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「明解古語辞典」と「角川古語辞典」との「あ」に於ける比較研究

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Academic year: 2021

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そして今、私はこの作品の成立が自然発生的なものでなく 明確な作者の意識のもとにその才が意図されたという私な りの結論を得たように思う o 枕草子は﹁枕﹂に始った。そ して作者の成長は次第に深い沈潜の思いを育てた。がその 成長は元来物語に発展すべきものではなかった。人生のあ る部分に頬かむりした作者は利那しか語りえず、そうした 作者にとって枕草子のこの形は必然のものであったと考え る 。 註 学 燈 社 間・五十風 註 池 目 玉 東 白 黒 十 ー 亀書風々、 鑑 店 力 堂 2 註 初音書一房 旧中重太郎 3 註 岩 波 講 座 秋 山 皮 4 註 新湖北講座 窪 田 空 穂 解釈と鑑賞 清 水 好 子 東 同 川 円 5 註 6 百i 京 堂 一 男 7 ﹁ 枕 草 子 精 読 ﹄ ﹃ 平 安 朝 文 学 史 ﹄ ﹁ 枕 草 子 に 関 す る 論 考 ﹄ ﹁ 枕 冊 子 本 文 の 研 究 ﹄ ﹃ 枕 草 子 ﹄ ﹁ 枕 草 子 研 究 ﹄ S ・ M ・ 9 ﹁ 枕 草 子 の 一 言 葉 の 使 い 方 ﹄ ﹁ 源 氏 物 語 の 基 礎 的 研 究 L

﹁角川古語辞

に於ける比較研究

J 11

世 歴史は流れ、我々人類は膨大な過去をになっている。そ の過去には永久不滅であろうところの一古典なるものがあ る。今日古典読解の為になす辞書の役割は大きい。多くの 単語を或る基墜に基づいて整理配列された辞書の性格は非 常に複雑である。﹁一つの言葉の中に日本人のふるさとが ある。二千年の民族の哀歓が築きあげた古典の数々はすべ て私達の一心のふるさとであった﹂とは角川古語昨典の編者 のことばであるが、私達は世に誇る古典を数多くうけつい でいる。白典によって、その国の文化がわかるといわれる が、まさしく古典は日本の文化の依り所であると思う。古 典は現在に至るまで何ものにも打ち砕けることなくその功 績を栄々と輝やかしている。そして時代は常に変還してい くにもか L わらず今後ともずっとその偉大さを残すことで あろう。時代がどんなに変わっても常に新しい意味や解釈 を提供してくれるところの古典、その古典の解釈になくて

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-はならない古語辞典というものについて研究してみたいと 思う。ここに三省堂出版の﹁明解古語辞典﹂と角川出版の ﹁角川古語辞典﹂とを比較してみて、あまりにも、その特 徴のあることに気づき、この二辞典に於て比較研究してみ たいと思うのである。要は明解古語辞典、がどういう特色の あるものであるか、又角川古語辞典に於てはどうか、八項 目に分類して、その特徴なるものをつきとめてみたいと思 う の で あ る 。 門但し本稿は﹁あ﹂に於けるもののみである︺ し 単 語 数 に つ い て 乙とられていない単語について 内ふとられていない単語を年代別にみて 4 H とられていない単語の重要性からみて ー用例文献の明示されていない単語について ハ仏各単語に於ける用例文献の出典の違いについて 7 ぃ全用例文献を総合して &意味の上から比較して まず単語数についてみてみると 明 解 士 口 語 辞 典 に 於 て は 五 一 A 員で二二五二単語 角川古語辞典に於ては四一頁で一

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二三単語 となっていて明解の方がコ一二九単語、角川よりも多くとら れているのである o 外観だけ一目見た時には、このように も単語数が違うとは思いもよらなかったことである。 では単語数が多ければ、それだけで辞書の価値を尚く計 価することができるのであろうか。次にこの単語の内容に ついてみてみたい。とられていない単語についてみると、 明解にあって角川にとられていない単語は四

O

六 角川にあって、明解にとられていない単語は七三 全単語数から言っても明解の方が大部多かったが、とられ ていない単語を調べてみても同

O

六に対して七三であるか ら、とられている単語には相当の違いがあることがわか る。ではとられていないということは単語として、それだ けとられる重要性がなかったものであろうか。そ[て叉年 代別にみてみたらその特徴もつかめるかと思う。 とられていない単語を年代別にみると、

