序文
マン・レイは職業写真家に撮ってもらった自身の作品の写真が気に入らず、
自らそれらを撮影した。それが彼の写真の始まりであり、1915年頃の出来事で あるが、それ以後、写真が彼の芸術活動の重要な場となることは周知の事実だ ろう。たとえ始まりは作品の記録の為であったとしても、彼は数えきれない程 の写真を撮り、それは芸術の場において、あるいは多くの芸術家によって受け 入れられたのである。
しかし、その事実の一方で、同時代人によって書かれた彼の写真についての 幾つかのテクストを読み返し、どのように彼の写真が芸術の枠内で語られてい るのかを考察した場合、奇妙な矛盾に気が付く。というのも、確かに同時代人 によるテクストにある一定の共通する受け取り方を見つける事はできるが、そ れと同時に、それらのテクストをマン・レイ自身による写真に関するテクスト と並べて見た場合、両者の間には大きな隔たりがあるように思えるのである。
本論では、これらのテクストを各々取り上げ、分析する。しかし、それはそれ らの言説を読みとき、「写真」あるいは「芸術」とは何かについて改めて問い ただす為ではない。反対に、芸術の場における写真に関する二つの言説を通し て、いかにして写真は芸術でありえたのか、ある時代の「芸術」のあり方を側 面的に浮き上がらせることを目的とする。一つの発明として誕生した写真が芸 術でありえるとき、そこで繰り出される言説を「芸術」であるための戦略とし て考察する。
また、1998年にフランスで発表された唯一のマン・レイに関する博士論文の
「芸術」であるための言説
──同時代人によるマン・レイの写真についてのテクストと マン・レイ自身による写真についてのテクストを巡って──
木水 千里
序文において、エマニュエル・ド・レコテも指摘しているように(1)、その知名 度にも関わらず、マン・レイについての学問的研究はまだ十分ではない。つま り彼の作品に対して「何か面白いもの」だという認識が先行し、彼の名はある 種の「軽さ」を伴い浸透しているように思える(2)。しかし、以下の考察は、そ こに当時の芸術がはらむ様々な問題系を見つけることによって、マン・レイに ついての誤解を解き、彼の作品についての新たな理解へと導いてくれるだろ う。
その為にまず、写真がおかれている状況について考察した後、同時代人によ るマン・レイの写真に関するテクストの分析、続いて、マン・レイ自身による 写真に関するテクストの分析を行いたい。
写真発明以後の写真理解について
写真の発明を簡単にまとめると、以下の通りである。ルイ・ジャック・マン デ・ダゲール(1787—1851)が、1837年に金属板に映像を定着させる事に成功 し、この新しい技術は1839年8月19日に科学アカデミーと芸術アカデミーの合 同会議で発表され、そして同年フランス政府がそれを買い上げ、写真は正式に 誕生することになる。
しかし、この発明以前にも、既に対象に忠実で、正確な像を得る手段は存在 した。それがカメラ・オブスクラである。それは、光を遮る函状のものに小さ な穴を開けた器機で、光が差し込むと、外界の対象が像として投影される仕掛 けになっている。この器機も写真同様、対象に忠実で、正確な映像を与えてく れるのである。しかし、両者には大きな違いがある。というのも、写真は手の 仲介無しに像を定着させることができるが、カメラ・オブスクラはそうではな い。たとえカメラ・オブスクラによって対象に忠実で、精巧な像を得ることが できるとしても、その像を定着することはできない。人の手によって、その投 影された像を写し取らなければならないのである。これこそが両者の違いであ る。ここで今一度、写真とは単に対象に忠実な像を与えてくれるレンズだけで はなく、その像の定着を可能にする印画紙から成ること、つまり、光学と化学 から成ることを再確認しなければならない。写真において、目と手に代わり、
レンズと印画紙によって像が形成される。すなわち、写真とは光の定着なので あり、絵画におけるタッチといった主観性はいっさい排除される。この意味に おいて、写真が客観的、中立と形容されるのだろう。そこに人間は介在しえな い。写真の発明以前にはこのような体験は不可能であり、それゆえ、人々は写 真に熱中したのである。
しかし、そもそも写真が科学アカデミーと芸術アカデミーとの合同会議によ って発表されたという事実からも分かるように、まさに以上のような写真の表 現方法こそがそれを芸術として認識させるのに妨げとなっていたのである。こ のような議論に関してフィリップ・デュボワなどが指摘している有名なボード レールの写真批判、つまり写真に芸術としての価値を認めず、諸科学と諸芸術 の下婢に戻れ、という議論がただちに想起されるだろう(3)。さらに、そのよう な批判が写真の基本原理であるその表現方法に由来している以上、完全に否定 することは容易でなく、発明以来、写真は様々な形で常にその批判と対面しな ければならなかったと言わざるをえない。たとえば、はっきりと写り過ぎる対 象をぼかす為に、ソフトフォーカスやゴム印画法を用い、写真の表現方法を絵 画に寄せようとしたピクトリアリスム、あるいは反対に、絵画と写真の違いを 認識し、すなわちその表現方法を再確認し、対象そのものを捕らえようとした ストレート・フォトグラフィといった写真運動を理解するには、以上のような 写真に関する背景を無視することはできないだろう。
