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書 評 佐藤 進『近代税制の成立過程』 山 崎

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419  

ー・一 β9−   

書  評  

佐藤 進『近代税制の成立過程』  

山  崎   怜  

1  

わが国に.おけるヨーロッパ経済史学のめざましい進展に.もかかわらず,若干の例外を別   とすれぼ,財政史の領域ははとんど手をつけられぬままであったし,他方では財政学その   ものにおける史的分析の重要性にもかかわらず,研究の名に値する本来的美観の欠如をそ   のままに,重商主義・産業資本主義・帝国主義といったそれぞれの段階紅応ずる特殊歴史   的な財政構造を,いわば常識の叙述をこえぬやり方で説明するのが,おおざっばにいっ   て,従来のならわしであった。とはいえ,あらためていうまでもなく,歴史ほ政策史を  

−−したがってその軸のひとったる則政史(または財政政策史)をみずからの体系にふく   まなければ,女た歴史的で社会的な財政をそのものとして把隠する財政学が,つねに史的ア  

ブロ−チせみずからの方法の必須条件とするのでなければ,ないしは,その方法を歴史段階  

の,微妙なヒダにあわせて分析・構成するのでなけれほ,およそ,両者いずれの科学も必   要かつ十分に自己完了的たりえないであろう。その意味で経済史学の側からも財政学の側   からも,財政史的研究の着手なり深化なりが要請されるほずであぅたが,まず単行沓とし   て,かつ近代資本主義の生成を対象として,そのさきがけとなったのが,後者の側からす   る本番であり,むしろ,まずほ前者の側紅おける研究こそが,先行すべきであるともかん   がえられるが,いまはその1日も早い進行と完成をまつはかはない。本巻ほ,だから;そ   れだけでも,われわれの長きにわたる渇をいやす早天の慈雨であるといえよう。  

2  

著者によれば,この審のねらいは,つぎの3点,すなわち第1に「イギリスとドイツに  

おける近代税制の成立過程を,その経済的・社会的背負との関連において考察」する,第   2に税制それ自体とともに「制度の形成と思想なし、し学説の展開との関連を検討し」,第  

3に「比較財政論の立場からの考察」であって,これに対応してその内容を示すと以下の  

ごとくである。   

(2)

第38巻 第4号  

420  

− 90−−  

第1篇 イギリスにおける近代税制の成立  

第1葦 近代的租税制度としての内国消費税(Exci由)の生成  

第2葺 ウォルポールの内国消費税計画(Excise Scheme)をめく1■っての闘争   第3章 ピットの財政政策とナポレオン戦時の所得税  

第4茸 ナ・ボレカ■ン戦後の財政とリカアドの租税論   第5黄 白由主義的税制改蟄とピ−ルの所得税   第2篇 ドイツにおける近代税制の形成  

第1章 後期カメラリズムにおける租税政策  

解2茸:シ.ユ.タイン・ハルデンベルクの改尊と1820年のプロイセン税制改革   第3葦 卦命と反革命の過程に.おけるプロイセン所得税立法   第4輩 ヲッサ−ルの間接税論  

補 論 イギリスの所得税とプロイセソの所得税に・ついての覚書   

かんたん紀要約すれ峠,第1篇でほ,資本主義の古典的発展をとげたイギリスを対象に   原始蓄鏡のテコとなった内国消費税紅ついて,「この税が,いわゆる本源的蓄積の無視し   えぬ契機として,有産階級の致富を可能ならしめただけでなく,無産労働者階級の創出と   いう歴史的役割をもったこと,そしてここにすぐれて近代的なこの税の特質があったこと   は,これをいなむことができない」(43ぺ−・汐)とする立場から,絶対ま政・長期議会・共   和制・王政復竜時代の内国消費税を娩出し(第1茸),つづいて「イギリスにおける平和   期財政政策の基本的な展開をあとづけるという意味紅おいて−,内国消費税計画を・その叫環  

とするクォ・ルポ−ルの基本的財政政策」と1732年の塩税復活をめぐる論争や33年の内国消   費税をめぐる闘争をとりあげ;それが「 −・般人民によって支持された都市の商人階級およ   びこれとむすびあった貨幣資本家階級と,ウォルポールによっで土地負担の廃止を約され   た地主階級との間の闘争,−・般にトレ−ディング・インタレストないしマエイド・インタ  

レストとランデッド・インタレストとの間の闘争であり,その結果ほ,人民階級の公然た   る圧力によって,この際前者の勝利がもたらされたこと」(77ぺ−・汐)をあきらかに.し(第  

2輩),第3蚤でほ,「イギリスにおける起源に・即して所得税を考察することの意義は  ニ重である。それほ資本主義が典型ぬな発達をみたイギリスでは,資本主義と所得税の関   係がもっとも明らかにうきぼりにされるからであり,またイギリスにおくれて資本主義化   をほじめた国々ほ多かれ少なかれイギリスのあとに追随したという意味で,イギリ′スの税   制は諸国の税制の模範となっているからである。」そして「租税制度,そして叫・般に財政制   

