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こぺる No.058(1998)

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日(毎月1回お日発行)ISSN 0919 4843 こべる刊行会

NO. 58

部落のいまを考える⑫ 解放へと導く力を育むために(上) 一一奈良におけるアンケート調査から 山下 力 ひろば⑪ 京都新聞文化賞を受賞して 一一『三輪車疾走』所載の討論を読む 師岡佑行

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部 落 の い ま を 考 え る ⑫ 力 ︵ 部 落 解 放 同 盟 さ 小 良 県 連 ︶ 〆 j J /

解放へと導く力を育むために

| 1 J 奈良におけるアンケート調査から

はじめに 一九六九年に同和対策事業特別措置法が制定されてか らすでに二八年が経過した。この間、わが国の高度経済 成長を背景に、様々な分野における特別対策としての ﹁同和﹂対策事業の効果もあって部落内外の生活実態面 における格差は著しく縮小してきたのは確かな事実であ る。しかし、あに図らんや、部落への差別意識は克服で きていない。あろうことか、利権主義がのさばり、﹁法﹂ 依存の風潮が部落民の主体性を喪失させ、部落内のしん どい立場にある人々が η 冷たい人間関係 μ の中で放置さ れ る よ う に な っ て き た 。

︵ 上

部落と運動のありのままの現実を見ていける英知と勇 気、そして、この現実を変革していくための大胆な発想 の転換が要求されている。そのポイントは四点ある。第 一点は、﹁被害者意識﹂や﹁被差別の立場﹂から私たち 部落民が自由になり、﹁解放の立場﹂からの発想を大切 にしていくことであり、第二点は、﹁法﹂依存主義を克 服すること、第三点は、﹁部落差別はあってはならない もの﹂とするのではなく、むしろ﹁部落差別があってお かしくない﹂とするところから出発し、単なる﹁本音と 建前﹂の投げ合いのとり組みから脱皮すること、そして 第四点は、徹底して自主解放の精神を大切にするという こ と で あ る 。 まず、これまで私たちがすすめてきた﹁同和﹂教育や ﹁同和﹂啓発の次のような基本パターンを疑いをもって こベる 1

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、 •', ,, 省 み る 必 要 が あ る 。 ﹁差別はいかなる理由をもってしても絶対に正当化 されない最大の社会悪であり、人間の尊厳を犯す犯 罪 で あ る ﹂ と 規 定 す る 。 ‘一ー ﹁ 差 別 し な い ﹂ ﹁ 差 別 さ せ な い ﹂ こ と を 目 的 と す る 。 ‘一ー ﹁ 正 し い 認 識 ﹂ を く り か え

L

注 入 す る 。 この基本パターンから何が生まれただろうか。﹁二度と 軽率な言動をするまい﹂﹁部落問題はできるだけ避けて 生きよう﹂主いう傾向だけだったと言えば言いすぎにな る の だ ろ う か 。 加えて、これまでの﹁正しい認識﹂の根幹を形成して きた部落史観が根底から変更を余儀なくされ、いわゆる ﹁貧困史観﹂は全面的に崩壊しようとしている。 ま た 、 柴 谷 篤 弘 氏 は 、 個人が差別を身につけないで育つことは、ほとんど f 不苛能であろう。戸ただ一つの救いは個々人の人間ば ︵動物とちがって︶その正確な内容は未決だとしで も、ある種の倫理的な意識をみにつける能力を生理 的にもっていることである。だから通常、人は歯止 、 め な く 差 別 に 徹 し き る こ と は 困 難 で 、 む し ろ 社 会 的 今 になされる戦いに参加し、あるいは孤独な個人の戦 いとしてもこれを発展させる能力をもつのが普通で 2 あ る 。 と指摘している。要約すれば、部落民であれ誰であれ、 差別という間違いを犯す可能性をもっている。と同時に、 他者との共同のとりくみや個人的なとりくみを通してそ の差別意識を克服し、自らを解放に導く能力を潜在的に もっているということだろう。 私たちの身のまわりには様々に差別が存在している。 これまでの部落解放運動や﹁同和﹂教育は、たかだか、 ﹁差別だ﹂﹁二度とするな﹂と指摘するだけで、具体的な 行動につながる技術や技能︵スキル︶を育てるという面 で大きな欠陥があった。運動体や行政に﹁おまかせ﹂で は自らの差別意識を克服し自らを解放へ導く主体的な力 は育たない。昨今、私たちが大権教育の手法をてらいな く 受 吋 入 れ 、 学 ぽ 、 ヴ と す る 基 本 的 な 態 度 小 は と こ か も で て

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' ' き て い る 。 過去数年間、自治研センターの吉田智弥氏から機会あ るごとに示唆に富んだ具体的な提起をくり返しいただい て き た 。 ﹁自分が部落出身であることを知った﹂のは小学 校卒業までに←九O% ﹁ 家 族 ﹂ ﹁ 親 類 レ ﹁ ム ラ の 人 ﹂ ﹁ 先 生 ﹂ か ら 知 ら さ れた←八六% ・その時、部落差別それ自体の意味を理解できなか った←八八・六% この八七年﹁部落出身高校生意識調査﹂の分析の中で、 部落の子どもたちにとって﹁味方﹂である人たちから ー ﹁ 部 落 ﹂ を 知 ら さ れ 、 ﹁ 何 も 思 わ な か っ た い ﹁ 何 を 意 味 す る の か 分 か ら な か っ た ﹂ 等 々 、 ﹁ 判 断 停 止 ﹂ ﹁ 理 解 不 能 ﹂ のものが八九%に達する事態について、﹁この数字は無 惨である﹂と吉田氏は論断した。加えて、差別を受けて、 何らかの反発、抵抗の態度を示したものが三割にも満た ない現実をみてべ﹁反発できなかった﹂場合の理由や条 件を解放運動の観点から検討し、現実的に可能な対応策 を 提 示 し な け れ ば と の 指 摘 も あ っ た 。 運動体の実践は常に愚鈍な側面をもっ。遅ればせなが ら、県連各支部の活動家二百数十人へのアンケート斤差 別と出会ったとき、あなたならどうしますか﹂をもとに 討論の入り口を設定し、流れを創ろうと試みた。以下は、 アンケート回答にたいする私のコメントである。 − 相 手 が あ な た を 部 落 民 と 知 っ て 差 別 す る ケ

