西ドイツの職員 (Angestellte)
その他のタイトル Die Angestellten in der westdeutschen Industrie
著者 大橋 昭一
雑誌名 關西大學商學論集
巻 13
号 4‑5
ページ 461‑488
発行年 1968‑12‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00021244
(461) 149
西 ド イ ツ の 職 員 ( A n g e s t e l l t e )
大 橋 昭
1.
ま え が き
最近における経営管理,とくに労務管理の特徴的な傾向の
1つは,いわゆる ホワイトカラー労働者とか職員とかいわれる層にたいする管理の問題を重大 な問題として取り上げてきていることである。目標管理もしくは目標管理体 制といわれるものほその典型的な例であって,その基礎にはいうまでもなく
これら職員労働者の増加という現象が存在する。職員労働者の増加ほ,最近に おけるきわめて特徴的な社会現象の
1つであって,このことを一面的にとら えかつ強調することによって労働者階級の解体
(Auflosungdes Proletariats),非プロレタリアート化
(Entproletarisierung)の過程が進行しており,階級の 平準化
(Nivellierung),社会流動化
(sozialeMobilitゑ
t)が起っているという主張が行なわれ,それが,資本家階級についてのいわゆる所有と経営の分離の 理論,経営者支配論,人民資本主義論と相呼応して,いわゆる階級社会の消 滅といった主張となってあらわれている。このような主張が労働者陣営にと ってどのような意義をもつかは,あらためて述ぺる必要がないであろうが,
労働者陣営にとっては,このような主張にいかに対処するかはいうまでもな く実践的,理論的にきわめて重要な問題である。
かかる事情のもとにおいて,『平和と社会主義の諸問題』誌は
1960年労働者
(1)
階級の構造ほどうかわったかというテーマのもとに国際的討論をよびかけた。
これは,次の
3点について世界各国のいくつかの進歩的な研究団体や雑誌編 集局などにたいして意見の表明を求めたもので,アメリカの労働問題研究所,
イギリスの『マークシズム・トゥデイ』誌,フランスの『エコノミー・エ・
(1)
『平和と社会主義の諸問題』
3巻5号
(1960年
5月 )
57頁 。
ポリティーク』誌, ドイツ経済学研究所,オーストリアの『ディー・アルバ イト』誌,イタリアの『ポリテイカ・エ・エコノミア』誌,ソ連科学アカデ ミー世界経済・国際関係研究所などや,個人では東ドイツのラインホルト,
アメリカのパーロ,ソ連のセミョーノフ,レオンチェフらが同誌上において 積極的に意見を表明している。
3点とほ,次の通りである。
( 1 ) 労働者階級を補強しているのほどんな社会層か。
( 2 ) 工業技術の進歩,とくにオートメーションは資本主義諸国の労働者階級 の構造にどんな影響をあたえているか,社会的地位はどうかわったか。
( 3 ) 労働貴族の構成と地位はどうかわったか。
職員労働者の問題ほ,この討論の大きな要素の
1つであったのであり,こ の討論をきっかけに資本主義国における職員,とくに西ドイツの職員
(Ange‑stellte)
の実態や評価について東ドイツにおいて, たとえばクチンスキーな どが積極的に発言を行なっている。本稿ほ,これらの討論の参加者の
1人で ある東ドイツのシュクイナー
(H.Steiner)が,問題をさらに実質的に深める
(2)
べく,西ドイツの職員の実態について行なった研究の成果の紹介を中心にし て,西ドイツの職員の実態について若干の検討を試みんとするものである。
2.
職員
(Angestellte)とは何か
西ドイツの職員の実態にはいるまえに,職員,
Angestellteとは何かという 点を一応明確にしておく必要があるであろう。
Angestellteは一応職員と訳 されるけれども,日本の職員にしてもそれを定義的に規定しようとすると,
必ずしも容易ではないのと同様に, ドイツにおいても
Angestellteの定義,
(2) H. Steiner, Soziale Strukturver
ゑ
nderugen im modernen Kapitalismus, Berlin 1967.H. Steiner, Zur soziologischen Stellung der Angestellten im gegenwartigen Im‑
perialismus, Wirtschaftswissenschaft, 1962, H. 7.
