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智山學報 第47 - 012鈴木 佐内「『大原集』の証心」

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(1)

[ 論 文 要 旨 ]

 

『 代 集 』 の 「 大 原 集   証 心 撰 、 お お は ら の 歌 。 」 の 一 行 の 記 録 を た よ り に し て 、 長 明 「 伊 勢 記 』 の 旅 の 同 伴 者 証 心 法 師 の 考 察 を し た 。 『 大 原 集 』 の 証 心 は 「 朗 詠 要 抄 』 の 藤 氏 朗 詠 相 承 系 譜 に み え る 中 原 有 安 の 弟 子 証 心 と 同 一 人 物 で あ る と し 、 証 心 像 を 拡 大 し た 。 『 大 原 集 』 の 証 心 の 存 在 は 、 長 明 と 洛 北 大 原 と の か か わ り を 明 か し 、 長 明 の 履 歴 解 明 、 『 方 丈 記 』 解 釈 に も 資 す る こ と     「 に な る わ け で 、 「 大 原 集   證 心 撰 、 お お は ら の 歌 。 」 と い う 一 行 の 記 録 は 貴 重 で あ る と 言 わ ね ば な ら な い 。                       瓣 『大 原集』の証 心   『 方

記 』 の

者 、

明 に 『 伊 勢 記 』 と い

、 歌 を 中 心 に し て 綴 っ た 紀 行

が あ る 。 こ の 『 伊 勢 記 』 は 『

書 籍 目 録 』 に 「 蓮 胤

」 と み え る が つ と に

し 『

歌 抄 』 『 伊 勢 記

』 ( 神

文 庫

) 、 『 三 国 地

』 他 に 逸 文 と し て み え る の み で 全 容 は 不 詳 で あ る 。 佚

は 簗 瀬 一

氏 が

集 さ れ 『

集 』 ( 風 間 書 房

 

昭 和 五 五 八 ・ 一 五 ) に 収 め ら れ て い る 。   こ の 『

』 の 旅 に 証 心 法

と い う も の が 同 行 し た こ と が 記 さ れ て い る 。 証 心 に つ い て は 、

丹 治

が 「 鴨 長 明 伊 勢

」 ( 『 中 世 国 文 学 研 究 』 所 収 ) に お い て 「 園 城

血 脈 」 (

料 編

 

園 城 寺

写 ) に み え る 大 納 言 邦

、 証 心 、 『

』 に み え る

原 俊 経

名 証 心 、 『 朗 詠

抄 』 の 藤 氏 相

譜 に

え る

心 の 三 説 を 提

さ れ て か ら 、 問 題 を も ち な が ら も 藤 原 俊

証 心 説 に 注 目 さ れ な が ら 研

が す す め ら れ て き た 。

(2)

智山学報第四十七 輯   こ れ に つ い て 、 わ た し は 、 藤 原

証 心 に つ い て は 、

・ 勘

官 を 歴 任 し

議 正 三 位 に 至 り 七

で 出 家 し た そ の

歴 、 年

か ら し て 、 従 五 位 下 と い う 長 明 の 身 分 と は 不 釣 合 で あ り 旅 の 同 行 者 と し て は

え ら れ な い こ と を 述 べ 、 『 朗 詠 要 抄 』 に み え る 藤 氏 朗 詠 の 相

系 譜 に み

る 、 中 原 有

の 弟

、 証 心 を 提 説 し た 注   。 し か し

詠 相 承

譜 の 証 心 の 出 自 に つ い て も 不 明 で 、 こ れ の 長 明 の か か わ

に つ い て も 、 長 明 と は

を 同 じ く す る の み で 、 更 に 長 明 と の か か わ り を 証 す る

料 も な く 、 た だ 有 力 視 さ れ て き た

と は 別 人 で あ る こ と を い

に と ど ま っ た の で あ る 。   『

集 』 と い う 歌

書 が あ る 。 こ れ は 「 国

学 秘 籍 解 題 」 (

佐 木

綱 ) に 「 佚 名

」 と あ る も の で 、 作 者 は 不 詳 で あ る 。 い ま 、 「 日 本 歌 学 大

」 (

五 巻 ) に 『

』 と い

で 収 め ら れ て い る 。

書 に 「

以 鎌

時 代 古

書 写 以 彰 考

文 庫 本 補 缺 畢 。 昭 和 三 十 二

三 月 。 」 と あ る 注   。 成 立 は 鎌 倉

期 、 弘 安 元 年 ( 一 二 七 八 ) か ら 弘

十 一

( 一 二 八 八 ) の 間 と 推

さ れ て い る 注   。 作 者 に 藤 原 為 行 説 、 二 条 為 世

な ど が あ る 。 内 容 は 、

集 、 打

、 髄 脳 ・ 口 伝

、 物 語 、 廻

歌 ・

心 所

序 の 事 、

代 十 二

・ 人

の 七 項 か ら な る 。 神 代 十 二 代 、 人

、 物 語 の 項 の よ う に 、 歌 以 外 の

に も ふ れ て い る 。 私 撰 集 名 を 記 し た 打 聞 、

を 記 し た 物 語 の 項 は 、 散 佚 歌

佚 物 語

が 見 え る こ と に よ っ て 、 そ の 方 面 の

料 と し て 注 目 さ れ て

た が 歌 に つ い て の こ と が 大 分 を 占 め 、 ま た 、 物 語 の 項 に 「 こ と に 物 語 は 、 む か し い ま か ず を し ら ず 。 く は し く し り て も 歌 の 道 に よ し な き の み あ れ ば 、 し る さ ず 。 」 と あ る か ら 歌 学