i

︹ A ︺結婚に反対する親や兄弟・姉妹、親戚の人々へ の抗議または説得の言葉は? 総務庁地域改善対策室︵地対室︶の九三年同和地区実 態把握等調査によれば、部落民の一三二・二%のものが ﹁ 人 権 侵 害 あ り ﹂ と 回 答 し 、 人 権 侵 害 の 内 容 別 回 答 で は 、 ﹁結婚﹂が二四・二%で最も多くなっている。いまもむ かしも結婚が最大の障壁であることに違いはないようだ。 このアンケートでもまず最初に結婚をめぐる反対とそれ に対峠する部落民の側の抗議なり説得なりの状況から検 討 を 始 め る こ と に す る 。 こぺる 3

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(1) 親戚の反対は、ほとんど無視 ||反対する兄弟・姉妹はオルグ対象 親戚へ︿ All ﹀ @結婚は二人の一生のこと。親戚が口をはさむべき で な い 0

0

自分も差別されるの恐いんか。 。部落に親戚ができるのがそんなに悪いことか 0

0

だ ま っ て 縁 を 切 る 。 。いずれの日にか理解してもらえると思う。

O

結婚してなにか問題おこったら離婚する。 兄弟・姉妹へ︿ Al2 ﹀ 。もし、あなたたちが反対の立場であったらどう考 ぇ、どうじますか?自分と相手と互いに幸せに なればそれ以上望むことはないと思います。今ま での考え方をぜひ直してほしいと思います。 。好きな人と一緒になんのが一番ベストだから兄弟 や っ た ら 応 援 し て く れ 。 。﹁それはまちがった考え方や﹂と一応オルグする。 @一緒になる二人をはげましてやって。 。あんたらには好きな人いいひんのんか。 。あなた方も好きになった人が部落民だとどうしま す か 0

0

話 を 聞 い て 下 さ い 。 。兄弟なのに気持ちがわからないのか。 。愛には差別はない。皆で見守ってやるべき 0

0

今後も仲良くして下さい。︵迷惑でなければ︶ @本人しだいゃから、おうえんしてやって。あんた と、どこの子と一緒になるかわからへんやろ。 。同じ人間であるということを訴え、なぜ結婚した い の か を 話

L

、応援してほしいとお願いする。 。好きおうた仲をさくようなこと自分されたらどう 4 ど 、 つ 回 也 、 つ 0

0

反差別人間解放運動をすすめる。 や ? ほとんどの回答の基本的な流れは、親・きょうだい・ 親戚とも同じである。しかしその中にあって︿ All ﹀ にあるように、親戚の反対に対しては無視しても構わな いという特徴がでている。核家族化や少子化という時代 を反映しているのだろうか。また、︿ A | 2 ﹀に明らか なように兄弟・姉妹に対する対応が面白い。親や親戚と

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違って年齢も接近しでいるせいか、積極的にオルグ対象 化しでいる。﹁もし、あんたが反対の立場やったらどう しますか﹂﹁好き合った仲をひきさくようなことを自分 がされたらどう思うか﹂と同じ目線からの訴えは、それ な り に 説 得 力 を 持 つ の で は な い か 。 (2) 根拠の暖味な反対に激しい憤りは当然

li

しかし、なお求められる試練とは 地対室の九三年調査で、﹁結婚相手を決めるとき、家 柄とか、血筋を問題にする風習﹂について問いかけたと ころがある。部落の側の回答は、﹁当然のことと思う﹂ 五・七%、﹁おかしいと思うが自分だけ反対しても仕方 がない﹂一七・三%であるのに、部落外の人々のそれは 各々、一四・O%、一三・O%。自分の身内が部落の人 と結婚するのに反対と異議申し立てをする部落外の人々 の意識もこれと同様のものではないかと推察できそうで ある。すなわち﹁反対﹂に確たる根拠があるわけではな いのだ。周りの人々のほとんどが部落民との結婚を忌避 しているから自分もそうするというにすぎない。 親へ︿ A13 ﹀ O部落がいらんのやったらこっちも結構や 0

0

明 日 か ら あ ん た ら と は 他 人 だ 。 一 @何ゅうてんや。部落ゃから結婚できへんのか。俺 何 ゃ っ た と い う ん や 。 。 同 じ 人 間 な の に 、 な ぜ 反 対 す る の か 。 @お前らとどう違うんぞ! 。﹁そんなこという親とは思わんかった﹂と返す。 @部落ゃからと言って反対するのは差別です。 。二人の問題なのだから放っておいてください。 。﹁なんで反対するのか知りませんが﹂と、とぼけ て か ら ﹁ 当 人 同 士 の 問 題 、 だ か ら ﹂ と 言 っ て 去 る 0

0

あんたに何か悪いことしたか。反対する理由はな い 、 人 間 性 を 見 よ 0

0

子 ど も の 気 持 ち を 大 事 に で き へ ん の ん か 。 。何故﹁部落﹂ということだけでダメなのか。子ど もの幸せを考えた時、どうなのかを考えてもらう。 @あなたの息子さんは部落民であるこの私を好きに なってくれました。息子の幸せを願う親なら何も い わ ず に 祝 福 し て く れ る は ず で す 。 。俺が好きになった人やったら、どんな人でもええ こぺる 5

(8)

ゃ ん け 0

0

あんた子どもかわいいないんか、好きおうてんの

O

好きな入と結婚じた方が幸せ。別の人と結婚して 別 れ る よ り ま し ゃ る 。 兄弟・姉妹︿ A 1 4 ﹀ 。部落がいらんのやったらこっちも結構や 0

0

﹁ も っ と 勉 強 せ え ! ﹂ 。あなたたちに私たちの人生を選択してほしくない 0

0

わ が 道 を 行 け 。 。 同 じ 人 間 で あ り 関 係 な い 。 。同じ人間や、好き好んで部落に生まれたんとちゃ λ ノ 。 。二人の問題なのだから放っておいてください。 @ ほ っ と け ぇ ! 。 。何、言うんや!本人同士、好きおうてんや!

