• 検索結果がありません。

『平治物語』における常葉御前の女性性 : 母性を基軸として: 沖縄地域学リポジトリ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『平治物語』における常葉御前の女性性 : 母性を基軸として: 沖縄地域学リポジトリ"

Copied!
9
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Title

『平治物語』における常葉御前の女性性 : 母性を基軸と

して

Author(s)

小番, 達

Citation

国文学解釈と鑑賞, 70(3): 146-153

Issue Date

2005-03-01

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/20147

Rights

至文堂

(2)

中 世 女 性 の 愛 と 性 の 窓

i

146

﹃平治物語﹄における常葉御前の女性性

はじめに 常葉御前は、予治の乱の敗将 ・ 源義朝の遺児の母、そして 年老いた母の娘であることから悲況な時間を生きることとな る 。 常葉の哀話では ﹃ 平治物語﹄﹁常葉落ちらるる事﹂の章 段に収められる、三人の幼子を連れての逃避行の件が有名だ が、本稿では学習院本﹃平治物語﹄ ﹁ 常葉六波羅に参る事﹂ の章段に描出された常葉を通して、中世における女性性のあ り様について、母性の問題を基軸に考・察する 。 常葉にみられる母性の位相 ﹁ 常 葉六波羅 に 参る事 ﹂ の 冒 頭は ﹁ さても、九条院雑仕常

葉腹の義朝が子共、三人あり 。 皆男子なれば、た百は置きが たし﹂と始まり、遺児が﹁男 子 ﹂ で あ る 故 、 義朝 の血を絶や そうとする平家方による執助な追及の 手 が、ついに常葉の年 老いた母にまで向けられたことを記す。都を 脱 出 し 、 大和の 縁者のも とに身を寄せていた常葉は、六波羅に 召 し 取 ら れ た 老母が拷問を受けていることを伝え聞く 。 そこで、子供たち を連れての六波羅出頭を決断する 。 わが子を思ふやうにこそ、母もわれをばかなしむらめ。 我ゆへ 背 をうくと聞ながら、いかでか出て助けざるべ き 。 前世の果報拙て、義朝が子と 生 れ、父が科の子に懸 てうしなはれん 事 は、其理、有ぬべし 。其 放もなきわが 母の憂き目を見る 事 は、さながらわが身のとがぞかし 。

(3)

此後も子ほしくは、同じゆかりの子を養ても慰ぬべし。 無量劫をへでもあらざる親子の中也。責殺されてのち は、悔しむともかひあらじ。母、此世にある時、出て助 け ん 。 この決意をもとに六波羅へ出頭したことで老母は解放され るものの、清盛の前に引き据えられた常葉は涙ながらに自ら の 死 を 訴 え 出 る 。 左馬頭、罪ふかき身にて、其子共、皆うしなはれんを、 一人をも助させ給へと申さばこそ、其理しらぬ身にでも 候はめ。子共、かくもならざらんさきに、まづ此身をう しなはせ給へと申さんを、などか聞しめされでは候べ き。高きも卑も、親の子をおもふ心のやみは、さのみこ そ候へ。この子共にわかれて、片時もたへて有べき身共 覚え候はず。わらはをうしなはせ給ひて後にこそ、子共 をば御はからひ候はめ。 この六波羅出頭の場面に関して、学習院本における常葉の 物語を詳細に読み解いた日下力氏が﹁二者択一を迫られた者 の悲劇で覆われていた﹂と指摘するように、人として子への 愛情と母への思愛は本来選び得ぬものである。﹁常葉落ちら るる事﹂の章段に幼気な子供たちを守り続け﹁不安や焦燥と 葛藤しつつ懸命に生きようとする﹂常葉の姿が展叙されるだ けに、我が子を犠牲にしても老母を救おうという悲痛な決断 を自らに下した常葉の悲劇が一層強調される。老母解放の代 償に子を死に至らしめることとなる常葉は、子を失う前に死 にたいと繰り返す。この点について、日下氏は﹁自分の生を ささげた子供の死は自分の死に等しく、子供の犠牲の上に成 り立つ生は許されない。ぎりぎりの母性を守る為には、子供 と共に死ぬことを、しかも、自分が子として生きることによ って我が子に強いた犠牲が、無惨な現実となる前に母として のあかしを一不すべく死ぬことを、請い願う以外にはなかっ た﹂と極めて説得力のある見解を提起している。 ところで、中世における母性意識の状況を考察した脇田晴 子氏は、家父長権が強調されてくる平安末・鎌倉初期から父 権を世襲するための後継者を産むという意味で、貞操観の強 制を伴って母性尊重の思想が強化されたと説く。また、これ と反比例するかたちで女性の役割が減少し、次第に家政の中 に取り込まれてゆく傾向にあったという。その一方で、子を 産み育てる母性自体に罪業を認める見方が展開した。この見 方は、母にとって子の産育の過程で生じる多くの犠牲や罪 (食を得るための殺生等)が不可避であり、だからこそ子は母

