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全文

(1)

(A)

令和二年度入学試験問題

受験上の注意

一︑監督の指示により︑受験する科目の解答用紙を使用してください︒

解答用紙に受験番号︵算用数字︶︑氏名︑フリガナを記入し︑受験番号および該当する試験日

をマークしてください︒記入については解答用紙の注意事項に従ってください︒

三︑問題冊子の解答番号と解答用紙の番号を間違えないように注意してください︒

四︑国語の問題は︑選択問題があるので︑下記の︻表︼の指示に従い解答してください︒

五︑国語の問題は︑二〜三十八ページにあります︒試験開始の合図があったら︑まずページ数を確

認してください︒

六︑試験時間中は︑受験票を机上の受験番号の下に呈示しておいてください︒

七︑質問︑その他用件があるときは︑手を上げて合図してください︒

八︑試験時間中の退場は認めません︒

九︑試験時間は六十分です︒

十︑この問題冊子は持ち帰ってください︒

開始の合図があるまで開かないでください

国   語

【表】下記の印に従って解答してください。

○印・・・必答

△印・・・いずれか一つ を解答してく ださい

共通問題

選択問題

︵現代文︶ ︵現代文︶ ア︵現代文︶ イ︵古 文︶ ウ︵漢 文︶

全学部

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

(2)

次の文章を読み︑後の問に答えなさい︒

英語ではボデー・エクスプレッションということばがある︒またそれを研究する学問分野もひらけつつあるようだ︒しかしまだ

まだ幼稚なもので︑しょっちゅう腕組みしている人物は攻撃的性格だといったあんばいだ︒

どういう身振り︑しぐさをするか︑この﹁無言の言語﹂は学問的に未開拓の分野である︒しかし︑これはことばよりもはるかに

深く人間の身体にしみついたなにものかであり︑﹁心﹂と社会とをつなぐ確実な兆候である︒

個人の心理の内奥を︑おそらくしぐさはのぞかせるものである︒無意識であればあるだけ︑それはゆるがせにできないしるしな

のである︒同時に︑しぐさは一つの文化である︒社会のさまざまの集団につたわる伝承の文化である︒個人は︑個人としてのしぐ

さをもち︑さらにその底に集団に共通の︑また社会に共通のしぐさをもつ︒人間はことばを交換することでコミュニケイションを

成立させ︑文化をもつように︑無意識のうちに他人の身振り︑しぐさをまねることで社会人となり︑一文化の構成員となる︒

︱︱と︑このように考えてくると︑私たち日本の文化は︑私たち日本人のどのようなしぐさによって表現されているのか︒もっ

と正確にいうと︑たがいにしぐさをまねあうことで︑私たちはどのような文化をつくってきているのか︒そういう疑問がわく︒

日本人のしぐさということで私がまず思いつくのは﹁あいづち﹂である︒このことばのおもしろさにまずひかれる︒﹃広辞苑﹄

には﹁︹相槌・相鎚鍛冶で︑互いに打ち合わす鎚﹂とある︒鎚をトンカントンカンと打ち合わす快は︑もはや私たちの日常生活

からは遠く︑正月のもちつきの臼りの愉快さえ︑光景としても日々に遠ざかってしまった︒

しかし︑あいづちということばは︑二人の共同作業の快味をよく伝えているようである︒きねをつく人よりもむしろ︑拍子おも

しろく臼取りする人のほうが︑仕事としてむつかしくおもしろいのではなかろうか︒受け身の︑従の立場のほうが︑共同の仕事の

なかで︑より困難でより愉快味のある役割であるようだ︒

スイス人のガスカール女史は︑その﹁日本観察ノート﹂の中で日本人の返事の曖昧さを批判している︒﹁日本人から︑確かな

﹃イエス﹄か﹃ノー﹄の答えを得ることは︑全く不可能なことに属します︒︵中略︶﹃ソー︑ネー⁝⁝﹄といい︑頭をかくのです︒

︵注

1 ︶

︵注

2 ︶

  語

(3)

