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衆議院総選挙の憲法的性格

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(1)

第1章 問題の所在

 「民主党は14日,東京・芝公園の『ザ・プリ ンスパークタワー東京』で臨時党大会を開き,

代表選の投開票を行った結果,菅直人代表

(

)(

63

)

が小沢一郎前幹事長

(

68

)

を大差で破り,

再選された」。「代表選は,菅氏の代表の任期満 了に伴うもので,投票結果をポイントに換算し て争われた」[読売2010

.

.

15朝]。ここまで 来て,一瞬立ち止まってしまう。菅首相は今年 の6月4日に選ばれたばかり

[

朝日2010

.

.

;

読売2010

.

.

5朝

]

ではなかったのか。

 日本は議院内閣制を採用しているため,国会 下院

(

すなわち衆議院

)

における過半数をもつ 政党の代表ないし党首が首相

(

内閣総理大臣の 俗称

)

になる。単独過半数をとる政党が存在し ない場合,過半数をとるための連立工作をし首 相になる者を選ぶ。したがって,基本的には国 会下院における過半数をもつ政党の党首を選ぶ ための党首選挙が,事実上の首相を選出するた めの選挙の役割を果たしていることになる。そ して,菅首相が鳩山前首相の民主党代表として の残りの任期を終えたので,新たな任期として の2年間のためのこの代表選挙なのである。

 しかし,民主党の菅代表は6月8日

[

朝日 2010

.

.

9 朝

;

読 売2010

.

.

9 朝

]

と 9 月17日

[

朝日2010

.

.

18朝

;

読売2010

.

.

18朝

]

に内閣

を発足させているが,一回もその成立について 国民による審判すなわち政権選択選挙を経たも のではない。それどころか,7月11日には就任 後,唯一の国政選挙である,参議院選挙で敗北 し て い る

[

朝 日2010

.

.

12朝

;

読 売2010

.

.

12

]

。ということは,主権者である国民は菅首 相及び菅内閣について,正統性を与えているど ころか,むしろ否定している可能性すらあるの ではないだろうか,という見方もできるのであ る。

 だとするなら,民主党はかつて前自民党政権 末期の安倍,福田,麻生の各内閣が総選挙を経 ず政権を維持し続けたことを「たらい回し(1)」 と指弾していたことを自らも同様にしているの である。この疑義において論点となるのは,衆 議院総選挙の憲法的性格である。

 衆議院総選挙が内閣によって,その発動がい つでも可能でかつそれが一定の条件の下では義 務的なものであるとするなら,「たらい回し」

は憲法違反になる。対して,衆議院総選挙が任 期の終了と憲法69条の規定に限定されるなら 研究ノート

衆議院総選挙の憲法的性格

岡 田 大 助

早稲田大学大学院社会科学研究科 博士後期課程5年(指導教員 後藤光男)

早稲田大学社会科学総合学術院 助手

(2)

「たらい回し」は憲法の許容すること,という ことになる。すなわち,本稿は,衆議院総選挙 の憲法的性格を確定させることを目的とする。

第2章 総選挙

 日本の国会議員は衆議院議員と参議院議員の みである。かつての大日本帝國憲法において は,貴族院には選挙はなく,衆議院は1889年制 定の衆議院議員選挙法によって運用されていた が,1946年制定の日本国憲法の下においては貴 族院が廃止され参議院が誕生し,衆議院議員選 挙やその他の地方選挙とともに1950年制定の公 職選挙法によって一元的に運用されている(2)。 2つの選挙は,それぞれの議院の選挙の時期が 基本的に重ならないように工夫されている。す なわち,憲法46条により,衆議院は解散制度付 きの4年の任期で,参議院は6年の任期で3年 毎半数改正であるため,恣意的な運用を除いて かなり限定されているといえる。

 衆議院議員の選挙は「総選挙」と呼称され

(

公職選挙法31条及び国会法2条の3第1項 等

)

