発生的認識論研究
(2)知
能
,社
会
,創
造
教育心理学教室高 取
憲 一 郎
1
ピア ジ ェ に お け る知 能 と社 会 従来,や
や もすれば,ピ
アジェの心理学 には個人 は出て くるけれ ども,社
会が出て こない とい う ことが言われて きた。 しか し,少
な くともピアジェの次の二つの論文 には社会 はまさに主役 として 登場 して くる。 その二つの論文 とは,『知能 の心理学』(ピアジェ,1967)の
中の第6章
「知能 の発 達の社会的要因」 と,『児童 の道徳判断』の中の「ゲームの規則」(本稿で は,Gruber&VonOche,
1977を参照 した)で
ある。 まず,第
一の論文 において は,知
能構造 と社会 の関係が知能の発達段階別 に叙述 されている。 ピ アジェの見解 をで きるだけ忠実 に,か
つ,私
自身の解釈 も加 えなが ら述べてみ よう。 感覚運動期で は,赤
ん坊 は多様 な社会的影響 の対象 となっている。た とえば,周
囲の大人 は赤ん 坊 に快感 (食事,愛
情)を
与 え,
とりまき,ほ
ほえみか け,喜
ぼせ,寝
かせつ ける。 また,合
図や 言葉 と結びつけて,習
慣や規則 を教 えた り,行
動 を禁止 した り,叱
った りす る。 しか し,大
人か ら見 ると,社
会関係 の真 っ只 中にいるように思われる赤 ん坊 も,赤
ん坊 自身の見 地か ら見 るとそうではない。この段階で は,社
会生活 は物理的環境か らまだ完全 に分化 してお らず, 大人が赤ん坊 に対 して用いる記号 も,赤
ん坊 に とって は標識,な
い しは信号 にす ぎず,大
人 によっ て強制 され る規律 も,義
務 として意識 されることはな く,習
慣の もつ規則正 しさと規律が混同 され ている。すなわち,赤
ん坊 に とって は現実 をつ くりあげているものはすべて,絵
のようにみなされ ている。 そして,赤
ん坊 は周囲の大人 に対 して能動的 に働 きかけるが,大
人 との間 には思想 の交換 がないために,社
会的生活 の影響 を受 けて知能構造が変化 させ られ るとい うことはない。 次の前操作期 になると,言
語 を習得す ることによって,新
しい社会関係が現われ,そ
のために, 個人 の思考が豊かにな り,変
化 してい く。 もう少 し具体的に言 えば,子
供 は周囲の人々 と会話する なかで,た
えず,自
分 の考 えに同意 された り反対 された りする体験 を通 じて,自
分 の外側 にある思 考の巨大 な世界 を見出し,そ
の思考 の世界か ら大 きく影響 される。すなわち,前
の段階で はで きな かった思想 の交換がだんだん とで きるようになるのである。 しか し,こ
の時期 は,自
己中心性 として特徴づけられる段階である。すなわち,自
分 の見地 と他 人の見地 の未分化の段階である。 そのために,第
一 に,先
に述べた,自
分 の外 の世界 に存在す る他 人の思考 の世界 か らの影響 を,自
分 の見地 に解消す ることによってゆがめて同化 して しまう。第二 に,自
他の見地が未分化 ということは,他
人 の見地 とは異なる自分 の見地 を自覚 していない とい う高取憲一郎 :発生的認識論研究
(2)知
能,社会,創造 ことを意味す るのだが,そ
れゆえに,こ
の時期 の子供 は,自
分の周囲の人 たちのあ らゆる示唆や拘 束 を全面的に無批判 に受 け入れて しまう。 よって,こ
の段階 は,知
能の面で は一面的 にしか もの ごとをとらえることので きない中心化 によ って,ま
た,対
人関係 の面で は他人 との関係が協調的に とりお こなえない,す
なわち,社
会的協働 関係が とり結べないで,知
的拘束 を一方的 に受 け取 るだけ とい う,い
わば個人 と社会 の二つの面の 特徴,そ
れ らはまさにコインの裏表の関係 にあるのだが,に
よって表 され る。今述べ た ことを別の 言 い方で表現すれ ば,協
調的な社会的協働関係,す
なわち他人 と自己 との間が分化 していてかつ義 務 を分かち持ち互 いに尊重するとい う関係が成立 して こそ初 めて,知
能 の面 において協調が成立 し ている状態,す
なわち脱 中心化 と群性体が獲得 された状態が出現す ると言 えるし,ま
た逆 に,こ
の 段階の知能 に特有 の構造 (すなわち自己中心性)力S,社
会的協働関係 を形づ くることを妨 げている とも言 えるのである。個人 のレベルにおける知能 の協調 と,社
会のレベルにおける対人関係 の協調 とが一致するのは,次
の具体的操作期以降の段階 を待 たねばな らない。 具体的操作期 お よび形式的操作期 をそれ以前の段階 と区別 し,特
徴づ けているもの は,群
性体 の 形成である。 この群性体が,個
人 の内部 の知能 のレベル,お
よび対人関係 のレベルすなわち社会の レベルで共通 に働 いているのが この時期の特徴 になる。 では,群
性体 とは何であろうか。知能の問題で は,そ
れ は自己中心性 の反対 の もの,す
なわち一 面的な,一
つの側面 のみに中心化 された状態か ら脱 して,協
調的関係のある均衡 の とれた操作 の体 系が形成 され ることである。一方,個
人 と社会 との関係 の問題 としては,社
会か ら個人 の側への強 制的なあるい は拘束的な関係,換
言すれば,大
人か ら子供への強制 あるいは拘束で はな く,互
いの 立場 を尊重す るとい う前提 の上 に確立 された個人同士の相互関係である。すなわち,群
性体 とは個 人 の思考操作 における協調で もあ り,個
人 と個人 の社会的相互作用 における協働 で もある。要す る に,群
性体 とは個人 の活動および個人同士の活動 の均衡形態である。 さらに大胆 に表現すれば,群
性体 とは多様 な考 え方が可能 にな り,多
様 な視点 を とり得 ること,お
よび,多
様 な考 え方 とか価値 観,世
界観 を持つ人々 との間 に,義
務 と規則 を尊重す るとい う前提つ きで はあるが,多
面的な人間 関係が とり結べ るということである。 この個人 の内部 の操作の協調 と個人間の協働 とはどち らが先か ということで はな く,一
つの同 じ 全体 の相補的な二つの面である。とい うのは,一
方の均衡 は他方の均衡 に基づいてい るか らである。 大胆 に言 えば,均
衡 の と絶た知能 ということと,均
衡 の とれた人間関係 とい うこととは同義である。 それ は,群
性体 とい うのは均衡 と同義 だか らである。 また,操
作 という点か ら見て も,思
考 の群性 体 は操作 の一つの体系であ り,協
働 (coopOration)は ともに実行 され る操作 (co‐opOration)の体系であるとい う共通点 も指摘で きる。 さらに
,均
衡 としての群性体が機能す ることので きる条件 は,社
会が個人 に対 してゆがみをつ く りだす ような拘束 を及 ぼす ことな く,個
人 の精神活動の自由な働 きを活気づけた り維持 した りする 場合であ り,各
人 の思考の自由な働 きが他人 の思考や ものごとをゆがめた りす ることな く,さ
まざ まな活動の間の相互関係 を尊重す る場合である。 以上 のように,ピ
アジェの『知能 の心理学』第6章
は,知
能 と社会のダイナ ミックな相補関係 の 重要性 を提起 している点で きわめて注 目に値す る。 で は,次
に第二の論文「ゲームの規則」 に移 ろう。 この論文 については,波
多野完治氏 のIIBみ砕 いた紹介論文 (波多野 1966)があるが,こ
こで は先 にあげておいた英語文献 を中心 にして,
と くに 上述 した第一の論文 との関連 を考慮 しなが ら,私
な りの解釈 も加 えて述べてみ よう。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第35巻 第
2号
(1993) ピアジェの この論文 は,子
供 の ビー玉遊 びを材料 にして,ゲ
ームの規則 の実行 と適用 (く だいて 言えば遊 び方)お
よびゲームの規則 の意識化,さ
らに規則 の種類 という三つの部分か ら構成 されて いる。具体的 には,子
供 の遊 びの場面 を観察す ることと,臨
床法 によ り次のような質問 をす ること によって,結
論 を引 き出 している。①今遊 んでいるの と同 じような方法でず っ と遊 んで きたか?:
「 きみのパパ は(きみのお じいちゃんは),子
供 の時 にこんなふ うにして遊 んだのだろうか?
