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信濃国松代真田家文書目録 (その11)

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Academic year: 2021

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信濃国松代真田家文書目録

(その11)

史料目録 第90集

(3)

写真1 京都出張往還入費関係書類綴 (の1)

写真2 元松代庁官員へ酒下賜関係書類一括(の4)

写真3 本上納証文綴(の33)

(4)

写真4 村々荒所見分仕訳書並びに村々願書綴(ひ4)

写真5 中借証文綴(ひ297)

写真6 根越組名主曽野右衛門他五名拝借金証文(ふ4−1)

(5)

凡  例

1 本目録は、『史料目録』第90集として「信濃国松代真田家文書(その11)」を収めた。

「信濃国真田家文書(その一)」は『史料館所蔵史料目録』第二十八集として、昭和53(1978)年に 刊行した。その後、目録(その二)から目録(その10)まで刊行してきた。今年度は目録(その11)・目録(そ の12)を刊行する。これによって当館で管理している真田家文書全体の目録編成は一応終了することとなっ た。

2   目録の編成にあたっては文書群の管理・保存部局と作成部局に留意し、ISAD(G)(国際標準:記録 記述の一般原則)の考え方も参考にしつつ、項目で編成する方式をとった。

3   各まとまり単位に区分け配列し、各区分け名称を付し、また区分け名称の後に、「勘定所」や「計政局」

など部局名を記しているが、それは当該文書群を最終的に管理・保存していたと考えられる部局である。部 局名を付していないものがあるが、それは部局を特定できなかったためである。

4   真田家文書の未整理史料の把握のため現状調査した折りに、解題で述べるように箱番号としてアルファベッ トを付したが、これまでの刊行目録の番号付与の方法との整合性をはかり、かつデータ処理の統合性を保つ ために、本目録では、「A・B・C・D・E・J」をそれぞれ「ね・の・は・ひ・ふ・へ」と置き換えた。場合に よっては、「ね(A)・の(B)・は(C)・ひ(D)・ふ(E)・へ(J)」と併記した形で表示した。

5   袋・こより紐などによる一括史料は、史料館へ譲渡後の仮整理時に一括されたと推定されるものも含め、

すべて現状のまま一括掲載し、枝番号付与で物理的階層を示すこととした。一括内の個々の史料配列順も 原則として現状通りとし、並び替えは行わなかった。一括史料に表題がない場合は、仮に全体表題を付与し て( )内に記した。

6   史料 1 点ごとの記述は、①表題・作成等(表題、作成→宛所、備考)、②年代(作成年月日)、③形態・

数量、④整理番号、の順に記載した。

  表題は、本目録の大半を占める書付型史料の場合、原則として差出人+文書名のかたちで付与した。表 題の付与に当たり、原文書に柱書がある場合は表題の後に[ ]で記した。また、柱書がない場合で端 裏書など文書管理文言がある場合は、それを採用し、(端裏書)[ ]と標記した。また、表題や柱書だ けで不十分な場合は、さらに( )で内容を摘記した。表題などで、□・[ ]が付されているのは、原 史料が虫損などにより解読不能のためである。

作成・宛所で、- →、→ -と- を付しているのは、作成ないし宛所が不明であることを示しいる。

  形態は、本目録の大半を占める書付型史料の場合、竪紙、横折紙、竪継紙、横切紙、切紙などと表記 することで、料紙の使用法の違いを示した。

7   本目録では史料が保管されてきた秩序に応じて史料番号を付与したため、目録上では史料が番号順に並 んでいない。そのため番号による検索には不便をきたすので、史料の引用に際しては番号のほか掲載頁も

(6)

併記することをお願いしたい。

8 本目録はアーカイブズ研究系の高橋実が担当し、太田弥保、佐藤有、志田達彦、高橋伸拓(以上 2008 年度)、榎本博、清水邦俊、鈴木直樹、種村威史、長谷川雅也(以上 2008 年度〜 2009 年度)、小田真裕、

北村厚介、萩原拓己(以上 2009 年度)の諸氏の協力を得た。なかでも、種村威史氏の協力は大きい。

(7)

総 目 次

口絵 凡例 総目次   

本文細目次 ………  1

信濃国松代真田家文書目録(その11)解題 ………  7

文書群記号 ………  7

文書群名  ………  7

年  代  ………  7

数  量  ………  7

入手の経路  ………  7

真田家文書について  ………  7

1 真田家と松代藩の歴史 ………  7

2 真田家文書の管理と伝来 ………  7

①真田家文書の管理・保存 ………  8

②真田家文書の伝来  ………  9

③戦後に分割された真田家文書  ………  11

④国文学研究資料館真田家文書の整理の歴史  ………  12

⑤真田家文書群の特色  ………  13

3 収録文書群の構造と目録編成方式  ………  14

4 松代藩の職制について ………  16

5 個別文書群内の配列と概要 ………  17

6 真田家文書関連文献一覧 ………  37

7 補説 払方御金奉行の財方における役割について ………  41

(8)

本文細目次〔文書群の構造〕

ね文書群

1 真田家/家政/長国寺永続金・旧家臣借用    真田家家令・家扶 ……… 63

2 真田家/家政/地券・土地登記    真田家家令・家扶 ………  64

3 真田家/家政/交際など  真田家家令・家扶 ……… 70

4 真田家/家政・家計/家禄・所得・諸用  真田家家令・家扶  ………  71

5 真田家/家計/米切手・地域献金・買物代など  真田家家令・家扶 ………  72

6 真田家/家内/学芸    真田家 ………  82

7 藩政/財方/小銭・銭札  勘定所 ………  82

8 藩政/家臣/勤役要用金中内借用  勘定所 ………  83

9 藩政/在方/両替融通銭札借用  勘定所 ………  84

10 藩政/江戸屋敷/替地  江戸役所 ………  84

11 松代庁/財方/太政官札引換  計政局 ………  85

12 松代庁/財方/贋金取計い  計政局 ………  87

13 松代庁/財方/商社規則  計政局 ………  87

14 松代庁/庁政/藩士献言  政治所 ………  88

15 元松代庁/財方/旧藩士御救い  元計政局 ………  88

16 その他 ………  88

の文書群 1 真田家/家政/太政官布達など  真田家家令・家扶 ………  89

2 真田家/家計/寄付金・農工銀行  真田家家令・家扶 ………  89

3 藩政/財方/勘定用状  勘定所 ………  90

4 藩政/財方/給金勘定など  勘定所 ………  93

5 藩政/財方/出張中諸宿諸費受取  勘定所 ………  94

6 藩政/財方/北陸総督府通行賄い代取計  勘定所 ………  97

7 藩政/財方/京都出張往還宿費・銃隊賄い代受取  勘定所 ………  98

8 松代庁/庁政/通達・高帳調査・藩印交付・中野出張など  政事局 ……… 101

9 松代庁/財方/財政運用方上申・用状・諸勘定  計政局 ……… 104

(9)