便

、 乃 至 覚 書 を 意 図 し て 書 か れ た と い う 性

の も の で あ る 。 こ の 「

聞 」 の 項 に 「 を く ら の

聚 歌

を 撰 し は じ め し よ り こ の か た い へ

聞 か

を し ら ず 。 こ れ は わ つ か に き ・ お よ び み お よ ぶ ば か り 也 。 思 ひ い だ す に し た が ひ て し る す ゆ ゑ に

後 も か な ら

し も

な ら

。 」 と

記 が あ り 、 歌

名 、 歌 学

の 名 が み え る 。

げ ら れ た 歌 集 ・ 歌 学 書 の

七 十 六 、 う ち 歌 学

は = 字 抄 」 「 初 学 抄 」 「

」 「 袋 造 紙 」 な ど 、 ご く わ

(3)

『大原 集』の証心 ず か で あ る 。   『 和 歌 色

』 は 「 私 の 集 打 聞 随 脳 口

物 語 思 々 に お の

に お ほ か り 。 」 と し て 、 憶

の 『 類 聚 歌 林 』 を 冒

に し て 作 品 を

げ 、 『 玉 花 集 』 に い た り 、 「 か や う に い ま で の 人

\ お も ひ

に あ つ め た り 。 し つ の か き ね の は な の や つ れ て に ほ へ る が ご と し 。 」 云 々 と 、 こ れ ら の 作 品 類 を 区 別 な く 列 記 す る の に た い し て 、 『 代 集 』 の 方 は 「

」 「 随 脳 ・ 口

等 」 「 物 語 」 と 区 分 し 記 述 し て い る 。 『

歌 色 葉 』 の 記 述 か ら 「 髄 脳 口 伝 物 語 」 を と る と 、 「 打 聞 」 の

分 だ け が

る の で あ る が 、 こ の よ

に し て 残 っ た 「

聞 」 の 記 述 は そ の ま ま 『

集 』 の 「

聞 」 の 記 述 順

と な っ て い る 。 た だ し 、 『 代

』 に

っ て 、 『 和 歌 色 葉 』 に な い も の に 『 亀 鏡

』 『 続 詞

』 『 影

集 』 『 残

集 』 『

の う ち

』 『 門 葉

』 『 み も す そ 河 集 』 が あ り 、 「

、 }

抄 、 類 聚 題 林 、 初 学 抄 、

造 紙 、 今 撰 集 み な 清

が し わ ざ 也 。 」 と あ る の に

し て 、 『

集 』 が 「 一

抄 ・ 初 学 抄 ・

・ 今 撰

造 紙 ・ 類 聚 題 林

 

皆 清 輔 朝 臣 撰 。 」 の 順

で 、 列

の 順 序 が こ と な る 。 書 承 関

を 推 測 さ せ る が

的 に は 不 明 で あ る 。 但 し 、 こ れ は 『 玉 花

』 ま で の こ と で あ っ て 、 『

集 』 以 下 の 二 十 七 集 に つ い て は 『 和 歌

』 に は な い 。   「 打 聞 」 の 項 は 私

歌 集

を 列 記 し た 項 で あ る が 、 こ こ に

げ ら れ た 歌 集 は 、 概 ね 成 立 順 に 記 さ れ て い る ら し い 。 こ こ に 「

 

国 助

み よ し に て よ め る 歌 ば か り を あ つ む 。 」 と し て

助 撰 の 『 松 葉 』 を あ げ る 。 『 松 葉 』 は 最

か ら 数 え て 三

目 に あ げ ら れ て い る 。 撰 者 の 国 助 は 仁 治 三

( 一 二 四 二 ) に 生 ま れ 、

七 年 ( 一 二 九 九 ) 、 五 十 八

で 没 し て い る 。

の 神 主 国

の 長 男 で あ る 。 「 す み よ し に て よ め る 歌 ば か り を あ つ む 。 」 と あ る の は 頷 け る 。 『 代 集 』 の 成 立 年 代 は 『 松 葉 』 成 立 以

の こ と で 、 「 解 題 」 の い う 成 立 年 代 に 重 な る こ と に 注 意 し た い 。   こ の 『 代

』 の 「 打 聞 」 に 「

原 集

 

證 心 撰 、 お お は ら の 歌 。 」 と し て 『 大 原 集 』 な る 歌

が 見 え る 。 こ の 歌 集 、 い ま は 散 佚 歌

で あ る 。 『 和 歌 現 在 書 目 録 』 に は そ の

は み え な い 。 『 和 歌 現

書 目 録 』 は 仁

間 (

六 五 〜 一

265

(4)