ウイ リアム・テルの時代 の子供 は (ノアの時代 の子供 は,ア
ダム とイブの時代 の子供 は),こ
んなふ うに して遊んだのだろうか,そ
れ とも違 う遊 び方をしたのだ ろうかP」 ②規則 の起源 は何か?:「
規則 は君たちがつ くったのだろうか,そ
れ とも両親や大人 たちか ら与 えられたのだろうかP」 まず,ゲ
ームの規則 の実行 と適用 については以下 の4段
階 に分かれ る。 第一段階 は2歳
以下,す
なわち感覚運動期 に相 当す る時期であるが,運
動的で個人的であることが 特徴である。この段階で は,子
供 は欲望および運動 の規則 にしたがって ビー玉 を扱 う。このために, 儀式化 されたシェマが形成 され る。 しか し,ビ
ー玉遊 びはまだ完全 に個人的な遊 びの範囲を出ない ので,運
動の規則 しか問題 にな らず,本
当の意味での集団的規則 は問題 として とりあげることがで きない。 第二段階は2歳
か ら5歳
まで,す
なわち前操作期 に対応 し,自
己中心性 として特徴づけられ る時 期である。 この時期 は,子
供が整備 された規則 のある一つの例 を外部 の世界 か ら受 け取 ることをも って始 まる。 しか し,子
供 はこの受 け入れた規則 をまね るに もかかわ らず,遊
ぴ仲間 を見つけるこ ともな く相変わ らず一人で遊 ぴ続 けるか,ま
たは,遊
びイ中間 と一緒 に遊ぶ場合で も,勝
とうと試み た り,互
いに異 なる遊 び方 を統一 しようとした りす ることがない。すなわち,仲
間 と一緒 に遊ぶ場 合で も,自
分 自身の規則 に基づいて遊ぶのであって,整
備 された統一 された共通の規則 な どとい う ことは考 えない。 第二段階 は7歳
ない し8歳
以上,す
なわち具体的操作期であ り,協
働 の始 ま りとして特徴づ けら れる。子供 は勝 とうと試み始め,お
互 いに牽制 しあい,規
則 を統一す るとい うことに関心 を抱 き始 める。 しか し,こ
の段階で は,ゲ
ームの途中でなん らかの同意がで きた場合で も,規
則 に関す る観 念 はまだ漠然 としている。 そのために,一
緒 にゲーム をしている子供 に別々 に尋ねてみると,ゲ
ー ムの規則 についてそれぞれの子供が異 なった矛盾 した説明 をす ることが しばしばある。 第四段階 は■歳 ないし12歳以上,す
なわち形式的操作期であ り,規
則 の体系化が行 なわれ る時期 として特徴づ けられる。ゲームの手続 きのあ らゆる細 かな点が固定 され るのみならず,当
該 の社会 あるいは集団の全 メンバーに共通 に周知 され る。 このように,ゲームの規則 の実行 と適用 は,ピアジェの発達 の四段階区分 に沿 って展開 している。 次に,ゲ
ームの規則 に関す る意識 の発達 には三段階ある。 第一段階 は上 に述べた第一段階すなわち感覚運動期 に相 当す るものであるが,規
則 はまだ強制 と か拘束 として とらえられていない。 というのは,こ
の段階で は,規
則 はまった く運動的な ものであ り,か
りに自己中心性の始 まりにある段階の子供 において さえも,そ
れ は遵守すべ き現実 とい うよ りも興味深い もの として無意識 の うちに受 け取 られているか らである。すなわち,こ
の段階で は規 則 はまだ個人 に とって外的なものである。 第二段階 は,上
述 の第二段階すなわち前操作期が相当す るが,規
則 は大人か ら与 えられ,永
久 に 守 り続 けられ るところの神聖で,不
可侵 な もの とみなされ る。規則 を変 えるあ らゆる試みは子供 に は違反 としてみなされ る。 この時期 の子供 と大人の関係 は,権
力 と地位 をもった大人 とそれ を尊敬 する子供 とい う一方向的な関係である。大人 は子供 を拘束 し,強
制す るが,そ
れ はこの段階の子供高取憲一郎 :発生的認識論研究
(2)知
能,社
会,創造 の特徴である自己中心性 と同義である。すでに触れたように自他 の未分化 の自己中心的な段階の子 供 においては,大
人 との間 に相互 の対等 な社会的相互作用 は生れない。 よって,子
供 は大人か ら強 制 され,拘
束 されて も,そ
れ を強制 とか拘束 とか とはみなさないで,あ
たか も自ら同意 しているか のごとくに錯覚す るのである。逆 に,大
人 はこのような状態 を利用 しこそすれ,決
して対等な関係 をつ くりだそ うとはしないのである。 そ こで,こ
の段階の子供 に見 られる,ゲ
ームを自己中心的に 行なうとい うことと,規
則 に対す る理 由不明の信奉=神
聖視 との間 には決 して矛盾 はない とい うこ とになる。 とい うのは,こ
の信奉 は対等な者同士の間の自由な協働 によって生 じたメンタ リテ ィー ではな く,大
人が子供 を拘束 している結果 として生 じたメンタ リティすだか らである。 第二段階 は,上
述 の第二段階以降,す
なわち具体的操作期以降,な
かで もとくに10歳以降が相 当 するが,規
貝」に対 す る意識 は前の段階 に比べて完全 に変化す る。規則 は互 いの同意 に基づ く法律 と みなされ,そ
れ は尊重 されねばな らないが,全
体 の同意が得 られれば変 えることも可能である と考 えられ るようになる。すなわち,規
則 は相互 の同意 と自治意識 の自由な産物 とみなされるようにな る。そして,外
的な存在であることをやめた規則 は,個
人 の心 の内面へ ととりこまれ,こ
こにおい て,個
人が規則 を守 るとい うことは純粋 に自発的な もの となるのである。 こうなると,そ
れ まで は 慣習 とか困習が権利 を抑圧 していたのであるが,そ
の関係が逆転 して,正
義・ 不正義 とい う理性的 観念が慣習 を逆 に押 さえることになる。 このように,規
則 に関す る意識 は,感
覚運動期,前
操作期,操
作期 の三段階 に対応 して論 じられ てお り,と
くに操作が形成 され ることをもって飛躍が生 じるとす る点で,第
一論文 の知能 と社会 と の関係 に対応 させて考 えると理解 しやすい。 また,以
上述べて きた規則意識の三段階に対応 して,二
つの規則が存在す ることになる。 第一 に,運
動 の規則である。 それ は,前
言語的な運動的知能 に由来 し,社
会的 コ ミュニケーシ ョ ンか らは独立 している。 この運動の規則 はやがて習慣へ と変化す る。た とえば,生
後最初 の二・ 三 か月のうちに,乳
房 の吸い方 とか枕への頭 の置 き方な どの運動 の規則 は,命
令 された習慣であるか のごとくに結晶化 され る。要す るに,運
動の規則 は運動 のシェマの儀式化か ら生ず る反復 の感情 の 結果である。 しか し,
この運動の規則 は,義
務意識 とか規則 の必然性 の感情 は伴わない。 第二 は,強
制的規則である。 それ は,子
供が大人 を一方向的 に尊敬す る とい うことか ら生 じる。 ここで は,年
上の子供 あるいは大人か らの拘束 に由来す る尊敬 と自己中心的行動 との間の緊密な関 連が特徴 となっている。 自己中心性 というのは,自
我 と外部世界 との融合 を意味す ると同時に,協
