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「世界客家大会とその成果」に関する調査研究-世界ウチナーンチュ大会の発展と沖縄振興へ向けて-: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

「世界客家大会とその成果」に関する調査研究−世界ウ

チナーンチュ大会の発展と沖縄振興へ向けて−

Author(s)

緒方, 修

Citation

沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of

Humanities and Social Sciences(6): 137-144

Issue Date

2005-03-31

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/6124

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「世界客家大会とその成果」に関する調査研究

一世界ウチナーンチュ大会の発展と沖縄振興へ向けて一

緒方修 目次 1-調査の目的 2-世界客家大会略史 3-福建省龍岩調査報告

キーワード世界客家大会福建省龍岩市情報発信沖縄振興策

この研究は、平成16年度社団法人沖縄県対米請求権事業協会地域振興研究助成金を受

けた。研究報告書(約150ページ)は協会あてに提出し、3月には印刷され関係各所に

配布された。ここでは一部重複するが、現地メモや統計の数字をふくめ報告書に入れな

かったことを加えながら叙述する。なお同様の研究企画に関して1998年度に県の助成

を受けた。以降、2002年度には沖縄大学から特別研究費、2004年度には日本広報学会

指定研究に取り上げられる等、今回の対米請求権事業を含めると合計4回の助成を受け

た。記して感謝する。 1-調査の目的 今回の企画の概要は以下の通り。

「沖縄移民のネットワーク構築は、世界ウチナーンチュ大会の度ごとに強化されつつある。し

かし沖縄振興に果す役割はまだ未知数である。同じ移民ネットワークの例に華僑がある。中でも

近年注目を集めている客家は、世界各地で大会を開催し、明確にネットワーク強化とビジネスへ

の貢献を果たしている。特に大陸で最初の大会となった1994年の第12回広東省梅県大会、2000

年の第16回福建省龍岩大会は、いずれも世界大会開催がきっかけとなり大学、病院、道路、博物

館などのインフラ整備が進んだ。世界ウチナーンチュ大会の「先進事例」のひとつとして現地調

査を含めた研究を行い、」盾報発信やその後の投資実績などの例を参考にしながら、沖縄振興策の

一つの可能性を提示する。」(「世界客家大会とその成果」に関する調査研究序文より)

ここでは世界ウチナーンチュ大会の経緯や展望については省略する。世界客家大会の略史と、

現地調査を行った2地域のうち福建省龍岩市の結果を記す。広東省も福建省も海外への移民が多

く、華僑の故郷として知られている。そのうちでも今回調査した広東省梅県は客家人が99パーセ

ント、福建省龍岩も7割~8割を客家人が占める。 2-世界客家大会略史 これまでに世界客家大会は19回開催された。(2005年4月現在) 第1回香港(1971年9月) 第2回台北(1973年10月) 第3回台北(1976年10月) 第4回サンフランシスコ(1978年9月) -137-

