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社会科授業分析カテゴリーの研究 : 小規模・中規模学校の社会科授業分析に国語科授業指導言分析カテゴリーを適用して

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Academic year: 2021

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(1)Title. 社会科授業分析カテゴリーの研究 : 小規模・中規模学校の社会科授業分 析に国語科授業指導言分析カテゴリーを適用して. Author(s). 遠藤, 芳信. Citation. 僻地教育研究, 55: 53-66. Issue Date. 2000-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/1702. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである. Hokkaido University of Education.

(2) No.55. 社会科授業分析カテゴリーの研究. 社会科授業分析カテゴリーの研究 一小規模・中規模学校の社会科授業分析に国語科授業指導言分析カテゴリーを適用して一 連 藤 芳 信. (北海道教育大学函館枚). AStudyontheCategoryofSocialStudiesInstrucionAnalysis −Application of the Category Analysis concerned teaching utterance of Japanese StudiesInstrucionin Smalland Middle Scale Schoolq Yoshinobu ENDOH. の学校に終身勤務することはほとんどありえず,移動(人. 1.はじめに ∼本研究のテーマについて∼. 事異動・交流)が通常のありかたである。それゆえ,ま. 本稿筆者は,これまで,教師における授業の計画と構. ず,国語科授業で解明されてきた日々の日常的な教師の. 築の力量は,授業分析の力量にほぼ対応すると考え,実. 指導言に対する分析のカテゴリーを,僻地・小規模校と. 際の学校の通常の授業の観察とビデオ収録を中心にし. 大都市・大規模学級を超えた学校の社会科授業において. て,授業分析の一定の枠ぐみを提示しようとしてきた。. も,一般的に有効なものとして明らかにしていくことが. その枠ぐみは,国語科授業で解明されてきた日々の(普. 重要である。. 通の)日常的な教師の指導言に対する分析カテゴリーを,. なお,筆者が以上の研究課題意識をもって,1999年度. 社会科授業の日常的な教師の指導言に対する分析にも適. までに実施した通常の授業の観察またはビデオ収録は,. 用し,授業分析カテゴリーとしての有効性を解明するこ. 小学校では,函館市立昭和小学校,函館市立東川小学校,. とによって提示できると考えてきた。. 奥尻町立宮津小学校,札幌市立光陽小学校,青森県平内. ただし,そうした日々の日常的な教師の指導言を対象. 町立東栄小学校,函館市立鍛神小学校であり,中学校で. にする授業分析の枠ぐみは,はたして,学校・学級の規. は,七飯町立大中山中学校,札幌市立厚別北中学校,北. 模を問わないすべての学校の社会科授業に適用されるか. 海道教育大学附属函館中学校である。この中で,僻地・. 否かという疑問もあり,僻地・小規模校と大都市・大規. 小規模校は,奥尻町立宮津小学校や青森県平内町立東栄. 模学級との比較の視点をもつ必要があると考えた。特に,. 小学校である。また,2000年10月には,奥尻町の小学校. 筆者が提示する教師の指導言に対する分析カテゴリー. の授業の観察とビデオ収録を予定している。. は,(学校・学級にみなぎる種々の)教師と子どもとの 間における人格的な接触・交わり関係を無視あるいは捨. 2.指導官の分析力テゴリーの自覚化. 象するという前提のもとに,いわばクールに組みたてる. からである。他方,たとえば,近年まで,僻地・小規模. 本研究・本稿において,筆者が国語科授業分析で解明. 校の学級における授業は,教師と子どもとの間における. されてきた日々の日常的な教師の指導言に対する分析カ. 人格的な接触・交わり関係が濃密に保たれつつ運営・展. テゴリーを社会科授業分析においても適用・導入するの. 開されるという伝統的な理解が続いてきた。この場合,. は,説明・発間・指示・助言である。これらの指導言の. 今日,そうした伝統的な理解がはたして「神話」になっ. 分析カテゴリーは,通常の授業の批評や分析においては,. ているか否かは独自に追究する価値はあるが,ともかく,. 数量的あるいはプラグマティックに言及されることもあ. 教師と子どもとの間の人格的な接触・交わり関係を無. るが,もともと,授業分析カテゴリーとして,説明・発. 視・捨象した授業分析の一定の枠ぐみを,一般的に(教. 間・指示・助言を提示することは,すでに論争的主題が. 師の指導言の本質にせまる)有効なものとして明らかに. ふくまれていることに留意すべきである。したがって,. する必要がある。なぜなら,公立学校では,教師は当該. まず,これらの授業分析カテゴリーが,授業にかかわる. − 53 −. 2000.12.

(3) 遠 藤 芳 信. 本質的なポリシー. 手教師に,いわば,自然に伝承されていた側面があった。. やフィロソフィーをともなった論争的. ところで,研究史的叙述を省略するが,1960年代から. 主題が内在されていることを明確に自覚化するために,. 1980年代にかけて,以上の国語の授業の典型的指導をい. やや,立ち入った検討をしておく。. わば脱構築(ゆさぶること)したのは,大西忠治(1930 −1992年)であった。大西は,授業のいとなみから「職. (り 近代学校教育における国語科授業の役割と,大西忠 治の指導官分析力テゴリー. 人的な魔術師的な技芸」や「感情的・情緒的一体感」(の. 近代学校教育における教科指導の授業の典型になった. 醸成)をふわけし,教師が授業において教育上の必要か. 教科は,国語の教科である。正確にいえば,戦前では修. ら発する指導のためのすべての言葉を「指導言」と称し. 身の教科指導も加えるべきだが,本稿ではとりあげない。. た。そして,指導言を授業分析のカテゴリーとしていく. つまり,教室という,横4間と縦5間の20坪の面積空間 の中で,一人の教師と多数の子どもとの間(いわゆる一. つかに区分し,それらの論理関係等を詳細に再構成した。 大西が区分し,再構成した指導言のカテゴリーは,当初. 斉授業)でいとなまれる教育的な働きかけあいの組み立. は,「説明」「発間」「助言」(大西忠治著『国語授業と集. てかたを構築してきたのは,伝統的には国語の教科で. 団の指導』1970年)とされ,のちに,「説明」. あった。今日,ポストコロニアル的批評状況の中で,近. 示」「助言」(大西忠治著『発間上達法』1988年)として,. 代日本の国語の教育や教科(の目標,その教育の効果等) に関する脱構築的言及(特に,戦前における,「日本人」. やや完成された形で提示される。. 「発間」「指. なお,ここで,筆者は,大西が「授業分析のカテゴリー. の育成や,植民地教育,等の関係を問う)もあるが,国. として」区分したと述べたことは,若干の議論になるか. 語の授業における教師の教育的働きかけの指導過程や指. もしれない。それは,大西が,授業自体は以上の説明・. 導技術が,他の教科の授業に多くの示唆や影響を与えた. 発間・指示・助言から成立すると強調したのではないこ. ことの役割を軽視することはできない。. とである。授業における教師の指導言は,説明・発間・ 指示・助言のカテゴリー化によって,正確・適切に分析. ただし,この「示唆や影響を与えた」ことであるが, 正確にいえば,「なんとなく,与えた」ということである。. できるとしたことである。. また,なぜ,国語の授業が他教科に「示唆や影響を与え. 第一に,大西は,「実践というものは,一つずつ身に. た」かといえば,国語の授琴自体が,「読み」の指導(特. つけ,覚え,わかるとそれを否定し,さらにもっと複雑. に説明文,文芸的文章の読み)を中心にして,一定の起. な,高度なものを求めながらすすむものである」「実践. 承転結の流れやドラマを含みつつ展開されやすいことで. というもの,授業の実際というものには,完全なもの,. あった。特に,文芸的文章(小説,詩など)の読みの授. すべてからみて正しいというものはないと私は思ってい. 業においては,「山場」ヤクライマックス(最高潮)の. る」と指摘している。(1)この大西の指摘にみられるよう. 場面との関係で主題やテーマを深めていく指導は,授業. に,日々日常的に実践される授業において,「完全」な. の典型的指導として魅力があった。そこでは,教師が家. ものとか,完壁・完成的なものはない。たえず,自己分. 父長制的な権威・権力者(公立学校では行政機関の最末. 析し,あるいは,他人からの分析や批判によって高度な ものに進むしかない。その場合,自己(あるいは他人の). 端的官僚。日本の小学校の学級担任制下では「学級王国」 という言葉もうまれ,一人の学級担任教師による「自由 自在」な学級運営の妙味が強調される)に類似の存在で. の授業実践に対して,一定の分析の基準や視点を立てて 自覚的に分析できるか否かが問題になる。ここで,「自. あったとしても,上記の50分単位の一斉授業において,. 覚的に分析できるか否か」と述べたが,大西は,教師本. 一つの授業の主題にむかって,子どもと「共同」して,「も りあがる」とか「せりあがる」などの授業風景を印象づ. 人の実践の分析力量は,自己の実践自体の力量や水準に ほぼ対応し,または,教師の実践自体の力量や水準は,. ける言葉をともないつつ,(あたかも現実を超えて)何. 実践の分析力量にほぼ対応する,とみていたものと考え. かを作りだしていくいとなみや世界が魅力としてうけと. められたからであると考えられる。それは,あたかも,. られる。それゆえ,自覚的な授業分析を重視し,授業に おける教師の指導言の分析の基準や視点として,上記の. 職人的な魔術師的な技芸の側面をもち(したがって,家. ような説明・発間・指示・助言のカテゴリーを提示した. 父長制的な権威・権力者に類似した側面は眠り込まさ. のである。. れ,あるいは忘れられ),教室の中に感情的・情緒的一. もちろん,学校教育界において,教師の指導言に対し. 体感を醸成していくことに,教育や授業一般の理想の形. て,大西のような説明・発間・指示・助言のカテゴリー. 態があるとして注目されたのであろう。同時に,そうし. 化を自覚することなく,指導言における説明・発間・指. た国語の授業があらわす典型的指導にみられる教師の諸. 示・助言の一体化や融合・混合化あるいは不鮮明化され. 技術や構えは,1950年代頃までは,ベテラン教師から若. たものを理想化する議論もないわけではない。また,そ. − 54 −.

