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行政規則・外部効果・裁量基準

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行政規則

外部効果

・裁量基準

渡邊

1行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) 問題の所在 ﹃予備的考察﹁行政規則の外部効果﹂ 二わが国の判例理論 1判例における原理的思考 2判例における経験的思考

3小括今後の課題

三ドイツの判例理論 1理論的枠組み 2判例理論の検討

3小括

四わが国の判例理論への示唆 1﹁外部効果﹂の理論的位置づけ 2外部効果をめぐる論点について 3行政手続法の解釈 をめぐる問題の構造

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2

白鴎法学第14巻2号(通巻第30号)(2007)

問題の所在

行政手続法は、申請に対する処分および不利益処分に関して、行政庁に基準の設定および公表の義務を課している。 すなわち、行政庁は、①申請により求められた許認可等をするかどうかをその法令の定めに従って判断するために必要 とされる基準である﹁審査基準﹂を定め、これを公開するものとされ︵同法二条八号ロ、五条︶、②不利益処分をする かどうか又はどのような不利益処分とするかについてその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準である ﹁処分基準﹂を定め、かつ、これを公開するよう努めなければならない︵同法二条八号ハ、一二条︶、とされている。そ の一方で、同法は、これらの規準に違反して行われた処分の効力に関する定めをおいておらず、解釈に委ねられている。 この問題について、行政手続法の制定以前には、マクリーン事件最高裁判決が、﹁行政庁が⋮裁量権行使の準則を定 めることがあつても、このような準則は、本来、行政庁の処分の妥当性を確保するためのものなのであるから、処分が 右準則に違背して行われたとしても、原則として当不当の問題を生ずるにとどまり、当然に違法となるものではない﹂ と述べている。また、行政手続法の制定後に、審査基準そのものが設定されていなかった事例についてではあるが、 ﹁行政手続法五条は⋮行政庁の許認可処分の透明性と公正さを確保するために設けられた規定であるが、右手続が履践 されていないからといって、個々の行政処分が直ちに違法となるものと解すべき根拠はない﹂という判断が示されたこ

ハロ

とがある。これに対して、やはり、審査基準の不設定の事例について、﹁行政手続法は、その適用を受ける処分につい て、申請者等に対し、同法の規定する適正な手続によって行政処分を受ける権利を保障した﹂という理解のもと、﹁行 政手続法の規定する重要な手続を履践しないで行われた処分は、当該申請が不適法なものであることが一見して明白で

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3行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) あるなどの特段の事情のある場合を除き、行政手続法に違反した違法な処分として取消しを免れない﹂という判断が示

ハロ

されたこともある。これらの判断は、本稿の問題にある程度の関連はあろうが、そこから直接解答を導くことはできな いであろう。 伝統的な行政活動の分類に従えば、行政手続法の定める審査基準や処分基準は、行政機関が制定する行政規則の一種 であると把握することができよう。したがって、この議論は、ひとり行政手続法の解釈にとどまらず、行政規則に違反 した行政活動の効力如何という、より一般的な問題の一環でもあり、なおかつ、その部分が問題の考察にあたって重要 なファクターとなっていると考えられる。のちに見るように、わが国の判例には、﹁行政規則は行政組織内部において のみ効力をもつ法規範であり、それに違反したことは、行政行為の効果を左右するような要因とはおよそなり得ない﹂ という態度を固守していうものが多く見られる。しかし、こうした態度が、マクリーン事件の時代と異なり、明文で審 査基準・処分基準の設定および公開を行政庁の︵努力︶義務としている行政手続法の趣旨に合致するものであるかは疑 わしい。行政手続法の制定を契機として、従来の行政規則に関する判例理論は再検討を迫られよう。すでにわが国にお いても、行政規則をテーマとした研究としては、大橋洋一教授、平岡久教授などのそれをあげることができ、そのなか で外部効果に関する注目すべき指摘を見ることもできる。その一方で、こうした研究成果を行政手続法の解釈というア クチュアルな問題の解決に結び付けようという試みは、まだ十分ではないように思われる。 本稿は、以上のような問題意識から、まず、行政規則の外部効果という問題について再検討を加えることを目的とす る。そのために、わが国と異なり、一定の条件のもとで行政規則の外部効果を認めている︵少なくとも、それと実質的 に同様の結論を導き出している︶ドイツの判例理論を分析することにより、その根拠や条件などを明らかにする。それ

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をもとに、わが国の行政規則論の問題点を指摘し、右の行政手続法の解釈問題についても考察の枠組みを示すこと、こ れらが本稿のテーマである。具体的に以下では、まず、行政規則の外部効果という問題がもつ独特の構造を把握した後 ︵一︶、わが国の判例理論を分析することにより、そこに見られるふたつの異なる傾向をもった思考法が存在することを 明らかにする︵二︶。引き続いて、ドイツの判例理論の理論的枠組みおよび具体例の検討を通じて、行政規則の外部効 果が認められる理由、条件、範囲などを明らかにすることにより︵三︶、わが国の判例理論への示唆を探ることにした い︵四︶。

予備的考察

﹁行政規則の外部効果﹂をめぐる問題の構造

本稿のテーマである行政規則の外部効果という問題を考察するにあたっては、その問題がもつ独特の構造をよく把握 しておくことが重要である。以下、この点について若干の指摘を行うことで、右に述べた本稿のテーマを敷術すること としよう。 第一は、そもそも行政規則とはなにか、という問題に関わる論点である。行政規則の﹁古典的﹂な定義とされるのは、 たとえば、﹁行政権の定立する一般的な定めで法規たる性質を有しないもの﹂、﹁行政機関の定立する定めであるが、国 民の権利・義務に直接関係しない、つまり、外部効果を有しないものを指す﹂というものである。後者の定義は、行政 規則の﹁法規﹂としての性質を否定するものであると言い換えることもできるが、いずれにしてもこれらの理解に立っ

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5行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) た場合、行政規則の外部効果を語ることは、概念矛盾にほかならないことになってしまう。そして判例のなかは、こう した理解に、いわば原理的に忠実なものがあり、そこでは、行政規則をめぐる様々な問題への結論は、すべて直接に、 その性質から導かれることになる。こうした考え方を本稿では、﹁原理的思考﹂と呼ぶことにしたい。 その一方、行政規則が間接的に国民の権利義務に影響を与えうることは、改めて指摘するまでもない。次節で検討す る﹁墓地埋葬通達事件﹂におけるように、違法な埋葬拒否に関する通達が変更されることにより、墓地経営者が埋葬に 関する運用の変更を余儀なくされるのはその例であるが、後に詳しく見るように、本判決は、こうした事情を法的ファ クターとしては原理的に考慮に入れていない。こうした態度は、行政指導に関するそれと対照的であるように思われる。 周知のとおり、行政指導も、行政規則と異なる理由ではあるも⑳の、﹁国民の権利・義務に直接関係しない﹂ものであ ると理解されている。しかし判例は、行政指導に従って行われた価格カルテルの違法性を阻却するなど、多くの場面で 行政指導を法解釈において意味あるものとして取扱っている。その意味で、行政指導に﹁法的意味﹂があるということ は、すでに確立した考え方であるということができる。 以上のように、ある行政の活動形式に法規性を認めないことは、必ずしも、その法的意味の否定につながるわけでは なく、それを肯定するためには、法規であると構成する必要があるわけでもない。こうした意味での﹁法的意味㌧の可 能性を行政規則について探求すること、これが本稿のテーマのひとつである。 第二に、行政規則の法的意味の有無という問題はーそれに外部効果を直接、認めるという根本的な問題提起をする のでない限りオール・オア・ナッシングのかたちで回答できる性質のものではない、という点には注意が必要であ る。行政規則の機能ないし対象は多様であり、また、それぞれの対象領域における法的意味の有無を検討するにあたっ

