社会的市場経済の理論的源流
― ヴイルヘ ルム ・レプケの経済 ヒューマニズムー I は じ め に ドイツの新 自由主義 (Nedber】るmuOに は三つのグループがあると登場順 に並 べ ると次の ようになる。 1.レ プケ (W.Ropke)とリュス トウ(A.Rustow) 両人は1920年代 に交流 を深め,全 体主義の時流 に抗 してラデイカルな 「自由 主義のルネサ ンス」の論陣を張った。 レプケは自身の立場 を社会学的自由主義)(sottdottscher bber】おmus)とも称 した。二人はいずれ も回 りに弟子 を集めるよ うなタイプではなかったために学派 らしきものを作 らなかった。両人 ともいわ 4 ) ば独 りで全体主義 と闘った 「独行 の戦士」 (Eittekamp絶0 と 呼ぶ にふ さわ しい 気骨のある碩学であった。 2 . フ ライブルク学派 これはナチスが政権 をとった1933年にフライブルク大学で結成 された自由主 義者の反体制 グループである。経済学者のオイケ ン(W.Eucken),法学者のベー ム (F.B6hm)および グ ロスマ ン ・ドェル ト(H.Grossmann―D o e r t h ) がその創 始者 で あ った。主 要 なメ ンバ ー にはマ イヤー ( K . F . M a i e r ) , ルッッ ( F . L u t z ) , ミクシュ ( L . M k s c h ) , ヘ ンゼ ル ( K . P . H e n s d ) らが い る。 この学派 は ドイツの学界 お よび実 践界 で指導 的 な役 割 を演 じて きた。 3 . ミ ュ ラー アルマ ック ( A . M u l l e r 一A r m a c k ) とその弟子 の グループ 浩 敏 田 福 1)Hayek,et 2)Ropke〔 17〕 3)R6pke〔 17〕 4)Hayek, et al.〔9〕S.34-35 S.50, チFttRp.25, R6pke〔19〕S.141 S.51, 91, 茅卜訳pp.26, 74 a l . 〔9 〕S . 3 4
2 彦 根論叢 第 325号 これは第二次大戦後 に登場 した もっとも新 しいグループであるが, ミュラー アルマ ックがケル ン大学 にいた関係でケル ン学派 とも呼ばれている。弟子筋 に は ワ トリン(Ch.Watrin)やシュ タルバ テ イはStarbatty)らがい る。 ミュラーアル マ ックは西 ドイツの政策スローガンとなった社会的市場経済の創案者 として知 られる。 筆者の専攻す る経済体制論 の角度か らす る と ドイツ新 自由主義の魅力 は理想 の経済体制 (論者によつては社会経済体制)を説いた ところにある。第一のグループ にせ よ,第 二のグループにせ よ,第 三のグループにせ よ,い ずれ も現存経済体 制 を批判 し,あ るいは否定 し,あ るべ き理想の経済体制 を設計 しようとした。 第一 の グループを代表す るのは レプケの 「経済 ヒューマニズム」 (Wittschatts― humattsmuSであ り,第 二の グループを代表す るのはオイケ ンの 「競争秩序」 (Wettbewerbsordnung)であ り,第 二のグループを代表す るのは ミュラーアルマ ッ クの 「社会的市場経済」 lSo夕】e Marktwrtscha■)であったも
三つの理想的経済体制 は単 なる机上のモデルではな く,設 計者の意識の上 では実践 を志向 していた。いずれ も ドイツの敗戦前後 に制度化 を意図 して構想 されたが,さ いわいなことに三つ とも西 ドイツにおける経済再建 に貢献すると ころとなった。 西 ドイツの経済再建 を指導 したのは経済相エアハル ト(L.Erhard)であったが, かれは正真正銘の新 自由主義者であった。かれの思想的立場は第一および第三 の グループーー 両グループは社会学的分析の面で類縁性があるので社会学的新自由主義と 5 ) 6 ) して一括されることもある一一 と,第 ニ グループの中間に位置 していた。そのエア ハ ル トが経済再建の旗印にしたのは ミュラーアルマ ックの考案 した社会的市場 経済の コンセプ トであった。その縁 で ミュラーアルマ ックも経済省の局長およ び次官 として経済再建 に尽力 し,の ちに 「エアハル トの社会的市場経済の戦友 7 )
」と称えられた。
5)Cassel, et al.〔3〕 S.4, Haselbach〔8〕 S.20, S.405
6)Starbatty〔25〕S.67,エ アハル トについては福 田 7)Schlecht〔22〕S.100
Starbatty〔25〕S.67,Watrin〔26〕
F I I I I I I I 社会的市場経済の理論的源流 3 た だ し, エ アハ ル トは ミュ ラー アルマ ックの設計 に1 0 0 % 従 ったわけで はな い。かれ は実際 の政策運営 にあた っては レプケの教 えを乞 い,ま た レプケ もエ
アハルト
に対する協力を惜しまなかったとその一方でエアハルト
はオイケンを
1948年1月 に設置 された経済行政の学術顧問委員会のメンバーに招聘 し,一 一 フライブルク学派からはほかにベームとランペ (A.Lampe)が参加した一―その競争秩序 お よび秩序政策の考 えを政策実践 に活かそ うとしたと 以上の ように レプケ,オ イケ ンお よび ミュラーアルマ ック (彼はまた実践者で もあった力うの理想的体制構想 は,政 治家のエ アハル トを通 して,社 会的市場経 済 をスローガ ンに した西 ドイツ政府の政策実践 に少 なか らぬ影響 を与えたので ある。「オイケ ン, レプケ, リュス トウらのネオリベ ラル・グループが理論的構 想 を提供 し,そ れ らをベースに して ミュラーアルマ ックお よび とりわけエアハ ル トが社会 的市場経済 を導入 し,経 済奇跡 を成 し遂 げた」 とい うシュル ッ (W.Schd力の指摘 は,幾 分誇張 はある ものの,事 実 を的確 に捉 えている。 ド イ ツの学界 には この ような意味 を込めて一一 つまり政策実践としての社会的市場経済 に理論的指針を与えたという意味を込めて一― レプケ, オイケンお よび ミュラーアル マ ックを 「社会的市場経済の父」 と規定する者が少 なか らずいる告 本稿 は筆者の社会的市場経済研究 シリーズの一環 をなす ものである。筆者 は 1 2 ) これまで二つの論稿 を著 したが,そ れ らはいずれ もミュラーアルマ ックの社会 的市場経済 を考察の対象 に している。筆者が ミュラーアルマ ックに注 目したの は,か れが社会的市場経済の理論 と実践の接点 に位置するキィ ・パーソンであ るか らにほかならない。戦後 ドイツの政策実践 を見 る場合その理論的原点 とも い うべ きミュラーアルマ ック説 を検討 してお く必要がある,と いうのが執筆の 動機のひとつであった。今 日の ドイツ経済はグローバ リゼーシ ョンの中にあっ 8)Hayek, et al.〔9〕S.30, !可合 〔11〕pp.303, 3099)Heinlstadter〔10〕S.269, Oberender〔12〕S.326, Schlecht〔22〕S.100, Wunsche 〔28〕 S.154
10)Schulz 〔23〕S.1005
11)BernhOlz〔1〕p.511, Bress〔2〕S.266, Schiecht〔22〕S.100, Schmidchen〔24〕 p.56,Wiseman〔27〕p.172
