東南 ア ジア研究 37巻2号 1999年9月
改
宗と
抵
抗
マ レー シアの オ ラ ン ・アス リ社会 にお け る イ ス ラーム化 を め ぐる一考察
-信
田
敏 宏 *Conversion and Resistance:An Examination of Islamization among theOrang Asliin M alaysia
NoBUTA Toshihiro'
Theaim ofthisarticleistoanalyzelslamizationamongtheOrangAsliandtheirresponse. Sincethe1980S,theMuslim populationoftheOrangAslihasincreasedasaresultofthe Malaysiangovernment'slslamizationpolicy. On theotherhand,thislslamizationhas broughtaboutvarioussocialconflictsin theOrang Aslicommunity. In community,
resistancetolslamizationisregardedasoppositiontogovernmentalpolicy.Thelocal OrangAslicommunityisdividedintotwogroups:Muslimsandnon-Muslims.Anysocial conflictbetweentheMuslim OrangAsliandthenon-Muslim OrangAslihasbeentrans -formedintoapoliticalconflictbetweenthenon-Muslim OrangAsliandthegovernment,
becausethegovernmenttendstosupporttheMuslim OrangAsli.Thisarticleprovides ethnographicaldataaboutacaseofdivorceonthegroundsofconversiontoIslam ofone ofthespouses,andthenexaminestheeffectoflslamizationamongtheOrangAsli.After examinationofthehistoricalprocessoflslamizationandanalysisoftheIslamicconverts,
itisconcludedthat,underthegovernment'slslamizationpolicy,theOrangAslihaveto choosebetweenopposingmeasures,"conversion"and"resistance,"whichmightsymbolize theirpresentsituation.
Ⅰ
は
じ め
に
1980年 代 以 降 , マ レー半 島 の 先 住 民 , オ ラ ン ・ア ス リ (OrangAsli)1)(図 1,表1を参 照 )
に対 す る イ ス ラー ム化 政 策 が 強 化 され て い る。 本 稿 は, 非 ム ス リム の 先 住 民 と され て き た オ ラ
ン ・ア ス リを イ ス ラー ム化 す る動 き と, そ れ に オ ラ ン ・ア ス リ自身 が どの よ うに対 応 して い る
* 東京都立大学大学院社会科学研究科 ;GraduateSchoolofSocialSciences,TokyoMetropoli -tanUniversity,1-1Minami-Osawa,Hachioji,Tokyo192-0397,Japan
1) マ レー語 で "Orang"は 「人」 を意味 し,"Asli"は 「本来 の, 高貴 の」 を意味す る。"Aborigト nes"のマ レー語訳で もあ る。 人種 ・言語 ・「伝統 的」 生業形態 を基準 に, 行政上 の理 由か ら, 3 つのサ ブ ・カテ ゴ リー (ネダ リ ト, セノィ, ム ラユ ・アス リあるいはプロ ト・マ レー) に分類 さ れて いる。 ネダ リ ト系の グループは, オ-ス トロアジア語族 モ ン ・クメール語系で, 北部 ・中央 ノ
図1 オ ラン ・アス リのサ ブ ・グループ 出所 :Hood [1993] よ り転載。 か とい う実 態 の両 面 に亘 って, 分 析 ・考 察 す る こ とを 目的 とす る。 マ レー シア に お いて は, イ ス ラー ム は国 教 で あ り, イ ス ラ- ム を保 護 す る様 々 な宗 教 政 策 が \ アス リ語系 の言語 を話 し
,
「伝統的」生業 は狩猟 ・採集である。 セノイ系の グループは,人種的に はモ ンゴロイ ド系で, 中央 ・南部 アス リ語系の言語 を話 し, 焼畑移動耕作 と狩猟 ・採集が 「伝統 的」 生業 であ る。 ムラユ ・アス リ系の グループは, 人種的にモ ンゴロイ ド系で, 言語的にはオー ス トロネシア語族 のマ レー語派であ り, 広義のマ レー系 に分類 され る。 「伝統的」生業 もまた,広 義の 「マ レー人」 と変わ らず, 定住農耕 と狩猟 ・採集である。 ただ し, 現在 のオラン ・アス リを このよ うな形で分頬す ることは, 行政上 の意味 しかない。 なぜな ら, 多 くの グループが, 学校教 育 ・通婚 ・開発 による 「伝統的」 生業 の変化等 によって, 彼 らの従来の生活や文化が失 われつつ あるか らである。 また, 意識 の上で も, オラン ・アス リに収赦 され る傾向があ り, 特 に, 3つの サ ブ ・カテゴ リーは生活 レベルで はほとん ど機能 していない。 オ ラン ・アス リの概説 については, 拙稿 [1996a;1996b;1996C;1998;印刷 中] を参照 されたい。信田 :改宗 と抵抗 行 わ れ て い る。 1970年 代 後 半 か ら,世 界 的 な イ ス ラー ム復興 の波 は, マ レー シア に も及 び, マ レー シア政 府 は様 々 な イ ス ラ- ム政 策 を打 ち出す よ うに な った。2) そ の よ うな流 れ の中 で, 罪 ム ス リムの先 住 民 ,オ ラ ン ・ア ス リを イ ス ラー ム化 す る政策 が打 ち出 され, 1980年 代 か ら実施 され る こ とにな る。オ ラ ン ・ア ス リの宗教 別 人 口を見 る と, 1980年 代 か らの ム ス リム人 口の増 加 が 目立 っ (表 2,3,4を参 照 )。 こ う した イ ス ラー ム化 の波 の中 で, オ ラ ン ・ア ス リ社 会 で は, イ ス ラー ムに改 宗 す る人 々 と 改宗 を拒 否 す る人 々 の間 で 緊張 関係 が強 ま って い る。筆 者 は, フ ィー ル ドワー ク経 験 の中 で,3) イ ス ラー ム改宗者 と非 改宗 者 との間 の様 々な紛 争 に遭 遇 した。村 の中 で は少 数派 の イ ス ラー ム 改宗 者 と多数 派 を 占め る非 改宗 者 との対 立 関係 は, イ ス ラー ム化 政 策 を進 め, イ ス ラー ム改宗 者 を支持 す るマ レー シア政 府 と,(少数 民族 で もあ り,非 ム ス リムで もあ る)オ ラ ン ・ア ス リと の対 立 の構 図 に転 化 す る可 能 性 を秘 めて い る。 それ ゆえ に, 非 ム ス リムの オ ラ ン ・ア ス リはイ ス ラー ム改 宗 者 た ち との対 立 の中 で, 積極 的 に対 抗 す る ことが で きな い状 況 にな って い る。 彼 ら非 ム ス リムの オ ラ ン ・ア ス リが イ ス ラー ム化 政 策 に どの よ うに応対 して い るのか とい うこと は, これ まで の オ ラ ン ・ア ス リ研 究 の中 で は触 れ られ る こ とは少 なか った。 本 稿 で対 象 とす るオ ラ ン ・ア ス リとは, 現 在 で は18の下 位 民 族 集 団 を有 す るマ レー半 島 の 先 住民 を さす総 称 で あ るが,1966年 に マ レー シア政 府 が オ ラ ン ・ア ス リとい う名 称 を公称 とす るまで [MohdTap1990:31],オ ラ ン ・ア ス リの人 々 は,Biduanda,Sakai,Jakun,Aborigines 等 の名 称 を付 け られ た歴 史 を持っ 。 本稿 で は, 記 述 にお け る便 宜上 の理 由か ら, オ ラ ン ・ア ネ リ法 (1954)以 前 の (現在 で はオ ラ ン ・ア ス リとされ る) こ う した人 々 を 「オ ラ ン ・ア ス リ」 と表記 す る。 また, マ レー人 につ いて も, 現 在 の憲 法 で定 義 され るマ レー人 (イ ス ラー ムを信 仰 し, マ レ-語 を話 し, マ レー人 の慣 習 (ア ダ ッ トadat)に従 う者 )以 前 の,広 義 の マ レー系 の人 々 を 「マ レー人 」 と表記 す る。4) 本稿 の前半 は,オ ラ ン ・ア ス リとマ レー人 の エ スニ シテ ィの境 界 の問題,イ ス ラー ム化 政 策, そ して オ ラ ン ・ア ス リの イ ス ラー ム問題 とい った マ ク ロな問題 を記述 し, 後 半 は, 事 例 研 究 と 2) マ レーシアにおけるイスラーム復興 と国家の関係については,Shamsulの論考 [1994]が参考に なる。 3) フィール ドワークは予備調査 (1995年12月か ら1996年2月) とヌダ リ・スンピラン州 ジェルプ 県のオラン ・アス リの村での本調査 (1996年6月か ら1998年9月)に分かれる。調査村 は2カ所 で,1996年6月か ら12月,1996年12月か ら1998年9月に滞在期間がそれぞれ分かれる。 本稿 では, 後半の比較的長い期間滞在 した ドリアン ・タワー村のデータが中心 となる。 なお, 現地調 査の前半 は,財団法人民族学振興会平成7年度渋沢研究助成金 と富士 ゼロックス小林節太郎記念 基金か ら研究助成を受 け,後半の調査 は,平成8年度文部省 アジア諸国等派遣留学生制度により 可能 となった。それぞれの機関に対 して,記 して感謝す る次第である。 4) マ レー人 や オ ラン ・アス リな どのマ レー シアにお けるエスニ シテ ィにつ いて は,前 田の議論 [1993]が有益である。