,参議院議員の選挙は「通常選挙」で呼称 されている

(

公職選挙法32条及び国会法2条の 3第2項等

)

。この点,憲法7条4号にいうと ころの「総選挙」は,議員の任期満了または解 散により新しく議員を選出するために行われる 選挙を広く総選挙と呼んでいるのである

[

芦部  2007

:

286

]

。そして憲法70条には,内閣総理 大臣の欠缺・新国会の召集と内閣の総辞職につ いての規定で「衆議院総選挙」という言葉があ る。また,54条には,衆議院解散の規定で「衆 議院議員の総選挙」という言葉がある。とも に,総選挙を衆議院選挙に固有の言葉として捉 えれば,7条4号でいうところの総選挙とは異

なり,国政選挙全般に対して総選挙という言葉 を使用していると捉えれば,7条4号,54条そ して70条もすべて同じ定義で「総選挙」を使用 しているということになる。ただ,前述した とおり,公職選挙法と国会法等の法律レベル では,衆議院選挙を「総選挙」,参議院選挙を

「通常選挙」として区別している。だとすると,

「総選挙」には広義と狭義が存在するというこ とになろう。憲法67条により,首相の指名につ いて,衆議院の優越が認められるため,衆議院 総選挙は――すなわち狭義の総選挙

(

以下,「総 選挙」は「衆議院総選挙」の意味とする。

)

―首相を選択するための選挙としての役割を担 うことになるのである。

 衆議院総選挙の動因としては,4年の任期満 了が先ずある。解散自体は形式的には天皇に 属しているが実質上は助言と承認

(

3条

)

を行 う内閣に属する。解散する旨を外部に表示す るという意味での形式的解散権は天皇にあり

(

7条3項

)

,実際に解散を決定するという意味 での実質的解散権の所在が問題になる

[

藤井  2009

:

60

-

61

]

。69条を根拠とする内閣不信任案の 可決及び内閣信任案の否決に限定されるか否か が問題となるのである。

第3章 69条の位置づけ

 憲法69条は「内閣は,衆議院で不信任の決議 案を可決し,又は信任の決議案を否決したとき は,10日以内に衆議院が解散されない限り,総 辞職しなければならない」とする。衆議院によ る内閣不信任決議に対抗するための選択肢とし て,解散を設けている。地方議会においては不 信任の議決しか規定がなく,またその議決は議 員数の3分の2以上の出席で4分の3以上の同

(3)

意が必要である

(

地方自治法178条

)

。その比較 でいうと,国政では安易に内閣の総辞職と議会 の解散がされやすいのである。

 内閣が10日以内に解散を選択した場合,54条 1項により40日以内の総選挙の実施しその後30 日以内に国会の召集(3),70条により衆議院総選 挙後の内閣の総辞職,そして67条1項により首 相の指名という順番で進むことになる。

 日本国憲法は,18世紀末における対絶対王政 への文脈から生まれた近代市民革命期の思想す なわち立憲主義を受け継ぎそれに基づいて作ら れた立憲的意味の憲法であるから,その淵源を 探る必要がある。

 絶対王政期に君主と議会の対立を調整する機 関として内閣が生まれた。内閣の各大臣はもと もと国王の家僕に過ぎなかったため,議会の力 が強くなるとともに議会の信任も必要になっ た。この時期において内閣は国王と議会の調整 をし双方に対して信任を必要とし,その意味で

「二元型議院内閣制」と呼ばれた。その後次第 に,国王が首相の選任権を失い議会の多数派が 支持する者を任命する以外になくなり,権力が 名目化した。それは19世紀後半に実現され「一 元型議院内閣制」と呼ばれた

[

辻村 2008

:

429

;

高橋 2010

:

27

]

。それらはそれぞれ「古典的な 均衡型議院内閣制」と「議会優位議院内閣制」

と呼ばれることもある

[

樋口ほか 2000

:

155

]

 一元型議院内閣制の下での,議院内閣制の 要件は「議会

(

立法府

)

