著者
李 永祥, 林 梅
雑誌名
関西学院大学先端社会研究所紀要 = Annual review
of the institute for advanced social research
号
8
ページ
19-42
発行年
2012-10-31
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 論 文
1
.はじめに
本稿では、中国西南少数民族地域における持続可能な発展について、環境の安全性をめぐる郷村 発展と国家権力の関係をもとに議論することを目的にする。議論の対象となる中国の西南地域は、 多くの民族が辺境に沿って広範囲に分布している。宗教・文化は多様であり、経済発展や教育の普 及は他の地域よりも遅れている。本稿では、小康社会2)、持続可能な発展、社会主義の構築、和諧 ────────────── 1)本稿は、李永祥氏の著書『国家権力と民族地域における持続可能な発展−雲南哀牢山岳地帯の環境、発展 と政策の人類学的考察』(2008)における第 6 章部分である。本稿の 1 節と 2 節に関しては、著書の第 1 章「調査対象地、用語定義及び方法論」と第 2 章「主な観点及びその理論的背景」を参考に訳者が構成し た。なお、中国に特有の小康社会や和諧社会などの用語に関する注釈も訳者によるものである。訳者によ る注に関しては、内容の後ろに(訳者)と表記する。 2)衣食住、教育、保健などをめぐる最小限の必要が満たされたうえ、生活状態がある程度裕福である状態を いう。江沢民総書記は、2001 年に中国で小康の初期段階が達成され、2010 年までに「全面的な小康社会」 の建設を目指すと発表した(訳者)。環境の安全性をめぐる郷村発展と国家権力
1)李
永 祥
著林
梅
訳 (関西学院大学先端社会研究所専任研究員) 要 旨 本稿では、中国西南少数民族地域における持続可能な発展について、環 境の安全性をめぐる郷村発展と国家権力の関係をもとに議論することを目的にした。主 に、国家権力による郷村発展に対する関心事、村民に対するサービス、地方の郷村発展に 対する評価などと、環境問題と関連する持続可能な発展、環境の安全、そして資源管理と 分配といった問題を中心に検討するために、中国雲南省新平イ族タイ族自治県水塘鎮の大 規模地滑りによる土石流に注目した。水塘鎮におけるタイ族村、漢族村、イ族村を調査対 象にして、土石流による災害状況と災害後の対応を詳細に考察し、紅河流域の郷村発展、 環境変化、国家権力及び民族関係について論じた本稿の考察・分析は、少数民族地域にお ける和諧社会の構築を反映する縮図となっている。その結果、土石流による地質災害と、 それらによる人類の生活に対する影響を明らかにし、郷村政策、環境安全および経済発展 を総合的研究の範疇に入れた持続可能な発展の論理問題を考えなければならないことを明 確にした。 キーワード 国家権力、郷村発展、持続可能な発展、土石流、民族関係社会3)の実現に関して、当該地域に存在する以下の問題に注目する。 第一に、国家権力と郷村発展の関係である。この問題の中核は、国家権力が郷村発展のどういう 側面に注目しているのか、村民に対してどのようなサービスを行っているのか、さらに、地方の郷 村発展政策をどう評価しているのかという 3 点である。 第二に、環境問題と持続可能な発展の関係において、持続可能な発展、環境の安全、そして資源 管理と分配がこの問題の中心となる。西南少数民族地域は、土石流などの自然災害が多発する地域 で、国家の環境保全と資源分配政策が該当地域の経済発展と和諧社会の建設に直接影響し、人間と 資源の関係が、人と人、人と政府との関係に直接影響する地域である。 上記のような国家権力には次のような内容が含まれている。まず、中央と地方の利益衝突と対峙 である。国家の発展と地方の発展をつなぐ資源分配、税収、発展計画と投資などをめぐって生じる 中央と地方の利益関係が実質的な問題となる。次に、国家と農民の関係である。各行政レベルにお ける党委員会と人民政府は国家権力の代表機関であり、特定の地域における国家権力は、その地域 の党委員会と人民政府を指す。地域における党委員会と政府は一級人民政府機関として、国家の政 策を実行する。そのために、国家と農民の関係は、多くの場合、地域の人民政府機関と農民との関 係として現れ、農村地域の経済発展、郷村の和諧社会の構築と社会主義新農村建設4)の中核部分に なるのである。 環境問題と持続可能な発展とは、まず、環境安全と社会調和の問題である。環境安全は、環境資 源の消尽と、社会的衝突、自然環境のリスク(土石流、洪水など)が社会にもたらす影響を含む。 次に、自然資源の管理と分配の問題である。このような問題には、中央と地方の資源分配、国家と 農民、農民と企業、企業と企業など異なるグループ間の利益の衝突が絡んでおり、その中核に国家 権力がある。さらに、持続可能な発展と和諧社会の問題だが、目的が設定されたのみで実践には至 ってない問題がある。哀牢山における土石流と洪水による被害は、自然環境からの人類の安全に対 する警告であることを意味するにもかかわらず、持続可能な発展理論は不完全なままである。和諧 社会も果たすべき目標ではあるものの、いまだスローガンの段階に留まっている。 以上のような問題関心のもと本稿が注目したのが雲南省新平イ族タイ族自治県水塘鎮である。
2
.調査対象と調査方法
2. 1.調査対象地−雲南省新平イ族タイ族自治県水塘鎮 新平イ族タイ族自治県は、哀牢山の中間地帯の西側にある紅河流域に位置し、総面積が 4223 km2 、最高標高が 3169 m、最低標高が 422 m である。県の総人口は 26 万人で、6 つの郷と 6 つの 鎮に分かれている。1982 年に国務院の同意を経て、イ族とタイ族を自治民族とする新平イ族タイ ────────────── 3)2004 年、中国共産党中央委員会第 6 回会議で発表されたスローガンであり、各階層間の社会的調和を目指 すことを意味する(訳者)。 4)中国共産党第 16 期中央委員会の第 5 回全体会議でスローガンとして打ち出され、都市と農村の格差を減 らすことを目標に、農村のインフラ整備を行い、都市のような公共サービスを農村に拡大させることを意 味する(訳者)。族自治県が成立した。県内にはそのほか、ハニ族、ラフ族、回族と漢族がおり、少数民族が全人口 の 70.3% を占めている。2004 年の農民一人当たりの平均収入は 2420 元で、一人あたりの耕地面積 は 1.4 ムー(1 ムー=約 99.174 m2 )である5)。 新平におけるイ族人口は 12.79 万人で、いくつかの支系6)に分かれている。本稿の調査対象は、 主に哀牢山と近隣地区に居住している腊魯系7)のイ族で、彼らの社会には言語はあるが文字はな い。新平のタイ族人口は 3.8 万人で、タイ雅系は漠沙鎮、タイ卡系は腰街鎮、タイ洒系は戛洒と水 塘鎮、タイ角折は平掌郷に分布している。そのほか、県内のハニ族、ラフ族、回族の人口は合わせ て約 1.7 万人であり、ハニ族は建新郷、平掌郷と漠沙鎮、ラフ族は平掌郷、腰街と水塘鎮、回族は 主に新平県所在地などを中心に商業を行っている。 新平イ族タイ族自治県水塘鎮は、山の上と下にある大きな二つの貯水池の間に位置している。上 の池は上!塘、下の池は下!塘とそれぞれ称されており、水塘という地名はここに由来する。上! 塘は水塘鎮政府の所在地であり、市場もある鎮の中心地である。下!塘は交通要塞の地として飲食 店などが集中している。水塘鎮の標高は 530 m(紅河岸)から 3169 m(哀牢山の最高峰である大 磨岩山)の間で、鎮行政機関の所在地は標高 800 m の場所にある。鎮の総面積は 309 km2 、一人当 たりの耕作地面積は 1.08 ムーである。鎮は 10 の村民委員会、96 の村民小組、118 の自然村で構成 されている。以下では、調査対象としての水塘鎮の大口、現刀、南達など三つの村民委員会を紹介 する。 まず、水塘鎮の大口村民委員会である。