現代日本語動詞活用論
著者
大木 一夫
雑誌名
東北大学文学研究科研究年報
巻
69
ページ
1-37
発行年
2020-03-07
URL
http://hdl.handle.net/10097/00127279
現代日本語動詞活用論︵大木︶
現代日本語動詞活用論
大
木
一
夫
1 はじめに 現代日本語の活用について、現代日本語文法研究を先導した寺村秀夫は次のようにい う 1 。 (1) 文語文法の既成の概念から離れ、現代の日本語の活用のさまを虚心に見てそれを形の上で整理しようとするならば、その 結果には大きな差がないはずである。 ︵﹃日本語のシンタクスと意味Ⅱ﹄ 41頁︶ これは、きわめて広く知られる学校文法流の活用整理││文語文法の枠を維持した形をもつ││の呪縛を離れて、現代日本語の活 用を整理するとすれば、 その整理の結果に大きな差が出てくることはないということをいっているようにみえる。たしかに、 現在、 学 校 文 法 流 の 枠 組 を 現 代 日 本 語 の 分 析 と し て 全 面 的 か つ 積 極 的 に 支 持 す る と い う こ と は な い と 思 わ れ る し、 諸 家 の 活 用 分 析 に は、 さまざまな点で共通する側面がみられることからすれば、 寺村の述べていることは、 一往、 肯うべきところがあるように思われる。 しかしながら、その一方で、現実としては、分析結果に見過ごすことができないくらいの差異があるというのがほんとうのところ であろう。そうなると、この寺村の述べていることは誤っているということになるのであろうか。 実は、 寺村が (1)でいうところは、 単に﹁活用を整理するとき、 その結果に大きな差はない﹂といっているのではないと思われる。 では、寺村のこの発言はどのようなところに鍵があるのだろうか。ここでは、このような点を考えながら、現代日本語動詞の活用 について、それがどのように記述されるのか、ということを考えていく。あるいは、このような視座をもって現代日本語動詞形態東北大学文学研究科研究年報 第 69号 論をすすめていくことにする。 2 これまでの動詞活用論 では、これまでの動詞活用論はどのようなものであったのか。動詞活用に関するこれまでの言及は、専門の論考以外にも比較的 体系的ないわゆる文法書というべき書物に示されたものもあり、 数かぎりない。ここではこれまでの研究の主だったものについて、 動詞活用についての分析の方針を軸に整理し、その立場の問題点を考えることにする。 2・ 1 学校文法的な分析 さて、動詞活用の分析としてもっともよく知られるのは、いわゆる学校文法のものであろう。現代日本語に対する学校文法の活 用整理についての批判は、寺村秀夫による批判にほぼつきるといってよ い 2 。それは、 (i)活用形の認定、定義、命名が無原則で一貫 性がない、 (ii)多くの説明に事実に合わない点がある、 (iii)現代語の活用の記述にとっては意味がなく不必要と思われる点もいくつか ある、という批判である。このうち、 (ii)は語幹が定義に合わない認め方をされているとか、仮定形﹁書け﹂は仮定の意味を表して いないなどといったことであり、 (iii)は上一段と下一段の区別は不要、 終止形と同形の連体形も不要であるなどといったことである。 これは文語文法の枠組にしたがうことによる問題で、現在の現代日本語文法論においてはこの活用分析をとるということは、まず な い 3 。ただし、そのような問題点はありながらも、この枠組の原理にしたがうかぎり、問題となる形式は網羅しているというのは 間違いないところで、その点では一定程度の理はあり、留意しておく必要はあるように思われ る 4 。 2・ 2 文法的な意味・機能にもとづく分析︵ 1︶ ところで、活用とは語形の問題でもあるが、活用形の変化で文法的意味が変わるという現象でもあることから、文法的意味・文
現代日本語動詞活用論︵大木︶ 法的な機能を基準にして、活用分析をおこなうという考え方がある。その場合、まず視点とされるのは文法カテゴリのうちのムー ド︵法︶の側面である。それは、印欧語の活用が、人称・数・性のほか、ムードの表しわけにかかわるものだという理解にしたが う こ と に よ る も の で あ ろ う。 た だ、 そ れ だ け で は 語 形 を 十 分 に と ら え き れ な い こ と か ら、 ム ー ド 以 外 の 他 の 文 法 カ テ ゴ リ や、 ﹁ 切 れ続き﹂を考え合わせて分析することになる。 このようなタイプの活用分析には、三上章・阪倉篤義・芳賀綏らの考え方がある。たとえば、三上章の場合、時期によって名称 が 異 な り、 若 干 の 出 入 り も あ る が、 お お よ そ[ 表 1] の よ う に な る 5 。 三 上 は ヨ ー ロ ッ パ 語 の conjugation と 共 通 す る 概 念 へ﹁ 活 用 ﹂ 概念を向け直すべきだと し 6 、まずムードを軸に活用形を認めていく。三上のムードの把握は[表 1]右のようであって、これをも と に 連 用 形︵ 中 立 形 ︶ を 加 え る 形 で 基 本 系 統 の 一 系 列︵ ﹁ 取 リ・ 取 ル ﹂ 等 ︶ を 認 め る。 そ し て、 ヨ ー ロ ッ パ 語 と 共 通 す る 活 用 を 認 めるのに必要な﹁座標﹂としてテンスを掲げ、完了系統の系列︵ ﹁取ッテ ・ 取ッタ﹂等︶を認めたのが、 [表 1]ということになる。 阪 倉 篤 義 は[ 表 2] の よ う に 活 用 形 を 示 す 7 。 こ の う ち の 基 本 活 用 形・ 第 二 類 活 用 形・ 第 三 類 活 用 形 と い う 枠 組 は﹁ 陳 述 ﹂、 す な わ ち、 ﹁ 表 現 さ れ た 事 が ら に 対 す る 話 し 手 の 立 場 か ら す る 判 断、 な い し は 自 ら の 態 度 を 表 明 し て、 文 を 言 い 定 め る ﹂ は た ら き の 性 格 の 違 い に よ っ て わ け ら れ た も の で あ る。 こ れ ら 三 種 の う ち、 基 本 活 用 形 の 類 は 論 理 的・ 形 式 的、 す な わ ち 客 体 的 な 陳 述 で あ り、 第三類活用形は言語主体の情意にかかわる主体的な陳述、第二類活用形 はその両面をもつものとする。この話し手の立場からする判断・態度と い う も の が ム ー ド に か か わ る も の だ と 考 え れ ば、 こ の 活 用 形 の 整 理 は、 まずはムードにもとづく整理であるといえる。そして、この三類は、さ らに切れ続きでわけられる。基本活用形でいえば、基本形は終止用法と なり、中止形は中止用法、連体形は連体用法になるものである。第三類 活用形でいえば、命令形は終止的陳述となり、仮定条件形は﹁バ﹂に連 なるといったものである。このようにして、この三類につき、種々の形 表 1 三上章の活用表とムード
東北大学文学研究科研究年報 第 69号 を 切 れ 続 き か ら 整 理 を す る。 た だ し、 ﹁ 書 く ら し い ﹂ で い え ば、 こ のうちの﹁らしい﹂の部分は、アクセントの面から考えると、一定 程 度 自 立 性 が あ る と い え る こ と か ら、 ﹁ 書 く ら し い ﹂ 全 体 を 一 活 用 形 と し て 立 て る こ と は 避 け、 ﹁ ら し い ﹂ を と り の ぞ い た﹁ kak -u ﹂ の 部分を活用形として推想形とする。 このようにして整理をしたのが、 [表 2]である。 逆 に、 切 れ 続 き を 第 一 の 視 点 と す る も の に 芳 賀 綏 の 分 析 が あ る 8 ︵[表 3]︶。芳賀は、まず、切れ続きで終止・連用・連体とわけ、そ の う ち の 終 止 に つ き﹁ モ ド ゥ ス ﹂︵ い わ ば ム ー ド ︶ の 点 か ら、 述定 -断定 ・ 述定 -推量 ・ 伝達命令のようにわけている。なお、 ﹁ 歌わ ない﹂ ﹁ 歌っ た﹂ ﹁ 歌い そうだ﹂の傍線部は、 派生にともなう変化形とされ、 活用形から除外されている。 以上のような分析は 、活用がさまざまな文法的意味 ・機能を表し わけることを示そうとするものであるから 、その点で魅力のある議 論 な の で あ る が 、 一 方 で 大 き な 問 題 を 抱 え て も い る 。 そ れ は 同 じ 形 式 が 別 活 用 形 と し て 認 め ら れ て い る と い う 点 で あ る 。 右 の 例 で い え ば 、 阪 倉 の 基 本 形 kak -u と い う 形 は 、 同 時 に 連 体 形 ・ 推 想 形 ・ 否 定 推 想 形 ・ 想 像 形 で も あ り 、 芳 賀 で い え ば 断 定 形 ﹁ 歌 う ﹂ は 連 体 形 で も あ る 。 も ち ろ ん 、 そ れ ら は 機 能 が 異 な る こ と に よ っ て 別 活 用 形 と さ れ て い る わ け で あ る し 、 そ の 機 能 も 無 秩 序 に 認 め ら れ た わ け で は な い が 、 で は 、 ど れ ほ ど の 機 能 を わ け て 別 活 用 形 に す べ き な の か と い う 点 で 疑 問 な し と は い え な い 。 こ の よ う な 点 は 実 は す で に 松 下 大 三 郎 が ﹁ 迂 愚 な 活 用 図 ﹂ と し て の ﹁ 写 実 的 活 用 図 ﹂ と い う い い か た で 批 判 し て い る も の で あ っ て 9 、文 法 的 な 意 味 ・ 機 能 に も と づ く 活 用 分 析 に お い て は 問 題 に な り が ち な こ と な の で あ る 。 表 2 阪倉篤義の活用表 表 3 芳賀綏の活用表