(3)

岬タヱ ー  

421  

佐藤 進『近代税制の成立過程』  

皮ほ,資本主義の一足の発展の結果であり,またそれへの作用因ともなりうるものであ   る。−・般に所得税」は「種々の収入源泉を,したがって資本主義社会を前提する」から,  

「つまり,所得税賦課の前提ほ.,その課税対象である所得が明確に把握されることにある   が,そのためには資本主義が確立され,少なくとも,労賃,利潤,利子,地代という基本   的諸所得が,資本の自律的運動の結果として:くりかえし生産されるという関係が成立し   なけれほならない。そしてこの資本主義の確立のための運動が産業革命であるとするな   ら,所得税ほ虚業葦命の進行の結果としてでてくる」(86−7ぺノー汐)という視角から,ピッ  

ト財政政策の基盤なり背景を産業革命の進行におき,こ.の「進行過程紅あった当時のイギ   リスの各種所得の分化」(111ぺ、−ジ)と「富裕者課税」としての所得税の性格を規定し,  

「所得税の廃止ほ,有産葛課税の放棄という点紅歴史的意拳をもつのである」(121ぺ−ジ)。  

タカ−ドゥを主題とする第4章は.,これまでの諸研究が「多かれ少なかれ学説史的,概説   的研究であるという点に」「ひ・そかな不満」を表明(149ぺ−ジ)して,まず当時の税制や  

財政もんだいを叙述したうえで,リカードゥが所得税というよりも,「当時のイギリス税   制な,つまり内国消費税を中核とする現行の租税構造をある意味で肯定していた」(141ぺ  

−ジ)と断定し,リカードゥとスミス紅ついて,つぎのように∴総括される−「血蓮の自   由主義的改革達成を可儲ならしめたものほ,1842年ピールによる所得税の再設であった   が.これについて彼らはなに・ほどの影響をあたえてこいるだろうか。リカアドはこの点につ   いては,所得税をきらうイギリスの伝統的観念をアダム・スミスと共有していたのであ   る。42年のピールの所得税に対するリカアドの地位ほ,1799年のピットの所得税紅対する   スミスの地位紅相応ずるであろう。両者の学説は,この二つの所得税の設立について,な   にはどかの資任な宿するかもしれないが,両人の意志はそれと無関係である。彼らの立場   が明らかにされているかぎりでは, 

を,灸件的にでほあ挙が肯定していた○そこで彼らが選任を有するのほ,その時代における  

国民大衆とくに労働貧民に対するこの税制の抑圧的影響についてである。1816年所得税が   廃止されてのちは,効果的な税制改革についての方途さえ失われ,国民大衆は無援の状態   で,間接税の網の目の中でもがいているといった状態であった。リカアドは,この状態に   ついて資任なしとしないのである」(142ぺ−ジ)。あるいは,こうもいわれる岬=カ   アドほスミスとちがって−,当時の現行租税体系の政策的批評をあまり重視しなかった。そ  れに加えて,彼をこは実際的な租税問題を討究するために必要な,個々の租税の生成と現状  

に関する歴史的考察が欠けている。そしてこうした租税問題を網羅的に研究することほ,   

(4)

第38巻 第4弓  

422   ーー9ご−  

彼自身の課題ではなかった」(144ぺ−汐)に・しても,「リカアドが当時のイギリプ税制の問   題に.関心をもたなかったというのほまちがいであるう。リカアドは所得税紅は反対であっ  

たが,地代や利子紅対する直接課税にほ反対でなかったし,生産物税を利潤税とみて,こ   うした形での税制の再編成に賛成している。公憤処理案としての財産税も地主に大きな負   担を背負わせるというふくみで,これを支持し」たし,「リカアドの基本的立場ほ,産業   資本家階級の利益こそ国民的利益であるという点にあり,そうした立場から当時の必需品   税(食粒品および飲料に対する税)を中心とするイギリス税制を,産業資本に大きな負担   をかけるものではないとして,肯定していたと思われ.」「少なくとも内国消費税の労働者階   級に対する抑圧的影響に.ついては,スミスよりももっと後退して日をつぶり,労働者階級  

に対する負担は,それが蓄積フアンドを減少させる限りにおいてであるという立場をかた   くなに・守り,その限りで内国消費税に反対したにすぎないの」だから,「リカアドは現状.  