(4)

に孝養を尽くすべきであるとの ﹁ 母子一体観﹂が基盤にな る。この﹁母子 一 体観﹂によって二つの罪業が生じる。第 一 に 子 を 自 ら の た め に 犠 牲 に す る 行 為 ( 間 引 き ゃ 嬰 児 殺 し 等 ) 、 第二に﹁排他的盲愛﹂に起因する行為(子の立身出世を願う余 り に 樫 食 や 騎 慢 心 が 生 じ る 等 ) 、 こ れ ら の 行 為 が 母 親 の 堕 地 獄 に 結 び 付 い た と す る の で あ る 。 以下、この脇田氏の指摘を踏まえ、日下氏の見解とは違っ た角度から常葉が抱える母性の問題を考えてみたい。まず、 母性尊重に関わる側面について見てみよう。 常葉が出頭を決意した中に、義朝の ﹁ 科﹂によってその ﹁ 子﹂を失うことには ﹁ 理 ﹂があるとする。これは章段官頭 の﹁皆男子なれば﹂の一節とも呼応し、義朝の謀叛の罪科に その男子が縁坐するという道理を指していることは言うまで もない。清盛を前にした発話の中にも義朝の﹁罪﹂が記され るが、こうした義朝の﹁科﹂﹁罪﹂と義朝の子に対する常葉 の意識は﹁常葉落ちらるる事﹂の章段の中にも見られる。例 え ば 、 L ハ 波 羅 近 く 、 雪 中に行き悩む子供たちの泣き声が敵に 聞こえるのではと恐れ戦く常葉は、長子を次のように説き伏 す 。 なけば人にもあやしまれ、左馬頭が子共とて囚れ、 頚 ば し切らるな。命おしくは、な泣きそ。腹のうちにある時 も、はか介¥しき人の子は、母の云事をばきくとこそ聞 け。まして己れらは、七八に成ぞかし。などか是ほどの 事を 、聞し ら ざ る べ き 。 ﹁ 腹 の う ち にある時 ﹂以下の一節は泣きやまぬ子に対する 母親の言葉として極めてリアルでもあるが、常葉が長子に義 朝の子であることの自覚を促している点に留目したい 。 義 朝 の子であるために命が狙われるのだと説くと同時に、﹁はか 介

t

¥

しき人﹂義朝の子だからこそ堪え忍ばなくてはならない ことを諭している。また、夜の帳が下りる頃になっても宿を 借りることを蹄踏う常葉は、以下のように述懐する。 でっかりける人の子共が母と成て、けふはか﹀る歎にあ ふ事よ﹂と思ひけるが、又、恩返して思ふやう、﹁おろ かなる心哉。かやうにまよひ出てしづかならねば、後世 をこそ訪はざらめ。共に契ればこそ、子共もあれ。独が とがになしける事のはかなさよ。 ﹂ ﹁うかりける人﹂義朝の子の母となった恨み言が心の裡に わき上がるものの、それを﹁おろかなる心﹂と翻し、母であ ると同時に妻としての心情が表出し、亡夫の菩提を弔い得ぬ 現状への思いに続け、自分を苦しめる子の存在が、実は夫と 148

(5)