表1 オ ラ ン ・
州 ネ ダ リ ト系 の グル ー プ セ ノ イ 系 の
Kinsiu Kintak Lanoh JahaiMendriq Bateq Temiar Semai SemaqBeri CheWong Kedah 180 8,779 16,299 4 Perak 30 227 359 740 Kelantan 14 8 309 131 247 5,994 91 Trengganu 55 451 Pahang 14 658 116 9,040 2,037 381 Selangor 227 619 12 NeSembigerilan 6 Melaka Johor 6
出所 :JHEOA (JabatranHalEhwalOrang Asli)による1996年 の人 口統計 に基づ く。
表2 オ ラ ン ・アス リの宗教別人 口の推移
1
00
%8
0
%6
0
%40
%2
0
0
%
%
lJILJllII1
97
4
1
9
80
1
991
1
997
↓O
t
h
○
r
S
3,
i
4%
1
2
%2
%
a
)
Kr
i
S
t
i
a
n
3
,
i
4%
5
%
6
%
ロ
【
S
l
a
m
5
,
i
5
,i11
%1
6
% 出所 :1974年, 1997年 のデー タは, JHEOAによ る統計 に基 づ く。 注 :1980年, 1991年 の デー タは, マ レー シア統計局 による統計 に基づ いて, 筆者 が 推計 した。 Kristianはキ リス ト教徒,Animismaはアニ ミズム信仰者 を さす。 表4 オ ラン ・アス 州 ネダリ卜系のグループ セ ノ イ 系 のKinsiu Kintak Lanoh Jahai Mendriq Bateq Temiar Semai SemaqBeri CheWong Kedah 108 4,492 569 Perak 67 94 127 Kelantan 165 61 561473 773 Trengganu 549 Pahang 1 941 407 231 Selangor NeSembigerilan Melaka Johor 65 出所 :1997年 のJHEOAによる統計 に基 づ く。 260
信 田 :改 宗 と抵 抗
ア ス リの 人 口
グ ル ー プJahut Mahmeri Temuan Semelaiム ラ ユ . ア ス リ 系 の グ ル ー プJakun OrangKanak OrangKuala OrangSeletar 人 口 合 計各州 ごとの
3,150 2,741 2,491 13,113 33,26,6,431507780944168 38 2,162 7,107 135 157 10 5 10,472 5 12 4,691 1,460 14 6,188 7 818 6 831 4 663 11 3,353 64 2,482 796 7,379 表3 オ ラ ン ・ア ス リの 宗 教 別 人 口 州 県数 村落数 イスラーム キ リス ト教 バ- ーイー教 アニ ミズム 仏教 その他 合 計 Johor Kedah Kelantan Melaka NegeriSembilan Pahang Perak Selangor/連邦直轄地 Trengganu 8 62 1 1 3 140 2 13 7 77 11 249 4 196 6 74 3 3 4 00 6 8 2 8 9 6 9 0 0 4 1 9 2 4 0 4 9 1 1 1 5 4 3 2 5 3 1 3 5 1 2 0
0
3 6 0 3 nU0
9 3 6 3 1 3 3 9 2 3 4 45 815 16,400 5,964 パ ーセ ン ト 15.77% 5.74% 出所 :1997年 のJHEOAに よ る統 計 に基 づ く。 注 :「そ の 他 」 の ほ とん ど は ヒ ン ドゥ教 で あ る。 リの ム ス リム人 口 00
00
0 0 9 00
9 22 2 1 1 0 00
2 0 0 0 0 3 3 0 0 9 4 2 1 8 0 3 0 5 8 4 1 0 2 4 1 6 6 4 8 6 3 4 5 5 5 8 9 3 1 0 8,430 0 208 0 6,7960
840 8 6,442 1 40,461 0 29,392 0 10,8640
549 1,519 80,057 33 9 103,982 1.46% 76.99% 0.03% 0.01% 100%グ ル ー プJahut Mahmeri Temuan Semelai Jakunム ラユ .アス リ系の グループOrangKanak OrangKuala OrangSeletar!l A口 計
180 241 220 644 3,5,1,534281149460849
165 976 1,206
592 592
118 118
して,筆者 が調査 した村 にお いてイスラーム改宗 が原 因で離婚 した夫婦 をめ ぐる出来事 を記述 す る。 そ して,最後 に全体 の考察 を行 う。
Ⅱ
オラ ン ・アス リとマ レー人 の境界
マ レー シアのマ レー半 島部 で は, マ レー人,華人, イ ン ド人 とい うおよそ3つの民族集団が 存在す る。 オ ラン ・アス リのエスニ シテ ィを考 え る場合 には,特 にマ レー人 との関係 が重要 で あ る。本稿で の主 たる対象 は,ヌグ リ ・ス ンピラ ン州 に住 み,今 日で は トゥムア ン(
Te
mua
n)
と範噂化 され る人 々であ る。 また, 彼 らは 「マ レー人」 との連続性 が指摘 され る人 々で もあ る。5) したが って, ここで は,ヌグ リ ・ス ンピラ ンにお ける 「オ ラン ・アス リ」 と 「マ レー人」 のエスニ シテ ィ関係 を歴史的考察 の中心 にすえ る。 Ⅱ-1 オラ ン ・アス リとマ レー人 の創造 - 前植民地期か ら英国植民地期 まで マ ラカ王国が1
5
世紀 に興 って以来,マ レー半 島部 での イスラーム化 は進 み,多 くの住民 はイ スラーム-改宗 してい った。 そ うした現象 は, マス ック ・イス ラーム(
ma
s
ukl
s
l
a
m)
あ るい はマス ック ・ム ラユ(
ma
s
ukMe
l
a
yu)
と呼 ばれ る。 マス ックとは 「入 る」 とい う意味で, イ スラームに入 る, ムラユ (マ レー) に入 るとい うことであ る。 つ ま り, イス ラーム改宗 を伴 っ た 「マ レー化」現象 であ る。 マ ラカ王国 は,新規 にイス ラームに改宗 した人 々や改宗 して いな い人 々を さ して, ビ ドゥア ンダ(
Bi
dua
nda:
「王(
r
a
j
a
)
の従者」の意)と名付 けた と言 われ る[
wi
l
ki
ns
on
1
9
7
1[
1
91
1
]
:
2
8
3
-2
8
7
;
Wi
ns
t
e
dt
1
9
3
4
:
4
3
]
。6)1
6
世紀 頃か ら, ヌ グ リ ・ス ンピラ ンへ の移住 を開始 した と言 われ る ミナ ンカバ ウの場 合 も[
pe
l
e
z
1
9
8
8
:1
5
-1
6
], その本格 的なイスラーム化 は,西 スマ トラの海岸地帯 に限 って も,1
6
世 紀末 か ら1
7
世紀半 ばにか けての ことであ る [加藤1
9
8
0
:
2
3
4
-
2
3
7
]
Oさ らに,イス ラ-ム化 の過 程 にお ける,暴力 を伴 った内陸地域 への植民地化 や奴隷略奪 な どの現象[
Endi
c
ot
t1
9
8
3
]7) も 見逃 すべ きで はない。 このよ うに, イス ラーム化 は前植民地期 を通 じて様 々な形 で進行 してい た現象 で あ り, ビ ドゥア ンダとい う名称 はそ う したイ ス ラーム化 の過 程 の一 端 を物語 って い る。 5) マ レー半島南部のいわゆるムラユ ・アス リ系のグループに該当する トゥムアンでは,すでに前田 [1966:125]が主題 としているように,「マレー人」との連続性の問題が生 じる。 6) ヌダリ・スンピラン建国期における 「オラン・アスリ」 については,Pelez [1988:15-35] や swift [1965:9-25]に多少描かれているが, それらはあくまで 「マレー人」 の視点で再構成され た 「歴史」であることを否定できない。 7) 「オラン・アスリ」の奴隷略奪については,かつて論 じたことがある [信田 1996b:193-194]。 262信田 :改宗と抵抗
英 国 が マ レー半 島を植民地 化 して, 植民地政策 を実施 す る際 に採 用 した分割統 治政策 は,結 果的 に, この ビ ドゥア ンダの ムス リム と非 ムス リムの間 に境界線 を入 れ ることにな った。 ムス リムで あ る土着 の人 々 は 「マ レー人」 と して範 噂化 され る一方, 「オ ラ ン ・アス リ」 はサ カイ (Sakai)/ジャク ン (Jakun)/アボ リジニ (Aborigine)等 と範 噂化 され
,
「マ レー人」と区別 さ れたので あ る[Couillard1984:101]。英 国植民 地政府 は,
「マ レー人」をNativesと名付 け,
「オ ラ ン ・ア ス リ」をAboriginesと名付 けて いた。ここに,今 日のマ レー人 とオ ラ ン ・ア ス リの原 型 が創造 され たので あ る。 そ して, その際 の主 た る規準 が, ムス リム /非 ムス リムだ ったのであ る。 植民地政府 の土地 政策 で は
,
「マ レー人」 に はMalayReservationsを, 「オ ラ ン ・アスリ」 にはSakaiReservationsを与 え る ことにな る。8)一方,英 国植民地期 に も, イス ラー ム化
を伴 う 「マ レー化」現象 は進行 して お り,マ レー シア独立前夜 に は
,
「オ ラ ン ・ア ス リ」の中 に はか な りの数 の ムス リムが いた と言 われ る [Baharon 1968] 。 その数 は推 定2万人 [JHEOA 1972] とされ,彼 らの多 くは独立後 に はマ レー人 にな った とい う。 1954年 に, オ ラ ン ・アス リ法 が制定 され, オ ラ ン ・ア ス リの定義9)がな され,1957年 にはマ ラヤ連邦 が独立 し,憲法 でマ レー人 の定義 が な され た。 この独立前後 の時期 には,民族 の再編 と創造 が行 われたわ けで あ り,
