厚生労働科学研究費補助金(循環器疾患・糖尿病等生活習慣病対策総合研究事業)
分担研究報告書
生活習慣病の地域格差の要因に関する研究(喫煙・飲酒)
―喫煙の社会経済格差を縮小させるためのタバコ対策―
研究分担者 田淵 貴大 大阪国際がんセンターがん対策センター疫学統計部・副部長
研究要旨
一般に喫煙には社会経済格差が認められる。これまでの先行研究では、タバコ対策による喫煙の 社会経済格差への影響について、喫煙の所得格差はタバコの値上げによって縮小させることができ るとされている。しかし、喫煙の学歴格差については格差縮小が一貫して認められるわけではなく、
タバコ値上げ以外のタバコ対策である禁煙化政策や脱タバコ・メディアキャンペーンにおいても喫 煙の社会経済格差を減少させる結果が安定的に得られるわけではなった。喫煙の社会経済格差を理 解し、喫煙の社会経済格差を減少させるための戦略を立案するために、背景にあるメカニズムとと もに格差の推移について理解することが必要だろう。例えば、逆進的格差推移仮説(inverse equity hypothesis)は格差にはステージがあると指摘する。介入の早期には、社会経済的に恵まれた集団 がより多くメリット(喫煙しないことや禁煙すること)を得て、喫煙格差が拡大する。一方、介入 の晩期には、社会経済的に恵まれた集団における改善が頭打ちになったのち、社会経済的に不利な 集団における改善が追いつき、格差が縮小する。この仮説に基づけば、タバコ対策を継続的に推進 し、社会全ての集団にアプローチしていくことにより、最終的に喫煙格差が縮小すると期待される。
喫煙の社会経済格差をなくす取り組みは、健康格差を縮小するための重要な公衆衛生政策だと考え られる。
A.研究目的 及び B.研究方法
ある健康政策は住民全体の健康を平均的に 改善する一方、健康の社会経済格差については 拡大させてしまう場合がある(ある種のパラド ックス)。平等や公平性の観点から、住民全体に おける健康の改善と同時に健康の社会格差の 縮小が達成されるようにする戦略が必要だと 考えられる。この問題に関連して、これまで 我々は喫煙の社会経済格差に対するタバコ対 策の影響に注目してきた。タバコ課税、屋内禁 煙法、脱タバコ・メディアキャンペーンなどの タバコ規制は、喫煙率の低下に効果的であると 証明されている[1]。しかし、これらの対策が喫 煙格差に及ぼす影響についての証拠はほとん どない[2-4]。したがって、本稿の目的は、タバ コ対策の効果の一側面として喫煙格差への影
響について、エビデンスに則り記述することで ある。内容として、格差を縮小させるタバコ対 策の必要性、メカニズム、評価モデルおよび将 来の展望を含める。
(倫理面への配慮)
本研究に関して倫理的な問題はなく、本研究 に関連し開示すべき企業・組織および団体等は ない。タバコ産業との関わりや金銭の授受は一 切ない。
C.研究結果 及び D.考察
なぜ喫煙の社会格差を縮小するタバコ対策が 必要なのか?