働 の欠如 も意味 してお り,こ
の二つ は同 じ現象の裏表であることはすでに触れた。逆 に,子
供 は自 我 を自覚 し,外
部 の世界か ら自我 を切 り離 して初 めて,他
人 と協働で きる。そ して,自
我 を自覚で きるためには,他
人 の思考や意志か ら自己を開放することが必要である。 第二 は,理
性的規則であ り,そ
れ は相互尊重および協働 と自治意識 によって特徴づ けられる。 こ こに至 ると,規
只Jの正 しさとい うのは慣習 によるので はな く,メ
ンバー相互 の同意 によって保証 さ れるものだ とい う考 えが定着 して くる。 さらに,強
制的あるい は拘束的人間関係 に代 わつて協働的 人間関係が現われ るのに応 じて,子
供 は自我 を他人 の思考か ら分離 させ る。 とい うのは,子
供 は他 人 と自由に,か
つ対等 に議論す ることによって,自
分 の考 えと他人 の考 えを自由に対比 させ うる機 会 をたびたび もつ ことがで きるようになるか らである。 これ以後 は,子
供 は自分 と他人の境界 を区 別す ることがで きるようになるばか りで はな く,他
人 を理解 した り,他
人か ら理解 された りす るこ とを習得するのである。 ここにおいて,初
めて人格が成立す る。 その場合,人
格 とい うのは,相
互尊重の規範 と客観的な鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 35巻 第
2号
(1993) 499 議論 の上 に立脚 した自己の ことであ り,自
分 自身 を相手か ら尊重 して もらうためにはこの規範 に従 わねばな らない ことを知 っている自己の ことである。 それ は,自
己中心的な無意識的な自己や,利
己主義的なアナーキーな自己 とは区別 され る自己である。 よって,二
人 の人格 によってお こなわれ る相互尊重 こそが真 の意味の尊重であ り,そ
れ は二人 の個別的な自己 によって行 なわれ る相互同意 とは区別 され る。 ここに至 ると,規
則 は外的であることを止めて,内
化 され,人
格 の構成要素 とな る。 以上見て きたように,子
供が規則 を認識す る過程 は,規
則 とは神様や両親 や年長者か ら与 えられ たものではな く,ま
た,昔
か らずっ と変化することな く存在 していた もので はな く,自
分 たちの手 で作 った ものであるとい うことを認識す ることであった。すなわち,運
動の規則や個人 の儀式,象
徴遊ぴがそのままゲームの規則へ と発展す るので はな く (この ことをピアジェは必要条件 だが十分 条件で はない と言 うわけだが),ゲームの規則 の中には運動の規則や個人 の儀式 に含 まれている以上 のなにものかが存在 していなければな らない。 それ は,ち
ょうどシンボルにはないなにものかが記 号の中にはあるの と同様である。 この ことを,周
知 のようにソシュール はシンボル は恣意的で はな いが,記
号 は恣意的であると考 えたわ けだが,そ
れ にな らって表現すれば,言
語記号が恣意的であ るの と同様 にゲームの規則 も恣意的である,す
なわち人間が人為的に作 り出 した ものである。子供 が社会 の規則 を認識す るとい うことは,規
則 とは自分 たち人間が作 り出 した ものであるとい うこと を認識することで もある。 いずれにして も,ピ
アジェの この論文 は,上
に述べたように,人
格論お よび規則 の恣意性 とい う 面 において も,注
目すべ き内容 を含 んでいる。 これ らの論文 の後,個
人 と社会,民
主主議論,人
格論 な どが ピアジェ派の研究 の流れのなかで, どのように展開 されていったのか寡聞 にして どうこう言 う資格 を持 ち合わせていないが,次
に見 る アマンーガイノッティの論文 は,こ
の伝統 をよ くひ きついでいるように思われ る。2
社 会 認 識 の発 達 研 究 に お け る民 主 主 義 論 理由はよ くわか らないが,イ
タ リアの発達心理学研究者のなかには,ピ
アジェの社会認識 の発達 研究 に沿った線上で,研
究 している人がいる。 その中で,私
の頭 に強 く残 ってい るの はアマ ンーガ イノッテ ィの「社会一文化的環境 の異 なる児童 にお ける社会の表象の発達 に関す るい くつかのデー タ」 (Amann‐Gainotti,1984)で ある。 この論文 は,上
に述べて きたピアジェの,個
人 と社会論,民
主主議論 との関わ りで読 む と,非
常 に興味深い内容 を含 んでいることがわかる。 彼女 は,ロ
ーマに住 んでいる6歳
児か ら10歳児 までの100人の子供(1年
齢 あた り20人ずつ)を対 象にして,臨
床法 によ りい くつかの社会的概念 を調査 した。その とき,子
供 の属す る社会階層 の影 響 も検討するために,各
年齢段階の20人の子供 の うち,半
数 は上層階層か ら,残
りの半数 は下層階 層か ら選んだ。その基準 は,父
親 の職業 と両親 の学歴で区分 した。上層 の父親 の職業 は自由業,大
学教員,上
級管理職 な どであ り,両
親 の学歴 は大学卒であつた。下層の父親 の職業 は肉体労働者, 非専門職,非
管理職であ り,両
親 の学歴 は初等教育 だけであつた。 また,上
層 の子供 はローマの住 宅街 に住み,全
員が私立学校 に通 っている。一方,下
層の子供 はローマ郊外 の下町 に住 んでいて, 公立の学校 に通 っている。 質問 した社会的概念 は5項
目 (ス トライキ,大
統領,政
府,政
治,民
主主義)で
あるが,そ
れぞ れ,た
とえば,「ス トライキ とはなんですか?」「ス トライキは何 の役 にたつので しょうか?」 な ど500
高取憲一郎 :発 生的認識論研究(2)知
能,社会,創
造 と尋ね,さ
らに「なぜですかP」「 その人 は何 をす るのですか?」「 もう少 し説明 して ください」 な どと,問
いを深めてい く。 結果 を見てみよう。 表1は,各
項 目を定義で きた子供 の人数の分布である。ス トライキ と大統領 について は低年齢の 子供で もすでに定義で きているが,そ
の他 の項 目については8歳
あるいは9歳
以上 にな らない とで きない。 また,社
会階層 による違い は,項
目によって はい くぶん上層 の子供 のほうが早 いような傾 向 も見 られ るが,全
体 としては差がない と言 えよう。 表1
五つの社会的事象を定義できた子供の人数 (Amann・Gainotti,1984よ り) 事象ス トライキ
大 統領
政府 政治
民 主主義 年齢 6歳
(n=20)
7歳(n=20)
8歳(n=20)
9歳(n=20)
10歳(n=20)
10 6 10 9 10 9 10 10 10 10 下 層上 層 1 1 2 1 6 3 8 4 9 4 上層
下層 1 1 4 5 6 上層
下層
上層
下層 6 9 10 10 10 下 層 3 3 6 4 層 2 4 6 4 5 上 10 9 10 10 10 1 1 4 6 次に
,個
々の項 目の内容分析 を見 てみる。具体例 を,会
