公 民 教 育 に お け る 天 皇 に つ い て
主 と し て 憲 法 学 習 の 視 点 よ り
社会科教育研究室 細
Thc Tcnno(Empcror)in thC CiVic Education一
FrOm
ヽこainly thc Vicwpoint of Constitution Study一
SatOshi HOsoka、
va
(―)
は じ め に 戦後,天
皇 につ いて,教
育 の現場 で直接取扱われ るのは,主
と して社会科 であ り,社
会科 の中で も,歴
史 的分野 と公民 的分野 においてで あ る。 しか も,天
皇 の問題 が歴史的事実 と して にとどま ら ず,国
家的制度,国
家的機関,国
家体制 と して理解 の対象 とされ,従
ってその意味では,国
家 的社 会 的制度 的立場か らの評価,批
判 の対象 ともな され うるもの と して取扱かわれ るのは,主
と して社 会科 の中の公民 的 (政 。経・ 社 的)分
野 において で あ る。 戦 前,我
が国は天皇 が統治権 の総慣者 と して,内
閣 は これ の補弼機関であ り,議
会 は これ の協 賛 機 関で あ り,裁
判 は「 天皇 の名 において」行 われ るとい うが如 き,天
皇至上天 皇制絶対 の国家体制 を取 り,教
育 において も,
この天 皇中心主 義,天
皇制絶対主 義,尊
皇愛 国主 義の教育観 が行われて いたのであ り,戦
前 の公民教育 は,
この天 皇制絶対主義の中心的教育 と して,い
わ ゆ る「 おおみた か ら教育」「 皇民教育 」であ ったので あ り,天
皇 に対す る随順 の道徳 が打 ち出 され,皇
国教 学思想 の下 に「 臣民 の道 」を教示す るのがその根本 目標 で あ り,「
民 くさ」 と しての皇国 の道へ の帰一, 聖業翼讃 の道 を教え るのが,そ
の根本精神 と考え られたのである。(※ 1) しか もこの戦前 の天皇制絶対主 義の教育観 は,我
が国が満洲事変か ら支那事変,太
平 洋戦争 と, 戦争を拡大す るにつれて,国
家主 義的圧迫 の下 にますます徹底 して行われ るところ とな り,国
家 の 文 教政策 も軍 国主義,全
体主 義,極
端 な国家主 義の傾 向を強化 し,学
校教育 も戦争 目的完遂 の為 に 動員 せ られ,わ
けて も,「
戦 前 の公民教育」は国民思想統制 の一翼を にな うものと して皇道主 義 に よ る皇国民錬成 の皇道教育 の形 を とって行われたのであ り,そ
こにおける天皇は,ま
さに「 神 聖, 絶対不 可侵 」の存 在 と して一片 の批判,評
価 を も許 し得 ない ものであ り,こ
れ は国家 の強固な教育 統制 の下 に完壁 な形 において実施せ られたのであ った。 しか るに戦後,我
が国の教育は,そ
の民主化 が強力 に要請 され るところとな り,戦
後 制定せ られ た「 教育基本法」 も,新
憲法の精神 を受 けて「 民主 的で文化的な国家 の建設 は根本 において教育 の 注 (※1)戦
前の公民教育がすべてそのようであったのではな く,章
初のものは本来の意味の公民教育の性格 を持 っていたものと考えるが,特
に昭和10年頃以降の公民教育 は,い
わゆる「皇民教育」の性格 を強 くしてい ったものと思われ る。 25 哲細川 哲 :公民教育における天皇について 力 にまつべ きものである」 と宣言 し
,「
個人 の尊厳を重ん じ,真
理 と平和を 希 求 す る人間の育成 と,普
遍的に して しか も個性 ゆたかな文化 の創造をめ ざす教育を普及徹底 しなければな らない。 」 と して普遍的原理 に立つ民主教育 によ り真 に民主的文化的国家 の建設を指 向 し,戦
前 の教育 内容か ら軍国主義,全
体主 義,超
国家主 義的思想 を払拭 して,新
しい教育理念 の下 に,戦
後 の教育 は再編 成,再
構成せ られ ることにな った。 更 に,新
憲法 も「 学問の 自由」「思想良心の 自由」「 言論等一切の表現の 自由」「 教育 を受 け る 権利」を天賦不可侵 の基本 的人権 と して強固に保障 し,一
方天 皇 は「 主 権 の存す る国民 の総意」が その地位を認 め る「 国民主権主 義の下 におけ る天皇制」 と して規定せ られ,戦
前 の天皇至上,天
皇 御絶対主義の教育観 は全 く否定せ られて,天
皇 に対す る理解 と共 に,こ
れ が国家的社会的制度的批 判,評
価 のな され うるもの と して,教
育 の場 に登上 して来 た もので ある。 かか る戦前,戦
後を通 じて の「 教育 におけ る天皇」の取扱 いの極端 な相違 は,新
憲法上「天皇 の 地位」の規定 が抽象的に して,明
確 な理解 が困難 な上 に,新
憲 法制定 の経過を如何 に評価す るか, 戦 後天皇 の戦争責任 とも関連 して,天
皇制存置 の背景が,
どの よ うな もので あったか,
日本史 にお け る天 皇 の本質 はいかな るもので あるか,終
戦 におけ る「 国体 の護持」 と天皇制 との関係等 々の各 種 の要素 が,戦
後 の社会的価値観 の急激な変動 ともか らみ あって,戦
後教育 におけ る,特
に社会科 公民的分野 におけ る「 天皇 の取扱 い」をます ます 凋難 に しているもの と思われ る。 この天皇の教育上 の取扱 いにつ いての「 困難性」は,戦
後 の公民教育 において,私
の見 聞す る範 囲 において も,教
師 によって は,
これを取扱わない者す ら有 る。 しか し,天
皇 は,新
憲法 の首章 ( 第一章)に
切記せ られ た「 国家 の象徴」で あ り,憲
法学習が国民共通 の法的理解 の基礎 と して,公
民教育 の重要 な地位を 占め る以上,い
か にその取扱 いが困難で あ るに して も,教
育上,
これを避 け て通 ることは許 され ない ことで ある。 しか も,教
育 が公 教育 と して,特
に小 中学校 の義務教育 において,普
遍性 と客観性を持 って行わ れ る場 合「天皇 の取扱い」につ いて の間違 いや偏 向は可能 な限 り排除せ られ なければな らない。 しか るに,
この「 天皇の取扱い」についての間違いは案外,多
くあ るので はないか と危 惧す るも のである。 それ は各教師の価値観,イ
デォ ロギ ーとも関連 して,各
学校,各
教師 により,か
な り相 違 した。一― 中には全 く異 った一―取扱 いがなされてい るもの と考え る。 勿論,現
行 の学習指導要領 では,天
皇 につ いて の規定│ま見 られ るので ある。すなわち,学
習指導 要領 によれば,中
学校社会科公民的分野 (政・ 経・ 社的分野)で
は,「
天 皇 の地位」 については, 日21民主政治 の組織 と運営」 の「 日本 国憲法 と民主政治」 で学習 させ ることにな って い る。 こ の 「 日本 国憲法 と民主政 治Jの
項 目につ いては,「
…… 日本 国憲法は,基
本 的人権 の尊重,平
和主 義 国民主 権,三
権 分立,代
議制,議
院 内閣制 な どの基本 的な原則 に基 いてい ることを認識 させ,あ
わ せて,天
皇 の憲法上 の地位 について理解 させ る。」 (傍点筆者)と
示 され て い る。 また,「
天皇 の 憲法上 の地位」 については,文
部 省 の「社会指導書」に次のよ うに述べ られてい る。(※2)すなわ ち 「 天皇 の憲法上 の地 位 につ いては,国
民主権 の原則 と関連 させて,『
天皇 は,
日本国の象徴で あ り 日本 国民統合 の象徴で あって,こ
の地位は,主
権 の存す る日本 国民 の総意 に基 く』 (憲法第一条) ことの趣 旨を,正
しく理解 させ る必 要 が あ る。 この際,歴