(4) 社会科授業分析カテゴリーの研究. NO.55. うした指導言における説明・発間・指示・助言の一体化. こだわりつづけていたのが,発間の本質や性格の解明で. や融合・混合化あるいは不鮮明化を,教師本人の人格や. あった。. 2000.12. まず,大西は,学校数育界において,発間が説明以上. 癖・秘技・持ち味として不問にしていく構えがないわけ. ではない。しかし,教師の教育的働きかけの指導過程や. に重視されている傾向(発間主義)に疑念と警戒をもち. 指導技術が「すぐれた」ものとしていとなまれている場. 合,そうした指導過程や指導技術(の形成や成長)を教. つつも,発間自体の本質や性格を重点的に解明してきた。 大西は,授業における教師の発間に対して,たとえば,. 師本人の人格的属性(宗教の教職者におけるカリスマ性. 数学なら数学という教科について,よく知っている教師. に類似したものなど)に帰着させたり,偶然的・神秘的. が,何も知らない生徒に向かって問いかけるのは奇妙で. なひらめきや秘技として特異化するような,閉鎖的なも. あると述べる。(3)むしろ,問いかける必要があるのは生. のとして位置づけていくことは,当該教師本人の個人的. 徒の方であり,答えねばならないのは教師の方であると. な名誉や業績として賞賛されることはあっても,学校数. 指摘する。この大西の指摘は当然である。一般社会から. 育全体の利益や前進になりにくいだろう。公教育におい. 見ても,通常は,問いかけや尋ねごとは,「知らない者」. ては,教師の「すぐれた」指導過程や指導技術は,万人 の共有財産として分かち伝えられることが重安である。. から,「知っている(と推定される)者」に対してなさ. すなわち,公教育界において,若手あるいは入門期の教. 逆の転倒したいとなみがなされ,「知っている者として. 師が,一定の研蹟と練習をつみあげ,しだいに中堅・ベ. の教師」が,「知らない(と推定される)者としての生徒」. テランの教師として成長するすじみちを想定した場合,. に対して,問いかけや尋ねごとを行うのは,まことに奇. 大西が,誰もが着手・修得可能なものとして,上記のよ. 妙であると考えられるからである。. れるいとなみである。ところが,学校の授業では,その. 大西は,授業における以上の教師の発間に対して,戦. うに提示したところの,教師の指導言に対する説明・発 間・指示・助言の分析カテゴリーの提示は非常に重要で. 前の芦田恵之助の「冬景色」の国語科授業(1915年)な. どを紹介しつつ,発間の本質・性格は,生徒自身側から. あることはいうまでもない。. 第二に,大西は,説明・発間・指示・助言の中で,特. みれば,問題の所在や立てかたを学び,問題へのとりく. に,説明・発間・指示における二重の目的・機能の基準. みかたや解明の方法・手段を学ぶものであり,やがて,. や視点を提示していた。それは,①「党閥・説明・指示」. 生徒自身の問いかけと自己解明に転化していくためのモ. の順序におけるそれぞれの目的・機能の区別と関連であ. デルになるものであると考えた。すなわち,教師の訓練・. り,②「説明・発間・指示」の順序におけるそれぞれの. 習熟された発間によっていとなまれた授業の発展的投階. 目的・機能の区別と関連である。(2). として,生徒が自ら問い,自ら答えるという自問自答の. 前者の①は,教師から子どもにはたらきかける場合の. 段階があり(生徒の自立的な自主的学習の姿),そこに. 基準や視点として提示したものである。すなわち,発間. 学習の理想像を提示したのである。それは,まとめれば,. は子どもの思考にはたらきかける指導言であり,指示は. およそ,. 子どもの行動にはたらきかける指導言であり,説明は発. ① 教師が問い,教師が答える。(講義). 間・指示の中間に位置づき,子どもの思考と行動にはた. ② 教師が問い,生徒が答える。(授業). らきかける指導言とされる。. ③ 生徒が問い,生徒が答える。(自主的研究). 後者の②は,教材(教科内容)と子どもを両端に対置 したときの基準や視点として提示したものである。すな. ③を導くためのものであり,そこに,「よく知った教師が,. わち,説明は教材に密着した指導言であり,指示は子ど. 知らない生徒に問うこと」としての発間の本質的な意味. もに密着した指導言であり,党閥は説明・指示の中間に. がある(子ども自身の問いかけモデルになる)と強調し. 位置づく指導者とされる。そして,基本は,当該の教材. たのである。. の三段階として示される。すなわち,教師の発間は,. 以上の大西による発間の本質の指摘は適切だろう。す. の性格(難易性など)や教師の指導観や得意性によって. なわち,すでに,大西は,教師の発間の訓練・習熟にか. 説明・発間・指示の指導言が選択されるべきであるとし ている。つまり,大西は,説明・発間・指示・助言のカ テゴリー. かわる発展関係において,子どもの自主的な学習や自立. を,一時間の授業において分析的・研究的に使. 的研究の成立やその段階を視野にいれていたのである。. つまり,大西による教師の指導言の再構成は,学習の理. いこなしていくものとして提示したのである。. 想像として,子どもに自主的な学習や自立的研究とは何 かということを学びとらせることも含めていたのであ. (2)教師の指湛言分析と発間. ところで,大西が,教師の指導言を説明・発間・指示・. る。. 他方,1990年代になって,いわゆる「新しい学力観」(新. 助言のカテゴリーによって再構成するにあたって執拗に. ー 55 −.