「オ ラ ン ・アス リ」 と 「マ レー人」の場合 には,英国植民地政府 の分割統 治 の論理 (ム ス リムの 「マ レー人」
/
非 ムス リムの 「オ ラ ン ・アス リ」
)
が受 け継 がれ た。 こう して ムス リムの土着民 はマ レー人 に,非 ムス リムの土着民 はオ ラ ン ・ア ス リに, それ ぞれ範 噂化 され たので あ る。 II-2 オラ ン ・アス リ政策 の指針 とブ ミプ トラ政策 一 独立以後 非 ム ス リムの土着民 を オ ラ ン ・ア ス リと して範 噂化 し′た マ レー シア政 府 は, 1961年 にオ ラ ン ・アス リ政策 の指針10)を示 した。 内務省 か らの通達 とい うことで 出 された この指針 は, その目的 と して,(丑 国民社 会 (therestofnationalcommunity)へ の統 合 と ② マ レー社会 (the
8) 1913年のマレー保留地法で, 「マレー人」 に対 して 「マレー保留地」 が与えられた [水島 1994: 34]。 一方, 「オラン・アスリ」 には, 「サカイ保留地 (SakaiReservations)
」
が与え られた[Noone1936:59]。また,1954年のオラン・アスリ法成立後は,「オラン・アスリ保留地」 と名称 が変わった。 9) 1954年に発布された Aborigines法 (オラン・アスリ法) において, オラン・アスリの定義 [信 田 1996a:114-115] は,(1)出自が(a)男系(b)養子(C)女系のいずれで もオラン・アスリとして生 活 していればオラン・アスリとし, (2)他の宗教に改宗 しても, オラン・アスリとして生活 してい る限 りはオラン・アスリとするとしている。 また, (3)オラン・アスリかどうかを判断するのは, 所管大臣とも定めている。 このようにオラン・アス リの定義は嘩味であり過 ぎるが,本稿 との関 連では, (2)(イスラームを含む)他の宗教に改宗 しても, オラン・アスリであるという点は重要 である。
10) StatementofPolicyRegardingtheAdministrationoftheAboriginePeoplesoftheFedera
Malaysectionofthecommunity)への統合 を唱 った。 ここでの問題 は,独立時 にマ レー人 の枠組 み に入 らなか ったオ ラン ・アス リを,新興国家 マ レー シアの社会 の どの部門 に組 み込 むか とい うことであ る。 (丑 で は,マ レー人,華人, イ ン ド 人 と同列 に扱 い うるエスニ シテ ィと して, オ ラ ン ・アス リを扱 うことを 目的 と してい る。 しか し,(塾 において は,マ レー人 の下位民族集団 と してオ ラン ・アス リを組 み込 む ことを 目的 と し て いる.つ ま り,(彰 はマ レー人 との非連続性 を示 した もので あ り,英国植民地政府 の分割統治 の遺産であるのに対 して,② はマ レー人 との連続性 を示 した もので, これ までの 「マ レ-化」 現象 を容認 す るものであ ったO本稿 のテーマ との関連 で述べ るな らば,(塾 がその後 のオ ラン ・ アス リのイスラーム化政策 の基盤 にな ったのであ る。 1969年 に, マ レー人 と華人 の間で暴動 があ り, マ レー人優先政策が 1970年代 か ら実施 され る。 いわゆ るブ ミプ トラ11)政策 の開始 であ る。1974年 に, オ ラン ・アス リの行政 当局 であ るオ
ラン ・アス リ局 (JabatanHalEhwalOrangAsli)か ら出 された報告書 の中で, ブ ミプ トラ政 策 にお けるオ ラン ・アス リの位置が考察 されている。すなわち,(1)国民社会への統 合,(2)ブ ミ プ トラ社 会 へ の統 合,(3)ブ ミプ トラの中 の マ レー人 へ の統 合 が検 討 され て い るので あ る [Mohd,Ruslan1974:21]。これ は, ブ ミプ トラ概念が導入 された ことで,上述 した 2つの統合 案 に不都合 が生 じた結果 の代替案 の検討 であ った。結局,(1)はオ ラン ・アス リをマ レー人,華 人, イ ン ド人 などと同列 に扱 うとい うことで, オ ラン ・アス リを ブ ミプ トラとす るか どうかが 唆味であること,(3)は統合 (integration)で はな くマ レー人- の同化 (assimilation)にはか な らない と して退 け られ,(2)が適 当であ ると主張 された [ibid.:21-23]。 このよ うな議論 か ら, オラン ・アス リをマ レー人 に同化 す ることに対 して は, 当時 のオ ラン ・アス リ局 の中 に反発す る動 きがあ った ことが うかがえ る。 ここでい う 「同化」 とは, オ ラン ・アス リがイスラームに 改宗 して ムス リムにな った時 に,「マ レー化」す る (マ レー人 とな る)よ うな事象 を指 して いる。 こうした 「同化」に対す る反発が政府 内 に存在 す る一方で,1970年代以降のマ レー シアのセ ンサ ス は, オ ラ ン ・ア ス リを マ レー人 の下 位 範 噂 に位 置 づ け るよ うにな って いた [Means 1985-1986:638;Hooker1991:72]。す なわ ち,「同化」政策-の予備段階 も着手 されていたので あ る。1970年代以降 の政府側 の様 々な動 きは,ブ ミプ トラ政策導入期 のオ ラ ン ・アス リ政策が 統合か ら同化-の転化 の過程 にあ った ことを物語 るだろ う。 1970年代後半 か ら,イスラーム復興運動が活発 にな り,それが政府 のイスラーム政策 に影響 を与 え るよ うになると, 1961年 のオ ラ ン ・アス リ政策 の指針 にお ける ② マ レー社会への統合 ll) ブ ミプ トラ(Bumiputera:土地の子)のカテゴリーに入る人々は,マレー人,オラン・アスリ (非ムス リムを含む),サバ ・サラワクの土着民 (非 ムス リムを含む)などである。ただ し,華 人 ・インド人のムスリムはブミプ トラに含まれない [堀井 1989:iv]。 ブミプ トラと非ブミプ トラ の政治性やアイデンティティの問題については,Shamsul[1996]が包括的に論 じている。 264
信 田 :改宗 と抵抗 や
1
9
7
4
年 の報 告 書 にお け る(
3
)ブ ミプ トラの中 の マ レー人 - の統 合 が影響 力 を持 つ よ うに な る。 次章 で記述 す る1
9
8
0
年代以 降 の オ ラ ン ・アス リの イ ス ラー ム化政 策 を マ レー人 - の 「同 化」政策 と して解釈 す るな らば, こ う した統 合案 の内容 はす で に この時点 で統 合 か ら同化 へ転 化 して いた と言 え るだ ろ う。 Ⅲオラン ・アス リのイスラーム化政策
上述 した1
9
7
4
年 に提 出 され た オ ラ ン ・ア ス リ局 の報 告書 の中 で, イ ス ラー ム宣教 活 動 につ いて触 れて い る部分 が あ る。 当時 の マ レー シア政府 はす で に, オ ラ ン ・アス リ局 に対 して, オ ラ ン ・ア ス リの イ ス ラー ム化 を要請 して いた。 しか し, 当時 の オ ラ ン ・アス リ局 は宣教 活動 に は消極 的で あ った とい う。 その理 由 と して, 1)宗教局 や民 間団体 が行 うオ ラ ン ・ア ス リに対 す るイ ス ラー ム宣教 活動 に対 して批判 的 で あ った こと, 2) イ ス ラー ム化 を進 め る ことで オ ラ ン ・アス リ側 か らの信頼失 墜 を恐 れ た こ とが挙 げ られて い る[
Mohd.Rus
l
a
n1
9
7
4
:9
4
-9
5
]。 また,宗教局 によ る宣教 活動 も,1
9
8
0
年 の報告書 を基 に作成 した表5
を見 る と, ムス リム人 口が多 い ム ラユ ・ア ス リ系 の オ ラ ン ・クア ラ(
Or
angKual
a)
が居住 す る ジ ョホ ール州, セ ノ イ系 の スマ イ(
Se
ma
i)や トゥ ミア(
Te
mi
ar
)
な どの オ ラ ン ・ア ス リ人 口の多 いベ ラ州,1
9
7
6
年 に イ ス ラー ム化 政 策 が 打 ち出 され て い た トレ ンガ ヌ州 な どを の ぞ け ば, 活 発 で はな か っ た。12)ス ラ ンゴール州 で は1
9
7
7
年 に宣教 活動 が は じめて実施 されて い る。ヌ ダ リ ・ス ンピラ ン 州 で は, オ ラ ン ・アス リに対 す る宣教活 動 を行 って いなか った。 この よ うに,1
9
7
0
年代 は, オ ラ ン ・ア ス リの イ ス ラー ム化政策 は全般 的 に は実施 されて いな い。 変化 が見 られ るの は,1
9
7
0
年代後半 に盛 ん とな った イ ス ラーム復興運 動 の国策 へ の影響 で あ る。1
9
8
0
年 に マ ラヤ大学 にお いて, 半 官半 民 の イ ス ラー ム団体 で あ るプル キ ム(
PERKI
M :
マ レー シア ・イ ス ラーム福祉協 会)の主催 によ る 「オ ラ ン ・ア ス リ社会 に対 す るイ ス ラー ム宣教 」 につ いて のセ ミナーが行 われ た。13) セ ミナーで は, オ ラ ン ・ア ス リ局, マ レー シア国民 大学 の イ ス ラー ム学 部,総理府 の宗教局 か ら報 告 が行 われ た。 このセ ミナーを契機 に して, オ ラ ン ・ ア ス リ局 自体 の イ ス ラー ム化 政策 に関す る方 針転 換 が起 こった と言 われ る。 そ れ は1
9
8
3
年 の オ ラ ン ・アス リ局 の企画報告書, オ ラ ン ・アス リの イ ス ラー ム化 に関す る戦 略 の中 に表 れ て い る。14) この ことにつ いて は, それ まで の統 合案 が退 け られ, 同化 案 にオ ラ ン ・ア ス リ行政 の方 針 が転 換 した ことを意 味 して いた と指 摘 されて い る[
De
nt
a
ne
tal
.