史 的分野 の学習を基礎 とす るの も一つの方法であるが
,
日本国憲法においては
,象
徴である天皇の地位は
,主
権の存する日本国民の総意
た基くもあお魅之ととを違津きこ之ととか泳姜洛あな。」
(傍点筆者
)と
述べられているが
,
この
24 注(※2)文
部省「 中学校社会指導書J実
教出版4%5P168参
照鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第11巻 第 2号 「 学習指導要領 」 および文部省 の「 社 会指導書 」の天皇 に関す る事項 につ いて は
,多
くの問題 を合 んでい ると考え る。又改 訂学習指導要領 では,「
日本 国憲法の基本 的原則」 (傍点筆者)の
項 の中 で,「
日本国および 日本 国民統合 の象徴 と しての天皇の地位 と天皇 の国事 に関す る行為 について理 解 させ る。」 とあるが,
これ又問題 のあ るところで ある。 更 に小学校 の改訂学習指導要領では, 「 公民 的資質 の基礎 を養 う。 」 ことを社会科 の基本 目標 と し,天
皇 につ いては,国
の政泊のはた ら きに関す る学習 において,「
日本 国および 日本 国民統合 の象徴 と して の天皇の地位」について指導 す るとともに,「
憲法 に定 め る天皇の国事 に関す る行為な ど児童 に理解 しやすい具体 的事項を取 り 上 げて指導 し,歴
史 に関す る学習 との関連を図 りなが ら天 皇 につ いて の理解 と敬愛 の念 を深め るよ うにす る。」 (傍点筆者)と
して い るが(※3)こ れ も,中
学校 の場合 と同様 に,問
題 を合 んでい ると 考 え る。 以上 の如 く,月ヽ中学校 の学習指導要領社会科編 の天皇 に関す る記述 に も多 くの問題 があ り,「
天 皇 の社会科 (公 民 的分野)に
おけ る取扱 い」を困難 に してい るので あ るが,
この ことは,教
育基本 法 が,そ
の前文で,「
ここに,
日本 国憲法の精神 に則 り,教
育 の 目的を明示 して,新
しい 日本 の教 育 の基本 を確立す るため,
この法律を制定す る。」 (傍点筆者)と
規定 してお きなが ら,戦
前の 日 本 教育 の基本 で あ り,戦
後 は 日本 国憲法 の冒頭 に明記 してあ る「 天皇」について,全
くふれて いな い こととあいま って,天
皇 の教育 におけ る取扱 いが,さ
ま ざまに解釈せ られ,そ
の取扱 いを一層 困 難 に して い る。 以上「 天皇の取扱 い」 についての困難性は,憲
法 ,教育基本法 ,学 習指導要領 の記述 その ものにも 帰 因す るので あ るが,同
時 に,
日本古来 の天皇制の本質,終
戦 に当 って の天皇制存置 の背景,一
般 の国民感情,児
童生徒 の社会認識,教
師 の価値観,イ
デオ ロギー等 々の要素が複雑に関連 して多 く の問題を内包 して い るのであ るが,こ
れ らの問題 の うち,戦
後社会科 の公民教育 とい う観 点 か ら, 二,二
の点 について若子 の考察 を加えてみたい。 (二)
天 皇 の 取 扱 い に つ い て の 憲 法 上 の 視 点 小・ 中学校 の社会科公民的分野 の学習 においては,憲
法学習が,そ
の重要 な地位を 占め るのは, 教育基本法の前文で「 ここに,
日本憲法の精神 に則 り,教
育 の 目的を 明示 して」 と規定 してい るの を基盤 と し,
日本憲法 は我 が国の最高法規,根
本法規 と して,国
民 の共通 の法的社会 的理解 の基礎 で あり,社
会科 の基本 目標 で あ る「 公民的資質の基礎 の養成」 も憲法 の明示す る国民主権主 義の下 におけ る公民 と しての素地 の育成 と理 解す る限 り,又
当然 といわ なければな らない。 か くして憲法学習は,社
会科公民的分野 の学習の中核をなす もので あ るとい って過言ではないの で あ り,「
天皇 の取扱 い」 も日本憲法 との関係 で と らえ るのが一つ の大 きな視点 とな る。 一方,小
・ 中学校学習指導要領社会科編 は「 天皇 の取扱 い方 」 について,そ
の基準を示 してい る ので あるが,そ
の規定 の仕方 には,小
・ 中学校 いづれの場合 に も問題 の有 るところで あ る。すなわ ち,小
。中学校で多少,児
童生徒 の発達段階 による相違 があるに して も,小
。中学校 とも「 天皇の 地 位の理解」 と「 天皇 の国事行為 の理解 」が要求せ られて いる力Y※4)はた して「 天皇 の地位な らび に天皇の国事行為Jに
つ いて,児
童生徒 に正確 に理解 させ ることが可能で あろ うか,小
学校 におい 注 (※5)文
部省「初等教育資料」 7月 号臨時増刊東洋館 出版1%8P254参
照 注 (※4)小
学校においては「天皇の地位の理解Jは
明確に規定 していないが,「
天皇についての理解Jは
「 天皇の地位について」の理解 も必要 と考え られ るし,「
国事行為を取 り上げて」の天皇の指導は,そ
こに当 然「天皇の地位について」の指導を含む と考える。 25細川哲 :公 民教育における天皇について て は「 天皇の国事 に関す る行為 な ど児童 に理解 しやす い具体的事項を取 り 上 げ て」 とい って いる が
,天
皇 の国事行為は児童 に理解 しやす いもので あろ うか。又「 天皇 について理解 と敬愛 の念を深 め るよ うにす る」 とあるが,
この「天皇 について」は,「
天皇制」の ことなのか,「
天 皇個人 」を さ してい るのか,「
天皇個人 」を さす とすれ ば「 天皇 の地位 や天皇 の国事行為」につ いて の理解 が 「 天皇個人 」で ははな く「 天皇制」 と して,そ
の地位や,国
事行為 が理解 の対象 とされ るのに,更
に余分 の理解 が要求 され ることにな るが,
このよ うに「 天皇制」 と しての天皇 の 理 解 に とどま ら ず,「
天皇個人 」 につ いて の理解 まで も要求 され るのは,そ
の理解 の可能性 とも関連 して問題 は有 りは しな いか,又
「 天 皇 につ いて敬愛 の念 を深 め るよ うにす る」 とあるが,「
天皇制 」 につ いて の 敷 愛 と云 うことは一般 的 には考 え られず,そ
の対象は「 天皇個人」 とい うことにな るが,
この「 敬 愛 の念 」は何 によ って深 め られ るのか,又
現在 の社会科 においてそのよ うな指導 が可能で あ るか, 充 分理解 の上 に立 たない「敬愛 の念 」は極 めて不安定 な情 緒 的な もので はなか ろ うか。指導 を誤 まれ ば,社
会科 がます ます社会科学か ら遠 ざか りはす まいか,更
に この ことと,小
学校 学習指導 要領社 会 科編第 る学年 の 目標の「 ……わが国の歴史 と伝統 に対す る理解 と愛情や,国
民 的心情 の育成を図 る。」 とい うことと如何 に関連 させ るのか,そ
の関連 の させ方 によっては,非
科学 的反民主 的指導 に おちいる危 院性 があるのではないか等 々の問題 があるが,
これ らの問題 につ いて,検
討 を加 えて み た い。(1)「
天皇 の地位」を理解 させ ることについて まず「 天皇 の地位」を児童生徒 に理解 させ る こ とは,極
めて 困難であることを指摘 しなければな らない。 「 天皇 の地位 」 につ いては,「
天皇 は 日本 国の象徴で あ り,
日本国民統合 の象徴で あ って,
この i地位 は主権 の存す る 日本 国民 の総意 に基 く」 (憲法第4条
)こ
との趣 旨を正 しく理解 させ ることが 必 要で あるが,
