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西ドイツにおける都市社会学研究の展開と動向 :  比較都市社会研究への一前提作業

その他のタイトル Entwicklung und Richtung der soziologischen Forschungen uber die Stadt in der Bundes Republik Deutschland : Eine vorbereitende Arbeit zur vergleichenden Forschung uber die Gesellschaftsstruktur der Stadt in Deutschland und in Japan

著者 神谷 国弘

雑誌名 関西大学社会学部紀要

巻 9

号 1

ページ 33‑55

発行年 1978‑01‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/00022922

(2)

_比較都市社会研究への一前提作業ー一

神 谷 国 弘

序 本 稿 の 意 図

戦後西ドイツにおける地域社会研究については,わが国では有名な「ダルムシュクット研究」

(die Darmstadt‑Studie)の紹介以降,その動向についての体系的な論評をみていない1)。 本稿 では上記研究を含めて西ドイツにおける都市もしくは地域社会の理論的実証的研究の動向を主と して1950年代以後について概観し, 1970年代における展開の方向を摸索してみたい。

しかし, ここでは単にドイツ社会学が都市にアプローチした足跡をクロノロジカルにたどる ことを目的とするものではない。むしろ, ドイツにおける都市研究を日本におけるそれとの比較 において把えるという視点に立って今後における研究の動向について展望を試みたものである。

こんにち, さまざまな文化領域で国際比較の試みが進められているが,都市研究の領域でも G. Sjoberg叩比較都市社会学の提唱以来,文化や発展段階の異なった地域における都市の形成発展 形態構造機能の比較研究に次第に関心が集められている。日本都市を西欧とくに中世都市の伝統 をもっとも強く残しているといわれるドイツ都市との比較において自己確認する作業を試みる場 合,彼の地における研究史を概観するするのがこの作業の前提になるにちがいない。なぜならば 都市研究の発展史はそのまま都市構造や都市問題の展開史とパラレルであるといって過言でない からである。

ここでドイツ都市と日本都市の構造比較をする遣はない。しかし,両国とも先進工業国として の共通性をもち歴史的にみても遅れて近代化の過程に入りながら,強力な加速性をもって近代国 家に成長したという類似の背景をもっている。しかし,都市の基本的な性格において,いくつか の対照的な性格がみられることは H.Matzerathらも指摘するところである。2)1 ドイツ 都市が法的に都市共同体であり,政治的に自治権をもった市民共同体であったこと,そこから村 落と対比して経済的社会的な各種特権ゼもっていたばかりではなく,形態的にも明確に隔絶され 1)  余宮道徳, 「最近のドイツ社会学における地域共同体研究に関する覚書」 (1)(『福岡大学文理論叢』 3

3

秋元律郎, 『現代ドイツ社会学研究』 (早稲田大学出版部 1960

2)  H. Matzerath u.  K. Ogura:  Moderne Verstadterung in Deutschland und Japan,  Zeitschrift fiir  Stadtgeschichte Stadtsoziologie und Denkmalpflege 2/75 SS. 251253. 

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ているのに対し,日本都市は主として城下町から出発し,法的な自治性を出発点からもっていな かった。そのため,村落的世界との間に基本的な差異が見出されない。第 2に ドイツにおいて は地方制度において伝統的な分権主義が貫かれ,自治原理と都市間の競合に規定されて早くから 地方自治体当局が独自の実効行政を展開してきたのに対し,日本ではプロイセン的中央集権制の 完全な受容により,都市において中央政府による自治行政の侵害,都市間競争の欠如,貧弱な財 政状態などにより都市自体の課題解決が阻害されている。第 3に,大都市化現象は日独共通の現 象であるが, ドイツにおいては連邦的構造と伝統的な強い地方主義によって均衡のとれた都市シ ステムをもっているのに対し,日本の都市化は5 6の巨大都市に集中的に現われ,跛行性がい ちじるしい。

かかる都市システムの相違にもかかわらず,第 2次大戦による敗北,アメリカ占領軍の支配管 理,近代工業大国という共通項も同時に見逃せない。都市研究をも含めて,わが国の社会学が戦 後圧倒的にアメリカ社会学の影響下に編入されたと同様, ドイツ社会学もまた,第2次大戦前の 壮大な体系理論から,むしろ実証的中範囲理論的試行と結びついた経験科学への脱皮が指摘され るがal, このこともドイツ社会学における都市研究の動向をたどる際, 1つの重要な関心軸とな ろう。

