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升 信夫

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Academic year: 2021

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(1)

【論 説 】

「修 養 」、 「教 養 」、paideia

− 清 沢 満 之

、 新 渡 戸 稲 造 、 ソ ク ラ テ ス−

升 信夫

1.は じめ に

2.ソ ク ラ テ ス 、 イ ソ ク ラ テ ス とpaideia 3.「 修 養 」 と清 沢 満 之 、 新 渡 戸 稲 造 4.お わ り に

は じめ に

1991年 の 大 学 設 置 基 準 の 大 綱 化 に は 、 「各 大 学 に お い て 、 そ れ ぞ れ の創 意 工 夫 に よ り特 色 あ る教 育 課 程 が 編 成 で き る よ う にす る た め 、 一 般 教 育 科 目 、 専 門教 育 科 目等 の 授 業 科 目 の 区 分 に 関 す る規 定 を廃 止 」 す る こ と が 含 まれ て い た 。 各 大 学 、 学 部 が 、 特 色 あ る 教 育 課 程 を考 案 し よ う とす る 場 合 に は 、 専 門 教 育 が 軸 と な りが ちで あ る。 ま た 多 くの 場 合 、 新 規 教 員 採 用 で は専 門教 育 担 当 教 員 に発 言 比 重 は 傾 斜 す る 。 こ れ ら の 結 果 、 各 大 学 の創 意 工 夫 は 、 一 般 教 育 課 程 や 教 養 教 育 の 相 対 的 弱 体 化 を も た らす こ と に な っ た 。 こ う した 状 況 に際 会 して 、 教 養 教 育 の再 検 討 と い う課 題 が 浮 上 し、2000年 を前 後 して 、 「教 養 」 に つ い て 様 々 な議 論 が行 わ れ 、 あ る種 の教 養 論 ブ ー ム とい っ た 状 況 が 生 じた。

そ れ らの1つ の 総 括 と もい え る2002年 の 中 央 教 育 審 議 会 答 申 「新 しい 時 代 に お け る教 養 教 育 の在 り方 に つ い て」 は 、 教 養 は、 知 的 な 側 面 の み な らず 、 規 範 意 識 と倫 理 性 、 感 性 と美 意 識 、 主 体 的 に行 動 す る 力 、 バ ラ ンス 感 覚 、 体 力 や 精 神 力 な ど を含 め た 総 体 的 な概 念 と して と ら え る べ き もの で あ る と論 じ、そ の 要 素 と して 、① 主 体 性 の確 立 、他 者 へ の 同 感 能 力 、

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② 異 文 化 へ の 理 解 と そ れ と の コ ミュ ニ ケ ー シ ョ ン能 力 、③ 科 学 技 術 に係 わ る リテ ラ シ ー 、 ④ 和 漢 洋 の古 典 、 ⑤ 身体 感 覚 と して 身 につ け る修 養 的 教 養 、 が あ る と指 摘 した 。

か つ て筒 井 は、「教 養 」の 意 味 を 、(1)専 門 に対 す る基 礎 と しての 教 養(初 歩 、 基 礎 段 階 の 知 識)、(2)幅 広 い 知 識 と して の 教 養(今 日最 も頻 度 の 高 い 用 語 法)、(3)文 化 の 習 得 に よ る人 格 の 完 成 と い う意 味 で の 教 養(人 文 的 教 養)の3つ に 整 理 した が 、 こ の 答 申で 提 示 さ れ た 教 養 内 容 は、 よ り 一 層 の 拡 散 傾 向 を示 して い る*1

。 この よ う に 多様 で 総 花 的 な 教 養 内 容 が提 示 さ れ た の は 、 様 々 な主 張 を 大 胆 に絞 り込 む こ とが で き な か っ た こ と に 起 因 して い る の だ ろ う。 「教 養 」 の 根 幹 は 、 人 格 形 成 、 モ ラル だ とす る議 論 が あ っ た*2。 これ に 配 慮 す れ ば① 、 あ る い は⑤ を盛 り込 む こ と に な る。

和 洋 の古 典 的 文 学 作 品 な ど、 か つ て 共 有 さ れ た 教 養 内 容 は、 も は や 現 代 の 若 者 に は 成 立 せ ず 、 新 た な教 養 内 容 が 必 要 で あ る と も議 論 さ れ た*3。 こ こ か らは 、② 、③ が 導 か れ る 。 「教 養 」 は古 典 を 中 心 軸 とす る リベ ラル アー ツで あ り、時 代 を超 越 して き た歴 史 の重 み を学 ぶ必 要 が あ る、あ るい は 「教 養 」 の 身 体 的側 面 も重 視 す べ き だ等 の 議 論 に耳 を傾 け れ ば 、 ④ 、⑤ を 落 とす こ とは で き な い*4。 結 果 と して 、 中心 核 を欠 い た羅 列 状 の カ タ ロ グ が で きあ が る こ とに な る。

もち ろ ん 、これ ら の多 くは 、現 代 の 市 民 と して 求 め られ る資 質 で もあ る。

ま た少 し考 えて み る と これ ら は大 卒 サ ラ リ ー マ ン に求 め ら れ る能 力 の 重 要 部 分 を構 成 す る よ う に思 われ る 。 だ とす る と、こ れ ら を育 成 す る こ とは 、 キ ャ リア教 育 の課 題 とな り、 教 養 教 育 は 、職 業 教 育 と重 な る こ と に な っ て

し ま う。 だ が 、伝 統 的 高 等 教 育 の枠 組 み で は 、専 門養 育 = 職 業 教 育 で あ り、

専 門教 育 と職 業 教 育 は 教 養 教 育 と は異 な る存 在 意 義 を もつ もの で あ っ た 。 平 成23年1月 の 中教 審 答 申 「今 後 の 学 校 に お け る キ ャ リア教 育 ・職 業 教 育 の在 り方 に つ い て」 で も、 キ ャ リ ア 教 育 と教 養 教 育 は 別 の もの と考 え られ て い る。 教 養 教 育 、専 門教 育 、 職 業 教 育 の 相 互 関 係 が 再 検 討 され ず 、 ま た学 生 、 保 護 者 の ニ ー ズ とい う市 場 的 な もの との 関係 が 考 察 され な い ま ま、 教 養 教 育 の カ タ ロ グが 提 示 さ れ る 場 合 、 カ リ キ ュ ラ ム を構 想 す る 実践 の 場 で は 、 これ を現 実 具 体 的 な 指標 とす る の には 無 理 が あ る 。

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「修 養 」、 「教 養 」、paideia− 清 沢 満 之 、 新 渡 戸 稲 造 、 ソ ク ラ テ ス −(升 信 夫)

本 稿 は 、 教 養 教 育 、 専 門 教 育 、 職 業 教 育 の 相 互 関 係 を検 討 す る 際 の1 つ の材 料 とす る た め 、 西 欧 の教 養 教 育 の 淵 源 で あ る ギ リ シ ア と、 日本 の 教 養 教 育 が 緒 に つ い た 明 治 大 正 期 に着 目 し、 前 者 に つ い て は ソ ク ラ テ ス 、

イ ソ ク ラ テ ス のpaideia、pilosopia、後 者 に つ い て は 主 に清 沢 満 之 と新 渡 戸 稲 造 の 「修 養」 を軸 と して 、知 識 と実 践 の 関 係 に つ い て検 討 す る 。 「修 養 」

を巡 る 議 論 を検 討 して ゆ くと、 先 の① 、 ⑤ な ど を 「教 養 」 の 中 に盛 り込 む こ とへ の 疑 念 が 生 じ、 さ ら に は 、 「教 養 」 とい う概 念 を用 い て 高 等 教 育 の カ リキ ュ ラム を検 討 す る こ との 適 否 につ い て も俎上 に登 ら ざ る を え な

くな る だ ろ う。

2・ ソ ク ラ テ ス ・ イ ソ ク ラ テ ス とpaideia

(1)ソ ク ラ テ ス と ソ ク ラ テ ス の 時 代

「教 養 」 に 該 当 す る 語 と し て 、culture、education、liberal  arts、Bildung、

Kulturな ど が あ る 。 こ れ ら は 、 ラ テ ン 語 のartes  liberales(自 由 学 芸)に 由 来 し 、 こ の 言 葉 は 、 キ ケ ロ の 言 葉 で は 、humanitasで あ り 、 こ れ は 、 ギ リ シ ア 語 のpaideiaの 訳 語 で あ っ た 。 つ ま り 、 ヨ ー ロ ッ パ で は 、 paideia→humanitas→artes liberales→Bildung/cultureと い う 系 譜 が 存 在 す る 。 た だ 、 そ れ ぞ れ の 言 葉 は 、 そ れ ぞ れ の 時 代 と文 化 の 中 で 意 味 を 具 体 化 さ せ る た め 、 翻 訳 語 が 同 一 の 意 味 機 能 を 果 た す と は 限 ら な い 。 ソ ク ラ テ ス 、 イ ソ ク ラ テ ス のpaidia、 あ る い は そ れ と類 似 し た 意 味 で 用 い ら れ たpilosopiaが ど の よ う な 意 味 を 担 っ て い た の か を検 討 し よ う*5。

ソ ク ラテ ス は、 神 を信 じず 、 若 者 達 を 堕 落 させ る とい う 罪 で 、 紀 元 前 399年 刑 死 した 。 こ の裁 判 に つ い て は、 プ ラ トン、 及 び クセ ノ ポ ンの 著 作 に よ っ て 、 現 代 に伝 え られ 、 ア テ ナ イ 民 主 政 が 、 無 実 で 偉 大 な 哲 人 ソ ク ラテ ス を死 に 追 い や っ た と理 解 され て い る 。 た だ、 これ に対 して は ス トー ン に よる 異 論 も あ る*6。 紀 元 前5世 紀 末 の30人 独 裁 体 制 は 、残 虐 で横 暴 な 支 配 を行 っ た が 、 ソ ク ラ テ ス は そ れ と の 共 犯 性 を持 っ て い る こ と、 ソ ク ラ テ ス が 反 民 主 制 の傾 向 を顕 著 に持 っ て い る こ と等 か ら、 ソ ク ラ テ ス

