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『金 綱 集 ﹄ ﹁ 禅 見 聞 ﹂ に お け る 二 ︑ 三 の 考 察

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(1)

金 綱 集

﹄ ﹁ 禅 見 聞 ﹂ に お け る 二 ︑ 三 の 考 察

袂 袒 作 成 年 代 と 禅 の 分 類 に つ い て 袂 袒

古 瀬 珠 水

仙石 山仏 教学 論集

第7 号︵ 平成 年︶ 26 Sengokuyama Journal

of Buddhist Studies Vol. VII, 2014

(2)

金 綱 集

﹄ ﹁ 禅 見 聞 ﹂ に お け る 二 ︑ 三 の 考 察

袂 袒 作 成 年 代 と 禅 の 分 類 に つ い て 袂 袒

古 瀬 珠 水

はじ めに

『金 綱集

﹄﹁ 禅見 聞﹂ につ いて は︑ 中條 暁秀 氏が

﹃日 蓮宗 上代 教学 の研 究﹄

︑第 四章

﹁金 綱集

﹂の 研究

﹄︑ 第三 節

﹁﹁ 禅見 聞﹂ の検 討﹂ のな かで

︑﹁ 禅見 聞﹂ の構 成︑ 引用 経論 釈及 び﹃ 日蓮 遺文

﹄と の関 係な どに つい て発 表さ れ てい る()

︒ま た︑ 夙に 石川 力山 氏が

﹁日 蓮の 禅宗 観袞

﹃金 綱集

﹄に おけ る禅 宗批 判の 根拠 とそ の史 料袞()

﹂を 発表 さ れ︑

﹃金 綱集

﹄に は﹃ 見性 成仏 論﹄ から の長 文の 引文 があ るこ とを 指摘 し︑

﹃金 綱集

﹄は 日蓮 宗の 禅宗 批判 の史 料 にと どま らず

︑禅 宗思 想史 とな りう る可 能性 を提 示さ れた

︒筆 者は

︑上 記︑ 石川 氏の

﹃見 性成 仏論

﹄に 関す る指 摘に 基づ いて 金沢 文庫 蔵﹃ 見性 成仏 論﹄ と﹃ 金綱 集﹄

﹁禅 見聞

﹂に 記述 され た

見性 成 仏義

﹂を 比較 検討 し︑ 両者 の内 容は ほぼ 同じ であ るが

︑諸 所細 かな 語句 の異 同な どが ある こと を発 表し た()

︒ま た︑

﹃金 綱集

﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける

﹁見 性成 仏義

の扱 いが

︑達 磨三 論と 共に

﹁禅 祖師 頌筆 等事

﹂の 項 目に 掲載 され てお り︑

﹃見 性成 仏論

﹄が 日本 の禅 祖師 のテ キス トと して 重要 視さ れて いた 点を 指摘 した

︒ 本稿 では

︑﹃ 金綱 集﹄

﹁禅 見聞

﹂で 扱う 禅ま たは 禅宗 につ いて 考察 し︑

﹃金 綱集

﹄﹁ 禅見 聞﹂ の書 かれ た時 代︑ 及 び日 蓮宗 によ る禅 また は禅 宗の 分類 につ いて 論じ る︒

(3)

一︑

﹁禅 見聞

﹂の 作成 年代

『金 綱集

﹄は 日蓮 の弟 子日 向 によ って 書か れた もの と理 解さ れて いる()

︒し かし

︑日 向の 筆に よる もの は現 存せ ず︑ 後の 日蓮 宗の 僧侶 たち によ って 書写 され てい るこ とが 明ら かに なっ てい る︒

「禅 見聞

﹂に は﹁ 南北 二種 禅事

﹂の 中に

﹁糟 頭宗 には 正法 眼蔵 とて 六十 巻の 論を 読学 す﹂ とあ る︒ かつ て筆 者 は︑

﹃正 法眼 蔵﹄ 六十 巻は 義雲 によ り一 三二 九年 に編 纂さ れて いる ので

︑一 三一 四年 に亡 くな って いる 日向 が見 るこ とは 不可 能で はな いか

︑と 指摘 した()

︒し かし

︑江 戸時 代の 曹洞 宗の 学僧

︑乙 堂喚 丑

の義 雲編 集説 を否 定す る﹃ 正法 眼蔵 続絃 講義

﹄な る著 書も あり()