O

自分と結婚相手の問題や!関係ないやろ 0

0

お 前 ら そ ん な や つ や っ た ん か 。 ?

O

同じ人間なのになぜ反対するのか 0

0

文 句 を 言 、 っ 。 。 部 落 民 で も 気 持 ち は 純 情 や 。

O

結 婚 し ま す 。 。 説 得 で き な い 。 部落の側の当事者が、﹁俺が何をやったというんや﹂一 ﹁お前らとどう違うんぞ!﹂と突きつける抗議の刃は極一 めて人間らしい行為である。﹁あんたたちに二人の人生一 を選択してほ

L

くなどという投げかけもカツコがイイ。一 ﹁部落がいらんのやったらこっちも結構や﹂﹁黙って縁き一 る﹂というタンカの一つもきってみたいところであり、一 J 拍手を送りたいところだ。しかし、この潔い態度のとり一 かたからは﹁ケンカ別れ﹂の結果しか期待できないとい一 う不安がある。あえて、親やきょうだいの意にさからつ一 てまで部落の人を伴侶に選択しようとしているパ l ト 一 ナ l の苦悩にも付き合ってやらねば、何が恋だ、何が愛一 ﹂ い け か 一 だということにならないだろうか。﹁あなたと一緒にな一 りたい。親やきょうだいとの関係も断ちたくない﹂とい一 うパートナーの思いを共有していくための試練にたちむ一 か う 必 要 が あ る 。 一 6

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(3) 被差別側の渦中にわが子を入れたくない e ||この肉親の思いは﹁偏見﹂か 前に述べたように部落の人との結婚を思避するのは、 ただただ周りの人々がそうするから自分もするのであっ て、忌避する根拠など定かではない。部落の人との婚姻 を避けることが常態化している社会の中で、わが子やき ょうだいがあえて部落の輪の中に参入することを心配し ていることの率直な態度の表現が﹁反対﹂ということで あれば、それは﹁偏見﹂というよりも﹁エゴイズム﹂と 一言った方が的を得ているのではないか。グ赤信号、みん なで渡ればこわくない μ の類の日和見主義的な選択とも 言 え る 。 親へ︿ A 5 ﹀

O

結婚を反対する理由はなんですか?あなた方は 単なる偏見によって誤解しているだけです。部落 差別は社会の中で封建的にできたもので、部落と いうだけで差別する理由はないと思います。私は あなた方を説得

L

、納得してもらうまで毎日、訪 れ ま す 。

J

O

L

、あなたたちが反対の立場であったらどう考 ぇ、どうしますか?自分色相手と互いに幸せに なればそれ以上望むことはないと思います。今ま での考え方をぜひ直してほしいと思います。 。部落であろうとなかろうと、本人︵人間性︶が大 事。偏見ではないですか。 。﹁部落とそれ以外と何が違うのか﹂徹底的に追及 す る 0

0

結婚というのは本人どおしのことで、家柄とかは 関係はないのではと言ってしまうかもしれない 0

0

市民的権利と自由が平等であることを説明する 0

0

二人の幸せを部落民だといって反対する権利はだ れにもない 0

0

大事なのは、本人の気持ちだ!部落であること をわかっていっ

L

主になる気持ちを大事にすべき 0

0

聞いた部落民と見た部落民をくらべて見てくださ ︸ V

O

同じ

λ

聞や、好き好んで部落に生まれたんとちゃ 、 ﹁ ノ 。 。部落民でも気持ちは純情や 。同じ人間としてどこが違うのか。差別するのは : もj ーーーーーーーーーーーー四ーーーーーーーーーー四ーーーー『ーーーーーーーーーーーーーーー四ーーー−−四ーーーーーーーー回目ー−−−【】ーーーーーー回目ーーー回目一一一一−, こベる 7

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我 々 の 年 代 で 終 わ り に し ま し ょ う 。 ﹁ あ な た 方 は 偏 見 に よ っ て 誤 解 し て い る だ け で す ﹂ ﹁ 部 落 差 別 は 社 会 の 中 で 封 建 的 に : : : ﹂ ﹁ 結 婚 と 家 柄 は 関 係 な い の で は : : : ﹂ ﹁ 市 民 的 権 利 と 自 由 が 平 等 に 保 障 さ れ る べ き で は : : : ﹂ 等 々 が 、 親 や き ょ う だ い の ﹁ 反 対 ﹂ に 対峠するものとして最も多くだされている声です。簡潔 にまとめれば、部落差別問題への正しい知識や認識が不 足しているために部落︵部落民︶への偏見を克服できず、 自分の身内のものと部落の人との結婚に寸反対﹂するの だ と い う 論 法 で あ ろ う 。 しかし、現実には﹁反対﹂者を説得できてこなかった のではないだろうか。昨今、部落史の見直しがすすみ、 ﹁貧困史観﹂なるものが見捨てられる日も遠くないと言 われ、これまでうたがわれることの少なかった部落問題 に関わる﹁正しい認識﹂があやふやになってきたからだ け で は な い 。 偏 見 に 基 づ く ﹁ 反 対 ﹂ 、 と い 、 小 よ り は エ ゴ イズムや日和見主義に依拠した﹁反対﹂という色彩が濃 いということになれば、これまで見てきたような対応で は相手の気持ちと騎み合わないということになってしま う の で は な い か と 思 う 。 (4) 常態化じている暖味な差別的潮流の中で ||当事者らの不安をやわらげていくために ﹁正しい知識・認識﹂の注入で偏見を克服していく、一 とするこれまでの﹁同和﹂教育や﹁同和﹂啓発の基本的一 、な流れに疑問が生じている。この深刻な事態に、運動体− はもちろんのこと、教育や行政関係者もさほどの関心も一 払っていないようだ。常態化しているこの暖昧な差別的一 潮流の渦の中に投げ出された当事者だけがもがき苦しん一 でいる。﹁われわれにとって部落解放とは、招来せられ一 るべき状態でもなければ、現実が指向すべき理想でもな一 ぃ。われわれにとってそれは、現実を廃絶

