M]MorRs or SAaAMI INsTrm- op TEcENotoay
Vol. 15,No. 1,19Se
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An
Approach
to
aCharacteristic
ofJapanese
Tense
-Time
ofAwareness
andTime
of
Tateo
KANEKO*
1.
Purpose
The
point
of this essaylies
in
the clarification of a characteristic ofJapanese
tense whichis
found
in
the pastform
of verbs,by
contrasting withthat
of English. 2,Investigation
Ex.
A
Imagine a scene in which we have been waiting for a Iong time
for
a trainin
thedistance
on aplatform and
that
the
train
just
came into our sightfar
down
the rail roadtracks.
We
sayin
that
case "Densha-gakita."
If
thetrain
has
already rushedinto
the
station,then
we wouldbe
quite rightin
sayingit
in
the perfecttense,
i.e,
"Thetrain
has
come."For
"....ta :`or".... shita"means the perfeet tense as well as
the
past onein
modernJapanese.
But
whydo
we say "Densha-gakita.",
when we saw
the
train
coming upto
us.It
is
notthe
casethat
the
train
has
reaehedthe
platform.It
is
the case that `tthe trainis
just
eoming to us."Before
answering thisquestion,let's
take anotherexample:
Ex.
B
"Ashita
kaigi-ga
atta."is
gramatically correct, althoughit
sounds somehow unusual,It
simplymeans
that
the speaker recollected that the nextday
he
wouldhave
a meeting,As the subject
(in
this case, "I" the speaker)is
usually omitted in aJapanese
sentenee, the timeof speaker's awareness
(past
time)is
mixed up with the time of act(present
timein
theEx,
A
orfuture
Ex.
B)
ofthe
substantial subjeet.
Therefore
the
first
point of myinvestigation
is
this:
In
Japanese
the
Bpeaker's view pointis
notnecessarily fixedon what is called
present
time,
whilein
English
it
is.Often
it
shiftsfrom
the present time to a certain pointin
the past andfrom
there the events or actsin
the past are surveyedin
different
time orders.
The
second point of myinvestigation
is
eoncerned withthe
rule of sequence oftenses.
In
English,
as we seein
the aboveExample
B,
thereis
sequence of tenses: "I recaUed that thenext
day
we were going to have a meeting.", whilein
Japanese there is not: "Watashi-wa kaigi-gaatunowo omoidashita."
Hitherto
we seem tohave
believed
that thereis
not adefinite
rule of sequenee of tensesin
Japanese grammar.But
is
it
afact?
Cempare
the followingpairs:
Ex.
C-1.
"Kare-wa orokadeartt(or
orokana)jibun-wo
hao'ita."
"He was ashamed of
being
foolish."
2. "Kare-waorokadatta
jibun-wo
haj'ita."
*
pmaNvaNueE
1979ffi
12"
20 Hea:!ll-69-相 模工業 大 学 紀 要 第
15
巻 第1
号“He
was a8hamed of
having
been
foolish
ノ’
If
I
say“
Kare −
wa orokade αTujibun
−
wo 加弼 α.
”
, then
I
mean to emphasize the simultaneity ofhis
foolishness
withhis
act ofbeing
a呂hamed.
On
the other hand,
三f I say“
Kare−
wa orokade αttαjibun
−
wo
ha
ゴita,
”,
then
I
simply meanthat
at a certain pointin
the
pasthe
wa 呂 a8hamed ofhis
former
foolish
attitude.
But asfor
Ex .
C −2,
we can also 8ay,
“He
was ashamed ofbeing
foolish.
”In
thiscase ,
however
, there willbe
a slightdifference
between
Ex .
C−1
and2
:That
is,
in
Ex .
C −1
thespeaker
’
s viewpoint 8hiftsfrom
the present time to the cartain past time at which the referred acthappened ,
and seesit
simultaneous,
On
the otherhand
,in
Ex .
C−
2the
speaker’
s viewpoint
is
fixedon the
present
time,
So
both
events (i.
e.
“getting ashamed
”
and“
being
foolish
”
)were equallylooked
back
uponfrom
the
present time asbeing
in
the past.
The 8entence containing
‘
‘
,
.
,
.
aru,
.
,
.
ta”
showsthe
stress on simultaneity ofthe “....
aru”
act,
while “,
.
,
.
atta
.
._
ta
”either (usually )pluperfect
,
or simpledescription
ofthe
past events.
Throughout
these twoinvestigations
,
I
shouldlike
to
pGint out a characteristic ofJapanese
tense
,which is more definitely affected by the time of speaker
’
s awareness than that of English.
序 文
1.
目 的 こ の試 論の最 終的 な 目 的 は 日 本 語 に おけ る 「時 制」1 ) の あ る特 徴 を 他の 言 語, こ こ で は 英 語に おける 「時 制」 tense のそれ ら と対 比 するこ とに よ り, 明 確にするこ と にある。 そ れ 故, 大 仰に言 え ばこ の試みは 「時 制」 とい う文法 的な概 念に 関する, ひ とつ の対比言 語学 的 考 察で ある。2.
方 法 上 の困難 し か しな が らひ と くちに対 比 な ど と 言っ ても, 本 来 異 なる語 族に 属する 二つ の言語の 「時 制」 を対比する とい う試みに は,
方法的に ひ とつ の 困 難が 伴わ ざるを得な い。 即 ち対比の基 準となる両者を包括 する ような普 遍 的 な文 法 上の 「時 制」 の モデル が ない こ とで ある。 従 っ て こ こで は 既に文 法 学 的に より 整 備 された 言 語 (こ の 場 合, 英 語 )の 「時 制」を一
応の基 準と し て, 仮説的に作 業 する以外に方 法は ない だ ろ う。
し か し そ もそ も両者に 「時 制」2) とい う 概 念 を等しく適用 するこ と が 可能か ど うかも疑わ しい のである。
3.