とにかくこっちはそれでちっとも利口になるわけのものでもなく︑イゼンとして︑なにがなにやらわからないままです︒日本人と

は︑なんとややっこしい人でしょう!﹂

この指摘は別に独創的なものでも特異なものでもない︒しかしそれだけに︑私たち日本人の身振りの︑したがって文化の︑他国

の人によっては理解されえない特異性を浮かび上がらせている︒ふだん︑私たちは気づかないが︑人の話を聞くとき︑たえずあい

づちを打っている︒心の中であいづちを打っている人もいるし︑大げさな身振りであいづちを打っている人もいる︒無意識である

だけになかなか本人は気づかない︒

ラジオ︑テレビのプロデューサーがしろうとの出演者に対して﹁教育﹂することの一つはこのあいづちを減らすことである︒画

面や声でのあいづちの身振りや﹁そう﹂﹁はい﹂いう表現はざわりざわりである︒客観的に観察すると︑あい

づちというのはなにかしら異様に同調的な態度をきわだたせてしまうのだ︒客観的と言ったが︑それはひょっとするとヨーロッパ

人の目を私たちの客観の目の中に組み入れてしまったということかも知れない︒

外国のビジネスマンが商取り引きにやって来る︒何かケンメイにまくし立てている︒私たちのビジネスマンは相手の熱意に打た

れ︑思わずあいづちを打ってしまう︒それは外国人には確実な﹁イエス﹂のしぐさとして理解される︒そして同意のサインをとい

うことになって︑書類を取り出す︒日本人はそれを見て︑とても同意出来ないと首を横に振る︒外国人は驚いて︑なんと日本人に

は誠意がないのだろう︑平気でウソをつくというふうに評価する︒

この誤解はかなり困ったものだ︒私たちは論理と感情の世界を区別している︒契約について﹁イエス﹂か﹁ノー﹂と言うのは論

理の世界である︒会話においてあいづちを打つのは感情に基づく社会的表現である︒この両者を巧みに組み合わせることで︑むき

出しの真実だけではない人間的世界に私たちは生きているのだ︒

ヨーロッパでは相手の感情をくんで︑いい振舞いをすることを﹁タクト﹂と言う︒一口にヨーロッパと言ってもいろいろある︒

アメリカやスイスでは﹁タクト﹂は少ない︒しかしウィーンやパリでは︑日本の繊細に負けぬほどのタクトがある︒これはどうい

うことなのか︒アメリカやスイスは︑異人種異言語が日常的に接触する国である︒ウィーンやパリでは︑共同の前提となる統一さ

⑶ ⑷

(4)

れた文化がある︒暗黙の了解があるので︑その暗黙の了解のうちに相手の感情をいたわることが可能なのだ︒アメリカで

は︑まず論理を通さなければ異人種の間の意見の一致を見ることはできない︒複雑多様な諸国民が激しくコウサクしあう現代世界

では︑ヨーロッパ型︱︱というよりアメリカ型の﹁イエス・オア・ノー﹂が前提となることはやむを得ない事情もある︒

︑共通の前提をつくる作業が今後数十年︑数百年たって地球上にあらわれたとき︑微妙な﹁タクト﹂が価値を持たない

わけではないし︑まして日本の﹁あいづち﹂が共同作業の一つの原型として見直されぬとは限らない︒

︵多田道太郎﹃しぐさの日本文化﹄問題作成上︑一部を改変した︶

︵注

1鍛冶金属を鍛錬して製品を製造すること

︵注

2臼取り餅つきの際︑臼のかたわらにいて︑餅をこね返すこと︒また︑それをする人

問一

空欄⑴

︑⑻

︑⑼に入る語として

︑最も適当なものをそれぞれ一つ選び

︑マークしなさい

︒解答番号は⑴

2

︑⑼

3

たとえば   けれども   すなわち   ただし    あるいは

あるいは   ところが   つまり    さて     にもかかわらず

いわば    しかし    なぜなら   ところで   たとえば

(5)

問二 傍線部分⑵﹁ゆるがせにできない﹂の意味として︑最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

4

いい加減にできない

伝えることのできない

コントロールできない

直接みることができない

真似することのできない 問三 傍線部分の漢字に相当する漢字を含むものをそれぞれ一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

5

6

7

イゼン   イケイの念を抱く

イフクの汚れ

イショを残す

相手のイコウをくむ

先例にイキョする ケンメイ   クイズのケンショウに当たる

ケンシュウカイに出席する

ケンリを主張する

ケンチョにあらわれる

キゲンが悪いようだ

(6)

コウサク   セイサクを立てる

単語をケンサクする

サッカクに陥る

作文をテンサクする

サクサンを使う実験 問四 空欄⑶︑⑷に入る語として︑最も適当なものをそれぞれ一つ選び︑マークしなさい︵順不同︶︒解答番号は⑶

9

(7)

問五 傍線部分⑸﹁ヨーロッパ人の目を私たちの客観の目の中に組み入れてしまった﹂とあるが︑それはどういう意味か︒最も

適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

10

テレビのプロデューサーがヨーロッパ人の視聴者に配慮して︑出演者のあいづちや身振りを減らす教育を行うこと

日本人には︑心の中であいづちを打っている人もいるし︑大げさな身振りであいづちを打つ人もいることを知ること

あいづちは﹁イエス﹂のサインであるというヨーロッパ人の視点から捉えること

あいづちをあまり打たないヨーロッパ人のように︑あいづちを珍しい習慣としてみること

テレビを見ることで︑日本人が大げさな身振りであいづちを打っていることに気づくこと 問六 傍線部分⑹﹁外国人は驚いて﹂とあるが︑なぜ驚くのか︒その理由として最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒

解答番号は

11

日本人がなかなか同意してくれないから

日本人が非論理的な話ばかりするから

日本人が話を上の空で聞いているから

日本人が同意したすぐ後に拒否したから

日本人の説明にはウソが多く信頼できないから

(8)

