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37 1 (Martin Wight) (balancing) (bandwagoning) 8 ABC A B C B A A B C A

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は じ め に ケネス・ウォルツ (Kenneth N.Waltz) の『国際政治理論』1 は,「1979 年の発行以来,国際関係論においておそらく 他のどの著作よりも多く引用されてきたし,現在も国際 関係論の基本テキストの一つである」2。それはまさに 「戦後国際政治学史の一大分水嶺」3 であり,特に「安全 保障の研究領域に深遠な影響を及ぼしてきた」4。ウォル ツは同書で,「勢力均衡」(balance of power) を同じ現実主 義の先駆者モーゲンソー (Hans J. Morgenthau) とは異なる 方法で説明し,過去の遺物にされつつあった勢力均衡を 復活させた。 ウォルツが『国際政治理論』で事実上完成させた「新 現実主義理論」(neorealist theory) とその中核「勢力均衡 理論」(balance-of-power theory: 以後本稿で「勢力均衡理 論」と言う場合,それはウォルツの理論を指す)への批 評は,これまで新自由主義制度論 (neo-liberal institutional-ism),コンストラクティビズム (constructivism) の非現実 主義によるものが多く,また注目されてきた5 。しかし, 何人かのウォルツ以後の現実主義者も勢力均衡理論の興 味深い修正・代案を提示している。本稿は彼らを「ポス ト・ウォルツ」と呼び,ウォルツと彼らに焦点を当て次 の考察を行う。(1) ウォルツ,ポスト・ウォルツは,どの ような視点から勢力均衡を捉えているのか。(2) ポスト・ ウォルツは,勢力均衡理論をどのように批判・修正・継 承し,対外政策分析に応用しているのか。(3) 勢力均衡 は,国際政治の現実にどの程度整合し,どのような分析 上の意義を持つのか。 以上の問題提起は次の動機による。(1) 勢力均衡理論の 批評は非現実主義者のものが主で,ポスト・ウォルツの それは相対的に注目が少なく,まだ十分に論じられてい ないように思われる。(2) ポスト・ウォルツは,程度や手 法の差こそあれ,勢力均衡の論理を実証分析に応用し 「理論と現実の対話」を行っており,これは筆者の以前 からの問題関心であった。(3) ウォルツ,ポスト・ウォル ツの勢力均衡観は,今後の安全保障研究の重要な指針に なる。(4) 冷戦終結後,勢力均衡の分析概念としての意義 は軽視されがちだが,この傾向には疑問が残る。勢力均

勢力均衡理論と国際政治の現実

――モーゲンソー,ウォルツ,ポスト・ウォルツ――

長 谷 川 将 規 *

Balance-of-Power Theory vs. International Political Reality

—Mougenthau, Waltz, and Post-Waltz —

Masanori HASEGAWA*

“Theory of International Politics”, written by Kenneth N. Waltz in 1979, has had a profound influence on North Ameri-can academic society of International Politics, and the field of security studies in particular, since the 1980s. In this book, by advocating “balance-of-power theory”, he revived “the balance of power” and “realism” (This “realism” was called “neorealism” and was separated from Morgenthau’s traditional realism). Waltz’s balance-of-power theory has been criti-cized mainly by“non-realists” such as neo-liberal institutionalists or constructivists, and relatively, their comments have drawn the attention. However, some realists who emerged after Theory of International Politics (I call them “Post-Waltz”) suggest very impressive alternatives of Waltz’s theory, too.

This article is the comparisons of Waltz and Post-Waltz about the balance of power, and investigates these three is-sues: (1) From what viewpoints Waltz and Post-Waltz explain and estimate the balance of power? (2) How Post-Waltz criticize, revise or follow Waltz’s balance-of-power theory to apply it to their own foreign policy analyses? (3) To what ex-tent the hypothesis of the balance of power are consisex-tent with the reality of international politics and foreign policy? Vol. 37, No. 1, 2003

* 総合文化教育センター

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衡再考の必要がある。 本稿の用語の定義は次のとおりである。まず「勢力均 衡」は,様々な目的から,様々な人々によって,様々な 意味で使用されてきた用語であり,その定義がしばしば 論争になる。例えばワイト (Martin Wight) は九つ,モー ゲンソーは 4 つの意味を確認した6。しかし,本稿では これは大きな障害ではない。なぜなら,たしかに「勢力 均衡」は歴史的に様々な意味で使用されてきたが,他方 で,①パワー関係の極端な劣勢(一極支配あるいはヘゲ モニー)に陥らない程度のほぼ均等なパワーの分布状況, もしくは②そのような状況を目指す戦略,という意味は, ほぼ共有されてきたからである7。そして,それは本稿 で扱う論者も同様であり,本稿もこの 2 つの意味で「勢 力均衡」を使用するからである。なお①②を特に区別す る場合は,①を「勢力均衡状態」,②を「パワー(の) 均衡化」と表現する。 次に,本稿に頻出する「均衡化」(balancing) と「バン ドワゴン」(bandwagoning) は,論者で意味が異なる場合 があり,注意が必要である。例えばウォルツとシュエ ラーの場合,「均衡化」は,「パワーの劣る弱者」と同盟 を組み「パワーで優越する強者」に対抗すること(「パ ワーの均衡化」)8を,逆に「バンドワゴン」は「パワー で優越する強者」と同盟を結ぶこと(「パワーのバンド ワゴン」)を意味するが,ウォルトの場合には,「均衡化」 は「脅威と認識する相手」に対抗して同盟を組むこと (「脅威の均衡化」)を,逆に「バンドワゴン」は「脅威 と認識する相手」と同盟を結ぶこと(「脅威のバンドワ ゴン」)を意味する。 したがって,当事国 ABC のパワー関係が,強い順に ABC である場合,B の A との同盟選択は,ウォルツ やシュエラーならば(A のパワーへの)「バンドワゴン」 だが,ウォルトの場合は,もしも B にとって C の方が A よりも脅威であるならば,(脅威の)「均衡化」となる。 つまり,ウォルツやシュエラーならば「バンドワゴン」 と表現されるものが,ウォルトならば「均衡化」と表現 されるケースがありうる。本稿は混乱を防ぐため,なる べく「均衡化」と「バンドワゴン」の上に「パワーの」 あるいは「脅威の」と表示するが,特に表示がない場合, ウォルツやシュエラーに言及しているならば「パワーの 均衡化・バンドワゴン」を,ウォルトに言及しているな らば「脅威の均衡化・バンドワゴン」を,それぞれ意味 することとする。 本稿は古典的現実主義の泰斗モーゲンソーの勢力均衡 観から始まる。ウォルツの勢力均衡理論―それはモーゲ ンソーへのアンチテーゼである―は,モーゲンソーとの 比較によって特色が鮮明になるからであり,さらにその ことによってウォルツとポスト・ウォルツの比較考察も 容易になるからである。彼らは勢力均衡をめぐり,どの 点で対立し,一致するのだろうか。 1.モーゲンソー ―勢力均衡の不確実性・非現実性・不十分性― モーゲンソーは,勢力均衡が,ある時代においては国 家の独立(一国支配の阻止)と無分別な行動の抑制に役 立ったことを認めつつも,戦争回避の手段としての勢力 均衡の有効性には懐疑的であった。彼によれば,「近代 国際システムが誕生してからの戦争は,そのほとんどが 勢力均衡に原因がある」のであり,予防戦争は「勢力均 衡の当然の産物」であった。1719 世紀の勢力均衡の全 盛期においてすら,戦争は勢力均衡の有効な手段であっ たし,第 1 次・第 2 次世界大戦もまた,勢力均衡のため に生じたのである9 モーゲンソーは,勢力均衡が戦争につながる理由とし て,勢力均衡の 3 つの弱点を指摘した。①現実に国家間 のパワー関係を正確に測定して勢力均衡状態か否かを判 定することは,極めて困難である(「勢力均衡の不確実 性」)。②それゆえ国家はパワー関係の誤算を恐れ,現実 には「ほぼ均等」以上のパワーを目指すことになり,し かも誤算の程度を予測できないため,究極的にはパワー の極大化を追求せざるをえなくなり,戦争につながりか ねない熾烈なパワー獲得競争が展開される。ロシアと オーストリアの競争を発端とする第 1 次大戦はその典型 例であった(「勢力均衡の非現実性」)。しかも彼によれ ば,人間の普遍的権力欲ゆえに,もともと国家はパワー 極大化を求める存在であり,「勢力均衡」が現実には 「パワー極大化」に陥ってしまう誘因は強力である。し たがって,③勢力均衡が有効に機能し各国の無分別な行 動を抑制する前提として,各国の「道義的コンセンサス」 (我々は同じ共同体の一員であり勢力均衡をルールとし て受け入れ尊重する,という共通認識)が,必要不可欠 であった(「勢力均衡の不十分性」)10 つまり,モーゲンソーの考えでは,現実に生じるのは 「 パワー均衡化」 ではなく「 パワー極大化」 であり, 1719 世紀の勢力均衡の全盛期でさえも,勢力均衡の有 効性は道義的コンセンサスやその時代特有の他の諸要因 (多極構造における同盟関係の柔軟性,バランサー,大