大口村民委員会には 8 の村民小組に、8 の自然村が存在 し、511 戸の農家に 2116 人の村民が生活するなかで、腊魯系イ族が 65% を占めていた。大口村民 委員会は、標高 1000 m から 2000 m の間の山の中腹に位置し、村民委員会は標高 1100 m 地点にあ る。耕地面積は 1229 ムーで、一人当たりの耕地面積は 0.92 ムーである。大口村民委員会のなかの 自然村である核桃坪では、97 戸の農家に 354 人の村民が生活している。米、トウモロコシ、麦な どの穀物と、サトウキビ、バナナ、くるみなどの栽培、牛、豚、羊などの飼育が主な経済的収入源 となっている。1950 年代までこの地区には直径 2 m 以上の樹木があったが、現在はすべて伐採さ れている。冬期は寒さが厳しいために、村民は食事以外にも暖房用に多くの薪を必要とするからで ある。 2002年 8 月 14 日に水塘鎮では大規模地すべりによる土石流が発生し、大口村民委員会でも二カ 所で土石流が発生した。そのひとつに核桃坪で起きた幅 150 m 以上の土石流があり、5 つの家屋が 押し流された。もうひとつは大口村で起きた幅 30 m 以上の土石流で、こちらもいくつかの家屋が 押し流された。しかし、いずれも死傷者をだすことはなかった。その理由は、二カ所の土石流の発 生時刻は早朝の 4 時であったが、避難が組織的に秩序よく行われたからである。この件で、大口村 民委員会は上層機関の表彰を受けた。土石流発生後、核桃坪は山の斜面に位置するため、居住環境 ────────────── 5)新平イ族タイ族自治県県志が編集した 2005 年の『新平年鑑』による。 6)尼蘇、山蘇、車蘇、阿魯、腊魯、密里、羅武、拉鳥などの 8 支系である。 7)水塘鎮の腊魯系のイ族と同じ県内のもう一つの系統である尼ソ系のイ族には差異があって、腊魯系と尼ソ 系は互いに、相手が同民族であっても他のエスニシティとして認識しており、尼ソ人が尼ソ人にあったと き、あるいは腊魯人が腊魯人にあったときのような特別の親しみや情熱をもって、相手と接触することは ない。イ族における他の支系間の関係も同じで、イ族が多様な民族であることを表している。
が不安全であることが判明し、村全体の移住8)が必要となった。その移住先として、小麻卡、鍋底 塘、方家空房、易脚樹、老瓦厂と大口などの 6 つの村が決まった。このような村民の分散移住に対 しては、助けが必要なときにそれを求める相手がいなくなるという村民らの苦情がある。結果とし て、核桃坪の 97 戸の農家のなかで、17 戸が小麻卡、残りがその他の 5 つの村に分散移住した。小 麻卡にかんして注目すべき点は、この村には本来タイ族が居住しており、イ族の移住によって、異 なる民族が一つの村に居住することになり、単一民族村から多民族村へと変化したということであ る。そのほかにも、移住民にとって小麻卡は元の居住地から最も離れた村であるため、この村に移 住したイ族は元の居住地にある耕作地まで移動するのにかなりの時間を要し、労働負担が大幅に増 えたことがある。このような理由から、この村に対する移住研究は重要な意義を持っている。 次に取り上げるのは、水塘鎮の現刀村民委員会である。12 の自然村に、410 戸の農家があり、人 口は 1833 人である。現刀村民委員会の自然村である大麻卡では、47 戸の農家に 204 人の村民が生 活している。タイ族の村である小麻卡と大麻卡は、大麻卡河と呼ばれる河を挟んでいる。小麻卡に は 15 戸に 64 人(イ族の移住人口を除く)が居住している。大麻卡と小麻卡の間の距離は約 1 km で、小麻卡の村民はそれまで大麻卡河の下流に住んでいたが、河川の氾濫によって、大麻卡の所有 地である現在地に移ってきた。その際に、小麻卡は肥沃な水田と現在の居住地を交換したため、小 麻卡付近の土地は依然大麻卡の所有である。したがって、核桃坪などから小麻卡への移住に際する 土地の徴収問題は、土地を所有している大麻卡の村民と地方政府との交渉になり、小麻卡の村民と 話し合いをもつことはなかった。大麻卡の主な経済収入源はサトウキビ、穀物および熱帯地域の果 物などである。 水塘鎮の南達村民委員会は、14 の自然村に 686 戸の農家で構成されており、2644 人の村民が生 活している。南達村民委員会は大口と類似した地形に位置しており、山の上と山の中腹に分かれて いる。山の上の北方には麻栗樹、新房子、金竹林、大田などの村があり、南方には、童家山、雨 山、中塞、下塞などの村がある。山の中腹の北方は平掌村で、南方には大石板、大水井、松樹林、 大水磨、大秧田、空房などの村があり、村民委員会の所在地は大水磨村である。このなかで平掌村 は雑姓村であり、童氏の人々は浙江省からこの地にやってきてすでに六代目になっている。王氏の 人々は江西省から、鄧、胡、李、徐氏の人々は四川省から、陳、哈科底、而潘、施氏の人々は同じ 県内の他地域からやってきた。県外から来た人々は、主に明清時代に戦乱を避けてこの地にやって きたということである。一方、漢族は清の時代に派遣されてきた兵士のうち一万人以上がイ族民の 蜂起を鎮圧した後、そのまま哀牢山岳地帯に住み着いたと言われている。平掌田は、山の斜面に位 置し、周りをバナナ林が囲んでおり、村の下方に段々畑がある。主に米、トウモロコシなどの穀物 をつくり、サトウキビ、バナナ、くるみなどを栽培し、牛、羊、豚などを飼育している。 2. 2.調査地選択の学術的意義 上記の調査対象の三つの村のなかで、核桃坪はイ族村、平掌田は漢族村、大麻卡はタイ族村であ る。三つの村は、土石流、移住、郷村の発展、民族関係などによって互いに緊密に関連付けられて ────────────── 8)この場合の移住は、退去の意味合いも兼ねている。詳しい定義は「2.4 用語の定義」で行う(訳者)。
おり、代表的な村としての研究意義がある。土石流が発生するまで、これらの村の人々は互いに顔 は知っていても、村の間に必ず関係を結ばなければならないということはなかった。しかし、土石 流の発生によって村の間に避けられない関係が生まれ、利害関係が生じ、衝突が生まれることにな った。これに関しては以下のいくつかの側面から見ることができる。 第一に、土石流は山の中腹から流れ出ており、標高が高い地区から標高が低い地区へと被害をも たらした。一方で、標高が高い地区の生態環境は標高が低い地区ほど保護されておらず、標高が低 い地区の開発は標高が高い地区ほど進んでいない。また、一人当たりの土地面積も標高が低い地区 の方が多い。 第二に、土石流発生後、標高が高い地区の人々は標高の低い地区へ移住し、家屋建築用地として 多くの耕地を占めることになった。これは標高が低い地区の人々にとっては深刻な問題であり、多 くの人は自らの田畑をよそからきた人々に提供することを拒んだ。標高が低い地区は安価で土地を 徴収されたが、徴収に対する政府の補償価額は、被災民の移住が理由でなければ考えられないよう な設定であった。小麻卡には 45 戸の農家の移住が決まったが、一年目に家屋を建てて居住を始め たのはわずか 9 戸で、一部は家屋を建てたが移住はせず、一部は途中で建築を止めている。 第三に、土石流発生後の移住先の村にはモデル村と非モデル村がある。モデル村の「上海新村」 は、道路が整備され、そのうえ公衆トイレが 2 つ、バスケットボール場、公民館、緑化区などが完 備されている。これらの設備は、上海市人民政府による 200 万元の補助と、雲南省民政庁の 25 万 元の追加補助によって完備されたものである。被災後、上海村へは一日に何回も政府の幹部が視察 に訪れていたが、上海村から 1 km 離れた非モデル村の小麻卡へは、土地の抽選時以外に幹部がき たことはなかった。この小麻卡には公衆トイレもなければ、村民は道路、電気、水道などの整備も 他の村に比べて不十分であると村民も認識している。 このようなモデル村と非モデル村は、村の経済的な基盤に基づいて選択されており、民族間問題 に対する配慮に欠けている。現地政府が漢族村をモデル村に選んだ理由は、漢族の経済的基盤がイ 族よりもはるかに良いからである。では、なぜ平掌田の漢族と核桃坪のイ族の間に大きな経済格差 が存在するのだろうか。同じ標高に村を構え、同じ作物をつくり、一人当たりの土地面積も同じで ある二つの村で生じる経済格差についてはさらに深く議論する必要がある。 第四に、調査対象地を三つの村に絞っているが、それらが象徴的に表す問題は中国西南少数民族 集中区の郷村発展問題である。地方政府の立場からすると、郷村発展の問題の中核は経済発展であ り、人民の生活レベルを上げることである。しかし、経済的発展と人民の生活レベルの向上には、 教育、医療、社会保険、民主化と政治参加などの多くの問題が絡んでいる。 結果的に、新平イ族タイ族自治県水塘の三つの村を事例に挙げて、紅河流域の郷村発展、環境変 化、国家権力及び民族関係について論じる本稿の考察・分析は、結果として少数民族地域における 和諧社会の構築を反映する縮図となっている。 2. 3.調査方法 本稿における調査方法では、主に参与観察と、定性調査及び定量調査を結合させている。人類学 の一般的な方法である参与観察に関しては、村で村民と一緒に住みながら、日常生活を観察し、会