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ては、裁量統制、平等原則、信義則といった様々な観点を考慮に入れなくてはならないからである。そのため本稿では、 行政規則を機能ないし対象から類型化したうえで、その外部効果の有無を論じることとしたい。その結果として、行政 手続法の解釈問題は、行政規則に関する総論的考察に加えて、それ自体に特有の問題についての各論的考察を踏まえて、 検討が加えられるべきであることになる。 第三に、﹁外部効果﹂という概念それ自体についても、一定の分析を加えておく必要がある。先の定義によれば、そ れは差し当たり、国民の権利・義務に直接の影響を及ぼすこと、換言すれば、﹁法規﹂としての性質を表現するものと して用いられている。そして判例において、行政規則の法規性を否定することは、さらに︵一︶通達違反の処分をした 場合でも、そのことを理由として、その処分の効力が左右されない、︵二︶裁判所は、通達に示された法令の解釈とは 異なる独自の解釈をすることができ、通達に定める取扱いが法の趣旨に反するときは独自にその違法を判定することも できる、︵三︶行政規則の取消を求める訴えは、国民がそれに拘束されることがないゆえに却下される、といった重要 な帰結をともなっている。このことからも分かるように、﹁外部効果﹂という言葉は、法規性および、その実体法・手 続法上のコロラリー︵とされるもの︶に関わる概念として用いられることがある、という点には注意が必要である。右 にも述べたとおり、わが国の判例のなかには、これらの結論をすべて原理的に導こうとするものがあるが、先に述べた ﹁法的意味﹂の可能性を行政規則について探求するという観点からは、これらについても、個別的に再検討を加えるこ とが必要となると考えられる。

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二わが国の判例理論

やや前置きが長くなったが、ここでわが国の判例の分析にとりかかることとしよう。先にも指摘したように、そこに は、ア・プリオリな行政規則の性質というものを措定し、そこからすべての問題について結論を導こうとする原理的な 思考に加えて、法的紛争が生じた具体的状況を勘案しつつ行政規則の外部効果の有無を判断しようする経験的なそれが 混在しているように思われる。以下では、両者の例を明らかにすることによって、判例理論の問題点と今後の課題を明 らかにすることとしたい。 7行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) 1判例における原理的思考 行政規則の性質について最高裁が見解を明らかにした判決としては、﹁墓地埋葬通達等取消請求事件﹂におけるそれ が、ひろく知られている。本事件では、墓地、埋葬等に関する法律二二条の﹁墓地、納骨堂又は火葬場の経営者は、埋 葬、埋蔵、収蔵又は火葬の求めを受けたときは、正当の理由がなければこれを拒んではならない﹂という規定の解釈に 関する通達の取消が問題とされた。すなわち、本規定については当初、﹁その墓地または納骨堂において、従来から異 教徒の埋、収蔵を取扱つていない場合で、その仏教宗派の宗教的感情を、著しく害うおそれある場合には法律第十三条 の正当の理由があるとして拒んでも差支えない﹂と解釈する厚生省環境衛生課長通達が出されていた。ところが、本通 達は、内閣法制局第一部長回答における、管理者がみだりに埋葬を拒否することが許されるとすれば、﹁埋葬⋮の施行 が困難におちいる結果、死体の処理について遺族その他の関係者の死者に対する感情を著しくそこなうとともに、公衆

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衛生上の支障をきたし、ひいては公共の福祉に反する事態を招くおそれ﹂があるという指摘を根拠とする通達︵以下 ﹁本件通達﹂︶によって廃止された。これに対して、墓地の経営者である寺院が、厚生大臣︵当時︶を被告として、本件 通達の取消を求めて出訴したものであるが、最高裁は、この訴えを以下のような理由で却下している。やや長くなるが、 判決文のなかで通達の性質について述べ、そこから結論に至る過程を、できる限り原文に忠実に要約しておくこととし よう。 元来、通達は、法規の性質をもつものではなく、上級行政機関が関係下級行政機関および職員に対してその職務権限の行使を指 揮し、職務に関して命令するために発するものであり、行政組織内部における命令にすぎないから、一般の国民は直接これに拘 束されない。通達は、法規の性質をもつものではないから、行政機関が通達の趣旨に反する処分をした場合においても、そのこ とを理由として、その処分の効力が左右されるものではない。また、裁判所は、法令の解釈適用にあたっては、通達に示された 法令の解釈とは異なる独自の解釈をすることができ、通達に定める取扱いが法の趣旨に反するときは独自にその違法を判定する こともできる。本件通達は従来とられていた法律の解釈や取扱いを変更するものではあるが、それはもっぱら知事以下の行政機 関を拘束するにとどまるもので、これらの機関は右通達に反する行為をすることはできないにしても、国民は直接これに拘束さ れることはなく、従って、右通達が直接に上告人の所論墓地経営権、管理権を侵害したり、新たに埋葬の受忍義務を課したりす るものとはいいえない。現行法上行政訴訟において取消の訴の対象となりうるものは、国民の権利義務、法律上の地位に直接具 体的に法律上の影響を及ぼすような行政処分等でなければならないのであるから、本件通達中所論の趣旨部分の取消を求める本 件訴は許されないものとして却下すべきものである。

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9行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) 右の通達の性質に関する説明は、要するに、その処分性を否定するという訴訟要件論の文脈において述べられたもの であることが分かる。したがって、その説明のなかで判決を直接根拠づける理由として決定的な意味をもつのは、﹁国 民は直接、通達に拘束されるものではない﹂という部分だということになる。もっとも、それは﹁通達は、法規の性質 をもつものではない﹂という命題の論理的系として述べられたもののようであり、右の説明にはさらに、法規の性質を もたないことから導かれる通達の性質が、いくつか傍論的に述べられている。ここで指摘しておきたいのは、この命題 が、本件における訴訟要件論という文脈を遥かに超えて、さまざまな事件の判決において問題を解決する鍵とされてい るという点である。 こうした思考法はその原理的な性格の特徴として1他の分野における性質の異なる法的問題に関する判決にお いても、ほとんどかたちを変えずに現れることがある。例えば、松江地方裁判所の判決では、機械装置に係るリース料 が法人税基本通達二−二−一四の適用の余地のある﹁前払費用﹂であるにも関わらず、同基本通達の適用の余地のない ﹁前払金﹂と解して行われた更正処分に対して、原告会社は、法人税法二二〇条二項︵青色申告書に係る更正︶にいう 更正の理由附記の不備にあたり、取消されるべきであると主張した。松江地裁は、更正理由のうち、リース料の支払債 務発生の有無について適切でない点があるとしながらも、通達に関する以下のような理解を示して、これをもって理由

