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僻地山村の社会構造 ― 奈良県吉野郡野迫川村の例 ―

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

僻地山村の社会構造 ― 奈良県吉野郡野迫川村の例

著者 村井 研治

雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要

巻 8

ページ 175‑185

発行年 1972‑03‑15

その他のタイトル Social Structure in a Rural Mountain Village

URL http://hdl.handle.net/10105/6263

(2)

僻地山村の社会構造*

奈良県吉野郡野迫川村の例

村  井  研  治淋   (社会学教室)

 最近における村落の変貌は実にめざましい。その根本的な原因は,資本主義の急激な発達とその影 響にあると考えられるが,変貌の内容にも種々なものが上げられる。それは人口,生活水準,生活様 式,社会意識その他数々のものに及ぶ。村落の特性は,都市のそれと対比した時,はじめて明瞭に とらえられると思われるが,この意味において,村落の村落たる特性がもっとも明確にあらわれてい たのは,都市から遠く離れた,資本主義の影響をそれほど受けていない地域,山間の僻地であったと いえよう。たしかに,そこは戦前までは,ある意味ではいわゆる社会から見離され,忘れられ,置き 去ワにされていたといえるが,またそれだけに静かた眼ワを続けていたともいえよう。ところが戦争 直後,日本社会全体が経済的貧困状態におかれていた期間はともかくとして,その後次第に経済が回 復し,さらに大きく発展する段階に入ると,この影響は都市内部にはもちろん,近郊の農村にも,そ して遠隔の漁村や山間の僻地にさえ及ぼされて,その結果,人びとの生活は大きく変らざるをえなく なってしまった。山村に人ワこむには,たしかに距離的にはそこは遠い。しかし昔のような山道とい う印象は薄らぎ,道路は拡張され,舗装されている。そこを走る乗用寧は村人自身のものである。台 所や浴室は改造され,電気冷蔵庫、電気洗濯機,石油ストープ,トースター,ジューサー,カラーテ レビまで備わっている。家庭におけるこの面の近代化は,都市におけるそれとまったく変わりがない。

資本主義経済発達の影響は都市へも村落へも一様に浸透する。しかしこの影響はただ家庭生活の面に だけ及ぼされているのであろうか。もしそうだとすれば,r生活の向上」として喜ぶぺきことである。

しかし喜んでばかりもおれない現状にある。いや,もっと重要な面一それは人口の流出である。村 人の離村による村の消滅であワ,学校の閉鎖である。

 一様にその原因を資本主義経済の発展に求めるとしても,それが影饗を及ぼして生む結果は,それ ぞれの村の構造や特殊性によってそれぞれ多少なりとも異なってくる。ある村では戸数はそれほど減

らなくても,各家からの個人の他出があらわれている。ある村では個人の他出にカnえて一家離村がな されている。ある村ではすべての家が離村してしまって,すでに村はない。たとえばこのような現象 の差異はけっして偶然のものではない。それは村のもっている構造やいろいろな特殊性によるものと

* Soc言a1Structure in a Rura1Mountain Vi1Iage

榊Kenj i Murai(Department of SocioIogy,Nara Universi ty of

  Educat i on,Nara)

(3)

思われる。ひしひしと押し寄せる資本主義経済発達の影響を受けながら,こういったそれぞれの村の もつ構造や特殊性をも考え合わせて,ある村人はすでに離村した。ある村人は片足を村に残して片足 を都市へ出しかけている。ある村人はいかにすべきかを考えに考えぬいている。ある村人は自分の村 の将来を案じている。奈良県吉野郡野迫川村のいくつかの村落を調査したが,そのそれぞれの村の構 造と特殊性との関連において,村の変貌,ことに主として離村の面を取り上げたい。

