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出力 北斗17

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Academic year: 2021

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(1)

北斗 第17号 平成19年12月25日発行 

編集・発行 金沢医科大学北斗会 金沢医科大学教育研究事業推進室内(内線2720∼2724) 〒920-0293 石川県河北郡内灘町大学1-1 TEL(076)286-2211(代)FAX(076)286-8214

(2)

◇会長挨拶 「満天の星」は今何処  奥 名 洋 明……… 3 ◇大学のこの 1 年 ……… 4 ◇寄稿 世界奇行(10)「狗犬讃歌」 佐野 泰夫……… 6 ∼やっぱり老けたかな!!∼  徳田 治樹 ……… 9 退職後 あれこれ  池田 行雄……… 10 「私の中のAlways」 山野 清一……… 11 カシミール地方(インド)を訪れて  富樫 明子……… 13 医療における一視同仁の精神や労働の意義の果たすところ 岡田 尚人 … 15 泳げるようになった!  浜本 容子……… 16 退職後の日々  干場 祐子……… 17 ままポスト  稲垣 順子……… 18 手術部2年目を迎え  小林 洋子 ……… 19 強みの上に築け  木下 英理……… 20 看護師への道  木村 慶太……… 20 金沢医科大学に就職して  黒田 明由美……… 21 ◇叙勲・表彰 文部科学大臣表彰を受けて  安宅 謁子……… 22 ◇会員からの写真展……… 23 ◇第 9 会北斗会懇親・懇談会開催……… 27 ◇決算・予算〈報告〉……… 29 ◇事務局だより……… 31 ◇編集後記 ……… 32

(3)

「満天の星」は今何処

金沢医科大学北斗会

会長

奥 名 洋 明

この頃、夜の

9

時か

10

時頃にかけて夜空を眺めても、殆ど星が見えないのである。例え見

えても数個、しかも影がうすいのである。何時の頃からか、この様になったのかは、気付か

なかったのだが少なくとも私の若い頃には数多く見られたことは記憶に新しいのである。あ

る人にこの話をしたら、夜中の

3

時頃は見えるとのこと。そこで夜中にトイレに起きたつい

でに空を眺めると、確かに北斗七星やら外にも幾つかの星を見ることができた。

夜中になると、車も殆ど通らなくなり、大気が澄んで来て見える様になるのかなと思われ

るのである。

かれこれ

8

年ぐらい前か、白山に登った。

(石川県で生まれたのだから、せめて一回登りた

いと思っていた。

)幸い好天に恵まれた。夜空を眺めると、文字通り「満天の星」

。こんなに

たくさんの星があったのだ。しかも大きく輝いているではないか。感激!!感激!!

環境問題は、ようやく動き出して来たが、地球の病状は決して楽観できないところまで来

ているのではないか。世界中の英知を集めて対処しないと、とんでも無いことになるのでは

ないかと思われる。

ミシュランの星が東京にも来たなどと浮かれているのは如何なものか。

医学は人の健康に随分と寄与してきているが、地球の健康は誰が守ってくれるのだろうか。

以前の様に平地から、一日も早く「満天の星」が見られる様になって欲しいものである。

若い恋人達の恋のささやきの舞台が夜空の星ではなく、ネオンサインであるとは悲しいで

はないか。

(4)

大学のこの1年

1年間を振り返って大学の活動を紹介します。(平成18年9月∼平成19年8月) 平成18年 9月20日 9月24日 9月30日 9月30日 10月8 日 10月18日 10月21日 10月21日 10月21日 10月25日 10月25日 10月26日 10月26日 10月30日 11月1 日 11月12日 11月18日 11月19日 11月25日 11月25日 11月28日 11月29日 11月29日 11月30日 12月1 日 12月25日 平成19年 1月4 日 1月11日 1月16日 社会保険事務局による施設基準の実態調査 互助会秋のバス旅行/馬籠宿・貧乏神神社/38名参加  第35回内灘祭(テーマ:STAND UP!!)∼10月1日 第31回看学祭(テーマ:ピース) 互助会秋のバス旅行/秋の立山・黒四ダム・大町温泉/70名参加 第8回看学生スポーツ交流会石川県私立看護学校連絡会/七尾総合市民体育館 第18回総合医学研究所市民公開セミナー開催/金沢市文化ホール/参加者70名 第34回解剖体合同追悼法要(系統解剖27柱、病理解剖96柱)真宗大谷派金沢別院 平成18年度天寿会総会/真宗大谷派金沢別院/会員80名参加 平成18年度実験動物慰霊祭/学生ラウンジ横/教職員、学生229名参列 診療費自動支払機、会計番号表示システムを導入した会計業務を開始 日本私立医科大学協会 第57回病院事務長会議総会/ホテル日航金沢/65名出席 平成19年度医学部特別推薦入学試験(AO)2次選考合格発表 合格者10名 平成18年度防災講習会・防災訓練 ∼31日 病院新館1階吹きぬけフロアーに患者用図書コーナー設置 医学部推薦入学試験 24日合格発表(76名出願、22名合格) 地域医療懇談会/金沢ニューグランドホテル/51医療機関:55名出席 医学部編入学試験 24日合格発表(82名出願、6名合格) 平成18年度解剖学実習ご遺骨返還式/本部等2階会議室/60柱 文部科学大臣感謝状伝達式/本部棟会議室2/9名の篤志献体者に伝達 学生の表彰、課外活動等で優秀な成績を修めた学生5名を表彰 平成18年度本学職員永年勤続表彰/病院新館12階大会議室/対象者35名 平成18年度医学教育等関係業務功労者文部科学大臣表彰(油木田鶴子さん) 看護学部設置認可届く(平成19年11月30日付) 第2回KMU研究推進セミナー/病院新館12階大会議室/学内外から69名参加 平成17年度優良教員表彰式(教育部門8名、研究活動部門5名、診療活動部門7名) 病院第2新館オープン(1F中央放射線部、2F眼科、耳鼻咽喉科・頭頚科、産科婦人科) 中央放射線部ISO9001認証を取得 平成19年度一般選抜入学試験/全国6会場で実施/志願者2,301名 (1月30日発表、67名入学)

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2月1 日 2月2 日 2月3 日 2月21日 2月28日 3月1 日 3月9 日 3月22日 3月26日 3月29日 4月1 日 4月2 日 4月9 日 4月9 日 4月10日 4月21日 4月24日 5月21日 6月1 日 6月1 日 6月2 日 6月12日 6月15日 7月14日 7月27日 8月2 日 8月3 日 8月25日 8月29日 平成18年度石川県私立学校教職員教育功労者知事表彰式(本学から20名が受賞) 病院機能評価Version5.0の認定を取得 総合医学研究所平成18年度研究セミナー開催/病院新館12階大会議室 学内外から70名参加  第32回互助会ボーリング大会/ルネス・サンサーカス/32チーム126名参加 電子ジャーナル、文献検索データベース使用説明会/病院新館12階大会議室 (昼夜2回110名参加) 金沢医科大学第30回卒業証書・学位記授与式(94名卒業) 第19回附属看護専門学校卒業式(54名卒業) 第22回博士学位記授与式(修了生16名) 平成18年度臨床研修医の研修終了証交付式/病院新館12階大会議室/18名に授与 第101回医師国家試験の結果公表(新卒合格者80名、既卒合格者8名) 病院診療部に内視鏡科、感染対策室を新設 新入職員辞令交付式/本部棟4階講堂(新入職員98名) 病院本館正面ホール、地下1階レストランのリニューアル運用開始 医学部第3学年、第4回白衣・聴診器授与式/本部棟4階講堂/94名に授与 金沢医科大学第36回入学宣誓式 医学部105名、看護学部64名/石川県文教会館 第29回納骨式/本学慰霊碑前・納骨堂に19柱納骨/参列者170名 プチナース、ふれあい体験(大根布保育所年長組園児37名参加) 平成19年度医学部第1学年早期臨床体験実習(14施設で実習)∼25日まで 第17回互助会ゴルフ大会・第17回医科大オープン/ゴルフ倶楽部金沢リンクス (互助会会員34名、学生31名) 互助会夏のバス旅行/さくらんぼ狩りと善光寺参り/職員・家族40名参加 金沢医科大学看護学部開設記念式典/本学4階講堂 金沢医科大学臨床教授(学外)委嘱状授与式/ホテル日航金沢/24名に委嘱 附属看護専門学校、第20回戴帽式(2年生64名が戴帽) 金沢医科大学医学会第33回総会、第43回学術集会開催/病院新館12階大会議室 81名参加 互助会夏のバス旅行/2泊3日でディズニーリゾートとジブリ美術館/82名参加 関連病院会議/ホテル日航金沢/68関連病院の病院長、事務長出席 北斗会幹事会開催 互助会夏のバス旅行/伊吹山ご来光/34名参加 平成19年度医療監視(厚生労働省東海北陸厚生局、石川県石川中央保健所、河北地域セ ンターによる)

