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『イズラエル・ポッター』 論 ―ポッターと、メル ヴィルの三人の英雄像―

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『イズラエル・ポッター』 論 ―ポッターと、メル ヴィルの三人の英雄像―

著者 鈴木 義久

雑誌名 明治学院大学教養教育センター紀要 : カルチュー

ル = The MGU journal of liberal arts studies : Karuchuru

巻 3

号 1

ページ 9‑42

発行年 2009‑03‑24

その他のタイトル Melville's Israel Potter and Three Revolutionary Heroes

URL http://hdl.handle.net/10723/3195

(2)

『イズラエル・ポッター』論

ポッターと,メルヴィルの三人の英雄像

鈴 木 義 久

この小論で扱うハーマン・メルヴィル(1819 91)の第8作目の長編小説『イズラエル・ポッター,

流浪の50年』(1855)は,月刊雑誌『パットナム ズ・マンスリー・マガジン』(Putnam・sMonthly MagazineofAmericanLiterature,Science,and Art)の1854年7月から翌年3月まで連続九ヶ 月に亘って掲載されたあと,同じ月に単行本とし ても出版されている(1

それまでの全七作の長編小説は,作家メルヴィ ル自身の実体験を生かして描かれた,その濃淡に かかわらず,自伝的色彩を帯びた作品であった。

ところがこの『イズラエル・ポッター』は,雑誌 掲載時には無かった,単行本の出版向けにあとで 作品冒頭に付け加えられた著者 表記は「編集 者」となっているが の献辞によると,実在し た人物の「体験記ナ ラ テ ィ ヴ」()を元に,これを「手直 し」()した「作品」()だと説明されている。

とすれば,メルヴィルにとっては,これまでの長 編小説とは毛色の変わった,新しい試みの作品と いうことになる。

変わっているのはそればかりではない。この献 辞の対象がまた,通常よくある人物ではなく,花 崗岩でできた方尖塔形の「バンカー・ヒル記念碑」

となっている。このこと自体はすでに,長編小説 としては第7作で前作の『ピエール』(1851)で も,献辞の対象が,奇抜にもメルヴィルが執筆時 に居住していたマサチューセッツ州バークシャー

郡に聳える,グレーロック山だった前歴を思い起 こせば(2,驚くに当たらない。だが,『ピエール』

の場合,献辞の内容は表面的には郡の最高峰であ るこの山に敬意を表して作品を捧げるという単純 なもので,捉えようによっては,渾身の力を込め て創作し世に問うた第6作の長編小説『白鯨』の 真価が期待したほど認められず,孤高の状態にあっ たメルヴィルの心中の複雑な思いの一端が反映さ れたもの,と解せなくもない程度のものだった。

これに対して『イズラエル・ポッター』の献辞に は,捧げる対象自体とともに自作解説を含む本文 にも,明らかに皮肉の込められた文章が散見され るのである。

その本文には,この作品がある原作の書き直し だといういま触れた解説の他にも,著者の自作解 説が施されているのでこれまでのように,メ ルヴィル自身の解説をどの程度信用すべきか注意 が必要だが ,少し長くとも検討のため,全文 を引用しよう。

バンカー・ヒル記念碑殿下へ捧ぐ

伝記は,その形式がより純化し,対象が誠実 で勇敢な人々の送った生涯である場合,人間の 徳行に対する最も正当な報酬 まったく公平 無私に贈与され授受される報酬 と考えられ ましょう。なぜならば,その伝記作家が対象人

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物に認めてもらうことも期待できないし,その 対象人物自身も,授かる伝記的栄誉に乗ずるこ とがまったくできないからです。

イズラエル・ポッターは,この捧げ物[=作 品]に十分値する人物です バンカー・ヒル の戦闘時に兵卒だった彼は,その忠勤ゆえに,

何年も前に地下のさらにずっと人目につかない 地位に昇進し,生前は一切支払われなかった年 金も,その死後に毎年,常に新しいコケと芝生 の形で支給されています。

この成果[=作品]を殿下の足許に捧げたい 気持がなおさら強まるのは,この作品が[語り 手の]人称変更はあっても,再版とほとんど変 わらないぐらい,イズラエル・ポッターの[も との]自伝的物語が保たれているからです。虚 弱な老齢での彼の故国への帰還直後に,小冒険 譚として,安っぽい灰色の紙に望みはかなげに 印刷されて行商人の間に出回ったのですが,恐 らくポッター自身が記したのではなく,彼の口 述を別な者が書き留めたようです。しかし,

「美しい門」[使徒行伝,第3章]の傍らの足が 不自由な男の松葉杖の跡のように,この不鮮明 な記録はいま,絶版になっています。この作品 の話は,ほんの些細な偶然でバタ屋から救い出 されたぼろぼろの原本から引き出されたもので,

少し拡張したり,歴史や個人の箇所に詳述を加 えたり,舞台を一,二移し替えたりした例外は ありますが,荒廃した古い墓石の手直しという 観点からすれば,恐らく,それなりのものと見 なせないわけでもありますまい。

この物語の長所が,殿下からご覧になると,

もとの物語の趣旨に全般的に忠実である点にな ければならないことを十分承知していますので,

わたくしはどの場面であろうと,主人公の困難 な運命を軽減することを差し控えました。特に

終わりの方で大いにその誘惑に駆られたのです が,神の定めた運命に換えて,詩的正義に基づ いたどのような芸術的な償いであれ,それをあ えて用いることはしませんでした。ですから,

この作品終章を包む沈鬱な気分に対して,わた くし自身以上に不満をこぼせる立場の人は誰も いないことになります。

そういったもの,そういった人物が,わたく しが殿下に捧げる光栄に浴する作品であり,主 人公なのです。ここに記されたその名前なら,

[ジェレド・]スパークスの著作集に載せられ なかったろうなどといった事柄が,驚きの対象 となるのかどうか分かりません。ですが,イズ ラエル・ポッターは,殿下が,上の定義に従え ば,最も高邁な意味で,大伝記作家だと見なせ るかも知れないと気付き,意図的に現在の高貴 の人[=殿下]の足許に受け好く姿を現すタイ ミングを待っていたかのように思えます。つま り,殿下が,この花崗岩という確かな報酬以外 の報いを一度も受けたことがなかったかも知れ ない,1775年6月17日に戦った無名の兵卒の 彼のような人物を追悼してくれる一国の代表者 だ,というわけです。

殿下はお許し下さりましょう,わたくしが失 礼も顧みず,この慶事に寄せられる熱情溢れる 頌栄に相乗りして,わたくしたちが祝うこの記 念日が繰り返し訪れることに心からの祝辞を捧 げようとも。どうか殿下(殿下は実際,若白髪 を多少蓄えられていますが)にも幾度となく記 念日が訪れますよう,冬の訪れごとに雪がイズ ラエル・ポッターの墓にそっと降り積もるよう に,夏ごとに太陽が輝かしく殿下の額に注がれ ますよう,お祈り申し上げます。

殿下の最も献身的で従順な,

『イズラエル・ポッター』論

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編集者より。

1854年6月17日。(,and)

この本文の自作解説の部分を中心に,要約して みよう。伝記というのは,そこに描かれている対 象人物にとって,公平無私の報酬となる。今回単 行本として発刊される本書『イズラエル・ポッター,

流浪の50年』は,アメリカ合衆国の独立戦争時 に,命を賭して戦ったものの報われず,人知れず 世を去った愛国の戦士イズラエル・ポッターの伝 記物語である。この作品は,今や絶版となってい る本人の口述記録である原作を下地に,多少の改 変はあっても,できるだけその趣旨に沿って描か れている。彼と同様に戦った数多くの名も無き戦 士に対して,独立戦争後に彼らの尽力で誕生した 国家は,その功績に充分報いたとは言い難い。イ ズラエル・ポッターを彼らを代表する人物として その生涯をここに紹介するので,世の心ある読者 ならば,自由平等を標榜する自国民主主義国家ア・・・・

