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Vol.68 , No.1(2019)035王 雪「道宣撰『集古今仏道論衡』の日本古写経本について」

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Academic year: 2021

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― 194 ― 印度學佛敎學硏究第六十八巻第一号   令和元年十二月

道宣﹃集古今仏道論衡﹄

の日本古写経本について

はじめに

﹃集 古 今 仏 道 論 衡﹄ ︵以 下、 ﹃仏 道 論 衡﹄ と 略 称 す る︶ と は、 道 宣 ︵五 九 六 ︱ 六 六 七 年︶ が、 後 漢 か ら 唐 初 に 至 る ま で、 仏 教 と 道教との間に繰り広げられた論争に関わる記事を集めて述 し た も の で あ る 。 道 宣 は 同 書 を 述 す る に 当 た っ て 、﹃ 晋 書 ﹄、 ﹃弘 明 集﹄ 、﹃高 僧 伝﹄ 等 の 史 料 を 参 考 に し た ほ か、 自 ら の 著 述である﹃続高僧伝﹄などからも一部の記事を抜き取って再 利用している。仏道論争の重要事案を網羅し、特に南北朝時 代 か ら 唐 初 に至 る ま で の 儒 仏 道三 教 の 交 0 史 を研 究 する 上 で 、 極めて重要な文献資料の一つである。 ﹃大 唐 内 典 録﹄ 、﹃開 元 釈 教 録 1 ﹄ の 記 述 に よ れ ば、 同 書 は、 唐 高 宗 龍 朔 元 年 ︵六 六 一︶ に 一 応 完 成 を 見 た も の の、 麟 徳 元 年 ︵六 六 四︶ に 著 者 自 身 の 手 で 三 巻 か ら 四 巻 へ 増 補 さ れ た と 伝えられているので、かつては三巻本と四巻本の二種があっ た こ と が わ か る。 ﹃大 正 蔵﹄ を 含 め て、 従 来 の 研 究 に よ く 使 われている日本・中国・高麗の刊本大蔵経に所収されている ﹃仏道論衡﹄のテキストはすべて四巻本であるが、実際には、 中世に書写された新資料としての日本古写経本には三巻本が 残っている。その古写経の三巻本と刊本系統の四巻本とを比 較した結果、両者の間には内容の差が確認された。本研究で は、日本古写経本の概要と由来を紹介する上で、刊本大蔵経 本の四巻本との比較検討を行う。

日本古写経本﹃集古今仏道論衡﹄

の紹介

﹃日本現存八種一切経対照目 録 2 ﹄ により、 現存している ﹃仏 道論衡﹄の日本古写経本は興聖寺本・七寺本・金剛寺本・西 方寺本・新宮寺本・妙蓮寺本の六種が確認できる。筆者はこ れらの一切経の調査報告書と実際に研究の中に利用した興聖 寺 本・ 七 寺 本・ 金 剛 寺 本・ 西 方 寺 本 の 四 種 の 写 真 に よ れ ば、 六 種 の 写 経 本 の 祖 本 は 同 じ で、 最 も 古 い 写 経 本 は 保 延 四 年 ︵一一三八︶ に書写された金剛寺本で、ほかはいずれも十二世

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― 195 ― 道宣﹃集古今仏道論衡﹄の日本古写経本について︵王︶ 紀 の 前 半 か ら 十 三 世 紀 の 後 半 に か け て 書 写 さ れ た も の で あ る。 興 聖 寺 本 ︵折 本︶ 以 外 は、 現 存 状 態 が す べ て 巻 子 本 で あ る。妙蓮寺本には巻中と巻下の二巻が現存し、ほかは上中下 の三巻が現存しており、日本古写経データベースに公開され たカラー画像は金剛寺本の三巻と七寺本の巻上である。金剛 寺本を例とすれば書誌情報は以下のとおりである。 金 剛 寺 本 は 紙 本 墨 書 ︵黄 檗・ 白 色 の 楮 紙︶ 、 天 地 界、 行 間 淡 墨 界。 楷 ・ 行 書。 法 量 は 25 .5 cm × 50 .0 cm 前 後 。 文 中 に 補 入 、 訂正した文字が見られ、また一行分の字数程度の脱文が見ら れる。巻中には些かに虫損・破損があるが、文字の判読を妨 げるほどではない。巻上は序文、漢・魏晋南北朝の十事が収 録 さ れ、 全 二 十 六 紙 で、 毎 紙 三 十 一 行、 毎 行 十 七 字 で あ る。 外題に﹁集古今仏道論衡巻上﹂と、外題の下に函番号の﹁星 函﹂ 、内題に ﹁集古今仏道論衡実録上序﹂ と者名の ﹁唐釈道 宣 ﹂ 、 尾 題 に﹁集 仏 道 論 衡 実 録 巻 上﹂ と 載 せ ら れ て い る。 奥書に﹁校了﹂と書かれている。巻中は北周・隋代の六事を 収め、紙数二十三紙、毎紙二十九行、毎行十七字である。外 題は ﹁集仏道論衡実録巻中﹂ 、 内題は ﹁集仏道論衡実録巻中﹂ 、 者名は﹁唐釈道宣﹂である。巻首に少し破損がある。尾 題 に﹁集 仏 道 論 衡 実 録 巻 中﹂ 、 奧 書 に﹁校 了﹂ と 書 か れ て い る。巻下は唐高祖・太宗朝の十事と﹁実録序﹂及び唐高宗時 代の四事を収める。三十三紙で、一紙二十九行、一行十七字 で あ る。 外 題 に﹁集 古 今 仏 道 論 衡 巻 下﹂ 、 内 題 に﹁集 古 今 仏 道論衡実録巻下﹂ 、者名に﹁唐釈道宣﹂ 、尾題に﹁集仏道 論衡実録巻下﹂と記されている。巻尾の奥書に﹁保延四年戊 巳六月廿日一交已了/願主聖人快尋奉書写一切経也﹂と書か れてい る 3 。