1
9
9
7
:8
0
]。1
2
)
パ- ン州 と トレンガヌ州については,1
9
7
6
年にすでに 「イスラーム宣教」 についての企画報告書 がオラン・アス リ局によって提出されている[
J
HEOA1
9
7
6
]。1
3
) PERKI
M [
1
9
8
0
]参照。1
4
) J
HEOA [
1
9
8
3
]参照。表5 州 宗 教 局 に よ る オ ラ ン ・ア ス リ対 す る宣 教 活 動 (1980年 まで)
州 宣 教 活 動 問 題 点
Johor DaerahBatuPahat,Pontianなどでの宣教活動。 Kg.Senggarangや Kg.Rengitにお いて宗教 教 師
(オラ ン ・アス リ自身) の任命。
BentutPontianや Keluangにあ るオ ラン ・アス リ 生徒寮 にそれぞれ宗教教師を任命。 毎月, 県 (daerah) ごとに宗教局 の職員 を派遣 し, 宣教活動 (食 べ物やお菓子)0 宣教活動 を行 う職員 が5人 しか いない。 予算が少 ない。 マ レー人 の協力が少 ない。 奥地 の村での宣教活動。 宣教師の不足,12人 の宣教師 と 14人 の助手。 担 当者の給料1カ月 RM80 (少 ない)0 村 が遠 い (交通手段 の不足)。 キ リス ト教が イス ラーム改宗 を妨害 している。 宣教師が オラ ン ・アス リの言葉 がで きない。 予算が少 ない (食べ物やお菓子 を与 え るのに)0 Selangor 1977年か ら宣教活動 は活発 にな った。
Kg.Kuala Pangsun,Kg.Tun Razak,Kg.Bukit Lanjan,Kg.BukitBangkongで顕著 な活動。 宗教局 による映画 (wayanggambar) を用 いた宣 伝活動。 祖先祭祀 か らイス ラームへの変更 には難色。 1人 の宗教職良 しか いない (1977-1980)0 言葉 の問題 な し (マ レー語を解す る)0 身近 なマ レー人が模範 とな って いない。予算が 少 ない。 マ レー人 の協力がない。 Melaka 1977年 に宣教 キ ャンペー ンを行 ったが,不成功。 オ ラン ・アス リに対す る宣教活動予算 とい うの SaudaraBaru (華人, イ ン ド人 などのイス ラーム 改宗者) のカテ ゴ リーの中での宣教活動 (1980)。 はない。 言葉の困難。 頻繁 なキ リス ト教宣教師の訪問があ り,援助 喜 受 けて いる。 キ リス ト教 宣教活 動 の予算 (RM80,000) と比 較す ると少 ない。
Trengganu オ ラ ン ・ア ス リの住 むすべ ての県 (daerah)で宣 教活動。
SungaiPergam JaborKemaman,Kuala Sayap Besut,SungaiPruaiUluTrengganu。
SungaiPergam JaborKemamanには, 2人 の宗 教職員 を派遣。 1人 は学校 で子供 たちに, 1人 は大人 たちに宣教活 動,給料 は州 の宗教局か ら。 キ リス ト教 の宣教活動 は見 られない。 Negeri 他 の地 域 で は職 員 の不足 で宣教 活動 を行 え な い。 宣教活動 はほとん ど行 っていない。 Sembilan 2人 の職員 がいるが, オ ラン ・アス リに対 してだけ で はない。 Kelantan オ ラ ン ・アス リに対 しての宣教活動 は行 って いな い。 イス ラームに改宗すれば受 け入れ るのみ。 連邦 直轄地 オ ラン ・アス リに対す る宣教活動 を行 う職員 はいな い。 SaudaraBaru (華人, イ ン ド人 のイスラーム改宗 者 を含 む) に対す る福祉活動を行 うのみ。
出所 :Bahagian Ugama,Jabatan Perdana Menteri1980"Ke Arah Pengislaman Orang AslidiMalaysiadan Masaalah-MasaalahYangDihadapi"[PERKIM 1980:56-づ0] よ り作成。
この報告書 で は,その イス ラーム化 プ ログラムの 目的 と して,① オ ラ ン ・アス リ社会 すべ て を イ ス ラー ム化 す る こ と,(診 オ ラ ン ・ア ス リ社会 を マ レー社会 へ統 合 /同化 す る こ とが挙 げ られて い る [JHEOA 1983:2]。ここでの イス ラー ム化 とは,イ ス ラーム- の改宗 ばか りでな く,
「よ りイ ス ラーム的」[多和田 1997]にす ること,す なわ ち再 イ ス ラーム化 を合意 して い る。 プ
信 田 :改宗 と抵抗 接 して住 む オ ラ ン ・ア ス リ, 近) 公務 員 で あ るオ ラ ン ・ア ス リ,iv)奥地 に住 む オ ラ ン ・アス リの4つ の グル ープで あ る [JHEOA 1983:2-3]。 ただ し,実質 的 な プ ログ ラムの実 施 は, i) イ ス ラームに改宗 した オ ラ ン ・アス ])とii) イ ス ラー ムに改宗 す る可能性 の高 いマ レー社会 に 隣接 す る地域 の オ ラ ン ・ア ス リに焦点 を しぼ り,
i
v)
奥地 に住 む オ ラ ン ・アス リには重点 をお いて いな い libid.:12]。 プ ロ グ ラムの中で今 日の オ ラ ン ・ア ス リ社 会 に重 大 で深 刻 な影響 を与 えて い るの は, 「建 設 的差別(
pos
i
t
i
vedi
s
c
r
i
mi
nat
i
on)
」政策 で あ る。 す なわ ち, イス ラー ムに改宗 した オ ラ ン ・アス リに対 す る家屋,経済 開発,水道 ・電 気,教育, イ ス ラー ム祭礼 の援助, そ の他 の社会 開発 全般 に自 って の優先政策 で あ り,公務 員 で あれば イ ス ラームに改宗 したオ ラ ン ・ア ス リの昇進 を優先 させ るな どの,ムス リムの オ ラ ン ・ア ス リに対 す る 「逆差別 」政策 で あ る [ibid.:13-15]。 援助
(
bant
uan)
の対 象 も,a)
イ ス ラー ムに改宗 した オ ラ ン ・アス リ,b)
イ ス ラー ムに改宗した オ ラ ン ・ア ス リ公務 員,C)オ ラ ン ・ア ス リの村 に隣接 す るマ レー社 会,d)宣教活動 を行 う人 々や部局 な どが優 先 されて い る [ibid.:25]
。
「建 設 的」 とい う形容詞 に は, 「逆差別」政策 を行 うことによ って, ムス リムな らば優先 的 に様 々な恩恵 が受 け られ, オ ラ ン ・アス リの イ ス ラー ムへ の改宗 が促進 され る とい う政策立 案者 の意 図 が認 め られ る。 先 に示 した プ ログ ラムの 目的 の (診 マ レ-社 会 - の統 合 /同化 とは, マ レー社 会 へ の統 合 か ら同化 へ の過程 で オ ラ ン ・アス リを イ ス ラー ム化 す る ことを意 味 して い る [ibid.:15]。 す なわ ち, マ レー社会 へ の同化 エイ ス ラー ム化 を意 味 して い るので あ る。 ブ ミプ トラ政策下 の マ レー シアで, ブ ミプ トラと して の地 位 を認 め られ なが ら, マ レー人 と同等 の恩恵 を受 け られ な い非 ム ス リムの オ ラ ン ・ア ス リの現実 は, ま さに 「非 ムス リムで あ る」 とい うことに起 因 す る。 つ ま り,
「ムス リムで あ る」 さ らに 「よ りイ ス ラーム的で あ る」 ことが,政治 的 な場面 で重 要 性 を 増 して い る状況 の中で, 非 ムス リムの オ ラ ン ・アス リはた とえ ブ ミプ トラで あ ると して も, イ ス ラー ム化 しな い限 り, マ レー人 と同等 の恩恵 を受 け る ことが難 しい ことを, この報告 書 は示 して い るので あ る。 IVオラ ン ・アス リのイ スラーム問題
Ⅳ-1 イ スラームへ の改宗拒 否 1980年代 か らは じま った とされ る オ ラ ン ・ア ス リの イ ス ラー ム化 政策 に対 して, 当 の オ ラ ン ・ア ス リ側 の反応 は,様 々で あ る。 ムス リム人 口の増 加 に見 られ るよ うに, イ ス ラー ムに改 宗 して い く人 々 もい る。 イ ス ラー ム- の改宗 が,村 の社 会秩序 に与 え る影響 は大 きい 。 フ ィー ル ドで の見 聞 に よれ ば,バ テ ィン(
Bat
i
n)