ドイツ都市社会学の研究動向

これまでドイツにおける都市社会学ないし地域社会学の歴史的展開について通覧した文献は多 くを数えない。部分的なテーマ別のそれを除き,全体的な俯観を試みたものとしては H.Korte,  H. Oswald, U. Herlyn,  R Zollらの業績4)が主たるものであろう。この中, H.Oswaldおよび U.  Herlyn2論文は時代的にほぼ同一時期の諸研究をテーマ別にとりあげて, いわば文献解 題的に整理したものであって,研究史を全体としてその動向把握を試みたものではない。それに 対して, H.KorteR.Zollの研究は異なった問題意識に立つとはいえ,ともにドイツ都市社 会学の展開と動向を一定の整理軸で裁断している。すなわち, H.Korteは彼のドイツ都市社会 学の展望にあたって, 2つの整理軸をもってくる。第1は都市の諸問題の社会学的考察の根底に いかなる認識関心が伏在しているかという問題意識であり,第2は社会学的認識成果の空間的建 設的構築に対する移植という問題意識である5)。それに対して, R.Zollは書名が示すように地域

3)  秋元律郎,前掲書8

4)  H. Korte,  Soziologie  der  Stadt

Entwicklungen und  Perspektiven,  in : Soziologie  der  Stadt,  Juventa Verlag 1974. 

H. Oswald, Ergebnisse der deutschen Gemeindesoziologie nach 1950, in: Archiv fiir  Kommunal‑

wissenschaften, Jahrgang 5/1966. 

U. Herlyn,  Notizen  zu  stadtsoziologischen  Arbeiten  der 60 er  Jahre, in:  H. P. Bahrdt:  Die  moderne GroBstadt, 2. Aufl., Hamburg 1969, S. 155ff. 

R. Zoll,  Gemeinde als  Alibi,  Materialien  zur  politischen  Soziologie  der  Gemeinde,  Juventa  Verlag 1972. 

‑ 3 4 ‑

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政治社会学の立場に立った問題意識に立脚しており,それによって「西ドイツにおける地域社会 研究の発展について」という 1項で研究の重点の時代的推移を展望している。両者の論旨を簡単 に整理して紹介しておく。まず, H.Korteはドイツの都市社会学の動向を大きく 3つに区分する。

1) H. Korteによるドイツ都市社会学の時代区分

( 研 究 動 向 )

I 全体社会の理論構成との関連 2次 大 戦 前 における都市研究

II  ゲマインデの社会学 19501960前半

都市建設の社会学 1960後半〜

古典的理論的都市研究 構造的実証的研究

a)総体範疇としてのゲマインデ (Gemeinde als  globale Kategorie)  b)大都市研究

(Die GroBstadtforschung)  c)経験的社会調査の成果

(Ergebnisse empirischer Sozial forschung) 

機能的応用的研究 a)移行局面

(Die Phase des訊ergangs) b)機能システムとしての都市

(Stadt als  Funktionssystem)  c)都市建設実践への批判

(Kritik an der Praxis des  Stadte baus) 

ドイツ社会学において戦前と戦後の間に大きな断層があることは多くの研究者が指摘するとお りである丸都市社会学においても例外ではなく,本格的な都市社会学という研究分野が自立し てきたのは敗戦を経て1950年代にさしかかってからであると思われる。本稿の目的も第2次大戦 とくにダルムシュタット研究以降のドイツ都市社会学の動向を展望するというところから,

2次大戦前のドイツ社会学における古典的都市研究については詳しく紹介する意図はない。 H. Korteの扱いもほぼこの立場からなされており,それらの諸研究を, く全体社会の理論構成との 関連における都市研究)(Stadtuntersuchungen im Zusammenhang gesamtgesellschaftlicher  Theoriebildung)として一括的に扱っている。彼はこの範疇に属する社会学者として, M.Weber,  W. Sombart,  G. Simmel,  F. Tonniesらの名をあげている。彼らはいづれも, こんにちではド

