「中文 学 会 」 覚 え書 き
牛
島
徳
次
Notes
on the Conference
on Chinese
Language
Tokuji Ushijima
〈ま え が き 〉1.現
在 、 日本 に お け る 中 国文 化研 究 に 関 す る学 術 団 体 は 、 か な りの 数 に
の ぼ るが 、 そ の 中 で 特 に歴 史 が 古 く、 しか も全 国 的 な規 模 を持 つ 学 会 と
'して は
、 次 の 二 つ が 挙 げ られ る。
そ の 一 は 、専 ら 中国 語 学 を対 象 とす る 「中 国 語 学 会 」(最 近 、 「日本 中
国 語 学 会 」 と改 称)で
あ り、 も う一 つ は 、 中 国 の 哲 学 ・思 想 ・文 学 ・語
学 そ の 他 を対 象 とす る 「日本 中 国学 会 」 で あ る。
この 二 者 は い ず れ も、「
終 戦 」後 ま もな く結 成 され 、現 在 に至 って い る
もの で 、近 代 日本 に お け る 中 国文 化 研 究 の 歴 史 を考 え る場 合 、 欠 か す こ
との で き な い 、輝 か しい 伝 統 と実 績 を持 っ て い る 。
2.こ
の 二 つ の 学 会 は 、 そ れ ぞ れ の性 格 上 、 そ の 発 足 時 か ら現 在 に 至 る ま
「中 文 学 会 」 覚 え 書 き で 、 規 模 そ の 他 の 点 か ら 見 て 、 後 者 つ ま り 「日本 中 国 学 会 」 は 、 前 者 つ ま り 「中 国 語 学 会 」 を 遙 か に 凌 駕 す る が 、 そ の 成 立 は 前 者 の 方 が 数 年 早 く、 し か も後 者 の 成 立 は 、 前 者 の 発 足 ・活 動 と 少 な か ら ぬ 関 係 を 持 つ 、 と考 え ら れ る 。 と い うの は 、「中 国 語 学 会 」 の 前 身 「中 国 語 学 研 究 会 」が 発 足 し た の は 、 1946(昭 和21)年10月 で 、場 所 は 京 都 で あ り 、 「日本 中 国 学 会 」 が 発 足 し た の は 、1949年10月 で 、 場 所 は 東 京 で 、 一 見 、 両 者 の 間 に は 何 の つ な が り も な い よ う に 思 わ れ る が 、 実 は こ の1946年 か ら1949年 ま で の3年 の 間 に 、 東 京 で 生 ま れ 、約 半 年 間 、 目 ざ ま し い 活 動 を続 け た の が 「中 文 学 会 」 で 、 そ の 発 生 は 京 都 の 厂中 国 語 学 研 究 会 」 の 影 響 に よ る も の で あ り 、 そ の 発 展 的 解 消 が 「日本 中 国 学 会 」 の 設 立 に つ な が る 、 と考 え ら れ る か ら で あ る 。 3.四 十 数 年 後 の 現 在 、 こ の 「中 文 学 会 」 の 存 在 は お ろ か 、 そ の 名 称 す ら 知 ら な い 人 が 多 く な っ た が 、 あ の 「終 戦 」 直 後 の 混 乱 期 に 、 新 し い 「中 国 文 化 研 究 」 の 建 設 を 目 ざ し て 苦 心 、 努 力 し た 人 た ち 、 特 に 、 戦 前 ・戦 中 の 研 究 の 在 り方 に 反 撥 し た(あ る い は 、 反 撥 し よ う と し た)多 く の 若 い 人 た ち の 足 迹 は 、 い つ か 、 何 ら か の 形 で 記 録 に と ど め て お き た い 、 と わ た し は か ね が ね 考 え て い た 。 だ が 、 こ う し た 記 録 が 果 し て ど れ ほ ど の 意 味 を 持 つ の か 、 ま た 、 当 事 者 の ひ と り で あ っ た 人 間 が 、乏 し い 資 料 と 、お ぼ ろ げ な 記 憶 を 基 に し て 、 どれ ほ ど事 実 を 伝 え う る の だ ろ う か 、 と い う 不 安 も 無 くは な か っ た 。 4.最 近 、 ほ か の 仕 事 の 必 要 か ら 、 自 宅 の 本 棚 の あ ち こ ち を 引 っ く り 返 し て い た ら 、 「中 文 学 会 関 係 資 料 」 と標 記 さ れ た 紙 包 み が 一 つ 出 て き 、 中 に 半 ば ぼ ろ ぼ ろ に な っ た 数 冊 の ノ ー ト と 、 謄 写 版 刷 り の 紙 片 類 が 入 っ て い た 。 古 語 に 「事 無 非 学 」(事 、 学 に あ ら ざ る は 無 し)と い う一 句 が あ る 。 こ
れ も 「学 」の 一 端 に な る か も知 れ ず 、ま た 、や り た い こ と は と もか くや っ て み る の も 、先 行 き 短 い 身 に と っ て は 、 「ま た 喜 ば し か ら ず や 」 と 思 い 定 め た 。 も し も 、 こ の 「覚 え 書 き 」 が 多 少 で も意 味 が あ る と思 わ れ た な ら 、 当 時 の こ と を知 っ て い る 方 に 、 本 稿 中 の 誤 り を正 す な り 、 不 十 分 な と こ ろ を 補 っ て い た だ き た い 。 取 る に 足 ら ず 、 と思 わ れ た ら 、 こ れ も老 害 の 一 種 と 、 一 笑 に 付 し て い た だ き た い 。