それでは、このようなその表現方法ゆえに、写真は芸術として認められ難い という状況の中、芸術の場においてマン・レイの写真はどのように理解されて いたのだろうか。次に彼の写真に関するテクストを分析する。
同時代人によるマン・レイの写真理解
ここでは、マン・レイの写真が発表された当時、時には彼の作品を自身の作 品に用いるなど、芸術的立場において彼に近い存在である芸術家、文学者によ って書かれたマン・レイの写真を積極的に擁護するテクストを取り上げる。つ まり芸術の場において彼の写真について肯定的に言及しているテクストにおい て、どのように彼の写真が形容されていたのかを分析する。勿論それらのテク
ストは個々の書き手固有の文脈で語られていることは否定できない。しかし、
それでも、それらを以上のような写真にまつわる背景に当てはめてみたなら、
既に冒頭で述べたが、そこにはある一定の理解が導きだせるように思えるので ある。以下、彼の写真に関するテクストを主に写真の背景に沿って考察した い。
1921年、マン・レイはレイヨグラフを偶然により発見し、その翌年12枚のレ イヨグラフからなる写真集『うるわしの場』を刊行する。まず、同時代人によ るマン・レイの写真に関するテクストの分析として、『髭の生えた心臓』誌、
『レ・フィユ・リーブル』誌に掲載されたこの写真集の広告を取り上げる。エ マニュエル・ド・レコテによると、それはジョルジュ・リブモン=デセーニュ によって書かれているという(4)。リブモン=デセーニュは初めてマン・レイに ついてのモノグラフィを書いた人物でもあり、その事実から、単なる広告とい う枠を越え、当時のマン・レイの写真の位置を知る手がかりの一つとしてこの テクストを扱うことができるだろう。
マン・レイは、版型18×4cmの12枚のオリジナル写真を収めた写真集をトリスタ ン・ツァラの序文と共に『うるわしの場』というタイトルの下に出版しようとして いる。この写真集は40部刷られ、41部目には斜線の入ったネガプリントが付けられ ることになっている。写真がオリジナルな絵画作品と同一平面上に置かれるのはこ れが初めてなのである。写真の技法はここでは精神の状態を記すために使用されて おり、それが最初期の画家たちの探求とは無縁のところでおこなわれるもっとも興 味深い試みの一つたらしめている
(5)。
ここにおいて、写真は「オリジナル」という言葉によって形容され、絵画と 関係づけられている 。しかし、普通この表現は写真には滅多に用いられない 言葉のように思われる。というのも、写真に映っているのは対象でしかなく、
写真は対象の表象なのだから。たとえ写真を対象の複製、あるいは再現だと認 めることはあったとしても、それを対象から切り離し、「オリジナル」だとは 認め難いのである。しかし、この矛盾はすぐに解消される。彼によると、写真 に映っているのは対象ではなく「精神の状態」なのである。マン・レイは「精
神の状態」を撮る。それゆえ、彼の写真は単なる対象の再現ではなく、対象か ら逃れ、「オリジナル」でありえる。この意味において、デセーニュは「写真 がオリジナルな絵画作品と同一平面上に置かれるのはこれが初めてなのであ る」と言い、写真は絵画と同じ平面に位置付けられるのである。実際、彼のこ の言葉はレイヨグラフの原理からも説明できる。レイヨグラフとはレンズなし の写真であり、対象再現の原理である遠近法を捨てた写真なのである。レイヨ グラフは普通の写真とは違う。彼がレイヨグラフに興味をもったのはこの点だ ろう。レイヨグラフはカメラを使う写真と区別され、写真にも関わらず「オリ ジナル」になりうる。だからこそ、彼はそれを賞賛したのである。
続いて、コクトーによって書かれたテキストを検討する。すでに述べたよう に、コクトーはマン・レイのレイヨグラフを一枚添えた詩集、『天使ウルトビ ーズ』の豪華版を出版しており、彼はマン・レイの写真の中でも特にレイヨグ ラフに興味を示す。彼は早い時期にレイヨグラフについての記事を公開書簡と して『レ・フィユ・リーブル』誌に発表している。
ピカソ以降、私は絵画を否定しつつ絵画を使用するいくつかの探求を、関心をもち ながらも浮かない気分で見守ってきました。(・・・)あなたの図版は、対象その ものです。それは、レンズによって撮影されたものでなく、詩人であるあなたの手 によって、光と印画紙のあいだに直接置かれているのです。親愛なるマン・レイ、
おそらくさまざまな象徴に対してわたしよりもずっと開かれた人々は、(それぞれ 一つしか存在しないがゆえにあまりにも貴重な
(7))あなたのプリントのなかに夢幻 的光景や風景を見出すことでしょう…。かつて、ダゲール、ついでナダ―ルは画家 を解放しました。彼らのお陰で、模写者たちはより高貴なさまざまな試みを冒険的 に行うようになったのです。あなたは再び絵画を解放してしまった。しかし、逆方 向に。神秘的なあなたの一連の作品は、キャンバスと様々な色彩からなる極上の澱 をわが物にしようと努めているあらゆる静物画を凌駕しているのです…画家は再び 悔いることなく人間の顔を研究することが出来るようになるでしょう。そして、親 愛なるマン・レイ、あなたは画家が強く求め、それを通してピカソやジョルジュ・
