大 気 汚 染 が 文 化 財 に与 え る 影 響
1石造文化財と金属製文化財の被害1
西 山 要
一︑はじめに
文化財とは︑私達の祖先が︑政治・経済・文化・生産・日常生活等
の諸活動の場で創りだした作品や技術などの貴重な歴史的・文化的な
遺産であるとともに︑私達は文化財から歴史や︑文化や︑思想や︑技
術を学び︑これを礎に現在の︑未来の私達の社会や文化のあり様を考
えるうえでも︑欠くことのできないものである︒
多種多様な文化財のなかでも︑とりわけ建造物・工芸品・絵画・彫
刻・古文書・考古資料・民俗資料などの有形文化財は︑金属・石材・
木材・繊維・紙・皮革など様々な素材を単一または複数組み合わせて
製作されていて︑年月の経過と土ハに徽・虫・温湿度変化・紫外線など
が原因となって︑腐食・錆化・槌色が徐々に進み︑あるいは素材その
ものの劣化によって︑やがて消滅する︒このような自然環境に起因す
る文化財の劣化は︑伝統的修理技術や合成樹脂を使った科学的保存処 理技術によって防止し︑修復・保存することが可能となってきた︒
しかし︑近年︑文化財劣化の新しい要因として大気汚染が着目され︑
大気汚染による文化財の劣化が急激に進行していることが明らかになっ
てきた︒しかし︑そのメカニズムの完全な究明と防止策の確立されな
いままに︑大気汚染は文化財を腐食し︑変槌色させ︑劣化させている︒
汚染大気はあらゆる場所に侵入し︑様々な文化財に悪影響を与え︑多
くの文化財が今まさに崩壊しつつあるように思われる(表1)︒
さて︑大気は︑陰イオンの︒︒○㌔ンZOω♂9‑や陽イオンのZp."
Z空︑"区︑}Op︑"ζσq︑などの多くの汚染物質を含むが︑特に陰イオ
ン物質を多く含むと強い酸性大気となる︒雨が陰イオン物質を多く含
み水素イオン濃度(b=)㎝6㎝以下になると酸性雨と呼ばれる︒中で
も︑硫黄酸化物(○︒○×)︑窒素酸化物(ZO×)︑塩素イオン(Ω‑)等
の酸性因子が文化財劣化の主原因となっている(表2)︒
大気汚染・酸性雨による文化財の顕著な被害例を︑石造文化財と青
銅文化財に見る︒
表1文 化財 に影響 を与 える主 な大気汚染因子
文化財の種類 主 な 大 気 汚 染 因 子 文 化 財 の 変 化
石 造 文 化 財 酸 性 雨 ・酸 性 霧 ・SOx・NOx・cl等 溶 解 ・劣 化 金 属 文 化 財 酸 性 雨 ・酸 性 霧 ・SOx・NOx・Cl一 等 腐 食 ・変 色 等 木 造 文 化 財 酸 性 雨 ・酸 性 霧 ・SOx・NOx・Cl一 等 劣 化 ・変 色 等 壁 画 ・顔 料 酸 性 雨 ・酸 性 霧 ・SOx・NOx・C1一 等 剥 落 ・変 色 等
油 彩 画 ア ン モ ニ ア 油 劣 化 ・ニ ス 白濁
染 織 品 SOx・NOx・Cl・O、 等 変 色 ・槌 色 ・劣 化
紙 ・ 皮 革 SOx・NOx・cl・O、 等 変 色 ・槌 色 ・劣 化
ガ ラ ス SOx・NOx・Cl‑・03等 白濁
表2各 地 の大気 汚染濃度
地 名 雨 水pH SOZ NO2 C1一
ギ リ シ ア ・ ア テ ネ (*1,2)
5.0 OO.O,ug/d/m 12.Oppb
120.O,ug/d/m
30.7ppb 23.0μg/d/100c㎡
イ タ リ ア ・ ロ ー マ (*21,2)
4.5 30〜130ppb
5.3ppb
18.7ppb 29.3μg/d/100c㎡
イ タ リ ア ・ フ ィ レ ン ツ ェ (*2)
17.7ppb 39.3ppb 42.3μg/d/100c㎡
イ タ リア ・パ ド ヴ ァ 2.20mg/d/100c㎡
イ タ リ ア ・ ベ ネ ッ ィ ァ (*2)
4.Oppb 16.3ppb 24.0μg/d/100c㎡
ド イ ツ ・ ケ ル ン (*5)
4.6 125.Omg/d/m
ア メ リ カ ・ ニ ュ ー ヨ ー ク (*17)
4.3 5042‑:2.5,ug/ml NO3‑:1.5〜2.0μgml NH4+:0.2^‑0.3,ug/ml