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裁 判 を む し ろ妥 当 な もの と捉 え た の で あ る。 ス トー ン の議 論 は 、 与 す る 論 者 を殆 ど見 出 す こ と は な か っ た が 、 こ の 時 代 が どの よ うな 時 代 で あ っ た の か を再 認 識 させ て くれ る とい う効 果 は あ っ た 。 戦 地 に 赴 い た 経 験 の あ る 市 民 た ち は 、戦 場 で死 と隣 り合 わせ の 日々 を送 っ た 記憶 を鮮 明 に持 っ て い た こ とだ ろ う。 ま た ペ ロ ポ ネ ソ ス 戦 争 で 敗 北 した ア テ ナ イ は 、 後 の カ ル タ ゴの よ う に 、 都 市 自体 を破 壊 さ れ 、 処 刑 と奴 隷 化 の 嵐 が 吹 き荒 れ る 可 能 性 もあ っ た。 さ ら に、 戦 争 の後 の独 裁 体 制 で は政 治 裁 判 に よ る処 刑 が 数 多 く行 わ れ た 。 ソ ク ラ テ ス が 生 きた 時 代 、 市 民 は死 と隣 り合 わ せ の 不 確 か な 現 実 を生 きて い た の で あ る 。

比 較 的安 定 した 日々 が続 く場 合 は 、子 は親 の 仕 事 を継 承 し、今 日の1日 は、 昨 日の1日 と 同 じよ う に送 る こ と に な る。 そ う した場 合 、伝 統 的 諸 価 値 は 日常 生 活 と一 体 化 し、 自 覚 化 され る こ と は珍 しい。 日常 に起 き る 様 々 な 出 来 事 に つ い て の 判 断 も、 将 来 に大 き く係 わ る 事 柄 の判 断 も、 問 題 意 識 化 、自覚 化 さ れ ず 、伝 統 や 常 識 に基 づ い て 判 断 が 下 さ れ る 。 しか し、

急 激 な変 化 に見 舞 わ れ た社 会 で は 、 自覚 化 され て い ない 伝 統 的 な価 値 は 、 個 々 人 の 生 き方 を は っ き り と は語 っ て くれ ず 、 新 しい 言 説 が 希 求 さ れ ざ る を え ない 。

(2)ソ ク ラ テス の思 想

ソ ク ラ テ ス は 自 らの 著 作 を 残 して お らず 、 ソ ク ラ テ ス の 思 想 、 活 動 に つ い て は 、 プ ラ トン、 ク セ ノ ポ ン、 ア リ ス トパ ネス 、 ア リス トテ レス等 の 著 作 か ら推 し量 る こ と しか で き な い 。 この 中 で は プ ラ トン の 著 作 が 最 も多 くの分 量 を提 供 して くれ 、 そ の た め 、 主 と して プ ラ トン の 著 作 に よ りなが ら、 ソ ク ラテ ス の 思 想 解 釈 が 行 わ れ て きた 。 た だ周 知 の よ う に、 プ ラ トンの 描 くソ ク ラ テ ス が 実 際 の ソ ク ラ テ ス と ど こ まで 一 致 して い る の か を巡 り、 解 釈 には 幅 が 存 在 して い る。

ソ ク ラ テ ス が 著 作 を 残 さ な か っ た の は、 状 況 に 応 じた 言 葉 の 具 体 的 な や り取 り、 あ る い は 魂 の 浄 化 に実 践 的 な 価 値 が あ り、 そ れ は 文 字 に 固 定 化 出 来 ない 、 あ る い は文 字 化 して も意 味 が な い と考 え た とす る と得 心 が 行 く。 また 、 文 字 に 固 定 化 して 自 己 を永 久 化 し よ う とす る こ と と、 同 時

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修 養 」、 「教 養 」、paideia‑清 沢 満 之 、 新 渡 戸 稲 造 、 ソ ク ラ テ ス‑(升 信 夫)

代 人 に記 憶 と して 共 有 さ れ る こ と と を天 秤 に か け る 時 、 後 者 が 選 択 され る こ と もあ る。 そ れ に 対 し て、 プ ラ トン は 、 イ デ ア 学 説 な ど、 そ の思 想 を文 字 の 形 で 固 定 化 、 普 遍 化 で き る と考 え る傾 向 が 強 い。 こ こ に は 実 践 性(A方 向)と 体 系 的 イ デ ア性/知 識 性(B方 向 〉 とい う反 対 の 方 向 軸 を 設 定 で き る。 そ して 、 この 方 向 軸 の ど こ に ソ ク ラ テ ス 、 プ ラ トン を位 置 づ け る か で 、 お お よそ3つ の解 釈 が 成 り立 つ 。

バ ー ネ ッ トと テ イ ラ ー に代 表 され る 解 釈 で は、 プ ラ トン の 対 話 編 に 登 場 す る ソ ク ラテ ス は 、 ま さ し くソ ク ラ テ ス そ の もの で あ り、 そ の 発 言 は 、 そ の ま ま ソ ク ラ テ ス の 思 想 な の だ と され る 。 そ う な る と、 プ ラ トン の イ デ ア学 説 な どは い ず れ も ソ ク ラ テ ス の 思 想 で あ る とい う こ と に な り、 ソ ク ラ テ ス 、 プ ラ トン と も、 体 系 的 イ デ ア性 の 方 向 に位 置 づ け ら れ る 。(ソ ク ラテ スB、 プ ラ トンB)他 方 、 メ イ ア ー な どは 、 「ゴ ル ギ ア ス 』、 『プ ロ タ ゴ ラス 』、 『ソ ク ラ テ ス の 弁 明 』 な どの 初 期 の 対 話 編 で の ソ ク ラ テ ス は、

ソ ク ラ テ ス の 思 想 を忠 実 に表 現 して い る が 、 そ れ 以 降 の ソ ク ラテ ス につ い て は 、 プ ラ トンが プ ラ トン 自 身 の 思 想 を 語 らせ た も の だ と解 釈 す る。 こ の 解 釈 に従 う と、 ソ ク ラ テ ス は 実 践 性 の 方 向 に、 プ ラ トン は体 系 的 イ デ ア 性 の 方 向 に 、 両 者 離 れ た 形 で 位 置 づ け られ る。(ソ ク ラテ スA、 プ ラ ト ンB)い ず れ の 解 釈 に お い て も、 プ ラ トン につ い て は 、 体 系 的 イデ ア性 に 向 か うBと して理 解 され 、 一 般 的 な プ ラ トン像 を構 成 す る。

これ に対 して 、 プ ラ トン の イ デ ア学 説 を閉 じた 絶 対 的 価 値 の 体 系 とは 捉 え ず 、 プ ラ トン と ソ ク ラ テ ス は近 接 して い る とい う解 釈 もあ る 。(ソ ク ラ テ スA、 プ ラ トンA)*7プ ラ ト ン とい え ば 、 ポ パ ー に典 型 的 に み ら れ る よ う に善 の イ デ ア と い う絶 対 的 な 価 値 を措 定 した プ ラ ト ンBと して 理 解 さ れ るが 、 こ の 解 釈 で は 、 プ ラ トンは 善 の イ デ ア に つ い て 、 存 在 は 確 実 で あ る と して も、言 葉 で は表 現 で き な い もの と考 え て い た と され る。確 か に 、 プ ラ トン は、 第 七 書 簡 の 中 で 、次 の よ う に述 べ て い た 。

「そ もそ もそ れ は 、ほ か の 学 問 の よ うは 、言 葉 で 語 り得 な い もので あ っ て、 む しろ 生 活 を と も に し なが ら、 そ の 問 題 の 事 柄 を 直 接 に 取 り上 げ て 、 数 多 く話 し合 い を重 ね て行 くう た ち に、 そ こ か ら突 如 と して 、

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い わ ば 飛 び 火 に よ っ て 点 ぜ ら れ た 燈 火 の よ う に、 魂 の う ち に生 じ、

以 後 は、 生 じた そ れ 自身 が そ れ 自体 を養 い 育 て て ゆ く と い う、 そ う い う性 質 の もの な の で す 。*8

本 稿 で は、 傍 証 的 に ク セ ノ ポ ンの 記 述 に よ り、 主 要 に は、 これ まで 明 らか に さ れ て き た 「エ レ ン コス(反 駁)」 解 釈 に 基 づ き、 ソ ク ラ テ ス に つ い て は 、 ソ ク ラ テ スAの 解 釈 を とる*9。

まず ク セ ノ ポ ンの 記 述 に つ い て 確 認 して お く。 ク セ ノ ポ ン は、 ソ ク ラ テ ス の 弟 子 で あ っ た が 、軍 人 的 性 向 が 強 く、ソ ク ラ テ ス の 意 に反 して 、キ ュ ロ ス 軍 の バ ビ ロ ン遠 征 に 出 か け る 。 そ の 経 緯 は 『ア ナ バ シ ス 』 に 詳 しい が 、 そ の 遠 征 中 に ソク ラテ ス は刑 死 す る 。 従 っ て 、 ク セ ノ ポ ンが 描 く 『弁 明』『ソ ク ラ テス の思 い 出 」には 、不 確 か な伝 聞 に よる もの も含 ま れ て い る。

また ク セ ノ ポ ン は プ ラ トン と違 っ て 哲 学 的 な 素 養 に 乏 し く、 ソ ク ラ テ ス の 思 想 を深 く理 解 して い な か っ た こ と も否 定 で き な い 。 そ の た め 、 ク セ ノ ポ ンの 著 作 は、 ソ ク ラ テ ス像 を構成 す る作 業 に は 全 く役 に 立 た な い と す る 論 者 も少 な くな い 。 と は い え 、 ク セ ノ ポ ンの 記 述 が 全 て 虚 偽 捏 造 だ と も で き な い 。 深 くプ ラ トン を理 解 す る こ とが で きず 、 そ の描 写 も下 世 話 で 表 面 的 で あ る と して も、 クセ ノ ポ ン も、 ソ ク ラ テ ス の 一 面 を伝 え て い る と考 え る べ きだ ろ う。 実 際 、 ク セ ノ ポ ンの 以 下 の よ う な 記 述 は,ソ ク ラ テ ス が 人 々 の行 為 に つ い て の 真 善 に 中 心 的 な 関 心 を置 い て い た こ と を裏 付 け る も の とな っ て い る。