ブラックの作品だけがおそらく唯一ラファエルに通じてゆくような危険な戯れの精
神を育むことができるようになるでしょう
(8)。
コクトーもまた、写真と絵画とを結びつけて語る。彼は「私は絵画を否定し つつ絵画を使用するいくつかの探求を、関心をもちながらも浮かない気分で見 守ってきました」と言い、その例としてマン・レイの図版を挙げる(9)。これが レイヨグラフを指していることは明らかである。マン・レイの図版、レイヨグ ラフは、「対象そのもの」なのであり、そして、その対象とは「詩人であるあ なたの手によって、光と印画紙のあいだに直接置かれている」というのである。
彼の言葉もレイヨグラフの原理から説明できる。レイヨグラフはレンズを捨て た写真であるので、印画紙に対象の反射光を定着させるのではなく、手で印画 紙の上に直接対象を置き、それに光を当てなければならない。それゆえ、レイ ヨグラフは「対象そのもの」であり、なおかつ、それに反する「手」をそこに 見つけることができるのである。レイヨグラフにおいて、異質なものが共存し える。この意味において、コクトーはレイヨグラフを写真における、正確に言 うなら、写真にもかからわず、直接的な手の介入として理解したのではないの だろうか。「直接的に」「詩人の手によって」置かれる「対象そのもの」に注目 した彼は、レイヨグラフをレンズから人間の手への移行と考えたのではないの だろうか。
そして、コクトーはまた、写真が絵画にもたらした影響、あるいは写真と絵 画の関係について述べる。発明以来、写真の精密な対象描写は我々を引き付け、
写真はそれを自らの役割とすることになった。この状況について、コクトーは
「かつて、ダゲール、ついでナダ―ルは画家を解放しました」と述べ、「模写者 たちはより高貴なさまざまな試みを冒険的に行うようになったのです」と結論 付ける。つまり、 対象に忠実な再現は写真に任かせ、画家はさらに「高貴な 試み」、絵画に固有な試みとも言えるものを探さなければなくなったというわ けである。彼は写真と絵画の関係を以上のように、対象に忠実な写真が絵画を 対象の再現から解放してくれたと考えるのである。しかし、コクトーはマン・
レイの写真と絵画の間にそれとは別の関係を見つける。彼は言う。「あなたは 再び絵画を解放してしまった。しかし、逆方向に」。コクトーにとって、マ ン・レイの写真は「キャンバスと様々な色彩からなる極上の澱をわが物にしよ うと努めているあらゆる静物画を凌駕」しており、すなわち、それは単なる対 象の再現ではない。「あなたの図版は、対象そのものです。それは、レンズに
よって撮影されたものでなく、詩人であるあなたの手によって、光と印画紙の あいだに直接置かれているのです」と述べるように、彼は、マン・レイの写真 とは「対象そのもの」を「詩人の手」によって、言ってよければ別の角度から 見せ、それについて改めて考えさせてくれるものとみなしたのではないのだろ うか。マン・レイの写真は「直接的」に対象をもう一度捕らえ直すのである。
それゆえ、彼の写真は絵画の「逆方向」の「解放」を意味する。彼の写真によ って、画家は再び対象に向き合う。しかし、その時、ピカソやブラックの絵画 がそうであるように、絵画はもはや単なる対象に忠実な再現ではないのである。
マン・レイが写真において、「詩人の手」によって置かれた「対象そのもの」
を見せてくれたように、それはまた画家が対象に向かい、「再び悔いることな く人間の顔を研究すること」を可能にしてくれるというわけである。コクトー はここに、絵画を逆方向に解放した写真、つまり写真と絵画の新しい関係を見 つけるのである。 しかし、以上のように、彼の写真は絵画を「逆方向」に
「解放」するが、それは同時に、当初写真に任された役割、つまり、単に対象 に忠実で正確な描写であることから写真を解放することも意味するだろう。絵 画を「逆方向」に「解放」する彼の写真は、従来の写真を「逆方向」に「解放」
する写真でもあるのである。
続いて、『パリ新聞』紙に寄せられたマン・レイについてのロベール・デス ノスの記事を扱う。デスノスは、マン・レイ、あるいは彼の芸術に迫る為に、
画家、彫刻家、あるいは写真家といったカテゴリーに従ってマン・レイを分割 し、語る。ここでは、写真とレイヨグラフに関係する箇所を取り上げ、考察す る。
写真家としてマン・レイは、芸術的デフォルマシオンにも<自然>の単なる模写に もまったく依存しない。あなたの平面とあなたの凹凸はあなたに、あなたの知らな い誰か、あなたが夢の中であえてかいま見ようとはしなかった誰かを顕現させるだ ろう。新しいあなた自身が、実験室のあかい微光に照らされて化学者のデリケート な手の間に出現するだろう。それは外気に触れると夜鳥さながらまばたきするだろ う。
マン・レイの創作品、大胆きわまる構図に太陽光線のスペクトルを関与させるあの
抽象的<写真>を指す言葉はまだない。子供の頃われわれは日光にさらされたクエ ン酸塩紙に手を浮き上がらせたものだった。この素朴な手法から始めて、彼は地球 とはまったく異なる景色を創り出すことに成功した。聖書がかつて予見していた以 上に、カオスは驚くべきものだということが分かる。奇跡はなんなくここに定着さ れ、さらにまた奇跡とは別の何かが、啓示をもたらす印画紙にその親指の不安な刻 印を残す