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-九 明 解 に あ っ て 角 〆 ︷川にない単語、 解角 二 二 二 二 こ うf に

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二 な に ー い あ ( 単 つ 三 諮 て

:しゅ

古 代 ︵ 奈 良 時 代 ︶ 四八三三%︶ 中 古 ︵ 平 安 時 代 ︶ 三 一 ↓ ︵ 一 ・ 一 OFI ︶ 六回︵二

O

正 月 ︶ 中位︵鎌倉、室町時代︶ ヒ 四 ︵ 一 一 一 一 一 % ︶ 九 ︵ ご − p o ︶ 近 世 ︵ 江 一 戸 時 代 ︶ 一 一 一 ︵ 一 一 九 ぷ ︶ ︵ 四 一 一 % ︶ となっている。明解の方に単語数が多いことは前になた通 りであるが、ここで一目瞭然とわかることは明解には近陛 語が多いということ、一方角川古語辞典には奈良、平安朝 の語︵ここでは、奈良、平安朝の語を特に古典語と呼ぶ︶

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が多いことがわかる。古語辞典であれば、古典語が多いと いうことはもちろん重要なことであると思う o その点から みるとしたら、とりあげられている単語数が少ないにして も、角川の方はそれだけの意義があるのではなかろうか。 次にとられていない単語が角川に四

O

七、明解の方に七 コ一もある訳だが、これらの単語がとられていないのは重要 性のないものであろうか。とられていない単語の重要性を みるため、﹁大言海﹂、﹁新版明解士口語辞典﹂にも同様に とられていないかを調べてみると、明解にあって角川にな い単語四

O

六 の う ち で 、 大言海・新版明解古語辞典共にとられているもの二一回 大言海・新版明解古語辞典共にとられていないものわず か 三 一 大言海・新版明解古語辞典のどちらか一方にとられてい る も の 一 六 一 となって両辞典にとられていないコ二を除けば、その他三 七 五

O

語は一応取りあげられる単語として重要たものと考 えられるべきであろう。用例文献からしでもそのことが云 え る の で あ 一 る 。 今度は用例文献のあげ方が明解、角川古語辞典に於てど のようにとり扱われているか比較検討してみようと思う。 用例文献の明示されていない単語についてみると 明解に用例があって、角川にないものが一四四 角川に用例があって、明解にないものが三七 と断然明解の方が用例が多いことがわかる。では一単語に 対して用例をもって解釈されたものがどんなにわかりやす いかみてみよう。例えば﹁あいす︵①かわいがる︶しの場 合、用例がフ﹂と虫どもを朝夕にあいし給ふ﹂︹提中納言︺ とあることによって﹁かわいがる﹂意味がより深くのみこ めるのである。叉﹁あじ︵③おもしろい・趣がある︶﹂の 場合でも、﹁峰の松あじなあたりを見出でたり﹂︹麟野︺と いう用例で﹁あじ﹂の持つ本当の﹁おもしろさ・趣がある ﹂ことの使い方がわかるように思う。このようにすべての 単語に対して用例をあげて解釈されている方が意味がはっ きりするし、又その使い方ものみこめる。そうして考える と明解の方がずっと用例が多く親切な辞典といえるかもし れない。しかし、その用例が本当に良レか悪いか検討して みなければ、その真の適否をいうことはできないと思う。 次に今度は各単語に於ける用例出典の違いについてみて みようと思う。その出典が古いか新しいかによって、単一誌 の生存をも知ること、ができるのである。両辞典に於て単語 数も非常に違ったが、各単語に対する用例文献のあげ方も 非常に異なっている。

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用 例 古 の い 古 文 い 献 も に の て を 示 挙 さ げ れ て て あ い る る と も し 、 L