(5) 遠 藤 芳 信. 学力観)なるものの標梼のもとに,指導要録における「関. 色にはこれに似寄った点を見えたはずだ。(思い出しな. 心・意欲・態度」の評価の最重点化や「自己学習力」「自. さい)」という「確認」と「指示」を求めているもので. ら学ぶ意欲の育成」などが強調され,あるいは一部で「学. あると強調する(()内は遠藤)。したがって,教師の. び方の学習」などがとりたてて主張されたこともあっ. 確認と指示に対して,子どもは「見えます見えます=は. た。(4)これらの強調・主張は,たとえば,「自己学習」. い」という返答がなされたという。この指導言に先立つ. の「能力や意欲あるいは方法」等が,あたかも,それ自. 「皆さんのうちに,山水画の掛物があるだろう。」なども,. 体として,固有の筋道や自己完結した育成方法として存. 同様に「確認」と「指示」であり,正確には「皆さんの. 在する(あるいは構築できる)かのような議論を含んで. うちに,山水画の掛物があるはずだ。思い出しなさい。」. いた。これに対して,大西の教師の指導言に対する議論. であり,これに対する子どもの返答も同様に「あります. は,上記のように,発間の訓練・習熟にかかわる発展関. =はい」になったという。. すなわち,大西は,「冬景色」の授業において,従来,. 係と子どもの自主的な学習や自立的研究の成立を含んで おり,1990年代のこれらの「自己学習力」の育成などに. 発間の典型的なものとして発されたと考えられてきた芦. 関する大袈裟な強調や主張のあいまいさを超えたかたち. 田の指導言は,正確には発間ではなく,「確認」や「指示」. で提示されていることにあらためて注目すべきだろう。. の意味が含まれており,したがって,その「確認」とは 説明に相当すると指摘する。つまり,大西は,説明が発. 間化したともいえるが,説明の性質が強く残され,発間. (3)高名な授業における「発間」の不徹底. になりきれていないと強調する。また,以上のように,. 他方,大西は上記の芦田恵之助の「冬景色」の授業な. どにおける「発間」は,発間としては不徹底であり,成. 説明の性質が強く残され,発間になりきれていない授業. 熟していないと考えていた。まず,芦田恵之助の「冬景. (従来,発間として理解する研究者が多いとされている) としては,戦後の高名な授業としての斉藤喜博の「出口」. 色」の授業において(尋常小学枚5・6年の複式学級),. の授業実践も相当するという。 それは,ともかく,今日(あるいは戟後一貫して),. 従来,重要な「発間」として位置づけられて検討・議論. されてきた場面は次の箇所である。(5). 学校教育現場では,発問を重視するにもかかわらず,発 間になりきれない「発間」がいとなまれ,あるいは,そ. 次に作者の工夫について,各自に発見した箇所をいは せた。それぞれに所見をいつたが,まとめていふことは. れが発間であるか,説明・指示であるかの区別を本質的. 出来なかった。余は「皆さんのうちに,山水画の掛物が. に解明せずに実践・研究がいとなまれている実態が多い. あるだろう。」といふと,「あります。」と答へた。「その. ことは事実である。後述する吉本均の議論においても,. 山水の景色には,遠くに山などの景色が書いてはなかっ. 発間は説明・指示をふくむものと理解していた時期が. たか。」「中程にややはっきりと書いた景色はなかった. あった。本稿の筆者(遠藤)が,国語科授業で解明され. か。」「極手近なところに,きはめて鮮明に書いた景色は. てきた指導言の分析カテゴリーを手がかりにして,標記. なかったか。」と間ふと,児童は悉く「書いてありました。」. の題目のもとに研究をすすめている理由もここにある。. と承認した。「景色を書いた絵には,この遠中近の用意. ただし,芦田の「冬景色」の授業などにみられるように,. があるが,冬景色にはこれに似寄った点は見つけなかつ. 説明が発間の形態をとることが多いこと,あるいは発間. たか。」ときくと,「見えます見えます。」といふ。さな. の形態をとらざるをえないようになっていることの理由. がら追分で道に迷っている旅客が,行くべき道を見出し. については独自に解明する必要があると思われる。. たやうに喜んだ。「一段が遠,二段が中,三段,四段, 五段が近。」と児童が説明した。. (4)聞いをめぐる専制主義について(その1). さて,若干,上記の大西の指摘に戻るが,大西は,授 業における教師の発問に対して,教師が,何も知らない. 以上の場面で,重要な「発間」としての「景色を書い た絵には,この遠中近の用意があるが,冬景色にはこれ. 生徒にむかって問いかけるのは奇妙であると述べてい. に似寄った点は見つけなかったか。」は,「冬景色」とい. た。この種の指摘は,吉本均によると,大西の議論の趣. う文章の文章構造をたずねる「発間」の形態になってい. 旨とは逆な意味で,すでに1909年にドイツのガウディヒ. るが,大西は,純粋な「問いかけ」ではないとしている。. によって指摘されていたという。すなわち,ガウディヒ. 大西は,「景色を書いた絵には,この遠中近の用意があ. はかれの『教授学序説』のなかで,「問題を知っている. るが,冬景色にはこれに似寄った点は見つけなかった. 教師が問い,問題を知らない生徒が答えるといった学校. か。」という教師の指導言は,正確には「景色を書いた. 授業の状態ほど無意義なものが,どこにあるだろうか。. 絵には,この連中近の用意があるが,(皆さんは)冬景. 事柄は,まさに逆転させなければならない。つまり,生 一 56 −.