「時 制」と 「時」 「時 制」 とは一
体 何で あ ろ うか。Jespersen
は その著 作3)の 中で 「時」time
と 「時 制」tense
を峻別し, 前 者 を言 語から独立 し た人類に普 遍 的なもの, 後 者を文 法上 の概 念で あ り, 言 語に よっ て異 なる相 対 的 な もの である と し てい る。 た し か に 「時 制」 はその 言 語 を 用い る 人々 に 個 有 な 「時」の観念の相 対 的 な 関 係 を, 動 詞 その他 4)の変 化 (屈 折や活用}とい うよう な 形態上の 相違に よっ て表 現5)す るものであ る。 しか し 「時 制」の あ りか たが 個々 の言 語 に とっ て さ まざまで あるのは,
そ れ を反映 し てい る 「時」 の観念その ものがさまざま である か らに 他な らない。 つ ま り 「時 制」 が 個々 の言 語を用い る人々 に とっ て個 有の もの で あるの と同じ程, 「時」 の 観念もま た 個 有の もの で はない だ ろうか 。 何 故 な ら 厂時 制」の 形 成・
発 達 は 「時」 の観 念の形 成・
発 達に よ り促され, そ し て これは 循 環し てい る か らであ る。 つ ま り 「時 制」 と 「時」の観 念 とは概 念 上は 区 別 さ る べ きもの であるが, 「時 制」 だけが 個々 の言 語に個 有の ものであり, 「時」の観 念は人類に とっ て 言語か ら独 立 し た 普 遍 的なもの である とい う表 現は,
少々誤解を招 ぎ やすい。 た しか に 「時」の計 測に 関 する globa1 な 方 法は 確 立 し てい る。 し か しこの宇宙内に絶対 的な標 準 時を刻む大 時 計がない以 上, 人類に とっ て 普遍 的な 「時」な ど あ り 得 ない。 あるのは せ いぜい 実 利 的な 目的の た め に 「時」 の 計 測方 法を 共有して い るこ と だ けで ある。 し か らば人類に とっ て普 遍 的な 「時」 と は何であろ う か。 「時」 に関 して普遍的なもの は何 もない の だ ろうか。 4・
「時」に関し て普 遍 的 な もの もしある とす れ ば (経 験 的 実 在性 とい う意 味で ), そ れ は 「時」 の観 念の もつ 不 可逆性であろう。 「時」を 実 在 的e)なもの と考えようと , 非 実在 的 7)な もの と考えよ う と, 「時」に は た しか に 例 え ば 過 去・
現 在・
未 来 とい うある順 序を もつ 方 向性がある。 何ぴ と とい え ど もそれ を認め ない わけに はい か ない。 しかし な が らこ の 「時」の不可 逆 性 とは, 「時」 を一
方 向をもつ 直線の イメー
ジS)で把え る とい うこ と で はな目本 語 に おける時 制の あ る特 徴 につ い て (兼子 盾 夫) い
。
ギ リシ ャ的 な円環 的な イ メー
ジにおい て も 「時」 は また 不 可 逆 なの で ある。 つ ま りこ の 不 可 逆 性とい うの は, 「時」の順序の決 定性につ い ての こ とであ り, われ わ れ 人類は歴史的に さ まざまの 「時」の観念を抱い てき た が, どん な 人 間 で もある時 点 (必 ずし も今とい う意 味 で の現 在で は ない ).
を中心 と して , よ り後 (必 ず し も未 来で は ない)と よ り先 (必 ず し も過 去で はない)の認 識 をひ っ く り返 すこ とは 出 来ない とい うこ とで ある。 つ まり 「時」 に関 して 人類に とっ て普遍 的と言 わ れる ものがある とすれば, こ の 「時」 の 不可 逆 性 (「時」 の 順序の決 定性 ) を 先 ず あ げ な け れ ば な ら ない だ ろ う。 さ らに も うひ とつ 我々が普遍 的に経 験す るこ とは,
我々 が 現 在の瞬間 とい う もの を 直 観 的に 知っ てお り, 我々 は そ の現 在とい う瞬間が た えず未来へ と移 行 し て い るに も拘 らず, それ を 中 心に過 去 と未来を 区 別し てい るこ とであ る。 しい て 「時」 に 関して普 遍 的と言わ れ る ものがある とす れば,
以 上の二つ の こ と が らで あろ う。 5.
英 文 法 に お け る 「時」 と 「時 制」 の例 こ こで再び文 法 上の概 念 として の 「時 制」 の分 類に もど る が
,
Jespersen もまた 「時」9)を現在 presenttime
を 中心 と し て過 去
past
time と 未 来future
time
に別 れるもの,
その現在もた えず 未来の方に移 動して い るものと述べ てい る。 そ してそ れ らは 更に, 過 去は 前 過去
before−
past と後過去 after−
past に , 未 来は前 未 来before
−future
と後 未来 after−
future とに 細 分さ れ てい る。
他 方, 彼は個有な 「時 制」tense と して は , 現在時制
pregent
tense
と過去時 制 preterit の二つ をあげ, これ ら を補足 するもの として (時 制相 当 句 と し ての ) 現 在
完 了 perfect と過 去 完了 pluperfect
,
そ し て 拡 充 形 expanded tense (いわゆる進 行 形)と をあ げてい る。
Jespersen に よ る と未 来 時 制 (助動詞の shall, will十
動詞の root
form
)は完了形の ように は形 態・
機能 と も に定まっ てい ない の で,
「時 制」 か ら 除外されてい る の である が,
英 語に基 本 的 な現在時制, 過 去時 制の他に い か な る時 制を加え る か は学 者に よっ て見 解10)の異な る と こ ろで ある。
そ し て そ れ らの見 解ll )は 必ず し も他 人 を す べ て納 得 きせ得 る もの で はない。 こ の よ うに 文 法 上の概 念と し ての 「時制」 にい かなる もの を認め る か につ い て は , い ろい ろ見 解の別れ る とこ ろで あるが, 根 本 的に は 人間が 「時」の 相 対 的な関 係に 対 して ど うい う表 現 形態を と る か である。 人間が記 憶に よっ て把 持されて い る 出 来 事を個人的に あるい は集 団 として 回 想 するこ と が なければ, 過 去の出 来事を 表 現 する過 去 時制な ど必要ない筈である。 あるの は た だ現 在の意 識の うちに 把 え られて い る現 在の 出来 事 だけで あ り, そ れ らは現 在時 制だ け で表現 さ れ る。
し か し人 間に は記憶に よ る回 想 が あ り, 未来へ の想 像や期 待 がある。
そこ で そ れらに よ っ て把え ら れ る事 象を褒 現 す る時 制が 必要に なる。 だか ら 「時」 とい うものが 便宜 上,
現 在 と過 去 と 未 来12)に 分類されるな ら ば,
「時 制」も そ れに 対応し て考 え ら れるべ ぎではない か。 従っ て ど ん な文 法 学者 も現 在 時 制の第一
義 的 な 用 法は先 ず 現 在 時の動作・
状態の表 現 で あ り,
過 去 時 制の用 法は過 去 時のそれ ら であるこ と を 認め てい る。
つ ま り 「時 制」は,
本 来,
「時」の 分 類に 対応13)し てい るの である 。 勿 論, 「時 制」は原 則 とし て 「時」の観 念の分 類上の counterPart とし て対 応し てい るの であっ て例外はある。 例えば現 在 形が過 去 時14)の 出来事の描 写に 用い られた り,
未 来の ある時 を 指して用い られ るこ と も ある。 しか し これ らの例 外の存 在は 「時 制」 と 「時」 との 対 応とい う原則を少しも否 定 する もの で はない。 何 故 な ら歴 史 的 現 在の例は , 我々が過去の 出来 事を表現するの に現在 形 を使う よ うに なっ たこ と を 意 味 するもの で はない し, む し ろ そ うで は ない点に こ の用法の point がある。
ま た計 画や確実な未 来の出来事の例 も,
我 々が 未 来の 出 来 事 を 表 現 する の に すべ て現 在形を使うよ うに なっ たこ とを 意 味 するもの で は ない か らで ある。 それ 故 「時制」 と は何か とい う先 述の問い に対 し て, 私は 「時 制」 とは原 則 として 「時」の区 分に対 応 して時 序の違い を 表 現 する文 法上 の概念である と答え る。
以下 私は英 語の 例を参考に し て, 仮に 日本 語の 「時 制 (そ う 呼ぶ こと が 許され るな らば)」 と 「時」 の 関 係 を 簡 単に の べ て み よ う。 6.