話体 であげてお く。 なお,原
論文 に年齢 お よび階層の表示のない場合 は,こ
こにも表示 していない。 [ス トライキ]6歳
児では,子
供の体験 に基ずいた主観的な定義が試み られ る。「 みんなが働かな い ときです」「ス トライキがあると,マ
マ は家 にいます」「先生 は気分が良 くない。熱があるんです」 「仕事がた くさんあるので,み
んなバ カンスに行 って しまった」。 また,ス
トライキ,祭
日,日
曜 日は同一の もの として とらえられている。「 それ はバ カンスです。日曜 日と同 じです。ス トライキの お祭 りなので,ぼ
くたちは学校へ行 きません」(町5,上
層)。7-8歳
児 は,前
の段階 に比べ ると,主
観的世界 を脱 して,外
部世界 に対 して開かれて くる。 し か し,子
供 に直接見 えているのは,ス
トライキがあるときはバスや電車 は動かない し,商
店 は閉 ま つているとい う現象であ り,こ
れ を説明す るために,疲
労や病気,休
息の義務 な どを もちだす。「船 やバスは動かない。仕事が とって もたいへんなので,何
日か休 まない といけないか らです」(盈5,上
層)「市電のス トです。市電 は発車 しない。休 まなければな らないか らです」(考6,下
層)。9歳
児以上 になると,ス
トライキ とい うカテゴ リーが,人
間 とか,働
く人,労
働者 とい うような 人 を表すカテゴ リー と結 びつけられ る。 そして,労
働条件 とか低賃金 に対す る抗議 の意味 になる。 「 それ は,人 々が まともな賃金 をもらう権利 のためにス トをしようと決意 した ときです」(9,7,下層) 「 それ は,よ
り良い賃金 を払わせ るために,人
々が反抗することです。 とい うの は,仕
事 に何か良 くない ことがあるか らです」 (10,11,上 層)。 [大統領]6歳
児で は,大
統領 は偉 い人,命
令す る人であるが,何
人か は法皇 のほ うが偉 い と考 えている。 その他 に,テ
レビに出て きて大事なことを言 う人,手
紙 を書 く人,頭
のいい人 な どもあ る。「 どんなことで もで きる人」「大事 な ことを発表す る人。ぼ くはテレビで見た ことがある」(q5, 上層)「テレビのニ ュースで,何
か しゃべ る人」(考0,下
層)7歳
児で は,大
統領 は国や,国
民や,地
方や,町
に命令する人 という具合 に,よ
り具体的 になる。 下層の子供 の場合 は,テ
レビの影響が強いが,上
層の子供 の場合 は答 えが多様化 している。「大統領鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 35巻 第
2号
(1993) 501
は人々 を指導す る」「大統領 は町の住民 に命令 して,従
わ させねばな らない。彼 は,椅
子 に座 ってい て命令す る」 (7,1,下 層)「大統領 は,国
のマスターだ。彼 は,友
達 と一緒 に集 まって国の ことを話 している」(乳6,上
層)「外国の大統領 に会 うために外国へ行 く」(下層)「テレビで,だ
れが死 んだ とか,だ
れが病気だ とか話す」(下層)「大統領 は政治 を指導 し命令す る」「す るべ き仕事 を決 める」 「労働者 に支払 う」「法律 を決めた り,戦
争 をす るか しないか を決 める」「税金や定価 を決め る」(以 上いずれ も上層)8-9歳
児 の上層の子供 は,大
統領 の権力 に言及す る。 また,大
統領 を選挙 し,大
統領 とともに 決定 に参加す る者 としての市民 とい う概念が現われ る。「大統領 は法律 を作 るが,し
か し,わ
れわれ 全員で,この法律が正 しいか どうかを決定 しな くて はな らない」(銑8,上
層)一
方,下
層 の子供 は, 大統領 は,実
際以上 の大 きな権力 をもっていると考 えることが多い。「大統領 は,家
庭や,商
店や, 教会やその他 の ものに命令す る」(乳8,下
層)9-10歳
児で は,大
統領 と市民 との関係 に関心が集中す るが,社
会階層の違いによって現われ方 が異なる。上層の子供 の場合 は,両
者 の関係 は協働 と相補性 であるが,下
層 の子供の場合 は,独
裁 的で,家
父長主義的である。「大統領 は市民 とともに決定す る」「大統領 と市民 は投票 を通 して協働 する」「大統領 は法律 を作 って,わ
れわれ市民 に同意 して くれ るように頼 む」「大統領 は治 める人で ある。みんなのために選択 をす る。しか し,も し市民が同意で きない ときは抗議す ることがで きる」 (以上いずれ も上層)「大統領 は法律 に署名 をす る人である。議会 を通 ったあ とでは全員が実行 しな くてはな らない」「大統領 は国のいろいろな問題 について話す。デモ はしないようにとか,盗
み はし ないようにとか」(以上 いずれ も下層) [政府]6-7歳
児で は,政
府 とい うことば と命令 とい う観念が結びついている。 その場合 の命 令す る人 は,一
人 だけである。また,政
府 と法律 とを同一視 している者 もある。「みんなに命令 す る 人だ」「治 める人,み
んなに文旬 を言 う人」「それ は法律 だ,法
律 のような ものだ」8歳
児で は,政
府 は大事 な ことを命令 し,実
行す る偉 い人 たちによってつ くられ るとい う考 えが 現われる。 しか し,こ
の偉 い人 たちの役割 について は曖昧 さを残 している。 また,社
会階層の違 い によって,ズ
レが見 られ る。下層の子供では,政
府 は一人 の人間か ら構成 されているとい う考 え と, 複数の人間か ら構成 されているという二つの見解が共存 している。上層の子供では,政
府 は複数 の 人間か ら構成 されているという見解 しか存在 しない。「政府 は何人かの人か らで きているが,それが どんな人 たちか,ま
た何 をす るのか はわか らない」(8お,上
層)「何人かの人 たちの集 まりだ,何
を すべ きかを一緒 に決める」 (8,10,下 層)9-10歳
児 の上層の子供 の場合 は,複
雑 な言葉 と抽象的な説明が特徴 になる。一方,下
層 の子供 の場合 は,実
践的な水準での説明が特徴である。「 それ は,議
会 と代議士 によってで きている」「 そ れ は,国
に属す る機関である」(いずれ も上層)「それ は,人
々 を助 けるための政治 について話す」 「それ は,正
しいか正 しくないか を決 める」「 それ は,市
民 に役立つ ことを考 えている」(いずれ も 下層) [政治]6, 7, 8歳
児で は,政
治 ということばはテ レビと結 びついている。「政治 はテレビのエ ュースだ」「政治 はテレビで話 している人 たちだ」「 た とえば,地
震 とか,井
戸 に落ちた子供 の こと とかを話す」8歳
以上の子供 で は,政
治 とテレビとは無関係 になる。 そして,政
治 とはいろいろな問題 につい て話すために (あるいは規則や法律 を作 るために)集
まった人々 によって行 なわれる と考 えられ る ようになる。 また ここで も,上
層の子供 は抽象的な説明 を,下