H. Steiner, Der Klassenkampf in Westdeutschland und die Angestellten, Einheit, 1963, H. 9.
H. Steiner, Gruncllagen und Ausdrucksformen des Intelligenzproblems im gegen‑ wartigen Imperialimus, Wirtschaftswissenschaft, 1966, H. 7.
西ドイツの職員
(Angestellte)( 大 橋 )
(463) 151規定は必ずしも容易ではない。 ドイツでほ
Angestellteについてとくに社会 学関係で比較的多くの文献が出されているようであるが,しかし
1957年の著 書でミュラー
(K.V. Muller)がのべているところによると,
Angestellteの 定義ほ,「これをなすべく誰しもが常にあらたに試みたにもかかわらず,その 定義の不十分さを後の研究者により指摘されざるをえなかったのであり,誰 しもがその定義の困難であること,それどころか不可能であることを告白し
(3)
たのである」ということである。ここでは,そのような事情を念頭においた 上で,旧来行なわれてきた定義,規定の若干を紹介しておきたい。
歴史的にみると,とにかく職員にふれた者はたとえばシュモラー
(G.(4)
Schmoller)
にさかのぽることができる。しかしシュモラーはそれを中間階層
(Mittelstand)の問題として,しかもそれを貴族
(Aristokratie)と 下 層 階 級
(untere Klassen)の中間に位置する階層という意味での中間階層として取り
(5)
上げていたのであり,今日いう識員とほ問題点を異にする。識員についての 一応の規定ほ, ドイツでこの問題に本格的に取り組んだ最初の学者であり,
その主張は長年古典的なものとして支配的であったレーデラー
(E.Lederer)によって,
1912年,,
DiePrivatangestellten in der modemen Wirtschaftsord‑ nung"において与えられたものである。レーデラーは,「
Angestellteの概念 は,積極的な基準によって一義的に定められることはできない。というのは,
(3) K. V. Muller, Die Angestellen in der hochindustrialisierten Gesellschaft, Koln und Opladen 1957, S. I.
(4) G. Schmoller, Was verstehen wir unter dem Mittelstand? Gottingen 1897. (5)
ただし今日でもドイツでは,職員を新中産階級もしくは新中間層とよぶ傾向が 強く存在するのは事実である。たとえばクチンスキーは,職員が本来のプロレタリ アートに属しないことを強調したテールマン
(E.Thalmann)などの主張に依拠し て,結局職員をブルジョア階級とプロレタリア階級の中間に位置するものと規定す る 。
J.Kuczynski, Zur Soziologie des imperialistischen Deutschland, Jahrbuch fiir Wirtschaftsgeschichte, 1962 Tei! II, SS. II 48.また西ドイツにおける例と
してほ,たとえば西ドイツ政府経済省『西ドイツの中産層の状態に関する連邦政府
の報告』に「••…•の独立的中間層とほ別に:::新中間層“ (職員や官吏)が現われた
……」という一節がある。邦訳,中小企業金融公庫調査部『調査時報』
4巻2号 ,
(昭和37年5
月 )
71頁 。
経営で
Anges(ellteとよばれている人達はきわめて異質的な職能に従事して いるためであるが,それにもかかわらず,
Angestellteを
Arbeiterにたいし て特徴づけるものは,かれらの技術的職能
(technischeFunktionen)のみで ある」として,
Angestellteについてまず次のような有名な定義を与える。
「Angestellte
とは, その活動が労働者と同様に純手労働的
(manuell)であ る場合にほ精神的活動
(geistigeLeistung)によって特殊性をもつものである か,もしくは,全然精神的活動でない場合には純粋に手労働的でないものか
(6)
の,いずれかである」。 ここで手労働的でないとかあるいは手労働的である とかとは,直接製造活動に従事しているかどうかということであったのであ って,
1914年の著書では
Angestellteの定義ほ次のようになっている。
「An‑gestellte
とは,財の製造
(Erzeugung)に従事する場合には指揮的処理的活動
(eine: leitende, disponierende Tゑ
tigkeit)を遂行する者であるか,もしくは,
財の流通
(Verteilung)で活動する者の場合には指揮的活動をしない者をも含
釘 。
このようなレーデラーの定義にたいしては,この
2つの定義は必ずしも論 理一貫しているものとはいいがたいし,また精神的活動即ち指揮的活動とさ れているので,第 2 の定義では,たとえば研究活動に従事する研究員や技師
(8)
のごとき者が含まれないことになるといった批判が加えられているが,従来 までの職員の規定には,大別して
2つのアプローチがあるといえる。その
1つほ,ともかく職員の識能なり何かによって独自に定義を試みようとするも のであり,他は,法律上の規定に依存して定義を試みるものである。しかし,
第
2の法律に依存する場合には,その基礎となっている法律上の規定そのも のがいかにしてなされているかが直ちに問題となるのであり,また第
1の場 合にしても,法律上の規定と全く無関係に規定が試みられているかというと そうとは必ずしもいえないのであり,かくして結局は,両者とも同一の問題
(6) E. Lederer, Die Privatangestellten in der modernen Wirtschaftsordnung, Tii‑ bingen 1912, S. 24.