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国間のパワー獲得競争の熾烈さを緩和する植民地地域の 存在)によって補完されていたにすぎず,戦争回避の手 段としての勢力均衡の有効性はもともと疑わしいもので あった。しかも,第 2 次大戦後の米ソ二極構造では,道 義的コンセンサスも上記の他の諸要因も消滅していた。 それゆえ彼は,冷戦時代の勢力均衡の有効性に悲観的で あった11 2.ウォルツ―勢力均衡理論  アナーキー構造と勢力均衡の法則性― これに対してウォルツは,自身の「勢力均衡理論」で 次の論理を展開した。 国際政治構造は,生存を保障する政府機関が存在しな い「アナーキー構造」であり,武力行使と戦争が潜在的 に可能であり,国家が自分の創意工夫によって生存を確 保せねばならない「自助」の世界である12。この構造下 では,以下の傾向が生じる。 ①「安全保障」すなわち「生存」(独立)確保が国家 の第 1 目標となる13 。②生存を確保し繁栄するために, 国家は,成功した国家の戦略を模倣し,支配的な国際慣 習に自国を適応させる14 。③パワー劣勢は生存を脅かす ので,国家はこれを嫌い,可能な限り,自国のパワー増 強(国内努力),同盟の形成・強化あるいは敵の同盟の弱 体化(対外努力)によって,パワー均衡化をはかる15 ④国家は主にパワー関係を考慮して同盟国を選択する。 もしも自由な選択が可能で十分な防衛力・抑止力が期待 されるならば,「パワーのバンドワゴン」(パワーで勝る 強者と同盟する)よりも「パワー均衡化」(パワーで劣 る弱者と同盟を結んで強者に対抗する)を選ぶ。なぜな ら,アナーキー構造における国家の第 1 目標は,パワー 極大化ではなく安全保障であり,安全保障上の脅威は 「より強い側」だからである16。⑤敵の同盟が弱体化す れば,パワー均衡化の観点から,味方の同盟の団結力も 弱まる。敵の同盟が完全に崩壊すれば,味方の同盟もや がて分裂する17 。⑥勢力均衡が崩れ,ある一国のパワー が突出しても,やがて他の諸国がこれに対抗してパワー 均衡化を開始する。したがって,一極支配は長続きせ ず,勢力均衡が再発的に生じる18。⑦他国への依存は自 国の安全保障を不安定にするので,パワー均衡化の手段 としては,同盟よりも自国自身のパワー増強の方が,確 実性・信頼性が高く好ましい19 モーゲンソーは,「人間の普遍的権力欲」と「勢力均 衡の不確実性」から,国家はパワー均衡化よりもパワー 極大化を行いがちだと考えたが,ウォルツは,生存が保 障されないアナーキー構造の圧力ゆえに,国家はまず安 全保障を第一に考えざるをえず,それゆえパワー均衡化 に従事し,無分別なパワー極大化は一定の制約を受ける と考えた。勢力均衡そのものの実現性について,ウォル ツはモーゲンソーよりも楽観的・肯定的であった。ウォ ルツによれば,パワーは過少でも過剰でも危険である。 「弱さは,もっと強かったならば敵が思いとどまってい たであろう攻撃を招くおそれがある」。「過度の強さは, 他国の軍備増強や協力を招く可能性がある」し,「パワー 格差が広がる前に奇襲攻撃による勝利を願って,相手が 予防戦争のリスクを冒してくる誘因になりかねない」20 したがって,「道義的コンセンサス」(ルールとしての 勢力均衡の受容)を勢力均衡が機能する大前提とした モーゲンソーに対し,ウォルツは,この前提が存在せず とも,アナーキー構造下で生存を望む限り,結果的に国 家はパワー均衡化に従事し,勢力均衡が有効に機能しう ると考えた。例えば,彼によれば,ナポレオン戦争以来 の強い不信感・嫌悪感にもかかわらず,フランスとロシ アは 1894 年に同盟を結び,結果的にドイツとオーストリ アに対抗してパワー均衡化を行った。また,第 2 次大戦 後の米ソは,前者には再武装回避の願望,後者には大戦 での深刻な被害が存在したが,それにもかかわらず,互 いに激しい軍拡競争を展開し,結果的にパワー均衡化に 従事した21 しかもウォルツによれば,仮にいくつかの国家あるい はすべての国家が「勢力均衡」ではなく「世界支配」を 追求する場合でも,国家は結果的にパワー均衡化に従事 し,勢力均衡が生じうる。なぜなら,アナーキー構造で 生存を望む限り,国家は他国の世界支配を望まないから であり,また,自国の世界支配達成のため結果的に互い に相手の世界支配を妨害し合うからである。かくして ウォルツによれば,国際構造がアナーキーで国家が生存 を望む限り,「いくつかのもしくはすべての国家が意識 的に均衡の確立・維持を目標にしていようと,いくつか のもしくはすべての国家が世界支配を目標にしていよう とにかかわらず」,すなわち「国家が望もうと望むまい とにかかわらず」,「勢力均衡が生じる傾向がある」22 以上から分かるように,ウォルツの勢力均衡の説明は 二刀流であった。つまり,生存が保証されないアナー キーな国際構造には,国家が①意識的に勢力均衡を追求 する誘因が存在するし,②意識せずとも勢力均衡が生じ てしまう「からくり」も存在する。まさに「国家が望も

