【投 稿 論 ⽂】 ロシア・東欧研究 第49号 2020年 106
ソ連国籍はロシアに承継されるのか
――90 年代後半のロシアにおける国籍をめぐる議論と,その影響
―― ⻑ 島 徹 (北海道⼤学⽂学院博⼠後期課程/外務省)Is Russian citizenship a successor to the Soviet one?
Debates over Russian citizenship in the late 1990s
and their impact on current policy -
NAGASHIMA, Toru
Doctoral Student, Graduate School of Humanities and Human Sciences, Hokkaido University/ Ministry of Foreign Affairs of Japan
は じ め に 1991 年末,ソ連邦が消滅し,かつてソ連邦を構成していた共和国は独⽴国家としての 歩みを始めた。地理的には,ソ連の構成共和国がそのまま独⽴国家となったため,ソ連時 代の国内の境界線が,新たな国境として世界地図に現れた。その⼀⽅でソ連邦の消滅は, 国家の消滅だけでなく,「ソ連国⺠」の消失をも意味した。新たに誕⽣した国々にとって, かつて「ソ連国⺠」だった⼈々のうち,誰を⾃国⺠とするのか,すなわち⼈的な境界線を どこに引くのか,という問題が浮上した。中でも,ロシア連邦にとっては,ロシア以外の 旧ソ連諸国に居住していた約 2500 万⼈のロシア系住⺠をどう処遇するのか,という問題 が,政治的に重要な論点となった。 1991 年 11 ⽉に採択され,翌 92 年 2 ⽉に施⾏されたロシア連邦最初の国籍法は,まずロ シア連邦の領⼟内に恒常的に居住するすべての旧ソ連国⺠を,⾃動的にロシア国⺠として 「認定(признание)」した。すなわちこれらの⼈々は,役所に出向いて国籍取得の⼿続き を⾏わずとも,新国籍法施⾏の時点ですでにロシア国⺠であるとみなされた、、、、、。⼀⽅で,同 国籍法は,ロシア国外、に住む旧ソ連国籍者に対しても,ロシア国籍を簡単に取得できる道 を⽤意した。すなわち,旧ソ連国⺠で,他の共和国の国籍を取得しなかった者は,特別な 要件を満たさなくとも,「登録(регистрация)」という⼿続きを踏むことで,ロシア国籍 を取得できるものと規定された。これらの⼈々は,ロシア国内の居住者とは異なり⾃動的 にロシア国⺠とみなされるわけではなかったが,通常外国⼈がロシア国籍を取得する際に 課される様々な条件はすべて免除され,ロシア国籍を取得できることとなった。また「登 録」⼿続きは,ロシア国外に居住したままでも,居住国のロシア⼤使館や領事館で⾏うこ とができたため,国外でのロシア国籍取得が進んだ。 こうした「登録」制度による積極的な国籍付与政策は,ロシア政府による⼆重国籍の推
進政策と並んで,90 年代のロシアの国籍政策の特徴と考えられ,多くの分析が⾏われて きた。これらの政策は,国内的には,在外ロシア系住⺠に対して保護を与えるべきだとい う政治的要請の産物であり,対外的には,ロシアによる他の旧ソ連諸国への介⼊主義の表 れと捉えられた(1)。また,旧ソ連崩壊後まもない時期のロシアにおいて,ソ連とロシアを 同⼀視する考えが根強く残っていたことも,ロシア国外に住む旧ソ連国⺠に対し寛容な国 籍取得の道を⽤意した理由の⼀つであると考えられている(2)。 その後,2000 年代に⼊るとロシアは国籍政策を転換し,2002 年に制定された現国籍法 では「登録」制度は採⽤されなかった。国外に住む旧ソ連国⺠に対して広く国籍取得の道 を⽤意するという政策は原則として放棄された。しかしながら,「誰をロシア国⺠とする のか」という問いの答えは,現在に⾄るまで必ずしも⾃明ではなく,そのことが旧ソ連諸 国の国家関係にも影響を与えてきた。よく知られているように,南オセチア等の⾮承認国 家において住⺠によるロシア国籍の取得が進み,2008 年の南オセチア紛争の際にロシア による軍事介⼊の根拠の⼀つとされた(3)。2014 年のクリミア「併合」後には速やかに住⺠ へロシア国籍の付与が⾏われ(4),2019 年にはウクライナ東部の住⺠へのロシア国籍の付与 が開始された(5)。ロシアにおける「国⺠の境界」をめぐる問題は,ソ連崩壊から 30 年を 経た現在でも重要性を失っていない。 本論⽂は,ロシアにおいて「国⺠の境界」がどのように捉えられてきたかを理解する⼀ 助として,90 年代後半に活発化し現国籍法にも影響を与えたと考えられる,ソ連からロ シアへの国家承継と国籍の関係をめぐる議論の分析を⾏う。上述のように 91 年国籍法は, 国外に住む旧ソ連国⺠に対して「登録」による国籍取得制度を⽤意していたが,90 年代 後半には,そもそもロシアはソ連の承継国なのだから,旧ソ連国籍者は,⾃発的にロシア 以外の国籍を取得しない限り,⾃動的にロシア国⺠と「認定」されるべきなのだという, よりラディカルな主張が,国家院を中⼼に展開された。すなわち,91 年国籍法における 「登録」による国籍取得が,ロシア国外に居住する旧ソ連国⺠に対してロシアという政治 共同体に後から加⼊する近道、、、、、、、、、を提供するものであったのに対し,この主張は,ソ連国籍か ら現ロシア国籍への継承性を認めることで,旧ソ連国⺠を現ロシア連邦の所与の構成員と、、、、、、、 して認めるべきだ、、、、、、、、との主張であった。この主張は,⼤統領府や政府によって反対され,国 籍法に直接盛り込まれることはなかったが,90 年代後半の議会においては⼀定の⽀持を 得て,99 年のいわゆる「同胞法」にはその考え⽅を反映した条⽂が盛り込まれた。2002 年の新国籍法成⽴により,「同胞法」の当該条⽂は失効したものの,その思想は新国籍法 にも⼀部反映され,2000 年代以降のロシアの国籍政策にも⼀定の影響を残したものと考
(1) 国内政治と対在外ロシア系住⺠政策・国籍政策の関係については Edemsky and Kolstoe 1995, Melvin1999,⼆重国籍推進政策については,Gingsburgs 1998, 170-176,Zevelev 2001, 132-142,岩下 1999, 241-243,同 2004, 197-201 に詳しい。その他,国籍政策全般の研究として,岡 2004,塩川 2007,Shevel 2012,Чудиновских 2014,Traunmuller and Agarin 2015 等がある。
(2) Shevel 2012, 120-124 (3) 2008 年 8 ⽉ 8 ⽇のメドヴェージェフ⼤統領による声明。http://kremlin.ru/events/president/news/1043 (4) Федеральный конституционный закон от 21 марта 2014 года N 6-ФКЗ "О принятии в Российскую Федерацию Республики Крым и образовании в составе Российской Федерации новых субъектов - Республики Крым и города федерального значения Севастополя" (5) Указ об определении в гуманитарных целях категорий лиц, имеющих право обратиться с заявлениями о приёме в гражданство России в упрощённом порядке от 24 апреля, 2019 года.