10 松代庁/財方/出納伺・指示  計政局 ……… 108

11 松代庁/財方/用達金送金その他  計政局 ……… 114

12 松代庁/財方/財政運用策献言など  計政局 ……… 116

13 松代庁/財方/用度役所東京買物・諸品調達  計政局 ……… 119

14 松代庁/財方/米穀相場調査・記録  計政局  ……… 131

15 松代庁/財方/冥加金上納など  計政局 ……… 133

16 松代庁/財方/借用金・藩士拝借金返済  計政局  ……… 135

17 松代庁/財方/足軽給金勘定  計政局 ……… 136

18 松代庁/財方/全国銭札・藩銭札取扱い  計政局  ………136

19 松代庁/財方/国絵図作成褒賞  計政局 ……… 137

20 松代庁/番方/新潟等出張・降伏人預  番方役所 ……… 137

21 松代庁・真田家/財方・家計/賞典・酒料など  計政局・真田家家令家扶  ……… 138

22 その他 ……… 141

は文書群 1 藩主 ( 藩侯 ) /内方/遺品譲目録  奥元 ……… 142

2 真田家/家政/所有地  真田家家令・家扶 ……… 142

3 真田家/家政/長国寺御救い願書など  真田家家令・家扶 ……… 143

4 真田家/家政/白鳥神社上申  真田家家令・家扶 ……… 143

5 真田家/家政/諸用状  真田家家令・家扶 ……… 143

6 真田家/家計/金銭勘定・為替切手  真田家家令・家扶 ……… 150

7 真田家/家計/資金融通  真田家家令・家扶 ……… 154

8 真田家/家計/世襲財産  真田家家令・家扶 ……… 154

9 真田家/家内/寺社絵図  真田家 ……… 154

10 真田家/家内/藩主染筆・古書購入  真田家  ……… 155

ひ文書群 1 藩主(藩侯)/勝手方/貞松院月割金   勘定所 ………  156

2 藩主・真田家/勝手方/知藩事一族月割金  計政局 ………  157

3 藩政/財方/御勝手方取計い上申  勘定所 ……… 161

4 藩政/財方/勘定向き取計い用状  勘定所 ………  161

5 藩政/財方/才覚金・御用達金費  勘定所 ……… 164

(10)

6 藩政/財方/施策遂行費・旅費中内借  勘定所 ……… 164

7 藩政・松代庁/財方/営業資金・施策遂行費中借  勘定所・計政局  ……… 208

8 藩政/財方/高掛借入金半減措置願い  勘定所 ……… 209

9 藩政/財方/施策遂行内借金返済受取  勘定所 ……… 210

10 藩政/財方/施策遂行中借金払切  勘定所 ……… 210

11 藩政/家臣/払方御金奉行所管金より勤役費内借・返済・未納  勘定所 ……… 215

12 藩政/家臣/元方御金奉行所管金借換金中借  勘定所 ……… 217

13 藩政/町方/取為替金訴訟・内済  勘定所 ……… 225

14 藩政/町方/御救い措置願書  勘定所 ……… 225

15 藩政/在方/荒地年貢減免願書・請書  勘定所 ……… 229

16 藩政/在方/内借掛所管金より資金内借  勘定所 ……… 235

17 藩政/在方/御城用材薪掛所管金より資金内借  勘定所 ……… 237

18 藩政/在方/借用金返済日延・猶予願書  勘定所 ……… 240

19 藩政/在方/浄福寺蓮根植付ほか願書  郡奉行所 ……… 243

20 松代庁/財方/産物会所運営資金金策  計政局 ……… 244

21 松代庁/財方/施策遂行費・旅費中内借  計政局 ……… 245

22 松代庁/在方/財方所管金より資金内借  計政局 ……… 253

23 松代庁/財方/善光寺より借入金  計政局 ……… 256

24 松代庁/財方/町方御用達金・全国通用銭札引替   計政局 ……… 257

25 元松代庁/政務方/施策遂行費・旅費中借  元計政局 ……… 257

26 その他 ……… 270

ふ文書群 1 藩政/家臣/拝借金証文   勘定所 ……… 271

2 藩政/在方/村方御救い拝借金証文   勘定所 ……… 272

3 藩政/在方/村方拝借米返済受取報知  勘定所 ……… 301

へ文書群 1 藩主(藩侯)/内方/御刀・武具・馬具拵  奥元 ……… 303

2 藩主(藩侯)/内方/譲与蒔絵・太刀目録  奥元 ……… 304

3 真田家/家計/銀行創立・小銃方角打ち代  真田家家令・家扶 ……… 304

4 藩政/表方/町年寄ら年頭御礼人取  表方 ……… 305

(11)

5 藩政/表方/諸御用用の刀脇差授受  番方 ……… 305

6 藩政/番方/横浜応接警護の月番老中書付  御用方 ……… 314

7 藩政/番方/鎮台府より留守居呼出一件  番方 ……… 315

8 藩政/番方/武具方上申・指示・用状  番方 ……… 315

9 藩政/番方/二鞍馬運用上申  番方 ……… 317

10 藩政/番方/鉄砲・弓等稽古場建設  番方 ……… 318

11 藩政/番方/武具方所管武備向き用状並びに武具・武具関係品拝借  番方 ……… 322

12 藩政/番方/武具方所管武具・武具関係品拝借・目録  番方 ……… 326

13 藩政/番方/武具方所管上京御用服・武具・具足・張笠拝借  番方 ……… 359

14 藩政/番方/新小銃組編成  番方 ……… 362

15 藩政/番方/新小銃組発射中り調書  番方 ……… 363

16 藩政/番方/百目筒図面  番方 ……… 364

17 藩政/番方/真田石見馬印平面図  番方 ……… 364

18 藩政/番方/武具方所管武具・武備・諸費上申  勘定所 ……… 364

19 藩政/番方/武具方所管武具・火薬購入製造諸費上申  勘定所  ……… 367

20 藩政/番方/武具方鉄砲奉行所管張筒製造上申  勘定所 ……… 368

21 藩政/番方/武具方庶務筆墨料上申  勘定所 ……… 369

22 藩政/番方/武具方所管小銃組諸費上申  勘定所 ……… 369

23 藩政/番方/武具方所管鉄砲買上費上申  勘定所 ……… 370

24 藩政/番方/武具方所管鉄砲師昼賄い上申  勘定所 ……… 370

25 藩政/番方/馬奉行所管馬具出来・日吉馬場借入可否上申  勘定所 ……… 370

26 藩政/番方/西寺尾村硝石作場潰地小作籾支給上申  勘定所 ……… 371

27 藩政/番方/大坂で錫購入御用請書  勘定所 ……… 371

28 藩政/番方/船手方所管御手船譲渡・入札  勘定所 ……… 371

29 藩政/番方/武具費内借金勘定・用状  勘定所 ……… 372

30 藩政/番方/文武学校・武具諸費・鉄砲調練費用状  勘定所 ……… 374

31 藩政/番方/鉛買上費用状  勘定所 ……… 374

32 藩政/番方/武具方所管鉄砲製造費増額訴願  勘定所 ……… 375

33 藩政/番方/武具方所管硝石製造用石臼代滞り訴訟取下げ  勘定所 ……… 375

34 藩政/番方/元武具方仲間硝石製造懸硝石抜け荷一件処置  勘定所 ……… 375

35 藩政/番方/浦賀表海防臨時出張手当金拝借  勘定所 ……… 376

36 藩政/番方/武具方所管武備・武具・火薬等購入製作修復費中内借  勘定所 ……… 382

(12)

37 藩政/番方/武具方所管武具・火薬等購入製作・修復その他諸費受取  勘定所 ……… 406

38 藩政/番方/先手組稽古費・鉄砲方諸費受取  勘定所 ……… 461

39 藩政/番方/足軽組高島流砲術稽古費受取  勘定所 ……… 462

40 藩政/番方・財方/大銃鋳造費受取  勘定所 ……… 464

41 藩政/番方/剱付鉄砲購入費受取  勘定所 ……… 466

42 藩政/番方/合薬方所管硝石製造費受取  勘定所 ……… 466

43 藩政/番方/硝石方所管硝石製造道具・材料費村々受取  勘定所 ……… 472

44 藩政/番方/出陣諸費受取  勘定所 ……… 475

45 藩政/番方/武具収納箪笥等製作見積  勘定所 ……… 483

46 藩政/番方/鞍鑑定  勘定所 ……… 484

47 藩政・松代庁/番方/武具方・武庫方上申・用状  番方 ……… 484

48 藩政・松代庁/番方/武具方・武庫方所管武具・武具関係品拝借・受領  番方 ……… 488

49 藩政・松代庁/番方/武具方拝借切手並びに武具方より武具拝借  計政局・番方  ……… 497

50 藩政・松代庁/番方/武具方・武庫方所管武具・武備費上申  勘定所・計政局 ……… 514

51 藩政・松代庁/番方/武具方・武庫方所管武具・武備費中借  勘定所・計政局 ……… 515

52 藩政・松代庁/番方/硝石方・武庫方より硝石製造道具・材料費村々受取  勘定所・計政局 … 516 53 松代庁/番方/松代藩兵隊交代の新潟県庁通牒・帰藩届  政事局  ……… 525