問七 傍線部分⑺﹁むき出しの真実だけではない人間的世界﹂とあるが︑この世界に含まれないものとして︑最も適当なものを

一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

12

相手との契約について﹁イエス﹂か﹁ノー﹂と言うこと

暗黙の了解のうちに相手の感情をいたわること

相手の感情をくんで︑いい振舞いをすること

どの相手に対しても曖昧な態度だけをとりつづけること

相手の熱意に打たれて思わずあいづちを打つこと 問八 空欄⑽に入る語として︑最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

13

愉快な

曖昧な

不可能な

確実な

客観的な

(9)

問九 本文の内容に合致するものとして︑最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

14

異人種異言語の交流が盛んな現代社会では︑あいづちよりもタクトの重要性が高まるだろう

複雑多様な人々が交流する国際社会の一員として︑日本はあいづちを捨て﹁イエス・オア・ノー﹂を前提とする文化に移

行するべきである

日本人のあいづちは︑他国の人には理解されないため︑複雑多様な人々が交流する現代社会ではその価値はないに等しい

感情の世界に住んでいる日本人は︑ウィーンやパリの人々のように論理と感情の世界を行き来することができない

複雑多様な人々の交流がより激しくなったとしても︑そこに暗黙の了解があれば︑あいづちは価値を持つかもしれない

(10)

次の文章を読み︑後の問に答えなさい︒

近代科学の強みは︑人間の数ある知的営みのなかでも︑その成立の必然性になんらの疑いをさし挟ませないほど︑人々に確実感

を与えることに︑しかも︑敷かれた軌道の上に︑時間あるいは時代とともに間違いなくそれが進歩していくように思わせることに

ある︒ほかに選択の余地がなかったほど︑人間の夢を実現したもののように信じ込ませることにある︒︑近代科学が切り

開き︑歩んだ道とは別の︑重要な知の可能性がなかったわけではない︒

そのことを考える手がかりとして︑近代科学の︿機械論﹀に先立つ三つの主なる自然学あるいは自然哲学を取り上げることにし

よう︒アリストテレス的な︿質的自然観﹀︑占星術的な自然哲学︑錬金術的な自然哲学の三つである︒そうは言っても︑こんどは

それらを︑︿前﹀近代科学︑つまり近代科学に成りきれなかった︑遅れたもの︑劣ったものとしてではなく︑むしろ積極的な知恵

をそなえた独自な知

としてである︒ルネサンス期は︑それまでカトリック教会公認のアリストテレス=スコラ哲学によって抑えら

れていた古代以来の異教の知が表面に踊り出た時代であり︑占星術や錬金術はそういうものとして︑この時代に新しい発展を遂げ

たのである︒

︑それらの異教の知としてのオカルト学︵占星術︑錬金術など︶は︑アリストテレス主義とすべての点で違っていたわ

けではない︒たとえば︑事物の︿自然的場所﹀や︿本来の運動﹀といったアリストテレスの学説は︑同類に属するもの同士は互い

に牽き合うという︑オカルト学の︿共感﹀の原理と相通じているし︑対象と自己とをまったく引き離したり︑分断したりしない点

でも共通している︒さらに︑いずれも︑自然や人間の生命的・心的な活動を重視していた︒したがって︑そこでは︑認識の働きも︑

近代科学における在り様とはちがって捉えられていた︒いいかえれば︑そこで認識の対象となっていたのは︑事物の間の因果連関

ではなくて︑︿相似﹀であった︒

すなわち︑この時代には︑世界はさまざまな相似関係の集まりと見なされていた︒この相似関係には︑フーコーも﹃言葉と物﹄

第二章で分析しているように︑適合︑競合︑類比︑共感の四つが含まれている︒︵彼によれば︑適合とは類似を生み出す場所の隣

︵注

1 ︶

︵注

2 ︶

︵注

3 ︶

⑷ ︵注

4 ︶

(11)