日本古写経本﹃集古今仏道論衡﹄

の由来

奈 良 時 代 に お け る﹃仏 道 論 衡﹄ に つ い て の 記 録 を 通 し て、 当 時 の 伝 存 と 書 写 状 況 を 窺 う こ と が で き る。 天 平 元 年 ︵七二九︶ に光明子は皇后となり、天平五年 ︵七三三︶ 頃から宝 亀 七 年 ︵七 七 六︶ ま で 写 経 所 で 大 規 模 な 写 経 事 業 を 次 々 と 行 っ た。 ﹃仏 道 論 衡﹄ の 情 報 が 記 さ れ て い る 天 平 十 九 年 ︵七 四 七︶ 六 月 七 日 の 未 写 の 章 疏 類 の 記 録 4 及 び 天 平 勝 宝 五 年 ︵七 五 三︶ 五 月 七 日 の﹁未 写 経 律 論 集 目 録 5 ﹂ の 記 録 に よ れ ば、 七五三年まで正倉院写経所では﹃仏道論衡﹄が未写の部分に 属しており、未だ存しておらず、尚且つ同書が日本に伝わっ てこなかったと推測される。その後、初めて写された﹃仏道 論 衡﹄ に つ い て の 記 述 は、 天 平 宝 字 五 年 ︵七 六 一︶ の 写 経 所 公文に現れ、それについては﹁集古今佛道論衡第一欠三   廿 七 6 ﹂と記載されている。これより﹃仏道論衡﹄はただ二十七 紙の第一巻のみが請来されたことが読み取れる。これらの正 倉院文書の記録から見て、奈良時代に完全な﹃仏道論衡﹄の

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― 196 ― 道宣﹃集古今仏道論衡﹄の日本古写経本について︵王︶ 経本は、書写されなかった。 将来目録により平安時代に﹃仏道論衡﹄が入唐八家によっ て 二 度 に 請 来 さ れ た こ と が わ か る。 第 一 回 目 は 九 世 紀 初 頭、 最 澄 が 帰 国 前 に﹃伝 教 大 師 将 来 越 州 録﹄ に 記 し た も の で あ る。その中に﹁古今佛道論衡二巻﹂と記載されている。これ によって最澄が二巻の﹃仏道論衡﹄を日本にもたらしたこと が分かるが、その二巻がどういうものかについては知りえな い。次は円珍の﹃智証大師請来目録﹄に載せられたものであ る。その中の ﹁小乗経論伝記部﹂ に 古 今 佛 道 論 衡 實 録 三 卷︵南 山︶ ⋮ 已 上 小 乘 經 論 傳 記 部、 總 計 大 小 乘 七 十 一 本 一 百 二 十 三 卷、 並 本 寺 目 録 闕 本、 於 天 台 山 國 清 寺 并 福 州 開 元寺請本抄得。 ︵大正五五、一一〇二︱一一〇三頁︶ と記載されている。これによると、円珍は﹃仏道論衡﹄を含 む七十一本、一百二十三巻の叡山延曆寺に欠いている経論・ 伝記部の典籍を天台山国清寺並びに福州開元寺の経本を借り て 写 し た。 ﹁古 今 仏 道 論 衡 実 録﹂ と い う 書 名 及 び﹁三 巻﹂ の 形態を考えれば、これを日本古写経本系統本の祖本と見なし てよかろう。以上の記述から、現存している古写経本は十二 世紀以後のものであるが、その由来は遅くとも九世紀まで ると断言できる。