54 松代庁/番方/武庫方運営上申・伺い並びに用状  番方役所 ……… 525

55 松代庁/番方/武庫方所管武具ほか取計い達・伺い並びに指示  番方役所 ……… 540

56 松代庁/番方/徴兵士病気措置伺い  番方役所 ……… 549

57 松代庁/番方/武庫方所管鋳物師弾丸献納褒賞  番方役所 ……… 550

58 松代庁/番方/下付鉄砲類武庫方受領  番方役所 ……… 550

59 松代庁/番方/武庫方所管火薬等製造作費上申・伺い  計政局 ……… 550

60 松代庁/番方/武庫方所管武具調達・修復費並びに運営費上申  計政局 ……… 558

61 松代庁/番方/兵食料費過払い返納上申  計政局 ……… 571

62 松代庁/番方/喇叭手等への諸手当上申・指示  計政局 ……… 571

63 松代庁/番方/割番所品・営繕費等上申  計政局 ……… 573

64 松代庁/番方/武庫方借用調練太鼓返却伺い書  計政局 ……… 574

65 松代庁/番方/武庫方所管銃隊調練費・使丁増員上申  計政局 ……… 575

66 松代庁/番方/武庫方所管古鉄払切り上申  計政局 ……… 575

67 松代庁/番方/武庫方所管瑞西銃買入手当用状  計政局 ……… 576

68 松代庁/番方/給禄掛役所所管農兵手当金支給願い  計政局 ……… 576

(13)

69 松代庁/番方/営繕局所管武具木札・武具箱製作諸費上申  計政局 ……… 577

70 松代庁/番方/営繕局所管西条村西越の鉄砲角場石垣建設費伺い  計政局  ……… 577

71 松代庁/番方/営繕局所管銃隊調練赤坂角場普請見積入札  計政局  ……… 578

72 松代庁/番方/荷物会所掛所管上京荷物荷造・搬送費中借伺い  計政局 ……… 579

73 松代庁/番方/武庫方所管硝石製造場建築・建材費村々受取  計政局 ……… 579

74 松代庁/番方/武庫方所管武具拝借並びに火薬購入費・武具修復費拝借  計政局 ………… 584

75 松代庁/番方/器械方所管鉄砲製造道具・材料費中借  計政局  ……… 586

76 松代庁/番方/武庫方番士手当金書上  計政局 ……… 594

77 松代庁/番方/硝石方所管硝石製造費村々受取  計政局  ……… 595

78 元松代庁/番方/上田分営諸入用受取  元計政局  ……… 603

79 元松代庁/番方/旧武庫方褒賞並びに費用伺い  元計政局 ……… 604

80 元松代庁/番方/元武庫方所管武具加工所借地年貢滞納払い伺い  元計政局  ……… 605

81 松代庁/財方/神社郡政庶務方所管入用道具上申  計政局  ……… 605

82 その他  ……… 605

(14)

信濃国松代真田家文書目録(その11)解題

文書群記号 26A

文書群名 信濃国松代真田家文書「ね(A)・の(B)・は(C)・ひ(D)・ふ(E)・へ(J)」の部 年  代 天正年間(1573-91)年〜明治 45(1912)年

数  量 7,622点

註、目録(その9)で、真田家文書目録の解題全体を統合し、さらに真田家文書の管理と伝来などに関 する新しい知見を総合した解題を付したが、今年度の目録刊行によって全体の目録化が完成するので、

この目録にも目録(その9)の解題を基本とし、それにいくつかの知見を加え、さらに補説として「払方 御金奉行の財方における役割について」(種村威史)を加えて、真田家文書の利用に便となるようにした。

入手の経路

本目録は、当館所蔵の信濃国松代真田家文書(文書群記号26A)のうち、既刊史料目録の収録対象か らはずされ、書庫の側壁棚に別置されていた文書群の現状を把握するため行った仮整理の段階で「ね(A)・ の(B)・は(C)・ひ(D)・ふ(E)・へ(J)」の記号が付された書付型史料群を収録したものである。真田 家文書の入手経路については『信濃国松代真田家文書』(その一)〜(その六)、とくに(その一)と本目 録の解題を参照されたい。

真田家文書の未整理文書の把握のため現状調査した折り、後述するように箱番号としてアルファベットを付 したが、これまでの刊行目録の番号付与の方法との整合性をはかり、かつデータ処理の統合性を保つために、

本目録では、「A・B・C・D・E・J」をそれぞれ「ね・の・は・ひ・ふ・へ」と置き換えた。場合によっては、「ね

(A)・の(B)・は(C)・ひ(D)・ふ(E)・へ(J)」と併記した形で表示した。

真田家文書について 1 真田家と松代藩の歴史

真田家と松代藩の歴史については、『史料館所蔵史料目録 第二十八集(信濃国松代真田家文書〈その 一〉)』から『目録(その8)』の解題、とくに(その一)(その二)の解題を参照されたい。さらに、解題末 に掲載した,『長野市誌』『長野県史』などの地方史誌類も参照願いたい。

2 真田家文書の管理と伝来

真田家文書の文書管理や伝来については、後述するようにこれまで種々論じられてきた。『真田家文書目録』

(15)

(その一)(その二)の解題で、その段階までに明らかとなっていた事実を整理している。これまで刊行された 目録(その8)までは、この解題に依拠してきた。しかしその後、真田家文書の管理と伝来についての調査・

研究が進み、また30年前に刊行された『真田家文書目録』(その一・二)を参照することが難しいことも生じ ているようなので、『真田家文書目録』(その9)段階で、その後の調査・研究成果をも取り入れ、真田家文 書の管理と伝来についてまとめておいた。以下の解題は、それに若干加筆と付論を加えたものである。

①真田家文書の管理・保存

日記や文書類はそれぞれの部局で作成され、管理保管されてきたものであろうが、それぞれ一定の年限が 経過すると長期保存・永年保存の文書記録を専管する部署に引き渡される。それを引き継いだ文書記録専管 部署は、「御日記御土蔵」(場所は三の丸で、花之丸御殿へつながる中御門近くに建設されていた二階建ての 土蔵)などに保存し、管理していたようである。その管理台帳の全体は不明であるが、その一つが国文学研 究資料館アーカイブズ研究系編『藩の文書管理』(名著出版、2008年)に収録した「日記并諸帳面入注文」

である。

「御勘定所図面」(年代不明。真田家文書し10<『信濃国松代真田家文書目録(その8)』63頁>)に よれば、勘定所の敷地内の少し離れた場所に飯米蔵と棟続きで「御日記土蔵」(御勘定所御帳蔵)がある。

執務場所や台所から離れた場所で、土蔵造りであるから防火に配慮した設置であるといえよう。さらに離れたと ころに「御用紙御蔵」などが配置されているところから、日記土蔵(帳蔵)は、執務場所から少し離れているが、