と政府

(

行政府

)

との分 立」,「政府が議会に対して連帯責任を負い,そ の存立を議会に依存させること」そして「政府 が議会の解散権をもつこと」である。前二者を 必要条件とするのが責任本質説で,3つすべて を必要条件とするのが均衡本質説であるが,内

閣の議会への依存という議院内閣制の本質を考 えれば,責任本質説が妥当ということになる

[

辻村 2008

:

429

;

高橋 2010

:

430

-

431

]

(4)  しかし,現代は行政国家の時代である。「資 本主義が発達する中で国家のはたすべき役割が 経済・社会の全面にわたって拡大すべきだとさ れるようになったこと」を原因として,三権の 中で行政権が担う役割そのものがますます増大 してきているのである

[

藤井 2009

:

189

]

。その ような時代においては,数百人のヘテロジーニ アスな

(

雑多な

)

集合体である国会はなかなか 反応ができない。そうすると,内閣が主導する 法案に賛同しないことも多々あり,国政の閉塞 状況を生み出してしまうことになってしまう。

 また,内閣による解散という議会への対抗手 段を封じてしまうと議会統治制になってしま う。代表民主制の下では解散権の脅威から逃れ た議会が同時に国民からも乖離しやすいため,

それを防ぐには,議会は国民に従うという構 造を必要とするのである

[

高橋 2010

:

305

]

。無 条件の不信任制度を無条件の解散制度の存在が 議会と内閣に対して,たえず国民の意思へ近 づけようとする動因を与えるのである

[

高橋  2006

:

164

]

 したがって,内閣としては国会を解散して民 意を問う必要がある。そして,内閣のいわば裁 量による解散の法的根拠を憲法69条以外のどこ に求めるか,という問題が残るのである。

第4章 7条の位置づけ 第1節 7条の許容性

 解散権の根拠についての実務は以下のとおり である。1948年の少数内閣である第2次吉田内 閣による自主的な衆議院解散に対しては野党が

(4)

反発したが,結局与野党の妥協で不信任決議 の可決後に衆議院が解散された

(

「なれあい解 散」

)

。その解散の詔書には「日本国憲法第69 条及び第7条により」であった。その後の第3 次吉田内閣では与野党の主張が逆になった。そ のため,1951年から1952年にかけて両院法規委 員会で検討され内閣による自主的解散は肯定さ れた。それを受けて,第3次吉田内閣は1952年 8月28日に69条以外による解散を行った。それ 以降は内閣不信任決議案の可決での解散も含め て,詔書に「第7条により解散する」が続いて いる

[

上田 2008

:

242

-

243

;

長谷部 2008

:

401

;

橋 2010

:

305

;

樋 口 2007

:

382

]

。69条 の 内 閣 不 信任決議案の可決による解散は,1948年12月23 日の第2次吉田内閣,1953年3月14日の第4次 吉田内閣,1980年5月19日の第2次大平内閣そ して1993年6月18日の宮澤改造内閣の4回だけ である。

 学説では,衆議院の解散は69条の場合にだけ 存在するという説

[

小嶋1988

:

83

-

85

]

も存在はす るが少数説である。69条は解散がそれに限定さ れるとは規定していない。69条は内閣が不信任 されたときに総辞職するか解散するかというこ とを定めた規定に過ぎず,不信任された場合し か解散してはならないと定めた規定ではない

[

高橋 2006

:

204

]

。内閣以外の実質的解散権も 含めて,行政権の控除説から導出し解散権は内 閣に属するとする65条説

(

入江俊郎説

)[

入江  1950

:

55

-

60

]

,議院内閣制の本質に根拠を求める 制度説

(

清宮四郎説

)[

清宮 1969

:

383

]

,議院内 閣制を採用し国会を最高機関とする日本国憲法 では衆議院の自律解散が原則となるとする自律 解散説

(

長谷川正安説

)[

長谷川 1952

:

50

-

56

]