(10)。
まず始めに、普通の写真、つまりカメラを用いる写真について書かれた部分 に注目したい。確かに、それが写真であるかぎり、実際に両者をくらべて分か るように、写真が対象と類似していることを否定することは難しい。しかし、
デスノスは「写真家としてマン・レイは、芸術的デフォルマシオンにも〈自然〉
の単なる模写にもまったく依存しない」と言う。彼は写真の特性上必然とも言 える「〈自然〉の模倣」を否定するのである。しかし、だからといって彼はマ ン・レイの写真を対象と似ていないとは言わない。彼はその対極とも言える
「芸術的デフォルマシオン」も同時に否定するのである。写真が対象と似てい るという事実は否定し難いので、デスノスはマン・レイの写真を賞賛する為に 対象との非類似性に助けを求めない。その代わりに彼はこれら両者を否定する ことによって、マン・レイの写真を特別な存在として位置付ける。「新しいあ なた」が「出現する」と続くように、マン・レイの写真は対象には似ていない が、かといって対象と全く違うというわけでもない「新しさ」として提示され るのである。さらに、デスノスによるとそれは「化学者のデリケートな手の間 に出現する」と言う。ここに一つの矛盾が浮上する。彼は確かに写真の化学性 を認めているが、先にも述べたように、化学作用による光の定着である写真は 原理的に手は介在しえないにもかかわらず、「手」という言葉を付け加えるの である。彼はこの言葉を使うことによって、写真に作者の役割、あるいはその 存在を与え、マン・レイの写真を従来の写真、つまり化学的な写真と区別しよ うとしたのではないのだろうか。彼が言う「新しさ」の出現は暗室における化 学者の手によって、つまりはマン・レイの手によって初めて可能なのである。
続いて、レイヨグラフについて書かれた部分に注目したい。繰り返しになる が、レイヨグラフとはカメラなし、すなわちレンズなしの写真であり、もはや
対象を再現しない。それゆえ、ここにおいてデスノスは「これら〈抽象的〉な 写真」と形容するのを躊躇しない。さらに、デスノスは「彼は地球とはまった く異なる景色を創り出すことに成功した」と続ける。彼はレイヨグラフを単な る対象の再現ではないと考えているのである。このレイヨグラフに関する記述 が写真は対象に忠実であるという概念と対立しているのは明らかであろう。
「奇跡はなんなくここに定着され」と続けるように、対象に忠実ではないレイ ヨグラフは、彼にとって「奇跡」として現れる。そして、最後に彼は言う。
「さらにまた奇跡とは別の何かが、啓示をもたらす印画紙にその親指の不安な 刻印を残す」。つまり、マン・レイの写真、あるいは彼のレイヨグラフを通し て、デスノスは、それらの印画紙の上に、次々と「新しさ」、「抽象」、「奇跡」
を見つけ、そして最後には、もはや対象に忠実かどうかという価値判断を越え た「刻印」を見つけるのである(11)。
最後にブルトンが書いたマン・レイについてのテクストを扱う。ブルトンは
『シュルレアリスムと絵画』で彼の写真について以下のように述べる。
だがこの印画なるものは、ある特別な暗示力にめぐまれてはいるにしても、結局の ところ、私たちがのこしておきたいと思うような、まもなく消えてゆく何かの忠実 な映像だというわけではない。現実の事物の純然たる模倣という点で写真よりもは るかに遅れをとった絵画が、すでに見たとおりみずからの存在理由の問題にとりく み、解決にいたろうとしていたとき、最良の画家の列にも加えられるひとりの完璧 な写真技師があらわれることは必然だった。彼の関心を占めていたのは、一方では、
写真の要求しうる正確な境界を定めるということであり、他方では、写真の発明の 目的だと思われていたものとはちがう目的のために、またとくに、絵画が絵画用に とっておけると信じていたあの領域の探索を写真用に、しかも写真固有の手段の枠 内で追求することのために、この写真なるものを役だてるということであった。そ んな人間であることはマン・レイの幸福だった
(12)。
ブルトンが「だがこの印画なるものは、ある特別な暗示力にめぐまれてはい るにしても、結局のところ、私たちがのこしておきたいと思うような、まもな く消えてゆく何かの忠実な映像だというわけではない」と言うように、彼もま
た、写真とはもはや対象の単なる再現ではないと考え、対象との類似性を否定 する。それゆえ、ここにおいてもまた、写真は絵画と関係付けられる。その時、
写真の発明時において絵画が抱えた問題は写真の新たな動向と重ね合わせて考 えられるのである。まず、彼は写真の発明以後の絵画について、「現実の事物 の純然たる模倣という点で写真よりもはるかに遅れをとった絵画が、すでにみ たとおり自らの存在理由の問題に取り組み、解決にいたろうとした」と述べ、