「彼 は正 義 を は じめ とす る他 の 全 て の徳 も智 で あ る と い っ た 。 な ん と な れ ば正 しい 行 い や そ の 他 全 て徳 性 に よっ て 行 わ れ る行 為 は み な美 に して 善 で あ る か らで あ っ た。 そ して美 に して 善 な る もの を 知 る人 は 、 そ れ をお い て 他 の もの を選 ぶ こ と は決 し て し な い だ ろ う し、 ま た そ れ を知 らぬ 人 は そ れ を行 う こ とは で きず 」*10

「ソ ク ラ テ ス は、 弟 子 た ち が弁 舌 に長 じ、 行 動 に巧 み と な り、 あ る い は 工 夫 に ひ い で る こ と は急 務 とせ ず 、 そ う し た こ と よ り も先 に、 ま ず 彼 ら に 思 慮 が 現 れ て こ な くて は な ら な い と考 え て い た 。 思 慮 を伴

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修 養 」、 「教 養 」、paideia− 清 沢 満 之 、 新 渡 戸 稲 造 、 ソ ク ラ テ ス‑(升 信 夫)

わ ず に これ らの 力 を備 え た な ら ば、 か え っ て 不 正 を増 し、 悪 事 を行 う力 を加 え る と信 じて い た か らで あ る 。」*11

次 に 「エ レ ン コス 」 につ い て確 認 し よ う。 プ ラ トン が ど う して 対 話 形 式 を用 い た の か 、 登 場 した ソ ク ラ テ ス は 、 ソ ク ラ テ ス で あ る の か 、 そ れ と もプ ラ トンの 思 想 を代 弁 させ た に過 ぎ ない の か に つ い て は、 これ まで 様 々 な議 論 が 積 み 重 ね られ て き た 。 最 も有 力 と考 え られ る解 釈 は 、 そ う した 形 式 で しか ソ ク ラ テ ス の 思 想 を表 現 す る こ とが で き な か っ た か ら とい う も の で あ る。 つ ま り、 ソ ク ラ テ ス が 目指 した の は 、 真 善 に 向 け て 、 思 い 込 み に よっ て 曇 っ て い る魂 を健 全 に す る こ とで あ り、そ れ は 「エ レ ン コス 」

と い う方 法 に よ っ て の み 適 切 に 果 た さ れ る もの で あ っ た 。 『ゴ ル ギ ア ス 』 な ど、 少 な くな い 著 作 は、 明 確 な 結 論 を提 示 せ ず 、 登 場 す る論 者 の議 論 の 矛 盾 を暴 くの み で 終 わ っ て い る。 この よ う に 矛 盾 を明 ら か に して 浄 化 す る こ とこ そ が ソ ク ラ テ ス が 目指 した もの で あ っ た*12。

で は ソ ク ラ テ ス は 、 イ デ ア 学 説 の 原 形 と も い うべ き もの を抱 い て い た の だ ろ うか 。 ソ ク ラ テ ス は 『弁 明 』 な ど、 真 善 につ い て の 真 理 は 神 々 し か 知 る こ と は で き な い と た び た び 発 言 し、 人 の 知 に 限 界 が あ る と考 え て い た。 絶 対 的 な真 理 は あ る、 しか し人 間 は そ れ を知 り得 な い 、 とは い え 、 人 間 は そ の真 理 を 目指 さ ね ば な ら な い 、 とい う と こ ろ に ソ ク ラ テ ス の 思 想 の 核 心 が あ る。 そ の 絶 対 的 な真 理 を太 陽 に喩 え る とい う こ と も ソ ク ラ テ ス の 対 話 の 中 で あ っ て も不 思 議 で は な い 。 太 陽 が 存 在 して い る こ とは 自明 だ が 、 そ の 姿 を人 間 の 眼 は直 接 に 捉 え る こ と は で きな い 、 とい う こ と は ソ ク ラ テ ス の 真 理 観 を分 か りや す く示 して い る 。 そ の 際 、 そ れ が あ る とす る こ と と、 そ れ を 知 る こ とが で き る と して 方 法 を提 示 す る こ との 問 に は 決 定 的 な違 い が あ る。 後 に検 討 す る こ と に な る が 、 これ は他 力 門 と 自力 門 に つ い て の 清 沢 満 之 の解 決 方 法 に類 似 す る。 ま た 、 絶 対 的 真 理 か ら 閉 ざ さ れ て い る と い う思 想 は 、 神 の 意 志 は 推 し量 れ な い とす る キ リ ス ト教 神 学 と も共 通 す る 。 こ れ らに 共 通 す る の は 、 学 問 知 の有 効性 を 限 定 的 に捉 え る こ と、 そ して 実 践 に対 して の激 しい 意欲 を持 つ こ とで あ る*13。

そ して こ う した 思 想 は 、 実 践 に際 して は 、 学 問 知 の 限定 性 か ら、 何 か 青

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写 真 を そ の ま ま 実 現 し よ う とす る こ と を 否 定 し、 具 体 的 状 況 の 中 で 適 切 な もの を刻 苦 して 追 究 す る こ と を志 向 す る。

ソ ク ラ テス の思 想 の 特 徴 を挙 げ る とす れ ば 以 下 の よ うに な る だ ろ う。

① 知 ・智 慧 の あ り方 に つ い て は 、pilosopia、techne、 専 門 知 の 三 つ が あ る と想 定 し て い る 。*14

②pilosopiaは 真 善 美 に つ い て の 探 求 で あ り 、 い か に 生 き る か と い う こ と と係 わ る 。

③pilosopiaに 係 わ り 、 真 理 を 知 る こ と は 神 々 の み に 許 さ れ る の で あ り、 人 間 は 真 理 に 到 達 す る こ と は で き な い 。 し か し、 真 理 に 向 か わ ね ば な ら な い 。(無 知 の 知)

④ そ の 方 法 は 、 誤 っ た 観 念 を エ レ ン コ ス(反 駁 法)に よ り取 り 除 き 、 浄 化 す る こ と で あ り、読 書 ・瞑 想 な ど で は な く 、ま た 弁 論 で も な く 、 問 答 と い う実 践 的 方 法 に よ っ て 達 成 さ れ る 。

ソ ク ラ テ ス のpilosopiaは 、 技 術 性 を 帯 び て い る と し て も 、 冶 金 、 飼 育 な ど の よ う なtechneで は な い 。 ま た 数 学 、 天 文 学 等 の 、 少 数 の 専 門 家 が 探 求 す れ ば よ い 体 系 的 な 専 門 知 で も な い 。 そ の 点 で 、pilospopiaは 、 「修 養 」

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修 養 」、 「教 養 」、paideia‑清 沢 満 之 、 新 渡 戸 稲 造 、 ソ ク ラ テ ス‑(升 信 夫)

的 な 要 素 を 多 分 に もつ もの で あ っ た 。 イ メ ー ジ 図 を作 成 す る と図1の よ うに な る 。

(3)イ ソ ク ラ テス の 人 と著 作

イ ソ ク ラ テ ス は 、前436年 に ア テ ナ イ に 生 まれ 、 ゴ ル ギ ア ス か ら最 も強 い影 響 を受 け た と され て い る。 ソ フ ィス トと して の ゴ ル ギ アス の特 徴 は 、 詩 の よ うに優 美 な 弁 論 に あ っ た と され 、 イ ソ ク ラ テ ス もそ の 影 響 を受 け 、 ゴ ル ギ アス の よ う な弁 論 を理 想 と しな が ら 自 己 の 弁 論 を 求 め 、 法 廷 弁 論 代 作 人 と して 生 計 を た て る よ う に な る 。 そ して 、 前391年 頃 ア テ ナ イ で 、 弁 論 ・修 辞 学 の 学 校 を設 立 し、 多 くの 生 徒 を 指 導 し、 前338年 、 カ イ ロ ネ イ ア の 戦 い の敗 北 の 数 日後 、98歳 の 生 涯 を終 え た*15。

プ ラ トンBが プ ラ トン像 と して 確 立 す る と、pilosopiaは 、 観 想 的、 思 弁 的 な もの と捉 え られ る よ う に な る 。 結 果 と して 、 そ れ と異 な るpilosoplia を 抱 い た イ ソ ク ラ テ ス は 、 哲 学 の 分 野 で は 殆 ど 顧 み ら れ な い 存 在 と な っ た 。 た だ し、 雄 弁 術 、 修 辞 学 の 系 譜 を た ど り、 イ ソ ク ラ テ ス の pilospopia→ キ ケ ロ に よ るhumanitas→ 中 世 のartes liberalesとい う つ な が りを認 め る とい う こ と に な る と、 イ ソ ク ラテ ス は、 キ ケ ロへ の 道 筋 を用 意 した 人 物 と して 評 価 さ れ る よ う に な る。 た とえ ば、B.キ ンボ ー ル は 、雄 弁 家 と哲 学 者 とい う軸 を た て 、 イ ソ ク ラ テ ス の 流 れ と プ ラ トン の 流 れ を 軸 に高 等 教 育 の歴 史 をた ど っ て い る*16。 ま た 、H.I.マ ル ー は 、 「西 欧 的伝 統 に 著 しい 文 学 主 導 型 の 教 育 を鼓 吹 した 栄 誉 と責 任 を持 つ の は イ ソ ク ラ テ ス で あ る」 と論 じ、 古 代 教 育 とい う観 点 か ら は 、 イ ソ ク ラ テ ス の 思 想 は プ ラ トン の思 想 と並 ん で 、2つ の 大 きな 流 れ を構成 す る と して い る*17。

さ ら に、T.ポ ウ ラ コス は 、 「イ ソ ク ラ テ ス は プ ラ トンの 抽 象 的 、客 観 的 な 真 実 と い う観 念 を 否 定 したが 、 ゴ ル ギ ア ス や 他 の ソ フ ィス トの 極 端 な相 対 主 義 に も反 対 し、 こ の 両 極 端 の 間 に あ っ て 、 実 践 的 な 知 識 の 標 準 を 設 定 しよ う と した 」 と して い る*18。