メリカの不作為に,深く思いを致して欲しい。以 上が,献辞の要約となる。

献辞に込められている皮肉は一読して明らかだ。

冒頭,記念碑を擬人化して「殿下」と敬語を用い て呼称し,戴くことなどあり得ないはずの国王,

あるいは王族といった支配階級に作品を献納する 形を取っていること自体がまず,君主国家である 英国と戦って独立を勝ち得た民主主義国家の一員 として誇りを抱いているメルヴィルならではの,

皮肉なのである。擬人化の対象となっているバン カー・ヒル記念碑を建立し,独立の偉業を為した 建国の父ら一部の人物を祭り上げて追悼するだけ でなく,その尊い命を捧げた無名の士らへの真心 を込めた感謝の祈りも忘れてはならない,という 批判となっているのだ。

他にも,報われることなくひっそり墓の下で眠 る元兵卒イズラエル・ポッターを紹介する文章,

例えば,「バンカー・ヒルの戦闘時に兵卒だった 彼は,その忠勤ゆえに,何年も前に地下のさらに ずっと人目につかない地位に昇進し,生前は一切 支払われなかった年金も,その死後に毎年,常に 新しいコケと芝生の形で支給されています」など にも,皮肉があからさまに読み取れる。ここでは,

「兵卒」(・private・)という名詞に形容詞「目立 たない,人目につかない」の意味も生かして同時 に「人目につかない地位」という意味を持たせ,

次の表現「さらにずっと人目につかない地位」

(・astilldeeperprivacy・)につなげる言葉遊び が見られるが(3,伝わってくる皮肉の醒めた冷や やかさに,恨んだまま没した死者に代わって恐ら く覚えざるを得なかったメルヴィルの,抑制され た憤りがかえって強く感じられよう。また,最後 の段落に見られる,記念碑への毎年の記念日の訪 れを末永く願う「編集者」の祈念には,比較され た,墓の下に眠るイズラエル・ポッターの存在の 方がかえって強く浮かび上がってくると同時に,

込められた皮肉を圧倒する勢いで,悲哀がこの祈 念全体を覆い尽くしてゆくようだ。

献辞の最後に記されている日付「1854年6月 17日」は,毎年その日に祝典が行われる記念日

(BunkerHillDay)だが,この作品が最初に発 表された1854年7月号,さらに8月号の掲載雑 誌時には,もともと「ある7月4日の物語」(4と いう副題が付いていた。この副題から判断すると,

この作品の内容に照らして 独立戦争を扱った 物語であり,最終章27章に7月4日の独立記念 日を祝う場面が出てくることから ,雑誌の発 行元パットナム社は独立記念日の方に合わせて,

1854年の7月号に連載第一弾の発表を図ったの かも知れない。著者側のメルヴィルとしては,単

『イズラエル・ポッター』論

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行本の刊行が雑誌連載終了直後の予定となってい たことで,雑誌掲載時には次号8月号までは付け ていた副題「ある7月4日の物語」を削除して,

「7月4日」にはこだわらず(5,むしろ作品の内容 に則して,物語の中心人物イズラエル・ポッター が実際に参戦したバンカー・ヒルの戦いを記念し た祝日である6月17日(BunkerHillDay)の方 を,この献辞につけたと考えられる。

さて次に,簡単にしか触れなかった著者自身の 作品の内容解説に目を向け,これをもっとよく検 討してみよう。

メルヴィルはこれまで,実体験の要素を取り入 れて,作家なら当然であるが作品と関連する様々 な分野の資料を活用し,いろいろ創作上の実験を 試みながら長編小説を書き上げてきた作家である。

だが,それらの作品では意図に反して印税が期待 するほど入らず,家計的には苦しい状態にあった が,ほころびかけ始めたとは言えすでに築きあげ ていた文名のおかげで,なんとかこれまでの長編 小説出版と関わってきたことのある出版社の月刊 総合雑誌に小説を立て続けに寄稿して,掲載小説 を世に送り出すことができていた。

しかし,今回のこの新作『イズラエル・ポッター,

流浪の50年』は 本稿では,作品としては雑 誌掲載小説としてではなく,単行本として献辞を 付けて刊行された長編小説として扱う ,読者 を多少面食らわすような献辞の内容検討ですでに 見たように,他人の原作を自分なりに書き換えて 作品とした,というのである。悪く言えば今回は,

俗に言う,他人の褌で相撲を取った,と告白して いるのと同然なのだ。

作家にとって,わざわざ新たに独創的な構想を 立てるよりも,献辞に「イズラエル・ポッターの

〔もとの〕自伝的物語が保たれている」とあるよ うに,他者の完成作品から原案を得て基本構想と

し,あとは「少し拡張したり,歴史や個人の箇所 に詳述を加えたり,舞台を一,二移し替えたりし た」するなりして,いかに自分の思い通りに書き 直すかに力を注げばよい,ということになれば もちろん,それでも作品を書くという作業は 大変であろうが ,それなりの時間と労力の軽 減となり,大いに助かるだろう。特に,より多く 収入を得ようと望み,なるべく手間暇かけずによ り多くの作品を書かなければならないメルヴィル にとって,原作の改作ほどうってつけの仕事はな かったろうと想像される。これがうまくゆけば,

次回に同じ手が使え,より多くの収入の道が開け るのであるから。事実,本稿では扱わないが,中 編小説「ベニート・セリノー」(『パットナムズ・

マンスリー・マガジン』1855年10月号~12月号 掲載,翌年,中短編小説集『ピアザ物語』に収録)

でも,メルヴィルは他者の原作をもとに執筆して いる。

今回の物語は,はたしてこのような一家の主た る家計維持者としてのメルヴィルの家計的な配慮 を含め,献辞に述べられた無名戦士への国の不作 為を紹介して世の読者の良識に訴える狙いのほか に,メルヴィルが一兵卒イズラエル・ポッターの 生涯を描く中に,どのような創作意図を込めて取 り組んだ作品なのであろうか。これまで検討して きた献辞に縛られず,今回は原作と比較しながら 作品を検討し,その意図を探ってみよう。この原 作とは,イズラエル・ポッター本人からその体験 談を直接聞き書きしたヘンリー・トランブルとい う著者によって刊行された,『イズラエル・ポッ ターの生涯とその驚くべき冒険』(1824)のこと である(6

『イズラエル・ポッター』論

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1

作品の第1章「イズラエルの生誕地」は,文字 通り,この伝記小説の主人公であるイズラエル・

ポッターを育んだ故郷「マサチューセツ州バーク シャー郡」(3)の風土が説明されている。だが,

もともと原作にはイズラエルの生誕地そのものを 紹介する章はない。冒頭のわずか一文に,「わた しはロード・アイランド州クランストン町の立派 な両親のもとに生まれた」(L5)と記されている だけである。

この舞台の北西へ約150kmの移転は,すでに 触れた献辞の「神の定めた運命に換えて,詩的正 義に基づいたどのような芸術的な償いであれ,そ れをあえて用いることはしませんでした」 つ まり,すでにその生涯を終えた人物が生前その身 に降りかかったどのような艱難であれ,この作品 でそれを描くさいは,事実を曲げたりしなかった というメルヴィルの口上とは違っていまいか。

実在した人物である主人公の育った土地を他の土 地と換えてしまう為業は,主人公が,神が定めた ロード・アイランド州クランストンで生を受ける という運命を,勝手に変えてしまうことそのもの だからだ。献辞のこの口上の直前には,条件を表 す言葉「どの場面であろうと,主人公の困難な運 命を軽減することを差し控えました」が置かれて いるのだが,生地という舞台の移動は「困難な運 命」ではないから,今回この条件(あるいは制約)