1「
中 文 学 会 」 成 立 ま で
A.三
つ の 「中 国語 の研 究 会 」
1946(昭21)年9月
半 ば 、 わ た しは 八 か 月 余 に わ た る 京 都 で の生 活 に 別
れ を告 げ て 、東 京 に 帰 っ て きた 。(私 事 に わ た り恐 縮 だ が 、私 事 に 言 及 しな
け れ ば 、 全 く話 し よ うが な い の で 、 暫 くの 間 、 ご容 赦 願 い た い 。)
1941(昭16)年12月
の 末 、 旧制 東 京 文 理 科 大 学(漢 文 学 専 攻)を 卒 業 し
た わ た しは 、翌 年(昭17)1月
、 栃 木 県 立栃 木 中学 校 に 赴 任 。 同年2月1
日、東 京世 田 谷 の 東部 十 二 部 隊 に 現 役 兵 と して 入隊 。5月
、陸 軍 甲 種 幹 部
候 補 生 と して 、豊 橋 陸 軍 予 備 士 官 学 校 に 入学 。 そ れ以 後 、 見 習 士 官 、陸 軍
少 尉 とな り、東 京 と豊 橋 を往 復 し、1945(昭20)年8月
、 敗 戦 に よ り召集
解 除 とな り、豊 橋 か ら東 京 に復 員 し 、 同年9月
末 、栃 木 中 学 校 に 復 職 。 こ
の 年 の10月 、
当 時 の 京 都 帝 国 大 学 に お られ た 倉石 武 四 郎 先 生 よ り話 が あ り、
12月 、栃 木 中学 校 を退職 、翌 年(昭21)1月
か ら 、 京 大 の 倉 石 先 生 の研 究
室 で 、「中国 諸 方 言 の 研 究 」の 手 伝 い をす る こ とに な り、福 建 語 の 学 習 と同
方 言 の研 究 資 料 調 査 に 当 た っ た 。
こ の年 の9月
、 思 い が け ず 、 母 校 の東 京 高 等 師 範 学 校 か ら話 が あ り、再
三 辞 退 した が 、結 局 、 同 校 漢 文 科 の 教 員 に 就 任 す る こ とに な っ た 。
厂中 文 学 会 」 覚 え 書 き
京都 を離 れ るに 際 し、 わ た しは倉 石 先 生 に 、 東 京 で 中 国 語 学 の 勉 強 を続
け る に つ い て 、 ど う い う人 に 教 え を請 うた ら い い だ ろ うか 、 とた ず ね た 。
先 生 は 当 時 、 東 京 帝 国 大 学 の 教 授 を兼 ね 、 た び た び 集 中講 義 そ の他 で 上 京
して い た の で 、 よ くご存 知 だ と思 っ た か ら で あ る。 先 生 は即 座 に 、 若 い 人
だ が 、 と こ とわ って 、 工 藤 篁 さん と太 田辰 夫 さん の 名 を挙 げ られ た 。
東 京 に も ど り、豊 島 区高 田 の 父 の 家 に 身 を寄 せ て い たが 、暮 れ 近 くの あ
る 日、杉 並 区 大 宮 前 の工 藤 さ ん の 家 を訪 ね 、中 国 語 学 の指 導 を お願 い し た。
工 藤 さ ん は 当時 、 東 京 商 科 大 学 予 科 に 勤 め 、 ご 多 忙 の よ うだ っ たが 、快 く
承 諾 して くれ 、 あ まつ さ え 、 わ た しが 太 田 さ ん の名 を 口に す る と 、一 緒 に
行 っ て あ げ よ う、とい い 、世 田谷 区代 田の 太 田 さん の 家 に案 内 して くれ た 。
太 田 さ ん は 当 時 紅 陵 大 学(戦
前 の 拓 殖 大 学)に 勤 め るか た わ ら、 わ た しの
出身 校 で あ る東 京 文 理 科 大 学 の 講 師 も して お られ 、 こ れ また ご 多忙 の とこ
ろ 、快 く承 知 して くれ 、 と りあ え ず 毎 週 一 回 、誰 か の 家 に 集 ま って 勉 強 会
を開 くこ とに な り、 まず選 ん だ テ キ ス トが 魯 迅 の 「
祝 福 」 で 、 これ を文 法
的 に吟 味 す る こ とを重 点 と し 、輪 読 す る こ とに な っ た 。
全 く初 対 面 の わ た しの 身 が っ て 、 ぶ しつ け な 願 い を 、 お ふ た り と も即座
に 承 知 して くだ さ っ た の は 、 倉 石 先 生 の 紹 介 と い うこ と もあ っ た で あ ろ う
が 、 何 とい っ て も その お 人柄 、特 に 、 新 しい 中 国 語 学 研 究 に 寄 せ る 、並 々
な らぬ 情 熱 の ほ とば し りだ った と思 う。
この お ふ た りは 、 年 齢 的 に は ど ち ら も わ た し よ り少 し上 だ っ た に過 ぎな
い が 、 そ の造 詣 の 深 さ 、論 説 の 鋭 さ 、 精 確 さ は 、 わ た しに と って 、 こ の上
もな い 指 南 車 とな った 。 こ れ が 、 第一 の 「中 国語 の研 究 会 」 で あ る。