健康の社会経済格差を縮小させることは、日 本を含む世界の公衆衛生上の優先課題の一つ である。世界保健機関(WHO)の Commission on
Social Determinants of Health は、健康及び 健康行動における社会経済格差をモニタリン グし、評価することを推奨している[5]。この勧 告は、日本の新しい健康促進計画である、健康 日本 21(第2期)においても採用された[6]。
一般に喫煙には社会経済格差があり、喫煙は世 界的に、そして日本でも予防可能な死亡および 疾病に最も寄与している要因である[7-9]。喫 煙率を低下させると同時に喫煙における社会 経済格差を縮小させることは、結果的に、全体 的な健康増進につながると考えられる[5, 10]。
タバコ規制に関する世界保健機関枠組み条 約(FCTC)は、国や政府にタバコ関連問題の解 決策を提供する、エビデンスに基づいた世界規 模の公衆衛生条約である[1, 11]。タバコ増税、
屋内禁煙法および脱タバコ・メディアキャンペ ーンといったタバコ対策は、住民の健康を改善 させることが証明されている[1]。一方で、これ らのタバコ関連政策が喫煙の社会経済格差を 縮小させるかどうか調査されてきたが、一貫し た結果とはなっていない[2, 12, 13]。このこ とは、文脈及び根底にあるメカニズムについて 議論する必要があることを示唆している。
日本及び世界各地において喫煙格差が観察 されている。喫煙格差を測定するために、学歴、
所得、職業、性別、民族性、年齢などの要因が 分析のための次元として用いられてきた[2, 9, 12]。例えば、学歴は代表的な社会経済要因であ る[14]。米公衆衛生総監報告書(US surgeon general's report)では、18歳以上の成人にお ける学歴別の喫煙格差が示された[9]:高校未 満では31.5%(男性は36.2%、女性は26.5%)大卒 では10.4%(11.1%男性、女性は9.7%)であった。
同様の傾向がヨーロッパ[15]及び日本[16]で も観察されている。25-64歳の日本人男性(図1 a)では、中卒者の喫煙率が59.4%と最も高く、
大学院卒の者が17.4%と最も低かった。高卒の 者は50.2%と2番目に高かった。女性では中卒 が34.2%と最も高く、大学院卒が4.2%と最も低 かった。
能動喫煙だけでなく、受動喫煙の社会経済格 差についてもモニタリングする必要がある。家 庭や職場における受動喫煙曝露の格差(「ほぼ 毎日」の受動喫煙)を図1bに示す[17]。男女と もに、低学歴群では受動喫煙曝露の割合が高く
(中卒で30-32%、高卒で24-27%)、高学歴群では 低かった(大学院卒は0-6%、大卒は16-17%)。
タバコ対策が喫煙格差に及ぼす影響
2008 年のレビュー論文[2]では、タバコの値 上げ(増税)は貧困層に対してメリットがある と結論付けたが、屋内禁煙法などの他のタバコ 政策においては一貫した結果は得られなかっ たとした。2014 年のレビュー論文でもその結論 は変わらなかった[3]。すなわち、 タバコ増税 によるタバコ価格の値上げは、一貫して所得に よる喫煙格差を減らす可能性を示唆している。
しかし、これは学歴などの他の社会経済要因に は当てはまらなかった。さらに、屋内禁煙法な どの他のタバコ政策については、社会経済的に 恵まれない喫煙者へ特別なアプローチなしに は、喫煙格差を縮小するとは考えられていない と評価された[2, 3]。もし、屋内禁煙法がすべ ての職場を対象とできた場合には、喫煙格差を 縮小できるかもしれない。しかし、禁煙法が、
社会経済的に恵まれない地域のバーやレスト ランで実施される可能性は低い[3]。
一方、社会経済的に恵まれない人々を対象と した禁煙介入も評価されており、体系的なレビ ュー[18]では、社会的に恵まれない人々のため の禁煙介入(簡易アドバイスや行動支援等)は 効果的だとされたものの、結果は一貫していな かった。したがって、住民全体(ポピュレーシ ョンアプローチ)だけでなく、社会経済的に恵 まれない人々(ハイリスクアプローチ)の両方 のためのさらなる研究が必要だと考えられた。
最近まで、日本の喫煙格差に対するタバコ規 制介入を評価した研究はなかった。 2010 年 10 月、日本ではタバコ増税による値上げがあり、
タバコ産業は同時に自己利益のために価格を
図1 日本における現在喫煙及び受動喫煙の学歴格差
引き上げた。日本で最も人気のあったブランド、
Mild Seven(2013 年に Mevius と改称された)
の1パック(20 本)の価格は、300 円から 410 円(37%の増加)となった[19]。2010 年のタバ コ値上げの禁煙に対する影響が2つの研究で 報告された[20, 21]。
主に欧米で実施された先行研究では、タバコ 価格の上昇が富裕層や高齢層よりも貧困層及 び若年層において禁煙を促進すると分かった [2, 3, 22]。日本の2つの研究[20, 21]は、こ うした以前の研究の結果に従うものではなか った。これには、日本のタバコ価格が低すぎた こと(2010 年の価格上昇後でさえも、手頃な価
格であったこと)が影響しているものと考えら れた。日本では、タバコ1箱(20 本)を買うた めに 11.5 分働く必要があった一方、オースト ラリア、カナダ、オランダなど他の先進国では、
それは 30 分以上であった[10]。日本でタバコ が手頃な価格であることは、タバコ価格政策が 初期段階であり、不十分であることを示してい るのかもしれない。
喫煙の社会経済格差におけるメカニズム(図2)