現代日本語動詞活用論︵大木︶ また、このような分析は、逆に必要な活用形が網羅されているのかという点も心配になる。もちろん、阪倉のように活用形とす る部分を短く設定すれば、形の上では網羅的になっているわけであるが、機能からみた際、 13活用形でそれで十分なのかという点 では確信がもてないところであるし、三上・芳賀の場合は、活用部分をもう少し長くみているのであるから、 9∼ 10の形をわけて おくということで十分なのか、やはり、わからないところである。 このような問題は、 結局は、 これらの議論において何なら活用で何なら活用ではないのかの基準がはっきりしていない、 または、 活用形をどのような手続きで認めたのかはっきりしない、ということに起因すると考えられる。たとえば、三上・芳賀のような語 形のとらえかたをするのであれば、 ﹁取りつつ・歌いつつ﹂ ﹁取ると・歌うと﹂といった形がなぜ活用ではないと判断されたのかと い う こ と は っ き り し な い。 も ち ろ ん、 ﹁ 歌 わ な い ﹂ や﹁ 歌 っ た ﹂ の よ う に 活 用 形 で は な い と 判 断 さ れ た 理 由 が あ る 程 度 わ か る 場 合 もないではないものの、 総じてその判断の根拠はおぼつかない。もっとも、 三上章のように﹁くわしくは将来の研究にゆずり、 こゝ ではだいたいの方針を述べ、さし当っての前進に間に合う程度に活用形を立てよ う 10 ﹂などというような場合もあって、あるいは厳 密な網羅性を志向していないということもあるのかもしれないが、そうであったとしても、最終的には、その点を詰めておかなけ れば、不十分の謗りはまぬかれ得ないであろう。 2・ 3 文法的な意味・機能にもとづく分析︵ 2︶ その点で、活用形を認める方針を明瞭に示す議論がある。文法的な意味・機能にもとづく分析としては渡辺実の議論がある。渡 辺 は 切 れ 続 き、 な か で も 自 身 の 構 文 理 論 に も と づ く 構 文 的 職 能 に し た が っ て 活 用 形 を 認 め る 11 。 そ の よ う な 枠 組 を 認 め る に あ た り、 渡辺は①統叙を託され、かつ陳述もしくは再展叙を託される形態のみを活用形と認める、②陳述・再展叙のどの特定職能が託され るかで判別する、③形態の異同にこだわらず職能の異同に基準を置くという方針を立て、それにしたがって活用形を認める。活用 形 を 認 め る 方 針 の 明 確 な 議 論 で あ る。 渡 辺 の 認 め る 構 文 機 能 と し て の 職 能 は、 連 体・ 連 用・ 誘 導・ 接 続・ 並 列・ 陳 述 で あ る か ら、 この各職能に対応する連体形・連用形・誘導形・接続形・並列形と陳述に対応する 2種の形、独立形・陳述形が認められることに
東北大学文学研究科研究年報 第 69号 なる。さらに、それ自身が関係構成的職能を託さ れ成分を形成するもの、他の形態意義的単位と連 結して関係構成的職能を託され成分を形成するも の、それ自体が関係構成的職能と託されて成分を 形成した後、重ねて成分形成のための要素が付加 的 に 表 現 さ れ た も の に わ け、 そ れ ぞ れ 成 分 該 当・ 成分構成 ・ 成分発展の用法と位置づける。ただし、 ﹁読も ︵う︶ ﹂﹁読ま ︵ない︶ ﹂ などにおける ﹁読も﹂ ﹁ 読 ま ﹂ の 部 分 に は 職 能 を 認 め る の は 困 難 で あ る ︵ ② に 反 す る ︶ こ と か ら、 ﹁ 読 も う ﹂﹁ 読 ま な い ﹂ 全体を予測用言・否定用言とし活用形とは認めな い。そのようにした結果の活用体系が[表 4]と いうことになる。 また、方針の明確な議論として、いわゆる教科 研の議論がある。これは、独立しない形式は語で はなくすべて語の一部である、という立場から活 用をとらえる立場である。このような方法は、動 詞の活用でいえば、動詞に後接する非自立形式は すべて動詞本体込みで活用形となるという考え方 であるから、活用形整理の方針は明確なものとい 表 4 渡辺実の活用表
現代日本語動詞活用論︵大木︶ える。この教科研は現代日本語の動詞形態に関して積極的に発言してきた研究グループであり、ここではそのメンバー、高橋太郎 の活用論をみ る 12 。これは分析視点として、文法カテゴリのうち先にみたムード・テンスを含め、それ以外のさまざまな文法カテゴ リを観点とし、それに切れ続きの側面も加えた整理である。単語が文のなかでとるかたちを語形、単語の語形変化のセットをパラ ダ イ ム と 呼 び、 動 詞 の パ ラ ダ イ ム を 示 し た も の を 動 詞 の 活 用 表 と す る︵ [ 表 5]︶。 動 詞 の 語 形 は、 ま ず 屈 折、 す な わ ち 語 尾 の と り かえを基礎としてつくられる。 これは ﹁よ む、 よ ん だ、 よ む だ ろ う、 よ も う、 よ め⋮﹂ のようなもので ︵[表 5]縦軸︶ 、ムー ド・テンスの文法カテゴリを表しわける ものとされる。そして、それにやはり文 法カテゴリとしてのていねいさ・みとめ かたを表しわける接尾辞のついた形﹁よ み ま す・ よ ま な い ﹂ を 加 え る︵ [ 表 5] 横軸︶ 。さらに、終止形 ・ 連体形 ・ 中止形 ・ 条件形・譲歩形という﹁機能﹂︱︱いい かえれば、切れ続き︱︱と呼ばれる枠組 による整理を加えて﹁せまい意味での語 形﹂とする。ただ、その外側にもさらに 語形はあると考え、 [表 6]のように受身 ・ 使役等の接尾辞をつけた﹁よまれる・よ ま せ る ﹂ な ど の 文 法 的 な 派 生 動 詞、 ﹁ よ 表 5 高橋太郎の活用表(1) 動詞の基本的な活用表
東北大学文学研究科研究年報 第 69号 み は じ め る ﹂ な ど の 文 法 的 な 複 合 動 詞、 ﹁ よ ん で い る ﹂ などの文法的なくみあわせ動詞を認める。 それらに加え、 ﹁よみつつ﹂などの副動詞、 動詞の連体形に﹁の﹂をくっ つける動名詞、 ﹁よみたい﹂ ﹁よみそうだ﹂などの文法的 な派生形容詞、さらには、終助辞・接続助辞のつくかた ちすべてを含めて語形とし、それがパラダイム、すなわ ち活用をなすと考えるものである。 以上のような渡辺や教科研の議論は活用分析の方針が 明確なもので、その点では歓迎すべきものである。そし て、これらの議論の方針にしたがえば、論理的には活用 形は網羅的にとらえられ、 漏れはないはずである。ただ、 いずれにおいても︱︱その語形が膨大になるからか︵と く に い わ ゆ る 助 詞 類 が 付 加 さ れ る 形 は 相 当 膨 大 に な ろ う︶︱︱そのすべての形が示されることはない。とくに 教科研の場合は、きわめて膨大な活用体系が構築される ことになるはずであるが、その全貌は示されることがない。また、高橋の示すものでいえば、その中核となる﹁せまい意味での語 形﹂ ︵[表 5]︶のメンバーも、なぜそれらがそのメンバーとなるのかは明瞭ではない。たとえば、 ﹁よまない・よみます・よみませ ん﹂は文法的な派生動詞で[表 5]のメンバーであるが、 同じ文法的な派生動詞であっても、 ﹁よまれる ・ よませる﹂はそのメンバー で は な い。 そ の あ た り の 整 合 性 に は 問 題 が あ る。 加 え て い え ば、 渡 辺 の 終 止 形 と 連 体 形、 高 橋 の 終 止 形 -断 定 形 -非 過 去 形 と 連 体 形 -非 過 去 形 の よ う に 同 形 に も か か わ ら ず 別 活 用 形 に な る と い う も の が、 や は り み ら れ、 先 に 掲 げ た も の に ま し て﹁ 迂 愚 な 活 用 図 ﹂ 表 6 高橋太郎の活用表(2) 語構成などのてつづきによって動詞的なカテゴリーを実現する形式
