4月, pp157.161, 1957 22) 関 野 昌 丈 『 か な が わ の 橋 』 神 奈 川 合 同 出 版, ppl59-160 , 1981. 23) 能 登 尚 平, 上 前 行 孝, 関 野 昌 丈 「 城 ヶ 島 橋 梁 の 計 画 -主 と し て 箱 桁 の 設 計 に つ い て - 」 土 木 学 会 誌 昭 和32年12月, PP19-26,1957. 24) 栗 原 利 栄 「 天 草 架 橋-海 を 渡 る 橋 の 計 画 と 問 題 点- 」 土 木 学 会 誌 昭 和39年9月, pp16-21, 1964. 25) 例 え ば, 前 掲1) , 8) , 佐 伯 彰 一, 藤 原 稔 「 道 路 橋 示 方 書 の 変 遷 」 道 路1989.6, PP38-44, 1989, 多 田 宏 行 『 橋 梁 技 術 の 変 遷-道 路 保 全 技 術 者 の た め に 』 鹿 島 出 版 会, 244P, 2000. 26) 吉 田巌 「 橋 梁 技 術 の 変 遷 」 道 路1991.5, pp53-57, 1991. 27) 佐 伯 彰 一, 藤 原 稔 「 道 路 橋 示 方 書 の 変 遷 」 道 路1989 .6, pp38-44, 1989. 28) 建 設 省 土 木 研 究 所 『 道 路 橋 標 準 設 計 図 集 』 日 本 道 路 協 会,序 文, 1959. 29) 前 掲8)に お い て, 斉 藤 が 多 田 安 夫 氏 に ヒ ア リ ン グ を 行 っ た 結 果 ( 多 田 氏 は 元 土 木 研 究 室 橋 梁 研 究 室 長 で あ り 「 道 路 橋 標 準 設 計 図 集 」 の 作 成 を 総 括 担 当 した) 30) 岩 松 幸 雄, 国 広 哲 男, 駒 田 敬 一, 杉 山 好 信, 中 村 博 昭, 宮 田 浩 遍 「 座 談 会: 標 準 設 計 の 利 用 と 問 題 点 」 橋 梁 と 基 礎73.4, pp26-35, 1973. 31) 建 設 事 務 次 官 か ら 各 地 方 建 設 局 長 通 「 建 設 省 制 定 土 木 構 造 物 標 準 設 計 取 扱 要 領 」 土 木 構 造 物 標 準 設 計, 官 技 発 第3号, 1965. 32) 渋 谷 実 「 建 設 コ ン サ ル タ ン トの 動 き 」 橋 梁 と基 礎87.1, pp37-38, 1987. 33) 吉 田 巌 「 若 戸 橋 ・長 大 ス パ ン と の 闘 い 」 土 木 学 会 誌 昭 和40年6月, pp22-24, 1965. 34) 日本 道 路 公 団 編 『 関 門 橋 工 事 報 告 』 土 木 学 会pp1-10, 1977. 35) 田 原 保 二 「 橋 梁 の 設 計 か ら 工 事 に 関 し, わ が 国 が 当 面 す る 問 題 点 と 対 策 」 土 木 学 会 誌 昭 和55.11, pp30-35, 1970. 36) ヒ ア リ ン グ 調 査 で は, 高 度 経 済 成 長 期 に 建 設 さ れ た 個 別 の 橋 梁 に 関 す る 多 く の 貴 重 な お 話 も お 聞 か せ い た だ い た が, そ れ ら は 他 の 機 会 に 報 告 す る こ と と す る. 37) 近 藤 和 夫 氏 談 ( 経 歴 等 は 本 文 中 に 記 載 ) 38) 吉 田 巌 氏 談 ( 経 歴 等 は 本 文 中 に 記 載 ) 39) 藤 井 郁 夫 氏 談 ( 経 歴 等 は 本 文 中 に 記 載 ) 40) 松 村 博 氏 談 ( 経 歴 等 は 本 文 中 に 記 載 ) 41) 五 十 畑 弘 氏 談 ( 経 歴 等 は 本 文 中 に 記 載 ) 42) 1929∼1975年 の 「 建 設 白 書 ( 国 土 建 設 の 現 況 ) , 建 設 省 」 を 用 い て 橋 梁 建 設 に 関 わ る 社 会 経 済 の 情 勢 を 採 り上 げ た. 43) 建 設 省 「 建 設 省 制 定 土 木 構 造 物 標 準 設 計 」 第13∼17 巻, 全 日本 建 設 技 術 協 会, 1969. 44) 石 井 弓 夫 『 イ ン フ ラ の デ ザ イ ナ ー ― 建 設 コ ン サ ル タ ン トの 役 割 と は ― 』 山 海 堂, 229P, 2003.