4 彦 根論叢 第 325号 て失業増加 ・財政赤字の急増 ・国際競争力の減退 な どに苦 しめ られているが, ド イツの学界では一度社会的市場経済の原点 に立ち返 って見直 しを図 りこのよう な難局 に対処すべ きである とい う声が高 まっている。 この ような原点復帰 ・再 出発 の戦略は有効か。それを自分 な りに確 かめたい とい うのが もうひとつの執 筆動機であった。 こうい う動機 をもって ミュラーアルマ ックの原典の読解作業 を始めたのだが, 読み込 むにつれて ミュラーアルマ ックはオイケ ンとレプケか らずいぶん影響 を 受けていることが分かつて きた。オイケンの競争秩序お よびレプケの経済 ヒュー マニズムの考 えが一 もちろんそれぞれその一部だが一一社会的市場経済の中に合 流 しているのであ る。社会的市場経済の秩序像 はオイケ ン説お よび レプケ説 と の比較で明確 になる,こ うい う見通 しをつけて筆 を執 ってみた。 既刊 の二論文 は,オ イケ ンの競争秩序 と対比 させ なが らミュラーアルマ ック の社会的市場経済の全体像 を描 き出 したものである。オイケン説に比べるとミュ ラーアルマ ック説は効率の視点が希薄であ り,ま たその社会的市場経済像 は曖 味で体系性 の点で難があるので もはや政策実践の指導像 の用 をなさない, とい うのが筆者の結論 であった。オイケ ン・サ イ ドに立 ったい ささか極端 な主張で あ ったか とも思 うが,筆 者 としては今の ところ結論 自体 をかえる必要はない と 考 えている。 ミュラーアルマ ックの社会的市場経済は レプケの考 えも取 り入れている。ロ イター( H . ―G . R e u t e r ) の言 を借 りれば,「レプケの 『経済 ヒューマニズム』が ミュ 1 3 ) ラーアルマ ックの社会的市場経済の出発ベースにある」のである。それは とり わけ社会的市場経済の中核 をなす社会政策 (Gesdにc h a i s p d t t k ) の分野で顕著で ある。 レプケは,社 会政策 をプロレタリア化や大衆化 などの現代文明病の治療 手段 として位置づ け,「プロ レタリアのブルジ ョア花と の ような魅力ある提案 を行 った。この ような政策が ミュラーアルマ ックの社会政策のカタログに加 え られているのである。ただ, ミュラーアルマ ックのこの方面の考察は奥行 きや 13)Reuter〔14〕S.89 14)R6pke〔17〕S.251, 茅再司R266
社会的市場経済の理論的源流 5 厚 み の点 で レプケ説 よ りも見劣 りがす る。 また, か れの社会政策の カタログに は雑多 な ものが整理 されることな く取 り込 まれてお り,体 系性の″点で もレプケ 説 に後 れをとっている。今の筆者は,社 会的市場経済 を再生するとすれば レプ ケの社会政策 プランに改良を加 え,そ れをこの体制構想の中核 に据 えるべ きだ と考 えている。 最初 に結論めいたことを述べて しまったが, ミュラーアルマ ックの社会的市 場経済の柱 をなす社会政策の特徴 は, レプケ説 と比較することで明瞭 になる。 同時に両者の比較で レプケの社会政策の個性 も捉 らえることがで きる。本稿で はこのことを念頭 にお きなが らまず レプケの経済 ヒューマニズムの全体像 を筆 者 な りに明確 に してみたい。両説の比較 と筆者の結論 については次稿 に回 した い。 H レ プケの経歴 ヴィルヘルム・レプケ (WIhdm Ropke,1899-1966)は我が国の学界ではすでに過 去の人であ り,今 では ドイツ経済学 に関心 を寄せ るご く一部の研究者 に知 られ ている程度であろう。紹介 を兼ねてその経歴 を簡単 に振 り返 ってお こうと ヴィルヘルム ・レプケは,1899年10月10日にハ ノーヴァー近 くのシュヴァル ムシュテ ッ ト村 (Schwarmstedt)で医者の子 として生 まれた。生家 はプロテス タ ン ト信仰の厚 い古 くか らの名家であった。プロテスタン ト地帯の農村的環境の 中で幼少年期 を送 った レプケは,1913年 にエルベ川下流の小都市 シュターデの ギムナジウムに進学 し,1917年 まで教養主義の教育 を受けた。 このような生い立ちが レプケの思想形成 に与えた影響は決 して小 さくはない。 のちに見 るようにレプケの経済 ヒューマニズムの思想 を一貫 して流れている通 奏低音 はキ リス ト教の人間学 と社会論 なのであるが,か れが この ような立場 を とるに至 った背景 にはプロテス タン ト地帯のプロテス タン トの家庭 に育 ったこ とがあつた と言 えるだろう。 また, レプケは大衆化やプロレタリア化 などの近 代文明病 を治療す る方策 として農民的 ・職人的なカルチ ャーの再生 を主張 した
6 彦 根論叢 第 325号 が,こ の点 にも幼少年期の原体験の影響 を見て とることがで きる。 レプケは1917年にゲ ッテイング ン大学 に進学 し法律 を学び始めたが,そ の年 の秋 に学徒 出陣を余儀 な くされ,歩 兵 として従軍 した。負傷退役後,1918年 か ら1922年にかけてゲ ッテインゲ ン大学,テ ュービンゲ ン大学,マ ールブルク大 学で しば ら く法律 を学 んだが,の ち経済学 に転 じた。1921年か らは学究の道 を 歩 む よ う に な る 。 マ ー ル ブ ル ク大 学 の恩 師 ワル ター ・トレル チ (W】ter Troeltsch)の助手 を振 り出 しに1924年にはイェーナ大学の助教授 ,1928年 には グラーツ大学の教授 ,1929年 にはマールブルク大学の教授 と,若 くして順調 に キ ャリアを積 んだ。 1 6 ) ナチスの台頭が レプケの運命 を狂 わせた。「最初 か ら政治的人間」であ つた レプケは, 講 演やベ ンをもって果敢 にナチスを攻撃 した。「国民社会主義者 と 1 7 ) 共産主義者 は,目 的 と方法 においてほとんど見分けがつかない」 とい うのが レ プケの鳴 らした警鐘であった。ナチスの本性 は共産主義 と同根の全体主義であ る と見抜いたのである。「独行の戦士」 の面 目躍如 といった ところであるが, 結局 はそ うした激越 な言動があだ とな り,1933年 に大学 を追 われ,そ の年の秋 には国をも追われた。 亡命後の落ち着 き先 は トルコのイス タンブールであった。 レプケは1937年ま で イス タンブール大学の教授 の職 にあったが,そ の間同 じくドイツか ら亡命 し て きたア レクサ ンダー ・リュス トウ (Alexander Rustow,1885-1963)と親交 を結 ん だ。先輩格の リュス トウとの再会はレプケの思想形成 にとってプラスに働いた。 農民的 ・職人的カルチ ャーの再生や市場整合的干渉や市場警察 としての国家の 役割 な ど, レプケ説の中核 をなす考 えはリュス トウとの交流の中で醸成 された のである。 レプケは1937年の秋 にスイスのジュネーブに移住 した。この町に安住の地 を 見い出 した レプケは,ジ ュネーブ大学の国際経済問題担当の教授 として教育 に 1 8 ) 従事 す るか たわ ら, 精 力 的 に執筆活動 を展 開 した。彼 みずか らが 「二部作」 16)Hayek, et al.〔9〕S.27 17)Hayek,et】.〔9〕S.28 18)Rbpke〔18〕S.7
日
拝
︱
︱
︱
︱
︱
︱
社会的市場経済の理論的源流 7 ( T t t b 」 う と 称 し て い る 『現 代 の 社 会 危 機 』 ( C θs 例なc ん研 S ん克 S ' s αθγ G の θ物物 a γら 1 9 4 2 ) ,『人間の国』(aυづけasん物物atta,1944,喜多村浩訳では 『ヒューマニズムの経済学』)お よ び 『国際秩序』 lraけθttaけづο%aιθ O句物切町,1945)はいずれ も戦時中のジュネーブ で書かれている。三書 を貫 くのは反独占・反資本主義・反集産主義・反全体主義 のスタンスであ り,「自由主義のルネサ ンス」にかける凄まじいばか りの執念 である。ナチスの暴圧 と迫害を身をもって体験 した者でなければ表現できない ような世界がそこにはある。
