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2003
NO. 126
ひろば⑮ADHD
という
憂
欝
中 西 仁
部落のいまを考える⑮ 日(毎月1回25日発行)ISSN佃19-4843 こベる刊行会『
INTERVIEW
「部落出身」−12人の今、 そしてここから−.I
と
カムアウトについて
住田一郎差別は、人と人との関係のなかにある。そうでなければ、まったく役に立たず、なんの 意味もない一冊数万円の本が売り買いの対象になるわけがない。そんなことは、とっくの 昔からわかっていることです。ところが一方に「部落、同和を名乗れば買うヤツがいるだ ろう」ともくろむ人がおり、他方に「部落、同和を名乗られたら買わざるをえない」と考 える人がいる。そこではじめて売り買いの関係が成り立つ。この閥、部落問題の解決をも とめて取り組まれてきたはずの運動も事業も、そして教育・啓発も、このような人と人と の関係の変換に成功したと自信をもって断言できそうにありません。 そ こ で 今 年 は 「 部 落 の 内 ・ 外 に 生 き る 」 を テ ー マ に 、 あ ら た め て 個 々 人 の 生 き 方 ( 人 生 へ の 態 度 ) に 焦 点 を あ て た 議 論 を し た い と 思 い ま す 。 お そ ら く 具 体 的 な 素 材 を 仲 立 ち に 「私(あなた)は部落民である」「私(あなた)は部務民ではない」という、これまで自明と されてきた〈人間存在の規定〉に迫る話になるはず。みなさんのご参加をお待ちしています。 ウチ ノト 全体討論のテーマ:「部落の内・外に生きる」 話題提供者:小西利枝(京都在住) 原 和 子 ( 徳 島 在 住 ) 司 会 : 住 田 一 郎 日程/10月25日出 14時 開 会 18時 夕 食 19時 再 開 21時 懇 親 会 10月26日(日) 9時 再 開 12時 解 散
全宣つハ店
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一人間と差別をめぐって−
日 時 /10月25日(土j午 後2時 ∼26日(日)正午 場 所 / 大 谷 婦 人 会 館 〔 大 谷 ホ ー ル 〕 ( 京 都 ・ 東 本 願 寺 の 北 側 ) 京都市下京区諏訪町通り六条下ル上柳町215 TEL(075)371 6181 交 通 /JR京 都 駅 か ら 徒 歩8分 、 地 下 鉄 烏 丸 線 五 条 駅 か ら 徒 歩2分 、 市 バ ス 烏 丸 六 条 か ら 徒 歩2分 費 用 /A 8,000円(夕食・宿泊・朝食・参加費込み) B 4,000円(夕食・参加費込み) ご注意/※会場にはなるべく公共の交通機関をご利用のうえ、お越しください。 ※宿泊の方は洗面用具をご用意ください。 ※参加費は当日受付にてお支払いください。 申込み/ハガキ・ FAXまたはメールで、住所・氏名(ふりがな)・宿泊の方は性別・ 電 話 番 号 ・ 参 加 形 式 ( A・ Bの い ず れ か ) を 書 い て 下 記 あ て に お 申 込 み く だ さい。 阿H牛社 干6020017 京 都 市 上 京 区 上 木 ノ 下 町739TEL (075)414-8951 FAX (075)414-8952 E-mail: [email protected]
締 切 り /10月20日目) 五条通 大谷婦人会館
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七条通 京都タワー0『ーーー巨週ーーー
.第 1日目の夜には恒例の懇親 会を開きます。各地の名産・ 特産の持ち込み大歓迎ですの で、よろしく。ひろば⑮ 仁 ︵ 中 学 校 教 員 ︶
ADHD
という憂穆
中
西
はじめにADHD
︵注意欠陥/多動性障害︶、最近さまざまな メディアで見かける言葉である。ADHD
を持つ子ども は、ほかの子どもに比べて、落ち着きがない、飽きっぽ い、順番を守れない、人から言われたことをするのが苦 手、すぐ気が散る、静かに遊べない、おしゃべりがとま らない、人の邪魔をする、人の話をよく聞かない、忘れ 物が多い、後先考えず突っ走る、危険な行動をする、整 理整頓が苦手などなどの特徴を持つと言われている。 学術的に定義すれば以下のようになる。ADHD
とは、年齢あるいは発達に不釣り合いな 注意力、及び、又は衝動性、多動性を特徴とする行 動の障害で、社会的な活動や学業の機能に支障をき た す も の で あ る 。 また、七歳以前に現れ、その状態が継続し、中枢 神経系に何らかの要因による機能不全があると推定 さ れ る 。 ︵文部科学省特別支援教育の在り方に関する調査研究協力 者会議 二 OO 二 年 度 ︶ 少年犯罪が世間を賑わしていたころには、事件を起こ した少年たちが﹁キレる﹂原因として取り上げられた。 また﹁学級崩壊﹂という現象が現れだした頃、その引き 金として注目されたりした。ADHD
とそれらの現象の 因果関係がはっきりせず、過剰な偏見を生む危険性があ ることから、そういった言説は下火になりつつある。そ こぺる れに変わって最近は、もっぱら文部科学省の﹁特別な教 育 的 ニl
ズを持つ︵軽度発達障害の︶子どもたち﹂への 1﹁特別支援教育﹂という最新の教育的言説の中で話題に のぼったり、﹁自分の好きなことにとことんがんばれる すばらしいパワーを持っている﹂﹁
OO
︵歴史上の人 物・有名人︶もADHD
だった﹂等の、啓発的なプラス イメージの言葉で語られるようになった。しかしながら、A
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を持つ子どもすべてが、 なれるわけがない。彼らはADHD
であるから歴史に名 を残したわけではなく、ADHD