そ う こ う して い る うち に 、 この 三 人 の 会 に 、 うわ さ を耳 に した 同 好 同志
の 人 た ちが 、折 々 参加 す る よ う に な っ た 。 た とえ ば 、 当 時 横 浜 高 商 に勤 め
るか た わ ら 、月 間 『
中 国 語 雑 誌 』(帝 国 書 院)の 編 輯 者 と して 活 躍 して い た
岡 本 隆 三 さん 、神 奈 川 師 範 に 勤 め なが ら、 中 国 語 学 に 関 す る論 文 を矢 つ ぎ
早 に 発 表 し て い た 長 田 夏 樹 さ ん 、 さ ら に は 、 紅 陵 大 学 に 勤 め 、 数 多 く の 中 国 語 の 文 法 に 関 す る論 文 を 書 い て い た 野 村 端 峯 さ ん 等 々 。 何 か 、 「梁 山 泊 」 の 観 を 呈 し た こ の 集 ま りが 、 第 二 の 「中 国 語 の 研 究 会 」 で あ る 。 ち ょ う ど こ の こ ろ 、1946(昭21)年 の10月 に 京 都 で 「中 国 語 学 研 究 会 」 が 発 足 し 、 そ の 機 関 誌 『中 国 語 学 』 第1号 が 発 行 さ れ た 。 も ち ろ ん 、 わ た し た ち の こ の 集 ま りに 参 加 し て い た 者 は 、 皆 こ の 研 究 会 に 登 録 、 参 加 し て い た が 、 こ の 京 都 の 会 の 発 展 ぶ り に 触 発 さ れ 、 東 京 で も 、 こ う し た 運 営 を 考 え よ う で は な い か 、 と い う こ と に な っ た 。 こ れ は 、 い わ ば 上 記 の 第 一 ・ 第 二 の 「中 国 語 の 研 究 会 」 を延 長 、 拡 大 し た も の で 、1947(昭22)年2月 末 の こ と で あ る 。 こ れ が 、 第 三 の 「中 国 語 の 研 究 会 」 で 、3月 か ら 実 施 さ れ た 。 以 下 、 参 考 ま で に 、 こ の 集 ま り の 概 況 を 掲 げ て お く 。 〔備 考 〕 括 弧 内 の 数 字 は 回 数 を 表 し 、 各 回 の1行 目 は 、 期 日(曜 日)・ 会 場 を 示 し 、2行 目 は 、 報 告 者 ・題 名 ・参 加 者 を 示 す 。 (1)1947(昭22)年3月7日(金)、 太 田 氏 宅 。 工 藤 篁 、 「小 川 環 樹 氏 の"代 名 詞 俗 們 の 沿 革"そ の 他 に つ い て 」、 太 田 辰 夫 ・牛 島 徳 次 。 (2)同 上 、3月13日(木)、 太 田 氏 宅 。 太 田 辰 夫 、 「北 京 語 の 研 究 資 料 」、 工 藤 ・牛 島 ・野 村 端 峯 。 (3)同 上 、3月19日(水)、 茗 渓 会 館 。 牛 島 徳 次 、 「旧 白 話 小 説 の 語 法 に つ い て 」、 太 田 ・秦 仁 。 (4)同 上 、3月30日(日)、 東 大 研 究 室 。 「倉 石 先 生 を 囲 ん で 」、工 藤 ・太 田 ・牛 島 ・伊 地 智 善 継 ・鐘 ヶ 江 信 光 ・ 西 順 蔵 。 (5)同 上 、4月6日(日)、 茗 渓 会 館 。 岡 本 隆 三 、 「中 国 語 の テ キ ス ト」、 太 田 ・牛 島 。
「中 文 学 会 」 覚 え書 き (6)同 上 、4月12日(土)、 工 藤 氏 宅 。 工 藤 篁 、 「代 名 詞 に つ い て 」、 太 田 ・牛 島 ・岡 本 ・中 山 時 子 。 (7)同 上 、4月17日(木)、 太 田 氏 宅 。 太 田 辰 夫 、 「北 京 語 に お け る 進 行 と持 続 」、 工 藤 ・牛 島 ・岡 本 。 (8)同 上 、4月26日(土)、 茗 渓 会 館 。 牛 島 徳 次 、 「"没的"に つ い て 」、 太 田 ・岡 本 ・長 田 夏 樹 。 (9)同 上 、5月15日(木)、 東 大 。 「倉 石 先 生 を 囲 ん で 」、 工 藤 ・牛 島 ・長 田 ・猪 俣 庄 八 ・大 浜 皓 。 (10)同 上 、5月24日(土)、 東 大 。 工 藤 篁 、 「中 国 語 の 主 格 の 問 題 」、 牛 島 ・長 田 。 (11)同 上 、5月28日(水)、 東 大 。 長 田 夏 樹 、 「中 国 語 の 比 較 言 語 学 的 研 究 」、 工 藤 ・牛 島 。 (12)同 上 、6月2日(月)、 茗 渓 会 館 。 牛 島 徳 次 、 「?」 、 工 藤 ・長 田 。 (13)同 上 、6月9日(月)、 東 大 。 工 藤 篁 、「中 国 語 教 育 」、牛 島 ・長 田 ・大 浜 ・今 村 与 志 雄 ・新 開 高 明 ・ 秋 元 一 郎 。 (14)同 上 、6月16日(月)、 東 大 。 工 藤 篁 、 「中 国 語 の 学 習 法 」、 牛 島 ・長 田 。 ㈲ 同 上 、6月22日(日) 「奥 野 信 太 郎 氏 を訪 問 」、 太 田 ・牛 島 ・長 田 。 (16)同 上 、6月27日(金)、 東 大 。 「倉 石 先 生 を 囲 ん で 」、 太 田 ・牛 島 ・長 田 ・内 田 道 夫 。 (17)同 上 、6月30日(月)、 東 大 。 「高 等 学 校 に お け る 中 国 語 教 育 」 、太 田 ・牛 島 ・長 田 ・内 田 ・宇 野 精 一 〇