現代日本語動詞活用論︵大木︶ としての﹁写実的活用図﹂に陥っているという可能性があるのではないかと思われる。 2・ 4 形態にもとづく分析 以 上 の よ う に 文 法 的 な 意 味・ 機 能 に も と づ く 分 析 は、 網 羅 性 と い う 点 や 同 形 式 異 活 用 形 と い う 点 で 問 題 を 含 む。 こ れ に 対 し て、 形 態 に も と づ く 分 析 は、 形 態 を と り あ げ る 方 針 が し っ か り し て い れ ば、 そ の よ う な 問 題 は 論 理 的 に は お こ ら な い。 そ う い う 点 で、 寺村秀夫の活用論は形態をとりあげる方針を示した上で活用形を整理しているものである。その結果が[表 7]のような活用表で あ り、 次 が 寺 村 の 活 用 整 理 の 方 針 で あ 表 7 寺村の活用表 る 13 。 (2) (i) 活用語尾は単一の形態素で あること。 (ii) 活 用 語 尾 た る 形 態 素 に は、 それでその発話が言い切り に な る か 否 か は 別 と し て、 それに固有の描叙類型的意 味が認められること。 (iii) 形態的に同一である活用語 尾は、構文的機能は違って も、 同 一 の 活 用 形 と す る。 逆 に、 構 文 的 機 能 は 同 一、 または似通っていても、形
東北大学文学研究科研究年報 第 69号 態的に異なるものは別の活用語尾とし、呼び名の上でも区別する。 この (i) (iii)︱︱とくに後者は同形式異活用形を避けるもの︱︱からすれば、寺村の分析は形態的なところに基盤があるものと考えら れる。ところが、寺村は (ii)のように﹁描叙類型的意味﹂という意味も問題にする。そもそも、寺村における活用とは﹁話し手の態 度 を 表 わ す べ く ど う し て も 述 語 が そ こ か ら 一 つ を 選 ば な け れ ば な ら な い 形 態 素 の 体 系 ﹂ で、 ﹁ 唯 一 の 必 須 ム ー ド が 活 用 ﹂ と さ れ、 実は文法的な意味も問題にするものなのである。もちろん、 この形態的側面と意味的側面とで齟齬がおきなければよいのであるが、 事 実 は、 ム ー ド﹁ 保 留 ﹂ の な か に 複 数 の 形 式 が あ り、 異 な る 形 で ム ー ド を 表 し わ け て い る と い う こ と に は な っ て い な い。 さ ら に、 寺村自身、活用形とムードは一対一には対応しないと述べており、それは右の規定と齟齬があることになっている。加えて、やは り活用形の網羅性の問題がある。たとえば、 ﹁書きつつ﹂ ﹁書きながら﹂などがあらわれないのはなぜなのか。あるいは、寺村が示 す 指 針 に し た が い、 寺 村 が 別 途 助 動 詞 と 認 め る よ う な も の を 丁 寧 に 考 え て い け ば、 [ 表 7] の よ う な 表 が 導 き 出 さ れ る の か も し れ ないが、実際に、どのように指針にしたがって活用形を認めていったのかという細部は、具体的に述べられていない。 このような点で、その方針が明確な形態的な分析としてハイコ・ナロク、江畑冬生の議論があり、これらはきわめて注目すべき ものといえ る 14 。ただし、これらについては、その評価も含めて後にふれることにする。 2・ 5 拡大活用論 右のように、活用論においては形式と文法的意味との齟齬が問題になることが多いのであるが、その点を解消するために、活用 の範囲を拡大して考えようとする議論がある。野田尚史の拡大活用論であ る 15 。文法カテゴリを表すヨーロッパ系言語の﹁活用﹂と 切れ続きを表す日本語の﹁活用﹂は全く違うように見えるが、それは言語の違いというより﹁活用論﹂の違いによるもので、文法 カテゴリの値を指定する﹁内の活用﹂と文中の他の成分との関係を指定する﹁外の活用﹂を措定し、その上で、ヨーロッパ系言語 と日本語を比べてみると、述語の構造という点では、両者の違いは小さいとする。そこで、 ﹁語﹂としての形態変化ではなく、 ﹁文 の成分﹂としての述語の構造を考える﹁拡大活用論﹂を提案し、これによれば、さまざまの言語の﹁活用﹂を統一的に記述できる
現代日本語動詞活用論︵大木︶ とする。これは、たしかにそのとおりではある。ただ、述語の構造を比べるのであれば、述語・用言︵複合体︶の構造論といえば よいのであって、なぜわざわざ﹁活用﹂といわなければならないのか、その点は不審である。 2・ 6 問題点まとめ 以上のように、これまでの活用論をみてくると、次のような点で問題があることがわかる。 (3) a 何なら活用で、何なら活用ではないのかの基準がはっきりしない。 b 活用形をどのような手続きで認めたのかがはっきりしない。 この問題を解決するためには、 活用形を認める具体的な指針と、 実際にその指針を運用したその手続きを示す必要がある。そして、 その指針を決めるためには、次の点がはっきりしている必要がある。 (4) そもそも活用論は何の論であるのか。 この点でいえは、右のように文法カテゴリを優先に考える考え方があるわけであるが、たとえば、ムードといったような文法的意 味からの整理では、形態と文法的意味との間で齟齬が生まれ、うまく整理できなかったわけであるし、ある文法的な形式がどのよ うな文法的意味を表すのかということは、アプリオリに決まっているわけではない︱︱だから、活用がヨーロッパの言語のように 文法カテゴリ的意味を表したり、日本語のように切れ続きを表したりする︱︱わけであるから、形の整理に文法カテゴリを組み合 わ せ よ う と す る の は、 ま ず は﹁ 素 直 0 0 ﹂ と は い い に く い の で は な い か。 そ れ は、 寺 村 の 言 い 方︵ = (1)︶ を ふ り か え っ て み れ ば、 ﹁ 形 の上で﹂ ﹁虚心に見て﹂いないということを意味するように思われる。つまり、 この問題を考えるためには、 形態の整理として﹁ 虚 0 心に見て 0 0 0 0 ﹂ いく 0 0 ことが重要なのではないかと考えられるのである。
東北大学文学研究科研究年報 第 69号 3 ここでの考え方 そこで、ここでは活用の論は、まずは形態の分析記述=形態論と考え、形態論の基本にそって記述する。つまり、形態論の常識 的 な 概 念・ 用 語 で 記 述 す る、 い い か え れ ば、 策 を 弄 せ ず、 ﹁ 普 通 ﹂ に 考 え る と い う こ と で あ る 16 。 そ の 理 由 は 以 前 に も 述 べ た が、 語 の 認 定 や 形 態 素 の 分 類 の 基 準 や 概 念 は 言 語 を は か る 尺 度・ ﹁ も の さ し ﹂ と も い え る も の で あ る の で、 あ る 特 定 の 言 語 体 系 を 記 述 す るのに都合のよい規定のしかたをするのは望ましくないからであ る 17 。そこで、このような考え方にしたがって、次に形態論のため の基本的な概念を提示す る 18 。 (5) a 語基 base : 語の構成要素の中で、あらゆる接辞︵ affix ︶を取り除いた後に残る部分。語構造の基幹的要素。 b 接辞 affix : 語基 ︵ base ︶に添加されて主に文法的意味を表す語構成上の要素。語基との位置関係によって接頭辞 ︵ pr efix ︶、 接中辞 ︵ infix ︶、 接尾辞 ︵ suffix ︶ にわけられる。また、 文法的性質によって、 派生接辞 ︵ derivation ︶ と屈折接辞 ︵ inflection ︶ とに区別される。 c 活用 conjugation : 動詞 ・ 助動詞の屈折︵ inflection ︶のこと。名詞の曲用︵ declension ︶に対する。活用には、 接辞︵ affix ︶ によるものと、母音またはアクセントの交替によるものとがある。 d 語幹 stem : 語︵ wor d ︶の構成要素の一つで、屈折接辞︵ inflection ︶を除いた後に残る部分。 e 屈 折 inflection : 語 が 文 法 機 能 を 果 た す た め に 行 う 語 形 変 化 の こ と。 屈 折 に は 大 別 し て、 接 辞︵ affix ︶ の 添 加 に よ る も の と、母音︵稀に子音︶またはアクセントの交替によるものとがある。 f 派 生 derivation : 単 一 語 ま た は 合 成 語 に 接 辞︵ affix ︶ を 加 え た り 、 一 部 分 の 音 韻 を 変 化 さ せ る こ と に よ っ て 、 新 し い 語 を作ること。 このような形態論的な概念によって語形を整理するというのが、ここでの立場である。文法カテゴリや﹁描叙類型的意味﹂のよう な文法意味的な側面を認定の基準とはしない。それは、繰り返すが、活用という形態現象が文法カテゴリや﹁描叙類型的意味﹂を