これは中学校段階生徒 に も極 めて困難 な ことで ある。 ただ小学校段階で は「 天皇 の 地 位 が主権 の存す る国民 の総意 に基 く」 ことまで の理解 は要求 されないが,「
天皇 が 日本 国な らび に 日本 国民総合 の象徴である。」 ことの理解 は要求 されてい る。 ここで問題 となるのは,ま
ず「象徴」 (Symb。1)とは如何 な るものか,「日本 国の象徴」 (Symb。1.of Stata)と 「 日本国民総合の象徴」 (Symb。 1 0f he unity of thc pcoplc)と どう違 うのか,「主
:権」(SOVereign Powcr)の存在す る「 日本 国民 の総意 に基 く」 とは如何なる意味か
,更
に 日本 国憲 法 の第1条
に「 天皇の地位」が規定 されて いるのは如何 な る意 味か等 の ことが,検
討 され な ければ な らない。 「 象徴 」の意 味 につ いて は,こ
れを シ ンボル といいかえて も,そ
の意味は分 らないので あ り,教
科 書(※り によっては「 しる し」 と して,「
天皇 は,
日本 国や国民 のまとま りの しる しときめ られて い ます。 」 と書かれているが,「
天 皇 が 日本 の しる し」 とは如何なることなのか,さ
らに1947年 に 発 行 され た文部省 の「新 しい憲法 のはな し」 には,象
徴 を「 き しょうだ」 と説 明 されて い るが,象
徴天皇 が「 日本 の き しよ うだ」 とは如何 な る意味なのか,た
しかに「 象徴」 とは「 帽子 の き しょう の よ うな もの」 とい うの,が児童生徒 には理解 しやす いで あろ うが,それを天皇 の「 日本 国 の象徴で あ り,
日本 国民統合 の象徴」にそのままあてはめて も,全体 と して,その意味が明確 にな らないので あ る。「 天皇 が 日本国の しる しで あ り,
日本 国民統合 の しる し」で あ り,又
「 日本 国の き しょう」 % 注 (※5)海
後宗臣IIR(文部省検定教科書)新
訂「新 しい社会」6年上,東
京書籍 P54参 照鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第11巻 第 2号 で あると説 明 して も
,充
分 その意味を理解す ることは出来 ないで あろ う。更 にその意味を「 天皇を 見 る ことによ って,
日本 国の姿が分 り,
日本 国民統合 の姿 が見 られ るので ある」 と説 明 して も,天
皇 の地 位を,
どれ だけ理解 した ことにな るで あろ うか。 一般 に象徴(Symb01)の
概念 は,代
表 (Reprcscntation)の 概念 と区別 され,代
表 は主 体 自身 の 内容を 内在 的 にあ らわす 同質 的な もの相互 間 の関係で あるのに対 して,象
徴 は実在 的他者 との関係 において超越的 にその ものをあ らわす異質 的な もの相互間の関係であるといわれ る。(※6)公
法政 治 学会 において も,象
徴 の概念 は,同
じよ うに規定 され,そ
の社会的政治的機能 は,国
家 政治 の統合(IntegraoOn),す
なわ ち国家構造 における異質 的分子 (diC diSpdraten Elemcntc)を 統一 にまで 鉢接 (Z usammcnschwcissen)す ると ころにあると考え られている。(※7)従って憲法 の 趣 旨は天皇 を,そ
のよ うな意味 において国民 とは異質 的な存在 と して,国
家 の民主政 的統治組織 の外 にお き, それ に象徴 と しての,統
合機能 とを賦 興 しよ うとい うので あ り,更
に天皇 が象徴で ある ことは,わ
が国の歴史的感情的倫理的要求 と して の社 会的事実で あるが,憲
法 の「 天皇の地位 」は単 にか よ う な事実 を表示す るにとどま らず,社
会的法 的観 念 と して「 象徴 とみな さるべ きで ある」 との規範 的 要求を合んで いるものと解 しなければその意味を失 うのではなか ろ うか。「 か くして天皇 の象徴性 については
,象
徴 の意味 と,象
徴 の社会 的政治的機能 と,そ
の規範 的要求 を理解 しなければ,正
しい理解 は不可能で はなか ろ うか,
しか るに,こ
の ことは中学校段階 の生徒 に も極 めて困難 な ことで ある。 ま して小学校 の児童 には不 可能 に近い。 この ことは「 天皇 の地位」 について の取扱いを困難 に してい る原 因の一 つで あるが,一
般 に「象 徴」 とい う概念 は不 明確 であ って理解 しがたい言葉 とい うべ きで ある。 この点 については,憲
法調査会報告書 の中に も,そ
の様 な指摘 が見 られ るので あ り,お
よそ憲法上 の「 天皇 の地位」を表わす言葉 と して「 象徴」 とい うの は適切でない との意見 がある。(※8)それ は,①
象徴 とい う言葉は,君
主 または大統領を現わす もの と して憲法上 に前例 のない言葉であること。②象徴 とい う言葉 は,
日本的でない外 国流 の言葉で あ り,
日本 の特殊 ム天皇 の地位を表わす に不適 当な言葉であること,③
「 象徴」 とい うことば は,心
理 的,精
神 的 、歴史 的な性格を表わす ことばで あって,天
皇 の国法上 の地位を表わす ことば と して は科学的でな く,ま
た不明確 な ことばで ある こと。④「 象徴」 とい う観念 は象徴 され るもの と象徴 す るもの とが別箇 の存在であることを意味す るが,
日本の歴史 と伝統 においては天皇 と国民 とは一 体 で あるので あ るか ら「 象徴」 と定 め ることは,
この一体感を害す ることになること,等
を その理 由 と して上 げ,「
象徴」 とい う言葉 の代 りに次 の様 に規定すべ きで あるとの意見が見 られ る。 す なわ ち,「
天皇 は外 国に対 して 日本国を代表す る」 とすべ きであるとす るもの,
天 皇 は 「 天 皇 」 の文字 のみで表わ し,
その地位 および権能を明 らかにすべ きであると し,
国家機 関 と して の 天皇 の地位 について は,「
天皇 は 日本 国の首位 にあって,
日本 国を代表す る」 と規定すべ きであ る とす る意見,
これは同時 に,
人 と して の天皇 の地位 について は,
日本 国の基本 的性格 と して, 「 日本 国は,
天 皇を 国民統合 の中心 とす る民主主 義の国家である」 と規定すべ きで あ るとす るも の,「
日本 国民統合の象徴」 とあるのを 「 日本 国民統合 の中心」 と改め,
かつ 「 天 皇は 外 国 に対 して,
日本 国を代国を代表す る。」 と規定すべ きで あるとす るもの,「
日本 国民 統 合 の 象注零手迭喬著旅倉穣講響展茶冒言を豪霧冒れぱ怒あ泉駕棗爵娠窓赤ご警盟審季舗筈ボ示鰈嬢男手を
といわれる。注
`
釜
そ
lζ
薄期堰郡 霊
,軸
駐逃
gЪttC鴛
戦丑
斌°
哲
ぎ
∵許
琳も
Z ttr 仔9号 通巻第419号P15Cl参照 27細川 哲 :公 民教育における天皇について 徴 」 とよ存置す るが
,「
日本国の象徴」 は削除 し 「 天 皇は対外 的 に 日本 国を代表す る」 とい う規 定 を設 け るべ きで あ るとす る意見,
この意見は 「 象徴 」 の文字 をすべて削除す るものではな く, 「 国民統合 の象徴 」 た る面 は存置 すべ きで あるとす るもので ある。 ただ 「 日本 国の象徴」 とこつ いては,
この表現 は対外的に元首 た ることを意味す ると解 す ることがで きるが,な
おその ことに疑 義なか らしめ,か
つ 日本 国が君主 国で あることを明 らかにす るために,そ
れ に代 えて,上