(18)同 上 、7月7日(月)、 東 大 。 内 田 道 夫 、 「描 写 と し て の 言 語 」、 太 田 ・牛 島 ・長 田 。 (19)同 上 、7月14日(月)、 東 京 文 理 大 。 長 田 夏 樹 、 「所 謂"印 度 支 那 語 族"に つ い て 」、 牛 島 ・内 田 。 (20)同 上 、9月14日(日)、 太 田 氏 宅 。 「会 の 今 後 の 在 り方 」、 工 藤 ・太 田 ・牛 島 ・岡 本 ・長 田 ・藤 堂 明 保 。 (21)同 上 、9月28日(日)、 吉 昌 社 。 「中 国 語 学 会 」 発 起 人 会 、 工 藤 ・牛 島 ・岡 本 ・長 田 ・内 田 ・藤 堂 ・ 福 代 惟 男 ・永 島 栄 一 郎 。 上 記 の 第21回 の 集 ま り は 、 こ の 第 三 の 「中 国 語 の 研 究 会 」 を 、更 に 充 実 、 発 展 させ る た め に は 、 ど うす べ き か と い う 問 題 に つ い て 話 し合 わ れ た も の で 、 そ の 概 容 は 次 の 通 り。 1.ま ず 、 長 田 氏 か ら こ の 集 ま りの 趣 旨 に つ い て 説 明 が あ り、 つ い で 、 工 藤 氏 よ り 、 こ れ ま で の こ の 研 究 会 の 状 況 が 報 告 さ れ 、 最 後 に 、 長 田 氏 か ら 新 し い 会 の 「会 則(案)」 の 説 明 が な さ れ た 。 2.論 議 の 結 果 、 お お む ね 次 の よ う な 案 が 決 定 さ れ た 。 (1)新 し い 会 の 名 称 は 、 「中 国 語 学 会 」 と す る 。 (2)会 の 事 務 所 は 、 吉 昌 社 あ る い は 斯 文 会 と す る 。 (3)会 に は 、 次 の 各 種 委 員 を 設 け 、 事 務 の 運 営 を 計 る 。 イ 、 総 務 部 委 員 二 、 研 究 部 〃 ロ 、 会 計 部 〃 ホ.教 育 部 〃 ハ 、 渉 外 部 〃 〈委 貝 会 は 、 毎 月 一 回 開 く。〉 (4)本 日 の 出 席 者 は 、 そ れ ぞ れ 手 分 け して 、 各 分 野 の 研 究 者 に 連 絡 を と り 、 会 へ の 参 加 を 呼 び か け る 。
「中文学 会」覚 え書 き (5)新 し い 会 の 発 会 式 を 、10月26日(日)午 後2時 よ り開 く。 (6) ,上記(5)の た め の 準 備 会 を 、10月12日(日)午 後2時 よ り、吉 昌 社 で 開 く 。
上 記(1)の 、新 し い会 の 名 称 と定 め られ た 「中 国 語 学 会 」 が 、上 記(6)の
準備 会 で 「中 文 学 会 」 に 変 更 さ れ 、 関 係 各 方 面 に郵 送 、配 布 され た下 記 資
料 が 、 本 稿 題 目の 「中文 学 会 」 誕 生 の 産 声 とな った わ け で あ る。
B.「 中 文 学 会 」 創 立 の 挨 拶 文 1947(昭22)年10月20日 付 で 、 関 係 各 方 面 に 配 布 さ れ た 挨 拶 文 は 、 次 の 通 り。(便 宜 上 、漢 字 は す べ て 現 行 の 通 用 字 体 に 改 め た が 、仮 名 遣 い は 、 原 文 の ま ま に し て お く。)拝 啓
秋 冷 の 候 愈 々 御 清 祥 御 喜 び 申 し上 げ ます 。
さ て 今 回我 々 中 国 文 化 研 究 者 有 志 の 中 よ り中 国 の 言語 と そ の周 辺 の
諸 言 語 及 び 中 国 文 化 一 般 の 真 摯 な る研 究 と併 せ て 中 国語 教 育 の普 及 と
そ の振 興 を 図 るた め 、 こ こ に 中 文 学 会 な る 純 学 術 研 究 団体 が 誕 生 致 し
ま した 。
従 来 の 中 国 研 究 諸 機 関 は あ ま り孤 立 的 或 は 党 派 的 で あ っ た ため 却 っ
て 学 術 諸 分 野 の 連 繋 進 展 を妨 げ て 居 りま した 。 我 々 は 何 人 と いへ ど も
会 員 とな る こ とが で き、 又 総 会 に 臨 み 自由 な る 発 言 と、常 任 委 員 推 薦
の権 利 とを 与 へ られ ます 。 か くて構 成 され た常 任 委 員 会 は 民 主 的 討 議
を行 ひ 、事 務 執 行 機 関 の 活 動 を助 け 、 又 批 判 す る こ とに よ り健 全 な る
発展 が 期 待 され るの で あ り ます 。
思 へ ば 中 国文 化 の 研 究 は 単 に 中 日の地 理 的 歴 史 的 関係 に 於 い て重 要
で あ るの み な らず 、今 日 よ り明 日に希 望 を持 っ た 日本 文 化 形 成 の た め
に 、 又 中 国 文 化 の 世 界 史 的 意 義 の 闡明 発 揚 の た め に も、今 日程 強 く要
