『
金 綱 集
﹄ ﹁ 禅 見 聞 ﹂ に お け る 二 ︑ 三 の 考 察
袂 袒 作 成 年 代 と 禅 の 分 類 に つ い て 袂 袒
古 瀬 珠 水
仙石 山仏 教学 論集
第7 号︵ 平成 年︶ 26 Sengokuyama Journal
of Buddhist Studies Vol. VII, 2014
『
金 綱 集
﹄ ﹁ 禅 見 聞 ﹂ に お け る 二 ︑ 三 の 考 察
袂 袒 作 成 年 代 と 禅 の 分 類 に つ い て 袂 袒
古 瀬 珠 水
はじ めに
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ につ いて は︑ 中條 暁秀 氏が
﹃日 蓮宗 上代 教学 の研 究﹄
︑第 四章
﹁金 綱集
﹂の 研究
﹄︑ 第三 節
﹁﹁ 禅見 聞﹂ の検 討﹂ のな かで
︑﹁ 禅見 聞﹂ の構 成︑ 引用 経論 釈及 び﹃ 日蓮 遺文
﹄と の関 係な どに つい て発 表さ れ てい る(1)
︒ま た︑ 夙に 石川 力山 氏が
﹁日 蓮の 禅宗 観袞
﹃金 綱集
﹄に おけ る禅 宗批 判の 根拠 とそ の史 料袞(2)
﹂を 発表 さ れ︑
﹃金 綱集
﹄に は﹃ 見性 成仏 論﹄ から の長 文の 引文 があ るこ とを 指摘 し︑
﹃金 綱集
﹄は 日蓮 宗の 禅宗 批判 の史 料 にと どま らず
︑禅 宗思 想史 とな りう る可 能性 を提 示さ れた
︒筆 者は
︑上 記︑ 石川 氏の
﹃見 性成 仏論
﹄に 関す る指 摘に 基づ いて 金沢 文庫 蔵﹃ 見性 成仏 論﹄ と﹃ 金綱 集﹄
﹁禅 見聞
﹂に 記述 され た︵﹃ 見性 成仏 論﹄ の一 部の
﹁︶ 見性 成 仏義
﹂を 比較 検討 し︑ 両者 の内 容は ほぼ 同じ であ るが
︑諸 所細 かな 語句 の異 同な どが ある こと を発 表し た(3)
︒ま た︑
﹃金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける
﹁見 性成 仏義
﹂︵
﹃見 性成 仏論
﹄︶ の扱 いが
︑達 磨三 論と 共に
﹁禅 祖師 頌筆 等事
﹂の 項 目に 掲載 され てお り︑
﹃見 性成 仏論
﹄が 日本 の禅 祖師 のテ キス トと して 重要 視さ れて いた 点を 指摘 した
︒ 本稿 では
︑﹃ 金綱 集﹄
﹁禅 見聞
﹂で 扱う 禅ま たは 禅宗 につ いて 考察 し︑
﹃金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ の書 かれ た時 代︑ 及 び日 蓮宗 によ る禅 また は禅 宗の 分類 につ いて 論じ る︒
︵尚
︑﹃ 金綱 集﹄
︑﹃ 日蓮 遺文
﹄な どの 資料 は︑ 読み やす いよ うに 漢 仙石 山仏 教学 論集 第七 号 平成 二六 年二 月
一
字と ひら がな 交じ りの 訓読 文に 変え た︒ また 必要 に応 じ︑ 送り 仮名 など は︵
︶で 示し た︒
︶ 一︑
﹁禅 見聞
﹂の 作成 年代
『金 綱集
﹄は 日蓮 の弟 子日 向︵ 一二 五三 袞一 三一 四︶ によ って 書か れた もの と理 解さ れて いる(4)
︒し かし
︑日 向の 筆に よる もの は現 存せ ず︑ 後の 日蓮 宗の 僧侶 たち によ って 書写 され てい るこ とが 明ら かに なっ てい る︒
「禅 見聞
﹂に は﹁ 南北 二種 禅事
﹂の 中に
﹁糟 頭宗 には 正法 眼蔵 とて 六十 巻の 論を 読学 す﹂ とあ る︒ かつ て筆 者 は︑
﹃正 法眼 蔵﹄ 六十 巻は 義雲 によ り一 三二 九年 に編 纂さ れて いる ので
︑一 三一 四年 に亡 くな って いる 日向 が見 るこ とは 不可 能で はな いか
︑と 指摘 した(5)
︒し かし
︑江 戸時 代の 曹洞 宗の 学僧
︑乙 堂喚 丑︵ 袞一 七六
〇︶ の義 雲編 集説 を否 定す る﹃ 正法 眼蔵 続絃 講義
﹄な る著 書も あり(6)
︑﹃ 正法 眼蔵
﹄六 十巻 は︑ 十三 世紀 半ば に編 集さ れて いた とも 考え られ
︑日 向が 六十 巻本 につ いて 知っ てい たと して も問 題が 無い と言 える
︒ とこ ろが
︑﹃ 正法 眼蔵
﹄六 十巻 の記 述の 前に は︑ 以下 のよ うな 臨済 宗と 曹洞 宗が 互い に批 判す るよ うな 文言 が 書か れて いる