イ ソ ク ラ テ ス の 思 想 は 以 下 を軸 に 成 り立 つ 。 そ れ ぞ れ につ い て 確 認 し よ う。

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①arete(卓 越 性)を 示 し、 名 を 残 す こ と、 勇 気 を示 す こ と こそ 、 人 が 志 す べ き こ とで あ る 。

② 知 識 に は 、 学 問 研 究 、技 術 、pilosopiaが あ る。

③ 卓 越 性 はpilosopiaに よ り発 揮 す べ き も の で あ り、 そ の 主 要 な 手 段 は 弁 論 で あ る。 た だ し この 弁 論 は ソ フ ィス ト達 が 説 く よ う な、 単 な る技 術 で は な い 。言 葉 に は そ の 人 の あ りよ うが反 映 さ れ る。

④ 人 間 は神 の よ う な力 は持 た ず 、 限界 が あ る 。 特 に 、 時 を得 る こ と が 難 しい 。

まず 、 ① に つ い て 。 貴 族 が ポ リス を支 配 して い る 場 合 は 、 貴 族 で な け れ ば 名 誉 あ る 地 位 に 就 くこ とは で き な い 。 貴 族 支 配 が 崩 れ る と、 市 民 に も名 誉 あ る地 位 に 就 く可 能 性 が 生 まれ る。 で は 、 どの よ う に す れ ば そ う した 地 位 を手 にす る こ とが で き る の か 。 中 国 で あ れ ば 科 挙 の 試 験 を 通 過 す る こ とで あ っ た か も しれ な い が 、 古 代 ギ リ シ ア で は 、 民 会 な ど公 的 な 人 々 の集 ま りの 場 で 頭 角 を現 す こ とが そ の 手 段 とな っ た 。 そ し て そ れ を 果 たす に は優 れ た弁 論 の力 が 必 要 で あ った 。

② 、 ③ につ い て 、 イ ソ ク ラ テ ス は 「ア ン テ イ ドシ ス 」 の 中 で 、 次 の よ うに述 べ て い る。

他 の 分 野 につ い て は 多 くの 技 術 が 発 明 さ れ て い る の に対 して 、 身体 と魂 に つ い て は何 一 つ 技 術 的 な もの が 整 備 され て い な い の を 、 遙 か に昔 に見 とが め た人 が い て 、二 種 類 の 配慮 育 成 の 技 術 を発 見 し、我 々 の た め に残 した。一 つ は 身 体 鍛 錬 法 で 、も う一 つ の 魂 に関 す る もの は、

pllosopiaであ る*19。

イ ソ ク ラ テ ス に とっ て はpilosopiaは 、現 在 想 定 され る よ うな 哲 学 で は な く、 「魂 につ い て の 配 慮 育 成 の技 術 」 で あ り、弁 論 教 育 を通 じた 魂 の 鍛 錬 で あ っ た 。 そ して そ の指 導 方 法 は 、 「言 論 が 利 用 で きる す べ て の 形 式 を 学 習 者 の た め に詳 し く手 ほ ど き」 し、 「反 復 練 習 させ て 苦 行 に慣 ら し」 「学 ん だ 形 を 一 つ 一 つ 関 連 づ け る 訓 練 を施 し」 「実 際 的 判 断 の働 きに よ っ て実

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修 養 」、 「教 養 」、paideia‑清 沢 満 之 、 新 渡 戸 稲 造 、 ソ ク ラ テ ス‑(升 信 夫)

際 の 機 会 に 対 応 で き る よ う に す る 」こ と か ら 成 り立 っ た 。 イ ソ ク ラ テ ス は 、 プ ラ ト ンB的 なpibsopiaと 自 分 のpilosopiaを 対 照 さ せ て 、 以 下 の よ う に 論 じ て い る 。

「天 文 学 や 幾 何 学 や そ の 他 の学 問研 究 が 実 際 の 行 為 に は何 ら役 立 つ も の で は な い とす る人 々 の意 見 は 正 しい 。」 「この 学 問 は厳 密 な論 理 を 研 究 して も そ の 結 果 と して 何 の 恩 恵 が あ る わ け で もな い 。」 「現 場 に 根 ざ して お ら ず 言 行 い ず れ に於 い て も何 の益 も もた ら さ な い も の を pilosopiaと呼 ぶ べ きで は な い 。」 「そ の よ う な学 業 は魂 の鍛 錬 で あ り、

pilosopiaの 準 備 と呼 び た い 。」 「一 定 期 間 な ら ば厳 密 学 問 に 没 頭 す る こ と を 若 い 人 々 に推 奨 す るが 、彼 らは 持 ち 前 の 素 質 が これ に よ っ て 枯 渇 しない よ う に注 意 しな け れ ば な らな い 。」*20

そ し て 、 イ ソ ク ラ テ ス は 、paideioさ れ た 人 につ い て 次 に あ げ る よ う な 特 徴 を 述 べ て い る が 、 これ は常 識 的 な 人 間 で あ り、 「修 養 」 の あ る 人 とい

うべ き もの で あ っ た。

① 日 ご と に生 起 す る 問題 を 手 際 よ く処 理 し、 時 機 を 的確 に 判 断 し、

ほ と ん どの 場 合 に於 い て有 益 な 結 果 を推 測 す る こ とが で きる 。

② 周 囲 の 人 々 と礼 儀 正 し く、 信 義 に も とる こ とな く交 際 し、 自分 自 身 はで きる 限 り柔 和 に節 度 を保 って 相 手 に接 す る。

③ 快 楽 に克 ち 、不 運 に う ち ひ しが れ る こ とな く、逆 境 にあ っ て も雄 々 し く人 間性 に 相 応 し く振 る 舞 う。

④ 成 功 に お ぼ れ て 有 頂 天 に な った り、 傲 慢 に 走 らな い*21。

ソ ク ラ テ ス と イ ソ ク ラ テ ス は 、(1)pilosopiaやpaideiaを 、 魂 に 係 わ る こ と と規 定 し て い る こ と 、(2)人 間 は 真 理 に 到 達 で き な い の で 、 厳 密 な 学 を 深 く探 求 す る こ と は 効 果 的 で は な い と捉 え て い る こ と 、(3)pilosopiaや paideiaが 、 実 践 的 性 格 を 強 く持 つ と し て い る こ と 、 と い う 点 で 共 通 性 を 持 つ 。 そ し て こ れ ら は 、次 に 検 討 す る 清 沢 満 之 や 新 渡 戸 稲 造 に も 共 通 す る 。

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彼 等 はい ず れ も 「修 養 」 的 な もの を 目指 して い た とい っ て よ い だ ろ う。

た だ ソ ク ラ テ ス とイ ソ ク ラ テ ス は 、実 践 で の 具 体 的 な 方 法 を 異 に した 。 ソ ク ラ テ ス は 、 エ レ ン コ ス とい う方 法 で 、 相 手 の 前 提 か ら 出発 し な が ら、

そ の 矛 盾 点 をつ い て、 無 知 の 知 に 到 達 す る こ と を 目的 と し、 イ ソ ク ラ テ ス は 、 弁 論 に お い て 人 格 が 反 映 す る的 確 な弁 論 を行 うこ と を 目指 した*22。

ま た、 イ ソ ク ラ テ ス は 、 人 間 の 智 慧 に 限 界 が あ る とす る 点 で ソ ク ラ テ ス と共 通 す る が 、 ソ ク ラ テ ス の 限界 性 が 、 道 徳 的 実 践 に係 わ っ て い た の に 対 して 、 イ ソ ク ラ テ ス の場 合 の 限 界 性 は 、 実 際 の 出 来 事 が どの よ う に展 開 す る か 予 測 す る こ と は難 しい と い う、 い わ ば 政 策 的 実 践 に係 わ る 限 界 性 で あ っ た 。 こ れ は④ の 適 宜 性 と 関 連 す る。 ④ の 時 宜 性 につ い て、 イ ソ ク ラ テ ス は、 「未 来 の 予 知 が 人 間 の本 性 を超 え て い る こ とは 誰 の 目に も 明 らか で は な い か 、」 「そ の よ う な賢 慮 は わ れ わ れ の 遠 く及 ぶ とこ ろで は な 」 い と述 べ て い る*23。 ま た 、 イ ソ ク ラ テ ス は現 実 の 出 来 事 は、 知 識 と して 一 般 化 す る こ とは 困難 で あ り、 学 問 的 知 識 と は 異 な る能 力 が 必 要 で あ る こ と を説 き、 「知 る だ け で は機 会 を掌 握 す る こ とが 不 可 能 」 で あ り、 「現 実 の 出 来 事 の 進 行 にあ っ て は、 機 会 は常 に 知 識 の 眼 を か す め る の に対 して 、 最 も注 意 を 払 っ て ほ と ん どの 場 合 に起 こ る 結 果 を洞 察 で き る 入 が 最 も多

く機 会 を と ら え る」 と論 じて い る*24。

ア カ デ メ イ ア の知 的 探 求 と も相 まっ て 、pilosopiaは 厳 密 な知 識 の 追 求 と い う こ と に な り、 ソ ク ラ テ ス(プ ラ トン)的 なpilosopiaは 、 実 践 性 の 相 で 理 解 され る こ とは な くな る。 一 方 の イ ソ ク ラ テ ス の 弁 論 は、 キ ケ ロ を通 じて ロ ー マ 世 界 に もた ら さ れ た 。 しか し、 そ の 弁 論 も、 古 代 当 時 の 実 践 性 に基 づ い て 理 解 さ れ た とは 認 め に くい 。

3.「 修 養 」 と清 沢 満 之 、 新 渡 戸 稲 造

(1)「 修 養 」 と 「教 養 」

鹿 児 島 県 喜 界 島 に 「村 田 新八 修 養 之 地 」 と した石 碑 が あ る 。 幕 末 、 流 刑 で2年 ほ ど村 田 新 八 が 滞 在 した こ と を記 憶 に と どめ る た め 、 昭 和19年 に建 立 れ さ た とい う。 流 刑 で あ りな が ら奄 美 で 悠 々 と暮 ら した 西 郷 隆 盛