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沖縄大学人文学部紀要第6号2005 回回回回回回回回回回回回回回回回 56789mⅡⅢ咀叫旧陥Ⅳ肥田別 第第第第第第第第第第第第第第第第 東京(1980年10月) バンコク(1982年9月) 台北(1984年10月) モーリシャス(1986年5月) サンフランシスコ(1988年10月) マレーシア・サバ(1990年6月) 台湾・高雄(1992年10月) 中国・広東省梅州市梅県(1994年12月) シンガポール(1996年11月) 台北(1998年10月) マレーシア・クアラルンプール(1999年11月) 中国・福建省龍岩市(2000年11月) ジャカルタ(2002年11月) 中国・河南省(2003年11月) 中国・江西省(2004年11月) 中国・四川省(2005年10月予定) 大会の歴史は34年前の香港にさかのぼる。香港崇正総会50周年を記念するために世界各国・ 地域の代表47団体、250人が香港崇正総会のホールに集まった。集会の名前を「世界客属懇親大 会」と定め、世界大会を2年に一回開くことを決議した。 筆者は第12回大会以降続けて6回出席した。開会式だけで毎回1000人~3000人が参加。前夜 祭や晩餐会、特別公演、記念行事などを合わせた参加人数は延べで20万人を超える時もあった。 中国大陸最初の開催地・第12回広東省梅県である.記念館設立式典のほか小学生、中学生まで動 員したマスゲームや花火大会、見本市でにぎわった。 大会期間中に文化展示会や、踊り、歌、客家料理試食会、学術研究会、小旅行等が実行される。 主催者側はトップレベルの実力者を登場させる。元広東省長・葉選平(第12回中国・広東省)、副 首相・リーシェンロン(第13回シンガポール、現在では首相)、総統・李登輝(第14回台北)。全て 客家人だ。中国人民解放軍の英雄・葉剣英の息子(葉選平)、シンガポール建国の父・リークァ ンユー(季光耀)の息子(リーシェンロン・李顕龍)。文字通り後継者で実力者だ。台湾からは毎回 多数の客家人が参加する。第16回の福建省龍岩大会には国民党副主席・呉伯雄氏以下200人が出 席した。(後述) 第19回までの33年の歴史を見ると、香港に始まった世界大会が前半は台湾、後半は中国大陸 で頻繁に開かれている。前半の台湾が多い原因は、一つは開催予定地が政情不安になり、台湾が 名乗り出て引き受けたケース。底流にあるのは、台湾が国連を追われ、国際的政治空間を増やす ための努力を続けている結果とも言える。中国はこの頃国連加盟(1971年)、ニクソン米大統領 訪中、日中国交正常化(1972年)と国際舞台への窓を開くが、国内の権力闘争で低迷し中越戦 争(1979年)、天安門事件(1989年)と不安定な状況が続く。近隣のインドネシア、シンガポ ールと国交正常化を果たすのはようやく1990年のことである。 後半は中国の改革開放の流れが大きく影響している。世界大会の開催地は前回の大会前夜の団 長会議で決定する。中国で最初の候補に挙げられた広東省梅県は客家の故郷として名高いが、そ れだけで世界大会を招致できるはずはない。大陸開催が決定したのは第11回台湾・高雄(1992 -138-

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年10月)での大会においてであった。ここには56団体2500人が参加した。この大会で次回の大会 開催地を中国とする「画期的な」決定がなされた。しかしこの時、日本からは出席者僅か数人、 日本の客家を代表する東京崇正公会会長は参加していない。従って広東省梅県を選択した団長会 議の詳細は不明である。ただしここでの議論は推測出来る。二つの主張が激突したに違いない。 「中国の改革開放は本物だ。次期大会は客家のルーツである広東省梅県をおいて他にはない。」 「いや時期尚早である。中国大陸の発展はまだ不安定要素が多すぎる。」 1992年は中国の改革開放にとって記念すべき年であった。この年の始め、都小平は87歳の高 齢をおして広東省の深jjll、珠海、そして上海などを訪れた。そして重要な一連の講話を行い、改 革開放を大胆に進めよ、と徹を飛ばした。世に言う「南巡講話」である。資本主義とか社会主義 とかごちゃごちゃ言わず「生産力、総合国力、人民の生活向上」の三つが大事と唱えた。驚くべ き転換である。「辺境地域でさえ、投資ラッシュで対外開放区が次々と建設され、人・モノ・金 の動きは沸き立っていた。92年の経済は一気に回復し、GDP成長率は前年比で12.8パーセント と大幅増を記録した。」(講談社・中国の歴史11-巨龍の胎動一p304) 繰り返すが第11回台湾・高雄大会が開かれたのは同年10月。こうした熱気が次回の開催地を 検討する団長会議にも反映された、と推測できる。それにしても台湾での大会において中国開催 が決まった、ということに感慨を覚える。国は違っても客家同士の日頃の情報交流がなければ踏 み切れない決断だったろう。 2003年以降は中国大陸が3年連続開催となっている。この決定がなされたインドネシア・ジ ャカルタ大会開催が2002年11月。前月にバリ島でテロがあり、キャンセルが相次いだ。日本か ら参加したのは筆者一人。団長会議にも参加し、つぶさにこの間の決定過程を見ることが出来た。 台湾からの参加者はわずかに5人。後で話を聞くと、中国の発展のためには3回連続開催もしょ うがない、といった諦め顔であった。ジャカルタ大会の前に台湾の高官がインドネシアを訪れ、 国交回復を働きかけたが効を奏しなかった。いつもは100人単位の台湾客家団体の姿が見えなか ったのは、テロの影響だけではない、と感じた。 世界客家大会は原則として2年に一回開催である。規約に外れた3年連続の第14回~16回、第 18回~20回は一旦終了し、次からは2年おきに戻る。しかし2004年11月の河南省大会(第19回) の討議を漏れ聞く限り、第21回大会からは中国で一回、それ以外の場所で-回という形になりそ うである。今後も、世界客家大会における中国のプレゼンスが増すことはあっても減ることはな いだろう。 3-福建省龍岩調査報告 2000年第16回大会は福建省龍岩市で開催された。広東省梅県以来、6年ぶりの中国大陸での 大会であった。龍岩は「客家の母なる河、汀江」が近くを流れており、客家の故郷の一つだ。以 下、参加当日のメモから。 「2000年11月20日9時、世界大会開幕。この日にそなえて作られた真新しいスタジアムに2 万2千人が集まった。世界各地からの客家同胞の数は3000人。アメリカ、カナダ、フランス、 タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、イギリス、ブラジル、オーストラリア、モー リシャス、ブルネイ、日本からの代表団がメインスタジアムを埋めている。特筆すべきは台湾か らの参加者だった。国民党副主席・呉伯雄氏以下200人の団体だ。呉氏は中国を訪れる国民党関 係者としてはこれまでで最高のポストにある人物。大会後は北京へ飛び、台湾問題の責任者・銭 其深副首相とも会談した。客家大会が中台のこれまでの会談のレベルを-段押し上げた、と言え る。」(*呉伯雄氏一行は国会議員や財界人約40人を率いた訪問であった) -139-

