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全文

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河川整備基金助成事業

「河川事業(治水・利水)に関わる祭祀について

の風土工学的研究」

助成番号:22-1216-001

特定非営利活動法人 風土工学デザイン研究所

平成22年度

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河川事業(治水・利水)に関わる祭祀についての風土工学的研究 目次

1.はじめに

1.1 調査研究の目的 ... 2 1.2 調査研究の方法 ... 2

2.治水・利水に関わる祭祀事例の収集

2.1 文献調査 ... 3 2.2 ネット調査 ... 4 2.3 現地調査 ... 6 2.4 治水・利水に関わる祭祀事例の調書化 ... 6 2.5 治水・利水に関わる祭祀事例リスト ... 8 2.6 治水・利水に関わる祭祀事例の概要 ... 11

3.治水・利水に関わる祭祀事例の分類

3.1 祭祀の都道府県別の分類 ... 78 3.2 祭祀の起源(年代別)の分類 ... 79 3.3 祭祀対象の分類 ... 81 3.4 祭祀対象の功績による分類 ... 84 3.5 祭祀形態(神社)の分類 ... 87 3.6 祭りの開催月別の分類 ... 90

4.治水・利水に関わる祭祀の風土工学的評価

4.1 祭祀対象に対するキャッチフレーズの付与 ... 95 4.2 祭祀事例の名数化評価 ... 97 4.3 祭祀対象のポテンシャル評価 ... 109

5.治水・利水に関わる祭祀の風土工学的考察

5.1 調査結果からの考察∼河川と祭祀の関係性 ... 113 5.2 治水・利水に関わる祭祀の河川事業への風土工学的展開 ... 114

6.今後の課題

... 115 【添付資料】 治水・利水に関わる祭祀調書

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1.はじめに

1.1 調査研究の目的 河川とは、人々に恵みの水をもたらす源であると同時に、水害等を引き起こす人智を超 えた脅威でもあった。それゆえに、先人たちの治水・利水事業の事績と相まって、水防意 識の啓蒙や水利への感謝、河川技術者の事蹟を顕彰する等の祭祀が全国で行われた。 各祭祀は目的や対象を異にしているが、そこには先人の河川・水に対する祈りが込めら れている。本研究では、それらの祭祀事例を全国的に調査収集し、分類・整理し、風土工 学的な視点から評価検討を行い、川・水にまつわる祭祀に秘められた先人たちの思いをす くい取り、現代の河川事業へフィードバックして考察することを目的とする。 1.2 調査研究の方法 治水・利水に関わる祭祀事例の調査収集方法としては、地名辞典及び郷土資料などによ る文献調査と、インターネット上の情報から収集するネット調査によることとする(一部、 特徴的な事例に対しては現地調査を行う)。 収集した祭祀事例については、治水・利水に関わる祭祀調書に文献からの引用箇所を示 し、さらに祭祀場所(神社・祠等)が特定できる場合は、その位置図を示す。 収集した祭祀事例については、祭祀事例リストに整理する。 とりまとめた祭祀事例調書及び祭祀事例リストを元に、祭祀についての分類を行い、風 土工学的評価を行い、さらに河川事業への展開を見据えた風土工学的考察を行うこととす る。 文献調査 ネット調査 祭祀事例の調査収集 祭祀事例の整理 ・祭祀事例調書 ・祭祀事例の概要 祭祀事例の評価 ・キャッチフレーズの付与 ・名数化評価 ・ポテンシャル評価 祭祀事例の風土工学的考察 祭祀事例の分類 ・祭祀事例リスト

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2.治水・利水に関わる祭祀事例の収集

2.1 文献調査 治水・利水に関わる祭祀事例を調査収集するに当り、文献調査を行った。 以下にその文献一覧を示す。 文 献 一 覧 書籍名 著者・編者 発行 出版 角川日本地名大辞典 2 青森県 「 角 川 日 本 地 名 大 辞 典 」 編 纂 委員会 竹内理三 角川書店 1985.12 角川日本地名大辞典 5 秋田県 「 角 川 日 本 地 名 大 辞 典 」 編 纂 委員会 竹内理三 角川書店 1980.3 角川日本地名大辞典7福島県 「 角 川 日 本 地 名 大 辞 典 」 編 纂 委員会 竹内理三 角川書店 1981.3 角川日本地名大辞典 24 三重県 「 角 川 日 本 地 名 大 辞 典 」 編 纂 委員会 竹内理三 角川書店 1983.6 角川日本地名大辞典 40 福岡県 「 角 川 日 本 地 名 大 辞 典 」 編 纂 委員会 竹内理三 角川書店 1988.3 角川日本地名大辞典 43 熊本県 「 角 川 日 本 地 名 大 辞 典 」 編 纂 委員会 竹内理三 角川書店 1987.12 角川日本地名大辞典 44 大分県 「 角 川 日 本 地 名 大 辞 典 」 編 纂 委員会 竹内理三 角川書店 1980.11 日本歴史地名大系 5 秋田県の地 名 平凡社地方資料センター 平凡社 1980.6 日本歴史地名大系 7 福島県の地 名 平凡社地方資料センター 平凡社 1993.6 日本歴史地名大系 8 茨城県の地 名 平凡社地方資料センター 平凡社 1982.11 日本歴史地名大系 22 静岡県の 地名 平凡社地方資料センター 平凡社 2000.10 日本歴史地名大系 24 三重県の 地名 平凡社地方資料センター 平凡社 1983.5 日本歴史地名大系 41 福岡県の 地名 平凡社地方資料センター 平凡社 2004.10 日本歴史地名大系 45 大分県の 地名 平凡社地方資料センター 平凡社 1995.2 日本歴史地名大系 44 熊本県の 地名 平凡社地方資料センター 平凡社 1985.3 江戸時代 人づくり風土記 2 ふ るさとの人と知恵 青森 牧 野 昇 ・ 会 田 雄 次 ・ 大 石 慎 三 郎 ( 社 ) 農 山 漁 村 文化協会 1992.6 江戸時代 人づくり風土記 3 ふ るさとの人と知恵 岩手 牧 野 昇 ・ 会 田 雄 次 ・ 大 石 慎 三 郎 ( 社 ) 農 山 漁 村 文化協会 1992.9 江 戸 時 代 人 づ く り 風 土 記 21 ふるさとの人と知恵 岐阜 牧 野 昇 ・ 会 田 雄 次 ・ 大 石 慎 三 郎 ( 社 ) 農 山 漁 村 文化協会 1992.9 江 戸 時 代 人 づ く り 風 土 記 22 ふるさとの人と知恵 静岡 牧 野 昇 ・ 会 田 雄 次 ・ 大 石 慎 三 郎 ( 社 ) 農 山 漁 村 文化協会 1990.2 江 戸 時 代 人 づ く り 風 土 記 23 ふるさとの人と知恵 愛知 会 田 雄 次 ・ 大 石 慎 三 郎 ・ 林 英 夫 ( 社 ) 農 山 漁 村 文化協会 1995.11 郷 土 を 救 っ た 人 び と ― 義 人 を祀る神社― 神社新報社 神社新報社 1981.5 水 土 を 拓 い た 人 び と ― 北 海 道 か ら 沖 縄 ま で わ が ふ る さ と の 先達 「 水 土 を 拓 い た 人 び と 」 編 集 委員会 ( 社 ) 農 山 漁 村 文化協会 1999.8 明治以前日本土木史 土木学会 岩波書店 1973.12 湖 水 の 文 化 シ リ ー ズ 第 3 巻 湖畔に刻まれた歴史 竹林征三 山海堂 1996.12 富士市史 上巻 富士市史編纂委員会 富士市 1969.11 伝えたいふるさとの 100 話 「伝えたいふるさとの 100 話」 選定委員会 財 団 法 人 地 域 活 性化センター 2004.2 大 日 本 地 名 辞 書 第 四 巻 増 補 西国 吉田東伍 富山房 1971.6

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4 南幌 2004.12 月号 南幌町 南幌町 2004.12 岩木町誌 岩木町 1972 角川日本地名大辞典 CD-R 『 角 川 日 本 地 名 大 辞 典 』 編 纂 委員会 角川書店 2002 鬼 怒 川 ・ 小 貝 川 水 と 暮 ら し ― 利 用 の 仕 組 み と 環 境 の 再 生 ― 鬼 怒 川 ・ 小 貝 川 流 域 を 語 る 会 会長 永瀬純一 高田印刷 2002 信玄堤 竜王町役場産業課 竜王町 2002 日 本 歴 史 地 名 大 系 19 山 梨 県 の地名 平凡社地方資料センター 平凡社 1995.11 球磨郡誌 球磨郡教育支会 名著出版 1979 2.2 ネット調査 治水・利水に関わる祭祀事例を調査収集するに当り、インターネット上の情報収集も行 った。以下に参照したホームページの一覧を示す。 ホームページ一覧 ホームページ名 アドレス 富士市 http://www.city.fuji.shizuoka.jp/hp/page000010700/hpg000010 684.htm 神 社 探 訪 狛 犬 見 聞 録・注連縄の豆知識 http://5.pro.tok2.com/ tetsuyosie/okinawa/nahasi/yoji/yoji. html 続・竹林の愚人 http://bittercup.blog81.fc2.com/blog-date-20080818.html 酔牛庵 http://homepage1.nifty.com/akabeko/magobei.htm 富士おさんぽ見聞録 http://iiduna.blog49.fc2.com/blog-entry-76.html ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/ カミタク・ブログ http://kamitaku.cocolog-nifty.com/rock/2010/04/post-81fb.ht ml しずおか木使い net http://kizukai.pref.shizuoka.jp/mokumoku/h_history.html 居酒屋なんじゃろか http://nanjaroka.jp/siseki/sugiyasuizeki/index.html I Love Asia http://www.a-eda.net/asia/hatta1.html