ハロロ

附記の不備があるということはできないと判示している。 通達は、上級行政庁がその内部的権限に基づき、下級行政庁や職員に対し発する行政組織内部の命令にすぎず、国民の権利義務

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に直接の法的影響を及ぼす法規とはいえないから、裁判所が課税処分の適法性を判断すべき基準となり得ず、その法的判断は、 あくまでも課税処分の根拠となった法規︵法律、法規命令︶によるべきである。課税処分の適否の判断に当たっては、租税法律 主義の原則が貫徹されるべきであるから、あくまでもその判断は、法規に照らしてなすべきであり、通達の要件を充足している にもかかわらず、これを適用せずに課税処分がなされたとして、単に通達によらなかったことをもって、直ちに当該課税処分が 違法ということはできない。 右の判断は、先にみた訴訟要件論ではなく、通達によらない課税処分の効力という実体法の解釈に関するものである が、その結論を導く根拠は、やはり通達の性質についての共通する理解に求められている。もっとも、判例においては、 ﹁原則として法規としての性質を持たない﹂、﹁直ちに違法ということはできない﹂などといった、行政規則が外部効果 をもつ余地があることを示唆するような一定の留保が付されてはいる。しかし、﹁墓地埋葬通達等取消請求事件﹂判決 がそうであったように、その可能性について判決ではまったく検討がなされていない場合もある。つまり、これらの判 決においては、そうした留保は実質的には言葉の飾りに過ぎないものであって、多くの判決においては、行政規則の性 質についてのア・プリオリな理解が、その結論を圧倒的に支配しているといってよい。以上が、判例理論を﹁原理的﹂ と評した所以であるが、こうした態度が、行政手続法の裁量基準の解釈にあたって妥当なものであると考えることはで きないであろう。

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11行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) 2判例における経験的思考 以上のような原理的思考が支配的な判例の傾向にあって、通達の外部効果︵ないし、その可能性︶を認める判決が、 いくつか存在することは注目に値しよう。以下、これらの判決の判断根拠や位置づけについて、確認しておくこととし よう。 まず、訴訟要件の問題に関しては、﹁函数尺通達事件判決﹂が有名である。本事件は、二原告の製造している﹃ホ ワイト六折スケール﹄と称する合成樹脂製六つ折函数尺は、計量法第一二条に規定する計量器である。二右計量器 には非法定計量単位による目盛が併記されているので、これを販売し、または販売のため所持することは計量法第一〇 条に違反する。﹂という通達の趣旨に基づき、福岡県計量検定所長が、原告に対し右函数尺の製造中止の勧告を行った ことに対し、原告が通達、勧告の取消を求めて訴えを提起したものである。本判決では、通達の概念それ自体について は、先に見た﹁墓地、埋葬通達事件判決﹂などと、ほぼ同様の理解を示しながらも、﹁現実の行政事務の運営において 通達がはたしている役割・機能の重要性およびその影響力も無視しえない﹂と指摘して、次のように通達に対する取消

ハはロ

訴訟を認めている。 通達であつてもその内容が国民の具体的な権利、義務ないし法律上の利益に重大なかかわりをもち、かつ、その影響が単に行政 .組織の内部関係にとどまらず外部にも及び、国民の具体的な権利、義務ないしは法律上の利益に変動をきたし、通達そのものを 争わせなければその権利救済を全からしめることができないような特殊例外的な場合には、行政訴訟の制度が国民の権利救済の ための制度であることに鑑みれば、通達を単に行政組織の内部的規律としてのみ扱い、行政訴訟の対象となしえないものとする

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とは妥当でなく、むしろ通達によつて具体的な不利益を受ける国民から通達そのものを訴訟の対象としてその取済を求めること も許されると解するのが相当である。 右の見解は、通達は法規ではないという理解を堅持しながらも、その内容および影響についての一定の条件を媒介と して、通達が法律上の利益に変動をきたす取消訴訟の対象であるという結論を導いている。こうした処分性をめぐる法 的構成には賛否両論があり、また、近年の行政事件訴訟法の改正により別個の訴訟形態をとるべきという議論もあるが、 この問題については、後に改めて検討することにする。ここでは、法規ではない行政規則に、例外的にせよ、その﹁法 的意味﹂が認められたということを確認するにとどめる。これは、先に﹁原理的﹂と特徴付けた判例理論と論理的に矛 盾するものではないにしても、それとは明らかに異なる傾向をもつ思考法によるものであることは明らかであろう。 つぎに、実体法上の問題に関しては、通達に違反して行われた課税処分が違法となる可能性を示した判決があること

めロ

が注目される。本事件では、表皮が破損して使用できないゴルフボールの表皮を取替えて、練習用ゴルフボールとして 再生することが、旧物品税法にいう﹁製造﹂にあたるか否かが争われた。原告は、物品税基本通達第三三条但書による と消費者提供の古物に加工又は改造を施す場合には、製造として取り扱わないものとされており、本件課税処分は、こ の通達に違反していると主張した。大阪地裁は、通達違反との主張を認めなかったものの、傍論のなかで、﹁通達は⋮ 法規たる性格を有するものでないことはもとよりのことである﹂と述べた後に、次のような判断を示している。 通達によって示達された内容が税務行政の執行一般において実現されているに拘らず、しかも或る個別的具体的場合につき右通

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達が定める要件を充実しているものに対し、通達に反して納税者に不利益な課税処分をするならば、本件のごとき問接税たる物 品税の場合においては税額は本件取引価格の中に折り込まれるのであるから、通達に従い課税の対象とならないと信じて物品税 を含まない価格で取引したにもかかわらず後に課税されることになって納税者に不測の損害を与えるばかりでなく、租税法の基 本原則の一つである公平負担の原則にも違背することになり、違法な処分といわなければならない。 13行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) ここでも通達の法規性は否定されているが、納税者の保護や公平負担の原則によって、通達違反の課税処分の違法性 を根拠づけることができる、という可能性が示されている。本判決は、先にみた原理的思考をとる判決とは対照的な見 解を示しているようにみえるが、両者の関係を論理的に矛盾ないものとして位置づけることは不可能ではない。もっと も、そのためには次のような理解をするほかないであろうが。すなわち、通達は法規としての性質をもたないため、通 達違反の行政処分をしたからといって、そのこと自体により、当該処分が違法となるわけではないが、通達違反を原因 として生じた状況を考慮した結果、違法と判断される場合がある、と。

3小括今後の課題

以上のように、わが国の判例には−必ずしも矛盾するものではないが傾向の異なるふたつの思考法を見ること ができる。ある判決において﹁通達は法規ではない﹂という命題を内実とする原理的思考の傾向が強まり、それが極限 にまで達すると、﹁行政規則は、行政の外部関係においては法的に無である﹂という結論にたどりつくことになるであ ろう。この場合、いくつかの判例がそうであったように、通達に対する取消訴訟の可能性は当然に否定され、行政処分

