化 学平 衡 成 立 の メ カニ ズ ム
濱 田 圭之助
長崎 大学 教育 学部 化学教 室 (昭和60年10月31日 受理)
Keinosuke HAMADA
Mechanism of Appearance of Chemical Equilibrium
Department of Chemistry, Faculty of Education,
Nagasaki University, Nagasaki 852, Japan (Received Oct. 31, 1985)
Abstract
Le Chatelier's principle was derived from a chemical equilibrium. However it has been reported that some phenomena were against the principle°. It is natural that the above phenomena in a closed or an opened system are against Le Chatelier's principle which only can be applied in an isolated system. Nevertheless it seems to be doubtful that the lower a temperature is, the higher a yield of production is, according to Le Chatelier's principle. Therefore the present auther has checked the experimental results against Le Chatelier's principle, and found that Le Chatelier's principle may be needless.
1.序 払
両 冊
化 学 平 衡 よ り導 か れ る原 理 に ル ・シ ャ トゥ リエ の原 理 が あ る。 この ル ・シ ャ トゥ リエ の 原 理 に は,多 くの 背 反 事 例 が 報 告 され て い る1)。これ らの 多 くは 閉 鎖 系 あ るい は 開放 系 で の 事 例 で あ る の で,孤 立 系 で の 事 象 に適 用 され るべ きル ・シ ャ ト ゥ リエ の 原 理 に 背 反 す る の は 当 然 で あ る。 し か しな が ら ル ・シ ャ トゥ リエ の原 理 に よ る と 「 孤 立 系 で の 化 学 平 衡 を 生 ず る 反応 にお い て は,低 温 で あ る ほ ど多 くの 生 成 物 を得 る」 と い う こ とに な り,化 学 反 応 論 の 常識 に反 す る こ と に な る。
1)山 口 達 明,田 矢 一 夫, 化 学 教 育,30,
52 (1982)化学平衡2)H2SeO3+2SO2+H202Se+2H2SO4 理の検討を行うに致った所以である。
を例にとり,ル・シャトゥリエの原
2.化学平衡の実験例
実験については拙著論文2)を参照して頂くとして,化学平衡のメカニズムを解析するに 必要な実験結果についてのみ述べる。
亜セレン酸の硫酸酸性溶液(〔H2SeO3〕=0.0184mol/1,〔H:+〕二〇.609。ion/1)を,温度 60。C,500C,40。Cおよび300Cにおいて二酸化イオウによって還元した。析出したSeの量の 最初のH:2SeO3中のSeに対する百分率を,時間に対してプロットして次の図1に示す結果
反 応
100
80
達 60
成
率 40
20
撚 一 ◎
一一◎一777一 ◎
60℃
6〆ア/
ノ1 ! 十
一1
6 ・1 ρワ
『
『 !
ラ ノ ノ1/ノ
/
◎ 50℃
, 十
,ノ ㊥40℃
./◎ ◎
◎ ●
㊦
◎ ◎ 30℃
◎
0
0 1200 2400 3600 4800
(秒)
図1 亜セレン酸の硫酸酸性溶液の各温度に おける二酸化イオウによる還元反応 ただし〔H SeO〕=0.0184mol/1