(6) NO.55. 社会科授業分析カテゴリーの研究. 徒は問うべきであり,教師が答えるべきなのである。」. 加的な内容であることが多い。. と指摘し,教師の問いから発展させられる授業のやり方 に抗議し,「問いのない授業」を提唱していったとい. 古典的なありかたにおいては,弟子が師匠にたずねると. 2000.12. 第四に,学問研究(あるいはそれにともなう教育)の. う。(6). いうスタイルが一般的であった。つまり,弟子や知的に. 吉本均によると,ガウディヒらの抗議は,教師が知ら. 劣った者が,全知・全能(とされる)の師匠・聖人・先. ない子どもたちを「詰問」して苦しめ,知識を暗記させ. 生に対して,おそるおそる「お伺いをたてて」たずねる. る「専制主義」をあらためようとする新教育運動の主張. ことが一般的であった。孔子の語録としての『論語』の. であったとされ,かれらの新教育学校においては,教師. 記述形式は,弟子の質問に対して,孔子が「子日く」と. による指導のほとんどない自由な対話と労作活動によっ. して答えており,孔子が一段と高い立場から教えを垂れ. て授業が展開されたという。もちろん,吉本均は,ガウ. るかたちになっている。もともと,『論語』の「語」には,. ディヒを批判し,「教師の問いと子どもの自己活動とは,. 「問いに答えて議論する」という意味があるとされてい. 相反するものなのか」と反論している。このようにみる. る(貝塚茂樹)。(郎ただし,これらの場合,弟子がそも. と,問いをめぐる専制主義について,あらためて,全般. そもの「問い」をたてることは,まったく,ゼロから出. 的に言及しておくことが必要だろう。. 発し,何も知らない者として問うことではない。それま. での一定の知識・教養(もちろん,誤解等もふくまれて. 第一に,問いをめぐる専制主義の代表的なものは,裁 判の刑事事件の審理における被告人に対する尋問であろ. いる)の継承・蓄積の上になりたっているいとなみであ. う。あるいは,犯罪事件授査における容疑者に対する取. る。すなわち,そこでは問いの目的は,学問研究の対象・. り調べであろう。それは,国家権力を背にした検察官や. 内容を積極的に深めることにある。. 行政警察官が被告者・容疑者に開いを発し,事実関係の. 第五に,キリスト教の信仰教育として編纂されてきた. 解明や資料収集をしていくことであるが,間を発する者. 教理問答(カテキズム)がある。とりわけ11世紀以降,. の抑圧的な権力的上位性は明確である。これに類似した. 宗教改革期に問答体形式の文書が書かれ,普及されたが,. ものとして,官公庁における各種検査・監査などにおけ. 基本は,教会の教職者と信徒(洗礼志願者や子どもなど). る質問・聴聞などもある。いずれも,問う者の権力的上. との間において,教理・信仰規範を簡潔に教えるもので. 位性や抑圧性は明確である。. あった。問答体形式自体は必ずしも本質的なものではな. 第二に,上記の官公庁に関連するが,主に行政上の細. いが,教職者が問い,信徒が答えるという形式をとって. 部の執行(の解釈等)をめぐって,下級機関が「伺いを. いる。その意味では,上記の第四の問答形式を逆転させ. たてる」という質問がある。これは,問いを発する者が. ている。つまり,信徒の立場であればどのように答える. 権力的に下位に位置し,上級機関の回答に従うことにな. ことが正しいか,という信徒の立場や態様を理解すると. る。. いう前提に立っている。 ところで,日本へのキリスト教渡来期に,ジュスイッ. 第三に,医療業務のなかで,患者が医師に一定の判断・ 診断を求めることに対応した,医師の問診がある。問診. ト宣教師たちによって編集された(日本人の協力により). は,(説明)判断・診断の対象・内容を積極的に解明す. 日本専用の教理問答として,『どちりな・きりしたん』(ク. るいとなみや資料収集のために行われる。(7)患者は,こ. リスチャン・ドクトリン)がある。これは,師が質問し,. の種の(説明)判断・診断を商品として買うという消費. 弟子が答えるというかたちであるが,例外的に,弟子が. 者として現れ,その限りでは,(説明)判断・診断とい. 率直に質問し(意見をふくむ),師が答え,説明する箇. う商品を生産し売るという医師と対等であるが,歴史. 所がある。すなわち,丸山寅男によれば,厳密ではない. 的・伝統的には医師の方が患者よりも上位的な関係に. が,一種の討論体,ディスカッションの形式になってい. あった。なお,以上の医療業務におけるような患者の診. るという。(9). 断の求めに応じた相談サービス業務に類似したものとし. て,人生相談や占い相談がある。占い師が判断する場合. (5)聞いをめぐる専制主義について(その2). 他方,教理問答風の問答体形式は学校教育にもとりい. に,お客に対してたずねることがあるが,このたずねご. れられた。日本の近代学枚でも開発主義教育やヘルパル. とのいとなみは上記の医師の問診に近い。. 以上の第一から第三も,問う者の権力的な上位性・下. ト主義教育のなかで,問答体形式の授業は展開され た。. 位性の問題があるが,(細部を深く)知らない者・理解. (1α. たとえば,1880年代初期であるが,若林虎三郎らの『改. していない者が問うという点では,共通している。また, その間うことの内容も,特定の業務執行のための(説明・. 正教授術』(1883年)は,教授術の総論に相当する巻−. 解明や判断・診断などのいとなみに関する)補充的・追. の「端緒」において,「教授ノ主義」(教授方法の要点), − 57 −.

(7) 遠 藤 芳 信. 「疑問ノ心得」(「発間」の基準や視点),「方法書ノ必須」. の関係をともないつつ営まれているものである。(1譲っま. (教案・学習指導案の記載事項),「批評ノ諸点」(授業. り,問いをめぐる専制主義や反論拒否の権威性・抑圧性. 分析の視点)を指摘し,これらの諸事項はすでに今日の. が顕著にふくまれているものである。 逆に,学校教育における問答体形式の授業における教. 学習指導の計画・実践・評価の骨格を形成しているもの. である。特に,第二番目に重視されている「疑問ノ心得」. 師の問いや発間においても,そうした誘導性や命令・服. は,教師が子どもに発する「発間」の基準や視点を示し. 従過程があるか否かを解明する必要がある。上記の若林. たものである。(11). 虎三郎らの『改正教授術』では,「模擬,語調,顔色等 ヲ以テ暗二生徒ヲ導クベカラス」と教師の誘導的発間を. そこでは,. 抑制している。. なお,大西忠治は,芦田恵之助の「冬景色」の授業に. 疑問ノ心得. おける指導言には正確な発間はなく,発間とみなされて. 疑問ノ心得ハ心力ノ開発学芸ノ進歩如何二関スルヲ以. きた指導言は「確認」や「指示」の意味をふくみ,その. テ教授術中最緊要ナルモノノーーナリ故二左ノ条項ヲ服贋. シ生徒二村シテハー間卜難モ充分ナル注意ヲ加へ決シテ. 「確認」は説明の性質を残していると指摘した。芦田の. 軽忽ニスベカラズ. 指導言には「確認」と「指示」がふくまれるという大西. ー.明白ナルヲ要ス. の指摘を引きとると,「景色を書いた絵には,この連中. ニ.主意ヲ的中スルヲ要ス. 近の用意があるが,(皆さんは)冬景色にはこれに似寄. 三.生徒ノカニ適スルヲ要ス. った点を見えたはずだ。(思い出してみよう)」となり,「確. 四.簡約ナルヲ要ス. 認」=誘導がないわけではない。芦田の指導言はもとも. 五.論理的ナルヲ要ス. と「景色を書いた絵には,この連中近の用意があるが,. 六.模擬,語調,顔色等ヲ以テ暗二生徒ヲ導クベカラ. 冬景色にはこれに似寄った点は見つけなかったか。」と. され,「見つけなかったか。」という否定形をともなう問. ス. セ.答旨ヲ含ムベカラズ. いの発言形態(反語形)があるが,この発言形態の指導. 八.答旨二反対シタル意味ヲ含ムベカラズ. 言には,反論を拒否するなどの強い「確認」=誘導がな. 九.両様ノ語ヲ発シ之ヲ撰バシムベカラズ. いわけではない。近年,若い人たちの会話や説明・意見. 十.常二同法ヲ用イザルベカラズ. の発言のなかに,発言趣旨としては明確に質問体ではな. 十一.一言半句ヲ以テ答ヘシムべカラズ. いにもかかわらず,「0000ということじゃないです か。」「0000のケーキは美味しいというではないです. と,「発間」の基準や視点が強調されている。これは,. か。」などのように,否定形をともなう問いの発言形態. 若林虎三郎らが自己の教育実践にもとづき体験的に記載. がふくめられていることが多い。この種の発言形態は,. したものであるが,発間自体が教授術のなかで主要部分. 発言本人は無自覚であるが,裏面では,他者や会話など. を占めると考えていたことを反映している。もともと,. の相手に対して,発言過程で,逐次,同意を求めつつ,. 若林虎三郎らは,「教授ノ主義」において,「五感ヨリ始. 反論を拒否しつつ,あるいは同意されるはずであるとい. メヨ 児童ノ発見シ得ル所ノモノハ決シテ之ヲ説明スベ. う,「確認」=誘導の思いを強く潜ませた抑圧性をふく. カラズ」と,自力発見・自力理解を基本にしており,そ のため,教師の「説明」をできるだけ避けることを理想. む側面がないわけではない。. としていた。また,「授業ノ目的ハ教師ノ教へ能フ所ノ. となみではない。学習の対象・主題の解明に接近する教. 者二非ズ生徒ノ学ビ能フ所ノ者ナリ」と述べ,「教え」. 師のすぐれた説明のいとなみには,「面白いぞ」という. よりも「学び」を強調していた。. 興味関心への誘い込みがふくまれている。. もちろん,誘導自体がすべて非教育的な正しくないい. いずれにせよ,今日まで,学校教育の学習場面におい. 軍隊教育においても「学科」教育(教官の口頭説明に. よる教授)において,1890年代から,一部では問答体形. て,問うことと答えることの関係や意味はつきつめて考. 式の教授が行われている。日露戦争後には,「発間」な. 察されてこなかった。わずかに,上記の大西忠治らの考. どの用語も軍隊教育内部の一部では使用されていた。(咽. 察が成果としてあるだけで,極端にいえば,日本では,. ただし,軍隊教育におけるこの種の問答体形式の教授は,. 上記の若林虎三郎・白井毅編『改正教授術』で示された. 間に対する解答を誘導し,その解答を暗諭させる目的が. 教授論における発間の基準や視点を超えた議論がないと. ある。かつ,そこでの教官の間(発間)に対する兵貞の. いっても過言ではない。. 答え(解答)の過程は,教官の命令(記憶せよという命 令)に対する兵貞の服従(記憶していますという服従). − 58 −.