︑﹃ 正法 眼蔵

﹄六 十巻 は︑ 十三 世紀 半ば に編 集さ れて いた とも 考え られ

︑日 向が 六十 巻本 につ いて 知っ てい たと して も問 題が 無い と言 える

︒ とこ ろが

︑﹃ 正法 眼蔵

﹄六 十巻 の記 述の 前に は︑ 以下 のよ うな 臨済 宗と 曹洞 宗が 互い に批 判す るよ うな 文言 が 書か れて いる

「佛 法房 渡唐 之時

︑如 靜禪 師に 値て

︑之

︑相 傳な り︒ 臨齊 糟頭 二ケ と出 すは 是な り︒ 臨齊 には 糟頭 を咲

糟頭 には 臨齊 を謗 ず︒ 臨齊 には 一千 七百 之公 案を 宗と す︑ 糟頭 録に 繫る ると 咲 なり

︒糟 頭宗 には 正法 眼蔵 とて 六十 巻の 論を 読学 す︒ 此の 糟頭 の弟 子に 頭笇 と云 う者 あり

︒糟 笇頭 笇と 云う 是な り()

︒﹂

「禅 見聞

﹂の 筆者 は︑ 臨済 宗を

﹁臨 齊宗

﹂︑ 曹洞 宗を

﹁糟 頭宗

﹂と 表記 して いる

︒ま た︑

山と 洞山

﹂を

﹁糟 笇頭 笇﹂ と当 て字 を使 って いる

︒臨 済宗 の表 記に 関し ては 大き な違 和感 を持 たな いが

︑曹 洞宗 に つい ては

︑誤 って 表記 した とい うよ りも

︑何 か曹 洞宗 を見 下し て当 て字 を使 って いる よう にも 思え る︒ その 曹洞 宗が 臨済 宗に 対し

︑公 案を 教え の中 心と して いた こと を﹁ 咲

って いた

﹂と いう が︑ 日蓮 宗の 作者 から みれ ば︑ そ

(4)

の曹 洞宗 も﹃ 正法 眼蔵

﹄六 十巻 を読 んで 学ん でい たと ある から

︑両 派と も不 立文 字と 云い なが ら︑ 禅を 文字 から 学ん でい たこ とを 揶揄 して いる のか もし れな い︒ とこ ろで

︑日 本に おい て臨 済宗 と曹 洞宗 がお 互い 宗派 意識 が高 まり

︑批 判す るよ うに なっ たの は︑ 少な くと も 日向 存命 中の 十三 世紀 から 十四 世紀 初め では 考え にく い︒ 例え ば︑ 瑩山 紹瑾

どは

︑臨 済 宗東 福寺 の東 山湛 照 や白 雲慧 暁

︑紀 伊の 無心 覚心

に参 学し てい る︒ また

︑そ の覚 心は 道元 を尋 ね菩 薩戒 を受 けて いる

︒十 四世 紀中 ごろ まで

︑僧 侶た ちは 宗派 など に捉 われ ず︑ お互 いに 交流 して いた こと は明 らか であ る︒ つま り︑

﹁禅 見聞

﹂は 臨済 宗と 曹洞 宗の 関係 記述 から は日 向に よっ て著 され たと は︑ 考え 難い ので ある

︒ また

︑﹁ 禅見 聞﹂ には

﹁禅 祖師 頌筆 等事

﹂の 項目 に﹁ 見性 成仏 義﹂ が長 文に わた って 掲載 され てい る︒ 金沢 文 庫蔵

﹃見 性成 仏論

の奥 書に は﹁ 永仁 五年 八月 四日

年月 日が 記さ れて お り︑ 恐ら く書 写年 代と 考え られ るが

︑﹃ 金綱 集﹄

﹁禅 見聞

﹂の 推定 年代 より 半世 紀ば かり 遡る

︒﹁ 禅見 聞﹂ の﹁ 見 性成 仏義

﹂と 金沢 文庫 蔵﹃ 見性 成仏 論﹄ では 本文 中に 表記 の違 いが あり

︑異 なっ た親 本の 流布 系統 が推 測さ れる が︑ 半世 紀以 上前 に作 成さ れた 禅宗 のテ キス トが 長く 読ま れて きた もの と類 推さ れる