〔H〕=0.609.ion/1を得た。ある時間経過後,析出量が増えも減りもしないことは,此の反応では正・逆の反 応速度が等しい状態,すなわち次式(1)のように化学平衡が成立していることを示している。
H2SeO3十2SO2十H20〜Se十2H2SO4…………・・…・(1)
Seの析出の反応速度は,正反応速度〔=k(α一一p)2〕と逆反応速度〔=k〆p2〕の差である。式
で示すど次式(2)となる。dp/dt=k(α一p)2−k p2 ……・・…………・………(2)
ただし,α;H2SeO3の初濃度,P;Seの析出量,k,k ;正・逆の反応速度定数 平衡における析出量をPmとすると,正・逆の反応速度が等しくなるので次式(3〉が得られ
る。
dpm/dt==k(α一pm)2−klpm2==0 …一9…・一一・・・・・… 一… (3〉
析出量を百分率(ガ%)で表わすと(4〉式を得る。
dpm/dt=k{(1−xm)2−k %孟}α2=0 ………(4)
ただし,Xmは平衡におけるSe析出量の百分率
2)K.Hamada,B躍乙Ch8勉.Soα力ρ伽,34,596(1961)
式(4)のうち,αは既知でありXmは実験より求められる。また塩酸酸性における実験か ら3),正反応の速度定数はすでに求められている。これ等の値を式に代入して,逆反応の速 度定数k〆を求めた(表1)。
表1 正・逆反応の速度定数
600C 50.C 400C 30。C
Xm% 85
7254 34
k;1/mo1・sec
1,258 0,400 0,118 0,032 k1;1/mo1・sec 一一.039
一〇.060 一〇.084 一〇.121次に速度定数の対数を絶対温度の逆数に対してプロットした,いわゆるArrheniusのプ
ロットから(図2),正反応の活性化エネルギーとして22.5kcal/mo1,逆反応の活性化エ ネルギーとして80.6kca1/mo1を得た。
0.8
■.0
図8
− 1.2
1.4
3.0 3.1 3.2 3.3
−3
1/r x lO(a)正 反 応
1.50
一 1.00 転
↓
8 0・50
H
0.00
一〇.50
0
3.0 3.1 3●2 3●3−3
1オr x10
(b)逆 反 応 図2 Arrheniusのプロット
3.実験結果よりの各種知見
(1)触媒作用のメカニズム
亜セレン酸の二酸化イオウによる還元反応において,溶液を塩酸または硫酸酸性にする のは,水素イオンが触媒となるためである3)。水素イオンの触媒作用のメカニズムは,次の
ようなものであると考えられる。
H+は次に示すように,電気陰性度の強いO原子と結合して活性錯合体を作る。この活性 錯合体とSO2の反応は,活性錯合体を作らない場合に比して,活性化エネルギーが小さくな
り反応が促進される。
3)K。Hamada,飾〃.Chθηz.Soα血ρ伽,34,593(1961)
(2)吸熱反応は発熱反応の逆
反応ではない4》発熱反応は熱化学方程式にお いて+Qとなる反応で,吸熱反 応は一Qとなる反応であると されている。したがって吸熱反 応は,反応の結果系の温度が下 がる反応(一Q),および化学平 衡を生ずる反応の逆反応(一Q)
であると言われている。
化学反応の方向は0の減少の 方向ではなく,高ポテンシャル の反応物質から低ポテンシャル の生成物質への変化である。そ してこのポテンシャルの差が反 応熱となるのである5)。つまり,
反応H2SeO3+2SO2+H20
_Se十2H2SO4 においては,
58.1kcalが反応熱である(図 3)。上記反応の逆反応が吸熱反 応であるとされる理由は,逆反 応の活性化エネルギーが,正反 応のそれより丁度反応熱だけ高 いので,逆反応が生ずるために は,発熱反応熱Qと同量の熱を
0
Se/\
HO OH
ぐ
+・田1 一一一一一一シ
十 8
1Se
/\
HO OH
(活性錯合体〉
【E㌔
㌧SeO3+2SO2胸O
ナ H .
O I
Se
/\
HO .OH
(活性錯合体)
・一
・2・帥
一
ノ
・
覧
4 、
らぬ
、.上
…丁
ぢ ユ
⊥..
図3 H+の触媒作用
丁一
80.6Tk皿.