情愛を交わした証しであることに思い至る。だからこそ夫の ﹁ と が ﹂ を妻として自らも負わなくてはならないのだと内省 す る 。 学習院本の常葉の発話や述懐には、右にあげた以外にも義 朝に思いを馳せる箇所がある。このことを考えると、亡夫を 追慕する妻として義朝の存在と積極的に結び付く常葉は、義 朝の﹁罪﹂を被る﹁男子﹂の母であることがより強調され る。﹁常葉落ちらるる事﹂の章段は﹁左馬頭義朝が子共、あ またあり﹂と始まり、義平と朝長の死、そして捕縛された頼 朝が﹁死生いまださだまらず﹂という源家存続の危機的状況 を記している。義朝の子の母であることの強調は、僅かに残 された義朝の血縁の保持、即ち源家の後継者を産み育てると いう母性尊重の思想と関連すると言える。 また、常葉の出頭決意の中の﹁此後も子ほしくは、同じゆ かりの子を養ても慰ぬべし﹂の一文にも注目したい。義朝の 血縁者を養子にとるとは、母性尊重の思想と議離するかに思 えるが、実はこれと表裏をなすものと言える。日下氏はこの 一 文 を ﹁ 自 らの決断を自分自身に納得させる為の、言わば方 便的思考であった﹂と解釈する。清盛の前では﹁この子共に わかれて、片時もたへて有べき身共覚え候はず ﹂と述 べ る 思 いとは明らかに矛盾する。ただ、﹁方便的思考﹂の依って来 るところ、何故 ﹁ 同じゆかり﹂とするのかに拘ってみたい 。 義朝の子の母であることが意識 化 され、常葉の母性が尊重さ れるだけに、その子を失った場合、﹁家﹂の中での存在意義 も失いかねない。従って、この一文には、﹁同じゆかり﹂の 養子をとることにより、義朝の血縁者の母(養母)として源 家の中での存在意義を保とうする、武家の成員としての女性 意識が読み取れるだろう。母性尊重と裏返しに﹁家﹂に絡め 取られる女性性がここに垣間見られるように思う。 常棄の罪業と観音の救済 次に、母性に内包される 二 つの罪業観に関して見てみよ う。正にこの二つが常葉が抱えた問題となる。第 一 の 罪 業 、 子を自らのために犠牲にすることは、ここでは我が子の命と 引き換えに老母を助けることである。ただし、常葉の場合、 脇田氏が提示された間引きゃ嬰児殺しといった利己的な母性 意識に端を発するものではなく、老母に対する孝養を貫徹し ようとした厳しい自己抑制に基づくものである。だが、老母 │ 常業の﹁母子一体観 ﹂ の関係に基づき、母に孝養を尽くす という子の立場によって、常葉は我が子の死に繋がる六波羅

(6)

出頭を選択したことになる。その結果、母として子に犠牲を 強いたという意味において、やはりその罪を負わなくてはな らない。清盛を前に常葉が繰り返し口にする自身の死、その 死は堕地獄に比定されるだろう。 第二の罪業は﹁排他的盲愛﹂であるが、こちらは、常葉が 子供たちの命を守ろうとしたばかりに老母が犠牲となること と、ほぼそのまま当て依められる。常葉が下した決断は第二 の罪業を解消し、第一の罪業を背負おうとしたことになる。 常葉の出頭決意の中の﹁わが身のとが﹂とは第二の罪業に相 当するだろうが、子を犠牲とした出頭によって老母は解放さ れ、常葉の老母に対する﹁とが﹂即ち﹁排他的盲愛﹂による 罪業は回避あるいは購われたかたちとなる。 物語では、後にみるように、観音の利生によって母子四人 の救済が遂げられるのだが、この第一の罪業から常葉がなぜ 救済されるのか、その点を確認する。常葉母子が六波羅へ出 頭し、清盛と対面する前、伊勢守景綱のもとに一日一預け置か れ た 際 、 女心のはかなさは、此子共、もしや助かるとて、片田舎 へ引具して下り候しか共、科なき母が百出されて、恥を 見、くるしみにあふと承り候ほどに、子共こそうしなひ 候はめ、母をばいかでか助けでは候べきと思ひ定めて、 御尋ある子ども、相具して参て候うへは、母をばゆるさ せ 給 へ 150 と言って常葉は涙する。この発話の前半が第二の罪業を具体 的に説くもので、後半は第一の罪業に関わる内容である。こ の常葉の言葉に対して﹁きく人、孝行の心ざしを感じて、み なノ¥泊をぞながしける﹂と、平家方の人々は常葉の決断に 感涙し、この申し出を景綱が清盛に報告し、そこで老母が解 放される。つまり、老母救済は、常葉の我が子を犠牲にした ﹁孝行の心ざし﹂が、人々の、そして清盛の心を動かしたこ とによると解せる。また、この景綱のもとへ赴く前、常葉は 先に仕えていた九条院呈子の邸宅に立ち寄り、ここでも景綱 に告げた同様の内容を伝えていた。これを聞いた女房たち + 品 、 世の常の女房の心ならば、﹁老たる母は今日ともしらぬ 命なり。はかなくなるならば後の世をこそとぶらはめ。 行末とをき子共をたすけん﹂と思ふべきに、子を皆うし なふ共、母ひとりを助んと申心ざしの有難さよ。仏神、 定 て 御 憐 あ ら ん ず ら む 。 と年老いた母一人のために幼子全てを犠牲にしようとする思