(7) E. Lederer, Die Entwicklungstendenzen in den Organisationen der An‑
gestellten, Heidelberg 1914, S. 14.
西ドイツの職員
(Angestellte)(大橋)
(465) 153に帰着するのであるが,ここではとにかく旧来
2つのアプローチの存在する ことを指摘するにとどめ,その両者の代表的な例を紹介するにとどめる。
まず第
2の法律上の規定に依拠する場合であるが,この場合にはまず法律 上の規定そのものが問題となる。たとえばいわゆる職員を経営職員
(Bettle‑ bsbeamte)と職長
(Werkmeister)および技師
(Techniker)に区別し,それ
らに対する特別規定を含んでいた
1891年の営業条令改正令は,これらのグル ープの経済的社会的関係が労働者のそれとは異なっていることを指摘し,さ らに職長についてほ,その特殊性を使用者と労働者との中間段階
(Zwischen‑ stufe)をなす点に求め,指揮的地位にない技師については,多かれ少なかれ 科学的技術教育が必要である点に,労働者と区別される基準を求めている。
一般に当時の法律上の規定では
Angestellteと
Arbeiterの区別の基準は労働
(9)
の高級性,知的性,精神性の度合に求められることが多く,これがレーデラ ーの定義にも一定の影響を与えているのであるが,こうした法律上の規定に
(10)
主に依拠して職員の規定を試みている者に,最近でもハイデ
(L.Heyde),マ
(11)ルバッハ
(F.Marbach)などがあるといわれる。確かに今日でも法律関係,
たとえば労働裁判所の判決などでは依然として,
Angestellteを著しく頭脳労 働
(Kopfarbeit)に従事するもの,
Arbeiterを著しく手労働
(Handarbeit)に
(12)
従事するものとする考えがないでもないが,頭脳労働もしくは精神労働たる 性格を全然有しない労働が果たして存在するであろうかという疑問は,法律 関係や政府機関などでも存在しており,たとえば
1920年の経営協議会法はす でに,職員の規定については職員保険法の規定を準用するにとどまっている が(第
12条),職員保険法は職員の定義をすることなく,その範囲を例示的に 確定しているのみである。今日でも経営組織法は職員保険法の規定を準用し
(8) F. Croner, Soziologie der Angestellten, Koln und Berlin 1962, SS. 81 82 . (9) Croner, a. a. 0., S. 85.(10) L. Heyde, Angestellte und Angestelltenbewegung, Internationales Hand‑
worterbuch des Gewerkschaftswesens, Berlin 1930. (11) F. Marbach, Theorie des Mittelstandes, Bern 1942.
