那須野が原博物館紀要 第 16 号 2020
はじめに
このたびの小稿は北那須地域において、許可を受
けながらも開業に至らなかった鉄道と却下され不許
可となった鉄道について、史料をもとに記すもので
ある。
北那須地域の範囲は、行政区において那須町・那
須塩原市・大田原市を対象とし、計画路線の関係で
上記の市町の周辺も対象とした。
なお、開業された那須人車軌道(那須軌道)・塩
原軌道(塩原電車)については、拙稿
(1)で述べて
いるので割愛し、東野鉄道については、今までにい
くつかの図書等が出版されており、そちらをご覧い
ただきたい
(2)。
ここでは、この 3 路線の前史及び延長路線につい
てだけ記しておきたい。北那須地域において西那須
野駅より 3 路線が開業した要因は、自然的・地形的
なものによるところが大きいと考えられる。つまり、
那須人車軌道・東野鉄道は、那須地域の山地部分と
異なり、緩やかに傾斜する那須野が原扇状地の台地
部分を通過し、また近隣に大きな河川がなかったこ
とが、路線を敷設できた一つの要因と考えられる。
一方、塩原軌道については、逆に扇状地から山間
部に路線を伸ばすが、扇状地形成のラインに沿って、
つまり扇状地を形成した旧河川の流路に並行し、分
離丘陵とも平行な北西方向に敷設されたことは、敷
設するうえで好都合であった。その後の路線延長や
計画路線も含めて、山地への敷設は困難を要し、結
果的に温泉地の中心まで路線を延長させることはで
きなかった。
那須人車軌道は明治 41 年(1908)7 月に開業す
るが、明治 34 年(1901)頃に大田原及び塩原の有
志が、大田原−西那須野−関谷間と大田原−川西間
の那須人車鉄道計画を立てるが、双方の思惑が一致
せず物別れとなったという
(3)。
東野鉄道においては、当初計画で西那須野−川西
−大子間の本線と、川西−烏山間の支線が予定され
ていた。しかし、第一次世界大戦や経済不況により、
資金が思うように集まらず、当初は西那須野−黒羽
間による営業が大正 7 年(1918)に開始された。さ
らに大正 13 年(1924)12 月に黒羽−那須小川間の
延長路線が開通したが、15 年後の昭和 14 年(1939)
6 月にこの区間は廃止されてしまう。この延長線上
には本線の当初計画である大子までの路線があった
が、測量はされたものの、着工には至らなかった。
これが、黒羽−那須小川間の寿命を縮める結果と
なったと思われる。つまり、目的地までの路線が敷
設されず、途中路線では乗降客数の確保や採算も取
れないということである。
塩原軌道は明治 45 年(1912)7 月に営業が開始
され、この時点でアメリカから導入された通称「屋
台」と呼ばれる蒸気機関車による運行で、関谷が終
点であった。次に、ドイツのクラウス社から導入し
た蒸気機関車により、「塩原」(後の新塩原)まで延
長された。当初計画された電車運行は、電力を塩那
電気株式会社から供給されることにより、大正 10
年(1921)に「塩原電車株式会社」と改称され、翌
年大正 11 年(1922)に電車の運行が実現した。さ
らに、大正 10 年の「塩原電車株式会社増資新株式
募集」には、終点の塩原口より御用邸を通過し福渡
までの「許可線」
(4)の延長と関谷から矢板までの
「出願線」の延長が描かれている。当時まだ工事中
であった矢板から今市までの下野電気鉄道と接続を
予定し、塩原・日光との連絡を模索していたが、実
現には至らず幻の延長線となった。
なお、西那須野駅から塩原温泉へ塩原軌道が開業
されたのに対して、那須温泉の玄関口である黒磯駅
から那須温泉へ路線が敷設されなかった。その理由
は、一級河川である那珂川の存在であった。川幅も
あり河床が極端に深い那珂川に橋梁を建設すること
は、技術的にも資金的にも地域の資金力では叶わな
かった。そのため、黒田原駅より那須電気鉄道の計
画により那須温泉への路線が試みられたが、路線の
敷設や駅の建設も進んでいながら、今一歩のところ
で断念された。
北那須地域に展開された鉄道計画
−幻の鉄道計画をめぐって−
金井 忠夫
那須塩原市那須野が原博物館 〒 329-2752 栃木県那須塩原市三島 5 丁目 1 番地
羽−品川・田端−池袋−品川)
・塩竃線(岩切−塩竃)
・
八戸線(尻内−湊)が開業している。
そうした中で、両毛線・水戸線・日光線と日本鉄
道会社の支線が集中するところが栃木県である。両
毛線は、当初両毛鉄道会社として、東京と地元栃木
在住者などで発起され、明治 21 年(1888)に開業
する。工事を日本鉄道会社に委託するなど、密接な
関係があり、明治 30 年(1897)に日本鉄道会社に
譲渡された。水戸線は、東京の実業家川崎八衛門と
茨城県の有志により、明治 20 年(1887)に水戸鉄
道会社が創設される。水戸鉄道も日本鉄道の社長が
兼任するなど、こちらも密接な関係にあり、明治
22 年(1889)に小山−水戸間が完成し、明治 25 年
(1892)には日本鉄道会社に譲渡された。日光線は、
当初日光鉄道会社により明治 23 年(1890)に発起
されるが、結果として日本鉄道会社の支線として建
設される。
奥州線は栃木県の中央を縦断し、国道 4 号ととも
に栃木県の交通の要であり背骨である。そして準幹
線ともいえる両毛線・水戸線・日光線が横断線とし
て栃木県の鉄道網の骨格を成す。そうした中で、地
域の鉄道計画は幹線ないしは準幹線に繋げることを
模索するのである。
なお、北那須地区において奥州線が現在に至った
経緯について触れておきたい。
当初、奥州線は奥州道中沿いに計画されていた。
そのことを示す資料が鉄道博物館に所蔵されている
「高嶋嘉右衛門東京青森間測量絵図」(小野友五郎権
頭殿測量図の写し)の絵図である。この絵図は、鉄
道寮の小野友五郎が奥州線の全路線を測量したもの
を、高嶋嘉右衛門が写しを取ったものである。私鉄
である奥州線を、明治政府が敷設に際して測量をし
ていることが分かる資料でもある。絵図は、奥州道
中沿いに測量をしているが、奥州道中の宿場町で
あった大田原を通過していない。大田原を通らず黒
羽を通過(宇都宮−白沢−氏家−喜連川−佐久山−
黒羽−鍋掛−越堀−芦野−白坂−白河)しており、
明治初期の状況を映し出している。
当初は奥州道中沿いに敷設される予定が、現在の
路線になった背景には、より直線化された路線と軍
事的な目的が付加され、国家プロジェクトとしての
那須野が原開拓との連動により、鉄道路線が押し上
げられたとみられる。これは、陸羽街道においても
同じ理由であると思われる。ただ、鉄道の敷設にあ
たっては、すでに形成された近世の市街地を通過す
1. 日本鉄道会社と奥州線
(1)日本鉄道会社の誕生
日本の草創期の鉄道は、政府主導で敷設される。
明治 5 年(1872)新橋−横浜間の鉄道を敷設し、続
いて明治 7 年(1874)に大阪−神戸間、明治 10 年
(1877)には京都−神戸間が開通される。これを見