絵画は対象の模写、再現を写真に任せ、独自の道を歩み出したと説明する。そ して、絵画が写真から離れていく時、「最良の画家の列にも加えられるひとり の完璧な写真技師があらわれることは必然だった」と言うように、写真におい てもまた新たな目的が必要であり、今度は写真が絵画に近付けられる。写真は 写真でありながら、絵画と同様に、あるいは絵画と同様の新しい役割を見つけ ならなければならなかったのである。写真は絵画の領域に入っていく。彼に従 うなら、マン・レイにはそれが可能だった。またしても、ここでマン・レイの 写真は絵画に寄り添う写真として理解されているのである。
確かにこれらのテクストは恣意的に選ばれたと言えるかもしれない。しかし、
それでもなお、複数のマン・レイの写真について書かれたテクストが、ある一 定を解釈を共有しえるという事は否定できない事実であろう。マン・レイの写 真が芸術の場において肯定的に言及される時、そこには奇妙な共通点が存在す るのである。彼の写真は写真の表現方法を否定するような言葉、写真の対象と の類似性を否定する「オリジナル」、「忠実でない」、「抽象」という言葉、ある いはその化学性を認めながらも同時に、写真は人為によらないというその化学 性を否定する「手」、または人為を要する「絵画」といった言葉によって形容 されているのである。つまり、以下の通りである。マン・レイの写真は対象に
「忠実ではなく」、時には、「絵画」と同じく「オリジナル」でありうる。それ ゆえ、もはや化学によって単に対象を再現するのではなく、それは画家同様、
人間の「手」によって作り出されると言いえる。彼の写真は、その表現方法に 反するものとして、そして既存の芸術、「絵画」に寄り添うものとして理解さ れているのである。勿論、引用したテクストには広告や序文が含まれており、
純粋な立場から彼の写真について言及しているとは言えないかもしれない。し
かし、それでもなお、そこにおいて上で挙げたような言葉、写真の表現方法に 反し、絵画に寄り添わせる言葉が用いられているということには変わりない。
すなわち、彼の写真は従来の写真批判に対抗するものとして理解されているの であり、それに対抗するがゆえに、彼の写真は芸術の場で語ることが可能であ り、芸術でありえるというわけである。
マン・レイ自身による写真理解
確かに、上で分析したように、マン・レイの写真においても、写真の表現方 法を否定するものとして、彼の「手」による技術を確認することができる。実 際、コクトーがレイヨグラフについて述べたように、レイヨグラフやソラリゼ ーションを写真の表現方法に今一度「手」を介入させる写真と解釈することも 可能だろう。いや、そうでなくとも、「普通」の写真においても、彼はそこに 偶然性を認めず、またカメラの機能に頼ることなく(13)、それを自身の技術によ って支配しようとする。たとえば、ソラリゼーションは偶然から生まれたのだ が、彼の助手であり、恋人でもあったリ−・ミラーが「この偶然も予想通り結 果を得られる様な方法を研究したのは、マン・レイの仕事だった(14)」と述べる ように、それはもはや偶然によっては得られない。それを操る彼の技術によっ て得られるのである。また、キャサリン・ドライヤーに宛てた手紙の中で、彼 自身も写真に対して「いつの日にかぼくは、科学的な器械が何かあるつよい癖 をもつような不安定な状態をなくしたい(15)」とはっきり述べている。たとえ写 真が化学的で人為によらないとしても、そこに付け加えられた技術を彼の作品 の中に見つけることができるだろう。つまり、同時代人達がそうしたように、
従来の写真批判に対抗するもとのとして、マン・レイの写真を評価するという わけである。しかし、実際はそうではない。確かに彼は写真の偶然性を否定し、
カメラの機能に頼ることもなく、それを操る為の技術を認めるが、しかしなが らそれは写真の表現方法に逆らう為の切り札として持ち出したりしない。とい うのも彼は写真に「個性」を認めないのである。彼は言う。
いつかは発見され、認められるものと確信して、絵画は無理解や怠惰の中におかれ
ていてさえも待つことができる。それにひきかえ、写真は実在としての地位を確保 しなければ、その力を永遠に失ってしまう。色褪せた印画ほど哀れを感じさせるも のはない。古いフィルムを、古くてすばらしいフィルム、莫大な努力とおびただし い犠牲を要したフィルムを再び取り上げようとの試みが行われた。しかし、私たち はそれらのフィルムが捕えられない過去、現在まで延長できない過去のものである ことに気づいた。それゆえに、写真は現在の社会に属するものだから、直接その時 代のために作られていることを認めなければならない。この必然の前では、撮影者 の個性は二次的なものとなる。彼の時代を見る眼の鋭さはメッセージの力を増大さ せ得るが、このメッセージを詩人や画家の自由を持てない写真家の個性と混同して はならない
(16)。
たとえそれが時代の影響を受けようとも、絵画は時間が経った後でも、画家 によって形成された一つの世界として見ることができる。しかし写真は違う。
「色褪せた印画紙ほど哀れを感じさせるものはない」というように、写真は必 ず対象を要し、それゆえ「現在の社会」に属するものであると、マン・レイは 考える。その意味において、「撮影者の個性は二次的」なものなのである。つ まり、対象を写す写真とは、「時代を見る眼のするどさ」によって「メッセー ジの力を増大」させるものなのであり、その「メッセージ」は「写真家の個性」