︒但 し︑

﹁見 性成 仏義

﹂が 臨済 宗ま たは 曹洞 宗に 属す るも のな のか どう かの 記述 はな い︒ 二︑

﹁禅 宗立 三種 十種 其中

﹂に つい て

・「 三種 の禅

『金 綱集

﹄﹁ 禅見 聞﹂ には

︑﹁ 禅宗 立三 種十 種其 中﹂ の項 目を 立て

︑禅 には

﹁三 種﹂

︑﹁ 十種

﹂あ るこ とを 番号 を 付し て述 べて いる

︒ま ず︑

﹁三 種﹂ は﹁ 教禅

︑如 来禅

︑祖 師禅

﹂と ある

︒﹁ 教禅

﹂に つい ては 以下 の如 く説 明が ある

(5)

「教 禪は

︑諸 經論 に依 る︒ 謂う 所︑ 開元 録載 所の 五千 四十 八巻

︑貞 元録 七千 三百 九十 巻() なり()

︒﹂ つま り︑

﹁教 禅﹂ とは 一切 経に 依拠 して 禅を 修す るこ とを 指し てい る︒ 中国 の禅 宗に は﹁ 教禅

﹂と 言う 分類 は見 られ ず︑ 日蓮 宗独 自の 括り かと 思わ れる

︒﹃ 日蓮 遺文

﹄﹁ 聖愚 問答 鈔下

﹂に は﹁ 禪に 三種 あり

︒所 謂如 来禪 と教 禪 と祖 師禪 とな り︒ 汝が 言ふ 所の 祖師 禪等 の一 端こ れを 示ん

︒聞 て教 を離 れて これ を傳 ふと いは ば︑ 教を 離れ て理 無く

︑理 を離 れて 教無 し︒ 理全 く教

︑教 全く 理と 云ふ 道理

︑汝 これ を知 らず や︒ 拈華 微笑 して 迦葉 に付 属し 給ふ と云 ふも 是れ 教な り︒ 不立 文字 と云 ふ四 字も 即ち 教な り()

︒﹂ とあ る︒ 日蓮 は﹁ 教﹂ とは 仏の

﹁教 え﹂ であ り︑ そ

10

れを 離れ て﹁ 禅﹂ の教 えな ど無 いと 説明 する

︒﹁ 教え

﹂は 経論 に書 かれ てい るの であ るか ら︑

﹁禅 見聞

﹂の 作者 が︑ 日蓮 の﹁ 教禅

を 踏ま えて 分類 して いる こと は間 違い ない よう であ る︒ しか し︑

﹁教 外別 伝・ 不立 文字

﹂を モッ トー とす る禅 宗で は︑

﹁経 論に 依拠 する 禅﹂ とは 凡そ 考え にく いこ とだ が︑ 栄西 の﹃ 興禅 護国 論﹄ など を見 ると

︑禅 宗の 正当 性を 述べ ると きに

︑そ の根 拠を いち いち 一切 経か ら拾 って いる とこ ろを 見れ ば︑ 日蓮 や﹁ 禅見 聞﹂ の著 者が

︑意 識の 中に 栄西 及び その 門下 の禅 を﹁ 教禅

﹂と 考え てい たの かも しれ ない

︒尚

︑﹃ 日蓮 遺文

﹄に おい て︑ 栄西 と禅 宗に つい ての 記述 はほ とん ど見 られ ず︑ 禅僧 とし ての 批判 する 箇所 が見 当た らな い︒ 日蓮 から 見る 栄西 が︑ 禅の 批判 に当 たら なか った こと は誠 に興 味深 いと 言え よう

︒ 第二 は﹁ 如来 禅﹂ だが

︑以 下の よう に説 明が ある

「如 來禪 は︑ 口傳 に之 を傳 ふ︒ 謂う 所︑ 如來 より 達磨 に至 る()

︒﹂

11

「如 来禅

﹂は

︑仏 典や 中国 の禅 語録 の中 にし ばし ば登 場す るが

︑時 代ま たは その 著者 によ って 意味 が変 わる よ うで ある()

12 例え ば︑ 四巻 本﹃ 楞伽 経﹄ にお ける

﹁四 種禅

﹂は

︑﹁ 愚夫 所行 禅︑ 観察 義禅

︑攀 縁如 禅︑ 如来 禅﹂ を言 い︑ そ のう ちの

﹁如 来禅

﹂は 他の 三種 の禅 より 上の 如来 地に 入っ た禅 定を 表し てい る()

︒次 に︑ 神会 は﹁ 如来 禅﹂ を︑ 北

13

(6)