ると主要都市と開港場を結ぶ路線で、輸出入を意識
した短距離の路線であった。ここまでが、当時の政
府の限界であり、東京−高崎間の鉄道敷設は明治
13 年(1880)11 月に財政難により中止となる。
ここで、岩倉具視を中心とした第十五銀行の関係
者が結びつき、私鉄鉄道計画が動き出す。日本鉄道
創立委員池田章政外 461 名の連名で「鉄道会社創立
願書」を提出し、明治 14 年(1881)11 月に「日本
鉄道会社特許条約書」が下付される。
現在、那須塩原市那須野が原博物館(以下、当館)
において華族農場について調査しているが、華族の
殖産において農場経営が挙げられる。また、華族の
主要な殖産として、第十五銀行への資産の預託と日
本鉄道への投資が一体化する形で岩倉は画策する。
これにより、明治 14 年 12 月 2 日日本鉄道会社は創
設される。
(2)日本鉄道会社奥州線と栃木県内の支線
那須地域の幻の鉄道を追う中で、幹線であり各計
画路線が接続を試みた日本鉄道会社奥州線(後の東
北本線)
(5)の動きをみておきたい。
東北本線の前身である日本鉄道会社奥州線は、明
治 14 年 11 月に特許条約書が下付される。工事区
分としての第一区線〜第五区線までを明治 24 年
(1891)9 月に完成し、わずか 9 年間で敷設が完了
する。私鉄の事業とはいえ「半官半民」の日本鉄道
会社は、明治政府の意向を受けて事業を進め、政府
の東北・北海道経営とロシアの南下政策への対応に
より敷設を急いだ。
日本鉄道会社は、その名のとおり日本全国に鉄道
網を整備するという考え方のもとに、奥州線が敷設
される。その他に、高崎より中山道を通り敦賀に至
る線、それより京都へ至る線、そして中山道路線よ
り新潟へ至る線があり、九州においては、門司より
小倉を経て長崎に至る線が考えられていた。しかし、
結果として建設されたのは奥州線のみであった。
短距離の支線としては、海岸線(常磐線)・秋葉
原線(下谷区山下町−神田区佐久間町)
・山手線(赤
線の西那須野駅を挟んで大田原−関谷間が明治 34
年頃に計画される
(7)。幹線である東北本線に繋ぐ
ことは、地域において主要課題であり、近世におい
て中心であった大田原と観光地塩原に向かう路線の
敷設計画であった
(8)。
明治末期から大正初期にかけて、西那須野駅から
3 本の路線が開業する。それが、那須人車軌道(明
治 40 年開業)であり、塩原軌道(明治 42 年開業)、
東野鉄道(大正 2 年開業)である。北那須地域では、
この時期に集中して 3 路線が開業するが、この前後
に開業に至った路線がないのが特徴である。
この後、東野鉄道との競合路線がみられる。それ
が、大正 2 年(1913)に申請ないしは創立された東
那須野−川西間に計画された黒羽軽便鉄道であり、
もう一つが黒磯−川西間に計画された同名の黒羽軽
便鉄道であるが、ともに不許可となっている。大正
2 年に東那須野軌道が、黒田原−那須湯本・黒磯−
那須湯本の路線と西那須野を挟んで黒羽−塩原間な
どの申請が出されたが、これも不許可となった。
そして、地元の期待を背負い大正 7 年(1918)那
須電気鉄道は敷設許可申請を出す。黒磯駅からでは
なく那珂川を渡らずに済む黒田原駅から那須湯本へ
の路線とした。営業免許を得て、大正 15 年(1926)
に黒田原駅で起工式を挙げ、工事も進められたが、
不況下のため株金が集まらず、地元と東京との対立
もあり、開通には至らなかった。
その後、野州電気鉄道が大正 7 年(1918)に矢板
−佐久山−馬頭間の敷設を申請し、許可を受けたが
開業はできなかった。黒磯軌道は大正 12 年(1923)
に黒磯−高林間の敷設特許願を出し、特許状を下付
され、綿密な計画がなされたが、昭和 9 年(1934)
に免許取り消しとなっている。雲巌寺鉄道は、大正
13 年以降に敷設特許願を出したが、却下されたよ
うである。最後に、那須軌道が昭和 2 年(1927)に
黒磯−那須湯本間の申請を出したが、却下となった。
こののち、北那須地域に鉄道の動きは見られない。
鉄道の時代から、自動車輸送の時代へと入って行く
結果であろう。
北那須地域は、塩原温泉や那須温泉など観光地が
鉄道を誘引したが、一獲千金をみる東京方面の発起
人による鉄道計画は、その実現性と信用性がなく、
不許可となるケースが多かった。北那須地方が他よ
りも不許可路線が多いのは、観光地・温泉地への鉄
道に対する投資目的の出願や競合路線が多かったた
めと思われる。
るよりは、原野地を通ったほうが、土地の買収や建
物移転などで、時間や経費を掛けずに敷設できると
いう、単純な理由が根底にはある。
駅の設置にあたっては、黒磯駅の当初計画された
位置は那珂川北側の菖蒲ヶ沢(現那須町高久甲)で
あったが、黒磯村が村を挙げて駅の誘致運動を行っ
た結果、現在の位置となった。ただ、那珂川の北側
に駅が設置されていたならば那須温泉への鉄道は那
珂川を渡らずに実現していた可能性は高い。
一方、西那須野駅(当初は那須駅)は設置当時加
治屋開墾場内に位置していた。ここは、大山巌・西
郷従道が共同で設立した農場で、大山・西郷ともに
幕末から海外へ行っており、イギリスなどではすで
に鉄道は開通していたことから、駅があるところに
は周辺が市街地化していることをつぶさに見ていた
ものと思われる。加治屋開墾場開設前から那須地域
に足を運んでいる経過があり、農場の設立とともに、
奥州線の奥州道中沿いから現在の位置の変更にも関
わり、那須駅(後の西那須野駅)の設置についても
主導した可能性がうかがえる。
2. 北那須地域に計画・敷設された鉄道
栃木県内においては、90 を超える路線が計画さ
れ、開通した路線は 26 路線(28.6%)、開業できなかっ
た路線も 26 路線(28.6%)、そして申請時に却下(不
許可)となった路線は 39 路線(42.9%)にのぼった
(6)。
そして、北那須地域の路線計画は 16 路線を数え、
開業した路線が 3 路線(18.7%)、開業できなかった
路線が 3 路線(18.7%)、そして却下となった路線が
10 路線(62.5%)に上った。
北那須地域で初見されるのは、明治 29 年(1896)
の黒磯−黒羽間と黒羽−烏山間等の敷設申請を行っ
た那須鉄道であるが、県外者の申請であり現実性は
薄いものであった。次いで、同年に創立願いを出し
た黒羽−矢板−船生−日光間の敷設を計画した下野
鉄道であるが、これも東京方面の発起人によるもの
であった。さらに同じく 29 年に出願された東北鉄
道は、白河−烏山間を計画路線とした。初期の出願
は明治 29 年に集中しており、それも県外者による
ものであった。この時期、日本鉄道奥州線が明治
24 年に全線開通し、その後の営業において鉄道の
有益性が認知された背景があり、資産力の乏しい人た
ちなどが「雨後の筍」のごとく鉄道計画を発起する傾
向にあった。これらの鉄道は、全て不許可となっている。
次に、地元の有志により塩原電気鉄道が、東北本