現代日本語動詞活用論︵大木︶ 反映するかは、保証のかぎりではないからである。 また、 このような概念につき、 考えておくべきは、 (5) e屈折と (5) f派生の区別である。 (5) cのように動詞 ・ 助動詞の屈折︵ inflec -tion ︶ を 活 用 と 規 定 す る わ け な の で、 こ の 概 念 が 活 用 を 考 え る に あ た っ て 重 要 に な る。 そ し て、 こ の 派 生 接 辞 と 屈 折 接 辞 の 区 別 で あるが、ここでは、 L・ J・ウェイリーの示すところにしたがうことにす る 19 。 (6) 性質 派生 屈折 意味上の作用 大きな変化 小さな変化 A 語類への作用 転換しうる 転換しない B 生産性 限定的 非限定的 対立要素の範例 ない ある 意味上の予測可能性 ない︵個々にみるしかない︶ 予測可能 配置 語根の内寄り 語根の外寄り もちろん、当該の接辞がこの条件で截然とわけられるわけではないことも知られており、これらの条件がどの程度あてはまるのか ということを考え、屈折接辞か派生接辞かを考えていく。 も う 一 点 考 え て お く べ き は、 そ れ は、 語︵ 単 語 ︶ と い う 単 位 に つ い て で あ る。 形 態 論 が 問 題 に す る の は﹁ 語 の 形 ﹂ で あ る か ら ︱︱動詞という語の形態を考えるには動詞の一部分とはいえない要素、つまり、動詞以外のもの、あるいは動詞以外のものの一部 まで含んで検討してはいけないのであるから︱︱当然、語という単位が認定されなければならない。もちろん、語の認定にはさま ざまな考え方があり、簡単には解決しない問題ではあるが、ここでは語認定の手続きが明瞭なものであり、その認定方法が広く適 用できると考えられるものとして、服部四郎の考え方にしたがうことにす る 20 。服部四郎の形式の分類は次の (7)のようになる。この
東北大学文学研究科研究年報 第 69号 うち問題となるのは自立しない形式︵非自立形式︶のうち、附属形式と附属語である。後者は語であるから、語としての動詞の一 部分ではない。逆に前者は語よりも小さな単位であるから、動詞の一部分である可能性があることになる。 (7) 服部四郎の形式分類 そして、この附属語と附属形式を区別するにあたって、服部は次の 3つの原則を掲げる。 (8) 原則Ⅰ 職能や語形変化の異なる色々の自立形式につくものは自由形式︵すなわち﹁附属語﹂ ︶である。 原則Ⅱ 二つの形式の間に別の単語が自由に現れる場合には、その各々は自由形式である。従って、問題の形式は附属語 である。 原則Ⅲ 結びついた二つの形式が互に位置を取りかえて現れ得る場合には、両者ともに自由形式である。 原則Ⅰは接続多様性というべきもので、つき得るものの種類が多いというのは、独立度が相対的に高いということである。原則Ⅱ は挿入可能性というべきもので、ひとつの語の内部には別の語を挿入することを許さないから、それを許すのであればそれらは独 形式 附属形式 自由形式 非自立形式 附属語のみの結合︵例﹁にも﹂ ﹁からは﹂ ︶ 単語︵=最小自由形式︶ 自立語を含む単語連結 附属語 自立語 自立形式
現代日本語動詞活用論︵大木︶ 立的であるということである。原則Ⅲは転換可能性というべきもので、位置の転換が可能であれば、それらはそれぞれ独立的であ るということである。この服部原則によって自由形式、すなわち附属語と認められたものは、それ自身が語であるから、動詞の一 部分ではない。 この附属語のようなものは、先述の教科研のように、独立しない形式︵つまり非自立形式︶は語とはいえないという立場にあっ て は 語 と 認 め ら れ な い こ と に な る が、 こ の よ う な 非 自 立 的 で は あ る も の の 接 辞 の よ う に 語 の 一 部 で な く、 語 と 認 め る べ き も の ︱︱ 接 語 clitic ︵ あ る い は 倚 辞 ︶ ︱︱ が あ る と い う こ と は、 近 年、 積 極 的 に 指 摘 さ れ る と こ ろ で あ る。 宮 岡 伯 人 も こ の よ う な 語 の 重要性を説き、接辞と接語︵倚辞︶の区別は重要であるとす る 21 。そこで、ここでもこの接語を認め、語と考えることにする。 以下、このような形態論的概念にしたがって、現代日本語動詞の形態・活用を分析していくことにするが、現代日本語といって もさまざまなヴァリエーションがある。ここでは現代日本語の書きことば口語体︵共通語︶を対象とし、具体的なデータは、国立 国 語 研 究 所﹃ 現 代 日 本 語 書 き 言 葉 均 衡 コ ー パ ス ﹄︵ BCCWJ ︶ を 用 い る こ と に す る 22 。 そ れ は、 BCCWJ に よ れ ば 現 代 日 本 語︵ 共 通 語 ︶ の形態を、おおむねもれなく把握することができる︱︱もちろん内省でも把握できるとはいえるが、その場合、周辺的な形式をは ずして考えてしまう可能性もないわけではない︱︱と考えられるからである。 4 動詞の一部ではない非自立形式をとりのぞく さて、現代日本語動詞の活用分析をすすめていくが、まずは、動詞の一部とはいえない非自立形式をとりだしておく。動詞に後 接する非自立形式であっても、それが動詞の一部でなければ、明らかに活用語尾ではない︱︱それは同時に、そのような形式は動 詞形態論として扱うことのできない形式でもある︱︱からである。その動詞の一部とはいえない非自立形式とは、さきの服部の分 類 (7)でいえば附属語である。そして、その附属語とは、 (8)の服部原則Ⅰ∼Ⅲのいずれかをみたすものということになる。 では、 この服部原則をみたす動詞後接形式にはどのようなものがあるのか。 これにあたるものは BCCWJ で考えれば、 品詞が助詞 ・
東北大学文学研究科研究年報 第 69号 助動詞とされる形式のなかにあることになる。が、そのうちの主に名詞に後接する助詞、すなわち、格助詞・副助詞︵一部をのぞ く︶ ・係助詞は、明らかに動詞の部分ではない。これは接続多様性をもつものであって、附属語になる。たとえば、 ﹁は﹂には動詞 に 後 接 す る﹁ い く ら お し た っ て、 鳴 り は し な い よ ﹂ の よ う な 例 が あ る が、 同 時 に﹁ 私 は ﹂﹁ 本 は ﹂﹁ 白 く は な い ﹂ の よ う に、 ﹁ 職 能 や語形変化の異なる色々の自立形式につく﹂ ︵服部原則Ⅰ︶ので、 附属語ということにな る 23 。したがって、 問題になるのは助動詞と、 動詞に後接することが多い助詞、すなわち接続助詞・終助詞とである。 ま ず、 BCCWJ の 動 詞 後 接 助 動 詞 の う ち、 [ 表 8] に 掲 げ る も の で、 ﹁ 原 則 Ⅰ ﹂ と さ れ る も の は、 動 詞 に 後 接 す る だ け で は な く、 そ の 他 の 職 能 や 語 形 変 化 の 異 な る 形 式 に つ く も の で あ る の で、 服 部 原 則 Ⅰ か ら 附 属 語、 す な わ ち 語 と し て 認 め ら れ る も の で あ る 24 。 たとえば、次のようなものである。いずれも動詞だけではなく、形容詞・名詞にも後接しているものであって、動詞の一部分とは いえない。 (9) a つう お金を もらう って ことは、 ︵動詞︶ 調整が 難しい って 事情も︵形容詞︶ なんだ、この 野郎 って 。︵名詞︶ b です ︵でしょう︶ どうしたら できる でしょう か? ︵動詞︶ 何が 嬉しい でしょう か? ︵形容詞︶ いい 映画 でしょう か ? ︵名詞︶ c らしい いろいろな体験を する らしい 。︵動詞︶ 寂しい らしい のです。 ︵形容詞︶ 本人なりに考えた 結果 らしい ﹂︵ 名 詞︶ た だ し、 こ こ に み え る﹁ た ﹂﹁ ず ﹂ は、 こ の 表 か ら は 接 続 多 様 性 を み た す よ う に み え る が、 単 純 に 語 と す る こ と に 問 題 が あ る と 思 われるので、これらについては、後にあらためて検討する。 また、この[表 8]のなかには動詞との間に別語が入るものがある。 ﹁原則Ⅱ﹂とあるものである。 (10) a ごとし 仲間入りを する が ごとき 女性議員︵ ﹁が﹂ ︶ b つう どっちが正しいと 思う か って 事︵ ﹁か﹂ ︶ c だ 帰るのを 待つ の だ 。︵ ﹁の﹂ ︶