宗禅 の﹁ 心の 塵を 払う 禅﹂ つま り﹁ 清浄 禅﹂ に対 抗す る意 味で

︑慧 能の

﹁も とも と如 来の 心﹂ の意 味で

﹁如 来 禅﹂ と言 って いる()

︒宗 密は

︑﹃ 禅源 諸詮 集都 序﹄ で︑

﹁如 来清 浄禅

﹂ま たは

﹁最 上乗 禅﹂ と呼 ぶ()

︒﹃ 楞伽 経﹄ にお

14

15

ける

﹁如 来禅

﹂が 最上 であ るこ とと

︑元 より 清浄 な心 で修 する ので

﹁清 浄禅

﹂で ある こと を重 ねて

︑﹁ 如来 清浄 禅﹂ と称 して いる

︒ 更に

︑九 世紀 ごろ にな ると

︑﹁ 如来 禅﹂ が次 の﹁ 祖師 禅﹂ と対 応ま たは ペア で語 られ るよ うに なる

︒﹃ 祖堂 集﹄ 巻十 九の

﹁香 厳智 閑章

﹂に 香厳 が発 明し たこ とを 偈に した のに 対し

︑仰 山が 答え の中 に﹁ 如来 禅﹂ と﹁ 祖師 禅﹂ を並 べて 以下 の如 く述 べる

「香 厳は 便ち 偈を 造り て対 えて 曰く

︑去 年は 未だ 是れ 貧な らず

︑今 年は 始め て是 れ貧 なり

︒去 年は 卓錐 の地 なし

︑今 年は 錐も また 無し

︒仰 山云 く︑ 師兄 は只 だ如 来禅 有る を知 るの みに して

︑且 つ祖 師禅 有る を知 ら ず()

︒﹂

16

右に つい ては

︑﹁ 祖師 禅﹂ が﹁ 如来 禅﹂ より も高 度な 禅と して 捉え てい るこ とは 明ら かで ある

︒ 柳田 聖山 氏は

︑﹁ 如来 禅﹂ と﹁ 祖師 禅﹂ につ いて 論じ る中 で︑ 馬祖 道一 の禅 につ いて

﹁日 常の 一挙 一動 がす べ て如 来地 なら ぬは ない とす る彼 の禅 は︑ 最早 や完 全に 止観 の域 を脱 する は勿 論︑ 頓悟 見性 の知 的抽 象性 をも 乗り 越え て︑ 具象 的実 際的 な平 常心 の働 きそ のも のの うえ に楞 伽の 如来 地を 見出 し ()

と言 い︑ さら に﹁ 従来

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の伝 統的 な止 観の 法を 如来 禅と 呼び

︑そ の修 的作 意性 をこ えた 日常 的な 本来 性の 立場 を祖 師禅 と呼 んで

︑後 者を 質的 に高 いも のと 考え たの であ るが

︑か かる 祖師 禅の 主張 その もの が実 は楞 伽の 如来 禅の 立場 であ り︑ 南天 竺一 乗宗 の根 本精 神で あっ たわ けで ある()

︒﹂ と述 べる

︒柳 田氏 は﹁ 如来 禅﹂ は﹁ 伝統 的な 止観 の法

﹂︑ 馬祖 道一 の禅 を

18

﹁祖 師禅

﹂と 捉え

︑﹁ 如来 禅﹂ と﹁ 祖師 禅﹂ の違 いは

︑禅 の質 的内 容が 変化 して いる こと だと 指摘 して いる

︒ 宋代 にな ると

︑﹁ 如来 禅﹂ と﹁ 祖師 禅﹂ につ いて は︑ それ らの 枠組 みに 捉わ れる こと を禁 じて いる のが

︑大 慧

(7)

であ る︒ 大慧 は書 簡の なか で以 下の よう に述 べる

「不 可將 古人 垂示 言教 胡亂 穿鑿

︒如 馬大 師遇 南嶽 和尚

︒説 法云

︒譬 牛駕 車︒ 車若 不行

︒打 車即 是︒ 打牛 即是

︒ 馬師 聞之

︒言 下知 歸︒ 這幾 句兒 言語

︒諸 方多 少説 法︒ 如雷 如霆

︒如 雲如 雨底

︒理 會不 得︒ 錯下 名言

︒隨 語生 解︒ 見與 舟峯 書尾 杜撰 解註

︒山 僧讀 之︒ 不覺 絕倒

︒可 與説 如來 禪祖 師禪 底︒ 一狀 領過 一道 行遣 也()