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が通達に違反したことは、その違法性を問題とする上でなんら考慮されなくなる。しかし、先にも指摘した通り、こう した思考法が行政手続法の解釈問題について適当な解答を導くとは考えられない。 一方、行政規則の外部効果を肯定する諸判決に見られる経験的思考は、﹁行政規則は法規ではない﹂という伝統的な 判例理論の枠内で展開されているものであり、右のような問題を、今後、判例が克服してゆく可能性を示すものという ことができよう。しかし、これらの諸判決における経験的思考は、訴訟という場で展開されたものである故に、断片的 であるという宿命を負っている。また、その事例もきわめて少ないことから、外部効果に関する体系的な考察を行う材 料としては十分であるとはいい難い。そこで以下では、このテーマに関する豊富な蓄積をもつドイツにおける体系的理 解を明らかにするとともに、いくつかの判決について概観・分析を加えておくことにしよう。

三ドイツの判例理論

1理論的枠組み

冒頭の﹁問題の所在﹂のところで示しておいたように、行政規則の外部効果をめぐる問題の構造は、 そこで判例を検討する準備として、まず、この点について理論的な整理を加えておくことにしよう。 やや複雑である。

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15行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) ︵一︶平等原則と﹁行政の自己拘束﹂ ドイツでは、伝統的に行政規則が外部効果をもつ可能性が認められている。これは憲法上の平等原則を根拠とする、 ﹁行政の自己拘束︵ω①8ω9日位仁ロσQgRくR≦巴εOσq︶﹂の結果であると説明されるのが一般的である。その考え方によ れば、行政規則が適用されることによって、一定の基準にもとづく行政活動が繰り返し行われることになるが、これは 行政機関が自ら、自己の行動を拘束したものとみることができる。そして、これは基本法三条一項の定める平等原則が、 特別な理由のない限り、同種の事案には同種の行政活動をもって応えるべきであることを要請している、ということに よって根拠づけることができる。したがって、行政規則に違反した行政活動は、それを正当化する特別の理由がない限 り、平等原則に違反したが故に違法という評価が下されることになる。わが国では、画一的な取り扱いには例外が存在 するということを理由に、こうした考え方に対して消極的な立場をとるかのごとき説明もある。しかし、たとえば行政 規則を根拠に金額を決定されている補助金について、特段の理由もなくある者に対してのみ、それとは異なる金額が交 付されたというように、明らかに平等原則に違反するという事例は十分に考えることができるであろう。例外が存在す ることを理由に平等原則の適用そのものを疑問に付すという考え方は、妥当とは考えられない。右の平等原則という ﹁原則﹂を認めることは、問題は、その﹁例外﹂との境界線をいかに適切に引くかという点にあるというべきであろう。 ︵二︶行政規則の類型化 やはり冒頭に述べたように、行政規則をめぐる法問題は、他の問題領域と交錯しているものが多く、後者を検討する ことによってすでに解決をみるという場合もある。以下、この点についての理論的な整理を概観し、行政規則に固有の

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白鴎法学第14巻2号(通巻第30号)(2007)16 問題とはなにかを明らかにしておこう。 ハルトムート・マウラー教授は、ドイツの代表的な行政法概説書のなかで、行政規則を以下のように分類したうえで 外部効果の有無について説明している。その第一は、公務員の事務に関する行政規則︵99ωマR鴇冴葺︶である。こ こで例にあげられている、ある官庁内での事務配分に関する行政規則といったものは、もっぱら内部の事務処理に関す るものであり、それに違反して行われた行政活動が違反となるわけではない。、行政活動を行う機関は、あくまで官庁に ほかならず、私人は、その内部に関する法令違反を問題にすることはできない、とされる。 第二の類型に属するのは、﹁規範を解釈する行政規則︵pRB日けΦ6お江R窪号くR≦餌︸露pσqω<自鶉日算 お○耳鋒仁巴畠窪8くR妻巴費pσqωく○誘oぼ葺︶﹂である︵これは、わが国でいうところの﹁解釈通達﹂に該当するものと いえよう︶。ある法令の規定の解釈を行政規則によって行っている場合に、それに違反して行われた行政活動の効力如 何という問題について、マウラー教授は、以下のような点を指摘している。まず、行政規則が法令の規定を正しく解釈 している場合、そこにはおよそ行政規則固有の法的問題が生じる余地はない。それに違反して行われた行政活動は、す なわち法令に違反すると考えられるからである。もっとも、法令の規定の解釈にあたっては、行政になんらかの解釈の 余地が認められる場合があるが、ドイツではこの点は、わが国と異なり非常に限定的に考えられている。問題は、行政

パカレ

規則による解釈が明らかに法令に違反している場合である。こうした違法な行政規則が存在した場合に、それに違反し た行政活動を違法と判断することはできるのか。この問題に対しては、マウラー教授は、﹁不法における平等なし ︵ぎぼΦ9色o浮①一江ヨC霞①o算︶﹂、﹁過ちの繰り返しを請求する権利なし︵恩日窪>拐b毎3◎象頴巨R設&Rぎ一巨σq︶﹂ という言葉を引きつつ、これを否定している。

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17行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) したがって、外部効果の問題が生じるのは、第三の類型、つまり﹁裁量の指針を示す行政規則︵RB8器霧H撃冨P8 くR≦巴εoσqωくR鶉日洋①⇒︶﹂、ないし﹁法律の委任を受けた行政規則︵σQΦω①冒くR霞①什窪号くR≦導仁pσqωく○おoぼ葺窪︶﹂ ︵その例としては、わが国の行政手続法が定める﹁審査基準﹂や﹁処分基準﹂もあげることができよう︶に、ほぼ限ら

パルロ

れることになる。この行政規則によって裁量基準が具体化され、それにもとづいた行政活動が行われているという実態 がある場合には、行政はーどのような法的構成をとるにせよ1原則として、その行政規則に拘束され、それに違反 した行政活動は違法となるという結論が導かれる︵もっとも、この際にも行政規則が法令に違反していないことが当然 の前提になる︶。これを換言すれば、こうした場合、行政規則には1少なくとも結果的に国民に対して一定の基 準に基づいて行政活動が行われることを保障する、という意味が認められるという点に、外部効果が認められるという ことになるのであろう。 ︵三︶いわゆる﹁直接的な外部効果﹂ 以上の説明は、行政規則そのものは行政内部にしか効果を及ぼさないことを前提に、法令等と同様に﹁あたかも外部 効果が備わっているように取扱われるべき﹂場合を説明したものである。これに対して、﹁行政規則そのものに外部効

パぬロ

果が備わっている﹂という考え方が主張されることがある。この考え方については、本稿の枠内では詳細には立ち入ら ないが、1その理由も含めて以下の点を指摘しておくにとどめておきたい。第一に、さきにも指摘したように、 行政規則を﹁外部効果をもたない法規範﹂と定義するわが国において支配的な理解によれば、この考え方は概念矛盾に 他ならないのであって、その意味では﹁比較﹂の対象外と位置づけざるを得ない。第二に、たとえば﹁行政規則に違反