えられる。
90 年代のロシアの国籍政策に関するこれまでの研究の多くは,「登録」制度や⼆重国籍 推進政策の分析に焦点を当てており,国籍の継承性に関する議論はあまり分析されてこな かった。数少ない研究の例として Shevel(2012, 124-127)があるが,上記主張が「同胞法」 に反映されることになった経緯や,2002 年国籍法に与えた影響については分析されてい ない。また「同胞法」との関係は,Traunmuller and Agarin(2015, 50-51)によって触れら れているが,「同胞法」に本主張が盛り込まれることになった経緯やその際の議論が⼗分 に分析されているとは⾔えない。 本論⽂は,90 年代後半の国家院において,ソ連からロシアへの国家承継を根拠に旧ソ 連国⺠をロシア国⺠と「認定」すべきだという議論がどのように展開されたのか,⼤統領 府や政府はそれにどのように反論したのか,その主張は「同胞法」にどのように反映され, 2002 年の新国籍法にどのような影響を与えたのかを,主として国家院の議事録を⼀次資 料として⽤い,分析していく。それにより,政府の政策として直接的には取り⼊れられな かったこの主張が,ロシアの国籍政策をめぐる議論の中で果たした役割,そして現在に⾄ るまで与えている影響について考えることとしたい。 1.1991 年国籍法における国籍取得制度 ロシア連邦最初の国籍法は,ソ連邦において各共和国の独⽴への動きが加速していた 1991 年 11 ⽉ 28 ⽇にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の最⾼会議によって採択され, ソ連崩壊後の 1992 年 2 ⽉ 6 ⽇に施⾏された(6)。同国籍法第 12 条によれば,ロシア国籍取 得の主な⽅法は,「認定(признание)」「出⽣」「登録(регистрация)」「国籍取得許可(прием в гражданство)」「国籍回復」「領⼟の国家帰属変更等の際の国籍選択」とされた。 同国籍法施⾏の時点で誰がロシア連邦の国⺠であるのかという基準は,上記のうち「認 定」の対象となる⼈の基準によって⽰された。国籍法第 13 条は以下のように規定する。 1.本法律の施⾏⽇にロシア連邦(7)の領内に恒常的に居住しているすべての旧ソ連国⺠ は,その⽇から 1 年以内にロシア国籍を保持したくないとの意思を⽰さない限り, ロシア連邦の国⺠と認定される(признаются)。 2.1922 年 12 ⽉ 30 ⽇以降に⽣まれ旧ソ連国籍を喪失した⼈は,ロシア連邦内に⽣まれ たか,あるいは出⽣時に両親のうちの⼀⼈でもソ連国⺠でありロシア連邦内に恒常 的に居住していた場合には,出⽣によりロシア連邦国籍であったとみなされる (считаются состоявшими в гражданстве Российской Федерации по рождению)。この (6) Закон РСФСР от 28 ноября 1991 года No1948-1 «О гражданстве РСФСР», “В России никого не будет лишать гражданства”, Известия, 28 ноября, 1991 г. стр. 2 , “Закон Российской Советсктой Федеративной Социалистической Республики”, Российская Газета, 6 Февраля, 1992 г. стр.1,3. 同国籍法は,現在の国 籍法が施⾏される前⽇の 2002 年 6 ⽉ 30 ⽇まで有効であった。 (7) 1992 年 2 ⽉の施⾏時点では,「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」の名称がそのまま使われてい た。93 年 6 ⽉ 17 ⽇の改正により,国籍法⽂中の「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」という単 語がすべて「ロシア連邦」に置き換えられた。ここでは便宜上,93 年の改正後の表記で記載してい る。
場合,ロシア連邦の領⼟とは,出⽣⽇におけるロシア連邦の領⼟を指す。 ただし,上記の第 2 項は,出⽣時にロシア国⺠であったことを⽰すものであり,そのこ とは現時点でロシア国籍を保有しているとみなされることを意味しないと解釈された。そ のため,1992 年 2 ⽉ 6 ⽇時点でロシア国⺠とみなされたのは,第 13 条 1 項によって⽰さ れた⼈々,すなわち「ロシア連邦の領内に恒常的に居住しているすべての旧ソ連国⺠」と いうことになった(8)。「認定」の対象となる⼈々は,国籍取得の意思表⽰や⼿続きを⼀切 ⾏う必要はなく,ロシア国⺠であることの証明書及びパスポートが導⼊されるまでは,さ しあたり,ロシア領内の居住地で発⾏された旧ソ連パスポートによってロシア国籍を保有 していることが証明されるものとされた(9)。 ⼀⽅,ロシア領内に居住しない旧ソ連国⺠については,⼀般に外国⼈がロシア国籍を取 得する際に課される要件を免除した,特別な国籍取得の道が⽤意された。それが「登録」 による国籍取得である。「登録」による国籍取得の対象となる⼈について,国籍法第 18 条 は 6 つのカテゴリーを掲げているが,ここでは本論⽂の⽂脈上重要な,г 号のみを紹介す る。 г)旧ソ連を構成していた国家の領⼟に居住する旧ソ連国⺠及び 1992 年 2 ⽉ 6 ⽇以降に ロシア連邦に居住するため到着した旧ソ連国⺠が,本法律の施⾏から 3 年以内にロシア連 邦国籍取得の意思を表明した場合(10)。 「登録」による国籍取得申請はロシア国内の内務省の機関の他,⼤使館や領事館でも⾏ うことができたため,90 年代には,この制度を利⽤してロシア国外でのロシア国籍取得 が進んだ。同制度により,91 年の国籍法の下でロシア政府は,旧ソ連国⺠に対し広く国 籍取得の⾨⼾を開いた寛容な国籍政策を取ってきたと考えられている(11)。 その⼀⽅で,「認定」と「登録」の間には,実際にロシア国籍を取得しようとする個⼈ の側から⾒ると⼤きな隔たりがあった点も指摘しておく必要がある。すでに述べたように 「認定」の対象になる⼈々は,当⾯の間,旧ソ連パスポートを引き続き使⽤し,それをも ってロシア国⺠であることが証明されることとなったが,「登録」の対象となる⼈々は, ⼤使館等に申請し,国籍取得を認められてはじめて,ロシア国⺠となることができた。ソ 連崩壊後の混乱と財政上の制約により,⼤使館や領事館の整備には時間がかかった上,領 事部⾨の⼈員不⾜により,実際の国籍取得⼿続きは円滑に進まないことも多かった。また, (8) たとえば「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」内に⽣まれ,その後ウクライナに移住して,1992 年 2 ⽉ 6 ⽇時点でウクライナ領内に住んでいた⼈は,出⽣の時点においてはロシア国⺠であったとみ なされるが,現在はロシア国⺠として認定されないことになる。 “Вопрос-Ответ, Являюсь ли я гражданином России? ”, Российская Газета, 22 января 1994 года, стр.7. における露外務省領事局の説明を参照。 (9) Положение о порядке рассмотрения вопросов гражданства Российской Федерации от 10 апраля 1992 г. Ⅱ, 2. (10) 同条項は 1993 年 6 ⽉ 17 ⽇の法改正で⽂⾔が修正されており,上記引⽤は修正後のもの。「登録」に よる国籍取得申請の期限は当初,国籍法施⾏から 3 年以内とされたが,95 年 2 ⽉ 6 ⽇の法改正によ り 2000 年末まで延⻑された。 (11) Чудиновских 2014,Shevel 2012 等