日本語の 「時」 と 「時 制」 日 本語 文 法 に おい て も,
形 態 的に 個 有 な もの として は, 英 文 法に おける と同じく, 現 在 時 制と過 去 時制とい う 二つ の時制だけで あ ろ う。
前 者は 「… ・
る (終 止 形),
… ・
し て い る (接 続 相 )」とい う 動 詞15)もしくは 動詞+ 助動詞の現 在 形によ っ て示 され, 後 者は 「・
…
た,・
…
した 」 とい う動詞 も し く は動詞 +助動 詞の過 去 形 に よっ一 71 一
相模工 業 大 学紀 要 第
15
巻 第1
号 て示さ れ る (た だし文 語に おける過 去時制は動 詞の語 尾 につ く「き, け り」 とい う助動 詞によっ て示された)。 日本 語で は 英語と 同じく未来 を あ らわ す 個 有の 「時 制」 はない 。 動 詞の現 在 形 (あるい は 原 形)+ 「… ・
だ ろ う」 とい う助 動 詞に よっ て未来の出来 事を一
般 的に 表 現 す る が, 「… ・
だ ろ う」 とい う助 動 詞は 推 量・
意志を 表わ すの であっ て,
む し ろ普 通の未 来の 出 来 事は 多 くの 場 合, 未来を 表わす 副詞を伴な う現在形で代 用され る。 従っ て形態 的に 個有な もの と しての未来 時 制はない と考 え られる (言 う迄 も な く, これ は文 法 的に独 立した個 有 の形態を もたない だ けで, 実質的 な機 能におい て未 来と い う 「時」の観念に対 応 する 「時 制」 上 の counterpart を 欠 く とい う意味で はない)。 次に これ ら二つ の 「時 制」 を補足 す る もの とし て完 了 (過 去時 制 )につ い て 言 及 す る。 完 了は文語に おい て は 「っ・
ぬ・
た り・
り」とい う助 動詞に よっ て 多様に表 現 された が, 口語で は過去 と区 別 がつ かない。
すべ て 「・
・
・
・
し た ,・
…
た 」 とい う過去を表わす 助 動詞の形 と 同 じ である。7.
考 察 の対象 こ の 試論 に おける 私の 考 察は こ の 「・
…
した,・
…
た」 とい う過 去時 制に関す る もの である。 具 体 的 な順序 は先 ず形の 上で は過 去 (完 了 も 含 む) 時制を と り な が ら, 内 容 的に は現在 あるいは未 来の出 来 事 を 表わす,
特 殊な過 去時 制の例に つ い て考 察 し, 次にそ れに関連し て 日本 語の 従属節お よ び関 係 節 中の時 制 と 主 文の時制との一
致不一
致の原則に つ い て解 明 す る 。 本論
1。
こ こ で は 先 ず 現 在お よ び 未 来の 出 来事を あ ら わ す 過 去 時 制の特殊な用例をあげ, そ れ を二つ の時 点, 即 ち 行為者の 「行 為の時」 と話 者の 「意 識の時」 とい う観 点 を導入し て 考 察し て み よう。 (これ らの 日本 文に は意 味 的に同値と お も わ れ る 英 文 を 必 要に応 じ て ( )に い れ て 参 考に供 し た。) 例 え ば,
以 下の 例 文 例 文A .
「電 車 が き た1
」 は次の ような 二 と お りの 意 味をもつ と考え られ る。 (1
)「(話 者=
私に) 向 うか ら電 車 が くるのが み え た。
」 (Isaw
atrain
ooming,
)(
2
)「(話 者=
私が) 待っ てい た 電 車 が や っ と 到着L
た。」
(
The
train, whichI
’ve
been
waitingfor,
is
now here
.
) これ らの 日本 交に序 文で試み た時 制区 分 を 仮に あて は め て み る と,
(1
)の例は単 なる過 去, (2
)の例は完 了と 百える だ ろ う。 た だ し 日本語で はこれらは共に時 制 上は 過去で あっ て英 語 とは 異な る。 そ れ故, こ こで は 「電車 が きた ] とい う 例文を 「春 が きた。」 (Spring
has
come。
}とい う 例 文 と 同じく完了 とし て分 類 し て も 問 題 は変らない 。 何 故 な ら話 者=
私に 「み え た (あるい は私 が みた)」のは過 去である が, こ の 日本 文で (英文で も) 表わ さ れ てい る事 象 自 体は,
電 車が こち らに 「向っ て く る」 とい う現 在 (ま たは近い未 来 )の出来 事であっ て,
未だ 「きて 」 はい ない か らで ある。 つ ま り近い未 来や現 在の出 来事が過 去 時制の中で衰 わ さ れてい るこ と が 問 題 なの である。 同 じ例は他に もある。 例 え ば, 例 文B .
「郵 便 配達が きた。」 とい う表 現は 三 と お りの 意 味 を もつ 。 (1
)「(話者= 私に》い つ もの郵便 配達がこち らに向っ て くるのがみ え た。
」(
Isaw
thepost
man coming.
)(
2
)「(話 者=
私が) 待っ て い た 郵 便 配 達が や っ と き た。」(
The
post man,
whomI
,vebeen
waitingfor,
is now at
the
door.