1945年に ドイツで 「カーキ色の全体主義」 Grauner Tot】止aAsmus)が崩壊 し, レプケにも帰還の道が開かれたが,か れはこの道を選択することなく1966年2 月12日の死を迎えるまでジュネーブに留まった。レプケにとって戦後の20年は 執筆の時代であった。加齢 をものともしない猛烈な勢いで著書 ・論文 ・時論な どを量産 した。その数は晩年の 8年 だけで も250にのぼる(レプケの生涯著作はお よそ800点である)。これらの著作の主要部分は健全なヒューマニズムを基調にし た 「人間の国」の建設をテーマにしている。ソ連共産主義を 「赤い全体主義」 (roter TOt例比ansmus)と見立てそれを反面教師として糾弾 しつつ,人 格の尊厳 と 自由と共同体的なきずなをベースにした経済ヒューマニズムを描 き,か つ唱道 した。代表作 に 『節度 と中庸』 lMass物物α陀けけθ,1950や 『需給 を超 えて』 ∽循θづけs υο物ムをクθbοけ物%αハlacゥ。θθ, 1958)がある。 戦後の レプケは学界の人であった。た しかに講演や新聞などで世論 に影響 を 与 えは したが, ドイッの新 自由主義者たちが積極的に国政 に参加 したのに比べ る と,そ の実践活動 は控 え日であつた。学界活動で特筆すべ きは,「モ ンペル ラン協会」の第 2代 会長 (1960年-1962年)を務めたことである。モ ンペルラン 協会 は1947年に世界の新 自由主義の第一世代 によって結成 された国際学会であ る。初代会長 にはハ イエ ク(F.A.v.Hayek)が推 された。その後 をレプケが継 いだのである。世界の新 自由主義者か ら 「独行の戦士」 に贈 られた栄えある功 労章であった。 Ropke〔19〕S.42 Ropke〔19〕S.42, Ropke〔20〕S.36
彦根論叢 第 325号 田 モラル ・サイエンスとしての経済学 2 1 ) レプケは典型的な西欧教養人であつた。 レプケ自身は経済学者 を自称 したが, そ うした自己規定が謙遜 に思 えるほど豊かな学識 と深い洞祭力 を身につけた知 者であった。かれの経済学 を貫いて流れる通奏低音 は伝統的なヒューマニズム 思想 (Huma出smus)とキ リス ト教思想である。 本論のイ ン トロダクシ ョンとして,そ うした通奏低音の一端 を本稿のテーマ に引 きつけて簡単 に見ておこう。 1.ス ミスか らの出発 レプケが終生抱 き続 けた研究関心 は,「現代文明世界の病状 を診断 し,そ の 治療の道 を探 る」 ことであった。 このテーマヘの接近方法 として彼が採用 した のは経済学 (Nadonttkonomie,直訳すれ↓ゴ国民経済学)であつた。ただ し,そ の経済 学 は今 日のいわゆるエ コノ ミックスではな く,18世 紀の 「ヒューマニズムの時 代」 に登場 したモ ラル ・サ イエ ンス (mor】scttncうとしての経済学であった。 その祖 は当時の ヒューマニズム精神 を体現 したアダム ・ス ミス (Adam Smith)で ある。 レプケは,ス ミス経済学の個性 は 『国富論』 と 『道徳感情論』がセ ッ ト 2 5 ) になった ところにある, と見た。 ところが,そ の後の経済学のメイン ・ス トリームは 『国富論』 に傾斜 し, し か も時 とともに実証主義お よび自然科学の方法 を採 るようになった。F道徳感 情論』が一― そしてやがてまた 『国富論』も一一経済学者の視界か ら遠 ざかって し まったのである。 レプケの同時代 人であるケインズ G.M.Keynes,1883-1946)の 経済学がそ うした実証的科学主義 を代表 した。 レプケは次の ように述べている。 「エ コノ ミックスの低い レベルに立てばス ミスか らケインズに至 る道は疑い も な く進歩の道であった。 しか し全体的な知性的 ・精神的発展の高い立場 にたて 2 1 ) R b p k e 〔1 6 〕S . 7 . 経済学者にして社会学者と自称 してもいる。R b p k e 〔1 8 〕S . 1 3 22)Rbpke〔16〕S.7 23)R6pke〔16〕S.106 24)R6pke〔17〕S.122, 茅田罰民p.112 25)Rbpke〔20〕S.147
■ ■ ■ ︱ ロ ー ー ー ー ー ー ー ば,そ れは反動 と退歩の道であった」。 こう ス ミスに帰 って行 く。 社会的市場経済の理論的源流 9 して ヒ ュ ー マ ニ ズ ム の子 レプ ケ は ス ミス を受け継いだ レプケの経済学はヒューマニズムと価値判断の容認 を特 徴 としている。量的・唯物的・技術 的世界 に埋没 したエ コノ ミックスを捨 て去 っ た レプケは,「精神的・道徳的存在 としての人間」 を経済学の中心 にお くべ きで あると主張 した。いわば人 より出でて人に還 るをモ ッ トーに したヒューマニズ ムの経済学の主張である。 レプケは価値判断 を認めた。モラル ・サイエ ンス としての経済学は, どのよ うな価値判断が正 しいか,を 問題 に しなければならなぼ告正 しい価値判断の基 準 は一般 に承認 された価値,つ ま り真理,自 由,正 義,平 和,共 同体 などの客 観的価値である。経済学はこの ような価値 を基準 に して,そ の時々の社会や経 済が健康か病気かを診断すべ きである, と主張 したと 2.人 格 としての人間 レプケの経済学 における主人公 は人間である。 しか し,そ の像が明瞭に描 き 出 されているわけではない。 レプケは,た とえば一章 を設けて人間を論 じると い うようなことを しなかったか らである。 といって人間像が不明 というわけで もない。 レプケのい くつかの著作の中でいわば間接話法的に人間が語 られてい るか らである。筆者 な りにそれ らをつなぎ合わせて解釈すると,レ プケの人間 像 は結局 キ リス ト教の人間であることが分かる。それは次の一文 に端的に示 さ れている。「私 は,古 代 のキ リス ト教 か ら伝承 されて きた精神的財産 によって 造形 された,特 定の人間像 を信 じて きた。私 はそこに神の似姿 を見ている」。 神 の似姿 (das Ebenbld Gottes)としての人間,つ ま り人格 (persona)としての人 間,こ れが レプケのイメージ している人間である。 レプケは個人の尊厳 と自由 (解放 ・自己決定 。自己責任)をなによ りも重視 したが,そ の根拠 はこの ような人 26)Rbpke〔15〕 27)Rbpke〔20〕 28)Rbpke〔17〕 29)R6pke〔17〕 30)R6pke〔20〕 茅F言尺p。257 S.368 S.155-156, S . 1 5 5 - 1 5 7 , S , 2 1 ≠円司Rp.154 ≠円高民pp.154-155
10 彦 根論叢 第 325号 格 と して の人 間 にあ る。個 人 の尊厳 と自由 は個 人原理 ( I n d 市i d u 】p t t n z i p ) と呼 ば 3 1 ) れている。かれは違帯をも重視 した。個人は社会なしには生 きていけないとい う理由からである。レプケはこれをもとにして,ま た兄弟愛や隣人愛の教えを もとにして,家 族,地 域,職 分,教 会などの共同体 (Gemdnscha北)の役割を強調 した。このような連帯は社会原理 lSo夕】pAnzゎ)と呼ばれているとのちに見るよ うに,個 人原理 と社会原理が調和 した世界が 「経済ヒューマニズム」なのであ る。 つ いで に述べ てお くと, ミュラーアルマ ック もその社会的市場経済の設計 に 3 3 ) さい して人格 としての人間か ら出発 した。個人の自由や尊厳お よび連帯の価値 が重視 されていることもレプケ と同様である。 ミュラーアルマ ックはキリス ト 教へ の関心が深 く,ウ ェーバー (M.Webeつの線上 に立 って資本主義の発展 に対 す るプロテス タンテ ィズムの影響 を社会学的に分析 した。 このようにミュラー アルマ ックとレプケは ともにキ リス ト教の人間学か ら出発 しているので両人は 「宗教 的新 自由主義4に 分類 されることもある。 オイケ ンはどうか。かれの 「競争秩序」ではキ リス ト教的人間像 は前面 に出 ていない。オイケ ンは,理 想主義の哲学者 として知 られる父ル ドルフ・オイケ ン(Rudor Eucken)に感化 されたためか,カ ン ト(I.Kant)の人間観 を受け継いでい