国 土 交 通 省 浜 松 河 川 国 道事務所 http://www.cbr.mlit.go.jp/hamamatsu/story_tenryu/story02.ht ml 財 団 法 人 地 域 活 性 化 セ ンター http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/1_all/jirei/100furusa to/html/furusato047.htm 中日新聞 http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20100520/CK20100 52002000145.html CITY WALKER〈 静 岡 発 ウ ォーキング情報〉 http://www.c-walk.com/tokaido/shiseki/04yosiwa/04suijin.htm l 美須麻流之珠 http://www.geocities.jp/huckbeinboxer/tatebayasi.html FinePix の旅 http://www.geocities.jp/meishi_99/album/18_alb_yamN_omiyuki san.htm 中村美彦の無頼放談 http://www.hbc.co.jp/tv/burai/index.html 社 団 法 人 弘 前 観 光 コ ン ベンション協会 http://www.hirosaki.co.jp/images/kanko/2010/yomiya.PDF 北舘神社 http://www.k5.dion.ne.jp/ kitadate/ 北上川水系 http://www.kasen.net/hito/kawamura/index.htm まちあるきの考古学 http://www.koutaro.name/machi/fukuchiyama.htm 水土里ネット杭止堰 http://www.kuitozeki.com/page3.html 京都府神社庁 http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/19/057/ 農林水産省 http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_kakuti/60_ko dama/index.html 宮 崎 県 土 地 改 良 事 業 団 体連合会 http://www.midorinet-miyazaki.com/21seiki/21_history.html 鹿 児 島 県 土 地 改 良 事 業 団体連合会 http://www.minc.ne.jp/dokairen/scrapbook/monument/monument_ vol002.html 国土交通省 http://www.mlit.go.jp/river/pamphlet_jirei/kasen/rekishibun ka/kasengijutsu11.html 虫 プ ロ ダ ク シ ョ ン 株 式 http://www.mushi-pro.co.jp/patten1.html

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5 会社 青 森 ね ぶ た 祭 実 行 委 員 会事務局(社)青森観光 コンベンション協会 http://www.nebuta.or.jp/archive/ogata/h21/aikokai.html 一 般 社 団 法 人 延 岡 観 光 協会 http://www.nobekan.jp/great_man/hujie/hujie.html おおいた情報大事典 http://www.oab.co.jp/daijiten/backnumber/04_08.html 近江の城郭 http://www.oumi-castle.net/takeda_yukari/tutumi.html 青森県庁 http://www.pref.aomori.lg.jp/koho/mailmag/00064.html 国 土 交 通 省 北 海 道 開 発局札幌開発建設局 http://www.sp.hkd.mlit.go.jp/kasen/09kawazukuri/02seibikeik aku/10kaigi1/pdf/genti4-5.pdf 青森県藤崎町役場 http://www.town.fujisaki.aomori.jp/furusatoshisekisanpo.pdf 新潟県関川村 http://www.vill.sekikawa.niigata.jp/info/sogo/taisitamonjya /index.html 愛知県海部郡飛島村 http://www.vill.tobishima.aichi.jp/syoukai/tsugane.html 株 式 会 社 夕 刊 デ イ リ ー新聞社 http://www.yukan-daily.co.jp/news.php?id=484 悠 々 フ ァ ー ム せ な り ー 農園 http://www11.ocn.ne.jp/ senari/furoku1.htm 揆 奮 館 流 武 術 修 錬 会 事 務局 http://www9.ocn.ne.jp/ kihunkan/7ihm340.htm 悠歩悠遊 http://yuhoyuyu.sakura.ne.jp/course/cn131/index.html 夕 張 シ ュ ー パ ロ ダ ム 総 合建設事務所 http://www.sp.hkd.mlit.go.jp/kasen/08isiken/02genba/33yubar i/history.html 池辺小 HP http://www.ip.mirai.ne.jp/ ikbes/chiiki/izin/yamada/yamada. htm うつくしま電子辞典 http://www.shidou.fks.ed.jp/jiten/ 百街道一歩の道中記 http://hyakkaido.travel.coocan.jp/iwakisoumakaidou8iwakitai rahisanohama.htm 水土里ネット愛谷堰 http://www8.plala.or.jp/aiya/aiyasekitotikairyouku/aiyaseki .htm 全国疏水名鑑 http://www.inakajin.or.jp/sosui/ibaraki/a/611/history.html 郷 土 を 救 っ た 人 々 − 義 人を祀る神社− http://www.genbu.net/tisiki/gijinkanto.htm 栃木県の風景 http://10.pro.tok2.com/ a11234842/996.mibumati.tera.koukouj i.html 中部地方整備局 http://www.cbr.mlit.go.jp/kisokaryu/bunko/6/6-4.htm 見沼代用水土地改良区 http://www.minuma-daiyosui-lid.or.jp/index.html 横須賀市 http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/0130/g_info/l100050632 .html 久里浜観光協会 http://www.kurihama.info/images/news20101211sunamurashinnza emonnsai.pdf コトバンク http://kotobank.jp/ 朝穂ぜき http://www.ypec.ed.jp/webkyou/segi/hira.htm#hira 八ヶ岳歩こう会 http://www.pairhat.jp/aruku/walk501.htm

Map Fan web http://www.mapfan.com/

夢結びの社 http://www.yumemusubi.com/mori/jinja/=suibun/tsu.htm 京都府神社庁 http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/19/057/ 高松市の神社 http://kagawa.bine.jp/jinnjya/takamatu/178_360tikir/360tiki .html 丸亀市(旧飯山町)の神社 http://kagawa.bine.jp/jinnjya/hanzan/51tobi/51tobi.html くるめもん http://kurumenmon.com/kitanomati/ozekijinjya/ozekijinjya.ht ml 古賀河川図書館 http://koga.mymy.jp/entry90.html#label26 立野ダム工事事務所 http://www.qsr.mlit.go.jp/tateno/shirakawa/kiyomasako.html 加藤神社 http://www.kato-jinja.or.jp/ 宇 佐 百 景 あ い う え お い で! http://www.interweb.ne.jp/ usaryouin/hyakkei/usa31.html 水土の礎 http://suido-ishizue.jp/kokuei/kyushu/oita/yakkangawa/0108. html

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6 2.3 現地調査 祭祀事例について、特徴的な事例に対しては現地調査を行った。青森県にある人柱伝説 が伝わる二神社、及び山梨県の治水の神である武田信玄ゆかりの神社等である。 調査日 調査場所 平成 22 年 12 月 3 日 青森県:杭止神社(川崎権太夫の人柱伝説が伝わる)、福田宮堰神 社(堰八太郎左衛門安高の人柱伝説が伝わる) 平成 23 年 1 月 12 日 山梨県:古宮水神宮(平岡次郎右衛門和由を祀る)、三社神社(お みゆきさんゆかりの神社、武田信玄、信玄堤)、桜井孫兵衛・山口 素堂生祠(濁川改修) 2.4 治水・利水に関わる祭祀事例の調書化 上記の方法により調査・収集した治水・利水に関わる祭祀事例について、治水・利水に 関わる祭祀調書として取りまとめる。 分類の欄には、都道府県、起源年代、祭祀形態、功績を記入する。 ・都道府県……祭祀場所及び功績のあった地域の属する都道府県。 ・起源年代……祭祀が行われ始めた時期。 ・功績……祭祀対象が行った事績。治水、利水、紛争解決、治山、人柱等。 概要の冒頭に祭祀対象についてのキャッチフレーズを付与する(4.1 の結果を挿入する)。 引用した資料及びホームページ名と共にその引用文を掲載する。 祭祀事例についてその祭祀形態(神社、寺等)の所在地が分かれば、その位置図を挿入 する。位置図は、「Map fan web」(地図サイト)を参考に作成する。

治水・利水に関わる祭祀調書のフォーマットは、次ページに示す。

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7 治水・利水に関わる祭祀調書 都道府県 起源年代 祭祀形態 功績 治水・利水に関わる祭祀対象 参照コード □□県 明治 △△神社 治水・利水 〇〇 〇〇 0-00 (概 要) ― キャッチフレーズ ― 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇引用文〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇。 (『資料名』P〇〇) 文献資料 参考:引用資料 引用ホームページ等 写真・図等 位置図