︒﹂

19

穿

ここ では

︑大 慧が 江給 事に 対し て︑ 古人 の垂 示に つい てい ろい ろ詮 索し て︑ 間違 った 解釈 をし てし まう こと を諫 める 部分 であ る︒ 荒木 見悟 氏の 現代 語訳 では

﹁見 與舟 峯書 尾杜 撰解 註︒ 山僧 讀之

︒不 覺絕 倒︒ 可與 説如 來禪 祖師 禪底

︒一 狀領 過一 道行 遣也

︒﹂ を次 のよ うに 訳す

「げ んに

舟峰 に与 えた 手紙 の末 尾の いい 加減 な注 解で すが

︑わ たく しは それ を読 んで 思わ ず笑 い ころ げま した

如来 禅だ 祖師 禅だ と説 くも のと

︑同 じ罪 状に 処置 し︑ 同じ 地方 に流 罪す べき です()

︒﹂

20

大慧 は︑ 前述 の仰 山が

﹁如 来禅

﹂と

﹁祖 師禅

﹂を 区別 した こと さえ

︑非 難し てい るこ とが 解る

︒ま た︑ 大慧 書に は黄 門司 に対 する 答え も同 様に 他人 の言 いな りに なっ たり

︑﹁ 如来 禅﹂ や﹁ 祖師 禅﹂ の形 式に 引っ かか って いる 態度 を︑ 以下 の如 く強 く非 難し てい る︒

「收 書并 許多 葛藤

︒不 意便 解如 此拈 弄︒ 直是 弄得 來︒ 活鱍 鱍地

︒真 是自 證自 得者

︒可 喜可 喜︒ 但只 如此

︒從 教人 道這 官人 不依 本分 亂説 亂道

︒他 家自 有通 人愛

︒除 是曾 證曾 悟者 方知

︒若 是聽 響之 流︒ 一任 他鑽 龜打 瓦︒

(8)

更批 判得 如來 禪祖 師禪 好︒ 儘喫 得妙 喜拄 杖也()

︒﹂ 便

21

一方

︑﹃ 金綱 集﹄

﹁禅 見聞

﹂の 作者 は︑

﹁如 来禅

﹂は

﹁口 傳に 之を 傳ふ

︒謂 う所

︑如 來よ り達 磨に 至る

︒﹂ と説 明 し︑

﹁口 で伝 えた

﹂こ とを 強調 する

︒﹁ 口で 伝え た法 が如 来よ り達 磨に 至る

﹂と あり

︑柳 田氏 が言 う﹁ 伝統 的な 止 観の 法﹂

︑つ まり 楞伽 経に おけ る﹁ 如来 禅﹂ を指 して いる とも 考え られ る︒ 実際

︑﹁ 禅見 聞﹂ の﹁ 破教 外別 傳事

﹂ には

﹁達 磨禪 師︑ 四巻 楞伽 經を 以て 可に 授け る()

﹂と 記述 して おり

︑﹁ 教禅

﹂つ まり

︑﹁ 文字 によ る一 切経

﹂に 依っ

22

て授 ける 禅に 対し

︑﹁ 楞伽 経を 口で 伝え た﹂ 禅を

﹁如 来禅

﹂と 称し

︑仏 の教 えを 伝授 する 方法 を分 類し てい ると 考え られ る︒ 最後 は﹁ 祖師 禅﹂ につ いて であ る︒ 中国 にお ける

﹁祖 師禅

﹂は 前述 のよ うに 柳田 氏は

﹁日 常の 一挙 一動 がす べ て如 来地

﹂と する 馬祖 道一 の禅 を言 い︑ 石井 公成 氏も

﹁日 常の 挙動 がそ のま ま仏 の教 化の 業だ とす るの は︑ 祖師 禅の 特徴()

﹂と 述べ

︑い ずれ も馬 祖道 一の 洪州 禅を 指し てい るよ うで ある

︒と ころ が︑

﹃金 綱集

﹄﹁ 禅見 聞﹂ の﹁ 祖

23

師禅

﹂に は以 下の よう な説 明が ある

「嘿 示し て之 を傳 るな り︒ 問て 曰く

︑云 う︒ 何な るが 祖師 の意 かな

︒答 て曰 く︒ 一夜 に三 び呼 ぶ︒ 問て 曰く

︒ 何事 か眞 實禪 の要 道︒ 答て 曰く

︒亀 毛︑ 百丈 に延 ぶ︒ 問て 曰く

︒猶

︑意 得ず

︒何 なる が眞 實禪 の意

︒答 て曰 く︒ 右の 口に 三び 咲ふ()