(12) R. Dietz, Betriebsverfassungsgesetz mit Wahlordnung
―
Kommentar, 2. Auf.— lage, Miinchen und Berlin 1955, S. 114.て職員の規定を行なっているが(第
5条),その職員保険法第
1条によると,
職員とほ次の
7種のものをさす。なお,政府統計上における職員と労働者の 区別も,該当するのが職員年金保険法か労働者年金保険法かによって行なわ れており,経営組織法などと同一の考えにたっている。またこの場合,労働 者は積極的に規定されることなく,消極的に職員であらざる者という形での み規定されている。職員保険法上職員とされる者は,次の者である。
( 1 ) 指揮的地位にある職員。
( 2 ) 経営・事務所・管理的地位にある技術的職員,職長,およびそれと同等 もしくはそれ以上の地位にある職員。
( 3 ) 事務職員,ただしもっばら小使いや清掃や整理などこれに類する労働の みに従事する者は除き,工場事務員は含む。
( 4 ) 商業補助者や,商事的職務のためのその他の職員,ただし企業の対象が 商営業でない場合も含み,薬店における補助者や助手をも含む。
( 5 ) 芸術的価値を問わない舞台関係者および音楽家。
( 6 ) 教育・教授・救伽・医療•福祉事業の職にある職員。
( 7 ) 船長,航海士,機関士,船医,通信士,会計主任,事務長,およびそれ らと同等もしくはそれ以上の地位にある,内海船もしくは外洋船乗り組みの 事務補助船員。
識員保険法の規定は,このように職員について原則的な定義をすることな しに,それを例示的に確定しているのみであるが,その基礎にあるのほ,職務 のより高級性とか精神的労働性とかといった点は一応度外視して,その職務 の職能
(Funktion)に注目し, その識能に従事するものほ,その職務がより 高級であろうと,また精神労働的であろうと肉体労働的であろうと,すべて 職員とする考え方である。これが実は,職員規定の第
2のアプローチである,
職能により職員を規定しようとする方向で,これがすでに立法上にも影響を 与えているわけである。この第
2の職能により職員を規定しようとする代表 的な試みほ,本来スウェーデンの学者でありながらドイツの事情にくわしく,
ドイツにおいても職員の問題の指導的学者の
1人に数えられているクローナ
‑ (F. Croner)
の主張である。以下クローナーの見解を紹介しておきたい。
西ドイツの職員
(Angestellte)(大橋) (467) 155クローナーの職員論は
2つの柱によって支えられている。職能理論と委譲 理論とである。もともとかれは,社会の構造は職能によって構成されるもの と考えるのであり, 社会にはいくつかの職能分野
(Fmlktionsgebiet)が存在 するものと考える。ただしここで
Funktionという言葉自体についてはクロ ーナーは,ムーア
(W.E. Moore)にしたがって
Funktionとは常に
1つの 目的もしくは結果との関連においてのみ理解されるものであり,換言すれば 何のための
Funktionであるかと規定し,要するに Aufgabengebietと表現さ(13)
れるものである,とのみ述べているにすぎない。いずれにしろ,以上のよう な根本的な考えに基づいてまず第 1t こ,社会そして経営体にはそれぞれの職 能を担当する社会集団
(sozialeGruppen)として,
3つの基本的社会集団が 存在するものとする。すなわち企業者
(Unternehmer)ー職員
(Angestellte)一.;
労働者
(Arbeiter)である。したがってかれによれば,職員は企業者とも労働者とも区別される
1つの独自的社会集団であり,職員はその担当する特殊な 職能によって企業者とも労働者とも区別される。このように,職務の高級性 とか精神労働性とかではなくて,直接的にはその遂行する職能のいかんによ り職員を規定する考え方を,クローナーは職能理論
(DieFunktionstheorie)と名づけるが,かれによれば職員とは次の 4 つの被用者職能を担当するもの である。
( 1 ) 労働指揮的職能
(arbeitsleitendeFunktion)。
(2)
形成的または分析的職能
(konstruktivebzw. analysierende Funktion)。
i)実験,統計,分析の活動。
ii)
製品の製作(ただし建築物とか装置の製作などで,準備, 計画,統制 などを含む)。
iii)
労働安全のための活動
(schutztechnischeArbeit)。
iv)保守活動
(Unterhaltsarbeit)。V)芸術的活動。
(3)
管理的職能
(verwaltendeFunktion)。
i)一般管理的活動,公共的・法律的活動。
(13) Croner, a. a. 0., S. 113.