は適用外である,あるいは,生地に生まれたとい う運命とあとの「困難な運命」とはつながってい ないから別である,とでも言うのであろうか。自 伝的物語小説を書いてきた作家の宿命なのかも知 れないが,メルヴィルの場合,処女作の『タイピー』

以来しばしば読者に対して,前書き 『イズラ

エル・ポッター』の場合は献辞がこれに相当する の中で,そこで施されている自作解説と実際 の作品で語られる伝記的事実といったような内容 の間に,乖離や齟齬を感じさせてしまうような前 口上をしてきている作家ではある。

主人公の生地の変更がその運命を変えてしまう 為業かどうかの判断はさておき,メルヴィルの

「手直し」の意味することがどの程度の事柄を指 しているのか,読者は早くも作品の初章でその例 を示されたことになる。さらに大きな観点から見 れば,「もとの物語の趣旨に全般的に忠実である 点」に対するメルヴィル解釈はどの程度の原作に 対する忠実さなのか,これ以降,注意しながら作 品を読み進めてゆかねばなるまい。

では,なぜメルヴィルはわざわざ原作の生地を 変更しまったのだろうか。そのヒントになると思 われる記述が,第1章のバークシャー郡の山地の 風土を説明するくだりに見出せる。この土地は

「忍耐強く」,「強靱な」人間を育む風土であり,

「献身的な愛国者イズラエル・ポッターの生地と してこれ以上相応しい土地はあり得なかったろう」

(5)というのである。これから登場する主人公に

「革命期の男どもの気質」を付与しようというの だ。

原作での生地ロード・アイランドのクランスト ンは大西洋に接する低地にあり,動乱期に活躍し,

生き抜けられる主人公は,山地というより厳しい 自然の中で育まれ,気質的にも体格的にも恵まれ た人物ではならない,とメルヴィルは考えたのだ ろうか(7。伝記的には,メルヴィルはニューヨー クの富裕階級の避暑地として有名だったバークシャー 郡の,ピッツフィールドに1850年9月に居を構 えており,この作品を執筆している時にも実際に 在住していた(8。もともとピッツフィールドには,

伯父,さらに,その息子である従兄が経営してい

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た農場があり メルヴィルがニューヨーク市内 から引っ越ししてくる直前の夏にはすでに後に親 しい隣人となるモアウッド夫妻に売却されていた

,その年の夏もそうだが,少年のころから避 暑に遊びに来たりしていたメルヴィルにとって,

この地方は,以前から馴染み深い,よく精通して いた地域である。

そして,この初章の最後で早くも,これから先々 で主人公の行く手に立ちはだかる数多くの障害を,

歩まねばならない苦難の人生を,これまでの作品 にあるような暗示的表現ではなく,次のようにはっ きりと読者に語っているのは,今は「絶版」() で入手が困難とは言えすでに出回っている原作を 意識してのことであろう。

ニュー・イングランドの山中で父の迷い牛を捜 し回った少年のころに,自分がやがて逃亡中の 反逆者として,オールド・イングランド[=英 国]の国土半分に亘って,自分自身が獣のよう に追い回されることになるなどとは夢にも思わ なかった。(6)

当然,読者の興味は次章から語られると予想され る,ポッターを待ち構える「困難な運命」の話に 向けられることになる。

第2章は,この主人公のまず離郷の話となって いる。

ポッターは18歳の時,恐らく幼友達であろう,

隣家の娘に恋をする。相手の娘もまんざらではな さそうなのだが,彼の父親が「何らかの理由で」,

「相応しい結婚相手ではないと考え」,猛反対する。

原作にはまったくその理由に関する記述はないが,

メルヴィルの方はそのあとに,彼女の家柄に関し て「何ら他家と劣ることはなく,運悪くただ貧し かったが」(7)と記しており,メルヴィル自身が

想像した父親の反対の理由を一言,暗示している。

「身を慎しんでいればやがて結婚を許してくれ る」と思うポッターは,彼女の親戚にも手を回し たりもし,交際を止めないと酷い目に遭わせると 脅す父親の脅し方が悪質で,古のイスラエル人が

「正当な根拠でその王のくびきから抜け出そうと したのと同様の正当な理由で,父親から自らを解 き放」とうと決心し,ある日曜にわずかな「着替 え」と「食糧」を携えて,「別な家庭と友人たち を求めて」故郷を離れる。イズラエルは,周知の ように,聖書の個人名としては,双子の兄エサウ から長子相続権を騙し取る弟ヤコブののちの名で あるが,ここでは主人公の個人名と同時に,古代 ヘブライ民族の別称としても用いられている。も ちろん作品の読了後にはっきりと判ることだが,

イズラエルの家出は,聖書の出エジプト記に描か れている,外来王朝からエジプト人の古来の純然 たる王朝へと移行して,奴隷に貶められて苦しむ イスラエル民族の脱出に擬えられており,このよ うな表現が用いられている。

家をあとにしたポッターは,一応,追手の可能 性を考えて当初は逃避行する。そして,コネティ カットに入り,そこを皮切りにニュー・イングラ ンド各地,さらにカナダにまで足を伸ばして,そ れぞれの地でさまざまな職種をこなしながら経験 を積み,貯めたお金で「重みのある財布を携えて,

3年間まったく消息のなかった恋人と両親を訪ね ようと決心する」(9)。その職種は多岐に亘り,

まず「農作物の収穫時の手伝い農夫」(8),「農地 開墾者」,それから「王室調査隊」の「測定鎖を 運搬する助手」(9),「猟師」,再び「農地開墾者」,

そして「交易商」,「小売商」へとめまぐるしく変 わっている。メルヴィルは,この3年間の多様な 経験を通して,ポッターの「わが祖先を国の解放 に導いた,あの恐れを知らぬ自己信頼と独立心が

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育まれた」,と説明している。原作では,さまざ まな職種に就いた経験がもたらした,このような 精神的な産物への言及はまったくない。

故郷に戻ったポッターは,すでに亡き者と思わ れており,せっかく再会できた恋人は「妙にはに かんでいて,まんざらではないが,どうしたもの かよそよそしい」し,結局,当初は息子の帰還を 喜んだ父親の方も(9,依然として彼女との結婚に は反対だということが分かる。「彼は悲しい気持 ちで運命と思われるものに穏やかに従い,果敢で あるべきは自分の権利を主張して(もう21歳だっ たからだが)他人を脅かすことよりも,自身が危 険に直面することだとして,再び退いて青い丘陵 をあとにし,さらに青いうねりの大きな地[=海]

へ向かう決心をする」(10)。

ポッターは水夫として商船に乗組んで海に出て

「西インド諸島」を巡り,さらに捕鯨船の銛撃ち として「南太平洋」で月日を過ごすが,やがて

「心から大洋に倦み,再び森林に焦がれて」下船 し,故郷の山国へと戻る。ところが,今度は「愛 しき,不実なその恋人はすでに人妻となっていた」

のだった。原作では,帰郷は三度だが,実家に帰っ てきたのは一度で,あとの二度は友人宅に滞在し ており,実家に顔を出した記述はない(L913)。

また,恋人が他者に嫁いだ記述もない。

第3章に入ると,「時は1774年。英国と13植 民地間で長い間未解決だった難題がとうとう二進 も三進も行かなくなっており,戦争は避けられな かった」(12)と,緊迫した時局を迎えていた時 代背景が説明される。この時のポッターの年齢は 言及されていないが,原作では,その誕生日が

「1744年8月1日生まれ」(L5)と記されており,

この時期,彼はもう30歳になっている。メルヴィ ルがポッターの正確な年齢を記しているのは,当 初の数回のみである。

失意のポッターは,実家を離れ,バークシャー の北北西にある「農場で労働者としてこの八ヶ月 の間逗留しながら」,労働によって汗水を垂らし ながら傷心を癒していたが,すでにバークシャー 郡のパターソン大佐指揮下の連隊の徴募に応じて いた。そして,翌「1775年4月18日にレキシン トンの戦いが勃発する」と,その二日後の昼ごろ にはバークシャーの地にも知らせが届き,翌朝夜 明けと共にポッターは銃を担いで連隊と合流し(10, 速歩でボストンに向かう。