︒
「佛 法房 渡唐 之時
︑如 靜禪 師に 値て
︑之
︑相 傳な り︒ 臨齊 糟頭 二ケ と出 すは 是な り︒ 臨齊 には 糟頭 を咲
︵ひ
︑︶ 糟頭 には 臨齊 を謗 ず︒ 臨齊 には 一千 七百 之公 案を 宗と す︑ 糟頭 録に 繫る ると 咲︵ ふ︶ なり
︒糟 頭宗 には 正法 眼蔵 とて 六十 巻の 論を 読学 す︒ 此の 糟頭 の弟 子に 頭笇 と云 う者 あり
︒糟 笇頭 笇と 云う 是な り(7)
︒﹂
「禅 見聞
﹂の 筆者 は︑ 臨済 宗を
﹁臨 齊宗
﹂︑ 曹洞 宗を
﹁糟 頭宗
﹂と 表記 して いる
︒ま た︑
﹁︵ 本寂 曹︶ 山と 洞山
︵良 价︶
﹂を
﹁糟 笇頭 笇﹂ と当 て字 を使 って いる
︒臨 済宗 の表 記に 関し ては 大き な違 和感 を持 たな いが
︑曹 洞宗 に つい ては
︑誤 って 表記 した とい うよ りも
︑何 か曹 洞宗 を見 下し て当 て字 を使 って いる よう にも 思え る︒ その 曹洞 宗が 臨済 宗に 対し
︑公 案を 教え の中 心と して いた こと を﹁ 咲わら
って いた
﹂と いう が︑ 日蓮 宗の 作者 から みれ ば︑ そ
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける 二︑ 三の 考察
︵古 瀬︶
二
の曹 洞宗 も﹃ 正法 眼蔵
﹄六 十巻 を読 んで 学ん でい たと ある から
︑両 派と も不 立文 字と 云い なが ら︑ 禅を 文字 から 学ん でい たこ とを 揶揄 して いる のか もし れな い︒ とこ ろで
︑日 本に おい て臨 済宗 と曹 洞宗 がお 互い 宗派 意識 が高 まり
︑批 判す るよ うに なっ たの は︑ 少な くと も 日向 存命 中の 十三 世紀 から 十四 世紀 初め では 考え にく い︒ 例え ば︑ 瑩山 紹瑾
︵一 二六 八袞 一三 二五 な︶ どは
︑臨 済 宗東 福寺 の東 山湛 照︵ 一二 三一 袞一 二九 一︶ や白 雲慧 暁︵ 一二 二三 袞一 二九 七︶
︑紀 伊の 無心 覚心
︵一 二〇 七袞 一二 九 八︶ に参 学し てい る︒ また
︑そ の覚 心は 道元 を尋 ね菩 薩戒 を受 けて いる
︒十 四世 紀中 ごろ まで
︑僧 侶た ちは 宗派 など に捉 われ ず︑ お互 いに 交流 して いた こと は明 らか であ る︒ つま り︑
﹁禅 見聞
﹂は 臨済 宗と 曹洞 宗の 関係 記述 から は日 向に よっ て著 され たと は︑ 考え 難い ので ある
︒ また
︑﹁ 禅見 聞﹂ には
﹁禅 祖師 頌筆 等事
﹂の 項目 に﹁ 見性 成仏 義﹂ が長 文に わた って 掲載 され てい る︒ 金沢 文 庫蔵
﹃見 性成 仏論
﹄︵ 内題 は﹁ 見性 成佛 義序
﹂︶ の奥 書に は﹁ 永仁 五年 八月 四日
﹂︵ 一二 九七 の︶ 年月 日が 記さ れて お り︑ 恐ら く書 写年 代と 考え られ るが
︑﹃ 金綱 集﹄
﹁禅 見聞
﹂の 推定 年代 より 半世 紀ば かり 遡る
︒﹁ 禅見 聞﹂ の﹁ 見 性成 仏義
﹂と 金沢 文庫 蔵﹃ 見性 成仏 論﹄ では 本文 中に 表記 の違 いが あり
︑異 なっ た親 本の 流布 系統 が推 測さ れる が︑ 半世 紀以 上前 に作 成さ れた 禅宗 のテ キス トが 長く 読ま れて きた もの と類 推さ れる
︒但 し︑
﹁見 性成 仏義
﹂が 臨済 宗ま たは 曹洞 宗に 属す るも のな のか どう かの 記述 はな い︒ 二︑
﹁禅 宗立 三種 十種 其中
﹂に つい て
・「 三種 の禅
﹂
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ には
︑﹁ 禅宗 立三 種十 種其 中﹂ の項 目を 立て
︑禅 には
﹁三 種﹂
︑﹁ 十種
﹂あ るこ とを 番号 を 付し て述 べて いる
︒ま ず︑
﹁三 種﹂ は﹁ 教禅
︑如 来禅
︑祖 師禅
﹂と ある
︒﹁ 教禅
﹂に つい ては 以下 の如 く説 明が ある
︒
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける 二︑ 三の 考察
︵古 瀬︶
三
「教 禪は