3 5 ) る。 とい って も, 前 稿 で述べ た ように, オ イケ ンの場合 に も人格 と しての人 間 が 問題 に され, と りわけ個 人 の 自由が強調 されてい る。 オイケ ンの人 間像 も根 底 の ところで キ リス ト教 の人 間像 に通 じる ものがあ る。 IV集 中化 ・大衆化 ・プロレタリア化 レプケが終生のテーマに したのは,先 の ように,「現代文明世界の病状 を診 断 し,そ の治療の道 を探 る」 ことであった。彼の視界 には19世紀か ら20世紀半 31)Rbpke〔17〕S.83, 茅円Fttp.64 32)Ropke〔17〕S.83, 邦訳p.64 3 3 ) 福田 〔5〕,福 田 〔6〕 を参照されたい。 34)Gutmann〔7〕S.55 3 5 ) 福田 〔6 〕
社会的市場経済の理論的源流 1 1 ばの ヨーロ ッパがあった。 レプケはその病状 をどう診 たか。診察の結果 は きわ めて深刻 な ものであった。重症 だ とい うのである。 レプケは,近 代 ヨーロツパ を重病 に陥れたのは集中化,大 衆化,プ ロレタリア化である, と見た。これ ら の病原菌 は猛烈 な勢いで繁殖 し,ヨ ーロ ッパ を蝕 んで行 った。 1.集 中化 集 中化 (Konzentradon)は主 として経済の世界で発生 した。いわゆる独 占化で ある。 レプケの考 えている主要な集中化の原因は,筆 者の言葉で言 うと,「レッ セ ・フェールのパ ラ ドックス」であったOつ ま り,「拘束 な しの 自由は最悪の 不 自由をもた らす」 とい う逆説的事態である。 19世紀の放任政策は寡 占や独 占の支配 を招 き,ま た種々の社会問題 を発生 さ せ た。 この問題の解決は政府の手 に委ね られるようになったが,そ のことが集 中化 に輪 をか け た 。 19世紀 後 半 以 降 の干 渉 政 策 はふ つ う干 渉 主 義 (Inter― vendo面smuOと 呼ばれるが,そ れは局所的・事後的な性質 を有 していただけに統 制スパイラルを誘発 し,マ ーケ ッ ト・プレイヤーの自由を大幅に制限 してしまっ た。その極瑞 な例が ドイツであつた。この国では場当た り的な干渉主義政策が ナチスの集産主義 (Kollekt市ismus)を登場 させ る結果 を招 いた。1870年代末の保 護関税政策→ 1897年の最高裁 によるカルテル容認→ 1930年以降の完全雇用政策 ・為替相場の固定化 ・物価凍結 ・賃金凍結→1938年以降の国家 による全面経済 統制 とい うふ うに統制波及の法則が鮮やかなシュプールを描いたのである。 以上要するに,放 任政策が干渉主義 を招 き,そ のことが私的独 占の支配 を助 長 し,最 終的には国家 による経済支配つ ま り公的集中化 を招いた とい う ぁ に
なる。「
政府の立法および国家の経済政策が 〔
集中化の〕第一原因である」と
いうレプケの指摘はこのような因呆運鎖を言おうとしたものである。
「レッセ ・フェールのパラドックス」を発見したのはレプケだけではなかっ
3 8 ) た。オイケンもミュラーアルマ ックもこの事実 を認識 していた。かれ ら新 自由 Rbpke〔16〕S.83 R b p k e 〔1 7 〕S . 2 9 8 , 邦訳p.328,〔 〕 内は筆者の補足である。 福田 〔6 〕 を参照されたい。12 彦 根論叢 第 325号 主義の第一世代 は,こ のパ ラ ドックスの猛威 を身をもって体験 しただけに,集 中化やその極限 としての集産主義は もとより,そ れ らの原因を作 った レッセ ・ フェール 自由主義 に対 して も反対 したのである。 レプケ流 に診断すると集中化 した経済は病気 とい うことになる。なぜ ならそ こでは個人の自由や尊厳 とい う個人原理が侵 されるか らである。市場参入の自 由・営業の 自由の制限,個 人間の競争の制限,は ては集産主義の もとでの個人 3 9 ) の国家奴隷 lStaatssHavθへ の転落 といった具合である。 2 . 大 衆化 とプロレタリア化 社会の領域では大衆化 (VermassunDが発生 した。大衆化 とは,「個人が ます ま 4 0 ) す形のない塊の中に吸い込 まれて自己を失ってい く」 ような状況,「家族,職 分,隣 人,自 然,そ して共同体の紐帯からますます解 き放たれて,各 人はもは や一体 どこに属するのか,社 会の中でどういう地位 を占めるのかまったく分か 4 1 ) らない」 ような状況 を意味す る。個人の脱人格化 (Entpersonahsierung)・ア トム 化 ・顔のない塊への転落である。 レプケによれば大衆化 をもた らした主要な原因は人口増加,技 術および社会 4 2 ) 。経済制度の三つであった。急激な人口増加によって大衆が大量に生み出され, 生産技術 の機械化 ・大型化 によって大企業への労働者の集中とそこでの労働の 意味の喪失,お よび都市化が発生 し,市 民革命 は伝統的な社会秩序 を破壊 して 大衆社会 をもた らし,経 済革命 は資本主義 を登場 させて大衆化 を加速 した,と い うのが レプケの診断であった。 ハ ーゼルバ ッハ (D.Haselbach)によればこの ような大衆化 に関するレプケの考 えは,オ ルテガ ・イ ・ガセー (」. O r t e g a y C a s e t O の『大衆の反逆』 (1930年出版) に多 くを負 っていると 社 会 の領域 で は さ らにプロ レタリア化 ( P r d e t a A s たr u n g ) が発 生 した。 プロ レタ 39)R6pke〔 17〕 40)Rbpke〔 17〕 41)Rbpke〔 17〕 42)Rbpke〔 16〕 43)Haselbach S.255, 茅円Fttp.272 S.243, 邦 訳p.256 S.245-246, チ田訳p.259 S . 2 8 〔8〕 S.74
願
F
ト
ト
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
社会的市場経済の理論 的源流 1 3 4 4 ) リア化 には物質的な意味 と非物質的な意味が こめ られている。個人が財産なき 無産者 になることと人格 を見失 うことである。つ ま り,資 本主義の台頭 ととも に自営農民,手 工業者,職 人,商 人,自 営業などの伝統的な中産階級が解体 し 工場労働者 に転落 したこと,そ れに伴 って精神面で浮草化や遊牧民化が生 じた こと, をさしている。 3.精 神 の荒廃 ・代用宗教 ・全体主義 4 5 ) 大衆化 とプロ レタリア化 は精神 の荒廃 を招 いた。「精神 の大空位」 ( g d S t t t e s 4 6 ) I n t e r r e g n u m ) 時代 の到来である。それは1 8 3 0 年代 に始 まった。 大衆化 とプロ レタリア化 にともなって一方で伝統的な共同体が崩壊 し,他 方 で脱 キ リス ト教化 (EntchAsdichunOと無宗教的世俗化 trrdtti6se Samanderunかが4 7 ) 進行 した。これ らによって精神 的に遊牧の民 になった人々は,心 の安定 を代用 宗教 (Ersatzrd埴lon)に求めた。「狂信的な非寛容 に彩 られた政治的社会的イデオ ロギど1で ある社会主義,共 産主義お よび民族主義がその代表であった。これ らのイデオロギーに呪縛 された国は全体主義に陥った。共産主義のソ連 におけ る赤い全体主義 と国民社会主義の ドイツにおけるカーキ色の全体主義がその双 墜であ った。 財産 を失 った大衆 はまた,生 活の安定 を国家 に求め,所 得移転 による社会 4 9 ) 保障 を要求 した。 この ような要求社会の心理傾 向 も全体主義や財政社会主義 (Fiskalsozialismus,つまり福祉国家)を登場 させたのである。 大衆化 とプロレタリア化 は最終的に全体主義 を登場 させた とい うことになる。 全体主義の寵児 ともい うべ き 「ヒットラー (A.Httler),ムッソリーニ (P.Mussdi拭)お 5 0 ) よびス ター リン(I.V.Stalin)は大衆文明 を代表す る人物」であった。 ついでに言 ってお くと, レプケほ ど明瞭かつ体系的に述べてはいないに して 44)Rbpke 45)R6pke 46)Rbpke 47)R6pke 48)Rbpke 49)Ropke 50)R6pke 〔17〕S.250, 茅馬邑民p.266 〔16〕S。17, 92 〔16〕S.92 〔20〕S.25 〔20〕S。30 〔20〕S.53, R6pke〔21〕S.39 〔18〕S.194