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寄 稿

世界奇行

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「狗犬讃歌」

佐野 泰夫

(元副理事長)

1.桐一葉落ちて

桐は、ほかの木よりも早く秋の気配を感じ落葉 する。衰亡・消滅の暗示でもある。 明治の文豪、坪内逍遙(1859∼1935)は、戯 曲「桐一葉」を発表して、文壇に新風を送った。 ボクは、昭和57年1月4日、雪の降る寒い朝、 残り少ない桐一葉が落ちて、また落ちて、生体が 消滅し、幽界へ行く。享年15。名は「雄峯」愛称 は「タロウ」という。

2.ペット・ロスの涙

ボクの父は、45回全国展で、文部大臣賞を受け た四国犬で、名は「長峰」。母は、「春清姫」とい い、ともに名犬である。義姉は、「加賀の千代」 という血統書付きの柴犬。 「朝顔や つるべ取られて もらい水」を連想 するが、心優しい女性ではない。ボクよりも、3 カ月早く他界している。享年16。ボクも彼女も、 ケン族としては、長寿であった。主人は、冷たく なったボクを撫でながら「ゴメンネ、長い間アリ ガトウ」と言って、涙を流した。愛するペットを 失ったヒトの喪失感をペット・ロスというが、ペ ットを越えて、家族を失くした悲しみと、寂 しさの涙であった。 「わが宿の寂しさ思え 桐一葉」は、俳聖、 松尾芭蕉の句。主人の涙が、ボクの身体に落 ちた。昭和29年から約30年もいたケン族は、 7代目のボクを最後に、主人の家ではいなくな った。ネコ族は、3年飼っても、3日で、恩を 忘れ、ケン族は、3日飼うと、3年も恩を忘れ ないという。ボクは、幽体になっても、主人 の15年間の恩は忘れない。中国の古書「史記」 (司馬遷=紀元前145∼前86)によると主君や 親のために、尽くすことを「犬馬(けんば)の心」 という。ボクは、風になって、主人一家のしあわ せを守ることにした。

3.ボクは、風になる。

昭和57年は、細川たかしの「北酒場」や岩崎 宏美の「聖母たちのララバイ」が、ヒットして、 主人も、2階のカラオケ・サロンで歌っていた。 ボクたちを亡くした悲しみを忘れたいといって、 時折歌っていた。ボクは主人の「歌謡曲大全集 1000曲」のうち、日本文化の生活と、お天気の 結びつきを調べると、風が一番多く、次いで、雨、 雪、嵐、霧の順であった。風、そよ風、薫風にな って、主人一家を守ろうと決めた。主人が旅に出 ると、同行することに決めた。主人が家にいると きは、玄関前ポーチの入口では、「狗犬(こまい ぬ)」が、庭では「乙女の祈り」のオブジェが守 っている。そして、ボクは、アフリカの「マリ共 和国での自動車事故」「ルーマニアでの病気」「カ ンボジアでの尿路結石」など主人の数多くの原因 不明の病気や災難を乗りこえて、帰国できた喜び を体験している。 主庭、サンルームの「乙女の祈り」の像 玄関前ポーチの狗犬

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4.ギリシャ神話

ボクは、風になって、ギリシャの空にいる。下 界は、エーゲ海。濃紺の波と、さわやかな潮風が ある。太陽の光と影が交錯すると、古代神話の 神々が出てくる。ボクは、主人夫妻とともに、首 都のアテネに着く。 主人夫妻は、アテネの「アクロポリスの丘」で 感動し、「スーニオン岬」で、神の陽光を浴び、 市内の居酒屋風レストランで、「タベルナ」とい うギリシャ料理を食べ、地酒の「ウゾ」というワ インを飲んでいる。ボクは、「タベルナ」という オリーブ油ごってりの食事は「食べるな」と心に 決めた。「ウゾ」も薬味酒くさい。ブドウの皮か ら作った、アルコール分の高い透明のもので、水 で割って飲む。透明のワインは、たちまち「乳白 色」になる。ヒトの嗅覚の200倍もあるボクは、 ビックリ仰天。早々に、主人を促し、「ヒエリテ (さよなら)」といって、ホテルへ帰る。

5.ディロス島のライオン

さんさんと、ふりそそぐ太陽を浴びて、エーゲ 海に残る古代遺跡を求めて、イドラ島・ロドス島 などへ行く。主人はコス島で、医学の父ヒポクラ テスを偲び、ママは、ショッピングを楽しみ、ボ クは、ディロス島で、ギリシャ数千年の歴史を見 守っている5頭の、ライオン像と対話をしていた。 主人は、船中で、つぶやいている。「BC459∼ BC375ヒポクラテスは、偉いよ。医者になるとき の宣誓文がすばらしいよ。私は、アポンの神にか けて誓う。医術を私に教えてくれた人は、両親に 等しい大切な人と思え。この医術は必ず次の世代 に伝えよ。どんな家を訪れようとも、病人の治療 だけに全力をつくせ。見たり聞いたりした患者の 生活の一切を、他人に漏らすな」…今では、当然 の理を古代人に説いているのは、エライ!…でも、 ボクは5頭のライオンとの対話に感動している。

6.ライオンは、支配者の権威の象徴

ライオンは、ボクに言う。「カリスベーラ(こ んにちは)ディロス島は、面積3.5K平方米の小 さな島だが、全知全能の神ゼウスが、愛人レト女 神のために作った島だ。古代エーゲ海時代(BC9 世紀)は、宗教、政治、商業の中心の島でもあっ た。ペルシャ、アテネ、スパルタの戦争で、当時 の支配者は、ライオンを守護神と崇め、また権力 の象徴として、9頭を砦の入口に置いた。今は、5 頭しか残っていない…」という。ボクは、日本の 神社仏閣の入口にいる「狗犬」(こまいぬ)を連 想する。悪霊をしりぞけ、病魔や災難を防いでく れる東南アジアの狗犬は、平和的であることを知 った。

7.ヒツタイト王国の門紳

トルコの「ボアズカレ」へ行く。紀元前1800 年に栄えた、ヒツタイト王国の城壁約6kmの跡が あり、城門の入口を守る門神(かどかみ)に会う。 過去・現在まで、4千年の栄枯盛衰を見てきたラ イオンたちは、身体の一部が欠けてはいるが、吹 きつける風をうけながらも、ボクを見つめて優し く答えた。いわく「東洋の神社、仏閣のルーツは ペルシヤ(イランなど)を含めた中近東だと思う。 紀元前は、ライオンが実在し、百獣の王として、 動物にも、ヒトにも恐れられ、尊敬もされていた。 支配者は、権力のあかしとして、ライオンのオブ ジェを作り、城門の入口に配置したんだ。当時、 虎は極北の地にいたが、気温が低下して、南方へ 移動し、中近東にいたライオン族を、あついアフ エーゲ海・ディロス島のライオン像

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リカへ放逐したので、中近東には、ライオンはい なくなった。しかし、ライオンの門神説は、シル クロードを経て、中国、朝鮮へ伝わったんだと思 う」「虎はいるけれども、ライオンがいない東洋 の門神は、宗教やヒトの願望がとけあって、神 社・仏閣の門神に見合う狗犬になったのであろ う」…ともいう。…でも、なぜコマイヌと呼ぶの かと反問したが、ライオンたちは答えなかった。