の障害を克服して余り エジソンや坂本竜馬に ある能力に恵まれていたにすぎない。ノーマルという杜 会通念があり、その社会通念の周縁にいるからADHD
なのであり、現実にはしんどい場面に出くわす機会は、 ノーマルの範囲内にいる人々よりも多いはずである。実 際 、ADHD
を持つ大人は社会生活に対する﹁生きにく さ﹂を語ることが常である。 図を見て頂だければわかるように、 ノーマルとADH
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にはこれという境界線はない。現実社会に﹁適応して いる﹂度合いが高いか、低いかの違いであると言える。 ノーマルの範囲内の人にはさほど困難を感じない 適 応 ﹂ で あ っ て も 、ADHD
を持つ人にはとてつもなく困 難である。周りの人は自分が当たり前に出来ることが、注意欠陥/多動スペクトラム(案)
T. Okanoによる(岡野・ニキ著「教えて私の「脳みそJのかたち』花風社) 「適応している」人々 適応困難はほとんどない (Disorderとはいえない) 弱い ADHDの行動特長 注意集中障害・多動・衝動性など 強い︵ 一 見 ノ ー マ ル に 見 え る ︶
ADHD
を持つ人に出来ない のは不思議で仕方がないだろうし、多くの場合は彼の言 動に対して、怒りを感じたり、あきれかえったりするだ コミュニケーションのズレに課題を持つ軽度発達 障害には軽度発達障害特有の﹁しんどさ﹂がある。 ろ 、 つ 。 息子のこと 小学校六年生になる長男が、ADHD
と わ か っ た の は 、 小学校一年生の学年末だった。思えばハイハイをはじめ る頃からよく動く子どもだった。当時住んでいたアパー トは、彼が手の届く範囲には何も置くことが出来なかっ た。新聞などを床に置いておいたら、すべて、びりびりに 破られてしまったり、食事は彼から目が離せないから、 立ったままかきこんだりという状態だった。その頃、テ レピでアメリカの多動症の子どもを紹介する番組があっ たが、妻と二人で見ながら﹁へi
、そんな子どもがいる のか。親も大変だなl
﹂と笑っていた。いくらハイハイ をはじめて好奇心が強い子どもでも、長男ほど動き回る ものではないとわかったのは、次男が生まれてからだっ た︵あの頃の自分たちのことを考えると、人聞は自分の 置かれている状況なんてそう簡単に理解できるものでは な い と わ か る ︶ 。 保育所の頃には少しましになり、先生から﹁落ち着き に欠ける﹂と言われる程度になった。これは彼が通って いた農村部の保育所が自由保育を主としており、大きな グランドで自由にのびのび遊べたことによると思う。し かしながら、小学校に入学した途端、学校は保育所に比 べて圧倒的に自由な時聞が少ないからか、上記のADH
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的な特徴を持った行動が目につきだした。当時の担任 に毎日毎日激しい罵倒・排斥を受け、そしてついに二学 期頃からは授業時間でも教室に入ることが出来なくなっ た。そのころよく妻と二人で学校に息子の様子を見に行 った。たまたま僕の仕事が代休だったあるよく晴れた秋 の目、妻と学校に行くと、息子が学校の庭の池を眺めて いた。僕たちの姿を認めると逃げるようにどこかに消え ていった。息子の教室の方を見ると、そこでは何事も無 かったかのように授業が続いている。自分たち親子が世 の中から忘れ去られたかのような不思議な光景だった。 それでも息子は別に学校を休みたがらず、朝になったら こベる 3元気よく川登校していた。﹁勉強が遅れる!﹂が今も変 わらない彼の口癖である。その頃妻は、ぐずる息子に ﹁繰り上がり﹂の計算を家で教えていた。双方泣きなが らの家庭学習は、その後の親子関係に大きな傷を残して 一学期に一度ある学級懇談会は針の娃 し ま っ た と 思 う 。 だった。妻は学校には出かけることが出来なくなってい いつも僕が出席したが、﹁教師のくせに子ども をちゃんと凝られないのか?﹂との視線や言葉に耐えな ければならなかった。そして一番こたえたのは、保育所 の頃には親しくつきあっていた人たちの対応が微妙に変 た の で 、 化し、腫れ物に触るような態度をとられたことである。 ﹁子どもに社会力をつけるのは地域である﹂。美しい言葉 であるが、残念ながら濃密な人間関係を前提として成り 立っている地域における
ADHD
の子どもには当てはま らないと実感した。さまざまな事情が重なり、団地に引 っ越してきたが、人間関係が希薄で、周囲や地域の干渉 が少ない今の環境は、我が家にとっては快適である。つ い で に 言 っ て お く と 、ADHD
を持っている子どもの親 の会などでは引っ越しの経験を語る親にしばしば出会う。 そ の 後 わ れ わ れ は 、 ﹁ の び 太 ・ ジ ャ イ ア ン 症 候 群 ﹂ ︵ 司 一 読 後 ﹁ も し や ﹂ と い うことで、専門的な小児医療機関で診断してもらうと、 馬 理 英 子 ︶ と い う 本 に 出 会 っ た 。 ﹁ 典 型 的 なADHD
﹂とのことであった。そして医者か ら﹁これは障害で、親御さんの育て方の問題ではないん です﹂と励まされ川た。これはADHD
の 子 ど も を 持 つ 親への常套句であるが、僕は﹁育て方の問題だったらな おすことが出来る﹂と落胆したが、﹁もしかしたら今後 の親の接し方で軽快する﹂という思いも捨てきれなかっ た。しかしながら、いつもいつも担任、学校、他の保護 者から責められていて、うつ状態になっていた妻は一方 で 、 ﹁ ︵ 障 害 で ︶ ほ っ と し た ﹂ と 感 じ た よ う だ 。 考 え て み れ ば 、 ﹁ 障 害 が あ り ま す よ ﹂ と 一 言 わ れ て ほ っ と す る の は 奇 妙 で は あ る 。2
社会性か?