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8 2.5 治水・利水に関わる祭祀事例リスト 調査・収集した治水・利水に関わる祭祀事例 83 例について、リストに整理する。リス トは都道府県順に整理する(No.は調書の参照コードに対応している)。 以下にそのリストを示す。 No. 都道府県 祭祀対象 祭祀形態及び祭祀会場 祭り 1 北海道 青木利一 出雲神社 春祭:4 月 7 日、秋祭:9 月 7 日 2 北海道 保原元二 義経神社 治水感謝祭:7月1日 3 青森県 川崎権太夫 杭止神社 満水祈願祭:4 月 26 日 4 青森県 堰八太郎左衛門安高 福田宮堰神社 例大祭:4 月 14 日 5 宮城県 川村孫兵衛重吉 重吉神社 重吉神社祭:8 月 2 日 普誓寺(川村孫兵衛翁 の墓) 川村孫兵衛翁墓前供養 祭:8 月 2 日 縄張神社 縄張神社祭:8 月 2 日 住吉神社 川村孫兵衛翁報恩供養 祭:8 月 2 日 住吉公園内川村孫兵衛 紀功碑前 川開き祭典:8 月 2 日 日和山重吉像前 川村孫兵衛翁報恩祭:8月 2 日 6 宮城県 山田貞策 山田神社 例祭:3 月 23 日 7 秋田県 渡部斧松 渡部神社 渡部斧松生誕祭:12 月 5 日 8 山形県 北舘大学助利長 北舘神社 春季講社大祭:5 月 2 日 秋季講社大祭:9 月 2 日 9 山形県 白井矢太夫 白山神社 例祭:5 月 1 日 10 山形県 梅澤運平藤原綱利 梅澤山神社 例祭:4 月 17 日 11 福島県 古河善兵衛重吉 西根神社 春季例祭:4 月 27 日、夏 季例祭:8 月 14 日、秋季 例祭:9 月 14 日 佐藤新右衛門家忠 12 福島県 沢村勘兵衛為勝 沢村神社 13 福島県 三森治右衛門光豊 水守神社 例祭:5 月 17 日 14 茨城県 伊奈半十郎忠治 伊奈神社 例祭:4 月 18 日 15 茨城県 谷君雄 谷神社 16 群馬県 大谷休泊 大谷神社 17 埼玉県 井沢弥惣兵衛為永 常福寺 井澤祠 18 神奈川県 砂村新左衛門 ― 砂村新左衛門祭:12 月 15 日直近の土曜日 19 神奈川県 二宮尊徳 報徳二宮神社 神徳景仰祭:9 月第 3 日 曜日 尊徳記念館 尊徳祭:10 月 20∼21 日 20 新潟県 堀勘五郎 勘五郎神社 例祭:8 月 27 日 21 富山県 沢田清兵衛 川原神社 22 石川県 桜井三郎左衛門 額神社 英祭(岸川祭):6 月 13 23 石川県 板屋兵四郎 板屋神社 板屋神社春季祭:4 月 18 日 24 石川県 枝権兵衛 水戸明神社 水戸明神春季祭:5 月下 旬、水戸明神秋季祭:9 月下旬 小山良左衛門 25 山梨県 平岡勘三郎 浄居寺 玄空様の祭り 26 山梨県 平岡次郎右衛門和由 古社水神宮

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9 27 山梨県 武田信玄(信玄堤) 三社神社 おみゆきさん(大神幸 祭):4 月 15 日 28 山梨県 桜井孫兵衛 桜井孫兵衛・山口素堂生祠 ― 山口素堂 29 長野県 市川五郎兵衛 真親神社 9 月 9 日(命日):遠忌 法要、初夏:水利感謝祭、 秋:除風祭 30 長野県 長坂織部正重清 山水元神社 31 長野県 部奈団蔵宗 生魂水神社 例祭:6 月 30 日、11 月30 日 32 岐阜県 平田靱負 治水神社 春季例祭(薩摩義士慰霊 祭):4 月 25 日、秋季例 祭(薩摩義士慰霊祭): 10 月 25 日 33 岐阜県 喜田吉右衛門 井神社 例祭:8 月 1 日 林幽閑 柴山伊兵衛 34 岐阜県 伊藤伝右衛門 鵜森神社(白山比売神 社) 35 静岡県 古郡三代(重高・重政・ 重年) ― かりがね祭り:10 月第1 土曜 36 静岡県 道丁(人柱) 護所神社 例大祭:7月中旬 37 静岡県 友野与右衛門 他 芦ノ湖水神社(蘆湖水 神社) 例大祭:8 月 1 日 38 静岡県 紅林次郎右衛門 小田神社 例祭:旧暦 9 月 9 日 39 静岡県 三浦刑部 井成神社 例祭:4 月第 1 日曜日 40 静岡県 中條右近 井宮神社 例祭:1 月 23 日 41 静岡県 松岡萬 松岡神社(池主神社) 祭礼:4 月 17 日 42 静岡県 金原明善 明善神社 43 静岡県 殉職した 72 人の霊 井川神社 井川ダム祭り:11 月 3 日 44 静岡県 殉職した 96 人の霊 ― 佐久間ダム祭り:10 月最 終日曜日 45 愛知県 田中勘七郎 他 伊佐雄神社 例祭:10 月 18 日 46 愛知県 都築弥厚 他 明治川神社 例祭:4 月 18 日 47 三重県 加納直盛 美波多神社(加納神社) 加納祭:12 月 7 日 48 三重県 松井孫右衛門 松井神社 例祭:8 月 25 日 49 三重県 山中為綱 高岡神社 山中為綱顕彰の祭典:4月 10 日 50 三重県 西島八兵衛 水分神社 例祭:3 月 19 日 51 京都府 由良川の堤防(御神体) 堤防神社 堤防祭り:8 月 15 日 52 大阪府 高島伊太郎 佐和良義神社の末社の 水神社 例祭:4 月 12 日 53 鳥取県 安藤伊右衛門 弁天宮 弁天祭り(安藤祭り):9 月の最終土曜日 54 島根県 大梶七兵衛朝泰 大梶神社 例祭:4 月 29 日 55 広島県 甚五郎 甚五郎神社 例祭:10 月 10 日 56 香川県 太田伊衛門典徳 豊水分霊神社 水神祭・例祭・墓前祭: 5 月 7 日 57 香川県 久保太郎右衛門 大久保神社 例祭:9 月 17 日 大久保主計 58 香川県 いわざらこざらの乙女 滕(ちきり)神社 春大祭:5 月第二日曜日、 秋大祭:10 月第二日曜日

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10 59 香川県 矢延平六 高須神社(池の宮神社、 新池神社) ひょうげ祭り:9月第二 日曜日 飛渡神社 例祭:6 月(池の閘抜の 日) 60 香川県 加地茂治郎 豊稔池守護神 水神祭:4 月初旬 61 香川県 西島八兵衛 松崎神社(神野神社境 内社) ― 62 愛媛県 安藤惣之進 水矛大権現 水矛権現祭:6 月 13 日 63 愛媛県 竹内立左衛門 嘉母神社(早苗神社) 例祭:4 月 10 日 64 高知県 白石道珀 道珀神社 旧正月・5 月・9 月の第三日曜日 65 福岡県 田代弥三左衛門 田栄神社 例祭:4 月 14 日 66 福岡県 草野又六 他 大堰神社 大堰神社水天宮祭:5 月 5 日 67 福岡県 栗林次兵衛 他 長野水神社 例祭:4 月 8 日 68 佐賀県 成富兵庫茂安 白石神社 成富兵庫茂安公時代ま つり:11 月 28 日(2009)、 10 月 16・17 日(2010) 69 熊本県 大野十左衛門一隆 大野神社 例祭:1 月 6 日 70 熊本県 木倉太郎兵衛 古閑原守護神社 例祭:4 月 25 日、9 月 25 日(井手・平蔵祭り) 光永平蔵憔詳 71 熊本県 高橋政重 多良木菅原神社 例祭:10 月 25 日 72 熊本県 鹿子木量平 文政神社 例祭:4 月 14 日 73 熊本県 加藤清正 加藤神社 清正公まつり:7 月第 4日曜日(土曜日前夜祭) 74 熊本県 布田保之助 布田神社 ― 75 大分県 南一郎平 南尚神社 10 月初旬:井手祭り 76 大分県 お鶴・市太郎母子 八幡鶴市神社 鶴市花傘鉾祭り:8 月下 旬の土日 77 大分県 垣田幾馬 通水記念碑前 水恩祭:4 月 10 日 78 大分県 工藤三助 三助廟 ― 79 宮崎県 松井五郎兵衛儀長 松井神社 ― 80 宮崎県 児玉久右衛門 杉安井堰改築之碑 児玉久右衛門慰霊祭:11 月の大安吉日 81 宮崎県 藤江監物 出北観音堂 出北観音祭:9 月下旬∼10 月上旬 82 鹿児島県 山田昌巌 出水小学校前広場 出水麓まつり:11 月第 1 土曜日 83 沖縄県 蔡温 世持神社 世持神社感謝祭:10 月10 日

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11 2.6 治水・利水に関わる祭祀事例の概要 前項までに取りまとめた治水・利水に関わる祭祀調書(別添資料)を元に、各都道府県 ごとにその内容の概要について以下に整理する。 内容の概要については、①祭祀対象、②祭祀対象の功績、③祭祀形態、④祭祀の起源の 各項目について整理した。 1 北海道 (1)青木利一 ①祭祀対象 青木利一 1853(嘉永 6)年∼1931(昭和 6)年。岐阜生まれ。旧菊亭農場の支配人であり、かつ 1902(明治 35)年に設立された岩見沢川向土功組合の指導者。 ②祭祀対象の功績 水田造成事業の先駆者(利水)。道産米 450 万トンの礎を築く。 1906(明治 39)年、青木は後志支庁管内の倶知安村で畑 230 ヘクタールを買い入れ、用 水路工事を行なって水田に変えた。ついで 1908(明治 41)年、深川村の土功組合に参画し た。ここでは 1896(明治 29)年、一己の屯田兵、伊藤兼太郎が稲の試作に成功しており、 10 アール当たり 300 キログラムの成績をあげていた。これに刺激され、次年度に水田耕作 者が 29 戸を数え、いずれも成功を収めていたので、農家は競って水田を造成するようにな った。 こうした中にあって、水利の合理的な計画が必要とされ、組合設立の気運が高まった。 紆余曲折があったものの、青木は地主会から水利委員に指名された。水利委員になった青 木は、渉外の仕事ばかりでなく、いっさいの事務を引き受け、資金の調達にも駆けめぐっ た。 この事業は 5000 ヘクタールの大面積であり、大事業である。青木は、成功までの四年間 一日も休まず、昼夜草鞋履きで奔走した。人々は、清潔で誠実に仕事に打ち込む青木の姿 に頭を下げたものであった。青木は自分の小作人をかわいがり、毎年家に招待して馳走し たり、家庭の円満な小作人に金品を贈ったりした。また、学校や組合、農業試験場にもた びたび寄付をした。財政が思うにまかせない菊亭家へ自分の畑を 17 ヘクタール贈るなど、 おごることのない生活が、人々の信望を厚いものとした。この青木の努力と善行に対して、 各方面から感謝状、表彰状、勲章、記念碑が贈られている。 ③祭祀形態 出雲神社 北海道岩見沢市西川町。明治 25 年青木利一らが入植。明治 42 年 4 月 1 日出雲神社を 創祀。通称「青木神社」。 「明治 25 年青木利一氏を始め岐阜県人十戸が開墾に着手したのが始めで、明治 42 年 4 月 1 日出雲神社を設立し尊崇した。本殿別棟拝殿八坪の社殿を造営し、亀甲大の社紋

