渡 辺 誠 治
.はじめに
日本語(標準語)のアクセントは単語ごとに形が決まっている。しかし、
当該の単語が他の要素と結合すると従来のアクセント型が変化するというこ とがしばしばある。したがって、日本語の韻律を学習する場合、個々の単語 のアクセントを覚えるだけでは十分な成果が期待できない。それどころかむ しろ不自然な韻律を生む要因にもなりかねない。
単語が他の要素と結合することによって韻律上どのような変化が生じるか は、個々の単語のアクセントによって決定される場合が多い。したがって、
アクセントを学ぶことは、日本語標準語の韻律習得のために避けて通ること はできない。
日本語のテキストは一般に単語のアクセントの表記がないものが多いが、
中国の大学で使われている日本語のテキストにはアクセント型が表記されて いるものが多い。このことは中国における日本語教育の水準の高さを示して いると言っていい。しかし一方、先述のように、個々の単語のアクセントに 関する知識だけでは標準語の韻律を作り出すのに十分ではない。アクセント 型が表記されている利点を実際の言語運用に生かすためには、今一歩の教材 開発が欠かせないのである。
本稿では現在筆者が取り組んでいる『新編日語 第 冊』(上海外語教育 出版社)に準拠した日本語の韻律教育の教材(教育プログラム)開発のため の基本的枠組みを示す。
この教育プログラムは、中国の大学で中国語を母語とする日本語教師が中 国語を母語とする学生に日本語の韻律を教えるためのものである。韻律は一 方では文脈や状況によって種々に変化する。しかし他方、文脈や状況を捨象
したところに規則によって導き出される型がある。この教育プログラムの射 程は後者である。
.標準語のアクセントとイントネーション
日本語(標準語)のアクセントは、個々の単語ごとに決まっているが、複 合語を形成する過程で、あるいは、文の中で文中の他の成分と結合する過程 で、アクセント(イントネーション)の形が変容する。たとえば、「長崎」
は、前から数えて 拍めの後ろで音が下がる。また「大学」は 型であるか ら音の下がり目はない。
が だいがく「大学」(または) いがく「大学」
な さき「長崎」 だ
ところが、この つの単語が「長崎大学」という つの単語になると、そ れぞれの単語のアクセントは失われて「大学」の「だ」の後で音が下がるよ うになる。
が だいがく がさきだ
な さき な いがく「長崎大学」
この点、中国語の声調とは大きく異なる。中国語の声調は、ふつう、複合 語においても個々の単語の声調がそのまま維持される。
ChángQ!「長崎」 DàXúe「大学」 ChángQ!-DàXúe「長崎大学」
したがって、日本語の単語のアクセントを正しく理解していたとしても、
複合語のアクセント規則を理解していなければ、中国語の声調の規則を使用 して「長崎大学」を次のように発音してしまう可能性が高い(調査によると、
実際そのような結果がでている)。
がさきだ
な いがく
きま い す
がさきだ
な いがく へ いきま す が だいがく
な さき
こうした複合語のアクセント規則は、標準語アクセント習得のために必要 なだけではなく、個々の単語のアクセントを覚える負担を軽減するためにも 有効である。「〇〇大学」を例に言えば「〇〇大学」は原則としてすべて「〇
〇だいがく」の「だ」の後ろで音が下がるアクセントの形を取ることになる。
したがって、このことを知っていれば「〇〇大学」という語のアクセントを 一々覚える必要はないのである。複合語のアクセント規則は「大学」の例に 限らず複合語を構成する多くの単語について広く一般化できるものである。
アクセントの形が変化するのは複合語の場合だけではない。「長崎大学に 行きます」という文を文脈上の制約がない状態で発音すると「行きます」の アクセントは弱化し、「長崎大学へ行きます」全体で一つのイントネーショ ン型を形成するようになる。
ひとまとまりのイントネーション型の長さ、つまり、文をどこで区切って ひとまとまりのイントネーション型とするかは一定の統語的な規則によって 決まる。例えば「李さんは長崎バスで長崎大学へ行きます」では一般に次の 単位でひとまとまりのイントネーション型が形成される。
李さんは/長崎バスで/長崎大学へ行きます。
そして、それぞれのひとまとまりのイントネーション型には一定の形がある。
李さんは / 長崎バスで / 長崎大学へ行きます。
以上の「イントネーション型をどこで区切るか」という点と「個々のイン トネーション型が具体的にどのような形になるか」という 点が韻律教育を 行う上での基本的な項目になる。