智 山学報 第四十 七 一 六 八 ) の 成 立 と さ れ る か ら 、 『

原 集 』 は

時 目 に ふ れ な か っ た か 、 以

立 と 推 測 さ れ る の で あ る か 、

ら く は 後 者 で あ ろ う 。   『 大 原 集 』 の

は 『 入 雲

』 に も

え る 。

一 「 正 義

」 の 「

々 」 の 項 に 「 大 原 集 法 信 」 と

え る の が こ れ で あ る 。

と 言

は 何 に よ っ た も の か 明 ら か で な い が 、 『 代 集 』 の 『

』 と 同 一 の 書 を 指

も の と

え ら れ る 。 ま た 、 『 和 歌 色 葉 』 ( 上 ) の 「 五

 

撰 抄

 

付 私 集 口

物 語 」 の

に 「 證

 

捫 法

 

が 大 原 集 」 と み

る 。 『 八 雲 御 抄 』 の 記

は 、 僧

と 房 名 に 錯

が あ っ た の で は な か ろ

か 。 と

る と こ れ は 『

歌 色 葉 』 の 記 録 を よ り 正

な も の と 見 る こ と に な る 。 『 和 歌 色 葉 』 は 「 證 信 」 と な っ て い る が 、 音 が 通 ず る と い

こ と で 『 代 集 』 の 「

心 」 を

る べ き も の と

え て お き た い 。   そ こ で 、 い ま 、 「 大 原 集

 

證 心 撰 お ほ は ら の 歌 。 」 の 記 述 を と り あ げ 、 『

勢 記 』 の 証 心 法

め て

き た い 。  

初 に 、 証 心 の 生 存

代 に つ い て

し た い 。 言 う ま で も な い こ と で あ る が 、 こ の 証 心 が 長 明 の 生

に 合 わ な け れ ば 、

の 同 行 者 と は な ら な い か ら で あ る 。 証 心 の 生

年 代 は

接 的 に こ れ を 証 す る 資 料 は

い 。 た だ 、 こ の 『 大 原

』 が い つ 頃

立 し た か は こ れ を

す る こ と が で き る 。 『 代

』 の 「

」 に 取 り 上 げ ら れ た

集 は 、 概 ね 成 立 時 代 順 に 配

さ れ て い る こ と に 注 目 す れ ば 、 『 大 原 集 』 の 成 立

を 割 り

す こ と が で き る と い う こ と で あ る 。 そ こ で ま ず 『 大 原

』 の 前

の 歌

を み た い 。 『

原 集 』 の 前 に 記 さ れ た 「 三 十 六 人 十 八

」 歌

盛 は 建 仁 元

( 一 二 〇 一 ) に は

命 し て い た と さ れ る 。 建 久 二

三 月 三 日 若

歌 合 ( 一 一 九 一 ) 、 「 三 百 六 十

」 に 歌 が と ら れ て い る 。 「 三 百 六 十

歌 合 」 は 、 正 治 二 年 ( 一 二 〇 〇 )

時 の 現

歌 人 の 作 品 を

し た も の で 、 成 立 は

と さ れ る 。 『 大 原 集 』 の

に 記 さ れ た 『 名 月 集 』 の 宗 円 は 、 治

廿 二 番 歌 合 、 正

二 年 石

(5)

r

大 原集亅の証心

元 三

長 尾

な ど に 出

し て お り 、 生 年 は

暦 元 年 ( 一 一 六 〇 ) と さ れ て い る 。

に 、 こ の 宗 円 の 場 合 は 、 久

寿

( 一 一 五 五 ) 生 ま れ の 長 明 と は 生 活

代 が 重 な る こ と に な る 。 こ の

後 の 二 歌

の 撰 者 か ら

測 す れ ば 、 『 大 原

』 の 成 立 は 十 二 世

を 三 区 分 し た 場

の 後

と 推 測 さ れ る 。 そ れ は 証 心 の 歌 人 と し て の

代 で も あ っ た と い

こ と に な ろ

。 こ れ を 以 て 、 こ の 証 心 は 、

明 と 同

の 人 で あ る と い う こ と が で き よ

明 と 同 年

に い た 『

集 』 の

心 は 、 同 じ く 長 明 と 同 年

に い た 中 原

注   の

子 の 証 心 と 同 一 人 物 と 考 え ら れ る 。   と こ ろ で 、 「

集 』 の 著

は こ れ ら の 書 の 一 部 に つ い て 目 を 通 し て い る の で は な い か と 思 わ れ る 。 例 え ば 『 八 雲 御

』 が 「

因 」 、 『

色 葉 』 が 「 経 因

 

飲 和

 

月 集 」 と

る の に 対 し て 『 代 集 』 は 「

 

因 撰 、 ひ え の

の 歌 ば か り 也 。 」 と し 、 ま た 、 『 八 雲 御 抄 』 が 「

原 集

」 、 『 和 歌 色 葉 』 が 「 證 信 。

 

堋 法

 

が 大 原 集 」 と あ る の に 対 し て 、 『

集 』 は 「 大 原

  證 心 撰 、 お お は ら の 歌 。 」 と し て い る 。 ま た 『 入 雲

』 『 和 歌

葉 』 成 立 以

と 思 わ れ る 『

』 に つ い て は 、 『

集 』 は 「

 

素 俊 撰 、 な ら の 歌 。 」 、 同 じ

『 松

』 に つ い て は 「 松

 