︒﹂

24

右は 明ら かに 禅問 答で ある

︒禅 問答 に関 して は︑ 近年

︑小 川隆 氏に より その 理解 の仕 方や

︑唐 代と 宋代 の禅 問 答の 違い など が明 らか にさ れ︑ 理解 不可 能で 論理 を無 視し た直 観的 な悟 りを 要求 する もの では ない こと が示 され

(9)

てい る()

︒筆 者も 小川 氏の 考え 方で 右の 禅問 答を 理解 して みた い︒

25

まず

︑問 者が

﹁祖 師の 意味 とは 何で すか

?﹂ と尋 ねる

︒す ると 答者 が﹁ 一夜 に三 び呼 ぶ﹂ と答 える

︒﹁ 一夜 に 三び 呼ぶ

﹂は

﹁お まえ は︑ 私が 夜寝 てい るの に 三度 呼び 起こ して

︑疑 問の 答え を聞 きに 来る とは

︑う るさ いや つだ

︒﹂ の意 味で あろ う︒ 次に

︑問 者が

﹁何 が真 実の 禅に 必要 でし ょう か?

﹂と 質問 する と︑ 答者 は

﹁亀 毛︑ 百丈 に延 ぶ︒

﹂と 答え る︒ つま り︑

﹁真 実の 禅に 必要 なも のな ど︑ あり もし ない こと

を︑ 百丈 の 長さ に延 ばし て るな あ︒

﹂と 切り 返す

︒更 に︑ 問者 が﹁ 猶︑ 意得 ず︒ 何な るが 眞實 禪 の意

︒﹂ と云 い︑

﹁ま だ師 匠の 言う 意味 が解 りま せん

︒何 が真 実の 禅の 意味 です か?

﹂と 再度 質問 する

︒す ると

︑ 答者 は﹁ 右の 口に 三び 咲ふ

﹂と 言う

︒つ まり

︑﹁ 右の 口﹂ とは

﹁口 半分

﹂の 意で あり

︑﹁ 口﹂ が﹁

解答

﹂と すれ ば︑

﹁右 の口

﹂つ まり

﹁口 半分

﹂は

﹁解 答の 半分

﹂と いう 意味 で︑

﹁暗 示﹂ また は﹁ ヒン ト﹂ と言 え よう

︒﹁ 三び 咲ふ

﹂の

﹁咲 ふ﹂ とは

︑恐 らく 迦葉 の﹁ 拈華 微笑

﹂を 下敷 きに して いる と考 えら れ︑

﹁三 び咲 ふ﹂ は 先の

﹁三 び呼 ぶ﹂ と対 照さ せて

﹁無 言で 微笑 して ヒン トを 与え る﹂ こと であ ろう

︒ 因っ て﹁ 私は

︑お 前の 質問 に対 し無 言で ヒン トを 与え るだ けで

︑私 から 口に 出し て答 えを 言わ ない よ︒ 自分 で考 え理 解し なさ い︒

﹂の 意味 であ ろう と考 える

︒ 禅問 答を

﹁無 言で ヒン トを 与え る﹂ と理 解し て︑ 右の 禅問 答を

﹁祖 師禅

﹂と して 記述 した

﹃金 綱集

﹄﹁ 禅見 聞﹂ の作 者は

︑実 に当 を得 てい ると 考え る︒ 小川 氏は

︑唐 代の 禅問 答が

﹁あ たか も碁 の布 石に 似て いた

︒個 々の 石自 体で なく 石と 石の 間に 文脈 があ り︑ 相互 の関 係の なか で︑ それ ぞれ の石 の意 味を もっ てい た()

︒﹂ と解 釈さ れて い

26

る︒ 小川 氏に よる と︑ 唐代 と宋 代の 禅問 答に は相 違が ある が︑

﹃金 綱集

﹄﹁ 禅見 聞﹂ の禅 問答 は唐 代の 禅問 答に よ り近 いも ので あろ う︒ とこ ろで

︑﹁ 禅見 聞﹂ の作 者が 楞伽 経を 基本 とす る﹁ 如来 禅﹂ をい わゆ る﹁ 北宗 禅﹂ と理 解し

︑禅 問答 を中 心と する

﹁祖 師禅

﹂を

﹁南 宗禅

﹂と 理解 する こと も可 能だ が︑ この 点に つい ては 記述 がな い︒

(10)