を筒定したからこそ横極的な発言をしなかったのである。しかしこのことはリカアドにほ   租税政策論がないということにほならない。彼が各所でのペた減税の主張ほそれなりに立   派な租税政策論である。リカアドは産業資本家のイデカロ・−グであり,彼の租税政策   論に.もこれがはっきりあらわれ1地主階級に不利な政策を,その租税論においても,理   論的に基礎づけようとしているのである。そしてここにポリティカル・エコノミ−として   のリカアド経済学の−一面性」(150−1ぺ」−・汐)があった。   

りか−ドクの死後,41年までの「移行期」において注目すべき論策ほパ−ネルの『財政   改革論』(1830年)であって;「公共サ−ビスのために必要な収入の賦課を,納税者の生活便   益の損失をもっとも少なくする方法で,また国の産業と国富の発展をあたうかぎり阻害せ   ぬ方法で」「漸進的」におこなうことを主張したパ−ネル,「当時の自由主義的財政改革   の代表的イデオロギ−」であり,「当時のイギリスの商工業名の大きな支持をかちえた」  

パ−ネルこそ(156−7,159ぺ・−・汐)は,「1842年のピーールの所得税に実質的な影響を与え」  

(152ぺ」−ジ,注15)た。ピ−・ルほ,1・財源難(赤字),2い労働者階級の生酒難,3・不合理な   関税制度の条件によって,所得税を導入し,間接税の廃・減税による営巣上および外国貿   易上の負担の軽減と,そのごの所得税制の発展にもよる「商工業資本家の地主農族に対す   る負担強制の手段としての」所得税の作用のもとで(とくに166ぺ」−ジ以下),自由主義政   策の飛躍をこころみ,かくて内国消費税ほ「かつては,ブルジョアジーーが国費負担を回避  

し,無産階級に.それを転嫁する手段として導入され,拡大をつづけてきたのであるが,い  

まやそれは自由貿易・自由競争のスロ−ガンのもとに,ブルジョアジ−そのものの手で否   

(5)

佐藤 進『近代税制の成立過程』  

423   ・−9∂一叫  

超されるにいたった。間接税の歴史ほ.新しい段階をむかえたのであり,所得税の採用ほこ   うした新しい歴史の展開を可能にしたという点に意義をもつ」(175ぺ−ジ)。  

3  

つぎに第2篇の要旨をのべよう。まず第1牽でほ,ドイツ(プロイセン)でほイギリス   とことなり本源的蓄積が「不徹底」(183ぺ−汐)でその関税とアクチ−ゼとは,「マエイド  

・インタレストとランデッド・インタレストの衝突と調整という形ご推移した」イギリス   にたいして「絶対君主と国民大衆の利害の調整という形で展開された。そして,税制が   両国における資本主義の形成紅およばした影響としてほ,イギリスにおけるエクサイズの   生成発展が,国民の下層中間階級あるいほ中/ト生産者屑の分解,いわゆる資本の本源的春  

枝の促進に重要な役割をもらたのに対して,プロイセンのアクチ−−・ゼほ,都市と農村の経   済的分離を固定化し,封建的生産関係の維持にむしろ貢献したとみられる。もちろん,と   の絶対主義国家のもとでも,貨幣資本の形成と労働力の創造という二面をもつ資本の本源   的蓄積過程が休止して.いたわけではないが,プロイセンの場合,アクチー・ゼを中心とする  

●●●●●●●●  

税制は,生活必需品価格の勝負とそれに.よる大衆購買力の削減,国内市場の狭小化といっ  

た資本主義的発展に対する阻止要因を形成していた点が注目されなけれぼならない」(181  

−2ぺ一汐)。選帝侯プリ−ドリッヒ・グィルヘルムによって17世紀末に導入された諸都市の   アクチ−ゼは「絶対君主の行政権・財政権の確立の過程,あるいは,マイヤーのいう領邦   国家匿おける二元性の克服ゐ過程と平行する形ですすめられ」(190ぺ−ジ)たが,・その効   果は,第1に絶対君主が等族会議の制肘をほなれた独自の収入源をもったこ.と,舘2に絶   対君主の経済政策の手段として利用され(免税・移住促進・産業導入),欝3に,これが   最重要な点だが.都市と農村の経済的分離の確定,農村工兼の意識的な阻止,プロイセソ   資本主義の人為的な制約であり,これらほいずれもイギリスのエクサイズの役割とは異質   であった。こ.れをイデオロギ−・面からみれば,テンツェルによるアクチL−・ゼ支持論に端を   発する消費税論争で,・ユ・スチほ.比較的にそれを批判し,ゾンネンフ.かルスほそれをいくら   か弁護(とく紅特殊消費税のばあい)したが,それらを通じて「気づ」かれることはつぎ   のみっつの点であろうー第1に.,アクチ・−ゼにふんする議論が絶対君主と納税者臣民の   利害の調和につい・でであって,消費税に主たる利賓をもつはずのマニ.ユファクチ.ユアや商   人の発言が表面にでないこと(イギリスにおけるそれとの相異・−18世紀ドイツ資本主義   の後進性)であり,第2にアクチ−ゼが君主または国庫の利益において支持された理由が   