望 され る と きは あ り ませ ん 。
され ば 我 々 は 真 摯 純 粋 な る学 術精 神 の 下 に 、 毎 月 の研 究 発 表 会 、 随
時 の ゼ ミナ ー ル 、会 報 の 発 行 等 々 の 諸 事 業 を行 ひ 、 中 国文 化 研 究 の 飛
躍 的 進 展 を念 願 す る もの で あ り ます 。
各 界具 眼 の 士 に お かせ ら れ ま して は 何 卒 こ の 生 れ た ば か りの 研 究 グ
ル ー プ の た め に篤 き御 指 導 と御 鞭 撻 を賜 りた く、 こ こ に委 員 一 同切 に
御 願 ひ 申上 げ る次 第 で あ りま す 。
以 上簡 単 で は あ ります が 、 中 文 学 会 創 立 の御 挨 拶 と致 し ます 。
中 文 学 会
東 京 都 文 京 区 小 石 川 町1-1
中華 民 国 学 友 会 館 内
委 貝(ア イウエオ順)
市 川
安 司(東
京 高校)
猪 俣
庄 八(日 本 大 学)
牛 島
徳 次(東
京 高 師)
内 田
道 夫(東
京 大 学)
太 田
辰 夫(紅
陵 大 学)
岡 本
隆 三(横 浜 経 専)
長 田
夏 樹(神
奈 川 師 範)
鐘 ヶ江 信 光(東
京 外 専)
神 谷
衡 平(東
京 文 理 大)
北 浦
藤 郎(善
隣 外 専)
工 藤
篁(東
京 商 大)
倉石 武 四郎(京
大 、東 大)
「中文学会」覚え書き
河 野
六 郎(一
高)
小 島
武 男(東
京 外 専)
佐 藤
誠(帝
国 図 書 館)
竹 田
復(東 京 文 理 大)
田 中清 一 郎(東 京 外 専)
藤 堂
明保(一
高)
直 江
広 治(東 京 文 理 大)
永 島 栄 一 郎(東 方 文 化 学 院)
野 口
栄 一(吉
昌 社)
野 村
正 良
長 谷 川
寛(東 京 外 専)
波 多野 太 郎(大
東 文 化)
福 代
惟 男(東 京 外 専)
以 上
な お 、こ のB4型
わ ら半 紙 に謄 写 版 刷 りされ た上 記 文 面 の 左 上 方 に 、〔
附
記 〕 と して 、 次 の 案 内文 が 添 え られ て い る。
発 会 式 、 総 会 兼 第一 回研 究 発 表 会
要
項
1日
時
十 月二 十 六 日(日)午
後 二 時
1場
所
斯 文 会 講 堂(省
線 御 茶 ノ水 駅 下 車 、湯 島聖 堂 内)
1発
表
石 田幹 之 助 先 生
「
欧 米 人 の 中 国 語 研 究 史 」
倉石 武 四郎 先 生
「中国 言 語 学 の 建 設 」
-176一
II「 中 文 学 会 」 の 概 況 A.第1回 研 究 発 表 会 中 文 学 会 の 発 会 式 、総 会 兼 第1回 研 究 発 表 会 は 、上 記 案 内 状 の 通 り 、1947 (昭22)年10月26日(日)、 湯 島 聖 堂 内 の 斯 文 会 講 堂 で 行 わ れ た 。 当 日 の 式 次 第 、 講 事 運 営 等 に つ い て は 、 資 料 が 残 っ て い な い の で 不 明 だ が 、 石 田 幹 之 助 ・倉 石 武 四 郎 両 先 生 の 特 別 講 演 が 行 わ れ た こ と は 、 確 か で あ る 。(倉 石 先 生 の 「中 国 言 語 学 の 建 設 」 は 、 『中 国 語 雑 誌 』4巻3号 、1949 〈昭24>年8月 、 帝 国 書 院 、 に 掲 載 さ れ て い る 。) こ の 日 の 参 会 者 、約120名 。内 訳 は 、一 般 社 会 人 ・学 生 、 そ れ ぞ れ 約60名 。 そ の 大 部 分 は 、 当 日受 付 で 入 会 申 込 み の 手 続 き を し て い る 。 会 費 は 、 一 般 社 会 人 が 年 額30円 、 学 生 が10円 。 な お 、 会 場 費 と し て 、1人5円 を 徴 収 。 ち な み に 、 こ の 日 だ け の 会 計 決 算 は 、 収 入 合 計2,215円 、 支 出 が1,020円 で 、残 額 計1,195円 の 黒 字 。も っ と も 、こ の 総 会 開 催 の た め に 、一 部 会 員(委 員 そ の 他)か ら あ らか じ め 会 費 を 徴 収 し た り 、 吉 昌 社 社 長 の 韓 吉 昌 氏 か ら 通 信 用 の 封 筒 そ の 他 の 援 助 を 受 け た り し た が 、 事 前 の 累 積 赤 字 は238円 で 、 結 局 、実 質 残 金957円 。 こ れ が 、 こ の 総 会 以 後 の 、 本 会 運 営 の 基 金 と な っ た わ け で あ る 。
B.第2回
講 演 会
上 記 第1回
講演 会 か ら約1か
月 後 、下 記 の要 項 に よ り、 第2回
目が 行 わ
れ た。
〔
講 演 〕
1「
東 洋 思 想 の 一 般 性 と特 殊 性 」
東 大 助 教 授
中 村
元 先 生
厂中 文 学 会 」 覚 え書 き
1「
中 国 に お け る民 謡 研 究 」
文 理 大 講 師
直 江 広 治 先 生
1日
時11月30日(日)午
後1時
1場
所
斯 文 会 講 堂(湯
島聖 堂 内)