接関係であり︑競合とは空間的な接触関係なしに距離を越えて働く照応のことである︒また︑ここで類比とは︑競合の︑空間を越

えた似たもの同士の向かい合いと︑適合の︑接合関係のつながりを合わせて含んだ︑適応性の広い概念である︒︶そのなかでもっ

とも重要なのが︑︽世界の深層にあって自由な仕方で働く︾︑事物間の相似関係を示す共感である︒

そして︑この共感が支配するところでは︑あらゆる事物同士が共感と反感という関係で結びつけられていることになる︒デッラ

=ポルタが﹃自然魔術﹄で挙げている例でいえば︑あぶら菜とブドウの蔓の間には敵意︵反感︶があるし︑野生の牡牛とイチジク

の木には親和性︵共感︶がある︒また︑万物は互いに照応し連関し合っているから︑隠された自然の秘密を知るためには︑全宇宙

のあらわれや生物の姿かたちから学び知ることが必要である︒さらに︑外観の相似も事物間に共感を引き起こす働きをする︒たと

えば︑サソリに似た根を持つ草スコルピウスは︑サソリの刺し傷に効くということになるのである︒

これらの例は︑自然現象をほとんど科学の目を通して対象化してしか見られなくなった現代人には︑異様に見えるだろう︒別の

世界に入り込んだ思いのする人もいるかもしれない︒しかし︑五感をそなえ︑感情をもった人間として︑これらのことを単に荒唐

無稽だとして片づけられるだろうか︒よく似ていることやいちじるしい違和感を感じさせることは︑イメージをとおしてわれわれ

の心につよく働きかけてこないであろうか︒つよく働きかけられた場合︑そこに生じる情念は︑ときによってはわれわれを精神的︑

身体的に損ないさえする︒それゆえ︑イメージをただ︿誤の主﹀などと言って済ますわけにはいかないのである︒そして︑マ

クロコスモスとミクロコスモスとの照応をはじめとする万物の相関関係によって世界を描き出すときには︑世界と自己︑

︑物と心とを分離・切断せずに︑世界や自己自身を認識することになる︒

世界と自己︑︑物と心の分離・切断といえば︑デカルトと並んで近代科学を哲学的に基礎づけたベーコンが

言う︿実験﹀とは︑そのような分離・切断を前提にしている︒すなわち彼は︑自然を知り︑それを人間に役立てるためには︑技術

的に実験によって自然を対象化して働きかけ︑その秘密を解き明かさねばならない︑として︑次のように述べている︒

われわれ人間の場合でも︑その精神と感情の隠された働きを知ろうとすれば︑無事でいるときよりも︑なにかの困難に出会って

いるときの方がその姿を明らかにできる︒自然の秘密を知ろうとする場合にも︑同じことが言えるのではなかろうか︒平穏にある

︵注

5 ︶

︵注

6 ︶ ⑺

⑼ ⑽ ︵注

7 ︶ ︵注

8 ︶

(12)

がままにあるときよりも︑われわれが付きまとい︑︽術策を使って自然をさいなむ︾方が︑自然は秘密を明らかにしてくれるので

はなかろうか︑と︒この︽術策を使って自然をさいなむ︾とは︑穏当とはいえないことばであるが︑彼の方法を体現したことばで

あるだけに︑つい口が滑ったものとして見逃すわけにはいかない︒

というのは︑そこには︑現代の自然破壊︑生態系破壊の技術主義に大きく通じるものがあり︑しかもそれが︑単なる客観主義の

所産としてではなく︑そのよそよそしさが含む︽自然をさいなむ︾在り様として示されているからである︒少なくとも今になって

振り返って見れば︑自然に対するこのようなが望ましくないことは︑誰でも認めるだろう︒また︑われわれが自然や地球

を︑自己にとってかけがえのない生態系として︑親和的に接すると相反することは明白である︒

以上見てきたことからもわかるように︑共感と反感という原理は︑イメージの働き︑感覚や感情を担ったイメージの働きを重視

するとき︑必ずしも神秘的ではなくなるのである︒

凝縮したイメージとして︑いろいろなシンボルが︑錬金術において大きな役割を果たしていることは︑よく知られている︒その

錬金術でのシンボルの働きを︑ユングが夢の分析の経験を生かして︑説得力ある仕方で解き明かしたことの意味は大きい︒そこで

次に︑そのことを見ておこう︒

︑彼によれば︑実は錬金術とは︑物質的な調合・加工・合成などの外観をこえて︑なによりも︑われわれ人間の隠され

た無意識の領野を地図化するための術であった︒そして︑このような捉え方は︑彼の理論の核心である自己の︿個体化﹀の考え方

と密接につながっている︒個体化の働きと過程において︑ひとは︑表層的な︿自我﹀を超えた本来的︿自己﹀を発見し︑それを発

展させる︒それというのも︑意識的な自我というのは︑日常生活によって要請され︑作られた仮面というべきものであり︑それに

対して︑自己は意識と無意識の調和にもとづくものだからである︒そして夢の分析とはまさに︑この調和をもたらすための方法で

ある︒そのとき︑夢のシンボルを重要なメッセージとして使うのである︒この夢の分析の臨床的データから︑夢のシンボルと同様

に︑錬金術のシンボルも両義的であり︑しかも両者がその表現の細部において酷似していることがわかったのである︒

ユングは述べている︒彼ら錬金術師たちの物質研究は︑たしかに︑化学変化の本質に本気で迫ろうとしたものであったが︑同時

︵注

9 ︶

(13)

に物質の化学変化のうちにこれと並行して進行する︿心の過程﹀を映し出すということでもあった︒心的過程は︑物質の不可思議

な変化と同様︑無意識の自然現象であるから︑容易に物質の未知の化学過程に投影されたのである︒つまり︑個体化の過程がまさ

にこのような錬金術のシンボルのうちに表現されているのである︒この錬金術と無意識との深いかかわりは︑錬金術が非科学的で

あると見なされて退けられるようになったのと︑無意識が抑圧されるようになったのとが︑ともに近代初頭の十七世紀であったこ

とによっても裏書きされる︒

︵中村雄二郎﹃臨床の知とは何か﹄問題作成上︑一部を改変した︶

︵注

1︶ 機械論自然現象などの諸現象を因果関係で説明しようとする立場

︵注

2︶ アリストテレス古代ギリシャの哲学者

︵注

3︶ スコラ哲学中世ヨーロッパにおけるキリスト教やその信仰を基礎とした哲学

︵注

4︶ フーコーフランスの哲学者︒一九二六〜一九八四

︵注

5︶ デッラ=ポルタイタリアの医師︑魔術師︑錬金術師︒一五三八〜一六一五

︵注

6︶ コスモス世界︑世界観

︵注

7︶ デカルトフランスの哲学者︒一五九六〜一六五〇

︵注

8︶ ベーコンイギリスの哲学者︒一五六一〜一六二六

︵注

9︶ ユングスイスの精神科医︑心理学者︒一八七五〜一九六一

(14)