地理的条件、交通、通信、文化

 野迫川村は,明治22年町村制が施行された時,野川郷(今井,柞原,上,中),迫組郷(平,大 股,北今西,檜股,弓手原),川並郷(上垣内,北設,池津川.立至,中津川)が統合さ札 それぞ れの頭文字をとってその名がつけられた。本村は奈良県吉野郡の西南部の山間に位し,東は大塔村と,

南は本村最高峰の伯母子岳(1342米)を境に十津川村と,西は和歌山県伊都郡花園村と高野町とに 接している山間の僻地である。このような地理的環境にある本村は昭和に入るまで文明の恩恵を受け ることなく,いわゆる「陸の孤島」として深い眼ワを続けていたようである。大阪から本村に入るに は高野町を経由して上垣内より入り,奈良からは五条,富貴を経由して今井,柞原より入る。しかし 現在も五条からはバスの数も少なく,交通が不便なため奈良からの客もむしろ距離的には回りになる 大阪,高野経由の道を選ぶ人の方が多いとのことである。高野町から本村の入口上垣内まで約17粁,

上垣内から北設まで3粁である。北設から高野山経由で奈良まで101.6軒といわれる。

 明治以前は.人と馬とが辛うじて通れるほどの道であった。明治18年,高野山に通じる道路が改 修されて幅I間となった。通行は徒歩か馬で行なわれた。荷物の運搬には,一都では索道が用いられ ていた。昭和に入って車の通れる遺にたったのに,やはワ車はほとんど見られなかったという。昭和

27年高野町から南海バスが,五条から奈良交通バスが開通したが,翌28年の水害で不通となった。

これは山間における風水害が平地におけるそれの何倍か人の移動を妨げる例の一つである。昭和35 年道路も復旧してパスは再び通じるようになった。このようにして村人の足はバスによって便利にな

ワ,喜んでこれを利用するようになったが,ここ五年ほど前から急に乗客が減少してしまった。これ は,昔はすっかワ文明から遠ざかっていたこの村にも,戦後次第に復興し,さらにめざましい発展を 続けるようになった日本の産業経済の波が押し寄せた結果である。村人が外へ出る時頼みとしていた パスも,その回数はけっして多くはない。どんな交通機関でもいつでも思う時に出かけられる乗物ほ

ど便利なものはない。村人は自

家用車というこの最高に便利た  第1表パス時刻表 乗物を用いることによって,昔

歓迎したバスに顔をそむけてし まった。躍進する自動車産業の 影響とはいえ,実に皮肉な現象

といわざるをえない。パスの回 数と発車時刻については第1表 のようである。朝9時すぎに高

南海バスー上垣内発   奈良交通バスー北設発(始発)

 高野山行  北設行

。10,30   9.51

 11.10  13.30  15.00 註,oは北設始発   その他は上垣内始発

五条行

 6.44

14.14

(4)

野町を出発した南海パスが9時51分に上垣内を適ワ,3軒先の終点北設まで行く。これがそこで折 り返して10時15分に発車し,上垣内を1O時30分に出るのである。その他の南海バス3本はすべ て上垣内で折返すのである。奈良交通パスは北設まで来るが,1日に2本あるだけである。五条駅前 を10時10分に出発したパスは12時50分頃北股に着き,14時14分に折ワ返し五条に向う。五条 駅前をI5時10分に出発したパスは北設にI7時50分頃到着する。これはその夜ここで一泊して翌 朝6時44分に発車する。料金は上垣内一高野町190円,北設一高野町240円,北設一五条

310円となっている。どのバスもほとんど乗客なしで発車している。1人の乗客もいないことがよ くあるそうである。でも上垣内,北設まではまだ便利である。1日に限られた回数とはいえ,その時 刻に出ればバスに乗って外へ出られる。しかし北設から奥はこのような交通機関はまったくない。昨 年4月頃まで北今西まで1日1回だけバスが通じていたが,それも廃止されてしまったのである。

 この僻地に光をもたらす電灯がついたのは昭和12年であった。昭和33年5月には僻地団体加入電 話が実現した。このように文明の影響は山間の村落にも及んでいるが,かといって僻地の実情がけっ