イツにおける古典的社会学を代表する研究者群であり,壮大な理論体系によって当時の世界社会 学界を指導したのみならず,いまなお,その影響下に幾多の社会学理論の体系構築が進められて いることは周知の事実である。だが, これらの古典的理論体系が開花した時期,都市社会なり地

5)  H. Korte, a.  a.  0.,  S.  9.  6)  秋元律郎,前掲書 1 5

山本鎮雄, 「戦後西ドイツ社会学の研究動向」 (『社会学評論』 107 1977)70

(5)

域社会なりを独自な研究領域として取り組う姿勢はなお確立されていない。 H. Korteの言葉を 借りるならば, 「全体社会の社会学的理論の構築が問題であったのであり,そこでは都市は唯単 1つの事例として用いられたのにすぎない」7)のである。 と同時に彼らは都市の計画とか建設 とかいった実践面,応用面に彼らの理論を適用していくといった問題意識は全く欠落していたの であり,わずかに, F.Tenniesの大都市への文化批判的解明の中に, W.Riehl0.Spengler  らの大都市への敵意に通じるものがある。ただ,思想的にはこれらの批評家が都市設計家や建築 家の上に及ぼした大なる影響があることを H.Berndtも指摘している8)。その意味で,この時期 の都市研究をもってドイツ社会学における古典的理論的都市研究として一括することができよう。

したがってドイツにおいても都市について本格的に実証的個別的な調査研究が進められてきたの は第2次大戦後,アメリカ社会学の影響下に入ってからのごとく思われる。

R. Zollは1950年から1970年にいたる20年間にドイツにおいて公刊された地域社会研究の著作 3つの領域に区分して,それらの諸研究が年代的にどのように配分されているかを整理して示 している9)

2) R. Zollによるドイツ地域社会研究の時代区分 Jahre  Gruppe I  Gruppe II  Gruppe III  I; 

19511955 11  Gruppe I: 都市化過程研究 1956‑1960  12  Gruppe II: 大都市の構造分析的

研究

1961‑1965  Gruppe ill: 政治社会学的研究

1966‑1970 

I:  14  10 

, 

33 

1群の研究領域は社会変動, とくに工業化と都市化が農村地域とか社会的職業移動いうなれ ば社会構造全体へ及ぼすところの影響を扱った研究領域であり,第 2群は大都市における個別的 テーマたとえば家族,近隣関係,都市圏の膨脹の諸側面,空間的分節化などの研究領域であり,第 3群は政治社会学的研究領域とでもいいうるもので,いわゆる地域社会の権力構造分析にあたる 諸研究である。時間的経緯をみると第1群の研究は50年代に限定され,第2群は50年代後半,第3 群は60年代後半というように研究領域の重点の移動がみられる。先にみた H.Korteによるドイ

ツ都市社会学の展開史と比較するときそこに明確な平行関係が見出される。 もっとも H.Korte  は問題関心を都市計画や都市建設との関係に向けているのに対し.R. Zollは政治社会学的視角 に立っため,権力とか政策とかに志向したのであるが, 1960年代後半を境目としてドイツ都市社 会学の重点が構造分析から機能分析へ,静態論に対して動態論,現実科学から政策科学へと重点

7)  H. Korte, a.  a.  0.,  S.  10. 

8)  H.  Berndt, Das Gesellschaftsbild bei Stadtplanern, Frankfurt 1968.  9)  R. Zoll, a.  a.  0.,  S.  31. 

‑ 3 6 ‑

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が次第に移行してきたことはまぎれもない事実である。以下その経緯をやや詳しく展望しておき たい。

(1)  実証的構造分析的研究 (a)  総合的地域研究 (1950年代前半)

ドイツにおいて社会学的構造的な地域社会研究が確立したのは第2次大戦後であることは K. AschenbrennerD.Kappeも認めているとおりである10)。それまで比較的,理論社会学に卓 越していたドイツ社会学はアメリカ社会学の実証性に触発されて,経験科学としての性格を次第 に前面に押し出すことになる。地域や都市の研究において最初に行なわれた本格的な実証的研究 は有名なダルムシュタット研究である。これは財政的にも人的にも,アメリカの強力な支援のも とに実施された調査研究であり, 10数年間, 国際的な接触を欠いてきたドイツの社会学者は, R. Lynd, L. Warnerらを代表とするアメリカ流の CommunityStudyと密接な関連をもつにいた