喫煙格差それ自体を理解し、喫煙格差をなく すための戦略を立てるためには、格差の推移の メカニズムや原則に対する知識が必要であろ
31.9 26.5
22.4 24.2
16.9 6.1
30.1 24.4
22.1 21.6 16.1
0
0.010 20 30 40
中卒 高 卒 専
門 学校 卒
短期 大学 卒
大学 卒
大学 院卒
中卒 高 卒 専
門 学校 卒
短期 大学 卒
大学 卒
大学 院卒
男性 女性
(%)
59.450.2 44.9
41.2 34.5
17.4 34.2
17.2 14.1
7.6 5.9 4.2
0
10 20 30 40 50 60
中卒 高 卒 専
門 学校 卒
短期 大学 卒
大学 卒
大学 院卒
中卒 高 卒 専
門 学校 卒
短期 大学 卒
大学 卒
大学 院卒
男性 女性
(%)
※ (a) 25-64 歳(直接法による年齢調整)における喫煙率. 国民生活基礎調査(2010). (b) 25-64 歳における受動喫煙曝露割合
(職場もしくは家庭). 国民生活基礎調査(2010)と国民健康・栄養調査(2010)のリンケージ
(a) 現在喫煙
(b) 受動喫煙
う。図2は、社会経済的に恵まれていない人々 と恵まれている人々の2つのグループにおけ る喫煙格差の時間経過を示す。現実の世界では、
各段階で複数の社会介入政策が平行して実施 されているが、ここでは便宜上、単一の介入政 策(統合された複数の介入政策とも解釈できる)
が実施された状況を想定している。時間軸は、
年単位を意図した。
第一に、喫煙の社会経済格差はどのようにし て生じるのだろうか?一般的に、社会経済的に 恵まれない人々は、喫煙する可能性がより高い
(図2の「格差のはじまり」に相当)。 Commission on Social Determinants of Health によれば、人々は生まれてすぐに社会格差の渦 に飲みこまれ [5]、貧困や低学歴など幼少期に 社会的不利を経験する人々は、喫煙者になる可 能性が高い[23]。両親が社会経済的に不利な立 場の場合、子供たちは受動喫煙に苦しむ可能性 が高く、喫煙者になる可能性が高い[9]。喫煙行 動の男女差については、多くの国で典型的な喫 煙の流行パターンが観察されている[11]。すな わち、最初に男性の喫煙率が増加し、次の 30~
50 年で、女性の喫煙率が増加する。しかし、日 本を含むほとんどのアジア及びアフリカ諸国 では、女性の喫煙は世界的流行パターンに従っ ていない[11]。様々な社会経済的要因について
理解を深めることにより、喫煙の流行における 社会経済的パターンによりよく対処できるよ うになるかもしれない。
第二に、喫煙格差は時間の経過とともにどの ように変化するのだろうか(タバコ規制介入の 有無にかかわらず)? もし、重要なタバコ規制 政策が社会に導入されなければ(図2における
“介入前”のフェーズ)、社会経済的に恵まれて いる富裕層と社会経済的に恵まれていない貧 困層との間の喫煙格差は広がる可能性がある
(図2)[5, 24]。住民全体の喫煙率を低下させ ようとする介入が実施されたとしても、恵まれ た人々に便益が集中し、恵まれない人々への利 益が少ない場合には特に、喫煙の社会経済格差 が拡大する可能性がある[4]。この介入の初期 段階におきる現象は「格差のパラドックス」と して Frohlich らにより紹介されている[4]。ポ ピュレーションアプローチによる介入が意図 しない健康格差の悪化を招くこともあるので ある。したがって、ポピュレーションアプロー チとハイリスクアプローチの両方を用いた公 衆衛生戦略が考慮されるべきである[5, 25, 26]。格差に応じて介入強度を調整する方法は、
「proportionate universalism」と呼ばれてい る[26]。
図2 格差の推移
介入前 介入の“早期”
“Frohlich’s inequality paradox”=
介入継続 介入の“後期” 理想的進行
時間 健康リスク(例えば、喫煙率)
格差のはじまり
格差拡大
格差縮小 社会経済状況が不利な者 社会経済状況が有利な者
リスク最小化(頭打ち状態)
“Inverse equity hypothesis”
格差なし 格差拡大
格差拡大
第三に、喫煙格差は長期的にはどのようにシ フトするのだろうか? 喫煙格差に対する介入 効 果 の 差 は 逆 進 的 格 差 推 移 仮 説 ( inverse equity hypothesis)によって説明できるかもし れない[12, 27-29]。“介入の早期”には、社会 経済的に恵まれた集団がより多くメリット(喫 煙しないことや禁煙すること)を得て、喫煙格 差が拡大する。一方、“介入の後期”には、社会 経済的に恵まれた集団における改善が頭打ち になったのち、社会経済的に不利な集団におけ る改善が追いつき、格差が縮小する。我々は、
介入政策について長期的な視野で捉える必要 があるのかもしれない。日本のタバコ価格は 2010年に値上げされたが安価であり、まだ“介 入の早期”にあることを示唆している。喫煙格 差を縮小させるためには、介入を“後期”に移 行させる必要があり、さらなるタバコの値上げ を要するものと考えられた。さらに、上記の研 究[20, 21]では、ヘビースモーカーや失業者と いった、タバコ値上げに対してあまり反応しな い集団が特定された。これらの集団を対象とし たハイリスクアプローチによるタバコ対策を 追加する必要があるかもしれない[5, 25, 26]。
喫煙格差を減らすために私たちは何をすべき か?