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12 を提灯・幕等に記す。二代目青木三哉氏より境内地 643 坪の提供を受け更に石狩川の銘 石二個を参道に配し、其の自然美を誇る等、農場の隆盛と共に盛大となった。創設者・ 青木利一氏、二代目三哉氏の遺徳を将来に仰ぐ為記念彰徳碑を建て、今は青木神社とし ても親しまれている。」(由緒書より) 出雲神社の祭神:天照大神、大国主神、事代主神 出雲神社の祭り:春祭 4 月 7 日、秋祭 9 月 7 日 ④祭祀の起源 明治 (2)保原元二 ①祭祀対象 保原元二 東京大学を卒業後、北海道に渡り、河川改修などの土木事業に従事した人物。 ②祭祀対象の功績 保原元二は、第五代石狩川事務所所長、札幌治水事務所長を歴任し、明治 43(1910) 年から完成までの 27 年間にわたり、夕張川治水事業(夕張川放水路)に取り組んだ(治 水)。 ③祭祀形態 治水感謝祭 この夕張川放水路整備は地域住民に感謝され、現在でも、地元の南幌町では 7 月 1 日を「治水感謝祭」として休日とし、義経神社において治水の感謝と殉職者を慰霊す る祭りがおこなわれている。義経神社内に保原元二碑(胸像)が建立されている。 ※治水感謝祭は「治水感謝式」に変わり、7月1日、リバーサイドパーク(南幌町)で 行われている。また、長沼町も7月2日に「水祭り」(長沼神社)が行われる。義経神社は、 南幌神社に合祀された。 2004 年 11 月 9 日、清幌橋架け替え工事に伴い、義経神社が南幌神社に合祀される合祀 祭が両神社で関係者ら約 40 人が参列して行われた。70 余年夕張川を見守り続けてきた義 経神社の移転には治水感謝実行委員会が中心となり移転方法などを協議して実施された。 合祀後は、現在の社と鳥居は取り壊わされ、移転先の三重緑地公園には義経神社の名を刻 んだ黒御影石の「治水感謝の碑」が新たに設置されるほか治水事業最大の功労者である保 原元二氏の銅像も移されることになっている(『南幌』2004.12 月号)。 ④祭祀の起源 昭和 2 青森県

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13 (1)川崎権太夫 ①祭祀対象 川崎権太夫 旧岩木町如来瀬の枝村・大久保の神官。室町時代。現羽黒神社(宮地)の川崎氏の遠祖。 ②祭祀対象の功績 伝承によると、文明 4 年(1472)旧暦 4 月 26 日、堰神の神官川崎権太夫が自ら人供養と なり、水神の怒りを静め、永く堰口を守らんと決し、身を浄め、折からの豪雨の中、白装 束に身を包み、白馬に乗って堰口に向かい激流の中に身を入れ川底に伏して杭を打たせ、 人柱となって工事を成功させたと言われ、水下六ヶ村の深い感謝を受け、権太夫を堰神に 合祀したとされる。後に娘の真手女も父の後を追い同所に入水したとある。後になって津 軽氏二代信牧公より社領 30 石と士分を賜り、慶安 4 年(1651)三代信義公は盛大な祭典を 挙げその霊を慰めている。 ③祭祀形態 杭止神社 現在の堰頭首は、昭和 37 年津軽灌排災害復旧工事により完了したものであるが、それ を記念し時の杭止堰造営、それまで羽黒神社に合祀されていた神霊を迎え、同神社川崎氏 の当主光晴氏他関係者の奉仕によって鎮座祭が行われ今日に至っている。 神社自体は明治からあったという。 杭止神社の祭神……川崎権太夫 杭止神社の祭り……満水祈願祭。祭日 4 月 26 日。杭止堰土地改良区(役員数 11 名、総 代 30 名、職員 2 名)の取り仕切りで行われ、県や市の職員が参加(40∼50 名)。川崎 権太夫の遺徳を讃えると同時に、岩木川の氾濫が起きないこと、農作物の豊作を祈願す る(羽黒神社宮司談)。 ④祭祀の起源 明治 (2)堰八太郎左衛門安高 ①祭祀対象 堰八太郎左衛門安高 江戸初期。弘前(津軽)藩堰八村(黒石市)の堰役。通称太郎左衛門。 ②祭祀対象の功績 藤崎川の水取り口が、度々の氾濫でその土手が破壊されることから、堰八太郎左衛門安 高は自ら人柱となって、水害を防ごうと決意し、慶長 14 年(1610)4 月 14 日、衆人の見 守る中、腹上に大杭を打ちこませ、水下 2 千 500 町歩を守った義人である。

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14 ③祭祀形態 福田宮堰神社 福田宮堰神社は、堰八太郎左衛門安高の藩政時代の開拓における至誠に対し、津軽三代 藩主信義公が、正保 2 年(1645)に、太郎左衛門の霊に対し、福田大明神の称号を賜わり、 この地に堂を建立、福田宮堰神社としたものである。 福田宮堰神社の祭神……福田大明神(堰八太郎左衛門安高) 福田宮堰神社の祭り……例大祭 4 月 14 日。堰八太郎左衛門安高を讃える。浅瀬石川土地 改良区が主催となり、地元町長(藤崎町長)、堰関係者、地元の氏子等、20∼30 名が参加。 祭典の後、「津軽神楽」が奉納され、直会(なおらい:神事に参加したもの一同で神酒を戴 き神饌を食する行事)が行われる。 津軽神楽は、堰八家六代豊後安隆(元禄 6 年生れ)が創始者であり、神職のみによって 演じられる格式の高い芸能である。古代神楽・江戸歌舞伎・能舞・手踊りなどの所作(し ょさ)を組み合わせた、絢爛豪華な舞が行われる(堰神社宮司談)。 ④祭祀の起源 400 年前から行われているという(2011 年に 400 年祭が行われた)。 3 宮城県 (1)川村孫兵衛重吉 ①祭祀対象 川村孫兵衛重吉 天正 3 年(1575 年)∼ 慶安元年(1648 年)。戦国時代から江戸時代初期にかけての武 将。毛利氏家臣、後に仙台伊達氏家臣、仙台藩士。 ②祭祀対象の功績 川村孫兵衛重吉は、治山治水に優れた技術を発揮、政宗の命令で北上川改修工事の責任 者となる。工事は元和 2 年(1616 年)から寛永 3 年(1626 年)に至り、工事費ねん出のた め自ら借財、あるいは工事現場に泊まり込むなど、筆舌に尽くせぬ労苦を重ねる。 この大改修により石巻から盛岡に至る舟運が開かれ、葛西家滅亡後寒村に過ぎなかった 石巻は一躍米の集散地となる。河口周辺には仙台、盛岡、一関、八戸各藩の米倉が立ち並 び、江戸へ米を運ぶ千石船が往来繁栄を極めた。治水に伴って流域では 32 万石余の新田開 発も行われ、地域の発展に計り知れない恩恵をもたらす。 工事完成後は石巻に住み、慶安元年(1648 年)、74 歳で世を去る。 ③祭祀形態 重吉神社 重吉神社はその昔、川村家家中の家臣達が重吉翁の墓前に祠を建て重吉翁の御霊をお祭 りしていたが、昭和 7 年現在地に移し建てられた社である。 此の地は川村孫兵衛翁の屋敷の一角で、昔は弓の的場や馬の調練馬場跡であったと言う。