草案」の写しが残されているだけで、年代が記され
ていないが、明治 34 年(1901)頃と思われる。
仮定款草案は、第 57 条からなり、第 1 条におい
て株式会社組織として電気鉄道で敷設することと電
灯事業を営むことが記されている。第 2 条で第 1 区
線として「栃木縣塩谷郡箒根村大字関屋ヨリ仝縣那
須郡大田原ニ至ル拾貮哩余ノ鐡道ヲ布設スルモノト
ス」とあり、大田原−関谷間の敷設計画であったこ
とが分かるが、1 区線以外は記されていない。資本
総額は 35 万円(1 株 50 円として 7,000 株)として
いるが、本社等の記載はない。その他の資料は、不
明である。
塩原電気鉄道は、幹線である西那須野駅を挟んで
近世の城下町で奥州道中の宿場町でもあった大田原
と、観光地・塩原温泉への旅客輸送を狙った関谷間
の敷設は、地域の思惑が交差する中で、一つは西那
須野から大田原までの那須人車軌道(那須軌道)と
なり、一つは西那須野から関谷・新塩原・塩原口ま
での塩原軌道(塩原電車)として、分割されて実現
されることとなる。
(4)黒羽軽便鉄道
大正 2 年(1913)3 月 16 日、東那須野の有志に
より東那須野駅を起点として黒羽の川西町に通じる
軽便鉄道の敷設が計画される。同年 3 月 15 日に発
起人会を東那須野役場で開き、翌 16 日に黒羽軽便
鉄道敷設許可申請書を提出した。このときの発起人
は東那須野村の相馬小太郎・手塚兼吉・白石金十郎
や川西町の高瀬熊三、金田村の江部順治ら 18 名で
あった
(9)。大正 2 年 3 月 15 日付の下野新聞には「(略)
因みに仝線路は河川無く植竹三右衛門氏其他二三氏
の所有地にして線路延長約九哩に過ぎず工事費も
十二万圓の見込なりと」と報じている。
もう一つ、同名の黒羽軽便鉄道の計画が黒磯から
も起こる。地元の高木慶三郎が中心となり、大正 2
年 4 月 18 日付で黒羽軽便鉄道敷設計画を提出した。
両黒羽軽便鉄道とも資本金 15 万円であった。しか
し、大正 2 年 3 月 3 日に敷設許可申請を出し、資本
金 200 万円の資本力を持つ東野鉄道株式会社の前に
は歯が立たず、不許可の指令が下った。
(5)東那須野軌道
二つの黒羽軽便鉄道の出願があった大正 2 年に、
東那須野より黒羽までの東那須野軌道の計画が出願
された。軌道布設特許願には、「栃木縣那須郡東那
3. 史料から見る鉄道計画
ここでは、国立公文書館の鉄道省文書及び当館が
所蔵する古文書を中心として定款や目論見書などの
他、当時の新聞も援用し、個々の鉄道計画を見て行
きたい。時代順に、那須鉄道・下野鉄道・塩原電気
鉄道・黒羽軽便鉄道(2 路線)・東那須野軌道・那
須電気鉄道・黒磯軌道・雲巌寺電気鉄道・那須軌道
の 10 路線を対象とする。
(1)那須鉄道
明治 29 年(1896)7 月 28 日に敷設申請が出され
るが、「那須鐡道株式会社假定款」の第 1 条には、
「本會社ハ栃木縣下野國那須郡黒磯ヨリ仝郡黒羽ニ
至リ、黒羽ヨリ南ハ仝郡烏山迄、西ハ河内郡今市迄、
東ハ常陸國久慈郡大子迄、北ハ磐城國東白河郡棚倉
迄鐵道ヲ敷設シ運輸ノ業ヲ營ムヲ以テ目的トス」と
し、黒羽を拠点に、黒磯へ、南は烏山へ、東は大子
へ、西は矢板・船生・大渡を経て今市へ、北は福島
県の棚倉へと遠大な計画線であった。本社を「東京
市」に支社を「黒羽向町」に設置すると記されている。
目論見書には、旅客と貨物輸送、資本金 400 万円
と記され、1 株 50 円として 8 万株分けるとしてい
る。敷設費用概算では、400 万円の資本総額におい
て、用地費に 25 万 6,500 円、土工費 61 万 6,500 円、
橋梁費 41 万 8,000 円、隧道費 63 万円、軌道費 89
万 1,000 円、車輛費 33 万 9,000 円であった。これに
対して、年間の収入総額を 44 万 5,311 円と見込み、
乗客賃金を 21 万 825 円、貨物賃金を 23 万 4,486 円
として、乗客・貨物ともに約半々を見込んでいたこ
とが分かる。発起人は不明であるが、県外者による
発起であること推測される。現実性の乏しい遠大な
計画で、不許可となった。
(2)下野鉄道
明治 29 年(1896)7 月東京牛込区南町の板倉勝
造外 16 名が創立発起人となり、下野鉄道株式会社
創立願が提出された。黒羽より大田原を経て矢板駅
へ、さらに日本鉄道会社第二区線を横断して船生を
通過し日光へ至る路線の敷設計画であった。目的は
旅客および貨物輸送であったが、その後の経過は不
明である。
(3)塩原電気鉄道
塩原電気鉄道は、「鹽原電氣鐵道株式會社假定款
大正 8 年(1919)8 月 12 日
那須村大字寺子同村大字湯本間鉄道敷設免許ノ件
大正 9 年(1920)7 月 29 日
工事施行認可申請期限延期ノ件
大正 10 年(1921)9 月 20 日
同上ノ件
大正 11 年(1922)8 月 10 日
同上ノ件
大正 13 年(1924)5 月 27 日
同上ノ件
大正 14 年(1925)6 月 9 日
工事施行ノ件
大正 14 年 12 月 5 日
工事着手届
大正 15 年(1926)7 月 15 日
工程表提出ノ件
昭和 2 年(1927)1 月 15 日
工程表提出ノ件
昭和 2 年 5 月 25 日
工事竣功期限延期ノ件
昭和 3 年(1928)6 月 26 日
工事竣功期限延期ノ件
昭和 4 年(1929)7 月 19 日
工事竣功期限延期ノ件
昭和 7 年(1932)7 月 27 日
工程表提出ノ件
昭和 13 年(1938)7 月 19 日
黒田原湯本間工事竣功期限延期願却下並ニ免許取
消ノ件
このように、工事施行認可申請の延期や工事竣功
期限の延期を繰り返しながら、20 年に及ぶ準備工
事は、昭和 13 年(1938)に終止符を打たれた。
(7)野州電気鉄道
大正 7 年(1918)10 月に矢板町の坂巻金一郎や
馬頭町の大森鉄之助ら矢板・馬頭・大田原・佐久山
などの各町村有志 62 名の発起により、矢板から佐
久山−小川−馬頭に達する電気鉄道の敷設が計画さ
れ、同 18 日には認可申請を提出した。そして、次
期工事では大子 ・ 高萩まで延長する方針であった。
一方で、矢板方面では下野軽便鉄道がすでに今市よ
り矢板までの延長が許可され大正 9 年(1920)には
開通の運びであり、矢板駅を中心に東西に延びる横
断線は、矢板にとっては重要な路線であり、佐久山
にとっても、死活にかかわる路線であった。しかし、
須野村大字東小屋字後山四六二番地ヨヲ起点トシ仝
郡金田村ヲ経過シテ仝郡川西町大字黒羽向町字築地
前六二五番地前ニ至ル(以下略)」とあり、東那須
野から黒羽の中心街までの敷設計画で、この距離約
8 哩であった。ここで注目されるのは、地元東那須
野村の磯信とともに、栃木県の政友会代議士横田千
之助が名を連ねていることである。
東那須野駅前に営業所を設置し、資本金 12 万円