L

ょうとする一 現実の運動である﹂︵柴谷篤弘氏︶という言葉をここで一 も引用し紹介したい。もがき、苦しむ現実の格闘の中か干一 ら確かな進路が見えてくるものと確信

L

ているからだ。一 8 親 へ ︿ A | 6 ﹀ @親や兄弟姉妹・親戚等々と結婚することではない。 自分たちこ人がお互いの人格を認めあった上での 結 婚 と い う こ と か ら 説 得 し て い く 。 。二人でいっしょうけんめい生活し、幸せになるこ

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と を 誓 い 説 得 す る 。 ’ 。一緒になってから二人で少しずつ分かってもらう 0

0

自分たちの一生を見ていて下さい。 。部落民である前に個人として評価してほしい。ー部 落と結婚するのではなく、私と結婚するのに、他 人のことばかり気にするんですね。あなた方と結 婚するのではありません。 。おれをみてくれ 0

0

自分の信念で行動するから許して下さい 0

0

結 婚 し ま す 。 ︵ 理 由 を き ち ん と 聞 い た 上 で ︶ @おたがいがひつようとしています。 。なぜ、部落民だと結婚できないのか、その理由を 言ってほしい。それに対して︵理由に対して︶筋 が通っていてもいなくても同じ人間であるという 事 を 訴 え る 。 ﹁反対﹂しているものは、部落民との婚姻を忌避する ことが常態化している社会の中で生きてきたものとして、 身内がその忌避の対象となる部落の一員になることが心 配なのである。だから部落差別のなんたるかを口を酸っ ぱくしで説明しても心に届かない。この心配と不安に真 正面から対峠していくしか手はないのではないか。︿

A J

− 6 ﹀群にその可能性がみてとれるのではないかと期待 し た い 。 −お互いにいかに愛し、思いやり、尊敬しあってい る か 。 ・お互いにどんな人格や個性を評価しているのか 0 . 二 人 し て め ざ す 家 族 観 。 −将来、仕事や社会活動でめざしていく方向につい て 。 ﹁少子・高齢化社会﹂についてのこ人の決意や願 い に つ い て 。 そもそも親の側からは子どもの将来についての心配の 種は山ほどあるものだ。部落差別問題もかなりの心配ご とではあるが、本当のところ、それほどでもないかもし れない。二人して当事者たちが、どんなに努力をして、 どんなに楽しく、どんなにすばらしい未来をきりひらこ ヴとしているのかについて語り合うことではないだろう か。二人の人生にかける熱い思いと地に足のついた計画 だ け が ﹁ 反 対 ﹂

L

ている人たちを説得できる力を持つの こぺる 9

(12)

だとの提起について大いに論議してもらいたい。 ︹ B ︺友人の家に遊びにいったとき、友人の親から ﹁もう、つき合わないで下さい﹂といわれたとき ー h に返すことばは? 川部落の子どもの最初の被差別体験 八七年の﹁部落出身高校生意識調査﹂や九

O

年の﹁同 和地区青年・中堅層の生活意識調査﹂でも明らかなよう に、小学校から中学校の段階での部落民側の被差別体験 で最も多く派生するケ l スがこれである。思春期をむか えての部落外の親の介入が目立つのは、やはり恋愛・結 婚を意識してのことだろうか。 いずれじしても、部落の子どもらのショックはかなり のものである。友人の親から、唐突に想像だにしなかっ た対応を浴びせかけられ、多くの場合 1 ﹁ 頭 ま っ

L

ろ ﹂

ι

いう思考停止に陥ってしまうという。 友人の親へ︿ Bll ﹀ 。分かりまんた。もうつき合いません。あんたのよ うな親の子どもなら長くつき合ってもたいした友 人にもならないと思いますから、と言う 0

1

0

べつに悪いことしたんでないのに、来んなってい ってもらうことない。もう、つき合いやめるか 0

0

ハイ!わかりま。差別をする様な人々とはこち らからお付き合いをおことわり致します。 。 そ う で す か 、 こ っ ち も い ら ん 一 ゎ 。 。お前とつき合ってんとちゃうやろ 0

0

そんな友人の親なら行かない。 。差別が原因ならあなたは差別者と糾弾して縁を切 る 。 ︿B 1 1 ﹀に列記されている対応の中で、即時に返せ る言葉は九﹁ハイ、わかりました﹂が精一杯ではないか。 ﹁あんたのような親の子どもなら長くつき合ってもたい した友人にもならないと思いますから﹂とか﹁差別する 様な人々とはこちらからお付き合いをお断り致します﹂ などの対応は、決して即時対応の中ででた言葉ではなく、 現場を立ち去る道すがらにひとり言としてつぶやきなが ら自ら慰めるために付け加えられるセリフだとしか思え ごミ 0 ・ 4 山 U U 10

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(2)

1

.

!