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した行政活動が違法となる﹂という結論を導くには、必ずしも直接に外部効果を認める必要はなく、これを認める見解 との相違は、その意味で﹁説明の仕方の違い﹂に過ぎない。第三に、判例においても、明確に直接的な外部効果を認め たとされる判決があることが指摘されているが、その評価や射程距離については、さらに詳細な検討が必要と考えられ

パゆレ

ているようであり、これらの検討は、今後の課題としたい。 2判例理論の検討 以上に見たような意味で、つまり、直接的にではないにしても、行政規則に外部効果が認められること自体について は、ドイツの判例・学説の見解は一致している。以下では、その根拠や条件および限界をめぐる理論を、連邦行政裁判 所の判例の検討を通じて具体的に明らかにすることにしよう。 ︵一︶平等原則と行政の自己拘束 行政規則の外部効果をめぐる連邦行政裁判所の初期の判決としては、占領軍による土地収用に対する補償額が争われ

パあレ

た事件に関するものがある。当該補償額については﹁占領軍第一二師団財政部局の技術的指令五三号﹂︵99巳零冨 >P≦①一望ロσqZけ認9R国P餌P8巨く巨oPαRN一●>目B8σq毎bOΦくOB図。 。.○癖9R一。島≧三一一竃。。︶FTA五三に 規定が置かれていた。これは、イギリス占領軍がドイツの行政機関に対して損失補償額を連合軍のために決定すること を命ずるとともに、その基準を定めたものであった。FTA五三の法的性格については、過去の連邦行政裁判所の判決 において、それは法規定ではなく行政上の命令であり、原告は本規定ではなく、慣習法に基づいて補償を請求する権利

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を持つとされたことがある。本件では、FTA五三は法規範であるとする見解、パリ条約締結後に法規範となったとす る見解等が主張されたが、この問題について本判決は、以下のような判断を示している。 FTA五三が当初から法規範であったのか否か、あるいは後に法規範になったのか否かということについては、明らかにしない ままでよい。なぜならば、ある行政上の指示︵<R≦巴什巨σqωき≦Φ一撃poQ︶を長期間にわたり実施することにより、平等原則 ︵基本法三条一項︶の観点のもと、行政は自らを拘束するのであって、こうした拘束によって、当事者は個別の事例において、 自分の事例にも当該指示を適用することを訴訟によって要求することができるようになる、という行政法の一般的原則が存在す るからである。 19行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) 右の判断をもとに連邦行政裁判所は、所轄行政庁が土地収用に対する補償額を決定する際にFTA五三を常に適用し ているという事実によって、個々の事例において国民に対してもFTA五三にたとえそれが法規範である条件を充 たしていないとしても拘束されること等を説き、つぎのような結論を導いている。すなわち、﹁以上のことによっ て、FTA五三は、それが法規定としての性格をもつのか行政上の命令としての性格をもつのかにかかわりなくー 1平等原則を考慮して、ひとつの法的根拠となったのである。この根拠にもとづいて、土地収用によって損害を受けた ものは、行政訴訟を通じて実現可能な、損出補償額を決定することを求めることができるのである﹂と。 以上のように本判決は、行政規則の外部効果の問題そのものに対して、正面から解答を与えたものではない。しかし、 比較的早い時期に連邦行政裁判所がこうした判断を示したことによって、この問題の位置づけに関する次のような仮説

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が考えられることになろう。それは、﹁行政規則の外部効果の問題は、それ自体が独自の問題領域を形成しているので はなく、実は、平等原則違反を理由とする行政活動の違法性をめぐる問題の一環にすぎず、それを比喩的に表現したも のではないか﹂、というものである。この点については、しかし、後に改めて立ち入ることとして、判例理論の展開を さらに跡づけてみることにしよう。 ︵二︶解釈通達と外部効果 ﹁解釈通達﹂をめぐる問題のリーディングケースとしては、以下のような連邦行政裁判所の判決がある。原告は職業 訓練学校に通学しており、後に見る兵役義務法︵ミ讐e自9品8Φ臼Bq①H男窃撃pσq<OB図。 。●⑩﹂。8︶の規定にも とづき、卒業まで兵役を猶予されていた。卒業後、さらに原告は三年間の予定で技術者養成学校に入学したが、入学後 まもなく、兵役に招集された。これを不服として、原告は不服申立てなどを行った後、第一審で勝訴したが、これに対 して国が上告していた。 兵役義務法一二条四項一文によれば、兵役義務者は、兵役に入ることが、家庭、仕事、経済上の理由で自己にとって 特別な困難を意味する場合には、申請に基づいて兵役の猶予を受けることができる、とされていた。同法一二条四項二 文三号は、この﹁特別な困難﹂は、通常、兵役への召集が、ある教育課程が相当に進んだ後に中断することになる場合 に認められると規定していた︵判例によれば、これは最低でも兵役義務者が教育課程の三分の一を終えている場合に認 められる︶。以上の兵役猶予の要件を原告が充たしていないことは、事実から明らかである。 これに対して原告は、﹁免除中の兵役義務者の検査および招集のための行政規則﹂における以下のような規定を根拠

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21行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) に、兵役の招集が違法である旨を主張した。すなわち同行政規則は、兵役義務法二一条に関連して、﹁技術学校、建築 学校あるいはそれに相当する学校の授業を受講し、教育課程が開始する以前に召集されることができなかった兵役義務 者にあっては、四項三号による免除の要件は、教育課程の最初から存在しているとみなす﹂という規定をもっていた。 第一審では、平等原則および信頼保護の原則を根拠に、原告は、右の行政規則の適用を求める権利をもつと判断され たが、連邦行政裁判所は、以下のような論理によってこれを否定している。同裁判所も、行政の自己拘束を否定してい るわけではない。ただし、それが認められるのは、﹁行政が⋮客観的な法秩序によって決定の自由を与えられたところ、 つまり、一定の要件が存在する場合に、最終的にその裁量によって決定することを認められた授権の領域においてのみ﹂ である。この領域においては、﹁その他の裁量権行使から、実質的な理由なく、違反してはならないという主張をする 私人の権利﹂が認められるが、本件については、次のようにこの法理が該当しない事例であるという判断が示されてい ハぬレ る。 こうした意味で下級庁の裁量権行使を規制する行政規則に、ここで問題となっている兵役義務法二一条四項二文に関する行政規 則は含まれない。こうした裁量権の行使について、当該行政規則は規定していないのである。その内容はむしろ、いかなる条件 のもとで、一定の範囲の兵役義務者について、法律の定めた免除の要件が﹁存在するとみなさ﹂なければならないのか、という 問題への解答のみに限られている。したがって行政規則に規定されているのは、裁量権行使に対する指示ではなく、裁量権が認 められる事実の解釈なのである。以上のような法を解釈する行政規則、ないし規範を解釈する行政規則は、すでにその性質から して、行政の自己拘束の基礎とはならないのである。