(6)

第38巻 第4号  

−9尋・−−   424  

ゾンネンフェルスのいう「その収入の碑実性と収入性」に.あることのはかに,イギリスに   おけるそれとのちがいとして,免税階級への公平負担の要求にあったこと岬イギリスで   はそれは17世紀のホップズやぺティの示唆であっ長ものが,ドイツでほ18世紀にあってな   お免税特権は強固であった−−,そしてさいどにアクチー・ゼの作用が生活必需品の騰負を  

とおして人民大衆の負担増→都市と農村の分離→旧体制の維持による,本源的蓄鏡過程の   進展の阻止要因となり,ドイツ資本主義の後進性とその財政史的原型を刻印した(192−  

212ぺ−・汐)。   

いわゆるシーユタイン・ハルデンベルクの改革は,ドイツ近代史における政治的・経済的  

な基盤をつくりあげたが,税制改革も例紅もれず,それにつづく−・環としての1820年の改   革(穀粉・屠畜税と階級税,営業税の創設)ほ,依然として,「それが都市と農村に差別   課税をし,所得の額軋比例せぬ外形課税あるいは逆遷課税をとり仁貴族地主を免税するな   どきわめて不公平な,欠陥をもつ税制」であり,「こうした不公平は概して資本主義生整   の未発達」に・よるのだが,「これらの税は,あいかわらずプロイセンにおける資本主義生  

産の発展を阻害するという面をもら,プロイセンの原始蓄積の不徹底を基礎づける役   割をもった反乱19世紀前半紅おける新しい生産関係の形成を背景とし,この原始蓄積の   促進紅少なからぬ役割をもったという点も触祝」で きない(第2章)。   

ところで,かかる20年の不合理な税制にたいして1847年に所得税法案が第1次連合州会   紅だされたが否決され,さらに48年の革命議会では無視されて,反革命の勝利をへて51年   に階級祝および階層別所得税として成立した。47年の草案は,前記穀粉・屠畜税および階   級税にかんする法律の廃止のうえ紅,階級税を400タ−レル以下の所得にかぎり,これを  

こえる所得は所得税として,稼働所得と不労所得め差別課税,自己申告制,控除制をも加   味したもので,ペッグラ−トはこれをピ−ル所得税と比較して(1膵屯所得課税(2)人税(3)申告   制(高度の政治意識)のすぐれた性格をもつとしたが,かなりの疑問がある(266ぺ−ジ)  

と著者はいう。この法案ほ,自由主義着たちや農民階級などの反対派の支持するところで   あったが,内部からの反対もあって−の多数派は.(1)財政編成上の困難(穀粉・屠肉税の附   加税たる都市課税の事実上の廃止)と【2)所得税徴収におけるVeXatOI−ischな性質を理由に   流産させ(支持派はみずからの言論枚関や代議員もなく),さらにハンゼマンの税制改革   も成功せず.49年の所得税草案もながれて,51年5月に「階級税および階層別所得税の導   入にかんする法律」としてうまれた。それほ,(1)穀粉・屠肉税を83の大都市で維持し、(2)  

1,000ダー・レル以下の所得はそれ以外の都市と農村で階級税を,(3)1,000ターレル以上の所   

(7)

佐藤 遊許近代税制の成立過程一男  

−・95−→  

425  

得ほ全国的把.階層別所得税を納付するもので,さらに階級税はこまかく12の階層をもつみ  

っっの主要階級からなり,階層別所得税は,総所得主義と経費・損失・債務利子などの接   除制を具備し,税率は定額税としてきめられた。著者によれば、この法案ほ,r■所得税の   原理に近づ」いたという面と「3月革命の1原因となった税制紅かえった」という後退面  

とをもったが,これが痍用された条件ほ,産業の繁栄を背景とする反革命−−プル汐ぷワ   ジー・の権力取得とそれにもまざる自信の発生,ないしはかれらの利益の確保にあり,「つ  

まり旧税法が基本的に維持されることにより,下層中間階級および下層階級への重い税負   担が維持され,彼らの窮迫という形でのプロイセンの原始的蓄積ほ継続される」し,  

「所得税そのものの構造もブルジョア的資本蓄兢に.きわめて有利で」「こうしてプロイセ   ンの税法は,つづく時期におけるプロイセン産米資本主義興隆の−−・つの原因を形成」(268  

−92ぺ−・汐)しためである(第3章)。   

そのさい,とくに重要なのほ..「1851年の階級税および階層別所得税は91年のミケルの   改革にいたるまで基本的にはかわらなかった。そして,所得税部分についてほ,この改革  