8.日本最古の狗犬

主人は、北は北海道、南は沖縄まで、旅をして いる。ボクは、風になって、古都、奈良へ行く。 1300年前に、絢爛たる文化が咲いた奈良は、時 空を超えた香りがあって好きだ。東大寺は、華厳 宗の総本山で、聖武天皇の勅願によって創建。孝 謙天皇が752年に大仏の開眼供養をしている。南 門の石造の狗犬は、鎌倉時代に宋の人が彫ったも ので、日本最古。ふさふさした渦巻の毛があり、 犬ではない。中国では、犬を「狗」(gou)という。 「狗叫」は、「犬がほえる」ことだ。神社本庁によ ると、日本に「狗犬」が伝播してきたのは、唐か 宋の時代かはっきりしないという。また、一説で は、朝鮮半島の高麗(こま)から伝わってきたの で、高麗犬と書いていたともいう。なお、中国に は、虎はいるが、獅子はいない。由緒ある古刹の 寺院の入口の狗犬は、獅子に似た想像上の動物の ように見え、ユーモアもあって、訪れる人の心を なごませている。台湾の彰化の大仏の横に鎮座し ている狗犬も、威かくしているが笑っているよう でもあった。北京の紫禁城(故宮)の大和殿の 「銅獅子」は、皇帝の権威を示して、鋭い面相を している。沖縄では、強烈な陽光を浴びて映える 民家の赤屋根に、魔除けの「シーサー」がある。 門柱にもいる。

9.ボクの主人の家にも狗犬

ボクが幽体になってから、主人は、玄関前のポ ーチの入口に、一対の狗犬(40cmの大理石像) と玄関入口横の80cmの香炉台脚に、たわむれて いる四頭の狗犬の石像を置き、各種の草花を配置 している。病魔退散、家内安全は、俗信だといっ て考えていない。芸術品だと言って、大切にして いる。…でも、ボクは狗犬たちも、主人一家のし あわせのために、日夜、守ってくれていると思っ ている。これがボクの願いである。 トルコ・ボアズカレのライオンの門 中国・楊州の法淨寺の狗犬 中国・敦煌・ 莫高窟、最大の交 脚弥勒菩薩と狗犬 ・・

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∼やっぱり老けたかな!!∼

徳田 治樹

(情報管理課) 私が卒業した大学は地元にあります。そこで親 しくなった友人は私を除けば皆さん長男のため全 員が地元で就職しました。しかし、大学を卒業し た昭和50年は就職難であったことから専門分野 の情報処理関係の企業等に就職した友人は私を含 めて9人中4名でした。残りの友人は信用金庫、 警察、事務機会社、高校教師、自営業と様々な方 面に就職しました。私が就職した金沢医科大学も 採用日の4月1日を2ケ月遅らせて6月2日にする 程の就職難でした。それから32年の年月を経て 就職先を変えずに勤務し続けている友人は私の他 に4名います。(IT関連企業、信用金庫、警察、 高校教師)。ただ、残りの4名中2名は既に死亡し ているため、勤務先を変えたのは2名だけという ことで、私を含めて友人達も保守的な人間が多い なと思っています。 亡くなった2名は一人が45歳、もう一人が49 歳という若さでした。現在、私達は55歳ですが、 糖尿病、前立腺肥大、心臓ステント、大腸癌切除、 高血圧等の病気持ちがほとんどで何の病気も無い という友人は一人だけです。ストレスが多いのか、 健康管理に無頓着なのか…でも同年代の人は皆さ ん同じような生活をしているだろうと思っていま す。それにしても友人9人中2人も50歳前に亡く なるし、心臓や大腸手術(これは私ですが)を行 った人が2人もいるというのは多すぎるような気 がします。 友人達も勤続32年にもなると、それぞれの職 場で頭角を現して、警察官は警視になり、信用金 庫職員は支店長を経て本部の幹部になり、IT関連 企業職員は部長にとそれぞれの部下が数十人とな っています。でも、大学時代に一番成績の良かっ た友人はトラックの運転をしているし、一番成績 の悪かった友人が高校教師しているわけだから人 生はいろいろです。私はというとムムム…人数は 少ないけど優秀な部下に恵まれているから良しと しましょう。様々な職場に勤務している友人達で すが、今でも最低1∼2ケ月に一度は顔を合わせ るほど仲が良いので、これからも健康に留意しな がら末長く付き合っていきたいと思っています。 孫がいる友人が増えた半面、両親が揃って健在 なところは少なくなってきています。55歳だから 仕方がないのでしょう。私の両親は父親90歳と母 親88歳で健在であり、夫婦一緒に長野県のグルー プホームで元気に生活しています。遠隔地で生活し ているため1∼2ケ月に1度しか顔を合わせられま せん。父親は私や兄の名前も分からない状態ですが 母親は名前も私達兄弟の家族構成も把握していま す。ただ、自分が以前に住んでいた家の地理的なこ とが分からなくなっています。90歳と88歳ですか ら仕方がないと思います。しかし、彼らは幸せなの だろうか?…ふっと考えてしまいます。母親は「こ こは極楽や、ご飯も作ってくれるし、おやつもあた るし、至れり尽くせりや」と言っています。確かに 職員の方も優しいし夫婦一緒だし恵まれていると思 います。でも私自身は両親ほど長く生きていたいと 思わないのはなぜでしょう。答えは簡単、老いるこ とを受け入れたくないのです。両親の老いた姿は受 け入れられますが、自分の老いた姿を受け入れたく ないのです。こんなことを考えること自体、自分も 老けたなと感じてしまいます。いま55歳ですから 後10年くらいはしっかり働かなくてはならないで しょう。そのころには自分の老いを受け入れられる ようになっているでしょうか。まあ、先のことを考 えても仕方がないので一日一日をしっかり生きて行 こうと思っています。

(10)

退職後 あれこれ

池田 行雄

(元事務局) 金沢医科大学の在職は1981年4月から7年間で した。 事務局参与として、「医科大学10周年記念史」 の編集や大学が被告となる訴訟事件の事務などの 業務をさせていただきました。 いずれも優れた先達や同輩に恵まれ、任期を終 えましたこと、感謝の念いよいよ深まりつつある この頃です。 私が退職したのが1988年3月ですから、もう 20年になりました。 ○退職したその年7月、真宗大谷派(浄土真宗 お東)の僧侶となりました。 亡き両親が熱心な念仏者であったことから、親 鸞聖人の教えを知りたくて、60才から金沢東別院 内の真宗学院(夜学)で勉強したことがご縁です。 僧職をとったことで、別院からの誘いで、65才 から70才迄、金沢東別院式務部に勤務しました。 年中無休で、毎朝暗い本堂での勤行や作法、特 に冬期の火の気のない本堂の寒さは身に応えまし たが、兎も角5年間勤めました。今から思えばよ くやったものだと、自らの愚直さを思っています。 又、僧職御縁で、県宗教連盟事務局担当に委嘱 され今日に至っています。 一昨年11月宗教連盟結成60周年記念式典が行 われましたが、「神道、仏教、基督教、諸派(天 理・大本)、新宗連(PL・立正佼成会等)の各宗 教間の連携協力を課題として取り組んでいます。 宗教連盟の活動として、金沢市福祉センター3 ヶ所の法話を各宗順番で担当していますので、私 も時々出講のご縁を頂いています。 ○もう一つ、健康法として、太極拳を62才か ら習い初め今も続けています。 現在、金沢市中央公民館(長町館)で毎週日曜 日午前、金曜日午後、太極拳クラブで指導をして います。(身心の健康に有効です、関心ある方は 気軽にどうぞ!) 大きな経験として、69才の時、アメリカ・ボル チモア市で、行われた武術太極拳世界大会(1995 年8月)の、開会式演武に日本代表(70人)の1 員として出演しました。 世界各地から国境・民族・宗教・思想を超え て、選手が一堂に会し共に武術太極拳の技を競い 合う場面や選手の姿を目のあたりにして感動と共 に、中国文化の世界への広まりを知りました。 また、この機縁でボルチモアやワシントンの都 市を垣間見ました。 ワシントンの中心部の景観の見事さは当然なが ら、港町ボルチモア市の中心部は、古代風の建物 と近代建築が調和して美しい都市景観であり、港 の埠頭では、音楽と踊りが繰り広げられ街には活 気が感じられました。 その一方、宿泊のホテル20階から見下ろす地 上の高架道路の路肩には、深夜になると多くの野 宿者が見られ、昼にはその跡形もない様子には、 明るい表の陰の一面も見受けました。 尚、デパートで購入した安価なボルチモア印の 帽子は中国製品であり、大商店のレジは若い中国 女性の担当で、ここでも中国の物・人の進出の勢 いが窺われました。 ○太極拳のご縁で、中国へは4度訪問し、北京、 上海、蘇州、南京、杭州、桂林等見て廻りました。 桂林の太極拳は雨で見れませんでしたが、いず れの都市でも、早朝の公園で、多くの男女が気持 ちを込めて演ずる気功・太極拳の姿は、まさに壮 観です。 一昨年6月、クラブの仲間の発議で、私として