問一 傍線部分⑴﹁近代科学の強み﹂とあるが︑それが人間にもたらすものは何か︒最も適当なものを一つ選び︑マークしなさ

い︒解答番号は

15

疑念

可能性

実現性

確実感

現実感

問二

空欄⑵

︑⑶

︑⒂に入る語として

︑最も適当なものをそれぞれ一つ選び

︑マークしなさい

︒解答番号は⑵

17

︑⒂

18

しかし   したがって   すなわち   そこで   とりわけ

しかし   したがって   すなわち   そこで   とりわけ

しかし   したがって   すなわち   そこで   とりわけ

(15)

問三 傍線部分⑷﹁世界はさまざまな相似関係の集まりと見なされていた﹂とあるが︑なぜそう言えるのか︒その理由として最

も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

19

認識の方法が︑同類に属するものは牽き合うというような考えにもとづいていたから

メディアが未発達であったため︑さまざまな考えが伝播せず︑人々の考え方が似ていたから

前近代科学的なオカルト学は︑事物の自然的場所や本来の運動を相同なものとみなしていたから

占星術や錬金術のようなオカルト学は︑近代科学と異なり︑互いに類似の知識体系をもっていたから

産業が発展すると特徴を備えたものが登場するが︑当時はあまり発展していなかったため全てのものが似通っていたから 問四 傍線部分⑸﹁照応﹂の意味として︑最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

20

照射

対応

反応

反発

類似

(16)

問五

傍線部分⑹

﹁荒唐無稽﹂

と同様の意味を持つ語として

︑最も適当なものを一つ選び

︑マークしなさい

︒解答番号は

21

暗中模索

安寧秩序

陰陰滅滅

四面楚

支離滅裂

問六 空欄⑺と⑼︑⑻と⑽にはそれぞれ同じ語が入る︒最も適当な組み合わせのものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

22

⑺と⑼ 客体   ⑻と⑽ 主体

⑺と⑼ 共感   ⑻と⑽ 反感

⑺と⑼ 具体   ⑻と⑽ 抽象

⑺と⑼     ⑻と⑽ 精神

⑺と⑼ 精神   ⑻と⑽ 感情

(17)

問七 傍線部分⑾﹁穏当﹂の意味として︑最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

23

隠れていること

正当であること

妥当でないこと

無理がないこと

矛盾していること

問八

傍線部分⑿

大きく通じるもの﹂

あるが

それは何か

︒最も適当なものを一つ選び

︑マークしなさい

解答番号は

24

自らの方法を体現しようとする考え

術策を使って自然をさいなむというデカルトの考え

人間の精神と感情の隠された働きを知ろうとする姿勢

自然を対象化して平穏を損なおうとする考え

自然は秘密を明らかにしてくれるという考え

(18)

問九 空欄⒀︑⒁には同じ語が入る︒最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

25

感情

気分

共感

工夫

態度 問十 傍線部分⒃﹁この錬金術と無意識との深いかかわり﹂とあるが︑なぜ深いかかわりがあるのか︒その理由として不適当な

ものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

26

錬金術とは︑人間の無意識の範囲を地図化するための術でもあったから

錬金術における化学過程とユングのいう心的過程は同じような自然現象と考えられるから

錬金術のシンボルの両義性が︑ユングが分析する夢のシンボルの両義性と酷似していたから

錬金術師たちの研究対象が︑結果として錬金術だけにとどまらず︑心的過程を内包していたから

錬金術における物質の不可思議な変化と同じように︑ユングの分析における夢の内容が不可思議だから

(19)

問十一 本文の内容に合致するものを二つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

27

︵解答欄一行に二つマークすること︶

錬金術師たちが行った物質研究は︑オカルト的要素が強かったため︑化学変化の本質とは程遠いものであった

ユングによれば自我は日常生活で作られた仮面であり︑自己はその仮面の下︑つまり無意識下の状態のことをさす

︿前﹀近代科学の同類に属するもの同士は牽き合うという︿共感﹀の原理は︑アリストテレスの学説と似通っている

因果関係を重視する近代科学的な視点からみると︑占星術や錬金術などのようなオカルト的要素の強いものは︑異様にみ

える

ユングの夢の分析において重要な意味をもつものは自己の中にあらわれる自我であり︑それを夢のシンボルとして用いて

いる

(20)

この頁は白紙です

(21)

以降は選択問題です︒表紙の︻表︼の指示に従っていずれか一つを選択し解答してください︒

問題冊子の解答番号と解答用紙の番号を間違えないように注意してください︒

選択問題を二つ以上解答した場合︑得点にはなりませんので十分注意してください︒

(22)