自尊感情か?
長男のADHD
に関して、診察の時に感じた、﹁親の 接し方で軽快させる︵社会性を身につけさせる︶ことが 出来る﹂﹁障害だから仕方ない﹂というこつの感情の聞 を今に至るまで行ったり来たりしている。長男は、﹁調子のいいとき﹂には、家族と楽しく過ごすこともできる が、﹁調子の悪いとき﹂は、他の者にとっては、ほんの 些細なことと思われることに徹底的にこだわり、その挙 句キレる、といった理解不能な言動を取ったりする。こ ちらに余裕があるときは、﹁仕方がない﹂と思えるが、 余裕のないときは厳しく叱責してしまう。厳しく叱った 後で、﹁子どもを傷つけてしまった﹂と必ず激しい後悔 の気持ちに襲われる。しかしながら厳しく叱責すること によって行動が改まることもあったりして、令やこしい。 社会とうまく折り合いをつける社会性が欠如している 言動が見られたとき、子どもの自尊感情を傷つけてまで も子どもに迫るべきなのか。あくまでも子どもの自尊感 情を育てることを優先させればいいのか。多くの教育関 係の本には自尊感情を育てることの大切さや、自尊感情 を育てることによって社会性が身につくということが書 かれている。確かに傾聴に値する意見ではあると思うの だが、今ここで
ADHD
に特徴的な言動をとっている子 どもと向き合わなければならない喫緊のとき、子どもの 自尊感情を無視してでも、子どもに﹁世の中の﹃常識﹂ に合わせろ!﹂と厳しく迫ることは間違っているのだろ う か 。 先日、新聞にある男性の投書が載っていた。内容をか いつまんで紹介すれば、彼の四歳になるADHD
を 持 つ 息子さんが幼稚園を退固に追い込まれたが、そのことに よって、自分が持っていた価値観が転換し、障害のある 人もない人もともに生きる共生に目覚めた、といったも のだった。同じような経験をしてきた立場の者として、 この人の気持ちはある程度わかる。しかしながら﹁共 生﹂という甘い言葉に酔ってしまって、幼稚園を退固さ せられたという事実を忘れてしまっているわけではある まい。親として﹁共生﹂よりも、﹁強制﹂や﹁矯正﹂が 必要な場面も当然出てくるのではないか。3
リタリンをめぐって 社会性か? 自尊感情か? という葛藤を一時的であ るにせよ忘れさせてくれる﹁奥の手﹂がないわけではな い。それがリタリンという薬である。リタリンとは中枢 神 経 刺 激 剤 で あ り 、ADHD
を持つ者が服用すると、行 動の量が減少し、注意力は上昇し、衝動性は減少すると こぺる 5いったような効果が八
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の人に現れる。息子がはじめ にかかった小児科の医師は、日本でも有数のリタリン推 進派であり、積極的に﹁飲ませなさい。﹂とアドバイス してもらったが、﹁くすりで子どもの行動を変えるなん て﹂と親としてはかなり複雑な気持ちであった。 二年生になって、障害児教育に理解のある先生が息子 の担任になった。さまざまな場面で息子を褒め自信をつ けて下さったり、心から叱ってもらったおかげで、息子 は教室に帰ることが出来た。その先生に相談すると、 ﹁薬なしで学校に来させて下さい。自分に任せて﹂と言 って頂いたので、当初はリタリンなしで登校していた。 しかしながら教室内では相変わらず落ち着かなかったし、 机に向かっていても学習は進まなかった。ある時、担任 の先生と相談して試しにリタリンを服用させて登校させ た。その日のことである。算数の授業中に息子が当てら れて黒板に答えを書いた。学習が進んでいないので間違 った答えを書いたところ、ある子どもから﹁あほや﹂と や ゆ 耳 榔撤されたらしい。いつもの息子ならばそこでキレて骨 りぞうコん 晋雑言を投げつけるのだが、しゅんと黙り込んでしまっ たらしい。担任の先生から﹁元気なOO
くんを見慣れて いるからショックだった﹂と伝えられ、またまた考え込 ん で し ま っ た 。 しかしリタリンを服用すると、息子は学校の授業をま じめに受けたり、人の指示をちゃんと聞けたり、やたら キレたりしなかったり、﹁きちん﹂とした行動が取れる のである。やたら叱られたりすることがないから学校で 自尊感情を傷つけられることも少なくなった︵リタリン の効果持続時間は約四時間。朝食後と昼食後に服用して いる。したがって、リタリンが﹁効いている﹂のは学校 だけで、一番こだわりが強くなる起床時と夜はリタリン のない状態。したがって、社会性かっ自尊感情か? と い う 葛 藤 は 家 で の 状 態 で あ る ︶ 。 学校で他人に迷惑をかけてほしくない。きちんと勉強 してほしい。友達が増えてほしい。先生に叱られずに気 分よく学校で生活してほしい。他の親や学校から電話が かかってこないでほしい。などなどさまざまな気持ちが 入り混じる中で、今ではあたりまえのようにリタリンを 服用させている。しかしながら、行動パターンという自 然状態を変えてしまうこの薬は、叱責をはるかに上回る 大きな暴力ではないかという疑問を取り去ることは出来ない。麻薬などと違い、リタリンを飲む前と、リタリン を飲んだ後の人格は概ね連続している。別人格になった りはしない。しかしながらほんの少しずれているのだ。 この少しの﹁ズレ﹂が人格形成にどのように影響するの か不安な気持ちはぬぐえない。このズレがリタリンへの 過度の依存や、﹁薬がないと自分はだめだ﹂といった自 尊感情の総体的な低下に結びついたりしないか、などな どリタリンを巡っても葛藤の日々が続く。