)(3)「(過 去のある時 点に , 例 えば, 今日の 午後に)い
つ もの郵 便 配 達 が きた。」
((
This
afternoon )the post man came,
)とい う よ う な意 味を もつ 。 勿論
,
これ らの 日本 文は実 際に 使用 される場 合に は,
時をあら わす 副 詞を伴なうこ と が多い し, さ らにも しそ れ ら が ない 時で も,
文 脈や状況か ら三 とお り の う ちの ど れで ある かを 決め るこ とが 可能である。 上 記の (1)と (3)は 単な る過 去 時制, (2)は 完 了で あ るが, い ま 問題と なっ て い るのは先述のA
の例 文と同 じく (1)の場 合で ある ((3}は過去 の 出来 事が 過 去 時 制で表現されてお り, まっ た く問題はない )。 そこで は 現 在 ある い は近い未 来1 η の出 来 事が過 去 時 制に よっ て表 現されて い る。 即 ち 上 の例 文 A , B に 共通 して み ら れる こ とは , 「〜
口本語 に お け る時 制の あ る特 徴につ い て (兼 子 盾 夫) し た,
〜
た 」 とい う過 去 時 制の文 中に,
「〜
し てい る, 〜 る」 とい う よ う な現在 (あるい は近い未 来)の出 来 事 が置かれてい るこ と である。 これは 上記の例文の para−
phrase で おわか りい た だける よ うに , 話 者 が 現 在 進 行 中の出来 事を 過 去のある時点 に おい て認知した衰現であ る。 さらに また 次の例の ように実際に出来 事が行な わ れ る のは現在で は な く, 純然た る未来の こ と (所 謂おもい お こ し) も ある。 例 文C .
(1)「明日 は会議だ っ た。
」(
lt
wastomorrow
that
we were goingto
have a meeting.
*)同様の例 文に,
(
1
),
「貴 女の誕 生日 は明口 でし た ね。」(
Was
n’
t
it
tomorrow
that
wouldbe
your
birth−
day
?)があ げら れ る。 これ らの表 現はそ れ ぞ れ,
(
1
)「明 日会 議が ある の を (話 者=
私は) 想い 出 し た。」(
Irecalled
that
the
nextday
we were goingto
have
a meeting.
) (1
), 「明日が貴女の 誕 生 日で あ る の を (話 者
=
私は) 想い だ し た。」(
Irecalled
that
the
nextday
wouldbe
your
birthday.
) と解 釈さ れ る。 以上の A , B ,C
のい ずれの例 文で も現在や未 来の 出 来 事,
つ ま りい ま だに過 去の もの となっ て い ない 出 来 事 を表 現 するの に 過 去 時制が 使 わ れて い る。 そ し て それ ら の過 去 時制の動詞 (助動詞を含む)は, 「知る 」とか 「み る 」 とかい う知 覚や意識の働 きに 関する動詞である。 そ し て出来 事 あるいは 行 為その ものは現 在や未 来の 時 点に 行 なわれるの である が, そ れ を 知覚し た, あ るい は意 識 した時 点は過 去なの である。 私は 前 者を行 為 者の 「行 為 の時」, 後 者を話 者の 「意 識の時」 と 呼び区 別 し, その 観 点か ら 以上の 例 文を時間系 列の 上で 図 示し て み よ う (図 1)。 以 上A , B ,C
の例 文に おい て共 通 するこ とは , 時 制 その もの は知 覚や意 識の働 き を 表 わ す 動 詞の過 去で あるA .
(1
)「電 車が きた (電 車が くるの が み えた)。」 過去ll
未 来属
一 話 者一
の み 意 え 識 さ の 時1
行離
譲
B
.
(1
)郵 便配 達 が き た (郵 便配達がこ ちら に向っ て くるの が み え た)。」 * これ は直 訳で あっ て, 非文法 的な英 語で ある。 過 去「
「 未 来〔
:
肅
、者。 視, 話 者一
の み 意 え 識 ε の 時 [黥
1
羅
1
鯑
1
誕
C .
(1
)明H
は 会 議だっ た (明 目 会議が あ るの を 想 い だ した)。
」 過 去 現在 〔話 抱丿視 点)腿
1
話 者_
の 想 意 い 識 だ の し 時 た’
)
「1
璽
1
者 父}
靈
1
時至 図 1 が, その 知 覚された内 容は現 在や未 来の 出来 事で あるこ とである。 こ の こ と か ら次の よ うに言 えるので はない だ ろ うか 。 日本 語の表 現 で は, 知覚され た 内 容 を 報 告 する 発話 中の 現在時制は, 話 者に よっ て 知覚さ れ た時点 (例 え ば,
過 去 時 )の影 響を う け る と。
しか しな が らこ の こ とは 日本 語 だ けに限っ たこ とで は ない 。 例え ばJespersenig
} は次の よ う な 例をあ げて い る。 ある人 が 私に, 「私は木 曜日に ブ リス トル へ 行 く。」一 73 一
相 模工 業 大 学 要 紀 第
15
巻 第1
号 time ofa areけegs (You
said)k
P’esent 〆 time of actspeaker
’
s view point図 2 “
Ia
皿 going
to
Bristol
onThursday .
’
t と言った。 少し た っ て私は彼が 行 くこ とは憶
k
て い る の だが, その 日附 を 忘 れて しまっ たので, 次の よ うに たず
ね る
。
「あ なたがブリ ス bルへ 行 くの は何 曜 日 でしたか
.
」“
What
day
were you going toB .
?”これは 勿 論 “
What
day
d
掘 you sαV you ω ere going toB .
?:
e 「あな た は ブリ ス トル へ 行く のは何 曜日 だ と言 いま したか.
」 の意 味である。 こ の例 文を上のや り方で 図 示して み る (図2
}。 こ の よ うに知 覚あるい は意 識された現在や未 来の出 来 事が過 去時 制に よっ て 表現される例は英 語に もあるが, 日本語に おい て は よ り一
般 的だ と言え よう。 そ の理 由は 日本 語で は知覚や意 識の主体が誰で あるか 特 定しない , とい う よ り主体が しば しば 省 略される の で, 例 えば 「郵 便 配達が向 うか ら くる」 や 「電 車がやっ て くる 」 とい う 文 章は 「話 者= 私が郵 便 配達 が 向 うか ら くる のを知っ た 」 とい う形に な らずに, い き な り 「郵便配達がきた」とい う過 去 時 制の 形に なっ て しまうの で はない だろ うか 。 これは本 来 「話 者の視 点」が 現在時に 固定され, そこ か ら未来や現在の行 為の時 をみ るべ き なのに, 意 識の上 で 「話 者の視 点」が 過 去の 「意 識の時」に 移 行 するこ と によ っ てお こ る現 象, つ まり 「行 為の時」の中に話 者の 「意識の時」 が入 りこんで しま うと い う, 日本 語 に 特 徴 的 な 過去時 制の ひとつ の 用例と言 える の では ないだ ろ う か。 矼.