ii)
健康管理・医療についての活動。
iii)
教育・訓練活動。
iv)財務・経理活動。
V)
通信活動。
vi
)情報処理活動。
( 4 ) 商業的職能
(merkantileFunktion)。
そしてこの場合,企業者にたいしてほ,職員は被用者たることによって区 別され,また労働者にたいしてほ, 4 つの職能に従事する者のみが職員であ ることによって区別され,労働者は結局は,職員ではない被用者という形で
(14)
のみ規定されることになる。さて,このような職員がいかにして生成してき たかを説明するのが第
2の柱である委譲理論
(DieDelegationstheorie)で ,
これは要するに,職員を規定する 4 職能は,本来は企業者の担当する職能,
企業者職能の一部分であったものであり,それが経営の大規模化と経済現象 の複雑化によって企業者から分離し,被用者に委譲されたものであるという
(15)
ものである。以上が,ごく簡単に要約したクローナーの職員の規定であるが,
かれはさらにここから,職員にほ労働者にほない昇進の可能性
(Karriere)が存在し,職員に昇進希求性が生じるとし,それが労働者にはない職員の特 殊性の
1つであって,この点からみても職員と労働者とを同一集団もしくは 同一階級視するのは現実的でないと主張している。
なお,このようなクローナーの理論を改悪して,その点ではまさにドイツ 的なファシズム的な職員論を展開するものに, ミュラー
(K.V. Mi.iller)がある。ミュラーは,この社会は,先天的能力を異にする人間によって,その 能力別に構成される階層社会であると主張し,職員は単に,クローナーのい うように 4 つの職能を担当するものであるにとどまらず,それにふさわしい 能力をもつものでなくてはならないことを強調する。そのような能力とほ,
ミュラーによると,一定の最低限の精神的給付能力
(geistigeLeistungsfiihig‑ keit)およびとくに高度な責任感 (Verantwortunghaltung)とであって,職員
(14) Croner, a. a. 0., S. 124. (15) Croner, a. a. 0., S. 132.
西ドイツの職員 (Angestellte)(大橋) (469) 157
であるかどうかをきめる決定的基準は, 4 つの職能そのものよりも,こうし
(16)
た能力なり態度に求められねばならないとしている。
職員は本質的にはいかなるものであるかの問題は,『平和と社会主義の諸問 題』誌の国際的討論における主たるテーマの
1つであったのであり,ここで 簡単に論じることはできない。少なくともそのためには,職員の現実の姿が 明らかにされることが
1つの必要条件をなすであろう。職員の定義,規定を はじめこの問題に関する若干の理論的問題をわれわれは別稿において取り上 げる予定であるが,ここでは最後にシュタイナーによる識員の規定を紹介し,
職員の規定,定義についてのここでのしめくくりとしておきたい。
もともと『平和と社会主義の諸問題』誌の国際的討論では職員の階級所属 の問題が中心問題とされている。この討論では,大多数の意見ほ,職員は労 働者階級に包括されると考えるべきであるという見解であったが,フランス
(17)
の『エコノミー・エ・ポリティーク』誌,イタリアの『ポリティカ・エ・エコ
(18) (19) (20)ノミア』誌,ソヴェトのセミョーノフ,ムラチコフスカヤ,東ドイツのクチ
(21)
ンスキーらは職員を単純に労働者階級の一員とするのは正しくないことを強 調した。 『ボリティカ・エ・エコノミア』誌,セミョーノフ,クチンスキー らの主張は基本的には同一の論拠にたっているが,要するにかれらの見解に よると,階級の最も本質的メルクマー) V は「生産手段に対する関係」であっ て,この点についての労働者の特徴は,労働者が単にそれを所有していない というぼかりでなく,さらに直接に労働手段に結合されていることであり,
労働者階級とは物質的富の生産に直接参加しており,資本家のために剰余価
(22)値を直接生産しているものである。ところがいわゆる職員とよばれる技術者,
事務員,商業従業員,公務員などはいずれもこの規定が直接には妥当しない。
(16) Muller, a. a. 0., S. 11.
(17)
『平和と社会主義の諸問題』
3巻12号 (1960年
12月 )
90 94頁 。
(18) 同誌同号94 98頁 。
(19) 同誌4巻9号 (1961年9
月 )
87 88頁 。
(20) 同誌同号, 83 84頁 。
(21) Kuczynski; a. a. 0.