して解消されたのではない。むしろまだまだ大きな問題が残されているのである。新聞は,高野経由 でバスがもってくるから,上垣内と北股の人だけはその日のものを読むことができるが.それ以外の 部落の人たちは日の遅れた新聞しか読め舳 。また上垣内と北股の人びとも,冬にはバスが不通とな ワ郵便で配達されるので,1日遅れた新聞を読むことになる。郵便は1日に1回集めにくる。配達は 毎日付彼われるが,大阪からでも3目はかかるという。小包は週I回の発送,配達である。外部から ここへの速達は何の意味もない。病人にとっては医者がもっとも近いのは高野町であるが.週I回こ の村へも医者がまわってくる。北設へは週1回散髪犀がまわってくるが、パーマ屋は来ないので.何 か事がある時は女性たちは車に乗ってパーマをあてに外へ出かける。

人   口

人口はますます減少している。もちろん部落によって減少の数や形もそれぞれ異なるが,そのこと 第2表人口(野迫川村全体)      については後の「離村」の項で

年度 世帯数 人口総数 女 人口密度

i1減につき)

25

2726

28

583 2803 1486

1317 18 29

569 2704 1395 1309

18 30

725 3359 1929 1430

21.7 31

656 2988 1577

1411   0 P9.3 32

680 3515 1612

1903 22.7 34

670 3566 1792 1774

23,O

一  ■

35

673 3613

1811

1802

18.6 36

640 3432

1704

1728

18.6 42

449 1742 916

826 11 43

435 1633 869

764 11

触れるとして,野迫川村全体の 傾向をあげれば第2表のとおり である。これは役場の資料によ ったものであるが,年度によっ てはその数字を見出すことがで

きず残念である。しかし野迫川 村全体のだいたいの傾向はこれ で知ることができよう。

 部落によって人口減少の程度

や形が異なるのは,それぞれの

部落のもつ社会構造,ことに経

済構造が異なるためと思われる。

(5)

以下野迫川村の4部落,すなわち北段上垣内,弓手風平を取ワ上げて調査した。上垣内は北股の 中の小字であるが、社会構造上一つの部落として取り扱かった。北設,上垣内では比較的離村は少な く,弓手原と平は多い。ことに平では離村する人が多く,一家離村もみられる。それに反して北設で は個人的な離村はみられるが一家離村はほとんどみられない。他部落では青年団員も減少する一方で あるが 北股と上垣内では合わせて20人もいる。消防団員も他部落では50才以上のものが入って も不足しているが,北設では最高年令を45本としても十分数を充たしている。6〜7年前までは北 股に割ワ当てられた消防団員の定員は15人だったが,野迫川村全体に過疎がはげしくなって,他部 落では割り当ての数だけ充たすことができず,仕方なくその分だけ北股に余分に割ワ当てられてきた。

したがって現在は北設で25人を引き受けているとい㌔

職  業

昔は搬出が困難であったため,林業はそれほど中心にはなっていなかった。むしろ農業や箸,杓子       作ワが主であった。そ

第3表 職  業

      の後山林に力が入れら

北 股 上垣内 弓手原

種類 人数 種類 人数 種類 人数 種類 l数

■■

20 山林労務 2 1   「山林労務4 山林労務 6 運転手 2 山林労務 8 1

土 木 2 3 運送業 1 1

運送業 2 3 運転手 1 その他

1

運転手 2 公務員 8 1 3

農 業 2 無 職 1 商 業 1

商 業

1

1

公務員 1

公務員 1 アノ」ト経営 2

I 3

計 37 計 20 19 計 1O

れるようになったが 副業として農業もなさ れている。他の職業も 少しは出てきているが,

村内ではそう多くの他 業に就けるはずが舳 。 ここに離村の原因が出 てくる。現在の.主業は 第3表のようである。

上垣内には役場,学校 があるから公務員が比 較的多い。弓手原にみられるrアパート経営」は,実はこの部落内で行なわれているものではない。

「半離村」といわれ・る特別な現象がそれである。村落内で生じる過剰労働力は,普通通勤,出稼(長 期出稼■短期または一時的,あるいは季節的出稼)という形で村外へ向けられる。向けられる先が村 落に近い場合は通勤となワ,遠い場合は出稼とたる。したがってここ弓手原からそれが大阪へ向けら れれば,その形は当然出稼という形をとるはずである。しかしそれは一時的出稼でも季節的出稼でも