︑諸 經論 に依 る︒ 謂う 所︑ 開元 録載 所の 五千 四十 八巻
︑貞 元録 七千 三百 九十 巻(8) なり(9)
︒﹂ つま り︑
﹁教 禅﹂ とは 一切 経に 依拠 して 禅を 修す るこ とを 指し てい る︒ 中国 の禅 宗に は﹁ 教禅
﹂と 言う 分類 は見 られ ず︑ 日蓮 宗独 自の 括り かと 思わ れる
︒﹃ 日蓮 遺文
﹄﹁ 聖愚 問答 鈔下
﹂に は﹁ 禪に 三種 あり
︒所 謂如 来禪 と教 禪 と祖 師禪 とな り︒ 汝が 言ふ 所の 祖師 禪等 の一 端こ れを 示ん
︒聞 て教 を離 れて これ を傳 ふと いは ば︑ 教を 離れ て理 無く
︑理 を離 れて 教無 し︒ 理全 く教
︑教 全く 理と 云ふ 道理
︑汝 これ を知 らず や︒ 拈華 微笑 して 迦葉 に付 属し 給ふ と云 ふも 是れ 教な り︒ 不立 文字 と云 ふ四 字も 即ち 教な り()
︒﹂ とあ る︒ 日蓮 は﹁ 教﹂ とは 仏の
﹁教 え﹂ であ り︑ そ
10
れを 離れ て﹁ 禅﹂ の教 えな ど無 いと 説明 する
︒﹁ 教え
﹂は 経論 に書 かれ てい るの であ るか ら︑
﹁禅 見聞
﹂の 作者 が︑ 日蓮 の﹁ 教禅
﹂︵
﹁三 種の 禅﹂
︶を 踏ま えて 分類 して いる こと は間 違い ない よう であ る︒ しか し︑
﹁教 外別 伝・ 不立 文字
﹂を モッ トー とす る禅 宗で は︑
﹁経 論に 依拠 する 禅﹂ とは 凡そ 考え にく いこ とだ が︑ 栄西 の﹃ 興禅 護国 論﹄ など を見 ると
︑禅 宗の 正当 性を 述べ ると きに
︑そ の根 拠を いち いち 一切 経か ら拾 って いる とこ ろを 見れ ば︑ 日蓮 や﹁ 禅見 聞﹂ の著 者が
︑意 識の 中に 栄西 及び その 門下 の禅 を﹁ 教禅
﹂と 考え てい たの かも しれ ない
︒尚
︑﹃ 日蓮 遺文
﹄に おい て︑ 栄西 と禅 宗に つい ての 記述 はほ とん ど見 られ ず︑ 禅僧 とし ての 批判 する 箇所 が見 当た らな い︒ 日蓮 から 見る 栄西 が︑ 禅の 批判 に当 たら なか った こと は誠 に興 味深 いと 言え よう
︒ 第二 は﹁ 如来 禅﹂ だが
︑以 下の よう に説 明が ある
︒
「如 來禪 は︑ 口傳 に之 を傳 ふ︒ 謂う 所︑ 如來 より 達磨 に至 る()
︒﹂
11
「如 来禅
﹂は
︑仏 典や 中国 の禅 語録 の中 にし ばし ば登 場す るが
︑時 代ま たは その 著者 によ って 意味 が変 わる よ うで ある()
︒12 例え ば︑ 四巻 本﹃ 楞伽 経﹄ にお ける
﹁四 種禅
﹂は
︑﹁ 愚夫 所行 禅︑ 観察 義禅
︑攀 縁如 禅︑ 如来 禅﹂ を言 い︑ そ のう ちの
﹁如 来禅
﹂は 他の 三種 の禅 より 上の 如来 地に 入っ た禅 定を 表し てい る()
︒次 に︑ 神会 は﹁ 如来 禅﹂ を︑ 北
13
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける 二︑ 三の 考察
︵古 瀬︶
四
宗禅 の﹁ 心の 塵を 払う 禅﹂ つま り﹁ 清浄 禅﹂ に対 抗す る意 味で
︑慧 能の
﹁も とも と如 来の 心﹂ の意 味で
﹁如 来 禅﹂ と言 って いる()
︒宗 密は
︑﹃ 禅源 諸詮 集都 序﹄ で︑
﹁如 来清 浄禅
﹂ま たは
﹁最 上乗 禅﹂ と呼 ぶ()
︒﹃ 楞伽 経﹄ にお
14
15
ける
﹁如 来禅
﹂が 最上 であ るこ とと
︑元 より 清浄 な心 で修 する ので
﹁清 浄禅
﹂で ある こと を重 ねて
︑﹁ 如来 清浄 禅﹂ と称 して いる
︒ 更に
︑九 世紀 ごろ にな ると
︑﹁ 如来 禅﹂ が次 の﹁ 祖師 禅﹂ と対 応ま たは ペア で語 られ るよ うに なる
︒﹃ 祖堂 集﹄ 巻十 九の
﹁香 厳智 閑章
﹂に 香厳 が発 明し たこ とを 偈に した のに 対し
︑仰 山が 答え の中 に﹁ 如来 禅﹂ と﹁ 祖師 禅﹂ を並 べて 以下 の如 く述 べる
︒
「香 厳は 便ち 偈を 造り て対 えて 曰く
︑去 年は 未だ 是れ 貧な らず
︑今 年は 始め て是 れ貧 なり
︒去 年は 卓錐 の地 なし
︑今 年は 錐も また 無し
︒仰 山云 く︑ 師兄 は只 だ如 来禅 有る を知 るの みに して