そして天皇の国事行為として列挙された7条3

号「衆議院の解散」の規定に求める7条説

(

澤俊義説

)[

宮澤 1968

:

81

]

などが対立してい る。

 65条説は,控除説そのものに議論があるにも 拘らずなんでも行政に入れてしまうことには無 理がある。小嶋和司によって,控除説の前提と しての全国家作用は「国民支配作用」と考える べきであり解散権はそこに含まれないから控除 しても行政には残らないと批判されている

[

嶋 1987

:

437

]

。また,制度説は議院内閣制で あるから内閣に解散権があるとするが,議院内 閣制の定義をめぐる責任本質説を前提にすれば 議院内閣制といえるが,そうすると解散権は必 ずしも必要ではない。ただ,そこにおいて均衡 本質説を前提にすれば,複数の必要条件のうち の解散権が存在するから議院内閣制なのであ り,論理が逆になる。さらに,自律解散説は憲 法41条から導出するものであるが,憲法41条の

「国権の最高機関」については政治的美称説が 有力でありそれと整合しない。加えて,多数者 の意思によって少数者の議員たる地位が剥奪さ れることになるので明文の規定がない以上認め られないこと

[

芦部 2007

:

318

]

等を考えると,

説得力としては弱い。したがって,もし存在す るとしたら,実務が既にしているように7条に 法的根拠を見出すべきということになる。

 憲法は国民主権

(

憲法前文及び1条

)

の裏返 しとして,存置する天皇制を象徴天皇制とし た

(

同1条

)

。それ以外に,皇位の世襲

(

同2条

)

天皇の国事行為の内閣による助言と承認

(

同3

)

,天皇の権能の限界

(

同4条

)

等を定め,大 日本帝國憲法との比較でいうなら遥かに,弱い 天皇制にしたのである。そして,3条及び4条 を受けて,天皇の国事行為を7条で列挙してい

(5)

(5)。7条3号「衆議院の解散」だけを法的根 拠として,すなわち本稿第2章最後の峻別にし たがうと,7条3号を根拠として実質的解散権 を内閣がもち内閣の裁量としての解散が認めら れるか否か,ということが問題になるのであ る。

  判 例 は,1987年 名 古 屋 高 裁 は 衆 参 同 日 選 挙について国会の裁量の問題である

[

行集  1987

:

275

]

とし,1955年最高裁は苫米地事件に ついて「直接国家統治の基本に関する高度に政 治性のある国家行為のごときは,たとえそれが 法律上の争訟となり,これに対する有効無効の 判断が法律上可能性である場合であっても,か かる国家行為は,裁判所の審査権の外にあり,

その判断は主権者たる国民に対して政治的責任 を負うところの政府・国会等の政治部門の判断 に委ねられ,最終的には国民の政治判断に委ね られているものと解するべきである」とし,統 治行為論を用いている

[

民集 1960

:

1260

]

 7条解散説も厳密には2つの学説に分かれ る。天皇の国事行為としての解散は形式的・儀 礼的な表示行為に限定されるため実質的決定権 は「助言と承認」を通して内閣にあるとする説 と,本来政治的なものであるとしても天皇は 拒否権をもたないため結局内閣の「助言と承 認」に拘束されると解する説である。7条解散 説の代表的な学説である宮澤説はいずれにせ よ内閣が「助言と承認」を行うことから,解 散の実質的決定権は内閣にあるとする

[

宮澤  1978

:

115

]

。芦部信喜によれば,7条説が慣習 法化されたとみることもできるのである

[

芦部  2007

:

50

]

