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(26) 三 國 遺 事 に お け る 神 の 受 戒 に つ い て ( 孫 ) う 1> 掌 天 窟 の 窟 神 は 蔚 珍 地 域 の 土 着 神 と し て 窟 神 信 仰 及 び, 重 要 な 祭 祀 の 対 象 と さ れ, 掌 天 窟 と そ の 帯 は 古 代, 蔚 珍 の 社 会

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(1)

印度學佛 敏學 研究 第

63

巻 第

2

号 平成

27

3

月 (

25

國 遺 事 』

受 戒

1

め に  仏教は ,各地 域に拡 大 する過 程で 基層 信 仰の様々 な神と遭遇 した . これ は東ア ジ ア仏教の

も同じで あ り,

時 代に主に 山林 に進出 し始め た中 国仏 教は 山

岳神

と出会

に なっ た . こ の 時

, 山

岳 神

を仏教に

依さ せ 仏 教 を

守護

する た めの思想, す なわち, 神 仏 習 合 思 想 を形成 する. これ はまた仏 教の伝 来と

容 過 程で

鮮 半 島 と日本に もその ま ま伝わっ て きた .

三國 遺

』に は こ の よ

な 習合 現

に関する記

在 してい る の で, これ を もとに韓 国 仏 教の 中に現れ た 神の特 徴 を把握する こ と がで きる.外 来 宗 教である仏教が伝来 さ れ た 地 域の基 層

信仰

解 体す

る か , そ れ と

する か に よっ て,

仏教

教化方法

は違

形で 想 定せ ざる を得 な か っ た .

に対 する否

肯 定

, ま た は, 基 層信 仰の

解体

と包摂 とい

二 つ の

疇 につ

三 國遺

』で語る

子と

性 格

多少異

な る . 『三 國遺

』 における神の

戒 につ い ての 用 例は 以下の よ

である.

2

塔 像 第

「臺

萬眞 身」条

 寶川常汲 服其靈 洞 之水故 晩 年 肉身飛空到流 沙江外 蔚珍 國掌天 窟停止誦 隨求 陀 羅尼 日夕爲   課窟 肺現 身 白云我 爲 祕 已二 千年 今日始 聞隨求 眞 詮 請受 菩薩 戒既 受 已翌日窟亦 無形寶川驚   異留二十 日乃 還五臺 山紳 聖 窟 (

T49

999b)

 

この

記事

内容

に よ る と,

窟神

薩 戒 を受 けて か ら掌 天 窟の形 態が 無 くなっ た とい

こ とで

は も

う存在

し ない とい える . ところ が, 掌天窟 は慶 尚北 道の蔚 珍 郡 近 南 面九 山里 にある聖

留 窟

と理 解 さ れ て い る .

事』

巻三

塔像第

四 「臺 山五 萬 眞 身 」 条の掌 天

窟神

蔚珍

留窟

の 土

着的

信仰

の 対

と して把握 する見 解がある.掌天

窟神

は二

も窟神あ りなが らも,

川太 子が来て随 求 陀 羅尼 を念 誦 する前 まで は仏の

を聞い た

が な か っ た とい

こ とか ら して, 掌天窟の

窟神

伝統

的な土

着神

である こ と を反 映 して い る とい

(2)

26

) 『三 國遺事』における神の受戒につ い て 孫)

1>。掌天窟の 窟神 は蔚 珍 地 域の土

着神

と して

窟神信仰

及 び, 重

祀の

対象

と さ れ, 掌天窟と その 一 帯は古 代, 蔚 珍の 社 会では神聖 な地 域 と さ れ た ともい え るの で ある .

3

義解 第

慈 藏 定 律 」 条

 