現代日本語動詞活用論︵大木︶ (10) aは附属語である﹁が﹂が動詞﹁する﹂と﹁ごとし﹂の間にあらわれてい る。これは動詞と当該の形式の間に別語があらわれているということで、 ﹁二 つの形式の間に別の単語が自由に現れる﹂ ︵服部原則Ⅱ︶から、 ﹁ごとし﹂が 附属語であるということになる。 (10) bも附属語﹁か﹂が動詞﹁思う﹂と﹁っ て﹂の間に、 (10) cも附属語﹁の﹂が動詞と﹁だ﹂の間にあらわれている。や はり、服部原則Ⅱから語である。 そして、 [表 8]のうち、 ﹁ごとし﹂ ﹁です﹂ ﹁らしい﹂など、表中に * が付 さ れ て い な い も の は、 さ ら に goto -si や des -u, rasi -i の よ う に 分 析 で き る。 このうちの末尾の形態素は、 後述する屈折接辞に類するものであることから、 こ れ ら の 語 は、 こ こ で は︿ 助 動 詞 ﹀ と 呼 ん で お く こ と に す る 25 。 * が 付 さ れ て い る も の は、 い っ て み れ ば 不 変 化 の 附 属 語 で あ る の で、 ︿ 助 動 詞 ﹀ に 対 応 さ せて︿助詞﹀と呼んでおく。 な お、 こ の[ 表 8] の﹁ き、 ご と し、 し め る、 む、 ら し ﹂﹁ じ ゃ﹂ の 網 掛 をほどこした語は文語形、あるいは方言形というべきもので、共通語の通常 の 形 式 と は い い に く い と 思 わ れ る。 実 際 に 全 用 例 数 も 10∼ 30例 程 度 に と ど まっており、頻繁に使われるとはいえない。文語形は威厳のある言い方とい う印象を与えたり、硬い文体とするために使われるかぎられた形式であると いうべきであろう。 次 に、 BCCWJ の 動 詞 後 接 の 接 続 助 詞・ 終 助 詞・ 副 助 詞 を み る が、 こ れ ら は多くのものが語である。次の[表 9]に掲げるものがそれである。これら 表 8 BCCWJ 助動詞のうちの附属語 総数 動詞接続 上接語 原則 動詞 形容詞 形状詞 名詞 その他 き 18 16 ○ なり Ⅰ 文語 ごとし 28 1 ○ の、が Ⅱ 文語 しめる 10 8 ○ ○ か Ⅱ 文語 じゃ * 18 1 ○ ○ ○ の Ⅰ・Ⅱ 方言 ず 2,330 1,090 ○ ○ なり、べし ※ た 28,585 20,905 ○ ○ ○ だ ※ だ 28,130 313 ○※ ○ ○ ○ の、から Ⅰ・Ⅱ ※動詞+「だろう」等 つう 162 18 ○ ○ ○ か、だ Ⅰ・Ⅱ 「という」縮約形 です 7,028 136 ○※ ○ ○ ○ の、を Ⅰ・Ⅱ ※動詞+「でしょう」 なり 114 3 ○ ○ ○ Ⅰ む * 14 10 ○ 名詞たり Ⅰ らし 15 3 ○ ○ Ⅰ らしい 177 47 ○ ○ ○ ○ Ⅰ
東北大学文学研究科研究年報 第 69号 は、 や は り 附 属 語 で あ っ て、 動 詞 の 一 部 分 で は な い。 こ れ ら は 動 詞 に 後 接 す る だ け で は な く、 多 く の 場 合、 形 容 詞 に も 後 接 す る 26 。 さ ら に は、 形 状 詞︵ い わ ゆ る 形 容 動 詞 語 幹 ︶・ 名 詞 に 後 接 す る も の も あ る。 こ れ は、 接 続 多 様 性 を も つ も の で あ る、 す な わ ち、 服 部原則Ⅰをみたすものであるから、いずれも語ということができるものである。 (11) a けれど︵接続助 詞 27 ︶ 専門があるのは 分かる けど 。︵動詞︶ 以前ほどでは 無い けど ︵形容詞︶ b ながら︵接続助詞︶ そんなことを 言い ながら 、男の人から電話がかかってきたりすると︵動詞︶ 射程は 短い な が ら 連射のできる弓を︵形容詞︶ 穏やかな 口調 ながら 、﹁本気で臨んでいる﹂と︵名詞︶ c な︵終助詞︶ ﹁おもしろいこと いう な ﹂︵動詞︶ ちょっと﹁ おかしい な ﹂と思って︵形容詞︶ あぁ、 喧嘩 な 。︵名詞︶ d ね︵終助詞︶ 断然強いと 思う ね 。︵動詞︶ 結構、 面白い ね ♥︵形容詞︶ ﹁それは 思いやり ね ﹂︵名詞︶ e たり︵副助詞︶ 人に 渡し たり 商用利用すると︵動詞︶ 痛かっ たり 、︵形容詞︶ 近頃雨降ったり なん だり で︵名詞︶ こ の う ち、 (11) bの﹁ な が ら ﹂ は、 ﹁ そ ん な こ と を 言 い な が ら 、 男 の 人 か ら 電 話 が か か っ て き た り す る と ﹂ の よ う な 逆 接 を 表 す よ う な 用 法 と、 ﹁ フ ァ イ ル 選 択 の と き、 Ctrl の キ ー を 押 し な が ら 選 ぶ と ﹂ の よ う な 並 行 的 な 事 態 を 表 す 用 法 が あ り、 両 者 を わ け る こ と も考えられるが、ここでは両者とも同時的意味を表す形式として同形式としてみておくことにす る 28 。また、 ﹁電話を取る なり 罵声﹂ の﹁ な り ﹂ は、 名 詞﹁ な り ﹂︵ ﹁ 子 ど も な り の 考 え ﹂、 あ る 状 態 そ の ま ま ︶ と 同 じ も の と 考 え る。 一 方、 ﹁ な ﹂ は、 ﹁ お も し ろ い こ と い う な ﹂ の よ う な 念 押 し・ 詠 嘆 を 表 す よ う な も の と、 ﹁ あ ま り 物 珍 し そ う に あ た り を 見 る な 。 物 見 と 間 違 え ら れ る ぞ ﹂ の よ う な 禁 止を表すものがある。両者はその意味がかなり異なると考えられるため別の形式とみることにする。すると、前者の念押しや感嘆 を表すものは接続多様性をもつが、後者の禁止を表すものは動詞後接にかぎられることから、前者は語、後者は附属形式とみるこ とになる。 同時に、この[表 9]のなかには、服部原則Ⅱをみたすものもある。 (12) a けれど︵接続助詞︶ 藤川だって、もっといけたと思うん だ けど 。︵ ﹁だ﹂ ︶ b か︵終助詞︶ 最後どう なる の か 教えて下さい。 ︵﹁の﹂ ︶
現代日本語動詞活用論︵大木︶ 表 9 BCCWJ 助詞のうちの附属語 総数 動詞接続 上接語 原則 動詞 形容詞 形状詞 名詞 その他 が 3,959 541 ○ ○ だ Ⅰ・Ⅱ から 1,550 308 ○ ○ だ Ⅰ・Ⅱ けれど 676 74 ○ ○ だ Ⅰ・Ⅱ し 543 132 ○ ○ だ Ⅰ・Ⅱ たって 20 19 ○ ● Ⅰ ●非コア て 32,172 29,138 ○ ○ らしい ※ ※ と 2,287 1,908 ○ ○ だ Ⅰ とも 67 4 ○ ○ ○ なり Ⅰ ながら 606 494 ○ ○ ○ ○ しかし Ⅰ 「 平 行 」 意 と「 逆 接 」 意と同語とみる なり 7 7 ○ ■ Ⅰ ■名詞「なり」と同語 とみる ば 1,963 1,379 ○ ○ だ ※ い 20 1 ○ だ、か、わ Ⅰ・Ⅱ か 6,172 291 ○ ○ ○ ○ の、 ま た、 そう Ⅰ・Ⅱ かしら 28 2 ○ ○ ○ の Ⅰ・Ⅱ さ 114 4 ○ ○ ○ ○ だ、の Ⅰ・Ⅱ じゃん 11 2 ○ ○ ○ ○ Ⅰ ぜ 18 4 ○ ○ だ Ⅰ・Ⅱ ぞ 85 36 ○ ○ ○ だ Ⅰ で 10 1 ○ ○ ねん、や Ⅰ・Ⅱ 方言形 な 733 66 ○ ○ ○ だ、は、よ Ⅰ・Ⅱ 禁止「な」は附属形式。 他は語 ね 1,400 38 ○ ○ ○ ○ だ、は、の、 よ Ⅰ・Ⅱ ねん 13 1 ○ や Ⅰ 方言形 の 227 68 ○ ○ だ Ⅰ・Ⅱ ばい 4 1 ○ ○ Ⅰ 方言形 べい 4 2 ○ だ Ⅰ 方言形 もの 36 2 ○ ○ だ Ⅰ・Ⅱ や 24 8 ○ ○ Ⅰ 一部、方言形 よ 1,344 112 ○ ○ ○ ○ だ、の、わ、 そう Ⅰ・Ⅱ わ 141 27 ○ ○ だ Ⅰ・Ⅱ たり 669 571 ○ ○ ○ だ Ⅰ・Ⅱ って 751 34 ○ ○ ○ ○ だ、の、な Ⅰ・Ⅱ
東北大学文学研究科研究年報 第 69号 c ね︵終助詞︶ 英語は 通じる の ね と︵ ﹁の﹂ ︶ d って︵副助詞︶ もう気配が伝わってくるワケ、 始まる な って 。︵ ﹁な﹂ ︶ これらは、動詞とこれらの形式の間に、 ﹁その他﹂に示したような形式﹁だ﹂ ﹁の﹂ ﹁な﹂といった附属語︱︱たとえば、 ﹁だ﹂であ れ ば、 ﹁ 本 だ ・ 読 む の だ ・ 白 い か ら だ ﹂ の よ う に 原 則 Ⅰ を み た す 形 式 ︱︱ が 介 在 す る も の で あ っ て、 原 則 Ⅱ を み た す こ と か ら、 や は り、 こ れ ら も 附 属 語 で あ る。 た だ、 こ の[ 表 9] 中 の 原 則 Ⅱ を み た す も の は、 ほ と ん ど 同 時 に 原 則 Ⅰ も み た し て い る。 た だ し、 こ こ に み え る﹁ ば ﹂﹁ て ﹂ は、 こ こ か ら は 接 続 多 様 性 を み た す よ う に み え る が、 単 純 に 語 と す る こ と に 問 題 が あ る も の と 考 え ら れ ることから、これについては、後に検討することにする。 以上の[表 9]に掲げられたものは、 1形態素であって屈折接辞をもたない接語であるから、さきと同様︿助詞﹀と呼んでおく ことにする。また、 [表 8]と同様に、 [表 9]も網掛の語は方言形というべきもので、共通語の通常の形式とはいいにくいもので あろう。全用例数も数例からせいぜい 10例をこえるにとどまるものである。 以上のようにみてくると、 BCCWJ で接続助詞・終助詞・副助詞とされるものは、 ﹁つつ﹂ ﹁ど﹂ ﹁な︵禁止︶ ﹂﹁つ﹂をのぞき、服 部原則Ⅰ/Ⅱをみたすことから、いずれも附属語であって、動詞の一部分ではないことになる。 5 動詞の一部である非自立形式 5・ 1 派生用言を形成する派生接辞 次 に 動 詞 に 後 接 す る 非 自 立 形 式 の う ち、 語 で は な く、 動 詞 の 一 部 分 で あ る も の を 検 討 す る。 問 題 と な る の は、 BCCWJ で 品 詞 が 助動詞とされる形式である。先に[表 8]として掲げたものは、 それ自身が語であるから、 それ以外のものである。それを示すと、 次の[表 10]のようになる。これらは、基本的には動詞に直接接続するか、これらどうしが接続することはあるものの、動詞のみ に後接するものである。また、動詞とこれらとの間に別語が入ることはないもので、服部原則Ⅱの挿入可能性はなく、また、同Ⅲ
