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真宗研究10号 004竹内淳有「明治時代の仏教音楽―仏教唱歌を中心に―」

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Academic year: 2021

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明治時代の仏教音楽 A

1 1 仏 教 唱 歌 を 中 心 に | |

︵ 高 田

8

明治時代に新しく西洋音楽により発展した仏教音楽は、すでに、今日までに八十年あまりの月日を経過しているが、 その概略なりとも明らかにされてよい時期である。若干の研究はあるといっても、多くはその発端のごく一部につい ① て ふ れ て い る に す ぎ な い 。 また、昭和三十年前後には、現代日本音楽界において、注目すべきいくつかの勝れたさきの仏教育業作品が、作曲 ① 者自身の内的思索から生まれ出たこと、さらに、昭和三十六年を中心に、仏教各宗における宗祖のご遠忌法会で、こ @ ういった仏教音楽の重要性が再検討された問題などからして、西洋音楽による仏教音楽の本質と歴史が明らかにされ なければならないと考えた。 そういった意味から、以下において、明治時代における仏教音楽の歴史の一端を、私の集めた資料によって明らか @ に し た い と 思 う 。

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年 一 八 八 一 八 八 八 一 八 八 九 一 八 九

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仏 教 昔 及 び 主 要 事 項 A 斗 4

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i 寸 斗 − A V E − 2

5 お ・ 5 明治時代の仏教音楽 楽 作 品 1 .文部省編﹁小学唱歌集 L 初編第十五・慈円︵一一五五

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一 二 二 五 ︶ 作 歌 、 ︵ 曲 は 雅 楽 ﹁ 越 天 楽 L に よ る ︶ H ﹁ 春 の や よ ひ ﹂ 。 歌詞/春のやよひのあけぼのに/四方のやまベを見わたせば/はなざかりかもしらくもの /かからぬみねこそなかりけり/ 2 .土岐善和︵一八四九

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一 九

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六︶作詞︵作曲者不詳︶ H 唱 歌 今 様 四 章 ﹁ 法 の 雨 、 以 下 略 。 法 の 友 、 法 の 花 、 法 の 燈 ﹂ 。 その詞書に﹁この調ととなはぬ唱歌も又讃仏乗転法輪の因縁ともならば幸甚﹂とある。 3 . 松 田 円 実 作 詞 作 曲 町 H ﹁ 仏 教 唱 歌 L 。 特に児童を対象とした作品。 ﹁四明齢層酢誌上において、編集子、松田円尭の作品を提示して、 近来小学校で用い 4 る唱歌には仏教的なものがないから、 教家は仏教唱歌を認識して、今後小学校で仏教唱歌 が歌われるよう働きかけなければならない旨を説く。

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.土岐善静作詞︵曲はっ立太子式 L の 曲 に 倣 う ︶ H ﹁ ︵ 見 真 大 師 ︶ 降 誕 会 唱 歌 L ︵ 古 岡 田 本 山 に お け る 降 誕 会 の た め 向 ︶ 。 九

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明 治 時 代 の 仏 教 音 楽 八八 九 九

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一 八 九 二 一 八 九 四 一 八 九 六 3 ︸− 4 9 山 tq 白 お ・ 4 27 4 29 27 1 8

この世にひらくるのりのかと/この世にわたせるのりのふね/真俗二たいの大導師/われ らをすくわんがために/やまとしまねにいでたまふ/いはへやいはへけふの日を/のりの ためくにのため/ 以 下 略 。 6 .土岐善静作詞︵曲は雅楽﹁越天楽﹂による︶

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﹁ 法 の 深 山 L 法の御山のさくら花/昔のままに匂ふなり/道の枝折の跡とめて/さとりのみねの春を見 よ/以下略。 7.四月八日釈尊降誕会東京府下公私立大学六校において営まれる。 歌風に折中して讃歌となし、 釈迦八相を今様と軍 @ 一般市民に﹁四月八日﹂と題して数万部印施。その具体的な 内 容 は 不 詳 。 8 .土岐善静作詞︵作曲者不詳︶ H ﹁ 見 真 大 師 降 誕 会 の 唱 歌 ﹂ ⑨ 誕 会 の た め に ︶ 。 ︵東京大谷教校における降 主催大谷派の有志。参会者高僧紳士多数。教校の学生は﹁かねて土岐師のものせられたる 左の唱歌を節面白く謡った L と 言 う 。 承安三年笑巳の歳/四月の一日誕生し/化縁の年間満九十/草駐竹杖いとひなく/末世を 利益の見真大師/

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.多国道ぬ作詞作曲 H ﹁ 法 の 道 イ ロ ハ 唱 動 向 ﹂ 。 ⑫ ⑬ 目、大和田建樹︵一八五八|一九一