申請⼿数料も負担となった(12)。そのため「登録」制度は,理論上は旧ソ連国⺠に対し特別 な要件を課さずにロシア国籍取得の道を開く制度であったが,必ずしも全ての旧ソ連国⺠ にとってスムーズに利⽤できるものではなかった。 2.バブーリン国家院副議長による国籍法改正案(1996 年 2 月) このような状況の中,「登録」の⼿続きを経ずして,より多くの⼈々をロシア国⺠と「認 定」すべきだとの主張が⽣まれた。その根拠とされたのは,国際関係においてロシアがソ 連の承継国とされているという事実であり,ソ連からロシアへは法的に連続性があるのだ から,旧ソ連国⺠は,⾃分からロシア以外の国籍を取得したり,ロシア国籍取得を拒んだ りしない限りにおいて,⾃動的にロシア国⺠になったとみなされるべきだ,という考え⽅ であった。 このような主張を反映した国籍法改正案を最初に提起したのは,バブーリン(С. Н. Бабурин) 国家院副議⻑である。1996 年 2 ⽉ 13 ⽇,バブーリン副議⻑は,以下の内容を 含む国籍法改正案を国家院に提出した(13)。 (国籍法)第 2 条(14)に,以下の内容の第 3 項を追加する。 すべての旧ソ連国⺠は, 1)ロシア連邦国籍の停⽌の⾃由意志を⽰しておらず, 2)他国の国籍を取得していない場合には, ロシア連邦の国⺠である(является)。 バブーリン副議⻑の提案は,「認定」制度を規定した第 13 条ではなく,より根本的に, ロシア国籍の定義を規定した第 2 条に変更を加えようとするものであった。バブーリン案 はまず,旧ソ連国⺠はロシア国⺠なのである,という原則から出発し,その中から,「ロ シア国籍停⽌の⾃由意思を⽰した者」と「他国の国籍を取得した者」は除かれる,という (12) “Миллионы соотечественников хотят стать гражданами России но пока им это неудается”, Российская Газета, 22 июня 1992 года, стр.2., Ginsburg, 1998, 159, 182. (13) Законопроект «О внесении изменений и дополнений в преамбулу и статьи 2, 12, 13 и 18 Закона Российской Федерации «О гражданстве Российской Федерации»» なお,この後論じるように,本法案は,1996 年 6 ⽉ 13 ⽇に開催された第⼀読会に⾄るまでに内容が 変更されているが,国家院 HP の当該法案のページ(https://sozd.duma.gov.ru/bill/96003602-2)には,2 ⽉ 13 ⽇に提出された法案として,変更後の第⼀読会で議論されたバージョンが掲載されており,提 出当初の法案の⽂⾯は残されていない。しかし,2 ⽉ 13 ⽇の提出から 6 ⽉ 13 ⽇までの間に法案の内 容が変更されたことは,第⼀読会においてバブーリン⾃⾝が詳しく説明していることからも明らかで あり,ここでは,第⼀読会におけるバブーリンの説明及びバブーリンの著作における記述に基づき, 提出当時の国籍法案の内容を記述した。(Стенограмма заседаний Государственной Думы, 13 июня 1996 года, Бабурин 1996b) (14) 第 2 条の内容は以下のとおり。 第 2 条 ロシア連邦国籍及びロシア連邦構成共和国国籍 1.本法律に基づきロシア連邦国籍を取得した者は,ロシア連邦国⺠である。ロシア連邦国籍は その取得の根拠に関わらず,等価(равный)である。 2.ロシア連邦構成共和国の領内に恒常的に居住するロシア国⺠は,同時に同共和国の国⺠であ る。
発想に⽴っている。 この改正案において新たにロシア国⺠として「認定」されるべき対象としてバブーリン の念頭にあったのは,ロシア以外の旧ソ連諸国に住むロシア系住⺠であり,特にバルト諸 国やクリミアの⼈々だった。よく知られているように,エストニアとラトビアは,住⺠に 対する国籍付与にあたりいわゆる「ゼロ・オプション」政策を取らず,国籍取得に⾔語能 ⼒等の要件を課したため,多くのロシア系住⺠が無国籍となる状況が⽣じていた(15)。バブ ーリンは,「バルト三国の⾏動によって,何がロシアの領⼟なのか,現在のロシアが⾃分 の意志によらずその国境の外に住むこととなった国⺠,同胞達に対してどのように⾏動す べきか,どのように国籍制度が構築されるべきなのか,という点が,重要な問題として浮 上した」と指摘し,現⾏の「登録」による国籍取得制度は満⾜のゆく制度ではなく,それ ゆえに多くの無国籍者を⽣んでしまっていると主張した(16)。またクリミアの⼈々について も,1954 年に「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」から「ウクライナ・ソビエト社 会主義共和国」に移管された際に,住⺠がロシア国籍からウクライナ国籍に変更されたと いう法的根拠はなく,したがってソ連崩壊後にウクライナ国籍が⾃動的に付与されたとい う法的根拠もないので,クリミア住⺠はロシア国⺠なのであるとの主張を展開した(17)。 バブーリンはたびたび「ロシアはソ連の法的承継国である」ということを強調した。そ の著作においては,本来あるべきロシア国家は,現在の国境によって規定されているロシ ア連邦よりも⼤きなものであり,それを体現した形の⼀つがソ連邦であったという思想が 展開されている。国籍法改正案も,そのような思想を元に⽣まれたものであった。 ⼀⽅で,この改正案は,単に思想的動機によるものではなく,極めて政治的な狙いを持 って出されたものという⾯もあった。バブーリンが国籍法改正案を提出した 1996 年 2 ⽉ は,1995 年 12 ⽉の国家院選挙と 1996 年 6 ⽉の⼤統領選挙の間の時期にあった。1995 年 の国家院選挙では,共産党が全議席の約 3 分の 1 を獲得して躍進したほか,ジリノフスキ ーの⾃由⺠主党,「ロシア⼈共同体会議」等のナショナリズムを標榜する政党が議席を獲 得し,左派とナショナリストが合わせて過半数を占める体制が成⽴した。バブーリン率い る「ロシア全⼈⺠同盟」は選挙期間中に左派グループ「権⼒を国⺠に!」と合流し,「権 ⼒を国⺠に!」は 9 議席を獲得している(18)。 このような中バブーリンは,上記国籍法改正案を,「1991 年 3 ⽉ 17 ⽇ソ連国⺠投票結 果の法的効⼒確認決定案(проект постановления Госдумы «О подтверждении юридической силы результатов референдума СССР от 17 марта 1991г. »)」と共に提出した(19)。ここでい (15) バルト諸国におけるロシア系住⺠に対する国籍付与の問題については多くの研究があるが,たとえば ⼩森 2018 を参照。 (16) Бабурин 1996b (17) Бабурин 1996a なお,ソ連時代にはソ連国籍以外に,各構成共和国の国籍も制度として存在してい た。ただし,共和国国籍は,住居登録をしている共和国の国籍が⾃動的に付与されるというもので, 形式的なものに過ぎなかった。 (18) 1995 年 12 ⽉国家院選挙の経緯と結果については,White, Wyman&Oates 1997 が詳しい。 (19) “По инициативе на рассмотрение Совета Думы направлены проекты федерального закона и проект постановления Госдумы”, Агентство Национальная служба новостей, 20 февраля, 1996 года. 本決定案 は,1996 年 3 ⽉ 15 ⽇に,国家院議⻑名で「ソ連邦維持に関する 1991 年 3 ⽉ 17 ⽇のソ連邦国⺠投票 結果のロシア連邦−ロシアにとっての法的効⼒に関する決定(Постановление от 15 марта 1996 года N 157-Ⅱ ГД «О юридической силы для Российской Федерации- России результатов референдума СССР 17 марта 1991 года по вопросу о сохранении Союза ССР»)」として発出された。
う国⺠投票とは,旧ソ連末期に実施された連邦制維持の賛否を問う国⺠投票であり,当時 のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国においても投票者の約 71%が連邦制維持に賛成 票を投じた。バブーリンは,ロシアにおいては,本国⺠投票は法的に依然有効であり,の ちにエリツィンらが CIS 創設を宣⾔しソ連邦を崩壊させたいわゆる「ベロヴェーシ合意」 は違法であると主張した。バブーリンが,同決議案と国籍法改正案を,連関した政策と考 えていたことは,両案の⽂⾯を合わせて記者会⾒で記者に配布し,意図を説明しているこ とからも明らかである(20)。 バブーリンは,記者会⾒の中で,「ベロヴェーシ合意」の破棄はこれまで何度も共産党 が訴えてきたことであったと⾔及した上で,「本議会における国家主義・愛国主義勢⼒の 安定多数が,この問題が今や別の形で決着していくだろうことを保障している」と述べ た(21)。バブーリンとしては,共産党とナショナリスト政党が安定多数を確保した国家院に おいて,旧ソ連諸国の⼀体性を取り戻す決議案や法案を提起することで,旧ソ連崩壊を残 念に思う有権者の⽀持を広げるとともに,1996 年 6 ⽉の⼤統領選に向けて,共産党との関 係でも,⾃分達の存在感をアピールする狙いがあったと⾔えるであろう(22)。 3.憲法裁判所による国籍法 18 条г号違憲判決(1996年 5 月) バブーリンの主張は,ソ連国籍と現ロシア国籍の連続性を主張し,ロシア国⺠の基礎構 成員を拡⼤しようとする試みであった。これに対し,1996 年 5 ⽉,ロシア憲法裁判所が, ソ連時代の「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」国籍(23)と現ロシア国籍の連続性を⼀ 部に認め,ロシア国籍法における「認定」の対象の範囲をわずかに広げる判決を出した。 問題となったのは,ロシア国⺠と「認定」される対象を規定した,国籍法第 13 条 2 項 の解釈である。