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15 重吉神社の祭神……川村孫兵衛翁 重吉神社の祭り……重吉神社祭(平成 14 年は 8 月 2 日) ※川村孫兵衛翁の墓 こ の 墓 所 は そ の 昔 川 村 孫 兵 衛 家 代 々 の 墓 所 と し て 十 四 代 ま で の 川 村 家 累 代 の 墓 地 で あ る。普誓寺の開山は承應二年(一六五四年)で川村家二代目孫兵衛元吉が義父重吉の遺言 で重吉の居宅を旧寺跡に移して建てられた菩提寺である。 川村孫兵衛翁墓前供養祭(平成 14 年は 8 月 2 日) ※他に、住吉神社の川村孫兵衛翁報恩供養祭(平成 14 年は8月2日)、縄張神社(川村孫 兵衛重吉が測量したときに使った縄を奉納したと伝えられる)の縄張神社祭(平成15年 は8月2日)、住吉公園内川村孫兵衛紀功碑前で行われる川開き祭典(平成15年は8月2 日)、日和山重吉像前で行われる川村孫兵衛翁報恩祭(平成15年は8月2日)がある。 ④祭祀の起源 ― (2)山田貞策 ①祭祀対象 山田貞策 1869∼1944。南相馬市生まれ。貞策は、県会議員、池辺村長等にあげられ、政界に貢献 した。 ②祭祀対象の功績 農事改良による町の発展に力をつくし、1898 年に出崎栄太郎に水車式蒸気機関排水機を 開発させた。この排水機を利用し、1906 年から 1928 年まで、相馬郡八沢浦で干拓事業を 行った。荒地を美田とし、耕地面積 350 ヘクタールの耕作地を作り出し、たくさんの農作 物が収穫できるようになった。 ③祭祀形態 山田神社 八沢浦の干拓事業は、1935 年(昭和 10 年)に終わり、1940 年には八沢浦干拓地の小作 人 184 戸の人達が、山田さん一家の名を永久にこの地に残すためにお金を出し合って、磯 の上公園に山田神社を建てた。1952 年に改築し、1963 年(昭和 38 年)に今の場所に移し ました。毎年 3 月 23 日には、八沢浦干拓の鎮守としてお祭りをしている。 山田神社の祭神……山田貞策 山田神社の祭り……山田神社祭:3 月 23 日。山田翁をはじめ殉難者を祭る。 ④祭祀の起源 昭和

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16 4 秋田県 (1)渡部斧松 ①祭祀対象 渡部斧松 山本郡(現能代市)檜山出身。篤農家。1973 年(寛政 5 年)∼1855 年(安政 2 年)。64 歳で没。 ②祭祀対象の功績 渡部村は、もと鳥居長根と称した八郎潟西岸の荒蕪地だった。山本郡(現能代市)檜山 出身の渡部斧松は叔父の惣治と協力して文政4年より8年にわたって開墾に当たり、渡部 村を開き、その後各所の開田、改田を指導しつつ渡部村の経営充実に尽くし、村法を定め 安政3年6月 64 歳で没した。斧松は男鹿半島滝ノ頭から水を引き荒野を開くほか、八郎潟 湖岸部の干拓も含んだ先見性の高い開拓経営を行い、村民生活の中心に今木神社を建立し た。 ③祭祀形態 渡部神社 南秋田 郡若 美(わ かみ )町渡 部鎮 座(現 男鹿 市)。渡 部 斧松の 行っ た開拓 によ り、渡部 村はいっそう発展充実し、明治 14 年に今木神社は村社となり、同 29 年には社名を渡部神 社と改めた。大正4年斧松が即位大典の賀に当たり従五位を追贈されたこともあり、同 15 年渡部神社に開村の恩人渡部斧松を合祀した。 渡部神社の祭神……岩戸別(いわどわけの)命・渡部斧松翁命 渡部神社の祭り……渡部斧松生誕祭。12 月 5 日。渡部斧松翁(1793―1856)の生誕の地とさ れる能代市市桧山新屋敷の神社で行われ、参加者は郷土の偉人をしのび、その功績を伝承し ていくことを誓い合う。 ④祭祀の起源 ― 5 山形県 (1)北舘大学助利長 ①祭祀対象 北舘大学助利長 戦国大名の最上義光の家臣で、慶長 6 年(1601 年)に楯山城主となった。寛永 2 年(1625) 7月 21 日 78 歳で没し、見龍寺に葬られる。 ②祭祀対象の功績 四百年前、当時の最上川沿いは広々とした平地ではあったが、不毛の荒地が多く人々は 困窮していた。この地に山形城主最上義光の命を受け赴任した北館大学助利長は、領民を

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17 困窮から救うべく不毛の地を農地に変えようと、北楯大堰(疏水)開削工事を決意する。 これをきっかけに約五千ヘクタールの新田開発・八十八村が開村され米どころ庄内の礎を 築く。疏水の沿線には、歴史・自然史跡が数多く、庄内平野の開拓の歴史を探訪できると ともに、楯山公園からは庄内平野を一望できる。 ③祭祀形態 北舘神社 楯山公園の「北舘神社」には北館大学助利長を祀っている。 安永七年三月、大堰水利に掛る崇敬者が後世に公の功績を伝えようと、狩川八幡神社境 内地に社を建立。北舘水神社として崇め祀った。大正 8 年 11 月、利長公の城址である楯 山公園に社殿を移転改築し、社名は北舘神社と改称。 北舘神社の祭神……北舘大学助利長公 北舘神社の祭り……春季講社大祭:5 月 2 日 秋季講社大祭:9 月 2 日 ※北舘神社講:北舘神社講は昭和 27 年に古関の大滝源吉氏外数名が社務所に訪れ、「北 舘神社の大学様は北楯大堰周辺の人々にとっては今日生活を営むことができる基を築いて 下さった神様であり、崇敬者が報恩感謝の気持ちを持って参拝することの出来るお祭りの 機会を設けていただきたい」との話があり、神社役員と協議の結果、講の結成となった。 北舘神社講は毎年春と秋に講社大祭を斉行する事に取り決め、50 年の歳月を経た現在、 講員は約 1 千名で運営している現状である。 ④祭祀の起源 昭和 (2)白井矢太夫 ①祭祀対象 白井矢太夫 宝暦 3(1753)∼文化 9(1812)。 江戸中期の庄内藩(山形県)藩士。久右衛門の長男、 矢太夫は通称。東月と号した。18 歳で同藩の加賀衛士に学び、徂徠学(古文辞学)を継承し た。庄内藩の寛政改革では、藩主酒井忠徳を助け、藩財政を再建した。藩校致道館も創設 され、矢太夫が祭主(校長)となった。 ②祭祀対象の功績 白井矢太夫は荻生狙徠学をつぎ、学者としても卓抜の才識があり、庄内藩主忠徳侯に大 目付として仕へていた。当時庄内藩の財政は非常に困窮し、年貢の増加などあると、あま りの貧困さから他藩へ脱走する農民も少なくなかった。寛政 5 年(1793)、白井矢太夫は困 窮の原因は役人の不正と私曲にありと藩政の改革を上申、農民救済に力をつくし、藩財政 のたて直しをはかった。 忠徳侯は藩財政が確立すると、再び矢太夫大人の建策を入れて藩校致道館を創立、しか

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18 し新事業である学校経営に必要な財源がなかった。矢太夫大人は領内を巡視し、鳥海に登 り、帰路、今の白井新田の山麓を天狗岩よりながめ、地勢水利の便からこの地を開墾しよ うと決心、致道館の勧学田として開拓することになった。 寛政 12 年(1800)矢太夫は開拓民を引き連れてこの地に入り、卒先して開拓に従事した。 獣を追い、木を伐り、ようやく耕地を開いたが、当初は灌漑の水が冷たくて穀物が実らず、 最初の入植者はことごとくひきあげるという辛苦を嘗めたが、矢太夫は民を励まし、みご と荒蕪の開拓に成功、熟田となって人々を潤した。 ③祭祀形態 白山神社 山形県飽海郡遊佐町大字白井新田字宮沢長根。矢太夫大人は文化 9 年(1812)60 歳で病 没したが、人々は開拓の大恩に感謝し、白井新田に矢太夫大人の生きているうちに生祠を 設けてこれを祀り、表面は天照大神を主神とし、豊受大神を配し、さらに産土神である白 山権現をも合祀した一社を創立した。この白山権現が白井矢太夫大人のことで、人々は三 神一座の神社とはいはず、単に白井大明神といってその奉賽を怠らなかった。昭和 6 年村 社に昇格し、毎年 5 月 1 日を例祭日とし白井新田あげて盛大なおまつりをおこなっている。 白山神社の祭神……白山権現(白井矢太夫大人) 白山神社の祭り……毎年 5 月 1 日が例祭日。 ④祭祀の起源 ― (3)梅澤運平藤原綱利 ①祭祀対象 梅澤運平藤原綱利 武士。米沢藩上杉家から派遣された御出役。 ②祭祀対象の功績 山形県長井市九野本では、文久 2 年(1862)、奥羽山脈の分水嶺ともいふべき朝日岳の 山裾より流れくる野川と、その山峡に働く入山の権利を有する五ヶ村が、入山権のことに ついて紛争が起った。数年にわたってその紛争はつづき、まさに血を流さんばかりの最悪 の状態に至った時、米沢藩上杉家より梅澤運平藤原綱利という武士が御出役として派遣さ れた。梅澤大人はさっそく地域住民とともに入山、見聞し、東奔西走してその境界と入会 権とを公平にとり裁き、円満に解決させた。 ③祭祀形態 梅澤山神社 時の住民らは梅澤大人の働きに深く感謝し、互いに協議した結果、梅澤大人を山の守護 神として祀ることを決めた。明治 8 年 12 月 17 日、梅澤大人がまだ生存中、鎮守稲荷神社