まで法人が課税の対象とならなかったこと」(295ぺ−・・ジ  ,注27)であったが,著者の筆は  

本番の対象にてらしてミクルの改革にむかわず,ラッサ−・んの有名な間接税批判に転ず  

る。かれほ,いわゆる間接税に地租と営業税をもその転噂・帰着の推定から,くみいれて   全体としてこれを労働者階級への負担とみなして論難し,そのはこ先をプルジュワ汐−そ   のものにむけた。しかし,「プロイセン税制の現実と当時のブルジョア汐L−の成長の度合を   みれば,いわばプル汐ヨア汐−はプロイセンにおける間接税の飛躍的増大にはなお安任を   もたない」から,かれの非難ほ不当である,いいかえれば後進性の濃厚なプロイセソで間接   税を推進したのは絶対君主であって,そうした「経済的事実に対し,スミスなりリカアド  

なりの経済理論をそのまま適用して事態を解明」(313ぺ一−ジ)するのは無理が生ずる。と   はいえ,ラッサーールの所説は,第1に啓蒙的意義において1第2にきたるぺき時代−一冊   国主義と金融資本の時代紅速ける間接税の累増を予想し,社会民主党の武器となったこと   に.おいて,意義をもつ(第4章)。   

著者ほ,ほぼ以上のごとき本論に.たって二,さいごの補論にすすみ,所得税のイギリス型   とプロイセン塾ともいうべき2類型匿つき叙述される。イギリスのそれはレ.‡.ヂェ・−ル制   度と源泉徴収制度,プロイセンのそれは総合所得合評制度および申告納税制度であるとす   るのは,ひとつの常識であるが,これほ源流においですでに.定着したし,また,前者が  

「aIicb men staxでありえたのに,Fアイツのそれは−・般的普遍的課税つまり大衆課税」   

(8)

ーー96−  

欝38巻 第4号   426  

(336ぺ−・汐)であった事情を,そしてそれが資本主義の後進性にもとづくドイツ帝国主義の   特殊な性格によることを指示され,つづいて法人課税の両国における特異性紅言及される。  

4  

論点の多岐と内容のゆたかさは,以上のような要約をはるかにこえているし,むろん,  

わたしのとばしい理解力のおよほぬところもおおいであろうが,この種の書評の性質上や   むをえないであろう。ほじめにものペたように,本書ほ数すくない本格的な財政史に.とり  

くんだものとして,そしてまた財政学紅おけるこういう仕事はむくわれない学問的な作業   として,わたしほふかい畏敬の念を禁じえないし,ともすれば概論風か時論風か,あるい   ほたんなる調査風なつまみぐいのように・さえおちいりがちな今日の学界紅,こうした新鮮  

な研究書のうまれたこ・とを,こころからよろこびたい。だが,それは同時に.さまざまの本   番への疑問をうちけすわけにほいかなかった。というより,むしろ,本番の課題とほたさ   れた成果にかぎりない畏敬をかんずるからこそ,さまざまの感懐のわきあがるのをおさえ  

ることができなかった。   

わが国ではすでに封建制から資本制への移行という1大デーマが  おおくの経済史学会で   もその他の歴史学会でも問題史的系譜となり,それが日本資本主義の規定やひいてはその   止揚プログラムにもかんけいする深刻かつけんらんたるものであって,その死傷のなかか  

ら大塚史学という,よきにつけあしきにつけ,ヨ一口ツパ近代史の歴史的個性を特殊的に   きざみこむながれが生成したこと,そしてそれが明確な方法意識と分析手法とを駆使して  いくつかの諸労作をうみおとしたことは,だれしも否定することほできない。われわれほ,  

このむとこのまざるとをとわず,かかる特殊日本的近代に生き,そのるつぼと鍛練のなか   にいるはずである。あらためていうまでもないが,それほ固有の,あるいは本来的な重商主  

義を初期産米資本の重美構造と政策体系とし,それを欠くオランダ型貿易国家(仲継貿易)  

と峻別したうえで,イギリス資本主義の,すぐて生産力的性格と特殊近代的エ・−トスとを,  

それにたいする前期的資本の流通過程的で非近代的な,ないしは軍事的な特徴と対比し   て,イギリス資本主義の古典的といわれる根拠くそれほいいふるされたことほだが,しば   しば無概念的であった)を,その最終的勝利の理由を,またはそこにおいてのみ古典経済   学の生誕した意味を,あざやかに∴まことにあざやかすぎるはどに別放してみせた。それ   は,産業資本の系譜をめぐぅていささか形式的な論争の材料に.もなりほしたが,封建制か   ら資本制への移行,さらには産業革命史や帝国主義の成立と性格にまでおよぶ領域と課題   

(9)