すでに紹介したように国籍法第 13 条は,まず 1 項で,法律の施⾏⽇(1992 年 2 ⽉ 6 ⽇)時点で恒常的にロシア国内に居住しているすべての旧ソ連国籍者をロシア国 ⺠と「認定」するとともに,2 項において,1922 年 12 ⽉ 30 ⽇以降にロシア連邦内に⽣ま れた⼈等を「出⽣によりロシア連邦国籍であった、、、、とみなされる(считаются состоявшими в гражданстве Российской Федерации по рождению)」と規定していた。この 2 項について, ロシア政府は,出⽣時にロシア国籍であった、、、、とみなされるというだけであって,その後も Проект постановления «О подтверждении юридической силы результатов референдума СССР от 17 марта 1991г. По РСФСР» (20) “Идея о денонсации Беловежских соглашений обрела форму постановления”, Сегодня, 21 февраля 1996, стр.2, “Бабурин ускоряет интеграцию СНГ”, Независимая Газета, 21 февраля 1996, стр.2, “Будущие голоса коммунисты ищут в прошлом”, Коммерсантъ-DAILY, 21 февраля 1996 года, стр.3. (21) “Лед коммунистических инициатив тронулся? ”, Московская Правда, 22 февраля 1996 года, стр.1. (22) Brudny 1997 によれば,1996 年⼤統領選挙戦において,ジュガノフ陣営は,1995 年 12 ⽉の国家院選 挙の結果を国⺠が共産主義・ナショナリスト陣営⽀持の⽅向に動いたことを⽰すものと解釈し,その 結果,ナショナリストの⽀持を得るべく共産党の候補者としてではなく,⼈⺠愛国勢⼒ブロックの候 補として⽴候補した。このことが,⼤統領選におけるジュガノフの敗因の⼀つとなった。(Brudny 1997, 265) (23) 既述のように,ソ連時代の国籍法下では,形式的ではあるものの構成共和国の国籍も存在していたた め,「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」国籍も存在した。なお,これにならってロシア連邦の 91 年国籍法でも,ロシア連邦に含まれる共和国の国籍を認めていた。(国籍法第 2 条第 2 項。同制度 は,2002 年の新国籍法の下で廃⽌された。)
ロシア国籍が継続していることを⽰しているわけではないと解釈してきた。そのため,ソ 連時代のロシアに⽣まれ,1992 年 2 ⽉ 6 ⽇時点でロシア連邦内に居住していた⼈は,第 13 条 1 項によりロシア国⺠と「認定」されたが,ソ連時代のロシアに⽣まれ,ロシア国 外へ転出して,1992 年 2 ⽉ 6 ⽇時点でロシア連邦外に居住していた⼈は,ロシア国⺠と は「認定」されず,ロシア国籍を取得するためには第 18 条の「登録」の⼿続きを経なけ ればならなかった。 これに対し,А.Б.スミルノフという⼈物が不服を唱えて,憲法裁判所に訴えを起こした。 スミルノフ⽒は,1950 年にモスクワ州に⽣まれ,1979 年にリトアニアに居住地を移した。 その後,1992 年 12 ⽉ 8 ⽇にモスクワ州に居住地を戻し,モスクワ州⾏政府に,ロシア国 籍を証明するためのソ連パスポートへの挿⼊紙(24)の発⾏を求めたところ,同⽒が 1992 年 2 ⽉ 6 ⽇時点でロシア連邦内に居住していなかったことを理由に,国籍法第 18 条 г 号に基 づき「登録」の⼿続きを経て国籍を取得することを求められた(25)。スミルノフ⽒は,1992 年 2 ⽉ 6 ⽇以降にロシアに戻った旧ソ連国籍者を「登録」による国籍取得の対象としてい る国籍法第 18 条 г 号は憲法違反であるとして,憲法裁判所に訴えた。 これに対し,憲法裁判所が 1996 年 5 ⽉ 16 ⽇に出した判決は以下のようなものである(26)。 国籍法第 13 条 2 項は,1922 年 12 ⽉ 30 ⽇以降にロシア連邦内に⽣まれた⼈等を「出⽣に よりロシア連邦国籍であったとみなされる」と規定する。⼀⽅,これらの⼈々は,憲法第 6 条 3 項(27)により,⾃⾝の⾃由意思により国籍を喪失しない限り,国籍を失ったものとみ なされることはできない。しかるに,「出⽣によりロシア連邦国籍であったとみなされる」 との表現は,これらの⼈々が過去にのみロシア国籍を保持していたことを意味するのでは なく,その後も⾃由意志により国籍が停⽌されるまで,ロシア国籍を保持し続けていると みなされるべきである。 もっともこの理屈から⾔えば,スミルノフ⽒のようにロシア連邦に戻ってきた⼈のみな らず,ソ連時代のロシア共和国内で⽣まれ,その後ロシア国外に転居し,現在もロシア国 外に住み続けている⼈もロシア国籍を保持し続けているとみなされるべきということに なる。この点,憲法裁判所は,「憲法裁判所は訴状の中に⽰された事実についてのみ決定 を下すことができる」と規定する憲法裁判所法第 74 条 3 項を根拠に,憲法裁判所が判断 できるのは国籍法第 18 条 г 号が定める規範のうちスミルノフ⽒によって争われている部 分についてのみであるとし,国籍法第 18 条 г 号が次のような⼈々に適⽤されている点に 関してのみ,憲法違反であるとの結論を下した。すなわち,「出⽣の時点でロシア連邦の 領⼟に含まれていた領域に⽣まれ,旧ソ連国⺠であり,ロシア連邦国籍への帰属を停⽌す (24) 「ソ連パスポートへの挿⼊紙(вкладыш к паспорту гражданина СССР)」は,ロシア連邦パスポートの発 給が開始されるまでの間,ロシア国籍を証明する暫定的な書類として,1992 年 12 ⽉の政府決定によ り発⾏されていた。Постановление правительства Российской Федерации от 9 декабря 1992 г. N 950 «О временных документах, удостоверяющих гражданство Российской Федерации» なお,ロシア連邦 パスポートの発給が開始されたのは 1997 年 10 ⽉のことである。 (25) “У России граждан больше, чем кажется”, Московский комсомолец, 17 мая 1996 года, стр.2. (26) Постановление Конституционного Суда РФ от 16. 05. 1996 N 12-П «По делу о проверке конституционности пункта «г» статьи 18 Закона Российской Федерации «О гражданстве Российской Федерации» в связи с жалобой А. Б. Смирнова. (27) 憲法第 6 条 3 項「ロシア連邦の国⺠は,国籍を奪われ,または国籍を変更する権利を奪われてはなら ない。」
る⾃由意志を⽰しておらず,旧ソ連邦内のロシア連邦の外へ恒常的に転居し,(旧ソ連を 構成していた)他国の国⺠ではなく,その後,恒常的に居住するためにロシア連邦内に戻、、、、、、、、 った者、、、」。換⾔すれば,ここで憲法裁判所が「登録」の⼿続きを踏むことなくロシア国⺠ と「認定」されるべきであると判断したのは,ロシア領内に⽣まれ,⼀旦はソ連内でロシ アの外に転居したが,その後ロシアに戻ってきた者のみであり,ロシア国外に住み続ける 者は含まれなかった(28)。 ソ連時代のロシア国籍が現ロシア国籍に継承されるべきではないか,という議論は,実 はこのスミルノフ⽒による提訴以前にもあった。1995 年 4 ⽉には,モストヴォイ(А. А. Моствой)という⼈物が,「ロシア新聞」において,国籍法第 18 条 2 項について,出⽣に よりロシア国籍を取得した⼈は,ロシア国外に居住している⼈も含めて,ロシア国籍を保 持し続けているとみなされるべきである,という論を展開している(29)。 これに対し,⼤統領府国籍問題局のクズネツォフ(В. Н. Кузнецов)次⻑が,翌⽉の「ロ シア新聞」上において反論した(30)。クズネツォフによれば,あらゆる法律には起点 (отправная точка)というものがあり,本国籍法の場合それは 1992 年 2 ⽉ 6 ⽇である。し たがって第 13 条による「認定」も含め,国籍法に規定された国籍取得のあらゆる根拠は, その起点の⽇から有効になるのである,と⾔う。ここで⽰されているのは,第 13 条によ りロシア国⺠と認定される⼈々も,あくまで現国籍法により国籍取得が⾏われるのであっ て,それ以前からの国籍が当然に継続されているわけではないとの⽴場である。そして第 13 条 2 項はあくまでも過去形で書かれており,対象者がかつてロシア国籍を持っていた とみなされるにすぎない,と主張した。 もっともクズネツォフは,こうした原則論には捉われずに,国籍法を改正してすべての ロシア出⾝者をロシア国⺠と認定することも可能であるとする。ただし,その場合,次の ような多くの問題が⽣じるだろうという。