う 一 一 こ 角 明 と 川 解 か の の ら 方 方 み る − J.- ← 」 lj)j Wt'. 八

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の方は用例が多いにもか L わらず、角川の方が断然古い方 の文献にて示されている。 Lぱ る だ け 古 い 文 献 を 一 ぶ す こ と は 辞書の性賀上重要な点かと思われる。 次に、一同辞典のつあ﹂に於げる全用例について考えてみ た い と 回 ル ぅ 。 全 用 例 を 久 口 年 代 別 に ま と め る と ハ明解︶ 大 和 時 代 四 七 O ︵ 二 三 % ︶ 平安時代六七三︵三一二%︶ 鎌 倉 時 代 三 四 八 ︵ 一 七 % ︶ 室 町 時 代 一 四 二 ︵ 七 % ︶ 江 戸 時 代 四 二 一 ︵ 二 O % ︶ 明治・大正時代九︵OVA︶ ︵ 角 川 一 ︶ 三 七 八 ︵ 一 二 七 % ︶ 二 七 三 つ 一 七 % ︶ 一四六三四%︶ 六じ︵六%︶ 一五九三六%︶

となって明解の方が単語数も多いかわりに全用例も断然多 い。その比はちょうど二対一の割合となっている。特に上 代と近世とに於てその差は著るしい。大和時代の胤例文献 で明鮮の方は四七Oであるのに対し、角川の方は三七八で あり、江戸時代では明解の方が四一二で角川の方は一五九 となっている。このことからも角川の方には古典語が多く 明解の方には近世語が多いこと、かわかるのである。更に、 どんな文献に多くとられているかをみると、 2 万葉集 源氏物語 近 松 枕草子 古今和歌集 平 山 本 物 語 日本書記 徒 然 草 宇治拾遺 浄瑠腐 古事記 謡 曲 狂 言 大 鏡 伊勢物語 竹取物語 H ハ 制 M V 太平記 新古今集 増 鋭 拾遺和歌集 3 4 5 6 7 8 9 21 20 1 9 1 8 1 7 16 15 14 1 3 1 2 11 1 0 fヘ 明 一 ー プ プ 二 二 三 三 三 三 四 四 凶 五 六 六 六 九 七 二 六 八 九 む む 二 六

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二 八 八

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四 七 七 一 四 九 七 一 四 九 売1,: 2 万葉集 源氏物語 近 松 日本書紀 枕草子 徒 然 草 古今和歌架 古 事 記 A h 刈 ’ a h ザ ﹁ 巨 咋 伯 平家物語 宇津保物語 狂 言 日 ハ 判 初 宇治拾遺 謡 曲 伊勢物語 更級日記 栄華物語 太平記 竹取物語 土佐日記 3 Ll 5 6 7 8 9 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10

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じ 五 一 し 十 い 同 一 ‘ A A 凶 占 、

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口 。

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30 29 28 27 26 25 24 23 22 十返舎一九 井原西鶴 土佐日記 後撰和歌集 蛤齢日記 更級日記 栄華物語 万文記 H U 7 1 h グ 不 4 4 キ レ 三 四 四 四 六 ー 六 六 八 八 後撰和歌集 紫式部日記 今昔物語 大 鏡 拾遺和歌集 狭衣物語 式亭三馬 新古今集 浄瑠璃 六 六 七 七 九