現代日本語動詞活用論︵大木︶ の転換可能性もないと思われる。つまり、附属形式である。 ま た、 こ れ ら の 形 式 を さ ら に 分 析 す る と、 唯 一﹁ ま い ﹂ を の ぞ き︵ 後 に 検 討 す る ︶、 た と え ば、 ﹁ さ せ る ﹂ で あ れ ば、 sase -ru , sase -∅, sase -yoo , sase -ro 、﹁ れ る ﹂ で あ れ ば、 re -ru , re -∅ , re -yoo , re -ro の よ う に、 ま た、 ﹁ て る ﹂ で あ れ ば、 te -ru , te -ro の よ う に 表 10 BCCWJ 助動詞のうちの附属形式 総数 動詞接続 させる 87 87 じ 1 1 文語 せる 1,050 1,049 たい 1,071 1,032 たがる 17 16 たり 48 5 完了「たり」は附属形式。文語 たる 3 3 「てやる」縮約形。方言形 ちまう 8 8 「てしまう」縮約形 ちゃう 161 155 「てしまう」縮約形 ちゃる 2 2 「てやる」縮約形。方言形(九州か) てく 9 9 「ていく」縮約形 てらっしゃる 7 7 「ていらっしゃる」縮約形 てる 1,228 1,147 「ている」縮約形 とく 23 23 「ておく」縮約形 とらす 1 1 「ておらす」縮約形。方言形(九州か) とる 5 5 「ておる」縮約形。方言形 ない 5,595 5,078 なんだ 1 1 方言形 ぬ 6 6 文語。完了「ぬ」 はる 11 6 方言形 べし 418 395 へん 12 11 方言形 まい 33 31 まじ 2 2 文語 ます 7,778 7,040 やがる 14 8 やす 1 1 方言形 よらす 1 1 方言形 よる 1 1 方言形 られる 1,758 1,734 り 573 573 動詞がきわめて限定的。 れる 6,148 6,144
東北大学文学研究科研究年報 第 69号 な り 29 、 さ ら に、 ﹁ な い ﹂﹁ た い ﹂ で あ れ ば、 na -i, na -ku 、 ta -i, ta -ku の よ う に な り、 複 数 の 形 態 素 か ら な っ て い る。 そ し て、 そ の 末 尾の形態素は、動詞あるいは形容詞の末尾部分に類するものといえる。 (13) 食べる させる れる 高い ない たい tabe -ru sase -ru re -ru taka -i na -i ta -i tabe -∅ sase -∅ re -∅ taka -ku na -ku ta -ku tabe -yoo sase -yoo re -yoo taka -ker eba na -ker eba ta -ker eba tabe -ro sase -ro re -ro ここにみられる動詞末尾形態素および形容詞末尾形態素は、後に活用語尾と認めるものであるので、この附属形式の末尾の形態素 も屈折接辞と考えられよう。 さて、この末尾の接辞をのぞいたものが、ここで問題とすべきものになるが、これらはおそらく派生接辞だと考えられる。これ らは、派生接辞と屈折接辞の差異を示したさきの (6)でいえば、まず、 (6) D対立要素の範例︵そのパラダイムのなかのひとつが必ず 選 択 さ れ な け れ ば な ら な い と い う こ と ︶ は な い も の で あ る。 つ ま り、 sase ︵ -ru ︶ で い え ば、 sase ︵ -ru ︶ が 用 い ら れ な い 場 合、 そ の 代 わ り に 別 の 形 が 必 ず 選 ば れ な け れ ば な ら な い と い う こ と は な い︵ 逆 に、 tabe -ru の -ru で あ れ ば、 -yoo と か -ro 、 -∅か ら 必 ず ひ と つ 選 ば れ な け れ ば な ら な い ︶。 そ し て、 tabe -sase -ru の よ う に な る こ と か ら、 よ り 語 根 tabe に 近 い と こ ろ に 位 置 す る 接 辞 で あ る。 こ れ は、 (6) F語 根 の 内 寄 り︵ 語 幹 に 近 い ︶ と い う こ と で あ る。 ま た、 上 述 の﹁ な い ﹂﹁ た い ﹂ は こ れ ら が 動 詞 に 後 接 し た 形 式 全 体 を み れ ば、 ﹁ 食 べ な い ﹂﹁ 読 ま な い ﹂︵ 打 消 ︶、 ﹁ 食 べ た い ﹂﹁ 読 み た い ﹂︵ 希 望 ︶ と い う よ う に、 そ れ ら は 動 作 を 表 す と い う よ り も 何 らかの状態を表すものになっているといえ、語形変化も (13)のように形容詞に類似する形になることからすれば、これらは形容詞的 なものになっていると考えられる。いわば、動詞について形容詞的なものにするという (6) B語類を変えるはたらきをもつといって よい。加えて、使役や受身の意味が付け加わる、あるいは、状態的な意味に変わるということで、 (6) A意味の変化も大きいといっ てもよいだろう。以上のように、これらの接辞は上記 (6)のうちの、 A意味上の作用・ B語類への作用・ D対立要素の範例・ F配置
現代日本語動詞活用論︵大木︶ という点で派生接辞の性格をそなえている。このことから、これらは派生接辞と考えることにする。ただし、これらは動詞であれ ばかなり規則的に後接することができるので、 C生産性は高い︵非限定的である︶といってよいし、また、その接辞が付加されれ ば、その接辞のもつ意味が規則的に加わることから、 E意味の予測可能性もあるということになる。そういう点で、派生接辞の特 徴をすべてみたすわけではないが、総合的にみて、派生接辞と考えることに問題はないであろう。 そして、 [表 10]に掲げた附属形式のうち、 ﹁させる・せる﹂と﹁られる・れる﹂は異形態である。意味は同じであるし、この組 の う ち の 前 者﹁ さ せ る・ ら れ る ﹂ は、 ﹁ 食 べ る・ 起 き る ﹂ の 類 の 動 詞 に、 後 者﹁ せ る・ れ る ﹂ は﹁ 読 む・ 走 る ﹂ の 類 に 後 接 し て 相 補的になっているからである。 (14) a tabe -sase -ru, oki -sase -ru/ tabe -rare -ru, oki -rare -ru ︵食べる・起きる類︶ b yom -ase -ru, hasir -as e -ru/ yom -ar e -ru, hasir -are -ru ︵読む・走る類︶ ただし、 ﹁起きる ・ 起きさせる﹂を oki -ru ・ oki -sase -ru とするに対しては、 ﹁読ませる﹂の動詞不変化部分は yom であることから、 ﹁読 ませる﹂は yom -ase -ru のようにすべきである。したがって、精確にいえば sase -ru と ase -ru とが異形態をなすということになる。 それから、先にみた附属語の場合もそうであったが、この附属形式にも文語形、あるいは方言形というべきものがある。 [表 10] の網掛の形式である。こちらも用例数は多くな く 30 、方言形を含めこれらは共通語の通常の形式とは考えず、後に全体を整理するに あたっては割愛することにする。なお、 ﹁たり﹂のうち、附属形式であるものは、 ﹁学問し たる 者﹂のような、いわゆる完了を表す 形式であって、 ﹁百済王 たる わたくし﹂のようなコピュラ形式は接続多様性をもつ語である︵いずれも文語形︶ 。 さて、以上の考え方にそって派生接辞を整理すると、次のようにな る 31 。︵ ︶内は接辞の概略的な意味である。 (15) a ︵s︶ ase -ru︵使役︶ 、 tagar -u ︵希望︶ 、 timaw -u ︵完了︶ 、 tyaw -u ︵完了︶ 、 tek -u ︵移動︶ 、 tera Q syar -u ︵尊敬︶ 、 te -ru︵継続︶ 、 tok -u ︵設置︶ 、 mas -u ︵丁寧︶ 、 yagar -u ︵卑属︶ 、︵ r ︶ are -ru ︵受身︶ 、 r -i ︵完了︶ b ta -i ︵希望︶ 、 na -i ︵打消︶ 、 be -si ︵義務︶ 、 このうち (15) aは派生接辞のしたがえる接辞が動詞的なもの、 (15) bは形容詞的なものである。そして、 この派生接辞は動詞について、