教材開発という観点から言えば、概念的には「適切に区切るための知識と 練習の部門」と「適切な形を作るための知識と練習の部門」という つの大 きな部門が含まれることになる。教材開発の部門を図式的に示せば次のよう になる。
①適切に区切るための知識のための教材(解説)
②適切に区切ることができるようになるための教材(練習)
③適切に形を作るための知識のための教材(解説)
④適切に形を作ることができるようになるための教材(練習)
⑤適切に区切り正しい形を作ることができるようになるための教材(練習)
.ひとまとまりのイントネーション型の境界
ひとまとまりのイントネーション型の境界は一定の統語的な規則によって、
ある程度、決まる。最も基本となるのは、文を構成する成分、または、 つ の成分間のイントネーション型である。
つの格成分を伴う動詞(終止形・マス形)句は文脈上、特段の要請がな ければ、ひとまとまりのイントネーション型を形成する。
「長崎大学へ行きます」 がさきだ
な いがくへいきま す
「外で食事します」 そ
とでしょくじしま す
つの格成分を伴う動詞句の左側に付くもう一つの格成分は、文脈上、特 段の要請がなければ、一般に独立したひとまとまりのイントネーション型を 形成する。
「バスで(長崎大学へ行きます)」 ば がさきだ
すで な いがくへいきま す
「家族と(外で食事します)」 か そ
ぞくと とでしょくじしま す
主題は独立したひとまとまりのイントネーション型を形成する。
「私は(バスで)(長崎大学へ行きます)」
たしは ば がさきだ
わ すで な いがくへいきま す
「明日は(家族と)(外で食事します)」
した か そ
あ は ぞくと とでしょくじしま す
こうした文の成分あるいは成分間の基本的なイントネーション型のほかに、
テキストの進度に合わせて、連体修飾、並列関係、アスペクト形式やモダリ ティ形式などの文末形式、複文(従属節の形)などのイントネーション型を 文型といっしょに学べるようにする。
.イントネーション型の産出
イントネーション型の具体的な形は、それを構成する単語のアクセントに よって決まる。標準語のイントネーション型を産出するためには、単語のア クセント核の有無、アクセント核がある場合はその位置について知っている ことが必要である。
個々の単語のアクセントを一々記憶していくことは学習者にとって負担が 大きいが、規則性のある部分やアクセントの型に偏りのある部分を理解して いれば、一部の単語のアクセント型を覚えることで他の単語のアクセント型 を予測することが相当程度可能になる。動詞や形容詞、及びその活用形のア クセントには強い規則性があるが、名詞のアクセントには明確な規則性がな いので覚えるという作業は学習上どうしても必要になる。そこで、この教材 では、名詞アクセントを記憶していくことの負担を軽減するために、次の つの戦略をとる。
①外来語のアクセントの分布の偏りの活用
②複合名詞のアクセントの規則の活用
③上記以外の名詞における拍数毎のアクセント型の分布の特徴の活用
. 外来語
『新編日語 第 冊』の「単語」と「練習」に出てくる 拍以上の外来語 語のアクセントの分布は以下の通りである。
80 70 60 50 40 30 20 10
0 −6 −5 −4 −3 −2 −1 平板
アクセント型 単語数
−
−
−
−
−
−
合計
− 型(単語の一番後ろの音から数えて つめ音の後ろから音が下がる場 合、− 型と呼ぶことにする。− 型、− 型も同様である)が全体の約 % を占める。 型(=平板型)の 単語について、それが 型だということを 知っていれば( 型にはアクセント核がなくずっと高いままなのだから型を 覚える必要はない)、残りの 単語については %の確立で標準語のアクセ ント型を正確に予測することができる。
. 複合語
『新編日語 第 冊』の「単語」の中で複合名詞を構成する後部要素とし て以下の単語(形態素)を取り出すことができる。
. .① 〜 拍の後部要素
(a)− 型になるもの
「−機」
(b)− 型になるもの(前が漢字一字の場合は平板型)
「−館」
(c) 型になるもの
「−場」「−側」「−語」「−的」「−化」
. .② 拍の後部要素
『新編日語 第 冊』の「単語」で複合語を構成する 拍の後部要素には
以下のようなものがある。これらはすべて− 型の複合語を構成する。(A)
は複合語の構成要素になるとアクセント型が変化する語、(B)は変化しな い語である。
(A)
会話 時計 切手 切符 写真 旅行 時間 会社 映画 記念 気候 時代 家庭 資格 規定 学科 理由 野菜 餃子 汚染 休み ボール うどん 売り場
(B)
市内 料理 調査 ご飯
. .③ 拍の後部要素
『新編日語 第 冊』の「単語」で複合語を構成する 拍の後部要素には 以下のようなものがある。これらはすべて− 型の複合語を構成する。(A)