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19 の境内に祠を建てて梅澤山神社を創建、鎮座祭には梅澤大人も参列、村民あげて盛大な祭 典を挙行した。その際、梅澤大人は先祖が川中島の戦において勲功をあげ、上杉謙信より 賜ったという宝剣(槍の穂先、刃渡り七寸、兼道の銘あり)を自分の身替りとして奉納、 人々はそれを御神体として祠に納めた。 終戦前までは、例祭日には当時の平野をあげての祭典がおこなわれ、小学校生徒、職員 全員が参拝、御祭神の功績について宮司または先生より社頭講話されていたが、現在は町 村の合併により、地区の財産区としてその山を地区民の共有地として認め、毎年 4 月 17 日は野川山共有地組合として祭典をとりおこない、感謝の誠をささげているという。 梅澤山神社の祭神……梅澤大人(初めは生祠) 梅澤山神社の祭り……例祭:4 月 17 日 ④祭祀の起源 明治 6 福島県 (1)古河善兵衛重吉/佐藤新右衛門家忠 ①祭祀対象 古河善兵衛重吉 天正 4(1576)∼寛永 14(1637)。 江戸前期の米沢藩士。寛永 1(1624)年、福島奉行兼 郡代となる。このころ藩財政の窮乏を救うため、新田開発は大きな課題であった。 佐藤新右衛門家忠 ?−1637 江戸時代前期の治水家。陸奥伊達郡(福島県)の四郡役。 ②祭祀対象の功績 福島市北部を流れる摺上川から取水し、伊達西根地方、すなわち阿武隈川左岸の現福島 市、伊達郡桑折町・国見町および梁川町を潤す用水は、上下二流あり、それぞれ西根上堰・ 西根下堰と称される。西根下堰(延長約 13 キロ)は、元和 2 年(1616)桑折村(現桑折町) の四郡役佐藤新右衛門が米沢藩の総奉行平林正恒に開削を願出て、同 4 年に着工された。 湯野村下梁から取水し、塩野目・増田、成田・桑折・上郡・下郡(現桑折町)の各村を経 て伊達崎村(現同上)に至る用水で、当初は湯野堰とよばれた。一方、西根上堰(延長約 28 キロ)は寛永元年(1624)米沢藩の郡奉行古川善兵衛が佐藤新右衛門の協力を得て着工 し、同 9 年に完成した。下堰の取水口から上流約 2.8 キロの湯野村赤宮沢口(通称穴原) を取水口として、山麓近くの高位面を松原・成田・万正寺・桑折(現桑折町)、藤田(現国 見町)の各村を経て五十沢村(現梁川町)に至る。寛永九年の完工とされ、当初は穴原堰 と称した。上堰の用水路は上通・中通・下通に分れ、総延長 1 万 1 千 923 間、31 村を灌漑 し、その反別 659 町 3 反余・高 8 千 939 石余に上った。 ③祭祀形態 西根神社

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20 明治 18 年(1885)、水下村々の人たちによって佐藤新右衛門・古川善兵衛両氏を祀る西 根神社が湯野の刈谷藩陣屋跡に建てられた。 西根神社の祭神……佐藤新右衛門・古川善兵衛 西根神社の祭り……春季例祭 4 月 27 日、夏季例祭 8 月 14 日、秋季例祭 9 月 14 日 ④祭祀の起源 明治 (2)沢村勘兵衛為勝 ①祭祀対象 沢村勘兵衛為勝 1613∼1655。慶長 18 年生まれ。江戸時代前期の治水家。磐城平藩(福島県)藩士。寛永 18 年郡奉行となり,夏井川から約 30km の用水路(小川江筋)をひいて約 1200ha を灌漑する 工事の責任者となる。 ②祭祀対象の功績 小川江は、小川町関場で夏井川左岸から取水し、ほぼ東流して四倉町に及ぶ潅概用水で、 磐城平藩郡奉行の沢村勘兵衛勝為が、僧勧順の勧めにより俸禄三〇〇石を返上し、慶安四 年(一六五一)着工し、三年三ヵ月で江筋を完成したという。しかしすでに寛永一〇年(一 六三三)下小川村では用水堰開削のため長福寺境内を通すので、その替りとして水田二反 を新墾して引渡している。この新堰はのちの小川江堰と思われ、同二一年には「今度平窪 新江通し申ニ付」、沢村勘兵衛らが長福寺に替地として「長荒之所三反」を与えている(「長 福寺境内水通しに関する証文」福島県史)。伊呂波寄頭書(内藤家文書)によれば、寛永一 五年には小川大堰が普請奉行沢村勘兵衛・今泉又兵衛により完成しており、堰長五二間一 幅一五間とある。これらを勘案すると、関場村から上流部は寛永年間に施工され、下流の 泉崎村光明寺付近は慶安年間に施工されたと考えられる。 勘兵衛 は平 窪村に 利安 寺を建 立し 、藩主 の許 可なく して 除地五 石を 寄進し た罪 により、 明暦元年切腹を命じられたとある。沢村勘兵衛を祀る沢村神社がある。 ③祭祀形態 沢村神社 沢村神社は、常磐線を越えた高台にあり、沢村勘兵衛勝為の業績を顕彰するため、後世 の明治 19 年になってから神社として祀ったもの。 沢村神社の祭神……沢村勘兵衛勝為 ④祭祀の起源 明治 (3)三森治右衛門光豊

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21 ①祭祀対象 三森治右衛門光豊 寛永 13 年(1636)4 月 7 日生まれ。藩主内藤公の微臣。16 歳で内藤忠興に仕出し、沢 村勘兵衛が小川江筋着工の承応元年(1652)の頃は 17 歳で、三森内匠と称していたという。 延宝 2 年(1674)3 月、39 歳で藩主内藤公の命を受け愛谷江筋の開鑿に着手した。元禄 7 年(1694)11 月 17 日没。享年 58 歳。 ②祭祀対象の功績 三森治右衛門が内藤公の命を受けて、愛谷江筋の開鑿に着手したのは、延宝 2 年(1674) 3 月であり、治右衛門 39 歳の若さであった。小川江筋の工事にも関わっており、この普請 について 3 両 2 分の下賜をうけている。水守神社の由来によれば、「先ず 76 間の岩脚を洞 して水を容れ、水勢を奔放せしめ東南川中子に走る。好間川に槽(樋)架すること 170 尺、 水めぐりて平町の東に出る。支流は平町の西を貫きて長橋に灌ぐ。幹流は更に東して槽(樋) を古川に架し、専称寺の麓をめぐって山崎・菅波・荒田目・上下大越・藤間を潤おす。下 高久に至り槽を荒川に架し、余流を導きて沼之内に注ぐ。この間紆余曲折 4 里 5 町余に及 ぶ、この間、閘門を設くる大小 14、灌田実に 510 余町歩。小川江と並んで当地方の水利ほ ぼ全きを得五穀豊穣に導かれた。命の功筆舌のよく及ぶべきものではない」とある。 ③祭祀形態 水守神社 いわき市平山崎字辰ノロ 12 の 1。神社創建は、昭和 26 年 3 月 15 日で、祭神の姓は三森 であり、社名の水守と語呂が合うこと奇しき因縁といえる。水守の語意は古来神代のむか しより「天之水分神(みくまりのかみ)」というなど深遠なる神観概念の伝統を引くものと 云える。 水守神社の祭神……三森治右衛門光豊命 水守神社の祭り……例祭:5 月 17 日。関係者及び住民が約 120 名ほど参加。 ④祭祀の起源 昭和 7 茨城県 (1)伊奈半十郎忠治 ①祭祀対象 伊奈半十郎忠治 文禄元年(1592)∼正応二年(1653)。江戸時代前期の関東代官頭(後の関東郡代)。代官頭 伊奈忠次の次男。 寛永六年(1629)、武蔵国北足立郡赤山(現・川口市)に陣屋を築き、ここを拠点として 見沼溜井(見沼田圃の前身)の造成や利根川と荒川の河川改修事業を実施し、水害を防止 するとともに、新田開発を推進した。

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22 ②祭祀対象の功績 父である忠次の仕法を継承発展させ、新川や江戸川、権現堂川(埼玉県)の開削、利根川 の東遷、荒川の西遷事業を推進、小貝川と鬼怒川を分離して、福岡堰の前身の山田沼堰や 岡堰を設け、用水路や排水路を開削して谷和原三万石、相馬二万石を開発した。 承応 2(1653)年には玉川上水の開削工事に当たり水道奉行を命じられたが、同年 62 歳で 没した。関東郡代の基礎は忠治の在職 35 年の間に固められ、伊奈家は代々、関東郡代の職 を世襲することになった。 関東三大堰と呼ばれる福岡堰、岡堰、豊田堰は、すべて忠治公の手による。 ③祭祀形態 伊奈神社 つくばみらい市(旧谷和原村)。昭和 16 年、水利組合によって創建された。谷原領開拓 の祖・伊奈忠治を祭神とする。小貝川の福岡堰脇の高台の林の中に筑波山を背景に建って いる。福岡堰では、毎年、初めて田んぼに水を流す 4 月 18 日に忠治の子孫を呼んでお祭 りを行っており、忠治の行ったすばらしい工事をたたえて、水を使う時の安全と豊作を願 っている。 伊奈神社の祭神……伊奈半十郎忠治 伊奈神社の祭り……例祭:4 月 18 日。用水流しの初めの日である 4 月 18 日に行われ、 伊奈氏の偉業をたたえ水利の安全と豊作を願う。伊奈氏の子孫も参加するという。 ④祭祀の起源 昭和 (2)谷君雄 ①祭祀対象 谷君雄 壬生領山川村(茨城県)の代官。 ②祭祀対象の功績 寛政年間、当時の山川領は土地は荒れ風俗は悪く真面目に農業に励む者もなかった。藩 主鳥居氏より代官に任じられた藩臣・谷益友は善政を施し、その子谷君雄は用水堀を開き、 遠近の人々を招いて田畑を与え、荒地であった村々を裕福な村へと変えた。その際、谷君 雄は、文政 10 年(1827)、移住農民に手当金などを貸与または支給した。その後藩命によ り壬生城へ帰る谷君雄の恩恵を忘れぬため、生前の文政 11 年、鎮守の神として生祠に祀 られた(谷明神)。 ③祭祀形態 谷神社