記 のよ う な規定を設 け るべ きで あるとす るもので ある。勿論「 天皇 の象徴性 」「 象徴天皇制」を最 も妥 当と す る見解 もあるが,そ
の中で次 の意見 は問題 のあるところ と して注 目されなければな らない。す な わ ち「 天皇の存在 は,憲
法以前 の ことで あって,天
皇 の存在 は制度 で はない。『 象徴』 とい う表現 は,無
限大 に近 い広 さと深 さを もつ表現で あって,あ
えて手 をつけ る必要 はない。西洋流 の解釈 や 法律学的観点か ら『象徴』 の文字を論議す るな らば種 々の論議 もあ りえ よ うが,今
日の国民的確信 の上 に立 ち,ま
た東洋流 の『無』 にまた『 空』 ともい うべ き無 限大 に大 き く包括 的な 日本 の天皇 の 性 格 に思 いをいたす な らば,『
象徴』 の文字 は比較 的無難 な文字 で ある。 す なわ ち『象徴』 とい う 文字 の内容を 日本流 に倉じ造・ 充実 して行 くべ きで ある」 と してい るが,
この見解 は「 象徴 とい う概 念 が必 要以上 に拡大解釈 され る危 険性 を,はらむ もので あ り,特
に「 『象徴』 とい う表現が,無限大 に近 い広 さと深 さとを もつ表現で あ り,『
象徴』 とい う文字 の内容 を 日本流 に創造・ 充実 して行 く べ きで ある」 とす る点は,天
皇 の象 徴機能を極端 に拡大 させ,天
皇元首化論,天
皇権力強化論 とな り,明
治憲法時代 の天皇 と変 らない地位 と権能を賦興す る根拠 ともなるので,充
分警戒 しなければ な らない ところで あ る。 か くの如 く,「
天皇 の象徴性 」 につ いて,各
種 の解釈 や見解 の あるのは,「
象 徴」 とい う概dな
い し言葉 が不 明確で ある為で あ り,「
象徴」 とい うことを単 に辞書 的 に「 抽象的無形 の概念を具体 的有形 の ものでいい表わ した もの」 と説明 し,そ
れを天 皇 の地位 に適用 して,そ
の地位を解説 した ところで,「
天 皇 の地位」 について は,児
童生徒 には,ほ
とん ど理解す ることは困難で ある。 更 に,児
童生徒 の理解 の対象で あ る「 日本 国の象徴」 と「 日本 国統合 の象徴」 とについては,
こ れを同 じ意味 と説 明す る者 が あるが,前
者 は主 と して対外 的 に 日本 の存在 を認識せ しめ る機能 を も ち,後
者 は対 内的 に国民統合 の姿を各人 に意識せ しめ国家的団結 の契機 となる機能を もつ と解 すべ きで ある。か くして「 天皇 の地位」 については「 日本 国の象徴Jと
して又「 日本 国民統合 の象徴」 と して の二面 を持つ ことにな るが,
どち らも児童生徒 には,そ
の理解 は困難で あろ う。 次 に「 象徴 と しての天皇の地位」は「主権 の存す る日本 国民 の総意 に基 くJこ
との理解 が,中
学 校段階で は要求せ られてい るが,
これ も極 めて,む
つか しい問題で ある。 この「 主権の存す る 日本 国民 」 とは国民主権主 義を宣言 した もので あ るが,「
主権」 の意味 が中学校段階 の生徒 によ く理解 せ られ るで あろ うが,外
国憲法 において も,主
権 に当 る ヨー ロ ッパ 語 の SOVeFeignty,souverainctc i Souvcranitatな どの語を憲法上用いた ものは少 な く,多
くの国は主権 の語を用 いず,権
力POWers(アメ リカ
)す
べ ての権力 tOus lcs qouvoirs(ベ ルギ ー)政
治権力POlitcal power(ノ ース カ ロ ライナ
)国
権 Staatsgewalt(ド ィツ,ワ
イマ ール憲法)な
どを用いてい る。 我 が国憲法は「 主権Jの
語 を憲法前文第一項,第
二項,第
一条 で使用 してい るが,前
文 第二項 で云 う「 …… 自国の主権を維持 し,
他 国 と対等 関係 に ……」 の主権 の意味 と第1条
の主権 の 意 味は当然,
同 じで はない。か くし て主権 の意味 の把握 が必要であるが,①
国家 の意思 とい う意 味,②
統 治権 とい う意味,③
国家 の意 思 の性質 と して の最高性・独立性 とい う意味,①
国家 の意思 が形成 され る場合 に,
これ らの意思を 最 終時に決定す る最高 の権力 とい う意味 の四つの意味 に使 用せ られ るので あ り,第
一条でい う「 主 28鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第11巻 第 2号 権 」 の意味 は上記 の④ の意味で あるが
,
この ことの理解 も中学生 には困難で あろ う。更 に「 日本 国 民 の総意 に基 く」 に至 っては理解 は不可能 に近 いのではなかろ うか,総
意 に基 くとは,法
律上 の普 通 の用語例 と して,法
的根拠を指示す る もので あ り,英
訳文 中に derivingと ぃ う文 字 が当てて あ る の も,
この ことを意味す る。従 って「 天皇 の地位」は主権者 た る国民 の意思 による根拠づけによ っては じめて,象
徴 と して の存在を認容 されてい ることを意味す るもので あ り,そ
のよ うな法的 根 拠 を失 えば,天
皇 の地位 は変動せ ざるをえない ことになるが,「
天 皇 の象徴性 」 の法的根拠で ある 「 国民 の総 意」 とは何 で あ るのか,「
総 意」 とは文字通 りには全員 の意思 とい うことにな るが,
日 本 国民全員 が天皇 の象徴 と して の地位を認容 してい るとは考え られ ない ことで ある。 これは議会 に 提 案 された時の原 案では「 天皇 は……象徴で あって,こ
の地位 は,
日本 国民 の至高 の総意 に基 く」 (The EmpcrOr shaH be the symbol・ ・・―・, de ving his positiOn from the sovcreign will of thcqcoplc)と な って いた。 これを衆議 院で,「・……この地位 は
,
主権 の存す る 日本 国民 の総意 に基 く」(・……・, deriving his positiOn frOm the will of thc peoplc with whom resides sovercig n powcr
と修正 したので あるが
,至
高 の総意 (SOVerCign will)が,主
権(SoVerdgn power)の
意味である とすれば,天
皇 の地位 の説明には無理 はないが,「
日本 国民 の総意」 となると,極
めて無理 な説明 を しなければな らない ことにな るのではなか ろ うか,結
局「 総意」 とは文字通 りの全員 の意思でな く,民
主 的多数決 の原理 に従 って,反
対者 も一度決定 した ことには同調 してい くとす る意味 におい て の「 総意Jと
して理解せ ざるをえない ことにな る。 以上「 天皇 の地位」 については,文
部省 の「社会指導書」でい う「 天皇 は,
日本 国の象徴で あ り 日本 国民統合 の象徴で あって,
この地位は,主
権 の存す る 日本 国民 の総意 に基 くことの迩 旨を正 し く理解 させ ることが必要で ある。」 (傍点筆者)と
してい るが,
これ の正 しい理解 は,極
めて 困難 で あ り,理
解 させ よ うと して,か
え って間違 った指導 におちい ってい る場合 が少 くないのではない か と憂慮す るもので ある。従 って憲法第1条
の趣 旨を小・ 中学校 の児童生徒 に正面 か ら理解 させ よ うとす るよ り,明
治憲法 の天皇 が統治権 の総糖者 と して,あ
らゆ る国政上 の権能を保有 し,そ