話を楽しむことなどで調査を行った。そのほか、国家権力にも言及する本稿の目的から、政府幹部 の村への視察に同行することにも多くの時間を費やし、幹部らの村における仕事の全般を観察し た。このように農民だけでなく、政府幹部、教師などとも親交を結び、深い友情を築くことで、調 査対象者の真の考え方や心の奥深くの意志を読み取ることを試みた。 そのほか、フィールドワークのなかで比較的よくつかわれる定性的調査方法と同時に、統計デー タの収集も重視した。人類学の伝統が一つの地域に対する民族誌調査を重視していることから、筆 者も調査対象地に対する時系列的な考察と記述を行った。昼間は外出して農民と話し合い、夜は調 査ノートを書き、翌日も引き続き観察し、前日の資料の補足を繰り返し行った。収集したデータに は、水塘鎮政府および村民委員会から提供されたものと、筆者および調査関係者が行った質問用紙 への回答も含まれている。 2. 4.用語の定義 まず、地方政府と国家権力についてである。中国の行政機関は中央から地方に至るまで、中央、 省(直轄市、自治区)、市(自治州)、県(区、県レベル市)、郷(鎮)など五つのレベルに区分さ れている。それぞれに党委員会と人民政府があり、村民委員会は村民自治単位であり、一級人民政 府ではない。村民委員会主任と副主任は村民による直接選挙によって選ばれる。本稿における国家 権力は、広義では国家の最高権力を意味し、特殊な少数民族地域という狭義においてはこの地区の 党委員会と人民政府を指している。総体的に、中央一級人民政府は国家を代表し、国内外の公共事 務を行い、地方一級人民政府は地方における行政業務を行っている。また、いかなる一級人民政府 も上級人民政府に従わなければならず、権力の中核は中央政府にある。一方で、中央と地方の関係 は単純な上下関係ではなく、国家や集団と個人の関係は様々な利益分配問題によって複雑に絡み合 っている。中国の資源は、国家所有であり、たとえ一つの地域が非常に豊富な自然資源を保有して いるとしても、地方政府に比べて、上級人民政府がより大きい発言権、決定権と資源分配の権利を 持っている。 次に、民族とエスニシティについてである。「民族」は、スターリン時代のソ連に起源をもち、 共通地域、共通言語、経済生活と共通文化に現れる心理素質など、四つの「共通」をもった社会グ ループを指している。これに対して、エスニシティは、血縁関係と文化的特徴を共有している。例 えば、言語、飲食、服飾と慣習を共有する人類の集団で、このような血縁と文化的特徴をもって他 のエスニシティと区別される9)。同じエスニシティの人々は、社会文化が完全に一致する社会のな かで生活し、世代を経て受けつがれてきた不変的な文化を共有している10)。本稿における「民族」 の定義は、中国で一般的に使われる意味であるが、エスニシティは西洋の概念で、本稿では一つの 民族支系を指す。 さらに、移住の意味についてである。移住は、永久的に郷里を離れることだけでなく、付近への ──────────────
9)Harrell, Stevan, 1996 b,“Introduction.”In Melissa J, Browan, ed. Negotiating Ethnicities in China and Taiwan, pp.1−18, Berkeley : University of California Institute of East Asian Studies.
10)Keyes, Charles F, 1997,“Ethnic Groups, Ethnicity.”In The Blackwell Dictionary of Anthropology, edited by Tho-mas J, Barfield, Oxford : Basil Blackwell, pp.152−54.
転居など、一時的に郷里を離れることをも意味する。本稿における移住は後者で、一つの村から他 の村へ移り住むことを意味するが、移住した農家は、新しい村に田畑を持たず、それまでいた土地 に通いながら農作業を行わなければならないという状況がある。
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.「6. 2」洪水と「8. 14」大規模地滑りによる土石流
3. 1.2001 年の「6. 2」洪水 2001年 6 月 1 日、2 日の両日、新平県内の広い範囲で、大雨による洪水災害と山の地滑りが起き た。1500 戸の民家が押し流され、29 人が負傷、6 人が死亡、9.6 万人に達する人々が被害を受け た。また、7000 か所の道路が寸断され、109 基のダムの決壊および水の氾濫を受けただけでなく、 電力設備が損傷し、48 時間の停電が起きた。さらに、砂糖工場の倉庫も浸水し、砂糖 3200 トンの 損失が出た。県全体の直接的な経済損失は 211 億元に達し、現地政府はこの洪水を極めてまれであ ると見解を示した。 3. 2.2002 年の「8. 14」大規模地滑りによる土石流 2002年 8 月 14 日、雲南省の新平イ族タイ族自治県の水塘と戛酒の両鎮に跨る哀牢山の多くの箇 所で大規模地滑りによる土石流が発生した。水塘鎮金厂村民委員会芭蕉村はすべて押し流され、14 人の村人の全員が遭難した。新賽村公所曼糯村は村の半分が押し流され、17 人の村民が死亡した。 南達村公所大石板村、大水井村と松樹脚村ではそれぞれ 2 人が遭難し、水塘集鎮付近で 4 人が死亡 した。そのほか、戛洒鎮平田村民委員会岩村も土石流によって 63 人の犠牲者を出し、801 戸の民 家が倒壊し、2000 人以上の人が帰る場所を失った。同時に、土石流は 221 頭の役畜、1463 匹の豚、 2704羽の家禽を押し流した。全国で最大規模のこの土石流は、303 億元の経済損失をもたらした。 この地滑りによる土石流は 8 月 14 日に発生したために、現地政府は「8. 14」大規模地滑りによる 土石流と呼び、再び新平における百年不遇の災害であったという見方を示した。 災害から長い時間が経過しても、人々は昨日のことのように土石流発生時の光景を生々しく覚え ていた。あるタイ族の村民は次のように述べた。 あの日、塞子11)全体がパニックに陥り、私と妻は慌てて家産を運び出し、テレビなどをひっ きりなしに裏山の上に運んだ。私たちの村の裏には小高い山があって、山の上には森林が茂っ ていて、村の左側と右側を川が流れていた。左側の川は田畑に接し、森林が少ないために、大 雨が降るたびに水が溢れていた。右側の小さな谷の溝は鬱蒼と茂った森林に覆われ、めったに 水が溢れ出ることはなく、人々は当然右側の小山が最も安全だと思っていた。そこで、みんな はわずかな物を持って裏山の右側の小高い斜面に逃げた。暗闇で誰がどこに逃げたのかわから なかった。深夜、大雨が降り、塞子全体がパニックに陥り、家族はお互いを探し合ったもの の、姿を見つけることはできなかった。