(8) NO.55. 社会科授業分析カテゴリーの研究. 2000.12. なまれなければならないからである。. 3.国語科授業の指導す分析力テゴリーを社会. 一般的には,教師の癖(固癖)の形成は容易に避けら. 科授業分析に適用することの効果. れない。また,癖(聞癖)を癖(固癖)として,本人教 師が気がつかず,明確に理解していないことが多い。な. 以上,大西忠治が考察・捷喝してきた国語科授業の指. 導言分析カテゴリーの意義を,近代学校教育をとりまく. お,癖(固癖)は,子ども側から見れば,本人教師のい. 諸環境(文化的,学問的世界もふくむ)のなかで検討し. わば「愛嬢」や「魅力」になりうることもありえる。た. てきた。これらの国語科授業の指導言分析カテゴリー(説. だし,一般市民社会生活から見て(マナー,振る舞い,. 明,発間,指示,助言)を社会科授業分析に適用するこ. など),他人に不快感などを催すものは,自覚的に是正. とは,学校・学級の規模にかかわらず,結論的には有効. すべきである。学校・学級を,一般市民社会生活の空気. である。かつ,その自覚的な適用による授業分析は,教. から閉ざされた「治外法権」的な「独立王国」のように. 師の授業技術の基礎的な習熟と形成にとっても重要であ. とらえることによって,そこにおける教師個人のどのよ. る。. うなマナー,振る舞いなども許されると考えてはならな いだろう。. まず,冒頭で紹介した小学校・中学枚の社会科授業の. 中で,本稿では,青森県平内町東栄小学校(資料1),. 第二は,注(14)に示したように,本考察において示. 函館市昭和小学校(資料2),札幌市北区光陽小学校(資. した社会科授業記録における教師の指導言の分類は,東. 料3),北海道教育大学附属函館中学枚(資料4)の社. 栄小学校を除き,当初,筆者開設の授業(社会科教育時. 会科授業記録における教師の指導言の分類を示してお. 津Ⅰ)の履修学生が(筆者の説明・指導をふまえて)分. く。仕増この4つの資料の中で,東栄小学校は小規模校(4. 類したものを,さらに筆者が修正等を加えたものである. 年生,7名)であるが,他は中規模校(社会科授業の時. が,教師の「確認」の発言をどのように位置づけるか,. の学級の児童数・生徒数は35−40名)である。いずれの. ということが検討課題になる。. 社会科授業も,説明,発間,指示,助言の指導言分析カ. たとえば,資料1のT6,T19,資料4のT7,T14, T17などにおける指導言である。これは,教師の発間や. テゴリーによって,教師の指導者を分類できる。 ただし,以上の国語科授業の指導言分析カテゴリーの. 指示に対する子どもの発言を,教師がそのまま繰り返し. 社会科授業分析への適用をめぐって,さらに若干の検討. て発言したものであるが,子どもの発言を確認する意味. 課題が出てきた。. をもっている。たとえば,この確認は,一般的には,子. 第一は,教師のひとりごと(独り言)の位置づけであ. どもの発言が他の子どもに聞き取れなかったのではない. る。たとえば,資料1のT13,T19,資料4のT8であ. か,などと想定し,教師があらためて強調するというこ. る。その中には聞き取りにくいものがある。場面として. とである。したがって,その強調(確認)は,子どもの. は,提示する授業用資料の理解,説明,解説(あるいは. 発言内容(趣旨)をそのまま板書することもありえるが, 「説明」の分析カテゴリーに位置づけられると考えられ. 板書)などにかかわって発言されているものである。こ. れは,指導言の分析力テゴリーでは,説明に位置づけら. る。つまり,たとえば,資料4のT7は,正確には,「(0. れるが,正確には,説明の(準備)不徹底というべきも. 0さんは)情報の一覧性をもつ(と発言しました。重要 なことですね)。」という指導言のなかで,()内の,. のである。. すなわち,(00さんは)と(と発言しました。重要な. ただし,社会科の授業では,国語科の授業よりも,教. ことですね)などが省略された指導言であり,説明に相. 師のひとりごと(独り言)が多く現れる可能性が強い。 社会科の授業では,資料(史料)の提示が,国語科の授. 当する指導言である。つまり,以上の教師の「確認」の. 業よりも状況的には多い。また,その資料(史料)の提. 発言は,正確には,「省略化された説明の指導言」とい. 示のために各種の機器を操作することが多い。つまり,. うことができる。. 授業における教師の指導言は,省略されることが多い。. 提示する資料(史料)の説明,あるいは資料(史料)提 示のための各種の機器操作にかかわって,教師のひとり. 上記の他に,たとえば,資料1のT14であるが,正確に. ごと(独り言)が現れることが多い。したがって,あら. は「(00さんは◎◎◎◎◎◎◎◎と発言しましたが,. かじめ,当該資料(史料)の理解・意義づけ・子どもへ. この発言で)いいですか?(考えて下さい)」という指. の提示方法の計画・予想,各種の機器操作の習熟,教材. 導言のなかで,()内の,すなわち,(00さんは◎◎. 提示装置の丹念な準備が求められる。. ◎◎◎◎◎◎と発言しましたが,この発言で)と(考え て下さい)などが省略された指導言であり,指示に相当. 授業における教師のひとりごと(独り言)が,いわば 本人教師の癖(固癖)になることは避けるべきである。. する指導言である。資料2や,資料3の指導言にも省略. 授業における教師の指導言は,公共性を目的にしていと. がある。. − 59 −.