の地 位 の根拠 も天照大神 の発 した天孫降 臨 の神勅 に由来 し,現
人神 と して,絶
対神 聖不可侵 の存在で あ ったの と対比 して,戦
後,天
皇 の神格 は否定 され,あ
らゆ る国政上 の権能 は無 くな り,そ
の地位 も 国民 の意思 によって認 め られ てい るのだ とい うよ うに,新
旧両天皇制 の最 も特徴的な相違点 を説切 し,旧
天皇 と対比す る ことによ り,現
在 の天皇 の地位を理解 させ るよ うにす るのが,児
童 生徒 には 理 解 しやすいので はなか ろ うか,現
在 の「 天皇 の象徴性 」を如何 に説 明 して もその理解 は結局,不
明確 に終 るもの と考 え るので あ る。 次 に「 天皇 の地位」 の「 象徴性」 に関連 して問題 になるのは,天
皇 は「 国民」で あるか否 か とい うことで ある。天 皇が人間で あって,戦
前 のよ うな「 現人神」でない ことは,戦
後 自か らな された 「 人間宣言 」を まつ まで もな く明 らかで あるが,国
民で あるか否 か とい うことは,
しば しば問題 と な るところで あ る。一 般 に講学上,
日本 国民 には広義,狭
義 の二種 の意味 がある とせ られ るが,こ
こではまず,
日本 国憲法上 に出て くる「 日本 国民」の概念 の中に天皇 が含 まれ るか否 かを検討 して み る。 日本 国憲法では①前文 の一,二
,四
項 目の各 冒頭,②
第一条,⑤
第九条,①
第十条,①
第九 十 七条で「 日本 国民」 の語を用いてい る。英訳では,第
十条では,a Japancsc Nationalと しお り, そ の他はいずれ もみな PCOplcと してぃ る。第十条 の 日本 国民 と前文 冒頭,そ
の他 の 日本 国民 とは 同一概念 で あるか とい うと,そ
の間多少 の差異 があ り,第
十条 の「 日本 国民」 は 日本 国を構成 して い る個 々の国民を意味 し,そ
の他 の場合 の「 日本 国民」 は個 々の国民 よ り構成 されてい る全体 と し細川 哲 :公 民教育における天皇について て の国民を意味す るもの と解 され るが
,い
づれ に して もこの憲法のい う「 日本 国民」 の中に天皇が 合 まれ るか否 かの問題で ある。 この点 は議会 において も盛 ん に論議 された ところで説 も分れてい る。議会 の政府説 明によれば, 「 日本 国 の人 間全 体を云い あ らわす適 当な言 葉 がなか ったため,言
葉 の当否 は別 と して,天
皇を合 めた意 味 において『 日本 国民』 の語を用 いて新憲法を起車 したのであって,
日本 国民 とい う中には 天 皇を含む趣 旨で ある」 とい う。或 る者 は第十条 の 日本 国民の説明 と して,
ここにい う日本 国民 と は,す
べての 日本人を意味 し天 皇を除外す るものではないが,た
だ天皇,皇
族 は皇位 とその継承 と い う特殊 の地位か ら一般 国民 とは別 な例外 的取扱 いを され るにす ぎない と説 く,
しか し通説 は新憲 法 の 日本 国民 とある中には天皇は合 まない と解 してい る。蓋 し,前
文 冒頭 の「 日本 国民」 は憲法制 定 権者 と して,天
皇を合 めて解釈す る ことはで きない し,第
一条 については,こ
こにい う 主 権 と は国政を最終的 に決定す る権力を もつ者 とい うことで,君
主 権が国民主権か とい う場合 の主権 であ って,か
か る意 味の主 権は新憲法では国民 にあると してい るか ら,第
一条 の「 日本 国民」 の中に天 皇 を合め ることも無理である。又 第十条 につ いて見 ると,本
条権利 義務 の主体 と して の 日本 国民 の 範 囲を定 め る必 要か らおかれた規定で,天
皇以外 の 日本人 の資格を定 め るもので ある ことは,天
皇 につ いては憲法第二条がある こと,国
民 の義務,基
本 的人権 の起 源発達 の歴史 な どに照 ら して見て も理解 し得 るところである。 か くして憲法上,厳
密 には「 天皇」 は「 日本 国民」 の中には入 らない と解 され ることになる。で は外 国人か といえば,そ
うではないので,広
義 では 日本 国民 の一人 と解 して良 い と考 え る。 ただ広 義 では 日本民であると して も,国
民 とは,政
治的,経
済 的,社
会的 に異 った各種 の特権 的例外 的な 身分を もつ ことは,子
供 に示す必 要があろ う。 す なわ ち,天
皇 は社会的に一般 国民 にはない陛下 の敬称 がつけ られ,経
済 的 には皇室 費 が支給 さ れ る。憲法第 14条,第
24条 の個人 の平等原則や男女 の同権 は適用 されな く,天
皇 の地位 には天皇家 の血統を引いた男系 の男子が皇室典範 の定 め る順 序 によ り,そ
の地位 につ き,女
の天皇 は認 め られ ない こと。従 って天皇の地位 は国会議員,首
相 な どの公職 とは相違 し,基
本 的に国民投 票 や選挙, 公務員試験等 の手続 によ らず,世
襲 によ りその地位 につ き,民
主 的手続 は経 ない こと,天
皇 は居住 移転,職
業選択 の 自由,外
国移住,国
籍離脱 の 自由,選
挙権,被
選挙権等 々はな く,婚
姻 の 自由は 制 限せ られ,皇
室 会議 の議決 がなければ「 両性 の合意 のみ」では結婚 は許 されない こと,財
産 の授 受 につ いて は,国
会 の議決を要 し,勤
労,納
税 の義務 は無 く,18才
で成年 に達す る こと,訴
追せ ら れ ない こと。(※9)等々一般国民 とは異 った身分を持 つことは児童生徒 に示す必要があろ う。 しか し 何故 そのよ うな特権,例
外 が あるかを説明す る ことは,そ
の理解 が中学校 の生徒 に も困難 であるか らして,一
般 国民 との相異点 を指摘す る程度で充分 と考 え る。(2)「
天皇 制」の憲法上 の地位 と学習指導要領次 に天 皇制 の 日本 国憲法上 の地位 と学習指 導要領 との関係 をみ ると
,現
行 の中学校学習指導要領社会科編 の第5学
年 の「 日本 国憲法 と民主政 治」 の項 において「 日本国憲法は,基
本1的人 権 の尊重,平
和主 義,国
民主権,三
権分 立,代
議制 , 議 院 内閣制度 な どの基本 的な原則 に基 いてい る ことを認識 させ,あ
わせ て,天
皇 の憲法上 の地位 に ついて理解 させ る。」 (傍点筆者)と
して,天
皇 につ いて 日本 国憲法 の基本 的原則 と併記 した形 を 注(※9)天
皇が訴追せられないという規定はどこにもないが,摂
政が皇室典範第21条により在任中訴追せ ら れないので,天
皇についても当然そのように考えるのが正当であらう。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第11巻 第 2号 取 って い る。特 に改訂 の中学校学習指導要領社会科編 の公民 的分野 においては「 日本 国憲法 の基本 的 原 則」 の項 の中に
,基
本 的人 権 の尊重,国
民主権お よび平和主義の基本的原則 の理解 と,あ
わせ て 「 天 皇 の 地位 と 天 皇 の 国事 行 為」 の理解 を あげてい るが,こ
こにおいては天皇制が 日本 国憲法 の 基 本的原則 とも取 り得 るよ うな記載 を してい るので ある。 このよ うな学習指導要領 の記載 の仕方 で は「 天皇 の指導 に当 って間違 いが生 じる原 因を作 るのではあるまいか。 た しか に 日本国憲法は第一章 が「 天皇」で あ り第一条 が「天皇の地位」が規定せ られてい る こと は,天