と区別されるのである。というのも、先にも述べたが、写真は「客観的」「中 立」と形容されるように、その表現方法ゆえに写真には「個性」を見つけるこ とができない。絵画において見られるような画家のタッチといった主観性、あ るいは「個性」は写真にはないのである。確かにマン・レイは「技術」を認め る。しかし、彼はそれによって、「個性」を主張したりはしない。彼は写真の 表現方法を否定しないのである。「メッセージ」と「写真家の個性」を区別す るように、彼は写真に出来る事を正確に自覚している。実際、「写真とは、結 局9割がた機械であり、絵を描くよりはずっと精密な計算がいる(17)」と述べ、
更に「写真はたんに計算の問題であり、あらかじめ予想していたものが手に入 ったのにたいして、絵画はひとつの冒険であり、なにやら得体のしれない力が 事の全体の様相を突然に変えてしまうかもしれなかった(18)」と述べ、優劣では なく、彼は写真と絵画を区別する。マン・レイは写真を「機械」だと認め、そ れに必要なものは「計算」であり、それは「ひとつの冒険」で、「得体のしれ
ない力が全体の様相を変えてしまう」絵画とは違うとはっきり述べる。彼によ れば、写真とは一つの独自のシステムを有しており、手が織り成すものとは別 なのである。彼にとって、写真と絵画は各々違う領域を有している。
彼の写真を擁護してくれた同時代人の言葉が虚しく響く。手が介入するイメ ージが伴われ、絵画に匹敵するものとして彼の写真は理解され、それゆえ、そ の価値を認められ、擁護されてきたにもかかわらず、彼は技術を介し、写真を 絵画に寄り添わせようとはしない。彼は従来の写真批判に対抗させることによ って写真を擁護しはしないのである。ここに、同時代人とは全く違う写真に関 する言説を認めざるをえない。実際、従来の写真批判に対抗させる方法によっ て写真を語るのを拒否する。マン・レイはインタビューで、髭をはやし、ベレ ー帽をかぶった自分の写真について、「誰が撮影したか覚えていますか」とい う質問に対し、「『誰が写真を撮ったのか』というきみの質問の意味が分からな い。写真機かね。シャッターを押した人物かね。私が写真にあるようないでた ちをして、カメラから二メートル離れたところでポーズをとるとして、写真を 撮ったのは、カメラをかまえていた人物だろうか(19)」という質問で返し、更に 続ける。
写真学校で教えていた時、生徒たちが最新式のカメラで三〇×四〇の写真を撮り、
素晴らしい焼き付けをもってやって来ると、私はあえて言ったものだ。「君の写真 はとてもよくできている。申し分ない。でも、これを撮ったのは君じゃない。顔の 染みひとつにいたるまで写せるようなレンズの成分を、九年もかけて割り出したカ ール・ツァイス教授だ。それと君のセンス。それがすべてだ」。最近、私が写真
(photo)を放棄したといって非難する人がいる。私は写真(photo)を捨てたわけじゃな い。写真(photographie)という言葉を放棄したのだ。これは同じことではない。作家 が自分のタイプライターについて語らないのと同様、私は写真(photographie)につい て語りはしないのだ
(20)。
まず、この写真についての「誰が」という質問の意味を考えなければならな い。そもそも、芸術家が自身の作品を紹介する時、「誰が」と質問されること はないだろう。しかし、写真にはこの種の質問が常に付きまとう。というのも、
絵画や彫刻と違って、写真は化学的な光の定着であり、シャッターを押した、
あるいは現像をした、つまりそれに技術を施した人か、それとも単に光学と化 学によって像が定着されたにすぎないのか、誰がそれを製作したのかを厳密に 問うのは難しいように思われるからである。それゆえ、この「誰が」という質 問の意味を、芸術作品において技術を重視し、それを写真の表現手段と対立さ せることによって写真を撮った人物をその作者に仕立て上げようとしていると 解釈できるだろう。写真の価値を、作者の断片を、それを実現化する手による 技術に求めるのである。しかし、マン・レイはそのようなことに全く興味を示 さない。実際、彼は「人々は尋ねてくるのです、『あなたがこの映像を撮った のですか』と。当然、―たとえ見知らぬ人がシャッターを押していたとしても
―、私がその写真を撮ったのです。人は建築家に自らの手で自分の作品を建て たかなどと尋ねたりしないものでしょう。作曲家に対して譜面に書いた曲全て を自ら演奏しているかどうかなど尋ねたりしないのと同様にね」(21)と述べる。
彼は写真の表現方法を認めた上で、そこに施された技術を写真の撮影者から切 り離す事も躊躇しない。写真における施された技術によってかろうじて証明さ れる作者の幻影を打ち砕く。「私は、もはや自分では写真機に触れることはな いのです。映画監督が自らキャメラに触れることがないのと同様にね」(22)とさ え述べるように、たとえカメラから離れ、レンズの前でポーズを取っていたと しても、つまり、たとえそれに技術を施していなくともやはりそのポートレー トは彼が撮ったのであり、それは彼の作品なのである。それゆえ、彼はphoto とphotographieをわける。グラン・ロベール辞典によると、photoは第二の定義 において「写真映像」、photographieは第一の定義において「光の作用によって 印画紙の表面に対象の持続的な像を得ることを可能にする技法」とある(23)。マ ン・レイもまたこの定義通りにこれら二つの言葉を使い分けていたのではない のだろうか。彼は写真を従来の写真批判に対抗させない。この意味において、