と呼 ばれ る リー ダー とその周辺 の親族 のみが改宗 し て い るよ うな村 で は, バ テ ィ ンらが開発 な どの恩恵 を独 占す る。 一 方, 筆者 の滞在 した ドリアン ・タワー村 (KampungDurianTawar:仮名 )の よ うに,権 力 を持 たな い周縁 の人 々が イス ラームに改宗 す ることで, 村 の権 力構造 に影響 を与 えて い るところ もあ る。 また,村人 が, ム ス リムの グル ープ, キ リス ト教徒 の グループ,無宗教 (オ ラ ン ・ア ス リ局 によ る分類 で はアニ ミズム と呼 ばれ る)の グル ープに分裂 す るな ど,実 に様 々なパ ター ンが あ る。いずれ の場 合 も, 現在 の ところ, イス ラーム改宗者 は少数派 で あ り, オ ラ ン ・アス リの多数派 はイス ラーム- の 改宗 を拒否 して いる。 イス ラーム改宗拒 否 の理 由 と して は,① 割礼,② 食物,③ 伝統 的信仰 の堅持,④ イス ラー ム宣教 師 のオ ラ ン ・アス リに対 す る無理解 ・不熱心 な態度, ⑤ 「マ レー人 にな る こと」 へ の拒 否 が これ まで の研究 で は指摘 されて い る [Dentan
e
t
al.1997:148-149]. ① 割礼 は,スム ライ (Semelai)とい うグル ープを除 いて,オ ラ ン ・アス リにはその習慣 が な く,割礼行為 へ の恐 れが改宗拒否 の理 由 とされ る場合 が あ る。 ② 食物 とは,主 に豚 肉食 な どの食生活習慣 を変 え ること- の拒 否 が改宗 を困難 に して いる ことを示 して いる。 ③ 伝統 的信仰 の堅持 とは, オ ラ ン ・アス リの精霊信仰 に対 す る強 さが イス ラームへ の改宗 の妨 げに な って い る とい うもので あ る。 ムス リムで あ るマ レー人 は, オ ラ ン ・ア ス リの 様 々な精霊信仰 を 「アニ ミズム」(animisma)と見 な し,
「宗教」(agama)と見 な さない 傾 向が強 い。 ④ イス ラーム宣教 師 の無理解 ・不熱心 な態度 とい うの は,実際 にイ ス ラ- ム宣教活動 に従 事 す るマ レー人 の中 には, オ ラ ン ・アス リ社会 に対 す る無理解 があ った り, オ ラ ン ・アス リの 「精霊信仰」 を侮蔑 す る人 々 もい る。 また, イス ラーム宣教活動 の中で も周辺 的 な位 置 にあ るオ ラ ン ・アス リに対 す る宣教活動 は,予算 ・人材 の関係 もあ り, 熱心 な活動 にな りに くい面 もあ る [Hood1991:144-145] 。 ⑤ 「マ レー人 にな ること」へ の拒 否15)とは,オ ラ ン ・アス リに対 して侮蔑 ・差別意識 を持 つ マ レー人 にな ることへ の拒否 が あ るとい うことで あ る。その一方 で,
「オ ラン ・アス リで な くな る こと」,す なわ ち,オ ラ ン ・アス リ共 同体 か らの離脱 に対 す る拒否 とい うことも指摘 15) 前田はオラン・アスリの人々のマレー人に対する憎 しみが強いことを指摘 しているが [前田 1969: 84],それは筆者のフィール ドワークで も散見された。 また, マレー人のオラン・アス リに対する 差別意識 も根深いものがある。 特に, 宗教的側面における差別意識は強 く, マレー人はオラン・ アスリを無宗教者 (kafir:pagan)と見なし, 自分たちのムスリム共同体 (ummah)にそぐわな い存在 と思 っている [MohdTap1990:59,101,224]。 この場合の無宗教者とは, マレーシアの文 脈の中では,宗教 (agama)を持たない者という意味である。 オラン・アス リが信仰するような ア ニ ミズ ム 的 な 精 霊 信 仰 は,マ レー シ ア で は宗 教 (agama)と は見 な さ れ ず,信 仰 (kepercayaan)と見なされる。 したがって,本来ならば,「異教徒」 と訳すべきところだが, マ レーシアの文脈を考慮 して 「無宗教者」と訳 している。 268信田 :改宗 と抵抗 され る。 Ⅳ-2 イ スラーム改宗 の意味 (1)- エ リー ト層 のイ スラ-ム改宗者 現 在 まで, オ ラ ン ・ア ス リ局 は 自 らイ ス ラー ム化 政策 を行 って い る とは公 に は認 めて いな い。 しか しなが ら, オ ラ ン ・アス リ局 が掲 げた 「建設 的差別」政策,す なわ ち, イス ラーム改 宗者優先政策 は, オ ラ ン ・アス リの人 々の間で は 「常識」 にな って い る。 教育面 にお ける 「建設 的差別」政策 は,非 ムス リムのオ ラ ン ・アス リ子弟 の進学 を妨 げて い る。 イ ス ラー ム教 育 等 を行 う学 校 教 育 が イ ス ラー ム改 宗 を 目的 と して い る側面 もあ るので, フ ィール ドで の見聞で は,子供 の改宗 を恐 れて親 が子供 を学校 に行 かせ る ことを拒 んだ り, 子 供 が学校 に行 かな くて もそれを親 が容認 す る ことが あ る。 また, マ レー人 な どの他 のエ スニ シ テ ィとの混合教育 が行 われて い る小 ・中学校 で は, オ ラ ン ・アス リ子弟 に対 す る差別 や い じめ が あ り,それが主 た る要 因 の ドロ ップ ・アウ トの問題 も存在 して い る。ブ ミプ トラ政策 によ り, ブ ミプ トラには教育面 での優遇政策 が行 われて い る。 オ ラ ン ・アス リの場合 に も,高校 まで は オ ラ ン ・アス リ局 か らの援助 が存在す る。 しか し,大学 - の進学 につ いて は,奨学金獲得 の段 階で 「建設 的差別」政策 が存在 す るため, た とえ大学 に 「ブ ミプ トラ枠」 が設定 されて いた と して も,現実 に は経済 的理 由で進学 を断念す ることが非 ムス リムの オ ラン ・アス リ子弟 の間で は多 い。成績 の よい彼 らも, イス ラームに改宗 しないか ぎり奨学金 を獲得 す ることが難 しく, 親 の経済 的理 由で進学 を断念 す る状況 が存在 して い るので あ る。 オ ラ ン ・アス リ局 な どで公務 員 にな って い るオ ラ ン ・アス リの人 々 は, オ ラ ン ・アス リ社会 にお けるエ リー ト層 を形成 してい る。 彼 らも,昇進 や待遇 な どの面 で イス ラーム改宗 を陰 に陽 に強 い られて い る。 改宗 に反発 を感 じる人 は,昇進 を断念 す るか, 公務 員 を辞 め るとい う選択 を結果的 に強 い られて い る。 教育 と公務 員 の人事 システムにお け る 「建設 的差別」政策 は,結果 的 に, オ ラ ン ・アス リの エ リー ト層 のイスラーム改宗者 の増加 につ なが ってい る。そ して,次世代 の ことを考慮す る と, そ うした状況 は再生産 され ると推定 で きる。 実 際 に, こうしたエ リー ト層 の家族 は, オ ラ ン ・ アス リの村 に住 む ことは少 な く,都市 や町 に住 んで い ることが多 い。 つ ま り,非 ムス リムを核 とす るオ ラ ン ・アス リ社 会 か ら離 れた ところで生活 して い るので あ る。そ して,多 くの人 々が, 都市 や町 のマ レー人社会 の中で生 きることにな る。 彼 らは出 自の上 で はオ ラ ン ・アス リで あ っ て も, す で に生活世界 の文脈 で はマ レ-人社会 に生 きる人 々なので あ る。 こ うしたイス ラー ム改宗者 たち は,政府 の意 図 したイ スラーム化 の理想形 と言 え る。そ して, それ は前植民地期 か ら連綿 と続 く 「マ レー化」 の現象 の今 日的形 態 で あ る と言 え よ う。 この よ うなイ ス ラーム化 にお いて は, イ スラーム改宗者 たちは,非 ムス リムを核 とす るオ ラ ン ・アス リ社会 か ら離 れ, マ レー人社会 に生活 の拠点 を移 して い るとい う意味で, オ ラ ン ・アス リの村