(11)

は3度目となる蘇州市へ旅行し太極拳の指導者や 愛好の方々と太極拳交流をしました。 小雨の中を、事前に準備を整え我々一行(15人) を待ち受けられた指導者の心遣いや、真摯な演舞 の姿と技には大きな教えを頂きました。 交流の回を重ねる度に友情も深まり、今も年賀 状など交換しています。 尚、7年前に金沢市太極拳協会員有志一行(64 人)が蘇州を訪問し当地の太極拳協会員(100人 余り)と親しく共演、交流をしました。 盛大なイベントは今も当時を知る人達の語りぐ さとなっています。 金沢市太極拳協会長 奥名洋明先生が団長、私 が副団長でした。正に得難いご縁でありました。 ○傘寿の坂道、自らの「老いと死を思う」今日 この頃、相変わらずの未熟者ですが頂いた皆様の ご縁に感謝しつつ、念仏「往生浄土」の歩みを続 けたいと存じます。 近年、「いのち」への問いかけの深まりから、 医療・看護と宗教との連携の願い(仏教・ビハー ラ活動)も広まりつつあります。 この面でも今後、医療・看護の皆様からのお教 えを頂くご縁もあろうと思っております。 金沢医大の更なる充実・発展そして北斗会員の 皆様のご健勝を念じつつ、所感を添え退職後のあ れこれ点描しました。

「私の中のAlways」

山野 清一

(医療情報課) 先日、テレビで「ALWAYS 三丁目の夕日」の 映画を観ました。昭和33年の東京が舞台で戦後 の色が残りながらも高度経済成長の時代を迎え、 急速な変化の中でたくましく温かい日本人が描か れていました。私が大根布に生まれたのがちょう どその頃だったので自分の子供のころを思いなが ら観ていました。 その頃の内灘はどうであったかというと、昭和 27年に起こった米軍試射場接収反対運動がようや く昭和32年に終止符が打たれました。そして、 その年に砂丘地干拓事業がスタートします。内灘 が村から町になったのが昭和37年1月でした。 保育所の頃、父に連れられて放水路の大規模な 工事の様子を見た時の感動は今でも忘れられませ ん。先輩の話では、その頃干拓事業の関係で秋田 県の八郎潟からの転校生が何人か居たそうです。 小学校に上がる頃には、金沢市近郊という地理 的条件から住宅団地の造成が始まりました。近所 にはまだ多くの藁葺きの家がありましたが、家の 前の道路がアスファルト舗装されたのがその頃で した。昭和40年頃の河北潟の水はきれいでした ので、“ナンサ”(潟の浅瀬)に行きシジミやアカ ダを採って遊びました。深みに嵌まって溺れ5・ 6年生の先輩に助けられたこともありました。そ の後、水田で使用される農薬や生活排水の量が増 えるに伴って潟の水も次第に汚れナンサで遊ぶこ とは段々と減って行きました。 小学生の頃、近所の上級生や下級生が一緒にな って“タスキ”(十数名が2つに分かれて互いの 陣地を攻めたり守ったりする鬼ごっこのような遊 び)をして家々の間を駆け回って遊びました。ほ かには、隠れんぼに似た遊びで“ペコポン”や “五円玉”、馬乗りや長縄跳びをしました。 夏になるとあせものため首の周りを天花粉で真

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っ白にしていました。街灯がまだ整備されていな かったので夜は本当に暗く懐中電灯持参で夜道を 歩いた思い出があります。 その頃の金沢は、私たちには大都会でした。尾 山(金沢市街)に行く時には真新しいよそ行きの 服で出かけました。年に1・2回、ボンネットバ スに乗って尾山に行く事が本当に楽しみでした。 我家のテレビがカラーテレビになったのが小学 4年の時でした。スイッチを入れて最初の映像が GSのオックスでした。ドキドキしながら姉とい っしょに観たカラフルで眩しくカッコイイ野口ヒ デトを今でも鮮明に覚えています。小学生の頃に は「月光仮面」「隠密剣士」「忍者部隊月光」「て なもんや三度笠」「エイトマン」「狼少年ケン」 「鉄人28号」「遊星仮面」「ビッグX」「スーパージ ェッター」「ワンダースリー」「宇宙少年ソラン」 「オバケのQ太郎」「ウルトラマン」「パーマン」 「コメットさん」「チャコとケンちゃん」「仮面の 忍者赤影」「ザガードマン」「キイハンター」「巨 人の星」「タイガーマスク」「8時だよ全員集合」 などを夢中になって見ていました。 小学5年の夏の放課後に友人数人と閉まってい たプールに入ったところを臨時で来ていた先生に 見つかりひどく怒られたことがありました。「そ んなに入りたいのなら泳いでみろ」と言われ、自 己流で必死に一往復泳いだ後に手の掻き方や息の 仕方など泳ぎ方を教わった記憶があります。本当 に泳げるようになったのは、その時からでした。 今思えばいい先生だったんだなと思いますが、名 前は覚えていません。アポロ11号が月面着陸し たのがこの年の7月でした。 昭和45年になると町は火力発電所建設反対運 動が展開され、政治的に新興住宅団地の発言力が 大きくなったことが小学6年だった私でも分かり ました。大阪で万国博覧会(EXPO70)が開催さ れた年です。鶴ヶ丘に大根布小学校(現鶴ヶ丘小 学校)が新築され、夏休みに登校して引越しの手 伝いをしました。私たちの学年は、新しい校舎の 最初の卒業生でした。 その2年後の昭和47年に今では内灘町の東京タ ワー的なシンボルとなった金沢医科歯科大学(当 時はみんなそう呼んでいました)が開学しました。 中学2年の時、ミュンヘンオリンピックの男子体 操の選手が大学に来るということを聞き、部活を さぼって大学に来たことがありました。残念なが ら演技を見ることは出来なかったのですが、確か 本部棟2階のエレベータ前で塚原選手と監物選手 と握手をし、その日はしばらくその手を使わなか った思い出があります。そして、昭和49年には 日本海側で一番の設備を擁する医療機関としての 金沢医科大学病院が開院しました。 大変雑ではありますが私の子供の頃の事を書か せて貰いました。今では世代も移りそこに住む人 の顔ぶれもずいぶん変わりましたが、大根布の風 の匂いは今も昔も何ら変わっていません。それは、 毎年秋に行なわれる小浜神社の祭礼を見れば分か ります。先輩から後輩へ、さらにその後輩へ伝統 文化は大切に脈々と引き継がれています。思い出 と共に生まれ育った土地を大事にしていきたいと 思います。