彼はphotographieについて語る事を放棄するが、しかしそれはまたphotoを捨て た事にはならないのである。
以上のように、写真に関するマン・レイの言説を解釈するなら、ここにおい て、一見すると彼流の皮肉、単なる冗談のようであり、あるいはしばしば字義 通り魅力的ではないと形容される彼の写真集『写真は芸術ではない』を、従来 とは違った風に理解できるだろう(24)。この写真集は12枚の写真からなり、ポー
トレート、風景写真、モード写真、レイヨグラフなどありとあらゆるジャンル を含んでいる。そして、それら写真の下には各々一風変わったタイトルが見つ けられる。たとえば顕微鏡で撮られた微生物らしき写真には、「乞食が手に入 れた手帳」、害虫から守るために袋を被せられた果物の木の写真には、「ファッ ション写真・冬のコレクション」というタイトルが付けられている。ここにお いて、写真に施された技術に感銘を受けるというような写真の見方はもはやで きない。タイトルが写真の見方を導いてくれるのである。タイトルによって、
マン・レイは彼が何を撮ったかを、言ってみれば彼の写真のからくりを特別に そっと教えてくれる(25)。彼は『写真は芸術ではない』において、写真の一つの 見方を提示する(26)。それは、「どうやって」撮ったかではなく、彼が「何を」
撮ったか、あるいは、「どうして」それを撮ったかに注目させる方法なのであ る。写真は従来の写真批判という呪縛から解放される(27)。
また、以上の『写真は芸術ではない』に関する解釈は別の例を持っても補足 できる。マン・レイはこの写真集を刊行した後、同タイトルのテクストを『ヴ ュー』誌で発表している。そこで、彼は「大文字の芸術家先生は、まるで誰一 人自分以前に入りこんだ者のいない領域に自分は入りこんだとの錯覚を抱くこ とができる。芸術家先生はそこで必然的に、もはや自分にしか語りかけない一 個の新しい美を発見するにいたる。こうして彼は真に自然を模倣する。という のも、名誉ある様式による繰返しが大切なのであり、繰返しこそが自然の摂理 なのだ。ただ一つ、彼は恒久不変性に恵まれた作品を作りたいである。言い換 えれば、大文字の芸術家先生が、自分のインスピレーショインの源をおしかく しておくのに必要な力量、それが彼のオリジナリティの尺度なのだ(28)」と述べ る。これは、ただ上手に対象を再現することに注意を払い、その技術に重点を 置く従来の芸術に対する彼流の痛烈な批判である。マン・レイは写真を芸術に する前に、今一度、芸術とは何かを問う。写真集の『写真は芸術ではない』で 彼は何を撮ったかをタイトルによって示し、間接的に芸術とは何かという問い を提示したが、テキストの『写真は芸術ではない』ではそれを正面から改めて 問うのである。実際、後に彼は「写真は芸術ではない」というこの言葉を少し 言い改める。晩年にまた同じく「今でも写真は芸術ではないと思っています か?」という質問に彼は「私は芸術一般が分からない」と言い、続けて「思う
に、昔の巨匠が素晴らしい写真家であった、もっともそれは写真が発明される までだったが。芸術とは写真ではない。そのほうがずっとやっかいなのだが(29)」 と答える。写真に関するマン・レイによる言説は、芸術に関する問題と呼応し ている。彼の写真に関する言説は、写真が芸術であるか否かではなく、反対に 芸術とは何かを問うていたのであり、写真集『写真は芸術ではない』でマン・
レイが言わんとしている事を単なる冗談ではなく、彼の芸術に対する態度とし て真摯に受け止めることができるだろう。すなわち、写真(photo)ではなく、
『写真(photographie)は芸術ではない』のである。
写真を巡り、同時代人とマン・レイとの言説の間に見られた大きな隔りは、
写真が芸術である為の各々違う二つの選択を意味している。一方は彼の写真を
「芸術」にする為の言説であり、他方は写真を芸術にするのではなく、「芸術」
そのものあり方を問う言説なのである。
結論 ─「芸術」を巡るキャプションとしての言説 ─
以上、同時代人によるマン・レイの写真に関するテクストとマン・レイ自身 による写真に関するテクストを通して、それらの開きから、写真が芸術である 為の二つの方法を見てきた。しかし、写真集『写真は芸術ではない』の序文は ブルトンによって書かれているのだが、それは大変興味深い。というのも、彼 はそこでもはや写真の表現方法について全く語っていないのである。彼は言 う。
そうなのだ、これがマン・レイだ。魔法のランタンの頭を持つ男なのだ
(30)。
彼はただマン・レイの頭、何を撮るのか、という考えが詰まっており、あた かも「魔法のランタン」のように、様々なものを見せてくれる彼の頭を指し示 す。ここにおいて、ブルトンとマン・レイの写真に対する考えは一致する。そ の時、写真を芸術にする為に、写真は既存の芸術に寄り添わされはしない。写 真の表現方法は問われないのである。