の社会秩序 に直接 的 な影響 を与 えて い るとは言 い難 い。 Ⅳ13 イ スラーム改宗 の意味 (2)- 村 レベルのイ スラーム改宗者 しか し, オ ラ ン ・アス リのイス ラー ム化 は別 の次元 にお いて も進行 して い る。 それが村 レベ ルでの イス ラーム改宗者 の問題 であ る。 エ リー ト層 の イス ラーム化 が, イス ラー ム改宗者 を非 ムス リムを核 とす るオ ラ ン ・アス リ社会 か ら引 き離 す現象 で あ るの に対 して,村 レベルで起 こってい るイ ス ラーム化 はイス ラーム改宗者 が オ ラ ン ・アス リ社会へ侵食 す る とい う現象 で あ る。 村 レベルで の イス ラーム化 にお いて は, イス ラーム改宗者 はオ ラ ン ・アス リの村 に とどま り, そ こに 「建設 的差別」政策 が非 ムス リムのオ ラ ン ・アス リの 目前 で実施 され る状況 が進行 して い る。 「建設 的差別」政策 によ って,開発計画 の プロジェク トの資金 は,イス ラーム改宗者 に優先 的 に降 りて くる。 ドリア ン ・タワー村 の例 を挙 げ ると,極 貧層 へ の家屋 の援助 プロ ジェク ト16)は, イ ス ラーム改宗者 が優先 的 に選 ばれ る。 あ る男性 は,彼 が イス ラー ムに改宗 す る意志 が あ ると オ ラ ン ・アス リ局職員 に告 げた直後 に, その援助 の対象 にな った と公言 して いた。 ニ ワ トリ小 屋建設 の プロジェク ト17)は, 村 のイス ラーム改宗者 の家 に提供 された。 もちろん, こう した プ ロ ジェク トに申請 す ることは,(非 ムス リムを含 む)すべて のオ ラ ン ・アス リに認 め られて い る のだが,実際 の プ ロジェク トの許可 は, イ ス ラーム改宗者 が優先 され ることが多 い。 イス ラー ムに改宗す ると準備金 も含 め,
1
人 あた り月 々1
5
0
リンギ ッ ト・マ レー シア (1
リンギ ッ トは 当時約5
0
円)の現金 が支給 され るとい う (ドリア ン ・タワー村 にお け るイス ラーム改宗者 に対 す る世帯調査 のデ ー タ)。一 カ月間,村 で生活 す るには困 らないほどの援助金額 で あ る。他 の村 の事例 で は, イス ラームの礼拝 のため に必要 だ とい うことで, イス ラー ム改宗者 にテ レビが支 給 され た とい う話 もあ る (イス ラーム礼拝 の テ レビ放送 が あ る)。 トレンガ ヌのあ るオ ラ ン ・ア ス リの イス ラーム改宗者 にはモ スクに出か け るのに必要 だ とい うことでバ イ クが支給 され た と 報告 されて いる [Dentane
JαJ
.1
9
9
7
:1
4
4
-1
4
5
]。 ドリア ン ・タワー村 のイス ラー ム改宗者 は,村社会 の中で は,政治的 に も経 済 的 に もそ して 社会 的 に も周縁 的 な位 置 にいる人 々が多 い。現在, ドリア ン ・タワー村 の人 口は約4
0
0
人 で, その内 イス ラーム改宗者 は約30人 ほどであ る。彼 らの ほ とん どは,元来 のオ ラ ン ・アス リ,す なわ ち 「森 の民」 で あ って, これ まで政府 によ る経済 開発 や学校教育 に拒否 の姿勢 を示 して き16) PPRT (Program Pembangunan RakyatTermiskin:最貧民開発計画) とASB (Amanah Saham Bumiputera:ブミプ トラ投資信託 (5,000リンギット・マレーシア)) の貸付。援助は, マレー人が主な対象だが,オラン・アス リも対象になっている。
17) プルキムとオラン・アスリ局の共同プロジェク ト。 つまり, 「鶏肉を食するように」, というムス リム向けの開発プロジェク トである。
信 田 :改宗 と抵抗 た人 々で あ った。 しか し, 開発 や森林伐採 によ る森林産物 の減少 や森 の環境 の変化 な どの原 因 で
,
「森 の民」と して生活 を行 うことが困難 にな って いた。彼 らはそ う した環境 の変化 に適応 で きず,貧 困状態 に陥 って いた。 好 む と好 まざ る とに拘 わ らず, イス ラーム- の改宗 とい うの は, そ うした彼 らが生 き残 るた めの選択 の一 つ にな って いた。 マ レー シア社 会 の中で貧困層 を形成 す るオラ ン ・アス リ社会 に お ける貧 困 の現実 は非常 に厳 しい。政府 は,1980年代以降 に,
「建設 的差別」政策 を実施 し,罪 ムス リムの オ ラ ン ・アス リに対 す る開発 を蔑 ろに して きた。 そのため,特 に貧困層 において, アル コール- の耽 溺,学 校教育 の拒 否,(イス ラーム宣教 ・改宗 が含意 され る)開発計画 か らの 逃避 な どの現象 が深刻化 して い る。 子供 が栄 養失調 で死亡 す ること も,現実 に起 こって い る。 そ うした彼 らの一 部 が 1990年代 に入 って,イ ス ラームに改宗 したので あ り,18)この よ うな改宗 を行 うオ ラ ン ・アス リとい うのが, 「オ ラ ン ・アス リのイス ラーム化」 の もう一 つ の実態 で あ る。 その一方, ドリア ン ・タワー村 で は,
「建設 的差別」政策 の中で も,ムス リムにな ることな く, 生業 を転換 し,新 しい環境 に適応 しよ うと して い る人 々 もい る。 彼 らに とってみれば,生 き残 るため とはいえ, イス ラー ム改宗 とい う手 段 を通 して様 々な恩 恵 を受 けよ うとす る貧 困層 の 人 々の行為 は,
「裏切 り」で あ り非難 の対象 で あ る。 したが って,イスラー ム改宗者 たちは,非 ム ス リムを核 とす るオ ラ ン ・アス リの社 会 的 ネ ッ トワー クか ら切 り離 され た存在 にな って い く。 Ⅳ-4 村 レベルのイ スラーム改宗者 たちの実態 村 レベ ルの イ ス ラー ム改宗者 た ちの改宗 の動機 の多 くは,純 粋 に宗 教 的 な もの とは思 え な い。 それを示 す の は, 改宗後 の彼 らの生活 で あ る。 彼 らの改宗後 の言動 は,政府 や イ スラーム 局 の役人 が思 い描 くムス リム像 とはかな り隔 た って い る場合 が多い 。 イ スラーム改宗者 はムス リムで あ るので, ムス リム と しての生活 が期待 され るのだが,彼 らの ほとん どはム ス リムと し て の意識 が あま りないので あ る。 彼 らイス ラーム改宗者 の実態 は, イス ラーム復興 が進 むマ レー シアのイス ラームの常識 か ら 18) 夫婦 で の改宗 が ほ とん どで あ るが, その多 くは妻 の改宗後, 夫 が改宗 す るパ ター ンにな って い る。 改宗 の際 には, 州 の イス ラ-ム局 に申請 し, 登録 す る必要 が あ る。 その際 に申請書榎 にサ イ ンま た は栂 印 をす るのだが, すで に改 宗 した妻 あ るい は親族 に強要 されて サ イ ン ・栂 印 を した人 の請 を筆 者 は聞 いた こ とが あ る。 州 の イ ス ラー ム局 に申請 す る と, イ ス ラー ム名 を付 され た書 類 を受 け取 り, それが彼 らの身分証 明書代 わ りにな る。 例 えば,Sieu bin Dodekで あ った人 がMohd ldrisbin Abdullahにな るので あ る。 つ ま り, イス ラーム改宗者 はそれ まで の名前 を捨 て, 否 が 応 で も新 しい名前 を得 ることにな る。 また, イス ラーム改宗者 たちの遺体 は, ドリア ン ・タワー 村 の墓地 にで はな く,近 くのマ レー人 (ムス リム) の墓地 に埋葬 され るとい う。す ると, い さ さか変則 的 な もの にな って い る。 例 え ば, イ ス ラー ムで禁 忌 とされ る食物 (豚 肉 な ど) を食 した り, 断食 や礼拝 を怠 るの は, 日常茶飯事 で あ る。 イ ス ラーム局 の役人 を困 らせ て い るの は, す で に州 の イ ス ラー ム局 に登録 して改宗 して い る人 が,他 の州 の村 に移 動 な どを した場 合 に
,
「自分 はイ ス ラー ムで はな い」と偽 る ことで あ る とい う。援 助 の ため に与 え られ た 「喜捨 」を,酒 を飲 むの に使 って しま う人 も中 に はい る。上述 した ニ ワ トリ小屋建設 の プ ロジェ ク トの場 合,支給 され たニ ワ トリを華人 が請 うままに売却 して, わずか数 カ月 で物 置小 屋 に早 変 わ り して しま った。援助金 の支給 が途絶 え た り, イ ス ラー ムの様 々な義 務 に耐 え られ な くな れ ば, 「イ ス ラー ムを辞 めたい」 と言 う人 もい る。 こ う した イ ス ラー ム改宗者 は,非 ムス リムの オ ラ ン ・ア ス リや マ レー人 か ら, しば しば 「名 前 だ けの イス ラー ム改宗者」 と榔 捻 され る [Dentane
tal
.