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カシミール地方(インド)を訪れて

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ジプシーの人達との出会いそして触れあい

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富樫 明子

(元診療支援課) 日本政府より「入国危険」とみなされているイ ンドのカシミール地方を訪れたのは、2007年6月 下旬の事である。一行7名がデリー国際空港や特 に翌日のカシミール空港に降り立った時、まず驚 いたのは物々しい警戒ぶりであった。空港は勿論 のこと、道路の要所要所にも兵士達が等間隔で銃 口を道路側に向けて並んでいる。道路には車が一 台づつしか通れないように大きな石がジグザグに 置いてある所もあった。何か危険な事があったら すぐ対応出来るように大きな石やバリケードが道 路脇に置いてある。インド・パキスタン戦争が停 戦中であり、完全に終結していない事を物語って いると思った。 カシミールの州都シュリナガルから車で約3時 間走った所がキャンプ第一日目の地である。そこ は山間の目の前には清流が流れ、周囲の山々の傾 斜地は緑のジュウタンのように美しい草原だっ た。ここは、ジプシーの人々が住む地域で簡素な 小屋があちこちに点在していた。小屋はもちろん ジプシーたちの住居である。牛や馬がきれいに草 を食べるので家畜の住める範囲は全て緑のジュウ タンのようになり、草刈機で刈るよりも効果的で きれいというのがこの地に入っての第一印象だっ た。大きな川は水(硬水)を満々とたたえ飲料水 にもなり、鮭も沢山いる。家畜達のエサである草 はナチュラルで農薬を一切使用していないので、 インドの食品は全て自然食品ばかりだそうだ。 キャンプ地から2人のガイド(1人は案内人で 現地語のみのA氏、もう一人は通訳の人で現地語 と英語が話せるB氏)に案内されて、近くの山へ トレッキングする。ガイドのA氏はゴムぞうり、 B氏はスニカーであったが歩くのが速く、登山靴 の私たちを要所要所で待っていてくれた。ジプシ ーの家々を横目に小さな沢を何度か渡り、山登り が続いた。山道といいながら家畜のフンがあるの で生活道路なのだろう。2時間程急な山道を登り 頂上に着いた。ところがそこはジプシー達の小さ な村であり、牛と馬のお陰だろうか山頂の平地は 岩と芝生で作られたすばらしい庭園のようであっ た。あちこちから子供たちが私達の周りに集まっ て来た。人と出逢ったり、人と接したりの経験が 少ないであろうこの子供たちは、恥ずかしそうに 私たちと接した。でも、強い好奇心からかどの子 の眼もキラキラと輝き、笑顔が本当に可愛く美し かった。数家族がこの地で雪が降るまでの期間を 家畜と共に過ごし、雪に追いかけられる様に麓へ 麓へと移動するそうだ。 髭を長くはやした長老らしき男性と、大人、子 供たちが私達を囲む。女性は姿を見せようとはし ないが家の中や入口周辺で珍しい訪問客をそっと 見ている。私たちが笑顔でこの人たちに近づき握 手を交わすと相手も笑顔で握り返してくれる。日 本も日本人も知らないであろうが、この地を訪れ 私達の宿泊したテントとスタッフ達

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る人を信じる強さが伝わって来た。 ある一軒のジプシーの家に是非にと招き入れら れた。部屋の中は3∼4坪位のワンルームで干草 が敷きつめてあり釜戸には火が燃え母と子が座っ ていて、赤い火の明かりは室内を照らし出してい た。釜戸の周りに家族が集まり食事をしたり休ん だりするのだろう。そして何とシンプルで合理的 な生活なのだろう。釜戸の上の棚には食器や鍋が 置かれ、部屋の隅には生活道具が置いてあり、電 気や水道など一切ない生活である。この家族は何 人位だろう。親子4世代位だろうか、おじいさん から乳飲み子まで仲良く暮らしている風に見え た。人間の生活の原点や原風景を見たような気が した。 「お茶を入れるから」と言われたが、もう下山 しなければと持ち合わせの飴やチョコレート等を 置いてその家を出た。 ところが、別のジプシーの家の長老がどうして も「カシミールコーヒー」を飲んでいってと言う。 それも家の中の釜戸でゆっくり煮詰めるので20 ∼30分はかかるそうだ。「カシミールコーヒー」 が出来るまでの間、そのあたりから集まって来た 子供たちや数人の大人相手に何かをして、時間を 持たせなければならない。私たちはありったけの 知恵を絞り出して歌を唄おうとするが、なかなか 思い出せない。「ぽっぽっぽはとぽっぽ」や「幸 せなら手をたたこう」等を唄いながら「ハンカチ 取りゲーム」や地面に絵を描いたりして遊んだ。 少しは通じただろうか。今頃あの人なつっこい子 達はどうしているだろう。 コクのある濃い「カシミールコーヒー」と焼きた ての一人一枚の「チャパティ」が振るまわれた。 それは疲れた身体には最高のもてなしであった。 キャンプ地に入るまでに大きな小麦袋を肩に担い で山道を登るジプシーの姿を見て来たので、今食 べている「チャパティ」の原料が如何に貴重なも のであるかが想像できる。それを突然訪れた異国 の見ず知らずの訪問客のために振舞うその心根の 優しさに胸が熱くなり、涙が出そうになった。 日本人がとっくに忘れただろう心をこの人たち は持っているような気がした。そしてその親達の 行為を見て子供たちは育っているのである。ジプ シーの人たちとの束の間の交流を通して、日本人 の家族の中に吹き荒れている問題は何かを教えら れた様な気がした。 残念ながら英語力の乏しい私たちは午後から3 ∼4時間のコースで夕飯までに帰る予定で、ガイ ドの後をただ着いて行き、ジプシーの村へ行く事 が事前に分からなかった。せっかくのもてなしに 私たちは何も差し上げるものはなかった。各人が 持っていた全ての飴やチョコレート、それに遊び に使用したハンカチを手渡して、さよならをした。 ジプシーの家の中 ジプシーの家の前で

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カシミール地方は九州ぐらいの広さであり、そ の大部分はヒマラヤ山脈を望む山岳地帯である。 そこにはジプシーの人たちが家畜と共につつまし い生活を送っている。良い人たちに出会えたと言 う事がこの日の収穫でもあり、鮮烈な思い出とも なった。頂上からのヒマラヤ山脈の眺めを期待し て登ったが、それとは別の異質な体験が出来、す がすがしい気分を頂いて私たちは山を下りた。 ある人曰く、“日本人はインドへ来ると最初の1 ヶ月間はイライラする。でも3ヶ月経つと日本へ 帰りたくなくなる”と言う国インド。私はもう一 度訪れてみたいと思っている。

医療における一視同仁の精神や労働の意義の果たすところ

岡田 尚人

(広報部) 医療には、すべての人をえこひいきなしに、等し く遇するという一視同仁の精神が大事ではないか。 なぜならば、災害医療におけるトリアージが端 的な例となるが、その際に依拠されるべきは治療 の緊急性に基づくカテゴリーのみであり、そこに 医師の私情(自分の近親が傷病者の中におり、そ の人を助けたいなど)や思惑(社会的地位の高い 人物を優先したいなど)が働いては、より多くの 人命を救えなくなるはずだからだ。また、ホテル は宿泊費を払わない客を追い出してもよいが、病 院は入院費を払えない患者を路頭へと追いやって はならない。 このようにひとつとしてゆるがせにできない人 間の生命を取り扱い、病気や怪我などで身体のみ ならず、社会的な立場をも弱まっている人々と深 く関わる医療は本来、利潤を追求することや、経 済的な効率とは相容れないことが多いように思わ れる。だが、まさに地方自治体の財政難と軌を一 にするように、公立病院の多くが赤字にあえいで いるというが、今後は民間と変わらぬ経営に対す る意識が求められるだろう。また、公共サービス の維持が困難な過疎地においても医療はその質を 落とさぬよう、ギリギリのやりくりや自助努力を 強いられるにちがいない。 よりよく働けばよりよく報われるというのはあ たりまえのはずだが、警察官や消防士などの職業 では、よりよく誠実に職務を全うしようとすると、 結果として自分の命を落としてしまうという矛盾 に陥ってしまうことがある。世の中には誰かがそ れをやらなければならないということがあり、そ のような人はその意義のために殉じたのであっ て、お金などのためではないのである。 病院は24時間眠らない場所だが、医師や看護 師の仕事も過労、医療過誤、院内暴力などに身を 挺し、その意義のために尽くそうとするところの 大きなものではないか。 しかし、現実には医学生に産科や小児科などの 過酷な勤務の診療科が敬遠されたり、過疎地など で特に医師不足が深刻であったりすることを考え ると、人間は意義のためだけに生きられるもので はないことが思い知らされる。医療従事者も生活 者なのであり、やはり報われたいのだ。人生の価 値観が多様化する現代においては、自己実現の意 味も単純に職業を中心に据えたステレオタイプで は済まされず、かえってそれぞれの職業は労働の 質への対価としての明瞭な賃金体系を持たなけれ ば、優秀な人材を多く得られないようになると推 測できる。そのような意味で医療もその技術やサ