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うと望むまいとにかかわらず」なのである。 次にウォルツは,モーゲンソーと正反対に,米ソ冷戦 のような二極構造の方が勢力均衡が有効に機能し,大国 間の戦争が回避され好ましい,と主張した。それによれ ば二極構造では,圧倒的パワーを持つ 2 つの大国しか存 在せず,誰と誰が敵対しているのか(危機の所在と責 任)が明白であり,2 つの大国が激しく競争する。した がって,①真の脅威(敵国)を誤審する心配がない。② 両大国の死活的利益が明確になり,学習効果が働き,相 手の死活的利益を侵害する無分別な行為が抑制される。 ③イデオロギーが国益(生存確保)に従属し,互いの行 動が穏健化する。④多極構造とは異なり,パワー均衡化 の努力を各国が互いに押しつけ合い勢力均衡に失敗して しまう心配がない。⑤均衡化の主な手段は,同盟ではな く自国自身のパワー増強であり,同盟の価値は低下する。 しかし,同盟よりも自国増強の方が均衡化の手段として は確実であるし,多極構造のように同盟への依存から過 剰な同盟強化に走り,好戦的な同盟国の戦争に巻き込ま れてしまう心配がない23 ウォルツの勢力均衡理論は,現実主義・勢力均衡の批 判として 70 年代前半に台頭した相互依存論やグローバ リズム,また米ソ二極構造での勢力均衡を悲観視する モーゲンソーのような伝統的現実主義,双方に向けた勢 力均衡復権の主張であった。しかもそれは,ソ連がアフ ガニスタンに侵攻し,新冷戦が開幕するときに登場した。 それゆえ彼の理論は,現実主義が衰退の兆しを見せ,新 冷戦の緊張下にあった当時の米国の学界で多大な注目を 集めた。 しかし,勢力均衡理論は,その現実整合性の検証に関 して次の問題がある。第 1 に,ウォルツは「パワー均衡 化」を①パワー劣勢を矯正する行為,あるいは②弱者と の提携による強者への対抗として使用しているが24,① と②は時に矛盾する。例えば,三国間のパワー関係が強 い順に ABC の場合,B のパワーに対抗するための A の C との同盟は,①の意味では「パワーの均衡化」だ が,②の意味では「C のパワーへのバンドワゴン」であ り,同一の現象(A の C との同盟)を「均衡化」とも 「バンドワゴン」とも言えることになってしまう。例え ば日本にとっての日米同盟は,①の意味では中国,北朝 鮮へのパワー均衡化,②の意味では米国のパワーへのバ ンドワゴンと解釈可能であり,これは勢力均衡理論の現 実整合性の調査に常にあいまいさを残し,混乱を生じさ せる。第 2 に,①に関して言えば,国家は,パワー均衡 化が十分可能であっても,これを回避しパワー劣勢に甘 んじる場合がある。例えば,ウォルツは 1993 年に,「今 後 10 年から 20 年以内に」米国の一極支配に対抗してロ シア,中国,日本,ドイツ(もしくは EU)がそれぞれ パワー均衡化を行い,その過程で日本は核武装すると予 想したが25,現在の日本にはこの動きはほとんど見られ ない。第 3 に,②に関しても,国家は必ずしも,弱者と 同盟して強者に対抗するわけではない。過去の日本の同 盟政策には強者との同盟もよく見られたし26 ,近代ヨー ロッパでも,シュローダー (Paul Schroeder) は,むしろ強 者との同盟の方が一般的であったと指摘している27 。第 4に,勢力均衡理論によれば,敵国の崩壊は,味方の同 盟の緩和・解消につながる。しかしそれならば,ソ連崩 壊後の日米同盟強化や NATO 東方拡大は,どう理解すれ ばよいのだろう。 3.ウォルト―脅威均衡理論  パワー関係と脅威認識のギャップ― これらの問題点のうち,第 3 の点について説得力ある 代案を試みたのが,ウォルト (Stephen M. Walt) であった。 彼によれば,国家は必ずしもパワーで勝る強者に対抗し て同盟を組むわけではない。例えば第 2 次大戦や冷戦で は,連合国,西側陣営の方が枢軸国,東側陣営よりもパ ワー優位だったにもかかわらず,多くの国が前者に味方 した。ドイツやソ連の方が侵略的で危険であると認識さ れたからである。つまりウォルトによれば,国家は,パ ワー関係ではなく脅威認識にしたがって同盟相手を選択 するのであり,しかもパワーは脅威認識を形成する重要 要因ではあっても唯一の要因ではなく,地理的近さ,攻 撃力,侵略的意図も同様に重要なのである。ウォルトは これを「脅威均衡理論」(balance of threat theory) と称し, 同盟の説明に関して,ウォルツの勢力均衡理論よりも包 括的で説明力を持つと主張した28 。その基本仮説は以下 の通りである。 ①国家は,パワー関係よりも脅威認識基づいて同盟国 を選択し,最大の脅威と認識される国家に対抗同盟(脅 威の均衡化)をはかる29 。②パワーは,脅威認識の重要 な源泉だが,唯一の源泉ではない。脅威認識は他に,地 理的近さ,攻撃力,認識される相手の意図からも構成さ れる。それゆえ,パワーで勝る国家が,必然的に脅威と 認識され均衡化を招くとは限らない30 。③相手の脅威が 弱まれば,対抗同盟の団結力も弱まる。相手の脅威が消 滅すれば,対抗同盟もやがて分裂する31 。④国家は脅威