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沖縄大学人文学部紀要第6号2005 龍岩市は人口287万人、客家人は7~8割で市の周辺に住む人が多い。概略を記す。 「龍岩市は福建西部に位置し、通常閏西と称される。福建、広東、江西と省境を接し、東は福 建の泉州、潭州とも接し、南は広東梅州市、北は三明市に接している。龍岩は東西に192km、南 北に182km広がっており総面積は1.91万平方km、福建全体の157%を占めている。地勢は東北か ら西南に向かって傾斜しており、東高西低の様相を呈し、平均海抜は460m、山地丘陵が全市に 占める総面積は948%である。龍岩は亜熱帯海洋性気候に属し、年平均気温は18.5度から20.8度、 平均海抜は460m、年間平均降水量は1723ミリから2019ミリ、年間を通しての日照時間は1442 時間から1693時間で気候は温和であり酷暑、霜が降りたりする厳冬もなく四季を通じて亜熱帯 作物と森林が生長している。 市の特徴 龍岩市は正に現在形成されつつある閏(福建)・響(広東)・鶇(江西)省境における交通の要衝 である。龍岩は既にアモイの経済特区であり、福建南部における黄金の三角地帯(ゴールデント ライアングル)の中央部であるとともに内陸部の最前線であり、正に閏・豐・輯に跨る交通の要 衝であるとともに、物資の集散地であり、沿海と内陸を結ぶ経済回廊の役目を果たしている。」 (飯島典子訳) 4年後の2004年8月、大会の効果がどれほどのものであったか、関係者に聞いた。 龍岩市統計局羅課長インタビュー -龍岩での客家世界大会開催後、ここ数年の龍岩の発展と変化を大まかに紹介して下さい。 「世界大会開催後、各分野において大きな変化が起きました。ここ数年、龍岩は最も発展が早 い段階に突入しています。具体的なデータを使って説明させていただきます。まず経済力の増加 が挙げられます。「地域総生産」(龍岩地域のGNP)は、2003年には2944億元に達しています。 2000年の段階では221億元でした。この3年間で70数億元の増加になっています。経済成長スピ ードは10.8%に達しています。世界大会後、この数値は毎年上昇する傾向にあります。2001年 は7.1%、2002年は9.5%、2003年では108%になっています。3年間の平均数値は912%です。 福建省には9つの市があり、2000年では龍岩は第8位であり、2003年では第6位に前進しまし た。

次は産業構造の変化です。世界大会は龍岩の産業構造に変化をもたらしています。つまり、第

一次産業、第二次産業、第三次産業の比重が変わっています。2000年では、第一次産業は

25.1%、第二次産業は397%、第三次産業は35.2%でした。2003年の場合、第一次産業は

21.4%まで降下し、つまり農業の比重が下がり、かわりに第二次産業の比重は43.0%にまで上昇 し、第三次産業も35.6%にまで上昇しました。要するに、第二次産業の工業化は上昇する傾向に あります。

工業の枠組みは大きく6つに分けられます。煙草産業、電力産業(生産と供給)、有色金属鉱

物採掘産業、有色金属精錬産業、(生産設備)製造業、交通運輸設備製造業(主に車輌の生産な

ど)。この六つの分野は大きな役割を果たしています。」 -電力についてもうちょっと詳しくお話を聞かせてください。

「電力供給網は福建省全体に広がり、例えば永定に設けられた電力供給網は知られています。」

-電力は水力それとも火力発電? 「両方が含まれていますが水力発電がやや多いです。」 -車の生産はどの種類の車が多いですか?