皇制を もって憲法の基本的原理 とす る根拠 とも考 え得 る。 明治憲法の第一章 が天皇で あ り第 一 条が「 大 日本帝国ハ 萬世一系 ノ天皇之 ヲ統 治ス」 と規定 されていた ことは,ま
さに天皇制を もっ て憲法 の基本原理 とす る趣 旨であったのであるが,新
憲 法 も天皇 の憲法上 の規定の位置か らして, このよ うに解 す るのが妥 当なのであろ うか。 一般 に憲法 の首章をみれば,そ
の憲法の性格 は明 らか になるといわれ る。 その意味では憲法 の首 章 には,そ
の憲法 の基本的重要事項,根
本原 則 を規定す るのが,一
般 的形 態 にな る。 それで,わ
が 旧憲法 が第一章 に天皇の規定をおいたのも,そ
の よ うな観点か らで あ り,そ
の他 イ タ リヤ王 国憲法(1848)が
冒頭 に国工 の規定を お き,
ロシヤ帝国憲法(1906)が
第一 章 に無上独裁権 と して皇帝 に 関す る規定 をお き,ア
メ リカ合衆 国憲法 (1787)んゞ冒頭 に連邦議会の規定を もち,ワ
イマ ール憲法(1919)の
第一篇 ドイ ツ国の構成及 び権限,
フランス第四共和国憲法(1946)の
第一 章 主権,中
華 民 国憲法(1947)の
第一章総 綱,第
二章人民の権利等 々の規定(※1。)は 何れ もこれ と同 じ観点 に立つ もので あ。更 に君主制が憲法上 の基本原理 で もな く,君
主 の地位 が,君
権主義的無上絶対 的な もの で ない憲法 は君主 に関す る規定が首章を 占め る ことにはな らないので あ り,例
えば ドイ ツ帝 国憲法(1871)プ
ロイセ ン憲法(4850)ベ
ルギー憲法(1851)等
は何れ もその例である。 この見地 か らは 新 憲 法 がその第一章 に天皇 の規定をおいた ことは,あ
たか も天皇が君権神授思想 に基 き,絶
対 無上 の存在 と して憲法上 の基本原理を構成す るか の如 き観 を呈 して いるが,は
た して そ うで あ らうか。 それ は旧憲法 と同一 の観点 に立つ ものでない ことは明瞭である。す なわち旧憲法はその上 諭 にお いて「 国家統治 ノ大権ハ朕 力之 フ祖宗二承 ケテ之 ヲ子孫 二伝 フル所 リナ」 とい っていたが,新
憲法 の前文 は「 ここに主権 が国民 に存す ることを宣言 し,
この憲法を確定す る」 と して国民主権主義 の 原 則 を示 し,更
に「 そもそも国政 は,国
民 の厳粛 な信託 によるもので あって,そ
の権威 は国民 に由 来 し,そ
の権力は国民 の代表者 が これを行使 し,そ
の福利 は国民 が これを享受す る。」 と して民主 主 義の原則 を示 し「 これ は人類普遍の原理で あ り,
この憲法 は,か
か る原理 に基 くもので あ る。 」 と して,新
憲法 が「 人類普遍 の原理」 (un ersal Principlc of mankind)1こ もとづ くことを明確 に 宣言 してい るので ある。「 人類普遍 の原理」 とは,具
体 的 には各 時代及 び各 国家 につ いて相違 が認 め られ るに して も,世
界 の人類 が古 い時代か ら今 日に至 るまで終始 その確立のために努力 し,そ
し て今 日の世界 において支配 的であると認 め られ るに至 った原理を意味す るので あり,そ
の ことを新 憲 法 の前文(PreamblC)が
特 に強調す るのは,明
治憲法下 のわが国で は,む
しろわが国 にのみ存在 し他 の諸 国には見 られない ものと考え られて いた と ころのわが国独特 の原理が憲法 の根底 をなす も の とされていた ことを排斥す るためで ある。す なわ ち,明
治憲法 の基本原理 とされていたのは,い
わ ゆ る「 天皇制国体 の原理 」 (旧憲 法第一条・ 第四条)で
あ り,そ
れ は,わ
が国の建 国以来,わ
が 国独 身 の,
しか も世界 に比類のない基本原理 と して確立 されて きた ものであると考え られて いた も 注 (※10)法学協会註解 日本国憲法1951P41参照細 川哲 :公民教育における天皇について ので あるが
,新
憲法 の「 人類普遍の原理」 は この明治憲法 の「 天皇制 国体 の原理」を否定す る趣 許 と考え得 る。 従 って,新
憲法 の第一章 が,明
治憲 法 の第一章 と同 じ く天皇で あ って も,「
天皇 の憲法上 の地位 」 は旧憲法 と同一 とい うことは考え られ得 ない ところで あ り,そ
れ は「 天皇の憲法上 の地位」 につ いて旧憲法の根本 的な変革 を意味 し,い
か なる意味で もそれ の存続 ではない と考え るべ きである。 しか らば,新
憲法 の第一章 を天皇 と し,第
一条 に「 天皇の地位 」を規定す るのは,如
何 な る意味 なのか,第
一条 冒頭 の「 天皇は,
日本 国の象徴であ り,
日本 国民統合 の象様で あって…………」 と い う規定 の仕方 は,「
象徴天 皇制」 を 日本 国憲法 の基本原理 とす るか の如 き趣 旨と考え られ,天
皇 の憲法上 の地位 を宣言 した ものであるよ うに受 け取れ るが,新
憲 法前文 の「 人類普 遍の原理」の強 調 か ら考えれば,そ
の よ うに解す るのは間違 いであ り,む
しろ第一条後段 の「 この地位 は,主
権 の 存す る 日本国民 の総意 に基 く」 とす ることを基本原理 と考え るべ きで あ り,
この「 主権の存す る 日 本 国民」 こそ国民主権主 義の原理 と して新憲法の基本原理 を表 明 した もの と考え るべ きである。 そ の意味か らは第一条 は未菜,
凸未 あ薪 し卜由泳(※11)あ基未 と しを あ歯良主潅主義 と之勇権1毛
言チ ベ きで,
これを天皇 の章 の中で第一条 の天皇の地位 の後段 に規定す るのは不適 当で あるといわ ざる を得 ない。 ただ この国民主権主 義の基本原理 を このよ うな形 で宣言 して あることについては,新
憲 法 が形式上,旧
憲法 の改正 とい う外形 を維持 した ことに,そ
の説 明を求 めなければな らないわ けで あるが,は
た して それだけでよ くこの憲法上 の天皇 の地位 と国民主権主義 の関係 を説 明 しうるであ らうか,す
なわ ち,新
憲法第一条 の国民主権主義 の基本原理 は旧憲法第七十三条 の改正手続 により 改正 され た もので あるとす るだけでは問題 が残 ることにな るので あ る。 それは この新憲法の基本原 理 で ある国民主権主 義は明 らか に「 人類普 遍の原理」であ り,
これ は政治的実定法的主権の保持者 が国民であって,天
皇,そ
の他国民以外 の者でない ことを主張す るものであ り,従
って その意味 に おいては旧憲法 の「 天皇主権主義」「天皇制 国体」の原理 の否定 で あるので あるが,
このよ うな新 旧 憲法 の基本原理 の変更 はす なわち「 国体 の変 更」 とい うべ きで あ り,か
か る「 国体 の変 更」は旧憲 法第七十二条 の改正手続 を以 って しては 出来 ない ことにな っていたので あるか らで ある。 ここに い う「 国体」 とは,具体 的 には旧憲法第一条 を指す もので あ り,例え ば美濃部博士 の憲法義解 は,
こ の点 について「 国体 ノ大 綱ハ万世 二互 り永遠恒久ニ ンテ移動 スヘ カ ラス ト雖政制 ノ節 ロハ世運 卜共 二事宜 ヲ酌量 シテ之 ヲ変通 スルハ亦 己ムヘ カラサル ノ必要 タラスムハア ラス」 といつている し,又
博士 は「 その所謂『 国体 の大綱』 とは第一条 の原則を意味す る ことは明瞭で ある」 と し,「
その改 正 は第一条 に示 された『大 日本帝国ハ万世一系 ノ天 皇之 ヲ統治ス』 ことの原則を覆えす もので ある ことを得 ないJと
して い るのであ り,旧