助 撰 、 す み よ し に て よ め る 歌 ば か り を

つ む 。 」 な ど の 、 歌

の 後 に 付 け ら れ た 説 明 か ら 推 測 で き る 。 「

聞 」 の

の 末 尾 に 「 を く ら の 類 聚 歌 林 を 撰 し は じ め し よ り こ の か た 、 い へ

の 打 聞 か ず を し ら ず 。 こ れ ら は わ つ か に き ・ お よ び み お よ ぶ ば か り 也 。 」 と

記 し て い る が 、 こ れ は 見 及 ん だ も の の 証 と な ろ

。 上 述 の よ

に 、 『

原 集 』 で は 、 歌

名 の 下 に 「 お お は ら の 歌 。 」 と い

が あ る 。 「 お お は ら の 歌 」 は 『 代

』 の

者 が

に 『

原 集 』 を

た う え で の 注 記 と

え た い 。 『 大 原 集 』 は

心 の 私 家 集 と も

え ら れ る が 、 「 な ら の 歌 」 の

の あ る 素

の 『 楢

』 が 、 奈

良 に 縁 の あ る 者 の 歌 を

め た も の で あ る の に よ れ ば 、 『 大 原 集 』 は 、 証 心 自

の 歌 も 含 め て 、

係 の 歌 、

ち 、

原 在 住 の 歌 人 の 作 品 、 大 原 を 歌 っ た

品 を 収 録 し た 歌

で あ っ た と

え ら れ る 。 し か し 、 ま た 、 証 心

の 大 原 に つ い て の 歌 を 収 め た 歌 集 と も

え ら れ る 。 い つ れ に し て も 『

』 の

は 、 証

の 『 大 原

』 な る 私

集 が あ っ て 、 こ れ に 目 を 通 し 、 こ の 歌 集 の

徴 を 一 言 「 お お は ら の 歌 」 と 書 き 記 し た の で あ る 。 こ

267

(6)

智 山学報 第四十七輯 れ に よ っ て 、 証 心

に 住 ん で い た

で あ る と 考 え る の が 適 切 で あ ろ う 。   『

学 辞 典 』 (

  保 編 ) の 中

散 佚 撰 集 の 項 に は 、 「 大 原

 

歌 色

・ 八 雲 御

な ど 。 円

房 証 心 ( 藤 原 俊 経 ) 撰 」 と あ る 。 証 心 を

原 俊 経 と し た の は

に よ っ た も の か 。 「

分 脈 』 な ど に よ っ て 比 定 し た の で あ ろ う か 。 あ る い は ま た 、

丹 治 氏 が 「 鴨 長 明 伊 勢 記

」 ( 『 中 世 国 文 学 研 究 』 所 収 ) に お い て 長 明 『 伊 勢 記 』 同

者 と し て の 証 心 に つ い て 、 「 園 城 寺 伝

血 脈 」 (

大 史 料 編

 

寺 蔵

写 ) に み え る 大 納

邦 綱 猶 子 、 証 心 、 『 尊

分 脈 』 に み え る

証 心 、 『

詠 要 抄 』 の

相 承 系 譜 に

え る 証 心 を

説 さ れ た が 、 こ れ に よ っ て

ば れ た も の で あ ろ

か 。  

原 俊 経 は 『 公 卿 補 任 』 に み え 、 弁 官 か ら 昇 り 、 元 暦 二 年 (

八 五 ) に は

 

正 三 位

 

勘 解 由 長

 

式 部 大 輔 、 正 月 廿 日 に は 阿

権 守 を 兼 ね 元 暦 二

八 日 出 家 し て い る 。 「

名 隆 心 」 と あ る 。 『

卑 分 脈 』 は 「 証 心 」 で あ る 。 こ の

に は 甍

の 記 載 が あ り

二 年 五 月 廿 二 日 七 十 九 と な っ て い る 。 こ の

原 俊 経 を 比 定 し た も の か 。 藤 原 俊 経 証 心 は 、 長 明 と 伊 勢 記 の 旅 を 共 に し た も の と は

え ら れ な い 。 俊

は 経 歴 ( 『 公 卿

任 』 、 『 尊

分 脈 』 ) を 検 み し て も 、 大 原 に 住 ん だ 形 跡 は な い 。 経 歴 か ら も 不

で あ る 。 従 っ て

』 の 証 心 は 、 藤 原 俊

証 心 と は 別 人 で あ る 。   俊 経 証 心 の 適 当 し な い こ と は 前 記 の 拙 論 ( 注

 

文 〉 で 述 べ た が 邦 綱 の 猶 子 証 心 の 適

に つ い て は 詳 述 し な か っ た の で こ の

な る こ と を 次 に 述 べ た い 。  

藤 丹 治 氏 が

出 さ れ た 三 人 の 証 心 の う ち で 、 邦 綱 の 子 の 証 心 は あ ま り 注

さ れ な か っ た 。

の 猶 子 の 証 心 は 「 園 城

血 脈 」 に み え る 証 心 で あ る 。 「 園 城

血 脈 」 の 、 四 十 三 世 公 舜 法

付 法 の 弟 子 一 八 人 の 中 に 、           妙

  同

 

同 所 四 人   證 心   大 輔

法 行 慶 入

忠 解

(7)

「大原集」の証心    

 

 

龍 雲

如 上 唱

   

納 言 邦

 