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自立に向けて
以 前 は 、ADHD
は子ども特有の障害であり、成長と ともに治癒していって成人になるとほとんど見られなく なると言われていた。しかしながら、中枢神経系の障害 であることが徐々にはっきりしてくると、大人にもAD
HD
の障害を持つ人がいることが判明した。 昨年の夏にADHD
を持っている主婦のテレビ番組が 放映されていた。﹁片づけられない女﹂であるその女性 は、﹁あれこれ気が散り集中力が持続しない﹂﹁同時にい ろいろなことを段取りよくできない﹂ため、さまざまな 困難を抱えていた。まず、朝の子どもの弁当を要領よく 作ることが出来ず、いつも昼前に学校に届けていた。片 づけられないため、家の中はゴミ屋敷状態。学校などか らもらってくる子どものプリント類もいつの間にかどこ かにいってしまうため、学校行事への参加や諸手続など にも対応できず、地域の人々の信頼感はゼロ。彼女は、 一大決心をして業者を雇い、家の中を片づけるのだが、 何を捨てて何を残すのか判断できない。挙げ句の果てに 彼女はパニックに陥り、一保を流して思考判断停止に追い 込まれる。ノーマルな人が何気なく行う家事労働は意思 決定と行動化の連続であり、彼女のようなタイプには苦 行以外の何ものでもないことに気付いた。最近、教育改 革の中でのキーワードである﹁自己決定﹂﹁自己責任﹂ と はADHD
にとっては、とてつもなく過酷な側面を持 つのではないか。彼女の泣き顔を見ながら、ADHD
を 抱えながらの自立の困難さと、﹁自立﹂という視点で子 どもに接することの大切さを再確認した。ADHD
があるとわかって以来、我が家では息子を どう育てていくかが夫婦の話題の中 こベる ﹁ 自 立 ﹂ に 向 け て 、 心になっている。現在のところ自信をつけるために、 7﹁︵リタリンを飲まなくても︶そのままの自分で受け入れ てくれる場所で過ごすこと﹂、及、び、好きな事にはもの すごい集中力を発揮する
ADHD
の特徴を生かして、 ﹁本当に自分の好きな事を見つけ、それにとことん取り 組むこと﹂を中心に経験させている。 そのままの自分を受けλ
れてくれる場所として、ある 野外活動団体のキャンプには必ず参加させてきた。残念 ながら三月でそのキャンプ場及び団体は解散となったが、 二年間お世話になった。そのキャンプは、子どもの数 ︵十数人︶と同じくらいの人数の大学生で行われるもの で、田舎育ちでマムシでさえ素手で捕まえる息子は、さ まざまな場面で都会で生まれ都会で育ったキヤンパl
達 のリーダー的存在として振る舞っていたようである。大 学生達は人員的に余裕のある中で活動しているため、し ばしばしゃべりすぎる息子の話しを飽きもせず聞いてく れたようである。キャンプに参加して、日常のストレス を全て発散してスッとした顔で帰ってくる息子の姿は、 親としてうれしいものであった。 次に、いま息子が一番興味があるものが野球である。 運動能力に限界があると言われながらも、昨年引っ越し てきてすぐに少年野球のチl
ムに入った。はじめは箸に も棒にもかからない様子であったのだが、なぜか︵ほん とうに﹁なぜか!﹂︶徐々にはまっていき、今では彼の 生活の一部になっている。野球が楽しいこともあるのだ が、年配の監督が﹁下手くそな子どもがうまくなってい くのが楽しい﹂と勝負を度外視して指導して下さったり、 褒めて下さったりすることと、九人ぎりぎりのチl
ム な ので否応なくレギュラーとなり、毎試合出場することこ そが、彼が野球にはまった大きな原因だと思う。子ども にとって居場所の大切さを再認識出来た。 キレたりこだわりの強い場面が徐々にではあるが減っ てきて、いまのところいい方向に向かっている。しかし しつぶうどとう ながら疾風怒濃の思春期をどう乗り越えるのか、親はど う関わっていくのかは次の大きな課題であり、それを考 えると身の引き締まる毎日ではある。 おわりに ー﹁カミングアウト﹂残される課題 最後に、親ではなく本人の課題であるカミングアウトについて考えてみたい。 繰り返しになるが、