東北大学文学研究科研究年報 第 69号 使役なり希望なり、打消なりの意味を付加し、その後に続く屈折接辞のホストになるわけであるから、拡張された語幹を形成する も の と い う こ と に な る。 つ ま り、 ︵ s ︶ ase -ru は tabe -sase と い う 拡 張 さ れ た 語 幹︵ 使 役 派 生 動 詞 語 幹 ︶ を 形 成 し、 ﹁ 食 べ さ せ る ﹂ tabe -sase -ru という使役派生動詞をつくるものである。 na -i は tabe -na という拡張語幹 ︵打消派生形容詞語幹︶ を形成し、 ﹁食べない﹂ tabe -na -i と い う 打 消 派 生 形 容 詞 を つ く る も の で あ る。 結 局、 こ れ ら は 拡 張 語 幹 を 形 成 す る 派 生 接 辞 と 位 置 づ け ら れ る も の で あ る。 いいかえれば、派生用言を形成する派生接辞ということになる。 5・ 2 動詞に後接する屈折接辞︵活用語尾︶ さ て 、 動 詞 の 一 部 分 で あ る 要 素 を さ ら に み る と 、 次 の (16)の よ う な 部 分 が あ る こ と が わ か る 。 そ の 部 分 の あ り 方 の 類 型 は 、 お よ そ 3種 ︵ ∼ 4種 ︶ に な る と 考 え ら れ る の で 、 そ の 3類 を 示 す 32 。 具 体 的 に は ﹁ 持 つ ﹂﹁ 起 き る ﹂﹁ す る ﹂ で あ る 。 (16) 持つ︵ RC ︶ 起きる︵ RV ︶ する︵ IS ︶ ︿終止﹀ mot -u 持つ oki -ru 起きる su -ru する ︿条件﹀ mot -eba 持てば oki -reba 起きれば su -reba すれば ︿命令﹀ mot -e 持て oki -ro 起きろ * si -ro/se -yo しろ / せよ ︿成立﹀ mot -i 持ち oki -∅ 起き si -∅ し ︿意志﹀ mot -oo 持とう oki -yoo 起きよ う * si -yoo しよう これらのうち、 ﹁持つ﹂でいえば、 mot -、﹁起きる﹂でいえば oki -の部分は動詞の中核的意味にかかわる基幹的要素である。また、 ﹁す る ﹂ の 場 合 は、 su -, si -, se -の よ う な 複 数 の 形 が あ る が、 -ru や -reba な ど 接 辞 の ホ ス ト で あ っ て、 中 核 的 意 味 に か か わ る 基 幹 的 要 素 と い っ て よ い。 こ れ に 対 し て、 そ れ ら に 続 く︵ r ︶ u, ︵ r ︶ eba, e/r o/yo ,i/ ∅, ︵ y ︶ oo の 部 分 は、 こ れ ら の う ち の 1つ が 必 ず 選 ば れ る も のであって、かつ、品詞転換にもかかわらず、語根の外寄りに位置するものであるから、屈折接辞、すなわち活用語尾と考えられ る。この活用語尾については、その代表的な意味により︿ ﹀内に名称を与えておくことにする。このように、これらが活用語尾
現代日本語動詞活用論︵大木︶ で あ る と す る と、 こ れ ら の ホ ス ト と な る mot -, oki -, su -/si -/se -の 部 分 は 語 幹 stem と い う こ と に な る。 つ ま り、 ﹁ 持 つ ﹂ は 語 幹 mot に -u, -eba, e な ど の 活 用 語 尾 が つ く と い う こ と に な る。 ﹁ 起 き る ﹂ で あ れ ば、 語 幹 oki に -ru, -reba, -ro な ど の 活 用 語 尾 が つ く。 そ し て、 ﹁ す る ﹂ の 場 合 は 複 数 の 語 幹 を も つ と い う こ と に な る で あ ろ う。 ま た、 ﹁ 持 つ ﹂ の 終 止 -u と﹁ 起 き る ﹂﹁ す る ﹂ の -ru は 同 機 能 で 相 補 分 布 を な す こ と か ら 異 形 態 で あ る と い え る。 同 様 に、 -eba/ -reba 、 -e/ -ro / -yo 、 -i/ -∅ 、 -oo/ -yoo も そ れ ぞ れ 異 形 態 で あ る。 な お、 ﹁ 持 て ば ﹂﹁ 起 き れ ば ﹂ は、 ﹁ 少 な け れ ば ﹂﹁ こ れ な ら ば ﹂ な ど に も﹁ ば ﹂ が あ る こ と か ら、 mot -e -ba ︵ mot -e= ba ︶ /oki -re -ba ︵ oki -re = ba ︶ の よ う に﹁ ば ﹂ を 切 り 出 す と い う 可 能 性 も な く は な い。 が、 e/r e だ け を 形 態 素 と は 認 め に く い こ と か ら、 -eba, -reba と 認 め る こ と に す る︵ こ こ で は、 ﹁ 少 な け れ ば ﹂ は suk una -ker eba 、﹁ こ れ な ら ば ﹂ は ko re= nar -aba と 考 え る。 -は 接 辞 境 界︵ 形 態 素境界︶ 、 = は接語境界を表す︶ 。 これらの 6形態のほかに、 BCCWJ 助動詞のなかでは﹁まい﹂ 、同助詞のなかでは﹁つつ﹂ ﹁な﹂ ︵禁止︶が 1形態素であって、か つ附属形式、すなわち動詞の一部分であった。これらも語根のもっとも外寄りに位置するものであるので、上記の屈折接辞の一群 とみなしておく。すると、活用語尾として次の (17)のようにな る 33 。 ︵ 17︶ 持つ︵ RC ︶ 起きる︵ R V ︶ する︵ I S ︶ ︿打消意志﹀ mot -umai 持つまい oki -mai/r umai su -mai/r umai 起きまい / 起きるまい すまい / するまい ︿同時﹀ mot -itutu 持ちつつ oki -tutu 起きつつ si -tutu しつつ ︿禁止﹀ mot -una 持つな oki -runa 起きるな su -runa するな さらに考えるべき形式は若干残っているが、 以上から動詞の種類についていえば、 所属動詞の多さから考えて、 ﹁持つ﹂ ﹁起きる﹂ のような動詞が基本的なものであって、 ﹁する﹂ ︵さらに﹁来る﹂ ︶類が少数の不規則な動詞であるといえる。 ﹁持つ﹂類を子音語幹 動 詞、 ﹁ 起 き る ﹂ 類 を 母 音 語 幹 動 詞 と 呼 び、 正 格 活 用 regular conjugation の 動 詞 と す る。 そ れ に 対 し て、 ﹁ す る ﹂﹁ 来 る ﹂ は 変 格 活 用 ir regular conjugation の 動 詞 と い う こ と に な る。 ﹁ す る ﹂ の よ う な 変 格 動 詞 は su -/si -/se -︵ / -sa ︶ の よ う に、 ﹁ 来 る ﹂ は ku -/k o -/ki
-東北大学文学研究科研究年報 第 69号 の よ う な 複 数 語 幹 を も つ。 以 上、 ﹁ 持 つ ﹂ 類 は、 regular conjugation か つ 子 音 動 詞 consonant verb で あ る の で RC 、﹁ 起 き る ﹂ 類 は regular conjugation かつ母音動詞 vowel verb であるので RV と略称する。 ﹁する﹂ は ir regular conjugation のサ行動詞であるので IS 、﹁来 る﹂は同カ行動詞であるので IK とする。 5・ 3 問題となるもの こ こ で、 先 に 保 留 し て き た い く つ か の 形 式 に つ い て 検 討 を 加 え る こ と に す る。 そ れ は、 BCCWJ 助 動 詞 の う ち の﹁ ず ﹂﹁ た ﹂、 BCCWJ 助詞の﹁て﹂である。 このうちの、まず﹁ず﹂である。これは[表 8]によれば動詞にも形容詞にも後接して、あたかも接続多様性をもつようにみえ る。 し か し な が ら、 こ の﹁ ず ﹂ が 動 詞 に つ く 場 合、 た と え ば、 ﹁ な る ﹂ で い え ば nar -azu の よ う に な る が、 形 容 詞 に つ く 場 合、 ﹁ 少 ない﹂でいえば suk una -karazu のようになるのであって、 動詞についているものは -azu 、形容詞についているものは -karazu となり、 同じ形式とはいいにく い 34 。そうなると、 動詞につく -azu は接続多様性をもつとはいえなくなり、 これは附属形式ということになる。 な お、 -azu は、 -az -u な ど の よ う に 複 数 形 態 素 か ら な り、 ま た、 -an -u ︵ n系 と 呼 ぶ。 -az -u は z系 ︶ の よ う な 異 形 態 を も っ て い る といえる。それを整理すると次のようにな る 35 。 (18) z系 ならず nar -az -u 考えず kangae -z -u ならざる nar -az -ar u 考えざる kangae -z -ar u n系 ならぬ nar -an -u 考えぬ kangae -n -u* ならん nar -an -∅ 考えん kangae -n -∅ ならねば nar -an -eba 考えねば kangae -n -eba*