日常的参照ためにも出納が難しくない場所に設けられたものと考えられる。この「御勘定所図面」とほぼ同じ 平面図が、『松代城絵図集成』(66頁、真田宝物館、2006年)に掲載されており、「松代御蔵屋鋪絵図」

という名称が付されている。おそらく「御勘定所」には、年貢米などを保管する蔵が多く設けられていたため 一般に「御蔵屋敷」と称されていたのであろう。       

この勘定所(御蔵屋敷)は、松代城東側の堀のさらに北東の場所にある「蔵屋敷」がそれであろう(『松 代城絵図集成』所収「信州松代之城図」<年代不明>。真田宝物館の原田和彦氏教示)。勘定所の北は 筑摩川(千曲川)の河川敷につながり、東と南は侍屋敷である。

「御勘定所図面」によれば、この勘定所(御蔵屋敷)には、郡方の執務部屋の他に、勘定元〆、代官、物書、

籾掛、御金掛、御内借掛、拝借掛、御蔵番、手代、仲間らが勤める部屋が配置されている。いっぽう「松 代御蔵屋鋪絵図」には、御郡方役所、拝借方役所(御金掛、御内借掛、拝借掛という名称は付されていな いが部屋の位置と大きさは「御勘定所図面」と同じである)、勘定所、御勘定所御帳蔵とあり、「御勘定所図面」

とほぼ同じ配置である。

そういう点で、勘定所(御蔵屋敷)は、在方・財方の中核部署の役所といえよう。ここで業務にともなって作成し、

受け取り、管理し参照してきた文書記録が、時の経過とともに日常的参照の機会が少なくなると、同じく年数の 経過した執務日記類とともに「御日記土蔵」(御勘定所御帳蔵)という帳蔵(文書庫)で管理・保管していた のではないだろうか。後述するが、本目録に収録した文書の大半は、最終的にこの勘定所ないし勘定所所管

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の帳蔵(文書庫)において管理され、保管・保存されていたものと思われる。

松代藩では、財方の職制が整備されていたことは伺われるが(吉永昭「藩財政についての基礎的研究(上)・

(下)」(『史学研究』第55号・56号、1954 年))、いまの段階ではその概要は不明である。ただ、補説とし て掲載した種村論考によれば、藩財政組織の基幹に御金奉行所が位置しており、御金奉行所には収入を扱う 元方御金奉行と支払いを担当する払方御金奉行(払方役所)の二つの部署があった。諸役所からの請求に 対する支払いは払方御金奉行がかかわっている。

御金奉行は、納戸方に属していたようで、勘定方とは所属が異なっている。これは、大元の収支を司る職制 と個別の財務を司る職制に一定の距離を持たせたためであろうか。

宝暦10年の「御本丸御絵図」(『松代城絵図集成』52頁)によれば、「納戸方御金方」は本丸の一階 の南東部分にある。この一階部分には、殿様の寝所や居間があり、それを取り囲むように「小納戸」「近習方」

など側方の諸詰所があり、さらに「御用部屋」などの重要な役職の勤務場所がある。そこから大広間を隔て た南東部の角に設けられており、その近くに大きな「御土蔵」や「辰巳櫓」がみえる。

明和4年に、本丸機能の政務財務部門が「花の丸御殿」に移り、御金方役所は「台所続二階」に配置 されることとなった。

②真田家文書の伝来

信濃国松代藩の文書群は、現在、真田宝物館(長野市松代町)と国文学研究資料館に分割されて所蔵 されている(伝来の概要については、原田和彦「松代藩における文書の管理と伝来」<国文学研究資料館アー カイブズ研究系編『藩政アーカイブズの研究』岩田書院、2008年>によっている。)。

真田宝物館所蔵史料は、総数1万3千点余りで、保存蔵の中でさらに大小の箱や箪笥・長持などに収納さ れていたという特徴がある。国文学研究資料館(譲渡当時は、文部省史料館)所蔵史料は、昭和26(1951)

年に真田家から譲渡を受けたもので、現在も継続して史料目録を作成し刊行中の膨大な文書記録群である(そ のほか寄託文書2千点余)。譲渡した分と残した分を内容的に区分けした明確な基準はみられないが、譲渡 段階でそれぞれ異なる場所で管理・保存されていたとみられている。なお譲渡分は3万件余という点数がしば らく示されていたが、それは1980年代での既整理分を含めた予想の点数であり、整理が完了するとおそらく 7万件近い件数になると思われる。

原田和彦氏の研究によると(原田和彦「『真田家文書』について」(『信濃』第50巻第4号、1998年)、 松代藩文書は、A大名真田家としての戦国時代からの伝来の文書群(「吉文書」)とB松代藩の各部局が作 成し、管理・保存してきた文書群に分けられ、前者Aの多くが真田宝物館に所蔵されている(現在、それらの 一部は長野県宝に指定されている)。

真田家は明治政府から歴史編纂のための史料提供の要請を受け、日記類を中心とした調査と整理を行った。

さらに大正7(1918)年から14年にかけても、史資料の整理を行ったが、その際Aに関しては天保4(1833)

年に作成された「吉光御長持入記」(「吉文書」)という目録が用いられ、Bについては「旧藩御日記其外書

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類入記」が新しく作成され、その後の文書群の管理・保存に用いられてきたという。

大正期の整理記録に、松代の真田家別邸の二番倉一階全部に「民政上累年の書留帳簿類」が保存され ていたとあり、また土蔵の中でさらに箪笥類に保存されていた「多数の書類や伝来の図書」があったことが述 べられている。原田氏は、前者が文部省史料館(現在、国文学研究資料館)に譲渡されたBで、後者が真 田宝物館(1966年、真田家から当時の松代町〈同年に長野市へ編入〉に寄贈)に伝えられたAであろうと 推定している。Aの文書管理史については、解題末の関連文献にあげた原田和彦氏の一連の論考を参照し ていただきたい。

真田宝物館のものと国文学研究資料館のものをあわせると8万件を超える膨大な史料群であるが、Bの松代 藩政文書全体の特徴は大きくわけて二つある。一つは幕府老中関係の文書群で、もう一つは約2,000冊の日 記である。その多くは各役・各部署が公的に記録した公的御用日記である。種類は「家老日記(江戸・国 許)」をはじめ約50種ほどである。中には欠本のために連続性を欠くものや、1冊しか残っていないものもあるが、

家老のほか御側向諸役、勘定方・郡方に御目付を加えた主要奉行所などの役職日記が伝えられていることに 特色がある(原島陽一「宝物館所蔵真田家文書の特色と意義」<『松代─真田の歴史と文化─』第4号、

1991年>)。この日記類については『史料館所蔵史料目録 第二十八集(信濃国松代真田家文書〈その一〉)』

(国立史料館、1978年)の「解題」を参照されたい。中でも「家老日記」は貞享3(1684)年から明治 4(1871)年まで、289冊現存している。これらの日記の大半は国文学研究資料館にあるが、真田宝物館に も200冊あまりの日記が確認されている。

明治4年7月に廃藩置県が行われ、松代藩も松代県となった。しかし、その後、明治4年11月、信濃国内 諸県の統廃合があり、松代はじめ飯山・須坂・上田・小諸・岩村田、椎谷(一部)の7県は廃止となり、長 野県に統合された。松代には長野県松代庁が置かれたが、明治5年2月に松代庁のすべてを長野県庁に移管 し、閉庁となった。松代県村々はこのような統治体制の改編にともなって長野県に引き継がれることとなった(『長 野市誌 第五巻・歴史編近代一』長野市、1997年)。廃藩置県の折に、全ての藩で事務引継と文書記録の 引き渡しが行われたであろう。松代県から長野県への引継書類の記録は、前出の『藩の文書管理』に収録 されている。