(22) K
・マルクス『剰余価値学説史』長谷部文雄訳第
1分冊603頁(青木書店)。
このうち技術者は剰余価値の生産に関与するのは事実であるが,技術者にし
(23)てみても, レーニンが有名な階級の定義において階級のメルクマールとして 社会的生産の制度の中での地位や生産手段にたいする関係や分配の大きさと ともに挙げている,労働の社会的組織における役割の点で,労働者とは決定 的に地位を異にする(セミョーノフ)。要するに職員は中間層をなすものであ り,労働条件や生活条件が労働者と近接している下層職員にしても,貧農な どと同様にあくまでプロレタリアートにとっては同盟者であるにすぎない,
という規定がなされている。
これにたいして多数派の意見は,剰余価値の生産といってもそれは広く考 えられるべきであって,マルクスが『資本論』で全体労働者なる概念を設定 し,生産に参加する個々の賃労働者はこの全体労働者の種々なる器官となる ことを指摘し,つづいて「生産的に労働するためには,みずから手を下すこ とはもはや必要でない。全体労働者の器官となって,そのなんらかの細目機 能を行なえば充分である。さきに述べた生産的労働の本源的規定は,物質的 生産そのものの本性から導き出されたものであって,全体として考察された 全体労働者については依然として真であるが,だがそれは,個々に取り上げ
(24)
られた全体労働者の各成員についてはもはや当てはまらない」。 故に「労働 過程そのものの協業的性格とともに,必然的に,生産的労働の•およびその
(24)
担い手たる生産的労働者の・概念が拡大する」とのべ,さらに資本の自己増 殖に役立つ労働者の労働はすべて生産的であって,「物質的生産の領域外から
1例をあげてもよければ,学校教師は,児童の頭脳を加工するばかりでなく
(24)
企業家の致富のために自ら苦役する場合に,生産的労働者である」とのべて いるのを引用して,その基本的論拠とし,プロレタリアートとは,たとえば レオンチェフしま,生産手段を失っているため労働力を売らなければならない,
しだがって資本家的企業家(集団的資本家としてのブルジョア国家をも含め て)に搾取され,資本の自己増殖に奉仕している賃金所得者のすべての部類
(25)
を含むと規定し,プロレタリアートの中に労働様式,組織性,階級意識など
(23) W • I・レーニン『偉大な創意』邦訳レーニン全集
29巻
425頁 。
(24) K
・マルクス『資本論』長谷部文雄訳青木文庫版第
1部第
3分冊804頁 。
西ドイツの臓員
(Angestellte)(大橋) (471) 159において差異のある種々な種類が存在しても当然であると主張する。
東ドイツのシュタイナーも根本的にはこのような論拠にたって職員の労働 者階級への所属を主張するが,かれによると職員と労働者との相違ほ,手労 働か非手労働かという点や生産的労働か非生産的労働かの点にあるのではな く,生産過程における職能
(Funktion)の違いにある。すなわち,労働者が 生産過程で直接労働対象の加工や変化に従事する者であるのにたいして,職 員は経営内的水準
(betrieblicheEbene)もしくは国民経済的水準で直接的生 産過程の以前
(var),以後
(hinter)もしくは並行して
(neben)活動するもので ある。つまり職員とは,経営内的水準において,本来の生産過程の以前に行 なわれる購買・材料準備・技術的作業準備,本来の生産過程と並行して行な われる指揮・監視・技術的監督や指導,以後に行なわれる販売・計算・記録な どに従事するもの,および社会的総生産過程における社会的再生産過程の以 龍以後もしくは並行して行なわれる教育・研究・医療・商業・サービス・
行政などに従事するものであり,ーロでいえぽ,経営的生産過程と社会的総 生産過程を媒介する活動
(vermittelnde Tatigkeit)に従事するものをいうの
(26)
である。その労働の内容は確かに本来の労働者と異なるが,しかし賃労働で ある点にはかわりがないのであり,要するに生産力の発展やそれに規定され る科学や教育の発達によっていわゆる中間層の分解が進み,賃労働に純粋な 筋肉労働以外の形態をもたらしたのであって,大多数の職員にとっては,職 員たることほ労働力商品の販売形態が本来の労働者と異なっているにすぎな
(27)
ぃ , とシュタイナーは主張するのである。
3.
西 ド イ ツ の 職 員 の 実 態
それでは職員は,現実にはどのような姿をなしているであろうか。西ドイ ツの場合について,そのあらましを簡単にえがいてみることにしよう。政府
(25)
『平和と社会主義の諸問題』
4巻5号
(1961年5月 )
116頁 。
(26) Steiner, Soziale Strukturveranderungen im modernen Kapitalismus, SS. 159 160.
(27) Steiner, Zur soziologischen Stellung der Angestellten im gegenwartigen Im‑
perialismus, Wirtschaftswissenschaft, 1962, H. 7, SS. 1049 1050.