私も妻がどこにいったのか分からなくて探そうとした ────────────── 11)まわりを土塀や柵で囲った集落から由来したと思われるが、ここでは自然村を指す(訳者)。とき、突然、天地を揺るがすような振動と大きな音をたてて、右側の小さな谷の溝にいきなり 高さ 20 数メートルの一つの土の塊が現れた。ほんの 2 秒か 3 秒の間に、私たちは村の半分を なくしてしまった。みんな驚きのあまり呆然として、4 時間くらい誰も話しかける者もおら ず、ぼんやりと座っていた。土石流は、発生から消失までわずか 5 秒しかかかっていないが、 その恐怖は一生忘れられるものではない。私の妻は、土石流に流され、今どこに埋まっている のかもわからず、亡骸はいまだに帰らない。この土石流で私たちの村は 17 人の命を失った。 水塘、戛酒などの鎮の多くの箇所で発生した大規模地滑りによる土石流は、無数の小さな土石流 が組み合わさったものであり、309 km2 に及ぶ水塘の土地の何か所で土石流が発生したかを正確に 知る者は一人もいない。南達村民委員会が出した大まかな見積もりによると、10 の村民委員会の 14 の自然村で、8 月の一か月だけで大小さまざまな規模の地滑りによる土石流が 3100 か所で発生し た。人々を恐怖に陥れる深刻な結果であった。地質専門家は、水塘鎮は今後も長期間にわたって危 険な状況が続き、該当地域内に居住する 2225 戸の 8551 人が現居住区を離れ、移住する必要がある と判断された。その範囲は 10 の村民委員会の 50 余りの自然村に及び、このような大規模な移住は 水塘の歴史上前代未聞であり、新平でも誰も経験したことがなかった。環境変化によって引き起こ されたこの土石流は、土石流による居住環境の変化に伴い、他の諸問題を波及する可能性があった ために、政府の官僚や専門家、学者の関心を集めた。 哀牢山の深刻な自然災害がもたらした村民の困難と恐怖に対して、当時の総理である朱鎔基、副 総理である温家宝、国土資源部の部長、雲南省委員会の書記と省長は、みな関心を寄せた。国土資 源部の副部長、雲南省委員会の書記と省長は、自ら災害の現場を見回り、救済と今後に向けた具体 的な作業を指導した。現地政府も哀牢山の具体的な実態に応じて短期目標と長期目標に分けた新し い政策を制定した。短期目標は災害民の救済と農家の移住であり、長期目標は退耕還林12)を行い、 持続可能な発展を目指すことであった。 3. 3.土石流発生の原因 深刻な土石流が発生した原因はどこにあるのだろうか。現地政府は、土石流が頻発する原因と、 安全な居住場所を確保するために、省から地質学者を招き、水塘と戛酒の両鎮に対する災害情況を 観察してもらった。地質学者は、哀牢山の水塘と戛酒は巨大な岩石層の上に位置しており、この特 殊な地質構造によって土石流が発生したと判断した。つまり、哀牢山は百万年前に山頂から山の中 腹とふもとにすべり落ちた岩石層の上に泥などが積み重なって地層となったために不安定な状態に あるということだ。このような特殊な地理構造に加え、連日の暴雨によって水分が土壌に浸みこ み、飽和状態となり、土石流が発生したのである。地質学者たちの結論は、過度な土地利用、過剰 な森林伐採という要素と土石流との因果関係を基本的に退けたものであった。 曹瀅、李自良は、新平で起きた土石流による災害に関して「芭蕉樹村の災害の根源は過度な開 ────────────── 12)さまざまな環境問題に対処するために、中国政府が 1999 年から試行し、2003 年から全面的に実施した、 条件の悪い農地に植林を実施する政策である。参加農家に対しては政府から食糧、生活費、造林苗木代な どが補助される(訳者)。
墾」と題した文章を執筆し、新華網というホームページに発表した。彼らは、サトウキビの栽培と 過度な開発が土石流の発生と一定の関連性があるという見方をし、次のように主張した。「災害発 生地の周囲数十里(1 里=500 m)の山の斜面、その斜面がたとえ 45 度の急斜面であっても、『南 行記』に記されていたような鬱蒼と茂った神秘的な原始林はなく、目の前に広がるのは果てしない サトウキビ畑であった」13)。同時に、李恵民も『玉渓日刊新聞』で「雲南の環境災害は生態に対す る警鐘」と題した文章を発表し、地質的な原因のほか、人為的な原因が災害発生の主な要因である とし、「生態環境の衰退が自然による災害への抑制能力を低下させた。森林の被覆率の低下と植物 生態系が破壊されたために、森林と植物による貯水能力が低下し、植物が減少し、土壌が砂化し た。結局、地質が柔らかくなり、土石流と山の地滑りが発生しやすくなったのである」と記し た14)。 実際に、自然災害の発生は常に人類の活動と密接に関連しており、人類による自然と土地に対す る保護が十分でないところで、土地の退化、土壌の腐食と表土の流失は加速化する15)。環境危機と 退化の可能性も増加する16)。一部の学者によると、自然災害は自然界全体で発生するのではなく、 人類の活動が頻繁な地域で発生している。人類の活動が災害発生の主な原因であり、多くの環境災 害は人類自らが作り出したものである17)。森林が密集しているところで地滑りによる土石流が発生 する状況は少なく、原始林のなかで土石流が発生することは基本的にない。哀牢山の中間地帯の土 石流と地滑りが多発した地区は、過度な開発区と住民の居住区として、人口密度が最も高く、森林 と言えるものも存在していなかった。田畑と道路の上下に残っている無数の土石流の痕跡からも、 99% の地滑りがこの地区に集中していることがわかる。 地域によっては、土石流災害の発生が人類の活動と関連していない可能性も否定できない。しか し、哀牢山の中間地帯の土石流に関しては、人類の働きかけによっては、土石流の発生を減らせる 可能性と、土石流の発生による損失を軽減させる可能性がある。現在、地方政府は退耕還林政策を 大いに進めており、その目的は環境保護である。これは森林が表土の流失と土石流の発生を防止す るうえ重要な役割を担っていることを説明する。事実上、多くの幹部も森林保護がうまく行われて いるところは土石流が少なく、過度に森林伐採を行い森がないところに最も土石流が多発している ことを認めており、水塘鎮の状況からも、このような現状は明らかである。 ────────────── 13)曹瀅・李自良、2002 年 8 月 19 日『芭蕉樹村の災害災難の根源は過度な開墾』新華網雲南チャンネル。2002 年 8 月 14 日−30 日、新平イ族タイ族自治県委員会事務局編『「8. 14」大規模地滑りによる土石流災害及び 救助状況選集資料』に転載。 14)李恵民、2002 年 8 月 25 日「雲南の環境災害は生態に対する警鐘」『玉溪日報』。2002 年 8 月 14 日−30 日、 新平イ族タイ族自治県委員会事務局編『「8. 14」大規模地滑りによる土石流災害及び救助状況選集資料』 に転載。
15)Wisner, Ben, Piers Blaikie, Terry Cannon, and lan Davis. 2004, At Risk : Natural Hazards, People’s Vulnerability and Disasters, London : Routledge.
16)Homer-Dixon, Thomas, 1993, Environmental Scarcity and Global Security, Headline Series, edited by FPA(For-eign Policy Association),NY : FPA.
17)OliverSmith, Anthony, 2002,“Theorizing Disasters : Nature, Power, and Culture”, In Culture and Catastrophe : The Anthropology of Disaster, A. a. S. H. Oliver-Smith, ed. pp.23−47. Santa Fe : School of American Research Press.