は複合語の構成要素になるとアクセント型が変化する語、(B)は変化しな い語である。
(A)
大学 学校 学生 教室 銀行 生活 放送 番組 新聞 公園 病院 万博 見学 論文 問題 空港 会社 工場
(B)
キャンパス センター 音楽 経済
本節で取り上げた要素を後部要素として持つ複合名詞については、当該の 規則によってアクセント型が分かるため名詞アクセント型を覚える負担を軽 減するのに活用できる。
. 拍数の違いによるアクセント型の分布の異なり
個々の名詞のアクセント型には教育的文脈において有効に活用できそうな 明確な規則性はなさそうである。しかし、アクセント型の分布には、名詞の 拍数の違いによって比較的はっきりとした傾向が見られる。こうした分布の
140 120 100 80 60 40 20 0
−6 −5 −4 −3 −2 −1 0
3 拍
3 拍 拍名詞のアクセント型の分布
アクセント型 − − − − − − 語数
傾向の偏りをうまく活用すればアクセント型を覚える負担をかなり軽減でき る。
. .① 拍の名詞
『新編日語 第 冊』の 拍の名詞 語のアクセント型の分布は以下のと おりである。
型が最も多く、− 型がそれに続 く。− 型と− 型は相対的に少ない。
そこで、− 型の 語について、そ れが− 型であると認識していれば、
他の単語のアクセント型が分からなく ても、約 %の確率で 拍名詞のアク セント型を予測できることになる。つ
まり、− 型でなれば 型と考えればいいのである。 型でない確率(つま り、予測が外れる確率)は約 %である。
さらに、− 型の中には外来語が 語含まれている。外来語は基本的に−
型と覚えているわけだから、− 型 語から外来語の 語を引いた 語 が− 型であると認識しておけば %の確率で予測ができるのである。
つまり、『新編日語 第 冊』の 拍名詞 語のうち、 語が− 型であ ることを知っていれば、 %の確率で 拍名詞のアクセント型を予測できる のである。
. .② 拍の名詞
『新編日語 第 冊』の 拍の名詞 語のアクセント型の分布は以下のと おりである。
250 200 150 100 50 0
−6 −5 −4 −3 −2 −1 0
4 拍
4 拍
250 200 150 100 50 0
−6 −5 −4 −3 −2 −1 0
4 拍
4 拍 拍名詞のアクセント型の分布
アクセント型 − − − − − − 語数
拍名詞のアクセント型の分布 アクセント型 − − − − − −
語数
型が突出して多く、それ以外には あまり差がないように見える。しかし、
− 型の単語の大半は後ろから数えて つめの音が特殊音節の単語である。
標準語のアクセントを 型と− 型と を基本型と捉え、ここでの− 型を−
型の一種と考えると、 拍名詞のア クセント型は次のようになる。
このような見方をすると、 拍の名 詞 語のアクセント型の分布は次の ように言える。 型が突出して多く、
次に− 型が続き、− 型、− 型、
− 型は相対的に少数である。
そこで、− 型の 語について、そ れが− 型であると認識していれば、
他の単語のアクセント型が分からなくても、約 %の確率で 拍名詞のアク セント型を予測できることになる。つまり、− 型でなれば 型と考えれば いいのである。 型でない確率(つまり、予測が外れる確率)は約 %である。
. .③ 拍の名詞
『新編日語 第 冊』の 拍の名詞 語のアクセント型の分布は以下のと
50 45 40 35 30 25 20 15 10 5 0
−6 −5 −4 −3 −2 −1 0
5 拍
5 拍
80 70 60 50 40 30 20 10 0
−6 −5 −4 −3 −2 −1 0
6 拍
6 拍 拍名詞のアクセント型の分布
アクセント型 − − − − − − 語数
拍名詞のアクセント型の分布 アクセント型 − − − − − −
語数 おりである。
− 型が突出して多く、それ以外は 少数である。
そこで、 型の 語について、それ が 型であると認識していれば、他の 単語のアクセント型が分からなくても、
約 %の確率で 拍名詞のアクセント 型を予測できることになる。つまり、
型でなれば− 型と考えればいいのである。− 型でない確率(つまり、
予測が外れる確率)は約 %である。
. .④ 拍の名詞
『新編日語 第 冊』の 拍の名詞 語のアクセント型の分布は以下のと おりである。
− 型が突出して多く、それ以外は 少数である。 拍の名詞はすべて−
型としておけば、約 %の確率で 拍 名詞のアクセント型を予測することが できる。
.おわりに