ADHD
を 持 つ 人 は 、 適応しているように見えるのだが、適応しきれない場面 が、日常生活の中で多くある。その際、カミングアウト する方が﹁生きやすくなる﹂場合も考えられるのである。 一 見 社 会 にADHD
に詳しい精神医学者の岡野高明氏はカミング アウトの失敗を心配する。岡野氏によれば、カミングア ウトする当事者には﹁わかってほしい﹂という気持ちが あるが、それは相手にそれまでの常識を覆せという要求 をしていることであり、その要求に見合うものを当事者 が提供出来ていない場合は失敗する、という。例えば、 あ るADHD
を持つ女性は、段取りよく進めなければな らない事務作業や単純作業が、脳の機能的な問題で苦手 であると職場でカミングアウトし、自分が得意なパソコ ンの仕事にまわしてもらって、他人のパソコン関係の仕 事も引き受けることによって、職場に居場所を見つけた と 聞 く 。 カミングアウトという行為を人間関係上の取引にして しまっているような感は否めないが、現実的な話しであ ろ う 。ADHD
という概念はアメリカからやってきたの で、カミングアウトさえもアメリカナイズされているの で あ ろ う か 。 息子はカミングアウトという難問とど、つつきあってい くのだろうか。カミングアウトへの葛藤を抱えながら、 上記のような失敗を繰り返しながら生きていかざるを得 ないのだろうか。共生という概念がいくら普及したとこ カミングアウトはやはり大きな課題として存在し ろ で 、 続けるであろう。 参考文献 司 馬 理 英 子 ﹃ の び 太 ・ ジ ヤ イ ア ン 症 候 群 ﹄ 主 婦 の 友 社 榊 原 洋 一 ﹁ ﹁ 多 動 性 障 室 己 児 ﹄ 講 談 社 + α 新書 柘植雅義﹃学習障害︵LD
︶ ﹄ 中 公 新 書 上 野 一 彦 ﹁LD
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﹄ 講 談 社 十 α 新書 現 代 の エ ス プ リ 四 一 回 号 ﹃A
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の 臨 床 ﹄ 至 文 堂 岡野高明、ニキ・リンコ﹃教えて私の﹁脳みそ﹂のかた ち﹄花風社 こぺる 9部落のいまを考え る ⑮ 住田一郎︵西成労働福祉センター職員︶
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部
落
出
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!ロ人の今、そしてここから|﹄とカムアウトについて
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﹃破戒﹄評価への疑問 あらためて島崎藤村著﹃破戒﹂︵明治三九年三月発行、 自家版の復刻︶を読んだ。藤村研究家東栄蔵氏の講演に 触発されたからである。これまでの部落解放運動の中で は克服されるべきもの、否定されるものとして﹃破戒﹄ で描かれた主人公瀬川丑松の生き方︵﹁丑松思想﹂︶は刷 り込まれてきた。﹁身分を隠しとおす隠蔽﹂と﹁土下座 で身分を名乗る卑屈さ﹂を乗り越えるべき被差別部落民 の在り様として提起されてきた。 しかし、ほんとうに﹃破戒﹄の瀬川丑松の生き方は否 定され、克服されるべきものだったのか。確かに、丑松 は父からの﹁隠せ﹂の戒めを忠実に貫こうとする。しか し、﹁我は穣多なり﹂と積極的にカムアウトする猪子蓮 太郎の著作を貧り読み、身近に接することで父の戒めと の矛盾に苦悩する。小説はこの丑松のカムアウトにいた る心の葛藤・軌跡を当時の身分差別状況をリアルに描き ながら綴られている。丑松のカムアウトが教室での土下 座という形で示されることに多くの被差別部落民は衝撃 を受け、小説そのものの評価を差別的と断じてきた。が、 丑松は徹頭徹尾、穣多である自分自身と向き合いつづけ てきたことも事実なのである。 私もこの場面を心穏やかに読み過ごすことはなかった。 だがしかし、藤村が描いた明治末期という時代状況を考 慮するとき、小説全体を通じて描かれる被差別状況のリ アリティにカムアウト場面以上の評価を私は与えてきた。 現に、丑松の実在モデルとされる大江磯吉は東京高等師 範を卒業し教師としての評価・能力とも抜きんでていた にもかかわらず、機多出身であることを暴かれると同時 に、幾度となく教職を追われていた。実際に、大江は飯 山においても教職を追われていたのである。﹃破戒﹄の室田かれた時代はそういう時代だった。土方餓も﹃歴史公 論﹂一九七八年一一月号での対談で﹁当時のきびしい状 況からいえば、おそらくリンチにあうのじゃなかろうか というところからきた、当然の行為とも恩われるんです ね。