韓 国 ・ ソ ウ ル
(*18,28)
4.2 33〜60ppb
韓 国 ・慶 州 5台
日 本 ・奈 良(東 大 寺)
(*18) 4.7 18.2μg/d/100c㎡
3.6ppb
64.3μg/d/100c㎡
10.5ppb
6.1μg/d/100c㎡
日 本 ・人 分
(*13) 4〜5
二︑石造文化財の被害
ヨーロッパの石造文化財︑とりわけ大理石や石灰岩・凝灰岩・砂岩
で作られた建造物や彫刻に︑酸性雨や汚染大気が大きな影響を及ぼし
て︑石造文化財の表面を溶かして価値を半減させ︑また︑石造文化財
そのものを消滅に至らしめる例も少なくない(表3)︒
ωパルテノン神殿の被害
ギリシァの首都アテネ市の中心に聲えるアクロポリスの丘︑市街の
あらゆる位置から望むことのできるこの丘は︑古代も現代もアテネの
政治・文化・芸術の求心点である︒丘の上には︑パルテノン・アテナ
ニケ・エレクティオン等の神殿︑周囲には︑劇場・アゴラ・図書館等
の古代建造物が保存されていて︑ギリシァ文明の象徴をなしている︒
紀元前五世紀ころに建設されたパルテノン神殿は古代ギリシァ文明
の象徴であると同時に︑大気汚染と文化財保存の戦いの世界的象徴で
もある︒パルテノン神殿の建築材料は︑アクロポリスの東約一〇キロ
メートルのペンテリコン山から切り出され︑彫像類の材料はギリシア
各地から採取された︑共に良質の大理石である︒
一九七〇年代から︑酸性雨や酸性の大気の影響でパルテノン神殿の
柱や彫刻の表面が溶け落ちてディテールが失われるに及んで︑パルテ
ノン神殿を解体して博物館に収容展示することが真剣に検討されたこ ともあった︒アテネ市には全土の人口の三分の一︑自動車・工場の半
ばが集中していると言われ︑炭酸ガス・硫黄酸化物・窒素酸化物・塵
埃等による大気汚染が著しい︒一九八八年の雨水b=は年平均で5
前後であるが︑二酸化硫黄(ω9)は⑩O・O鳶αq\9醸\既︑二酸化窒素
(ZOb・)は旨O●O鳶αq\畠図\既︑一九九二年の筆者の測定では︑二酸化
硫黄は一b︒●O薯げ︑二酸化窒素は︒︒O●ぎ9︑塩素イオンは器b鳶αq\量図\
一〇〇鼠を記録している︒
アクロポリスの大理石の彫像や建築材の表面では︑酸性雨や炭酸ガ
ス・硫黄酸化物・窒素酸化物によって︑化学変化が起こり︑半透明の
美しい大理石が白色不透明な石膏に変化し︑かつ醜く黒く汚れ︑剥離
している部分もある︒その化学反応は次の式であらわされる(写真1︑
2)︒
900ω+09+避←○餌"・(=○○ω)b・︒︒
○鋤○○ω+ω9+O・⊂n9+摺←○餌b・︒︒○㌔+09
900ω+聲9+○●㎝9+譜←Op卜・(ZOω)悼︒︒+09
一九七〇年代には︑パルテノン神殿の黒く汚れた柱の表層(石膏層)
をエアーブラッシュで削り落として大理石本来の色を蘇らせる処置が
なされてきたが︑結果的にはオリジナルの表面を削ってしまうので︑
現在では行われていない︒特に優美なパルテノン神殿のフリーズの彫
刻やエレクティオン神殿の女神像柱は︑オリジナルを博物館に収蔵展
示し︑レプリカを原位置に置くことにしている︒さらには︑彫像表面
を蒸留水で洗浄して汚れを落とすと同時に︑表面に形成された石膏層
(OpOQO心・卜⊃=卜・○)を再び○餌○○ωに戻す化学処理の実験・研究がされ
ヨ ヰ ている︒
ωケルン大聖堂の被害
ドイツ中西部のライン川沿いにあるケルン市はローマ時代から城砦
都市として栄えた︒市街の地下には広大な都市遺跡が埋蔵されている︒
ケルン大聖堂は︑四世紀のキリスト教会を前身建物として九度の増改
築を経て一四世紀に一五ヒメートルの尖塔をもつ︒コチック様式の重厚
な大聖堂の現在の形ができあがった︒その後も今に至るまで︑付属の
L︑房技術者によって建設・修理が行われている︒大聖堂は増築・修復
された時代︑そして基礎部と尖塔部のような部位によって様々な石材
が選択使用されている︒砂岩・粗面岩・石灰岩・玄武岩等のドイツ産
石材のほか︑フランス産石灰岩も使われ︑その種類は八種以Lにのぼ