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︶作詞、納所弁次郎︵一八六五|一九一二六︶作曲リ ⑭ 日、黒川真頼︵一八二九|一九

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六︶作詞、小山作之恥︵一八六三 以 下 略 。 ﹁ 戦 死 者 を 弔 う 歌 ﹂ 。

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一 八 九 八 一 八 九 九

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− 6 位 ・ 5 泣 ・ 5 回 ・ 9 ヮ “ ・ A v q O 1 ム 明治時代の仏教音楽 !一九二七︶作曲リ﹁戦死者を弔う歌 L 。 日清戦争直後で戦死した同胞のために教家から作者に委嘱されたものと考えられる。 ⑬ 日.暁烏敏作調︵作曲者不詳︶ H ﹁ 報 思 講 ﹂ 。 ﹁音楽と教家﹂と題して、教家は声明と西洋音楽を融合し ⑪ た新しい仏教音楽を今こそ認識して教化に利用すべき好機が到来していると説く。 ⑮ ⑩ 日.頓阿法師︵一二八九

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一三七二︶作歌、竹田竹窓、岩井一水編曲︵雅楽より︶リ仏教 @ 普 通 唱 歌 ﹁ あ さ ひ か げ ﹂ 。 12 ﹁ 無 壷 燈 ﹂ 誌 上 で 編 集 子 、 @ 日、四月入日東京神田錦輝館にて大日本仏教青年会の釈尊降誕会。 ﹁仏の遺弟雲の如く風を望んで集り、午後二時に至り遂に門を閉じて傍聴を謝絶するに至 れり﹂という盛大さ。午後一時ピアノ弾奏により﹁荘厳なる降誕会は開かれぬし。 奥田貫 昭 師 の ﹁ 十 善 戒 ﹂ 、 釈宗演師の﹁余が誕生仏﹂などの講演の後、滝、桜井両民により、ピ アノとヴァイオリンの合奏︵曲目不明︶がなされた。 日.仏教式の婚礼︵愛知県幡豆郡富田村願専寺副住職︶ H 小学生によるヴァイオリン奏楽 @ で ﹁ 法 の 深 山 ﹂ 。 この頃﹁法の深山﹂は相当に普及していたと考えてよい。 @ @ rm.土岐善静作詞、恒川錦之崩作曲 H H ﹁ 高 田 の 松 し 。 高田派二十二代尭猷法主ドイツ留学より帰国の折歓迎のために作歌されたものである。 17 ︵ 作 調 作 曲 不 詳 ﹀

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﹁高田派法嗣殴御得度奉祝歌 L

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三 明治時代の仏教音楽 ヮ “ − A v q J

1 つ 山 1 ょ っu

i お ・ 5 お ・ 9 担・ 5 P 0 ・ ハ リ q u 1 ム 36 10 ︽ h リ ・ ワ 白 Q d 4 1 i 同じく尭猷法主が十月二十二日に得度された折に歌われたものである。 めぐみつきせぬしもつけの/ながれをくまぬものぞなき/たかだのやまはいやたかく/あ ふがぬものぞなかりけり/以下略。 ﹁ 道 の 友 L 誌上において、土岐善静﹁無絃琴﹂と題して、 ⑧ あ る 旨 を 述 べ る 。 18 仏教と音楽は密接な関係に 19 ︵ 作 詞 作 曲 者 不 詳 ︶

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﹁ 四 思 の 動 向 ﹂ 。 国 王 、 父 母 、 衆 生 、 三 一 宝 の 思 を 歌 う 。 @ @

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.水野道秀作詞作曲 H 仏 教 唱 歌 ﹁ 一 ニ 恩 の 歌 L 。 忠君愛国、父母、仏陀の思を歌う。 21 @ ︵ 作 詞 作 曲 者 不 詳 ︶ H 教 団 唱 歌 ﹁ 女 子 の 道 ﹂ 。 女の道の在り方と険しさが歌われている。 ︵ 作 詞 作 曲 者 不 詳 ︶ H 家庭唱歌﹁朝のう伊。 明 る く 童 話 的 な も の 。 @ 泊、浅草東光会主催 H 仏教音楽講習会。東京音楽学校教授山田源一郎を講師に迎え二週間 22 の講習。東光会は今後仏教音楽の革新を目的として時時時好に適する仏教音楽書を編集す @ る旨を約する。その後の消息不明。 @ M .小比賀輝政作詞作曲リ仏教幼年会唱歌﹁親の思﹂ ︵ 父 母 恩 重 経 を 根 拠 と し て J 。 ぉ.細馬卓雄編 H ﹁通俗仏教唱歌集﹂刊。全三十曲。体裁