憲法では憲法改正手 続 を以 っては,旧
憲法第一条 を変更す る ことは不可能で あったので ある。従 って新 憲法第一条 の国民主権主 義 の原理 が,旧
憲法第一条 の 改正 とい うだ けでは,
この間の ことは説 明 し得ない ことにな るので あ り,そ
のH佐― の可 能 な 説 明 は,
これを一つの「 革命」 とみ る以外 にあ り得 ない ことになる(※ 12) か くして,新
憲法第一条 を,新
旧憲法の変革 の上 において と らえ,
これを憲法上一つの革命 とみ 注 (※11)国 体は主権の所在による区別,政
体 は主権行使の形式による区別であるとし国体の変更 は旧国家の 消威,新
国家の誕生を意味す るが,政
体 の変更 は憲法の変更 となるも国家は継続す ると説 明 し第一条を新 し い政体 としてとらえる見解 もあるが,国
体の変更でも政体の変更でも,そ
の憲法が許容 し得ない変更である ならば, これは憲法的には革命に外ならず,そ
の意味では国体 と政体 とを区別する実益はないであらう。 注 (※12)宮 沢俊義,八
月革命 と国民主権主義世界文化昭和21年5月 号 52鳥取大学教育学部研究報告 教育科宰 第11巻 第 2号 る立場 か らは
,新
憲法第一条 のい う「 国民主権主義」 こそ憲法の基本原理で あ り,天
皇はた とえ第 一条 の冒頭 にその地位 が明記せ られていて も,憲
法 の基本原理 とは考 え るべ きでない ことになる。 しか るに,中
学校学 習指導 要領 は,
この点 を実 に暖昧に して,改
訂指導要領社会科編 の如 きは, 日本国憲法の基本原理 の中に,天
皇 に関 して記載 しているのは,天
皇 につ いての指導 を誤 ま らせ る 一 因ともな りは しないか と考 るものである。 天皇制 は決 して,憲
法 の基 本原理 と して取扱 ってはな らないので あ り,
これは,わ
が国伝統尊重 の立場 よ り存置 され「 主権の存す る 日本 国民 の総意 がその地位を認め る」 ことにその根拠を有す る とす る,わ
が国の「歴史的伝統 」 と「 国民主権主義」 との調和 の上 に存 在 す る ところの もの と し て,「
日本国憲法の特色 」 と云 うべ きで ある。 従 って天皇制は 日本国憲法の特色 ではあ って も決 して憲法の基本原理で はあ り得 ないので あ り, この点 は明確 に区別 され るべ きで ある。 この ことは具体的 には,
日本国憲法 の改正 に当 り,改
正 の 限界 を規制す る もの と して,憲
法 の基本原理 が作用す ることにな るのであ り,現
憲法 の基 本原理 を 憲法改正手続 によ り改正す る ことは許 され ないが,憲
法の特 色は基本原理 で はないので改正手続 に よ り改正 し得 ると解 され ることにな るので ある。か くして,天
皇制を憲法 の基本原理 とす るか特色 とす るかは極 めて重大 な ことで あるのにもかかわ らず,中
学校学習指導要 領 は天皇を 明瞭 に憲法上 の特色 と規定す る ことな く,む
しろ憲法の基本原理 と取 り得 るよ うに記載 してい るのはおおいに間 題 の あるところで ある。(3)「
天皇 の国事行為」の理解 について天 皇 の国事行為 についてみ ると
,改
訂 中学校学習 指導要領社会科編では「天皇の地位」 とあわせて「 天皇の国事 に関す る行為」 についての理解を要 求 してい る し,小
学校 学 習指導要領で も第六学年 の内容の取扱 いについて「 天皇については,
日本 国憲法 に定 め る天 皇 の国事 に関す る行為 な ど児童 に理解 しやす い具体 的事項を取 り上 げ て 指 導 し ……Jと
して,小
・ 中学校 とも「 天皇の国事 に関す る行為」が取 り上 げ られ,そ
の理解 が要求 され てい るが,
これは決 して児童 に理解 しやすい ものではな く,む
しろ中学校 の生徒で もこれを充分理 解 す る ことは困難 な ことといわな くてはな らないが以下その問題点 について検討す ることとす る。 天皇 の国事行為 についての中学校 の教科書 の記述 の一例をみ ると,1957年
版,安
倍能成 監修『 現 代 の生 活・ 上』 (日本書籍)で
は「 ……憲法 によつて主権は国民 にあ り,天
皇は『 日本国の象徴で あ り,
日本国民統合 の象徴』で あると定 め られた。 これ とともに,国
の政 治 についての権能 は天皇 にな く,天
皇は国会 の指名 によつて内閣総理大臣を任命 し,ま
た内閣の指名 によつて最高裁判所見 官を任命 す るほか,内
閣の助言 と承認の もとに,い
くつかの国事 につ いて の行為を お こな うとされ て い る。」 (傍点筆者)と
な って いたが,1966年
版,安
倍能成監修『 中学社会・5』 (日本書籍) で は「 天皇は…… と定 め られて いる。 そ して国会 の指名 に もとづいて 内閣総理大臣を任命 し,内
閣 の指名 に もとづ く最高裁判所長官を任命 し,ま
た,内
閣の助言 と承 認 によ り,国
会 の召集,衆
議廃 の解散,法
律 の公布,栄
典 の授与,外
国の大使・ 公使 の接受 な ど,
さ らに国の象徴 と してふ さわ し い儀式を お こな う。 これ らの仕事 に さい して,天
皇 は,国
民感情を ひとつ に結 びつ ける象徴 と して の役わ りをはた して いるが,国
政 に関す る権能 は もたない」 (傍点筆者)と
な って い る。 1969年 版細 川哲 :公民教育における天皇について の 日本書籍 の教科書 もこの1966年 版 と同様 の記述 となっているが
,
この 日本書籍の教科書 の天皇の 国事行 為 の記述 にみ られ る変化 は,前
者 は「 ……い くつかの国事 についての行為を お こな うとされ て い る」 と して国事行為 の内容 は上 げ られていないが,後
者 は「 国会 の召集,衆
議院 の解 散 ……… … 」等 々,国
事行為 の内容をいちいち列挙す ると共 に「 さ らに国の象徴 と してふ さわ しい儀式を お こな う」 と して,国
事行 為 が,天
皇の象徴 と して の地位を背景 に している点 にふれてい るが,い
づ れ に して も,後
者 の天 皇 の国事行為 についての記述 は増加 してい る。 この傾向は改訂 中学校学習指 導 要 領 が「天皇の国事行為 についての理解」を要求 して いるところか ら,さ
らに増大す る もの と考 え られ るが,教
科書 に列記 されて い る国事行為 は如 何な る基準 で上 げ られてい るか明 らかで はない が,
これ らの国事行為だ けで も理解す る ことは困難で あ らう。 天 皇 の行 う国事 に関す る行為 とは,現
憲法の規定 か ら「1憲
法改正,法
律・ 政令及 び条約 を公布 す る こと。2国
会を召集す ること。5衆
議 院を解 散す ること。4国
会議員 の総選挙 の施行 を公示す る こと。5国
務大 臣及 び法律 の定 め るその他 の官吏 の任免並 びに全権委任状及び大使及 び公使 の信 任 状を認証す ること。6大
赦,特
赦,減
刑,刑
の執行 の免除及 び復権を認証す ること。7栄
典 を授 与 す る こと。8批
准書及 び法律 の定 あるその他 の外交文書を認証す ること。9外
国の大使及 び公使 を 接受 す ること。 40儀 式を行 うこと。」の十項 目がまず その内容 と して あげ られ ることにな るが, これ らを ただ天皇 が行 い うる国事行為 と して列挙 しただけでは,児
童生徒 は天皇を恰 も国の最高機 関で あ り元首 と しての性格を持つ もの と して と らえ ることにな りかね ないのである。特 に天 皇 は憲 法 第六条 によ り「 内閣総理大臣を任命」 し「 最高裁判所長官を任命」す る任命権を持 って い るので あ り,