でこれを 1 株 50 円で 2,400 株に分け、軽便機関車
で旅客・貨物輸送を行うことを目的とした。機関車・
客車・貨車の購入から工事手順まで、具体的な計画
が進められたが、同時期に敷設申請が出され、資本
金 200 万円で、西那須野駅から大田原を経由し黒羽
に至る東野鉄道の前に敗れ去る運命にあった。
(6)那須電気鉄道
大正 7 年(1918)9 月 23 日に「那須電気鉄道株
式会社鉄道敷設認可申請書」が出され、黒田原駅よ
り那須湯本に至る 9 哩の間に軽便鉄道を敷設し、旅
客と貨物輸送を経営の柱とした。旅客は「那須温泉
入浴及び遊覧旅客」で、貨物は「那須火山より産出
する硫黄」の輸送を目的としていた。
発起人としては、那須村から箭内源太郎ら 9 名、
両郷村の渡邊政一郎、東那須野村の平石金十郎・臼
井四三郎、大田原町の人見定吉・小川清太郎、そし
て伊王野村の鮎瀬善太郎の 15 名で、発起人惣代を
人見定吉とした。
本来ならば、那須温泉への玄関口は黒磯駅であり、
黒磯駅より那須温泉への路線敷設が当然であった
が、それを阻んたものが那珂川の架橋であった。川
幅が広く河床が極端に低い那珂川に橋を架けること
は、困難であった。このため、黒田原駅としたので
ある。また、黒田原駅からのほうが黒磯よりも勾配
が緩やかで、距離も短かった。また、この時期黒田
原駅は、当初の原野から山田顕義の山田農場が開墾
を進め、藤田和三郎が薪炭業の店を黒田原駅前に構
えるなど、駅前は開発と市街地化が進められていた。
しかし、那須電気鉄道は、社会状況に翻弄された
鉄道といえる。つまり、大正 9 年(1920)の戦後不況、
大正 12 年(1923)の関東大震災、昭和 4 年(1929)
の世界恐慌や昭和農業恐慌など、この時期、断続的
に不況に見舞われ、工事資金が調達できない状況で
あった。
以下、鉄道省文書より那須電気鉄道より出された
件名を列記する。
も残されており、設立登記は大正 14 年(1925)6
月 27 日で、資本総額 16 万円、1 株金額 15 円である。
取締役社長は菊地恒八郎と記載されている。株券に
記載された期日は大正 14 年 8 月 15 日である。
大正 15 年(1926)11 月 18 日付けの請求書には、
土留めコンクリート工事として 144 円 50 銭が東京
に本社がある星工務所黒磯出張所から請求されてい
る。また、同日で事務所盛土工事(50 円)の請求
書もみられるように、工事も進められていたことが
分かる。
また、ドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッ
ペル社の「機関車納入先一覧表」のパンフレットが
あり、日本総代理店のオット・ライメルス会社から
取り寄せたものである。黒磯軌道が人力及び馬力を
動力とするものであったが、機関車の導入も模索し
ていたことが伺える。
他の文書に「瓦斯倫機関車(HI 形 「モンタニヤ」)」
の見積書があり、1 台 7,500 円(但し横浜税関構内渡)
で日付は昭和 2 年(1927)9 月 8 日の見積書である。
見積にあたっては、東京市麹町区の小島榮次郎工業
所に依頼している。小型機関車による運行も考えて
いたのか興味深い。このほか、「黒磯軌道株式會社
本社新築設計図」や「黒磯軌道株式會社各驛及其他
附属建物新築設計図」もあり、綿密なる計画を立て
ていたことが分かる。
ちなみに戸村家文書中に大正 13 年(1924)1 月〜
12 月の黒磯駅の輸送荷物調べがあり、木材 13,900 t・
木炭 19,623 t・石材 5,000 t・雑貨 11,000 tの計
49,523 tとあり、黒磯駅の貨物として木材と木炭が
西那須野駅から大田原−黒羽−小川−馬頭への東野
鉄道の路線(計画も含めて)と競合したため、後発の
野州電気鉄道は計画段階で消えていったのである。
(8)黒磯軌道
黒磯軌道は、大正 12 年(1923)11 月 19 日に「黒
磯軌道布設特許願」を提出し、黒磯駅より高林村大
字百村に至る 9.32 哩の路線であった。高林村の菊
地恒八郎、須賀川村の戸村銀次郎、那須村大字高久
の相馬源太郎が発起人総代であった。「動力説明」
には、人力と馬力を併用すると記されている。株券
写真 1 黒磯軌道敷設特許願と起業目論見書(那須野が原 博物館所蔵 以下同じ) 写真 2 黒磯軌道株式会社株券(50 円券) 写真 3 オット・ライメルス社のガソリン機関車パンフレット多いことが分かるとともに、黒磯軌道も貨物中心の
営業を想定していたようである。
(9)雲巌寺電気鉄道
雲巌寺電気鉄道は、川西町大字黒羽向町の東野鉄
道黒羽駅付近を起点として、大豆田を経由して、黒
羽田町を経て須賀川村須佐木に至る 6.6 哩の電気鉄
道を敷設するものであった。旅客及び貨物を輸送業
務としており、貨物は八溝山地の木材及び薪炭を主
たるものとしていた。一方、旅客は古刹雲巌寺の参
拝と武茂川沿の観光を目論んでいたようである。起
業目論見書及び定款には、本社を東京市に支社を須
佐木に設け、資本金は 45 万円として、1 株 50 円を
9,000 株に分けるものであつた。
当館が所蔵する文書には、「大正」と記載される
だけの「雲巌寺電気鐵道敷設特許願」と「雲巌寺電
気鐵株式會社 趣意書 起業目論見書 定款」「雲巌寺
電気鐵道豫測線 線路曲線表 仝勾配表 敷設費概算書
營業収支概算書 運輸數量表」とともに、図面と
して、
「第壹號 雲巌寺電氣鉄道線路豫測平面図」
「雲
巌寺電氣鉄道線路豫測縦断面圖」が収蔵され、特許
願以下、「主任技術者 金田秀明」が制作している。
金田は東野鉄道の技術者でもあった。
写真 4 戸村家文書に挿入されていた機関車写真 写真 5 黒磯軌道のガソリン機関車の見積書 写真 6 雲巌寺電気鉄道線路予測平面図(5)東北本線となるのは、明治 39 年の「鉄道国有法」
による。最初の買収會社の 17 社の中に日本鉄道
株式会社も含まれていた
(6)金井忠夫『近代鉄道事情−那須野が原に汽笛が
響く−』那須塩原市那須野が原博物館 平成 23 年
pp.102-120
(7)金井忠夫「那須地域を結ぶ鉄道−東北本線と接
続する鉄道軌道−」『ブックレット 那須をとらえ
る 5』那須文化研究会編 随想舎 平成 30 年 p.106
(8)前掲註(3) p.395
(9)前掲註(3) pp.430-431
参考文献
大町雅美『栃木県鉄道史話』落合書店 昭和 56 年
大町雅美『郷愁の野州鉄道−栃木県鉄道秘話−』随
想舎 平成 16 年
金井忠夫「那須人車軌道について−栃木県内の鉄道・
軌道敷設と那須人車軌道−」『西那須野町郷土資
料館紀要』第 3 号 昭和 61 年
金井忠夫「塩原電車の成立・展開・週末−観光地塩
原と東北本線を結ぶ軌道敷設−」『西那須野町郷
土資料館紀要』第 4 号 昭和 62 年
高久久二『那須町黒田原・那須湯本間 幻の「電気
鉄道」覚書』平成 7 年
高久久二「明治から平成まで 那須町地内の鉄道の