細囲押4
系が吸収しなければならないためであるとしている。しかしながらこれが事実としたら,
反応2H2+02一一2H20+Q3も逆反応の活性化エネルギーを補う熱量Q(図4)を発 生するので,化学平衡が成立しなければならない。
正反応のときは反応熱で,逆反応のときは活性化エネルギーの一部であると使い分けて いるが,全く異質の反応熱と活性化エネルギーを,同一視したところに問題が生じている。
吸熱反応の代表的な例として重炭酸ソーダと塩酸の反応 NaHCO3+HCl−NaCl+
H20+CO2↑ が挙げられる。この種の反応の特徴は,必ず固体が関与して状態の変化が
起っていることである。本来自発反応は,高ポテンシャル状態から低ポテンシャル状態に 進むのであるから,すべて発熱反応である。この反応熱を含めて系の持つ熱エネルギーが,
状態の変化に使用されるため系の温度が下がるのである。
4)濱田圭之助,「化学教科書の問題点〔II〕」,化学教科書研究会(1983)p.3
5)濱田圭之助,「新熱力学による化学反応論一エントロピー神話の崩壊一」,化学教科書研究会
(昭和61年4月刊行予定)
(3)化学平衡は∠Gニ0のとき成立するのではない
化学反応はギブスの自由エネルギー0が減少する方向に進むので,化学平衡の成立時に
は∠0=0となると述べられている。たとえば,平衡 aA+bB+一一…21L+mM+……… において,
∠0=RTlnKp=RTln(pL・p恐・…・/pR・p皇……)=0 となる。
ただし,P盆・P唇……はA,B,……分子の分圧
R≠0,T≠0であるのでlnKp=0したがってK,=1となる,ということが多くの成
書に述べられているが,これでは平衡定数が常に1となり事実に反する。平衡が成立するのは,(→)方向の正反応速度R二k・pR・盛・・一と(←)方向の逆反応速度
R=k ・PL・P親………が等しくなったときである。すなわち,k・Pえ・P慧………=kノ・PL・P鶏……
となったとき・平衡が成立するのである。したがって,Kp=k/k〆=pL・P罧一…・/pR・P息…一
となり,一般にKp≠1である。Kp=1となるといった間違いを生じた原因は,化学反応が∠0<0の方向に進むとい
う点にある。化学平衡は(→)方向の反応と(←)方向の反応の反応速度が等しくなった状態
である。いずれの方向の反応も自発反応であるので,どちらへ反応が進んでも∠G<0という矛盾を生ずることになる。自発反応は結合エネルギーの弱い(ポテンシャルエネルギー の高い)物質から,結合エネルギーの強い(ポテンシャルエネルギーの低い)物質への変 化である。つまり反応は,高ポテンシャルから低ポテンシャルヘ進むのであって,決して
∠G<0の方向に進むのではない5)。
(4)化学平衡成立のメカニズム
化学平衡は,正・逆の反応速度が等しくなったとき生ずる現象であるので,反応速度の
観点から論ぜられなければならない。反応速度は速度定数kと反応物質の濃度のn乗の積rl
8 1一一……一… 縣一一一吾……
(1二1)ハ 月
2NO2
下…
E IE 嘗丁曹
a」_一_ N O 2 4 一
2NOごN204
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黙.!..
⊥_2Hエ H2+12F22肛
一丁 … 一 卿
一ナ…轄…
2H2+02
丁
一…
一屈2る一2H + O 一一一う2H O
2 2 2薪痘
高 温
室 温
E,E ;正逆反応の活性化エネルギー,Q…反応熱
図4 化学平衡成立のメカニズム
に比例する。 反応速度=k・〔A〕ηA・〔B〕ηB……
反応速度定数 k叢Aexp(一.瑞/RT)*1)
化学平衡(1)に適用すると,(3)式より次式を得る。
exp(一E乙/ノ〜T)・〔H2SeO3〕2−exp(一E α/1〜T)〔Se〕2=・0*2)
先の実験により正反応の活性化エネルギー.&=22.5kcal/mo1,および逆反応の活性化 エネルギーE〆α=80.6kcal/molを得た(図2)。従って温度を上げると,活性化エネルギー の小さい正反応の速度が逆反応の速度より一層速くなる。ところがSeの析出量が増えるに つれ,今度は逆反応の速度が速くなり,両者の速度が等しくなったところで平衡が成立す る。したがって温度を上げると収率は上昇する。このことは図1を見ても明らかであって,
温度が高い程Seの析出量は多い。
化学平衡は図4に示すように,それぞれの反応温度で,正・逆の活性化エネルギーをカバー できれば成立する。つまり活性化エネルギーが小さいときは室温で(2NO#N204),活性 化エネルギーが大きいときは高温で(H2+12〜2HI)平衡が成立する。ただし触媒により活 性錯合体を作り,その活性化エネルギーを下げることができる。H2+12〜2HIの場合は反応 物自身で活性錯合体を作るので,自触媒反応ということができる。化学平衡を生じない反 応(2H2+02→2H20)の活性化エネルギーが大きいのは,H2および02の結合を切って原子 状のH,0とするに要するエネルギーが大きいためである。逆反応の活性化エネルギーは,