他所からやって来た派遣隊とともに,ポッター の連隊は7月16日の夜に「バンカー・ヒルの防 備を固めることに着手し」(13),「夜通し働いて,

翌日の夜明けまでに四面堡を構築し」,パットナ ム将軍の指揮の下で,英国軍の来襲に備えた。

翌朝,攻撃を開始した英軍と激しい戦いを繰り 返し,ポッターも狩猟で培った得意の射撃で指示 通り敵の将校を中心に撃ち倒すが,弾薬が底をつ いた独立軍は白兵戦で敵に立ち向かい,ポッター は尻と右腕の肘近くに銃弾を受け負傷する。バン カー・ヒルからの退却時に,ケンブリッジの病院 に運ばれ,そこで銃弾によって砕けた骨の摘出手 術をしてもらい,しばらく入院したあと,なんと かプロスペクト・ヒルに陣を構える仲間の隊に復 帰する。7月3日,ワシントン将軍が指揮を執り に現地に到着し,物資不足で苦しむ英軍の海から の補給を断つ目的で,敵の補給船を迎撃に向かう 偽装させた三隻の武装船のうち,「大砲を10門備 える二本マストのブリガンティン型帆船ワシント ン号」(14)の水兵が足らないため,兵士の中か ら募る。船員経験のあるポッターは,意を決して これに応募し,乗組むことになる。

ところがボストン港を出撃して三日後,倍する 砲を備える敵船フォイ号に捕獲されてしまう。捕 虜となったポッターは,総勢「72名」の仲間の

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水兵とともに戦艦ターター号へ移され,その目的 地である英国の軍港ポーツマスへ連れてゆかれる ことになる。

その航海の途中,ポッターは仲間の捕虜と船の 乗っ取りを企てるが,裏切り者のために,目的地 に到着するまで船内の牢屋に囚われる。目的地に 着くや,甲板に引き出されたポッターは,吟味の 時にその裏切り者が英軍の脱走兵と判明して刑罰 を免れ,仲間とともに近くの海軍病院に移送され る。ところがここで,そのうちの「半分が天然痘 に罹り」(15),罹病者の3分の1は死亡してしま う。そのため,ポッターは生き残った仲間ととも に対岸にあるワイト島の間の停泊地スピットヘッ ドに浮かぶ牢獄船に移され,彼は「日の当たらぬ」

その内奥部に「鯨の腹のヨナのように,一ヶ月身 を横たえていた」。

ところがその後ある朝に,司令官用小艇の乗組 員の一人が病気だったために,「水夫」だったこ とを知られていたポッターは,「臨時に代わりの 漕ぎ手に任命される」ことになる。

ここで読者は,この段落から始まる計5段落の,

会話を除く地の語りの文章の時制が現在形になっ ていることに気付く。さらにそれに続く3段落も,

本来第1章の始めから一貫して続いていた過去形 での語りと現在形での語りとが交互になされてい るのである。現在形過去文のようなこの部分は,

劇の台本のト書きの意識で書かれているようにも 見える。まるで,原作を左側に置きつつ,原稿を 書いている作家メルヴィルの執筆の様子が垣間見 られるようだ。バンカー・ヒルの戦闘からこの敵 の小艇の漕ぎ手となる話 さらに,この先の,

ベンジャミン・フランクリンが登場する第7章の 冒頭あたりまで当てはまることだが は,原本 の使用語彙をかなり用いて語っていることも,そ のような想像を読者に働かせる誘因と言えようか。

2

このあとから,作品はまさに流浪者ポッターの 遍歴,「冒険譚」()となっている。

司令官小艇で上陸する将校のために漕ぎ手とし て乗組み,任務を終えてまた本船に帰還する将校 を待つ間,漕ぎ手一同は酒場でビールを飲もうと いうことになる。これぞ千載一遇の脱走機会と捉 えたポッターは,他の漕ぎ手が酒場に姿を消すや 否や,一目散に「鹿のように」「ロンドンに向け て疾走したのは,賢明にも,ひとたび雑踏に紛れ 込めば,探索は不可能と思ったからだった」(15)。

「10マイル」行ったところで,ポッターは居酒 屋を通り過ぎようとするさいに将校に問い糾され,

適当に返答しながらさらに逃げ延びようとするが,

「止まれ泥棒!」と大声を出され,通りの家々か ら出てきた人々に追われてしまう。そして,「1 マイル追いかけられた所で」,すでに10マイルも 疾走し,息も絶え絶えのポッターは,捕われてし まい,先ほどの居酒屋に連行される。

この将校は幸い「人柄がよく」,疲労している ポッターを「本当の純血なヤンキー」と店の親父 に紹介し,「その夜はポッターの望み次第に酒を 与えて」くれと言ってくれる。彼は自分に付けら れた二名の監視兵にも酒を振る舞ってもらう。

「ヤンキーは踊りがとても上手だ」と,求められ るままに汗だくになりながら踊りまで披露して酒 場の客らを楽しませるが,ポッター自身の頭の中 には脱走の二文字が常にあり,幸いなことに,酒 の酔いは激しい踊りによる発汗作用で醒めていた。

そして,やがて夜も更け,客は帰り,ポッターは 兵のベット脇の床に毛布を敷いてもらい,手かせ をされたまま,その上で身を横たえる。

「一,二時間ほど経つ。外はまったく静寂その

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ものだ」(16)。ポッターはずっと脱走の機を窺っ ていたが,二人の兵士がともにぐっすり寝入るこ とはないようだと判断し,トイレを要求すること にする。起こされて不機嫌な兵士に文句は言われ るが,外へ出る戸口で前を行く兵士が戸のかんぬ きを外そうとするや否や,後ろの兵士の手を振り 解き,前の兵士を突き倒し,庭の塀を乗り越えて 脱走に成功する。

2,3マイル走ったあと,追跡者はいないと判断 したポッターは,何とか手かせを外し,さらに全 速で進むうちに夜が明け始める。「1776年の春」

(17)たけなわの田園の中をさらに進み,途中で 畑で働く二人の地元民を見かけ,声を掛けてロン ドンへの道を教えてもらう。

そのすぐあと,道は村に入り,ポッターは通り ゆく自分をじっと見守る村人を見かけて,自分が 目立つ英国海軍の水兵の服を着ていることに気付 かされる 捕虜の身分から,司令官小艇の漕ぎ 手として徴用されるさいにこの制服を支給されて いた事実が,ここにきて初めて読者に知らされる

。急いでその村を通り過ぎたポッターは,「着 衣を変え」(19)ようと,途中出会った「溝さら いの老人」に声を掛け,服を交換してもらう。そ の「彼が今身にまとっている惨めなボロ服は,前 途の長い困窮の生涯にまさに相応しかった」。

溝さらいからロンドンまでの正確な道順と,近 隣には「賞金」目当てで脱走兵を探索する兵士で 溢れていることも教えてもらったポッターは,目 的地まであと「いまや70~80マイルの距離だっ た」。

その日は30マイル進み,農家の納屋に潜り込 み,一夜を明かす。翌朝,別な大きな村の外れに たどり着き,松葉杖を使って足が不自由な振りを しながら村の中を歩んでゆく。

数マイル行くと次の村にたどり着き,大きな通

りを進んでゆくと,「本物の足の不自由な男」

(20)に声を掛けられる。適当に返答してこれを あしらい,村の反対側の外れでロンドン方向に向 かう空の荷馬車に出会い,御者に頼んで荷台に乗 せてもらう。だが,歩みがのろいので途中で下車 させてもらい,杖を捨てて速歩で離れてゆくのを 御者に驚かれたりする。そして,次から次へと別 な村に近づくが,「村の数の多さと村と村との近 さに驚き」(21),人目になるべく付かないよう村々 を迂回して進むが,その分「旅程を延ばし,途中 で思いがけない障害」に出くわすことになった。