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右のような考え方から連邦行政裁判所は、本件のように法令の規定に行政規則が違反する場合、﹁行政規則に含まれ る法の解釈およびそれに基づいて行われた判断は誤りと判断され、その結果、違法となる﹂という結論を導いている。 もっとも本件は、行政規則にもとづいて、法令が許していない権利侵害が行われているのではなく、法令が予見してい ない利益が認められている場合である。こうした事情にかんがみて、同裁判所はさらに、以下のような補足的な説明を

パリロ

している。すなわち、この場合においても、右の結論は変わらない。その主たる理由は、まず、法律の優位の原則によっ て求められる。すなわち、法律に違反する行政規則を適用して行政活動を行うことはそれが継続的になされていて もi行政は法律と法に拘束されるとする基本法二〇条三項の規定に違反することになる。また、平等原則には﹁限界﹂ があり、法に違反する平等な取り扱いを求め、あるいはそれを保障することは認められない。最後に、信義則によって も結論を変えることはできない。行政規則にもとづいて法令が認めていない利益を与えていることは、それが自分にも 適用されるかもしれないという期待を、潜在的な該当者に抱かせるかもしれない。しかし、このことは法律に違反する 行政活動を求めることを根拠づけるものではないからである。 本判決の理論は、行政規則の外部効果をめぐる議論に、次のような理論的枠組みを示したものといえよう。すなわち、 本件のような﹁解釈通達﹂は、それが法を解釈したものである以上、いわば法律と一体をなすものということができる。 したがって、行政規則の法解釈が適法である以上、行政規則に適合︵違反︶した行政活動は、同時に法律に適合︵違反︶ することにもなり、当然に適法︵違法︶となる。これは行政規則が外部効果をもっていると表現することもできるが、 それは法律が外部効果をもつことの当然の帰結である。逆に、行政規則の法解釈が法律に違反していれば、それには外 部効果も含めて、およそ何らかの法的効果が生じる余地はない。

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23行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) ︵三︶裁量基準に関する判決 上記判決で明らかになったように、行政規則の外部効果が認められるためには、法令が行政機関に独自の判断の余地 を認めており、その範囲内において行政規則が制定されていることが必要となる。こうした裁量基準に関する行政規則 をめぐる判例としては、やはり兵役義務に関する事件における連邦行政裁判所の判決があげられる。 この事件では、原告は、戦争で負傷し障害を持った父親の経営する農家の経営に必要であるとして兵役の免除を申請 したが、これを拒否する処分が下されたことを不服として、訴えを提起した。原告は第一審では勝訴したが、国側が上 告していた。これに対して、連邦行政裁判所は、以下のような見解を示している。 兵役義務法によれば、兵役の免除は、兵役義務者のすべての兄弟、兄弟がいない場合にはすべての姉妹が戦災で死亡 している場合︵一一条二項一号︶、兵役義務者が生存する唯一の息子で、その父親または母親あるいはその両方が戦災 で死亡している場合︵同項二号︶に認められる。その一方で、行政規則である防衛官庁に対する通達は、﹁戦災で未亡 人となった者および重度の障害を負った者に複数の息子がいる場合、そのうちの一名は基礎兵役︹一五ヶ月︺に召集さ れない﹂としていた。連邦行政裁判所によれば、これは、上記の判決における﹁規範を解釈する行政規則︵﹁解釈通達﹂︶﹂ とは異なり、法律が予見していない兵役の例外を導入したことを意味する。これが認められるのは、行政が、裁量権の 認められた範囲において通達を発した場合である。しかし、本件のように、一定の範囲の兵役義務者を優遇する規律を 行う行政規則は、法律の設けた限界を超えると考えられる。なぜならば、それは他の兵役義務者の負担となる兵員補充 の原因となるのであって、権利保護の理由からも、平等取扱いの原則に対応する兵役義務法の平等な実施のためにも、 ↓般的な兵役義務の例外の要件を定めることは、立法者に留保されていなければならない。以上の考え方から、﹁原告

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は、兵役免除を主張するために、被告が常に当該行政規則に従って行政を行っていることを⋮拠り所とはできない⋮﹂ という帰結を導いている。 本判決が示すように、いかなる事項が行政規則を制定することができる裁量権に属するのかという問題には、さらな る検討を必要とする論点が含まれている。すなわち、行政に裁量権を与えた法律とその裁量権にもとづいて制定された 行政規則との関係、という論点である。これについては、岩橋健定の法律と条例との関係に関する整理を参考に、つぎ のように考えることができるであろう。その第一は、行政規則が法律の定めている要件を変更する場合である。この関 係は、しかし、すでにみた法令の解釈に該当するものであり、ここに位置づけるのは不適当であろう。いずれにしても このような行政規則の制定は、法律に違反すると考えられる。第二は、行政規則が法律によって与えられた裁量権につ いて、法律によって認められた範囲内で基準を設定する場合である。これが通常の行政規則の機能であり、この場合に は行政規則は適法であると考えられる。そして、この場合には﹁外部効果﹂が認められることになる。第三は、本件の ように行政規則が、法律とは異なる要件と効果を定めている場合である。こうしたいわば法律と﹁平行﹂に制定された 行政規則については、それが法律の与えた裁量権の範囲内なのかという問題から、その適法性が考えられることになり、 いわゆる﹁法律の留保﹂の原則が、行政規則との関連で適用されることによって問題の解決が図られているということ ができよう。そして、行政規則が適法である場合には、やはり外部効果が認められることになろう。 ︵四︶その他の問題に関する判決 これまで行政規則の外部効果の問題についての基本的な理論構造にかかわる判例理論を見てきたが、 以下では、まだ

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25行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) 触れていない論点についての判例の見解を、要点のみ確認してくことにしよう。 ①信義則の適用 さきにみた判決でも触れられていたが、行政規則に信義則を適用して外部効果をみとめること、すなわち、行政規則 を信頼したことを根拠にそれに基づいた運用を求める権利が保障されるという主張は、原則として認められていない。 ここでは、行政規則の改正による補助金の削減と信頼保護との関係が問題とされた連邦行政裁判所の判決を見ておこ パがロ う。ノルトライン・ヴェストファーレン州では、介護保険事務所の人件費に対する補助金が交付されており、その額は 一九八三年の同州厚労大臣の行政規則によって定められていたところ、同大臣は、一九八九年に非公開の措置によって 当該補助金の削減を決定した。同年、この決定にもとづく金額の補助金が支払われたが、原告はこれに対して不服申立 てを行った結果、一部追加支給がなされた。しかし原告は、これを不服として、削減前の補助金全額の支払いを求めて 出訴した。 連邦行政裁判所は、第一審と同様に訴えを棄却したが、その判決のなかで行政規則の改正による補助金の削減と信頼

パぴロ

保護との関係について次のように述べている。すなわち、補助金の削減措置は、信頼保護の原則には反しない。原告が、 一九八三年の基準に従い長期間、補助金を受給していたとしても、それは、将来もその額が変更されないことへの保護 に値する信頼の根拠とはならないのである。一九八三年の公開の基準が、一九八九年の非公開の措置によって変更され たことも、この結論に影響を与えない。行政規則は、一般に公開を義務づけられてはおらず、行政は、それを公開する こともできれば、単に下級庁に対してのみ告示することもできるのである。もっとも、行政規則によって、行政がその どちらかへと義務づけられているのであれば、その規定は、行政がそのような手続を踏むであろうという信頼の根拠と