(7)

いには﹁仏神﹂の﹁御憐﹂があるだろうと評価する。山下宏 明氏は、この女房たちの発話から﹁世の常﹂を越えた﹁親子 の情、常盤の白首が清水観音を動かしたのである﹂とされる が、この九条院と先の景綱のもとでの常葉の発話に対するそ れぞれの反応は次のように対応するだろう。﹁母ひとりを助 んと申心ざし﹂と﹁孝行の心ざし﹂は、無論老母への思い、 孝行、孝養である。これに動かされるのが﹁仏神﹂(観立円) と清盛で、その結果が﹁御憐﹂(利生)と老母解放となる。 この対応関係からみると、孝養に動かされた清盛が老母を釈 放するのに対して、常葉の救済に観音が当たるものしてよい だ ろ う 。 このように捉えることができるならば、常葉が負う罪業 は、母である者が子を犠牲にしてしまうことによるのだが、 それが母である自己を抑制して、あるいは犠牲にしての行為 (孝養)であった点が観音の救済に繋がったと考えられる。 また、観音菩薩自体が女性性や母性を備え、観音信仰の特徴 の一つとして、その救済が女性と強く結びつくことが先学に よって指摘されている。老母への孝養のために我が子を犠牲 する罪を背負った常葉に対する救済する主体として最も相応 し い ﹁ 仏 神 ﹂ で あ る 。 物語は、捕縛されていた頼朝の死罪宥免の決定と連動し て、常葉母子の解放という結末に辿り着くのだが、母子赦免 の直前の場面には、﹁常葉、﹁一日片時も、命あるこそふしぎ なれ。これさながら、清水の観音の御助なり﹂とたのもしく て、わが身は観音経をよみ、子共には観音の御名をおしへて 唱へさせけり。﹂とある。今、こうして犠牲に供した子供た ちとともに我が身も生きながらえていることが観音の利生で あることを常葉自身が認識している。この利生は常葉が読請 した﹁観音経﹂つまり﹃法華経﹄﹁観世音菩薩普門品﹂の経 文そのものに一不されている。本経が説く観音の十の功徳の中 ヲ ﹂ 十 品 、 tl 若し復、人有りて当に害せらるべきに臨みて、観世音菩 薩の名を称えば、彼の執る所の万杖は、尋に段段に壊れ ま ぬ が て、解脱るることを得ん。(中略)設い復、人ありて、 若しくは罪あるにもあれ、若しくは罪無きにもあれ、紐 せ く さ り と じ こ 械・棚鎖にその身を検め繋がれんに、観世音菩薩の名を 称えば、皆悉く断壊して即ち解脱るることを得ん。 とあり、子供たちが観音の名を称えることで新刑の難を免 れ、檎縛の難から脱することができるという、正に彼らの救 済に直結するものである。この観音の功徳は本経を読請する

(8)