三日目の夜,あと「ロンドンまで16マイル」

(22)のところに来て,ポッターは今度も納屋を 見つけ,干し草の上で休む。翌朝,ポッターは疲 れも取れ,昼前に目的地に着く見込みに心も軽く なっていた。警戒心もゆるみ,10時頃にロンド ンの西南西にある町テインズの中を縫ってゆく時 に,ポッターはボロ着の下に着ていた,溝さらい の老人には渡さなかった「英国海軍のシャツ」の 青い襟が,不運にも少し表に出ていたために,通 りすがりの賞金に飢えた兵士に,目聡く発見され てしまい,逮捕されてしまう。

手錠を掛けられ,留置場に入れられたポッター はその夜,これまで丸三日,「2ペンスのローフ パン」(23)一つ以外に何も食べておらず,意気 消沈していたが,気を取り直して脱出を試みる。

窓の格子に手かせを擦り当てること二時間,手か せを外して両手が自由になったポッターは,扉の 小窓に手かせのボルトを押し込んで,南京錠の掛 け金を壊して,朝方の3時に脱獄する。

夜明け後に,首都から「約6~7マイル」のブ レントフォード近くを過ぎると,彼の空腹はもは や耐え難いものとなってきて,ついに路傍の草を 咬んで飲み込むに至る。牢獄船を出る時所持して いた6ペンスは,居酒屋を脱出したあとに買って

『イズラエル・ポッター』論

(11)

食べた2ペンスのローフパンの分を引いて,4ペ ンスになっていた。ポッターは,ボロ着からはみ 出ていた「海軍の制服のシャツの襟を引きちぎっ て投げ捨てると」,フェンス近くにいた格好のき ちんとした大工に近寄って声を掛ける。その目的 は,所持金ではまったく心許なく,仕方なく職探 しをして賃金を得るためだ。

すると大工は親切にも,農業か園芸の経験があ れば,屋敷が近くにあるジョン・ミレット卿とい う人物が,「この時期にいつも使用人を多数雇う」

ので雇ってくれるかも知れないと教えてくれる。

そこで,卿の屋敷に行って雇用を依頼すると,卿 は翌日来れば雇ってあげると言ってくれ,ポッター は少し安心して力を付けるために,残りの所持金 で「4ペンス」(24)分のパンを買う。半分のつ もりが飢えのせいで全部平らげてしまう。その夜 は見つけた,「ある古い馬車置き場」(25)の床板 の上で寝る。

翌朝,ポッターは屋敷に行って仕事をもらい畑 で農作業をするが,食事をしておらず体力がない のは周囲にも明白なので,自分からそのことを正 直に仲間に伝える。仲間からその事実を知った卿 は,「1シリング」を彼に与え,食事をしてくる ように言ってくれる。食事を取って畑に戻り,そ の日の農作業を終えて屋敷に戻る。

そこでまた卿に遭うと,食事を出してくれ,ポッ ターはあまり一度に多く食べると体によくないと 思い,控え気味に食事を摂る。摂り終えたのを見 届けた卿は,今度は納屋にベッドの準備をさせ,

そこで彼を休めるよう手配してくれる。翌日も朝 食を摂ったあと,卿がまた休めと命じてくれて言 われた通り休息を取ると,体は仕事を始められる 状態になった。

その午後に,仕事に出ようとすると再び卿が現 れ,ポッターに「見透かすような視線を注」(26)

いで萎縮させると,屋敷の者にワインを持ってこ させるよう指示する。そして,ポッターにワイン を注いだグラスを渡し,「わしはおまえがアメリ カ人だと思う」,「間違いなければ,戦争捕虜の脱 走兵だろう」と,ズバリ核心を突いた言葉を突き つけられる(11

非常に驚いて,ポッターは口ごもりながら,

「ミレットさん」と返答し始める。すると,そう 呼びかけられた卿は,「どうして他の者たちのよ うに『卿』付けで呼ばぬのか」とたしなめ,「正 しい呼び名」を求められる。それに対して,ポッ ターは「卿」(・Sir・)付けで呼ぼうとも,どうし ても呼べず,「悪気じゃないんです」と詫びを言 うと,卿は,「教えてくれ,おまえの同胞はみな そうなのか? そうならば,彼らと戦っても無駄 だな」と感想を述べてポッターのことを許してく れる(12。そしてただ,ポッターに正体を正直に答 えてくれと頼む。

卿の慧眼に脱帽し,これまでの厚情に感謝して いたポッターは,自分の正体を明かす。すると,

卿は辺りに見かける英国兵に気をつけるよう注意 してくれ,ボロ着に変えてまともな平服を与えて くれたのだった。ポッターは他の労働者に混じっ て,「この真のアブラハムのような紳士の,族長 的な態度に引きつけられながら」(27),感謝の念 を深く抱きながら,卿のイチゴ畑で「六ヶ月間」

働くことになる。

その後,契約の切れる期日が訪れると,卿の紹 介で近くにある「アメリア王女の庭園」での仕事 を斡旋され,そこで働き始めるが,監督者が「厳 しく,高圧的な男」だったため,二ヶ月になる前 に辞める。ブレットフォード近くの小農園で雇わ れて働くが,脱走兵がいるとの噂が立ち,そこに は三週間もいられなかったのだった。ポッターは 探索の英国兵に厳しく追われるが,知り合った数

『イズラエル・ポッター』論

(12)

人の善意の友人に匿ってもらったりして,なんと か追っ手を振り切り逃げ回る生活を送る。

日々の逃亡生活で,食べ物と睡眠を確保できな いポッターは窮して,世話になったジョン・ミレッ ト卿の「口添え」(29)の「短い手紙」のおかげ で(13,身元を隠したまま「園芸に通じた専門家」

という触れ込みで紹介されて,兵士に追われる心 配の全くない「キューにある王立植物園」での仕 事にありつくことができる。

ところがこの植物園で,なんと時の英国王ジョー ジ3世の散策する姿をよく見かけることになる。

故国で続く戦争のことを考えると,頭に「国王殺 し」(30)の考えが過ぎるが(14,ポッターは「そ の誘惑を打ち消」そうとする。そして,ついに直 接会話を交わす時が訪れる。

王が瞑想にふけってポッターの身体とすれ違っ た時,彼が「帽子に手を触れ だが,取りはし なかった 会釈をし,退こうとした時,その態 度の何かが王の注意を引いた」のだ。王は鋭くア メリカ人であるポッターの正体を見抜いたのであ る。何故そこにいるのか王が尋ねると,ポッター は「戦の定めです」と返答をする。

ジョン卿と同じく,王の呼びかけに「陛下」で はなく「様」を用いるポッターに,なぜ敬称を用 いないのか尋ねられると,「わたしには王はござ いません」(31)と答える。何か感じ入った王は,

その植物園にいる限り「その身は安全だ」と言っ てくれ,思わず「陛下万歳!」と言ってしまう。

王は「これこれ,朕はおまえを屈服させられると 思っておったぞ」と嬉しそうに言って,ポッター に「朕の軍隊に入れ」とまで言ってくれる。これ に対して彼が「黙って首を左右に振る」と,王は

「ひどく頑固な輩じゃなあ」と言いながら,その 場から離れて行ってしまう。ポッターは,国王に 接して,アメリカに対する英国の仕打ちは,王を

取り巻く相談役の貴族たちの冷徹な頭のせいだと 思う。語り手は,このとき王の申し出を受け英国 軍に身を投じていれば,それなりの高位の軍人に 栄達しており,この先の苦難を味わうこともなかっ たと付している。