(9) 遠 藤 芳 信. では,教師の指導言を,「指示」として強化・特化する. 授業における教師の指導言における省略自体は,①当 該授業時間内に取り扱う内容が多くなり,余裕をもって. 実践に含まれる抑圧性や操作主義傾向や管理主義的傾向. を背景にした教師の指導の構え,②教師と子どもとの「阿. は考慮されていなかった。つまり,これらの傾向は,「発 間主義」と同様に「指示主義」と称することができる。. 畔(あうん)」(省略してもなんとなく相互に理解しあえ. 教師が子どもに指示をきちんとできること自体は重要な. る関係)の呼吸関係の醸成,③当該教師における子ども. ことであるが,教師の指示に対して,子どもからの異議. の学習に対する意図的な訓練(学習過程で,諸発言の省. 申し立てや反論が想定されなければならない。1980年代. じっくりと学習できない教育課程編成の条件や勤務環境. 略自体を自覚的・目的的に追求する),などのいとなみ. にあらわれた上記の指示の研究と実践は,子どもからの. から考察する必要があるが,本稿では特に言及しない。. 異議申し立てや反論を想定せず,むしろ,そうした異議 申し立てや反論を拒否・無視する前提・論理のもとに組. みたてられたものであった。. 4.教師の指導官分析力テゴリーの今後の検討. 本稿前半で「開いをめぐる専制主義」を考察したが,「指. 課足. 示をめぐる専制主義」こそが解明され,克服・是正され なければならない。指示については,「問い」と「答え」. 以上,国語科授業で提唱されてきた教師の指導言の分 析カテゴリー(説明,発間,指示,助言)によって,社. との関係以上に抑圧性や権威・権力性があると考えられ. 会科の授業における教師の指導言を分析してきた。以上. るからである。. それでは,「指示をめぐる専制主義」の克服・是正の. の指導言分析カテゴリーは,資料に示したように,学校・. 学級規模にかかわらずに,教師の指導言の分析に適用で. ためには何が必要だろうか。それは,指導言のレベルで. きるものである。. は,説明と問答をからめた,教師と子どもとの間のゆる. ところで,授業では,この他に,教師の指導言の分析. やかな合意が必要であろう。 そのために,たとえば,. カテゴリーとして新たに考えられるものがあるだろう. 「T.00000を指示します(00000をして下. か。たとえば,範読(特に国語科),演示(特に実技系 教科),激励の言葉(「がんばれ」,「もう一息だ」など). さい)。」. は,新たな指導言の分析力テゴリーになりうるだろうか。. という教師の指示については,続けて,. 論理的には,範読や演示も,説明の分析カテゴリーに位. 「T.いいですか。今の指示について何か聞きたいこ. 置づけられるし,激励の言葉は助言の分析カテゴリーに. とがありますか」. 位置づけられると考えられる。. とか,あるいは,. 最後に,大西忠治が考察・提唱した発間や指示の分析. 「T.いいですか。00000することに自信がない. 人はいますか。遠慮なく手をあげなさい。」. カテゴリーの意味をもう一度検討したい。. 第一に,上記のように,大西は,「よく知った教師が,. という,指示を与えることである。 これらの指導言によって,説明と問答がからみあいつ. 知らない生徒に問うこと」としての発間の意味や学習の. 理想的な発展的方向を述べた。これは,正確にいえば,「よ. つ,教師からの指示が一方的・権力的になされることを. く知っている教師が,〈知らないふりをして〉 〈知らない. 避けることができ,教師の指示に対する子どもの従順性. 立場に立ったことを想定して〉,知らない生徒に問うこ. や適応過剰性の形成を脱することができる。. と」である。この場合,教師が,〈知らないふりをして〉. 以上のような,指導言レベルにおけるゆるやかな合意. とか〈知らない立場に立ったことを想定して〉,生徒に. の形成を,指導言分析カテゴリーとしてさらにどのよう. 問うということは,自己が生徒の立場に立ったことを想. に位置づけるかについては,今後の検討課題として重視. 定して,生徒の思考に働きかけることである。すなわち,. する必要がある。. 子どもだったらどのように考えるだろうか,子どもだっ たらどのような質問や疑問を出すだろうか,子どもは問 (注). 題の所在の軽重をどのように考えているだろうか,など. (1)(2)大西忠治『発間上達法』6ページ,1988年,民. と,子どもの思考を想定することが必要である。つまり,. 衆社。. 「知らない生徒と一緒に考える」立場に立った発間が組. 〈補注1〉授業分析の枠ぐみ設定については,従来,. みたてられていくことが重要である。. 第二は,指示の問題である。これは,大西の考察・提. 様々な視点・レベルでの言及があったが,. 唱とは別に,1980年代に,教育界の一部において,指示. 本稿は,授業における教師の日々の日常的. の研究と実践の重要性が強調されたことがあった。そこ. な指導言を分析するためのカテゴリーの枠. − 60 −.

(10) NO.55. 社会科授業分析カテゴリーの研究. ぐみの設定を研究対象にしている。本稿は,. 2000.12. 業における教師の指導性や指導技術の理想. 大西忠治が提示してきた教師の指導言分析. (像)」が間接的・部分的に反映されると. カテゴリー(説明・発間・指示・助言)に. 称することができる。. 注目しているが,従来,そもそも,①なぜ,. 〈補注3〉 山田勉はかつて,「授業分析は,一般に授. 教師の指導言を説明・発間・指示・助言等. 業過程に現れる諸現象を記録し,その記録. のように区分・区別するのか,②説明・発. を分析して何らかの知見を得ようとするも. 間・指示・助言の各々の明確な定義や機能. のである。なかには,この分析を量的に累. はいかなるものか,に関して踏み込んだ議. 積して授業法則あるいは授業の良否を判断. 論はほとんどなされてこなかった。授業に. する基準を確立しようとするものもある. おける教師の日常的な指導言の踏み込んだ. が,今日の段階では,まだ,十分な研究成. 分析については,研究史的には大西忠治の. 果をあげたとはいえない。また,いずれ授. 議論が早い。. 業の機械化ヤシステム化が進と考え,その. く補注2〉 授業分析自体の目的は,授業の「理想(像)」 を直接的に示し,あるいは「理想(像)」. ためのデータ収集に当たっているものもあ る。いずれにしても,その分析の結果は,. を直接的に構築すことではない。ただし,. 何らかの意味で授業の改善につながり,指. そこには,授業の「理想(像)」なるもの. 導者の指導技術の向上や子どもの成長・発. が何らかの形で間接的・部分的に反映され. 達に貢献するものとなる」と言及し,さら. ていることはいうまでもなく,〈補注3〉. に,「社会科における授業分析の最大の特. で紹介した山田勉の言及のように,何らか. 質は,子ども一人一人の社会認識の実像を. の意味で授業の改善につながることはいう. 明らかにするところにある。授業過程のす. までもない。なお,朝倉隆太郎編著『新社. べての目的は,この社会認識が主体的に,. 会科指導法事典』(1979年,明治図書)は,. しかも科学的・客観的な認識過程として成. Ⅰ小学校社会科の目標と性格,Ⅱ 小学. 立するところに収赦する」と記述していた. 校社会科の内容,Ⅲ 小学校社会科の指導. が,重要な言及であることはいうまでもな. 計画,Ⅳ 社会科の学習過程,Ⅴ 学習形. い。ただし,山田勉の後半の言及は,いわ. 態,Ⅵ 学習活動,Ⅶ 資料・教具・施設・. ば,研究者側(ここで「研究者」とは,必. 設備とその利用,Ⅷ 評価,の目次構成に. ずしも大学数貞や研究所勤務研究貞等のみ. なっている。そして,最後の「Ⅷ 評価」. を意味するのではなく,特定の研究テーマ. の中の「1評価の意義と観点」に,「(5). のもとに研究活動に従事する一般現職教貞. 授業分析と評価の観点」が叙述されている。. 等も含めている)が,とりたてて研究テー. つまり,授業分析は評価論(特に,教師の. マを立ちあげてすすめる授業分析の特質を. 指導性や指導技術を評価する)に位置づけ. 言及しているように考えられる。山田は,. られているが,適切だろう。ちなみに,同. 続いて,社会科の授業過程を「集団思考過. 箇所執筆者(上山英昭)は,「授業の記録. 程」「社会認識過程」として規定し,社会. をとり,それを分析することによって,自. 科の授業分析の課題として,①認識主体と. 己の場合には自己の指導上のくせを知るこ. 認識対象との緊張関係,②認識主体の主体. とになり,他人の場合にはその秀れたとこ. 的追究の過程,③認識主体内にある追究の. ろを参考にすることができる」(644ページ). ための内発力,(む認識主体内における新た. と,簡潔に言及している。この言及は,本. なる認識連関の形成,⑤認識主体相互の組. 稿の本文における言及と共通しているが,. 織化,⑥教師の指導性と教材の教育性,を. 授業分析の目的を教師の指導性・指導力量. 提示している(山田勉「授業分析の方法」. の向上の視点から述べたものであり,適切. 教員養成大学・学部教官研究集会社会科教. である。したがって,筆者における日常的. 育部会編 『社会科教育の理論と実践』177. な教師の指導言を分析対象にした授業分析. −180ページ,所収,1988年,東洋館出版社)。. が,上述の授業のイ理想(像)」をあえて. この山田の①∼⑥の言及は重要であるが,. 強調しようとするならば,授業全般の一般. ②③などは換言すれば,大西忠治が注(3)文. 的な「理想(像)」ではなく,正確には「授. 献で,教師の指導言における発間の性格・. ー 61−.