正反応の活性化エネルギーより大きいのであるから,それをカバーできるほど高温にして
折角H2,02が生じても,すべて原子状のH,0になってしまうので平衡は成立しない。化学平衡を生ずる発熱反応においては,従来低温程収率が良いといわれていたが,それ は間違いで,高温程収率が良いことを先に述べた。しかし余り温度を上げすぎると,生成 物質が分解するので,当然のことながら収率は悪くなる。
4.ル・シャトゥリエの原理の検討
一つの反応が,ある条件のもとで平衡状態に達したとする。このとき条件を変えてやる と,それに応ずる変化が起り系は新しい平衡状態に向かう。系の状態を決める因子として,
温度,濃度(圧力)があげられるが,これらのどれかを変えた場合,平衡はその影響を緩和 する方向に向かって変化する。これをル・シャトゥリエの原理という。
(1)非孤立系にはル・原理は適用できない
次の(i〉〜Gv)に列挙するようにル・原理に背反する事例が多くあるので,ル・原理は欠陥 原理ではないかという声もある1》。
(i〉定容容器中の気体に熱を加えるとき,系の温度は上昇を続け温度上昇が妨げられ ることはない。
*1)k=Aexp(一瑞/RT)の対数をとると,1nk=1nA+(一Eα/1〜T) となり,lnAはアルレニウスのプ ロットの切片である。一つの反応に対して1本の直線があるのみであるので,AはすでにE。の中に 含まれていると考えてもよいし,反応速度に関係するのは直線の勾配のみであるので,Aは考えなく てもよいとも云える。
*2)〔H20〕oニ1,〔SO2〕o=1,〔H2SO4〕o=1 であるので式中には現われない。
(ii)化学平衡 N2+3H2〜2NH3において,定温・定圧の条件下でさらにN2を添加
すると,ル・原理の言うところとは逆に,反応が←)方向に進みNH3のモル分率が低 下することがある。
㈹NaOHを水に溶かすと,激しく発熱するにもかかわらず,温度を0。Cから100。Cま
で上げると溶解度は10倍にもなる。
㈹ ナトリウム塩について,負の微分溶解エンタルピーを示しているにもかかわらず,
温度上昇によって溶解度の減少するのはNa2SO4のみであった。
ル・原理は孤立系において成立するものであって,外部との間にエネルギーや物質の出 入りのある,閉鎖系や開放系における反応には適用できない。したがって前記事例(i〉,㈹お よび㈹のように外部から熱を加える閉鎖系や,事例(ii)のように外部から窒素を加える開放 系での反応に,ル・原理が適用できないのは当然のことである。
(2)ル・原理の実験による検証は不可能である
系の状態を決める因子として,温度,濃度(圧力),体積があげられる。いま化学平衡
N2+3H2〜2NH3+Q が成立しているとする。ル・原理によると,温度を上げると吸熱反応*3)の方向(←)に平衡は移動し,圧力を上げると系のモル数の減少する方向(→)に平衡は 移動することになる。ところで体積を一定にして温度を上げると,同時に圧力も上がるの で,平衡は(←)方向と(→)方向に同時に移動するという矛盾を含むことになる。また温度,
濃度(圧力)あるいは体積のみを変えて,ル・原理を検証することは不可能である。実験 で検証できない原理はあってはならない。
(3)温度が低い程収率が良いということはあり得ない
平衝 N2+3H2#2NH3+Q においては,ル・原理によると低温にするほど平衡は
(→)方向に移動することになる。すなわち温度が低いほどNH3の収率が良いということに なる。ただし,温度が低いと反応速度が遅くなるので,触媒を使用して反応速度を速ぐし てやらなければならないといわれている。
以上の記述は大変矛盾している。すなわち平衡が(→)方向に移動するということは,(→)
方向の反応速度が以前より速くなるということであるし,Arrheniusの式k=exp(一.E。/
1〜T)からいっても,温度が上がれば反応速度は速くなければならない。実験的にも化学平 衡H2SeO3+2SO2+H202Se+2H2SO4は,温度が高い程Seの収率は高くなっている
(図1)。
(4)反応速度は反応物質の濃度(圧力)が高ければ速くなるというものではない
ル・原理によると,反応物質を系に加えてやると反応が進み生成物質が増加するという が,先の化学平衡 N2+3H2〜2NH3+Q において,N2が1モルしか存在しないとき
ホのに,他の条件を一定にしてH2だけを5モル加えようと10モル加えようと,NH3の量は変わ*3)吸熱反応は反応熱Qの符号が負になる反応であって,系の温度が上昇しても下降しても関係がない
という人もあるが,ル・原理では,吸熱反応は明らかに系の温度が降下する反応を指している。*4)定容でH、を加えれば,圧力も温度も上昇するので,他の条件を一定にして濃度(圧力)だけを変える ことはできない。