る︒
ルールr業地帯の一角をなすケルン市は︑冬季になるとヨーロッパ
北部独特のどんよりした曇り空が続き︑工場・家庭暖房・自動車等か
ら出る排煙・排気ガスに覆われる︒硫黄と塩素︑フッ素が混在する汚
染ガスや酸性雨・酸性霧は激しい化学反応を起こして石材の表面を侵
し︑方解石・白雲石の結晶を形成して︑厚さ一㎝ほどの表面剥離やチョー
キングをおこし︑カリフラワー状の劣化を生じさせ︑一五〜二〇㎝も
の大きな穴状の破壊をももたらしている(写真三・四)︒ケルン大聖 堂ではスクライトドルフ砂岩がもっとも大きな被害を受け︑風の強く
あたる建物の高い部分ほど大きな被害を受けている︒因みに一九八八
年のケルン市での年平均の雨水℃匡はハ・①前後︑ケルン大聖堂周辺で
らコ は一九七三年に︑二酸化硫黄濃度一謡●O日σq\α塁\昧を測定している︒
ケルン大聖堂の本格的な保存研究と修復は一九ヒニ年に開始された︒
建物各所に配されている石造彫刻の黒い汚れは︑樹液より抽出した自
然薬品により徐々に溶かして蒸留水でクリーニングし︑破損の著しい
彫刻は同質石材によって二体のレプリカを作り︑レプリカ一体はもと
の位置に設置し︑残るレプリカ一体とオリジナルは将来の補修の原型
用として保存する︑破損の軽微な彫刻や劣化の激しい建物の壁はアク
リル樹脂を塗布含浸して保存処理するなどの試みが行われている︒基
本はあくまでも天然素材の薬液や蒸留水によるクリーニングであり︑
ア 伝統的石工技術による修復である(写真五)︒
㈹日本および東アジアの石造文化財の被害
日本にも︑石人︑石馬︑石碑︑石塔婆︑石仏から近現代の石像彫刻
や石造建築まで︑石材も凝灰岩・砂岩・安山岩・花商岩・大理石・石
灰岩など多岐にわたる膨大な石造文化財が存在している︒
古代の難波と飛鳥・藤原京を結ぶ幹線道路であった竹之内街道が金
剛葛城山系を二L山の南側で越える竹之内峠の傍らに︑奈良時代創建
の鹿谷寺がある︒今は廃寺となり果てているが︑残された高さ約五・
二mの十.︑董層塔と浮彫りの仏像︑門と思われる遺構が往時の伽藍の
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写真3
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写 真1
写真1
写 真2
写真3
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写 真2
ギ リシ ァ ・アテ ネ ・パ ル テ ノ ン神 殿 フ リー ズの 浮 彫 は 表 面 を 酸 性 大 気 に 侵 され て 、 そ の 繊 細 さ は既 に 失 わ れ て い る(1995年)。
ギ リシ ァ ・ア テ ネ ・エ レクテ ィオ ン神殿 カ リアテ イ ッ ド(女 神 像 の 柱)は 酸 性 大 気 に 侵 され 、 顔 の 表 情 す ら 判 別 し難 た くな った 。 今 は博 物 館 に 収 蔵 され て い る。
建 物 の 修 復 に は レプ リカ が 使 わ れ て い る(1995年)。
ドイ ッ ・ケ ル ン ・ケ ル ン大 聖 堂 建 物 全 体 が 煤 煙 に 汚 れ、 酸 性 大 気 に 侵 され て ま るで 黒 い 石 材 を 使 って い る の か と見紛 う(1995年)。
ドイ ッ ・ケ ル ン ・ケ ル ン大 聖堂 砂 岩 の 壁 は 酸 性大 気 に侵 さ れ て10cmも の 深 さ で 剥 落 して い る(1995年)。
ドイ ッ ・ケ ル ン ・ケ ル ン大 聖堂 痛 み が ひ ど く再 使 用 不 可 能 な部 材 は、 オ リ ジナル と同石材 ・伝統 技法 で造 っ
た精 密 な レプ リカ を修 復 に 使 用 す る(1995年)。
写真7
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沸 轍戴㌻︑訣.