正 現 面 実 かーか ら ら の 逃 葛避け 藤 せ を ず : ︿

B

ー 1 ﹀群の展開で終始してきた場合が多かったの ではないか。運動体が差別事件として関わってきたケ l 久でもある。しかし、ここで当事者が主役の座からおり てしまって、事態の推移を運動体まかせや行政まかせに なったとき、見当事者であった部落の子どもが変革し、強 く、賢く成長

L

ていく道は封じられてしまうのではない だろうか。また、﹁そうですか。こっちもいらんわ﹂で は、﹁別れ﹂を仕掛けてきた部落外の親たちの側の一方 的勝利であり、暖味模糊として、しかも、常態化してい る部落民忌避の風潮を生きながらえさせるだけだ。 友 入 の 親 へ

O

何故つきあってはいけないのか?本人の意志は あなたの意志ではありません。子どもを人間とし て扱ってあげて下さい。あなたのロボットではあ りません。本人はどういっているのか?どう思 っているのかが重要で、あなたの意志はあなただ け の 意 見 で す 。 ︿

B

| 2 ﹀ 。なんでつき合ってはいけないのか。私が J 部落の人 間 だ か ら で す か 。 。﹁なんでですか﹂と問い返す。親が口実にする理 由に一つひとつ反論する。 。あんたも子をもっ親やろ。自分の子がこんな事言 わ れ た ら ど う 思 う ね ん 。 。何故、つきあってはいけないのかの理由をただす。 そして、その人自身の人権についての考え方を問 い 返 し て み る 。 。何か迷惑かけましたか、と聞く。 友人の親へ︿

B

ー 3 ﹀ 。あなたに言う権利はありません。本人の意志です 0

0

私と友達がつきあうのかつきあわないのかは、私 と友達が決める事。あなたは、あなたの子どもを 差別者にするつもりですか。 。なぜつき合ってはいけないのか理由を聞く。大入 がそんな風に差別するから子どもは理由もわから ないまま差別をするんだということを話す。 。私も友人も気が合って交友しているのであって、 あなたに言われるすじあいはなく、何の迷惑もか こぺる 11

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け て い な い で し ょ う 。 。なぜつき合ったらあかんのや。そんなこと言った ら友達できなくなるで。誰ともつき合っていけへ ん で 。 。 本 人 に ﹁ 付 き 合 う な ﹂ か ら も 付 き 合 う 。 って言われてへんからこれ 差別の現実から逃避する道は簡単なようで簡単なこと ではない。一つ一つの現実︵差別攻撃︶から体をかわせ ても、肝心の部落差別を払拭し、解放の手ごたえを得る 道を閉ざしてしまうからである。面倒がらずに差別と真 正面からむき合うことが大切ではないか。︿

B

2

﹀ 群 で示されているように﹁なぜつき合ってはいけないの か﹂と食いさがることであり、︿ B13 ﹀のようにしっ かりと自分の意見を言うことだ。﹁もう、うちの子ども とつき合わないでほしい﹂という親の側には理のカケラ もないこ色を知ってほしい。みんなで知恵を出し合い、 理不尽な親との討論を楽しむぐらいの余裕があってもい いと思う。このやりとりのきわめつけは、﹁なぜ、つき 合ったらあかんのや。そんなこと言っていたらあなたの 子炉﹂もは友だちができをくなるで。誰ともつき合って行 けへんで﹂にあるだろう。そして惜しくも欠落している のは、親友相互が意見を交換して、共々に親と対峠して い く 視 点 だ け で あ る 。 ︵ 未 完 ︶ 12 ︵ 本 稿 は 、 一 九 九 七 年 九 月 六 、 七 日 に 開 か れ た 第 二 四 回 奈 良 県 部 落 解 放 研 究 集 会 第 二 分 科 会 ﹁ 反 差 別 ・ 人 間 解 放 の ム ラ づ く り ﹂ で の 山 下 報 告 に 手 を 加 え た も の で あ る こ と を お 断 り し ま す | | 編 集 部 ︶

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ひろば⑪

ー ー ヲ 一 輪 車 疾 走 ﹄ 所 栽 の 討 論 を 読 む 師岡佑行︵京都部落史研究所︶ 師走を迎えて慌ただしい。先日、 Y さんから﹃三輪車 疾走﹄に載せられた座談会の記録のコピーを送ってもら った。はじめて知ったが、﹃三輪車疾走﹄とは斎藤次郎 さんが主筆兼発行人の雑誌、これは五

O

号、最終号であ った。﹁神戸事件を考える||﹃透明な存在﹄が投げか けたもの﹂がテ l マである。神戸事件とは A 少年が年下 の友人を殺害して、その首を校門にさ戸りした周知の事件 だが、いまだにその正体をつかみ切れず、幾層にも重な った澱のようにわたしの心のなかに淀んでいる。 この事件について書かれた文章のいくつかに目を通し た。しかし、吉岡忍さんの﹃文芸春秋﹄九月号のルポの ほかはすべて紋切り型に終っているように思えてならな かった。だが、この﹁徹底討論﹂の記録は違った。考え させられるところが多く、鉛筆を取り出して傍線を引く ことになった。﹁ぼくたちはどこかで時間に宙づりにさ れてしまった。彼と共にでも、彼と敵対してでもいいけ れども、同じ時間を生きてきたのだということをぼくは 自分のなかで確かめたいと思いました﹂という斎藤さん の発言はもやもやとしたわたし自身の気持にくっきりと 形を与えてくれた。そして、現在、精神のありょうが非 常に危機的なものになっており、何かが決壊したとみる 芹沢俊介さんの意見にたいして武田秀夫さんが﹁ぼくは 逆なんですね。もっと無邪気にやったんだろうと思う。 まったくイノセントな状態でやった、つまりモラルとか いうものが入ってくる以前の子どもの状態というか、人 間の状態だからこそ、こういうことが起こりうるんじゃ ないかと思う﹂と話されていることばには息を呑んだ。 代用教員として小学校で学級を担任したり、レッド・ パ l ジ後は長らく学習塾︵一九四九年から一九六二、三 年頃まで。勤務していた小学校は母校であり、学区内に 家があって、クピになってすぐに母親たちに頼まれて始 めた。多分、戦後の塾の草分けかも知れない。これで生 活費だけでなく、学費もかせぐこととなった︶を聞いて いたこともあって、自分の子どもはいないにせよ、それ なりの子ども像はもっていた。しかし、そのなかには、 ここで武田さんが指摘された見方はまったくなかったと いってよい。﹁子どもの無邪気な残酷さといったことを 含めて、そういうことを要素として想定しないとちょっ と理解が届かない。なまじモラルなんか持っていたら、 とてもできることじゃないですよ。だからぼくは、遺体 こベる 13