14 彦 根論叢 第 325号
も,オ イケンやミュラーアルマックも以上のような精神の荒廃と全体主義の因
果連鎖を的確に認識し
ていた
と
以上 に見た大衆化,プ ロレタリア化お よび精神の荒廃 に苦 しむ近代社会は, レプケ流 に診断すると,重 病 とい うことになる。それ らによって脱人格化が進 行 し,個 人の自由 と尊厳がないが しろにされ,ま た伝統的共同体の崩壊 と脱キ リス ト教化 によ り人々の間の連帯が寸断 されたか らである。 V経 済 ヒューマニズムの秩序像 レプケの次の課題 は,重 病に陥ったヨーロッパ を治療する方法 を見いだす こ とであった。その処方箋が経済 ヒューマニズムにほかならない。 といって もレ プケはその全体像 を正面か ら明確 に設計 してはいない。 もちろん描かれてはい るのだが,そ れはネガ(陰画)の形 をとっている。全体像 を明確 にするには検討 者の方でネガをポジ(陽画)に現像する必要がある。筆者な りに現像 してみ よう。 レプケは経済 ヒューマニズムを 「第 3の 道」 (DAtter Weg)と呼 んだ。資本主 義 (19世紀のレッセ ・フェール資本主義,20世紀の独占資本主義)で もな く,集 産主義 (国民社会主義,共 産主義)で もない,両 者 を超 えた理想 の道 とい う意味である。 その経済 ヒューマニズムは,集 中化 ・大衆化 ・プロレタリア化が克服 され,人 格 としての人間が主人公 になる健康 な社会経済 システムである。経済 と社会に分 けてその具体像 を描 き出す と以下の ようになる。 1.経 済 システム レプケによれば経済 を統べ るのは個人原理でなければならなぼ告 この原理か らすれば個人の 自由を最大限保証する経済 システムが最適 とい うことになる。 その要件 を満たすのは競争市場経済のほかにない。つ ま り,自 由価格 と実績競 争 (Ldstungskonkurrenz,消費者への貢献をめぐって行われる競争)に よって需給が調整 され る シス テムであ るそ したが ってそ こで は また市場民主主義 (MarktdemO 51)福田 〔6〕を参照されたい。52)Rbpke〔16〕S.43, 323, Ropke〔17〕S.46, 52, 茅FttRp.20, 27, Rbpke〔18〕S.21 53)Rbpke〔17〕S.83, 茅悟Fttp.64
54)R6pke〔16〕S.364
円
︱
︱
︱
︱
︱
︱
︱
︱
社会的市場経済の理論的源流 15 k r a d e ) が支配する。消費者が主権 をもち売 り手 に対 して ドルを投票するとい う 意味での民主主義である。 競争市場経済は自由放任ではない。む しろ権威ある強い国家の積極的な経済 政策お よび社会政策 によつて囲い込 まれた ものである。 これ らについてはのち に見 ることに しよう。 競争市場経済の仕組みに関するレプケの叙述は具体性がない。独特の形態論 をもって 「競争秩序」 を設計 したオイケ ンに比べ ると見劣 りがすると オイケ ン は市場価格 メカニズム,完 全競争の市場形態お よび安定的マネーサプライ制度 か ら成 る競争秩序 を設計 したが, レプケにはその ような形態論がない。 2.社 会 システム レプケの経済学 はモラル ・サイエ ンスである。経済以外の諸領域 も考察対象 になる。 これ らの領域 に対 しては競争市場経済 を回 りか ら支 える人間学的 ・社 5 7 ) 会学的枠組 (anthropdoJsch―S O t t d o 」s c h e r R a h m e n ) とい う地位が与 えられている。 これには道徳 ・宗教 ・教会 ・文化 ・家族 ・近隣 ・職分 ・法律 ・国家 などが含 ま れているが,本 稿では レプケ説の意 を汲 んで これ らを社会 としてお こう。 レプケが社会 を重視 したのは,競 争市場経済は単独では成 り立たず,社 会の 5 8 ) 支えが不可欠である,と いう理由による。「市場経済は,需 要 と供給,自 由価 格および競争にもとづ くことのできない,よ り高次の全体秩序へ組み込まれな 5 9 )ければならない」。もっとも競争市場経済はどのような社会とも両立 しうると
言うのではない。競争市場経済にはそれにふさわしい社会システムがある。レ
6 0 ) プケは,両 者 は補完の関係 ・相互依存 の関係 にある, と見 た。諸秩序の相互依 存 を説いたオイケンを紡彿 させ る主張である。 競争市場経済に適合 した社会 システムでは,先 に述べた社会原理が支配する。 以下,共 同体,所 有制度,国 家お よび国家 に対する対抗制度の順 に見てい くこ 5 6 ) 福田 〔6 〕を参照されたい。 57)Rbpke〔 17〕S.83, 邦司民p.64 58)Rbpke〔 17〕S.82-85, チトFttpp.63-64, 66-67 59)Rbpke〔 20〕S.2316 彦 根論叢 第 325号 とにしよう。 ①共同体 レプケが重視 したのは伝統的な家族である。家族は命をリレーし,世 代感覚 を磨 く場である。伝統的な家族ではそのようにして社会を安定させる世代意識 や連続性の観念が醸成 された告 また,伝 統的な家族は自然の中にあって隣人と 共同しつつ自家経済(手仕事,菜 園)を営み,子 弟の教育を行い,自 立 ・自存の気 6 2 ) 風 を保 っていた。 レプケはこの ような家族の再生が急務 と考えた。 レプケは伝統的な家族の人間関係 にも注 目した。兄弟関係 と親子関係である。 この ようなタテ ・ヨコニ重の関係があるか らこそ家族 には温かさと幸福感 と適 度の緊張感があると言 う。 レプケは家族のほかに地域や職分秩序なども重視 し,そ の再生にさい しては 家族 に類 した人間関係, と くにタテ関係 を実現すべ きであると説いたとつまり 健全 な階層秩序である。大衆社会のようにそれを喪失 した社会は不安定である。 健全 な階層秩序は社会のスタビライザーであるが,そ れも精神的に健康なエリー ト層があっては じめて機能する。 レプケは,エ リー トの育成 には家業 と家産が 相続 されてい く基幹家族 (Stamttamihe,農民 ・職人 ・手工業者 ・自営業などの家族)が もっ とも適 している,と 見 たと レプケが基幹家族の再生,つ まり中間層 (Mittd― stand)の復果 を強調するゆえんである。 ②所有制度 経済ヒューマニズムは私有の世界である。私有は個人の人格を物質の面から 保証するというのが レプケの私有擁護の根拠である。プロレタリアになると脱 人格化 され,尊 厳 と自由と連帯が損なわれる。それゆえ経済ヒューマニズムの 世界では全員 をブルジョア化 しなければならな僚告そのさいには独占企業や資 産家への財産の集中を防ぎ,各 人が適度の財産―一 「自分の家,自分の仕事場,自 6 1 ) 62) 63) 64) 65) Rbpke〔17〕 Ropke〔17〕 Rbpke〔17〕 R6pke〔17〕 R6pke〔19〕 S.246, チほ訳p.259 S。246-247, チ悟訳p.260 S.244-245, チ馬訳p.258 S.210-211, 茅悟訳pp.218-219 S.154