この点では天皇は国の最高機 関の如 き性格を表わ してい るよ うに うけと られ る。従 って この 点 の説 明は充分 にな されなければ,な
らない と ころで あ り,憲
法第七条規定 の国事行為 は,す
べて 「 内閣 の助言 と承 認 によ る」 もので あ ることを強調 す る必要 が あ る。 それ は憲法第7条
も「 天 皇 は,内
閣 の助言 と承認 によ り,国
民 のために,左
の国事 に関す る行為を行ふ。」 と してい る し,又
第5条
で│「
天 皇 の国事 に関す るすべての行為 には,内
閣 の助言 と承認を必要 と し内閣がその責任 を 負ふ。」 としてい るところか らも明確 に指導 され るべ きで ある。単 に天皇の国事行為 の列挙 だけ に終 って は天皇の権威権能 の強大 さを印象ずけ るだけで ある。従 って この天皇の国事行為 が「 内閣 の 助言 と承認」 によ らなければ行 い得 ない ことを強 く説 明 しなければ,天
皇 の国事行為の性 格や地 位 も充分理解 せ られ得 ないが,
この「 内閣の助言 と承認」 とい うことの理解 も又児童生徒 には極 め て 困難 な要素で ある。この「 内閣の助言 と承認」 (adviCC and approval)に い う内閣の助言 とは
,内
閣 の 自発 的積極 的 進 言で あ り,内
閣 の承認 は,天
皇 の意思 に対 して内閣が受身的 に承認す ることで あるとされ る。従 って厳密 に考えれば,天
皇 が国事 に関 して認 め られ た権能を行 う場合 には,す
べて,あ
らか じめ内 閣 の積極的進言があり,そ
れを天皇 が 自分 の意思 に した上,さ
らにその天皇の意思 に対 して内閣の 承 認 があ る ことを必要 とす ることにな る。 しか しこのよ うな経過が実 際にと られ るで あ らうか。特 に「 天皇が 自分 の意思 と した上」 とい う点 は全 く問題 の ところで あ る。又「 内閣の助言 と承 認」の うち,何
れか一方 で よい とす る解釈 もある(※13)これ によれば,天
皇 が国事行為 について発意 した と きは,内
閣 は,そ
れ につ いて承認 しさえすれば,天
皇 の有効な国事行為 と して成立す ることがで き る とす るものであるが,天
皇 が前述列記 の国事行為 につ いて,
自主 的 に発意す るといふ ことが,統
治 権を持 たない象徴天皇 にあり得 ることなのか。従 って「 内閣の助言 と承認」いづれか一方 で良 い 酔 注 (※15)法学協会 注解 日本国憲法 有斐閣1951 Pる
8鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第11巻 第 2号 とす るのは
,現
在 の天 皇 の地位 か らしては,内
閣 の発意 助言 による天皇の意思 に対 して内閣の承認 はあ らためて不要 といふ ことにな るが,「
助言 」 といふ言 葉 は「 承認」 といふ言葉 よ り可成 り弾力 に豊 んだ言葉で あ り,「
助言 」 は あ くまで も「助言」で あって,そ
れ に拘束力はな く,従
って,
こ れ を補充 し,修
正 す る ことも可能 と考 え られ ることにな るが,は
た して その よ うな ことが,天
皇 に な し得 るで あ らうか,「
助言 と承認」の うち「 助言」 のみで良 い とす る立場 か らは,文
字通 りには そのよ うに解釈 し得 るのではなか らうか。特 に「助言」 は助言で あって拘束力はな く,天
皇 は内閣 の助言 を拒む ことが出来 るのではないか等の疑間に対 して は,新
しい天皇の地位 と権能 について正 しい指導 が,な
されなければな らない。 か くして天皇の国事行為を正 しく理解 させ る為 には,天
皇 の地位 と権能 とか旧憲法 との対比 にお いて明確 に指導 され ることが肝要である。 この天皇の権能 については,ま
ず憲法の「 天皇 は,
この 憲法の定 め る国事 に関す る行 為 のみを行 い,国
政 に関す る権能を有 しない」 (第4条
)の
趣 旨を生 徒 に充分理解 させ ることが先 決で ある。 これ は単 な る国事行為 も列挙的 に教 え るより,
この方 が, は るか に重要 で あると考 え る。 す なわ ち,新
憲法 におけ る天 皇 には国政に関す る権能 は一切無 いのだ といふ ことを明確 に指導 す る必要 がある。 ただ この際の指導 に当って注意すべ きは,天
皇か ら国政 の権能を象J奪した のは,天
皇制の過去 におけ る政治的責任を追求 し,そ
の懲罰的意味を持 つ もので あり,又
天皇 の意思 を国政 の上 か ら排除す ることが 日本民主化の途で あるか らと説 明す るのは,間
違 った指導 とい うべ きで あ らう。 これ は天皇制の過去 において「 天皇の名 にか くれて」国民 に対 して責任を回避す る専制的独 裁 政治勢力 が生れ て いた との反省 に立 ち,再
びその よ うな勢力の台頭を防止す ることを主 た る目的 と し,さ
らに国政 に関す る権能 を保持せ しめない ことによ り,天
皇 が実 際的政治勢力の間争の渦中 に投入 しないよ うに して,そ
の地位の安泰を計 る為 で もあ り,一
面,人
間天 皇,世
襲 の天 皇 に国政 全 般 に亘 る公正妥 当な判断を常 に期待 し得 るもので はない との配慮 によるものであると解すべ きで あ る。しか し「 国政 に関す る権能」 (POWers related to govcrnment)と 「 国事 に関す る行為」 (Acts in mattcrs of state)と の区別は
,
日本語 と しては粥瞭で はないが,英
国の法諺「 王 は君 臨すれ ども 統 治せず」 (The king reigns bu t not govcns)な どに鑑 みれば,「
国政 に関す る権能 」 は国の政 治 に影響 を与え るが如 き政治上 の実質的権能 を意味 し,「
国事 に関す る行 為」 は左様 な政 治的効果 を もたない主 と して形式的儀礼的行為を意味す るもの と解す る。(※ 14) か くして新憲法 におけ る天皇 は国の政治に実質的に影響 を与え るが如 き政治上 の権能 は一切 ない のだ とい うことを充分説 明強調 して,そ
れ がよ く生徒 に理解 されてか ら天 皇の国事行為 について明 説 さるべ きで あ らう。前者 の説 明な しに天皇 の国事行為 を列挙 すれば,天
皇 の元首的性格 を生徒 に 印象づ け る ことにな る。天 皇 には「 国政 に関す る権能」 は無 い とい うことか らして,天
皇 の行 う内 閣総理大 臣 の任命 も,法
律 の公 布 も,衆
議院 の解散 さえ も「 国政 に関す る権能」ではないので ある といふ ことを,生
徒 によ く指導理解 させ る必要 が あ る。 もつ とも,
この理解 も中学校段階 の生徒 にも無理で あるので,
これ ら「 天皇の国事行為」 の理解 よ りも,戦
後天皇 には「 国政に関す る機能」 は無 いのだ とい うことを強 く説 明 し,理
解 させ る方 が 注 (※14)た だ この点に関しては「国事」とは「国政」をも含む広い概念であるとか,「
国政」を「新なる国 家意思の決定 というような政治的意義を有する行為」 とし「 国事」を「政治的効果を有 しない事項」 とす る ものもある。 55細 川哲 :公民教育における天皇について は るか に重要で あることを指摘 しなければ な らない。 この指導 が的確 に出来れ ば「 天皇の国事行為 」 につ いての理解 は