『新編日語』に準拠した日本語の韻律教育開発の方向について述べた。文 脈的な要請を捨象した、規則に基づく韻律を射程とする韻律の教育において、
イントネーション型の範囲と形に関する知識が必要となることを述べた。
モデル音声に基づく様々な音声練習は、モデル音声の再現には有効である と思われる。また韻律を体得するための基盤を形作るのにも有効であるに違 いない。しかし、新たな文を、目標とする韻律の形で自力で生成していくた めには、韻律規則に関する知識が不可欠である。本稿で述べたことはその知 識の中の重要な一部分である。
ただし、いくら知識があっても現実の言語活動の中でそれを使いこなすた めには練習を通して慣れることが必要である。そもそも韻律を弁別できる基 盤(技能)が学習者の中に形成されていなければ知識を学ぶことは無意味で あるかもしれない。
したがって、韻律を弁別するための基盤(技能)を育成する前提的練習、
学んだ知識を実際の使用レベルに高めるための練習を、知識を学ぶのとセッ トで設計していかなければならない。
さらに、適切な韻律の生成には、個々の音声やリズムなど、韻律そのもの ではない要素の練習も避けて通ることはできないと思われる。今後の課題で ある。
現在、本稿で述べた方針に基づく教材による教育を試験的に実施している。
その結果を踏まえて実証的な検証を今後行っていきたい。
参考文献
串田真知子、城生伯太郎、築地伸美、松崎寛、劉銘傑( )「自然な日本語音声への効 果的なアプローチ:プロソディグラフ−中国人学習者のための音声教育教材の開発−」
『日本語教育』 号
窪園晴夫( )「アクセント・イントネーション構造と文法」『アクセント・イントネー ション・リズムとポーズ』三省堂
河野俊之( )「日本語教科書のイントロダクションにおける音声項目の扱い方」『総合 文化研究所紀要』 同志社女子大学総合文化研究所
河野俊之・串田真知子・築地伸美・松崎寛( )『 日 分の発音練習』くろしお出版 河野俊之( )『日本語教師のための TIPS ③ 音声教育の実践』くろしお出版 郡史郎( )「日本語のイントネーション 型と機能」『アクセント・イントネーショ
ン・リズムとポーズ』三省堂
周平、陳小芬編著( )『新編日語 修訂版 、 』上海外語教育出版社
杉原満( )「音声表現から見る共通語の韻律理論」『放送研究と調査』NHK 放送文化 研究所
陳小芬編著( )『日語総合教程』第 冊 上海外語教育出版社
田中真一、窪園晴夫( )『日本語の発音教室 理論と練習』くろしお出版
中川千恵子・中村則子・許舜貞( )『さらに進んだスピーチ・プレゼンのための日本 語発音練習帳』ひつじ書房
中川千恵子・中村則子( )『初級文型でできる にほんご発音アクティビティ』アス ク出版
中川千恵子( )「日本語の韻律研究と指導法のこれまでとこれから 実践例を挙げな がら」『日本語音声コミュニケーション研究のこれまでとこれから 予稿集』
藤崎博也( )「日本語の音調の分析とモデル化」『日本語の音声 音韻(上)』明治書 院
松崎寛( )「日本語の音声教育」『日本語教育学シリーズ 第 巻コンピュータ音声 学』おうふう
山下好孝( )「日本語複合語アクセント付与規則」『北海道大学留学生センター紀要』
謝辞:『新編日語 .』に出てくる単語のエクセル処理には、 年から 年にかけて活水女子大学に短期留学生として在籍した浙江樹人大学 年生
(当時)の姜イカさんの協力があった。この研究は出発点において姜さんの 優れた理解力と人並み外れた仕事の速さに負うところが大きい。この場を借 りて感謝の意を表すとともに姜さんの社会人としての活躍を心からお祈りす る。
Memorandum for education of accent and intonation in Japanese
Seiji Watanabe
This paper shows a basic idea in the program for education of accent and intonation in Japanese, which the author performs experimentally now at a university in China.
This program is divided to two basic parts. One of them is concerned where the intonation phrase should be divided. And the other deals with the way to predict the concrete shape (accent and intonation) of the intonation phrase.