嵐 F ト ト ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 社 会 的市 場 経 済 の理論 的源流 1 7 6 6 ) 分の庭」― を保有するようにしなければならない。 機能面か ら見て も私有 は最適である。 レプケによれば私有 は各人の自己決定 と 扇仔の範囲を画定 し,他 方で国家の暴力か ら各人の生活 を守る盾の役割を演 じる。 この ことか らして私有 は競争的市場経済にもっとも適 した制度である。 ③ 国家 経済 ヒューマニズムにおける国家 は 「健康 な国家」 (gesunder Staat)である。 自由 と秩序のバ ランスをうま く取 り,社 会の安定 を維持 しうる国家である。そ の ような国家 は次の三つの要件 を満たさなければならなぼ告 第一は正当性である。道義 にかなった内的な力 を有 し,そ れゆえ国民から自 分 たちに命令 しうる正当な権利があると認め られる国家でなければならない。 第二 は協 同性である。つ ま り自由国家でなければならない。 第三は分権性である。カ トリック社会論の用語 を使 うと補完性 Gubdttattta0 である。つ ま り 「上か ら下への支援」である。社会の主人公 は人格 としての個 人であるが,そ の個人が 自力で問題 を処理 しえない場合 にのみ上部機関がそれ を支援するとい う原則である。中央政府や地方 自治体はこの原則 に従 って分権 的 に編成 されなければならない。 健康 な国家はまた強い国家でなければならない。つ ま り,利 害団体の圧力か :唇 警景供看含F無 私 の法治国家である。強い国家像 はオイケンの国家観 に通 ④ 国家 に対す る対抗制度 健康 な強い国家 といえども権力体であるか らには国民生活の安全 を脅かす可 能性 を秘めている。国家の権力濫用 を阻止するにはそれに対抗する力 を制度化 しなければならない。 レプケが重視 したのは宗教,地 方分権および中間層であ る。 66)Rbpke〔19〕S.154 67)Ropke〔20〕S.150 68)Rbpke〔17〕S.173-181, チBFttpp.173-182 69)Rauscher〔13〕茅F司民p.8 70)福田 〔6〕 を参照されたい。
18 彦 根論叢 第 325号 ( 1 ) 宗 教 経 済 ヒューマ ニズ ム にお け る対 抗 制 度 の 中心 に くるの は宗教 であ る。 「宗教 こそが究極 の拠 り所 であ り, 国 家 の専制 に対 す る対抗 力 としてそれが なければ 7 1 ) 他 のすべ ての ものが無力 になるような力である」か らである。キ リス ト教 の信 仰 , その揺 る ぎのない確信一一 国家を超えて,国家の上に普遍的な神とその愛や正義 があるという確信十一が国家 に対す る抵抗が生 まれる もっとも深い源泉である, 7 2 ) とレプケは言 う。 レプケがキリス ト教 を☆寸抗制度 として捉えるようになった背景には次のよう な時代認識があつた。 7 3 ) 市民革命以 降,脱 キ リス ト教化が進行 し,「人間の 自己神化」 (Sebstvergot― t u n g d e s M e n s c h e n ) の風潮 の中で合理主義 と実証主義 が支配 し,俗 悪 な唯物論 が横行 す る ようになった。その最 たる ものが 「凡 人崇拝」 ( K u l t u s d e s g e m d n ― e n M a n n e s ) を掲 げるマルクス派の共産主義 とナチズムであ り, 両 者 はプロ レタ リア化 ・大衆化の流れを利用 して全体主義 を築 き,専 制 をほ しいままに した。 宗教 の退場 は惨禍 を招 く。 西欧のキ リス ト教 は世俗権力 に対抗 した歴史 をもつ。中世にはカ トリック教 会が国家の上 に立つ勢力 として有効 に機能 した。中世はキ リス ト教 によって平 7 5 ) 和が保 たれた 「パ クス ・クリステ イアーナ」 (Pax ChAshana)の時代 であった。 過去の栄光 を取 り戻 さなければならない,そ うい う思いが レプケにある。 ( 1 1 ) 地方分権 経済 ヒューマニズムでは政治 システムが分権化 される。具体的には市町村, 州,中 央政府のシステムが考 えられている。 レプケはそれ とともに大都市への 人口集中は集産主義の温床 になるとい う考 えか ら地方への人口分散 を主張 した。 ( 1 1 1 ) 中間層 71)Ropke 72)R6pke 73)Ropke 74)Rbpke 75)Rbpke 〔17〕 S.224, 茅再司民p.234 〔17〕S.202-203, 茅再言尺pp.208-209 〔19〕 S.60 〔1 9 〕S . 6 5 〔1 6 〕S , 3 8 0
F
I
I
I
I
I
社会的市場経済の理論的源流 19 経 済 ヒューマ ニズ ム は中間層 を中核 とす る。 自営農民 ,手 工業者 ,職 人, 自営業 ,自 由業 な どであ る。 中間層 は国家 か らの独立 を担保 しうる財 産 を保有 し,勤 勉 や節約 の徳 を有 し,簡 素 な生活 の 中に精神 的 ・道徳 的 な伝統 を守 り続 け る層 であ る。 中間層 は健全 なデモ クラシーの担 い手 であ り,同 時 に指導的知 識 人 を育 て る母体 であ る告 レプケの言 う中間層 はいわゆる旧中間層 であ り,ホ ワイ トカラーのような新中間層ではない。レプケには新中間層の議論はない。 新中間層はプロレタリアであ り,何 も期待できないということなのであろう。 VI経 済政策 と社会政策 経済 ヒューマニズムを建設 した り,維 持 した りするには健康な強い国家によ る政策が必要である。レプケはそのような政策を経済政策と社会政策に分けて いる。筆者なりに整理 しておこう。 1.経 済政策 経済政策の目的は競争市場経済の建設 と維持である。 ①競争市場経済の建設 競争市場経済の建設 を目的 とする経済政策は独 占禁止政策である。 レプケの 考 える独 占禁止政策は,独 占を認めない一般禁止原則 に従 っていると オイケ ン やベーム と同様 の考 えである。②競争市場経済の維持
競争市場経済の維持 を目的 とす る政策は,レ ッセ ・フェール との違いを際立 たせ るために積極的経済政策 (pOddve wittschaftspdttk)と呼ばれていると これに は枠政策 (Rahmenpohttk)と市場政策 (Marktpdttk)がある。 (1)枠政策 そ の内容 は二つに分 け られている。真の公正 な競争秩序 を維持 す るためのルール (法律や規則や道徳の制度的枠)の制定 と,ル ール遵守の監視つ ま り市場警察 (Marktpdttd)であると 76)Rbpke〔17〕S.224, 77)R6pke〔17〕S.75, 78)Rbpke〔17〕S.75, 79)Rbpke〔16〕S.88, 茅田:訳p.233 邦訳p.55 邦訳p.55 365, Rbpke〔17〕S.75-76, 茅馬Fttpp.55-5620 彦 根論叢 第 325号 ( 1 1 ) 市場 政 策 こ れ は市 場 プ ロセ ス に直接 干 渉す る政策 で あ る。具体 的 には 適応 的干 渉 ( A n p a s s u n g s h t e t t e n t b n ) と整 合 的干 渉 ( k o n t t r m e l n t e t t e n d o n ) が考 え ら 8 0 ) れ て い る 。 適 応 的 干 渉 は経 済 に変 動 や撹 乱 が 生 じた さい に経 済 的 弱 者 ( 農業, 手 工業, 小工業,労 働者,使 用人など)を支援 す る政策 であ る。 整合 的干渉 は市場経 済 の機 能上 の基本 的要件 であ る 自己決定 , 個 人の創意 , 自由価 格 , 競 争 な どを損 なわ ない ように干 渉す る方式 であ る ( ちなみにレプケは 集産主義をもたらすような市場干渉を非整合的干渉( n i c h t k o n f o r m e l n t e r v e n t i o n ) と呼んだ) 。 整合 的干渉 は主 と して経 済 の安定 をめ ざす ものであ る。景気 政策がその具体例 で あ る。 レプケ は景気変動 を過乗J投資 と過少投資 の リズ ム と捉 え,そ れ をなだ 8 1 ) らかにするには景気の過熱 にブレーキをかけることが必要であるとした。具体 的施策 としては,投 資抑制,増 税,国 家支出の削減,割 引率の引 き上げ,売 り オペが考 えられている。 レプケ説は景気政策に懐疑的であったオイケン説 に比 べ るとより積極的であるが,と いってケインズ説ほど組織的ではない。む しろ レプケはケインズ説 に対 して否定的な態度 をとった。総需要管理は非整合的干 渉であ り,集 産主義 に道 を開 くとい うのがその理由であった。ケインズ説 に対 す るス タンスはオイケ ンと同様 である。 ③構造政策 以上は狭義の経済政策体系であるが, レプケはほかに構造政策 (Strukturpdト dOを 考えているそ これは競争市場経済を維持するための社会的枠組みを対象 にした政策であ り,広 義の経済政策に分類 される。 具体的には所得および財産の分配政策,経 営規模政策などが考えられている が, レプケが重視 したのは中小経営 (または中間層)の育成政策である。レプケは すべての産業で中小経営 を柱 にすべ きであると主張する。「我々はあらゆる節 度を保ったもの,そ れ自身で安定 しているもの,全 体を見通すことができ,人 間らしい能力に応 じたものを選ぶ」。大企業への労働者の集中,そ こでの疎外 80)Rbpke 〔17〕S,77-78, 茅FttRpp.57-58 81)R6pke〔17〕S.350-351, チFttRpp.398-399 82)Rbpke〔17〕S,79, チ円邑Rp.60