1
9
9
7
:
1
4
7
]。 しか し,オ ラ ン ・アス リ 局 を は じめ とす る政府 当局 は, そ う した実態 の改善 よ り も, む しろ 「宣伝」 と して の オ ラ ン ・ アス リの イ ス ラー ム改宗 に重点 を お く傾 向が あ る。 改宗者 の人数 が増 えれ ば オ ラ ン ・アス リ局 の実績 につ なが る と指摘 され, セ ンサ スにお け るオ ラ ン ・ア ス リの ムス リム人 口を実態以 上 に 多 くみて い るので はな いか と指摘 されて い る [ibid.:1
4
7
]。 Ⅴ事例研究 -
離婚劇 とその行方
これ まで の議論 で は,
「オ ラ ン ・アス リの イ ス ラー ム化 」につ いて,どち らか といえば マ クロ な問題 を扱 って きた。 ここか らは,村 レベルの イ ス ラーム化 の実態 の一側面 を, ドリア ン ・タ ワー村 にお け るあ る夫婦 の離婚 をめ ぐって起 こった紛 争 を事例 と して考 えてみ た い。 夫婦 の離婚 は, 妻 の イ ス ラーム改宗 を契機 と して起 こ り, そ こにイス ラー ム宣教役人,19)ォ ラ ン ・アス リ局 ,警察 な どの国家権 力 が介 入 す る。 それ に対 し, 非 ムス リムの ア ダ ッ ト ・リー ダーた ち は,様 々な対処 を試 み る。 それ は,少数派 の イス ラーム改宗 者 と多数派 の非 ムス リム の オ ラ ン ・ア ス リの間 の対立 関係 に, 国家主導 の イ ス ラーム化政策 が介入 して い る構 図 とな っ て い る。 こ う した構 図 の背景 に は, 前半部 で記述 した 「オ ラ ン ・ア ス リ」 と 「マ レー人」 との 歴史 的 な関係 や ムス リムの オ ラ ン ・アス リ (イ ス ラー ム改宗者) の オ ラ ン ・アス リ社 会 にお け る位 置 の問題 が存 在 して い る。19) 総理府 (JabatanPerdanaMenteri)か ら派遣 される 「オラン・アス リ社会の啓発者 (Penggerak MasyarakatOrangAsli)」 という役職。実態はイスラーム宣教師であるこのマレー人役人が派遣
された 1991年以降,村でイスラーム改宗者が増加 した。 オラン・アス リのイスラーム化に関係す る政府当局は, オラン・アス リ局の他に, イスラーム ・センター (Pusatlslam)内にあるオラ ン・アス リ宣教部 (Cawangan DakwahOrang Asli) や州のイスラーム局 (フィール ド調査地 のあるヌグリ・スンピラン州の場合,JabatanHalEhwalAgamaIslam,NegeriSembilan)で ある。
信田 :改宗と抵抗 本章 で は,調査地 の概 況 を簡述 した後 に,離 婚 の背景 を述 べ,実 際 の離 婚劇 とそれ に関連 し て起 こった出来事 を紹介 す る。
Ⅴ-1
訴査地 の概 況 調査地 であ る ドリア ン ・タワー村 は,森 の生活 を中心 と した 「伝統 的」 な オ ラ ン ・ア ス リの 集落 の イメー ジとは異 って い るO 村 の人 々 は,他地 域 の多 くの オ ラ ン ・ア ス リと同様 に, 日本 軍 によ るマ レー半 島へ の侵攻 や その後 の共産 ゲ リラと英連邦政府軍 との戦 闘 (非常事 態宣言期(
1
9
4
8-1
9
6
0
)
の時代)によ って,何度 も避難 のための移動 を繰 り返 して きた。そ う した集 合離 散 の結果 と して,現在 の集落 は形成 されて い る。 ドリア ン ・タワー村 は,1
9
6
0
年代 の中頃 に, マ レー人 の村落 と隣接 し,近 くの町 か ら3
キ ロはど しか離 れて いない現在 の場所 に落 ち着 いた という 。1
9
7
0
年代 の は じめ に, 当時 の オ ラ ン ・アス リ局 の長官 (マ レー人) が, この ドリア ン ・タ ワー村 で人規学 的 な調 査 を行 って い る[
Baha
r
on 1
9
7
3
]。彼 の調査 時 に, すで に家屋建設 の プ ロ ジェク トが実施 されて い る。 長官 と ドリア ン ・タワ-村 の関係 は, その後 の開発 プ ロジェク トに影響 を与 えた。1
9
7
0
年代 か ら1
9
8
0
年代 にか けて, ゴム,養魚池,バ ナナ,ヤギ,そ して そ の他 の様 々な商品作物 な どの開発 プ ロジェク トが ドリア ン ・タワー村 で集 中的 に実施 され る。 そ して,オ ラ ン ・アス リの村 の中で も,
「成功」 した村 のモデル とされ,オ ラ ン ・アス リ局 はそ れ を積極 的 に 「宣伝」 に利用 した。20)開発 プ ロ ジェク トが実施 され た要 因 の一 つ に, 村 の リー ダーで あ るバ テ ィン ・ジ ャング ッ ト(
Bat
i
nJ
anggut
:以下,人物 名 はすべて仮名)が 当時,オ ラ ン ・ア ス リ局職 員 で あ り,村 と政府 の仲介役 を果 た して いた ことが挙 げ られ る。 政府 当局 で あ るオ ラ ン ・ア ス リ局 とす れ ば, 開発 プ ロジ ェ ク トが成 功 す る こ とは実績 にな る。 開発 プ ロ ジェク トが オ ラン ・ア ス リ局側 の事情 か ら計 画 され た と して も, ドリア ン ・タワー村 とす れば 開発 プ ロジェク トの実施 は歓迎 すべ きことだ った。 そ う した政府 と ドリア ン ・タワー村 の橋渡 しを して いたのが, バ テ ィンとい うア ダ ッ ト・リー ダーの称号 を保有 し, オ ラ ン ・ア ス リ局職 員 で もあ ったバ テ ィ ン ・ジャ ング ッ トなので あ る。21) こう した政府 との緊密 な関係 とは別 にバ テ ィン ・ジャ ング ッ トや彼 の兄 で あ る ジェナ ン ・ミ 20) たとえば, マレーシアの主要雑誌DewanMasywakatの1985年 2月号では, ドリアン・タワー 村の特集を組んでいる。 また, ドリアン・タワー村の経済的成功は,New StraitsTimes (1987 年7月13日付)でも取 り上げられている。 21) オラン・アスリ局による 「イスラーム化プログラム」 のところで既述 したように, ドリアン・タ ワー村がマレー村落に隣接 しているii) のタイプの村で, 将来的に 「イスラーム化」 することを 意図 して開発 プロジェク トが実施 されたという点 も見逃せない。
ただ し,オラン・アスリ局のそ うした意図を十分に理解 していたバティン・ジャングットであったが,イスラーム改宗に対 して は,「拒否」の姿勢を示 していた。筆者がフィール ドワークを行 う前か ら,彼のそうした姿勢に対 しては 「反イスラーム」の レッテルが貼 られていた。サ イ (JenangMisai) の リー ダー シ ップの もとで,村 人 が華人 に見 習 い, そ の農 業 経 営 を取 り 入 れ た こ と も, ドリア ン ・タ ワー村 が 「成 功 」 した要 因 で あ った。 バ テ ィ ン ・ジ ャ ング ッ トと ジェナ ン ・ミサ イ の父 親 は 日本 軍 に殺 され た 「華 人」 (Orangcina)で あ ったが, 彼 ら自身 も 「華 語
」