常葉自身にも直接粛されるわけだが、我が子の死を免れ、犠 牲に供することを避け得た常葉の母性の救済、母性における 罪業からの救済にも繋がるものである。 おわりに 以上、脇田氏が提起した母性論を援用し、物語における常 葉の意識の一部を素材として、中世の女性性との関係を考察 した。本稿前半では、常葉の義朝への意識が強調される点に 着目することで、家父長権の確立を背景とした母性尊重の思 想が現れ、義朝の血縁者を産み育てるという母性機能、﹁家﹂ における存在意義を﹁母﹂に求めようとする女性性の一端を 確認した。また後半では、物語において常葉が直面した問題 が母性に内在する罪業観と関連し、﹁孝養﹂が観音による救 済のモチーフになっている点を確認した。しかし、﹁孝養﹂ あるいは母性による罪業と、観音の女性性・母性の内実や観 点目信仰の実態との関係等殆ど論じることができなかった。今 後の課題としたい。 女性性、特に﹁母性﹂の定義づけには様々な見解がある。 後に清盛との聞に一女を、藤原長成との聞に一男をもうけた 常葉について、あるいは金万比羅本﹃平治物語﹄や﹃義経 記﹄、そして幸若舞曲や謡曲等の後代の関連作品に描かれる 常葉像についての考察から、また違った女性性の側面、母性 のあり様が浮かび上がってくるはずである。これも今後の課 題にできればと思う。 152 ︹ 注 ︺ ( 1 ) 久 保 田 淳 氏 ﹁ ヨ 平 治 物 語 巴 の 世 界 ー そ の 人 物 造 型 を 中 心 と し て ﹂ ( ﹃ 解 釈 と 鑑 賞 別 冊 ・ 講 座 日 本 文 学 平 家 物 語 ・ 上 ﹂ 一 九 七 八 ・ 一 ニ ) は 、 後 出 本 と 比 較 し て ﹁ 人 間 を 最 も 良 く 描 い て い る ﹂ の が 古 態 本 の 学 習 院 本 で あ る と さ れ る 。 学 習 院 本 の 引 用 は 、 新 日 本 古 典 文 学 大 系 ﹃ 保 元 物 語 ・ 平 治 物 語 ・ 承 久 記 ﹄ 岩 波 書 盾 に よ る 。 ( 2 ) 田 端 泰 子 氏 ﹁ 鎌 倉 期 に お け る 母 子 関 係 と 母 性 観 上 家 父 長 制 家 族 の 成 立 を め ぐ っ て ﹂ ( ﹃ 母 性 と 問 う ( 上 ) │ 歴 史 的 変 遷 ﹄ 人 文 書 院 一 九 八 五 ・ 二 ) に よ れ ば 、 武 士 に お い て 、 父 の 罪 科 に よ る 男 子 へ の 縁 坐 は 、 父 の 跡 を 継 ぎ 、 所 領 を 担 杭 す る 、 つ ま り 家 を

U

立 さ せ る 責 任 を 負 っ て い る た め に 女 子 以 上 に 厳 し く 行 わ れ た と い う 。 ( 3 ) ﹁ 常 葉 譜 の 読 み │ 山 下 宏 明 氏 の ﹃ 山 下 治 物 語 ﹄ の 読 み に 対 し て │ ﹂ ﹃ 文 学 ﹄ 一 九 八 阿 ・ 一 一 ( ﹁ 平 治 物 語 の 成 立 と 展 開 ﹄ 汲 上 口 書 院 一 九 九 む ・ 六 所 収 ) 。 ま た 、 本 稿 は 同 氏 に よ る 新 日 本 古 典 大 系 本 の 脚 注 や ﹃ 古 典 講 読 シ リ ー ズ 平 治 物 語 ﹄ 岩 波 書 応 一 九 九 二 ・ 一 二 に 大 き な 一 示 唆 を 得 た 。

(9)