︑且 つ祖 師禅 有る を知 ら ず()
︒﹂
16
右に つい ては
︑﹁ 祖師 禅﹂ が﹁ 如来 禅﹂ より も高 度な 禅と して 捉え てい るこ とは 明ら かで ある
︒ 柳田 聖山 氏は
︑﹁ 如来 禅﹂ と﹁ 祖師 禅﹂ につ いて 論じ る中 で︑ 馬祖 道一 の禅 につ いて
﹁日 常の 一挙 一動 がす べ て如 来地 なら ぬは ない とす る彼 の禅 は︑ 最早 や完 全に 止観 の域 を脱 する は勿 論︑ 頓悟 見性 の知 的抽 象性 をも 乗り 越え て︑ 具象 的実 際的 な平 常心 の働 きそ のも のの うえ に楞 伽の 如来 地を 見出 し︵ 後略()
﹂︶ と言 い︑ さら に﹁ 従来
17
の伝 統的 な止 観の 法を 如来 禅と 呼び
︑そ の修 的作 意性 をこ えた 日常 的な 本来 性の 立場 を祖 師禅 と呼 んで
︑後 者を 質的 に高 いも のと 考え たの であ るが
︑か かる 祖師 禅の 主張 その もの が実 は楞 伽の 如来 禅の 立場 であ り︑ 南天 竺一 乗宗 の根 本精 神で あっ たわ けで ある()
︒﹂ と述 べる
︒柳 田氏 は﹁ 如来 禅﹂ は﹁ 伝統 的な 止観 の法
﹂︑ 馬祖 道一 の禅 を
18
﹁祖 師禅
﹂と 捉え
︑﹁ 如来 禅﹂ と﹁ 祖師 禅﹂ の違 いは
︑禅 の質 的内 容が 変化 して いる こと だと 指摘 して いる
︒ 宋代 にな ると
︑﹁ 如来 禅﹂ と﹁ 祖師 禅﹂ につ いて は︑ それ らの 枠組 みに 捉わ れる こと を禁 じて いる のが
︑大 慧
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける 二︑ 三の 考察
︵古 瀬︶
五
であ る︒ 大慧 は書 簡の なか で以 下の よう に述 べる
︒︵ 傍線 筆者
︶
「不 可將 古人 垂示 言教 胡亂 穿鑿
︒如 馬大 師遇 南嶽 和尚
︒説 法云
︒譬 牛駕 車︒ 車若 不行
︒打 車即 是︒ 打牛 即是
︒ 馬師 聞之
︒言 下知 歸︒ 這幾 句兒 言語
︒諸 方多 少説 法︒ 如雷 如霆
︒如 雲如 雨底
︒理 會不 得︒ 錯下 名言
︒隨 語生 解︒ 見與 舟峯 書尾 杜撰 解註
︒山 僧讀 之︒ 不覺 絕倒
︒可 與説 如來 禪祖 師禪 底︒ 一狀 領過 一道 行遣 也()
︒﹂︵ 古人 の
19
垂示 言教 を將 て︑ 胡亂 穿鑿 すべ から ず︒ 馬大 師︑ 南嶽 和尚 に遇 する が如 し︒ 説法 して 云く
︑譬 ば牛 が車 を駕 す︒ 車若 し行 かず ば︑ 車を 打つ
︑即 ち是 か︒ 牛を 打つ
︑即 ち是 か︒ 馬師
︑之 を聞 きて
︑言 下に 知歸 す︒ 這の 幾句 兒言 語に
︑諸 方多 少︑ 雷の 如く 霆の 如く 雲の 如く 雨の 如く 説法 す︒ 理は 會う こと を得 ず︒ 名言 を錯 下し
︑語 に隨 い解 を生 ず︒ 舟峯 に與 ふる 書の 尾に 杜撰 な解 註を 見る に︑ 山僧 之を 讀む
︒不 覺に して 絕倒 す︒ 如來 禪祖 師禪 を説 くは
︑一 狀の 領過
︑一 道の 行遣 と與 なる べし
︒︶ ここ では
︑大 慧が 江給 事に 対し て︑ 古人 の垂 示に つい てい ろい ろ詮 索し て︑ 間違 った 解釈 をし てし まう こと を諫 める 部分 であ る︒ 荒木 見悟 氏の 現代 語訳 では
﹁見 與舟 峯書 尾杜 撰解 註︒ 山僧 讀之
︒不 覺絕 倒︒ 可與 説如 來禪 祖師 禪底
︒一 狀領 過一 道行 遣也
︒﹂ を次 のよ うに 訳す
︒
「げ んに
︵あ なた が︶ 舟峰 に与 えた 手紙 の末 尾の いい 加減 な注 解で すが
︑わ たく しは それ を読 んで 思わ ず笑 い ころ げま した
︒︵ これ は︶ 如来 禅だ 祖師 禅だ と説 くも のと
︑同 じ罪 状に 処置 し︑ 同じ 地方 に流 罪す べき です()
︒﹂
20
大慧 は︑ 前述 の仰 山が
﹁如 来禅
﹂と
﹁祖 師禅
﹂を 区別 した こと さえ
︑非 難し てい るこ とが 解る
︒ま た︑ 大慧 書に は黄 門司 に対 する 答え も同 様に 他人 の言 いな りに なっ たり
︑﹁ 如来 禅﹂ や﹁ 祖師 禅﹂ の形 式に 引っ かか って いる 態度 を︑ 以下 の如 く強 く非 難し てい る︒︵ 傍線 筆者