 憲法3条1項では「天皇の国事に関するす べての行為には,内閣の助言と承認を必要と

し,内閣が,その責任を負ふ」とあり,憲法4 条1項には「天皇は,この憲法の定める国事に 関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有 しない」とある。これらから,少なくとも天皇 には,先述の峻別にしたがうと形式的解散権は あっても実質的解散権はない,ということにな る。そして,天皇は儀礼として国事行為を行う のみで,その国事行為の責任は内閣が負う。国 事行為のひとつとして7条3項の「衆議院の解 散」がある。ということは,衆議院総選挙のひ とつの動因として,その責任を負う内閣が解散 する権限ないし権能があるという理解は生まれ るのである。実質的解散権は内閣にあるのであ る。すなわち,憲法69条の場合にはそこに,そ れ以外の場合は7条3号を根拠として実質的解 散権をもつ内閣と,7条3号を根拠として形式 的解散権をもつ天皇の合成行為によって成立す るものといえるのである。したがって,内閣に よる裁量の解散の法的根拠は7条になる。

第2節  7条の要請性

 内閣は衆議院を解散する権限ないし権能があ る。しかし,それには,なお2つの問題がある。

 いつでも何回でも解散してよいのだろうか,

という問題である。誰が首相でも予算や法案の 成立のために国会

(

特に衆議院

)

における自分 の党派の議席をひとつでも多くしたい,そして あわよくば法案の再議決に必要な3分の2以上 の議席が欲しい,と考える。したがって,希望 の議席になるまで何回も解散をしそうである。

 しかし,樋口陽一によれば,議会制史のなか で同じ政府が二度つづけて解散することはいっ たん下ったはずの選挙民の裁定を無視するもの だから許されないと説かれてきたが,憲法は解

(6)

散総選挙の国会召集

(

54条1項

)

と内閣総辞職

(

70条

)

を定め,総辞職後の内閣

(

71条

)

が新内閣 の任命まで引きつづき行う職務は,もっぱら日 常的事務の処理だけに限られるからひきつづい ての二度の解散は起こりうる余地がない,とす る。樋口のいうとおり,総選挙を行えば国会召 集と内閣総辞職そして総辞職後の内閣の職務の 継続は付随するものであり,すなわち一旦総選 挙を行えばその内閣は必ず総辞職しなければな らないため理論上,同じ内閣が二度の解散を行 うことはありえない

[

樋口 2007

:

385

]

 ただ,樋口のいう「同じ政府」「同じ内閣」

という言葉は,議会制史などで使われている同 じ言葉とは内容が異なり,首相ではなく内閣の メンバーのことなのである。樋口のような理論 が通用し普遍化するとするなら,むしろそれは 時の権力者によって悪用されてしまのではない だろうか。たしかにひとりの首相の長期政権で 二度総選挙をしてはいけないなら,政権運営が 硬直化してしまう。しかし,解散を制限なく何 回もしてもよいということではけっしてない。

 憲法施行後すぐに法務庁法制局

(

当時

)

は,

衆議院の解散は天皇の国事行為にあるものであ るが実質的な決定権と責任は内閣にあるもので あり,国会または衆議院が自主的に解散をする ことはできない。しかし,解散は憲法69条の場 合には限定されない,とする

[

朝日1948

.

11

.

14

]

。一方で,保利茂前衆議院議長

(

当時

)

「書簡」

(

1973年7月11日付け

)

において次のと おりに述べている。7条解散は憲法上許される べきであるが内閣が勝手に助言と承認をして解 散できるものではなく,国会が混乱し国政に重 大な支障を与える場合に限定される。また,選 挙前の政策と異なることを選挙後に実行しそれ

が争点となる場合は国民の判断を求めるのが当 然である

[

朝日1979

.

.

21朝

]

。ただし,佐藤 功によって,保利の見解は立法部と行政部の均 衡関係を維持するための非常手段として捉えら れており,内閣統治制におけるマンデート

(

任・授権

)

ではなく,下院の不信任決議にかか わりなく解散権を行使することができる現代イ ギリス型の内閣統治制とも異なる,という解 散観の違いが指摘されている

[

佐藤 1979

:

34

-

35

]

 考えるところ,無制限に解散することは,莫 大な費用がかかるため許されない。しかし,憲 法の運用が国民主権や民主主義を前提としてい る以上,まったくしなくてよいというわけでは ないのである。