慈 藏の行 蹟 を

える代

的 な 中 世

料 と して, 中 国の 道 宣の 『續 高僣 傳 』 と 一 然の

三國遺

』が あ る2). 『

高 僭 傳

に は唐に滞 在 した時 期 を 中心 に身 辺 を 記 録 した一

三 國

遺事

』 には

叙事性

く受

用して お

, 慈 藏の 活 躍を

多方

面 に 提 示 し てい る .  資 料

A

 擁啓 表 入 終南 雲 際寺之東 鰐架甜爲室居三年 人祕受戒 靈應 日錯辭煩不 載 (「三 國   遺事』 T49 ,

1005b

)  資 料 B 啓 敕入 山於 終南 雲際 寺 東懸1樗之 上架室 居焉旦夕人祕 歸 戒又集時染 少疹 見 受戒 禪   爲摩所苦尋即畫像除愈 往還三夏常在此 山將事東蕃辭下雲際見大鬼紳其衆無數帶 甲持仗 云  將此 金輿迎取慈藏復見 大 示申與之共鬪 拒不許迎 藏 聞臭 氣塞 谷蓬 勃 即就 繩床 逋 告訣 別 其一  弟 子 又 被鬼打 躄 死 乃蘇 藏剴亅捨諸衣 財行 僭徳 施又聞香 氣 遍滿 身心 禪 語藏日今者不 死 八 十餘  矣 (『續高 僭 傳』T50,

639b

) 新 羅の律

始 者で あ る慈 藏 は善 徳 女王 の 仁 平三 年 (

636) に

入 唐 した. 上 の

資料 B

で は ,

終南

山で

慈 藏

3

年 間

640

642

南 山雲 際

庵 を建 , 修 行 し な が ら経 験 し た こ とが, 比

細に叙述 さ れて い る. しか し, 資 料

A

で は こ の ような

実につ い て煩 わ しい こ と と して簡 略に述べ い る .

 

資料 B

で は “

戒神

” が慈

した とい

3>.『續 高僣 傳

で は , こ の よ

に受 戒し た後, 神 に見 える “ 戒 神” とい うことが 現 れ る. 「高 僣 傳 』 に 比べ 績 高 僣で は受 戒 し たに 関記事増 え , これ ら は戒律 を伝 えた僧

の 修 行の 際,

護の

割を し て い た . そし て , この 時期に慈 藏 は 生死の瀬 戸 際 に立た さ れ た との 記 録が残っ てい る.大 鬼 神が慈 藏 を殺 しに来た 一方 そ れ を阻 む大 鬼

存在

して い たの で あ る .

々 の 対 立項 と な っ て い る大 鬼神が

徴 する こ とに

して は,

々 な

推 測

わ れて い る .例 え ば, 慈

が 中 国に

滞 在

した 際, 唐 太 宗は抑仏 崇 道 的な立 場 を

い て い た か ら, 『

續高信傳 』

著者

である道 宣は太 宗の 道 教優 先 政 策に対 し批 判 的 な立場 を示 した .慈 藏 を殺 そ うと した勢 力 とこれ を阻 も

と し た勢 力は, 慈 藏が こ の 当時の道 教 と仏 教の論

に介 入 して い た可 能 性を隠喩 的に表 現 し た と考 え られる 4). ま た は ,慈 藏とそ の弟 子が終 南山 で実 際に病 を

て死に か け たこ と をその ま ま

えよ

とした とも

え られ る5).

(3)

『三事』におる神の受戒につ い て (孫 ) (

27)

4

解 第

「心 地 繼 祀 」 条

  遘聞俗 離山深公傳 表 律 師佛 骨 簡子 設 果訂 法 會決 意披 尋 既至後 期 不 許參 例乃 席 地扣 庭 隨衆   禮懺 經七日天大雨雪所立 地方 十尺 許雪 飄不 下衆 見 其神 異 許 引入堂 地携 謙稱 恙 退 畫像 處房  中向堂潛禮 肘穎 倶血類 表公之仙溪 山也地 藏 菩 薩日來 問慰 泊席 罷 還 山途 中 見二 簡 子貼 在 衣   褶 間持 迴告 於 深深日簡 在 函 中那 得至 此檢之封 題依 舊 開覗亡矣 深深 異 之重 襲 而 藏之又行 如   初再 迴告之深日佛 意在 子 子 其奉 行 乃授 簡子地頂 戴 畋山嶽 禪 率一仙 子迎至山椒 引地坐於 崑   上畋伏崑 ド謹 受正戒 (T49 ,

1009b

 

眞表 律 師の簡 子 を受 けた とい う永 深 が 果証 法会 を開た が , これに参 加 した心 地 が修 行 して い た 山に帰る途 中, 白身の襟に二 つ の簡 子が挟 まっ て い る こ と を発 見 し た . これ を 仏の 意 と考え た永 深は簡 子を 心 地 に渡し,頭に これ を乗せ た ま ま 山 に

に, 中

の 山

が現れ

戒律

けた とい

話で あ る .