なく,長期の出稼である以上,生活の本拠がこの部落から出稼地へ移されるのが普通のはずである。

ところがここにおける若干の都市への出稼は,そういった形をとらたいで,依然としてこの部落に本 拠をおきながら,しかも一家の生計担当者が都市へ出ているのである。他の離村者と同じく時代の趣

くままに離村の流れに乗ワはしているものの,すっかワ離村しきってしまえない何らかの要因を彼ら

はもっている。ここにこの部落の特色がある。

(6)

山林所有状況

 村落民の地域的移動を抑制する大きな要素の一つとなるものは土地である。しかし山林は戦後農地 のような解放の対象とならなかったため,不在地主といった法的な規制を受けなかったから,大地主 でも土地の権利をそのままもちながら外へ出ることはできた。もちろん,ほとんどまったく土地を所 有していたいものが,外へ出やすかったことはいうまでもなヤ・。このようにして土地や財産をもつも        のは それを資金として都会へ出て企業

 第4表山林所有状況      を行なうことができたレ何ももたない

北設 上垣内弓手原平  L

面  積 戸    数

O〜0.9町 ○戸1 一 8戸 1戸 2戸

1〜9 27 7 5 3

1O〜29

9 3 1 3

30〜49

O 2 4 O

50〜 I 0 . ■ 8 2

371

20 19 10

ものはそのまま何にも心を引かれること なく他出しえたわけである。第4表でみ

られるように北設では上の層と下の層と がなく,だいたい中間の層で一定してい る。ところが弓手原や平やあるいは野川 地区では上下の層が割合にあって,すで にこういった階層の人たちが他出したと いわれる。さてこの私有林はどのように して得られたのだろう。もちろん売買によって得られたものもある。しかし別の方法によって得られ たものもある。山村にはr共有林」「区有林」r村山」と称する入会地が多い。この入会地の利用収 益の方法や採取の数量などについては各村落で慣習的に決められているが,この土地に村人としての 資格を有する個人が植林した場合,その分だけ私有地化されるという慣行をもっている村落がある。

これを「植え分け」「植え取り」たどという。外来者には原則としてこの権禾■1がないのが普通である。

 北設でもr植え取り」は行なわれてきたが、まだ区有林は多く残っている。平ではすでにその多く が各戸に分けられて私有化されている。弓手原では明治12年に,その時までの外来宅にも権利を設 定し,その時までにすでに植えられていたものを各人の私有地として認めた。大正12年になって区 有林のある面積を会議で各戸に分配した。そして残ワの面積を純粋の区有林として,そこには「植え 取ワ」が行なえないことにたっている。

区有林、村落民の権利と義務

 区有林に対しても,またその他村落のあらゆるものに対しても村落民としての権利と資格をもって いるのは,昔からここに住み続けてきた人たちである。この地方でいう「旅の人」である外来者には

この権利と資格は原則として存在しない。北設では70年,80年前に外来者でこの株を買った人もあ ったといわれておワ、また弓手原でも前述のように,明治12年までに住みついた人には区有林の権 利を設定したといわれるが,むしろこれは例外的なことである。外来者にこのような権利を与えれば,

どれほど広い共有林でも間もなく細分されてしまって,本来の村人の生活そのものが危ぶまれること

になるからである。したがって現在は北設でも弓手原でも,また他のどの部落でも,外来者には本来

の村人と同じ権利を与えていない。

(7)