変遷−東北本線、東北新幹線及び未成線那須電気
鉄道のあらまし−」『那須文化研究』第 26 号 平
成 24 年
那須塩原市那須野が原博物館(金井忠夫)編『近代
鉄道事情−那須野が原に汽笛が響く−』那須塩原
市那須野が原博物館 平成 23 年
那須野ヶ原の鉄道 100 年史編集委員会『那須野ヶ原
の鉄道 100 年史』那須野ヶ原開拓史研究会 昭和
61 年
那須文化研究会編『ブックレット 那須をとらえる 5』
随想舎 平成 30 年
(10)那須軌道
那須軌道は、北那須地域において最後に敷設申請
された鉄道で、これ以降の申請は見られない。昭和
2 年(1927)2 月 1 日に発起人小崎信邦外 6 名(大
滝邦雄・横山七五郎・伊藤学成・田口五郎助・小崎
鎗吉・坂巻彰)は、黒磯駅から那須湯本までの那須
軌道株式会社を創立し申請を出した。発起人の出身
地は代表の小崎信邦は東京都(東京府豊多摩郡中野
町)で、6 名のうち 1 名が千葉県の他は全て東京都
であり、地元からの軌道敷設計画ではなかった。
起業目論見書には、目的を旅客および荷物の運送
とし、発起人代表宅を事務所としている。事業資金
を 50 万円とし、蒸気機関車による運行を予定した。
しかし、鉄道省文書の「申請者ノ資産信用」の欄に
は「不詳四、普通二、信用ナシ一」と記載され、那
須軌道株式会社の資産が少なく信用度が薄いことと
ともに、先行していた那須電気鉄道に相当なる悪影
響があるとして、昭和 4 年(1929)9 月 26 日不許
可とした。
おわりに
本稿は、今まで当館が開催した鉄道関係の展示及
び図録作成において、原史料の掲載までできず、こ
のたびその根拠となる史料を紹介した。
今後の鉄道研究に資すれば幸いである。
註
(1)①金井忠夫「那須人車軌道について−栃木県内
の鉄道・軌道敷設と那須人車軌道−」『西那須野
町郷土資料館紀要』第 3 号 昭和 61 年 pp.35-74
②金井忠夫「塩原電車の成立・展開・終末−観光
地塩原と東北本線を結ぶ軌道敷設−」『西那須野
町郷土資料館紀要』第 4 号 昭和 62 年 pp.29-64
(2)①「8 東野鉄道」『那須野ヶ原の鉄道 100 年史』
那須野ヶ原開拓史研究会 昭和 61 年 pp.132 − 151
②『写真集 東野鉄道の時代−大田原・黒羽・湯
津上のかけはし−』大田原市那須与一伝承館 平
成 24 年 pp.1-64
③『第 14 回企画展「まぼろしの鉄道−東野鉄道
と長大線敷設計画−』那珂川町馬頭郷土資料館
平成 24 年 pp.10-29
(3) 大町雅美『栃木県鉄道史話』落合書店 昭和 56
年 p.395
(4)塩原軌道は当初の段階で、福渡までの路線の許
可を取っていたことが分かる
一金四拾四萬五千参百拾壹圓 収入總額 内譯 金貮拾壹萬八百貮拾五圓 乗客賃金 金貮拾参萬四千四百八拾六圓 貨物賃金 一金拾八萬六百七拾五圓 支出總額 内譯 金拾八萬六百七拾五圓 營業費 収支差引 金貮拾六萬四千六百参拾六圓 益金 資本金四百(萬)圓ニ對シ年六朱六一強ニ當ル 第七 本會社ノ存立期限ハ之ヲ豫定セス 第八 本會社發起人ノ氏名住所並ニ各自ノ引受クヘキ株數 左ノ如シ (姓名ハ畧ス) 運輸營業収支豫算表 線路 九拾哩 黒崎ママヨリ黒羽ニ至リ分岐シテ南ハ烏山西ハ 今市東ハ大子北ハ棚倉ニ至ル 建 設 費 合 計 四百萬圓 各一哩 四萬四千四百四拾四圓強 貨物噸數 合 計 壹千壹百七拾貮萬四千三百噸 各一哩 拾参万貮百七拾噸 一日平均三百五拾六噸 乗客哩數 合 計 貮千壹百八萬貮千五百人 各一哩 貮拾参萬四千貮百五拾人 一日平均六百四拾一人強 貨物収入 合 計 貮拾参萬四千四百八拾六圓 各一哩 貮千六百五圓四拾銭 一噸平均貮銭 乗客収入 合 計 貮拾壹萬八百貮拾五圓 各一哩 貮千参百四拾貮圓五拾銭 一人平均壹銭 營 業 費 合 計 拾八萬六百七拾五圓 各一哩 貮千七圓五拾銭 一日平均五圓五拾銭 資本金ニ對スル利益金 合 計 貮拾六萬四千六百三拾圓 割 合 年六朱六一強 運輸營業収支豫算説明書 一建設費豫算ハ實地踏査ノ上隧道橋梁コルベルト等ノ延長 ヲ假定シ築堤切割ノ土坪ヲ概算シ用地ノ種類、反別、時 價等一切精細ナル調査ヲ遂ケ鐵道局御一定ノ工費豫算標
史料
■那須鉄道株式会社 那須鐵道株式會社目論見書 第一 本會社ハ株式組織トス 第二 本會社ハ鐵道ヲ布設シ族ママ客及ヒ貨物ノ運輸營業ヲ以 テ目的トス 第三 本會社ハ那須鐵道株式會社ト稱シ本社ヲ東京市ニ支 社ヲ下野國那須郡黒羽向町ニ設置ス 第四 本會社ノ布設スヘキ線路ハ栃木縣下野國那須郡黒磯 ヨリ仝郡黒羽ニ至リ仝所ニテ分岐シ南ハ仝郡烏山迄 西ハ河内郡今市迄東常陸國久慈郡大子迄北ハ磐城國 白河郡棚倉迄總延長九拾哩トス 但軌道幅員ハ三呎六吋トス 第五 本會社ノ資本金額ハ四百萬圓トシ之ヲ八万株ニ分チ 一株ヲ金五拾圓トス 第六 本鐵道布設ニ要スル費用及ヒ運輸營業上ノ収支概算 左ノ如シ 敷設費用概算 一金 四百萬圓也 資本總額 内譯 金壹萬五千圓 線路豫測費 金五萬五千圓 工事監督費 金貮拾五萬六千五百圓 用地費 金六拾壹萬六千五百圓 土木費 金四拾壹萬八千圓 橋梁費 金九萬圓 コルベルト費 金六萬五千圓 伏樋費 金六拾参萬圓 隧道費 金八拾九萬壹千圓 軌道費 金八萬五千圓 停車場費 金参拾参萬九千圓 車輛費 金五萬五千圓 器械場費 金五萬圓 諸建物費 金五萬八千圓 運送費 金四萬七千圓 建築用汽車費 金貮萬五千圓 建築用具費 金壹萬五千圓 棚垣及境界杭費 金壹萬九千圓 電信架設費 金七萬圓 總係費 金貮拾萬圓 豫備費 以上 収支豫算(以下省略) ■塩原電気鉄道株式会社 鹽原電氣鐵道株式會社假定款草案 第壹章 總 則 第一條 本社ハ株式會社ノ組織ニシテ電氣鐵道ヲ敷設シ交 通運輸ノ業ヲ營ミ電燈其他電氣ヲ應用スル諸般ノ事業 ヲ營ムヲ以テ目的トス 第二條 本社ノ鉄道線路ハ左ノ如シ 第壹區線 栃木縣塩谷郡箒根村大字關屋ヨリ仝縣那須 郡大田原ニ至ル拾貳哩余ノ鐵道ヲ布設スルモノトス 第三條 電燈ヲ設ケ及ヒ電氣應用ノ諸業ヲ營ムノ區域ハ左 ノ如シ 本社鉄道線路附近ノ町村 第四條 本社ハ鹽原電氣鐵道株式會社ト稱シ營業所ヲ 置 ク 第五條 本社ノ資本總額は金三十五萬圓トス 第六條 本社業務施行細則株式取扱規則及株金積立金ノ運 用ニ関スル諸規則ハ取締役會議ニ於テ之ヲ定ム 第二章 株式及株主 第七條 本社ノ株式ハ壹株金五十圓トシ其總数ヲ七千株ト ス (以下略) ■那須電気鉄道 那須電氣鐵道敷設ノ件 土第七三〇八號 大正七年十二月二十五日 栃木縣知事 平塚廣義印 内閣総理大臣 原 敬 殿 電氣鐵道敷設ノ件 縣下那須電氣鐵道株式會社發起人人見定吉外十四名ヨリ標 記ノ件申請有之候處右ハ那須温泉入浴及遊覧旅客並那須火 山ヨリ産出スル硫黄ノ運輸ヲ主要目的トスルモノニシテ地 方開發上有益ノ事業ト被認候尚本起業ニ対シテハ反對ヲ唱 フルモノモ無之且發起人等ハ相當資産信用アルヲ以テ成業 ノ見込アルモノト被認候條免許相成候様致度別紙資産調其 他関係書類相添此段添申候也 資産調 資産 信用程度 