来以 降, 仏 教は神 信 仰の 領 域 を含め た社 会の

多様

な分野 で

積 極

的に自分の 領 域 を拡 大 し,

来地域の 固 有 な信 仰 との緊 張 関係 を 生み 出した .習 合現 象が現れ た後 にもこ の 緊

関係は信 仰 と思 想の 問題 を

めて 引 き続 き,

と仏 [僧 侶 ]の

々 な

承を 形 成 する こ とに なっ た . これ は神 信 仰の領 域に浸 透 し よ

とする活 動を始め た仏 教 徒 らが, こ の状 況を克 服, ま た は受 用 するた め の意 図と して形 成 され たの で あ る .

心 地繼祀

林 修行者

を中心 と した仏 教

勢力

が 既

の 山

神信仰

と融和 し な が ら教

を 拡大 し, 仏教を守 護 する神の

役割

能を知る こ とが で き る . そ れ は , 仏 の

簡]

場所

を 山

と共に決め , これ に対 し て山神 が

賛嘆

する と言

の よ

ら れて い る た めで ある . 地日.今將擇地奉安聖簡 非吾輩所能指 定 請 與三君 憑 高擲 簡以 卜之 乃與 紳 等陟 峯巓 向西 擲 之 簡乃 晝像 風 颶而 飛 時紳作 歌日礙 崑遠退砥 平兮   落葉飛 散生明兮 覓得 佛骨 簡子兮  邀 於 淨 處 投 誠兮 既 唱 而 得 簡 於 林 泉 中 自卩其 地 構 堂 安之 今 桐 華 寺 籤堂北 有小井是 也 (T49 ,

1009b

 

周 知の 通 り,仏教 は イン ドで生 じ,

東漸

した . 仏

る過程で, 該 当 地 域の

るい は

信仰

との

軋轢

とい

う問

題に出遭 っ た と見 られ る. な お, 仏 教はすで に 中 国 などの各 地で 固有 信 仰を克 服 する経 験 を積んで き た .従 っ て, その 経 験の 蓄 積の 一 山神 交 流 譚伝 承布 教 生 じ 能性 想 定で きる .

5

惠逋 降龍 」条

龍 既 報 寃於 恭 往機張山爲熊 神 慘毒滋 甚民 多梗之 通到山中 論龍授 不殺戒 神 害乃息 (

T49

(4)

28

) 『三 國遺事』に お ける神の受戒につ い て (孫 )  

1011a

 

中 国の蛟

朝鮮半 島

じ, また, 竜か ら

へ と変 じた複雑な構 造 の話に なっ てい る.仏 教 的

発想

られ る

変 身

還生

に民 間信 仰 的 な要 素 が 結合 さ れた叙 事 形 式, す なわち, 仏 教 説 話 に民 間伝 承が加 味さ れ た 話 で あ る 。惠通 と 蛟 竜の 対 立 と葛 藤 か ら, 結 局, 不

殺 戒

を通 じ,

仏教

叙事構

造 を

して い る.

統 的 な竜 信 仰 に対 し た外 来 宗 教 と して の 仏教が優 位

図で

承 し た こ と は , 『三國遺 事 』の な か で,巻一紀 異,

一の

琴 匣 」 条 と巻二 紀 異, 第二 の 「眞聖 女王居 隘知 」 条 などで確 認で きる .

 

こ こ で 注 目すべ は, 社 会秩 序を維 持 する た め, 仲裁 の

役 割

を 果 たす 僧侶 の 功 能である.惠 通は人 間の 問で 発 した問 題に対し調 停に乗 り出 し たの で は な く, 顕

存 在る人 間と冥 界 を治め る竜の を仲 裁 し た .密教を修 行 する仏

だ けで はな く, 社 会の 基 本構 造を維 持 する任 務を

されて

決 し,

客 観

的な

裁 者 と して の 役 割 社 会を統 合 し, 維持 する機 能を持っ て い た と認 識さ れてい た . 平 常 に は, 顕 界の

存在

である 人間と冥 界の

存在 (

, 山

, 霊, 竜

等)