廃藩置県によって、藩侯の文書記録と、松代藩庁管理の文書記録のうち松代県・長野県に引き継がれない 文書記録は、元知県事真田家のもとにおかれ、時を移さず新御殿(通称、真田家別邸)内の蔵に収蔵され たものと推測される。

明治期になると諸般の事情で、家臣諸家から文書記録が流出する事態が生ずるが、真田家では積極的に それらを収集している(原田和彦「真田家文書の基礎的考察―流入文書について−」<『松代─真田の歴 史と文化─』第10号、1997年>)。このように流入文書があり、さらに東京の真田邸からの道具類を合わせ て明治13(1880)年に整理が加えられているが、それでも明治期には幕末期の文書管理保存の形態をほ ぼそのまま受け継がれていたようである。その伝来形態に手が加えられたのは、前述した大正7(1918)年

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からはじまる伝来の絵画・諸道具および古文書類を合わせた総合整理によるものであった。大正7年から14年 にかけて、真田家別邸に伝えられていた大名道具類や古書・古文書類が全面的に整理されたのである。

このように伝来形態の改変があったことはたしかであるが、しかし箱単位や塊の形は大きくくずされてはいな い。文書記録の「ウブ」な形が多く伝えられていたことが松代藩文書群の一つの特徴である。

それはいうまでもないが、真田家をはじめとする多くの関係者の配慮と努力があったためであり、様々な諸条 件がうまく整っていたからである。廃藩置県から戦前期までは、真田家政組織による美術工芸品や道具類、あ るいは古書・古文書類の管理・保存のための大きな努力と配慮の積み上げがあったため、多くの資料が今日ま で伝えられてきたのである(以上、前掲『藩の文書管理』の解題にもとづいている)。

③戦後に分割された真田家文書

真田家文書は、現在、国文学研究資料館と真田宝物館に二分されている。この分割についてさまざまに論 じられてきたが、史料館で整理を担当した原島陽一氏は、この分割については両者に重なる部分があるために、

厳密に分割基準らしきものはなかったとしている(原島陽一「宝物館所蔵真田家文書の特色と意義」<『松代』

第4号、1991年>)。

一方、北村保氏は、真田宝物館文書はそれぞれある種のまとまりをもって収納されており、一番から三一番 に分類された大小不揃の容器に収納され、真田家の分類にもとづいて真田邸内の土蔵に収納された状態のま まで整理されたものであるという。そして、他の文書記録類とは区別され、真田家では「異なる扱いを受け、

異なる土蔵に収納されていた」と指摘している(北村保「真田宝物館所蔵真田家文書について」<『信濃』

44一2、1992年>)。この北村氏の指摘は、真田宝物館所蔵の真田家文書の管理・保存のあり方を端的に 示すものである。つまり、戦国期以来の家伝の文書は、真田家として重要な文書であるため、特別の保存措 置がはかられていたのである。

北村氏の指摘を受けた原田和彦氏は、大正7(1918)年の再整理時記録の検討によって、真田家文書 には二つのまとまりがあって、一つは箪笥など容器の中に収納されていた多数の書類と、一つは二番倉の階下 全部に置かれていた図書と民政上累年の書留帳簿類があったことを指摘した。さらに、この状態は文部省史 料館に譲渡された時にもそのままであったであろうとした上で、真田宝物館所蔵の真田家文書はその多くが箪 笥などに収納されているところから前者の「箪笥の中に所在する多数の書類や伝来の図書」にあたり、一方、

国文学研究資料館の真田家文書については「民政上累年の書留帳簿類」であったとした(前掲、原田和彦「松 代藩における文書の管理と伝来」など)。

このように、真田宝物館と国文学研究資料館の所蔵文書には、多少重なるところはあるが、真田宝物館の 文書は真田家の「家伝の文書」、国文学研究資料館の文書は「藩政の文書」で、後述するようにその多く は主として勘定所で管理・保存されていた文書群であると考えられる。

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真田家文書伝来経路図

④国文学研究資料館真田家文書の整理の歴史

以上のような経緯で、戦後、真田家文書の一部が文部省史料館の所蔵史料となった。真田家文書を松代 から東京へ輸送するのに鉄道貨車 1 輛を要したといわれるほどの大量なものであったため、冊子目録を編成す るための整理では、まず簿冊型史料と一紙型の書付・絵図とに形態分けをしている。この方法は、史料館の 整理方針とも相異し、利用にも不便であることは認識しつつも、多量の史料を少しでも早く目録化して一般の利 用に供するための例外的な措置として採用したものだと断っている(『信濃国松代真田家文書目録(その一)』

解題、1978年3月)。そして『信濃国松代真田家文書目録(その一)』には簿冊型史料約 1 万 1 千点を収録し、

『信濃国松代真田家文書目録(その二)』以降には、主として一紙型の書付・絵図の目録が収録され、現在、

『信濃国松代真田家文書目録(その10)』まで刊行している。平成21年度は残り全部の未整理史料と補遺 分をあわせて『信濃国松代真田家文書目録』(その11)と(その12)として刊行し、真田家文書目録の編 成と刊行を終了させることとした。寄託文書については目録(その12)の解題を参照願いたい。

なお、旧真田家別邸に残され、その後、長野市に寄贈となり、現在、真田宝物館で管理・保存されている 真田家文書については、前掲の原田和彦「松代藩における文書の管理と伝来」を参照されたい。

史料館では、印刷目録を6冊刊行した段階で、なお膨大な未整理史料があったため、平成12年度に、残 存史料状況を把握し、目録編成の方向性を探るため、概要調査を実施した(史料館リサーチアシスタント倉持 隆『史料館所蔵真田家文書未整理史料調査報告書』2001年。この報告書は刊行したものでない)。この 段階で、未整理史料は、品川区にあった旧書庫の2階史料庫前室(棚3・箱2)、2階史料庫奥室側壁に棚(箱 11・籠)に置かれており、全部で34箱(文書箱25・衣装箱7・ダンボール箱2)に残存史料が収納されていた。

このとき、棚や衣装箱など保存単位ごとに番号・記号が付されて、史料収納現状のスケッチや概要調査が行 われている。この概要調査のとき便宜的に付されたのがA〜Nの記号である。本目録に収録した「ね(A)・の(B)・ は(C)・ひ(D)・ふ(E)・へ(J)」はこのとき付された収納単位ごとの中間記号である(前掲『史料館所蔵

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真田家文書未整理史料調査報告書』)。なお、残存史料の整理の経緯については、本目録と同時に刊行され る目録(その12)の解題も参照されたい。

未整理史料といっても、一部仮整理済みで内容的にまとまっているものがあり、一紙書付型史料のみでなく、

簿冊型史料も未整理史料の中に混在している。

史料搬入からしばらく、前述したような事情で、史料館では史料そのものの形態分類や内容分類による整理 が行われてきた。それでも書付が一括して残存している場合にはその伝来形状を尊重して一括のまま配列し、

また事案毎に「一件史料」として封筒・袋等に一括伝存しているものはその伝存形状を尊重して史料を配列 したと明示しているように、紙縒で綴ったり、包紙で包んだりしていた個々の小文書群の固まりの原状はくずして いない。しかし、同じような内容・形態の文書をまとめて新しく綴ったり、紙紐などで束ねたり、新しく封筒にまと めたりしていることは多く見られ、これは史料原形の破壊である。当時の史料調査整理論の未発達や諸般の 事情があって一概に批判できないところであるが、たいへん残念なことである。それはともかく、史料館で新た に加えられた作為も、これも一つの「作られた現形」としてその纏まりを物理的に崩さず、整理を行い、番号 を付与していった。