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修 養 」、 「教 養 」、paideia− 清 沢 満 之 、 新 渡 戸 稲 造 、 ソ ク ラ テ ス−(升 信 夫)

と 同様 、 村 田新八 も、 束 縛 を受 け て の 滞 在 とは ほ ど遠 い も の で あ っ たが 、 こ れ を 「修 養 」 と解 釈 して 碑 文 を建 て る とい う こ とは す ぐに は 了 解 しに くい 。 推 測 の 域 を 出 な い が 、 戦 争 末 の 憂 色 に包 ま れ た 日常 と、 村 田 の 流 刑 の 日 々 を重 ね 合 わ せ 、 後 の 村 田 の 活 躍 に 、 自 分 た ち の将 来 の展 望 を見 出 した い と い う願 い が 込 め られ て い た の か も しれ な い 。 そ う した 推 測 の 適 否 は さて お き、 こ の 碑 が 「村 田 新八 教 養 之 地 」 とは な りえ な か っ た こ と は想 像 に難 くな い 。 そ し て そ こ に 「修 養 」 と 「教 養 」 が 担 っ て きた 意 味 の差 異 の 一 端 を確 認 す る こ とが で きる*25。

あ らか じめ 、本 稿 で 示 す 「修 養 」 と 「教 養 」 をイ メー ジ化 す る と図2の よ う に な る。 こ こ で は、 獲 得 す べ き能 力 を、 主 体 的 実 践 性 、 知 識 性 、 身 体 性 とい う3つ の 方 向 性 で 示 して い る。 この3つ は 、moral、intellectual、

physicalと 類 似 す る が 、 身 体 性 に はphysicalに 加 え て 、伝 統 あ る い は規 律 訓 練 を通 じて 身 につ け るmoralや 行 動 様 式 を含 む。

「修 養」 も 「教 養 」 も、 言 葉 と して は古 い 。 「修 養 」 は 、朱熹 の 『大 学 ・ 中 庸 』 を典 拠 に 用 い ら れ た 言 葉 で あ り、 儒 教 的 な人 格 形 成 が 含 意 さ れ て い た。 こ れ に対 して 「教 養 」 とい う言 葉 につ い て は 、 「漢 籍 に 出 典 を も ち 古 くわ が 国 に もた ら さ れ た が 、 漢 語 と して は ほ と ん ど用 い ら れ ず 、 近 世 中 国語 との 交 渉 に よ っ て使 用 を う な が さ れ 、 日本 語 の 中 に浸 透 して 使 わ

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れ る よ う に な っ た 」 と指 摘 さ れ て い る*26。 た だ し、 「子 ど も を教 養 す る」

な ど動 詞 的 に用 い られ 、 そ の 意 味 は 、 現 在 の 意 味 と は異 な り、 教 え 、 育 て る とい う一 般 的 な意 味 で あ っ た 。 明 治 期 に 入 り、 「教 養 」 は 、 翻 訳 語 と し て 、一 定 の 役 割 を果 た す よ う に な る が 、 そ こで もや は り、 教 え、 育 て る と い う意 味 で 用 い ら れ て い る 。 た と え ば、明 治4年 の 中村 正 直 に よる 『西 国 立 志 編 』 には 次 の よ うな記 述 が あ る。

「富 貴 安 逸 は 、 人 の才 徳 を修 養 す る た め の 必 須 の もの に は あ らず」*27

「ギ ボ ン 曰 く、「人 お の お の 二 個 の 教 養 あ り。一 は他 人 よ りこれ を受 け 、 一 は 自己 に これ を做 す こ とな り

。 二 者 の う ち 、 み ず か ら教 養 す る こ と最 要 な り。」*28

「工 事 を操 作 し身 体 を労働 す る こ と は、 高 尚 の 学 科 を習 い心 霊の 修 養 を な す こ との 妨礙 と な らず して 、 か え っ て利 益 と な るべ き こ と を知 るべ し。 け だ し適 宜 の 労 作 は 人 を し て健 康 な ら しめ 、 ま た 快 適 を覚 え しむ もの な り。 労 作 は 身 体 を教 養 し、 学 習 は 心 霊 を教 養 す 。 と も に欠 くべ か ら ざ る の物 な り。 さ れ ば 、 各 人 を し て暇 余 に 充 つ る 労 働 の こ と あ ら しめ 、 労 作 に備 う る学 習 の 暇 あ ら しむ る こ と、 最 善 の 規 則 と い うべ し。 か くの ご と くな れ ば 、 文 芸 を 学 ぶ の 余 暇 を も っ て 、 労 働 の こ と なす こ と を得 て 、 心 霊 身 体 、 二 者 と もに 教 養 を受 くる な

り。」*29(下 線 引 用 者)

こ こ か ら も 「修 養 」 「教 養 」 い ず れ の 言 葉 も、 と く に希 な 言 葉 で は な か っ た こ とが わ か る。 で は 、 そ れ ぞ れ 原 文 の 英 単 語 は 何 で あ っ た の か 。

『西 国立 志 編 』 は 逐 語 訳 で は な い た め 、単 語 と訳 語 との 関係 は必 ず し も明 確 で は な い部 分 もあ る が 、educationに 対 して は 「教 養 」 の 訳 語 が あ て ら れ 、highest cultureは 「才 徳 の 修 養 」 と さ れ た 。 た だ し、 原 典 に頻 出 す る cultureに い ず れ も 「修 養 」 が 対 応 させ ら れ た わ け で は な い 。 原 典10章 の self‑cultureは、 『西 国 立 志 編 』 第11編 の 「自 ら修 む る こ と を論 ず 」 に対 応

し、cultureは 、 「修 養 」 よ りむ しろ 「修 む る こ と」 と訳 され て い る 。 や や 時 代 は 下 るが 、 明 治33年 、 福 沢 諭 吉 監 修 の 「修 身 要 領 」 の 第11条

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修 養 」、 「教 養 」、paideia‑清 沢 満 之 、 新 渡 戸 稲 造 、 ソ ク ラ テ ス‑(升 信 夫)

に は 、 「子 女 も亦 独 立 自尊 の 人 な れ ど も、 其 幼 時 に在 りて は、 父 母 こ れ が 教 養 の 責 め に任 ぜ ざ る可 か らず 」 とあ り、 引 き続 き第12条 に は、 「独 立 自尊 の 人 た る を期 す る に は 、 男 女 共 に、 成 人 の 後 に も、 自 ら学 問 を勉 め 、 知 識 を 開 発 し、 徳 性 を修 養 す る の心 掛 を 怠 る可 ら ず 」 とあ る*30。 こ の よ

うに 明 治 の は じめ か ら、 「教 養 」 は、 「教 育 す る こ と」 の よ う に広 い 中立 的 な な 意 味 合 い で用 い ら れ る 言 葉 で あ り、 「修 養 」 は儒 教 的 伝 統 を背 負 い つ つ 、 徳 に 身 に つ け る こ と と係 わ り用 い られ た。 ま た現 在 で は 「教 養 」 は 名 詞 的 表 現 と して 用 い ら れ る が 、明治 期 に は、「教 養 」 「修 養 」 と も、名 詞 、

及 び動 詞 的 表 現 と して用 い られ て い る*31。 な お 明 治 当 初 は 、 福 沢 や 中村 に み ら れ る よ う に、 地 理 学 、 究 理 学 、 歴 史 、 経 済 学 、修 身 学 な ど、 主 に 洋 学 を 中心 軸 と して 構 成 され る 「日用 の 実 学 」 「人 間普 通 日用 に近 き実 学 」 に中 心 的 な価 値 が 置 か れ 、 重 要 な 線 引 きは 、 実 学 と虚 学 ・腐 儒 との 間 に引 か れ た。 また 、 この 時代 、専 門教 育 、 教 養教 育 とい う区別 は存在 しない*32。

(2)明 治 中期 の 「修 養 」

「修 養 」 は 、儒 学 的 文 脈 を意 識 して 用 い ら れ る 言 葉 で あ っ た が 、 明 治30 年 以 降 に な る と状 況 は一 変 し、 人 々 の 注 目 を集 め る 言 葉 と な っ た。 こ の 過 程 につ い て 、筒 井 は、 日露 戦 争 後 の ア ノ ミー状 況 に対 応 す る た め に 「修 養 」 を直 接 ・間接 に 目的 とす る 思 想 ・運 動 が こ の 時 期 に 多 様 な形 で 登 場 して き た こ とを 理 由 に あ げ て い る*33。た だ、 煩 悶 青 年 の代 表 と さ れ る藤 村 操 の 投 身 自殺 が 、 日露 開 戦 前 年 の 明 治36年(1903)で あ っ た こ と を考 え る と、 この 説 明 は 、 や や 大 雑 把 な 印 象 を免 れ な い 。 青 年 の 煩 悶 的 な 状 況 は 、 日露 戦 争 以 前 か ら存 在 して い た*34。

これ に対 して 坂 田稔 は、 修 養 とい う言 葉 が 本 格 的 に使 わ れ 始 め る の は 、

「道 徳 の 大 本 は 人格 の 修 養 に あ り」と した 明 治33年(1900)の 「丁 酉 倫 理 会 」 の 結 成 あ た りか らで 、 こ の 当 時 高 山 樗 牛 の ニ ー チ ェ主 義 、 大 西 祝 の 人 格 主 義 、 清 沢 満 之 の 精 神 主 義 、西 田天 香 の 一 燈 園 、 伊 藤 証 言 の 無 我 苑 な ど、

精 神 主 義 的 色 彩 の濃 い 思 想 運 動 が 起 こ り、 そ の 中 で 人 間形 成 や 自己 陶 冶 の 意 味 と して の 修 養 が 盛 ん に 論 じ ら れ た と して い る*35。 この 指 摘 は概 ね 適 切 とい って よ い。 た だ し、そ れ以 前 か ら、日本 主 義 的 な思 潮 の 中 で は 「修 養 」