(11) 遠 藤 芳 信. 導研究大会要項論文,1994年1月,全生研北海道支. 機能・発展段階に関して言及しているとこ. 部発行)参照。 (5)大西忠治『大西忠治「教育技術」著作集』第10巻, 135ページから再引用,1991年,明治図書。仮名づ. ろの,子どもの「自主的な学習や自立的研 究の成立やその段階」に近いものである。. また,山田の①∼⑥の言及は授業「分析」. かいを一部変えている。. というよりは,社会科の授業過程を「集団 思考過程」「社会認識過程」として「構築」. (6)吉本均『訓育的教授の理論』132−133ページ,明治. する視点や課題を言及していることに近い. 図書。 (7)ただし,近年,医療界においては,患者の権利の確. ものである。他方,日々の(普通の)日常 的な教師の授業においては,授業分析のい. 立・擁護のために,インフォームド・コンセント(説. となみは,〈補注2〉 で紹介したように上. 明と同意)の原理が注目されており,「説明」の重. 山英昭の言及のような目的・視点でなされ. 要性が強調されている。. の)日常的な教師の授業が,山田の①∼⑥. (8)貝塚茂樹責任編集『世界の名著3 孔子 孟子』14 ページ, 1966年,中央公論社。. の視点や課題に対応して「構築」されるた. (9)丸山真男『忠誠と反逆』203−204ページ,1998年,. ているものと考える。なお,日々の(普通. ちくま学芸文庫,初出1977年。. めには,教師のいとなみとして何が必要か. をさらに解明する必要がある。ただし,筆. ㈹ 稲垣忠彦『明治教授理論史研究』参照,1966年,評. 者としては,山田が⑥で「教師の指導性に. 論社。 ㈹ 若林虎三郎・白井毅『改正教授術』1−3丁,1883. は,発間や指示がよく見られるが,より重. 年。. 要なものとして教材の提示がある。」と言. 及しているところの,(よく見られるとこ. 仕勿 拙稿「陸軍将校による教育学研究(上)」軍事史学. ろの,すなわち,日常的な)発間・指示や. 会編『軍事史学』第9巻第4号,21ページ,1974年. 教材の提示等自体を,本稿後述のように,. 3月,並木書房。 (13)拙著『近代日本軍隊教育史研究』571ページ,1994. 完成(本質や概念の規定等もふくめて)さ. れた所与のものとして存在し,いとなまれ. 年,青木書店。. ているとは考えていない。すなわち,筆者. (14)各学校の社会科の授業指導者及び実施日時は下記の. が,授業分析を日々の日常的な教師の指導. 通りである。 青森県平内町東栄小学校(資料1,1998年10月15. 言の分析レベルですすめることの理由もこ こにある。したがって,指導言の分析にお. 日実施,其田靖生教諭指導),函館市昭和小学校(資. いては,1時間の単位授業(50分)全過程. 料2,1994年7月5日実施,倉部俊朗教諭指導,*. を記録化し,あるいは分析することが必ず. 河合利樹),札幌市北区光陽小学校(資料3,1997. 必要であるとは考えていない。教師の指導. 年10月16日実施,及川宣史教諭指導,*木村美由紀),. 言の特定の限定された過程にそって分析し. 北海道教育大学附属函館中学校(資料4,1995年6. (必要な場合は,当該指導言の前後を明ら. 月5日実施,林敏雄教諭指導,*瀬野圭一)。なお,. かにすることはいうまでもない),各指導. *印は,筆者の勤務大学における社会科教育特講Ⅰ. 言の分類にかかわる論理関係を解明するこ. の授業科目履修着で,録画したビデオテープから教. とが重要である。以上の日々の日常的な教. 師の指導言の展開過程の一部(約5分間)を文章化・. 師の指導言の分析における手続きをふく. 分類化した学生である。本稿では,その文章化・分. め,本稿は,上記の山田の特に⑥の言及か. 類化された指導言の展開過程をさらに縮小し,かつ,. らみれば,社会科授業分析としてはささや. 若干の修正を加えている。. かなものであることはいうまでもない。. 授業見学を許可された学校,および授業実施の上. (3)大西忠治『教師の「指導」とは何か』78ページ,1982. 記の諸先生に深謝する。. 年,明治図書。 (4)1991年改訂の指導要録。「新しい学力観」は,1988 年改訂学習指導要領からめざされているという議論 への批判を含めて,「新しい学力観」登場のご都合. 主義等を批判したものとして,拙稿「新学力観とグ ローバルエデュケーション」(第26回北海道生活指. − 62 −.

(12) NO.55. 社会科授業分析カテゴリーの研究. 2000.12. 資料1(書森県平内町立東栄小学校 4年 「火事」) 教. 師. の. 活. 生 徒 の 活 動. 動. Tl.今日ですね,その火事について勉強していきます。私たちのこの生活. 指導言分類. Tl.説明. をね火事から守るためにどうずればいいか,それでまずこの資料を見. 指示. てください。a君は絶対しゃべらないで下さいよ。 T2.このグラフの名前は棒グラフといいますね。. T2.説明. T3.縦軸は何を表しておるかな。縦の軸は何を表していますか。おっ,b 君が手を挙げましたね。はい,どうぞ。. T3.発間. T4.誰か,今のを付け加えてくれませんか。. Pl.けん,件。 P2.はい,はい。. T5.それじゃ,C君。. P3.はい,火事の件数だと思い. T4.助言. ます。. P4.同じです。 T6.件数ね,縦軸は件数。はい。. T6.説明. T7.横の軸は何を表しているかな。. P5.はい,はい。. T8.縦の軸は火事の件数。横の軸は何を表しているかな。はい,dさん。 P6.火事の起きた年度。. T7.発間 T8.発間 指示. T9.はあ,火事の起きた年だな。. T9.説明 P7.はい。. TlO.発間. P8.およそ120件ぐらい。. Tll.発間. はおよそ何件くらいか。. Tll.1991年はおよそ何件くらい。(間をおく)よし,じゃ,C君。. P9.同じです。 T12.はあ,120件ぐらいですね,はい,そうだね。. T12.説明. T13.あのう,(聞き取れず)ここだね,これぐらいだら,ここで100だから,. T13.説明. (黒板に貼ったグラフを見つつ)まあ,じゃ,かってに2,3人に聞 いてみよう。1993年度は何件ぐらいか。. 発間. PlO.およそ200,200件です。 P12.同じです。. T14.いいですか。. T14.指示. T15.はい,1984年はみんなで言って下さい。およそ。. P13.110件。. T16.110件ぐらいだね。うーん,1984,みんなの生まれる前だな,みんな の生まれるの何年だ。. T15.指示 T16.説明. P14.63年,64年。. T17.19……こっちか,19何年。すみません,8から10引くと……,今何才。. 発間. T17.説明. はい,じゃ,ちょっと質問をもう一つ繰り返します。 T18.1984年の埼玉県浦和市のですね,火事の件数が1993年にはどれくらい. T18.発間. に増えたのですか,およそどれくらい増えていますか。1984年から1993 年まで見てください,およそどれくらい増えていますか, だいたい。. P15.はい。. T19.はい,b君。. P16.100件だと思います。. T20.100件,うん,100件。その他の言い方あるかな。. T19.指示 T20.助言. あっ,すごい,a君。. P17.90。. :==ヽ、. P18.同じです。. T21.はっ,90件。. T21.説明. T22.もっと別な言い方ないかな。. P19.はい。. T22.助言. T23.ある,すごい,はい。. P20.はい。. T23.指示. T24.およそ。. p21.2倍に増えています。. T24.助言. T25.そうだね,およそ,2倍に増えています,ね。浦和市という所は,今 度,調べてみて下さい,埼玉県,2倍に増えています。. − 63 −. T25.説明.