第⼀に,他国に住む多くの⼈々を⾃国⺠と認定 すれば,その国との摩擦が⽣じかねない。第⼆に,国籍を与えるだけでなく,新しい国⺠ 達に対する責任を果たす必要があるが,この点ロシアはまだうまくできていない。第三に, 国外に住んでいるロシア出⾝者のすべてがロシア国⺠になることを望んでいるわけでは ない。第四に,周辺諸国の否定的な反応を⽣み,そこに住むロシア出⾝者の状況をかえっ て悪化させかねない。 実はここに列挙されている問題点は,⼆点⽬を除きすべて,国外に住む、、、、、ロシア出⾝者に 国籍を認めた場合により⽣じる結果である。つまり,モストヴォイが主張するように「認 定」の対象を広げることについて⼤統領府が抱いていた懸念は,基本的にロシア国外に住 む多くの⼈々がロシア国⺠となってしまう点にあったと⾔える。この点,1996 年 5 ⽉の 憲法裁判所の国籍法違憲判決は,第 13 条 2 項が過去のロシア国籍の存在に⾔及している (28) 別の⾓度から述べれば,憲法裁判所の判決以前は,1992 年 2 ⽉ 6 ⽇以前にロシアに戻ったか,以降 にロシアに戻ったかによって,扱いが異なっていた。すなわち,前者の⼈々は国籍法 13 条 1 項によ りロシア国⺠と「認定」されたが,後者の⼈々は 18 条 г 号により「登録」の⼿続きを踏まなければ ならなかった。憲法裁判所の判決は,憲法 19 条 2 項が,国家は「居住地によらず」⼈の権利と⾃由 を保障すると規定していることも引⽤し,いつロシアに戻ったかにかかわらず,国籍に関する同様の 法的権利を保障すべきとした。 (29) “Человек за бортом”, Российская Газета, 14 апреля 1995 года, стр.2. (30) “Кто гражданином быть обязан”, Российская Газета, 17 мая1995 года, стр.5.
にすぎないという⼤統領府の⾒解を明確に否定してはいるものの,新たな「認定」の対象 をロシアに戻ってきた⼈々に限定することで,⼤統領府の懸念に抵触することを回避して おり,⾏政府との関係で無難な判決であったと⾔うことができる(31)。 そしてこの判決は,国家院での議論にも影響を与えた。国家院法務局(Правовое управление)がバブーリン副議⻑に対し,国籍法改正案を憲法裁判所判決に合わせて修正 するよう求めたのである。結果,バブーリンの国籍法改正案の「すべての旧ソ連国⺠は, ロシア連邦国籍の停⽌の⾃由意志を⽰しておらず,他国の国籍を取得していない場合には, ロシア連邦の国⺠である」という部分は,憲法裁判所判決⽂をほぼそのままコピーした以 下の⽂⾔に置き換えられた(32)。 かつてソ連国⺠であった者及びその⼦孫も, а )出⽣の時点でロシア連邦の領⼟に含まれていた領域に⽣まれ, б )ロシア連邦国籍の停⽌の⾃由意志を⽰しておらず, в )旧ソ連邦内のロシア連邦の外へ恒常的に転居し, г )外国籍を取得せず, д )恒常的に居住するためにロシア連邦の領⼟に戻った場合には, ロシア連邦の国⺠とみなされる。 ここでは,バブーリンの当初の主張は完全に消失し,憲法裁判所の判決をなぞるだけの 改正案になっている。なぜバブーリンがこの修正を受け⼊れたのか,あるいは受け⼊れざ るを得なかったのかは不明であるが,1996 年 6 ⽉ 13 ⽇に開かれた第⼀読会においてバブ ーリンは,「私の考えでは,当初の案が唯⼀必要なものだ」と述べつつも,修正された法 案を提案し,同改正案は 361 票の賛成票を得て第⼀読会を通過した(33)。もっともバブーリ ンはそれから約 3 か⽉後に発表した論⽂において,あたかも当初の案が第⼀読会で多数の 票を得て可決されたかのような主張をしている(34)。結局バブーリンにとっては,実際に国 籍法を改正することよりも,国籍法改正案を提出することで⾃⾝の政治的主張及び存在感 をアピールすることに主たる⽬的があったのかもしれない。バブーリンの国籍法改正案は その後塩漬けになり,約 7 年後の 2003 年 4 ⽉ 24 ⽇に,修正の対象となっている国籍法が すでに有効でなくなっていることを理由に,廃案となった(35)。 こうしてバブーリンの元々のアイデアが国籍法に反映されることはなかった。しかしこ の「ソ連国籍はロシアに承継されるべきである」という主張は,その後 CIS 問題・同胞関 係委員会によって引き継がれ,国家院を舞台に主張が展開されていくことになる。 (31) 憲法裁判所の判決が出た約 1 か⽉後,⼤統領府国籍問題委員会のクタフィン(О. Е. Кутафин)委員⻑ が,「ロシア新聞」上で,同判決は現在ロシア以外の国に住むロシア出⾝者に及ぶものではないこと を改めて説明している。(“Считать гражданином России... ”, Российская Газета, 25 июня 1996 года, стр.6. ) (32) Законопроект «О внесении изменений и дополнений в преамбулу и статьи 2, 12, 13 и 18 Закона Российской Федерации «О гражданстве Российской Федерации»» ( https://sozd.duma.gov.ru/bill/ 96003602-2)注釈(13)も参照のこと。 (33) Стенограмма заседаний Государственной Думы, 13 июня, 1996 года. (34) Бабурин 1996b (35) Стенограмма заседаний Государственной Думы, 24 апреля, 2003 года.
4.CIS 問題・同胞関係委員会による主張(1997 年∼) 1997 年に⼊ると,まず⼤統領が,上記の憲法裁判所の判決及び憲法の規定に国籍法を 合わせるための国籍法改正案を国家院に提出した。⼤統領案は,第 13 条 2 項を改正し, 「出⽣によりロシア国籍を取得した者は,本法施⾏前にロシア連邦の国境外に転出し,ロ シア連邦国籍への帰属の停⽌の⾃由意志を⽰しておらず,他国の国⺠ではなく,本法施⾏ 後に恒常的に居住するためにロシア連邦に戻った場合には,ロシア国⺠であると認定され る」と規定することで,憲法裁判所の判決を国籍法に反映させることを提案するものであ った(36)。 ⼀⽅で,⼤統領が提出したこの国籍法改正案の審議において,CIS 問題・同胞関係委員 会の議員が中⼼となり,ロシアに戻った⼈々のみならず,ロシア国外に居住する旧ソ連国 ⺠についてもロシア国籍を「認定」すべきであるとの主張を展開していく。まず,1997 年 9 ⽉ 19 ⽇に開催された第⼀読会において,ビンデュコフ(Н. Г. Биндюков)共産党議員 が CIS 問題・同胞関係委員会を代表して発⾔した。ビンデュコフは,憲法裁判所が,出⽣ により取得したロシア国籍は,現国籍法施⾏時点でロシア連邦の国外に居住していたとい う事実だけで喪失されるものではないという考えを⽰していることに⾔及した上で,この 考えに従えば,⼤統領の国籍法改正案は他の共和国の住⼈となった多くのロシア国⺠から ロシア国籍を剥奪するものであると批判した。そして,現在も他の旧ソ連諸国に住み続け るロシア出⾝者もロシア国⺠と「認定」される対象に含めるべきであると主張した(37)。 翌 1998 年 2 ⽉ 18 ⽇に開かれた第⼆読会では,チホノフ(Г. И. Тихонов) CIS 問題・同 胞関係委員会委員⻑(「国⺠権⼒(Народовластие)」所属議員)が,⼤統領案に対し,次 の条⽂を加えることを提案した。 すべての旧ソ連国⺠は,⾃由な意思表⽰によってロシア連邦国⺠でありたくないこと を表明しておらず(не заявили о своем нежелании состоять в гражданстве Российской Федерации),ソ連国籍を放棄していない場合には,ロシア連邦国⺠と認定される。 チホノフは,「無論,他国の国籍を⾃主的、、、に、(добровольно)取得した場合には,その⼈ は我々の国家の国⺠とはみなされない。しかしもし他国の国籍を取得しておらず,我々の 国籍から離脱していないのであれば,我々はその⼈物を我々の国家から追い出すいかなる 権利を持っているというのだろうか」と補⾜説明した(38)。チホノフの案は,旧ソ連国⺠は ⾃動的にロシア国⺠となるという原則から出発し,そのうち,他国籍を取得した者とロシ ア国⺠になりたくない者を引いた集団がロシア連邦の基礎構成員であるという考えに⽴ っており,これは,1996 年 2 ⽉のバブーリン議員による国籍法改正の提案と同⼀の内容 であると⾔うことができよう。 なお,チホノフの⾔う「他国の国籍を⾃主的に取得した場合は除く」という説明が,ど (36) ただし,ロシアにおいては憲法裁判所の判決は直接効⼒を持つため,国籍法の改正を待たずして憲法 裁判所の判決に基づく国籍取得条件が適⽤される。 (37) Стенограмма заседаний Государственной Думы, 19 сентября 1997 года. (38) Стенограмма заседаний Государственной Думы, 18 февраля 1998 года.