ですから、土下座の場面だけクローズアップして問 題にするんじゃなく﹂と発言していた。 今回の再読で初めて気づかされたこともあった。冒頭、 丑松が下宿を慌しく移る理由ともなった、械多の大尽大 日向が飯山病院に入院中に穣多であることを暴かれ、病 院を追われ丑松と同じ下宿に戻ってくる。そこでも同居 人から﹁不浄だ、不浄だ﹂と罵られ追い出されてしまう 場面が描かれている。多分、病気療養中の大日向にとっ お の の てこの仕打ちへの戦き、憤りは決して消えることがな かっただろう。この大日向が再度登場するのが最終章の お 切 っ さ つ 第二三章である。猪子蓮太郎が飯山遊説中に暴徒に殴殺 は た ご され、旅龍の座敷に安置され通夜が営まれている。その 場に新天地をテキサスに求める大日向が丑松と打ち合わ せるために呼び寄せられる。仲介役の弁護士の﹁座敷に 上がれ﹂との呼びかけに﹁大日向は苦笑いするばかり。 奈何に薦められでも、決して上がろうとはしない﹂﹁斯 ういう談話の様子で、弁護士は大島向の顔に表れる片意 地な苦痛を看て取った﹂と書かれている。この描写は大 日向の差別︵飯山からの放逐︶に対する憤りの大きさを き ょ う U 示すものであり、同時に彼自身の幹持を一不すものでは なかったか。藤村はこの大日向を再登場させることで、 部落差別に立ち向かう械多の生き方に共感を示したと受 けとるのは私だけだろうか。 藤村が描いたカムアウトにいたる丑松の苦悩︵内面的 葛藤︶を、一
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年後に生きる被差別部落民である私た ちは真正面から受けとめ、克服し、乗り越えたと言える だ ろ う か 。 ﹁破戒﹂は多くの人々に読みつがれ、部落差別の不当 性を訴え続けてきた。今日もなお私たち被差別部落民が 主体的に﹃破戒﹄からくみ取るべき課題、学ぶべき点は 数 多 い 。 部 落 を 顕 在 化 す る こ と に つ い て ら写
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居 戒 動 』 に }'_'<.5
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全 民 国 は 水 自 こベる 11平社を結成した。その創立宣言には﹁これ等の人聞を勤 るかの如き運動は、かへって多くの兄弟を堕落させた事 を想へば、此際吾等の中より人聞を尊敬する事によって 自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然 である﹂と誼われ、同時に﹁吾々がエタである事を誇り 得る時が来たのだ﹂と積極的に名乗ること、顕在化する こ と が 主 張 さ れ て い た 。 だが、昨年の部落問題全国交流会でも、参加者から ﹁ 水 平 社 宣 言 に は 穣 多 で あ る こ と を 誇 り 得 る と き が き た ﹂ 、 また﹁綱領にも人間性の覚醒に目覚める﹂等と自らに厳 しく、顕在化を促す字句が見られるにもかかわらず、そ れとは大きく異なる解放同盟員の姿勢への疑問が提起さ れ て い た 。 また、本誌四月号にも八木晃介は次のような問題を提 起している。﹁ある自治体の窓口を訪問した人が、ある 地名をあげて﹃そこは同和地区か﹄と質問したところ、 職員が﹃そうです﹄と答えたという出来事が報告された 途端、会場内には﹃差別事件だ﹄という共通理解がすぐ さ ま 成 立 し た ﹂ 、 助 言 者 で あ る 彼 の ﹁ ﹃ ど こ に 差 別 性 が あ るのですか﹂という私の質問に対して、会場からは一斉 に﹃助言者たるものが何たる非常識な発言をするのか﹂ と私を射ぬくような視線が集中した﹂と。私はこの自明 とする人々の意見には賛成できない。その場所が同和地 区であるかどうかを聞くことそのことに問題︵差別性︶ があるのか。それとも、﹁そうです﹂と答えた職員に問 題︵差別性︶があるとされたのかも定かではない。が、 同 和 対 策 事 業 が コ 一 三 年 間 に わ た っ て 実 施 さ れ て き た 今 日 、 人々がその地域を指して﹁同和地区ですか﹂と聞くこと 自体を短絡的に差別と断定するなら、同和問題について きたん 人 々 の 間 で 忌 惇 の な い 話 し 合 い は 成 立 困 難 に な る 、 だ ろ う 。 国の同和対策特別措置法によってその地域が地区指定を 受けている事実があるなかで、職員が﹁そうです﹂と答 えたことを差別だとも言えない。もちろん、﹁差別事件 だ﹂とする人々が﹁同和地区かと聞く人の意図に部落差 別につながる要素が潜んでいる﹂と考えての反応である こと。また、差別者︵加害者︶ H 悪、被差別者︵被害 者 ︶ H 善とする単純な二項対立思考があり、何を差別と するかは、被害者である被差別者が決めるとの思い込み が働いていたことも間違いないだろう。しかし、問題は ﹁何が差別か﹂についての決定権が無条件に被差別者に