原作では,ポッターが王に話しかけられて会話 をするさい,自身の正体は王からの質問に答える 形で白状しており,王は植物園で「雇われている 間は彼ら[探索の兵士]に悩むことはない」(L 45)と好意的に言ってくれてはいるが,ジョン卿 の時と同様に敬称の話も,また,英国軍への勧誘 の記述もない。王との,またジョン卿との敬称と ポッターへの庇護に関するこの会話は,確かに身 分の違いはあっても,どこか裸同士の人間の素直 な心の感応を伝えており,思わず笑みを誘われて しまう。だが,語り手にそう語らせる著者メルヴィ ルの真意は,読者の心を温かい気持ちにさせる以 上に,ジョン卿と王との会話を通して,ポッター の純真な一途な愛国者像を強く読者に植え付ける ことにあるようだ。

この植物園で季節の変わり目を迎え,ポッター はする仕事が無くなり,以前に働いた所近くの農 園で仕事を見つける。だが,一週間も立たぬうち に,ポッターの正体に関する噂が伝わり始め身辺 に兵士が出没するとともに,彼がもう投降して運 命に身を委ねようかと気弱になった時に,「天の 配剤が都合良く,彼のために介在してくれた」

(32)のである。その「配剤」とは,敵国内にも かかわらず,ポッターがやっと自分の正体を隠さ ずに済む,真に自分の相談相手となってくれる味 方が,降って湧いたように出現したことを指す。

英国側にも当時,これまでのように仕事を通じて 親しい関係になった単なる友人ではなく,「融和 的な方策を採ることを薦めるばかりか,その戦争 をおぞましいと非難する」「愛国的で優れた国会

『イズラエル・ポッター』論

(13)

議員」や,「国中にも同様の意見を持」ち,その 自分の意見「に基づいて行動する個人」(33)た ちがいたのだった。

3

友人の助けで何とか逃亡生活を続けていたある 夜,ポッターが潜んでいた穀物倉に所有者の農夫 が知らせを持ってやって来る。それは,アメリカ に対する友好心からアメリカ人の救出の手助けを しているウッドストックというブレントフォード 在の郷士からの伝言で,ポッターに翌晩に自分の 邸宅に赴いてくれとの内容だった。当初,その内 容に疑いを抱いたポッターだったが,結局,これ を前向きに捉え,翌日の夜に出立し,「数時間の 徒歩」の後,その邸宅に辿り着く。

邸内に招き入れられると,ウッドストックと同 志二人の三名がポッターを待っており,ポッター は彼らに,いまは敵国内の逃亡者だが,アメリカ に「尽くす」気持ちは変わらないだろうから,

「水兵や兵士としてではなく,旅人として」自分 たちのために働いてくれないかと頼まれる。そし て,その詳しい話はひとまず置き,これまでの来 し方を話してくれと促されたポッターがその艱難 辛苦の冒険談の一部始終を語ると,彼の話に熱心 に耳を傾けていた三人は感動し,ついにその心の 内を明かす。彼らの依頼とは,ある手紙をアメリ カを代表する使節としてパリに在住しているベン ジャミン・フランクリンの許に届けてくれという ものだった。彼らはその手紙を靴底に収められる ように細工したブーツを用意して,旅費を渡しポッ ターを送り出す。

ポッターはまず邸を離れロンドン市内のチャリ ング・クロスに着くと,パリで郵便馬車に乗って ドーバーで下車し,定期便でフランスのカレーで

下船する。そして,馬車で「パリに無事に到着す る」(36)。

原作には書かれていないが,メルヴィルは語り 手に,ポッターはそこで「自分がアメリカ人であ ると自由に明言でき,当時の二国間の特別な友好 関係のお陰で,温かい心遣いを見知らぬ人からさ えも得られたのだった」と補足的に解説させてい る。

下車したポッターは,まっすぐに教えられた住 所のフランクリン宅に向かう。途中,セーヌ川に 架かる橋の一方のたもとで靴磨きに声をかけられ,

ブーツを磨こうとポッターの片足を無理矢理靴磨 き用の台に乗せようとされた時,彼は靴底の手紙 を狙っているのではと疑心暗鬼になり,台を蹴っ 飛ばして逃げる。途中のこれといった出来事はこ れだけで,無事,フランクリンの住居にたどり着 いたポッターは,通された部屋の中で,何やら仕 事途中で背中を向けているこの「有名な賢人」

(37)に会うことができる。

原作にはこの靴磨きの事件は記されておらず,

まったくのメルヴィルの創作である。また,ポッ ターがアメリカの独立の立役者の一人であるこの 人物と初めて対面した時に交わした実際の会話は まったく紹介されていない。原作によると,その 時のフランクリンは,「一時間近くの訪問で,愛 想よく,ためになるような話をしてくれ,自分の 受難話にあきらかに旺盛な好奇心を示しながら耳 を傾けてくれ,もしアメリカ人民がその壮大な目 的を達して独立を堅固なものとしたならば,兵士 たちの奉仕にきっと報いようと確約して,わたし を励ましてくれた」(L5051)ばかりか,二度目 の使者の役目も無事終えた後は「すぐにフランス に渡り,アメリカへの航海便を斡旋」(L52)し てくれる約束までしてくれた,と簡潔に記されて いるのみである。

『イズラエル・ポッター』論

(14)

一方,メルヴィルの著した,全体の約15%を 占めるこの第7章から12章冒頭までのフランク リンの登場する部分には,ポッターを始め,複数 の登場人物との出会いを通して,革命期のこの巨 星の言動が以下のように,折に触れて事細かに描 写されており,その人物像が鮮明に浮かび上がっ てくる。

ポッターが部屋に入ると,背を向けていた「フ ランクリン博士」(39)はこの来訪者の足音に気 付き声を掛け,その返事で本国人だと判るとすぐ さま用件を尋ねる。座るよう勧められたポッター は部屋の向こう側にあるイスに腰を下ろし,片側 の靴底から手紙を取り出そうとする。その様子を 見るや,この「立派な賢人」は「ドアに急いで行っ て差し錠をする。それから,窓辺に寄って外を見,

中庭の反対側の窓を見ながら,カーテンを注意深 く引」(40)いてから,手紙の取り出しを促して いる。この「厳めしい何でも屋」は,非常に用心 深いのである。

また,ポッターが腰を掛けて靴底から手紙を出 そうと足を組んだ時,この「賢人」は初めその仕 組みに気が付かなかったので,いたずらに踵の高 い靴を履くのは良くないと彼に注意を与える場面 があるが,これ以降,この目聡い「賢人」は事あ るごとにポッターの言動に小言を挟み,なかには 名言,至言もあるが,処世術臭い寸言を発してい る。まるで,昔の下町の近所の口うるさい,世間 知の塊のようなご隠居のようだ。

ポッターから聞き出した,橋のたもとの靴磨き への先ほどの対処にしても,「警察」沙汰になっ たら重大な使命に支障が出ようと諭したあと,こ の「貫禄ある人物は」彼に「これまでいわゆる難 局に直面したことがないかね。貶められ,迫害さ れ同類にひどく扱われたことは」と尋ね,「ひど い扱いは人をひどく疑り深くするのだよ」と説明

する。そして,ポッターに小さな銀貨三枚を渡し,

人は「みな過ちを犯しやすい,だから最も重要な 処世術は,どうしたら一番よい償いが出来るかを 学ぶことなのだよ。いま当てはまるのは,誠実さ じゃな」(41)と畳み掛けるように諭し,靴磨き に銀貨を渡して詫びを言いに行かせるが,その前 に,ポッターからこれまでの「冒険談」(42)を 聞いている。

話を聞いたあと,彼の望みが帰国であることを 告げられた賢人は,その手配をしてやろうと言っ てくれるが,時局が許せばの話だ,と釘を刺され てしまう。この時のポッターの心中は,「まるで プラムのプディングを鼻の穴に突き出され,その あと素早く引っ込められてしまうような気分がし た」と語られている。