 北設では純粋に村人としてこの権利と資格を有するもの47戸,そのうち11戸は上垣内にいる。

この人たちによって10年ほど前に「北設造林株式会社」が設立された。外来者にはこれに入る権利 は与えられない。ただし純粋の村人から分かれた分家にはこの権利が与えられる。分家して1年半し たら1戸分の権利をもてるそうである。しかし部落を出ればその権利を放棄しなければならない。こ こに村落における外来者を拒み,村人の他出を抑制する要素が働いている。北設では一家離村のほと んどない理由がここにある。平ではかなワ多くの区有林がすでに分配されてしまって,私有地とたっ ている現在では,他出する場合も,それほど土地に引き止められない。離村してもたまに山を見に帰 ればよいからである。弓手原の場合は北股と平との中間的な様相を呈している。どの部落でも区有林 に公団造林とか営林造林とかが行なわれている。たとえば,公団造林の場命土地は部落が区有地を 提供し,植林して育成し,それが売れた時は公団4分,部落6分の割合で利益を分配するという形で ある。植林管理の人夫賃は男1」に公団から払われる。このような利益の分配にあずかろうとすれば、部 落を捨てて出てしまってはいけ舳 。どこまでもこの部落民として絶えず部落に止っている必要があ る。そこで事実上は離村しても形式はこの部落に止っていることになっていなければならない。この 形式をととのえるためには村人としてのあらゆる義務を果たす必要がある。「カソロク割」と称する 区費はもちろんI部落のあらゆる義務をもれたく果すのである。弓手原では全戸数19戸のうちこの

よラな家が8月ある。これが「半離村」と呼ばれるものである。彼らは大阪へ出てアパートを経営し ていても, 「カソロク割」を出すことの他、村の「つき合い」すべてを行なうため月のうち1O日ぐ らいは帰ってくる。そして山林に関すること、部落の初等リ(旧年度末すなわち1月末に行なわれて

「カソロク」と呼ばれる),その他の区会,氏神の祭,「伊勢講」,「才モドリ講」一「大師講」そ の他あらゆることのために帰ってくる。共有林から受ける恩恵が村人をして簡単に離村に踏み切らせ ないブレーキになっているのである。

 権利にはかたらず義務が伴なう。彼らには山の管理手入れすべてにおいて共同の義務がある。弓手 原の場合,すでに各戸に分配された山は別として,その残ワの純粋の共有林をr村山」と呼んでいる。

これの植林,下刈りなどには共同の義務が村人に課せられている。ここから得られた売り上げは分配 しない。ただし部落の各種の費用をこれによって充たしている。林道を開いたワ,改修したりする時 の負担金,水道(昭和42年)施設費,小学校維持管理費,中学校建築分担金などにあてるのである。

村人は本来ならはこれらの費用をその時々に出さねばなら欣いわけだが,共有林からそれだけの恩恵 を受けていることになる、〕しかしすべての部落の費用をこれに依存しているのではない。彼らは毎年 3,ooO円〜4,O00円程度各戸当て平等に区費を出している。これを「カソロク割」という。共有林 のみに依存すると「つい浪費するから最低限度だけ出させている」といわれている。外来者には共有 林その他に対する権利がないが,その代り区費も純粋の村人並に出さなくてもよい。たとえば一一般の 村人がその年は3,000円山したとすれば,外来者は1,500円だけ出せばよいのである。しかしなが

ら彼らは共有林に対する権利をもっていないのみならず神事にもつけず,区長にもなれない。あるい は村仕事においても半人分だけ出ればよいのである。そこでこのような人たちを「半ヤク」と呼んで いる。

 北設でも同様に村人は区費を出している。この区費を「水ヤク」と呼び,それは現在年間2,000

(8)

円である。そして共有林から受ける大きな恩恵以外に自家の燃料とする薪,柴はもちろん自由に欲し いだけ採取してもよいことになっている。外来者にもこの薪,柴の採取は自由に認められているが,