3. 4.救災組織 各行政レベルの政府機関は、災害救助を中心課題としており、県レベルの政府機関の仕事はほと んど被災地に関する内容であった。新平県の幹部のほか、雲南駐屯部隊の駐在軍人、警察と民兵予 備役など計 3000 人余りの人々が救助に参加した。指揮本部が置かれている戛酒鎮には、各地から 絶えず救援物資が運ばれてきた。県委員会政府は救援チームを結成し、2002 年 8 月 14 日の土石流 の発生から、2003 年 5 月 1 日まで救災活動を行ったが、被災地の移住問題は人々が想像したより もはるかに複雑であった。救援チームが戛酒鎮から撤退したことは決して災害救助活動の終りを意 味するものではなかった。救援チームのような巨大な組織は、新平ではこれまで存在せず、維持に 対する支出だけでも大きな負担であった事情から救援チームはやむを得ず撤退した。 3. 5.被災地のテント小学校 水塘と戛酒の二つの鎮の大規模地滑りによる土石流は、計 63 名の生命を奪い、14 名の子供が孤 児になった。14 人の孤児のなかには 7 名のイ族、5 名のタイ族、2 名の漢族が含まれていた。イ族 は、主に水塘拉波と旧哈和南大の子供であり、タイ族は、主に新塞村民委員会曼諾村の子供、漢族 は、南達大水井村の子供であった。土石流の災害で両親を失った児童らは現地政府の特別な配慮を 受け、曼諾村のタイ族の孤児である陶志鴻は、雲南省の省長の特別な出資援助で高校生活を継続す ることができた。 被災地の小学校も困難に陥った。最も典型的だったのが南達小学校である。南達小学校はもと もと大水磨と松樹林の境にあり、学校のそばには溝があって、裏山の斜面から水が流れていた。大 雨が降るたびに、哀牢山のような危険な崖崩れは言うまでもなく、この溝だけでも十分に人々に恐 怖を与えるものであった。「8. 14」地滑りの後、学校は休学となった。人々は地質学者が指定した 安全な場所を新たな学校の所在地に選び、二週間の作業を経て、テントを張った小学校をつくり、 「テント小学校」と命名した。テント小学校には 234 名の学生が在籍していて、先生もテントで暮 らしながら、午前中に 3 時間、午後に 2 時間と毎日 5 時間の授業を行った。気温が特に暑い日は、 午後にある 2 時間の授業を夕食後に補っていた。 「南達テント小学校」は多くの人々の支援を受けており、上層政府機関の幹部や外国人がテント 小学校に足を運んだ。そのなかには雲南省玉渓市の党と政府の指導者、社会の各領域の支援者と、 アメリカの「希望之侶」基金会の官吏であるチャンモクシ氏も含まれていた。彼は 3 回も南達テン ト小学校や他の学校を訪れて学生らを見舞っていた。 テント小学校の胡先生は若い女性で、彼女がこの小学校に就職できたのは土石流の災害で孤児に なったことがその理由である。胡先生は、土石流発生の一か月前に玉渓師範学校を卒業したばかり であった。師範学校を卒業しただけでは新平で就職することが難しいために、彼女は腰街鎮の親戚 の家に滞在しながら、上級学校への進学を目指して受験勉強をしていた。土石流が発生した当日、 彼女は相変わらず腰街鎮で勉強をしていて、訃報の連絡を受け、彼女が村に戻った時には、村はす でに消滅していた。彼女は地滑りの跡地からぼんやりと彼女の家があった場所を見分けることはで きたが、両親と家のすべてを永遠に失い、孤児になってしまった。新平県委員会、県政府は彼女の 事情を知り、慣例を破って彼女に職を世話したことで、彼女は南達テント小学校の講師になったの
である。土石流で両親を失った孤児に対する党と政府の孤児に対する関心と配慮によって、行政が 慣例を破って彼女を就職させたことは周りのみんなが知っていることである。ある講師は「胡先生 の仕事は、彼女の両親の命と引き換えに得たものである」と言った。親の命と引き換えに就職した いと思う人はいないだろうことを考えると、彼女の心苦しい立場が想像できる。
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.行政による災害民の移住と村民の現実的なニーズの矛盾
自然災害と危機に対する学者の見解によると、災害処理は、災害前の移住あるいは災害発生の防 止、災害前の準備、災害への対処、そして災害後の復旧・復興活動の四段階に分けられた18)。不確 定な危機に対する直接的対処方法には、移住と保険の 2 種類がある19)が、哀牢山の山岳地帯の農民 には保険はなく、彼らが取れる主な方法は、被災者として移住することと地質災害警報に注意する ことだけである。 4. 1.被災民の移住 原因は何であれ、土石流は発生した。土石流発生後も雨は断続的に降り続け、水塘鎮では長期間 にわたって危機的状況が続き、地域のほとんどの村は地滑りにより土石流が発生する状況におかれ た。そのために、該当管轄区域にある 10 の村民委員会と 65 の村民小組(50 余りの自然村)に居 住する 2225 戸の 8551 人の住民が村を離れて移住する必要があった。 しかし、小さな鎮が同時に大規模移住するとなると、その困難は言うまでもない。まず、村民の 新しい移住先に必要な十分な土地が見つからない。50 余りの村の被災民の移住先として、新平県 内の他の郷・鎮の土地は限られており、県外の移住の可能性も少ない。土石流の被害から逃れた多 くの村も非常に危険な情況が続いていた。一方で、新しい村の所在地の選択肢も限られており、被 災民の移住は結局、土石流の危険を秘めている地区への移住になってしまう。地質学者らは、水塘 鎮の範囲内で比較的に安全だと思われる河谷にあるタイ族地区を選んだ。山の上の居住区域が限ら れていたために、河谷のタイ族地区まで移住範囲が伸びたのである。しかし、このようなタイ族地 区への移住は、移住先における土地の徴収問題をめぐる異なる民族間の利益問題を招き、その問題 は、民族関係が土地徴収とからんで移住後の日常的な関係に現れた。 次に、一部の村民が移住を拒んだことである。多くの移住農家は以前住んでいた地域からかなり 離れたところに転居することになった。5 km 以上離れる場合もあり、新しい居住地には彼らが耕 せる田畑はなく、もとの地域まで毎日通いながら畑を耕さなければならなくなった。このような移 住村には、大口村民委員会の小麻卡、鍋底塘、方家空防、老瓦工場、南達村民委員会の「上海新 村」、馬脖子山、邦邁村民委員会の高筧溝、牛滾塘などがあり、新しい居住地から元の居住地まで ──────────────18)Clary, Bruce B, 1985,“The Evolution and Structure of Natural Hazard Policies”, Public Ad-ministration Review 45 : pp.20−28. Petak, William J, 1985,“Emergency Management : A Challenge for Public Administration”,
Pub-lic Administration Review 45 : pp.3−7. Settle, Allen K, 1985,“Financial Dis-asters : Mitigation, Preparedness,
Re-sponse and Discovery”,Public Administration Review 45 : pp.101−106.