︶
「收 書并 許多 葛藤
︒不 意便 解如 此拈 弄︒ 直是 弄得 來︒ 活鱍 鱍地
︒真 是自 證自 得者
︒可 喜可 喜︒ 但只 如此
︒從 教人 道這 官人 不依 本分 亂説 亂道
︒他 家自 有通 人愛
︒除 是曾 證曾 悟者 方知
︒若 是聽 響之 流︒ 一任 他鑽 龜打 瓦︒
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける 二︑ 三の 考察
︵古 瀬︶
六
更批 判得 如來 禪祖 師禪 好︒ 儘喫 得妙 喜拄 杖也()
︒﹂︵ 書并 び許 多の 葛藤 を收 す︒ 意わ ず︑ 便ち 此の 如く 拈弄 を解 す︒ 直
21
に是 れ弄 得し 來す
︒活 鱍鱍 地な り︒ 真に 是れ 自證 自得 とは
︑喜 ぶべ し喜 ぶべ し︒ 但只
︑此 の如 く教 に從 ふ︒ 人︑ 這の 官人 本分 に依 らず 説を 亂し 道を 亂す と道 う︒ 他家 は自 ら通 人の 愛有 り︒ 是を 除い て︑ 曾に 證し 曾に 悟る 者方 く知 る︒ 若し 是れ 聽響 の流 なら ば︑ 他に 鑽龜 打瓦 を一 任し
︑更 に如 來禪 祖師 禪の 好を 批判 する を得
︒儘 く妙 喜の 拄杖 を喫 得な り︒
︶ 一方
︑﹃ 金綱 集﹄
﹁禅 見聞
﹂の 作者 は︑
﹁如 来禅
﹂は
﹁口 傳に 之を 傳ふ
︒謂 う所
︑如 來よ り達 磨に 至る
︒﹂ と説 明 し︑
﹁口 で伝 えた
﹂こ とを 強調 する
︒﹁ 口で 伝え た法 が如 来よ り達 磨に 至る
﹂と あり
︑柳 田氏 が言 う﹁ 伝統 的な 止 観の 法﹂
︑つ まり 楞伽 経に おけ る﹁ 如来 禅﹂ を指 して いる とも 考え られ る︒ 実際
︑﹁ 禅見 聞﹂ の﹁ 破教 外別 傳事
﹂ には
﹁達 磨禪 師︑ 四巻 楞伽 經を 以て 可に 授け る()
﹂と 記述 して おり
︑﹁ 教禅
﹂つ まり
︑﹁ 文字 によ る一 切経
﹂に 依っ
22
て授 ける 禅に 対し
︑﹁ 楞伽 経を 口で 伝え た﹂ 禅を
﹁如 来禅
﹂と 称し
︑仏 の教 えを 伝授 する 方法 を分 類し てい ると 考え られ る︒ 最後 は﹁ 祖師 禅﹂ につ いて であ る︒ 中国 にお ける
﹁祖 師禅
﹂は 前述 のよ うに 柳田 氏は
﹁日 常の 一挙 一動 がす べ て如 来地
﹂と する 馬祖 道一 の禅 を言 い︑ 石井 公成 氏も
﹁日 常の 挙動 がそ のま ま仏 の教 化の 業だ とす るの は︑ 祖師 禅の 特徴()
﹂と 述べ
︑い ずれ も馬 祖道 一の 洪州 禅を 指し てい るよ うで ある
︒と ころ が︑
﹃金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ の﹁ 祖
23
師禅
﹂に は以 下の よう な説 明が ある
︒
「嘿 示し て之 を傳 るな り︒ 問て 曰く
︑云 う︒ 何な るが 祖師 の意 かな
︒答 て曰 く︒ 一夜 に三 び呼 ぶ︒ 問て 曰く
︒ 何事 か眞 實禪 の要 道︒ 答て 曰く
︒亀 毛︑ 百丈 に延 ぶ︒ 問て 曰く
︒猶
︑意 得ず
︒何 なる が眞 實禪 の意
︒答 て曰 く︒ 右の 口に 三び 咲ふ()
︒﹂
24
右は 明ら かに 禅問 答で ある
︒禅 問答 に関 して は︑ 近年
︑小 川隆 氏に より その 理解 の仕 方や
︑唐 代と 宋代 の禅 問 答の 違い など が明 らか にさ れ︑ 理解 不可 能で 論理 を無 視し た直 観的 な悟 りを 要求 する もの では ない こと が示 され
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける 二︑ 三の 考察
︵古 瀬︶
七
てい る()
︒筆 者も 小川 氏の 考え 方で 右の 禅問 答を 理解 して みた い︒
25
まず
︑問 者が
﹁祖 師の 意味 とは 何で すか
?﹂ と尋 ねる
︒す ると 答者 が﹁ 一夜 に三 び呼 ぶ﹂ と答 える
︒﹁ 一夜 に 三び 呼ぶ
﹂は
﹁お まえ は︑ 私が 夜寝 てい るの に︵ 一夜 に︶ 三度 呼び 起こ して
︑疑 問の 答え を聞 きに 来る とは
︑う るさ いや つだ
︒﹂ の意 味で あろ う︒ 次に
︑問 者が
﹁何 が真 実の 禅に 必要 でし ょう か?