以 上で第一
の 考察を おえ, 次に この過程 に おい て明ら か に な っ た英 語と 日本語に おける時制の一
致・
不一
致に 関 する違い を と りあげ , 日本 語にお け る 主交の時 制 と従 属 節 お よび関係 節の時制との一
致。
不一
致に つ い ての規 則 を 考察する。 日本 語には 「時」を把える複 数の視 点がある。 上 の例 文で い う と,
英 文で は 嵶dyou
sav に支配 されて, 従 属 節の時 制が were going と なっ てい る が, 日本 文で は 行 くの は何 曜日 だ と言い ま したか となっ て い る。 何 故 行 っ たの は と な ら ない の で あろ うか 。 今 もしこ の 日本 文を 「・
…
へ 行っ た と 言いまし たか」 とするな ら ば , これ ら の例 文の意 味は異な っ た もの となるだ ろ う。 例 文 D.
(1
) 「あ なた は B.
へ 行 くのは何 曜日 だ と 言いま し た か.
」(
Wheat
day
did
you say you were goingto
B .
?)(
2
) 「あ なたはB .
へ 行っ たの は 何 曜日 だ と 言いまし た か
.
」(
What
day
did
you
sayyou
had
visitedB .
?) 説明 (1) は近い 未来の出来 事の確 認である。 行 くとい う 行 為その ものは ま だ行な われていない が, それ を聞い た 時 点が過 去で あるの で, 質問者の 注 意は過去のある時点 を振り返え る形で確 認さ れ てい る。 (2
) は行為 者の行 く行為も言 う行 為 もともに 過 去の 出来事で あ り, 行っ たは言った よ り も当 然の こ と とし て よ り過 去 的な出来 事である。
上 例の ように 関係 節従 属 節 中の内 容 が, 予 定 約 束 とい うよ う な,
近い 将 来に おい て実 現 される蓋 然 性 が 高い 出 来 事につ い て は, 日本 語で は現 在形が用い られる。 さ ら に ま た ある特 定20)の時に 限 ら ない,
いず れの時に も妥当 す る命 題に つ い て の発 言に も現 在 形が用い られる。 即ち 普 遍 的真理・
客 観的 事 実・
習慣な ど に つ い て述べ る文 は,
主文の 時 制に は関 係なく,
つ ねに現 在 形で表 現さ れ る。 例 文 (1 ) (1
) 「彼は光は直進す る と霄っ た.
」 (2) 「私は彼が毎日散歩す るの を 知っ ていた.
」 それ 故, 以 上の こ とか ら次の ように言え るので は ない だ ろうか 。一
般に 「・
…
た」 文 中の 「… ・
す る」という日本 語に お け る時 制の ある特 徴に つ い て (兼子 盾夫 ) 文は, (1 ) 近 い未 来の出事 につ い て 述べ て い る か
,
(2) 特 定 な 時の 区別を も た ない 普遍妥 当的 な命 題につ い て 述べ て い るか である と。 さ て 日本 語で は,
上 例の よ うな 「・
…
する (終止 形) を含む文以外に 「・
…
し て い る (持 続 相 )」 を含む文が あ り, ふ つ う, そ れ らの時 制は, 主文の動詞 その他の時 制と一
致 し てもしな くて もよ い と考え ら れ てい る。
それ は事実であろ う か。 以 下に対に なっ た例 文 を あ げ, その 相 違を 明確に し てみ よ う。 例 文E .
(1 )
「彼ば愚 か で あ る (愚か な )自分を恥じ た
.
」(
He
was ashamed ofbeing
foolish.
) (2 ) 「彼は愚 かであっ た 自 分 を 恥 じ た.
」(
He
was ashamed of having beenfoolish.
)説 明 (
1
) 彼が自 分 を 恥 じ た時, その時 まさに 彼は愚か で あっ た (過 去の行為状 態の 同 時 性の強 調 )。 (2) 彼は過去 の ある時 点で , それ まで 自分が 愚か だ っ た こ とを恥じ た (過 去の さ らに過 去 )。 例 文 E(
1
)「彼は愛して い る (愛 する)女 性 と結婚した
.
」(He married the girl whom
he
loved.
) (2
) 「彼は愛して い た女 性と結婚 した.
」(He married the girl whom he
had
loved
onee
.
) 説明(
1
) 彼が結 婚 した時, その時 彼は ま さに その女 性を 愛し てい た (過 去の行為状 態の同時性の強 調 )。(
2
)彼は かつ て愛 し た こ と の あ る 女 性と結婚し た (過 去の さらに過 去 )
。
例 文 F で は (
2
)よ り(1
)の方 が目本 語 と し て よ り自然 で ある。 それは お そ ら く(2
)の 方に は,
「過 去の さ らに過 去・
過去完 了」の ニュ
ア ン ス が含ま れ る か ら であろ う。
かつ て愛し た こ とのある女 性 と結 婚 するとい うのは, 意 味の上か ら何と な く不自 然な 印象が あ るか らで ある。し か し例 文 F (2)を (1)と同 様, まっ た く 自然 な 文章 と して うけと る場 合がある。 そ れは (
2
)を過 去の さ らに 過 去とし て で はな く, 過 去の二つ の並 列 的な出 来 事の単 なる表明 (し た がっ て 同 時 性の強 調は ない) と し て う け と る 場 合 である。
即ち (2)t 「彼は ある女 性と結婚し た。 そ し て彼はその女 性 を愛して い た.