(bahasa cina) を話 す こ とが で き る とい う こ と もあ り, 華 人 との関係 は緊 密 で あ っ た 。22) 約 800エ ー カ ーの 「オ ラ ン ・ア ス リ保 留 地 」 を政 府 か ら与 え られ て い たが, そ の他 に これ ま で3度 ほ ど,森 林 保 留 地 を違 法 に開拓 し,耕 作 地 を広 げて い る。そ の過 程 にお いて,バ テ ィ ン ・ ジ ャ ンダ ッ トは違 法 な伐 採 行 為 の た め に逮 捕 され た。 また, 彼 らが 自分 た ちで購 入 し植 え た ゴ ム の苗 木 な ど は政 府 に よ って 強 制 的 に取 り払 わ れ た。 そ れ で も, 彼 らは開 拓 を続 け, 現 在 に 至 って い る。そ の他 に も,藤 (rotan)や沈 香 (gaharu)の商 品価 値 が あが った 1980年 代 に は, 森 林 産 物 の採 取 の ブー ムが起 こ り,新 た に家屋 を 自力 で建 設 した者 もい る。 ドリア ン(durian) とい う熱 帯 地 域 特 有 の果 物 も彼 らの重 要 な収 入 源 で あ るが, そ の畑 は オ ラ ン ・ア ス リ保 留 地 に とど ま らず,彼 ら及 び彼 らの祖 先 (moyang)が住 ん で い た森 の奥 深 くに も存 在 し,毎 年 の よ う に収 穫 を もた ら して い る。 この よ うに オ ラ ン ・ア ス リの社 会 の 中 で他 に類 を見 な い農 業 経 営 で成 功 して きた ドリア ン ・ タワー村 で あ ったが, そ の結 果 と して, バ テ ィ ン ・ジ ャ ンダ ッ トを中心 とす る グル ー プ と華 人 的 と もいえ る彼 の農 業 経 営 に反 発 す る グル ー プ の 間 の政 治 的 ・経 済 的格 差 は増 す こ とに な っ た。 この ドリア ン ・タ ワー村 を構 成 す る トゥム ア ンは位 階 的 な リー ダーの称 号 の体 系 (表 6参 照 ) を持 つ こ とで知 られ, 他 の オ ラ ン ・ア ス リの グル ー プが平 等社 会 と称 され るの と対 照 的 で あ るが [Hood 1989],そ う した ドリア ン ・タ ワー村 内 に存 在 して い た政 治 的 な位 階体 系 や経 宿 22) 父親が 「華人」 であった彼 らが華人ではな くオラン ・アス リであることには, 少 し説明が必要だ ろう。 日本軍の侵攻 によって, それまでマ レー人農村で暮 らしていた彼 らの家族 は (父親 は大工 であった),避難のために母親(
「オラン ・アス リ」) の親族 と生活するようになった。 この時点で は,子供たちは華人の名前を持 ち, ジェナ ン ・ミサイは,
「華人」小学校 に日本軍侵攻 の直前 まで 通 っていた。 日本軍がマ レー半島を占領 し, 町に出かけた父親が行方不明 (日本軍 に殺 されたと 言われる) になると, 彼 らは 「オラン ・アス リ」 の人 々に従い森の中を避難のために移動 した。 彼 らが, 名前を変えたのは, 非常事態宣言期 (1948-1960)のことである。 華人の名前を持っ こ とで共産ゲ リラ (華人中心) の疑 いを もたれることを懸念 したマ レー人のプンフル (Penghulu: 当時の行政の末端)が,新 しい身分証明書 に 「オラン ・アス リ名 (マ レー人式,つまりbin/binti 方式のイスラーム式)」 を記入す ることを勧めたという。 オラン ・アス リ法 (1954)において も, 当時の こうした事情を配慮 して, オラン ・アス リ社会 に生 きる子供 は, たとえ 「養子」 であった として も, オ ラン ・アス リ社会 に生 きていればオラン ・アス リであることを認 めている。非常事 態宣言期以後,父親 の親族が 「華人」社会 で暮 らす よ うに勧 めに訪 れ たが,すで に彼 らはオ ラ ン ・アス リの妻がいた (オラン ・アス リとして生 きていた) ので,断 ったという。父親の親族 は, 現在の副大蔵大臣 (WongSeeWah)を出すほどの名家だ という。近隣の華人 は,彼 らを 「華人 だがオラン ・アス リとして生 きている」 と見な し, 彼 らも 「自分 には華人の血筋 (keturunan) がある」 と語 る。 マ レー半島南部のオラン ・アス リ社会 には, このような華人 との 「混血」 のオ ラン ・アス リが存在 し, しば しば村の主導的立場にいることがある。 274信 田 :改宗 と抵抗 表6 村の称号体系 号 主 た る 役 割 バ テ ィン マ ンク ゥ ム ン トゥ ジ ェナ ン ジ ェ ク ラ ノヾン リマ (Batin) (Mangku) リ(Menteri) (Jenang) (Jekerah) (Panglima) 村 の最 高位 の リー ダー バ テ ィン不在 時 の代理 バ テ ィンの補佐 7 ダッ トの執行 ・保護 村人全体 の保護 親族 ・家族 の保護 備 考 オ ラ ン ・アス リ局 によ る承認。 有給。村長役。 バテ ィンが い る場合 には,役割 な し。 他村 か らの婚入者 な どに与 え られ る ことが多 い。 的 な階層構造 は開発 プロジェク トが実施 され るにつれて,助長 あ るいは強化 されて い った と考 え られ る。 バ テ ィン ・ジャンダ ッ トを中心 とす る ドリア ン ・タワー村 の中核 を形成 す る人 々 は,上述 の 家 屋 の プ ロ ジェ ク トに よ って村 の丘 の上 に住 んで い る とい うことか ら,「上 の人 々
」(
Or
a
ng
at
a
s
)
と呼 ばれ るよ うにな る。それ に対 し,バ テ ィン ・ジャンダ ッ トに反発 し,オ ラ ン ・アス リ 局 が奨 め る開発 プ ロジェク トに参加 を しなか ったよ うな人 々 は,彼 らが丘 の下 に住 んで い るの で, 「下 の人 々」(
or
angbawah)
と呼 ばれ るよ うにな る。 また, 「上 の人 々」 の多 くが ドリア ン ・タワー村 の ア ダ ッ ト(
adat
)
に従 って い るので ア ダ ッ ト・グループ(
puakadat
)
とされ る のに対 し,
「下 の人 々」の一部 はイ ス ラームに改宗 した り,アル コールに耽溺 した りす る人 (大 半 が男性)が い るので,宗教 グループ(
puakugama)
あ るいは酔漢 グループ(
puakmabuk)
とされ る。 「上 の人 々」は,バ テ ィン ・ジ ャンダ ッ トを中心 にオ ラ ン ・アス リ局 な どの政府 が奨励 す る開 発 プ ロジェク トに積極 的 に参加 し, それ までの狩猟 ・採集 を中心 と した 「森 の生活」 か らゴム の採取 を中心 と した 「村 の生活」 - と生業 を転換 して きた人 々で あ る。 ゴムの採取 を主 た る生 業 とす る 「上 の人 々」 に対 して,
「下 の人 々」 は,現在 で もプ タイ(
pe
t
a
i)や ロタ ン(
r
ot
an)
な どの森林産物 の採取 に従事 した り,華人が雇 い主 の 日雇 い労働 に従事 す る人 が多 い。 「下 の人 々」は,オ ラ ン ・アス 1)局 (実 際 にはバ テ ィン ・ジャンダ ッ ト)が奨励す る開発 プ ロ ジェク トへ の参加 を積極 的 に行 わなか った。 彼 らは, あ る意味で は, 「森 の生活」 を重視 す る 「森 の民」 で あ った。 しか し, 開発 や森林伐採 によ る森林産物 の減少 や森 の環境 の変化 が原 因 で,「森 の生活」 だ けで は彼 らは生 きて い くことがで きな くな る。 しか も, 「建設 的差別」政策 (イス ラーム改宗者優先政策)の下 で は,彼 らに対 す る開発 や援助 が蔑 ろにされ る傾 向が強か っ た。1990年代以降,
「下 の人 々」の一部 の人 々はイス ラ-ムへ改宗 し,開発 プロジェク トや援助 を受 けるよ うにな った。 Ⅴ-2 牡姫 の背景 夫婦 の離婚-至 る争 いは,1996年 12月 にオ ラ ン ・ア ス リ局 (ヌブ リ ・ス ンピラ ン,マ ラカ州 支局)の主催 で行 われ,バ テ ィンらを招 いた講習 が端緒 であ った と言 え る。そ こで は,イス ラームの理解 につ いての講 習が行 われ,主 にオ ラ ン ・アス リに対 す るイス ラーム改宗 が奨励 され た。 つ ま り, イスラーム局 や プルキムな どが実施す るイスラ-ム宣教活動 に協力す るよ うに, バ テ ィンらに要請 がなされたのである。すでに,この時期,離婚す ることにな る妻 ビル