﹂と 質問 する と︑ 答者 は
﹁亀 毛︑ 百丈 に延 ぶ︒
﹂と 答え る︒ つま り︑
﹁真 実の 禅に 必要 なも のな ど︑ あり もし ない こと
︵亀 毛︶ を︑ 百丈 の 長さ に延 ばし て︵ 長い 時間 を無 駄に して い︶ るな あ︒
﹂と 切り 返す
︒更 に︑ 問者 が﹁ 猶︑ 意得 ず︒ 何な るが 眞實 禪 の意
︒﹂ と云 い︑
﹁ま だ師 匠の 言う 意味 が解 りま せん
︒何 が真 実の 禅の 意味 です か?
﹂と 再度 質問 する
︒す ると
︑ 答者 は﹁ 右の 口に 三び 咲ふ
﹂と 言う
︒つ まり
︑﹁ 右の 口﹂ とは
﹁口 半分
﹂の 意で あり
︑﹁ 口﹂ が﹁
︵問 者に 対す る︶ 解答
﹂と すれ ば︑
﹁右 の口
﹂つ まり
﹁口 半分
﹂は
﹁解 答の 半分
﹂と いう 意味 で︑
﹁暗 示﹂ また は﹁ ヒン ト﹂ と言 え よう
︒﹁ 三び 咲ふ
﹂の
﹁咲 ふ﹂ とは
︑恐 らく 迦葉 の﹁ 拈華 微笑
﹂を 下敷 きに して いる と考 えら れ︑
﹁三 び咲 ふ﹂ は 先の
﹁三 び呼 ぶ﹂︵ うる さく 声に 出し て質 問す る︶ と対 照さ せて
﹁無 言で 微笑 して ヒン トを 与え る﹂ こと であ ろう
︒ 因っ て﹁ 私は
︑お 前の 質問 に対 し無 言で ヒン トを 与え るだ けで
︑私 から 口に 出し て答 えを 言わ ない よ︒ 自分 で考 え理 解し なさ い︒
﹂の 意味 であ ろう と考 える
︒ 禅問 答を
﹁無 言で ヒン トを 与え る﹂ と理 解し て︑ 右の 禅問 答を
﹁祖 師禅
﹂と して 記述 した
﹃金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ の作 者は
︑実 に当 を得 てい ると 考え る︒ 小川 氏は
︑唐 代の 禅問 答が
﹁あ たか も碁 の布 石に 似て いた
︒個 々の 石自 体で なく 石と 石の 間に 文脈 があ り︑ 相互 の関 係の なか で︑ それ ぞれ の石 の意 味を もっ てい た()
︒﹂ と解 釈さ れて い
26
る︒ 小川 氏に よる と︑ 唐代 と宋 代の 禅問 答に は相 違が ある が︑
﹃金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ の禅 問答 は唐 代の 禅問 答に よ り近 いも ので あろ う︒ とこ ろで
︑﹁ 禅見 聞﹂ の作 者が 楞伽 経を 基本 とす る﹁ 如来 禅﹂ をい わゆ る﹁ 北宗 禅﹂ と理 解し
︑禅 問答 を中 心と する
﹁祖 師禅
﹂を
﹁南 宗禅
﹂と 理解 する こと も可 能だ が︑ この 点に つい ては 記述 がな い︒
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける 二︑ 三の 考察
︵古 瀬︶
八
さて
︑こ の﹁ 禅見 聞﹂ に於 ける 禅問 答と 同じ もの は︑ 中国 の禅 語録 のテ キス トな どに は見 当た らな いよ うだ
︒
﹁禅 見聞
﹂の 作者 が︑ この よう な禅 問答 をど のよ うな 形で 知り 得て いた かが 疑問 点に なる が︑
﹁禅 見聞
﹂の 中の
﹁禅 祖師 頌筆 等事
﹂に ある
﹁見 性成 仏義
﹂︵
﹃見 性成 仏論
﹄︶ の後 半に は同 じよ うな スタ イル の禅 問答 があ り︑ 日本 の禅 者の テキ スト を参 考に して いた 可能 性も 大い に考 慮さ れる べき であ ろう
︒ とも あれ
︑﹃ 金綱 集﹄
﹁禅 見聞
﹂の 作者 は︑
﹁祖 師禅
﹂を 禅問 答に よる 禅の 手法 を示 して いた こと が解 った
︒そ して
︑﹁ 三種 の禅
﹂は
﹁仏 の教 えを 伝授 する 方法
﹂の 分類 とし て︑
﹁教 禅﹂ を﹁ 文字 によ る一 切経
﹂︑
﹁如 来禅