しかし、このようなブルトンの歩み寄りには何も驚くことはない。というの
も、マン・レイの写真に対する彼の態度に揺れを見る事ができるのである。
1934年にマン・レイの写真集『フォトグラフィス 1920—34』に寄せられた
「女達の顔」と題されたテクストを見てみよう。
さらに必要であったのはほかでもなく、もっとも広大な造形美術の領域におけるマ ン・レイの感嘆すべき経験である。これは、あまりにしばしばある一日ないし数日 間の類似でしかない、そうした直接的な類似の彼方に、身体的にも精神的にも生成 のすべてを拘束する深い類似をあえて狙うものだ。愛する人の肖像は、ほほえみか ける似姿であるばかりでなく、訪ねかけるひとつの信託でなければならない
(31)。
ここにおいてブルトンは写真に「類似」を認める。彼は手の介在、写真に付 け加えられる技術による非類性を持ち出し写真の表現方法を否定しはしないの である。ただし、それには条件がある。彼は「直接的な類似の彼方」に「深い 類似」を求めるのである。「直接的」なものから「深い」ものへと移行するよ うに、「類似」は簡単には認められない。しかしそれは写真の表現方法を否定 する為に非類似性を写真に求めるのではなく、写真の表現方法を認めた上での、
いや認めるからこそ採ることを余儀なくされた苦肉の策なのである。そもそも、
このような写真の表現方法を認める彼の発言は当然とも言える。というのも、
1921年のマックス・エルンスト展のカタログで、「写真の発明は絵画における
様々な旧来の表現方法に壊滅的な打撃を与えた。それは19世紀末にあらわれた 自動記述が思考の真の写真になったとき詩に与えた打撃に等しい(32)」と述べて いるように、彼は写真の表現方法を絵画に打撃を与えるものとして、それゆえ、
既存の芸術の表現方法に還元することなく、それを新しいものとして認めてい たではないか。彼は写真の表現方法をかばい、それを絵画に当てはめることに よって、写真を賞賛したりはしていないのである。
更に言うなら、写真が芸術の場で扱われる場合、写真の表現方法を認めると いう事はすでに実践されていた。ブルトンは『シュルレアリスムと絵画』にお いて、「いったいいつになったら、すべての価値ある書物がデッサンの挿絵を 使うことをやめ、写真図版だけをそえて刊行される時が来るのだろうか?(33)」 と述べたが、実際、彼は『ナジャ』、『狂気の愛』においてマン・レイの写真を
含む数多くの写真を採用したのである。また、ブルトンが深く関わった雑誌、
たとえば『シュルレアリム革命』誌、『ミノトール』誌、『革命に奉仕するシュ ルレアリスト』誌において、マン・レイの写真を含む多くの写真は、殆どの場 合、同じように、タイトルや図解という形式を取っていたのである。芸術の場 において、写真を図版として使うことで、マン・レイが『写真は芸術でない』
で示したのと同じように、「どうやって」ではなく「何を」撮ったのかが実質 的に示されていたのである。写真という新しい表現方法が芸術作品として認め られるのである。つまり以上のような芸術の場における写真の扱い方から、新 しい表現方法としての写真がそのまま芸術としての理解されていることが確認 できるだろう。
以上のように、改めて芸術の場における写真についてのブルトンの言説と、
彼の実際の写真の扱い方を考察すると、一つの新たな事実が見えてくる。つま り、ブルトンによるマン・レイの写真についてのテクストと、彼自身による写 真についてのテクストの間ではなく、むしろ、ブルトンの芸術の場における写 真についての言説と、その場における実際の写真の扱い方の間にこそ開きがあ るのではないのだろうか。いや、それはブルトンに限るということではない。
というのも、同世代人のテクストも、たとえ、それを「オリジナル」「忠実で はない」「手」「絵画」「抽象」という言葉で否定したとしても、やはりその中 で「化学」という言葉が何度か現れているように、彼等もまた、その表現方法 を、ある段階において認めていたのかもしれない。しかし、写真を「芸術」と して語る時、彼等はまだその為の言葉を持っていなかった。いや、それを芸術 にする為には言葉が必要だった。それが、従来の写真批判に対抗させ、既存の 芸術に寄り添わせる言葉だったのではないのだろうか。写真を芸術として語る 時、それらの言葉をあてがうしかなかった。写真をそれらの言葉で武装し、
「芸術」にして送りだすしかなかったのである。
ヴァルター・ベンヤミンは「標題は写真の一部分、そのもっとも本質的な部 分になるのではないか(34)」と言う。彼はマン・レイ、あるいはその同時代人が 芸術の場において実際に写真を扱ったように、写真にはそれに説明を与える標 題が必要だと述べるのである。しかし、具体的に一枚一枚の写真に添えられた キャプションの他に、以上分析してきた写真に関する言説もまた、それまでに
存在しえない一つの発明であった写真というジャンルについての大きなキャプ ションだと考えられはしないだろうか。これら写真についての言説はそれぞれ、
既存の芸術を逸脱した写真に向けられ、それを説明しようとしたキャプション としての機能を指向していたのである。
注