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写真6
写真7
写真8
写真9
大 阪 府 ・鹿 谷 寺 十 三 重 層 塔(左)と 石 仏(右)(1995 年)。
大 阪 府 ・鹿 谷 寺 十 三 重 層 塔 大 気 汚 染 に侵 さ れ て黒 く 汚 れ 、 表 面 は層 状 に剥 離 して い る(1995年)。
奈 良 県 ・東 大 寺 八 角 灯 籠 現 在 保 存 処 理 が 行 われ て い る(1992年)。
奈 良 県 ・東 大 寺 八 角 灯 籠 細 部 大 気 汚 染 に侵 さ れ て、
傘 の裏 側 や床 部 だ け で な く、 透 し浮 彫 の音 声 菩 薩 に も 緑 青 が現 れ て い る(1992年)。
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霧 励
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写真8
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写 真13
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イ タ リア ・ロ ー マ ・マ ル ク ス ・ア ウ レ リウ ス騎 馬 像 修 復 を 終 え て カ ピ ト リー ノ美 術 館 に展 示 され て い る オ リジ ナル 。 大 気 汚 染 に再 び侵 され な い よ う に厳 重 な ガ ラ ス ケ ー ス に収 め られ て い る(1995年)。
イ タ リア ・ロ ー マ マ ル ク ス ・ア ウ レ リウ ス騎 馬 像 の レプ リカ製 作 。 オ リジ ナル を 前 に して 寸 分 違 わ ぬ よ う に丹 念 に整 え て い く。 レプ リカ製 作 作 業 は カ ピ ト リー ノ美 術 館 参 観 者 の 目前 で 行 わ れ て い る(1995年)。
イ タ リア ・フ ィ レ ンッ ェ シ ニ ョー リア広 場 の 大 気 観 測 車(1995年)
イ タ リア ・フ ィ レ ン ツ ェ ・メ ドーサ の首 を もっ ペ ル セ ウ ス像 ロ ッ ジ アの 屋 根 の 下 に あ るが 、 写 真10
写 真11
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写 真12 写 真13
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写 真12
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写 真14
議 繍騨
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︽編夢
懲 蕊
≧︑,⁝義
汚 染 大 気 に よ る錆 が像 を醜 く して い る。 現 在 は 博 物 館 に収 蔵 さ れ て い る(1995年)。
写 真14イ タ リア ・フ ィ レ ンツ ェ シニ ョー リア広 場 の コ ジモ1世 像 に は修 復 の た め の足 場 や覆 い枠 が 取 り付 け られ て い る(1995年)。
表3大 気汚染 による石造文化財 の被害
パ ル テ ノ ン神 殿 ・エ レクテ ィオ ン神 殿(*3,4)硫 酸 カル シウ ム(Ca、SO42) ス ク ロベ ェ ニ 礼 拝 堂 フ レ ス コ 画(*24)