現代日本語動詞活用論︵大木︶ ここでは、とりあえずこれらを打消語幹︵打消派生語幹︶を形成する派生接辞としておく。 次に﹁た﹂である。これも BCCWJ 助動詞﹁た﹂としてみれば、 上接語には (19) aのように、 動詞のみならず形容詞、 あるいは﹁名 詞+だ﹂のようなものも可能であり、接続多様性の点からして語であるという考え方もできそうである。が、やはりここではその ようには考えない。 (19) a 書いた、読んだ、食べた、高かった、きれいだった、本だった b kai -ta yon -da tabe -ta taka -katta kir ei = da -Q ta hon = da -Q ta c kai -te yon -de tabe -te taka -kute そ れ は、 (19) aを 形 態 素 に 分 割 す る と す れ ば、 (19) bの よ う に な る か ら で あ る︵ yon -da の da は ta の 異 形 態 ︶。 ﹁ 高 か っ た taka -ka Q ta ﹂ や﹁きれいだった kir ei = da -Q ta ﹂に ta はあるが、 それを切り出した残りの ka Q , Q の部分が意味を担うとはいえない。そう考えると、 -ka Q ta, -Q ta と 考 え る こ と に な り、 = ta ︵ = da ︶ と い う 語 を 認 め る こ と に は な ら な い の で あ る 36 。 こ の こ と は﹁ て ﹂ も 同 様 で あ り、 動 詞 に つ く も の は -te ︵ そ の 異 形 態 と し て -de ︶、 形 容 詞 に つ く も の は -kute と い う こ と に な る。 こ れ ら は、 先 に み た (16) (17)と と も に、 それらから必ず 1つが選ばれるものであって、品詞転換にもかかわらず、語根の外寄りに位置するものであるから、屈折接辞と考 えられる。 さらに、 BCCWJ では﹁た﹂の活用形として、 仮定を表す -tara/ -dara がある。また、 例示を表す副助詞﹁たり﹂ -tari/ -dari もある。 この形も現代日本語としては、 これ以上形態素に切り分けることはできないと考えられる。また、 形容詞につく場合は、 ﹁忙しかっ た ら ﹂ isogasi -ka Q tara 、﹁ な か っ た り ﹂ na -ka Q tari の よ う で あ る こ と か ら、 こ れ ら も 接 続 多 様 性 の 認 め ら れ な い 1形 態 素 で、 (16) (17)の 屈 折 接 辞 の 類 や -ta/ -da 、 あ る い は -te/ -de と 同 類 と 考 え ら れ る。 や は り、 こ れ ら も 屈 折 接 辞 で あ ろ う。 な お、 BCCWJ で は﹁ た ﹂ の活用形には、 -tar oo ︵ -dar oo ︶の形があるが、例数が少ない︵コア 12例︶ことから周辺の形として扱っておく。 また、 BCCWJ 助詞﹁つ﹂ ︵﹁持ち つ 、持たれ つ ﹂︶も 12例と少数であることから、位置づけとしては屈折接辞ということになりは するが、周辺形式として扱っておく。
東北大学文学研究科研究年報 第 69号 一方、語幹の側をみておくと、 ﹁持つ﹂と同様の屈折接辞をもつ﹁付く﹂ ﹁読む﹂など︵ RC 類︶は、 mot -, tuk -, yom -のような通 常 語 幹 と と も に、 mo Q -︵ 語 幹 末 子 音 t, r ,w ︶, tui -︵ 同 k, g ︶, yo N -︵ 同 n, b, m ︶ の よ う な 音 便 語 幹 を も ち 37 、 こ れ ら の -ta/ -da 等、 す な わ ち、 屈 折 接 辞 (i)ta/da ︿ 完 了 ﹀、 (i)te/de ︿ 継 起 ﹀、 (i)tara/dara ︿ 仮 定 ﹀、 (i)tari/dari ︿ 例 示 ﹀ を と も な う 場 合 は、 音 便 語 幹 に と も な う ことにな る 38 。 (20) ︿完了﹀ mo Q -ta 持った oki -ta 起きた si -ta した ︿継起﹀ mo Q -te 持って oki -te 起きて si -te して 以 上、 こ こ ま で 示 し て き た 現 代 日 本 語 動 詞 の 活 用 語 尾 を 整 理 す る と、 次 の (21)の よ う に な る。 ︵ ︶ お よ び / は 異 形 態 を 示 す。 RC 類では︻ A︼が基本語幹に、 ︻ B︼が音便語幹につく。 ︵ 21︶ ︿終止﹀ -︵ r ︶ u 、︿条件﹀ -︵ r ︶ eba 、︿命令﹀ -e/ -ro / -yo 、︿成立﹀ -i/ -∅、 ︿意志﹀ -︵ y ︶ oo ︿打消意志﹀ -︵ r ︶ umai 、︿同時﹀ -︵ i ︶ tutu 、︿禁止﹀ -︵ r ︶ una ︻ A︼ ︿完了﹀ -︵ i ︶ ta/ -da 、︿継起﹀ -︵ i ︶ te/ -de 、︿仮定﹀ -︵ i ︶ tara/ -dara 、︿例示﹀ -︵ i ︶ tari -/ -dari ︻ B︼ 6 現代日本語動詞の活用と動詞の諸形態 ここまでみてきたように、現代日本語動詞は語幹に右 (21)のような活用語尾をしたがえる形態をもつ。また、語幹の後に次の (22)の よ う な 派 生 接 辞 を し た が え、 語 幹 と と も に 派 生 語 幹 と な り、 派 生 用 言 を 形 成 す る︵ こ の う ち、 (22) a bは (15)の 再 掲 ︶。 (22) aは 動 詞 的 派生語幹、 (22) bは形容詞的派生語幹、 (22) cは特殊な派生語幹となる。 (22) a ︵s︶ ase -ru ︵使役︶ 、 tagar -u ︵希望︶ 、 timaw -u ︵完了︶ 、 tyaw -u ︵完了︶ 、 tek -u ︵移動︶ 、 tera Q syar -u ︵尊敬︶ 、 te -ru ︵継続︶ 、 tok -u ︵設置︶ 、 mas -u ︵丁寧︶ 、 yagar -u ︵卑属︶ 、︵ r ︶ are -ru ︵受身︶ 、 r -i ︵完了︶ b ta -i ︵希望︶ 、 na -i ︵打消︶ 、 be -si︵義務︶
現代日本語動詞活用論︵大木︶ c ︵ a ︶ z -u/ ︵ a ︶ n -u ︵打 消 39 ︶ 以上を表の形で整理すると、次の[表 11]のようになる。派生語幹の部分には代表的なものを掲げ、派生語幹とそれにともなう 屈折接辞のうち︿終止﹀をつけて示すことにする。また、表中網掛部分は、別語幹につくためその箇所は存在しないことを表す。 7 ここでの議論の位置 ここまで、現代日本語動詞の活用体系、および動詞形態の概略について、その認め方の手続きを検討しながら、個々の形式を具 体的に整理した。実は、形態的な整理の手続きを一定程度示しながら、現代日本語の動詞形態を記述した議論には、先にもふれた ようにハイコ ・ ナロク、江畑冬生の議論があっ た 40 。それらの議論における動詞形態記述の帰結を[表 12]︵ナロク︶ ・[表 13]︵江畑︶ に ま と め る。 さ ら に、 こ の[ 表 12][ 表 13] に お け る 活 用︵ 屈 折 接 辞 ︶ の 部 分 を こ こ で の 議 論 と 対 照 し た も の が、 次 の[ 表 14] に なる。 この[表 14]によれば、ハイコ ・ ナロクの記述結果には、ここでの︿成立﹀ -i/ -∅、︿打消意志﹀ -︵ r ︶ umai 、︿同時﹀ -︵ i ︶ tutu 、︿禁 止 ﹀ -︵ r ︶ una が 活 用 形 と は 認 め ら れ て お ら ず、 ま た、 こ こ で 派 生 接 辞 と 認 め た -︵ a ︶ zu が 活 用 形 と 認 め ら れ て い る が、 多 く の 場 合、 こ こ で の 議 論 と 同 様 な 扱 い と な っ て い る こ と が わ か る。 ま た、 江 畑 冬 生 の 議 論 は、 ︿ 同 時 ﹀ -︵ i ︶ tutu が 活 用 形 と 認 め ら れ て い な い 点 や、 -︵ a ︶ zu 、 -naide を 活 用 形 と 認 め て い る 点 を の ぞ け ば、 こ こ で の 議 論 と ほ ぼ 一 致 し て い る。 さ ら に い え ば、 こ こ で の 議 論 と ナ ロク、江畑とが異なる点は、一定程度の検討が必要で、議論のわかれる可能性が皆無とはいえない箇所ということもでき る 41 。この ようにみると、これらの 3議論の活用についての帰結は︱︱検討の手続きにおいて若干の異なりがあるものであるとはいえるもの の︱︱ほぼ妥当なものと考えられるのではないか。 と こ ろ で、 こ こ で の 議 論 の 最 初 に、 寺 村 秀 夫 が 活 用 の 整 理 に つ い て 示 唆 す る と こ ろ に ふ れ た が、 そ れ は、 ﹁ 現 代 の 日 本 語 の 活 用 のさまを虚心に見てそれを形の上で整理しようとするならば、その結果には大きな差がないはず﹂というものであった。この 3議