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認識に基づいて同盟国を決定するので,一国のパワーが 突出しても他国がそれを脅威と認識しなければ,均衡化 は生じず一極支配が継続しうる32 。⑤脅威への反応は, 「脅威の均衡化」が一般的だが33「脅威のバンドワゴン」 (脅威である国家との同盟)もありうる反応であり,次 の場合にその誘因が高まる。(I) パワーが極度に脆弱なた め,他国と同盟しても効果がなく,へたに他国と同盟す ると脅威である国家の怒りを招きそうな場合。(II) パワー が脆弱な上に,脅威である国家を抑止できる有効な同盟 国が存在しない場合。つまり他国からの有効な支援が期 待できない場合。(III) パワーが脆弱な上に,脅威である 国家の近隣にあるため,有事に同盟国からの迅速な支援 が期待できない場合。脅威である国家の攻撃力が高い場 合は,なおさらである。(IV) バンドワゴンによって,脅 威である国家を宥和できそうな場合。(V) 戦時において一 方の勝利が明白な場合34 ウォルトは以上の脅威均衡理論に基づき,ソ連の脅威 消滅後の NATO 存続は困難と予想した35。また勢力均衡 と平和の関係については,勢力均衡が崩れた場合にパ ワー優勢な側が予防戦争に訴える危険性を認めつつも, 「反対の論理も同様に説得力がある」と主張した。つま り,勢力均衡が崩れてパワー優勢になった側が,自国の 安全が高まったと感じ,パワー劣勢になった敵を以前ほ ど脅威に感じなくなり,武力行使の誘因が低くなる。し たがって,「勢力均衡のシフトだけでは戦争の決定は説 明できない」36 4.シュエラー―国益均衡理論 大国間の パワー格差と国益― シュエラー (Randall Schweller) は,勢力均衡理論と脅威 均衡理論を次のように批判した。まず前者は,すべての 大国を「極」と見なし,「生存」を第一の国益に想定し ている。しかし,歴史的には大国間にかなりのパワー格 差が存在して諸大国の戦略形成を左右したし,ナチスド イツのように,自国の生存を犠牲にしてまでパワー極大 化を追求した国も多数存在した。したがって勢力均衡理 論は,そのままでは対外政策の理論として利用できな 37。次に脅威均衡理論は,脅威への反応としてしか同 盟を説明しておらず,脅威が不在な場合になぜ同盟が生 じるのかを説明できない。脅威均衡理論は,同盟の理論 というよりも,主要な脅威への反応(均衡化かバンドワ ゴンか)を説明する理論である。国家の同盟選択を正確 に理解するには,国益や利益獲得機会を考察しなければ ならない38 かくしてシュエラーは,「ウォルツのシステム理論の 2 つの修正」として「大国間のパワー格差」と「国益」 (state interest)を導入し,対外政策分析用の「新しい勢力 均衡理論」「国益均衡理論」(balance of interest theory) を 提唱した。すなわち,パワー格差に従って大国を,「極 大国」と「二級大国」に区別し,さらに大国以外を「中 堅国」「小国」に区別する。そして「国益」(現状維持か 現状変更か)の視点を導入し,以下のユニークな国家分 類を行い,パワーと国益の違いによって国家の行動パ ターンを説明する39 ①ライオン:(例)第 2 次大戦前のイギリス。最大の パワーを持つ現状維持の極大国。既存の国際秩序の保護 者。強力な現状変更国に均衡化。②フクロウ,タカ: (例)第 2 次大戦前のフランス。強力な現状変更国の挑 戦を単独では撃退できない現状維持の二級大国か中堅 国。フクロウは真の脅威の所在を的確に把握するが,タ カは実体のない想像上の脅威に過敏に反応し,ときに不 必要な紛争を起こす。どちらもライオンを支援し,現状 変更国に積極的に均衡化。ライオンが存在しない場合 も,通常は均衡化戦略を採用。③ダチョウ:(例)1930 年代の米国。大きなパワーにもかかわらず,弱国の如く 行動する極大国か二級大国。孤立主義志向。自国の生存 と独立維持に専念。既存の国際秩序に無関心。④ハト: (例)1930 年代前半のイギリス。極大国か二級大国か中 堅国。基本的に現状維持。現状変更国に対して均衡化よ りも宥和。不必要な対立誘発を嫌って,堅固な同盟を回 避。⑤子羊:中堅国か小国。現状無関心か現状維持。国 内が分裂し,パワーも脆弱。侵略国の格好の餌食。バン ドワゴンが一般的。⑥キツネ:(例)1930 年代のソ連。 限定的な現状変更を国益とする極大国。現状維持国と現 状変更国の公正なバランサーを装い,裏で対立を煽って キャスティングボートを握ろうと策動。⑦ジャッカル: (例)第 2 次大戦前の日本。二級大国か中堅国か小国。 限定的な現状変更国。キツネやオオカミに比べパワーは 脆弱。通常は利益獲得を狙いオオカミにバンドワゴン。 勝利が明白な場合にはライオンにもバンドワゴン。⑧オ オカミ:(例)ヒットラー政権下のドイツ。極大国か二 級大国。無制限の目的を持ち,既存の国際秩序の転覆と 世界支配を狙い,無慈悲な侵略・拡張政策に従事。自国 の生存を犠牲にしてもパワー極大化を追求。オオカミは 均衡化もバンドワゴンも行わない。自身が他国にバンド ワゴンか均衡化をされる対象である40

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シュエラーによれば,ウォルツ,ウォルトの議論(均 衡化かバンドワゴンか)は重要ではない。なぜなら国家 は両方とも行うからである。さらにこの議論は問題でさ えある。なぜなら,国家は①均衡化とバンドワゴンを同 時に追求しうるし,②脅威もしくはパワーに対して,均 衡化やバンドワゴン以外にも,binding, distancing, buck-passing, engagementなどの反応・戦略もとりうるからであ る。むしろ重要なのは,どの国家がどの条件下で,均衡 化,バンドワゴン,その他の戦略を採用するのか,を精 査することである。脅威が存在する場合は均衡化が一般 的だとするウォルトの命題にシュエラーは一応同意する。 しかし彼によれば,脅威が不在な場合は利益獲得のバン ドワゴンが一般的であり,特にジャッカルのような現状 変更国はそうである。したがって,条件を限定せずにあ らゆる場合に均衡化がバンドワゴンよりも一般的だとす るウォルツ,ウォルトには問題がある41 シュエラーは,現状維持国のパワーが現状変更国のそ れを大きく凌ぐ状態を最も平和と考える。つまり,平和 の問題に関しては,勢力均衡か否かよりも,国益のバラ ンス(現状維持国のパワーがどれほど現状変更国のパ ワーを凌駕するのか)が決定的に重要である42 またシュエラーは三極構造の分析を訴える。なぜなら, 従来の構造分析は二極,多極構造が主であったが,三極 構造も過去に存在したし,将来も存在しそうだからであ る。彼は,1930 年代後半は一般に言われる多極構造では なく米独ソの三極構造であり,将来の国際システムも米 中露の三極構造になる可能性があるとして,3 つの極大 国のパワー関係と国益がそれぞれの国家戦略や三極構造 の安定性に及ぼす影響を考察している43 5.ミアシャイマー ―ヘゲモニー追求によって生まれる勢力均衡― 1990年代の諸論文で,ポスト冷戦時代への楽観論,国 際制度への過剰な期待に警鐘を鳴らしたミアシャイマー (John J. Mearsheimer)の勢力均衡観は,ウォルツの影響を 強く受けているが,モーゲンソーに近い部分も持ってい る。 ミアシャイマーは,国家は「アナーキーの下で生存を 追求する」としてウォルツと同じ前提に立ち,パワーへ の国家の普遍的欲望を主張するモーゲンソーから分岐す 44 。しかし,ウォルツが国家は生存確保の戦略として パワー均衡化を追求すると考えたのに対し,ミアシャイ マーは,「他国に対する軍事的優位が大きくなればなる ほど安全が高まる」ので国家はパワー極大化を追求する, と考えた。「あらゆる国家はヘゲモニーを望む。なぜな らヘゲモニーは十分な安全を与えてくれるからである。 すなわち,いかなる挑戦者も深刻な脅威とはならない」45 つまりミアシャイマーは,国家は生存確保を第一目標に するというウォルツの前提を受容する一方で,ウォルツ と反対に,国家はパワー極大化を追求すると主張したの であり,この点ではウォルツよりもむしろモーゲンソー やギルピンに近くなる46 ところが,国家のパワー極大化が,モーゲンソーの場 合は熾烈なパワー獲得競争と無分別な暴走に,ギルピン の場合はヘゲモニー成立につながるのに対して,ミア シャイマーによれば,「ヘゲモニーはめったに生じない」 のであり,むしろ「パワーが国家間である程度均等に分 布する傾向がある」,つまり勢力均衡状態が生じる。な ぜなら,国家はヘゲモニーを追求する一方で,「団結し てヘゲモンの願望を妨げようとする強力な誘因を持つか らである」47。ここにミアシャイマーの主張は一転して, 再びウォルツの主張(仮にすべての国家が世界支配を目 標としていても結果的には勢力均衡が生じうる)に近づ く。 勢力均衡状態と平和の関係について,ミアシャイマー は,「パワーの不均衡は戦争を招く。侵略が成功する可 能性を増大させるからである。それゆえ戦争は,不均衡 が最も小さい場合に最も起りにくくなる」と主張してお り,ウォルツと同様,勢力均衡が戦争回避につながるこ とを肯定している。実際ミアシャイマーは,第 2 次大戦 後のヨーロッパに「長い平和」をもたらした要因の一つ に,軍事力の勢力均衡を挙げている48 冷戦後ある論者は,ウィーン体制の大国間協調―それ は「勢力均衡や核抑止のしくみとは根本的に異なるもの」 であり「勢力均衡は存在する必要がなかった」という― の再来を期待した49 。しかしミアシャイマーの考えでは, ウィーン体制は勢力均衡の否定ではなく,むしろ勢力均 衡を前提とする。ウィーン会議からクリミア戦争までの 大国間協調は,大国間の勢力均衡があったからこそ成立 しえたのであり,勢力均衡の維持が重要な目的であっ 50 6.グリエコ―相対的利得という名の勢力均衡― グリエコ (Joseph M. Grieco) は,勢力均衡理論や勢力均 衡に直接言及してはいないが,その主張の根幹はウォル ツに依拠しており,興味深い勢力均衡的発想が見られ