町村名 氏名 壹万円 信用厚シ 那須村 渡邊 渡 拾万円 〃 〃 箭内源太郎 準價額ヲ以テ算出セリ本線中大谷川、鬼怒川、蛇尾川、 箒川、那珂川等ノ河川アルモ架橋工事ハ最モ容易ナリ又 タ三四ヶ所ニ隧道ヲ設クルノ工事アルモ是又タ工事容易 ニシテ土地平坦ナル箇所多キヲ以テ本額即チ一哩平均金 四万四千四百四十四圓餘ニテ工費充分ナリトス 一乗客ハ日光神社、古峯社等ハ奥羽其他東北地方ヨリ宇都 宮ニ出スシテ本線ニ乗シテ参詣スルモノヲ第一トシ尚ホ 本線ニ連絡スヘキ他路線ニシテ既成トナル暁ニハ本線ニ 依テ以テ来往スルノ旅客ハ目論見書概算等ノ比ニアラサ ルヘク一日平均一万人ト認ムルモ其内僅カニ六百餘人本 線ニ乗便スルモノトシテ概算セリ 一貨物ハ第一ニ八溝山ヨリ出ツル薪炭ハ固ヨリ木材ノ如キ アリ栗山ノ如キモ木材タリ且ツ會津其他ノ地方ヨリ出ツ ル處ノ漆器類ハ總ヘテ本線ニ依ルモノニシテ其他雑貨ノ 如キヲ合セハ一日平均數千噸ニ登ルヘシ依テ之レカ十分 一ト見積リ一日平均三百五十餘噸トセリ尚ホ戦後ノ形勢 ハ今日ノ如キ微々タル物産ニテ満足スルモノニアヲス實 ニ本線既成ノ時ノ之レニ幾倍スルノ貨物アルヲ疑ハサル ナリ 一營業費ノ如キモ諸物貨騰貴ノ今日ト雖ドモ一日一哩平均 金五圓五十銭ト豫定セシヲ以テ決シテ不足ノ虞ナシト信 ス 那須鐵道株式会社假定款 第一章 總則 第一條 本會社ハ栃木縣下野國那須郡黒磯ヨリ仝郡黒羽ニ 至リ黒羽ヨリ南ハ仝郡烏山迄西ハ河内郡今市迄東ハ常 陸國久慈郡大子迄北ハ磐城國東白河郡棚倉迄鐵道ヲ敷 設シ運輸ノ業ヲ營ムヲ以テ目的トス 第二條 本會社ハ那須鐵道株式会社ト稱シ、本社ヲ東京市ニ 支社ヲ下野國那須郡黒羽向町ニ設置ス 第三條 本會社ノ資本金ハ金四百萬圓トス 第四條 本會社ハ株式組織トス 第五條 本會社業務施行規則株式取扱規則及株金積立金ノ 運用ニ關スル諸規則ハ役員會議ニ於テ之ヲ定ム 第二章 株式及株主 第六條 本會社株式ハ壹株ヲ金五拾圓トシ其總株數ヲ八万 株ニ分ツ 第七條 株券ハ甲乙丙ノ三種ヲ作リ之ヲ株主ニ交付スベシ 但甲乙丙ノ三種ハ各株主ノ望ミニ任スヘシ 甲 一株券 乙 五株券 丙 拾株券
テ同村大字湯本ニ至ル延長九哩トス 四、本會社ノ鐡道ハ電氣ヲ動力トスル電氣鉄道ニシテ其動 力ハ那須温泉電氣株式會社ヨリ供給ヲ受クルモノトス 五、本社ノ布設スベキ鉄道ノ軌間ハ貳尺六寸トシ軌條ハ工 字形弐拾五封度以上ヲ用フ 六、電氣ノ方法ハ低壓直流トス 七、電車線ニ於ケル電壓ハ五百五拾「ヴオルト」以下トス 八、電氣鉄道ノ方式ハ架空単線式トス 九、本會社ノ資本金惣額ハ四拾萬円トシテ之ヲ八千株ニ分 チ一株ノ金額ヲ五拾円トス 那須電氣鉄道株式會社定款 第壱章 總 則 第壱條 當會社ハ那須電氣鉄道株式會社ト称シ本店ヲ栃木 縣那須郡大田原町弐千百五拾弐番地ニ置ク 第貮條 當會社ハ栃木縣那須郡那須村大字寺子黒田原停車 場ヨリ同縣同郡同村大字湯元ニ至ル間ニ鉄道ヲ敷 設シ旅客貨物ノ運搬其他之ニ関係スル一般ノ業務 ヲ営ムヲ以テ目的トス 第参條 當會社ノ広告ハ本縣下ニ於テ発行スル一新聞紙 (下野日々新聞)ニ掲載ス 第貳章 資本金及株式 第四條 當會社ノ資本金ハ四拾萬円トシ是レヲ八千株ニ分 チ壱株ノ金額ヲ五拾円トス 第五條 當會社ノ株式ハ總テ記名式トシ壱株券拾株券ノ二 種トス 第六條 株式拂込期日及拂込金額ハ取締役會ノ決議ヲ以テ 是レヲ定メ二週間以前ニ各株主ニ通知スベシ 第七條 株金ノ拂込ミヲ怠リタル株主ハ其期日ノ翌日ヨリ 百円ニ付一日金四銭ノ割合ヲ以テ遅延利子ヲ支拂 フ但シ其遅延ノ為メ生ジタル損害ヲ賠償スベシ 第八條 株式ヲ売買譲與スルトキハ双方連署ノ請求書ヲ作 リ當會社ノ株主名簿ニ登録ヲ乞ヒ其株券ニ證印ヲ 受クベシ (以下省略) 鐵道敷設認可追願書 大正七年九月廿三日付那須電氣鉄道株式會社發起人惣代名 義ヲ以テ栃木縣那須郡那須村大字寺子東北本線黒田原駅ヨ リ同郡同村大字湯本ニ至ル鉄道敷設ノ件認可申請仕置候該 計画ノ起業目論見ニ於テハ其原動力タル電力ヲ那須温泉電 氣株式會社ヨリ供給スベキ契約仕候ヲ以テ仝社ニ於テハ直 チニ第貮発電所設置ノ計画ニテ実地調査仕候処多大ノ工費 貳万円 〃 〃 大森力之助 参万円 〃 〃 室井 平七 貳万円 〃 〃 星 徳兵衛 貳万円 〃 〃 大森 熊蔵 参万円 〃 〃 大森 竹松 貳万円 〃 〃 平山 正夫 参万円 〃 〃 高久 俊夫 拾五万円 〃 両郷村 渡邊政一郎 四万円 〃 東那須野村 平石金十郎 貳万円 〃 〃 臼井四三郎 拾弐万七千円〃 大田原町 人見 定吉 貳万円 〃 〃 小川清太郎 貳拾万円 〃 伊王野村 鮎瀬善太郎 鐵道敷設認可申請書 那須電氣鐡道株式會社 進達御願 私共今般發起人ト相成那須電氣鐡道株式會社ヲ設立シ鉄道 ヲ敷設シ運輸業相營ミ度候間別紙書類及ヒ圖面其筋ヘ御進 達被成下度此段奉願候也 大正七年九月廿三日 那須電氣鐡道株式会社 發起人惣代 人見 定吉㊞ 栃木縣知事 平塚 廣義 殿 那須電氣鐡道株式会社鉄道敷設認可申請書 今般私共發起人ト相成栃木縣那須郡那須村大字寺子黒田原 停車場ヨリ同郡同村大字湯本ニ至ル延長九哩ノ間ニ軽便鉄 道法ニ依リ鉄道ヲ敷設シ旅客、貨物運輸ノ業相營度候ニ付 特別ノ御詮議ヲ以テ御認可被成下度関係書類及圖面相添ヘ 此段奉願候也 大正七年九月廿三日 那須電氣鐡道株式会社 發起人惣代 人見 定吉㊞ 内閣総理大臣伯爵寺内正毅殿 那須電氣鉄道株式会社起業目論見書 一、 本會社ハ株式組織トシ輕便鉄道法ニ拠リ鉄道ヲ敷設シ 運輸営業ヲ為スヲ目的トス 二、本會社ハ那須電氣鉄道株式會社ト称シ本社ヲ栃木縣那 須郡大田原町ニ置ク 三、本會社ノ鉄道線路ハ栃木縣那須郡那須村大字寺子東北 本線黒田原停車場ヲ起点トシ同村大字小島、池田ヲ経
三、単線複線ノ別及其區間 単線 黒田原湯本間 四、軌道ノ中心間隔 十一呎 五、建築規定及車輛規定 別紙圖面添付 六、最小曲線半径 五鎖 七、最急勾配 十五分ノ一 八、土工規定(第四號様式ニ依ル図面添付) (イ)線路施工基面ノ幅 築堤髙拾五呎未満 基面幅 十二呎 仝 三拾呎未満 仝 十三呎 切取(土砂) 基面幅 十八呎 線路幅 十三呎 (側溝ヲ除ク) 仝(岩石) 基面幅 十六呎 線路幅 十三呎 (側溝ヲ除ク) (ロ)築堤及切取斜面ノ勾配 築堤 壹割五分 切取(土砂) 壹割 仝(硬岩) 貮分五厘乃至五分 仝(軟岩) 五分乃至壹割 (ハ)用地ノ限界 築堤法尻ヨリ用地境界迄 湿地 五呎 敷地 参呎 切取法肩ヨリ用地境界迄 湿地(土砂、岩石) 五呎 乾地(土砂、岩石) 参呎 九、橋梁 (イ)橋臺、橋脚 粗石積工 (ロ)基礎 混凝土工 (ハ)桁 径間四呎、六呎、拾呎、拾貮呎、廿呎 輾壓 鋼工家形桁 (ハ)桁 径間 参拾呎 鋼版桁 (ニ)拱 無シ (ホ)橋梁所定動荷重及桁最大應力 第五號様式ニ依ル 図表貼付 (ヘ)重要ナル架橋河川ノ平水位最髙水位及其小位ト桁 ノ下端トノ距離 別紙図面ニ記載 (ト)橋梁ニ對スル各部ノ材質及構造寸法径間配置図等 別紙図面ニ記載 十、隧道 無シ 十一、軌條、轉轍器、轍叉、及枕木 (イ)軌條ノ重量 壹碼 四拾五封度 ヲ要シ契約料金ニテハ到底収支相償ハズ依テ仝社ハ更ニ隣 