﹂を
﹁口 で伝 える 楞伽 経﹂
︑そ して
﹁祖 師禅
﹂を
﹁師 匠が 無言 でヒ ント を与 える 禅問 答﹂ と区 別し てい たと 考え られ る︒
・「 十種
﹂の 禅
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける
﹁十 種﹂ は﹁ 一如 来禅
︑二 祖師 禅︑ 三心 性禅
︑四 棒喝 禅︑ 五嘿 照禅
︑六 寂滅 禅︑ 七過 頭禅
︑八 教外 別伝
︑九 五家 宗派
︑十 妙嘉 老漢
﹂と ある
︒筆 者は 当初
︑﹁ 十種
﹂に も﹁ 如来 禅﹂ と﹁ 祖師 禅﹂ があ るの で︑ 前述 の﹁ 三種
﹂の 禅と 関係 があ るも のと 考え てい た︒ しか し︑ これ らの
﹁十 種﹂ の禅 は︑ 大慧 語録 の中 で﹁ 真如 道人
﹂に 示す 法話 のな かに
︑そ の順 番も 全く 同様 に以 下の 如く 述べ られ てい る()
︒︵ 傍線 筆者
︶
27
「成 就一 切法
︒毀 壞一 切法
︒七 顚八 倒︒ 皆不 出此 無所 了心
︒正 當恁 麼時
︒不 是如 來禪
︒不 是祖 師禪
︒不 是心 性禪
︒不 是默 照禪
︒不 是棒 喝禪
︒不 是寂 滅禪
︒不 是過 頭禪
︒不 是教 外別 傳底 禪︒ 不是 五家 宗派 禪︒ 不是 妙喜 老漢 杜撰 底禪
︒既 非如 上所 説底 禪︒ 畢竟 是箇 甚麼
︒到 這裏 莫道 別人 理會 不得
︒妙 喜老 漢亦 自理 會不 得︒ 真如 道人 請自 看取()
︒﹂
28
大慧 が真 如道 人に 対し
︑十 種の パタ ーン 化さ れた 禅の 中に 納ま らず
︑自 分自 身の 方法 で禅 を獲 得す るこ とを 説 示し てい る︒
﹁禅 見聞
﹂の 作者 が︑ 大慧 の挙 げた
﹁十 種の 禅﹂ をそ のま ま写 して いる こと に疑 いは なさ そう だが
︑ 果た して
︑作 者が 大慧 語録 を直 接見 てい たの か︑ それ とも
︑別 の日 本の 禅僧 が書 いた 禅語 録の よう なも のか ら写
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける 二︑ 三の 考察
︵古 瀬︶
九
した のか は明 らか では ない
︒ま た︑
﹁禅 見聞
﹂で は十 に﹁ 妙嘉 老漢
﹂と ある が︑ 大慧 語録 には
﹁妙 喜老 漢﹂ とあ り︑
﹁妙 喜﹂ とは 大慧 その 人を 指す こと から
︑﹁ 禅見 聞﹂ の﹁ 妙嘉
﹂は
﹁妙 喜﹂ の誤 りと 言え よう
︒ さて
︑大 慧が
﹁十 種の 禅﹂ を挙 げて いる が︑ これ は︑ 勿論 中国 で大 慧が 見る さま ざま な禅 の取 り組 み方 法に 名 前を つけ て示 して いる わけ で︑
﹁十 種﹂ とは 十種 類の みと いう 意味 では なく
︑種 々沢 山の 禅が 存在 した こと を物 語っ てい ると 考え られ る︒ 一方
︑日 本で この よう な多 種の 禅が 存在 した かど うか は︑ 甚だ 疑問 であ り︑ 実態 は不 明で ある
︒つ まり
︑﹃ 金綱 集﹄
﹁禅 見聞
﹂の 作者 は︑
﹁十 種の 禅﹂ につ いて は︑ 日本 の禅 僧の 現状 を捉 えて 表現 し たの では なく
︑恐 らく 大慧 語録 を出 典と する 書物 から
︑禅 の分 類を その まま 記述 した と考 えら れる
︒ 結び
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける 制作 年代 と禅 の分 類に つい て少 しく 論じ た︒ その 結果
︑臨 済宗 と曹 洞宗 の宗 派対 立の 記述 から
︑作 者は 日向 でな い可 能性 が浮 かび 上が った
︒ま た︑ 禅の 分類 につ いて は︑
﹁三 種の 禅﹂ は仏 の教 えを 伝授 する 方法 とし て﹁ 教禅
﹂︑
﹁如 来禅
﹂︑
﹁祖 師禅