久 ニ

十 ニ

十 二

、 ハ + 九 と あ る 。 『

十 六 に も 、 こ の 証 心 の こ と が 見 え る 注   。 但 し 、 こ の 方 は 「

納 言

綱 子 」 と あ っ て 「 猶

」 と は な い 。

慶 は 園 城 寺 長

三 十 世 で 、 白 河 院 の 子 で 、 桜

僧 正 と 稼 さ れ た 。 証 心 は こ の

慶 入

の 弟 子 で あ る 。 建

( 一 一 九 一 ) 一 二 月 一 二 覊 に 六 十 九 歳 で 卒 し て い る 。 と

れ ば 、 そ の 焦 年 は 保 安 四

二 茲 〉 で あ っ て 、

明 の

代 と 重 な る と こ ろ が あ る 。   父 の 大

と い

の は 『

分 脈 』 に み え る 藤 原

六 世 の

孫 の

綱 で

る 。 「 正 一 木 工 夙

 

大 夫

大 納 書

 

公 長

 

五 条

 

治 隶 五 壬 二 三 出 家

 

同 一 一 三

 

六 十 」 と あ る 。

綱 は

明 の

生 と そ の 生 活

が 重 な る わ け で 、

心 が そ の ( 猶 ) 子 で あ れ ば よ り 重 な る こ と に な ろ う 。 邦

は 『 公

補 任 』 に よ れ ば 、 仁

( 一 一 六 六 ) 正 四

下 で

じ ら れ 公

し た 。

に 四 十 五

、 逆

す れ ば 、 そ の 生

は 保 安 三

( 一 = 一 二 ) で

る 。

和 元

八 一 )

二 月 三 日 、 所

に 依 っ て 出 家 、 同 廿 三 日 に 甍 じ て い る 。

六 十 で あ っ た 。 五 条 大

言 、 ま た 土

納 言 と 号 し た 、 と あ る 注   。 大 納 言 で 邦 綱 な る 公

は こ の 他 に 該

者 は い な い 。 こ の

綱 は

雷 で

る が 、 五

欝 あ る い は 土 御 門

鷙 q と 称 さ れ た こ と を

え れ ば 「 園 城

血 脈   の 「 大

言 邦 綱 」 の 記 載 は ま た

と す べ

で あ る 。   「

分 脈 」 で は 、 邦 綱 の

子 を 探 せ ば

が い る 。 「

親 也

 

 

猶 子 也 」 と あ る 。 こ れ を 『 園 城

  の 証

と 仮

し て み る と 、 長

の 『 伊 勢 記 』 の 旅 の 文

( 一 一 八 六 ) は 、 証 心 は 六

四 歳 で あ っ て 、 三 十 二 歳 の

と は

の 差 が あ り

ぎ る 。 さ ら に 別 の 面 か ら 考 え れ ば 、 不

然 な こ と は 、 「

」 の

と 「

分 脈 」 の 証 心 の

が 一 年 で あ る こ と で

る 。

っ て こ の 証

を 邦

の 猶 子

に 比 定 す る こ と は

理 で あ り 、 ま た 邦

の 猶 子 を

の 他 に 求 め て も 、 大 納

邦 綱 と 「 園 城 寺 伝 法 壷

」 の 証 心 の 生 没 年 が 、 一 年 の

し 一

269

(8)

智山学報第四十七輯 か な い の で は 比 定 の

害 と な ろ う 。 ま た 、 証 心 は 『 和 歌 色

』 に は 円 法 房 と あ り 、 「 園 城 寺

法 血 脈 」 『

門 伝 記 補 録 』 に は 妙 法

と あ る 。 こ れ は い ず れ が 正

か の 問 題 で は な く 、 『

原 集 』 の 円 法 房 証 心 と 「 血

」 『 補 録 』 の 妙 法 房 証 心 と は 別 人 と

え る べ き も の で あ ろ

。 ま た こ の

綱 の 猶 子 証 心 の 、 公

か ら の

の 年 は 仁

三 年 ( 一 一 六 八 ) 三 月 四 日 、 四 十 六

の 時 で 、 こ れ は

の 阿 闍 梨 や 職

も 記 さ れ て い る 。 一 方 長 明 の

は 「 蓮 胤 」 と い う

は 持 っ て い る が 、 そ の 仏 道 修 行 の

歴 は 明 ら か で な く

名 は い つ 、 誰 か ら

け た か は 明 ら か で な い 。 そ の 経 歴 か ら も 推 測 で き る よ う に 、 俗 名 を 襲 用 し た

明 ( ち ょ

め い ) が 通 用 し て お り 注   、 長 明 入 道 、 あ る い は 長 明 法 師 と で も

し た ほ

が ふ さ わ し い の が 長 明 で あ っ た 。 こ れ に 対 し て 、 邦 綱 の 猶 子 証

の 方 は 出

行 し 、 所 定 の

位 を 経 て の

で あ り

雲 坊 の

法 阿 闍 梨 に 補 さ れ た と

る か ら 以 後 、 阿 闍

と し て

院 生 活 を し た の で あ ろ

。 同 じ

と い っ て も 、 長 明 の 世

と は 異 な る と い

べ き で あ る 。 し た が っ て 、 こ の

綱 の 猶 子 証 心 は 該 当 し な い と い

る 。   私 は 『 朗

抄 』 の 証 心 を 、 中 原

安 と い

を 同 じ く す る と い う こ と で 、 生

代 が 重 な る と

論 し た ( 注

 