サ ンマ ル コ 教 会 大 理 石 像 ・壁
石 製 彫 刻(傘25) タ ー ジマ ハ ー ル 大 理 石 外 壁(*24) 中 国 ・楽 山 市 石 像 大 仏(*15)
故 宮 博 物 院 石 樋(.zs) 韓 国 ・ソ ウ ル 市 国 立 博 物 館 石 塔
愛 知 県 ・明 治 村 聖 ヨハ ネ 教 会 堂 煉 瓦 壁(寧12)
京 都 府 ・京 都 国 立 博 物 館 石 灰 岩 多 宝 千 仏 石 橦(*11) 大 分 県 ・別 府 市 美 術 館 安 山 岩 塔(五 輪 塔 等)(*14) 大 分 県 ・別 府 市 国 東 塔 ・石 製 灯 籠(安 山 岩)(*14) 大 分 県 ・普 光 寺 不 動 明 王 磨 崖 仏(凝 灰 岩)(#14)
炭 酸 カル シウム(方 解 石 ・CaCO、)、 白雲 石
(Na2SO4), (K3Na(SO4)2), ト ロ ナ(Na3H(CO3)2・2H20)、
(Na2CO3・H20) 硫 酸 カ ル シ ウ ム(CaSO、 ・2H20) NO3,Ca等
賑わいを思い起こさせる︒この付近の山塊は凝灰岩よりなり︑十三重
層塔と浮彫りの仏像は︑岩盤の凝灰岩を彫り残して造られている︒
鹿谷寺跡は疎林に囲まれて一見︑大気汚染とは縁遠いように見える
が︑塔は塵埃に汚れ︑酸性大気と酸性雨に侵されて︑傘は欠け落ち表
面のいたるところで剥落や溶解が見られる(写真六・七)︒因みに︑
鹿谷寺跡での大気汚染測定は行われていないが︑西側の大阪府柏原市
と富田林市では二酸化硫黄0〜①署げ︑二酸化窒素ミ〜一c︒窓鴨9)東側
の奈良県王寺町では二酸化硫黄α〜一一窓げ︑二酸化窒素G︒O〜お薯げ︑
大和高田市では二酸化硫黄刈〜Φ窓げ︑二酸化窒素NO〜らO窓ぴを測定
している︒特に奈良県側では︑大阪平野の大気汚染が西風にのって︑
大和川の谷を吹き抜け︑或いは金剛葛城山系の鞍部の竹之内峠を上昇
して汚染濃度を濃縮させながら吹き抜け︑奈良盆地に扇状に広がる様
子が知られている︒
京都国立博物館の中国・遼代の石灰岩多宝千仏石橦(=世紀)は︑
一九二〇年代前半に日本にもたらされ︑一九二七年から一九七二年ま
での四五年間風雨に曝されて︑しだいに表面が溶解し︑銘文・文様の
判読ができなくなった︒表面の白色析出物を分析したところ︑硫酸カ
ルシウムが検出されて︑硫黄酸化物を含んだ酸性雨と大気汚染の被害
け であることが確かめられた︒また︑愛知県犬山市明治村の聖ヨハネ教
会堂の煉瓦壁が大気汚染・酸性雨に起因する硫酸ナトリウムなどの結
ほ 晶の生成によって表面の剥落が進んでいる︒同じように︑大分県の安
山岩や凝灰岩の石塔・石仏も大気汚染・酸性雨に起因する硫酸ナトリ
ウムや硫酸カルシウムなどの結晶の成長によって表面の剥落が進んで
転 毬
インド・タジマハールの大理石建造物は︑現地が緑濃い自然に恵ま
れた環境にあるにも関わらず︑地球規模での大気汚染・酸性雨に起因
すると思われる激しい変色が見られ︑中国・楽山市の石造大仏では︑
め b団蔭台の酸性雨と大気汚染による硫酸鉄の析出等の被害が見られ︑
北京・故宮博物院の大理石製樋︑天安門前の大理石製獅子像にも︑層
お 状剥離・溶解等の劣化が見られる︒韓国・ソウル市の国立中央博物館
の庭にある三国時代︑統一新羅︑高麗時代の石灰岩や砂岩︑花高岩で
作られた石塔︑石像は︑表面が塵埃に覆われて黒色に汚れ︑表面剥離
するとともに︑隅部が欠け落ちたり︑溶けるように丸まっている︒ソ
り ウル大学では一九八五〜八九年の雨水のb自は戯b〜蔭﹂︑一九九四年
四月の筆者によるソウル市内の二酸化窒素濃度は︒︒︒︒〜①Obbげを観測し