こ の 日の 参 会 者 は 、約100名 。特 に 目 立 っ た の は 、 会 員 以 外 の 参 加 者 が か な り 多 く 、 そ の 数 、 約30名 。 講 師 と 演 題 が 異 色 の も の で あ っ た た め で あ ろ うか 。 前 回 の 講 演 会 以 後 、 こ の 日 ま で に 、 ぼ つ ぼ つ と 入 会 申 込 み が 続 い てい 与が 、 この 日会 場 受 付 で 入 会 手 続 き を した 人 が 、17名(一 般5名 、学生
12名)。 ち な み に 、 こ の 日だ け の 会 計 決 算 は 、収 入 合 計675円 、 支 出 が280円 で 、 残 額 計395円 の 黒 字 。結 局 こ の 日 直 前 の 残 額186円 と合 わ せ て 、計581円 が 実 質 残 金 と な っ た 。 以 上 、 特 に 会 計 に こ だ わ っ た の は 、 一 つ に は 、 わ た しが 当 時 会 計 部 委 員 を 担 当 し て い た の で 、 多 少 の 資 料 が 手 も と に 残 っ て い た た め で あ り 、 も う 一 つ に は、 今 日 と当 時 と で は 、 い か に 物 価 、 貨 幣 価 値 が 違 う か と い う驚 き を 、今 更 の よ う に 禁 じ得 な か っ た か ら に ほ か な ら な い 。 も っ と も 、 こ れ は 、 も う一 方 で 、 当 時 の イ ン フ レ の も の す ご さ 、 恐 ろ し さ が 、 い ま だ に 脳 裡 か ら 離 れ な い た め で も あ ろ う。 た と え ば 、 ご く身 近 か な 月 刊 『中 国 語 雑 誌 』 も 、1946(昭21)年10月 発 行 の も の は 、 定 価3円 で 、 約2年 後 の1948年9 月 発 行 の も の は 、定 価30円 と な っ て い る し 、 『桃 源 』(吉 昌 社)も 、1947(昭 22)年4月 発 行 の も の は 、 定 価15円 。 そ れ が9か 月 後 に は 、20円 に な っ て い る 。 C第3回 講 演 会 第3回 講 演 会 は 、 第2回 か ら 約2か 月 後 の 、1948年1月25日(日)に 行 わ れ た が 、 残 念 な が ら 、 当 日 の 会 場 、 講 演 者 お よ び 講 演 題 目 な ど 、 わ た しの 手 も と に は 何 の 資 料 も残 っ て い な い 。 残 っ て い る の は 、 会 計 決 算 書 の み で 、 こ れ に よ っ て 推 測 す る と 、 当 日 の 参 会 者 は 、 約70名 。 ち な み に 、 こ の 日一 日の 決 算 は 、収 入 合 計265円 、支 出 が1,110円 で 差 引 き845円 の 赤 字 に な っ て い る 。 た だ し 、 前 回 の 講 演 会 の あ と 、 会 費 値 上 げ が 決 め ら れ て い た ら し く 、当 日参 加 し た 会 員40名 か ら 、追 加 会 費 と し て1人20円 ず つ 、 計800円 が 納 入 さ れ た の で 、 実 質 残 金 は 、 マ イ ナ ス45円 。 こ れ を 当 日 前 日 ま で の 残 金 52円90銭 で 清 算 す る と 、 会 計 部 に 残 っ た の は 、7円90銭 だ け だ っ た 。 ま さ に 、 破 産 寸 前 の 状 態 で あ る 。 た だ し 、そ の 後 、2月 中 に 追 加 会 費 そ の 他 で 、計 約880円 入 金 。こ れ で や っ と一 息 つ い た が 、 会 計 出 納 簿 の 最 後 に は 、 5月23日 、 『中 文 月 報 』 第1号 、200部 。 用 紙 ・印 刷 代 、 郵 送 料 、計804 円 支 出 。 残 高54円90銭 。 と締 め ら れ 、 そ れ 以 下 は 空 白 に な っ て い る 。 こ れ ま た 残 念 、 と い う よ り遺 憾 な が ら 、 こ の 『中 文 月 報 』 第1号 も手 も と に 見 つ か ら ず 、残 金 の 処 理 も 、 皆 目 わ か ら な い 。 結 局 、 「中 文 学 会 」 は 、 こ の こ ろ(1948〈 昭23>年5月 末 か ら6月 初 め ご ろ ま で)流 れ 解 散 、 自 然 消 滅 し た 、 と 考 え ざ る を 得 な い 。 そ し て 、 京 都 の 「中 国 語 学 研 究 会 」 は 、 倉 石 先 生 が 東 大 専 任 と な っ て 東 京 に 移 っ て こ られ た た め 、 関 西 支 部 ・関 東 支 部 と い う構 成 に な り 、 そ の 関 東 支 部 の 第1回 の 月 例 会 が 開 か れ た の は 、1949(昭24)年4月24日 で 、 会 場 は 、 東 大 文 学 部 中 国 文 学 研 究 室 で あ っ た 。 〈む す び 〉 1.以 上 の よ う に 、 「終 戦 」 後 ま も な く生 ま れ た 「中 文 学 会 」 は 、 ご く少 数 の 有 志 に よ っ て 形 成 さ れ た 、 さ さ や か な 「中 国 語 の 研 究 会 」 を母 胎 と す