層の子供 は具体的な説明 をす る傾 向高取憲一郎 :発生的認識論研究
(2)知
能,社
会,創
造 がある。「人々 は,イ
タ リアの こと,リ
ラの切 り下 げ とか,国
際政治 に興味 をもっている」 (9,4,上 層)「政治 とは,治
めるための学問だ」(上層)「人々の世話 をす る」(下層) 10歳児 は,政治 は自分 の思想 を表明するのに役立つ と考 えるようになる。「人々 は政党 に分かれ る。 そして政党のおかげで自分 の思想 を表明で きる」(1町4,下
層)「政治の一つ一 つのタイプは,異
なる 思想か ら作 られ る。 それぞれが 自分 な りの方法で考 えている」(10′,上
層) [民主主義]最
初 にも触れたように,上
層の子供で は8歳
ぐらいか ら,下
層の子供で は9歳
ぐら いか ら定義づ けが始 まるというように,概
念 の抽象度が高いためか,社
会階層 による年齢 のズレが 見 られ る。8, 9,10歳
児 の上層の子供 の場合 は,民
主主義 は集会 とか会 とか と結 びつ く。「人々が集 まる」 「みんなが共同 して生活 している」「みんなが一緒 になって良 くしようとしている」9歳
以上の上層の子供の場合 には,抽
象的な定義が見 られ る。「‐人 の人間 によってで はな く,全
員 による政治 のや りかた」「人々の政府」「互 いに尊重 し,
ともに決定する とい う市民 に与 えられた 自由である」8, 9,10歳
児 の下層の子供 の場合 には,テ
レビと結 びついているか,ま
たはキ リス ト教民主党 と混同 している場合 もある。「毎 日テレビを見 ているんだけど,死
んだ人 の ことや地震の ことを話 し ている」「 それ は,キ
リス ト教民主党 だ。多 くの人が互 いにい ろんなことを話 し合 っている」(1砒 6) 「キ リス ト教民主党 もあるし,そ
の他の民主主義 もある」(9,10)「それ はキ リス ト教 の行事 だ,キ
リ ス ト教徒が行 なっている」 しか し,上
層の子供 の場合 は,キ
リス ト教民主党 と混同す る答 えはな ヤ勇。 以上 の結果 を ま とめたのが,表
2か
ら表6で
あ る。 表2
ス トライキに関する反応の分類 (Amann‐Gainotu,1984よ り) 年齢6 7
反応 のタイプ0
反応 な し,あ
るい は明 らか に文脈外 の反応I
個人 的 な説 明,ス
トライキ 。お祭 り。日曜 日 は同義H
ス トライキは外部の出来事 と関連 させられる, しか しまだ要求 とい う意味 はもたない Ⅲ ス トライ キ は労働者 の要求である 上層 下層 上 層 一 - 1 7 10 5 3 -― 上層 下層 上層 下層2512
層 1 5 下 層 一 3 上 層 1 4 下 4 -― 1 -10 -10 -10 -10 -10 -10 -10 -10 -10 -10 表3
大統領に関する反応の分類 (Amann`Gainotu,1984よ り) 年 齢 反応のタイプO
反応なし,あ
るいは明 らかに文脈外の反応I
大統領 はテレビに出て くる人,命令する偉い 人,頭のいい人,しか し仕事の内容 はあいま いにしか理解 されていないH
大統領 は非常に偉い人である,そ
の役割 は, 特定の領域 において発揮 される Ⅲ 大統領の権力 は市民 によって制限される,市 民 は大統領を選挙 し大統領の決定に一定のコ ン トロールを及ぼす 層 一 7 下 層 1 1 上 層 1 3 上 層 2 7 下 層 1 4 上 層 4 6 下 層 4 6 上 下層 上層 下層 9 2 5 2 1 3 -― 4 2 -― 計 10 10 10 10 10 10 10 10 10 10鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 35巻 第
2号
(1993) 表4
政府に関する反応の分類 (Amann・ Gainotu,1984よ り) 年齢 反応のタイプO
反応なし,あ
るいは明 らかに文脈外の反応I
政府 という概念 は,偉 い人が命令するという 考 えと結びついているH
政府 というのは,命令 し,決定す る何人かの 偉 い人 によりつ くられている Ⅲ 政府の機能や構成する機関 とい うような,よ り抽象的な水準で政府 を定義する 上 層 下 層 10 9 - 1 下 層 上 層 6 7 2 -層 3 一 下 層 5 1 上 層 2 2 下 層 5 1 上 層 8 2 下 層 8 1 上 1 -― 1 -言+ 10 10 10 10 10 10 10 10 10 10 表5
政治 に関す る反応 の分類 (Amann‐ Gainotu,1984よ り) 年 齢 反応 のタイプ0
反応 な し,あ
るい は明 らか に文脈外 の反応I
政治 はテレビ,と りわ けテ レ ビニ ュース と関 連 してい るH
政治 は,いろい ろな問題 について話 し決定す るために集 まった人 々 の集団で ある Ⅲ 政治 は政党 とい うかたちで 自分 たちの考 えを 表明す る手段 で あ る 上層 下層 上層 10 10 9 - - 1 下 層 上 層 下 層 上 層7896
3-―
― 層 6 1 下 層 7 一 上 層 5 1 下 2 -― 計 表6
民主主義に関する反応の分類 10 10 10 10 10 10 10 10 10 10 (Amann・ Gainot苗,1984よ り) 年 齢 反応 の タイプ0
反応 な し,あ
るい は明 らか に文脈外 の反応I
民主主義 はテレビで見 た り聴 いた りす ること と関連 してい る,あるい はキ リス ト教民主党 と混 同 してい る Ⅱ 民主主義 は,人々が集 まることとか,協力す る こととい うようなあいまいな考 えと結びつ いてい る Ⅲ 権利 と義務 の平等 とい う,より抽 象的 な水準 にお ける定義 上 層 下 層 上 層 下 層 上 層 下 層 10 10 6 9 5 6-
―- 1 - 3
上層 下層 9 10 1 -― 層 4 5 下 層 6 一 上 2 -― 2 -― 3 -- 3 -― 1 -10 -10 -10 -10 -10 -10 -10 -10 -10 -10 アマンーガイノッティは,以
上 の結果 をふ まえて, 8歳
か ら9歳
の間 に転換点があると考 えてい る。その転換 は,一
人 の権力 を持つ個人 という概念か ら,協
働す るあるい は相補的に働 き合 う集団 (人々,労
働者 な ど)へ
の変化である。 そして,そ
の転換 は,知
能 の面 にお ける自己中心的思考か ら抽象的思考への転換 と一致す るとす る。抽象的思考 においては,自
己中心的思考 の段階で はで き なかった相互作用 とか,相
補的行為,協
働が表象で きるようになることが,
このような大 きな転換 計504
高取憲一郎 :発生的認識論研究(2)知
能,社会,創造 をもた らす と考 えるのである。 これ は,す
でに言及 した ピアジェの知能 と社会 の見解 にまった く― 致す るとらえかたであることは,い
まさら子旨摘す るまで もないであろう。 さらに,社
会階層が社会認識 の発達 にいかなる影響 を及 ぼすか とい う点 について は,第
一 に,上