19)Chichilnisky, Graciela and Geoffrey Heal, 1993,“Global Environmental Risks”, Journal of Economic Perspective 7
の移動には何時間もかかるため、村民の労働負担は大幅に増加した。そのため、一部の村民は新し い移住先に家屋を建てたものの、居住を拒み、大雨が降るときには新居で一夜を過ごし、気候がよ くなるともとの村に戻るという生活をしている。 第三に、政府が提供する条件と村民の希望との間に大きなズレがあったことである。移住が必要 な村民すべてに対して、政府は家屋の建築用に一戸あたり 120 m2 の土地を提供し、2000 元を補助 (土石流による被害民家は一戸あたり 3000 元)した。また、家屋建設に対する規格を統一し、「三 通一平」(電気、水道、道路を通し、建設用地を平たくする)の整備を行った。その他の費用に関 しては村民の自己負担に任せた。事実上、政府の補助は限られていたため、多くの人を満足させる ことはできなかった。その上、地方の最上級人民政府は、管轄区域内の大衆の身の安全を保証する ことと、被災者の安全な居住環境を確保することを、他の経済発展の推進よりも優先させるべきだ と考えた。しかし、こうした政府の苦しい立場も村民には十分に理解されてなかった。 第四に、村民の間に存在する貧富の格差も被災民の移住に大きな困難を与えた。家屋の建築状況 を見ると、一部の人は家屋を建てたが、一部の人は資金不足のため建築半ば止めるしかなく、ま た、一部の人はまったく建設費用が調達できなかった。新しい家屋を建築する上で、政府による 2000元の補助はあまり足しにならなかった。地方政府は、農民に借入金やローンを勧めていたが、 ローンは利息を支払わなければならず、親戚や友人からの借入金も限られている。一部の農民は家 を建てるために出稼ぎに行き、一部の農民は翌年の収穫に希望を託し、クルミとサトウキビの収穫 後の販売に望みをかけた。それゆえ、多くの人はもとの村で生活するしかなかった。 要するに、村民の移住はある村から別の村へ移り住むという単純なことではなく、リスク回避の 問題、郷村の持続的発展計画、土地徴用、民族関係、労働負担と現地政府による郷村全体の発展計 画などと密接に関連していた。哀牢山の環境危機によって現地住民は二つの困難に直面することに なった。一つは、安全のために比較的遠い地区へ移住し、毎日元の地域へ通いながら農業を行うと いう負担を背負うこと。もう一つは、元の村に住み続け、田畑への距離は近いものの、危険な居住 環境を背負うということ。どちらの選択もリスクを背負う決定であった。このような状況下で鎮政 府が前者を選択したために、村民は労働負担が大幅に増加しても移住しなければならなくなったの かもしれない。しかし、村民の選択肢は、元の村に住む、新しい村に住む、一旦は移住するがその 後元の村へ戻る、の三つに分かれた。なかでも、建築費用がなく新しい移住先に家を建てることが できない人々は当然、もとの村で生活するしかなかった。 4. 2.土地徴用 中華人民共和国の建国以降、中国の土地制度は国家による絶対的なコントロール下にあった。現 在も、土地の利用者が誰であれ、国家が建設あるいはその他の必要によって土地を使用する場合、 国家は利用者から土地を徴収する権利がある。中国は共和国で土地は国家の所有である。土地を徴 収するときの土地の利用者に対する補償基準も国家が決め、村民委員会などの諸集団および個人は それに服従するしかない。今回の移住によって水塘鎮政府は 1469 ムーの土地を必要とした。徴用 にあたっては私益をめぐる争いもあったが、政府の説明を受け入れるしかなかった。タイ族の地 域、「上海新村」、小麻卡と馬脖子山における土地徴収が順調に進められたことは、上記の国家権力
構造から考えると、容易に想像できる結果であった。 タイ族は、多くの人が政府の説得に応じたように、土石流の災害発生後の土地徴収に関して理解 を示しており、政府とともに「一地方に困難があれば、他の各地は支援しよう」と認識していた。 タイ族は、多くの人々が土石流による災害で困難に直面しているなかで、同じ鎮の村民として、助 け合うのは当然であり、土地の徴収もこのような状況に対処する国家の必要からであるとタイ族は 理解を示している。また、一部のタイ族の人々達は、移住してきた村民が新しい居住地に土地を持 ってないことを考慮し、耕地がないことは仕方がないが、家屋の前後に菜園もなければ農民として の生活は更に難しくなるだろうと気遣ってくれた。このようにタイ族は、全体的に土地徴収を支持 し、土地徴収の過程でもめ事が起きることもあまりなかった。当然、政府も一定の措置をとり、た とえば、タイ族の幹部とエリートを村に派遣し説得を行った。土地は国家の所有であり、農民は利 用権のみ付与されていて、国家が土地を必要とする場合は、利用権を取り戻す権力があることなど を伝え、拒否しても無駄だから政府に積極的に協力したほうが賢明であると説得した。 当然、土地の徴収はタイ族に対してだけでなく、イ族、ラフ族や漢族にも同様に行われた。徴収 過程で地方政府の幹部らは、タイ族の土地の徴用は比較的に順調であったが、漢族の土地の徴用は 非常に難しいことに気付いた。ある政府の幹部は、漢族に対して、「政府があなたたちのために他 人の土地を徴収する時、あなたたちはより多くの土地を望んでいた。しかし、政府があなたたちの 土地の一部を徴収しなければならない時、あなたたちはほんの少しでも出そうとしない、どうして こんなに利己的であるのか」と不満をこぼした。この点からタイ族と漢族の対応が明らかに異なる ことがわかる。タイ族の人との会話からも、山の上で発生した土石流の被災者を彼らが同情してい ることは明確である。一方で、タイ族のなかには、山の上の人々に困難が生じると、私たちは助け るべきだと思うが、山の上の人達は自分の困難ばかり訴え、他人に対する同情があまりないという 認識もあった。 土地を徴収する際、民族に関係なく、政府は一ムーあたりに 2000∼3000 元の補償を行う。稲田 の補償金は一ムーあたり 3000 元であり、バナナとマンゴーしか植えられない土地と、傾斜地の畑 など、水田以外の耕作地には一ムーあたり 2000 元が補償される。そのほか、まだ実ってない作物 がある田畑に関しては一ムーあたり 350 元の補償金がつけ加えられる。このような補償金額は全県 レベルで統一されており、水塘鎮、戛酒鎮、者竜郷および老場郷でも同様であった。土地は国家の 所有であり、土地徴収過程におけるすべての政策は政府が決定する以上、農民は国家の政策に従う しかないということである。 大麻卡では 25 戸の家が土地を徴収された。最も徴収面積の多かったのが刀永光氏の一家で、総 計 10 ムーの田畑が徴収された。その次が白万明氏の一家であり、6 ムーの土地が徴用された。残 りの家族は 2∼5 ムーの土地を徴収された。土地徴収後、田畑は明らかに少なくなった。刀永光氏 によると、彼の家は小麻卡の 4 ムーの土地を一ムーあたり 3000 元で徴収され、馬首子山にある 5.6 ムーの土地は一ムーあたり 2000 元で徴収された。刀永光氏の家には現在 2.8 ムーの水田と 8 ムー の畑が残っており、マンゴー園を加えると恐らく残っているのは約 10.8 ムーの土地である。土地 徴収で支払われた補償金で彼は新しい家を一棟建築して、3 万元以上の資金を使った。白万明氏の 徴収面積も、村では刀永光氏の次に並ぶが、彼の家は一ムーあたり 3000 元で 6 ムーの水田を徴用
された。白永光氏には現在 5 ムーの水田しか残っておらず、田畑が足りない。その上、土石流の発 生によって押し流された水田に対する補助も支給されず、わずかな食糧が支給されただけであっ た。一回目に 25 kg、第二回目に 100 kg、第三回目と第四回目にそれぞれ 10 kg の穀物を補っても らい、押し流された 83 本のマンゴーの木に対する補助はなかった。白万明氏の概算によると、3.5 ムーの水田では 800 斤(1 斤=500 g)の米しか取れないが、一家 5 人では一人あたり 800 斤の米が 必要だという食料事情であった。 一部のタイ族の人々は自らの土地徴収について、補償金額が低く、まだ実らない作物の一部に 350元の補償金が支払われるだけということに対して不満はあるものの、口に出しては言えないと いう状況である。ある人は、移住者に向けて、なぜ他の区域ではなくここを選んだのかと漏らし た。実際、彼らは移住者らが木を乱伐するのではないかと心配している。山の上で住んでいた人達 はすでに山の上の木のほとんどを伐採しており、下に移ってきて同様に木を全部伐採してしまうの ではないだろうかと言う。現在、南達と大口の境には木と言えるものはほとんどなく、タイ族の所 有である道路の両側の木だけが残っている。タイ族はこのような樹木の保護について、自分の土地 における森林をうまく保護しているとして、とても誇らしく思っている。 4. 3.土砂崩れの危険と 24 時間警報の測定 「現在であれ将来であれ、わたしたちに訪れようとする危険を予知することができるだろうか。 いいえ、わたしたちには知ることができない。しかし、知っているように物事を進めるしかない。 ある危険は予測可能だろうが、ある危険は予測不可能であり、わたしたちは多くの場合訪れる危険 を予測することはできない。誰一人完全に把握できる人はいない。それゆえ、誰も私たちが直面し ている危険を正確に計算できる人はいない」20)。同様に、一部の災害に関しては予測することがで き、一部に関しては予測が難しい。また、十分な知識をもとに災害を予測したとしても、短時間で 多くの人々を避難させることも難しい。災害の発生は常に同じように現れるものではないために、 土石流の災害の予測も山岳地帯の住民にとっては非常に難しい。それでも、人々は簡単な方法を用 いて、雨季に土石流が発生する可能性を観察してきた。 雨期になると毎年、政府であれ村民であれ、人々は常に土石流の発生を心配する。できる限り土 石流が村民らにもたらす損失を回避するために、政府はリスク回避のための 24 時間監視体制を整 えた。これは、各村民委員会から 2∼4 人を選んで、昼夜問わず降雨量と土石流発生の可能性を観 察する方法である。一人当たりに 1 本の懐中電灯と何組かの電池、1 つの銅鑼とトランシーバーを 配布して、土石流の可能性が観測された場合は、銅鑼を鳴らして知らせることで村民を避難させる 方法である。これらの監視員は、毎日鎮政府に 3 回の報告を行い、さらに、鎮政府は県政府のリス ク回避事務室に 3 回の報告を行う。毎日の報告時間は、朝 11 時、午後 5 時と夜 11 時である。観察 員らは訓練を受けたこともないため、土石流発生の可能性は降雨量と個人の経験に頼るしかなく、 県政府のリスク回避事務室と鎮政府も主に降雨量によって判断している。大雨でない日は安全だ ──────────────
20)Douglas, Mary ; and Aaron Widavsky, 1982, Risk and Culture : An Essay on Selection of Technical and Environ-mental Dangers, Berkeley : University of California Press.