ここに描出されているフランクリンは,どこか 皮肉っぽい,一見人の為に計らっているようだが,

その実,口先だけで言ったことをなかなかやろう とはしない人物として描かれている。もちろん帰 国は未来の話であり,本当に思っていても事が成 就しないことも人生の常であるから,この翁の言 は正しくもある。問題は,その食えぬ言い方であ ろう。やはりこの場面も,ポッターには気の毒だ が,直情径行的なこの主人公がおちょくられてい る場面であり,どこか漫才の小話風で面白くはあ り,翁の言を紡ぎ出すメルヴィル自身が笑みを浮 かべながら楽しそうに描いている姿が目に浮かん でくる。ただ,博士のような人物で救いようがな いのは,博士がまじめに誰にでもこのように好意 から一見優しい言葉を掛けても,直後の一言で不 快な思いをさせている事実を自覚していない場合 だ。苦労のうえに獲得したせっかくの人生訓を人 に授けても,これではただ自分の小賢しさを振り 回しているだけの印象しか与えない。どこか,人 がいくら良いことをしても,別な時に気付かぬ罪

『イズラエル・ポッター』論

(15)

を犯してしまうのが悲しく哀れな存在であるのと 似ている。その意味で,ただ単に博士を面白おか しく描いていないところがメルヴィルのメルヴィ ルたる所以であろう。メルヴィルの描くどこか軽 いフランクリンには,たとえ数多くの多様な人生 経験を積んだ賢人であるにしても,ひたすら猪突 猛進し,その背後に落ちる自分の影には意識は行 かぬ,つまり,メルヴィルのあの「生得の堕落と 原罪に対するカルヴァン主義的意識」(15とは無縁 の人物と写っているようだ。

持参した手紙の返事を認めて,差出人の許に届 けるよう命じられ,もう一度パリに来る事態になっ た時に「無事故国に帰る算段をしようではないか」

と博士に言われ,ポッターはその厚情に感激して,

何度も礼を述べる。するとまたまた,博士は「助 けられる側の感謝のし過ぎは,助ける側に己惚れ と傲りを生む」などと訓戒を垂れ,「公務の一部 を果たそうとしているに過ぎぬ」と言われてしま う。相手を喜ばしておいて,すぐさま昂揚した気 分に水を差すような発言をしている。そして,靴 磨き用に渡した,アメリカの貨幣で四分の一に相 当するドル貸した銀貨は,ポッターにとってはあ くまで借金であり,「帰国した時に,最初に出会 う兵士の未亡人に渡してもよいぞ」(4)と,博愛 主義者であるかのごとく殊勝なことを言う。だが,

ここでもまた「金銭問題ではいつも秒針のごとく 正確であれよ」と,寸言を付け加える。

そこでポッターは,「お金を受け取ったのは,

あれほど親切に差し出されたので,突き返すのも よくないように思えたからですよ」,「そうすれば 過ちの機会が無くなりますからね」と切り返し,

所持金からそのお金を返す。その時,「利息はな しですよ」とポッターが冗談を言うと,また「金 銭問題でのふざけは御法度じゃ。葬儀や商取引の 時も冗談は絶対駄目じゃ」と小言を食らってしま

う。この賢人は,まるで生き馬の目を抜く,厳し い商業の世界を生き抜いてきたビジネスマンであ るかのようだ。

そのあと博士に靴磨きの件を片付けている間に,

滞在中の部屋を用意しておこうと言われ,ポッター は「英国に戻る前に,町を少し見物したい」(43) と希望を語ると,またしても「娯楽の前に仕事じゃ」

とたしなめられてしまい,「わしの囚人のように 自室に留まっておれ」と命じられる始末だった。

このあと靴磨きの許へ行こうとした時も,畳み込 むように,全所持金を持って出かけてはならぬぞ と,注意される。「途中で食事を買って来ましょ うか」と話を持ちかけると,またまた,無駄遣い して外食などせず,わしとともにここで「タダで 食事を摂らせよう」と言われ,礼を述べて外出す る。

用を足して戻ると「立派な使節」フランクリン が近くのレストランから取り寄せた食事を用意し て,彼を待っていた。小言は多いが歓待してくれ たと思ったポッターを待っていた食事とは,「茹 でラム肉のグリーンピース添え」(44)の料理一 皿のみで,飲み物は何と水だけだった。そしてま た,贅沢は敵,「質素な者であれ,質素なもので 押し通せ」(45)とまで言われる。

食事のあとフランクリンは9時まで部屋に一人 でいると言って,彼は自著の『貧しいリチャード の暦』と,英語版のパリの旅行案内書を渡される。

前者は熱心に読むように言われ,後者に関しては,

英国から戻ってきた時に機会があった場合の歴史 の予備知識となるようにと,「この世では,不足 になる前にあらかじめ知識を得ておかねばのう」

との戒めとともに与えられるのである。そして,

ともに廊下に出て彼に用意した部屋を指し示して,

博士は自室へ戻る。

『イズラエル・ポッター』論

(16)

4

以上のように,第7章がそれまでの物語の筋の 流れに乗って,原作にはまったくないポッターを 中心に展開する虚構の出来事をも盛り込みながら,

メルヴィルの理解するフランクリン本人に半ば成 り切って,虚構の会話の中で非常に具体的にメル ヴィル自身が抱いていた革命期のこの偉人像を呈 示しているとすれば,次の第8章は,少し抽象度 を高めた形でのフランクリン像が語られている。

前章のように登場人物間の会話が中心ではなく,

作品の冒頭の第1章,2章のように,専ら語り手 の説明体の文章で進んでゆく。

このフランクリンに近い人物として,語り手は 旧約聖書のヤコブ,政治哲学の代表作「リヴァイ ア サ ン 」(1651) を 記 し た ト マ ス ・ ホ ッ ブ ズ

(15881679)の二名を挙げている。三名は共通し て,「複雑な気質だが,ものははっきり言うクエー カー教徒にして,政治家で哲学者,自分の利益に 鋭敏な観察者,慎重な廷臣,リンゼイ・ウールゼ イを着た実務的な東方の三博士」(467)だとさ れている。結局,この人物は「印刷屋,郵便局長,

暦作り,随筆家,化学者,演説家,鋳掛け屋,政 治家,諧謔家,哲学者,応接間の社交家,経済学 者,家政学教授,大使,発起人,格言屋,薬草医,

機知に富む人,つまり よろず屋だが,親方に はなっても弟子にはならない ,彼の国の典型 であり特質なのだ。フランクリンは詩人以外の何 者でもある」(48)人物なのである。

だが,こうした多才の人の「全体像が捉えられ るには,数多くの人や物と接触する必要があ」り,

「この賢人の多種多様性はこのような単純な物語 の中では,事実ほとんど描ききれない。ポッター との私的な交流は,ずっと弱い照明の許でその姿

を明らかにするのに役立つだけなのだった。慎ま しく,家庭的で,既定食厳守摂取主義者で,教師 ぶっておどけているのかも知れないのだ」。

語り手はこう控え目に語っているが,原作で手 紙の受け渡しの役目を果たす中で必然的に生ずる フランクリンとポッターとの「私的な交流」,つ まり,具体的な会話を含む二人の言動は,作者メ ルヴィルの創作であり,そこに呈示されている登 場人物フランクリンは紛れもなくメルヴィル自身 が本当に抱いていたこの偉人像なのである。確か にそれが,メルヴィルの対フランクリン像の全容 ではなく,一部であったとしても,である。

このように第8章は,第7章でのフランクリン 像を要約的に改めて語った,いわば人物論専用の 章となっており,ポッターというこの作品の主人 公のことはひとまず離れ,メルヴィル特有の,閑 話休題的な逸脱の章とも解される。第8章の冒頭,

フランクリンの選んだ住居が,セーヌ川南岸の大 学や研究機関などがあり,学生・芸術家が多く住 む「ラテン区」内にあったとの紹介で始まり,そ のあとで先ほど触れた人物論に入っているのだが,