層の子供 のほうが下層の子供 よりも抽象的思考が早 くで きあが ること。第二 に,下
層の子供 で はテ レビの影響が大 きいこと。第二に,下
層の子供で は権威への追随が見 られ るのに対 して,上
層 の子 供で は権威 に対 して個人が働 きか けることがで きるとい う考 えが現われ る。 この点 も,ピ
アジェの知能 と民主主義 の議論 との関わ りで興味深い。 もうすでに触れたように, ピアジェは民主主義的人間関係が出現す るのは具体的操作期の後半,10歳
前後か らと考 えるわけだ が,自
己中心性 を脱却す ることが民主主義成立 の前提で もあ り,ま
た結果で もあると考 える。 そう すると,社
会階層 の下の子供達 は,
この転換が遅れ,民
主主義的人格 の成立が遅れ ることになる。 その際,下
層の子供で は,テ
レビの影響が大 きい とい う事実 は,知
能が社会 との相補的関係 の下で 発達す るとい う場合の社会 は,具
体 的な事物や人間 を介 しての,子
供 ともの との関係,子
供 と他者 との関係 の ことであ り,テレビの情報 を媒介 とした擬似畿 甲係で はない とい うことを実証す る点で, 注 目に値す る。 ところで,初
期 ピアジェの構想 した個人 と社会 というテーマ は,そ
の後個人 とコ ミュニケーショ ンの問題へ と姿 を変 えてひ きつがれているように思 える。社会 を単なるコミュニケーションヘ と解 消 して しまうことは,
もちろん重大 なす りかえになる恐れが多分 にあるが,ピ
アジェ派の一つの大 きな流れ として存在 しているので,次
に とりあげて検討 してみよう。3
知 能 と コ ミュ ニ ケ ー シ ョ ン 知能 とコ ミュニケーションとい うテーマ は,ピ
アジェ以後 のジュネーブ学派 のなかで は,
ドワス のグループが,コ
ミュニケーション (社会)と
認識 (知能)の
問題 は,今
まで ジュネープ学派が無 視 して きた とい う認識 に立 って実証的研究 を展開 している。 ところが,彼
らの基本的立場 を検討 し てみると,初
期 のピアジェが抱いていた知能 と社会 の相互依存性 あるいは相補性 というダイナ ミッ クな視点か ら,社
会の優位性,あ
るい は社会 の先行性 を強調する立場へ と移行 していることがわか る。すなわち,社
会的相互作用が認識 (知能)に
先行 し,社
会的相互作用 によって個人 の認識 餘日 能)は
形づ くられるとい うのが彼 らの仮説 となるのである。それを,
ドフスは個人間協調 は個人 内 協調 に先行 し,個
人 内協調 を増進す る と表現 している (Doise,1985)。 こうなると,彼
らの立場 については三点 ばか り注意 をしてお く必要がある。第一 に,初
期 ピアジ ェの もっていた個人 と社会 のダイナ ミックな関係が失われているように思われる。 とくに,知
能の 変容が社会的関係の変容 の条件 にもなっているとい う面がなおざ りにされてい る。第二 に,た
とえ ばエコロプルーが,ヴ
ィゴツキー学派の諸研究 に対 して批半」したように(Nicolopoulou,1993),社 会 とい うものを単 にコミュニケー ションに解消 して しまっているので はないか とい う批半Jはドワス たちに対 して もあてはまるように思われ る。第二 に,こ
の立場 は,ヴ
ィゴツキーの最近接発達領域 および内化 の概念 とまった く同 じであるように思われるが,それ は,すでに見 た ピアジェの見解(知 能の発達 と平等で民主主義的な人間関係 の間の緊密な関連)との間に若千のずれ をもつ ことになる。 タッジ とウインターホフの指摘(Tudge&WinterhOff,1993)を
待つ まで もな く,ピ
アジェの場合 には,上
下関係 のある大人 と子供 の相互作用 よりも,対
等で平等な子供 と子供 の相互作用 のほ うが, 知能 を促進す るとい う点 において優 るという結論がひ きだされて くるのであるが,一
方,ブ
ィゴツ鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 35巻 第
2号
(1993) キーの場合 は,基
本的には大人 と子供 の相互作用 によ り子供 の認知発達 は促進 され ると考 えるもの であ り,そ
れ はピアジェの分類で は前操作期 に対応す る大人 の側か らの子供 に対す る強制 とか拘束 という関係 に相当す るか らである。 この ような点 を一応念頭 に置 きつつ も,次
にペ レー クレルモンの周知 の実験 にそって,彼
らの見 解 を見 てい こう (Perret‐Clermon,1980)。 ここで は,液体 の保存が社会的相互作用の影響 によっていかに変容 してい くか とい う実験 を見 る。 実験 その もの は,ビ
ーカー,コ ップ,ジ
ュースの入 っているビンを用いた典型的な保存実験である。 被験者 は,5歳
6ヵ 月か ら7歳
5ヵ月の100人の子供 である。プ リテス トによって,被
験者 を非保存 者,中
間,保
存者 の二つのグループに分 ける。結果 は,そ
れぞれ44人,11人 ,38人
であった。 プ リ テス トの直後 に,実
験群 で は集団セ ッシ ョンを10分間与 える。統制群 にはこのセ ッションは与 えら れない。集団セ ッシ ョンとは,二
人一組 (内訳 は,保
存者2人
と非保存者1人)に
して,非
保存者 が二人 の保存者 の前 にあるコップに等量 のジュースを注 ぐことである。当然,二
人 は相談 しなが ら, 全員が納得 して同意す ることを条件 にして行 なう。 この集団セ ッシ ョンの後,プ
リテス トと同 じ保 存課題 を用いて,1週
間後 にポス トテス ト1,そ
れか らさらにlヵ 月後 にポス トテス ト2を行 ない, 保存 の獲得 とい う面で進展があったかいなかを調べ る。 結果 は,プ
リテス トか らポス トテス ト1へ
の変化が表7,ポ
ス トテス ト1からポス トテス ト2へ
の変化が表8で
ある。プ リテス トか らポス トテス ト1へ
の変化で は,実
験群 における進展者 は37人 中24人,統
制群で は12人中2人
である。ポス トテス ト1からポス トテス ト2へ
の変化 で は,25人
は 現状維持, 8人
はポス トテス ト1か らポス トテス ト2の間にさらに進展, 4人
はプ リテス トの水準 へ後退 した。 表7
プリテス トとポス トテス ト1の間の変化 (Perret‐Cttrmon,1980よ り) 実 験 群 ポス トテス ト1の 水準 プリテス トにおいて プリテス トにおいて 非保存中 間 統 制 群 プリテス トにおいて プリテス トにおいて 非保存
中 間 1 1 2 2 7 9 存 間 存 保 計 非 中 保 11 9 8 28 9 1 0 10 表
8
ポス トテス ト1と ポス トテス ト2の間の変化 (Perret‐Cttrmon,1980よ り) ポス トテス ト1に お ける水準 非保存中 間
保 存 計 存 間 存 保 計 非 中 保 9 0 2 11 2 3 6 11 0 2 13 15 ポス トテス ト2 にお ける水準 興味深いのは保存 の理 由づ けの分析である。 これ は, された子供 と