与えられているわけではないことであり、なによりもそ の前段で﹁事実を事実として知る・聞く行為﹂それ自体 を差別と断定することができるのかということにある。 て 、 私 三日は
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基 さ 本 れ 的 る に 前 顕 提 在 と 化 し す る H オープンであるべきだと考えている。同和問題の 解決とは人々の話題に部落問題がのぼらないことではな い か ら で あ る 。 畑中敏之はこの問題にも関連する興味深い論考﹁﹃部 落史﹂は墓標となるか﹂を本誌前号に寄せている。 論考には愛媛新聞の報道による、松山大学の入学試験 で正解が﹁械多、非人﹂となる日本史の問題に対する同 大学と県同和教育協議会との一連のやり取り記事が引用 されている。大学は﹁差別語への認識と配慮が足りなか った。受験生が心を痛めることになり深く反省してい る﹂と謝罪。協議会は﹁︵この入試問題が︶即、差別の ばらまきにはならない﹂とした上で、﹁被差別地区出身 の受験生がいた場合の配慮に欠ける﹂とした。 畑中はこの点について明確に、﹁﹃穣多﹂﹃非人﹄を回 答させる出題自体が問題だとする、このような彼らの言 動が実は逆に部落差別を助長する、あるいは部落差別の 土壌を豊かにしていく。そのように言わざるを得ない。 ﹃痛み﹄に﹃配慮﹄するが如きこのような言動が、部落 差別を助長する﹂と述べている。 つづいて、畑中は歴史的資料における﹁被差別部落住 民の秘匿﹂について、﹁そもそも、﹃知られたくない﹄と いう人達がいて、その思いに付け込むことによって差別 する人達がいる、この両者の共同作業で部落差別は成り 立っている。部落差別をより有効にしているのは、 方 ではこの﹃知られたくない﹂という人達の思いであり、 ﹃配慮﹄なのである﹂﹁つまり、﹃知られたくな い﹄という人達に配慮するが如きこのような﹁秘匠﹂措 置が、その願いに反して部落差別を助長していくのであ そして る ﹂ と も 指 摘 す る 。 さ ら に 、 ﹁ す な わ ち 、 ﹁人権﹂看板の氾濫する下で、 ﹃配慮﹄という名の隠蔽が進行し、人びとの視野からは ﹁部落﹄が消えて行く。しかも忌避すべきものとして消 えて行く。そして、﹃差別﹄は人びとの心の内にさらに 沈澱していく。ここでは、隠蔽と暴露は部落差別の共犯 となる﹂と今日における部落差別問題の課題を鋭く捉え こぺる 13さ ら に 論 を 進 め て い る 。 私はここに引用した八木、畑中による真撃な問いかけ に、部落解放運動に従事するわれわれは﹁部落問題の顕 在化をすすめ、配慮をもとめるヤワな部落民としてでは なく、積極的に部落民を名乗ること﹂で応じるべきであ る と 考 え て い る 。 新たな試みと課題 一 一 一 一 一 一 年 間 実 施 さ れ た 同 和 対 策 事 業 は 被 差 別 部 落 の 住 環 境、経済状況それに教育条件の著しい改善をもたらした。 と同時に、被差別部落住民の部落差別や解放運動に対す る思いや対応にも変化が見られる。確実に、部落差別問 題をめぐる部落内外の意識状況は大きく改善されてきた。 特に、若者を中心に被差別部落民の新たな生き方が状況 の変化︵改善︶に促されながら模索されている。一世代 前には存在していた﹁部落差別の壁に必ずぶつかる﹂と の悲恰感も和らいできた。二
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年の大阪部落実態 調査︵聞き取り︶から生み出された﹃部落の幻家族﹄ や﹃部落のアイデンティティ﹄︵いずれも解放出版社︶ にも、同和事業と同和教育それに部落解放運動の前進 によって部落差別への悲憤感は見られない。また、本 書 ﹃ H Z 1 門 一 門 戸 ︿ 自 宅 ﹁ 部 落 出 身 ﹂ | ロ 人 の 今 、 そ し て こ こから|﹂にも今を生きる被差別部落の若者を通して、 人と人とのつながりやカムアウト、それに日常生活での 肩肘張らない交わりの様子がインタビューに答える形で 浮 き 彫 り に さ れ て い る 。 一二名の登場人物のうち三名も海外生活︵語学留学も 含む︶経験者が含まれる事実は、たとえ偶然としても被 差別部落を取り巻く今日の状況変化を示す一つの指標で あろう。しかも、彼女らは部落問題の蚊帳の外にいるの ではなく、部落出身者である事実を前向きに受け止めて いる。部落問題ともまともに向き合いながら、それぞれ 研究生活をつづけ、人権NGO