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23 結城市江川大町細野41。谷君雄の生前、生前の文政 11 年、鎮守の神として生祠に祀 る。 ④祭祀の起源 江戸後期 8 群馬県 (1)大谷休泊 ①祭祀対象 大谷休泊 1521−1578。戦 国時 代の開 拓者 。農政 家。 関東管 領山 内上杉 家の 家臣。 上野 (群馬県) 平井城主上杉憲政につかえる。天文のころ、山内上杉氏の没落により邑楽郡成島村に帰農。 渡良瀬川から水路をひいて同地とその周辺に田地をひらいた。その用水路は休泊堀とよば れた。天正 6 年 8 月 29 日死去。58 歳。通称は新左衛門。 ②祭祀対象の功績 大谷休泊は、館林城主のもとで、現在群馬県の東毛と呼ばれている新田・山田・邑楽・ 梁田郡にわたる荒野を拓こうとした。腐心したのは、もとになる用水をどうするかであっ た。実地調査を重ねた結果、水源を渡良瀬川から取ることとし、水源取入れ口を山田郡毛 里田村(現・太田市)と定めた。そして未開の地に不安を抱えながら心血を注いででき上 がったのが矢場堰と休泊堀である。同じく渡良瀬川から取水するためにつくられたのが待 堰であり、矢場堰とあわせ待矢場両堰と称される。休泊はまた、これにとどまらず、樹木 を植栽して森林を培養し続けた。植林は 20 数年にわたり、松 10 万本、一説には 150 万本 ともいわれる。休泊の緑に対する追求は、あくまで民衆、農民への深い愛着があったから だと推測できる。 さらに休泊は多々良沼に水を引き入れ、開田のための水路を開削した。これを俗に「下 休泊堀」というが、先の堀を上休泊堀とも呼ぶのに対応した呼称である。 ③祭祀形態 大谷神社 休泊は、永禄元年(1558 年)、まずは防風林開発から始めることとした。場所は館林西南多々良 沼のすぐ側、館野ヶ原と呼ばれる土地で、被害の大きさと新田開拓を見越してのものである。館林 に大量の松苗はないので、由良成繁の金山城のある金山から分けてもらうことにした。初年に植え た松は日照 りにより枯れるものが多かったが、翌 年 に館 野ヶ原 に祠を造り松の成長を祈ると、今 度 は無事に成長し、休伯らを安堵させた。この祠が現在の館林市大谷神社である。 領民は誠実な人柄で開 発事業を指 揮してくれた休 泊の死を悼み、松苗の成長を祈った祠を大 谷神社とし篤く弔った。 ④祭祀の起源

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24 戦国期 9 埼玉県 (1)井沢弥惣兵衛為永 ①祭祀対象 井沢弥惣兵衛為永 紀伊国出身の治水家。紀伊国那賀郡溝ノ口村(今の和歌山県海南市野上新)の豪農の出 身。28 歳で紀伊藩に仕え、水利、新田開発事業を担当。享保元年(1716)、紀伊藩主徳川吉 宗が8代将軍に就任すると幕臣に。当時 60 歳だった為永は勘定所に登用され、以後 15 年 間、諸川の改修、新田開発に尽力。享保の改革における治水・農政面で大きな役割を果た した。 ②祭祀対象の功績 関東の大農業用水、武蔵国の見沼代用水などを建設しており、その代表実績、武蔵国の 見沼通船堀は日本最古の閘門式運河。世界的に有名なパナマ運河に先立つこと約 150 年の 享保 16 年(1731)、徳川幕府の命により、物資輸送を目的として開かれた。この遺跡は近 世の土木技術、流通を考える上で貴重なものとして国の史跡に指定されている。 為永の河川技術は、河川の流路をなるべく直流とし、堅固な堤防を築いて水が越えない ようにし、また、堤防を保護するための護岸、水制を設置するもので、紀州流と呼ばれる。 こうした実績から、為永は近世土木の祖と呼ばれている。 ③祭祀形態 常福寺 弥惣兵衛為永没後の明和 4 年(1767)の為永三十年祭の際、見沼代用水路開削によって 恩恵を受けた人々(水路沿線村民)が、追福の墓石を常福寺に建立した。 井澤祠 享保 12 年(1727)見沼代用水の開発にあたり、井澤弥惣兵衛為永は元圦畔等水路沿線 数カ所に弁財天を設置し、灯明料を寄進して用水の潤沢平安を祈念した。元文 3 年(1738)3 月 1 日に没すると、関係農民は、その功績を永遠に伝えるため、元圦畔に為永を祭る井澤 祠を建設し、文政 12 年(1829)石造に再建した。 ④祭祀の起源 江戸中期 10 神奈川県 (1)砂村新左衛門 ①祭祀対象 砂村新左衛門 慶長 6 年(1601 年)頃∼寛文 7 年 12 月 15 日(1668 年 1 月 28 日)。江戸時代前期の農

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25 民、土木技術者。 ②祭祀対象の功績 壮年時代に諸国を遊歴して、広く土宜(とぎ)産業を視察し、幕府の命を受け諸方へ出 掛け農業、林業などの指導をした。幕府の命で横浜市の野毛に新田を開き、ついで、万治 3 年(1660 年)から 8 年の歳月をかけて内川新田を開発した。開発に当たっては辛うじ て開きかけた土地を三条の川(佐原川・大川・吉井川)に埋められ、流され、荒波の為に さらわれて、数ヶ月の勤労が水の泡と消えた事が度々あった。完成当初は 360 石(1 石は 180 リットル)の米の収穫が上がった。続いて東京都江東区砂村新田を開発した。 ③祭祀形態 砂村新左衛門祭 久里浜観光協会(神奈川県横須賀市)主催で行われる。平成 22 年で 13 回目。新田完成 記念の「門樋成就記念碑」が夫婦橋の袂におかれている。寛文 7 年(1667 年)12 月 15 日 に没したので直近の 12 月の土曜日には、この記念碑前と墓石のある正業寺にて読経が行 われる。 ④祭祀の起源 平成 (2)二宮尊徳 ①祭祀対象 二宮尊徳 天明 7 年(1787)∼安政 3 年(1856)。江戸後期の農政家、報徳主義の創唱者。通称金 次郎、諱は尊徳。相模国足柄上郡栢山村(小田原市)の百姓家に産まれる。 ②祭祀対象の功績 小田原藩家老服部家の財政再建をはじめ、藩主大久保忠真候の依頼により分家宇津家の 桜町領を復興させるなど、自分の体験をもとにして大名旗本等の財政再建と領民救済、北 関東から東北にかける各藩の農村総合的復興事業(仕法)を行い素晴らしい成果をあげた。 大飢饉で農村が疲弊しきっていた当時、尊徳翁が仕法を手がけた村々は 600 ヶ村以上に上 る。多くの農村や藩を貧困から救い、独自の思想と実践主義で人々の幸福を追求し、数理、 土木建築技術から文学まであらゆる才能を発揮した偉人である。 ③祭祀形態 報徳二宮神社 明治 27 年(1894)4 月、二宮尊徳翁の教えを慕う 6 カ国(伊勢、三河、遠江、駿河、甲 斐、相模)の報徳社の総意により、二宮尊徳翁を祭神として、生誕地である小田原の小田 原城二の丸小峰曲輪の一角に創建された。現在、神社本庁別表神社。社殿は神明造り。な

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26 お、拝殿礎石は天保の大飢餓の際、藩主大久保公の命により尊徳翁が小田原城内の米蔵を 開き、米が人々の手にわたったことにより、小田原 11 万石の領内から一人も餓死者も出さ ずにすんだという、その米蔵の礎石が用いられている。 報徳二宮神社の祭神……二宮尊徳翁 報徳二宮神社の祭り……神徳景仰祭:9 月第 3 日曜日。秋の恵みと尊徳翁のご神徳に感 謝する祭り。 ※その他の祭り ・尊徳祭……小田原市栢山の尊徳記念館で行われる。10 月 20∼21 日。二宮尊徳の遺 徳を偲び、その偉業を称えると共に、尊徳の行き方・考え方を多くの人に知ってもら う為のイベント。講演会や演芸会など各種の催しが、生家に隣接した記念館で開かれ る。 ④祭祀の起源 ― 11 新潟県 (1)堀勘五郎 ①祭祀対象 堀勘五郎 江戸時代。曽川地区の庄屋。 ②祭祀対象の功績 曽川地区は、堤防の決壊による水難がつづき、米の収穫を得られず、農民の困窮がつづ いた。慶長の頃、通称「和田切れ」と伝えられる堤防決壊の惨事で、この決壊した堤防を 塞ぐため、新発田藩から役人が出張して工事に当ったが三年経っても完成できず、収穫は 皆無の状態で、近郷の農村はますます窮地に陥った。 庄屋であった堀勘五郎大人は、これに怒りを覚え、自ら決壊口に赴いて、新発田藩主に 交渉し、自ら工事の一切を引き受けこれを立派に完成させた。 当時は、季節により川水が減水することが度々あり、農民は天雨を待つ外はなく、した がって田植も出来ず苦労は絶えなかった。そこで勘五郎大人は曽川の取入口を舞潟の地に 選定してこれを解決しようとした。しかし舞潟は直領地で、実行するには容易ではなかっ たが、各名主を説得し、遂に曽川治水の大事業を成功させた。更に田圃の排水にも工夫し 他領地の土地をつぶして堀を開くといふ難事業をすすめた。この落し掘を勘五郎堀、また 曽川掘と称している。その後、寛永十四年(一六三八)苗代新田を開墾するなど多くの功 績をあげた。 ③祭祀形態 勘五郎神社 新潟県新潟市曽川甲 314。諏訪神社境内に鎮座。創建は昭和 6 年(1931)。堀勘五郎は、