,ポ
ス トテス ト2で
は中間に後退 したが,2で
保存が獲得 されている と1で
は保存が獲得 されていた ポス トテス ト ポス トテス ト506 高取憲一郎 :発生的認識論研究
(2)知
能,社会,創造 子供 を合 わせ た23人 のデー タを分析 した もので あ る。表9は
,集
団セ ッシ ョンで保存者 で あ るパー トナーが与 えた理 由で あ り,表
10は,ポ
ス トテス ト1で
被 験 児 が与 えた理 由,表
11は ポス トテス ト2で
被験 児 が与 えた理 由で あ る。*の
つ いてい るの は,パ
ー トナー の理 由づ け とは別 の,被
験 児 が 新 た に与 えた理 由づ けで あ る。 表9
集団セ ッシ ョンで保存者が与えた理由づけ (Perret_Cttrmon,1980よ り) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 ― 十 ++ 十 十 十 + 十 十 十 十 十 十 ギ 1 同 一 性a十 +
十 十十
+
同 一 性b十
一 十 十 十+
十 十+
十 十++
十 キ → 補償 十 十
+
+ +
可 逆 性a
十+
十 可 逆 性 b 表10
ポス トテス ト1で被験者が与 えた理由づけ (Perret‐Cttrmon,1980よ り) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 同 一 性a +
十 十*十 +
十十
+ +十
同 一 性b *
補償 十 十
* *十
*十
十++ ++*十
*十
可 逆 性a *
十* *
可 逆 性b *
*は集団セ ッションでは現われなかった新 しい理由づけ 表■ ポス トテス ト2で被験者が与 えた理 由づけ (Perret‐Cにrmon,1980よ り) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 同 一 性a *十
十
*十
十 十++
十 十十 同 一 性 b 補
償
+ *十
*+十
十+**+十
十 十*十
十*+*
十 可 逆 性a
十 十十
** **
可 逆 性b *
*は集団セッションで現われなかった新しい理由づt, また,理
由づ けのカテゴ リーには同一性,補
償,可
逆性 の三種類 あ り,さ
らに,下
位 カテゴ リー があるもの もある。同一性aは
「 なぜなら,前
は同 じだった」,同
一性bは
「なぜな ら何 も力日わつて いない し,
とりさられて もいない,コ
ップに入 っていた ときのままです」 とい う類 の ものである。 補償 は「同 じ量 のジュースがある,な
ぜな ら,こ
のコップは細 いけれ ど高いか ら」 とい うもの。可 逆性a(逆
転 による可逆性)は
「 なぜな ら,も
しこのジュースを別 のコップ (いちぼん最初 にジュ ースが入 っていたコップ と同 じ大 きさで同じ形のコップ)へ
移せば,同
じだ ということがわか るで しょう (要す るに,操
作 を逆転 させれば元 に帰 るとい うことを言っている)」,可
逆性b(相
補性 に よる可逆性)は
「なぜな ら,も
しこのジュースを別 のコップヘ移せぼ同 じだ ということがわか るで しょう (要す るに,同
形・ 同大 のコップか ら同形・ 同大 のコップヘ移せば変 らない ということを言鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 35巻 第
2号 (1993) 507
っている)」 とい うものである。 表9,10,11か
ら明 らかなように,23人
中13人がパー トナーの用いなか った理 由を用いて説明 し ていることがわか る。 これを根拠 にして,ペ
レー クレルモ ンは,
この変化 は模倣 とか社会的学習で 説明す るよりも,子
供 の内部 で認知構造 の再構造化が進展 した結果である主張 している。集団セ ッ ションで行 なわれた社会的相互作用が,再
構造化 のプロセスを刺激 し解発 した というわけである。 ドワスたちの行 なっている研究 は,前
操作期か ら具体的操作期 にか けての子供 において,社
会的 相互作用の過程で生 じた コンフ リク トによ り,認
知構造 の再構築がお こなわれ,脱
中心化 してい く 様子 を扱 ったものであるが,形
式的思考期 における高次段階での視点 の脱 中心化 を検討 しているも のに,次
に述べ るグ リューバーたちのグループによる研究がある。4
グ リュー バ ー に よ る視 点 と創 造 的 知 能 の 研 究 ダーウィンをモデルにして科学者 の創造過程 を分析 した著書『ダーウィンの人間論』(グルーバー,1977)で
知 られ るグ リューバー は,
ドワスたち とは別の立場か ら,コ
ミュニケー ションと知能 の研 究 を進めている。グ リューバー は,ブ
ランギエの『ピアジエ晩年 に語 る』(ブランギエ,1985)に
も わずかで はあるが登場 していて,本
稿 に関連 した問題 について次のように発言 している。 第一 に,創
造的思考 とは,ち
ょうど子供が 自分 の世界や,自
分 の思考,自
分の観念 を構成 してい く過程 と非常 によ く似 ていて,そ
のプロセスは多 くの時間を必要 とす る。 それ は,い
わば新 しいこ とを構成するような発達である。 その際の,真
の意味 における構成 とは,突
然 に二つの ことの間の 関係が見 えることである。第二 に,創
造的な人間 は,普
通の人間 よ りも一人 ばっちなので はない。 第二 に,科
学 とは人間の精神 を通 して世界 を構成す ることである。 要す るに,グ
リューバー は,創
造的思考 とは,長
い時間の蓄積 の過程 の結果 として生れ るもので あ り,そ
の とき,他
者が存在 しているほうが よ り有効であること,さ
らに,科
学 とは人間の精神 に よる世界 の構成であるがゆえに,精
神 の自由で柔軟 な多元的なあ りかたが必要 になることを指摘 し ているように思われ る。 その とき,彼
が注 目す るのは視点である (以下 の議論 は,Maurice et al.,1991を 参考 にした)。 ピ アジェの心理学 の中で は,視
点 は,前
操作期か ら具体的操作期への移行期 に,二
つ山問題 に見 られ るような自己中心性 を脱 して他者 の視点 に立つ ことがで きるとい う,い
わば視点の転換 とい う意味 でまず現われ る。 さらに,形
式的操作期 において も,自
分 の行 なった解決 は,多
くの可能性 の中の 特殊 な場合 にしかす ぎない とい うこと,す
なわち,も
のごとの多様性,多
元性 の認識 という,以
前 の段階における視点の転換 に 'ヒ ベればより高度 の段階におけるいわぼ視点の多様化 とい う意味 にお いて現われる。 そして,こ
のような多様 な視点 を,そ
れ まで存在 しなか ったようなや りかたで統合 することにより,新
しい考 えが創造 され るとす るのである。 われわれ は,青
年期 になって視点の多様性 に気づ くのだが,そ
れだけで全員が創造的思考へ と飛 躍で きるわけで はない。大部分 は,二