嵐 ピ ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 社会的市場経済の理論的源流 21 や プ ロ レタ リア化 を解消 し,健 全 で安定 的 な生活 を保証す るため には,そ して 競 争市場経済 を担 うにふ さわ しい 「曲が った こ との嫌 い な,直 情径行 の勇気 を もち, しか も責任 を自覚 した人 々」 を養成 す るため には,自 営農,手 工業,自 由業 ,中 小 企業 な どが最適 であ る と考 え られてい る。 2.社 会政策 85評争市場経 済 は競 争 の世界 であ るが,そ れ を社会 に持 ち込 むわけにはいか な い。社 会学 的 ・道徳 的 に見 る と競争 は危険であ り,社 会の解体 を もた らすか ら で あ る。社 会 の安定 は連帯原理 に よって図 らねばな らない。社会が安定 して こ そ市場 での競争 が可能 となる。 この ように 「経済 は競争,社 会 は安定」 とい う のが レプケの基本 の考 えである。 レプケがめ ざ したの はブル ジ ョア社会 である告 プロ レタリア大衆社会の彼岸 にあ る安定 した有 産者 の社 会 であ る。 この ような社会の建設 をめ ざ した政策が 社 会 政 策 にほか な らない。具体 的 には脱 プ ロ レタ リア化 (Entprdeta占dettnか。 脱 大 衆化 (Entmassung)を目的 とす る財 産形成 政策 と人 口分散 政策が提 案 されて い る。
①財産形成政策
これはスローガン風に言えば 「プロレタリアに財産を」の政策である。具体
的には工場労働者やサラリーマンに庭地や畑地付きの自己所有住宅を与える政
策 であ る。 この こ とに よって一方 で家族 の絆 の復 活 が図 られ,他 方で庭 園や菜 園や畑 地 にお ける食料 の 自給 と,自 然 との触 れ合 い によって家族 の物心両面 で の安定が確保 され る と考 え られている告 プロ レタリア化の克服 は 「プロレタリアのブルジ ョア化で」,と い うのが レ プケの処方箋である。 この点 に関 してレプケは社会主義者 を厳 しく批判 した。 社会主義者は固有化 をめ ざ したが, そ れはプロレタリア化 を克服するどころか 83)Ropke〔17〕 84)R6pke〔17〕 85)Rbpke〔16〕 86)Rbpke〔20〕 87)R6pke〔17〕 S.79, チ馬邑民p.60 S.331, チFttp.372 S.292 S.155 S.279-284, チ円高民pp.302-30922 彦 根論叢 第 325号 む しろ徹 底 して しまったと 国有化 はいわば全員 をプロ レタリアに して しまう愚 か な試 みであ る,と 。的 を射 た批判 と言 わねばな らない。 ②人口分散政策 これは財産形成政策 と表裏を成す政策である。経済の集中化によつて大都市 に集積 した人口を農村地帯に分散 し,脱 大衆化,脱プロレタリア化 を図ろうと するものである。農村地帯に多 くの小規模都市 (人口5-6万 以下)を作 り,そ こ で庭地や畑地付 きの自己所有住宅 と中小企業群を中核 とした町づ くりを行い, 大都市の人口を吸収する。このことによって自然の中で家族 ・近隣を中心にし た生活が実現 し,他 方で中小企業における職人的な仕事 と従業員の経営参加に 8 9 ) よって自己実現 という労働本来の意味が回復 される一 これが レプケの描いた シナリオである。 ③社会保障 レプケは所得移転 による社会保障に対 してネガテ イブな態度 をとった。社会 保障は大衆福祉 国家ヤMassenwohrahrtsstaaOに道 を開 くというのがその理由であっ た。つ ま り,国 家の扶助 ・給付 ・保障政策は国民の税負担や国家の財政負担 を 重 くし,社 会官僚 (So夕aburOkrat絶)を強大 に し,そ して何 よ りもプロ レタリア 化 ・大衆化 を助長す る,と 言 うのであると もっともレプケは社会保障 を完全 に 否定 したのではない。個 人の 自助お よび自己責任 と両立す る ものであれば構 わ 9 2 ) ない と考 えている。オイケ ンと同様 の立場である。 V I l おわ り に レプケの脳裡 にあった風景は古 き良 き時代の農村である。 自然,教 会,近 隣, 家族 とい う環境 の中で額 に汗 して働 く質朴 な農民 と黙 して手 を動かす実直な職 人,か れ らの骨太い天職意識 と道徳心 と正義感そ して信仰心,そ うい うものヘ 88) 89) 90) 9 1 ) 9 2 ) Rbpke〔17〕 Ropke〔16〕 Rbpke〔21〕 R6pke〔17〕 R6pke〔17〕 S.253, 266-267, チほ司Rpp.269, 286-288 S.351-354, R6pke〔17〕S,284-291, 茅卜司Rpp.309-319 S 。6 0 S.256, 263-264, 265, 377, 茅円司Rpp.274, 283, 285, 434 S.261, チ再訳p.280
日 F ト ー ー ー ー ー ー ー ー ー 社会的市場経済の理論的源流 23 の愛惜 が,た だ し前 向 きの愛惜 が,経 済 ヒューマニズムの背景 にある。 レプケは ヨー ロ ッパ近代 を生 み出 した市民革命 に対 してネガテ ィブな態度 を 9 3 ) とった。市民革命 は古 き良 き伝統 を破壊 し,プ ロレタリア大衆社会 と集産主義 と全体主義 を生み出 したではないか と言 うのである。健康 な文明は革命 という 名の破壊か らではな く,健 全 な良 き伝統か ら生 まれる。 経済 ヒューマニズムはヨーロッパの良 き伝統である宗教的 ・農民的 ・職人的 カルチ ャーの再生 によって暴走 を重ねて きた市場経済を囲い込み,そ のことに よつて 「人間の国」 を築 │う とするものである。社会か ら解放 された経済 をも う一度健康 な社会 によって囲い込む,こ れが レプケの意図 したところであった。 この ような囲い込みの発想 はレプケの同時代人であった宗教社会主義者ハ イ マ ン(E.Hdmann,1889-1967)にも見 られる。ハ イマ ンは資本主義 と共産主義 を超 える第 3の 道 として 「統合社会 システム」 命dl―gerundetes Gesenschaftssystem)を 構想 したが,こ れ も社会 による経済の囲い込みを意図 した ものであった。 さら に ミュラーアルマ ックも同様の意図をもって社会的市場経済を設計 した。全体 主義の猛威 を身をもって体験 した世代が同様の発想 をした とい うのは興味深い 現象である。 もちろんオイケ ンにも囲い込みの発想があるが,か れの場合 には ルールによる市場経済の囲い込みが主張 されるに留 まっている。 ここで紙数が尽 きた。 レプケ説の仔細 な検討は次稿 に委ねたい。 93)Ropke〔 16〕S.74-76
24 彦 根論叢 第 325号
引用文献および参照文献
〔1〕 Bernh01z,P., Freedom and Constitutional Economic Order,in,Zθ ぢけscん解ヵ ″ιγ
αづθ θθsa竹冴θSけaaけs彼ブづssθttsCんQ力, Bd,135, 1979,pp.510-532.