さて

︑こ の﹁ 禅見 聞﹂ に於 ける 禅問 答と 同じ もの は︑ 中国 の禅 語録 のテ キス トな どに は見 当た らな いよ うだ

﹁禅 見聞

﹂の 作者 が︑ この よう な禅 問答 をど のよ うな 形で 知り 得て いた かが 疑問 点に なる が︑

﹁禅 見聞

﹂の 中の

﹁禅 祖師 頌筆 等事

﹂に ある

﹁見 性成 仏義

の後 半に は同 じよ うな スタ イル の禅 問答 があ り︑ 日本 の禅 者の テキ スト を参 考に して いた 可能 性も 大い に考 慮さ れる べき であ ろう

︒ とも あれ

︑﹃ 金綱 集﹄

﹁禅 見聞

﹂の 作者 は︑

﹁祖 師禅

﹂を 禅問 答に よる 禅の 手法 を示 して いた こと が解 った

︒そ して

︑﹁ 三種 の禅

﹂は

﹁仏 の教 えを 伝授 する 方法

﹂の 分類 とし て︑

﹁教 禅﹂ を﹁ 文字 によ る一 切経

﹂︑

﹁如 来禅

﹂を

﹁口 で伝 える 楞伽 経﹂

︑そ して

﹁祖 師禅

﹂を

﹁師 匠が 無言 でヒ ント を与 える 禅問 答﹂ と区 別し てい たと 考え られ る︒

・「 十種

﹂の 禅

『金 綱集

﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける

﹁十 種﹂ は﹁ 一如 来禅

︑二 祖師 禅︑ 三心 性禅

︑四 棒喝 禅︑ 五嘿 照禅

︑六 寂滅 禅︑ 七過 頭禅

︑八 教外 別伝

︑九 五家 宗派

︑十 妙嘉 老漢

﹂と ある

︒筆 者は 当初

︑﹁ 十種

﹂に も﹁ 如来 禅﹂ と﹁ 祖師 禅﹂ があ るの で︑ 前述 の﹁ 三種

﹂の 禅と 関係 があ るも のと 考え てい た︒ しか し︑ これ らの

﹁十 種﹂ の禅 は︑ 大慧 語録 の中 で﹁ 真如 道人

﹂に 示す 法話 のな かに

︑そ の順 番も 全く 同様 に以 下の 如く 述べ られ てい る()

27

「成 就一 切法

︒毀 壞一 切法

︒七 顚八 倒︒ 皆不 出此 無所 了心

︒正 當恁 麼時

︒不 是如 來禪

︒不 是祖 師禪

︒不 是心 性禪

︒不 是默 照禪

︒不 是棒 喝禪

︒不 是寂 滅禪

︒不 是過 頭禪

︒不 是教 外別 傳底 禪︒ 不是 五家 宗派 禪︒ 不是 妙喜 老漢 杜撰 底禪

︒既 非如 上所 説底 禪︒ 畢竟 是箇 甚麼

︒到 這裏 莫道 別人 理會 不得

︒妙 喜老 漢亦 自理 會不 得︒ 真如 道人 請自 看取()

︒﹂

28

大慧 が真 如道 人に 対し

︑十 種の パタ ーン 化さ れた 禅の 中に 納ま らず

︑自 分自 身の 方法 で禅 を獲 得す るこ とを 説 示し てい る︒

﹁禅 見聞

﹂の 作者 が︑ 大慧 の挙 げた

﹁十 種の 禅﹂ をそ のま ま写 して いる こと に疑 いは なさ そう だが

︑ 果た して

︑作 者が 大慧 語録 を直 接見 てい たの か︑ それ とも

︑別 の日 本の 禅僧 が書 いた 禅語 録の よう なも のか ら写

(11)

した のか は明 らか では ない

︒ま た︑

﹁禅 見聞

﹂で は十 に﹁ 妙嘉 老漢

﹂と ある が︑ 大慧 語録 には

﹁妙 喜老 漢﹂ とあ り︑

﹁妙 喜﹂ とは 大慧 その 人を 指す こと から

︑﹁ 禅見 聞﹂ の﹁ 妙嘉

﹂は

﹁妙 喜﹂ の誤 りと 言え よう

︒ さて

︑大 慧が

﹁十 種の 禅﹂ を挙 げて いる が︑ これ は︑ 勿論 中国 で大 慧が 見る さま ざま な禅 の取 り組 み方 法に 名 前を つけ て示 して いる わけ で︑