それに対して年間1,OOO円(半期毎に500円)を納入せねばならないことになっている。これは

「コイ料」と呼ばれている。「コイ料」を出していれば,たとえば学校建築の負担金その他の大きな 割り当てがあっても,それは部落の共有林から得られた売り上げで充たされるため,純粋の村人でな いからという理由で特に外来者にその負担がかけられることはない。ただ,そういった時に売った山 林の売り上げから,必要な共通の費用を出し.その残りが純粋の村人に分配されることがあるが,そ

ういう分配には外来者はあずかることができないのである。

離村一その要因、意識、現状

 すでに述べてきたところからもわかるように,離村は村内における過剰労働力の外部への排出現象 といえるが,過剰の程度によって離村の程度や形も規定される。村人のもつ労働力が村内で全部消化 されるならば,彼らは一歩も外へ出る必要がないはずである。反対に労働力が村内で全然消化されず にすっかり余るならば,彼らは村内に止ることができず他出を余儀なくされる。現実では村内である 程度の労働力が必要とされて.ある程度が余るというのが普通である。つの職業で過剰になった労 働力は,村内においては副業という形でも消化される。しかしこの副業も村内では限度があるため,

結局過剰労働力は外に向けられる。だがここにもう一つ大きな要素が加わると,村人の他出は極度に 抑制される。この要素が共有林に対する村人の権利と,それから彼らの受ける恩恵である。共有林に 対する権利が,村に定住していることを条件として保障される限り,その価債が大きければ大きいほ ど,彼らは村に足を止められる。すでに共有地を分割して個人所有に帰せしめた平では,村人は共有 地に心引かれることたく他出できる。 (もちろん私有地でもある程度他出を抑制するブレーキにはな

るが,共有地ほどではない。)まだ多くの共有林を残している北股や弓手原では,それのもつ価値に 引かれて村人はあえて離村しえない状態にある。しかし弓手原では都市へ出て企業をはじめ,離村へ の志向をもちながらも、共有林に対する権利を捨てきれず,これを保持することに専心している人も いる。このような部落による差異が生じてくるのは,それぞれの共有林のもつ特性のちがいによるも のである。

第5表後継ぎを誰に希望するか

北股 上垣内 弓手原

長男 30 16

11 5

次三男 3 1

養子 3 2 4

その他 1 1

不明

1 1 3 4

37

20

19 10

第6表後継ぎに対する希望職業

北股 上垣内1 弓手原

山林業

11

2 4 0

その他

16

16

12

2

不明 10

2 3 8

37 20

19■

10

(9)

第7表 後継ぎにはこの村に止まってほしいと思うか。

止まってほしい

シ所へ出ても仕方がない

北設

@16

@11

上垣内

@14

@4

弓手原

@3@7

 ■

ス一      一

@0

@LI  一 ■ 一

1

@1

不    明

10

2 9

37 20 19 IO

第8表長男が進学したいといえば

(中学卒業以下の子供を持つ家のみ調査)

l11鮒十十干仁

進 学  さ せ  る 14   8   4   3

 村人の離村についての意識は どうであろうか。古来村落では 長子相続の観念が強かった。土 地の限界性から次三男以下は,

特別に裕福な家のものを除いて,

他出を余儀なくされてきたが,

長男だけは家に留め,村に留め て家の後を継がせたいと誰もが 考えていた。離村の傾向がはげ しくなってきた最近でも, 「長 男に家の後を継がせたい」とい う希望が今なお多数を占めてい ることは,第5表で明らかであ る。しかし「後継ぎにどのよう な職業を希望するか?」という質問においては,現在本村における毛つとも大きな職業である山林に 関する職業にそれほど大きな関心が示されていない。第6表においてみられるように.どの部落でも