〔2〕 Bress, L.G.,ヽValter Eucken und die WIarktrnorphologie, in Schneider,」 ., et al.
(Hrsg。), ル7.づγけscんaルsογ冴%物化9 切物冴 予γあγttcんaルSpοιケιぢん ぢ%Dθ 切けscんιattα`ゴめ33-F993),
Stuttgart, 1996, S。251-282.
〔3〕 Cassel, D., S.Rauhut, Soziale A/1arktwirtschaft, in Cassel, D。 (Hrsg.),σθ 」aんγθ
Soβぢaιθ財働γん挽〃づγけscん研 , Stuttgart, 1998, S。3-31.
〔4 〕 福 田敏浩 「新 自由主義 と社会的市場経済」, 『 彦根論叢」, 第 2 8 5 ・2 8 6 号, 1 9 9 3 年, p p , 265-280, 〔5〕 福 田敏浩 「社会的市場経済の原像― ドイツ経済政策の思想的源流―」, F彦 根論叢』, 第320号 ,1999年 ,pp,122. 〔6〕 福 田敏浩 「社 会的市場経済の秩序像― オイケ ンとミュラーアルマ ックー」, F滋 賀大 学経済学部研 究年報』,第 6巻 ,1999年 ,pp.1-21.
〔7〕 Gutrllann,G.,Ideengeschichtlicheヽ Vurzen der Konzeption der Sozialen MIarkt wirtschaft,in Cassel,D。(Hrsg。),5θ」働んγθ Sο″づaιθ虹毬γんじ切づγけscんa々,Stuttgart, 1998, S.49-65.
〔8〕 Haselbach,D.,A切 けο克けあ竹γLあbθγaι体物物s物物冴SOβぢaιθ夕啄a,晩け切づ死scん研 ,Baden―Bad― en, 1991.
〔9 〕 H a y e k , F . A , v . , e t a l . , W i l h e l m R b p k e 一E i n l e i t e n d e B e m e r k u n g e n z u r N e u a u s g a b e seinerヽVerke, in Rbpke,W.,Dぢ θ Lθんγθ υοtt αθγ I夕Zγなcんの力, 12.Aufl., Bern, 1979.
〔10〕Helmstadter,E.,Pθ /spθ施づυθ物 冴θγ SO″ぢaιθ物 虹執γんけ物ぢ句scん研 ,Munchen,1996. 〔1 1 〕河合俊三 「レプケの追想」, 西 村光夫訳, W . レ プケ 『自由社会の経済学』, 日 本経済
評子訴街在と, 1974至F, pp.301-310.
〔12〕Oberender, P., Der Einfluss ordnungspolitischer PrinzipienヽValter Euckens auf die deutsche Wirtschaftspolitik nach dem Z、veiten Weltkrieg, in OF軌90, Bd.40, 1989, S.323-350.
〔13〕Rュuscher,A.,Xユrchliche Soziallehre,in工れ例 切0句θ7tb冴ん 勉γ材昭″可sctts切 施 9循Cんて力, B d . 7 , 1 9 7 7 , S . 4 1 - 5 1 , 桜井健吾訳 「キ リス ト教社会論」, 『 社会 と倫理』, 第 8 号 , 南 山 大学社 会倫理研究所, 2 0 0 0 年, p p . 1 - 1 5 .
〔14〕 Reuter,H.―G.,Genese der Konzeption der Sozialen MIarktwirtschaft,in,Cassel, D。(Hrsg。),あθ」働ん侠ヮSο″づaJθソИaγ乃け切ケγιscん句化 Stuttgart, 1998,S.67-95.
陣
ト
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
ー
社 会 的市 場 経 済 の理 論 的源流 2 5 社 会 の経 済 学 』 , 日本 経 済評 論 社 , 1 9 7 4 年 ( 英語版 の翻訳 ) .〔16〕 R6pke,W.,Dづ θ θθsθιιscんりけsん克SガS αθγ θ。9θ%切aγけ,6.Aun.,Bern,1979.
〔1 7 〕R o p k e , W . , C づυケa s ん 切物a 物% 4 . A u n . , B e r n , 1 9 7 9 , 喜 多村 浩訳 『ヒューマ ニ ズ ムの
経 済 学 』 , 勁 草書房 , 1 9 5 2 年.
〔18〕 R6pke,W.,r物 けθttaけあοttaιθ O句 物物竹9-んθttιθ,3.Aufl.,Bern, 1979.
〔19〕Rbpke,W.,Mass切 物α〃づけけθ,2.Aun.,Bern,1979.
〔20〕 Ropke,W.,」 θttsθづな υO竹 ム竹θθbοけ物物α ハiacん//agθ,5.Aufl.,Bern,1979.
〔21〕 R6pke,W.,Kernfrage der Wirtschaftsordnung,in ORDQ Bd.45,1994,S,2764.
〔22〕Schlecht,0。,Das BundesIIlinistritlm ttr Wirtschaft und die deutsche Ordnungspolitik der Nachkriegszeit, in OF勅9Q Bd.48, 1997, S,99-117.
〔23〕 Scttllz,■ ,Sozi】 istische Wttschaft versus MarkMirtschaft,in陀 佑 挽 げ 廟 燃 影 暦 Cり ,
」g.38, 1990, S.998-1011.
〔24〕 Schmidchen,D.,Gerrnan “ Ordnungspolitik" as lnstitutional Choice,in Zθづけscんヽも yttγ αづθ θθsa竹みけθSけaaけs切,ssθttscん碗 Bd。140, 1984, pp.54-70.
〔25〕Starbatty,」.,Soziale Marktwirtschaft als Forschungsgegenstand,in Ludwig―Erhard一 StiftunglHrsg.),Sοβウaιθフ%aγんけ切づ7材scんりをaιSんづSけοttscんθフレ珍づcんクosけθけれル竹a DusseldOrf, 1996, S.63-98.
〔26〕Watrin,c.,The Principles of the Social Market Economy,in,Zθ ぢιscんγ切 抑 γαをθ θθsa物けθSけaa徳切体sθ%scんQa V01.135,1979,pp.405-425.
〔27〕Wiseman,J,,Social Policy and the Social Market Economy,in Peacock,A.,et al. (eds.),Cθ仰物αtt Neο―五ウbθγaιθs attαけんθ Sθcウaι ttQγんθけどcο%θ物7, London, 1989,pp. 161-172.
〔28〕Wunsche,H.F.,Erhards Soziale MIarktwirtschaft,in Ludwig― Erhard―Stiftung(Hrsg.), Sοzあaιθ虹はγんけ切づγけscんa/j aιsん づSけοttscんθ 予'そうcんθ%sけθ冴切亀9)Dtisseldorf, 1996, S.131-169.