タバコ対策について住民全体に対する平均 的な効果だけをみたのでは、集団間における効 果の相違を見逃す可能性がある。社会経済要因 を用いて各集団における効果を観察すること により、喫煙格差を縮小させる政策について知 ることができる。Tugwellらは、健康格差を縮小 させるための評価モデルを提示した[30]。図3 として、Tugwellらによる評価モデルを喫煙格 差に適応させたものを提示する。
日本を含む多くの国がStep2までの段階に 留まっている。我々は、タバコ政策による喫煙 格差への影響について格差縮小の側面から評 価する実証研究を推進し、エビデンスに基づい たタバコ対策を導入していかなければならな い[1, 31]。例えば、タバコ値上げは格差を縮小
させることのできる優先課題だとされている が、各国における政策への反映は十分ではない [1]。タバコ値上げの効果の持続期間は比較的 短い[32]と考えられており、継続的にタバコの 値上げ及び十分な額への値上げが必要だと考 えられる。
図3.喫煙格差を縮小させるための評価モデル
E.結論:政策と今後の研究への示唆
これまでの体系的レビューやその他の実証 研究において、タバコ価格の値上げ(増税)に より所得に応じた喫煙格差を縮小させること が一貫して確認されている。格差縮小の観点か ら、屋内禁煙法等のタバコ対策よりもタバコ価 格の値上げは最優先政策だと考えられた。しか し、これまでの研究では、タバコ対策の長期的 影響を十分に評価できておらず、さらなる研究 の必要性を示唆している。
逆 進 的 格 差 推 移 仮 説 ( inverse equity hypothesis)に従えば、継続的かつ持続的な介 入により、政策の後期段階で格差は縮小する。
言い換えれば、すべてのタバコ規制政策は継続 的に実施することで、喫煙格差を縮小させる可 能性を秘めている。この可能性を検証すること は今後の研究の方向性として有望であろう。喫 煙の社会経済格差をなくす取り組みは、健康格 差を縮小するための重要な公衆衛生政策だと 考えられる。
※ Tugwell et al. BMJ. 2006; 332(7537):358-61.
における図を改変して作成した.
※本稿は、Tabuchi T, Iso H, Brunner E.
Tobacco Control Measures to Reduce Socioeconomic Inequality in Smoking: The Necessity, Time-Course Perspective, and Future Implications. J Epidemiol 2018;28:
170-5.を和訳、一部改変し、作成したものであ る。
F.研究発表 1.論文発表
1. Tabuchi T, Iso H, Brunner E. Tobacco Control Measures to Reduce Socio- economic Inequality in Smoking: The Necessity, Time-Course Perspective, and Future Implications. Journal of Epidemiology, 2018;28:170-5.
2. Miyazaki Y, Tabuchi T. Educational gradients in the use of electronic cigarettes and heat-not-burn tobacco products in Japan. PloS one, 2018;13:
e0191008.
3. Tabuchi T, Gallus S, Shinozaki T, Nakaya T, Kunugita N, Colwell B. Heat-not- burn tobacco product use in Japan: its prevalence, predictors and perceived symptoms from exposure to secondhand heat-not-burn tobacco aerosol. Tob Contro, 2017.
2.学会発表 なし
G.知的財産権の出願・登録状況 1.特許取得
なし
2.実用新案登録 なし
3.その他 なし
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