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とい う言葉 が 鍵 とな る 言 葉 と して用 い られ て い た こ と、ま た 「丁 酉 倫 理 会 」 の 前 身 で あ る、明 治30年(1997)に 結 成 され た 「丁 酉 懇 話 会 」 の趣 意 書 に、

「修 養 」 の 文 字 が 見 あ た らな い こ と も併 せ て 検 討 して お い て よい*36。 明 治 30年 代 以 降 の修 養 論 の繚乱 は 、 突 然 に生 じた と い う よ り も、 明 治20年 代 か らの 流 れ の 中 で の 出来 事 で あ った 。

で は、 明 治20年 代 は 、 ど の よ う な 時代 で あ っ た の だ ろ う か。 高 坂 正 顕 に よれ ば 、 明 治20年 代 は 「精 神 革命 の 時代 で あ り、 明治 の 第 二 の 革 命 で あ り、新 日本 とい う標 語 が 多 くの 人 々 に とっ て魅 力 の あ る 時代 」で あ り 「政 治 的 熱 狂 と破 壊 の代 わ り に、 新 しい 日本 の 建 設 が 特 に精 神 面 の 面 で 求 め ら れ た 時代 で あ っ た。」*37維 新 の高 揚 に引 き続 き、 士 族 の乱 、民 権 運 動 の 高 揚 が 続 い た が や が て そ れ も終 息 し、憲 法 が 施 行 され 、国 会 が 開 設 され る 。

こ れ は 明 治 国 家 の 基 礎 的 な 形 の 完 成 で あ っ た。 宮 川 は 次 の よ う に論 じ て い る。 「明 治20年 代 以 降 の 我 が 国 近代 社 会 に お い て は、市民個 々人の 自由 行 使 は 、 絶 対 主 義 的 国 家 権 力 と抵 触 しな い か ぎ り にお い て の み 容 認 され る もの とな っ た」 「か くて 、 絶 対 主 義 的 国 家 権 力 に正 面 き っ て 戦 い を い ど み 、 そ れ にた い して な か ば 絶 望 的 に激 突 す るか 、 そ れ と も国 家 権 力 に よっ て お しつ け られ た社 会 的 制 約 を単 に外 面 的 な 制 約 と観 念 す る こ とに よ っ て 、 い わ ば 、 そ れ を超 脱 した 内 面 的 で か つ私 的 な 思 索 と体 験 の 場 面 にお い て」 「日清 戦 争 以 降 、 我 が 国 思 想 界 の 主 流 思 潮 とな るい に い た っ た 精 神 主 義 的 風 潮 は、 ま さ に 後 者 を え ら ん だ 知 識 階 層 に よ っ て に な わ れ 、 か つ 形 成 され た もの で あ っ た。」*38

た だ し、 上 記 の よ う な 明 治 国 家 体 制 の 確 立 と堅 牢 化 に よ り青 年 意 識 が 内 面 に 向 か う とい う 以 前 に 、 こ の 時 期 の 旧士 族 層 の 青 年 に は 、 生 き方 の 選 択 に 関 連 して 内 面 に 向 か う意 識 を持 た ざ る を得 な い 環 境 が 存 在 し た こ と に も注 意 す る必 要 が あ る。 江 戸 期 に は 、 身 分 制 度 に よ っ て 人 の 一 生 は 確 定 さ れ 、 将 来 を 自分 で 選 択 す る こ と は な い 。 選 択 とい え ば 、 ど の よ う な遊 芸 を た しな む か程 度 に 留 ま る*39。そ れ に 対 して 、 明 治 期 に は、 旧 士 族 層 を 中心 と して 、 仕 事 を見 つ け 生 きて 行 く とい う将 来 の 選 択 を強 い ら れ る よ う に な り、 こ こか ら、 自意 識 、 内 面 性 な どの 問 題 意 識 が 形 作 られ て い た*40。

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修 養 」、 「教 養 」、paideia‑清 沢 満 之 、 新 渡 戸 稲 造 、 ソ ク ラ テ ス‑(升 信 夫)

そ の 際 、 忠 孝 な どの 伝 統 的 な 価 値 規 範 は、 もは や 存 在 し ない 身分 制 度 を 正 統 化 す る 論 理 で あ り、 自我 や 内 面 に 向 か う 意 識 か ら は 、 疑 念 の 対 象 と な る場 合 が 多 い*41。「修 養 」 が 儒 学 的 伝 統 の 一 部 を構 成 して い れ ば 、彷徨 す る 自我 の 安 息 を求 め る 精 神 的 営 為 で は 、 「修 養 」 とい う言 葉 は用 い られ な い 。 た と え ば北 村 透 谷 の 場 合 、 「内 部 生 命 論 」 に代 表 され る よ うに 、 自 己 の 内 面 的 な意 識 の 躍 動 に価 値 が お か れ た が 、 そ の行 論 で は 「修 養 」 と い う言 葉 は 全 く用 い られ なか っ た 。 わず か に 明 治25年 の 「徳 川 氏 時代 の 平 民 的 思 想 」 で 、 「道 徳 の府 な る 儒 学 も、平 民 の 門 を叩 くこ とは 希 な り し」

「精 神 的 修 養 の 道 、 一 と して平 民 を崇 む る に適 す る もの あ らず 」 と論 じ ら れ 、 「修 養 」 とい う言 葉 が 登 場 す るが 、 そ こで の 「修 養 」 は否 定 的 な意 味 で 用 い られ て い る*42。

一 方 「明 治20年 代 の 中 頃 か ら、 東 洋 の倫 理 道 徳 や 哲 学 思 想 を重 んず る 人 た ち は 、『東 洋 哲 学 』『朱 子 学 』『陽 明 学 』 な ど と題 す る機 関 誌 を発 行 して 、 国 民 精 神 作 興 の た め に 立 ち上 が っ た」 とい う*43。つ ま り、 明 治20年 代 に

「修 養 」 を掲 げ た の は、 欧化 的 な 流 れ に対 して 、 日本 の 伝 統 的 な価 値 観 を 称 揚 した 日本 主 義 的 な 思 潮 の1つ で あ っ た。 「破 壊 で は な く建 設 とい う こ と に な れ ば 、古 き 日本 の 伝 統 は 、そ の 素 材 と して 、 また そ の 拠 り所 と して 、 何 と して も無 視 され る こ と は 許 され 」 ず 、 「か く して こ の 時代 は 日本 的 な る も の の 意 義 が わ け て も美 術 や 道 徳 の 面 か ら して も再 発 見 さ れ 」 た の で あ った*44。

『陽 明 学 』 は 『伝 習 録 』 の講 義 を 中 心 と して い る た め 、 毎 号 「修 養 」 が 全 面 に 掲 げ られ て い た わ け で は な い が 、 国 民 の精 神 的 修 養 を 目標 と して い た こ と は こ と は 疑 い を 入 れ な い。 た とえ ば、 明 治29年 、7月 の 発 刊 の 辞 で は 、 「而 して個 人 の涵 泳 修 養 は、 主 と して 知 行 合 一 に在 り。・・(中略)・・

吾 人 の 陽 明 学 を今 日 に研 究 す る は 、 心 学 修 養 、 人 才 陶 成 の 為 め に外 な ら ず と雖も 、 天 下 の 人 々 を して個 人 本 然 の 任 務 あ る を知 ら しめ 、 延 て 以 て 一 代 の 風 気 を 革 新 し、 国 家 に裨 補 す る所 あ ら ば、 則 ち洵 に吾 人 発 刊 の 本 懐 也 」 と論 じ られ 、 第2号 に は 「精 神 の修 養 」 と題 す る 巻 頭 言 が 掲 げ ら れ て い る*45。 ま た 、22号 巻 末 に掲 げ られ た広 告 で は 、 「文 弱 気 死 の 社 会 に

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於 て 、 英 霊 活 発 の 気 を吐 き、 精 神 的修 養 の必 要 を喝 破 す る者 は 『陽 明 学 』 に 非 ず や 」 と う た わ れ 、 さ ら に、 『伝 習 録 』 の講 義 終 了 の 後 は 、 『陽 明 学 』 を廃 刊 し、 『修 養 報 』 を刊 行 す る と され て い る*46。

こ う した 雑 誌 で用 い られ た 「修 養 」 に は、 大 きな 特 徴 と して 、 欧 米 思 想 に対 して 異 を 唱 え、 伝 統 的 な思 想 の復 権 を説 くとい う側 面 が あ る 。2号

「精 神 の 修 養 」 に は 、 「欧 化 主 義 、 法 文 主 義 、 一 た び我 国 に浸 染 せ し よ り、

世 人滔滔 、 細 智 曲慧 に馳 せ て、 精 神 修 養 の 道 を度 外 に 附 し」 と あ り、 ま た19号 の 巻 頭 で は 、 「欧 化 的 教 育 主 義 、 一 た び我 国 人 の 思 想 を 支 配 せ し よ り、 人 々 精 神 的 修 養 を忽 に し、 道 義 徳 操 蕩 焉 と して 地 を掃 い 、 社 会 の 風 気 頽 廃 し、 今 や 国 家 将 に其 弊 に勝 へ ざ らん とす 」 と論 じ られ て い る*47。

そ して2号 の 「精 神 の修 養 」 で は 、 「修 養 」 の 方 法 に係 わ り、 以 下 の よ う な記 述 を み る こ とが で きる 。

「千 万 巻 の書 を読 む も、涵 泳 の工 夫 、 体 察 の 工 夫 無 け れ ば、 即 ち 徒 為 の み。 志 は 、 気 の 師 也 。 気 は体 の 充 也 。 今 夫 れ蹶 く もの 、 趨 る もの は 気 也 。 而 して そ の 気 反 て 其 心 を動 す 。 是 故 に 志壹 な れ ば即 ち気 を 動 し、 気壹 な れ ば 、 即 ち志 を動 す 。…(中 略)… 是 を以 て 其 気 を 養 は ん と欲 せ ば 、 先 つ 其 志 を持 し、 其 気 を暴 す こ と無 き を勉 め ざ る べ か らず 。」*48