本来は,その住所の紹介はポッターが初めてフラ ンクリン宅を訪れた第7章でなされてしかるべき ものであろう。恐らく,第7章では原作の粗筋に 忠実になっていったせいであろう,わざわざ次章 の第8章冒頭で住所紹介が取って付けたようにな されている感が拭えないのも,この章が逸脱的に 付加されていると見なせる証拠になろう。また,

メルヴィルは次の第9章につなげるために,この 第8章の最後のパラグラフで語り手にやっと,ポッ ターのことを「賢人がポッターにしばらく人目に 付かないようにしているよう頼まれた時に指示さ れたのは,まさにこのラテン区にある家の一室だっ た」(48)と語らせて,この主人公の次の言動に 注意を向けさせようとしている。どこか,肝心の

『イズラエル・ポッター』論

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ポッターの言動をすっかり忘れて,慌てて思い出 してこの主人公の話に舞い戻ったという印象を受 ける。

ポッターはフランクリンに返書ができ,また渡 英するまでの滞在場所としてあてがわれた一室に 入ると,室内に具えられている物品を調べる。す ると博士が現れて部屋を見回し,ポッターには不 要と思われるコニャックやオーデコロンや砂糖な ど,勝手な理屈を付けてすべて取り去ってゆこう とする。やけくそ気味になったポッターは「つい でにベッドの枠組みも持って行ったらどうですか」

と言うと,博士に,冗談を言うのは「悪い癖だ,

時と相手を考えてな」(51)とたしなめられてし まい,前章の繰り返しが再現する。

またもやほとんど何もない室内に取り残された ポーターは,「この部屋にずっと留まっていなけ ればならないとは。どういうわけか,自分は何か につけ囚われ人になる運命にあるのだな」(52) と,友好国の同国人の許でさえ相変わらず自由に なれないわが身を嘆く。

するとそんなポッターの部屋に,魅力的なフラ ンス娘がやって来て,何か用はないかと愛想よく フランス語で尋ねてくる。言葉が理解できないポッ ターは困ってしまうが,娘が用を足せないまま出 て行ってしまうと,まもなく,博士がやって来て 先ほどの女性は部屋係だが,「一つの職業だけに 限っているわけではない」,「甘美であればあるほ ど,危険なのじゃ。砒素は砂糖より甘いからのう」

(53)と忠告して,その娘に用はないことを自分 が代わりに伝えようと言って,姿を消してしまう。

これまでかなりの緊張を強いられる苦労の連続 だったポッターであるがゆえに,また,事が自分 の恋愛の対象となり得る若い女性であればなおさ ら,人の好い彼もついに業を煮やし,「あの人が 現れるたびに,奪われてしまう」,それも「いつ

もいかにも贈り物をくれそうな様子をしておいて だ」と,博士の欺瞞的な処し方に悪口を吐く。博 士が渡してくれたガイドブックを手にして,再び 自分のことを「パリの囚われ人だ」と,嘆きを漏 らす。

また,『貧しいリチャードの暦』のパンフレッ トを手にして開いた所を読みながら,目に入った 箇所を「自分のような人間に知恵を語るのは一種 の侮辱だな」(54)と批判し,さらに,テーブル の上に置いてある『富に至る道』と『パリ案内』

を見て,ポッターは独白する。

パリは富へ至る道の途上にあるのだろうか。そ うならば自分はその上にいる。それどころか,

分かれ道にかも。この二つの本を置いていった 博士は悪ふざけのつもりだとしても驚きゃしな いよ。どうもあの老紳士には驚くような悪賢い 一面 ずるさのようなもの があるように 見える。あの知恵も,狡賢さのように思えるな。

でも,すべて高く評価されている。あの人は非 常に気の利いたことを言うが,暗示することが とても多い老紳士の一人なんだろうな。間違い ないな,あの人はずるい,ずるい,ずるい人な のだ。

そう言ってまた『貧しいリチャードの暦』を開 けると,「天は自らを助くる者を助く」という一 文に行き当たり,そこに印を付けてその頁を開い たままにしておく。するとその時,博士が彼を呼 びに来て,博士の自室で長い間,茶を飲みトース トを食べながら歓談するが,「それにもかかわら ず,彼はコニャックとオタールの強奪はとても許 せなかった」。

メルヴィルは語り手に,この歓談に触れた最後 のパラグラフで,フランクリンの雄牛をつなぐ軛

『イズラエル・ポッター』論

(18)

の改良品の考案を聞いてポッターがひどく感心し,

故郷の畑に導入できればと望む話を語らせて,こ の賢人の博学多才ぶりに感心させている。だが,

多少の曖昧さは拭えないものの,それまでに紹介 したポッターのフランクリン観からすると,総じ て好ましいとは言い難いフランクリン像を描いて いる(16

この有名な「天は自らを助くる者を助くる」と いう「格言」は,まさに上の引用の中でなされて いる,フランクリンは「非常に気の利いたことを 言うが,暗示することがとても多い」と指摘する ポッターの批判に相当する好例であろう。つまり,

「天は自らを助くる者を助く」とは,〈神はどこま でも自身で努力して事を乗り切ろうとする者を助 けて成功させる〉の意とも,〈この世に手助けし てくれる者などないから,何事も自分で切り抜け ろ〉の意にも解せる。後者の方に解した場合,

「脱宗教化」(17的な考え方,すなわち,無神論的 な考え方に接近することにもなる。自分に都合よ く神の存在を考え,把握しようとするが,結局,

神を軽視することに,あるいは無視することにつ ながってゆこう。

どうやら,著者メルヴィルが第7章からこれま で原作のポッターとの対話場面を潤色し膨らませ て大々的にフランクリンを取り扱った意図は,読 者に対して,ポッターの生き様にこの格言がどれ ほど当てはまるのか,これから彼の身に降りかか る,作品冒頭に置かれた献辞で触れられていた

「困難な運命」()の内容がどのようなものか,

さらに,この格言が「暗示すること」が最終的に 何なのかを読者に見定めて欲しいと,メッセージ を送っているようだ。

5

次の第10章は「別な冒険家の登場」(55)と題 されている通り,前章からのポッターとフランク リンの歓談中にある訪問者が加わってくる。その 人物とは,これも革命期に戦場で実際に活躍して 有名になった海軍軍人ジャン・ポール・ジョーン ズ(174292)のことである。

原作ではこの人物は,アメリカ側の三名の軍人 の話に触れたさいにそのうちの一人として,「10

~11ヶ月間英国の西海岸全域を不安に陥れ続け 大胆にもホワイトヘイヴンに上陸して,港の 船を一艘燃やし町までも灰燼に帰そうとした」

(L60)お陰で,英国でその名が知られるように なった「不敵な冒険者ポール・ジョーンズ大佐」

(同)として,簡潔に紹介がなされているだけで ある。作品では,あたかもメルヴィルが原作の簡 潔な紹介に,これでは読者には物足らなかろうと ばかり,フランクリンの場合と同様,ポール・ジョー ンズに主人公のポッターをその部下として彼に貼 り付けるような形で常に同行させ,その活躍に,

特にアメリカ軍艦艦長として英国軍艦との海戦を 始めいくつかの大小の戦闘場面を中心に,大幅に 紙面を費している。ついでに言うと,もう一人,

これは原作には全く触れられていない軍人が登場 し,やはりポッターがその人物を観察し,その言 動を語り手が語る形で紹介されている。まだ登場 するのはずっと先の第21章のことだが,その軍 人とは,独立戦争勃発のさいに,「グリーン・マ ウンテン・ボーイズと呼ばれる不正規義勇軍を指 揮」し,アメリカ軍の「最初の勝利となるタイコ ンデロガ砦の占拠に貢献」したが,「カナダに遠 征中,モントリオールでイギリス軍の捕虜と」なっ て 英 国 に連行さ れ た イ ーサン ・ アレン 大佐

『イズラエル・ポッター』論

参照

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