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ービスが経済とより緊密に結びついても、けして 悪びれる必要はないだろう。 将来において医療がどのように進展していくの か全然予測がつかない。しかし、ある程度言える のは、医療の公平性と経営の効率化や自己犠牲、 奉仕と自己実現などといった、これまで遠くかけ 離れたものだった思想や概念を関係づけ、それら が両立するように制度の上に反映していくこと が、諸般の問題を解決するおおもとの姿勢となる だろうことだ。 幾多の試行錯誤があろう中で一視同仁の精神が なおざりにされれば、医療における緊張感や責任 感の多くは失われ、深刻な倫理の崩壊に至ること は想像にかたくない。同時に意義のために尽くそ うとすることも忘れられ、労働はあくまで契約に 定められたことばかりの硬直したものとなり、シ ステムの危機をこれまで救ってきた人間のマニュ アル的な、すき間を埋めるような働きや感性もや がて鈍化し、頻繁にシステムの再構築という手当 てを必要とするようになるだろう。 大雑把な言い方をすれば、医療はそれに携わる 我々の心性が質朴であれば緩やかに、功利的であ れば激しく変化していくとも思われる。

泳げるようになった! 

浜本 容子

(総務課) 毎年、小さな目標を立てている。クロールで 25m泳げるようにする。 これが、今年の目標だ。交換室で泳げないのは 私だけ。羨ましい限り。 水にも水着にも抵抗がある。幼少期に海で溺れ て死にかけた事があるからだ。 小学校の水泳大会では、その時の記憶が戻り、 水に顔をつける事なく記録は0m。苦い思い出が ある。 話は、少し横道に反れるが奇妙な体験は他にも ある。 小学校:かなしばり・交通事故(タクシーと自転 車の衝突、偶然にも無傷。) 高 校:雷に撃たれる(通学時、雷が傘に直撃。 髪の毛は傘の布にぴたっと張り付き逆  立った。死ぬと思った瞬間、電流が左 ひじをぬけて運良く助かった。) 社会人:幽体離脱(自分の後姿を斜め上から見 下ろした。コタツでうっかり寝てしま った時の事で、体も軽く浮いているの が 気 持 ち 良 か っ た の を 覚 え て い る 。) 崖から落ちる(スキーでスピードがつ きすぎ、崖から落ちた。このままだと 滑 り 落 ち て し ま う 。 と っ さ に 板 を 外 し、氷で固まった靴でなんとか自力で 這い上がった。) 不思議な体験や死にかけた事は、あげればきり がない。これでもかと生きている。 話を本線に戻すとしよう。 日頃から運動不足で食べる事が大好きな私は体 重・体脂肪率が昨年から急上昇、トトロ状態だ。 なんとかしなくては、そんな時、夫から「水泳の 初級者10回コースの張り紙あったよ」と言われ た。「そうなん」と答えたものの心の中は(行く気 なし、そんなの関係ねぇ)だった。ところが、一 晩寝ると気持ちは一転。問い合わせをし、仕事の

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帰りには申し込みを済ませ、入会金を納めてきて しまったのだ。もう後には引けない。来週から、 いよいよスタート。緊張しながらも行った。現在 はメンバーにも恵まれ楽しく通っている。6回目 でクロールの息継ぎを習い始めた。この間、何度 か自主練習に行き平泳ぎの原型で25mを5往復で きるようになった。これには先生もびっくり。 「えっ!もう泳げるようになったんですか、それ はスゴイ、今日は練習の成果をみせてもらいます」 私の泳ぎをみて「それでいいんです、大丈夫」は なまるをもらった。7回目は腰に浮きをつけなが らのクロール。「浜本さん、この調子じゃ今日、 クロールできるかも」「できないけど、やってみ ます」と強気に答えて、この日はなんとか25mた どりついた。その3日後、プールへ。休みでのん び∼り。習ったことの基礎練習の繰り返し。後半、 浮きをはずしてクロールをやってみた。次の瞬間、 思いっきり水を飲んでむせてしまった。呼吸を整 えて再度挑戦。途中、溺れると思いながらも踏ん 張った。プールの半分まで来ると楽になり、後 5mの線が見えた。最後まで行ける!壁に手をつ いた時には何が起こったか、分からなかった。あ れ?できた!やったあ∼クロール25m達成。奇跡 だ!後から来た同じ教室に通う2人に証人になっ てもらった。「スゴイ、もう泳げるようになった の?」この日は25mを4回でき練習を終えた。 “人間やればできる”基本の繰り返しの大切さを 実感。平成19年11月23日(祝)は一生のうちで 忘れられない日となった。教室も残り3回。今後 はリラックスして長く泳げるようにしたい。 追伸:来年の北斗会パーティーも交換室揃って 楽しく参加したい!!

退職後の日々 

干場 祐子

(元用度課) 60歳で事務職を退職し、これからは、お世話に なった地域へのご恩返しのボランティア活動と、 好きなビーチバレーボールや、グランドゴルフ、 花作り等の趣味に生きようと胸をふくらませてい ました。 そんな矢先、「健康づくり推進員」に町から委 嘱され、続いて、「食生活改善推進員」の基礎コ ースを受講し、会員となり、少しづつボランティ ア活動に溶け込み、お友達も出来、楽しくなりか けた三年目より、会長の重責を担う事となりまし た。活動内容は生活習慣病の予防食教室、介護食 教室、男性料理教室、母子料理教室、朝食を食べ よう推進事業等、時代のニーズに合わせ、バラン スのよい食生活と運動を組合わせての食育活動を 続 け て 参 り ま し た。その間、県理 事も二期、四年間 務めさせて戴きま した。 この様な活動が 認められ、この度、 1 1月1日 、 大 阪 (グランキューブ 大阪)にて食生活 改善推進協議会全国大会、会員二千人の席上で、 厚生労働大臣表彰の栄に浴する事が出来、思って も見なかった現実が夢のようでした。 退職後、まっしぐらに歩んだボランティア活動

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ままポスト 

稲垣 順子

(診療支援課) わが家は小さな美術館。 小さな画伯が二人。5才と2才の愛する娘たちだ。 いい作品が出来ると「これ、はりつけといて」。 おかげで壁は穴だらけ。 主人パ パは「いいかげんに何でも貼り付けるのやめ まっし」。 でも、ママは二人の作品に囲まれてくらすこと が気に入っているのです。 3月14日 仕事から帰ると5才の娘が「ママ、 これどこかにはりつけて」ニコニコ得意顔の娘の 手には、ティッシュの箱?! よ∼く見ると、ティッシュの空き箱を利用して 作った『ポスト』らしい…。『まま』のと『パパ』 の、二つある。しかも、ふた付。 実は、当時黄組さん(保育所の年中児)だった 娘は、修了式を控えた白組さん(年長児)へのプ レゼントにティッシュ箱のレターラックを製作し たらしい。そこで、ひらめいて、自分なりに「す こ∼し、かえてみてん」と、娘。 「ともちゃん!」(思わず抱きしめる) 娘からポストを受け取った私は、感動してしま った。 《なんてステキ。なんて素晴らしい、なんてい いアイデア!!》 そして、裏返して思わず笑う… 『ともかからもらた □△○』クレヨンで… 極印?! 次の日からポストに何が入っているのかドキド キしながら帰ったのを覚えている。 手紙と折り紙が入っていることが多かった。 『またあそんでね』切り抜きや絵でにぎやかに してある。 パパの誕生日には『パパおたんじようび』 ママが風邪で体調をくずした時には『ままかぜ のぐあい…(読み取り不能)』 (きっと心配してくれた内容だろう) 嬉しかった。 5月9日 とくに記念日でも何でもない日だが 『ままありがとう』と書いた手紙が入っていた。 ままのかお(まるでおひめさまみたい! いや、 ままポストパパポスト で、皆さんの笑顔から戴いたパワーが、私の健康 維持に繋がった事と、沢山のお友達が出来たこと に感謝し、これからも、地域住民の健康づくりの お手伝いが出来ればと思っています。