 内閣の権限ないし権能による衆議院の解散に おける今ひとつの問題として,先述のことと関 連して,より注視するべきことに,どのような 状況になっても内閣の裁量で解散しなくてもよ いのか,という問題がある。特に,内閣が憲法 69条の不信任決議案の可決後に解散をせず辞任 したりそれとは関係なく自発的に辞任したあ と,同じ党派の人物が選挙を経ずに首相になり 内閣を構成することである。すなわち,本稿第 一章で言及した「たらい回し」である。このよ うな時に新たな首相は解散総選挙をせずにその 地位を保存してよいのであろうか。

 日本国憲法は西欧における市民革命の理論と なった立憲主義の影響を継受した,立憲的意味 の憲法である。したがって,それに則して考え る必要がある。主権は国民にあり,国民の代表 者が集う国会は政治的代表が集う場であった。

そこでの代表者は各選挙区ないし後援団体など 特定の選挙母体の代表ではなく,全国民の代表

(7)

であるとされた。命令的委任は禁止され自由委 任であったのである。

 しかし,政治的代表だけの意味だけの時は,

国民の意思と代表者の意思との乖離があっても 問題にならなかったが,第二次大戦後は社会学 的代表という意味も加味して考えられるように なった。すなわち経済発展や価値観の多元化と いう状況に対して,国民と代表者の意思との類 似性,すなわち社会学的代表観が必要とされる ようになったのである(6)

 確かに,社会学的代表観は主に国会における 議員に対して求められるものである。しかし,

立憲的意味の憲法において国民主権から導出さ れる代表制に,議院内閣制における首相も国民 が国会議員を選び,国会議員が首相を選ぶため 間接的ながらも代表制に含まれ,そしてその首 相を首長とする内閣にも社会学的代表としての 役割も求められるのである。

 内閣も社会学的代表でもあるから,国民の意 見がすべて正しいという前提でそれらを受け入 れねばならないということではない。むしろ国 民の意見が間違っている場合,説得の努力を し,それを確かめるために解散をするべきであ る。すなわち,内閣もつねに世論の動向を気に しつつ,状況により憲法7条のみによって衆議 院を解散すること,何より最低でも総選挙を経 験しない内閣はまず解散を経て国民の信を問う べきであることが,むしろ憲法上の要請に転化 するのである。許容されるとする説から積極的 に要請されるという説に変容したのである。

第5章 結語

 菅首相は安倍内閣,福田内閣そして麻生内 閣がすべて選挙を経ることなく短期間だった

ことについて,自ら著書の中で「政策的に行 き詰まったり,スキャンダルによって総理が内 閣総辞職を決めた場合は,与党内で政権のたら いまわしをするのではなく,与党は次の総理候 補を決めたうえで衆議院を解散し,野党も総理 候補を明確にしたうえで総選挙に挑むべきだろ う」と述べている

[

菅 2009

:

75

]

。それと現実 との乖離については谷垣自民党総裁から衆議院 本会議において「言行不一致」と指摘されてい る

[

衆議院 2010

.

6

.

14

]

。著書のとおりを考える なら,鳩山首相が辞任するときに,民主党とし て次期首相候補を立てて衆議院の解散総選挙す るべきだったのである。総論賛成,各論反対は 通用しない。現在の状況は憲法違反である。即 刻,衆議院を解散して総選挙を行うべきなので ある。

〔投稿受理日2010.11.20/掲載決定日2011.1.27〕

⑴ 参議院本会議・興石東発言[参議院 2007.10.