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る。 グリエコによれば,国際制度による詐欺行為防止と協 力コスト削減によって国家間協力が促進されると考える コヘーン (Robert O.Keohane) たちの新自由主義制度論に は,根本的誤りがあった。なぜなら,国家間協力の決定 的な阻害要因は,実は彼らが重視する詐欺行為ではな く,国家の「相対的利得」(relative gain) への関心だから である。生存が保障されないアナーキー構造では,国家 は絶対的利得(協力によって利益が得られるか否か)よ りも相対的利得(協力によって,どちらがより大きな利 益を得るのか)に関心を持つ。なぜなら,「相手が不均 等な利得を獲得することによって,以前よりも傲慢な友 人に,あるいは強力な潜在敵国にさえなってしまう」可 能性があり,自国の独立や重大な国益を侵害する条件を 強制されたり,武力行使に訴えられるおそれがあるから である。したがってグリエコによれば,国際制度による 詐欺行為の防止をいくら強調したところで相対的利得の 問題が放置されている以上,コヘーンたちの主張は説得 力に欠けるものであった51 グリエコによれば,国家は,「国際アナーキーという 自助の状態において,安全と独立を維持するのに十分な だけの相対的 capabilities を獲得・維持することに関心を 持つ防衛的ポジショナリスト」である52 。これは,国家 がパワー極大化を追求すると考えるモーゲンソーやミア シャイマーと対立し,国家が生存のために適切なパワー を求めパワー均衡化を追求すると考えるウォルツに近い。 グリエコによれば,国家が相対的利得を重視するのは, ①相手の意図の不確実性,②武力行使のコストの不確実 性,③たとえ安全保障以外の領域(例えば経済)で協力 が行われたとしても,相手がその領域での相対的利得の 優位を安全保障領域に悪用する可能性,④相手に従属し てしまうことへの恐怖心,があるからである。しかも彼 によれば,敵対的な場合だけでなく友好関係にある場合 でさえも,国家は相対的利得に敏感であり,これが国家 間協力の重大な障害・制約となる。なぜなら,「現在もし くは予見可能な将来に」相手の武力行使や利己的条件の 押しつけはありえないと信じていても,「遠い将来の新 指導者や新政権」の意図までは確信できないからであ 53 。またパウエル (Robert Powell) が,武力行使のコスト が低い場合には相対的利得への関心が薄れ協力が促進さ れるとして,部分的にコヘーンたちに理解を示したのに 対し,グリエコは,武力行使のコストは常に不確実だと 主張した。なぜなら,いくら自国が武力行使を非合理だ と考えても相手が同じ考えを共有する保証はなく,仮に お互いが現時点での武力行使を非合理だと考えても,そ れが将来も当てはまるとは限らず,たとえ自国が将来も なお武力行使を非合理だと考えても,相手も将来の同時 点で同じ考えを共有する保証はないからである54 グリエコの相対的利得の主張は,『国際政治理論』で のウォルツの主張に依拠している55 。しかし,より重要 なのは,「相対的利得」と「パワー均衡化」の論理には, かなりの共通性があることである。「相対的利得」が,現 時点でのパワー関係の優劣は問わずに,協力が行われた 場合の利得の優劣とそのパワー関係への影響を問題とす るのに対して,「パワー均衡化」は現時点でのパワー関 係の優劣とその修正・維持を問題としており,その点で は両者は異なっている。しかし,①自国のパワー劣勢や, それにつながりかねない事態は,国家の生存(独立)に 重大な危険をもたらす,②それゆえ国家はまず何よりも それらを避けようとする,という論理では共通してい 56 またグリエコによれば,国家は協力のルールを作る際 に,自国の影響力を高める発言機会を確保し,強力な相 手国の支配を阻止しようとする。彼はこの見地から仏伊 の EU 統合支持を説明しており,それによれば両国の狙 いは,「完全にドイツ支配の体制であった」EMS (Euro-pean Monetary System)をより拘束力ある EMU (Economic and Monetary Union)に移行し,自国の発言力を強化する 様々な協力ルールを作り,欧州経済のドイツ支配を阻止 もしくは緩和することにあった57 。以上のグリエコの論 理には,国際制度での影響力強化によってドイツの経済 ヘゲモニーを阻止しようとする勢力均衡的発想がうかが える。 7.クリステンセン,スナイダー, ヴァン・エベラ ―戦略認識と誤認と勢力均衡― クリステンセン (Thomas J. Christensen) とスナイダー (Jack Snyder)は,ウォルツの勢力均衡理論を批判しつつ も「有効な出発点」と認め,これにジャービス (Robert Jervis)の戦略認識の考えを導入した「ジャービス = ウォ ルツ国際システム理論」を提唱した。それによれば,「攻 撃と防衛の戦略上の相対的有効性」に関する国家の認識 が,安全保障政策を大きく左右する。攻撃側有利・短期 決戦可能の認識が支配的な場合,国家はパワー均衡化に 過剰に積極的になり chain-gangs(過剰な同盟強化によっ