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髪が逆立っていた…なぜ?)も書いてある。 ママも「ありがとう」と伝えた。それだけ伝え るのが精一杯だった。嬉しすぎて泣いてしまいそ うだった。 ある日、『てるてるぼうずらしきもの』が入っ ていた。頭部だけ。聞いたところ、涙ながらに訴 える。「まなが…ちぎったあ∼!!」あらあら。 どうやら、下の娘も参加したかったようです。 それから、ままポストはおやすみしている。 かわりに、二人の娘と交換日記をはじめた。そ れぞれに。 今は2冊目。ほとんど絵ばっかり。交換絵日記 かな? 下の娘のは、らくがき帳と化しているが“ママ と一緒に”、“お姉ちゃんと同じ”だから嬉しそう。 二人の娘たち、ニコニコ顔。もちろん、ママも。 このはじまりについて、上の娘から、日頃仕事 が忙しく寂しい思いをしているパパとママに「パ パとママお仕事大変やし、ともかとまな保育所行 っとって会えんやろ。やし、手紙を書いて入れて おく。ママも、書きたいことあったら書いて入れ ておいてね。」と言われました。 手紙を書いて渡すことを思いついた、と聞き、 私はすごく考えさせられました。 こどもと向き合うこと。 こどもってスゴイ。 そして、とても温かい気持ちになった私、ママ 6年生。子育て真っ最中です。

手術部2年目を迎え 

小林 洋子

(看護部 中央手術部看護師) 外来から手術部に異動して2年目になります。 外来から異動しての1年間は本当に大変な毎日 でした。手術室の勤務経験は有りましたが何年も 前、しかも整形外科のみだった私には本当にあっ というまの毎日だったと思います。器械出しに就 く為の手順とその器械を覚える為に、「やっとや っと」でした。それでも頑張れたのは、やはり師 長さん、主任さん、手術部の先輩方、プリセプタ ーの方のご指導と協力があったからだと思いま す。本当にありがとうございます。2年目になっ た今年から、消化器班担当になりました。まだま だ未熟ですが、いろいろな症例に就いてプロフェ ッショナルになれる様、努力していきたいと思い ます。 又悲しいことに、先 日同じ消化器班であっ た、先輩看護師が亡く なってしまいました。 私は夜勤や手術の症例 などで一緒になる機会 もあり、困っていると 助けてくれる、本当に 頼りにし尊敬していた 大好きな方でした。色々な知識を学び持っていた その先輩の様に、今後も努力していきたいと思い ます。この場を借りて今一度ご冥福をお祈り申し 上げます。 著者近影

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看護師への道 

木村 慶太

(看護部) 自分が看護師を目指し始めたのは、担任の先生 から進路に関してとやかく言われ始めた高校2年 の頃です。 冬が近づきインフルエンザがはやり始めた頃だ ったと思います。当時、感染に関して無知な自分 は運悪くインフルエンザに感染してしまい身体の 節々が痛みだし、我慢できなくなり母親が勤務し ている病院へ受診、即入院となりました。 この入院中看護師からの手厚い看護を受け『看 護師』という職業を知りました。退院後、母親に 看護師について聞いてみると、就職のしやすさや 金銭面、人生をかけるに値する職業、etcとの説 明があり『看護師』という職業に興味を持ちまし た。これが『看護師』への第一歩だと思います。 この時、進路について模索している状態だったの で目の前に現れた『看護師』というすばらしい職 業にすぐ飛びつきました。 その後は、担任の先生に看護学校を探してもら い必要な学科を調べ、自分に当てはまるか確認し、 勉強に励み試験に合格し、と割とスムーズに物事

強みの上に築け

木下 英理

(広報部) 前職の上司は様々なビジネス本を貸し与えてく れる人であった。(その類いの本はたいがい小難 しく、読み切れないままそっと返却していたもの である。)その中には、2005年に死去した経営学 の世界的泰斗ピーター・F・ドラッカー博士のも のが数冊あった。それらには経営だけではなく、 社会組織の中で生きていく上で学ぶべきエッセン スが分かりやすい言葉で綴られており、社会人に なったばかりの自分の心に染み渡ったのを覚えて いる。 タイトルの言葉は、7000にも及ぶドラッカー のメッセージの一つである。このメッセージは、 組織も個人も自分や相手の弱みではなく、その強 いところ、得手とするところに焦点を当てながら 機能することが望ましいということである。さら にその強みについて、「自分が得意だと思ってい ることに、溺れるな。物事の“本質”を鋭く透察 する心を持て」つまり真の強みと自分が勝手に強 みだと思い込んでいることを混同するな、と言及 している。強みとは相対的なものであり、かつ厳 しい競争の末に認められるものだという。 時折この言葉を思い出しては、自分の強みとは 何か、と自身に問いかけるものの、依然としてそ の答えは明確に出ず、模索中である。もしかする と未だに経験していないことなのかもしれない。 この大学への転職は、この言葉を改めて意識する 機会となった。きっと様々な新しい経験が待って いるであろう。「強み」というものを常に念頭に置 いて経験すること、またそれらに対する外からの フィードバックにも意識することを心がけながら、 自分の真の強みを見きわめていきたいと思う。

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が進みました。この合格が第二歩ですかね。 あとは、トントンと看護学校での生活が終わり、 国家試験を受け、合格となって目標達成となり今 に至ります。 振返ってみると看護師になるまでは色々苦労し ましたが、看護師になり患者様との関わりの中で、 本当にやりがいのある職業であり、この職業を選 択してよかったと実感しています。これからは自 分の「理想の看護師像」を追い求めて勤務に励んで いきたいと思います。 最後になりますが、看護師へ進むきっかけを作 ってくれた母親に心から感謝したいと想います。

金沢医科大学に就職して 

黒田 明由美

(理事長室) 金沢医科大学に就職して数ヶ月が過ぎた。20代 のうちにちゃんとした仕事に就こう、という私の 夢は、すべり込みセーフで叶ったことになる。非 正規でずっと余所で働いてきたので、ようやくこ こに自分の居場所を見つけた、という社会人にな って初めて安らかな心持ちでいる。 卒業後1年で働き過ぎて身体を壊し、自分をす り減らして得るお金より、健康や時間の方が大切 だと思った。それからはそこそこ好きで責任を持 たされた仕事と、趣味に思いきり打ち込んできた。 どこか物足りなくはあったけれど、楽しく好きな ことをして過ごしてきた。 ところが、数年前の2月の朝、父が入院して、 否応なしに病院と向き合わなければならなくなっ た。どこまで悪くなるのか、どうしたらもっとい い治療が受けられるのか、治る見込みはあるのか。 いつになったら、どこまで治るのか。一体誰に聞 けばいいのか。仕事一筋の父が点滴をしながら病 院の待合室で、もどかしいような手つきで図面を 開いて部下に指示をしていた光景を今も覚えてい る。先の見えない不安と心配の壁に塗り込められ た私は途方に暮れてしまった。医療のことなんて 何もわからない。私に何ができる? 今思えば、 これが金沢医科大学に勤めるきっかけの一つだっ たのかもしれない。 さて、私がこの大学で何ができるだろう。「人 生とはいつも何か新しいことに挑戦することだ。 心をオープンにしていれば、計画はなくてもいい」 というラトルの言葉が好きだ。私はよく先入観に とらわれて物事の本質を見ていないことがある が、運良くそういった弱点を鍛えることができそ うな職場にいる。初心を忘れず、謙虚さと想像力 と志を持って、この新しく飛び込んだ世界で生き たいと思う。

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叙勲・表彰

叙勲・表彰

「文部科学大臣表彰を受けて」

安宅 謁子

(集中治療センター) このたび、文部科学大臣表彰に推薦いただき、 また、11月30日東京にて表彰式に参列できまし たことは、大変光栄に思います。 家族の協力、また、健康にも恵まれて、昭和50 年の就職から30余年の月日が過ぎたことに、た だ吃驚しております。 その間、いくつかの部署の異動もありましたが、 それぞれの科の医師、看護師、看護補助の方々の 出会いにも恵まれて、仕事ができたことも大変幸 せだったと感謝しております。 今後とも、微力ながら仕事に努力して行きたい と思います。 ありがとうございました。