「その他」がはるかに多くの数を示しているが,その内容のほとんどは公務,事務職といった}Iラリ ーマソである。こういった職業には野迫川村内の学校,役場,組合,郵便局といった職場でも就くこ とはできるが,しかしその空席は希望者の数に比べてはるかに制限されている。そのため彼らは他出 しなければそういう職には就くことができないことになる。それにもかかわらず,第7表でみられる ように、 「後継ぎにはこの部落に止まってほしいと思うか?」と質問したところ, 「止まってほしい

と答えるものが多く,第6表の回答との矛盾がみられる。さらにより大きな矛盾は,第7表と第8表 との間にみられる。第7表でr後継ぎにはこの部落に止まってほしい」と希望しながら,第8表では

「長男が進学したいといえば」「そ札でも家に止めるのだから進学はあきらめてもらう」は皆無で,

みんな一様に「進学させる」と答えている。もちろん進学しても卒業後帰村するものもいるし, (北 設はその例になる)「家に止めたい」と思えば帰村させればよいのだから, 「進学させる」は「離村 する」ことだと考えるわけにはいかないかもしれないが,実際には進学したものはたいていそのまま 就職して帰村したいのが普通である。このことからして「家に止めたいか?」と質問され汕芝 正直 なところ「止めたい」と答えながら,他力現実では「進学」させてホワイトカラーへの道を歩ませな ければならないこの村の現状があるのである。

 現在他出している家族員を調査した結果は第9表に示されている。これをみてもわかるように 本

村は奈良県下にあワながらむしろ大阪への出稼がもっとも多い。そのことは大阪への交通の方が便利

であることのほかに,出稼は大都市へ向けられることを物語っている。なるほど世帯主からみた続柄

では現実では次三男以下や女子が多いが,しかし長男も出ている。

(10)

第9表出  稼

(全世帯数37) 北  股

上垣内   弓手原     平

(全世帯数20)  (全世帯数19)  (全世帯数IO)

  事務員  3 事務員

職教  員 1津  裁

  理  髪  3 料  理

  運転手  2 工  員

  店  員  1 土  木

  洋服仕立 2不 明

  警  察  1

種 不  明 4

17

東  京  1 東  京 大   阪 12 犬   阪 生  駒  1 奈  良

高野町  1 和歌山

五   条  1 不  明 不   明  1

17

  長  男  3 長  男

世続

帯 次三男 7次三男

  女   子  7 女  子 ら

の柄  計   17  計

1事務員 3事務員 2

1教  員  2津  裁  I

1美容師 2工 員 1

2 工  員  1不  明  4

1 3

計 計

1 大  阪  4 犬   阪  2

4高野町 1和歌山 5

1 奈  良  1不  明  1

2 和歌山  1

1 五  条  1

計 計

1 長  男  1長  男  3

3次三男 3次三男 2

5 女  子  4 女  子  3

9  計   8  計   8

教   育

 過疎現象の影響は教育にも及ぼされている。以前はそれぞれ独立していた中学校が次第に統合され ていった。先ず迫紺地区と川並地区とが合併して一校とだワ,野川中学校と二校存在していたが,こ の両者がさらに統合するようになった。現在のところ校舎は別々になっているが,校長先生は両校舎 を往復している。上垣内にある野迫川中学校分校にも、全生徒が毎目通学することはできない。通学 しているのは学校から4粁以内にある上垣内,北限池津川の子供たちだけである。それよリ以遠の 平,北今西,犬段槍投,弓手原,立里の子供は学校の寮に入り,2週間に1回帰宅が許される。寮 生はその時役場の車で送ワ迎えされる。その車に追い越されて,遠い坂道を歩いている通学生は寮生 を幸福と考え,寮生は毎日家へ帰ることができる通学生を表しく思っている。過疎化のため統合され た学校のもつ問題がここにある。昭和46年3月まで存在していた平の小学校はとうとう過疎の彼と

ともに閉鎖されてしまった。そして平にはたった1人の児童が残された。4月より北設小学校へ通学 することになったのである。ちようど校長先生が平の人なので,先生は自分の車で彼女を乗せて出勤