の 論 文 ) 。 加 え て 、 こ こ に 『

』 の 証 心 を 重 ね よ

と す る の で あ る 。 『 伊 勢 記 』 の 旅 は 、 文 治 二 年 ( 一 一 八 六 ) 、 長 明 三 二 歳 の

さ れ る か ら 注   、 養

( 一 一 八 一 〉 、 二 七

で 私 家 集 『

長 明

だ し た 歌 人 長 明 と は 釣

が と れ る 。 和 歌 を

中 原

子 と し て 音

( 朗

) の 相

の み え る 証 心 は 、 長 明 と 趣 味 を 同 じ く し 、 特 に 、 音

の 師 を 同 じ く す る と い

で 、 知 己 と な り や

い 機

っ て い た こ と 、 二 人 は 音 楽 を 通 じ て 、 ま た 歌 を 通 じ て の

己 で あ る こ と が 推 測 さ れ る 。 大 原 に 住 み 、 『 大 原

』 な る 歌 集 を の こ

歌 人 証 心 は 、 藤 氏 朗 詠 相

譜 の 証 心 に 重 ね て 矛 盾

る と こ ろ が な い 。   長 明 は 元 久 元

( 一 二 〇 四 ) 春 、 五 〇 歳 で 出 家 し 大 原 山 の

に 入 る 。 「 ム ナ シ ク 大 原 山 ノ 雲 ニ フ シ テ 、 又 五 カ ヘ リ

(9)

「大原集 亅の証 心 ノ 春 秋 ヲ ナ ン

ニ ケ ル 」 と い う 、 最 初 の

は 大 原 で あ る 。 こ の

原 に つ い て は

北 の 大 原 、 洛 西 の

原 の 二 説 が あ り 、 い

れ も

原 の 地 と の

が 云 々 さ れ て き た 。

注 で は 『 泗 説 』 が 「 山 城 国

愛 ( 宕 ) 郡 也 」 と 言 い 、 『 諺

』 が 「

の 北 西 の 岡 也 さ の ミ 大 原 山 に 住 と い ふ に ハ あ ら す 長 明 西 方 を

れ バ 弥 陀

迎 の 西

の 紫 雲 に な ず ら へ て 角 ハ 云 也 」 と

。 も っ と も

者 は こ の

節 を 修

と 見 て の

現 と

る の で あ る か ら 、 か な ら

し も 西 の 大 原 説 の

と は

え な い が 、 『 流

抄 』 で は 「 城 州 乙 訓 郡

原 野 の 西 也 。 」 と し 、 後 拾 遺

原 国

の 「 お も ひ や る 心 さ へ こ そ 悲 し け れ

山 の あ き の

く れ 」 の 一

を 引 い て い る 。 『 宜 春 抄 』 は 「 山 城 国 に 二

あ り 。 愛 宕 郡 と 乙 訓 郡 と な り 。 こ ・ に い ふ は

郡 の や せ

の 山 の

な り 。 」 と し て

郡 の

原 説 を 提 唱

る 。 以 後 、 北 の

原 説 を 主 流 と し な が ら も 、 二 説 並

し て 現

に 至 っ て い る 。 『

記 』 の 旅 を 共 に し た 『

原 集 』 の 証 心 と の 縁 故 が 、 既 に 『

』 の こ ろ に あ っ た と す れ ば 、 洛 北

と の 縁 故 が 成 立 し て い た こ と に な る 。 こ の こ と に よ っ て 洛 西 、 洛 北 と

原 二 説 あ る な か で 、

原 説 を と る 。 ま た 、 こ れ に よ っ て 隠 棲 の 地 と し て 洛 北 大 原 の 地 を 選 ん だ 長 明 の

動 が 説 明 で き る 。

原 山 は 、 必

し も 洛 西 の 小 塩 山 を さ し て の 大 原

で は な い 。 洛 北 の

原 山 の

も あ る 注   。 長 明 の 大 原 は

北 の そ れ で あ る 。   『

勢 記 』 の 旅 は

八 六 ) 、

に か け て の 頃 と 推 測 す る 。 こ の 頃 、 長 明 は

の 河 原 近 く の 小 家 に い た 。 人 生 の 一

機 で あ っ た 。 『 方

記 』 に 「 ワ カ

ミ 父 カ タ ノ 祖 母 ノ

ヲ ツ タ ヘ テ ピ サ シ ク 彼 ノ 所 ニ ス ム 、

後 縁 カ ケ テ 身 ヲ ト ロ へ 、 シ ノ フ カ タ

シ ケ カ リ シ カ ト 、 ツ ヰ ニ ヤ ト ・ ム ル

ヲ エ ス 、 ミ ソ チ ア マ リ ニ シ テ 、 更 ニ ワ カ 心 ト 一 ノ

ヲ ム ス フ 、 是 ヲ ア リ シ ス マ ヒ ニ ナ ラ フ ル ニ 、

力 一 也 、 〜 所 カ ハ ラ チ カ ケ レ ハ 、

難 モ フ カ ク 、 白

ノ ヲ ソ レ モ サ ハ カ シ 、 」 と

す と こ ろ で あ る 。 「 縁 カ ケ テ

ヲ ト ロ へ 〜 ヤ ト ・ ム ル

ヲ エ ス 」 し て

つ っ た つ ま り 、

儀 な く さ れ た 、 不 本

な 転 居 で あ っ た 。

明 が 「 ミ ソ チ 」 に 入 っ た の は 寿 永 三

( 元 暦

 