そして、本目録編成にあたっては、「管理・保存の現形」の場合も「作られた現形」の場合も区別せず、

その小文書群単位をばらすことなく一括して配列した。したがって、「作られた現形」の小文書群には、内在 的に関連をもたない文書が混在しているものも少なくない。

この「作られた現形」に関連して、史料館に搬入された真田家文書の整理に当初から係わってこられた方 は次のように話している(前掲『史料館所蔵真田家文書未整理史料調査報告書』)。つまり、①黒い衣装箱 に入れられているもあるが、これは史料館で改めて入れ直したものである。また、箱ごとの意味はなく、雑多な ものが入っているということであった。さらに②受け入れ当初の整理は文書をすべてばらして一点ごとに旧封筒 に入れ、文書の内容を記載していた。その際に内容に合わせて「部門」を記入したが、現在ではそれが適 当なものかどうかは問題がある。そして③封筒に入れることが間に合わなくなり、文書の端裏に鉛筆で内容や 分類を記すようになる。④最初の内は文書を一点一点ばらしていたが、その後一括されていた文書の端をこよ りで綴じるようになったということである。

なお、衣装箱は三井文庫時代からのもので、松代からの搬入後、それほど時間が経過していない時期に、

一紙書付型文書をそれなりに形や内容を勘案してこの衣装箱に収納したのではないかといわれている。

⑤真田文書群の特色

前述したように、文部省史料館に移された文書記録は、松代の真田家別邸の二番倉一階に保存され、そ の所在が確認されていた「民政上累年の書留帳簿類」であることが明らかとなった。民政上とは主として郡 奉行所(勘定所・蔵屋敷)のことであると考えられる。既刊目録収録史料の大半も郡奉行所(勘定所・蔵屋敷)

に伝存された史料であると推定されている。

目録(その7)の解題でも、かなりの部分は郡奉行所(勘定所・蔵屋敷)に伝存した文書ではないかと推

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定しているが、①真田家文書の管理・保存の項で勘定所の絵図にもとづいて検討したように、当館所蔵の真 田家文書(藩庁の文書)、そして本目録に収録した文書の大半は、郡奉行所(勘定所・蔵屋敷)及びその管 理する帳蔵に保管・保存されていた勘定所関係の文書記録といってよいであろう。廃藩置県後、帳蔵文書の 大方は、散逸することなくそのまま真田家別邸の二番倉1階に移され、保存されてきたのであろう。

このような出所をもつ当館所蔵の真田家文書の特色について、これまで刊行した10冊の目録解題から整理 すれば次のようになろう。

・各役局で日常の執務の必要から作成された、いわゆる生の文書が圧倒的に多い。代官の年貢徴収のため に作製された「上納差出」から、奥向きの支払い帳簿まで、後年編さんされた文書がほとんどない。

・藩の要路に片寄らず、藩の職制や業務の上では末端に近いと思われる諸役人の仕事に関する事柄を示す 文書が少なくない。

・真田家文書の全体構成としては化政期以後の文書が圧倒的である。これは、嘉永6年の火災で、藩政文 書も大きな損害を受けた結果と思われる。

・勘定帳簿には、作成者のほかに、その勘定について確認し、立ち合い、見届け吟味するものなどが次々に 署名捺印している。

・一般的に廃棄されてしまっても何ら不思議でないような零細な書類が、しかも多量に残存しているところに特 色がある。

・文書の作成または受理を担当した部署で取扱った文書を一括して袋入などにして保存を計ったものが見受け られる。

・多いものは百通以上に達する組文書が見られる。

・村方騒動文書や争論文書など、事件に関係する一連文書が包括的にまとめられ、一括保存されているとこ ろに大きな特質がある。

・評議書類などで、定例化した事案でも毎回、伺を立てて決済を求めるという官僚的文書管理制度は確立し ていたと見受けられる。

・綴込伺書は農民上申文書をその中に含み込むが、本質的には藩の部局内授受文書というべきものである。

これら諸文書の伝存の理由は、これらが後代の事務参考に供すべき先例文書としての意味をもつこと、また そこに封入された農民提出の請書・済口証文・各種の誓約文書が永続的な証拠効力を有するといった事情 によるものであろう。

3 収録文書群の構造と目録編成方式

本目録に収録した「は(C)・ひ(D)」の文書群は、文部省史料館に搬入された後で黒い衣装箱に入れら れていたもので、「へ(J)」は同じ時期に葛籠に収納されたものである。「ね(A)・の(B)・ふ(E)」の文 書群は、2000 年度の未整理史料調査の時に中性紙製段ボール保存箱に収納したものである(前掲『史料

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館所蔵真田家文書未整理史料調査報告書』)。衣装箱・葛籠は、旧史料館書庫2階の奥室の右壁側に積ま れていたもので、保存箱に収納されたものは同じ書庫の前室にあった木製書棚にそれぞれまとめられていたもの である。

これらの内、一部藩政期にまとめられたものもあるが、大方は内容を勘案して真田家文書群のあちらこちらか ら集めて収納したものである。また、当時の整理担当者は箱ごとの意味はなく、雑多なものが入っているものも ある、と述べている(前掲『史料館所蔵真田家文書未整理史料調査報告書』)。このように本目録に収録した「ね

(A)・の(B)・は(C)・ひ(D)・ふ(E)・へ(J)」の各文書群は、そのかたまりにあまり意味がないものである。

したがって、内容上必ずしも明確なまとまりがあるわけではなく、また藩庁での作成部局あるいは保管部局を直 接特定できる文書も多くない。

アーカイブズ学の原則に従えば、目録編成は本来、各文書の最終保管部局を確定した上で、組織構造に 対応した文書群体系を示す編成にする必要がある。しかし、「ね(A)・の(B)・は(C)・ひ(D)・ふ(E)・ へ(J)」の部の文書群の場合、保管部局を明確に確認できる文書は少ない。

とはいえ、もともと関連文書を袋に収納して保存していたり、綴込んでいたり、紙縒で束ねていたりと、いわゆ る「管理・保存の原形」もある程度残っている。そこで、作成や宛先の人名を頼りに『真田家中明細書』(史 料館叢書8、東京大学出版会、1986年)で担当役職を特定することはある程度可能であった。もっとも松代 藩の場合、諸役を兼任する場合が少なくないこともあり、各文書を最終的に保管したと推定される部局を一つ に絞ることはなかなか困難であったが、複数の宛先人名および作成者がわかる場合は相当高い確度で推定で き、少なくとも職務の傾向はつかむことができた。

それによって、本目録に収録した文書で差出人(作成部局)・宛名(受理部局)が分かるか推定できるかな りの部分は、あるいは類推される文書伝達経路や取り扱われている事案の内容から考えて、在方・財方業務 に直接関わった郡奉行所、なかでも郡奉行の管轄のもとにある勘定所で管理・保存されてきた文書記録である 可能性が高い。

なお、財務組織や財務関係文書の作成・移動などついては、後掲の種村威史補説を参照されたい。

つづいて具体的編成についてである。衣装箱・葛籠・保存箱単位の大枠は崩さないで、その大枠のなか での区分けと編成を行った。前述したように各「ね(A)・の(B)・は(C)・ひ(D)・ふ(E)・へ(J)」と 記号を付された箱単位と、その次のレベルのまとまりは、ある段階で整理担当者によって人為的に集められたも のであるのであまり意味を持っていない。そのため次の第2層、つまり小文書群の塊、包み、結びなど、いわ ゆる「保存の現状」(原形の痕跡)が残っている「まとまりと括り」を編成の基本単位とした。そして、「まとま りと括り」(小文書群)単位の文書記録の受取部局を第一義編成基準とし、ついで作成部局や文書機能・文 書の動きを勘案して区分けし、編成した。どうしてもまとまりや関連を見出せない若干の文書は、各箱単位の後 に「その他」としてまとめた。