った。この間の経緯は戦後日本の社会学の状況と酷似している。 1948年に開始され, 9つのモノ グラフとして公刊されたダルムシュタット研究については, 日本での紹介者たる余宮,秋元の両 者はかなり高く評価しているが,当のドイツにおいては西独都市社会学の先駆的業績ではあって も,その後の研究に対してモデルを提供したものとしては受けとられていないというのが実状で ある。

たとえば, H. Oswaldは2つの点からダルムシュクット研究を消極的に評価する11)。 第1 ダルムシュタット研究が空襲によって破壊された都市とその都市の疎開に奉仕した後背地を対象 としたという点で,例外的,非典型的な戦後的状況の下で行われた調査であるということ,第2 9つのモノグラフが狭義の地域社会学的問題提起を含まず,ダルムシュタットを事例とした 戦後ドイツの復興という緊急の課題に応えてなされた諸研究の寄せ集めであったこと,の 2点で ある。ただ,ダルムシュタット研究自体は科学的価値において必ずしも高い評価を与えられてい ないが,それが「呼び水」となって,それまでの理論中心的なドイツ社会学から経験的実証的領 域へと研究フロントを拡張した有力なモメントとなったことは過少評価できない。たとえば「鉱 山と地域社会 北部ルール地域における 1 鉱山地域社会の構造変動についての調査一~ 行なった K.Utermannはアメリカ流の参加観察法を一ーとくにA.Hollingshead "Elmtown Youth"に依拠して進めており,特定の地域に住み込んで綿密な参加観察を行うことがinformal な人間関係の把握に大いに役立つことを強調している。この研究は後に, R.Konig"Gemein‑

de"の構想に大きな影響を与え,彼のいわゆる informalな機能圏という発想の根拠になった。

10)  K. Aschenbrenner, D. Kappe,  GroBstadt  und  Dorf  als  Typen der  Gemeinde, in: Deutsche Gesellschaft im Wandel,Hg. K. M. Bolte 1967, S.  171. 

11)  H. Oswald, a.  a.  0  ..SS. 9495. 

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この他, 1950年代の前半においては都市化現象にともなう村落地域社会の構造変動を扱った調査 研究がいくつか公刊されrni,第 2次大戦後の急激な都市化現象のインパクトを如実に物語ってい

要するに, 1950年代前半のドイツ地域社会学はアメリカ流の CommunityStudyの方法論を受 容しつつ本格的な地域調査を開始した時期であり,同時に,都市化現象によってその影響にさら された村落社会の構造変動を正面からとりあげた時代でもあった。これはH. Korteがゲマイン デの社会学の中の経験的社会調査とよんだ研究領域の前半を構成するものであり,また, R.Zoll  が西独における地域社会研究の第1 (GruppeI) として措定した分類に属するものである。

実証研究の時代に入ったとはいえ,なお,模索の域を出ず,方法論的な精錬よりも, ともかく実 態そのものを全体的綜合的に把えるという,いうなればバイオニヤ的立場からする研究の段階で あったともいえる。

(b)  個別的構造的都市研究 (1950年代後半)

1950年代の中頃から,西独の社会学者による都市研究は次第に都市とくに大都市内部の社会構 造の実態的な把握に向い始める。これは H. Korte Soziologieder Gemeindeの第2類型と

してあげた大都市研究 (die GroBstadtforschung)および経験的社会調査の成果 (Ergebnisse empirischer  Sozialforschung)の後半部分にあてられた近隣研究が,また, R.Zollの第2

(Gruppe II)ーー大都市における個別的研究テーマーーがそれに該当するところの研究段階で ある。ここでは具体的に都市における家族,親族,近隣結合,階層,生活拡充的諸団体などの具 体的な分析研究が実証的に進められた。その先駆的業績を造りあげたのは E.Pfeilである。 E. Pfeilはすでに1955年の時点において大都市時代の到来を予測して, そこに認識関心を集めてお

り,大都市研究 (die GroBstadtforschung)とはまだよく知られていない, そしてまだよく論 じられていない環境,すなわち大都市という環境における人間の自覚であるとする14)。そして主

12)  H. Croon und K. Utermann,  Zeche und Gemeinde.  Untersuchungen iiber den Strukturwandel  einer Zechengemeinde im nordlichen Ruhrgebiet, Tiibingen 1958. 