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六判。総頁四

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。広島洗心書

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一 九

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四 一 訂 ・ 7 一 九

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七 一 九

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一 九 一 二 却 ・ 1 却 ・

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2 d 吐 唱 i 必 ・ 5 姐 ・ 8 4

2 4 生 T よ 必 ・ 2 明 治 時 代 の 仏 教 音 楽 房一刊。明治四十年には五版を重ねた。編者は呉の人。広島県安芸郡吉浦村誓光寺住職。曲 は 真 宗 に 関 し た も の が 多 い 。 @

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.常磐井尭猷︵一八七二|一九五一﹀作調、宮島春松作曲

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﹁ 見 真 大 師 降 誕 会 唱 匹 。 @ @ 幻、山口巧有作調︵一八八一ーー一九一一︶、竹内宜啓︵一八六七

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一 九 三 六 ﹀ 作 曲

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﹁ 弥 @ ﹁ 無 常 ﹂ 。 陀 の 救 い L 弥陀の救い/みめぐみふかきわが父の/弥陀の誓いのあればこそ/つみとが深きわれ人も /無為のみやこにいたるなれ/以下略。 @

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.暁烏敏作調︵作曲者不詳﹀

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﹁ 御 法 の つ ど ひ ﹂ 。

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.五月二十一日宗祖降誕会H仏教大学講堂において﹁宗祖降誕会の歌﹂、 @ ︵ 作 者 不 詳 ︶ な ど を 合 唱 。 ﹁ 仏 徳 讃 仰 の 歌 L 卵 、 仏 教 大 学 学 生 の 伝 導 旅 行 ︵ 広 島 ︶ で 、 オルガン伴奏﹁仏教唱歌﹂を広島育児院や各寺 院などにおいて歌う。また船中では船客に﹁仏徳讃仰の歌﹂を配り讃唱。 @ 担.三栗孤桐編

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﹁ 通 俗 仏 教 唱 歌 集 ﹂ 刊 。

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六 判 和 本 。 全 七 五 曲 。 洗 心 書 房 刊 。 32 ﹁六係学報﹂誌上において、編集子﹁新布教法の疑問﹂の中で、 近時真宗各派と浄土 宗は革新的な布教法、すなわち唱歌、音楽などでもって大衆に呼びかけているが、 ⑬ は夕立ちの如きものであって一時的な効果より望めないと批難している。 ﹂ れ ら ぉ.西村護法館編集局編

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﹁ 仏 教 唱 歌 集 ﹂ 刊 。

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六 判 。 全 三 十 七 曲 。 @ @ M .松居松葉作詞、ウエルクマイスタ 1 作 曲 日 歌 劇 ﹁ 釈 迦 ﹂ 。

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明治時代の仏教音楽 四 東京帝国劇場において初演。出演柴田環、清水金太郎他で行われたが、 ⑬ げしい不評を蒙った﹂ばかりか、再演もされなかった。 ﹁ 一 般 観 衆 か ら は 以上白項目にわたり、明治時代の西洋音楽による仏教音楽の大要を見てきたが、その発端とでもいうべき作品は、 ニにおける 1 の、明治十四年と見てよかろう。それ以前に二、三の作品があったと考えられるし、文部省編っ小学唱 @ 歌集﹂初編の草稿の中には、仏教的なものが、若干ふくまれていたことも事実である。 明 治 十 四 年 、 ﹁小学唱歌集﹂初編の刊行とともに、仏教家は、唱歌を仏教的に応用することを考えたが、 一 面 に お いては、積極的に西洋音楽を受け入れようとする心構えは、明治時代を通して、 そ れ ほ ど に 、 まだできていなかった ょ う で あ る 。 所で、この時代の仏教音楽を代表するものは、前述の﹁小学唱歌集﹂から影響を受けた、 ﹁仏教唱歌しであったと いうことができよう。歌われている内容としては、釈尊、見真大師降誕会に関したものが多く、次に、父母思重経を わかりやすく歌ったものということになる。理論的な面においては、 4 12 国、認の四つの論説があるが、仏教音 楽の問題点を具体化したものとはほど遠く、感想文程度のものであることが惜しまれる。 さらに、作者を分類するな らば、僧侶、地方の学校につとめている音楽教師、その当時著名な音楽家の作の、一二つに分けることができよう。以 上のような立場からの、明治時代の仏教音楽の、 そのほとんどは、教家側から布教を目的として、 一 般 民 衆 に 、 単 に 上から与えられたものであったことにも注意しなければならない。中でもただ一つ、仏教の道を謙虚に歩み、そのよ

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ろこびを音楽化した、山口巧有の﹁弥陀の救い﹂、 持尾を飾ったと考えたい所の、 ﹁無常﹂については、留意する必要があろう。 ドイツか ウエルクマイスタ l の歌劇﹁釈迦しは、評判の悪るかった点は別として、 ら日本の音楽学校の教師として、就任間もなく、音楽的に﹁釈迦﹂を理解したことだけでも、称賛されなければなら かったことをも、考えておかなければならないと思う。 ないし、後年の、弘田龍太郎﹁仏陀三部曲 L、細川県のつ仏陀 L、民士山康一の﹁仏陀の生涯﹂などの作品が生まれえな