「主に農業生産活動に使われる農業用のものが多いです。その他は運輸用の車輌です。」

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一自転車の生産はいかがですか? 「近年減少する傾向にあります。その代わりバイクの生産が増えています。」 -日本では環境保護と健康志向の立場から自転車を勧めていますが。 「先ほどお話した車輌生産は自家用車の生産ではなく、主に農業運輸用のものを指しています。」 -環境意識はどうなっているのでしょうか? 「龍岩は環境に気を配って全体的に環境はいい方だと思います。」 -発展と環境破壊は隣り合わせるものですが、龍岩の方はいかがですか?新しい事業を許可する 基準はあるのでしょうか? 「現在、龍岩を含めて中国は全国的に科学的な発展方式又は持続可能な開発を推し進めていま す。工業発展を図ると同時に環境問題にも目を配り、新しい事業を起こす際は環境汚染を引き起 こす可能性のある事業に対して、環境基準が設けられ、企業に対してその基準が守られているこ とを求めています。人類の生活環境を守る持続可能の開発意識の徹底が求められています。」 -これからの見通しは? 「第一次産業の維持、第三次産業の上昇、第三次産業の促進といった主旨です。」 -第三次産業における観光産業に比重は置いていますか? 「伝統的な第三次産業を維持した上で、新しい第三次産業例えばサービス業などを推し進める 方針です。伝統的な第三次産業は交通業、貿易、ホテル業、商品の販売業などをさしています。 -客家大会後の華僑による投資はどの産業、どの分野が多いですか? 「2000年の大会後、華僑、香港、マカオによる龍岩への投資が増えました。大会前も投資は あったがそれほど多くありませんでした。最初の投資は1984年。香港からの投資でした。投資 金額は百万元余でした。92年に都小平氏の「南から改革開放の政策を進めよ」といった主旨の 「南巡講話」が行われた後、海外からの投資は92,93,94年にピークを迎えました。 2000年客家大会後、2001年1月から今年の7月まで、華僑、華人(香港、マカオを含む)、 それに数社の外国人(ヨーロッパ人、日本人)を含めて、龍岩に投資した海外の企業は136件に 上ります。この内、契約書が承諾する投資総額合計は2億米ドルです。又、84年からの外商投資 の累計は892件。承諾した投資総額は10.9億米ドルになっています。実際の投資金額の累計は7.4 億米ドルになっています。2001年からの3年間の136件の外商による実際投資総額は約1.5億米 ドルになっています。 -つまり客家世界大会の効果は大きいということですね。 「大会後、龍岩の知名度が上がり、外商による投資も2,3年前より伸びています。それでも 92,93年の投資ラッシュには負けています。92,93,94年は投資のピークを迎えました。当時 は龍岩だけではなく、中国全土の外商による投資はピークに達しました。93年一年で外商による 投資は150件を上回りました。2000年大会後、龍岩への外商による投資が再び活発になりまし た。」 -人材育成の主旨をご紹介ください。 「教育に関しては基礎教育に力を入れています。龍岩には教育を重要視する伝統があります。 特に客家人はそうです。明日見学なさる永定県の円楼の中には教育を勧める対句が多く書かれて あります。龍岩では「龍岩学院」が今年の9月から正式に稼動します。「龍岩学院」は龍岩初の 中国国家教育委員会(日本の文部科学省に相当)認可の本科生大学です。その他に高等職業技術 専門学校があげられます。専門技術者を育てる学校です。」 (崎原麗霞訳) 観光客の推移について聞いたところ、翌日になって龍岩市旅瀞局林剣明副局長より手書きで以 -141-