13)  H. Beck, Der KulturzusammenstoB van Stadt und Land in einer Vorortgemeinde, Ziirich 1952.  C van Dietze,  M. Rolfes und G. Weipert, Lebensverhiiltnisse in  kleinbiiuerlichen Dorfern, Ham‑

burg und Berlin 1953. 

G. Wurzbacher und R. Pflaum, Das Dorf im Spannungsfeld industrieller Entwicklung, Stuttgart  1954. 

F.  Rudolph, Strukturwandel eines Dorfes, in:  Friedewalder  Beitriige  zur sozialen  Frage, Band  6,  Berlin 1955. 

I. Bog, Dorfgemeinde, Freiheit und Unfreiheit in  Franken, Stuttgart. 1956.  その他 Soziologieder Gemeinde, Sonderheft 1 der KZfSS, Koln 1955 

14)  E. Pfeil: Soziologie der GroBstadt, in:  Soziologie,  Lehrund  Handbuch  zur  modernen  Gesell schaftskunde, hrsg. v.  A. Gehlen und H. Schelsky, Diisseldorf und Koln 1955, S.  289. 

‑38‑

(8)

として家族と近隣結合について, ドルトムンド,ハンプルグなどの大都市をフィールドとして実 証的研究を行なっている。 H. Oswaldはドイツの地域社会学の特質として,家族を考察の中心 に据えていることをあげ,かかる家族への考察の過重偏重の根拠は大都市への文化批判にあると する。すなわち,この文化批判は大都市人の孤立化,社会関係の喪失,大都市家族の社会的機能 縮少などを確認し, かっ, 予言している。大都市の社会学 (Soziologie der GroBstadt)はか かる主張の正当性を試すために登場したとする15)。 「都市人は本当に孤独なりや?」 "Ist  der  Stadter wirklich einsam?" E.  Pfeilは従来説かれてきた都市における家族機能衰退論や近隣 解体論に対して,大都市においても,なお,家族的親族的紐帯や相互交渉の深さ強さを実証的に 明らかにしている。彼女は家族の弾力的な自己主張についてのH.Schelskyのテーゼ16)をもって,

家族の主要な残余機能について論証したのである。ドルトムンドの労働者住宅街の調査において 親族的な関係が維持され続けているのみならず,非同居の親族間にも緊密な感情的交流が存在し,

定期的な訪問や相互援助が行なわれ,彼らの間に強靱な紐帯が張りめぐらされていることを実証 した17)。 ドルトムンド研究の問題提起を E. Pfeilは数年後のハンブルグ調査でも再度とりあげ ている。ここでもドルトムンド調査とほぼ類似した成果をえたが,唯一点だけ訂正したのは大都 市における近隣関係の問題である。 ドルトムンド調査の段階ではなお,近隣単位の形成を擁護す る立場に立ったが,ハンプルグ調査ではもはやそれを詳細にはとりあげていないのである18)。居 住区域と結びついた都市空間の上を社会関係の全ネット・ワークがはりめぐるという考えは小家 族が社会的空間に孤立散在している現実から目をそらせ,また,大都市という匿名性の中では非 現実となっており,都市計画家達が追求している近隣単位 (Nachbarschaftseinheit) という理 念ももはや現実にその根拠がないという結論に達したからである。

近隣結合の調査研究は1950年代後半の西ドイツにおける都市研究の主要項目の1つであった。

もっとも包括的体系的な研究は H.Klagesによって行なわれた19)。彼の研究の力点は日常的な 共住関係の中から自然的に成立してきた非計画的な近隣結合のみならず, 近隣単位 (Nachbar‑

schaftseinheit) -—今日的表現を借りればコミュニティ_という形で構想される計画化され た近隣結合の可能性と条件を追及することであった。そこで近隣的行為様式のあらゆる形態が研 究された。周知のごとく西欧都市には日本の町内会,自治会のような世帯単位の半自動加入にも とずく包括的制度的な地域住民組織は存在しない。したがって集団形象としてのNachbarschaft は西欧都市においては例外的な現象にすぎない。もちろん,時代を遡れば近隣関係は日常生活に

15)  H. Oswold, a.  a.  0.,  S.  97. 