﹂と 分類 して いる こと が解 った
︒第 一に
︑一 切経 に基 づく
﹁教 禅﹂ を︑ 第二 に︑ 楞伽 経に 依る 口伝 の方 法の
﹁如 来禅
﹂を
︑第 三に
︑禅 問答 によ る無 言の 伝授 方法 の﹁ 祖師 禅﹂ を置 いて いる こと が理 解で きた
︒﹁ 十種 の禅
﹂に 関し ては
︑大 慧語 録か らの 禅の 区分 の一 文を 写し てい るこ とが 明ら かに なり
︑日 蓮宗 の人 々が 大慧 語録 など を見 てい た可 能性 もあ るが
︑同 時に 典拠 不詳 の﹁ 祖師 禅﹂ の禅 問答 の記 述な どか ら︑ 当時 の日 本の 禅僧 によ って 書か れた 禅語 録な どか ら転 写し てい る可 能性 も推 察で きる()
︒29
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ は﹃ 日蓮 遺文
﹄と の共 通点 が多 くあ ると 考え られ てい るが()
︑一 方で
︑大 慧語 録か らの 引用
30
の﹁ 十種 禅﹂ など
︑﹃ 日蓮 遺文
﹄に は見 られ ない 禅の 記述 も多 い︒ 本文 でも 論じ たが
︑﹁ 禅見 聞﹂ は作 成年 代が 十 四世 紀半 ば以 降に なる ので
︑日 蓮の 没年 の一 二八 二年 より 百年 近く 時代 が下 がり
︑禅 およ び禅 宗の 内容 は︑
﹃日
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける 二︑ 三の 考察
︵古 瀬︶
一〇
蓮遺 文﹄ が書 かれ た時 代の もの と大 きく 変わ って いて 当然 かと 考え る︒ 今後
︑﹃ 日蓮 遺文
﹄と
﹃金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ の内 容を 比較 する こと によ り︑ 十三 世紀 から 十四 世紀 以降 の日 本禅 宗史 の一 面を 解明 する 一助 とな ろう
︒ (了 ) ( 註
1) 中條 暁秀
︵一 九九 六︶
︑平 楽寺 出版
︒ (2 ) 石川 力山
︵一 九九 三︶
﹃印 度学 仏教 学研 究﹄ 四二 袞一
︒ (3 ) 古瀬 珠水
︵二
〇一 二︶
﹁﹃ 金綱 集﹄ にお ける
﹁見 性成 仏義
﹂に つい て﹂
︵﹃ 印度 学仏 教学 研究
﹄六 一袞 一︶ (4 )
「
﹃金 綱集
﹄は 日向 が︑ 身延 山に おけ る日 蓮晩 年の 講義 を聴 聞し て記 録し
︑自 ら見 聞す ると ころ を追 加し てま とめ たの であ る︒
﹂︵ 中條 暁秀
︑前 掲︑ 一六 七頁
︶ (5 ) 古瀬 珠水
︵二
〇一 三︶
﹁日 蓮関 係文 書に 表れ る大 日房 能忍 とそ の禅 につ いて
﹂︵
﹃多 田孝 文名 誉教 授古 稀記 念論 文集
﹁東 洋の 慈悲 と智 慧﹂
﹄︶
︑註
︵
︶︒ 53 (6 ) 菅原 研州
︵二
〇一 三︶
﹁乙 堂喚 丑﹃ 正法 眼蔵 続絃 講義
﹄の 研究
﹂︵
﹃印 度学 仏教 学研 究﹄ 六一 袞二
︶ (7 )
『日 蓮宗 宗学 全書
﹄一 四巻
︑三 一一 頁︒ (8 ) 貞元 録は 七〇 四六 巻で ある が︑ ここ では
﹁七 千三 百九 十巻
﹂と なっ てい る︒ 単な る書 き間 違い かど うか は不 詳︒ (9 )
『日 蓮宗 宗学 全書
﹄一 四巻
︑二 九〇 頁︒ ( )
『昭 和定 本日 蓮聖 人遺 文 一﹄
︑三 七一 頁︒ ( 10 )
『日 蓮宗 宗学 全書
﹄一 四巻
︑二 九〇 頁︒ ( 11 ) 沖本 克己
︵一 九九 八︶
﹁禅 思想 形成 史の 研究
︑第 二節
如来 禅と 祖師 禅﹂
︵﹃ 研究 報告
﹄第 五冊
︑花 園大 学国 際禅 学研 12
『金 綱集
﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける 二︑ 三の 考察
︵古 瀬︶
一一