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はなろう。しかし、一九八三年の基準には、そのような規定は見当たらないのであって、規定が公開されるという信頼 を根拠付けることはできないのである。 このように、違法な行政規則への信頼は保護されないというだけではなく、行政規則が変更されないという信頼の保 護も判例においては認められてはいない。もっとも、ある行政規則が、具体的な状況において、個人に対しての確約と いう意味をもった場合には、それに対する信頼が保護されるという判決もある。しかし、これは行政規則そのものよ りも、﹁確約﹂への信頼が保護されるという事理を述べたものと理解すべきであろう。なお、これまで触れられていな いケースとして、行政規則に違反する行政活動が行われた場合に、それは信頼保護の原則を破るものなのではないかと いう問題があろう。そのように構成することも不可能ではないと思われるが、この場合には﹁平等原則﹂違反という理 由づけによって、当該行政活動が違法となるという結論が出されているために、あえてこの文脈で論じる必要はないで あろう。 ②例外的事例 ここでいう﹁例外的事例︵窪旨δ9R勺﹄︶﹂とは、本来、行政規則の対象となっている事例でありながら、その例 外的な性格のゆえに、行政規則の規定するところとは異なる対応をすることが適切かつ適法であると考えられるものの ことをいう。行政規則の外部効果を認めるドイツにあっても、こうしたケースが認められていることは注目に値しよう。 例外的事例に関する連邦行政裁判所の見解が示された判例としては、外国人少年がドイツ国内の両親とともに生活す るための滞在許可について、行政規則の規定と異なり、一六歳以上については認めないこととした措置をめぐるものが パぬロ ある。この措置は、連邦政府の閣議決定に対応してなされたものであり、その理由としては、経験上、外国人少年が比

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27行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) 較的年長になってからドイツ国内で生活することに伴い生じる問題を考慮したものである、とされていた。 こうした措置について連邦憲法裁判所は、以下のような理由で適法であるという判断を示している。すなわち、一般 的な原則からして、例外的な事例においては行政規則とは異なる裁量権の行使を行うことは排除されないが、その場合 には、その事例について特別な考慮をすることが要求される。また、上記連邦政府の決議は、滞在を認めないことが困 難をともない、かつ、外国人少年がドイツ社会で生活することに懸念がない場合には、滞在許可の制限は行わないこと としている。比例原則は、個々のケースでは、行政規則とは異なる対応を要求することすらありうるのである。あらゆ る状況を慎重に考慮するためには、少年が故郷にいることができた状況が根本的に変わってしまったこと、両親が故郷 にもどることが現時点では考えられないことなどの理由で、ドイツ国内で両親と少年がともに生活することが優先され るべきかを検討する必要がある。 本稿で検討している場合のように、さしあたり行政規則をそれ自体は外部効果を備えていない行政内部の法規範であ ると捉える場合、その例外を認めることは必ずしも排除されない。また、このことは行政規則をめぐる問題の柔軟な対 応を実現し、外部効果を認める際に問題となりうる﹁硬直的な運用による支障﹂を防ぐという効果も認められる。平等 原則の適用と例外的事例における適切な判断は、両立しうるものであるという判断は、わが国において行政規則に外部 効果を認めることに対する懸念があることを思うと、重要な意味があるといえるであろう。

3h舌!⊥す

以上、ドイツにおける行政規則の外部効果に関する議論について判例理論を中心に見てきたが、 いま一度、その要点

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を整理してまとめておくこととしよう。 行政規則の外部効果は、﹁平等原則を根拠とする行政の自己拘束﹂という考え方によって、ドイツの判例・学説が承 認するところとなっている。もっとも、それが認められるためには、いくつかの条件が充たされる必要がある。その第 一は、行政規則が単なる法律の解釈にとどまらず、法律によって与えられた裁量権行使の基準を定めたものである、と いうことである。行政に判断の余地が認められていない場合、行政活動の違法性は法律の規定に照らして判断されるこ とになるため、行政規則の外部効果について語る余地はない。第二に、行政規則が裁量権行使の基準を定めた場合であっ ても、外部効果が認められるためには、それが裁量権の範囲内であること︵わが国でいう﹁裁量権の逸脱・濫用﹂となっ ていないこと︶が必要である。すなわち、法令に抵触する行政規則や法令に規定すべきことを規定している行政規則は、 ﹁法律の優位﹂や﹁法律の留保﹂の原則に違反する違法なものと判断される結果、外部効果は認められない。第三に、 以上の条件が充たされた場合であっても、例外的な事例については、行政規則とは異なる対応をすることが認められて おり、場合によってはそれを要請されることすらある。この場合には、特別の理由づけが求められるが、それが適正な ものである限り、その対応は適法であると判断され、行政規則には外部効果が認められない結果となる。

四わが国の判例理論への示唆

ここで、以上の検討の結論として、わが国の行政規則の外部効果をめぐる議論における論点すなわち、﹁外部効果﹂

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の理論的位置づけ、その実体法・訴訟法上の帰結、 どについての示唆をまとめておくとにしよう。 とくに行政手続法の定める処分基準・審査基準違反の処分の効力な 29行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) 1﹁外部効果﹂の理論的位置づけ さきに、ドイツでは行政規則の外部効果の問題は、それ自体が独自の問題領域を形成しているのではなく、実は、平 等原則違反を理由とする行政活動の違法性をめぐる問題の一環にすぎず、それを比喩的に表現したものではないか、と いう指摘をしたが、以下では、まず、この点について敷術をしておこう。冒頭でも述べたように、﹁行政規則そのもの には外部効果はない﹂という理解から出発する以上、それを認めることは概念矛盾にほかならない。本稿で紹介した議 論で使われている﹁外部効果﹂という概念は、したがって、行政規則に違反して行われた行政活動の効力について、そ れが﹁外部効果﹂をもつ法令の場合と同様に考えることができるのか、という問題を表すためものであると考えること ができる。こうした﹁外部効果﹂という概念の用い方が混乱を招くというのであれば、たとえば﹁外部化現象﹂といっ

パゆロ

た他の用語を用いてもよいであろう。 さて、わが国の判例において本稿で﹁原理的﹂と呼んだ思考法は、﹁行政規則そのものには外部効果はない﹂という 出発点から、直接、すべての問題について解答を導く傾向を強くもつものであるが、こうした傾向は、すでに指摘した ように、行政手続法の裁量基準の解釈にあたって妥当とは考えられないばかりか、すでに方法論のレベルで問題を含む ことは、右の説明からも明らかであろう。他方、判例における本稿で﹁経験的﹂と呼んだ思考法は、行政規則が実際の 事件においてもつ﹁法的意味﹂を考慮に入れ、平等原則などを媒介として問題を解決しようとするものである。こうし