こまでの⼈々を対象とするのか,国家院の議場では詳細な議論がなされていないが,ここ にあえて「⾃主的に」という語が含まれているところに注意をする必要がある。チホノフ は,⼤統領案がそのまま可決されてしまえば,「我々は現在他の共和国に住む 2500 万⼈の 我々の同胞達(сограждане)を遠ざけることになる。これは我々の国籍を失いたくない沿 ドニエストルの⼈々(приднестровцы)やクリミアの⼈々(крымчане)のことである」と も述べている。沿ドニエストルやクリミアの住⺠は,モルドヴァやウクライナの国籍法に 基づけばモルドヴァ国⺠,ウクライナ国⺠ということになるが,チホノフの主張では,住 ⺠が「⾃主的に」これらの国籍を取得していないのであれば,彼らはロシア国⺠と認定さ れるべき対象とみなされるのである(39)。つまりチホノフは,旧ソ連国⺠のうちすでにロシ ア以外の国籍を取得した⼈々は⾃動的にロシア国⺠とみなされる対象には含まれないと 述べているものの,誰がそのような⼈々にあたるのかについては,他の旧ソ連諸国の認識 とは必ずしも⼀致していないのである。 このようなチホノフの主張に対し,法案を事前審査した⽴法委員会(комитет по законодательству)のチュニコフ(Ю. И. Чуньков)共産党議員は,第⼀読会以降,国家院 議員 6 名と,⼤統領府,外務省,内務省,連邦院法務局,⽴法委員会の専⾨家によるワー キンググループが審議した結果として,チホノフ案を否決すべき理由を次のように説明し た。第⼀に,他の共和国に居住する⼈々を意思表⽰なくしてロシア国⺠と認定することは, これらの⼈々の国籍選択の権利を侵害することになる。第⼆に,多くの国では他国籍を取 得すると⾃動的にその国の国籍は失われるものと規定されているため,ロシア国籍と認定 された⼈々が居住国において外国⼈となってしまう。第三に,他の旧ソ連諸国に居住する 多くの⼈々をロシア国⺠と認定することは,これらの国々に対する内政⼲渉と受け取られ る。すなわちここでは,ロシア国籍を「認定」される対象となる⼈々の利益と,それらの ⼈々が住む旧ソ連諸国との国際関係が,チホノフ案を否決すべき理由として挙げられてお り,それは 1995 年にクズネツォフ⼤統領府国籍問題局次⻑が「ロシア新聞」上で挙げた 問題点と概ね同じ趣旨であったと⾔える。 第⼆読会での議論の末,チホノフ案は採決に付された。結果は,賛成 175 票,反対 56 票,棄権 4 票,不投票が 235 名で,可決に必要な過半数(226 票)を得ることができず, 否決された。これについて Shevel(2012, 126-127)は,チホノフ案は,本当のロシアのネ ーションは現在の国境を超えるものであるという広く共有されたイメージを体現するも のであったものの,新しい統⼀国家を作ることへの情熱を共有する議員達にすら,現実的 観点から⽀持されず,可決に⾄らなかったと評価している。しかしながら,国家院の議員 450 ⼈のうち,175 票もの賛成票を集めたことは,チホノフの主張が当時のロシア議会に おいて決してマージナルな考え⽅ではなかったことを⽰しているとも⾔える(40)。そして 審議の最後に,チホノフ案を⽀持していたチェホエフ(А. Г. Чехоев)議員とヴィシニャコ フ(В. Г. Вишняков)議員が,まだ議論が⼗分に尽くされていないとして,⼤統領提案の (39) ウクライナもモルドヴァも,領⼟内に居住する住⺠に無条件で国籍を付与するいわゆる「ゼロ・オプ ション」政策を採⽤した。ウクライナが同政策を採⽤した背景にはクリミアの分離主義に対する懸念 があった。(Shevel 2009, 283)また,事実上の独⽴状態となった沿ドニエストルの住⺠も,理論上は モルドヴァ国⺠とされた。(Tabachnik 2019, 225-227) (40) この第⼆読会では,チホノフ案以外にも⼤統領府の国籍法改正案に対する多くの修正提案が⾏われた が,その多くが,チホノフ案よりも少ない賛成票しか得られず,否決されている。
国籍法改正案を第⼀読会へ差し戻すことを呼びかけた。結果,⼤統領による国籍法改正案 は,賛成を 188 票しか集めることができず,第⼆読会で否決された。 5.同胞法における国籍規定(1999 年) このように,チホノフ議員を筆頭とする CIS 問題・同胞関係委員会が提起した案は,⼀ 定の⽀持を集めたものの,国籍法に反映されるには⾄らなかった。しかしその後チホノフ らは,同時期に準備を進めていた「在外同胞に対するロシア連邦の国家政策に関する連邦 法」(41)(以下,「同胞法」)の中に,ソ連国籍がロシアに承継されるとのアイデアを具現化 する条⽂を盛り込むことに成功することとなる。 「同胞法」は,「在外同胞 (соотечественники за рубежом)」の概念を初めて法律上定義 し,彼らに対する政府による政治的・経済的・⽂化的⽀援を規定した法律で,CIS 問題・ 同胞関係委員会を中⼼に起草され,議会での審議を経て,1999 年 5 ⽉に施⾏された。「同 胞」とは,国籍の保持を根拠とする「国⺠」よりもさらに広くロシアが保護すべき対象と なる⼈々との趣旨で使われてきた概念である。Zevelev(2001)によれば,対同胞政策は, 1990 年代前半に,ロシア以外の旧ソ連諸国に居住するロシア系住⺠に対し⽀援を⾏う観 点から,⼆重国籍推進政策を補完するものとして始められた(42)。1994 年 8 ⽉には,「在外 同胞に対するロシア連邦の国家政策の基本⽅針に関する⼤統領令」(43)が発出され,1996 年 5 ⽉には,「在外同胞⽀援措置プログラム」(44)が策定された。もっともこれらは予算的 な裏付けを⽋き,ほとんど実効性のない⽂書であったとされる(45)。その⼀⽅で,国家院に おいても,1995 年 12 ⽉に「ロシアディアスポラ⽀援とロシア同胞保護に関する宣⾔」(46) を出す等,対在外同胞政策の重要性を訴える動きがあった。「同胞法」は,この流れの中 で,在外同胞との関係を初めて法的に規定する⽂書として⽣まれたものであった(47)。 「同胞法」は,第 1 条で,「在外同胞」を,外国に住むロシア国⺠,旧ソ連国⺠だった者 で旧ソ連諸国に居住しその国籍を取得した者あるいは無国籍となった者,ロシア国家,ロ シア共和国,ソ連,ロシア連邦の出⾝者で外国籍を取得した者や無国籍となった者及びそ の⼦孫(外国の基幹⺠族の⼦孫は除く),と広く定義した。その上で,第 2 条において, 「同胞」への帰属は⾃由な選択により認められるもので,ロシア政府によって定められた 形式の書類によって証明されるものとし,その後の条⽂で政府による同胞への⽀援を規定 した。 (41) Федеральный Закон Российской Федерации «О государственной политике Российской Федерации в отношении соотечественников за рубежом» от 24 мая 1999 (42) Zevelev 2001, 142-149 (43) Указ Президента Российской Федерации «Об Основных направлениях государственной политики Российской Федерации в отношении соотечественников, проживающих за рубежом» от 11 августа 1994 года. (44) Постановление Правительства «О Программе мер по поддержке соотечественников за рубежом» от 17 мая 1996 года. (45) Zevelev 2001, 143-144,岡 2001, 103 (46) Постановление «О Декларации о поддержке российской диаспоры и о покровительстве российским соотечественникам» от 8 декабря 1995 года. (47) 「同胞法」についての最近の研究に,⽵内 2020 がある。