具体的には、まず第一に受取部署に着目し、ついで作成部署と文書記録の機能・移動などを勘案し、さら

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に次の階層段階でも、2001年の概要調査時の写真や中間番号順や整理時の現状(目録採録の順序)を重 視したが、部分的に従来の目録の内容区分けを加味した部分併用方式を採用した。

一応この様な方式で区分け編成しているが、不明確なものも少なくない。したがって、一群全体を見ていた だきたい。かかる編成方式による目録は、たしかに主題別などの分類目録に比べて検索に少し時間がかかるで あろうが、しかし検索からもれる文書は少なくなるはずである。

4 松代藩の職制について

文書の作成と管理システムを検討するためには、職制・部局とその機能が明確になっている必要があるが、

残念ながら松代藩に関する職制研究は進んでいない。わずかに『史料館所蔵史料目録第二十八集(信濃国 松代真田家文書その一)』(国立史料館、1978 年)の解題や『史料館研究紀要』第10号(1978年)に 収録された、原島陽一「真田家文書と松代藩家臣団の職制機構」及び井上勝生「藩財政史料の構造と分 類方法について」によってその一端を知ることができるだけである。

2001年に『長野市誌 第三巻・歴史編・近世一』(長野市)が刊行され、その一項目に「歴代藩主と藩組織」

が設けられ、叙述されているが、必ずしも立体的に把握できるようになっていない。今後の検討課題であろう。

本目録では、笠谷和比古氏が1988年に公表した「大名家文書の史料的特質と目録編成」(史料館編『史 料の整理と管理』岩波書店、所収。のち笠谷和比古『近世武家文書の研究』法政大学出版局、1998年 に再録)に掲載した「『大名家文書』成立の模式図」をもとに、真田家文書の整理の過程でえた知見をくわ えて「松代藩職制図」(種村威史作成)を作成してみた。文書利用の参考にしていただきたい。

なお、明治2年6月に実施された版籍奉還によって、諸藩は大幅な職制改正を行うが、松代藩の財政を担う「計 政局」や政務を担当する「政治所」などの職制が整い、稼働し始めるのは明治2年12月である。

そのため、前目録(その9)と同じく本目録でも個別文書群内の編成の大区分けでは、明治2年11月までを「藩 政」としてくくり、12月以降を「松代庁」(原文書には「松代藩庁」と出てくる場合が多い)としてくくった。

なお、職制改正によって郡方所管の財政・民政部局(御蔵屋敷が勤務部署)は計政局と神社郡政局に移 行し、納戸三役(元方御金奉行・払方御金奉行・納戸役で、花丸御殿が勤務部署)と勘定吟味は計政局 に移行したようである。これらの点については、補説および目録(その12)の解題を参照されたい。

また、「藩主(藩侯)」と「真田家」は区別しており、藩政期の藩主関係は「藩主(藩侯)」に区分けし、「真 田家」は明治4年の廃藩置県以降の元藩主家である真田家に関係するものを示している。

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5 個別文書群内の配列と概要

以下、各まとまり単位に区分け配列し、各区分け名称を付し、さらに当該文書群の概要を記述した。また、

区分け名称の後に、「勘定所」や「計政局」など部局名を記しているが、それは当該文書群を最終的に管理・

保存していたと考えられる部局である。なお、部局名を付していないものが若干あるが、それは部局名を特定 できなかったためである。

出典:笠谷和比古『近世武家文書の研究』、250 頁所収の「図 2 『大名家文書』成立の模式図」に種村威 史が加筆・修正し作図。

松代藩職制表

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ね(A)文書群

年  代 寛政 8(1796)年〜明治 45(1912)年 数  量 363点

「ね(A)」文書群の主な作成者・部局と宛所を上げれば次の通りである。

作成者・部局としては長国寺世話掛・長野県主事埴科郡長・家老・職事掛・勘定吟味役があり、宛所とし ては家令・家扶・御用番家老・新御殿役所・郡奉行勝手元〆兼帯・司金・留守居役・引換(太政官札)懸 り役所・松代藩会所・商法社引替役所・元松代庁などがある。

この文書群は、伝来の形を残しているものでなく、松代から史料館に搬入され、形態や内容、そして年代な どで区分けされた上に、目録に採録されなかった一紙ものを、ある段階で便宜的に集めたものである。大方が、

廃藩置県以降の明治期の真田家の家政・家計に関するものである。東京邸で管理・保存していたものをある 時期(おそらく明治10年に新御屋敷〈新御殿〉内に倉が建設されてから間もない頃であろう〈後出の関連文 献一覧にある浅倉論文による〉)に松代別邸二番倉に移し替えたことによって、「民政上累年の書留帳簿類」

と一緒になったのではなかろうか。それに藩政と松代庁時代の文書記録が、史料館での荒仕分けの時に混入 したものであろう。

この文書群の大部分を占めているのが、2地券・土地登記と5米切手で、なかでも5は全体のほぼ半分を占 めている。この文書群は、旧大名家である真田家の明治期家政・家計にかかわる文書群といえる。

1 真田家/家政/長国寺永続金・旧家臣借用        真田家家令・家扶 

真田家の菩提寺である長国寺(曹洞宗)の永続手段金(基金)に、真田家が預金したときの預り証文で、

ね(A)箱の現状写真

(26)

明治8年から15年までのものである。菩提寺である長国寺の経営に、近代以降も深く関係していたのであろう。

なお、前目録と同じく本目録でも「藩主(藩侯)」と「真田家」は区別しており、藩政期の藩主関係は「藩主(藩 侯)」に区分けし、「真田家」は明治4年の廃藩置県以降の元藩主家である真田家に関係するものを示してい る。総点数 18 点。

2 真田家/家政/地券・土地登記       真田家家令・家扶

松代町などに真田家が所有している土地の地券で、明治 12 年と20 年に発行されたものである。さらに明 治 36 年と42 年に土地移動があったようで、それにともなう土地登記関係の文書がある。総点数 50 点。

3 真田家/家政/交際など      真田家家令・家扶 

    華族としての東京での交際や松代での旧家臣との交際などに関する明治8年から41年までの文書をここにま とめている。総点数 16 点。

4 真田家/家政・家計/家禄・所得・諸用         真田家家令・家扶 

家禄に関する布告や所得あるいは古跡などに関する明治 55年から 23 年までの諸用文書をまとめている。

総点数 8 点。

5 真田家/家計/米切手・地域献金・買物代など      真田家家令・家扶

平鹿田根森村の蔵宿である高橋与之助らが取り扱っている真田家の小作米受払に関係する米切手や買い 物代金受取証など真田家の家計に関する明治 8 年から 45 年までの文書のまとまりである。総点数 179 点。

6 真田家/家内/学芸      真田家  

英語辞典や短歌・俳句などの短冊で、年代としては文政3年から明治6年までのものである。総点数 14 点。

7 藩政/財方/小銭・銭札      勘定所 

 明治2年の甲府で小銭を買い上げたことに関する文書と銭札規定書である。総点数 3 点。

8 藩政/家臣/勤役要用金中内借用      勘定所  

家臣が勤めを遂行するために、あるいは施策を遂行するために必要な費用を借用したことに関する文書であ る。年代幅は、嘉永7年から明治3年である。総点数 17 点。

9 藩政/在方/両替融通銭札借用       勘定所

文久3年に、三輪村小嶋宇兵衛らが両替銭の融通困難を理由に銭札の下付を求めた願書である。点数 1 点。

10 藩政/江戸屋敷/替地      江戸役所 寛政期と文政期の江戸屋敷地の相対替えに関する証文類である。総点数 18 点。

11 松代庁/財方/太政官札引換       計政局 

他所への送金などのために全国通用紙幣である太政官札への交換を求めた明治3年の願書類で、総点数 10 点である。

12 松代庁/財方/贋金取計い      計政局 明治初年の贋金の取り計らいに関する書類で、総点数 13 点である。

(27)