村高林村地内ニ於テ発電所設置ノ計画アル野州水力電氣株 式會社ニ電力供給ノ交渉ヲ爲シ同発電所ヨリ受電ノ契約ヲ ナシ以テ前記供給ヲ充タスベク計画相立候モ仝発電所ハ出 力壱千「キロワット」内外ノモノニシテ工事竣工期長期ニ 及ブ恐レ有之斯クテハ本事業上遺憾ニ付候一右工事ニシテ 鉄道敷設御認可後営業開始ニ支障ヲ来スガ如キ場合ハ那須 温泉電氣株式會社ハ該発電所工事完成迄一時瓦斯機関ヲ据 付ケ以テ前記鉄道用原動力ノ供給ヲ爲シ無遅滞工事施工可 仕候間何卒特別ノ以御詮議鉄道敷設御認可被成下度此段以 連署追願仕候也 大正七年拾月参拾日 栃木縣那須郡大田原町貮千百五拾貮番地 那須電氣鉄道株式會社 発起人惣代 人見 定吉 ㊞ 栃木縣那須郡大田原町貮千百五拾貮番地 那須温泉電氣株式會社 取締役社長 人見 定吉 ㊞ 内閣総理大臣 原 敬 殿 工事施工認可申請書 那須電氣鐵道株式會社 那須電氣鐵道工事施工認可申請書 當會社ハ栃木縣管内那須郡一圓其他一般ノ交通機關ニ資ス ルガ為メ先ニ敷設免許ヲ受ケ居候處今般實測ヲ完了シ工事 施工致候間特別ノ御詮議ヲ以テ御許可被成下度地方鐵道法 第十二條ノ規定ニ依リ関係書類及圖面相添ヘ此段申請仕候 也 大正拾参年八月九日 栃木縣那須郡大田原町 那須電氣鉄道株式會社 代表者社長 人見 定吉 ㊞ 鐵道大臣 仙石 貢 殿 図面目録(略) 工事施工認可申請書 一、線路實測圖 一、平面圖 別紙添附ノ通リ 一、縦断面圖 仝上 二、工事方法書 一、動力 電氣 二、軌間 三呎六吋
(イ)所在地 栃木縣那須郡那須村池田一二三番地 (ロ)出 力 一〇〇「キロワット」 (ハ)原動機 三相誘導電動發電機式弐個 予備一 常 備一 容量 電動機側一五〇馬力 直流発電機側一〇〇「キロワット」 電壓 仝 三、〇〇〇「ヴォルト」 仝 六〇〇「ヴォルト」 電流 仝 二九「アムペア」 仝 一六六六・七「アムペア」 廻轉数 仝 七五〇毎分 仝 七五〇毎分 相 仝 三相 周波数 仝 五〇「サイクル」毎秒 (ニ)蓄電池 無シ (ホ)保安装置 交流側 マルティギャップ 避雷器 チョーキングコイル 區分開閉器 三相静電型漏電計及自動遮断器付油入 開閉器トス 又電壓計用「ポテンシャルトランスフォーマー」ノ 一次線ニハ「エンクローズトフューズ」ヲ仝二次側 ノ一端及變流器ノ二次側ノ一端ハ第二種地線工事ニ ヨリ完全ニ接地ス 直流側 引出口ニ近ク「チョークコイル」區分開閉器避雷器 自動遮断器及検漏器ヲ設置ス 各避雷器ハ完全ニ之 ヲ接地ス 又電動發電機ノ鐵臺配電盤鐵枠等ハ凡テ 第一種地線工事ニヨリ完全ニ之ヲ接地ス 器械器具 ノ装置及電線ノ接續ハ別紙添付ノ通リ 四、送電線路及饋電線路 送電線路 ナシ 饋電線路 (イ)電氣方法 直流交流ノ別 直流 線式 架空単線式 最大電壓 六〇〇「ヴォルト」 (ロ) 電線路ノ構造 一、 電線ノ種類 (以下省略) 假契約證書 那須温泉電氣株式會社取締役社長人見定吉ヲ甲トシ那須電 (ロ)軌條及附属品ノ材質 鋼鉄 形状 別紙圖面添付 (ハ)轉轍器及轍叉ノ構造 重錘取柄式 轉轍器 六番、八番 轍叉 (ニ)枕木ノ寸法 普通枕木 長七呎 巾八呎 厚五呎半 橋梁枕木 長七呎 巾八吋 厚六吋 敷設間隔 最大 貮呎参吋 十二、停車場、停留場及信號人 停車場、停留所 (イ)建造物配線用地境界及實測中心哩程 別紙図面添 付 (ロ)軌條ト乗降場及貨物積卸場トノ関係 別紙図面添 付 (ハ)聯動装置 無シ 十三、他ノ鐵道又ハ軌道トノ交叉方法 無シ 十四、閉塞信號器 無シ 十五、車輌 (イ) 客車 一、車種 電動客車 四輪車 一、輌数 三輌 一、自重 六噸 一、定員 四拾人乗 一、積載重量 七噸 (ロ)客車 一、車種 附随客車 四輪車 一、輌数 貮輌 一、自重 参噸半 一、定員 参拾人乗 一、積載重量 五噸 (ハ)貨車 一、車種 附随貨車 四輪車 一、輌数 六輌 一、自重 四噸 一、積載重量 拾噸 十六、車輌修繕設備ノ大要 小修繕ハ客車車庫内ニテ大修繕ハ鐵道省ヘ委託ノ豫定 電氣ヲ動力トスル實地設計工事方法書 一、送電系統圖 別紙添付ノ通リ 二、電氣鐵道ノ方式 直流架空単線式 電車線電壓 六〇〇「ヴォルト」 三、變電所
詮議ヲ以テ右布設ノ儀特許被成下度関係書類及圖面相添ヘ 此段奉願候也 大正拾貳年拾壱月拾九日 黒磯軌道株式会社 発起人総代 栃木縣那須郡高林村大字高林千参百八拾四番地 菊地 恒八郎 栃木縣那須郡須賀川村大字須佐木六拾八番地 戸村 銀次郎 栃木縣那須郡那須村大字高久百四番地 相馬 源太郎 内務大臣子爵 後藤新平殿 鉄道大臣 山内一次殿 起業目論見書 第一、 本會社ハ株式組織トシ軌道ヲ布設シ旅客貨物ノ運輸 営業ヲナスヲ目的トス 第二、 本會社ハ黒磯軌道株式會社ト称シ営業所ヲ栃木縣那 須郡黒磯町ニ置キ存立時期ハ會社登記ノ日ヨリ満 三十ヶ年トス 第三、 本會社軌道布設線路ヲ栃木縣那須郡黒磯町大字黒磯 東北本線黒磯停車場ヲ起点トシ府縣道那須湯本黒磯 停車場線ヲ併用シ仝町大字百九十六番地先ニ於テ第 四號國道ヲ横断シ仝町仝大字百九拾八番地先ヨリ本 會社専用線路ニ入リ仝町大字豊浦二百四十番地先ニ テ府縣道板室黒磯線ニ合シ仝路線ヲ併用シ仝郡高林 村大字百村三千七十三番地先ニ至ル延長九哩三十二 鎖ニシテ要項左ノ如シ (イ) 併用線路ノ起終点 府縣道 那須湯本黒磯停車場線 起点 栃木県那須郡黒磯町大字黒磯四十番地先 終点 仝県仝郡仝町大字黒磯百九十六番地先 第四號國道 起点 仝県仝郡仝町大字黒磯百九十六番地先 終点 仝県仝郡仝町大字黒磯百九十八番地先 府縣道板室黒磯線 起点 仝県仝郡仝町大字黒磯百九十八番地先 終点 仝県仝郡高林村大字百村三千七十三番地先 (ロ) 経過市町村名 栃木縣那須郡黒磯町及仝郡高林村 (ハ) 軌道ヲ敷設スベキ道路ノ種類毎ノ延長 府縣道路那須湯本黒磯停車場線 延長 拾参鎖六 氣株式會社発起人惣代人見定吉ヲ乙トシ電力賣買並ニ之ニ 附帯スル事項ヲ契約スルコト左ノ如シ (以下単ニ甲乙ト称ス) 一、 甲ハ乙ノ發起ニ係ル那須電氣鐵道株式會社ノ原動力タ ル電力ヲ供給スルモノトス 二、賣買電力量ヲ七十五「キロワット」トシ料金ハ定額制 ニ依リ壹「キロワット」壹ヶ月金六圓六拾銭ノ割合ト ス 但シ乙會社ノ利益金配當歩合年五分ヲ降ル場合ハ壹 「キロワット」壹ヶ月金四圓迄料金ノ逓減ヲ爲スモノ トシ又其成績良好ナル時ハ其實績ニ應ジ一般電力料ヲ 超エザル範囲ニ於テ料金率ヲ増加スルモノトス 三、電力ノ受渡場所及責任ノ分界点ハ乙ノ敷設スベキ那須 郡那須村大字池田地内變電所引込口開閉器トス 四、本契約送電開始時期ハ追テ協定スルモノトス 但シ甲ノ新設スベキ發電所ハ許可ノ日ヨリ満壹ヶ年以 内ニ完成スベキモノトス 五、送電ノ契約期間ハ許可年限中トス 六、本契約ニ附帯シテ現在甲ノ所有スル黒田原、那須湯本 間ノ送電線路及電柱並ニ私設電話ハ無償ニテ乙ノ共用 ヲ承諾スルコト 但シ乙ノ必要上増設スベキ電柱電線路電話線路電話器 等ハ乙ニ於テ其費用ヲ負擔シ且ツ其部分ニ對スル将来 ノ保持並ニ電柱税敷地料等ハ乙ノ負擔トス又現在電柱 ノ移植等ヲ爲ス時ハ其費用ハ乙ニ於テ支辯スルモノト ス 七、本契約ノ事項中官廰ノ許可ヲ要スヘキモノニ對シテハ 其認可ヲ得ル能ハザリシ時ハ相互ニ其責ヲ負ハザルモ ノトス 右契約ノ證トシテ本證書貮通ヲ作製シ双方署名捺印ノ上各 壹通ヲ所持スルモノトス 大正七年九月十一日 那須温泉電氣株式會社 取締役社長 人見 定吉 那須電氣鐵道株式會社 發起人惣代 人見 定吉 〔国立公文書館鉄道省文書〕 ■黒磯軌道株式会社 黒磯軌道布設特許願 今般私共發起人ト相成リ栃木縣那須郡黒磯町大字黒磯黒磯 停車場ヨリ同郡高林村大字百村ニ至ル延長九哩三十二鎖間 ニ軌道ヲ布設シ旅客貨物運輸ノ業相営ミ度候ニ付特別ノ御