」 とい う意味 に お い て う け と る場 合で ある。 同 様に例 文E
(2
)につ い て も, そ れ を 過 去の さらに過 去 とし てで は な く過 去の並 列 的 な 出来事の単 な る 表 明 と し て うけ と る場 合, 即ち (2
) t 「 彼は自 分を恥 じ た。 そ し て彼は 愚 か で あ っ た。
」 とい う意 味に お け る 場合で あ る。
しか しな が らこれ らの (2
) と {2
)「 とい う二 とお りの解 釈が可能であるこ と は, 日本 語に時 制の一
致に関 する原 則 がない こ とを 証 明 するもの で はない。 むし ろこれ らの 解 釈が可能であるこ と は,
原 則の 存在 を 肯 定 するもの で ある。
とい うの は,
これ らの 例 文E
(2
)t, F
(2
)tは,
例 文E
(1
),
F
(1
)と異な り,
「話 者の視 点」が現在に固 定 さ れ てい るの で あるか ら。 即ちそこで は話 者は現在 時に視 点をすえ て,
そ れぞれ の行 為や状 態を ともに過 去の もの として み て い る の で あ る が, 他方 例 文E
(1), F
(1
)に おいて は,
「話 者の 視 点」は それぞれ過 去の ある時点 (E
(1 }で は恥 じた時,F
(1
)で は結 婚 し た時 )に遡 行 し, そこか ら自己 の状 態 や行 為 〔E
(1)で は愚か である,F
(1
)で は愛して い る) を1
司時 進 行的な もの と み てい るのである。
以 上 の如 く,
例 文E ,F
に おい てそ れ ぞ れの (1
)と の 意 味 上の相 違に注 目する と, や は り ひ とつ の時序 の違いが 感 じら れる の で は ない だ ろ うか。
従っ て従 来,
日 木語の関 係節・
従 属節中の 「… ・
してい る」とい う形 は,
主 文 の動詞・
助 動 詞の時 制と一
致して も し な くて も よい と考 え られて ぎたとす れ ば, それ は再考の要が ある の で はない だろ うか。 今 まで の考 察 を も とに 何ら か の原則的な区別を以 下に ま と め て み よ う。 「・
…
する,… ・
し て い る 」 を含む… ・
た」 文中の 時 制の一
致・
不一
致に関 する区 別21): (1
) もし主文の動詞。
助 動 詞の時制 が 過 去であり, 関 係節・
従属 節 中の動 詞・
助動 詞の時制が現 在な らば,
それは過 去 時 に お け る 行為の同 時 性の強 調をあら わす。(2 )
もし主 文の動 詞
・
助動 詞の時 制が過去であり, 関係節・
従 属節 中の動詞・
助 動 詞の時 制 が 過去な らば, そ れは 過 去に おける さ らに過 去,
即 ち過 去 完了 の行 為を あら わすか,
さもなけ れ ば 過 去の二 つ の 事 実の単 なる表 明で ある。 そ れで は以 上の考 察を ふ ま え て, 時制の一
致に関し て 英 語と日本 語で は 何故 異 なる規 則に 従 うの か を次に考え てみ たい。 先ず 英 語が時 制の一
致 を 重ん じる形 式 的 な理由 として一 75 一
相 模工 業 大 学 紀 要 第
15
巻 第1
号 考 え られるこ とは , 英 語の もっ て い る印 欧 語 族の一
員 と しての歴史 的 背 景であ る。 つ ま り英 語は他の印欧語 族ほ ど で は ない が, 現 在で もやは り若干の人称, 数の一
致 と い うような統一
性 重 視の傾 向を 残 し てい るこ と が あ げ ら れ る。しか しな が ら根 本 的な 理 由と して上 述の
一
致や統一
性 重視の 傾 向を指 摘する こ とは, ち ょ う ど天 気が悪い原因 をきか れて , 雨が降っ て い るか ら だ と答える ような もの である。 そ れ故 英 語と 日本 語の時 制の一
致に異 なっ た 規 則 を与えて い る真の理 由は他に求め ねば な らない。 そ れは私見に よれ ば 「語順の違い」 に関 係 するの で は な か ろ うか。 英語で は主 文の 動 詞は文 の初 頭に くる の で, 以後の時 制を 形式 22)的に支配 して し まうの で ある が, 日本 文で は主 文の動 詞 等は文末に くるの で, そ れ を 免れてい る。 日本 語で は聴き 手は厳 密に い えば, 文が完 成さ れ ない と話 者 が 何の 時 制を 用 い るか 不 明 な の で あ る。 (勿 論, ふ つ う 日本 語で は,
時をあらわ す 副 詞 が 文 中で主 語の次,
あるい は 主語が省略 (主 語 が ない ので は ない ) され れ ば, 文の 冒頭に くる の で, 話 者の話 す 内 容 がい つ の 出 来事か予知 してはい るの であるが)。 これ らの違い の他に, 日本語と英 語の時制の一
致に 関 し て異な る規則 を生ぜ しめた最 大の理 由は, そ もそも時 制 を 成 立 させ てい る 「話 者の視点」が もつ 構 造 上の 相 違 である。 つ まり英語で は 「話 者の視 点」 は特 殊な例 外を 除い ては, 話 者の位 置 して い る現 在 時か らはな れ るこ と はない。 そ こ で は 「話 者の視 点」 は現 在を中心 と して,
そ れ ぞれ の時序に属する行 為 を な がめ る。 つ ま りあるの は 「行為の時」だけで ある。
そ れ 故,
過 去の 同時 的な出 来 事や行 為は, や は り現在か ら み れば過 去時 制で表 現 さ れる ことに な る。 そ れに対 し て 日本 語では, 「話者の視 点」 は話 者の本 来位 置し てい る現 在 時からはな れて過 去2S)の ある時 点に 移 り,
そ こを中心 と し て過 去の行 為 ・状 態を 同 時 的に進 行する行 為・
状 態や出来 事と して把 えた り, あるい は過 去の さ らに 過 去の 行 為・
状 態 として把 えた りするの であ るQ す な わ ち 日本 語で は, 行 為 者の 「行 為の時」を, 本 来 , 現 在時に 位置して い る 「話 者の視点」か ら直 接に眺め る の で は な く, 過 去のあ る 行 為 (知覚や 意 識の働 き に 関 す る 動 詞 に よって表 わ さ れ るとは 限らない)の時を, 中心 的 な 「意 識の時」 とさ だ め, そこ か ら行 為や出来事を時 問 的 順 序の上で眺め て いくの である。 つ ま りこ こ で も考 察1
で み た よ うに , 日本 語で は 客観的な 「行 為の時」 が 主観的 な 「意 識の時」 の影 響を蒙むる現 象 がみられると 言 え るの で は ない だろうか 。 結 びどん な言語も 論 理 的 な 側 面だ け で は な く, 程 度の差こ そ あ れ, 非論理的と思える側面 を もっ てい る。 し か し そ の現 象 もよく見ると, あ る 論 理か らは逸 れてい ても, も うひ とつ の論 理に 従っ てい るこ と が 判 明 する。 それ故, ある現 象に関し て, ある言語は他の言 語よ り, よ り論 理 的で ない と軽 卒に 判 断するこ とは危 険で ある。 我々は往 々 に し て客観 的に公平な基 準を もっ て両 者を眺めるより も
,
む し ろ, 自 分が馴 れ 親 しんで い る言語を基準に 判 断 しが ち だからである。我々現代人が古 典ギ リシ ャ語を学ぶ とき , 多くの奇 妙 なこ と に出くわす。 し か し誰も自国の言 語よ りも古 典ギ リシ ャ語が論理的で ない とは言 わ ない
。