三ア 次の文章を読み︑後の問に答えなさい︒

﹁聞く﹂とは︑どういうことなのか︒

そんなことは︑人と話している時︑いつもやっていることではないか︑何をあらためて問題にするのか︑と思うかもしれない︒

だが私自身︑哲学対話をやって︑﹁聞く﹂ということがどういうことか︑はじめて分かった気がする︒それは︑普段私たちが

いている﹂と思ってやっているのとは︑かなり違う︒

感覚的にいちばん分かりやすい違いは︑対話をして人の話をじっくり聞くと︑とにかく疲れるということだ︒話が退屈だったわ

けでも︑難しかったわけでもない︒むしろ対話はたいてい面白い︒ワクワクする瞬間︑目の前がパァーッと開ける瞬間︑感激する

瞬間がある︒不快感はないし︑何かを我慢したわけでもない︒なのに︑かなり消耗する︒

自分もいっぱい考えたから疲れたという面もあるかもしれない︒︑基本的に聞き役に回っていただけの時でさえ︑いや︑

どちらかというと︑そういう時のほうが疲れる︒時にぐったりするほど疲れる︒

どんなに難しい話を聞いても︑退屈な話を聞いても︑こんな疲れ方はしない︒じっくりしっかり聞くことじたい︑集中力なり注

意力なり︑相当な精神的努力を要することなのだろう︒

私は体の感覚として

︱︱哲学とは体で感じるものだ!︱︱︑哲学対話における﹁聞く﹂は︑けっして日常的なものでは

なく︑かなり特殊なものだと思っている︒そしてこれが特殊でありながら︑より深い意味で﹁聞く﹂ということだとすれば︑日常

的に私たちは︑人の話をちゃんと聞いてはいないのだ︒実際︑哲学対話を体験すると︑﹁普段人の話って全然聞いてなかったんで

すねぇ﹂としみじみ言う人が少なくない︒

いやいや︑そんなことはない︑私はちゃんと人の話を聞いてるよ︑と言いたい人もいるだろう︒もちろん普段友だちとおしゃべ

りをしたり︑仕事で議論をしたりしている時︑私たちは相手の話に応答はしている︒話を聞いていなければ︑まともに受け答えな

んてできない︒それに世の中には︑とくに応答せずとも︑じっと聞いて相づちを打つだけのいわゆる﹁聞き上手﹂な人がいる︒

︵注

1 ︶

(23)

人間どうしのコミュニケーションは︑つねにこういう﹁話す﹂︱﹁聞く﹂という関係として成り立っている︒そんなことは︑日

常生活の中で︑じゅうぶんやっている︒けれど経験上︑対話の時にしている﹁聞く﹂は︑明らかに普段と違うのだ︒この違いは︑

いったい何なのか︒

哲学対話のルールに﹁否定的な態度をとらない﹂というのがある︒さらに対話のさいには︑コミュニティボールを使う︒それを

もっている人だけが話し︑それ以外の人は黙って聞くことになっている︒話したければ︑手をあげてボールを受け取ってから話す︒

こういうふうに対話をしてみると︑お互いの話を聞きながら︑相手の言葉をただ﹁受け止める﹂という態度があることが分かる︒

 

﹁受け入れる﹂ではなく︑﹁受け止める

﹂である︒そうしてはじめて︑その人の言っていることをちゃんと聞くようになる︒

それに対して普段は︑相手の言うことを聞きながら︑たえずいいとか悪いとか判断し︑それに反応しようと身構えている︒肯定

するか否定するか︑受け入れるか拒絶するか︑共感か反感か︑自分の防御か相手への攻撃か︱︱それは反応として的確であったり

なかったりするだろうが︑いずれにせよ頭の中では︑自分が言いたいことが駆け巡っている︒

そうなると︑相手の言っていることを表面的には聞いていても︑その言葉を受け止めて

はいない︒むしろ受けた瞬間︑打ち返し

たり避けたり拒んだりしている︒あるいは︑たんに心ここにあらず︑目の前の人が自分に向けてしゃべっていても︑ただ聞き流し

ていたりする︒

それでも何となく︑会話は成り立つむしろそれこそが﹁言葉のキャッチボール﹂なのかもしれない︒また︑﹁ちゃんと聞いて

くれてないな﹂と思うことはあっても︑いちいち気にはしない︒それもまた︑ありふれたことだ︒

そう︑私たちは意外に人の話を聞いていないのだ︒そしてもし︑﹁語ること﹂﹁聞かれること﹂を前提とするのであれば︑聞

かれていないところでは

︑語ることも実は成り立っていない

のではないか︒だとしたら︑﹁語る﹂聞く﹂︑どのような関係

にあるのか︒

﹁相手の言葉を受け止める﹂というと︑しっかり聞いてしっかり理解するという意味だと思うかもしれない︒それに人の話を聞

くのは︑その人を理解するためだと考える人も多いだろう︒

︵注

2 ︶

(24)