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ー 二 応 一 二 卜 l番まで 7 た の で あ る が 、 若 い 番 号 程 に 月 例 出 血 ハ の 一 一致合みることができる。何といっても万葉・源氏・近松 と三大文献は両辞典に於て一番多く用例として一亦されてい る。その書かれた最も多いだけに、日本の最も偉大たる古 典ケ一主さに示しているといえよう。明解古語辞典は角川の 万一い比して浄瑠照十番目であるのに対して三十番口、大鏡 、が卜川苔日であるのに対して二五番目、新古今、が十九番日 己対して二九前日とかなり主がある。とにかく用例のあげ 方が具よっているのはいうまでもない二とである。 い 以 刊 似 ﹁ い 意 味 の i u ⋮から検討してみたい J 辞書に於 Jf 二 番 県 ﹂寸役日の大なるものが解釈であると思う、人には各々性格 が辺うように、この古語辞典を編纂された著者が呉なるの で あ ん は か ら 一 志 昨 ハ の と り 万 も 本 質 的 に ば 同 じ で あ ら う が そ の の仕方には大部特徴があるようである︵、中で J h 一 30 29 28 27 26 25 24 23 22 ︵ あ 一 ︶ ︵ 感 ︶ ・ あ い さ つ ︵ 挨 拶 ︶ ・ あ い す ︵ 愛 す ︶ ・ あ い 、 だ てなし︵形グ︶・あいだる︵自動下二︶あうよる︵奥寄 る ︺ ・ あ か ︵ 閑 伽 ﹀ ・ あ 、 か ︵ 五 日 が ︶ ・ あ 、 か く ︵ 足 掻 く ︶ ・あかし︵明かし︶・あかなくに︵飽かなくに︶・あか む︵赤む︶・あ一がる︵上がる︶・あかれ︵別︶・あきな いみやうり︵商ひ冥利︶・あきらけし︵明らけし︶・あ一 ぐ︵上ぐ︶・あくさう︵悪想︶・あげさげ︵上げ下げ︶ あげせん︵揚げ銭︶・あざける︵刷る︶・あきまし︵形 シク︶・あさもよひ︵朝催ひ︶あしわけをぶね︵葦別小 舟︶・あそばす︵遊ばす︶・あそぶ︵遊ぶ︶・あそみ︵ 朝刊︶・あたる︵当る︶・あぢ︵味︶・あっ︵当つ︺ あつかはし︵暑かはし︶・あづま巧︵東路︶・あつらふ ︵説ふ︶・あておこなふ︵宛て行ふ︶七九円と︵跡︶・あ ながち︵強ち︶・あなた︵彼方︶あはひ︵名︶・あひ︵ 相﹀・あひあひ︵相合︶・あひだ︵問︶・あひみる︵相 見る︶・あふ︵会ふ・令ふ・膏ふ︶・あふ︵敢ふ﹀・あふ ぐ︵仰く︶・あふさきるさ︵形動ナり︶・あふなあふな ︵訓﹀あふひ︵葵︶あふる︵煽る︶・ぁ、まし︵形グ︶ あ や Jぱし︵形グ︶・あやめ︵菖浦︶あらそふ︵争ふ︶・あ ら は ︵ 似 ︶ ・ あ ら は す ︵ 現 す ︶ ・ あ ら ひ と 、 が み ︵ 現 人 神 ︶ ・ あ ら む

L

や︵荒武者︶・あり︵有り︶・ありあふ︵有り 合ふ︶・ありあげ︵有明︶・あれ︵五日・我︶あれ︵彼︶ ・あんと︵安堵︶・あんぺい︵安平︶ 円 H U

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以上六十五単語に於てはとられるべき意味がどちらかの辞 典には欠げていること、がわかった。例えば﹁あいす︵愛す ︶ L の場合、明解には﹁かわいがる﹂という意味はない。 用例に﹁この虫どもを朝夕たあいし給ふ﹂︹堤中納言︺とあ るから、確かに﹁かわいがる﹂という意味はあるべきであ る。同様に﹁あざける︵明る︶﹂の場合も明解の方では ﹁ 声 合 あ げ て 詩 歌 を 吟 ず る ﹂ と い う 意 味 だ け し か な い 、 が 、 当然﹁そしり笑う、あざわらう﹂の意 J V あ る べ き で あ る 。 本来﹁あざける﹂の意は﹁そしり笑う・哨弄する﹂が語源 であると思われる。更級日記に﹁やすからずおどろきあさ みわらひ、あざけるものどもあり﹂とある、が、之から判断 しても、﹁そしり笑う、あざわらう﹂でなくてはならな い。この﹁あざわらわれる﹂原因を晴らす意味から転じて ﹁興じて吟じる﹂、即ち﹁声をあげてうたう﹂等の意が出 てきたものであろう。﹁月にあざける風にあざむく︵戸を あげて詩歌を詠ずる︶ことたえず、花を弄び、烏をあわれ まずと云ふことなし﹂︹後拾遺集・序︺とあるが、意味の自 動的転化と思われる。このようにしてみてくると、欠けて いる意味が不思議なくらいである。この六十五単語の中で も、ちょっと考えただけでこんな意味もおちているのかと 思うようなものが多い。﹁あさまし︵形シグどにしても﹁考 えが浅い・浅はかだ﹂という意が角川にはない。それから 又 ﹁ あ し ︵ 足 ︶ L には銭を意味するものが角川の方に欠け ている。お金のことをオアシといったのも足故にそう呼ば れたものと思われるから、銭の異名ということも欠けては ならないように思う o それから﹁あつかはし︵暑かはし︶ ﹂は明解には d ﹁暑苦るしい﹂の意だけしかない。が源氏・ 蛍の巻に﹁姫君は︵中略︶大殿隠りにけるを宰相の君の一御 消息伝へに、居ざり入りたるにつけて、いと、あまりあっ かはしき御もてなしなり︵略︶﹂とあることから﹁煩わし い、重苦しい﹂という意もあってしかるべきであると思 う o これらの単語はちょっと判断しただけでもその当を得 ること、かできるのである。以上ずっとみたように同じよう な辞書でありながらずい分違っている。 辞書を編纂するということは階大な仕事であることはい うまでもない。なみ/