「中 文 学 会 」 覚 え書 き る も の だ っ た 。 そ して 、 こ の 学 会 は 一 時 成 功 した か に 見 え た が 、 わ ず か 半 年 あ ま り で 、 あ え な く散 っ た 。 そ の た め 、 こ の 学 会 の 存 在 は 、 こ れ ま で ほ と ん ど 世 の 入 の 口 の は に の ぼ る こ とが な か っ た が 、 そ の 設 立 の 趣 旨 は 、 そ の 後 生 ま れ た 「日 本 中 国 学 会 」 に 、 り っ ぱ に 活 か さ れ た と 思 わ れ る し 、 さ ら に 、 予 想 外 に 多 く の 人 た ち 、 特 に 若 い 学 生 諸 君 の 共 感 ・参 加 を得 た こ と は 、 わ が 国 に お け る 中 国 文 化 研 究 史 上 、 か な り 重 要 な 意 義 を 持 つ と い え る の で は な い だ ろ うか 。 2で は 、 こ の 「中 文 学 会 」 が 、 ど う し て 半 年 あ ま り と い う 短 命 に 終 わ っ て し ま っ た の だ ろ う か 。 当 時 は も ち ろ ん 、 今 で も わ た しに は 、 よ く わ か ら な い 。 こ の 問 題 に つ い て は 、 人 に よ り い ろ い ろ な 見 か た が あ る か も知 れ な い が 、 何 と い っ て も 、 四 十 数 年 前 の こ と で あ る か ら 、 幽 霊 の 足 を 探 す よ う な も の か も 知 れ な い 。 中 国 の 古 典 『孟 子 』 に 、 「天 時 不 如 地 利 、 地 利 不 如 人 和 。」 と い う一 段 が あ る 。「天 候 ・時 期 に い か に 恵 ま れ て い て も 、有 利 な 地 勢 に は か な わ な い し 、 い か に 有 利 な 地 勢 で も 、 一 心 同 体 に な っ た 人 た ち の 力 に は か な わ な い 。」 と い う 意 味 で あ ろ う か 。 「中 文 学 会 」 の 興 亡 は 、 ま さ に こ の 道 理 に 、 ぴ っ た り合 う よ う に 思 わ れ る 。 「終 戦 」 直 後 の 、 「天 命 維 れ 新 た な り」 と い う千 載 一 遇 の 好 機 、大 都 会 で あ り首 都 で あ る 東 京 、 そ れ に 、 向 学 心 に 燃 え た 同 好 同 志 の 人 た ち の 協 力 。 ど れ 一 つ 取 っ て み て も 、 「間 然 と す る と こ ろ な し」 だ っ た 。 し か し 、 明 る い 表 の 裏 に は 影 が あ る 。 た と え ば 、 当 時 の イ ン フ レ、1949(昭24) 年4月 に 始 ま る 学 制 改 革 へ の 対 処 、 こ れ ら は 「天 の 時 」 の 影 と い え よ う 。 首 都 は 首 都 だ が ・ 一 面 焼 野 原 の 東 京 、 衣 食 住 に 追 わ れ る 大 都 会 の 生 活、 こ れ は 「地 の 利 」 の 影 で あ ろ う 。 せ め て 「人 の 和 」 で も あ れ ば … … と思 う が 、 目 ざ す と こ ろ は 一 つ で あ っ て も 、 会 員 特 に 年 輩 者 の ひ と り ひ と り が ・ あ の 十 数 年 に わ た る 戦 争 の 影 を 引 き ず っ て い た 。 こ の 影 の 濃 淡 の 差
が 、 言 動 に 微 妙 に 反 映 す る 。 影 を消 す 唯 一 、自 然 の 方 法 は 、明 か り を避 け る こ と で あ る 。「中 文 学 会 」 の 、 光 り 輝 い た と も し び も 、 い つ しか 消 え ざ る を 得 な か っ た 。 3.本 稿 は 、 そ の 標 題 の 示 す 通 り 、 あ く ま で も 「覚 え 書 き」 で あ っ て 、 い わ ゆ る学 術 論 文 で も な け れ ば 、 研 究 報 告 で も な い 。 こ れ は 、 中 国 文 化 、 特 に そ の 言 語 を 多 年 学 習 、 研 究 し て き た 、 ま た 、 こ れ か ら も し続 け よ う と し て い る 日本 人 の ひ と り と し て 、 直 接 し か も 深 くか か わ っ た 「中 文 学 会 」 を素 材 と し 、 過 去 を 反 省 し 、 現 在 ・将 来 に 、 で き る だ け 過 ち を 少 な く し た い と 願 う た め の 「覚 え 書 き」 に 過 ぎ な い 。 読 者 諸 賢 の こ 諒 恕 を 請 う次 第 で あ る 。9(1989.8.25) 〔備 考 〕 ご 参 考 ま で に 、1948(昭23)年1月12日 現 在 の 「中 文 学 会 会 員 名 簿 」 を 付 記 し て お く。(記 号 中 、 ○ は 常 任 委 員 、 〔 〕 は 執 行 委 員 を 示 す 。) な お 、 本 稿 の 「中 文 学 会 」 は 、1949(昭24)年 ご ろ 結 成 さ れ た 、 当 時 の 東 大 中 文 研 究 室 の 「中 文 学 会 」 とは 、 全 く別 の も の で あ る 。