つの異 なる情報 を統合 して一つの解決 にまで は至 るが,そ
れ 以外の解決 に思い至 るのは困難である。 まれに,あ
らゆる可能性 を検討す るとい うもう一段上 の段 階に行 く者があるが,少
数である。 しか し,グ
リューバー は,こ
の後半 の段階 にまで至 らない と創 造 とは言 えない し,個
人 を新 しい可能性へ と解 き放つ とは言 えない と考 える。 彼 は,以
上のような,個
人 を可能性 の世界へ と解放するような新 しい意識 の形成 とか,倉J造に関 わる知能 を,思
索的知能 。寛大 な知能 。新 しい観念 を生み出す知能な どと呼び,そ
れ までの,経
済高取憲一郎 :発生的認識論研究
(2)知
能,社
会,創造 効率 とか強制 とか優先 とかによ り動機づ けられた実践的知能 と区別 している。そして,こ
のような 知能 は子供や青年 には未 だ存在 しない し,大
人 の場合で もまれであると考 えている。 さらに,社
会 的相互作用が必ず しも認識 を促進す るとは限 らず,む
しろ,年
齢 の上昇 に伴 う個人 の認知的構造 の 変化,お
よび仮説 を推論 し,外
見 に とらわれ ることな く一つの解決で とどまらないでさらなる可能 性 をめざす能力な どが重要な ことを指摘するのである。で は,彼
らの実験 を見てい きなが ら,以
上 の ことを確かめてみよう。 ここで とりあげるのは,シ
ャ ドー・ボックスを使用 した視点の統合 の実験的研究である (Reith,et al,1989およびTryphon,et al.1989)。 図1のようなシャ ドー・ボックスの中に,四
面体 を置 き,光
源Aお
よびBか
ら照射す ると,ス
ク リー ンAと Bに
は異なる影が映 る。スク リー ンAと
Bの
前 に座 っ た被験者 は,お
互 いの情報 を交換 して中に隠 されている立体 の形 を推測す るのが課題である。その とき,被
験者 はことば以外 に紙,鉛
筆,は
さみ,粘
上 を自由に用いて もよい。 隠 されている対象 ス ク リー ンA ・・・・ ス ク リー ンB 図1
実験に使用されたシャドー・ ボックス (Rdth,ct al.1989よ り) まず,初
めの実験 (Reith,et al.,1989)は,被
験者 として48人の大人 三社会人 (23歳か ら58歳)と
48人の中学生 (14歳 4ヵ 月か ら16歳 7ヵ 月)を
用 いた。互いに既知 の同性 の被験者 を二人づつ組 み 合わせる。三種類の異なる教示を与 える三群を作る。それらは,①
二人が協力 して行なうようにと 教示する:その結果 はペアとして評価される。②個人で行なうように教示される,その結果 は個人 ごとに評価されるが,途
中では協力 して情報交換や議論を行なう。③中立 ;やりかたは被験者の自 主的半J断に委ねられる,す
なわち協力 しようがすまいが勝手である。 結果 は,ま
ず,被
験者の課題解決の様子を映 したビデオを見て,被
験者 を協同型 と個人型の二つ に分けた。その結果は,表
12である。ここか ら明 らかなように,大
人では協同を好む傾向が見 られ,鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 35巻 第
2号
(1993) 個人 ごとにや るように とい う教示 をしばしば無視 している。一方,中
学生で は,個
人 ごとにや る傾 向が強 く,協
同 してや るようにとい う教示 を無視す る傾 向が見 られ る。中立型の教示の場合 は,協
同 してお こな う傾 向が強 いが,こ
の傾向 も中学生 よ りも大人 のほうが顕著である。 次 に,問
題解決 についての結果であるが, これ は,実
際の問題解決が どこまでで きたか (正解 なし:0,正
答1つ:1,正
答2つ :2,正
答が2つ以上:3)と
い う部分 と,課
題終了後 の個別 のイ ンタビューの結果 (一つ 以外の答 えはない と考 えている:0,別
の答 えがあると考 えてはいるが具体化で きない:1,別
の答 えがあると考 えていて,か
つ具体 表12
観察 された社会的行動 (Rdth,et al.1989よ り) 年 齢 中学生 社会的行動 協 同個人 協 同 個 人 33 個人型 協同型
123456
得 点 図2
中学生の人数分布 (Rttth,et al.1989よ り) □ 個人型 □ 協同型 得 点 図3
大人の人数分布 (Reith,et a1 1989よ り) 化 で きる:2,無
限 に答 えが ある と考 えてい る:3)を
合 わせ た6点
満点 で示 した (図2お
よび図 3)。 大 人 の平均 は2.2点,中
学 生 の平均 は1.1点 で あ り,有
意差 が あった。 また,0点
の者 が何人 い るか見 てみ る と,中
学 生 で は48人 中17人,大
人 で は48人 中6人
と中学生 のほ うが0点
が多 いのが特 徴で あ る。 しか し,こ
の実験 の主 目的で あった協 同型 と個人型 とい う社会行動 のタイ プの違 い によ 大 入 教示協 同 個人 中立 8 2 10 13 7 13 □ □
高取憲一郎 :発生的認識論研究
(2)知
能,社
会,創造 る差 はなかった。ただ,中
学生では協同型の平均が1.3,個
人型 の平均が1,0と僅差であるのに対 し て,大
人で は協同型2.4,個
人型1.8と少 し差が大 きい こと,お
よび満点(6点
)は
大人 の協同型で のみ得 られた とい う点 は付 け加 えてお こう。 二つ 目の実験 (Tryphon et al.,1989)は,第
一 の実験 とほぼ同 じであるが,次
の二点が異 なる。 一つ は,被
験者が,今
回 は児童(7歳
か ら9歳
),青
年 (14歳か ら18歳),大
人 (24歳か ら55歳)の
三段階であ り,そ
れぞれ36人 ずつである。 もう一つの異 なる点 は,単
独条件 と協同条件 の二つ を作 つた点である。前者 の条件で は,被
験者 は単独 でお こな うのだが,ス
クリーンAと
Bの
両方 を自由 に見 ることがで きる。後者 の条件で は,そ
れぞれの被験者 は自分の前のスク リー ンしか見 ることが で きないが,互
いの情報 を交換 して結論 に至 るように協議す る。 結果 は,反応 を五つのカテゴ リーに分類 して分析 された。aは
正答がない:0,bは
正答が1つ :1,Cは
異なる二つの正答:2,dは
二つ以上の異 なる正答:3,eは
正答 は無限 にある と考 える:4で
ある。図 4と 図5に結果 を示 した。年齢 による差 はあったが(児童<青
年<大
人),単
独条件 と 協同条件 の間の差 はなかった。 反応タイプ ■a 田b 日C 目d □e 児童青年 年 齢 図
4
年 齢 別 の反 応 タイ プの分 布 大入 (Tryphon,et al.1989よ り) 反応タイプ ■a 田b 日C 目d □e パ 30 I t/ 20 ン ト 10 0 条 件 図5
条件別の反応 タイプの分布 (Tryphon,et al,1989よ り)鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 35巻 第