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沖縄大学人文学部紀要第6号2005 下の数字をもらった。(こうした簡単な数字すら発表していないことに驚いた。) 2000年-170万人 2001年-225万人 2002年-273万人 2004年-280万人 2000年の大会以降明らかに観光客が増えていることが分かる。 続いて大会の責任者であった中国閏西客家聯誼会会長の曾耀東氏に聞いた。 曾耀東会長インタビュー 曾会長は訪日経験もあり、日本の客家人の間でも良く知られている。筆者も世界大会の度ごと にお会いし、旧知の仲である。 -世界大会が開かれた後の経済効果について。その前の準備段階からお話しいただけますか。 「大会を通して閏西(訳注:福建省西部)を世界に発信しました。海外においては閏西に関す る知識がなく、地図帳から見つけることさえできませんでした。大会後は海外からの観光客が増 え、世界中に友達ができたような気持ちになりました。世界大会が開かれなかったら、世界中に 閏西を宣伝することができなかったでしょう。たった一回の世界大会で目的が達成できました。 我々も今回の大会にたくさんの人が集るとは思いませんでした。せいぜい1500名ぐらいが参加 すると予測しましたが、結果としては3000人以上の人々が大会に参加してくださいました。世 界中からのお客様を迎えるため、政府がインフラ整備に力を入れました。中華人民共和国建国50 年間のインフラ建設がこの3年間のものに負けたと冗談交じりで言われました。以前、海外にい る客家、例えばアメリカにいる客家は客家発祥地の閏西で生活している人々が茅葺に住んでいる と想像していました。実際、来てみると高級ホテルが建っているので、とても驚いたということ です。なぜなら一昔前は閏西はすごく遅れた地域だと思われていましたから。皆さんは連城を訪 ねたことがありますか。昔、閏西を訪ねる観光客は限られていました。大会を通して閏西には素 晴らしい観光スポットが多く存在していることが確認されました。例えば連城には名山一冠秦 山があります。この山は客家のシンボルだと言われています。長汀には有名な洞窟があります。 世界大会後、知名度が増しました。これに加え、観光業界の努力の下、多くの観光商品が開発さ れました。現在の観光客数はこの半年で2000年、つまり大会が開かれた年の観光客総数に達し ました。観光業界は積極的に宣伝を展開してきました。」 _客家大会の開催を決めたきっかけは?当時のお話を聞かせていただけますか? 「マレーシアにいらっしゃる客家出身の藷光林先生が福建省の高官に宛てた手紙で2000年 間西世界客家大会の提案を勧めたと聞きました。マレーシアでお会いした際、そのわけを尋ねて みました。藷光林先生の答えは「私は幼い頃から日本で教育を受けました。日本で開催されたオ リンピックは日本経済の高度成長に一役を買ったことをこの目で見ました」ということでした。 -開催に当たって政府も大きな役割を果たしたということですね。 「藷先生のお考えは我々と一致しました。大会を通して海外にいらっしゃる客家の皆様を閏西 に呼び寄せ、我々の開放度を広めることができました。大会の開催に当たって、利点と不利があ ります。利点としては政府の強力な支持を得られることが挙げられます。例えば開会式において、 オープニングショーに出た演出者、裏方も含めて1万人に達しました。これはよその国では考え られない大規模の演出でした。会場に使われた体育ドームは22888の座席がある巨大な会場でし た。 -この会場は大会のために建てられたものですか? -142-

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「はい。(注・ハイと日本語で答えたため笑いがおきた)そもそもこのドームは大会のために 設計され、大会の開催に間に合うように建設スピードをあげました。会場の全ての座席、つまり 22888席にミネラルウオーター一本とレインコート一枚を用意する仕事量は大変なものでした。 台湾の客家懇親会曾会長はこのような大規模の大会は何処の国でも対応できるものではないと頭 をさげました。」 -当時は200名の台湾代表、国民党の代表もいらっしゃいました。 「確かに呉伯雄先生も見えました。」 -大会の開催を決めた経緯についてお話しいただけますか? 「1996年シンガポールで開催された第13回客家世界大会の際、5つの国と地域が立候補しま した。つまり、中国の閏西(訳注:福建省西部)、険西省、台北、マレーシア、アメリカの5つの 客家組織が立候補しました。当時マレーシア客家懇親会会長及び大会議長を務めた曾良財先生は 私とは同郷なので彼に協力を求めました。彼は「私の故郷は閏西なので協力したい。閏西の環境 整備はまだまだですが、利点は一つあります。すなわち政府の強力な支持が得られることです」 と協力してくださいました。結局、アメリカの熊先生が立候補を降り、険西省も譲ってください ました。残っているのはマレーシア、台北、閏西だけでした。相談した結果、1998年、99年、 2000年の三年間の連続開催に漕ぎつけました。98年は台北、99年はマレーシア、2000年は 閏西の龍岩での開催が決まり、大会宣言に記入されました。2年に一回の大会がこの三年間は毎 年開催されました。 -開催に当たって経費はいくらかかりましたか? 「インフラ整備を除いて、大会活動経費だけで1300万元余りを使いました。福建省政府から 300万元余りをいただき、残りは寄付金でした。華僑からの寄付もあれば、中国国内の企業から の寄付金も含まれています。開会式の演出は素晴らしいものでした。閉会式はもっと素晴らしい ものでした。閉会式は中洋折衷の舞台でした。客家風情をテーマとした舞台には交響楽が登場し、 客家出身の著名な女性指揮者の鄭暁英氏が「円楼交響楽」を披露してくれました。この閉会式が 大成功を収めました。 -1300万元の経済効果について。 「その経済効果は大いにあります。無論、大会の翌日にすぐ経済効果が出るとは限りませんが、 その効果はじわじわと現れ、投入した1300万元を大いに超えました。」 -沖縄でも同様の大会が開催されましたが、その効果がいまひとつなので勉強のつもりで調査に 参りました。成功の秘訣を教えていただきたいと思います。 「現在、閏西懇親会は一つのブランドになっています。秘訣その-は大会開催前になるべく国 際会議に出席し、見学を通して国際会議を主催するノウハウを蓄積すること。大会の経済効果を 引き出すため、海外の客家大会に積極的に参加すること。その二は会後も海外との連絡を保つこ とです。」 -世界客家大会を沖縄で開催する計画を立てているところですが。 「それは素晴らしいことです。申請を出して立候補してください。応援します。大会開催後も