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て戦争に巻き込まれる。例えば第一次大戦前の独仏露) が生じやすく,逆に防衛側有利・戦争長期化の認識が支 配的な場合,パワー均衡化に過剰に消極的になり buck-passing(パワー均衡化の努力を他国に押しつけて回避し 合う。例えば第 2 次大戦前の英仏ソ)が生じやすくなる。 彼らによればウォルツの勢力均衡理論は,多極構造下で chain-gangsと buck-passing が生じる危険性を指摘するだ けであり,なぜ同じ多極構造下でこれらの矛盾する国家 行動が見られるのかを説明していない。また彼らは,冷 戦前のヨーロッパの指導者たちが勢力均衡の観点から安 全保障政策を形成したと主張しているが,パワー均衡化 をあらゆる時代のあらゆる地域に当てはまる国家の一般 的行動パターンと見なすことには反対している58 ヴァン・エベラ (Stephen Van Evera) よれば,パワー関

係が不安定で勢力均衡の変動が激しい場合,「好機の窓」 (「消えそうな攻撃の好機」)と「脆弱性の窓」(「増大す る防衛の脆弱性」)が生じ,そこからさらに以下の事態 が生じ,戦争はより生じやすくなる。①パワーが衰退し ている国家は,「『後になってからよりも今戦争した方が まし』」という動機を持つ。②衰退している国家は①の 動機から「好戦的な外交戦術」を採用するようになる。 ③衰退している国家は,自分が弱体化した後で強くなっ た敵が以前結んだ協定を破棄するのではないかと考える ので,外交交渉や協定の信用性は低下する。④国家間に 戦争の予想が大きくなり,予防戦争の誘因が高まる。⑤ 台頭している国家は予防戦争を招くことを恐れて不平不 満を隠すようになり,健全な外交が妨げられる。⑥衰退 している国家は,自国が完全に弱体化する前に,協定を 確実なものにするか,さもなくば武力を行使しようとし, 外交は急がれ省略される。⑦台頭している国家は自分の パワーにふさわしい特権を求め,変動したパワー関係と 各国の特権との間に矛盾が生じる59 ヴァン・エベラの主張で注目すべき点は,「誤認」の 重要性の強調である。彼によれば,勢力均衡の急激な変 動(「窓」の存在)は現実にはまれである。しかし,国 家はしばしばその存在を誤認し,戦争に突入する。彼に よれば 1914, 39, 40, 41 年のドイツ,1941 年の日本,1956 年のイスラエルなどは,この誤認に陥っていた。また ヴァン・エベラも,攻撃と防衛のバランスに関する認識 が勢力均衡と平和の関係を大きく左右すると考える。攻 撃有利で征服が容易と認識される場合には,わずかなパ ワー関係の優劣が戦争を誘発する。しかし,防衛有利で 征服が極めて困難と認識される場合には,よほど大きな パワー関係の優劣が生じない限り,事実上勢力均衡は不 変である。彼によればウォルツの理論には,「攻撃と防 衛のバランス,先制攻撃有利の程度,パワー変動の程度 と頻度,資源の累積性」などの「きめ細かなパワー構 造」の考察が,特にこれらの諸要因に対する国家の「誤 認」の考察が,欠けている。ヴァン・エベラは,アナー キー国際構造ゆえに国家は安全保障を第一目標にすると いうウォルツの前提を受容しつつ,戦争原因を説明する 「誤認の理論」を構築し,ウォルツをはじめとする従来 の現実主義を修正しようとした60 8.勢力均衡―理論と現実― 以上のモーゲンソー,ウォルツ,ポスト・ウォルツの 考察に基づき,勢力均衡をめぐるいくつかの争点を考え てみたい61 8.1 勢力均衡状態は,平和の創出・維持に有効か 論者によって温度差があるが,モーゲンソーが懐疑的, ウォルツ,ミアシャイマー,ヴァン・エベラが肯定的, シュエラー,ウォルトは否定的と言える。残念ながら, この問題は,次の意味で反証も立証も極めて困難である。 ①勢力均衡では戦争が生じにくいということは,勢力 均衡が常に戦争を防止するという意味ではない。あくま で勢力「不均衡」と比べた場合の相対的意味にすぎな い。国家が勢力均衡の達成・維持のためにしばしば戦争 に踏み切ることをモーゲンソーは強調しているし,ウォ ルツさえも,「いくつかの国家は,他国に有利な勢力不 均衡の達成を阻止するために,戦争を行う。自国自身の ために,大国はパワー均衡化戦争を行う」62と述べてい る。 ②戦争の勃発もしくは平和の維持は,当然ながら,国 内政治体制,政策決定者の認識,国際規範,国際制度な ど,パワー関係以外の諸要因によっても左右される。し かもこれらの諸要因の方がより大きな影響を及ぼすこと もありえる以上,勢力均衡で戦争が生じた場合でも,こ れらの諸要因が戦争原因として(平和要因の勢力均衡を 抑えて)強力に作用したと弁明することが可能である。 あるいは逆に,勢力均衡で戦争が回避された事例を列挙 し,勢力均衡を平和の原因と主張することに対しても, 勢力均衡以外の諸要因が平和の原因として強力に作用し たせいであり,表面上は平和の原因に見える勢力均衡は, 実は偽の原因であり平和と無関係であるという反論が可 能である。 以上,①②が示すように,勢力均衡で戦争が起きた事