ている︒酸性雨・大気汚染の被害であることは確実である(表3)︒
三︑金属製文化財の被害
金︑銀︑銅︑青銅︑鉄︑鉛等様々な金属で文化財は作られる︒中で
も︑銅と錫に少量の鉛・砒素などを加えた合金である青銅(ブロンズ)
は︑加工性・見目・保存性ともに良い︒ブロンズは長く屋外において も︑表面に黒灰色の塩基性炭酸銅の緻密な錆層がしだいに形成されて
皮膜となり内部を保護して︑それ以上錆が内部に進行しない︒そうし
た性質を知って︑人類はブロンズを建築や記念像や装飾品などに広く
利用してきたのである︒
しかし︑幾百年・幾千年と保存されてきたブロンズの文化財も︑酸
性雨や大気汚染によって︑表面の塩基性炭酸銅の皮膜が溶かされある
いは破られ︑進行性の塩基性硫酸銅や塩基性塩化銅の錆にとってかわ
られて︑鮮やかな黄緑色に変色してしまい︑腐食・劣化が急速に進ん
でいる(表4)︒
㎝東大寺大仏殿金銅八角灯籠の被害
八世紀半ば︑日本の国家事業として行われた東大寺大仏の建立と共
に作られた灯籠は︑銅と錫の合金すなわち青銅で鋳造され︑金鍍金に
輝く灯籠であった︒以来︑一二五〇年間風雨に曝されて表面の鍍金は
失われたものの黒灰色の落ちついた姿を保ってきたが︑最近二〇〜三
〇年ほどの間に︑黄緑色に色調が変化し︑大気汚染の影響ではないか
と懸念されていた(写真八・九)︒
奈良大学文学部文化財学科保存科学研究室の筆者らは︑一九八七年
より奈良盆地の北部の東大寺を含む文化財密集地域で大気汚染の測定
と文化財に対する影響の調査研究を行ってきた︒この調査は︑文化財
所在地九箇所一九地点において二酸化硫黄︑二酸化窒素︑塩素イオン
の濃度を測定すると同時に︑五種の金属板・=色の彩色板・五色の
'「1/北
奈 丘陵 年
・奈良大学
般若寺●
平城宮跡● ●正倉院
圏 県遭奈良生駒縁 ●東大寺 春
・賄 寺 翻 大社 日
西 霊.+鰍 ● 山
の 24
京
護 ・薬師寺 隷 奈良魏
01213b
[一 鵡
鳶
大気汚染 とその影響 観測点
1
●
)
\ 傷
二 酸 化 窒 素(NO、)単 位:ppb
C 左 馳
の ぢ ●︑
鋒 『0 ビ
島
塩 素 イ オ ン(Cl)単 位:μg/100c㎡ 二 酸 化 硫 黄(SO、)単 位:ppb 図1奈 良 盆 地 北 部 に お け る 人 気 汚 染 濃 度 分 布
(!990年4月 〜1992年3月 の 日平 均 値)
染色布をテストピースとして曝露して︑定期的に色彩変化の計測や表
面生成物の分析を行い︑大気汚染と金属腐食︑顔料・染色の変色の因
果関係を調査するものである(図一)︒
その結果︑奈良市の雨水のb団は平均偽絢︑東大寺の大気の二酸化
硫黄濃度は一c︒﹄鳶σq\9塁\一〇〇鼠(︒︒.①bbげ)︑二酸化窒素濃度は2●︒︒鳶σq
\畠図\一〇〇鼠(一〇●㎝薯げ)︑塩素イオン濃度は①●一鳶σq\α塁\一〇〇鼠と測定
された︒また︑金属テストピースの腐食生成物からは硫黄と塩素が検
出され︑これらの大気汚染因子濃度の多少が金属腐食と顔料・染料の
変色に寄与していること︑特に︑ゴミの焼却により発生する塩素イオ
ね ロ ンの影響の大きいことが判明した︒
その後︑東京国立文化財研究所が行った金銅八角灯籠の錆の分析
によると︑汚染因子として硫黄と塩素が検出されるとともに︑腐食
生成物として塩基性硫酸銅(プロカンタイト90︒ρ・G︒Oo(○=)b・︑ア
ントレライト9︒︒○㌔N9(○類)"・)および塩基性塩化銅(アタカマイ
ト99"・・︒︒9(○=)b・)が検出され︑奈良大学の調査結果が証明され
ることになった︒