し か しこれ が 日 本語であれば, ど うであろうか。 お そ ら く奇妙な こ と は, 論理的で ない, 我々 の分 析 をこ ばむ現 象と考えられ て し ま うので は ない だ ろうか 。私は 日本 語の ある過 去 時制の特 殊 な 用 法に ふ れ た時,
一
見 奇 妙 と 思 わ れる現 象の背 後に , やは りひ とつ の一
貫 し た根拠が あ るのを みい だ し た。 そ れは言 わ ば,
論 義主 義に対し て心 理 主義と で も言 うべ き もの である。 具体 的eこは,
私は 日 本語の 過去 時 制に特 徴 的 な 「話 者 の視 点」の移行とい う現 象に注目し, 例 えば英 語に おい て は現 在 時に 固定 さ れて い る 「話 者の視 点」 が 日本 語で は直接に 「行 為の時」を 把 え ず, 「意 識の時」 か ら間 接 的に 「行 為の時」 を眺め るこ とに気 がつ い た の である。同様に し て, 従 来日本 語の関 係 節
・
従 属 節 中の時制に つ い て は一
致・
不一
致の 原則が ない と考え ら れ て ぎ た が, こ の現 象にも上 述の 「話 者の視 点」 の移 行が見られ るこ とを指摘し, やは り 「意 識の時」 と 「行為の 時」 と い う観 点から考 察 を 加え た。 その結 果,一
定の規則に従 っ てい ない とか , 非 論理的だ とか い うように把えられて い た 日本 語の時 制の一
致・
不一
致の現 象に も, やは りひ とつ の一
貫し た根 拠があるの で はないか とい う結論 を 得 た。 以 上の作業を行な うに あた り, 私に 日本 語 文 法の知 識 が ない こ と に よっ て, 「時 制」 そ の他を考え る 上 で, 方目本 語 に おける 時 制の ある特 徴につ い て (兼子盾 夫 ) 法 的に やは り英 語 文 法の 知識 ・用 語に頼り過ぎた こと , 及び 「時 制」 とい う ものを 便 宜 的, 常 識 的に 「時」の 観 念上 の区別に対 応 する文 法 上の概念と定 義づけた こ とに は
,
大い に 異論の余地 があること と思う。 た だ英 語 と日 本語の 「時制」 の特 微を対 比 する とい う よ う な,
対 比言 語学的な試み は, 方 法的に厳 密なもの でさ え あ れば, 対 比 さ れた言 語の 中の少 くとも 自分に とっ て母 国語である 言語の もつ , 構造 的な 特 徴のひとつ (例 え ば,
時 制の特 徴の ひ とつ )を よ り明 確に す 可 能 性は ある と思わ れ る。 註1
>山田孝 雄 博士 は 有 名な 『口本文法 論』(第
一
部 第 三章 413 頁 以 下〉の 中で, N本語 文法 に お ける 「時 制」 の存 在を否 定し てい る。
とい うよ りむ し ろ,
い か な る 言 語 にお い て で あれ, 文法上の概 念 と し ての 「時 制亅 と 「時」の対 応 関係を否 定して い る の で ある。
即 ち, 時 序の 違 い を 表わ す 「複語 尾 」 に よ っ て表 現され た もの は, 「時」 の違い を 述べ て い る の で は な く,
時を ど う 把 えて い る か と い う 認 識 の 主 体 との関 係 を 述べ て い る の で あ り , そ れ故,
時 序の違い を表現 する言 語 形 態 は い わ ゆ る 「時 制」で は な く,
「叙 法 」 で あ る と。 近 年の 日本 語の 「時 制」 に 関 す る研 究につ い て は, 鈴木 重 幸 「日本 語 動詞 の時 につ い て」 (『言 語』, 大 修 館,1976
年12
月 号)の注 (同50
頁)お よ び 参 考 文 献 (同 58 頁)参 照の こ と。
2) 次の よ う な 場 合 が あ る だ ろ う。 即 ち 両者に限ら ず, そ も そ も 「時 制」が 文 法 上の概 念と し て成立 する場 合と成立し ない 揚 合 (山田孝雄 博士お よ び 細 江逸記博士の 所論 が該当 す る)と。 前 者が妥当 する場 合も, 英語と 目本語に お け る 「時 制」 が 同 じ揚合 と,
異な る場 合 と があ り,
異 なる場 合に は 構 造 的 なそ の 違い を 考慮に い れ て 考え を 進 め ない と結 論が空 虚なもの となる だ ろ う。 3) “lt
is
important
to
keep
the two concepts time andtense
strictly apart.
The
former
is
eommonto
all mankind andis
indepen−
dent
oflanguage
;the
latter
variesfrom
language
tolanguage
andis
thelinguistic
expression of time−
relations , so far as theseare
indicated
in
verl)forms
;JJ (A
Modern
English
Grammar
,
IV ,
iii
§1,
L)also seeEssenti
αls
(ガEngtish
Gr
αm ?n αr, §23.
1エ,
4) た とえ ば 目 本 語 の 「時制 」 は動詞の 他 に, 形 容詞 , 形容 動詞等に も み ら れ る。
5
) cf.
H .
Sweet ,
ttTenseis
primarily
thegram −
matical expression of
distinetions
oftime.
’J (New EngtishG
γamm αr, §272)o)
6
)7
)8
)9
10
)11
)12
) 13)14
> ユ ダヤ・
キ リス ト教的 信 仰 に よれ ば, 「時」 は神 に よ っ て こ の 世 界 と と も に創造 さ れ た も の で あ り,
そ うい う意 味に おい て 正し く実 在的 な もので ある。
ま た1.Newton
の 「絶対 時 間 」 とい う概 念に よ れ ば, 我々 が知ろ うと知る まい と均一
に流 れ る,
絶 対 的な,
数 学 的時間が実 在 す る の で あ る。
Aristoteles
は 「時」 にっ い て , そ れ は (A
)「あ る もの ど も 」 に属 す る もの か, (B
)その 本 性 は何 か, そ し て それ は運 動か否か を検 討し た 結 果, 「時 」 は 「あ る もの ど も」 の う ちに は属 さない こ と, 運動に お け る 何 もの かであっ て, 運動そ の も の で は ない との結 論を 下し た (Physica
iv
10〜
11,
217 b3°〜
219Eio 参 照)。
G.
W.
Leibniz は 「時」 は 非 共時的 な 事 物の順序 で ある と し て, そ の 絶対的な実 在性 を否 定 し て い る。 さ ら に1.
Kant
は 「時 」 は 入 間 が 外界を 認識する際に a priori に働 く 形 式で あ る とし て,
即 ち その 経 験 的実在 性 を 認め な が ら も 「時」の 絶対 的 実在性は否 定 し て い る (
Kritik
der
Reinen
Vernunft,
B .50〜52
)。ユ ダヤ ・ キ リス ト教 的な 「時 」 の表象は, 初め
(創 造) と終 わ り (終 末) を もつ 上 昇す る直 線の
イ メ
ー
ジで あ る (0 .Cullmann ,
『キ リス ト と時 』,
岩 波 36 頁)
。
AModern
English
Gramm
αr,
IV
,
ii,1.1,
also see
Essentiats
ofEscglish
Gramm
αr,
§23,
12,
§26,9
,.