が、大雨が連日続く場合は、警戒状態に入る。監視員は山の上でトランシーバーを使って鎮の幹部 に報告する。降雨量と土石流発生の可能性に関して行う監視測定の報告で、よく耳にするのが「報 告です、こちらは平穏無事です」という内容であり、監視員の責任感と、費用がまったくかからな い原始的な方法による測定が成功している側面を示している。 この簡単な予測の方法はそれなりの合理性と科学的な要素を有し、無視できない。農民らは土石 流観測についての専門的な方法を学んではないが、環境と気候に関する豊富な知識と経験を持って おり、土石流を予測している。2002 年 8 月 14 日の明け方、大口村民委員会に土石流が発生し、二 つの村が深刻な損害を受け、そのうち一つの村では 45 戸の家屋が流された。しかし、農民の経験 にもとづく予測が効果的に働いたために、村民委員会内の各自然村は、整然と避難することがで き、村民委員会全体で一人の死傷者も出さなかった。農民による土石流の予防測定の有効性を実証 するケースである。土石流の災害に関する人工予測の方法は一種の手段にすぎず、目的は人々のさ らなる安全な生活を求めることである。 現在の問題は、リスク回避のためのこのような作業をどれくらい続けなければいけないのかとい うことが、誰にもはっきりとはわからないことである。毎年の作業は 5 月中旬に始まり、9 月下旬 に終わるが、今年の仕事が一段落したからといって、翌年には再びリスク回避のための作業があ り、平穏でいられるわけではない。雨季が到来する度に、土石流に対する不安は繰り返し生じ、 人々に環境安全の問題を考えさせる。環境危機は人々の生活を恐怖に陥れ、このような不安定な生 活のなかには和諧社会と持続的な発展はありえない。そのために人々は、潜在的な危機が発生する 原因は何か、いかに環境を改善するか、いかに安全で信頼できる環境で生活できるのかを考えない わけにはいかないのである。
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.環境問題と発展問題をめぐる再考
環境変化が人類の生活に大きな影響をもたらしたとすれば、その変化はどのように生じただろう か。これは私たちが終始考えてきた問題である。環境変化の主な要因は、人口増加と、過度な経済 発展を追い求めた結果である。人口増加は資源分配の減少と占有量の減少をもたらした。さらに、 市場における経済利益追求は、人々に環境を犠牲にした発展を促し、最終的に環境悪化を招いたの である。このような状況の出現は、偶然ではなく経済発展を重視し、環境犠牲を代価として経済発 展を遂げてきたからであり、環境保全を後回しにした結果である。つまり、地域発展の推進者が、 多くの地域内で起きている各種の汚染を無視しながら、「発展」に固執した結果である。 哀牢山岳地帯の環境問題は深刻で、2002 年の土石流のような潜在的な危機だけでなく、山岳地 帯の土壌の腐食と土地の退化が進んでいる。その一方で、経済発展も地元の人にとって重要な問題 である。特に、全住民が小康社会を目指しているなか、哀牢山の経済発展と環境安全問題は前例が ないほど強調され、環境と発展が敵対関係21)にあっても、地元の人々は発展を優先すべき課題22)で ──────────────21)Redclift, Michael, 1987, Sustainable Development : Exploring the Contradictions, London : Routledge. 22)曲格平、1997『我們需要一場変革』長春吉林人民出版社。
あると認識している。しかし、郷村発展と環境破壊の間の矛盾は手にあまる問題であり、そのため に学者らによって経済と生態の均衡発展という理論が提示され、経済発展と環境保護の同時進行が 強調された23)。環境破壊が進んだ地区にとって、このようなモデルはさらなる研究を必要とする。 多くの学者は、人類の行為が環境に影響を与え、土地退化、森林伐採などの環境変化を招き、環 境変化がさらに民族衝突、移民の移住、文化消失などをもたらすことで人類の生活に影響している と指摘した24)。そのなかで長い間議論が続けられている問題として、人口の爆発的増加と経済発展 が環境危機をもたらす主な原因であり、人口増加が貧困と資源減少を招いた25)ということがある。 しかし、経済発展は環境を犠牲にすることで、深刻な環境問題を招く。中国政府は経済発展を優先 し、環境問題の解決は後回しにされていると一部の学者は認識している26)。しかし、現在の問題は 私たちがまだ経済発展を実現できていない段階にあるにもかかわらず、洪水の氾濫、砂嵐、水土流 失、酸性雨、河川と海洋汚染などの環境問題が悪化の一途をたどっている。そのために、発展を求 めると同時に環境問題を考えなければならず、環境と発展の同時進行の道を模索しなければならな い。 西南地域は、中国の少数民族が最も集住し、多くの少数民族がなお貧しい状態にあるという特殊 な状況に直面した。彼らの生活は小康とは程遠く、環境からの影響も加わり、貧困を抜け出すこと さえもままならない。一部の地域と民族は貧困から脱却したように見えたが、再び貧困状況に陥る 現象が目立っている。しかし、西南地区の環境整備の任務は重く、地勢が高く寒い山岳地帯の水土 流失は生態と生活環境の悪化を招くだけではなく、土地がやせていっているため、長江の中流と下 流に洪水の危険をもたらすなど、洪水防止と安全に影響を及ぼしている。 貧困の克服を前にして環境保護を語るということは矛盾する話で、環境と発展のどちらを選ぶか という話題になってしまう。自らの生存と直接的に関係がないと思う人からすれば、この問題は非 常に明確な回答があって環境保護ということになる。しかし、貧困のなかで暮らす(あるいは山で 生活し、耕作して生計を立てる)人々、特にその地で暮らすしかない少数民族からすれば、問題は そんなに簡単ではない。傾斜地における耕作を放棄することは、雲南のような 95% 以上が山岳地 帯の地域では無理な話である。たとえば、多くの郷村の環境と森林が破壊されていることに対し て、画一的な対処として、一夜にしてすべての山岳地帯を原始林に変え、少数民族に原始人のよう な生活をさせる。一方、その他の人々は車に乗って安全な森林に来て、少数民族の原始的な歌と舞 踊を鑑賞するなどして休暇を過ごす。芸術の植民地主義の問題はさて置き、車による環境汚染も森 林破壊に劣らない。しかし、近代的環境汚染の責任は常に山岳地帯の住民に向けられており、その 批判は厳しい。多くの人々は山岳地帯の状況に詳しくないまま、絶えず環境保護を叫んでいる。森 ──────────────
23)Riddle, Robert, 1981, Ecodevelopment : Economics, Ecology Development. Westmead, Eng : Gower. 24)Homer-Dixon, Thomas, 1999, Environment, Scarcity, and Violence. Princeton, NJ : Prince-ton University Press. 25)Coleman, Daniel A, 1994, Ecopolitics : Building a Green Society. New Brunswick, N. J : Rutgers University
Press. Daly, Herman E. 1996. Beyond Growth : The Economics of Sustainable Development. Boston : Beacon Press. Ayres, Robert U. 1998, Turning Point : The End of Growth Paradigm. New York : Earthscan Publication Ltd.