し,彼女を乗せて帰宅する。もし先生が出張の時は,小学校の別の先生が彼女を迎えに行<ことにな っている。

 子供の心にも村の現状と親の気持ちがよく映っている。第10表にみられるように卒業後「家に止

(11)

まる」というのが檜股に1名あるだけで 「高校へ進学する」が多数を占めている。現に他出家族員 のうち進学しているものの数は第11表の示すとおりである。はやくも中学校の時から子供を外へ進  第10表 中学生に対する卒業後の進路希望調査

家に止まる

他所へ出ていく 高校へ進学する

北 股上垣内

弓手原 平 池津川 立里大股北今西檜股

4   2

2   1   1 5   3   2   5

1

・1・

7   4   3   5

第11表他出進学者

(高校以上の進学者は全部他出者になる)

北設 上垣内 弓手原

中学校 1 1 1

学 高等学校 1 3 5 4

校 大学 2

1

4 3

別 経理学校 1

計 5 4

10

8

」 1一 川■

一一I一

高野町 1 2 2

大阪 2 3 3

進 和歌山 1 1

五条 2 3 1

学 吉野 1

京都 習志野 I

1

地 高田 1

大淀 5 4 10 2 8

長男 4 4

続 次三男 2 3 4 1

柄 女子 3 5 4 1

10

2 3 8

学させているものがあることは,教育熱 とともにその将来を考えてのことであろ

う。

 中学生の作文の一二からその断片を拾 ってみよう。

 A子ちゃんはいう。 「犬部分の家の人 は.朝早くから山へ行き,タ方おそく帰 ってくる。夏は暑さにやられて家に帰っ てくると、お父ちゃんやお母ちゃんは

〈しんどい,しんどい>といラ。この言 葉はまるで口ぐせのようだ。冬などはほ とんど仕事ができなくて,出かせぎに行 く人がある。私のお父さんもその一人だ。

おばあちゃんはおもに畑仕事,おじいち ゃんはかごを作って少しでもお金をまか なっている。間題は人口が減るというこ とである。理由はこの村に仕事がないと いうことだ。」実に鋭い観察である。B 子ちゃんはいう。「……とにかくこんな 不便なところがいやで.私は村を出てい きます。他にいろいろと理由があワますが……もう村も栄えることがないだろうと思います。」と悲 観的である。C子ちゃんは「野迫川が一番好きだ。空気もきれいだし,何もかも自由だ。でもみんな あのきたたい町へ行ってしまう。仕事がないから仕カがない。」と奮いている。そしてみんながみん な口をそろえて人口の減少するのを嘆いている。

 村の将来について大人も子供も等しく考えている。村に止まって頑張っている人もいる。村の将来

に見切ワをつけて外へ出てしまった人もいる。出ようとしている人もいる。中にはただ手をこまぬい

(12)

ていないで何らかの新しい,村を発展させる方法を考えている人もいる。たとえば観光や避暑に客を 引くとかの方法を。北設ではすでに民宿事業がスタートしている。村の発展を祈ワたい。

 この報告は昭和45年度の予備調査,昭和46年度の本調査に基づいたものである。最後にこの調 査に快く御協力いただいた村長高田幸篤氏はじめ役場の諸氏,北設小学校の校長先生柱じめ諸先生カ,

および資料についてお手数をわずらわした野迫川中学校北設分校の教頭先生はじめ諸先生方に心から 感謝の意を表したい。とくに野迫川村森林組合の県指導員山下俊之氏,同じく森林組合の中上栄一氏,

吉野二六子氏,北設林業の吉野武文氏,教育委員家田公雄氏,北設小学校教諭西田多予子氏の諸氏に は調査に際して多大の御苦労をかけた。ここに深く謝意を表明する。さらに本学助教授平田善文氏に

も調査計画の最初から最後までお世話になった。厚くお礼申したい。

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