( 4 ) ﹃日本中世女性史の研究│性別役割分担と母性・家政・性 愛

l

﹄ ( 東 京 大 学 出 版 会 一 九 九 了 豆 ) 第 1 章﹁性別役割分担と女 性 観 ﹂ 、 第

2

章﹁母性尊重思想と非業観│小院の文芸を小心に │ ﹂ 等 、 主 回 所 収 の 関 連 論 考 を 参 照 。 ( 5 ) 長 沢 レ イ 子 氏 ﹁ ヲ 出 l 治物語﹄における常葉説話の号祭﹂ ( 主 間 文 論 叢 ﹂ 3 4 九 七 八 ・ 五 ) は 、 後 山 本 の 金 万 比 羅 本 の 常 葉 に 義 朝 の 菩 提 を 弔 わ せ る 遺 士 山 が 残 さ れ な か っ た こ と に 着 目 し 、 他 の 義朝縁の女性たちとは異なり、﹁義朝と常葉との結びつきは消 極 的 ﹂ だ と す る 。 ( 6 ) 注 ( 4 ) の著書に﹁母となって存在意義を得るということ が一般化すれは、それはとりもなおさず母とならぬ女性が存在 意 義 を も た ぬ こ と に 連 動 す る 。 女 性 と 母 性 は 同 義 で は な い 。 ﹂ ( 豆 五 頁 ) と あ る 。 ( 7 ) 注 ( 2 ) 、 五 味 文 彦 氏 ﹁ 女 性 所 領 と 家 ﹂ ( ﹃ 日 本 女 性 史 二 ・ 中 世 ﹄ 東 京 大 学 出 版 会 一 九 八 二 二 ) に よ る と 、 鎌 倉 期 に も 養 子 を 迎 え 、 養 母 か ら の 所 領 譲 警 守 が 一 般 的 に 行 わ れ て い た 。 ( 8 ) ﹁宇治物芭の読みよ吊盤の物語をめぐって│﹂﹃文学﹄ 一 九 八 四 ・ 凶 ( 9 ) 日 下 氏 ﹁ 平 治 物 語 巴 常 葉 譜 考 ﹂ ﹃ 国 文 学 研 歪 加 一 九 八 一 一 了 六 ( ﹃ 平 治 物 語 の 成 立 と 展 開 ﹄ 汲 古 書 院 一 九 九 七 ム 所 収 ) 、 沼 義 昭 氏 ﹁観音信仰と母性崇拝﹂大系・仏教と日本人﹃性と分身﹄春秋 社 一 九 八 九 ・ 九 、 中 村 生 雄 氏 ﹁ 観 音 信 仰 と 日 本 の カ ミ │ と く に ﹁ 自 然﹂と﹁身体﹂の視点から﹂﹁観音信仰事典﹄戎光祥出版 言 。 0 ・ 一 等 を 参 照 。 ( 叩 ) 引 用 は お 波 文 庫 ﹃ 法 華 経 ﹄ ( 下 ) に よ る 。 ( H ) 例 え ば 、 上 野 千 鶴 子 氏 ﹁ ﹃ 日 本 の 母 ﹄ の 崩 壊 ﹂ ( ﹃ 日 本 の ほ │ 崩 壊 と 再 生 ﹄ 新 昭 社 一 九 九 七 ・ 九 ) は ﹁ 母 性 ﹂ と は 、 本 能 ・ 自 然 ・ 文 化 で は な く 、 ﹁ 歴 史 の 構 築 物 ﹂ で あ る と す る 。 ﹂ つ が い ・ と お る 明 治 大 川 了 非 常 勤 講 師 ︺

参照

関連したドキュメント

【ヒアリング要旨】 地域女性ネット高岡のメンバーに聞く

コロナ禍がもたらしている機運と生物多様性 ポスト 生物多様性枠組の策定に向けて コラム お台場の水質改善の試み. 第

政治エリートの戦略的判断とそれを促す女性票の 存在,国際圧力,政治文化・規範との親和性がほ ぼ通説となっている (Krook

バッテリー内蔵型LED照 明を作業エリアに配備して おり,建屋内常用照明消灯 時における作業性を確保し

バッテリー内蔵型LED照 明を作業エリアに配備して おり,建屋内常用照明消灯 時における作業性を確保し

バッテリー内蔵型LED照 明を作業エリアに配備して おり,建屋内常用照明消灯 時における作業性を確保し

RESPONSE SPECTRA FOR DESIGN PURPOSE OF STIFF STRUCTURES ON ROCK SITES,OECD-NEA Workshop on the Relations between Seismological DATA and Seismic Engineering, Oct.16-18,

開発途上国では女性、妊産婦を中心とした地域住民の命と健康を守るための SRHR