﹁十 種﹂ とは 十種 類の みと いう 意味 では なく

︑種 々沢 山の 禅が 存在 した こと を物 語っ てい ると 考え られ る︒ 一方

︑日 本で この よう な多 種の 禅が 存在 した かど うか は︑ 甚だ 疑問 であ り︑ 実態 は不 明で ある

︒つ まり

︑﹃ 金綱 集﹄

﹁禅 見聞

﹂の 作者 は︑

﹁十 種の 禅﹂ につ いて は︑ 日本 の禅 僧の 現状 を捉 えて 表現 し たの では なく

︑恐 らく 大慧 語録 を出 典と する 書物 から

︑禅 の分 類を その まま 記述 した と考 えら れる

︒ 結び

『金 綱集

﹄﹁ 禅見 聞﹂ にお ける 制作 年代 と禅 の分 類に つい て少 しく 論じ た︒ その 結果

︑臨 済宗 と曹 洞宗 の宗 派対 立の 記述 から

︑作 者は 日向 でな い可 能性 が浮 かび 上が った

︒ま た︑ 禅の 分類 につ いて は︑

﹁三 種の 禅﹂ は仏 の教 えを 伝授 する 方法 とし て﹁ 教禅

﹂︑

﹁如 来禅

﹂︑

﹁祖 師禅

﹂と 分類 して いる こと が解 った

︒第 一に

︑一 切経 に基 づく

﹁教 禅﹂ を︑ 第二 に︑ 楞伽 経に 依る 口伝 の方 法の

﹁如 来禅

﹂を

︑第 三に

︑禅 問答 によ る無 言の 伝授 方法 の﹁ 祖師 禅﹂ を置 いて いる こと が理 解で きた

︒﹁ 十種 の禅

﹂に 関し ては

︑大 慧語 録か らの 禅の 区分 の一 文を 写し てい るこ とが 明ら かに なり

︑日 蓮宗 の人 々が 大慧 語録 など を見 てい た可 能性 もあ るが

︑同 時に 典拠 不詳 の﹁ 祖師 禅﹂ の禅 問答 の記 述な どか ら︑ 当時 の日 本の 禅僧 によ って 書か れた 禅語 録な どか ら転 写し てい る可 能性 も推 察で きる()

29

『金 綱集

﹄﹁ 禅見 聞﹂ は﹃ 日蓮 遺文

﹄と の共 通点 が多 くあ ると 考え られ てい るが()

︑一 方で

︑大 慧語 録か らの 引用

30

の﹁ 十種 禅﹂ など

︑﹃ 日蓮 遺文

﹄に は見 られ ない 禅の 記述 も多 い︒ 本文 でも 論じ たが

︑﹁ 禅見 聞﹂ は作 成年 代が 十 四世 紀半 ば以 降に なる ので

︑日 蓮の 没年 の一 二八 二年 より 百年 近く 時代 が下 がり

︑禅 およ び禅 宗の 内容 は︑

﹃日

(12)

蓮遺 文﹄ が書 かれ た時 代の もの と大 きく 変わ って いて 当然 かと 考え る︒ 今後

︑﹃ 日蓮 遺文

﹄と

﹃金 綱集

﹄﹁ 禅見 聞﹂ の内 容を 比較 する こと によ り︑ 十三 世紀 から 十四 世紀 以降 の日 本禅 宗史 の一 面を 解明 する 一助 とな ろう

︒ (了 ) (

)

( )

( )

( )

( )

53 ( )

( )

( )

( )

( )

( 10 )

( 11 )

12

表 れ る 大 日 房 能 忍 と そ の 禅 に つ い て ﹂ ︑ 五 七 〇 頁 ︶ こ こ に 訂 正 さ せ て い た だ く ︒ ﹁ 十 種 の 禅 ﹂ に つ い て は ︑ 石 井 修 道 氏 が大慧語録の訳注で詳しく説明されている︒︵﹃大乗仏典﹄﹁中国・日本篇十二禅語録﹂︑中央公論︑三五九頁︑訳注一九二︶()『大慧普覚禅師法語﹄二〇︵﹃大正蔵﹄四七︑八九五下︶(28)『日蓮遺文﹄﹁立正観抄﹂には︑﹁禪宗の一門云く︑﹃松に藤懸る︑松枯れ藤枯れて後如何︒上がらずして一打なむ﹄と29云へる︵は

参照

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