この よ う に、 明 治20年 代 には 、 一 方 で 、 青 年 の 自意 識 の 覚 醒 が あ り、 他 方 で 伝 統 的 な価 値 意 識 の 復 権 の動 きが あ っ たが 、 両 者 は、 透 谷 に見 られ た よ う に、 当然 の よ う に相 容 れ な い もの で あ っ た。 明治30年(1897)の 丁 酉 懇 話 会 の趣 意 書 に 「修 養 」 の 文 字 が存 在 しない こ とは 、 この こ と の端 的 な 表 現 と捉 え る こ とが で き よ う。 とい うの も、 丁 酉 懇 話 会 は 、 日本 主 義 に対

して の批 判 を設 立 の重 要 な動 機 の 一 つ と して い た か らで あ る*49。

と こ ろが 、 明 治33年(1900)の 「丁 酉 倫 理 会 」 の 趣 意 書 で は 、 「道 徳 の 大 本 は 人格 の 修 養 にあ り」 と、 「修 養 」 が 重 要 な 概 念 とな って 登 場 す る よ う に な る*50。 こ れ は 、 明 治30年 か ら33年 の 間 に2つ の 潮 流 が 交 錯 した 結 果 、 「修 養 」 が狭 い 儒 学 的 な世 界 に と ど ま る言 葉 で は な くな っ た こ とを

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反 映 した もの で あ っ た。

2つ の 潮 流 の 交 錯 を、 魚 住 折蘆 を 取 り上 げ 、確 認 し て み よ う。 魚 住 折 蘆 の 自伝 に よ る と、 折蘆 は、 姫 路 中 学 の3年 に 進 級 した4月 、 一 群 の 上 級 生 か ら運 動 場 に呼 び 出 され 、 回 覧 雑 誌 に投 稿 し た文 が 侮 辱 的 だ と して 謝 罪 を迫 ら れ 、 そ れ に屈 して 謝 罪 して し ま う*51。折蘆 は そ れ を無 念 な こ と、 卑 屈 な こ と と捉 え 、2度 と そ う した こ とが な い よ う、 謄 力 を 養 わ ね ば な らな い と心 に決 め 、「31年4月14日 は僕 の 第二 の誕 生 日で あ る」と した 。 そ して 、「か か る折 柄 に盛 ん に流行 しか けた の が 『陽 明学 』 とい ふ雑 誌 で あ る。

陽 明 学 は僕 の 謄 力 養 成 の希 望 を もっ と道 徳 的 な修 養 に転 ぜ しめ た 」*52つ ま り、 折蘆 に と っ て の 『陽 明 学 』 は 、 暴 力 的 な も の に対 して屈 従 す る こ と の な い よ う謄 力 を養 成 す る た め に手 に取 られ た も の で あ っ た。 と は い え、 謄 力 が 読 書 に よ り直 ぐに 身 に つ く とい う こ と も な く、 再 び 上 級 生 の 制 裁 の 危 険 に さ ら さ れ 、 そ れ に屈 従 せ ざ る を得 な くな る。 「謄 力 養 成 の 速 成 の 覚 束 な い こ とを 自覚 して 、 修 養 の 方 針 が や や 道 徳 的 に な り、 今 日 の 所 謂 人 格 養 成 の 自覚 と云 ふ風 の も の に な っ て い た。」*53

そ う した 折 り、 内 村 鑑 三 の 『東 京獨 立 雑 誌 』 と出会 い 、 「真 の 同 情 者 、 真 の 同感 者 を発 見 し」 キ リス ト教 に 惹 か れ て行 く。 陽 明 学 は 、 禅 よ りは ま しだ と して も、「近 世 的 空 気 を吸 ひか け て ゐ る 少 年 」 に は 魅 力 的 で は なか っ た*54。 翌 明治32年 、折蘆 は 、 病 に罹 り、 中学 を1年 間 休 学 す る こ と に な る 。33年 に復 学 した 後 、34年 に 東 京 に 移 住 す るが 、 そ の2月 、 入 院 時 か ら交 際 して い た看 護 婦 の病 死 に 際 会 し、 「生 存 の 疑 義 」 と い う大 問 題 に襲 わ れ た 。 こ こ か ら信 仰 へ の 道 を更 に進 み 、 「(明治34)6月2日 信 仰 を告 白 して 即 日バ プ テ ス マ を う け て 水 に 沈 ん だ 。 生 存 の 疑 義 が 天 国 の 生 命 の信 仰 の獲 得 で 一 安 心 した 。*55た だ、折蘆 に よれ ば、この 時 の宗 教 生 活 は、「聖 霊 の 降 臨 を待 ち望 ん で ひ た す ら道 徳 的 修 養 をつ む だ け の もの で あ っ た」 と い う*56。そ の 際 、信 仰 の 生 活 に入 り、儒 教 的 な もの が 全 く顧 み られ な くな っ た わ け で は なか っ た。 自伝 は 引 き続 き、 次 の よ うに 述 べ る。

「負 ふ 気 な く も35年 上 半 年 の僕 は鞠 躬 如 た る 個 條 的 の 道 徳 の修 養 と

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種 々 の 心 の想 を道 徳 化 し信 仰 化 す る修 養 と に 於 て 、 柴 崎 嬢 の外 天 下 に師 友 な し と思 う た。此 半 年 僕 は 粛 然 襟 を正 しう して暮 した 。 『論 語 』

『小 學 』 や 『孝 経 』 な ど を柴 崎 嬢 と一 緒 に讃 ん だ の は 此 時 で あ る 。 然 し僕 は 東 洋 の 倫 理 思 想 に は 囚 わ れ は しな か っ た 。 基 督 教 の 信 仰 は僕 の 自 由 を求 む る精 神 に、 人 格 の観 念 を焼 き付 け たか らで あ る 。」*57

こ こか らは 、儒 教 的 な もの、 キ リス ト教 的 な もの 、 内 面 世 界 の涵養 な ど が 渾 然 と して い る 様 子 が 窺 え る 。 キ リス ト教 の 指 導 者 た ち も 四 書 五 経 な どの 伝 統 的 な教 育 を土 台 に 、 接 木 型 の キ リス ト教 受 容 を果 た して い る者 も少 な くな い*58。 そ の 場 合 に は 、儒 教 的 な もの は、 反 欧 化 思 想 とは な ら な い 。 海 老 名 弾 正 に して も、 新 渡 戸 稲 造 に して も、 キ リ ス ト者 と して の 修 行 と儒 教 的 な も の と は背 反 す る もの で は な く、 そ れ らが 「修 養 」 とい う言 葉 で 統 一 され 、表 現 され る潜 在 的可 能 性 を秘 め て い た 。折蘆 の 場 合 も、

「修 養 」 は、 伝 統 的 な儒 学 と関 係 を持 ち つ つ 、 存 在 の 疑 義 の解 決 、 自意 識 の 収 拾 とい う観 点 で 用 い られ た*59。

こ の 時 期 の 青 年 た ち は、 生 き方 の 選 択 とい う問 題 に 悩 み 、 肺 病 な どの 死 病 に よ る 若 年 で の死 の 影 に脅 か さ れ て い た。 死 の影 と い え ば 、 戦 争 も 青 年 に は切 実 な 問 題 で あ った*60。 こ う した 中で 、 「修 養 」 は広 く共 有 され

る 言 葉 と な っ た 。

(3)清 沢 満 之

新 渡 戸 稲 造 は1862年 、 清 沢 満 之 は1863年 に生 ま れ て い る 。 い ず れ も維 新 前 夜 の 下層 士 族 の 出 自で あ っ た 。 清 沢 は1882年 か ら東 京 大 学 予 備 門 に 通 い 、 新 渡 戸 は83年 に東 京 大 学 に入 学 す る な ど、 接 点 を見 い だ せ そ うな 2人 で あ る が 、 清 沢 が そ の 人 生 の 終 末 に 浩 々 洞 等 を拠 点 と し て精 神 主 義 を 掲 げ た と き、 新 渡 戸 は 、 札 幌 の 農 学 校 を辞 職 後 、 米 国 に静 養 し、 そ こ か ら台 湾 総 督 府 技 師 と して 台 湾 に 赴 任 しよ う と し て い た 。 新 渡 戸 が 台 湾 か ら帰 国 し、 京 都 帝 国 大 学 の教 授 に就 任 した 年 、清 沢 は そ の 生 涯 を終 え て い る。 ま た 、 新 渡 戸 が 札 幌 農 学 校 で キ リ ス ト教 に帰 依 し、 後 に ア メ リ カ で ク エ ー カ ー と な っ た の に 対 して 、 清 沢 が 信 仰 の 対 象 と し た の は、 他

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「修 養 」、 「教 養 」、paideia‑清 沢 満 之 、 新 渡 戸 稲 造 、 ソ ク ラ テ ス‑(升 信 夫)

力 門 で あ る浄 土 真 宗 で あ っ た。

だ が 、 両 者 は、 先 に指 摘 した2つ の 流 れ が 交 わ る 地 点 で そ の 思 想 を彫 琢 し、 「修 養 」 を そ の 実 践 的 思 想 の 中 核 と な る言 葉 と した 点 で 共 通 性 を持 つ 。 清 沢 は 、 明 治30年 頃 か ら没 す る36年 まで 、 精 神 の修 養 を重 要 な課 題 とす る 活 動 を繰 り広 げ た。 こ の 時 期 は 、 「修 養 」 が 日本 主 義 的 に 限 定 さ れ た言 葉 か ら、 多 様 な 思 潮 で 用 い られ る よ う に な っ た 時 期 で あ っ た 。 新 渡 戸 が 『修 養 』 を刊 行 した の は 明 治44年 で あ り、 「修 養 」 か ら 「教 養 」 へ の 転 換 が 準 備 さ れ つ つ あ る 時 期 で あ っ た 。 た だ し、 新 渡 戸 は 、 大 正 教 養 主 義 の時 代 を生 き、日 中戦 争 の は じ ま る頃 に没 しな が ら、最 後 ま で 「教 養 」 とい う言 葉 は用 い ず 、 「修 養 」 に こ だ わ り続 け た。 先 ず 清 沢 の 修 養 論 を点 検 しよ う。