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よならぬ編者のおかげで私達は容易 に勉強することが℃きるのである、か、この学問の道はきび しい。そして学問の追求にあっては一部の間違いも容赦さ れていけないし、叉容赦さるべきものではない。しかし大 の力には限界がある。そして時には、誤りをも生ずるので ある。果してそれが誤りかどうかわからない場合、次の研 究に待つほかはない。 ここには﹁あ﹂についてのみしか調べることができなかっ たが、八項目によってみた結果は辞典それん\に特徴があ るということである。これら両辞典に於て総合的に特徴を まとめてみるならば、明解.古語辞典は、単語数が多く、その

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解釈の仕方も非常に丁寧で用例も多い。その点細かい所か ら調べる場合にはこの辞典の果す役割は大きいように思う 叉角川古語辞典に於ては単語のあらゆる角度から考恵さ れていて、文献用例なども古いものが多い。要は調べる目 的によって適否を判断すべきだと思う。これらの結果より 知りうることは、その語の持つ意味、発生過程・変化・転 化と追求すればするだけの問題があること、そして一つの 辞典が必ずしも完全なものではないということである。

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f ﹀ 記 ここに揚げたものは、八項目とも資料が必要な訳で、 阪られた紙面では理解されにくいかと思う。参考資料 は、論文の方をみて載きたい。

||植物使用の効果

1 1 古 素

+ l h し が き 本文は、先に提出した卒業論文﹃源氏物語と植物﹄を﹁ 国文研究﹂の一記事用として、要約したものである。 卒業論文は、先ず物語に現われた全部の植物及ひ木や草 ・ 花 等 植 物 関 係 の 一 一 一 一 回 葉 の 前 後 の 文 を 摘 出 し 、 こ れ に 文 学 面 からと植物学上からの考察をなし、それらを資料として、 研究の主目的を﹁草場の植物は、物語にどんな効果を与え ているか﹂に置いて総論を纏めた。しかし、本文は、原稿 枚数の制限もある為、資料の分は一切省略し、総論もその 一部を省略、或いは削除した。 文中引用する源氏物語の一原文は、﹁日本古典文学大系、 源 氏 物 語 、 一

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五巻﹂により、原文の所出巻名は、︿桐査﹀ のように記し、作者紫式部は、﹁作者﹂と略称した。

源氏物語の植物

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源氏物語五十四帖中に使われている植物は、若菜・竹等 のような総合名称や月の桂などの想像のものも含めて百十 余種である。︵細部の表省略︶ この百十余種は、万葉集の約百六十、枕草子の約百四十 に比べるとその数は少いが、万葉集に於ては長年月の間に 各階層の一人々が、植物に関連して、日本全国に於て、見た り、聞いたり、感じたりして千五百余首中に詠みこんだも のであり、枕草子のものは同時代の人の作ではあるが、自 然趣味を中心とした随筆であるので、植物の数だけを比較 するのは適当でない。 源氏物語における植物は、前記丙文献より数こそ少いが

参照

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(石川県立松任農業高校教諭)

Siewierska, Anna & Maria Papastathi (2011) Towards a typology of third person

2 つ目の研究目的は、 SGRB の残光のスペクトル解析によってガス – ダスト比を調査し、 LGRB や典型 的な環境との比較検証を行うことで、

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То есть, как бы ни были значительны его достижения в жанре драмы и новеллы, наибольший вклад он внес, на наш взгляд, в поэзию.. Гейне как-то