引き続き海外との連絡を保ってください。世界に沖縄を発信する素晴らしいチャンスだと思いま

す。とにかく申請を出して立候補を申し込むことです。こちらも全力で応援します。」 -福建と沖縄は600年もの長い交流の歴史を持っています。

「とにかく閏西は客家大会を通して世界にデビューを果たしました。海外の大会に参加する場

合、政府の関連部門もツアーに参加することをお勧めします。例えば、華僑弁公室、貿易局、旅

行局などの責任者も会議に参加し、客家組織を通して外の世界を見学し見聞を広めることができ -143-

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沖縄大学人文学部紀要第6号2005 ると思います。2000年に日本に参りました。私個人も大会を通して世界中に友達ができました。 素晴らしいことです。」 -大会開催に不利な点はありましたか。 「宿泊です。ホテルが足りないことです。3600名余りの宿泊を確保するため、各ホテルの責 任者を集め、安全指導を行ないました。セキュリテイとサービスの向上を図るために、40軒のホ テルに担当者を分散し、ホテルでの泊り込みを求めました。徹底した安全対策を図った結果、大 会を成功に収めることができました。」(崎原麗霞訳) 沖縄と中国福建省は6世紀にわたる交流があることは良く知られている。現在でも市町村単位 で姉妹都市を提携している。しかし十分な情報交流がなされているのだろうか。沖縄県と福建省 でサミットを7回開催したが、2001年以降は開かれていない。 この稿は世界客家大会の情報発信効果を見てきた。もう一つの調査地域・広東省梅県では数字 などはつかめなかった。しかし大会後、客家人たちが自分たちの文化に誇りを取り戻した、海外 の研究機関から研究者がフィールドワークで訪れるようになった、などの感想を聞いた。梅県の 嘉応大学は10年前、筆者が訪れたときは学生数3000人であったが、現在は7000人。嘉応大学客 家研究所は世界の客家研究のメッカとして育ちつつあるようだ。 沖縄と客家を比べれば、共通点がある。移民を輩出している。世界大会を開催しているなどで ある。今回の報告は福建省・龍岩大会の4年後の成果を調査しただけに過ぎないが、確認できた ことがいくつかあった。 大会を期に92~93年の改革開放の波に匹敵するような投資があった、一挙に名前が知られ観 光客が増えた、政府がインフラ建設に力を入れた、東京オリンピックがヒントになっている、沖 縄で世界大会を企画するなら応援する..などである。 中国人は関係と信用を最も重んじる。今回の中国調査でも痛感した。広東省梅県では地方政府 の有力者にコネがなく、文化面での調査にとどまった。対して、福建省龍岩では中国閏西客家聯

誼会の曾耀東会長のおかげで毎日政府関係者から話を聞くことが出来た。こうした関係を絶やさ

ず交流を続けるべきだと感じた。最後に以下のような提案をしたい。 客家グループとの交流、調査活動を続ける。 世界客家大会を沖縄へ誘致し、‘情報を世界へ発信する。 移民を資産としてとらえ、文化・経済など様々な交流を図る。 情報センターを創出し、研究を深め実際のサポートにもあたる。 インターンシップを利用して若者を移民体験させ、国際舞台で活躍できる人材を育てる。 -144-

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