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を切断しているときに、怯えたりはしなかったんじゃな い か と 思 、 つ ん で す ﹂ 。 た め 息 が 出 た 。 じかも、武田さんはこのことについて、﹁現代とかい まの日本というものが隠れた作者である﹂との﹁理解の 仕方﹂があるとともに、﹁その一方で、ぼくはニのクニ にある一種のニヒリズムというのかな、そういったよう なものが噴き出したのだと考えます﹂という。﹁時代の 皮が薄くなったかなんかしてそうしたものが噴き出だし た﹄とみるのである。事件が大きな空間と時間のなかで、 しかもきわめて精織で細やかな心の行き届いた語り口で 示 さ れ て い る 。 横井清さんの論文﹁殺生の愉悦 1 1 i 謡曲﹃鵜飼﹄小 考 ﹂ ︵ ﹃ 的 と 胞 衣 111 中世人の生と死﹄所収、平凡社刊︶ が引かれているのも、そのひとつである。横井さんは中 世 に つ く ら れ た こ の 謡 曲 で は ﹁ 面 白 ﹂ を 一 一 一 度 ま で く り か えすことで、漁や猟の営みがなによりもまず﹁愉悦をも たらすもの﹂であったことを、明示していると指摘しつー っ、﹁殺生﹂が﹁己が心に愉悦をもたらすものであるこ とを直視したい﹂︵傍点は師岡︶と述べる。しかし、現 実にはこのことから﹁目を逸しがち﹂であるとして、 ﹁ 人 一 と し て 堅 持 す べ き 一 種 の H 倫理 4 観が過去の問題の 考察に際しても自ずと避ける皮膜を私たちの眼球にもた

y

b

しがちなのではあるまいか﹂と指摘する。この論文は 興味深く読んでいた

L

、釣りを通じて直接お話を聞きも した。しかし、この事件にさいして浮かんでくることは な か っ た 。 一 ところが、武田さんは、そうではなかった。﹁迂遠の ようでも今度の神戸の事件を考える時に、いわゆる﹃倫 理の皮膜﹄によって﹃殺生﹄ということ 1 ﹃ 殺 生 の 愉 悦 ﹄ ということが、すっかり隠されてしまった今の時代や社 会のあり方を視野に入れて考え直す必要があるのではな いか﹂と提言されるのである。横井さんの中世について の理解が時空をこえて現代のもっとも困難な問題を解く かぎとして息づいている。武田さんの読みの深さに敬服 するとともに歴史の研究とはどのようなものであるかに つ い で あ ら た め て 感 じ さ せ ら れ た 。 14 武田さんは、この事件で首が校門にさらされた事実に ついて﹁平地で同じ水平なところにその人間の目があっ てやったことではないという気がする。上から見ている という気がする。そしてぼくはすぐに﹃銀河鉄道の夜﹄ を思ったんですよ﹂と語られているのに驚いた。まさか、 宮沢賢治がこんなところにとび、だしてくるとは考えもじ なかったか町である。﹁町があって、裏山があって、少 年がその裏山に座っている。空を見て、白生を見て、それ か ら 百 の 下 の 町 の あ か り を 見 て 、 や じ が ℃ 幻 想 の 中 に 入 つ

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ていく﹂。ジヨバンニ。裏山はタンク山なのだ。武田さ ん は A 少年を﹁マ不ナスのジヨパンニ﹂だとみる。 ’ な に も 奇 を て ら ! っ て 賢 治 の 作 品 に 言 及 さ れ て い る わ け ではない。﹁ぼくは自分の子

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ものころに、スーツと幻 想の中日入ってしまって抜け、られなくなるというような 経験をしたことがある﹂し、娘さんにも同じような経験 があったことをベ l スに語られていて﹃銀河鉄道の夜﹄ を通じてジヨパンニは武田さん自身でもあるとの思いが こめられている。﹁透明な存在﹂ということばが出てき たとき、﹁もうほんとにドキッとした。自分の中で、あ る意味では﹃この酒鬼蓄積聖斗という少年は俺だぜ。少 年時代の俺、いまでもある自分だぜ﹂というところがあ りましたからね﹂と武田さんはいう。おそらく、資質の 問題であろう。こうした経験を記憶にのこるほどには持 たないわたしだが、武田さんの話されていることはよく 理解できるし、この事件の内奥に迫り得る唯一の出発点 か も 知 打 な い 。 ﹁第二、第三の事件が起きるぜ、処方せんは当面ない ぜーといいたい。:::まずはとどめがたい﹂というのが 武田さんの判断だ。﹁ぼくは今度の事件を契機心、自分 の中にもある狂気、暴力性をどうするかということを考 えることがまず先だ、と思いましたね﹂という。﹁子ど もたちに何かいうより、大人に、それこそ星空を見て考 えろ、といいたい。子どものころを思い出さ会い、ように している、あるいは卒業じたと思えばどうしても啓蒙的 なことばが子どもに向かって出てきてしまう。しかしそ れはだめなんですよ。もう一回自分の子どものころを対 象化したとき出てくることばが、もしいまの子どもに響 く こ と が あ れ ば 、 と 思 、 つ ん で す ね ﹂ 。 大 切 な こ と ば だ 。 これまで部落の歴史の定説だった﹁近世政治起源説﹂ がようやく揺るぎはじめた。多くの方がたの協力を得て 完成した﹁京都の部落史﹄全一