佐藤 進『近代税制の成立過程』  

岬97−  

427  

に広汎な解答へのひとつの礎石をあたえたことほたしかであったし,旧体制の姪柏をもた   ぬ辺境こそがあたらしい生産棟式を発展させるとする1J三界史的レ.エーマは発展史的にも比   較史的にも雄大な構想であった。だから,そうした方法にもとづくほかならぬ財政史の兼   敏をわたしほながらく期待していた。財政昭鳴こそは,資本のさまざまの利害や資本の型   や矛盾やを,また産米構造やをもっとも忠実紅反映するはずだからであるし,またそれこ   そが,この史学のひとつの壷大な試金石ともなりうるからである。しかし,それはなかな   かあらわれず,そのうち,この番の軸となった諸論文の方がつぎつぎに・発表され,それら  

をむさぼるようによみふけったものであったが,詩論文がこの史学に守比判的なことは察知   しえて.も,それらがもつ積極的な移行法則の影像ほいたって不明瞭で実体的な把握が一向   にできなかった。諸論文の筆者の篤実な学風は十分にうかがえるの紅,なぜか,いつもむ   なしさがのこるのであった。あるいは,これらがまとめられて挙行畜たなれば,もうすこ  し明確になるゐではないかと期待した矢先その眼のまえに.おかれたのが,石坂昭雄氏の諸   共鯖(「租税制度の変革」『西洋経済史講座』Ⅳ,昭和35年9月;「イギリス名誉革命期にお   ける内国消費現(Home Excise)の意義・一塁商主義的租税体系の成立をめぐって00」  

野上地制度史学』第13号,昭和36年10月;「オランダ連邦共和国の租税構造=政策一仲継貿   易資本と間接消費税−」6⊃社会経済史学、り第29巻第3号,昭和39年2月)であり,それら   ほうまれるべくしてうまれた,いや,うまれるのがおそすぜた感さえともなう労作といえ   るが,またおそろしく大塚史学のレェ・−マにしたがった財政史版であり,その過度に明断  

な立論から「内国消費税を本源的蓄積の棍杵」とみる通説−−→それはマルクスの周知の本   源的蓄積に.かんする叙述にした込ミった佐藤教授の分析をはじめとする研究史的常識だが,  

石坂氏はマルクスの記述は「18日書紀後半重商主義解体期のイデオロ−グの意識」が反映し   たものでイギリス豪商主義全般の政策を意味しないとして,これをしりぞける一匹異を  

となえて近代的租税制度の確立を本来的蛮商主義の開始たる名誉革命に・もとめ,・その租税   制度を(1)地鱒の恒久化(2)消費税の全面化の阻止,(3)保護関税制度の確立(関税制度の保   護体制への完全な従属)の3点に帰し,いわゆるピ.ユアリタン革命期の相税制度が「原始   的蓄積の構杵」たりえない,すくなくともそれとしてはすこぶる不十分な過渡的性格のも   のだったこと,そして産業資本の側(ウィッグ派)と前期的資本の側(トーリ派)の対抗   を,または新地主対旧地主の対抗を,地相と消費税の対決としでおさえ,後者紅つい  共和国期オランダの分析からあらためて論証をこころみたのであった○  

そこでわたしが名ざしで批判された著者にたいし単行審としてまとめられるに・あたっ   

(10)

第38巻 第4号  

−−9∂−  

428  

て,石坂氏への体系的な駁論を希望していいであろうし,できうれは大塚史学と近代租税   史にかんする著者の批判的モノグラフィをもとめても,ないものねだりであるだろうか。  

ざんねんなことに,この審虹ほ,それらはなく,わずかに石坂論文の1部(ちこでの対象   領域からすれば,あまり重要でない前記第3論文)だけが.ほとんど無意味な形式で注記  

されるのみである(11ぺ−・ジ)。もともと,著書というもののあり方からいって,それで   いいというわけでほ.ないであろう。   

このことはたんに言及するしないというもんだいをこえて,じつほ著者の資本主義成立   史観のあいまいさにかんれんする。間接税のあり方にふれて,著者ほいわれる…「ここ   ではあるモデルがとられ,それからの偏差が研究されわばならないが,モデルとなりうる   のは資本主義の先進国であるイギリスである。大ざらばにいって,間接税がブルジョアジ  

−・の指導下にまたプル汐ヨアジ−の利益にもとづいて大規模紅拡大されるのほ,イギリス   の固有の重商主義時代である」(316ぺ−ジ)と。ここ.には.,すくなくとも,ふたつの重大   なもんだいがある。第1にモデルとなる先進性というのはその国のあらゆる段階をさす   のであろうか。たとえば,イギリスの絶対王制や帝国主義やがモデルとなって、フランス   絶対王制やドイツ帝国主義やのイギリスからの「偏差が研究」されるのだろうか。いった   い,モデルとか先進とかいうのほ,歴史研究にとって何であろうか。固有の重商主義とし   たがってまた固有の自由主義段階とをもちえたイギリスというのは.,そのために・絶対王制  

として−も帝国主義としてもやや非モデル的なものではないのだろうか。このことほ,われわ   れにほここにいうモデル分析の致命的な脆弱さを教え.ているようにみえる。訝2に固有の   重商主義における間接税の拡大というのは,関税か内国消費税かに・よって,またそれらの  