13 松代庁/財方/商社規則       計政局

 明治期に商社を取り立てようとしたときにまとめた規則類と問い合わせ状である。点数 4 点。

14 松代庁/庁政/藩士献言       政治所

藩士の長谷川平次郎が維新後の政局問題について献言したものである。点数 6 点。

15 元松代庁/財方/旧藩士御救い      元計政局

明治5年に旧藩士石黒家が生計困難のため御救いを求めたもので、かつては一件文書群として編綴されて いたものが、そのくくりからはずれたものではないだろうか。点数 3 点。

16 その他

近代の真田家のもとに集まった記録や布告類である。点数 3 点。

の(B)群文書

年 代 弘化 3(1846)年〜明治 5(1872)年 数 量 836点

「の(B)」文書群の主な作成者・部局と宛所を上げれば次の通りである。

作成者・部局としては、家老・勘定役・勘定吟味役・台所目付・表御納戸・京都留守居見習・足軽奉行・

御用人・計政局主事・会計官判事・出納掛・神社郡政主事・小銃隊・公用人・在京買物役・預所民政判事・

松代藩庁・家令・家令助などがある。

宛所としては、家老・留守居・払方御金奉行・勘定元〆役・勘定役・御台所役所・預役所・政事局・民事懸・

神社郡政主事・郡政庶務方役所・庁掌方役所・用度方役所・会議所用度方役所・営繕司・大病院買物役所・

学校買物役所・計政局・計政庶務・司金・会計懸・会計方・給録方・司蔵・蔵庶務・計監役所・樹芸掛役所・

の(B)箱の現状写真

(28)

御城用材薪御用掛役所・割番・使役・硝石製造懸り元〆・松代役所・家令・長国寺住職などがある。

「の(B)」文書群は、伝来の原形を残しているものでなく、松代から史料館に搬入され、形態や内容、そ して年代などで区分けされた上に、目録に採録されなかった一紙ものを、ある段階で便宜的に集めたものである。

年代的には、ほとんどが版籍奉還から廃藩置県前後の「松代庁」の財方に関係する文書群であり、計政 局で管理・保管されていた文書記録であろう。

1 真田家/家政/太政官布達など       真田家家令・家扶 

主として廃藩置県後の真田家東京邸に送付されてきた通達・通知類で、年幅は明治3年から7年である。

点数 8 点。

2 真田家/家計/寄付金・農工銀行      真田家家令・家扶 

主として廃藩置県後の真田家家計に属する寄付金や長野県農工銀行関係文書類で、年幅は明治8年から 42年である。点数 10 点。

3 藩政/財方/勘定用状       勘定所  

勘定所内の用状で、勘定役どうしの、あるいは勘定吟味役や勘定元〆役を含めた間での財政運営や諸勘 定など幅広い財方関係用状類である。年代は明治2年という版籍奉還の時期であり、藩政の最終期の文書類 である。総点数 55 点。

4 藩政/財方/給金勘定など       勘定所  

賄所での給金・給米勘定などの証文類で、年幅は弘化4年から慶応元年のものである。点数 13 点。

5 藩政/財方/出張中諸宿諸費受取       勘定所

明治元年に維新政府の命で松代藩は下諏訪などに出陣し、その時に費消した人足賃などを支払っているが、

その支払いを受けた宿場役人からの受取証文である。担当は御金奉行払方役所であった。これらの証文は、

一定の期間後に実際の勘定実務に当たった勘定所において管理・保存されていたのであろう。総点数 55 点。

6 藩政/財方/北陸総督府通行賄い代取計い        勘定所

5と同じく、戊辰戦争のときに北陸道総督府一行が預所のある水内郡を通行していくが、それにかかわる賄 代を松代藩預役所に求めた牟礼宿の願書である。これらの文書は、実際の勘定実務に当たる勘定所におい て一括して管理・保存されていたのであろう。点数 6 点。

7 藩政/財方/京都出張往還宿諸費・銃隊賄い代受取    勘定所  

明治2年に払方御金奉行が担当した宿場費用などの請求・受取関係文書である。明治元年に京都警衛の ために松代藩は出兵するが、その往復の宿場で費消した人足賃や宿賃などの勘定請求と受取証文および銃 隊賄代受取である。これらの証文は、5と同じく一定の期間後に実際の勘定実務に当たった勘定所において管 理・保存されていたのであろう。総点数 41 点。

8 松代庁/庁政/通達・高帳調査・印鑑交付・中野出張など 政治所  

明治2年から4年の版籍奉還から廃藩置県前後の庁政及び中野県出張に関係する文書記録である。関係

(29)

担当・関係部局は、家老・公用人・庁掌方役所であるが、それらの文書は政治所(政事局)で一括管理さ れていたものと思われ。総点数 48 点。

9 松代庁/財方/財政運用方上申・用状・諸勘定      計政局

主に、明治4年5年の緊迫する松代藩財政の運用についての会計掛・民事掛など諸部署からの上申・伺い であり、相互間の用状である。また金額の大きい諸勘定も一緒に綴り込まれている。総点数 73 点。

10 松代庁/財方/出納・計政伺・指示      計政局

出納掛と計政副主事どうしの金銭運用・貸借などについての伺いと指示の文書類である。版籍奉還後の明 治3年のものである。総点数 107 点。

11 松代庁/財方/用達金送金その他       計政局

大岡村の所団右衛門に課した用達金に関する一件文書で、庁内の諸掛から計政副主事や神社郡政副主 事に宛てたものである。作成者として、計政副主事・神社郡政副主事の外に、計監・出納掛・監察・庶務方 などがみえる。総点数 32 点。

12 松代庁/財方/財政運用策献言など      計政局  

主に明治4の財政運用に関する藩内、領内からの献言書である。これらの献策は、長谷川権大史から出さ れた6か条の諮問に対する各自の見込提案である。総点数 26 点。

13 松代庁/財方/用度役所東京買物・諸品調達      計政局   

在京買物役が用度役所と連絡を取りながら行った東京での買い物にともなう明治2年3年の文書類や松代藩 に出入りしていた商人たちからの品代受取証文である。用度役所は、御買物役所とも称されていたようである。

その他、職制として学校御買物役所、大病院御買物役所、大英寺用度方役所などがみられる。総点数 220 点。

14 松代庁/財方/米穀相場調査・記録      計政局  

領内外の松代、善光寺、小布施、上田、須坂などの米穀相場についての明治3年4年の調査や報告書である。

これは、年貢石代納相場を決定する重要な調査であった。これらの調査や報告書は、郡政庶務方役所に上 げられ、それから計政局に引き継がれたのであろう。中野県庁・伊奈県庁などから松代藩に相場の問い合わ せがあったことは注目される。総点数 41 点。

15 松代庁/財方/冥加金上納など      計政局  

売薬渡世者の冥加金上納証文ほか諸上納証文類で、いずれも明治2年3年のものである。またここに含ま れている本上納証文とは、中借などで借用した資金の返済が完了したときに発行される証文である。総点数 20 点。

16 松代庁/財方/借用金・藩士拝借金返済        計政局

城内の伐採薪代の内借や藩士拝借金の返済にかかわる文書で、明治3年4年のものである。総点数 9 点。

17 松代庁/財方/足軽給金勘定       計政局   いずれも明治5年の足軽給金にかかわる調書及び願書である。点数 8 点。

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