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例を挙げても,あるいは勢力均衡によって戦争が回避さ れ平和がもたらされた事例を挙げても,それだけでは勢 力均衡と平和の関係は反証も立証も困難なのである。 8.2 パワー均衡化は,国家の一般的行動パターンな のか この点に関して,モーゲンソーは,主観的(国家の動 機とそれに基づく行動から見た場合)にも客観的(結果 としてみた場合)にも否定的であり,現実にはパワー極 大化が生じやすいと考えた。他方,ウォルツは肯定的で ある。彼は勢力均衡理論において主観的にも客観的にも パワー均衡化を国家の一般的行動パターンとして描いて いる。ミアシャイマーは,主観的には国家はパワー極大 化を追求するとしてモーゲンソーと同様に否定的だが, 客観的にはパワー均衡化が行われ勢力均衡が実現すると 主張する。ウォルトは否定的である。彼によれば,パ ワー均衡化が行われるか否かは脅威認識に左右される。 パワーで優る側が脅威と認識されない限り,パワー均衡 化は生じない。シュエラーも否定的である。パワー均衡 化が生じるか否かは当事国の国益に左右される。ライオ ン,タカ,フクロウならばパワー均衡化が予想されるが, ダチョウ,ハト,子羊,ジャッカルならばむしろパワー のバンドワゴンが予想される。シュエラーはこの設問は 意味がないと考える。国家は国益や環境に応じて,パ ワー均衡化以外の戦略もとりうるからである。グリエコ は,ウォルツほどの一般性をパワー均衡化に想定してい るのかは不明だが,パワー均衡化と密接に関連する視点 (国家の相対的利得への関心,防衛的ポジショナリスト という国家像)を強調している。クリステンセンとスナ イダーは,パワー均衡化の考慮が冷戦前の欧州各国に影 響を及ぼしたことを認めるが,パワー均衡化を一般的行 動原理と見なすことには反対している。 この 8.2 の問題に関しては,次の注意が必要である。 第 1 に,そもそも,ある国家行動がパワー均衡化か否か を判定すること自体が,困難な場合がある。例えば 1930 年代後半の英仏ソは,決して buck-passing 一辺倒ではな く,パワー均衡化の傾向も有していたし63,日本の日独 伊三国同盟への参加は,基本的にはアメリカのパワーへ の均衡化であったが,部分的にはドイツのパワーへのバ ンドワゴンという性質も有していた64 第 2 に,勢力均衡理論は,すべての国家がパワー均衡 化を行うとは決して言っておらず,あくまで国際システ ムのアナーキー構造の観点から均衡化と勢力均衡再発を 予想しているのであり,国内要因のせいで国家が均衡化 を放棄する可能性を否定してはいない65 。したがって, 均衡化不発生の事例を挙げても,それだけでは反証には ならない。また,シュローダーは,パワーのバンドワゴ ンが均衡化よりも一般的であると指摘したが,彼は主に, 現実の結果よりも国家の動機の観点から―つまり,国家 は均衡化よりもバンドワゴンの動機を持つというニュア ンスで―この指摘を行っているように思われる。彼は, ナポレオンに対してほとんどの国はバンドワゴンの動機 を持ったし,ティルピッツのドイツ海軍増強はイギリス 海軍への均衡化を意図したものではなかったと主張して いる66 。しかし,その意図や動機がなんであれ,結果的 にはナポレオンへの均衡化が生じて彼のヘゲモニーへの 野望は敗れたし,ドイツの海軍増強は結果的にはイギリ ス海軍への均衡化になった。シュローダーの指摘が,勢 力均衡理論の骨子―アナーキー構造では「国家が望もう と望むまいとにかかわらず」結果的に均衡化が生じ勢力 均衡が再発する―を覆すものなのかは議論の余地があ 67 ウォルツの理論が想定するほど一般的かはともかくと して,パワー均衡化の考慮が国家の安全保障戦略を大き く左右することは,本稿のすべてのポスト・ウォルツが 認めている。例えば,たしかにウォルトが言うように, パワー関係と脅威認識は必ずしも一致するわけではない が,他方でパワー関係が脅威認識を形成する重要要因で あることはウォルトも認めているし,パワー関係と脅威 認識が一致する場合,すなわち「パワーで優越する側= 脅威」と見なされる場合―それはウォルツが考えるほど 一般的ではないかもしれないが,よくあるケースである ―には,脅威均衡理論と勢力均衡理論は実質的に同一の 理論となる。またシュエラーによれば,ライオン,タカ, フクロウに限って言えばパワー均衡化が一般的であり, この点では国益均衡理論は勢力均衡理論に一致する。ミ アシャイマーも,結果的にはヘゲモニー達成は阻止され 勢力均衡が成立すると考えるし,グリエコの防衛的ポジ ショナリストという国家観や相対的利得への関心も,パ ワー均衡化の考えと密接に関連している。クリステンセ ンとスナイダーも冷戦前の欧州各国が勢力均衡の観点か ら安全保障政策を形成したことを強調している。ヴァ ン・エベラによれば,勢力均衡の急激な変動は機会の 「窓」を生み,国家の戦争計画や外交交渉の進め方に大 きな影響を及ぼす。 8.3 勢力均衡状態は,再発的に生じるのか もしも勢力均衡が崩れ,ある国のパワーが突出する一

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極構造になった場合,その国が侵略的な現状変更国なら ば,ウォルツはもちろんウォルトも,(ライオン,タカ, フクロウの場合は)シュエラーも,勢力均衡再発を予想 するだろう。逆に,もしもその国が穏健な現状維持国な らば,(パワー関係がそのまま脅威認識を形成すると考 える)ウォルツはそれでも勢力均衡再発を予想するだろ うが,(パワー関係と脅威認識のギャップを重視する) ウォルトや(現状変更国か現状維持国かに注目する) シュエラーならば,(パワー均衡化の放棄あるいはパワー のバンドワゴンによる)一極支配継続を予想するだろう。 現在の米国一極支配に対する中国の動きはウォルツを, 日本や EU の動きはウォルト,シュエラーを支持してい るように見える。つまり,米国が現状維持国であるにも かかわらず中国はパワー均衡化を行い,米国が現状維持 国であるがゆえに日本,EU はパワーのバンドワゴンを 行っている。 この 8.3 の問題も評価が困難である。勢力均衡が回復 するまでの期間を,数年間,十数年間,数十年間のどれ に置くのかによって,肯定も否定も可能だからである。 もっとも,ここ数年の中露は,米国一極支配に対抗し, パワー均衡化による多極世界構築の動きを見せている68 ソ連崩壊後 10 年もたたないうちに生じているこの現象 は,(国内規範の影響からパワー均衡化に慎重な日本の ような例を差し引いても)国際システムのアナーキー構 造に勢力均衡回復の誘因が存在することを示唆してい る。 8.4 勢力均衡理論の対外政策分析への応用は可能か 勢力均衡理論は,パワー均衡化と勢力均衡再発の傾向 を国際構造の視点から一般的に予想・説明するにすぎな い。現実には構造以外の原因も作用する以上,勢力均衡 理論は,より特殊な質問―いつ,どの国家が均衡化を行 うのか。どんな手段で行うのか。同盟か,それとも自国 のパワー増強か。どんな場合に均衡化が放棄され勢力均 衡が失敗するのか。勢力均衡はいつ回復するのか―に正 確には答えられない。またパワー均衡化の予想・説明は, 最低限の抑止から激しい軍拡競争まで,軍事領域での競 争から経済領域や国際制度での競争まで,広範な国家行 動を含むので,具体的で特殊な対外政策を分析するには 一般的すぎて漠然としている。ウォルツ自身,勢力均衡 理論は「国際政治理論」(国際構造の視点からの一般的 な予想・説明)であり,「対外政策理論」(特殊で具体的 な国家行動の予想・説明)にはなりえないと主張し,対 外政策分析への応用に消極的態度を示した69 しかし,仮にウォルツが言うように勢力均衡理論がそ のまま対外政策「理論」にはならないとしても,勢力均 衡理論の対外政策「分析」への応用が不可能あるいは無 効ということにはならない。①たしかにパワー均衡化の 予想・説明は広範だが,「なんでもあり」ではない。均 衡化かバンドワゴンか,が分かるだけでも意義は大きい。 例えば日本の対米政策がどちらに傾くのかは,日米同盟 の将来に,それゆえ周辺国の対外政策に,天と地の違い を生じさせる。②勢力均衡理論で十分な説明・予想がで きない場合でも,そのことによってアナーキー構造やパ ワー均衡化以外の要因が原因ではないかと推測できる。 例えばウォルツが予想する日本核武装が生じなかった場 合,核不拡散の国際規範や日本の平和主義の国内規範 が,アナーキー構造の圧力(安全保障面での自立,パ ワー均衡化)よりも強力に作用したと推測できる。③た しかに勢力均衡理論は国内要因の視点が不十分だが,国 際構造の影響が国内要因よりもかなり強力であるケース では,説得力ある予想・分析が可能になる。④もしも分 析上必要不可欠な他の諸要因が存在するならば,それら を導入し勢力均衡理論を修正することが可能である。実 際に本稿のポスト・ウォルツは,勢力均衡理論で除外・ 割愛された要因を導入して改善をはかり,勢力均衡を考 慮に入れた独自の分析を行っている。ウォルツはこの試 みを「理論」の単純明解さを喪失させると批判するかも しれないが,それは「理論」の障害にはなりえても「分 析」の障害にはならない。最後に,⑤ウォルツ本人が, 1993年論文で勢力均衡理論を応用して冷戦後の日本の対 外政策を分析している70―もっとも,その際に彼が予想 した日本核武装は,戦後日本の平和主義(国内規範)が 今なお日本の対外政策を拘束している現実をあまりに軽 視していたが―。 むすびにかえて ― 21 世紀の国際政治と勢力均衡― 前章で確認したように,勢力均衡理論,勢力均衡概念 の対外政策分析への応用は可能である。しかし,可能性 は必ずしも有効性を意味しない。18 世紀の「勢力均衡の 黄金時代」ならいざ知らず,21 世紀の国際政治を勢力均 衡のレンズから分析することは,はたして有効なのか。 もしも有効だとすれば,それはどのような有効性をどの 程度,持ちうるのか。