ある者は未来時 制 を 認 め (e
.
g,
H
,
Sweet ,
Op .
cit
.
§271,G .
Curme
,Syntaec
s.
36), 他の者は認め ない (
E .
Kruisinga
,
Hand
δo訛,
ss29,
154
)。 ま たあ る者はdefinite
tense, progressiveform
とも呼 ばれる expandedform
を認め る が,
他の 者は認 め ない とい うよ う に。 例 え ばJespersen
は 上 記 の理由で 未来時 制 を 認 め ない の で あるが,
彼の い う expandedform
は 動作の 同 時 性・
継 続 性 とい う よ う な,
「時 制」 よ りもむし ろ 「相」 aspect に よ り多く係わ る概 念 で あ b,
同じ く 完了形も形 態 こ そ 比 較 的 定 ま っ て はい るが, 機 能 的に は 「相」 と係わ る面も少 くない の で あ っ て, auxiliary verb (wi11 又は shall)
十root
−form
とい う一
般的 な形 態を もっ未 来 時 制 だ けを 「時制」 の category か ら除外 するの は, そ れ ほ ど合理 的とも 思わ れ ない 。 未 来に っ い て 「時 制」 と し て 個 有の形 態がな い の は, 現 在や 過去に生起した事 象と異な P,
原理 的 に事 実 関 係 の 断 定 が 出 来 ない か らで あろ う。 先 述の 山 田 孝 雄 博 士 (前 掲 書) と 細 江 逸 記博 士 (「動詞時制の研 究』泰 文 堂7
頁 以 下)は, そ の対 応を否 定 し て い る。 次の 二 つ の場 合 を 参 照 :一
77一
相 模工 業 大 学 紀 要 第
15
巻 第1
号 (1)Ill
過 去Il
未 来 宀「
斗一
現 在 行 為 話 者の視 点の移 11卩
行 為丈
1
1
「
211
(
1
)historic
(dramatic
)present (Jespersen
, (A
Modern
Engti8h
Gramon
αr,
IV ,
iii
,2,3
(1
).
) (2
) こ の現象の 適 格な呼 称 は ない が, 先 述 の山 田・
細江 博士 が指 摘して い る ;a
.
「本 日午 後二 時雷鳴あり (山 田前 掲書 426 頁)。」
b .
“
Shakespeare
gives us one sueh t
‘
hero”
(細 江, 前 掲 書 43 頁)。
”
e
.
’
‘
As
to the world,
he
sa劉sin
1775
that
America
is
at presentthe
subject of eonversation ”(同
書)
。
こ れ ら a,b
, c に共 通 す る こ と は, これ らが 事 実の報 告で あ り, そ れ ぞ れ内容 的に み て 明 白に過 去の一
点 に おい て生 起し た もの である こ と で ある。 ま た 未 来 の出 来事 を指す 場 合 と は,
近い将 来に お い て実 行 さ れ る筈の計 画や.
と り き め等の 揚 合 で あ る。 e.
g.
“We
dine
tomorrow with theCan −
nings
.
”(
Jespersen
,」Essenti
αls
〔ofEng
“shGr
αm−
mar
,
§23.43
)15
) これ に は二 っ の 問題が指 摘さ れる か も し れ ない : (1) 「・
…
る」 を動 詞,
「… ・
し てい る」 を動詞十助 動詞 と分類し てい るこ と, (2) 「… 一
る」と 「・
…
た 」 を同一
な category 内 の対立 する もの と考え る こ と。16
) 日本語 文 法に おい て は, 完了は 「時 制」 よ り もむ し ろ 「相」 とし て 扱わ れ るべ き か もし れ な い 。 こ の 辺 が英 文 法をモ デル に仮説的 に作 業し て い る弱 点で ある と告 白せ ざる を得ない 。17
)JeSPersen
に よ る と運 動を表わ す 動 詞 は, ex−
pandedforms
で使用 さ れ る と,
近い 未 来 を 表 わ す と さ れ る。 e.
g.
t℃
hristmas
is
coming,
the
geege
aregetting
fat.
「J Essentials of 」跏 g尻8ん
Gr
αmmar , §24.8s.
18
) 実 はこれ らの動詞 は 必ずし も知 覚や 意 識の 働 きに 関 する もの で な く と も よい。 何 故な ら行 為 者が み か け 上の 主語に な っ て い る文は, 結局の とこ ろ, すべ て 話 者(私)に よ っ て知覚ま た は意 識され たこ と の表 明 だか らで あ る。例えば「彼は走っ てい る。」 図 3 (2)r
現在 過 去 未 来 話 者の視 点 行 行 為 為 1 2「
11
「 「 ) )901
り凵
21
) (1
) 時に移行 する が, (2) の 場 合に は現在 時に留まっ てい る こ と に注 意せ よ (図3
参照)。22
)23
) とい う 文は, 「(話者は)彼 が走 っ て い るの を み て い る。」に他な ら ない か ら で ある。Ibid.
, §24.6s.
Cf .
“
When
thepresent
is
usedin
this waywithout
implying
any realdistinctions
of time,
we callit
the neutralpresent.
”
H .
Sweet
,Op .
6君.
§289.
こ の 原 則の (1
)と (2
)に は重 要な違い が ある: の 場合に は 「話者の 視点 」 は 過 去 の 「行 為のJespersen
は英 語に お ける誤まっ た (mental in−
ertia に よ る)「時制」の一
致の例 をあ げてい る。i.
e.
“Oh
,Mr
.
Summer
.
1
面d
n ,t
i
πow you werehere.
JIIbid.
§24.62
過去の あ る時点 に移行 するが故に, 主と し て 過去 の
一
点を表わす 副 詞 「その 時 」 と は両立 し ない 。 例え ば, 「彼はそ の時読ん でい る 本 を 閉じ た。」 で はな く, 「彼 はそ の時読んでい た 本 を 閉じた ゜ 」 と 言 うべ きで ある 。 参 考 文 献 細 江 逸記 『動詞時 制の研 究』泰 文 堂1932。
『動詞叙法の研 究 』同1933
。Jegpersen
,Otto.
Essentials
ofEng
麗shGr
αmmar.
London
(George
Allen
&Unwin
)1933.
AMode
ゲ物English
Gra
?nm αr.
London
(George
Allen
&Unwin
) rept.
1968.
久野 瞳 「目本文 法 研 究』大修館
1973
。毛 利 可信 「意味 論か ら 見 た英文 法』同