②海外の金属文化財の被害
イタリア・ローマの中心地の大気汚染は甚だしく︑二酸化硫黄濃度
れ は最低︒︒○〜ハ○題げ︑最高旨O〜一︒︒O窓σに達する︒筆者の一九九二年の
測定では︑二酸化硫黄濃度㎝・G︒窓σ︑二酸化窒素濃度一︒︒●ぽ9︑塩素濃
度凶⑩・︒︒鳶σq\畠図\一〇〇鼠である︒測定日が土.日曜日であったこと︑
表4大 気汚染によ る金属 文化財の被害
イ タ リ ア ・ロ ー マ マ ル ク ス ・ア ウ レ リ ウ ス 騎 馬 像(*22) イ タ リ ア ・フ ィ レ ン ツ ェ コ ジ モ1世 騎 馬 像 等
イ タ リ ア ・ヴ ェ 不 ツ ィ ア サ ン ・マ ル コ 聖 堂4頭 の 青 銅 馬 な ど ア メ リ カ ・ニ ュ ー ヨ ー ク 自 由 の 女 神 像(*23)
大 韓 民 国 ・慶 州 聖 徳 大 王 神 鐘(エ ミレの 鐘) 栃 木 県 ・東 照 宮 御 旅 所 本 殿 銅 板葺 き屋根(*24) 東 京 都 ・東 京 国 立 博 物 館 表慶 館 銅 板 葺 き屋 根(*24) 東 京 都 ・赤 坂 離 宮 銅 板 葺 き屋根(*24)
神 奈 川 県 ・高 徳 院(長 谷 大仏)(*27)
京 都 府 ・平 等 院 銅 鐘 ・阿弥 陀 堂 扉 金 具(*24) 京 都 府 ・浄 瑠 璃 寺三 重 塔 青 銅 製 相 輪 ・九 輪(*24) 京 都 府 ・京 都 国立 博 物 館 考 え る人
奈良 県 ・東大 寺 青 銅 製 八 角 灯 籠(*20)
岡 山 県 ・宝 福 寺 三 重 塔(*24)
島根 県 ・日御 崎 神 社 銅 製 飾 金 具(*24)
大気汚染によ る生成物 又 は検 出物
塩 基 性 硫 酸 銅(CuSO、 ・3Cu(OH)、), 塩 基 性 硫 酸 銅(CuSO4・2Cu(OH)2) 亜 酸 化 銅(Cu、O)
塩 基 性 硫 酸 銅(CuSO4・3Cu(OH)2) 塩 基 性 硫 酸 銅(CuSO4・3Cu(OH)2) 塩 基 性 硫 酸 銅(CuSO4・3Cu(OH)2) 塩 基 性 硫 酸 銅(CuSO、 ・3Cu(OH)2) 硫 酸 鉛
塩 基 性 硫 酸 銅(CuSO4・3Cu(OH)2) 塩 基 性 硫 酸 銅(CuSO4・3Cu(OH)2) 塩 基 性 硫 酸 銅(CuSO4・3Cu(OH)2) 水 酸 化 銅(Cu(OH)、)
塩 基 性 硫 酸 銅(CuSO、 ・3Cu(OH)、) 塩 基 性 硫 酸 銅(CuSO4・2Cu(OH)2) 塩 基 性 塩 化 銅(CuCl2・3Cu(OH)2) 塩 基 性 塩 化 銅(CuCl、 ・3Cu(OH)2) 塩 基 性 硫 酸 銅(CuSO4・2Cu(OH)2) 塩 基 性 塩 化 銅(CuCl2・3Cu(OH)2) 塩 化 第 一 銅(CuCl)
測定地点がテルミニ駅近くのホテルの七階であった為か︑かなり低め
の測定値である︒
ローマの中心地︑市役所前のミケランジェロ設計によるカンピドリ
オ広場にあるマルクス・アウレリウス騎馬像(ブロンズ︑二世紀)は︑
一七〇〇年間露天におかれ雄々しい姿を見せていたが︑近年︑大気汚
染による腐食が甚だしく︑亀裂が入ったり部分欠失したり︑美しい鍍
金も多くが失われ︑また︑パーツごとに分解し始めたため︑一九七九
年より保存処理・修復が行われた︒保存処理・修復は錆の進行を防止
するために︑界面活性剤国∪弓﹀や︑精密グラインダー︑マイクロハ
ンマーを使った錆取り︑防錆剤を使った処理︑アクリル樹脂パラロイ
ドUul謡の三度の塗布︑原形に調和した欠失部の復原︑水性絵具によ
る古色仕上げ︑等によりおよそ一一年を掛けた作業は一九九〇年に完