具体的あり方によって,いちじるしく意味をことにするし,ひるがえって,著者にとって  

「固有の」というのほ何であるかも不明であるし,この叙述の全体がはとんど意味をなし   ていない。   

もんだいは,さらにひろがる。およそ,近代税制の成立にあって、間接税の大宗ほ関税   であったが,目次にもみるごとく(またかんたんな要約でも知れるように),著者は内国消  

費税をとりあげたし,そのうえ,近代化過程の推転が剰余生産物の形態変化すなわち  の利潤からの接除にある,したがって地租というすぐれて問題史的局面を(それはフラン   ス絶対王制の間接税体系と内陸関税的消費税とにたいするケネ−の表式や名誉革命とロッ   クとをみれば自明である)対象とすることの必然もあえて指摘するまでもないであろう。  

それは,むろんランデッド・インタレストとマ・ニイド・インタレストという,それ自体あ   

(11)

佐藤 進『近代税制の成立過程臨  

429  

ー・夕9】岬  

まりに皮相かつ静態的な図式でかたづけることでほなく,地主の具体的な中味であり,貨   幣資本の再生産過程紅おける位箇づけなのである。著者は,こうした作業を原理的にほな   されないから,イギリスの内国消費税ほ本源的蓄積のテコとなり,ドイツのそれほ逆に阻   止要因となったとくりかえし強調されてもその理由は鮮明でなく,それに・†デイツでも時代   がすすめば逆進課税も本源的蓄積の積杵たりうるようになるらしいのだが,その辺の事情  

もよくわからない。こうした不鮮明の根本理由ほ,著者の資本主義成立と発展にかんする   ピルトの表明の欠如にあり,先進とか後進とかいうことの無規定のままの叙述にもかんけ   いしよう。同時に.また,著者の叙述方法と編別構成にも,それはかんれんする。というの  

も,さきにものべたように,本番のねらいたる「経済的・社会的背負との関連において」  

両国の「近代税制の成立過程」を考察するはあい,この「背景」ほとりあげられたそれぞ   れの事項にむすぴつけられたもので,「背景」自体のつながりがない。そして,その事項   ほ,いわば歴史上、というより政治史上紅画期となった,り事件 であって,その 事件=の  

「背恩」が個々的に分析・構成されるから,資本主義発展の時間系列がその歴史的時間に   対応してグィジプルでない。もうすこ.し 事件 のながれが朗政史として統一的にえがかれ   なけれほ,本番の性格はやや政治史的なものといわれて.も,しかもそのぼあいですらも歴  

史としての非統山せ指摘されても仕方がないかも知れないのである。著者は,それこそが   本番の第2のねらいたる「制度の形成と思想ないし学説の展開との関連」の検討にふさわ   しいのだ(「本音でほ,こうした制度ないし事実の展開とイデオロギ−の発展との関連に  

とく紅塵点をおいて考察をすすめる」ほしがき)といわれるかも知れぬが,それについて   は節をあらためてのべたい。  

5  

著者は,ぺティやロックやリカードゥに言及または分析の筆をすすめられるが,かんじ   んの近代思想の生成と発展にかんして体系的な展望をなされない。それで,いったい,思   想ないし学説の展開との関連を検討したといえるだろうか。内国消費税や間接税の根拠に   は,すぐれて.自然法的な背景とその崩壊過程とが,またそれと対応しで経済学的思惟の変   化と婁商主義的思考の移行もんだいとがかさなりあったはずであるし,ドイツでほポリγ  

ァインユ.クートと有機体説や経済学的対象の把握がそこに解剖されるものとして−.よこた   わっていたはずである。それは,もちろん,スミスやステ.ユ.ア・−トをとりあげることの絶   対的ともいいうる必要性をは.じめ、いわゆるヲディカリズム(ペイン,プライスなど)の   

(12)

簿38巻 第4号  

】−J♂0−  

430  

蛮税反対論や公憤批判を,また軍事則政批判をみずからの課題として分析し,ドイツでほ   カメラリスムス像の確認とマルクス基エンゲルスの意義づけ(これはこの審の対象とした   時代につくりあげられていったのだから)が是が非でも要請されよう。こうしたものが無   規定のま草であったり,グーネディのふるぴた指摘です草せたりするのでは,本番のような   労作にとってなさけないことではないか。リカードクにしても.著者ほ通説を排して内国   消費税を中核とする現行税制を肯定したといわれるが,かれの意図が利潤率の下落とそれ   に対照的に地代の騰貴するさまを,したがって地主と社会一\般との利害における対慮を産   米資本の立場から構造として提示するためのものであり,・そこからただちにかれの消費税   支持論を直線的に論定することほ.,いわゆるリカードク派社会主′義一】その実体のもんだ   いはいまほ別として一なるものの出現自体やかれにおける労働価値説の史的意味をすら   説明しえず,およそ・思想史分析の視角を欠如したものであり,さらに・スミスやリカードク   をケネディ流にピットやピールの所得税にたいする反対者の位暦として断定することも,  

