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留学体験記 「たくさんの気づきをくれた留学」

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Academic year: 2021

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日本祭でのオープニングの様子

タイのお寺にて

タイで出会ったたくさんの友達

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たくさんの気づきをくれた留学

Study Abroad Report

留学体験記

留学の動機

 私はタイ、チェンマイにあるチェンマイ・ラジャパット大学に 留学した。なぜ、タイだったのか。それは一言でいえばタイの 魅力にはまったからである。タイへ初めて行ったのは、国際理 解教育コースの実習としてだった。その時の衝撃は今でも覚 えている。何を話しているのか理解できない言葉に、日本とは 違う街並み、タイ人のあふれんばかりの笑顔や親切さ。すべて が新鮮で刺激的だった。もっとタイのことを知りたい、タイ人 と関わりたいと思い留学することにした。

言葉の壁

 留学中一番苦しんだことはやはり言葉だった。今までタイ 語を勉強したことなどなかったし、留学前に文字は勉強した ものの、話すことなど出来なかった。そのため、外へ出て買い 物に行くこともできず、タイに行って2日ほどは食事もできな かった。大学の職員の方も英語で対応してくださり、とても情 けない思いでいっぱいだった。それで はいけないと思い、そこから必死でタ イ語を勉強した。3カ月目から何となく 聞き取れるようになり、自分からも言 葉を発することができるようになっ た。屋台のおばちゃんやタクシーの運 転手さんと会話ができたときは本当 にうれしかった。すると、もっと色んな 人と話したいと思うようになり、最後 は外に出るとどんな人と出会えるの か、どんな話ができるのかということ が楽しみになっていた。また、後期にはタイ人の学生に交じっ て授業も受けるようになった。毎日の生活の中で言葉の壁を 少しずつ乗り越えているような気がしてとても楽しかった。

タイでの生活

 タイでの生活はおもしろかった。チェンマイには電車もバス もなく、移動手段は乗合タクシーのみで、値段も交渉制。もち ろん、多くの人が乗り合うので目的地にいつ着くのかはわから ない。また、断水や停電もよくあった。それに友達は集合時間 に遅れてくることの方が多かった。今の日本では考えられない 生活だった。タイでの生活は時間がゆっくり流れていくよう で、のんびりと過ごすことができた。

タイ人学生との関わり

 留学先の大学には日本語 学科があり、日本語を学習す る学 生と関 わる機 会 が 多 かった。日本語学科では「日 本祭」という大きなイベント があり、私も参加させていただいた。この日本祭は日本の文化 を広める目的で、一般のお客さんが浴衣を着たり書道の体験 をしたり折り紙を折ったりできるイベントだった。学生はソー ラン節を練習したり、浴衣の着付け方を習ったりしていたが、 私も一緒になって教えてあげられず、情けなかった。日本人な のに日本のことを知らないのが本当に申し訳なかった。日本 人であれば日本のことを知っていて当たり前だし、海外に行け ばそういったことがより求められると感じた。

微笑みの国 タイ

 留学を通して、私はより一層タイの魅力を知った。タイはし ばしば微笑みの国と呼ばれるが、まさにその通りである。どこ に行っても笑顔で優しいタイ人が出迎えてくれる。また、タイ 人は知らない人でも人と人との距離が近く、とてもフレンド リーである。それに、みんな「今」を楽しんでいるようであった し、心にゆとりがあるように感じた。それはタイ人の「マイペン ライ精神(マイペンライとは日本語で「大丈夫」という意味)」 があるからではないかと思う。私にはそんなタイ人が素敵に みえた。私もタイ人のよう にマイペンライ精神で今 を楽しく生きていけるよ うな人でありたいと思う。  今回の留学は多くの人 に支えられて貴重な経験 ができました。本当にあ りがとうございました。 タイで一番高い山にて友達と(本人 は左) 教育学部 学校教育教員養成課程 国際理解教育コース

4回生 竹本 唯

たけ もと  ゆい 19 広報誌『しがだい』をご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。 読者の皆様の声をより誌面に生かすため、率直なご意見・ご感想をお聞かせ下さい。 なお、「読者アンケート」にご記入頂いた情報は、今後の広報誌編集の参考にさせていただくためにのみ使用し、他の目的には一切使用致しません。 ご回答はホームページからお願いします。 滋賀大学公式HP[

http://www.shiga-u.ac.jp/

]から「大学紹介」→「刊行物・グッズ」→「広報誌しがだい」 広報誌『        』 第38号  読者アンケートご協力のお願い

表紙解説

滋賀県管内地理書

 明治初年には、滋賀県の地域に即した郷土教科書を使って、県下の子ど もに身近な郷土地理が教えられました。郷土地理の執筆者は、滋賀県学務 課員・滋賀県師範学校教員・県下の小学校教員、出版元は大津・彦根・長浜 などの本屋たちでした。明治10年代から20年代にかけて、県地誌や郡地誌 の郷土地理教科書が多数編纂・刊行され、小学校で使用されました。滋賀 県管内12郡中、11郡の郡地誌教科書の発行が、現在確認できています。  中でも滋賀県学務課長奥田栄世編『滋賀県管内地理書』(大津・澤宗 次郎)は、県下小学校で10年以上にわたり使用された郷土教科書です。 奥田は文部省から滋賀県に転任後、教科書を執筆・編纂しました。近江 国12郡の位置・自然・街道・主な町村名・人口・反別・社寺・学校・物産を 説明し、末尾に当時滋賀県管轄下であった越前国敦賀郡・若狭国3郡の 地誌も入っています。  このように、明治初年は、小学読本、地球儀、万国史、万国地理で文明 開化を欧米からの翻訳教科書で学ばせるとともに、身近な地域の自然 や地名・物産を郷土教科書で学ばせたのです。 木全 清博(滋賀大学名誉教授・元教育学部教授)

湖水浦廻り 名所・寺社便覧図蹟

 1856(安政3)年、京都と江戸の本屋から近江国を描いた絵図が板行されまし た。それが「湖水浦廻り 名所・寺社便覧図蹟」です。作者は本堅田村(滋賀県大 津市本堅田)の住民でした。「便覧図蹟」には近江国各地の名所・旧跡と、それら にまつわる由緒や伝説が細かく記されています。この絵図は、名所・旧跡に満ち あふれ、豊かな歴史と美しい風景に彩られた近江国の姿を、地元から世間へと 発信するためのものであったと言えるでしょう。  一方で、もっと具体的な板行の目的もありました。この絵図には堅田から近 江国各地への里程表も載っていますが、そこには「上ミ方辺よりの浦廻りハ堅 田より出船便利よし(大坂・京都方面からの琵琶湖廻りには、堅田からの船が便 利です)」との一文があります。すなわちこの絵図には、堅田を拠点とした近江 国内旅行コースを読者に提案する目的もあり、そこには旅行者を堅田へと勧誘 する狙いが込められていたと考えられるのです。 青柳 周一(経済学部附属史料館教授) こ すい うらめぐ びんらん ず せき ほんかた た か み がた

参照

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