たしかにそういう面はある︒さもなければ︑そもそもコミュニケーションが成り立たない︒理解しようと思うから︑しっかり聞

く︒だから聞く側からすれば︑理解することと聞くことは︑セットでないといけないはずである︒

けれども︑ここにもがある︒

私たちは普段︑簡単に他人のことを理解するとか︑思いやるとか言う︒とくに﹁思いやり﹂というのは︑世の中で絶対的な善で

あり要請である︒思いやりのある人はいい人であり︑思いやりのない人は悪い人である︒思いやりがあるためには︑他人のことが

理解できないといけない︒そうして人とのコミュニケーションにおける想像力の重要性が説かれ︑その一方で︑想像力の乏しさを

嘆く声が聞かれる︒

そのせだろちは︑相手の言ことを︑あにないないだろ︑そ

ワカルワカル!﹂と︑すぐ共感する人︒あるいは﹁なるほど︑よく分かりました﹂と言って︑間髪を容れずに話を続けながら︑ピ

ントがズレている人︒﹁あなたが言いたいのって︑こういうことでしょ﹂と言わんばかりに︵実際に言うこともある︶︑勘違いをし

ている人︒﹁そうだよね﹂と言いながら︑結局自分の話ばかりする人︒

そんな時︑﹁そんなこと言ってねーよ!﹂と思うこともあるし︑お人よしなら﹁そうかな﹂と思って納得しつつ︑どこか釈然と

しない気持ちになる︒ちゃんと伝わったか︑確認するのも面倒なので︑﹁うん︑まあ︑そんな感じかな﹂ですませる︒

こういう時︑私たちは本当に相手の言うことを聞いているのだろうか︒自分に都合よく解釈して︑自分が﹁この人はきっとこう

考えているにちがいない﹂という思いを押しつけているだけではないか︒

物分かりがよさような人や思いやりに満ちているように見える人に限って︑むしろ押しつけがましく︑独りよがりなことはない

だろうか︒相手のことを考え︑想像力をたくましくした結果︑それが勝手な思い込みになっていないか︒

もちろん︑私たちがお互いを正確に理解することなど︑きわめて難しいし︑たぶん不可能だろう︒﹁人間どうしは︑しょせん分

かり合えないんだ﹂と︑開き直りたくなる︒しかも︑ここではそういう身も蓋もない原則論が問題なのではない︒

そうではなく︑相手を理解するということが先に立つと意外に聞けず︑理解できなければ︑意識的か否かにかかわらず︑拒絶な

(25)

いし無視することにつながりやすい︒だから﹁聞く﹂ことを︑理解することから切り離したほうがいい︒

むしろ重要なのは︑ただ﹁受け止める﹂ことだ︒そのさい﹁受け入れる﹂必要はない︒受け入れれば︑拒絶したくなるかもしれ

ない︒あるいは︑受け入れてしまうと︑分かった気になったり︑相手と距離がとれずに一体化してしまったりするかもしれない︒

いずれの状態も﹁聞く﹂こと︑ただ﹁受け止める﹂ことの妨げになりかねない︒

︵梶谷真司﹃考えるとはどういうことか

0歳から100歳までの哲学入門﹄問題作成上︑一部を改変した︶

︵注

1︶ 哲学対話五〜二〇人程度の人々が輪になって座り︑一定のテーマについて自由に話しながらいっしょに考えていくこと

︵注

2︶ コミュニティボール本文に示されている仕方で使うことで︑話の途中でさえぎられることがなくなる︑言葉につまってもあせらずにすむ

より多くの人が発言したくなるなど︑いくつもの効用がある

問一 空欄⑴︑⑵︑⑶に入る語の組み合わせとして︑最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

51

⑴ たとえば   ⑵ むしろ    ⑶ つまり

⑴ つまり    ⑵ それゆえ   ⑶ ただし

⑴ なぜなら   ⑵ ただし    ⑶ しかし

⑴ だから    ⑵ だが     ⑶ だから

⑴ むしろ    ⑵ しかも    ⑶ そして 問二 傍線部分〜のなかには︑原文を改変したために︑文意が通じなくなっている箇所がある︒その箇所を一つ選び︑マー

クしなさい︒解答番号は

52

もちろん   しかも   だから   むしろ   あるいは

(26)

問三 傍線部分⑷﹁より深い意味で﹁聞く﹂との具体例として︑最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

53

相手の話すことにきちんと答えようと考えながら聞くこと

相手の意見に肯定的な姿勢をとりながら聞くこと

相手の議論に何か間違いを見つけようという態度で聞くこと

相手のことを理解しようという思いやりを働かせながら聞くこと

相手の言いたいことを勝手に想像しようとせずに聞くこと 問四 傍線部分⑸﹁﹁受け入れる﹂ではなく︑﹁受け止める

﹂である﹂とあるが︑この二つの違いとして本文の内容に合致するも

のを二つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

54

︵解答欄一行に二つマークすること︶

相手の話を﹁受け入れる﹂態度よりも﹁受け止める﹂態度のほうが︑相手の話をよく聞ける

相手の話を﹁受け入れる﹂というのはただ聞き流すことだが︑﹁受け止める﹂というのはきちんと聞くことである

相手の話を﹁受け入れる﹂人は会話を成り立たせようとするが︑﹁受け止める﹂人は黙って聞くだけである

相手の話を﹁受け入れる﹂ことは理解を前提としているが︑﹁受け止める﹂ことは理解を前提としない

相手の話を﹁受け入れる﹂人は︑結局は相手の考えを拒絶することになるが︑﹁受け止める﹂人は拒絶しない

(27)