A(一
般 会 員)
有 馬健 之 助
飯 田
利 行(駒
沢 大 学)
池 上
貞一(愛
知 大 学)
池 上
二 良(東 大 大 学 院)
○ 市 川
安 司(東 京 高 校)
稲 葉
士 良(東 京サイクル)
猪 熊
文 炳(善 隣 外専)
〔
教 育 〕 猪 俣
庄 八(日 本 大 学)
〔
会 計 〕 牛 島
徳 次(東
京 高 師)
○ 内 田
道 夫(東
京 大 学)
〔
総 務 〕 宇 野
精 一(東
京 高 師)
宇 野
義 方(東
大 大 学 院)
遠 藤
栄 一(東
洋 タ イル)
大 木
一 郎(中
華 日報)
○ 太 田
辰 夫(紅
陵 大 学)
大 村
興 道(東
京 第 二 師)
厂中文 学 会」 覚 え 書 き
大 森
悟(日
本 大 学)
大 山
正 春(明
治 学 院)
岡 崎
修(外 務 省)
岡 本 吉 之 助(善 隣 外 専)
岡 本
隆 三(横 浜 高 商)
長 田
夏 樹(神 奈 川 師)
〔
長 〕 加 藤
常 賢(東 京 大 学)
〔
総 務 〕 鐘 ヶ 江 信 光(東 京 外 専)
鎌 田
義 勝(大 森 中 学)
〔
総 会 長 〕神 谷
衡 平(東
京 文 理 大)
川 井
正 明(第 二復 貝 局)
韓
吉 昌(吉 昌社)
北 浦
藤 郎(善 隣 外 専)
○ 工 藤
篁(東 商 大 予)
○ 倉 石 武 四 郎(京 大 、 東 大)
桑 島
信 一(愛 知 大 学)
幸 田
克 己
幸 田
耕 造
〔
研 究 〕 河 野
六 郎(一 高)
○ 小 島
武 男(東 京 外 専)
○ 後 藤
基 己(東 方 文 化)
小 西
甚 一(東 文 理 大)
〔
会 計 〕 佐 藤
一 郎(東
大 大 学 院)
○ 佐 藤
誠(帝
国 図 書 館)
沢 口
剛 雄(学
習 院)
久 葉
盛 吾(ア テネフランセ)
菅 谷
正 二(順
和 興 産)
鈴 木
択 郎(愛
知 大 学)
竹 内
安 徳(第
二 復 貝 局)
@竹
田
復(東
文 理 大)
○ 田 中清 一 郎(東
京 外 専)
谷 本
勝 代(官
吏)
田 森
襄(日
大 予 科)
月 洞
譲(日
大 二 中)
○ 藤 堂
明 保(一
高)
戸 田
勝子(東
洋 文 化)
○ 直 江
広 治(東 文 理 大)
〔
書 記 〕 永 島 栄 一 郎(東
方文 化)
○ 中 村
元(東
大)
〔
研 究 〕 西
順 蔵(東
商 大 予)
沼 尻
正 隆(日
大 予 科)
○ 野 口
英 一(吉
昌 社)
野 村
瑞 峯(紅
陵 大 学)
〔
総務 〕 野 村
正 良(跡
見 高 女)
○ 長 谷 川
寛(東 京 外専)
〔
渉 外 〕 波 多野 太 郎(大
東 文 化)
○ 花 村
芳 樹(東
洋 文 化)
広 瀬
正 義(善
隣 外 専)
〔
教 育 〕 福 代
惟 男(東
京 外 専)
○ 増 淵
竜 夫(東
京 商 大)
○ 松 井
武 男(成 渓 高校)
馬 淵
和 夫(東
文 理 大研)
水 沢
利 忠(東
文 理 大 研)
三 根 谷
徹
宮 川
啓 三
〇 宮 田 豊 太 郎(都
立 六 中)
守 屋 美 都 雄(東
洋 大 学)
安 居
香 山(東 文 理 大)
安 富
隼 平
○ 山 口
修(東
洋 文 化)く
山 下
竜 二(東
大 大 学 院)
山 本
謙 吾
(計78名)
B(学
生 会 員)
秋 元
一 郎(東
京 大 学)
伊 藤 久 美子(東
洋 大 学)
伊 藤
敬 一(東
京 大 学)
飯 田
吉 郎(東
文 理 大)
池 沢
正 夫(東
文 理 大)
池 谷
文 夫(東
京 大 学)
石 井
宏(東
商 大 予)
泉
隆 貳(東 文 理 大)
磯 田
基 義(東
京 高 師)
'
磯 部
健(東
商 大 予)
今 村 与 志 雄(東
京 大 学)
岩 井
毅(東
京 大 学)
上 田 金 次 郎(東
京 外専)
上 田
慶 一(東 京 大 学)
牛 山
正 雄(東 文 理 大)
内 山
知 也(東 文 理 大)
遠 藤
一 郎(東 文 理 大)
緒 形
暢 夫(東 文 理 大)
大 石
豊(東 文 理 大)
大 垣
方 孝(東 京 大 学)
L大 島
隆(東 京 大 学)
大 村
梅 雄(東 京 大 学)
沖 野
亦 男(東 京 大 学)
加 藤
道 理(東
京 大 学)
筧
一 生城(東
京 大 学)
柏 瀬
一 朗(東 商 大 予)
金 子
泰 三(東
京 高 師)
金 田
元 彦(国 学 院 大)
河 上
典(善 隣 外 専)
木 村 郁 二 郎(東 文 理 大)
日下
武 二(東 商 大 予)
久 保
富 久(明 治 学 院)
黒 川
恒 男(明 治 学 院)
黒 沼
正 昭(横 浜 高 商)
桑 山
竜 平(東
京 大 学)
古 賀
周 作(東 文 理 大)
児 玉
修(紅
陵 大 学)
小 林
玄(紅
陵 大 学)
近 藤
直 也(紅
陵 大 専)
「中 文 学 会 」 覚 え 書 き