一 一 八 四 V で あ る か ら 、 こ の

居 は こ の

か ら 翌

治 元

に 翌

の 、 つ ま り 『 伊 勢 記 』 の

の 年 ( 文

二 年 ) の 夏 頃 ま で の

271

(10)

智 山学報 第四十七輯 間 と 推

さ れ る 。   『

勢 記 』 の 旅 の 目 的 は 明 確 で は な い 。 そ れ は 傍 証 が な く 、 『 伊 勢 記 』 に よ っ て 知 る し か な い か ら で あ る 。 そ の う え 『 伊 勢 記 』 が

佚 し て そ の 全 容 が と ら え に く い と い う こ と に も よ る 。 現 存 記

容 か ら

測 す れ ば 、 伊 勢

、 及 び 伊 勢 の 名 所 旧 跡 の 見 学 に あ っ た と 思 わ れ る が 、 長 明 の 伊 勢 の 旅 も 、 縁 か け て 祖 母 の

を で な け れ ば な ら な か っ た 苦 悩 を 癒 す た め に 思 い 立 っ た も の で あ っ た か も 知 れ な い 。   『

記 』 の

が 、 こ の よ う な 性 格 の 旅 で あ る と す れ ば 、 そ れ に 同 行 し た

心 は 、 長 明 と

の お け な い 仲 で あ る こ と が 推 測 で き る 。

『 菟 玖 波 集 』 に 見 え る 連 歌 に よ っ て 二 人 が 気 の お け な い 仲 で あ っ た こ と が 証 さ れ る 踊 . . 。 『 伊 勢 記 抜 書 』 (

文 庫 蔵

 

『 校 註 鴨 長 明 全 集 』

瀬 一 雄 編 に よ る 。 ) の 、 「 二 見 に て 」 の 詞 書 を

す る 長 明 の 歌   ふ る 郷 の 大 原 山 や い か な ら む 二 見 の う ら の け さ の 初 雪 に 於 け る 故 郷 は 広 義 ( 郊

を も

め た

) の も の と と る 。 こ の 時

明 は 祖 母 の 家 を 出 て 、

茂 の 川 原 近 く に 小 宅 を

え 、 そ こ に

ん で い た と

え ら れ る 。

徴 と し て 数 あ る も の の な か か ら 、 特 に 大 原 山 を

り 上 げ た の は 、 歌 枕 の 地 で あ る 大 原 の 地 に

す る 関 心 の 深 さ か ら で

る と し て も 同 行 し た 証 心 を も

し て の こ と と 思 わ れ る が い か が で あ ろ

か 。

原 を 故 郷 と 称 す る の は 日

の 深 い か か わ り が あ っ て の こ と と

え ら れ る が 、 そ れ は 証 心 と い う

人 が あ る と い う こ と に よ っ て 解 決 さ れ る で あ ろ

。   長 明 が 『 月 講 式 』 を

頼 し た 友 人 の 禅 寂 ( 日 野 長 親 ) の 最 初 の

棲 地 が 洛 北 の 大 原 で あ っ た 。 長 明 が 『 伊 勢 記 』 の 旅 を 終 え た 二

後 、 文 治 四

八 八 ) 、 藤 原 日 野 家 の 長

は 出

し 、 洛 北 大 原 に 隠

し 、 蓮

っ た 。 『 玉 葉 』 は 、 文 治 四 年 二 月 十 七 日 の

に 「

聞 。 兼 光 卿 二 男 長

入 道 云 々 。 有

之 人 歟 。 可 レ 感 可 レ 憐 。 」 と 言 い 、 ま た 『

分 脈 』 に は 「 従 五 上

 

刑 部 少 甫

 

民 部 大 甫

 

源 空 上 人

子   出 家   外 山 建 立

 

原 蓮 如 上 人 也  

名 禅

」 と あ る 。 『 伊 勢 記 』 の 旅 を

え て 帰 洛 し た 証 心 も 大 原 に 帰 っ た こ と で あ ろ う し 、 長 親 と の 親 交 が い つ 生 じ た も の か 、

(11)

『大原 集亅の証 心 長 親 の 出 家 前 か 、

原 隠 棲

か 、 閣 ら か に し な い が い ず れ に し て も 、 長 明 と 洛 北 大 原 と の か か わ り は 、 証 心 と の 親 交 に よ っ て 、 既 に あ っ た と す れ ば 、

寂 と の か か わ り も 大 原 で で き る こ と が

え ら れ る 。 長 明 は 出 家 以 前 か ら 、 証 心 、 禅 寂 を 通 じ て の 深 い

が 、 洛 北 大 原 に あ っ た と い う こ と に な ろ う 。   以 上 、 『

集 』 の 「

 