了した︒
しかし︑こうした科学的保存処理を実施しても︑なおかつ大気汚染
から完全に守ることは難しいとの保存科学者・修復士の主張が受け入
れられて︑今はカピトリーノ美術館に展示されている(写真一〇・一
れ 一)︒そして︑原位置には精巧なレプリカが設置されている︒
ヴェニスは地盤沈下による文化財の危機が叫ばれているが︑大気汚
染による文化財の劣化も同様に激しく︑対岸のメストレやパドヴアか
らの大気汚染の飛来と海からの塩素の影響が大きい︒筆者の一九九二
年の測定では︑二酸化硫黄濃度吟O窓げ︑二酸化窒素濃度一①.︒︒bbσ︑塩
素濃度b︒ハ・O鳶αq\9錠\一〇〇鼠である︒ローマと同様︑ヴェニスの至る所
で︑建物・壁画・彫刻・絵画などの修理が行われている︒ヴェニスの
中心︑サン・マルコ聖堂の四頭の青銅馬(紀元前三〜五世紀製作)︑
サン・ジョバンニ・エ・パオロ教会前のアンドレア・デル・ヴェロッ
キオ作コレオー二将軍騎馬像(一四七九〜八八年)等も同様に激しく
錆が進み︑前者は前述のマルクス・アウレリウス騎馬像に先だって科
学的保存処理が行われ︑現在はサン・マルコ聖堂博物館に収蔵展示さ
れている︒聖堂ファサードにはレプリカの四頭の馬がおかれている︒
フィレンツェはアルノ川中流の盆地にあって︑大気の淀みやすい地
形が大気汚染による文化財の劣化を著しくしている︒大気汚染観測が
臨時に行われている(写真一二)︒筆者の一九九二年の測定では︑二
酸化硫黄濃度一刈・ぎbσ︑二酸化窒素濃度G︒⑩●︒︒窓σ︑塩素濃度合・O鳶σq\α醸
\一〇〇鼠である︒フィレンツェの中心︑ヴェッキオ宮殿前のシニョーリ
ア広場にある︑ジヤンボローニャ作のコジモー世騎馬像(一五九八年︑
写真=二)︑ネプチューン噴水の河の女神たち︑広場に面するロッジ
アにあるベンヴェヌート・チェッリー二作のメドーサの首をもつペル
セウス像(一五五三年︑写真一四)などのブロンズ像の表面は︑凹部
は煤塵に黒く︑凸部は鮮やかな黄緑色の錆に覆われて︑痛ましい姿を
曝している︒コジモー世騎馬像は保存処理が行われた後︑原位置に置
き︑定期的な保存処置がなされている︒また︑メドーサの首をもつペ
ルセウス像は博物館に収蔵展示されている︒大気汚染状況調査にもと ずいて︑これらのブロンズ像は︑放置しておけばいずれ消滅の危機に
至るだろうとの判断からとられた措置である︒
アメリカ・ニューヨークのマンハッタン島の先のリバティー島に立
つ自由の女神像は︑フランスがアメリカ建国を記念して一八八六年に
贈ったものである︒一九八〇年の調査によって鉄骨の本体に貼った銅
板の腐食が著しく進み︑分析調査の結果︑亜酸化銅︑塩基性硫酸銅が
生成されていることが判明した︒特にマンハッタンの方向すなわち風
上側の北側より反対の風下側の南側に腐食生成物が多いという︑大気
汚染特有の影響が見られた︒その腐食速度は一鳶日\遷霞と測定され
ている︒腐食の著しい鉄骨はステンレス鋼に交換し︑銅板はクリーニ
ングののちベンゾトリアゾールと樹脂を使った防錆処理が行われた︒
ちなみに︑ニューヨーク市の一九八五年の雨水のb寓はら●G︒︑硫酸塩
(ωρ・︒︑)濃度はPα鳶σq\巨︑硝酸塩(ZOωo)濃度は一・⑰〜PO鳶σq\巨︑
アンモニウム塩(Z空︑)濃度はOb〜P︒︒鳶σq\巨を測っている︒
韓国・慶州市の国立博物館中庭にある聖徳大王神鐘(エミレの鐘)
はその表面にも塩基性硫酸銅・塩基性塩化銅と思われる黄緑色の錆が
みられる︒慶州市ではb=q台前半の酸性雨が降っている︒
四︑終わりに
大気汚染の文化財への影響を見るとき︑主要汚染物質の濃度や雨水