26)Edmonds, Richard Luois, 1998,“Studies on China’s Environment”,The China Quarterly Vol.156(Dec.)pp.725− 732. Ho, Samuel P.S, 1995,“Rural Non-Agricultural Development in Post-Re-form China : Growth, Development Patterns, and Issues”,Pacific Affairs Vol.68(3):pp.360−391.
林保護はもちろん間違ってはない。しかし、山岳地帯の住民も食べる必要があるし、その子供を学 校へ行かせたいと思う。学校の授業料は高く、裕福な家庭の子供が学校に通っている姿を見ながら 自分の子供を学校にやれない心境は苦しい。山岳地帯の住民が病気になると、周知のように病院の 医療費は高く、入院となると何千元が必要となる。医療費が支払われないと、病院は直ちに治療を 止める。誰が貧乏人の医療を保障するだろうか。山岳地帯の道路も地元の人が自ら整備するし、電 線も自ら引き、変電器も自分で購入しなければならない。「飢餓状態の線上で苦しんでいる村は誰 にとっても良いところがない」27)と言った費孝通先生の話がある。2003 年における国連発展計画の 報告によると「中国の発展は、実際には東部の繁栄をもって西部の貧困を覆い隠したものであ る」28)という短い言葉でズバリと急所を言い当てている。 哀牢山岳地帯には確かに多くの環境問題が存在しており、水土流失、深刻な森林伐採、過度な農 薬と化学肥料の使用などが一般的である。しかし、山岳地帯で居住する農民にその責任のすべてを 負わせることはできない。特定の環境のなかで、水土流失が傾斜地における耕作によってもたらさ れたことは、すでに環境学者らの研究成果によって証明されている。しかし、問題は山岳地帯で居 住する農民には傾斜面の耕作地以外に土地がないということである。さらに、森林伐採の問題はか なり複雑で、国家が計画的に伐採した部分と、国家の許可を得て伐採した部分、農民自らが自分の 日常生活の必要によって伐採した部分がある。それぞれに原因があり、農民の日常的側面から森林 伐採を減らすためには薪に換わる代替物が必要であり、代替物の値段は郷村農民が受け入れられる ような適度な価格設定でなければならない。しかし、国家にこのような代替物が提供できるだろう か。もちろん郷村までガスパイプを引っ張ってくることはできず、山岳地帯の電気代も都市の何倍 も高い。山岳地帯の水道管、電線、変電器はもちろん、学校、道路など基本的な整備もすべて村民 が自らお金を出すしかない。一方、都市における公共設施が市民の出資によって整備されることは ない。これこそが都市と農村の不公平な問題である。 私たちはよく環境と貧困が悪循環する状況に直面する。極めて悪い生存環境は貧困の主な原因と なるが、貧困改善には環境開発が必要(山の者は山に頼って生活する)で、極めて悪い環境である ほど開発によって貧困から抜け出す必要がある。しかし、水の不足が耕地の減少と退化、新しい柴 の不足を伴うように極めて悪い環境ほど更に深刻な貧困につながる。一般に言われるように、貧し いところではますます環境悪化が進み、それが進むほど貧困が深刻化するのである。しかし、世界 ではまだ約 12 億人が貧困に苦しんでいる29)。いかに彼らの生存問題を解決するのかという第三世 界における貧困問題は多くの点で類似している。曲格平は「現在発展途上国は貧困と生態悪化とい う二つの影響に苦しんでいる。貧困は生態悪化を招く根源となっており、生態悪化は貧困を激化さ せている。貧困と生態悪化は発展途上国を非常に苦しい立場に陥れている。そのために、持続的発 展を中国の立場から見ると、第一に発展であり、発展することで生態危機を解決して必要な物質的 ────────────── 27)費孝通、2003(原作 1939)『江村経済−中国農民的生活』北京商務印書館。 28)国連開発計画(UNDP):2003『2003 人類発展報告−千年発展目標:消除人類貧困的全球公約』北京中国 財政経済出版社。
29)Durning, Alan, 1992, How Much is Enough? The Consumer Society and the Future of the Earth. New York : Nor-ton.
基盤を提供することが可能になり、最終的に貧困、愚かさや無知、醜さから抜け出すことができ る30)」と指摘した。ここからは、環境破壊と生存の重圧を最も直接的に受けているのは貧しい人々 で、とりわけ貧しい女性たちが犠牲の中心になっている31)ことがわかる。中国北方の砂嵐、南方の 洪水災害などの環境悪化は最も貧しい人々の生活に度重なる災難をもたらすだけでなく、富裕層や 都市人口の生活にも影響を与えている。 地勢が高くて寒い山岳地帯の住民はまず生存問題を考えなければいけない。水塘鎮のほとんどの 人々は哀牢山の上に居住して、山の傾斜地に家を建て、傾斜地の田畑を耕して、傾斜地で放牧す る。そのために、水塘鎮の耕地は非常に深刻な状態に陥っている。にもかかわらず、人々は険しい 斜面でトウモロコシやバナナなどをつくるしかない。一方で、郷村発展は国家(あるいは政府)の 関与によって進められている。郷村発展が環境発展の主な要因になるとは限らないが、環境変化は 郷村発展と密接に関連している。環境変化の悪化が一連の社会文化の変化をもたらし、農民の生活 を更に苦しめる。環境変化が郷村発展と農民の生活に影響を及ぼしていることは、水塘が置かれて いる状況が示している。そのために、哀牢山岳地帯の地方政府と郷村農民には、一定の持続的で、 調和的な生存環境と環境改善を追求することが重要な課題となる。
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.哀牢山の持続的発展計画
学者らによると、持続可能な発展は複雑な人類の生存条件を高める活動32)であり、持続可能性を 追い求めるうえで、単一な未来への設計図や方法はない33)が、地元に適した措置をとることによっ て土石流災害に対応し、持続可能な発展を実現する可能性はある。土石流がもたらす最大の危害 は、人々の生命と財産を脅かすという点ではなく、地球上の表土を押し流すことにより、多くの地 域の表土を薄くしてしまうことである。人類が文明を築く基礎としての肥沃な表土を失うことは、 穀物供給の不足を意味する。哀牢山の土石流は、人々に退耕還林、メタンガス池の建設、生態農業 などを含む具体的な持続可能な発展計画を考えさせている。当然、持続可能な発展の内容ははるか に多いが、これらの計画は地方政府にとって比較的に現実的なものである。 6. 1.退耕還林 水塘鎮で、持続可能な発展の最も具体的な方法の一つに退耕還林があり、持続可能な発展の代名 詞となっている。退耕還林政策は、中央からの指示によるもので、長江中流と下流地域における連 続的な洪水と西北および北方地域における深刻な砂嵐の制御が難しくなったことから制定された政 ────────────── 30)曲格平、1997『我們需要一場変革』長春吉林人民出版社。31)Coleman, Daniel A, 1994, Ecopolitics : Building a Green Society. New Brunswick, N. J. : Rutgers University Press.
32)Munro, David A, 1995,“Sustainability : Rhetoric or Reality?”In Thaddeus C. Trzyna ed. Sustainable World : De-fining and Measuring Sustainable Development. Sacramento : Published for IUCN-the World Conservation Union by the International Center for the Environment and Public Policy, California Institute of Public Affairs, pp.27−35. 33)WCED(World Commission on Environment and Development), 1987, Our Common Future. Oxford : Oxford