証 心 撰 、 お お は ら の 歌 。 」 の 一 行 の 記 録 を た よ り に し て 、

明 『 俳 勢

』 の 旅 の 同

者 証 心

を し た 。 『

原 集 』 の 証 心 は 『

要 集 』 の 藤 氏 朗 詠 相 承

譜 に み え る

原 有 安 の 弟 子 証 心 と 岡 一 人

で あ る と し 、 証 心 像 を

し た 。 『 大 原 集 隠 の 護 心 の

は 、 長 明 と 洛 北

と の か か わ り を 明 か し 、 長 明 の

明 、 『 方 丈 記 』 解 釈 に も 資

る こ と に な る わ け で 、 「 大 原 集   證 心 撰 、 お お は ら の 歌 。 」 と い う 一 行 の 記

は 貴 重 で あ る と

わ ね ば な ら な い 。 注

 

 

稿

「 長 明 「 伊 勢 記 』 証

師 考 」 ( 「 和

鼠 文 研 究 」

三 十

 

平 成 七 ・ 三 〉 注

 

 

 

梅 沢

館 蔵

期 書 写 ) ・ 彰

蔵 本 ( 江 戸 期 書 写 )

 

 

歌 学

 

第 五

 

集 』 の 解 題 注

 

 

』 打 聞 に は 、

明 の

の 師 、 中 原 有

の 『

』 の

を 出 す 。 「 筑

撰 。 」 と

る 。 『 大 原 集 』     よ り

に 挙 げ る 。 な お 、 頼

の 『 真

記 問

』 第 二

 

万 葉 七 代 集 撰 者

( 「 真

」 ∀ は こ れ を 『 宅 〃     玉

』 と す る が 、 寒 の 読 み 誤 り に よ る 誤 写 で あ る 。 注

 

 

田 本 仏 教 全 書 」

八 六

 

寺 誌 部 邏

 

隔 第 十 六 に 、     阿

梨 證 心 妙 法 房    

 

言 邦 綱 子 。 桜 井

正 入 室

安 珊 年 薫 月 四 臼 。

・ 阿

瀧 頂

法 印 。 273 一

(12)

智山学報第四七輯  

 

二 龍

伝 法 阿 闇

一 。

十 二

二 日 入

六 十 有

。 注

 

 

初 畠 「 (

議 ) 正 四

下 藤 邦

 

 

正 月 十 二 日

( 元

人 頭 中

亮 ) 。

如  

 

元 ( 去 亮 ) 。 六

六 日 従 三

( 臨

) 。 八 月 廿 七 日 辞 職 。 以

之 (

夫 如 元 ) 。 煎 右

権 助

五 下 盛  

 

。 」 以 下 に

歴 を 記

。 安 元 三

納 言

 

綱   瓶 +

 

四 ( 正 力 ) 月

廿

四 日

。 」

承 五

「 (

 

 

 

正 二 位 ) 同 邦

六 +

 

壬 二 月 三 日

所 労 掛 家 。 同 廿 三 日 甍 ( 六 十 ) 。

五 条 大 納 言 。 又

門 。 」 注

 

 

鏡 』 建 暦 元 年 十

十 三 日

に 「

社 氏 人 菊

長 明 入 道 。 ( 法

胤 ) 依 雅

朝 臣 之 挙 。 此 間 下 向 。 奉  

 

謁 二

家 一 。 及 二 度 々 一 云 云 」 と あ っ て 「 長 明 入 道 」 が 通 っ て い た こ と が 推 測 さ れ る 。 注

 

『 莵

+ 九

歌 の

に 「 便 勢 国 を 修

り け る に 林 ざ き と 云 ふ

に て 」 と い

玄 忍 ( イ  

 

患 ) 法 師 と の 連 歌 が 収

さ れ て い る 。 詞

の 「

行 」 で あ る が 、 こ れ を 仏 道

と と れ ば 、 『 伊

認 』 の

立 は 、  

 

長 明 出 家 の 、

ち 元 久 元 年 ( 冖 二 〇 四 ) 、 五 〇 歳 以 後 と し な け れ ば な ら な い 。 し か し 、 こ れ は 「

」 の  

 

書 「

崎 を よ め る 、 つ つ み の た け の お の へ な り 」 に

う 。

 

北 大 漂 山 の 歌 と し て 門

の 許 に つ か は し け る 篇 の 詞

つ 藤 原

の 一

、  

 

お も ひ や る 心 さ へ こ そ 寂 し け れ 大 原 山 の

き の ゆ ふ ぐ れ ( 『

』 )  

 

 

』 に は ま た 、 和 泉

部 の  

 

こ り つ み て 槙 の

や く け を ぬ る み 大 原 睡 の

の む ら

 

 

の あ る こ と に

し た い 。 注

 

  熊 野 へ ま ゐ

る に 、 弘 ( イ 孔 ) 子 の 山 と 云 所 に て  

 

く し の 山 た ふ れ し ぬ べ き

ね か な

 

明  

 

な づ

ま す

か つ ら も ぞ

 

 

証 心

(13)

十 九

 

連 歌 の 部 に 収

さ れ て い る も の で 、

師 は

本 で は 鐙 山

師 と な っ て い る 。  

明 の 熊 野 へ の 旅 が 、 『

記 』 の 旅 と

続 す る か し な い か が 問 題 で あ る が 、 長 明 の

野 へ の 旅 は 確 証 が な い 。

路 を も ち い て の 旅 で

っ た も の と し て 、 一 応 、

の 旅 に

続 す る も の と し た 。 一

275

r

大原集亅の証心

参照

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