4],参議院本会議・水戸将史発言[参議院 2009. 3.4],衆議院本会議・高山智司発言[衆議院  2009.3.4],衆議院本会議・鳩山由紀夫発言[衆 議院2009.7.14]など。

⑵ 1950年までは衆議院議員選挙法,参議院議員選 挙法,地方自治法の選挙規定の運用によった。

⑶ 国会では「召集」(憲法54条1項及び国会法1条 以下等)を使用し,地方議会では「招集」(地方自 治法101条)を使用する。

⑷  責 任 本 質 説 と 均 衡 本 質 説 は そ れ ぞ れ 一 元 論

(monisume)と二元論(dualisme)にほぼ対応する。長

谷部恭男によれば,責任本質説と均衡本質説は一 元論と二元論に対応するが,(イギリスで概して発 達した議院内閣制に対して)フランスでいうところ の一元論と二元論はかならずしも標識論とは直結 していないとする[長谷部 2008:376-378]。

⑸ 7条のほかに6条例示の2つに加えて,4条2 項の「国事行為の委任」も国事行為であるとする 説がある。日本国憲法が弱い天皇制の存置を考え

(8)

れば,13個と限定した方が筋がはっきりする。

⑹ モーリス・デュヴェルジェ(Maurice Duverger) は, 比 例 代 表 制 を 契 機 と し た 時 に,「法 学 的 代 表 」(représentation juridiwue)か ら 社 会 学 的 代 表 (représentation sociologique)へ の 変 遷 と と ら え る [金子ほか 2008:508]。そこでは「政治的代表」

は法学的領域において形成されたため,「法学的 代表」からなのである[高橋1986:389-399;高橋  1994:213]。

参考文献

朝日新聞1948年11月14日朝刊。

――1979年3月21日朝刊。

――2010年6月5日朝刊。

――2010年6月9日朝刊。

――2010年7月12日朝刊。

――2010年9月18日朝刊。

芦部信喜高橋和之補訂[2007]『憲法第四版』(有斐 閣)。

入江俊郎[1950]「解散と憲法の規定(2・完)」『法律 時報22巻2号』(日本評論社)。

上田健介[2008]「衆議院解散権の根拠と限界」大石 眞ほか編『憲法の争点』(有斐閣)。

金子宏ほか[2008]『法律学小辞典 第4版補訂版』(有 斐閣)。

菅直人[2009](初出1998)『大臣 増補版』(岩波書店)。 清宮四郎[1969]『憲法の理論』(有斐閣)。

小嶋和司[1987]『憲法概説』(良書普及会)。

――[1988]『憲法と政治機構』(木鐸社)。

行集[1987] 最高裁判所『行政事件裁判例集38巻2= 3号』。

佐藤功[1979]「解散権乱用の戒め―保利茂氏の遺稿」

『法学セミナー292号』(日本評論社)。 参議院本会議会議録2007年10月4日。

――2009年3月4日。

衆議院本会議会議録2009年3月4日。

――2009年7月14日。

――2010年6月14日。

高橋和之[1986]『現代憲法理論の源流』(有斐閣)。

――[1994]『国民内閣制の理念と運用』(有斐閣)。

――[2006]「第15 内閣」[2006]野中俊彦ほか編『憲 法Ⅱ[第4版]』(有斐閣)。

――[2010]『立憲主義と日本国憲法 第2版』(有斐 閣)。

辻村みよ子[2008]『憲法 第3版』(日本評論社)。 長谷川正安[1952]「解散論争の盲点――佐藤功氏の

所説を契機として」『法律時報24巻7号』(日本評 論社)。

長谷部恭男[2008]『憲法 第4版』(新世社)。 樋口陽一[2007]『憲法 第三版』(創文社)。

樋口陽一ほか編[2000]『日本国憲法資料集 第4版』

(三省堂)。

藤井俊夫[2009]『憲法と政治制度』(成文堂)。

宮澤俊義[1968]『憲法と政治制度』(岩波書店)。

――芦部信喜補訂[1978]『コンメンタール日本国憲 法』(日本評論社)。

民集[1960]最高裁判所『最高裁判所民事判例集14 巻7号』。

読売新聞2010年6月5日朝刊。

――2010年6月9日朝刊。

――2010年7月12日朝刊。

――2010年9月15日朝刊。

――2010年9月18日朝刊。

参照

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