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た傾向は、﹁平等原則を根拠とする行政の自己拘束﹂というドイツの理論構成とは異なるものの、結果的にそれと共通 するものをもつといえよう。しかし、こうした思考がどのような結論をもたらすのかは、わが国の判例において十分に 展開されているとはいい難いことも、すでに指摘したとおりである。そこで以下では、わが国の判例において指摘され た、いくつかの重要な論点について検討を加えておこう。 2外部効果をめぐる論点について ﹁墓地埋葬通達等取消請求事件﹂の最高裁判決では、︵一︶通達違反の処分をした場合でも、そのことを理由として、 その処分の効力が左右されない、︵二︶裁判所は、通達に示された法令の解釈とは異なる独自の解釈をすることができ、 通達に定める取扱いが法の趣旨に反するときは独自にその違法を判定することもできる、︵三︶行政規則の取消を求め る訴えは、国民がそれに拘束されることがないゆえに却下される、という判断が示された。原理的思考によって導かれ たこれらの帰結は、本稿で検討したところからはどのように評価されるべきであろうか。 ︵一︶まず、通達違反の処分をした場合、﹁そのことを理由として、その処分の効力が左右されない﹂という命題は、 本判決のようにそれを最終的な結論であるとすれば、明らかに不十分であろう。通達違反の処分が行われた場合には、 それが過去に通達に従って行われた処分とは異なる結果、当該処分の相手方に対して、他の者にはない不利益をもたら している可能性がある︵たとえば、通達によって定められた基準を下回る額の補助金しか交付されなかった場合︶。こ うした処分について、平等原則違反を理由に違法とされる余地がないとは、到底考えられないであろう。もっとも、こ のことは通達違反の処分が、直ちに違法となるということを意味するのではない。例外的な状況において行政規則と異

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31行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) なる対応をすることは、平等原則に違反しないばかりか、むしろ積極的に求められるものであることは、すでに見たと おりである。しかし、例外が存在することを理由に、原則そのものを否定すること必要がないことも、いうまでもない であろう。 ︵二︶﹁裁判所は、通達に示された法令の解釈とは異なる独自の解釈をすることができる﹂という命題は、基本的に正 しいといえるであろう。ただし、いわゆる﹁要件裁量﹂というものを語るわが国の行政法理論によれば、ここにも行政 の裁量が働く余地が広く認められている。この場合に、通達による法令の解釈は、たとえ裁判所のそれとは異なってい たとしても適法とされる結果、そこに外部効果が認められることになる。わが国では、ドイツに比べて行政の裁量を広 く認める傾向があるが、このことは、﹁法律による拘束﹂の範囲を狭める一方で、行政規則の外部効果が認められるこ とで、﹁行政の自己拘束﹂の範囲が広くなる結果、ある意味で行政の拘束をより強めることになる現象が生じる可能性 があることを指摘しておきたい。一例をあげれば、ある行政規則が法律に違反していると判断された場合、その規則お よびそれにもとづいて行われた行政活動は違法・無効となるため、二定の行政活動が禁止される﹂という拘束を受け ることになる。この場合には、ただし、それ以外の行政活動について行政はこれを自由に行うことができる。これに対 して、ある行政規則が裁量権の範囲内にあるとして適法と判断された場合には、行政は、原則として、それにもとづい て、﹁一定の行政活動を行わなければならない﹂という拘束を受けることになるのである。 ︵三︶﹁行政規則の取消を求める訴えは却下される﹂という命題については、以下のように考えることができよう。行 政規則の制定を取消訴訟の対象である﹁処分﹂と見ることができるかどうかは、確かに疑問である場合も多いであろう が、二〇〇四年の行政事件訴訟改正に伴って規定された﹁公法上の法律関係に関する確認の訴えに関する訴訟﹂を提起

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白鴎法学第14巻2号(通巻第30号)(2007)32 した場合、これをすべて却下することは許されないと思われる。これに関連して注目されるのは、﹁長野勤務評定事件﹂

パおロ

の最高裁判決である。本件は、長野県教育委員会教育長の通達が、同県立高等学校教員に対し、その職務、勤務、研修 などにつき、勤務評定書に自己観察の結果を表示すべきことを命じているのは、憲法および教育基本法に違反するもの であり、右自己観察の結果を表示する義務を負わないことの確認を求めた事件である。本件の判決のなかで最高裁は、

ハリレ

以下のような見解を示し、訴えを却下している。 具体的・現実的な争訟の解決を目的とする現行訴訟制度のもとにおいては、義務違反の結果として将来なんらかの不利益処分を 受けるおそれがあるというだけで、その処分の発動を差止めるため、事前に右義務の存否の確定を求めることが当然許されるわ けではなく、当該義務の履行によつて侵害を受ける権利の性質およびその侵害の程度、違反に対する制裁としての不利益処分の 確実性およびその内容または性質等に照らし、右処分を受けてからこれに関する訴訟のなかで事後的に義務の存否を争つたので は回復しがたい重大な損害を被るおそれがある等、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がある場合は格 別、そうでないかぎり、あらかじめ右のような義務の存否の確定を求める法律上の利益を認めることはできないものと解すべき である。 改正後の行政事件訴訟法においては、﹁取消訴訟中心主義︵行政処分後の取消訴訟さえ提起されれば、原則として法 的救済としては十分であるとする行訴法解釈︶と共通の発想を訴えの利益論として展開する﹂という﹁カテゴリカルな

ハレ

判断は慎まれるべき﹂であるとすれば、本件通達に対して、﹁公法上の法律関係に関する確認の訴えに関する訴訟﹂を

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提起し、義務の存否の確定を求めることは、十分な検討に値しよう。そもそも、行政規則に外部効果を認めることは、 ﹁違法な﹂行政処分が行われたことにより、なんらかの不利益が生じることを前提としていた。﹁確認訴訟﹂において は、この前提が不必要となる結果、行政規則が司法審査を受ける範囲は、格段に広がることになろう。 33行政規則・外部効果・裁量基準(渡邊) 3行政手続法の解釈 以上のように、行政規則の外部効果をめぐる議論はかなり広範囲に及ぶが、最後に、本稿の検討のきっかけとなった 行政手続法の解釈問題について考えてみることにしよう。わが国では冒頭でもみたように、行政手続法に違反したこと が処分の違法性にどのような影響を与えるかという点については、見解が分かれている。その理由としては、行政手続 法の諸規定が、もっぱら﹁行政庁の許認可処分の透明性と公正さを確保するために設けられた規定﹂にすぎないのか、 あるいは、それにとどまらず﹁行政手続法は、その適用を受ける処分について、申請者等に対し、同法の規定する適正

パあロ

な手続によって行政処分を受ける権利を保障した﹂ものであるのか、という理解の相違があげられよう。この問題につ いては、それ自体、行政手続法独自の問題として詳細な検討を必要とするものであることは確かであろう。しかし、審 査基準・処分基準に違反した行政処分の効力如何という問題は、同時に行政規則の外部効果にかかわるものでもあるこ とには注意が必要である。そして、これらの基準は、まさに、ドイツの議論にいう﹁裁量基準﹂にほかならず、外部効 果をもつ行政規則の類型に該当すると思われる。ある処分が、これらの行政手続法上の基準に従って恒常的に行われて いる場合には、これに違反してなされた処分については、平等原則違反に違反する違法な処分であるという結論が導か れることになると思われる。

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