16)  H. Schelsky: Wandlungen der deutschen Familie in  der Gegenwart, 2.  Aufl., Stuttgart 1954.  17)  E. Pfeil: Soziologie der GroBstadt, a.  a.  0., S. 250. 

18)  E.  Pfeil : Die Familie  im  Gefilge  der  GroBstadt,  Zur  Sozialtopographie  der  Stadt, Hamburg  1965, s. 11. 

19)  H. Klages: Der  Nachbarschaftsgedanke  und  die  nachbarliche  Wirklichkeit  in  der GroBstadt,  Koln und Oplanden 1958. 

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おいて, また, 生存保障にとって決定的な意味をもっていた。それは制度化され, 強力な社会 統制の枠組みをなしていた。しかし,かかる近隣的構造は都市においてはもはや存在しないので ある。それは衰退した形で,相対的に貧困階層居住区あるいは人種的宗教的に極めて等質的な地 域において見出しうるのみである。そこでは共通な利害状況や世界観にもとずく互助行為や相互 接触によって,全住区への関心と我々意識が育成されていくのである。ただし,このような我々 意識や頻繁なる接触も居住者の腰が落ちつき,その経過時期 (Ubergangszeit)がすぎ去ると衰 退してしまうことを H. Klagesはハンプルグにおける同じような居住区の調査から導き出して いる20)。そこで問題となるのは集団化,制度化されたNachbarschaftではなく,現代都市におけ る街路,プロックあるいはまた1つの集合住宅の中で発生するところの社会関係としての Nach‑

barschaftである。そこでは所属性とは別に,近隣に住んでいる家族成員間に成立するごくルー ズな関係が問題となる。 H. Klagesは非拘束的, 開放的なものから, より拘束的, 閉鎖的な 方向へ向う 3つの近隣関係の類型として, 儀礼的行為 (zeremonielles Ver hal ten),  連帯行動 (Solidari tatshandeln)および知己行為 (Bekanntschaftsverhalten)の 3つ形態を区分して論 じている。結論として彼は大都市の近隣交流が都市社会の統合要因としての意義をほとんどもっ ていないことを確認する。 そこから都市計画家などがもち出す近隣単位 (Nachbarschaftsein heit)における近隣結合は現実性をもたない単なる計画上の概念にすぎないとする。 ここにおい H. Klagesも,先の E. Pfeilと同一の結論に達する。これは最近,わが国の都市政策の柱 1つとなっている近隣社会 (community)形成論と対比してみるとき,興味ある事実といえよ

う。これは上田篤らの指摘する西欧の都市ユミュニティの発達に対する日本の近隣コミュニティ の実在性という対比21>に即してみた場合,今後の比較都市社会学的テーマの重要な1つとなろう。

1950年代後半においては,以上の都市家族や近隣結合の他に,都市における空間的分凝構造の 研究22>, 都市圏拡大の研究23>, 団体結合と階層の関係 りなどの具体的な地域社会の構造研究が 実証的に進められた。と同時にこれらの実証的研究を総括し,また,理論的指針ともなるような 形で地域社会に関する包括的体系理論の構築が試みられた時期でもあった。その代表がR.Konig の業績である25)。R. Kcinigの属するケルン学派は第二次大戦後,アメリカ社会学の実証的方法 にもっとも強く影響されたドイツにおける経験科学的社会学派の代表であり, この R. K.Bnig  の理論も, A.B. HollingsheadのElmtownYouthの手法に依拠して進められた H. Croon K. Utermannの「北部ルール地域における構造変動についての調査」をペースとして構想され た部分があることは先にものべた。

20)  H. Klages, a.  a.  0. 

21)  上田篤,日本都市論(三一書房 1968 42一岱頁。

22)  G. Ipsen (Hrsg.), Daseinsformen der GroBstadt, Tiibingen 1959. 

23)  M. Irle,  Gemeindesoziologische Untersuchung zur Ballung Stuttgart, Bad Godesberg 1960.  24)  H. Croon und K. Utermann, a.  a. 0. 

25)  R. K<inig, Grundformen der Gesellschaft : Die Gemeinde, Hamburg 1958. 

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