で働き、他の仕事を持ち ながら解放同盟青年部長を引き受けている。青年部長で ある岸本綾は﹁運動は生活の一部、すべてではない﹂と主 張。部落差別をなくすにはとの聞いに﹁部落差別があっ てね、ということをとにかく身の回りの人、友だちに話 すこと。話しながら一緒に考えるじゃないですか、差別 とは何か、みたいなこと。それで一人ひとりの考え方を刺激していくことじゃないでしょうかね﹂と応じている。 何より、彼女たちには部落問題という枠にとらわれない 視 野 の 広 さ が 伺 え る 。 部落の裕福な家庭で育った安藤緑はほとんど解放運動 との接点を持っていない。にもかかわらず、いまも生ま み U ん れ育った部落に住み部落に対する後ろめたさを微塵も感 じてはいない。﹁部落差別をなくすのに一番大切なもの﹂ との質問に、彼女は﹁プライド﹂と答える。それについ て﹁教育だとか、ソトの人ときちっとコミュニケーショ ンがとれるかどうか、という、そういうことも含めての 人間の質をアップしていきたいっていう意味での ﹃諮問 ﹃ボクは部落民なん り﹄だと私は思ってるの。だから だ﹂という意味での﹃誇り﹄は、私はあんまり信用して い な い ﹂ と 手 厳 し い 。 宇和島の被差別部落で生活する川口美紀は﹁自分のこ とを﹃部落出身﹄とか、﹃部落民﹂だとか﹂思うことが あるかとの問いに、﹁日常生活で、そこまで考えたこと はない。だって、あたし、すごい友だちいっぱいおるな と思うし、まず人と人とのつきあいゃけん。その後に、 そういうのが付いてくるだけやん、まあ言えば﹂と応じ る。さらに、﹁部落だろうとなんだろうと、あたしはあ たしやってことを認めてくれている人がいるから。あた しが思っているだけかもしれんけど、 でもあたしはそれ 以上のもんをつくろうとしている﹂﹁部落の子であって も、部落の子だけが後ろにいるから安心せいよ、じゃな く て 、 いろんな人いるよ、こういう人もああいう人もい るよ﹂と語る彼女もまた部落に縛られてはいない。 これらの若者たちは決して部落をマイナスイメージと して捉えていない、ただ一人須原雅和を除いては。須原 は教職に就く直前に両親から被差別部落出身だと告げら れる。初めての赴任校が解放運動の盛んな地区を抱えて いた。当然、須原は教育実践を通して、カムアウトすべ きか、どうかを迫られる。思い切って解放子ども会で ﹁﹃実はな、わしも部落なんで﹄と言ったら、子どもが ﹁先生知っとたよ、じゃけん、なんなん?﹂﹂と軽く受け 流される。子どもは須原が名乗れば喜んでくれると思い 込んでいただけに、彼はこの気のない対応に落ち込む。 部落出身である事実を須原はどのように受け止めればい こベる いのか思い悩み、精神的にも参ってしまう。須原の職員 会議におけるラジカルな主張や行動も実は部落出身を遅 15
くに知らされた︿負い目﹀が、より良き、より強い部落 民であらねばとの呪縛となって働いていたからであろう。 心配で声をかける仲間に対しても﹁腹が立つでしょうが ないんですよ。おまえらに僕の気持ちがわかるか﹂と拒 否する。須原は自ら作り出した悲恰な部落差別の重圧に 囚 わ れ 、 岬 吟 し て い る 。 他の登場人物も含め彼らには、先に畑中が提起した部 落差別を巡る﹁隠蔽と暴露の共犯関係﹂は存在しない。 ﹁隠蔽﹂しようとはしていないのである。在日韓国朝鮮 人や被差別部落への差別意識をもっ夫との葛藤を語る松 本加奈子にしても﹁隠蔽﹂しているわけではない。彼ら の存在が部落差別問題との今後のかかわり方を示す方向 であってほしいと私は考える。しかし、残念ながら部落 解放同盟を担う大半の活動家の意見でないことも事実な のである。それ故、八木や畑中の問題提起はいまも無意 味 に な っ た わ け で は な い 。 この小論の冒頭で、私は主人公瀬川丑松が﹁隠蔽と暴 露の共犯関係﹂と葛藤しながら、最終的に﹁部落を名乗 る H カムアウト﹂にいたる軌跡を描いた小説として﹁破 戒﹄を評価した。被差別部落民自らのカムアウトによっ て﹁暴露﹂の意図は霧消するに違いない。 ところが、基本的に﹁隠蔽﹂ではなく、顕在化を容認 する本書のインタビューァーがなぜ匿名なのか。そこか ら登場人物名も本名なのか、仮名なのか、地区名はどう かとの疑問も起こる。本書が現状を一歩でも前進させよ うとの試みだけに私には残念でならない。 この機会に、私は改めて部落差別問題の解決にとって、 被 差 別 部 落 を ︿ 顕 在 化 す る こ と ﹀ 、 ︿ 部 落 を 名 乗 る こ と H の 意 味 を 問 い か け た い 。 カ ム ア ウ ト ﹀
鴨水記 マ新聞記事がファックスでとどく。 ﹁京都市の同和対策補助金|不正受給、 新 た に 四 = 一