著者の方法からみても疑問がわく。著者は,イギリス所得税の生誕を産米革命という3所   得範疇の析出にもとめたはずとすれほ,はかならぬその所得範疇を経済学の独白の対象と  

したこれら両名の主張がたんに審問官的ということばだけで,形式的に処理しえぬ思想史   的課題が,すなわちスミスやりか−ドゥの足元にシ.ェブコ.−ル塾所得税のじつは基盤が,  

したがってパーネルはその継承者としてたつことの意味が,くみとれるほ.ずである。そう  

しで,このことは著者が経済学史と財政思想史とのかんけいをどうかんがえるか紅かかっ   ており,それは,「ポリティカル・・エコノミーとしてのリカアド経済学の一面性」などとい  

う,読者にはあまりに唐突な,木ではなをくくる表現ではとらえられない方法の樹立をう   ながしているであろう。   

いずれにせよ,租税利益説の生成と発展とを,近代税制の成立過程に照準をあわせて   一−たとえば絶対王制,豪商主義,産業革命,自由蜃易の序列にあわせて帥,分析して   はしかったし,とりわけ間接税と地租との対抗・依存かんけい,また所得税と間接税(そ   の内部でほ関税と内国消費税との)の租税思想史的もんだい,とくに原始蓄績と申達繋聡   かんして,なお一層の内在的あとづけがのぞまれる。   

したがって,本番め独自の学問的成果にもかかわらず,はしがきでのべられたみっつの   ねらいがどうも不十分にしか解決されていないうらみはイ とうしてもぬぐいきれず,それ   ゆえにまた,石坂氏の超大塚史学的分析への有効な解答とはいいえないのである。そのは   か,近代税制の成立といえは,欠くことのできないプランス,「租税体系についての寅に古典   

(13)

431  

佐藤 進『近代税制の成立過程』   −一封入トー  

的民族」たるフランスが視野のなかにはとんとないこと一冊=対象としてほやむをえないと   してももんだい忠誠の範囲として∴是非考慮さるべきこと,すこしこまかくいえば,「金地主   階級の利温」(36ぺ−汐,3行目以下)というのでは名誉革命とほ何であったか,それと39   ページ ,注23とのかんれん,釦ページにおけるピットとプライス案のかんけい(プライス   案ほ全面的にほひとつも採用されなかった),93ぺ−ジ,注7での思想史的分析のよわさ(マ   ルクスのプライス利用のこ蛮性の無視→プル汐.ユ.ワ・ラディカルの把握の欠如),ピット  

とアディングーン所得税の富裕者課税としての性格(119ぺ−・ジ,第2パラグラフ)ではそ  

れがむしろ地代への課税であった(118ぺ−・ジの解1図)点をどうおさえるか,さらに∴ピ  

−ル所得税との断続かんけい,このことと129ぺノー汐,第2パラグラフとの実質的類縁,  

など欝1篇に.限定して.も,なお,おおくの疑問をかぞえうる。   

そして,さいごにつけくわ.え.ていえば,漁末の主要文献目録だが,「主要」である‡こして   も,石坂民のかんじんの2文献が欠落したり,木村元一・教授のステ.ユ.ア一卜やカメラリス   ムスかんけいの諸労作や著書が∬ただひとつの例外をのぞいて∴−−すべて無視され,故   花戸髄威博士や大川教授の菜緻もまた同様であるし,ン.ェノ、−プやシャワプの沓物への書   評をはじめ,文献挙示の基準がうたがわれる。これは沓誌的紅みでも,またこの沓め内容   に.てらしても,かんがえなおすべきことである。日本の学界のあり方に即して,わたしほ   ふたたびみたび暗然としたのであった。   

この沓が戦後の学界における記念碑的作品であるだけに,以上にのべたことや年表と索   引の欠如ほ,また文体と論理紅必要以上また以下の説明の過不足があり晦渋であること   は,おしまれてならないのである。わたし自身はこれから何回となく退に迷ってはこの審   のと教示にたちかえり,なんとか歩むべき方向を学びとりたいとおもうし,こうした沓物   がこれからの若い学生や背年に愛読されるような学界でありたシ、とつよくのぞむのであ   る。そのために,おそらくほ著者がかなりあとから着手した仕事の方が早く出版される  

(『現代財政政策論』)という事愴や古典や歴史やをともすれぼゆっくり研究させえない学  

界の軽眺浮薄な雰囲気を払拭しなければならない。  

(東京大学出版会・1965年6月刊・Viii+343ぺ一汐・文献目録6ぺ一一汐・1400円)   

参照

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