冷戦終結以降,EU 統合,ARF 創設,NATO 東方拡大 といった国際制度による国家間協調の進展は,無条件に

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勢力均衡の衰退に結びつけられがちであり,勢力均衡は 時代錯誤の概念にさえ扱われがちである。しかし,国際 制度や国家間協調の進展は決して自動的に勢力均衡の衰 退を意味しない。ウォルツによれば国際制度は,パワー が脆弱で拘束力を持たない場合には,当然,構成国の利 己的行動を抑えられないが,かといって逆に強力な拘束 力を有する場合には,今度はその国際制度の支配をめぐ るパワー均衡化闘争を招いてしまう。なぜなら,国家の 生存が保障されないアナーキー国際構造では,他国との パワー関係が生存の究極の鍵であり,国家はパワー均衡 化を追求する傾向を持つからである71 ウォルツが指摘するこのジレンマは,冷戦期の国連を 舞台とする米ソ対立に端的に現れた。また,NATO 東方 拡大,EU 統合などの協調関係が目立ち,脅威認識が著 しく低減し,民主政治という共通規範が浸透し,一定の 共感・仲間意識が存在する冷戦後の欧米諸国ですら,ガ リ国連事務総長再選問題や NATO 南欧軍司令官人事をめ ぐる米仏対立,最近では,EU 通貨政策での独仏の主導 権争い,欧州独自の危機管理機構(緊急対応部隊)創設 をめぐる独仏と米英の対立,EU 閣僚理事会の持ち票配 分をめぐる独仏の対立などにこのジレンマが見え隠れし ている72。さらに EU 統合自体,日米の経済力への対抗 という意味で,あるいはグリエコが指摘するようなドイ ツの経済ヘゲモニー阻止の意味で,勢力均衡的発想が作 用していた。そして,共通の国際規範に欠け,各国に脅 威認識が残るアジア太平洋地域では,パワー均衡化の誘 因は依然として強力である。例えば ASEAN 地域フォー ラム (ARF) は,「協調的安全保障」と称され,同盟や勢 力均衡と対置して議論されがちだが,その成立と展開 は,現実には各国の勢力均衡的発想を強く反映してい 73 もちろん勢力均衡の視点が国際政治のすべてを説明す るわけではない。勢力均衡以外の諸要因の重要性は指摘 するまでもない。およそ国際政治はパワーの問題が絡む のであり,単にそれを指摘してあらゆる国際現象を勢力 均衡に結びつけることは牽強付会であろう。冷戦後の NATO東方拡大や日本の禁欲的な安全保障政策などは, 勢力均衡の論理で説明困難であり,制度主義やコンスト ラクティビズムの説明(NATO の制度的変容,欧米での 共通規範・仲間意識の普及,戦後日本の国内規範の影 響)の方が適切に見える74 。また,分析概念としての勢 力均衡には,「パワー均衡化」の定義をめぐる混乱と検 証の困難さ75 ,勢力均衡の論理を実証分析に応用する際 の適切な方法論の構築という課題が残っている。 しかしそれでも,国際政治・対外政策分析において, 勢力均衡の視点を捨て去ることは不可能であろう。核兵 器,相互依存,民主政治の普及,その原因はともかくと して,今日,先進工業国間の大規模戦争は想像困難であ る。表面的には国際制度や国際経済における国家間協力 が国際政治の支配的傾向に見えることさえある。しかし, このような冷戦後の国際政治においても,前述のように その深層部ではウォルツやポスト・ウォルツが重視する 勢力均衡的論理が想像以上に大きく作用している。 今後,勢力均衡の論理を実証分析に応用する際のより 適切な方法論をめぐって,ポスト・ウォルツ間で健全な 競争が展開されることを期待したい。そして,勢力均衡 の問題に限らず,「理論と現実との対話」(「その理論も しくはそこから導出される仮説によって,現実の何を説 明でき,何が説明できないのか。説明できない原因はど こにあり,どのような改良が必要なのか」を明らかにし, 理論と実証分析の相互改良をはかる)が,積極的に展開 されるべきである。理論と実証は本来,相互に補完され るべきものである。現実とのかかわりを拒絶した「理論 のための理論」は,有害無益であり危険ですらある。そ れは単なる知的遊戯にすぎず,現実の理解を歪曲する。 しかし同様の危険は,理論的基盤の欠けた実証分析にも 当てはまる。なぜなら,それは,結局は特殊で場当り的 な判断と勘に頼らざるをえず,ときには鋭い勘を持つ分 析者が華々しい成功を収める場合もありえようが,往々 にして「原因の解明」(なぜ X なのか)よりも単なる「現 状の記述」(X である)に傾きやすく,それゆえ表面的 現象に目を奪われて真の原因を誤認する場合が多く,し かも一般性に欠けるため,今後の研究に生かされるべき 知的蓄積が行われにくいからである。

1 Kenneth N. Waltz, Theory of International Politics (New York: Mcgraw-Hill Publishing Company, 1979). 以下 TIP と略記する。

2 Alexander Wendt, Social Theory of International Politics (Cambridge: Cambridge University Press, 1999), p. 15.

3 神谷万丈「アナーキーの下での協力と『適度のあい

まい性』―ネオ・リアリズム、ネオ・リベラル・インス ティテューショナリズムを超えて―」『国際政治』第 106号,1994 年,30 頁。

4 Peter J. Katzenstein, ed., The Culture of National

Secu-rity: Norms and Identity in World Politics (New York:

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