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、 6 、 目 稿 ︶ 註 ①例えば、土岐善麿﹁摂取の能面 L。権藤円立﹁仏教背楽 L ︵ 現 代 仏 教 講 座 四 ︶ 。 教 化 研 究 所 編 ﹁ 仏 教 讃 歌 ﹂ 。 東 本 願 寺 編 ﹁ 音 楽 法 要 1 ﹀ 。 長 闘 寿 ﹁ 声 明 と 音 楽 ﹂ ︵ 教 化 研 究 四 四 ︶ 。 塩 田 良 平 ﹁ 明 治 の 仏 教 文 学 ﹂ ︵ 現 代 仏 教 一

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五 ︶ な ど で は 、 仏 教 音 楽 の 発 端 は 、 明 治 の 中 期 ま た は 後 期 に は じ ま る と 述 べ て い る に す 、 ぎ な い 。 ②黛敏郎︵一九二九|︶の﹁浬繋 L ﹁ 憂 茶 羅 L な と 。 拙 稿 ﹁ 新 仏 教 音 楽 ・ 序 説 ﹂ ︵ 東 海 仏 教 七 ︶ 参 照 。 ③資料は、明治時代に発刊された諸雑誌、楽譜などを中心と す る 。 ④本願寺派僧侶。 ③岡山県真如院住職。生没年未詳。 ⑥四明徐霞、十七号。 ⑦ 揮 善 命 同 雑 誌 、 十 四 号 。 ① 揮 議 口 曾 雑 誌 、 三 十 六 号 。 道 の 友 、 二 十 五 日 乃 。 ⑥道の友、五十一号。 明 治 時 代 の 仏 教 音 楽 ⑧ ⑧ ⑧ @ @ ⑫ ⑩ ⑩ ⑬ ⑬ ⑬ ⑬ ⑩ ⑩ ⑩ ⑪ ⑩ 九 州 赤 間 関 市 真 宗 少 年 会 を 主 宰 。 道 の 友 、 五 十 四 、 五 号 。 文 学 者 、 歌 人 。 創 作 に ﹁ 明 治 唱 歌 ﹂ 、 作 曲 家 、 教 育 家 。 国 学 者 。 著 書 に ﹁ 日 本 文 典 大 意 ﹂ な ど 。 音 楽 教 育 家 。 道 の 友 、 七 十 一 号 。 無 謹 燈 、 一 ノ 七 。 生 没 年 未 詳 。 生 没 年 未 詳 。 道 の 友 、 九 十 九 号 。 松 の み ど り 、 一 一 一 号 。 道の友、二三号。 生 没 年 未 詳 。 三 重 師 範 学 校 教 師 。 松 の み ど り 、 四 号 。 道 の 友 、 一 一 五 号 。 道 の 友 、 一 二 ハ 号 。 ﹁ 鉄 道 唱 歌 ﹂ な ど 。 五

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明 治 時 代 の 仏 教 音 楽 一 一 六 ⑧ ⑧ ⑧ ⑧ ⑧ ⑧ ⑧ ⑧ ⑧ ⑨ ⑩ ⑫ ⑫ 生 没 年 未 詳 。 道 の 友 、 一 二 二 号 。 道 の 友 、 二 一 五 号 。 道 の 友 、 二 一 三 号 。 東 光 会 の 活 動 内 容 不 明 。 無 重 燈 、 七 ノ 十 。 生 没 年 未 詳 。 道 の 友 、 二 ハ 二 号 。 生 没 年 未 詳 。 樹 心 会 報 、 三 号 。 小 学 校 教 師 。 高 田 派 鑑 学 。 樹 心 会 報 、 三 号 。 ⑩無蓋燈、十二ノ一。 @六篠学報、六十八号。 ⑩生没年未詳。 @六係学報、一八

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⑭生没年未詳。 ⑬白色ロ江口

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同 町 ﹃ ︵ 一 八 八 一 一 一 一 九 三 一 六 ︶ 。 ⑩野村光一﹁洋楽﹂︵明治文化史九︶六一七頁。権藤円立前 掲 書 四 一 頁 な ど 。 ⑩一山住正己﹁小学唱歌集初編の成立﹂︵文学、昭和四十年四 月 ︶ 参 照 。 ⑩拙稿﹁現代仏教への課題!

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仏 教 音 楽 を 中 心 に l l L 朋 大 学 新 聞 一 一 ︶ 参 照 。 ︵ 同 楽譜、歌詞、作者などの考察については、紙面に制限があるため、後日に譲ることにした。

参照

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