問五 空欄⑹に入る語句として︑最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

55

抜け道

落とし穴

命綱

断絶

堂々めぐり

問六 傍線部分⑺﹁軽く﹁あ︑それ︑ワカルワカル!﹂と︑すぐ共感する人﹂を︑筆者はどのようなことを示す事例として提示

しているのか︒最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

56

想像力の重要性が認識されていないことを示す事例

想像力が乏しいために起きる失敗を示す事例

想像力の乏しさを否定的に見る風潮がもたらす問題を示す事例

聞き手の想像力の欠如は話し手にすぐ伝わることを示す事例

想像力の欠如が日常茶飯事であることを示す事例

(28)

問七 傍線部分⑻﹁間髪を容れずに﹂とよく似た意味を持つものとして︑最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番

号は

57

理性的に

軽快に

親身になって

即座に

丁寧に 問八 以下の問いのうち︑本文における筆者の中心的な主張が︑その答えとなるものはどれか︒最も適当なものを一つ選び

マークしなさい︒解答番号は

58

相手の言うことをちゃんと聞くとはどのようなことか

﹁受け入れる﹂と﹁受け止める﹂の違いはどこにあるのか

﹁語る﹂ことと﹁聞く﹂こととはどのような関係にあるのか

相手の言うことを正確に理解することは本当に可能なのか

相手の言葉を﹁受け入れる﹂ことの問題点はどこにあるのか 問九 本文には﹁理解することに正確さや完璧さを求めれば︑そんなことは無理に決まっている﹂という一文が欠落している︒

本文中の︻︼〜︻︼のどの箇所に補えばよいか︒最も適当なものを一つ選び︑マークしなさい︒解答番号は

︻Ⅰ︼   ︻Ⅱ︼   ︻Ⅲ︼   ︻Ⅳ︼   ︻Ⅴ

(29)

この頁は白紙です

(30)

三イ 次の文章は︑﹃源氏物語﹄の総巻の一場面である︒宇治の姫君︵︶が︑その妹︵中の宮︶と︑姫君に好意を寄せてい

た中納言︵︶に看取られながら息を引き取った︒この文章を読み︑後の問に答えなさい︒

世の中をことさらに厭ひ離れねとすすめたまふ仏などの︑いとかくいみじきものは思はせたまふにやあらむ︑見るままにものの

枯れゆくやうにて︑消えはてたまひぬるはいみじきわざかな︒ひきとどむべき方なく︑足摺もしつべく︑人のかたくなしと見むこ

ともおぼえず︒限りと見たてまつりたまひて︑中の宮の︑後れじと思ひまどひたまへるさまもことわりなり︒あるにもあらず見え

たまふを︑例の︑さかしき女ばら︑今はいとゆゆしきこととひきさけたてまつる︒

中納言の君は︑さりとも︑いとかかることあらじ︑夢かと思して︑大殿油を近うかかげて見たてまつりたまふに︑隠したまふ顔

も︑ただ寝たまへるやうにて︑変りたまへるところもなく︑うつくしげにてうち臥したまへるを︑かくながら︑虫の殻のやうにて

も見るわざならましかばと思ひまどはる︒今はのことどもするに︑御をかきやるに︑さとうち匂ひたる︑ただありしながらの匂

ひになつかしうかうばしきも︑ありがたう︑何ごとにてこの人をすこしもなのめなりしと思ひさまさむ︑まことに世の中を思ひ棄

てはつるしるべならば︑恐ろしげにうきことの︑悲しさもさめぬべきふしをだに見つけさせたまへと仏を念じたまへど︑いとど思

ひのどめむ方なくのみあれば︑言ふかひなくて︑ひたぶるに煙にだになしはててむと思ほして︑とかく例の作法どもするぞ︑あさ

ましかりける︒空を歩むやうに漂ひつつ︑限りのありさまさへはかなげにて︑煙も多くむすぼほれたまはずなりぬるもあへなしと︑

あきれて帰りたまひぬ︒

︵﹃源氏物語﹄総角巻︶

︵注

1︶ すすめたまふ薫にこの世を思い離れるように仕向けなさる

︵注

2︶ かたくなしと見むこと人が愚かしいと見ること

︵注

3︶ 限り臨終

︵注

4︶ さかしき女ばら分別顔の女房たち

⑴ ︵注

1 ︶

︵注

2 ︶

︵注

3 ︶

︵注

4 ︶ ⑵

⑶ ⑷

︵注

5 ︶

︵注

6 ︶

︵注

7 ︶ ⑹

︵注

8 ︶ ︵注

9 ︶

︵注

10 ︶

参照

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