自の 領域 で暮らす と理

さ れ た . しか し, 顕界の 正常な秩 序 を弱 化させ る自然 災 害や 伝 染 病な どの よ

に予測不可 能 な 問 題 が 発 生 した 時 こそ, 僧 侶が介入 で きる瞬間 であっ た . こ

う場合

神異力

っ た

僧侶

らが, その

を以っ て

題 を

決 で きる と思わ れ た .仏 教 僧 侶 に対 して の こ の よ

説 的分

は, 僧 侶の

異な 能 力へ 絶 えざ要求があ た か ら だ と考え られ . 自然災

伝 染 病な ど よ うに, こ の 世の 秩 序 を脅かす

様 な

類の

事件

があっ た こ と は

然の こ とである . 人 々 は仏教の僧 侶 らが様々 な問題 を解 決で き るこ とに

期待

を持 っ て い た . そ して, 僧 侶 らは その 要 求に対 して, 仏 教 が 初 め て

来 した 中 心 地 域の

外 郭

で あ る 地方と 山

地 域に その

影響

大 し な が ら, 期

に応 えた . 一然の 『三國 遺

事』

で神 異

目を

に 及 ん で述べ ら れ てい る. これ は, 少 な くと も 一考 え る に は, こ の よ

僧侶

らが

神異

な る

っ てい た こ とを

意味

し,

事』

全 般

れ る

らの は, そ こに由る とも

え られる.

6

 

と基

層信仰

で ある

神信仰

関係

変化

は,

対す

仏教

か らの

授戒

に よ く現 れ てい る . 『三 國遺

事』

巻三 塔 像, 第四の 五 臺 山萬

眞身

と巻四

義解

五 の地

藏定律

,心 地

租,

呪,

六の

降龍

で は ,それぞれの

神, 人 神, 山

, 熊

わっ た

竜な どが仏

か ら

受 戒

した . こ の よ

な仏 教 と神の

(5)

『三國遺 事』に お け る神の受戒 につ い て (孫) (

29)

関係は 中 国 仏 教 の 理 で も考え られ る こ とになる. 「高 僭 傳 』 巻六 の曇 邑伝で は

夢 見

禪 求受

戒爲

法授戒」

T50, 

362c

)と, 神に授 戒 して以 来, 中 国仏 教の 神は

層的 な意 味と して の仏 教が深 層 的 な意 味を持つ ため に克服 す

対 象

と し 必要な

存在

とい

でその意 味を持つ ように なっ た . つ ま り, 山林に進 出して 山

に出

い , それ を仏教に帰 依 させ て 仏 教 を

る よ

る 思想 を形 成 させ た もの で ある. その具 体 的 な方 法の一つ と して

戒 を

た の だ.

1

) 盧重 國 (

1999

)を参照,

2

) 慈 藏の 生涯につ い て の基 本資 料 とし て は, 逍 宣の 『續高僭 傳』「唐 新羅國 大僭統釋  慈藏 傳 」 (

T50

639a

640a

「唐 京 師 普 光 寺 釋傳 」 (T50 ,

540c

541b

と道  苑珠 林』

64

「唐 沙門釋 慈 藏傳」 (T53,

779b

cほ か に も 三 國 遺』 「藏 定律 」 (T49 ,  

1005a

1006a

)などを参照.

3

)長 坂一郎 (

2004

)を参 照.

4

)南東 信 (

1992

)を参照 .

5

)南武 熙 (

2001

)を参照 . 〈参考文献〉 盧 重 國

1999

「古代 蔚珍 9]歴史 概 觀」 『韓 國古 代耐 會 斗蔚 珍地 方』 韓 國古 代 史學 會. 吉田一彦

1995

『日本古 代社 会と仏 教』 吉川弘 文館 . 長坂一郎

2004

『神 仏 習合像の研 究』 中央 公論 美術 出 版. 南 東 信 1992 「慈藏潮佛教思 想斗佛敏 治 國策 」『韓 國 史研 究』

76.

南 武 煕

2001

「『績 高僣 傳』 「慈藏傳 」 斗 『三國遺 事』 「慈藏 定律 」

Pt

原 典内容 比 較」 『文學   史學 哲學』

19

. 吉 川忠 夫

2011

「『高僧伝 』か ら 「続高 僧伝』へ 」 『図書』

744

, 岩波 書 店.

Strickmann

, Mi。

hel

1978.

  “

A Taoist Confirrnation of Liang Wu −Ti’s Suppression of Taoism .”

 

.ノ

borrnal

 of  the American 

Oriental

 

So

〔]iety 

98

4

).

〈キーワー ド〉 『三國 遺事』,習合現象, 基層信 仰

参照

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