このように「同胞法」は「国⺠」より広い概念である「在外同胞」への政府の⽀援を促 す法律であり,そのように解釈されることが多いが,実は同法は,「同胞」についてだけ でなく,「国⺠」の根拠たる「国籍」付与の条件を定める規定をも含んでいた。それが第 11 条 4 項であり,次のような条⽂であった。 ソ連国⺠であった者及びその直系の⼦孫で,⾃由な意思表⽰により他国の国籍を保有す る意思を⽰していない者は,ロシア連邦の国⺠と認定、、される、、、(признаются)。 これはまさに,バブーリン国家院副議⻑が 1996 年 2 ⽉に提起し,1997 年から 1998 年 の⼤統領の国籍法改正案の審議の中で,チホノフらが国籍法に⼊れ込むことを追求したア イデアに他ならない。「同胞法」の起草者の⼀⼈であり,国家院の審議において同法案の 説明者としての役割を果たしたストリャロヴァ(Н. К. Столярова)議員は,第⼀読会の冒 頭,法案を提出するに当たって⽴脚した⽴場として,次の 2 点を挙げた。第⼀に,ソ連は 偉⼤な⼤国であり,国際社会がそのステータスをロシア連邦に認めたこと。第⼆に,ロシ ア国籍制度は,ロシア国家の連続性(непрерывность)の原則と結びついていること(48)。 こうして,「同胞法」は,⼀度は国家院で否決された国籍付与に関する条⽂を含んでい たものの,この点は⼤きな議論にはならず,順調に国家院での審議を通過し,1998 年 11 ⽉ 13 ⽇に第三読会で可決された。その後,連邦院では⼀度否決されたものの,両院協議 会での審議を経て,1999 年 3 ⽉ 17 ⽇に連邦院にも承認された。 しかし,⼤統領は,この法案に極めて否定的であった。エリツィン⼤統領は憲法 107 条 3 項に基づき,同法案に署名することについて拒否権を⾏使した。同年 4 ⽉ 16 ⽇,国家 院における再審議の場で⼤統領の代理として拒否権⾏使の理由を説明したコテンコフ(А. А. Котенков)⼤統領全権代表は,⼤統領が特に問題視した点として,同法案における「同 胞」概念の曖昧さに加え,第 11 条 4 項が現⾏の国籍法と⽭盾していることを挙げた。コ テンコフ全権代表は次のように述べ,同法案を厳しく批判した。「現⾏の国籍法によれば, (第 11 条 4 項が対象とする⼈々は)ロシア、、、連邦内、、、に、居住、、する、、場合、、にのみ、、、,⾃動的にロシア 国⺠となる。(⼀⽅で第 11 条 4 項の)この解釈では,いかなる旧ソ連国⺠も,トルクメニ スタン,タジキスタン,ウズベキスタンといったいかなる旧ソ連共和国に住んでいようと も,そしてその国の基幹⺠族であったとしても,もしその国の国籍取得の意思を⽰さなか ったのならば,⾃動的にロシア国⺠になることになってしまう。申し訳ないがそれはナン センスというものだ。」そして,本件は国籍法によって規定されるべき問題であり,国籍 法に改正を加えるべきであると指摘した(49)。 このような⼤統領側の批判は,これまでの国籍法改正をめぐる議論に照らせば,⾄極真 っ当なものであったと考えられる。国籍法改正案の審議の中で詳細に議論されてきた国籍 付与基準の変更案について,国籍法ではない別の新法案に条⽂を⼊れ込んで可決してしま うというのは,正攻法とは⾔えないし,すでに存在する国籍法と明らかに⽭盾した規定を 含む別の法律が成⽴してしまうことになる。しかし,「同胞法」への議会の⽀持は強固で (48) Стенограмма заседаний Государственной Думы, 02 июня 1998 года. (49) Стенограмма заседаний Государственной Думы, 16 апреля 1999 года.
あった。⼤統領の拒否権発動を受けた上記 1999 年 4 ⽉ 16 ⽇の国家院における再審議にお いて,同法案は 311 票の賛成票が投じられ,総数の 3 分の 2 以上の賛成票を集めた。その 後連邦院においても総数 3 分の 2 以上の賛成により可決されたため(50),憲法の規定により エリツィン⼤統領は結局署名せざるを得なくなり,「同胞法」は 1999 年 5 ⽉ 24 ⽇に施⾏ された。こうして,ソ連国籍はロシアに承継されるという考えが,ついに法律の条⽂とし て成⽴したのだった(51)。 6.新国籍法への影響(2002 年) こうして,国籍の「認定」の対象を広げる条⽂が「同胞法」の中に埋め込まれたが,そ の効⼒は⻑くは続かなかった。2000 年にプーチン政権が誕⽣すると 91 年国籍法に替わる 新国籍法制定の議論が加速され,2001 年 4 ⽉に⼤統領が国家院に新国籍法案を提出,議 会での審議を経て,2002 年 7 ⽉ 1 ⽇に施⾏された(52)。 2002 年新国籍法は,91 年国籍法が規定していた「認定」と「登録」による国籍取得制 度を廃⽌し,旧ソ連国籍者に対する国籍取得⼿続き上の優遇策を事実上なくした。同法第 13 条は,外国⼈がロシア国籍を取得する際の「⼀般的な⼿続きによる(в общем порядке) 国籍取得」として,а)5 年間のロシアにおける居住,б)憲法及び法の順守,в)合法的な ⽣活資⾦源,г)外国籍の放棄,д)ロシア語能⼒,の 5 要件を課した。これに対し,第 14 条で,「簡素化された⼿続きによる(в упрощенном порядке)国籍取得」という制度を設 け,⼀定の条件の下で,第 13 条が課している要件を⼀部免除したが,91 年国籍法が設け ていた旧ソ連国籍者に対する優遇策は,後述する第 14 条 1 項 б 号を例外として,設けら れなかった。そして,第 44 条において,同法の施⾏⽇から「同胞法」第 11 条は失効する, と規定した。 実は,⼤統領が提出した法案は,国家院の第⼀読会で審議された段階では,以下の条⽂ を含んでいて,旧ソ連国籍者に対する優遇措置を残していた(53)。 第 13 条後段 本条⽂前段 а 号に規定されたロシア連邦の領域内における居住期間は, 次の根拠のうち⼀つでも存在する場合には,短縮されうる。 a)過去にソ連国籍を有していたこと。 (50) “Совет Федерации преодолел вето Президента на закон «О Государственной политике России в отношении соотечественников за рубежом» ”, РИА Новости, 17 мая 1999 года. (51) 「同胞法」の施⾏に先⽴ち,シュモフ(В. Г. Шумов)⼤統領府国籍問題局⻑は,これまで⼤統領府は国 籍法改正の議論に取り組んできたが,議員たちが国籍法の運命を「同胞法」案と結び付けたと不満を 述べた上で,国家院と連邦院に対し,国籍の問題を他の法律で規定することに反対を表明する書簡を 送っていたことを明かしている。(«Как стать гражданином? ”, Российская Газета, 18 мая 1999 года, стр.7.) (52) Федеральный Закон Российской Федерации «О гражданстве Российской Федерации» от 31 мая 2002 2002 年国籍法は,制定後何度も改正が⾏われ,現在に⾄っている。制定当初のバージョンは, Российская Газета, 05 июня 2002 года を参照。 https://rg.ru/2002/06/05/zakon-gragdan.html (53) Законопроект «О гражданстве Российской Федерации» 第⼀読会で審議された法案の⽂⾯は以下のサイトで公開されている。 https://sozd.duma.gov.ru/bill/81195-3#bh_histras