第二、 線路土工 線路ハ起終点間総テ緩ヤカナル勾配ナルヲ以テ切取 埋立等ノ工事ヲ要スルハ一少部分ニシテ他ハ現在ノ 道路ヲ鑿堀シ砂利ヲ埋込ミ突キ固メ軌條面ト路面ヲ 平坦ニナシ又線路ヲ道路ノ一方ヨリ他ノ一方ニ移ス 箇所及ヒ市街ヲ通スル線路ハ凡テ木石ヲ以テ軌條内 外ニ軌條面ト同ジ高サニ敷キツメ堅固ニ布設シ交通 ニ支障ナカラシム尤モ専用道路及幅員拡張ノ要アル 箇所ノ諸土工ハ普通切取法一割盛立法一割五分ニ仕 立必要ナル箇所ニハ土留石垣等適當ノ工法ニヨリ築 造スルモノトス 第三、 軌道軌間及軌條並ニ布設方法 軌道ハ単線ニシテ停車場及適當ナル場所ニ引込線並 ニ待避線ヲ設備シ軌間ハ二呎六吋トス軌條ハ鋼鉄製 一碼重量十四封度以上ノ工字形ニレテ其ノ継手ニハ 継目板及ヒ「ボールト」ヲ以テ緊綴シ「スパイキ」 ヲ以テ枕木ニ据付タモノトス 枕木ハ長五尺,巾五寸、厚三寸五分ノモノヲ三尺毎 ニ配置シ周囲ニハ砂利ヲ埋立テ軌條面ト路面ヲ平坦 ナラシム 軌道人家連担ノ場所ニハ道路ノ中央ニ其ノ他ハ道路 ノ一方ニ偏レテ敷設ス 第四、 曲線及勾配 曲線ハ半径六十尺ヲ以テ最少限トシ 勾配ハ二十五分ノ一ヲ以テ最急トス 第五、 橋梁及水抜 橋梁及水抜ハ現在ノモノヲ堅固ニ改築利用スルモ其 ノ幅員狭隘ナルモノ及ヒ新規幅員拡張ノ箇所ニハ之 レヲ擴築若シクワ新設シ人馬交通ノ不便ナカラシム 第六、 停車場停留所及踏切リ 停車場ハ黒磯町及高林村ニ各一ヶ所ツゝ各乗客待合 所車庫其ノ他必要ナル建物ヲ設置シ青木、戸田、穴 澤ニ停留所ヲ建設ス 踏切リ道路ト交叉スル場所ニ全部木或ハ石ヲ以テ敷 並ベ軌道面ト道路面ト平坦ナラシム 第七、 客車及貨車 客車ハ長八尺、巾四尺ノ木製有蓋ニシテ内部左右ニ 腰掛ヲ設ケ乗客十人ヲ以テ定員トス 貨車ハ長サ七尺巾四尺ノ木製無蓋ニシテ積量三噸ト シ客貨車共四輪車トシ完全ナル緩急器ヲ装置ス 車體説明書 客車 第四號國道 仝 零鎖五 府縣道板室黒磯線 仝 八哩五十八鎖 會社専用路線 仝 参拾九鎖九 合計 九哩三十二鎖 (ニ) 一般幅員及計画幅員 併用スベキ道路ハ現在実用一般幅員ハ三十尺乃至十五 尺二シテ併用スベキ道路ノ計画幅員ハ人家連担ノ箇所ハ 実用幅員三十尺トシ他ハ二十四尺トシ専用線路ノ幅員ハ 九尺トス (ホ) 線路ハ単線ニシテ延長九哩四分トス (ヘ) 軌間ハ二呎六吋ニシテ車輛ハ別紙車体説明書ノ通リ トス 第四、 本會社ノ軌道ハ馬力及人力ヲ動力トシ軌条ハ工字形 鋼鉄製一碼ノ重量十四封度以上ヲ用フ 第五、 本會社ノ資本金総額拾六萬円ニシテ之ヲ参千貳百株 ニ分チ一株ノ金額ヲ五拾円トス 動力説明書 動力ニ人力、馬力ヲ用フルモノトシ客車ノ動力ハ上リ(高 林村木ノ俣停車場ヨリ黒磯停車場ニ至ル)下リ(黒磯停車 場ヨリ高林村木ノ俣停車場ニ至ル)共馬力トス 貨物ノ動力ハ之レヲ二ツニ區別シ馬力及人力トナシ下リ貨 物ニ馬力ヲ用ヒ、上リ貨物ニ人力ヲ用フルモノト馬力ヲ用 フルモノトノ二ツトス 上リ貨物ニ人力ヲ用フルハ上リ貨物多キト軌道縦断勾配自 然的緩ニ降傾スルヲ以テ特ニ馬力ヲ用ヒズシテ人力ニヨリ 安全ニ運轉シ得ルニヨル 但シ下リ貨車運轉ノ回数ハ上リ貨車運轉ノ回数以内トス ルヲ以テ曳馬一方ニ屯集スルコトナキモノトス 委任状 大正 12 年 11 月 12 日 13 名 (省略) 工事方法概略書 第一、 線路 軌條布設ノ線路ハ栃木縣那須郡黒磯町大字黒磯東北 本線黒磯停車場前起点ヨリ北上シ同町同大字地内ニ 於テ第四號國道を横断シ同所ヨリ専用路線ニ入リ同 町大字豊浦地内ニ於テ縣道板室黒磯線ニ合シ同道路 敷ヲ専用シテ同郡高林村大字百村ニ達スル間即チ縣 道及専用道ニ布設スル線路総延長九哩三十二鎖ニシ テ現在實用幅員三十尺乃至十五尺ナルニ依リ幅員ニ 充タザルモノハ御命令書ノ通リ擴築スルモノトス
一金貳千五百圓也 重役報酬 一金貳百圓也 通信費 一金参百圓也 諸公課費 一金貳千四百圓也 支配人給料 一金八百圓也 事務所費 一金七百圓也 消耗品費 一金壹千圓也 交際費 一金五百圓也 雑費 黒磯軌道株式會社定款 第一章 總則 第一條 當會社ハ黒磯軌道株式會社ト称シ本店ヲ栃木縣那 須郡黒磯町ニ置ク 第二條 當會社ハ栃木縣那須郡黒磯町東北本線黒磯停車場 ヨリ同縣仝郡高林村大字百村ニ至ル間ニ軌道ヲ敷 設シ旅客貨物ノ運輸其他之ニ関聯スル一般ノ業務 ヲ営ムヲ以テ目的トス 第三條 當會社ノ公告ハ本縣下ニ於テ発行スル一新聞紙 (下野新聞)ニ掲載ス 第二章 資本金及株式 第四條 當會社ノ資本金ハ拾六萬円トシ是レヲ参千弐百株 ニ分千一株ノ金額ヲ五拾円トス 第五條 當會社ノ株式ハ総テ記名式トシ壹株券、五株券、 拾株券ノ三種トス (以下省略) (那須野が原博物館戸村家文書) 一般工事方法書 一、 動力 人力及馬力トス 二、軌間 〇・七六二米突(二呎六吋)トス 三、単線復線等ノ別 本線ハ単線トシ停車場ニハ側線引込線及亘リ線ヲ敷 設ス 四、軌道中心間隔 軌道中心間隔ハ車輌ノ最大幅員一・二二〇米突ニ一、 五二三米突ヲ加エタルモノ即チ二、七四三米突トス 五、最小曲線半径及最急勾配 (イ)最小半径四〇米突 (ロ)最急勾配三〇分ノ一 (ハ)停車場及停留所ノ勾配ハ概ネ百分ノ一ニシテ 新黒磯(始発驛)停車場ハ水平トス 一、乗客定員 十人 一、長サ 八尺 一、幅 四尺 一、高サ 七尺五寸 一、軌間 二呎六吋 一、車軸中心距離 二呎六吋 一、車輪ノ径 一呎二吋 一、スプリング径 四分 八箇 一、窓(片側) 四ヶ所宛 但シ硝子戸及鎧戸二重作リ 一、出入口 前後一ヶ所宛 一、家ママ根 二重 一、制動器 前後二個 以上ノ設備ニシテ材料ハ総テ最良品ヲ用フ内外部共 塗飾シ布團ハ「キケンプ」製トス 制動器ハ前後ニ付シ緩急ニ應ジ適宜ニ使用シ得ベキ 装置トス 貨車 積載量ハ三噸トス 一、長サ 七尺 一、幅 四尺 一、深サ 一尺一寸 一、軌間 二呎六吋 一、車軸中心距離 二呎六吋 一、車軸ノ径 二呎 一、車輪ノ径 一呎二吋 一、制動器 二個 以上ノ設備ニシテ材料其他客車ト同ジク最良品ヲ用 フ特ニ鋼鉄部ニ於イテ最モ注意シ車輪ニハ貨車共冷 剛鋳造ニ適当ナル銑鉄ヲ撰ビ車軸ハ最上軟鋼ヲ以テ 製造スルモノトス 黒磯軌道支出豫算書 一金参萬五百圓也 内譯 一金壹萬貳千圓也 但シ車丁馭者二十五人ヲ常傭ス 一 人一ヶ月四十円 一金壹千五百圓也 但シ保線費 一金壹千五百圓也 修繕費 一金五百圓也 雑夫給料(六人一人月三十円) 一金参千貳百四拾圓也 事務員給料(六人一人月四十五 円) 一金壹千貳百圓也 技術員給料