三巻本と四巻本との違い

道宣自身が麟徳元年 ︵六六四︶ 正月頃に完成させた ﹃大唐内 典 録﹄ で は﹁古 今 仏 道 論 衡 ︵一 部 三 巻︶ ﹂ と あ り、 一 方、 智 昇 ﹃開元釈教録﹄では﹁集古今仏道論衡四巻、見﹃内典録﹄ 、 前 三 巻 龍 朔 元 年 於 西 明 寺 、 第 四 巻 麟 徳 元 年 、 或 三 巻。 ﹂ と 記 し て い る。 従 来、 ﹃仏 道 論 衡﹄ の 四 巻 の う ち、 最 初 の 三 巻 は 龍 朔 元 年 ︵六 六 一 年︶ に 述 さ れ、 第 四 巻 は 麟 徳 元 年 ︵六六四年︶ に追加された、 と考えられてき た 7 。しかしながら、 日本古写経本の三巻本に基づいて考察した結果、そのような 考えは必ずしも正しいわけではないことが判明してくる。 現 存 し て い る 刊 本 系 統 本 及 び 唐 の﹃慧 琳 音 義﹄ と 五 代 の ﹃可 洪 音 義﹄ の 関 連 記 述 を 参 照 す れ ば、 道 宣 が 最 後 に 完 成 し た 四 巻 本 ︵即 ち 刊 本 系 統 本 の 源︶ の 内 容 は、 第 一 巻 が 道 宣 の 自 序と漢・魏晋南北朝時代の十件の記事、第二巻が北周・隋代 の 六 件 の 記 事、 第 三 巻 が 唐 高 祖 朝 ︵六 一 八 ︱ 六 二 六︶ と 太 宗 朝 ︵六 二 六 ︱ 六 四 九︶ の 十 件 の 関 連 記 事、 第 四 巻 が 高 宗 顕 慶 ︵六 五 六 ︱ 六 六 〇︶ ・ 龍 朔 年 間 ︵六 六 一 ︱ 六 六 三︶ の 七 件 の 記 事 で ある。日本古写経本の前二巻の内容は、四巻本と同じである が、第三巻には唐高祖・太宗朝の十事及び唐高宗時代の四事 が収められる。つまり、日本古写経本の第三巻は四巻本の第 三巻と第四巻を合弁し、また四巻本より、最後の唐高宗時代

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― 197 ― 道宣﹃集古今仏道論衡﹄の日本古写経本について︵王︶ の 三 事 が 欠 け て い る。 欠 け て い る 三 事 の 中 に は 龍 朔 元 年 ︵六 六 一︶ 以 後 の 記 事 が 見 ら れ、 ま た 三 巻 本 記 事 の 下 限 年 代 が 龍 朔 元 年 で あ る た め、 日 本 古 写 経 本 は 同 書 の 初 治 本 で あ り、 麟 徳 元 年 ︵六 六 四︶ に 道 宣 が 三 事 を 増 補 し て 三 巻 を 四 巻 に 分 けたと推測される。

まとめ

筆者は平安・鎌倉時代に書写された日本古写経を確認した 結 果、 そ の 中 に 六 本 あ る﹃仏 道 論 衡﹄ は い ず れ も 三 巻 本 で、 現行の四巻本の刊本に見られない形態を持つ、別系統のテキ ストであるということが判明した。その内容と経録の記載及 び四巻本との違いを検証すれば、日本古写経本は同書の初治 本であるに違いない。そしてその中の最も古い金剛寺本を例 として書誌情報を紹介した。古写経本の由来について奈良時 代の正倉院文書及び平安時代の伝来目録に求めてみれば、円 珍入唐の九世紀半ば頃にれる。最後に日本古写経本と刊本 の内容を通して、三巻本と四巻本の違いを確認しながら、同 書の編纂過程について従来の誤を是正した。 1   ﹃ 大 唐 内 典 録 ﹄ 巻 五 ・ 一 〇 、﹃ 開 元 釈 教 録 ﹄ 巻 八 ・ 九 ・ 一 三 ・ 一 七 。 2   国 際 仏 教 学 大 学 院 大 学 学 術 フ ロ ン テ ィ ア 実 行 委 員 会 編 、 二 〇 〇 四 。 3   金剛寺本の書誌情報については 、落合俊典︵研究代表者︶ ﹃金 剛 寺 一 切 経 の 総 合 的 研 究 と 金 剛 寺 聖 教 の 基 礎 的 研 究﹄ ︵平 成 一五︱一八年度科学研究費補助金研究成果報告書︶参照。 4   東 京 大 学 史 料 編 纂 所 編﹃大 日 本 古 文 書﹄ 編 年 之 九、 東 京 大 学 出版会、一九一四年三月、三八五︱三九五頁。 5   東 京 大 学 史 料 編 纂 所 編﹃大 日 本 古 文 書﹄ 編 年 之 十 二、 東 京 大 学出版会、一九一八年七月、五四九︱五六三頁。 6   東 京 大 学 史 料 編 纂 所 編﹃大 日 本 古 文 書﹄ 編 年 之 十 五、 東 京 大 學出版會、一九二二年三月、四二︱四六頁。 7   池 麗 梅 ﹁西 明 寺 時 代 の 道 宣 伝

顕 慶・ 麟 徳 年 間 を 中 心 と し て

﹂﹃ 日 本 仏 教 綜 合 研 究 ﹄ 第 一 五 号 、二 〇 一 七 、一 一 三 ︱ 一 四 三 頁。 ︿一次文献﹀ ﹃集古今仏道論﹄大正二一〇四 ﹃大唐内典録﹄大正二一四九 ﹃開元釈教録﹄大正二一五四 ︿キーワード﹀ 道宣、 ﹃集古今仏道論衡﹄ 、日本古写経 ︵国際仏教学大学院大学︶

参照

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