(13) 遠 藤 芳 信. 資料2(函館市立昭和小学校 6年 「室町時代の農業」) 教. 師. の. 活. 生 徒 の 活 動. 動. 指導言分類. Tl.説明. Tl.ここにね,いいかい,先生一つこういうものを作りました。農民の願 い,ね,農民の願いというのは,ちょっと時間がなくなってきたから まとめると,牛や馬を使って仕事楽にしたいな,これ一つでしょ,ね。 水車,水運び,大変だから楽にしたいね。二毛作,沢山のものを,ね, とりたいな。. T2.発間. T2.ということは,農民の願いってどんな願い。 Pl.暮らしが楽になりたい。. T3.この,はい,a君。. P2.同じです。 T4.説明. T4.そうですね。暮らしが楽になりたい,ね,それは仕事もそうだし,ね, それからいろんなもの沢山ほしい。ところがね,一方では暮らしが楽 になりたいのに農民同士戦わなければならなかった。水も足りなかっ た。革も足りなかった。そして,もう一つ農民の暮らしはね,楽にな れなかった。 P3.はい。. T5.どうしてですか。. T5.発間 T6.助言. T6.農民の暮らしは,ね,楽になれなかったんです。この農民の生活全部 にね,ドーンてね,かかってきたものがあるの。. T7.発間. T7.何だろう,これ。. P4.年貢。 P5.同じです。. T8.はい,b君。. T8.指示 T9.助言. T9.年貢なんだけどね,もっと言うとどういう風に言えばいい。ただの年 貢じゃないよ。 P6.重い年貢のために借金。. TlO.はい,C君。. Tll.説明. Tll.よし,はい,これをね,農民のところにかかってきたのは重い年貢で す。非常に重い年貢です。. P7.はい。. T12.発間. か。このために農民は,さあ,考えてもらおう。時間がないから,ま あ,ぼんぼん進んでいくしかないな。. P8.はい。. P9.寄り合いを開く。. T13.はい,d君。. T13.指示. PlO.同じです。. Pll.はい,はい。 T14.ちょっ,ちょっと待って,ちょっと待って,農民の生活だ,その前に。. T14.助言. P12.借金地獄。. はい,eさん。. T15.説明. T15.ああ,すごい,地獄って書いていい。書けれるか……。. はい,よし,いいです。はい。借金地獄だって,はい,じゃ地獄って 書くわ,先生。ね,はい,借金地獄。. T16.発間. T16.借金地獄ったら,いくら働いても働いても借金がなくなるの,なくな P13.なくならない。. らないの。. T17.説明. T17.なくならない。それから……。いいか,借金がなくならないんだよ。 はい。. T18.説明. T18.さあ,ここで水争いがあるよ,草刈り場の争いがあるよ,借金,重い 年貢のための借金地獄だよ。自分の暮らしが楽になりたい。農民はこ ういう願いだ。. T19.発間. T19.こういう願いのもとに,農民たちはね,自分たちで自分たちの生活を よくしようとしてあるものを作っていく。 はい,これは何ですか。これを何というんですか。 T20.自分たちで,これがさっきd君がちらっと言ってたやつだ。何だ。. P14.はい,はい。. T20.助言. T21.はい,eさん。. P15.寄り合いです。. T20.指示. T22.うん,はい,これが寄り合いです。. P16.同じです。. T21.説明. − 64 −.

(14) NO.55. 社会科授業分析力テゴリーの研究. 2000.12. 資料3(札幌市立光闇小学校 5年 「自動車工場で働く人々」) 教 師 の 活 動. 生 徒 の 活 動. Pl.ない。. Tl.あと,窓関係で何かありませんか。. T2.いや,今窓出たよ。. 指導言分類. Tl.発間 T2.助言. T3.窓関係である?窓。. P2.はい。. T3.発間. T4.おっ,窓,はい。. P3.あるか?. T4.指示. T5.窓,挟まると止る。自動的に(板書しながら). T5.説明. T6.はい,どうぞ。. P4.えっと,私は紫外線について調べたんですけ ど,こっちの灰色の方が普通のガラスで,こっ ち側が……。. P5.質問,紫外線って……。 P6.ちょっと待ってくれる。ちょっとあとでちゃ んと言うから,いい。 P7.こっち側がUVカットガラスと言うんだけど, この青いのが紫外線で,これが可視光線って. いうの,赤いのがね。 P8.紫外線っていうのを,なんかありすぎると皮. T7.ちょっと待って,忘れちゃうから。UVカットガラ 膚ガンっていうのになるんだよね。それで,. ス。(板書する). 皮膚ガンっていうのは顔になんか……,なん か……. T8.イボ。. T8.助言 とカサブタになってって,それでカサブタに なってって。. T9,それで固くなる。. T9.助言 一つが唇だったっけ,それに出きるんだけど,. 血が出てくるみたいでね,そういう痛気にな るらしいです。. TlO.説明. TlO.今朝ね,調べたらね,皮膚ガ㌢って出てたんだって。 それでさ,皮膚ガンはa君に質問されそうだって, 今日の朝来たんだよ,いきなりなんで,調べたんだ. よな,先生とな。 Pll.それでこのガラスだと紫外線を90%カット出 きるんです。それでカット出きるわけなんで すけど,何だったっけな,あまりそこらへん は自動車……あまりわかっていなかったんだ. Tll.説明. Tll. 出きるとか言ってくれました。終わります。 T12.はい。. P12.質問。. T12.指示. P13.何ですか。 T13.出た。. P14.UV何とかカットガラスって……. T13.説明. P15.えっ−,それは考えてなかった。うん。えっ−, 何だろう。. T14.これね,何かね,英語なんだよ,多分。紫外線の。. T14.説明. T15.うん,そうです。. T15.助言. T16.じゃあ,あとでね,あそこに大学のね,学生さん沢. T16.指示. 山いるから,先生より英語知っているから,絶対聞 いて下さい。どういう意味かね。一番賢そうな学生 さんに聞いて下さい。誰かなあ。. T17.はい,じゃあ,窓,他に。. P17・はい。. p18.はい。. − 65 −. T17.発問.

(15) 遠 藤 芳 信. 資料4(北海道教育大学附属函館中学校 3年 「情報化社会に生きるわたしたち」) 教. 師. の. 活. 動. 生 徒 の 活 動. 指導言分類. Tl.出きたようですね。. Tl.説明. T2.それじゃ発表してもらいます。. T2.指示. T3.まずこの活字という方ですね。. T3.指示. T4.新聞,雑誌,本,チラシなど,この特徴をはい,それじゃ,誰か,は. T4.指示. い,発表して下さい。 T5.はい,誰でもいい,ちゃんと手を挙げてよ。. T5.指示. T6.はい,aさん。. Pl.情報の一覧性をもつ。. T6.指示. T7.情報の一覧性をもつ。. T7.説明. T8.えーと……. T8.説明. (聞き取れず)(板書する). T9.はい,まず一つですね。情報の一覧性。. T9.説明. TlO.はい,それじゃ,aさん,具体的にどういうことですか。 Tll.‥・…という風に書いてあるけど,具体的に言うと。. TlO.発間. P2.いろんなこと。. Tll.助言. T12.いろんなことであるんだけど,答えなんだね。 P3.見たら何が書いてあるかわ. T12.説明 T13.たとえば,何か一つを取り上げてみると,新聞だったら,どういう意 T13.助言. 味で一覧性というか。. かる。. T14.見たら何が書いてあるかわかる。. T14.説明. T15.それじゃ,b君,この間から立っているやつ。. T15.指示. P4.あることが全部まとめて詳. T16.新聞は情報の一覧性という特徴があるというんだけど,具体的にいう. T16.発問. しく書いてある。. と?. T17.まとめて詳しく書いてある。. T17.説明. T18.というのと,一覧というから,いろんな情報が入っているということ。. T18.説明. テレビの番組もあるし,スポーツもあるし。そう意味の一覧性,ね。 T19.じゃ,横に行きますよ。はい,Cさん。. T19.指示. T20.他の特徴。. P5.情報量が多い。. − 66 −. T20.説明.

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参照

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出典:総合エネルギー調査会 省エネルギー・新エネルギー分科会/電力・ガス事業分科会

区分 授業科目の名称 講義等の内容 備考.. 文 化

授業科目の名称 講義等の内容 備考

社会学文献講読・文献研究(英) A・B 社会心理学文献講義/研究(英) A・B 文化人類学・民俗学文献講義/研究(英)

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