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巻︵阿件社刊︶はいさ さか寄与することができたのではあるまいか。完結まで に一八年の年月がながれたが、その編集、刊行にあたっ たことにたいして、この一一一月四日、京都新聞社から文 化賞が授与されることとなり、ありがたくお受けするこ とにした。﹁近世政治起源説﹂を取り払った部落の歴史 には関心が高まり刈京都部落史研究所が聞いでいる連続 講座﹁﹁京都の部落史﹂を読む会﹂や﹁近世政治起源説﹂ をめぐるシンポジユウムには参加者が多く、しかも京都 にかぎらず、九州、四国、中国や東海から来られる方も 少なくない。講演を依頼されることもしばしばである。 この六月、京都市内の中学校の先生方が同じ用向きで 研 究 所 に 来 ら れ た 。 A 少年逮捕で誰もがつよいショック を受けている日であった。わたしは用件よりもまえに学 こべる 15

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校ではどう受けとめられていますかとたずねた。ひとり の先生が、生徒もいろいろと開いて来るんですが、その 問題は﹁今日はノ l ・ コ メ ン ト ﹂ で か え し て い る ん で す 、 と重苦しく答えられただけだった。衝撃の強さがそのま ま伝わって、﹁そうでしょうね﹂という他なかった。教 育現場の難しさが胸にひびいた。そしてとらえあぐねた まま、ノ l ・コメントは今日に限らず、明日も、明後日 も 、 ぃ ゃ い ま ま で ず っ と つ 守 つ い て い る の で あ る ま い か 。 ノドに骨が突き刺さったまま授業が続けられる。そのな かで人権教育の一環として部落の歴史が教えられる。ほ んとうの意味での授業が可能なのだろうか。なにも教室 に限ったことではない。自治体などがすすめている研修 会などで話していても考えさせられるところでもある。 以前、わたしは﹁パ

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年代を前に、部落差別だけでな く、私たちを取りまく状況の一切が、きわめて捕捉しが たくなっている。困難な状況に置かれているといってよ い﹂と述べたことがある。一九七九年のことであった。 せめて専門の領域で問題点を明らかにしたいと取り組ん できたのが﹃京都の部落史﹄の編さんであったが、この 認識はいまもかわらない。バブルがふくれあがり、はじ けることによって聞はいっそう深まっている。ここでは 神戸の事件について﹁当面処方せんはない﹂と言われる 武田さんの見方と通底している。 しかし、いま武田さんの発言のいくつかをあげてきた のは、わたしの取り組みとのちがいがそこにハツキリと 現れているからである。さきにあげた吉岡忍さんのルポ ﹁ 酒 鬼 蓄 積 の ル l ツ ﹂ は A 少年の父母の故郷と重工業地 帯神戸との関係に焦点をあてて歴史的・社会的に事件の 背景を明ら dかにするものだった。学ぶところが多かった が、方法としてわたしのそれはこれに近いといえよう。 すぐれた﹁解釈﹂だとしても、なにごとも﹁変﹂えるこ とはできない。この点、武田さんもそうだとしても﹁脚 よりはじめよ﹂の﹁院﹂がなすべきことは確然と示され て い る 。 そ の 違 い は 大 き い 。 たたずんだままだったわたしに神戸の事件をとらえる 道が三氏の討論によって聞かれたと思う。なかでも武田 さんの発言には事件をこえて歴史にむかう多様な道筋に ついて啓示を受けた。わたし自身、あまりにも﹁状況は 捕捉しがたい﹂という自分のことばに安住しすぎていた。 文化賞を受けて﹃京都の部落史﹄について語ることを求 められる機会はますます増えるに違いない。しかし、そ れらは後進にゆずって、わたしは受賞を期に啓示にした がい、あらたな道をたどることに心を決めた。安住はか えって不自由である。間もなく老人用パスを支給される 年齢になってしまったが、自由を選びとりたい。ただ、 その前にしばし休息をとらねばなるまいが。 16

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鴨水記 マ人権擁護推進審議会で討論が重ね られています。審議の進め方などを めぐってやりとりがなされた一回目 はともかく、憲法学者と国際法学者 の報告をもとに討論した二回目と三 回目は実に興味深い内容になってい ます。議事録によると﹁人権とはな にか﹂がよくわからないということ らしい。各委員は良く言えば自由に、 悪く言えば思い思いのことをしゃべ っているとの印象は否めない。いず れ討論が進んで、﹁共通の認識﹂と してまとめられるのでしょうが、 少々心もとない気がしないでもない。 会長は﹁とにかく五年間あります ので、十分議論を尽くして﹂と語っ ているけれど、たとえば人権の概 念・内容、対象範囲、保障方法につ いて一応の通説はあるものの、必ず しも確定されたものではなく、各国 の 対 応 も さ ま 、 ざ ま だ と い う の だ か ら 、 それをまとめるのは並大抵のことで はないと想像する。また、ある委員 は﹁各種の人権条約を知っている企 業は大変少ない﹂と言い、ある委員 は﹁弁護土で人権規約について理解 している人は極めて少ない﹂と言い、 ある委員は﹁裁判官になっても国際 人権条約などについての理解は少な い ﹂ と 吾 一 日 ノ 。 ﹁ 世 界 人 権 宣 言 ﹂ を 知 っている人が三分の二、﹁国際人権 規 約 ﹂ を 知 っ て い る 人 が 二 一 分 の 一 と か。審議会がこのお寒い現実とどう 向き合うか注視したいと思います。 マ第羽田﹃こぺる﹂合評会︵日−

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︶は柴谷篤弘さんに話題提供して いただき、あらためて﹁破戒﹄につ いて討論しました。﹃われらが内な る隠蔽﹄︵径書房刊︶の著者でもあ る柴谷さんのお話は主に﹁隠蔽と告 白﹂をめぐってなされ、議論は﹁名 乗る・伝える﹂の必然性と内容、つ まり﹁なぜ名乗るのか、なにを伝え るのか﹂をテ l マにならざるをえま せんでした。議論は堂々めぐりをし ているようでいて、問題の輪郭が次 第に明らかになりつつあるようです。 マ山下さんの論稿は連載になります。 アンケートに対する回答をじっくり お読みください。そこには、驚きと 戸惑い、怒りが込められています。 それが部落解放運動の原点だと思わ ずにはいられません。運動と組織の 中で、こうした議論がなされること が 大 切 で は な い で し ょ う か 。 マ師岡さんに京都新聞文化賞受賞後 の感想を書いていただきました。ま だ 七