(後略) 第 14 条 外国⼈及び無国籍者で 18 歳に達し,かつ⾏為能⼒を持つ者は,以下の場合に は,本連邦法第 13 条前段 а 号及び г 号によって規定された条件を満たさずに,簡素化さ れた⼿続きにより,ロシア国籍の許可申請書を提出する権利を有する。 a)ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の領域内に⽣まれ,かつてソ連国籍を有して いた場合。 (後略) これに対し,チホノフ議員らは,あくまでも「同胞法」第 11 条 4 項の内容を国籍法に 含めることを主張し,同条⽂を盛り込んだ新国籍法案を国家院に提出した。議員案と⼤統 領案は,2001 年 10 ⽉ 18 ⽇の第⼀読会において同時に審議された。議員案の説明に⽴っ たチェホエフ議員は,「我々の法案において,我々は,ロシアとは,1991 年 6 ⽉ 12 ⽇に 作られたロシアではなく,1000 年続くルーシ,ロシア帝国,ソ連,そしてロシア連邦の ことであると考えている。そして法的継承,継続性の原則は維持されるべきだ。皆さんも ご存知のように,ロシアはソ連の法的継承国なのである」と,バブーリン議員以来変わら ないソ連とロシアの法的連続性を強調する主張を展開し,法案の正当性を訴えた。 これに対し,⼤統領案の説明に⽴ったコテンコフ全権代表は,上記のとおり⼤統領案も 旧ソ連国⺠に対する優遇策を⼀定程度維持していることを強調しつつ,議員案について, タジキスタン等の地域で多くのロシア国籍者を⽣み出しモスクワへの⼈々の流⼊を加速 しかねないことや,犯罪者に国籍を与えかねないといった治安⾯での懸念,年⾦の⽀払い 増による財政的負担を挙げて,批判した。⼀⽅で,第⼆読会に向け,議員案提案側からの 修正も受け⼊れる姿勢も⽰した。第⼀読会では,議員案は 164 票,⼤統領案は 273 票の賛 成票を集め,⼤統領案が通過し,議員案は廃案となった(54)。 第⼆読会は翌 2002 年 2 ⽉ 20 ⽇に開かれた。チホノフらは,旧ソ連とロシアの連続性を 明記し,国籍取得の⽅法として「認定」と「登録」の概念を残し,どのような⼈々が「認 定」や「登録」の対象となるのかを規定する条⽂を⼊れ込む提案をした(55)。そして,「ソ 連国⺠であった者及びその直系の⼦孫で,⾃由な意思表⽰により他国の国籍を保有する意 思を⽰していない者は,ロシア連邦の国⺠と認定される」という同胞法第 11 条 4 項をそ のまま書き写した条⽂案を提出した(56)。 ⼀⽅の⼤統領側は,逆に,第⼀読会で提⽰していた旧ソ連国⺠への優遇措置を削除する 修正案を提⽰した。⼤統領の意を受けたと考えられる,「祖国・全ロシア」党のグレベン ニコフ(В. В. Гребенников)議員らが,第⼀読会における⼤統領案の旧ソ連国⺠優遇策で あった第 13 条後段 a 号(旧ソ連国籍者に対する居住要件の短縮)の削除及び第 14 条 1 項 a 号を第 13 条後段へ移すこと(すなわちロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の領内に⽣ (54) Стенограмма заседаний Государственной Думы, 18 октября 2001 года. (55) 修正案リスト 2 の中の 1 番,4 番,6 番,18 番,38 番等がそれに当たる。 Таблица No2 поправок к проекту федерального закона «О гражданстве Российской Федерации» 修正 案リストは次のサイトで公開されている。https://sozd.duma.gov.ru/bill/81195-3#bh_histras (56) 修正案リスト 2 の 58 番
まれ,かつてソ連国籍を有していた⼈々を「簡素化された国籍取得」の対象とするのでは なく,単に居住要件が短縮されるという優遇措置を受けられるに過ぎなくすること)の修 正案を提出したのである(57)。これにより,旧ソ連国籍者に対する優遇措置はほぼ無くなり, ロシア国外に住む旧ソ連国籍者の国籍取得の道は,親がロシア国⺠であるといった⾎縁関 係を利⽤した規定に限られることとなった(58)。 結論を先に述べれば,第⼆読会での審議により,チホノフらの修正案はすべて否決され, グレベンニコフらの修正案は可決された。しかし後者の修正案も決して多くの賛成を得ら れたわけではなく,何度も否決されながらも,様々な理由をつけては再採決を⾏い可決に 漕ぎつけるという,かなり強引な⼿法が取られた。たとえば第 13 条 a 号を削除する修正 案は,1 回⽬の投票では賛成 221 票で否決され,2 回⽬も 214 票で否決,3 回⽬でようや く 228 票を取り可決された。(可決ラインは 226 票)また,第 14 条 1 項 a 号を第 13 条後 段に移す修正案も,1 回⽬は 225 票で否決,2 回⽬で 247 票を獲得し,可決された。⼀⽅ のチホノフ議員らの修正案はそれぞれ概ね 140 票から 180 票の賛成票で否決された。チホ ノフらへの⽀持が国家院全体の約 3 分の 1 であったのに対し,⼤統領側への⽀持は,ほぼ 半数かかろうじて過半数となる程度という状況であった。 このような状況下で,チホノフらの批判を抑え,⼤統領案への⽀持を増やすために重要 な役割を果たしたと考えられるのが,アルクスニス(В. И. Алкснис)議員による修正案で あった。アルクスニスは,チホノフらと同じように旧ソ連とロシアの連続性を訴え,旧ソ 連国⺠へのロシア国籍取得における優遇措置の継続を訴えていた議員である。第⼆読会で アルクスニスが提出した修正案は,第 14 条の「簡素化された⼿続きによる国籍取得」の 対象に,次の⼈々を⼊れるというものであった。 旧ソ連国籍を保有していた者で,旧ソ連を構成していた国家に居住しており,かつこれ らの国の国籍を取得しなかった者(59) これは,「認定」ではなく,あくまでも⼤統領案の枠組みに基づいた「簡素化された⼿ 続きによる国籍取得」のための規定であったが,旧ソ連国⺠の中からロシア以外の旧ソ連 諸国の国籍を取得した⼈々を除いた集団にロシア国籍取得の道を開くという点で,バブー リンやチホノフらの主張と親和性の⾼い発想であった。第⼆読会において⼤統領の代理⼈ であるコテンコフ全権代表,そして修正案の事前審査を⾏った国家建設委員会のナジェジ ディン(Б. Б. Надеждин)議員は,審議の開始早々から,アルクスニスの修正案を⼤統領 側からの譲歩として可決することを提案した。そして,上記のチホノフらによる修正案や グレベンニコフらによる修正案の審議に当たり,繰り返し,アルクスニスの修正案を可決 (57) 修正案リスト 1-a の 5 番及び 9 番 (58) ⼤統領府の⽅針が第⼀読会と第⼆読会の間に変化した理由について,ジャーナリストのルィクリン (Александр Рыклин)は,国籍法改正案の原案はスルコフ⼤統領補佐官が中⼼となり作成されたが, その後第⼆読会に⾄る過程でヴィクトル・イワノフ⼤統領府副⻑官が与党議員らを使って介⼊し,国 籍取得要件を厳しくしたと主張し,⼤統領府内の主導権争いが⽅針転換につながったと主張した。 (Еженедельный Журнал, 20 февраля 2002 года) 2002 年国籍法の制定過程は複雑で多くの論点を含んで いるので,別稿で改めて論じることとしたい。 (59) 修正案リスト 2-a の 9 番