清 沢 の 思 想 の 骨 格 を示 した もの は、明 治25年 に著 され た 『宗 教 哲 学 骸 骨 』 とい わ れ る が 、 そ こ で は 「修 養 」 と い う言 葉 は ま だ登 場 しな い 。 用 い ら れ た の は 、 「修 徳(修 行)」 と い う言 葉 で あ り、 「修 徳 」 は、 無 限 と い う悟

りに 到 達 した後 、 これ を 日常 の 行 為 に反 映 させ る た め の行 い を意 味 した 。

「既 に無 限 を覚 信 し之 に到 達 し得 べ き こ と を認 信 す れ ば 愈 愈 其 の 進 達 の 実 行 に従 事 す る は 自然 の 順 序 な り  他 語 以 て 之 を言 へ ば吾 人 は 無 限 に対 し智 解 的 よ り意 行 的 に進 ま ざ る能 は ざ る な り  此 実 行 を名 け て修 徳 或 は 修 行 とい ふ」*61

た だ 、 この 段 階 で の清 沢 は、 超 越 的 な 世 界 で あ る 「無 限 」 を主 体 的 な 精 神 活 動 に よ り悟 り、 そ れ を実 践 す る こ と を理 想 と し、 そ れ が 出 来 る と考 え て い る。 つ ま り、 宗 派 の教 えで あ る他 力 を掲 げ つ つ も、 「自力 の 迷 情 」 か ら 脱 却 で きて い なか っ た 。 そ う した 中、 清 沢 は 、 結 核 を発 病 し、 療 養 を余 儀

な く され る。 さ ら に は宗 門 改 革 問題 、家 庭 問 題 、 子 ど もや 妻 の 死 に も遭 遇 せ ざ る を え なか っ た。 こ う した苦 難 の 中 で、 清 沢 は 自 己が 有 限で あ る こ と、

自力 に よ っ て は 無 限 に 到 達 しえ な い こ と を悟 る こ と に な る*62。清 沢 自身 、 死 の病 で あ る 結 核 に罹 患 した こ とに つ い て 、 後 に 、 「若 し此 病 気 に な らな か っ た な ら ば 是 程 迄 に宗 教 の真 髄 を味 わ い 、 是 程 迄 に如 来 の 光 明 を認 む

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る こ とが 出来 な か っ た か も知 れ な い の で あ りま す」 と触 れ て い る*63。 ま さ し く、 「吾 人 が 自己 の 有 限 な る こ と を覚 悟 す る は 、 転 迷 開悟 の 要 門 」 な の で あ っ た*64。「他 力 の信 仰 に入 る根 本 的 障礙 は、 自力 の修 行 が 出 来 得 る こ との様 に思 う こ と」 で あ り、 「こ の道 徳 行 為 が 立 派 に 出来 る もので あ る と 思 うて 居 る間 は、 到 底 他 力 の宗 教 に は 入 る こ とが 出来 」 な い の で あ る*65。

宗 門 改 革 運 動 な ど、 清 沢 の活 動 につ い て簡 単 に触 れ て お こ う。

清 沢 は、 大 学 卒 業 後 は 大 学 院 で 宗 教 哲 学 を専 攻 し、 同 時 に 第 一 高 等 中 学 校 哲 学 館 な どで 教 鞭 を と っ た。 そ の ま ま博 士 号 を と り教 授 職 を 目指 す 道 もあ っ た が 、 明 治21年(1888)京 都 の 本 山 か らの 要 請 を受 け て 京 都 に 戻 り、 本 願 寺 が 経 営 費 を 引 き受 け た 京 都 府 立 尋 常 中 学 の校 長 と な る こ と を 決 断 す る。 これ 以 降 、 清 沢 の 関 心 は、 主 と して 門 末 の た め の 理 想 主 義 的 な 教 学 刷 新 に 向 け られ 、 宗 門 内 で 当 時 絶 大 な 力 を 持 っ た 渥 美 執 事 と対 立 す る こ とに な っ た。 そ して 明 治29年 に は 洛 東 白 川村 に教 界 時 言 社 を設 け、 『教 界 時 言 』 を発 行 し、 改 革 の 狼 煙 を あ げ た。 この 改 革 運 動 で は 、 真 宗 大 学 学 生 の一 部 が 合 流 し、 教 団 長 老 内 に も支 持 す る 者 が 現 れ 、 末 寺 に も渥 美 執 事 に対 す る 反 発 が 広 が り、 渥 美 執 事 の 辞 任 とい う成 果 を生 ん だ が 、 明 治30年 清 沢 等 の 改 革 派 も処 分 を 受 け 、改 革 は期 待 した成 果 を 上 げ る こ とは 出 来 な か っ た 。 運 動 の 頓 挫 に 際 し清 沢 は 、 「天 下7000の 末 寺 が 以 前 の 通 りで あ っ た ら折 角 の 改 革 も何 の や くに も た た な い 。 こ れ か らは 一 切 改 革 の こ と を 放 棄 し て

、信 念 の 確 立 に尽 力 し よ う と思 う」 と語 っ た とい う*66。 しか し、 清 沢 は そ の ま ま三 河 西 方 寺 に 隠棲 し続 け た わ け で は な か っ た 。 新 法 主 の 上 京 に対 応 す る よ う に促 さ れ て 東 京 に 向 か い 、 明 治 32年 か ら は東 京 に住 み 、 浩 々 洞 を 拠 点 と し て 『精 神 界 』 を発 刊 、 また 真 宗 大 学 の東 京 移 転 に 尽 力 し、 真 宗 大 学 学 監 に就 任 した 。 た だ こ こ で も真 宗 大 学 の 運 営 に つ い て 、 真 宗 大 学 の学 生 は 純 粋 な 宗 教 的 方 面 に の み 向 か うべ き も の で あ る とい う理 想 主 義 を貫 い た 結 果 、学 生 た ち の 不 満 を生 み 、 学 監 を 辞 職 す る こ と に な る 。

「修 養 」 は、 宗 門 改 革 の 活 動 当 初 の清 沢 の 言 葉 で は なか っ た が 、32年 東 京 に活 動 の 拠 点 を移 して 以 降 、頻 繁 に用 い られ る言 葉 とな っ た。 先 に 「修 養 」 とい う言 葉 の 用 い られ 方 につ い て 明 治30年 か ら33年 の 間 に 大 きな

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修 養 」、 「教 養 」、paideia‑清 沢 満 之 、 新 渡 戸 稲 造 、 ソ ク ラ テ ス‑(升 信 夫)

変 化 が あ っ た こ と に触 れ た が 、 清 沢 も、 仏 教 教 学 の 第 一 人 者 が そ の 言 葉 を用 い た とい う意 味 で 、 そ の 流 れ に一 定 の 役 割 り を果 した と い っ て よ い。

そ の 際 、 清 沢 が 「修 養 」 とい う言 葉 を頻 繁 に用 い る よ う に な っ た 時 期 と、

清 沢 が エ ピ ク テ トス の 語 録 に 出会 っ た 時 期 が 重 な りあ う こ と も注 目 す べ きだ ろ う。

清 沢 の 「修 養 」につ い て の思 想 は、「真 宗 大 学 の 学 生 へ 」及 び雑 誌 『精 神 界 』 にお い て 、 主 に展 開 さ れ て い る 。 そ の修 養 思 想 は 、 多 面 的 で あ る が 、 「美 術 家 は 美 と醜 との 心 念 を 主 と して 、 心 念 の 聯 結 を構 成 し、 商 業 家 は損 益 の 心 念 を主 と して 、 心 念 の 聯 結 を構 成 す 、 今 修 養 に志 す もの は 、 善 と悪 との 心 念 を主 と して 、心 念 の 聯 結 を構 成 す べ きな り」 と論 じて い る よ うに 、 善 悪 の 念 が 中心 軸 とな っ て い る*67。そ して 、 そ れ は根 本 的 に他 力 に 支 え

られ つ つ 、 末 寺 の 人 々 の 信 仰 の確 立 を 目指 す もの で あ っ た 。 後 に触 れ る 新 渡 戸 の 修 養 論 が 名 誉 、 克 己 、 勇 気 、 貯 蓄 等 を柱 と して い た こ と と対 照 的 とい っ て よい 。

そ の 際 、 清 沢 の 修 養 思 想 は、 無 限 と有 限 を媒 介 項 と して 、 実 践 と深 く 結 び つ い て ゆ く。 た だ し、 清 沢 の 実 践 に つ い て の 思 想 は、 一 見 矛 盾 を孕 ん だ2つ の 側 面 を持 っ た。1つ は 、 現 在 の境 遇 を従 容 と して 受 け 容 れ よ とい う、外 界 に対 して の 消 極 性 で あ り、他 方 は 、「内 心 の決 定 を最 高 の裁 判 」 とす る よ う な 主体 性 で あ る 。

前 者 の消 極 性 につ い て、清 沢 は 、エ ピク テ トス を想 わせ る よ う な筆 致 で 、 外 界 の 事 象 の評 価 は 、 す べ て 主 観 的 に き ま る の だ か ら、 そ れ を 無 理 に変

え よ う と して 苦 しむ の で は な く、 心 を変 化 させ る こ と に よ っ て 心 の 平 安 を得 る の が 良 い と して 次 の よ う に論 じて い る。

「其 車 馬 高 楼 た る と、 脚鞋陋 巷 た る と を 問 わ ず 、 之 を 与 え た る 問 題 と し て解 釈 せ ざ るべ か らず 。 而 して此 問 題 を解 釈 せ ん とせ しば 、 吾 人 は 吾 人 現 在 の 境 遇 の 中 に於 て 満 足 の 見 地 を発 得 せ ざ るべ か らざ る な り。…(中 略)… 彼 の陋 巷 は決 して陋 小 な る に あ らず 、之 を陋 小 な り とす る 我 心 が陋 小 な る を信 じ、 彼 の 赤 脚草鞋 は決 して 卑 賎 な る に あ らず 、 之 を 卑 賎 な り とす る我 心 が 卑 賎 な る を知 る な り。 是 に

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