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歳、これからも大いに問題提 起を続けてほしいものです。 ︵藤田敬ご ﹃ こ ぺ る ﹄ 合 評 会 の お 知 ら せ 1 月 幻 日 ︵ 土 ︶ 午 後 2 時より 一 O 月 号 ﹁ 新 し い 綱 領 を 読 ん で ﹂ 師岡佑行さん 一 、 、 京 都 府 部 落 解 放 セ ン タ ー

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第二会議室 EO 七 五 | 四 一 五 | 一 O 三 O 編集・発行者 こぺる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所 京都市上京区衣棚通上御霊前下ル上木ノ下町739 阿件社 Tel. 075 414-8951 Fax 075 414叩8952 定価300円(税込)・年間4000円郵便振替 01010-7-6141 第58号 1998年1月25日発行

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﹃ 同和はこわい 考 ﹄ の発刊 以 来 八 年 、 と も あ れ ここに 、差別・ 被 差 別の両側か ら 超 え て 、 共 同 の 営 みを進めるための 対話が な り た っ た : : : 感 性 鋭 く 、 想 像 力 豊 か に 、 人 間 と 差 別につい て 、 広 く 語 り 合 い たい 。 | | | 編 者 被 差 別 部 落 民 の H 陰 H の 部 分 は 、 こ れ ま で彼らが 織 っ て き た H 光 H の部分を強調するだ け で克服で きる 課 題 で は な い 。 ま ず 、 H 陰 H 部 分 を H 陰 H 自 覚 し 、克服に向け た 真 剣 な 取 り 組 み を 通 じ て 、 H 光 H の 節 分 も 一 層 輝 き を 婚 す の で あ る 。 ー 住田 一 郎 ﹁ 被 差 別 都 落 民 の 感 性 に つ い て の 覚 書 ﹂ よ り

務開の

陰 貌

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−内容紹介 被差別の 陰 の 貌 一 九八六年 ︹ 座 談会 ︺ 金 時 鍾 + 土方 鉄 + 藤 田 敬 一 在 日 の 歴 史 の も た ら し た も の / 解 体 す る 都 港 民 意 識 / 差 別 か ら 人 催 へ の 転 換 / 被 差 別 体 験 の 思 想 化 / 安 定 l 改 善 の 内 実 / 被 差 別 者 の 人 間 像 / 自 ら 名 乗 る こ と の 意 味 / 差 別 す る 立 場 の 問 題 に つ い て / 被 差 別 の 内 実 に つ い て / 顔 を も た な い 差 別 の 加 虐 / 固 有 の 文 化 の 正 と 負 / 関 係 総 体 の 変 箪 に む け て それか ら 一 九九四年 違い の 確 認 金 時 鐘 在 日 朝 鮮 人 と 日 本 人 の 空 白 / 日 本 で 朝 鮮 人 と し て 生 き る と い う こ と / 文 化 の 総 和 H 言 葉 の 響 き / 朝 鮮 人 の 言 語 生 活 / 違 い の 確 認 四六判 226頁 本 体1,903円 こ とばの原風景試論

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− − | 大 沢敏郎 は じ め に / ひ ら が な 四 文 字 の こ と ば / 自 分 の こ と ば の 原 風 景 / 沈 黙 の こ と ば / 共 同 学 習 の 光 源 / お わ り に 被 差 別 部 落民の感 性 に つ い て の 覚 書 | 住田 一 郎 は じ め に / 部 落 差 別 の 傷 痕 と 部 落 に お け る 支 配 の 精 進 / 部 落 差 別 に よ る 人 間 性 の ︿ 歪 み ﹀ / 被 差 別 部 落 民 の 感 性 の ︿ 鋭 き 、 優 し き ﹀ に つ い て / 二 つ の ﹃ 備 の な い 川 ﹄ 人間 と差別に つ い て 考 え る Il − − 藤回数 一 || あとがきに 代 え で 五 八 号 一 九九八年 一 月 二 十 五 日発行 ︵ 毎月 一 回 二 十 五 日 発 行 ︶ 一 九九 三 年 五 月 二 十 七 日 第 三 種郵便 物認可

同和はこわい考

藤 田 敬 一 著 本 体 八 OO 円 発 刊 以来すでに十年 。 部落解放運動 の 存 在恨拠そ の も の を 、 差 別 ・ 被 差 別 の 関 係 総 体 の 中 に 問 い 直 し た 本 容 は 、 ﹁ 共同 の 営 み ﹂ としての運 動 の 創出を強 く 訴 え る 。

同和はこわい考を

読む

こぺる編 集 部 編 + 章 一 七 四 八 円 ﹁ 批 判 の 拒 否 は 、 結 局 の と こ ろ 自 ら が H 裸 の 王線 H に な る 道 し か 残され て い な い と 確 信する ・ ・ 部 落 民 で な い お 前 に 何 が わ かるかなど と は 決 し て 言うまい ﹂ ︵ 書 よ り | | 4 ︶

部落の過去・現在

こぺる編 集 部 編 本 体 ニ O 九 七 円 い ま 、 大きく変 貌 を 遂 げ つ つ あ る 被 差 別 部 落 の現実を直視し、自 由 な 対 話 を 通 し て 、 既 成の理論や思想の 枠組 みそのも の の 検 討が急が れ ねばならない 。

阿件社

京鶴市上京区衣掴温上御宣前下ル土木ノ 下 町 七 三 ・ 丸 亀 O 七 五 由 一 回

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開 O 七 平 田 一 甲 八 九 五 ニ

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・ 2 戸 発 売 阿 昨 社/ 京都市上京区衣棚通上御霊前下ル上木/下町73-9 Tel 075-414-8951 F

75-414-8952

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