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27 大事業完遂のため資金面で大変苦労し、ついに新発田藩の家中から多額の借財をし、村の 有力者の印鑑が借用証文に使われていたことが発覚し、村の大問題となった。後難を恐れ て村中誰一人として保証人に立つ者はなく、藩は止むを得ず、藩則令によって、勘五郎大 人の他国移任を命じた。大人は涙を呑んで曽川の村を立ち去っていった。その後、農民た ちは収穫に大変恵まれたが、歳を重ねるごとに村に不思議な事件が起こり、村民の家運も 傾いていった。この様な中で勘五郎大人の遺徳顕彰と慰霊の声がたかまり、昭和 6 年神社 を創建、以来、年々祭祀を執行して現在に至っている。 勘五郎神社の祭神……堀勘五郎命 勘五郎神社の祭り……例祭:8 月 27 日 ④祭祀の起源 昭和 12 富山県 (1)沢田清兵衛 ①祭祀対象 沢田清兵衛 明和元年(1764)∼文政 12 年(1829)。江戸後期の新田開発、治水功労者。越中国礪波 郡光明寺村(高岡市)の肝煎家(庄屋)に生まれる。幼名左知蔵。清兵衛は世襲名。幼少期 より庄川の洪水に悩む農民を見て育ち、そのため越中の算学者石黒信由に和算、測量術を 学んだといわれる。 ②祭祀対象の功績 天明 3(1783)年の洪水被害は、数十カ村におよんだ。沢田清兵衛は被害地の状況を地図 に整理して復興策を立案。加賀藩でもその策を評価し、寛政 5(1793)年に責任者に任用し た。10 年を経て被害地 2100ha 余はもとより、さらに不毛の庄川河原 3100ha 余をも美田と した。 ③祭祀形態 川原神社 没後、郷民は清兵衛を川原神社に祭った。 ④祭祀の起源 江戸後期 13 石川県 (1)桜井三郎左衛門 ①祭祀対象 桜井三郎左衛門

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28 織豊∼江戸時代前期の農民。加賀(石川県)河北郡高松村の人。 ②祭祀対象の功績 桜井三郎左衛門は、天正 12 年(1584)、末森合戦に前田利家公の軍勢の道案内をつとめ た功により、高松の村民の宅地の永代地子銀免除の恩典をうけた。三郎左衛門はほかに、 羽咋郡太田から大海川の水を引くこと延長 2 里 24 町、加賀・能登の田地 483 町に灌漑の利 を与えたとも伝えられている。 ③祭祀形態 額神社 宅地の税免除の恩恵に浴した高松の村民らは、桜井三郎左衛門の功労に謝し、天明年間 (1781∼1788)、初めて小祠を桜井家の邸内に創建、英之社と称した。嘉永 2 年(1849)に 至って小祠を額神社の境内に移遷、大正 5 年、額神社に合祀した。境内の旧社殿跡には昭 和 43 年、「大正 14 年甲子会」の手によって「英之社跡」と書かれた石碑が建てられた。 額神社の祭神……野蛟神、伊弉諾尊、事代主神、桜井三郎左衛門 額神社の祭り……英祭(岸川祭):6 月 13 日 ④祭祀の起源 江戸後期 (2)板屋兵四郎 ①祭祀対象 板屋兵四郎 ?-1653。加賀の人、江戸時代後期の土木技術者、辰巳用水工事の責任者。能登奥郡の小 代官。 ②祭祀対象の功績 三代目加賀藩主前田利常は、金沢を流れる犀川から水を引くことを企て、その任を板屋 兵四郎に与えた。板屋は算術に優れ、上辰巳の取り入れ口から犀川に沿って岩盤に 2.7 キ ロのトンネルを掘り、兼六園を経て金沢に至る 12 キロの辰巳用水を測量・設計し、寛永 9 年工事に着手、工夫を指揮し、昼夜兼行の突貫工事が進められ、僅か一年の工期で完成し た。 この工事で最も評価されている点は、兼六園内の霞ヶ池から、地中に埋めた木管を使い、 低地にある石川門の土手の地下まで水を落とし、そこから 8m高い城の二の丸へ水を引揚 げるという、逆サイホン方式の導水管が考案されていることで、当時としては画期的な土 木技術であった。 ③祭祀形態 板屋神社

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29 金沢神社境内。石川県金沢市上辰巳町 13−70。辰巳用水組合はじめ同用水に恩恵を被る 人々が集って辰巳講を組織し、昭和 35 年 4 月、辰巳用水取り入れ口の近くに兵四郎を主祭 神とした板屋神社を創建。兵四郎らが辰巳用水で使用した石管が残されている。 板屋神社の祭神……板屋兵四郎 板屋神社の祭り……板屋神社春季祭:4 月 18 日。辰巳用水開建設の偉業を讃え、土木・ 開拓の神として祀られている板屋平四郎大人命の遺徳を偲び顕彰する祭り。午前に板屋神 社(上辰巳町)、午後には板屋神社遥拝所(当社境内)にて用水関係者によって祭典が行われ る。 ④祭祀の起源 昭和 (3)枝権兵衛・小山良左衛門 ①祭祀対象 枝権兵衛 文化 6 年(1809)、石川県坂尻村(今の鶴来町)で生まれる。石川郡の富樫用水改修に功 労のあった商人地主。文政 8 年(1825)17 歳にして村肝煎となり、その後、御収納皆済方、 村代、井肝煎、勧業奨励方、副戸長などを勤めた。 小山良左衛門 加賀藩の産物方。 ②祭祀対象の功績 枝権兵衛が手がけた大事業は富樫用水の開鑿工事で、江下 39 ヶ村、現在の鶴来町、野々 市町の大部分、1800 町を灌漑するものであった。当時は取り入れ口が手取川の水位より高 かったため、雨が数日降れば用水はたちまち氾濫し、日照りが続くと干魃に見舞われると いう有様で、農作物に被害が続出した。 権兵衛は地勢を踏査した末、上流の安久濤の淵の岩石層を穴操りして、ここから鶴来村 九野塔まで 170 間通水させ、さらに古町に至る 400 間を堀割りして旧水路に合流させるこ とを考えた。 工事には莫大な費用と日時を必要とするため、加賀藩の産物方を勤めていた小山良左衛 門に農民の窮状を訴え助力を懇願した。慶応元年(1865)、加賀藩の許可が出され工事に着 手、大人は資金の調達、土工の迫害、工事の蹉跌等々に日夜苦しめられたが、5 年の歳月 をかけて明治 2 年に完成した。 ③祭祀形態 水戸明神社 石川県石川郡鶴来町。富樫用水の完成により、農民たちは安心して生業に励むことがで きるようになり、工事竣成した明治 2 年 6 月、枝権兵衛・小山良左衛門の生祠を安久濤の 森に建てて恩恵に感謝した。明治 31 年、手取川七ヶ用水の工事を始めるとき、社殿は取り

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30 払われた。この建物は現在、鶴来町熱野町の白山神社(坂井直勝宮司)本殿となっている。 その後、昭和 29 年 4 月 3 日、現在地に水戸明神が建てられ、手取川七ヶ用水土地改良区 の手によって春秋の祭典が行われている。近くの七ヶ用水取入口に面した和佐谷橋橋畔に 両大人の頌徳碑が建てられており、明光小学校校庭には枝権兵衛大人の銅像がある。 水戸明神社の祭神……枝権兵衛、小山良左衛門 水戸明神社の祭り……水戸明神春季祭:5 月下旬。水戸明神秋季祭:9 月下旬。白山町古 宮公園内の水戸明神社殿にて、来賓の方々及び、役員、分区長、総代の出席のもとに行わ れる。その後、白山比咩神社本宮に於いて、五穀豊穣祈願及び直会が執り行われる。 ④祭祀の起源 明治 14 山梨県 (1)平岡勘三郎 ①祭祀対象 平岡勘三郎 代官平岡治郎右衛門の息子で、治郎右衛門の後を引き継ぎ代官となった。 ②祭祀対象の功績 茅が岳の麓は昔から水利が悪く田畑に不向きで、もっぱら草刈場として利用されていた。 しかしこれだけの平地を田畑として耕作しないのはもったいないと、今から360年ほど 前、堰を作ろうと立ち上がった村人がいた。長い闘いの末にやっと朝穂堰が完成した。そ の間、代官の平岡勘三郎は村人達の苦労を思い、年貢をとらなかったという美談が伝わっ ている。 ③祭祀形態 玄空様の祭り 今でも村では平岡勘三郎を「玄空様」と呼び、感謝のお祭りを続けているという。 浄居寺 北杜市明野町浅尾新田 132。平岡勘三郎親子の像が建つ。 ④祭祀の起源 ― (2)平岡次郎右衛門和由 ①祭祀対象 平岡次郎右衛門和由 天正 12(1584)∼寛永 20(1643)。 江戸初期、甲斐国の代官触頭。名は和由、武田旧臣 平岡良知の長男。元和 3(1617)年家督を継ぎ、代官職を世襲し甲府拝領屋敷で地域行政に

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