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会員からの

写真展

下川 雅世

(庶務課) connie

西村 憲司

(教学課) はな太郎

伴 真理子

(診療支援課) コロ

中居 文子

(医事課) プー

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会員からの

写真展

中村 まり

(研究助成センター事務課) そら

田辺 光子

(附属看護専門学校) アンディー

正来 宏美

(教学課) りんりん

堀 愉

(教育研究事業推進室) momo

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会員からの

写真展

中谷 歩

(フォトセンター) アムロ・シャー

疋田 雅枝

(診療支援課) さくら・すみれ

延兼 恵子

(教育研究事業推進室) チョップ

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会員からの

写真展

出雲 淳子

(庶務課) のん

武田 久美

(経理課) チャム

佐野 泰彦

(教学課) ラヴ

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平成19年11月11日(火)午後7時から、第 9回北斗会懇親・懇談会が金沢市内の「金沢都 ホテル」にて開催された。今回も150名を超 える多くの会員が参加した。 最初に、奥名洋明会長から開会の挨拶があ り、続いて、小田島粛夫理事長が来賓を代表 して挨拶された。その後、山田裕一学長の乾 杯のご発声でにぎやかに懇親の宴が始まった。 今回、金沢医科大学を平成12年に卒業し、 現在名古屋の名城病院内科に勤務している赤 沢貴洋先生が中心となり結成した音楽グルー プ「ハートフルホスピタル」のライブ演奏を 企画した。「ハートフルホスピタル」は今年の 7月10日にCDデビューしており、現在、名 古屋、東海地方を中心にTV,ラジオで活躍し ているそうです。メンバーは、デビュー曲 「経過良好」を含め4曲を熱唱し会場は熱気に 包まれた。ライブ演奏の余韻が冷めた頃、今 年が初回となる35周年永年勤続表彰の対象者 6名を招待し、出席された川江美栄子さんと中 川美枝子さんに奥名洋明会長が花束を贈呈し た。また、退職後、地域活動に力を入れ、県 の食生活改善推進委員として尽力されている 干場祐子さんが2007年度の栄養関係功労者厚 生労働大臣表彰を受賞されたのでその功労に 対し、奥名洋明会長から花束が贈呈された。

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続いて今年喜寿を迎える、金沢医科大学理 事長小田島粛夫先生と北斗会副会長新谷喜美 子さんにお祝いの花束が贈呈された。この後、 昨年も好評だったビンゴ大会が行なわれた。 今年も奥名会長に電子ビンゴの機械操作をお 願いし、大いに盛り上がった。盛りだくさん の催し物も全て終りアッという間の2時間で した。新谷副会長の挨拶で閉会となり各自余 韻に浸りながら帰途に着いた。

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支 出 の 部 収 入 の 部

決算・予算

〈報告〉

◆平成 18 年度 収支計算書◆

自 平成 18 年 4 月 1 日∼至 平成 19 年 3 月 31 日 科 目 会費収入 懇親懇談会費収入 雑収入 前年度繰越金 収入の部 合計 予 算 1,764,000 300,000 1,000 192,043 2,257,043 決 算 1,774,800 357,000 70,692 192,043 2,394,535 備 考 年会費 1,200 円× 1,233 名(現職員) 年会費 1,200 円× 36 名(前職員) 終身会費 12,000 × 21 名 懇親懇談会費 3,000 円× 119 名 懇親懇談会祝金 受取利息 科 目 事業費 会報発行・学報郵送 懇親懇談会 事務費 交通費 消耗品費 通信費 慶弔費 雑費 事業積立金 予備費 次年度繰越金 支出の部 合計 予 算 1,550,000 550,000 1,000,000 160,000 20,000 20,000 70,000 10,000 40,000 400,000 30,000 117,043 2,257,043 決 算 1,853,973 718,709 1,135,264 239,034 22,960 0 100,631 53,361 62,082 0 0 301,528 2,394,535 備 考 会報第 16 号の作成、配付 11/28 開催 (単位:円)

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支 出 の 部 収 入 の 部

◆財産目録◆

Ⅰ資産の部

(1)現金預金 1.福井銀行金沢医科大学病院支店 普通預金 2.郵便局 郵便振替 (2)その他資産 1.事業積立金(定期預金)

Ⅱ負債の部

Ⅲ正味財産の部

1,101,528 301,528 27,888 273,640 800,000 800,000 0 1,101,528 平成 19 年 3 月 31 日現在 (単位:円)

◆平成 19 年度 収支予算◆

自 平成 19 年 4 月 1 日∼至 平成 20 年 3 月 31 日 科 目 会   費 懇 親 懇 談 会 費 等 収 入 雑 収 入 前 年 度 繰 越 金 収入の部 合計 (年会費 1,200 × 1,270 名) (終身会費 12,000 × 30 名) (懇親懇談会費3,000×100名) (預金利息他) 予 算 1,884,000 300,000 1,000 301,528 2,486,528 科 目 事 業 費 会報発行・学報郵送 (会報第 17 号の作成配布) 懇親懇談会 (懇親懇談会費) 事 務 費 (事務消耗品他) 交通費 消耗品費 通信費 慶弔費 雑費 事 業 積 立 金 予 備 費 次 年 度 繰 越 金 支出の部 合計 予 算 1,750,000 750,000 1,000,000 200,000 20,000 20,000 100,000 30,000 30,000 400,000 30,000 106,528 2,486,528 (単位:円)

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平成 19 年 8 月 21 日現在 平成 19 年 12 月 11 日現在 (任期:平成 19 年 8 月 21 日∼平成 22 年 8 月 20 日)

事務局だより

■会費納入のお願い

本会は会員皆様の会費収入で、会報の発行、親睦会の開催及び大学支援事業を行っています。 退任・退職される会員には会費納入方法として、年会費納入方法と終身会費納入方法のどちらかを選 択のうえ納入下さいますようお願い致します

◎終身会費 

12,000

◎年 会 費

1,200

《振込先》郵便振込口座 金沢医科大学北斗会 00710-6-23197

■お便りなどお寄せください

会員の皆様の随筆、短歌、俳句、写真、その他近況に関するお便りを掲載し誌面の充実を図っていき たいと思っていますので、どしどしお寄せ下さい。(内容は自由です。)

■変更事項等ご連絡ください

会員の皆様で、転居、結婚等で情報に変更がありましたら、下記北斗会事務局までお知らせ下さい。 ◎金沢医科大学 教育研究事業推進室 〒920-0293 石川県河北郡内灘町大学1-1 TEL(076)286-2211(内線2720∼2724)・FAX(076)286-8214 E-mail [email protected]

■金沢医科大学北斗会役員のご紹介

■会員数

役職名 顧 問 会 長 副会長 〃 〃 幹事 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 区 分 現任・現職会員 退任・退職会員 合 計 人 数(人) 1,231 1,220 2,451 氏 名 西 東 利 男 奥 名 洋 明 水 株 正 紀 北 川 伴 次 新 谷 喜美子 岸 本 トキ子 高 山 静 子 杉 本 末 子 飛 田   明 山 田 俊 昭 高 田   稔 大 田   修 河 崎 信 夫 西 尾   寛 百 成 富 男 職指定 監事 会報編集委員長 看護職・退 看護職・退 看護職・退 看護職・退 技術職・退 技術職・退 技術職・退 一般職・退 一般職・退 技術職・現 技術職・現 役職名 幹事 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 会計監事 〃 氏 名 西 尾 浩 次 神 戸 晃 男 大 森 政 幸  中 川 明 彦 辻 口 徹 子 宮 本 孝 子 荒 木 きみ枝 中 越 滋 子 荒 田   満 中 農 理 博 浅 野 進一郎 中 山 正 喜 大野木 辰 也 松 井 道 子 職指定 技術職・現 技術職・現 技術職・現 技術職・現 看護職・現 看護職・現 看護職・現 看護職・現 一般職・現 一般職・現 一般職・現 一般職・現 職指定・現 看護職・退

参照

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