受身表現における視点人物の転換 : 夏目漱石『明 暗』を通じて
著者 山本 和恵
雑誌名 同志社日本語研究
号 19
ページ 34‑45
発行年 2015‑09‑30
権利 同志社大学大学院日本語学研究会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014343
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受身表現における視点人物の転換
――夏目漱石『明暗』を通じて――
山 本
やまもと
和恵か ず え
同志社大学日本語・日本文化教育センター 嘱託講師 [email protected]
キーワード
小説テクスト,夏目漱石,人称,視点人物,受身表現
要旨
本稿では,小説テクストの叙述の中で受身が選択される一要因を解明するため,夏目漱石の三 人称小説『明暗』を取り上げ,受身における視点人物の転換について考察した。その結果,小説 テクスト内では大筋は「視点固定の原則」に基づき,中心人物を視点人物とした受身が選択され る。しかし、『明暗』などの三人称視点の小説では,テクスト内で視点の移動が行われる。その 際、受身の選択に周辺人物の「迷惑・恩恵」の主観的な感情表現を表す場合や,中心人物から周 辺人物に視点人物を移動させて叙述の流れを変えたい場合に受身が選択されることを明らかにし た。
1. はじめに
小説テクストにおける受身表現の選択については,奥津(1983)や小嶋(2004)などの研究 者によって論じられ,奥津(1983)は,受身の選択理由に一度立てた主語は必要のない限り途 中で変えないという「視点固定の原則」を挙げ,小嶋(2004)は,文学作品における受身につ いて「多くの文学作品では,主人公など軸となる人物の立場から述べる文が優先されている」
と述べている。これらは,受身が選択される多くの理由として認められるであろう。しかし,
小説テクストでは語り手が主人公などの中心人物ではなく周辺人物に視点人物を移動させ,そ の際に受身表現が選択されることも考えられる。
そこで,本稿では,小説テクストの叙述の流れの中で受身が選択される一つの場合として視 点人物の変化に伴う叙述転換を取り上げる。作品として夏目漱石の三人称小説である『明暗』
からいくつかの特徴的事例について考察していくことにする。
2.視点,視点人物
まず,小説テクスト内での「視点」と「視点人物」を定義しておきたい。小説テクストには,
小説に登場する人物とは別に小説を語る表現主体である「語り手」が存在する。その語り手が 見る点である「視点」について糸井(2009)は,認知主体である語り手が事態を認知し表現す
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る位置-どこから見ているかの「どこ」を言い,語り手の「いま・ここ」を視座であり「視 点」であると定義している。そして,その視座に位置する主体が「視点人物」であるとしてい る。本稿もこの定義に従うことにする。
3.『明暗』の構造と視点の転換
ここでは『明暗』の構造について説明していくことにする。『明暗』は大正5年2月26日か ら12月14日まで188回にわたって『朝日新聞』に連載されたものであるが,漱石の死によっ て未完となった作品である。主な登場人物は,作品の中心となる津田由雄とその妻お延である。
内容は,主人公の津田由雄が病院に入院しているところから始まる。結婚して半年の津田と妻 お延はお互いの心を探り合う日々を過ごしている。そんな中,津田は痔の手術後,養生という 名目で元婚約者清子がいると聞いた温泉場へ出かけ,清子に会うというものである。また時間 にして津田の入院手術の1週間ほどと退院後の温泉療養の3日ほどの10日ほどという短さの中 で小説は繰り広げられる。この中心人物となる津田夫妻に関わってくる周辺人物が津田の京都 にいる両親,津田の親代わりの親戚藤井一家,藤井夫妻の友人でもあり津田の上司である吉川 とその妻,津田の妹お秀とその夫堀,津田の旧友の小林である。また,妻お延の京都在住の両 親に代わって親代わりの岡本一家,お延と一緒に岡本から来た下女のお住などである。
『明暗』の構造について小平(1989)注1)は,「作者の〈語る視点〉は,中心人物である由 雄とお延の二人にほぼ寄り添い,時にめまぐるしく入れ替わって双方の人物を代弁し,その考 えや感じたところを説明する。(中略)作者の〈語り〉は当人の〈視点〉を離れず,当人が見 聞きし,感じ,考え,意識する域をなるべく出まいとする。作者は己の鏡に映ったもの,鏡と 化したものだけを語る。」と,語り手は中心人物である由雄とお延の二人の目に映るものを映 し出し,語っていると述べている。
また,岸元(2014)は,『明暗』の視点人物について「第一回から第四十四回までは,主人 公津田の視点によって描写されていく」と述べ,「第四十四回末尾で,三人称で描写される人 物が,津田からお延に交代して第九十回まで進む。」と述べている。また岸元が示した回ごと の中心人物について見ると,第九十回以降はお延が視点人物になる回注2)があるが,多くは津田 が視点人物となっている。以上から『明暗』における主な視点人物は,中心人物である津田と お延ということになる。
4.小説における能動と受身の主語分類
ここで,小説における能動と受身の主語分類について考えてみたい。小説テクストでは,語 り手が中心人物(主人公)に寄り添い,語られることが多い。そのため,受身が出現する箇所 においても視点人物(語り手が視点を注ぐ人物,すなわち文の主語)は中心人物(主人公)で あることが多いことが予想される。しかしながら,中心人物(主人公)ではなく,周辺人物が 視点人物として主語になり,その周辺人物が受けた感情を表す際に受身が用いられる場合も予 想される。そこで,まず,小説の中の受身を分類する際に,①主語が中心人物(主人公)であ
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るか周辺人物であるか,②動作主体が中心人物(主人公)であるか周辺人物であるか,③受身 の意味分類として主語に立つものが動作を受けることによって「迷惑」や「恩恵」の気持ちを 伴うか,主語に立つものが動作を受けても感情の変化は伴わない「中立」であるかの 3 点に着 目し,分類を行った。
これは,語り手が中心人物(主人公)に寄り添い叙述が展開されている際に受身が選択される 場合の他に語り手が中心人物(主人公)ではなく周辺人物に近づき語られる際に受身が使用さ れている場合があるのではないか,また語り手の視点が移動し,周辺人物を視点人物,つまり 主語にして受身が使用されている場合に文脈が転換されることがあるのではないかといった予 測ができるため,このような場合の受身選択の可能性を考えるために分類したものである。
【表1 主語と動作対象・動作主体の分類】
その分類を上記の【表1】に示した。
以下に【表1 主語と動作対象・動作主体の分類】の用例を『明暗』から挙げる。
*各例文で は主語, 部分は動作対象, 部分は動作主体, は態を表す動詞で,
部分が心情に関わる句である。
【能動】
(1) 主語 中心人物,動作対象 中心人物
津田は床の上に腹這になった儘,むしゃむしゃ口を動かしながら,機会を見計らって,
お延に云った。
「行くのか,行かないのかい」
お延はすぐ肉匙の手を休めた。 [第44回]
(2) 主語 中心人物,動作対象 周辺人物
「(小林が)欲しければ遣っても好い」
津田は寧ろ冷やかに(小林に)答えた。 [第33回]
(3) 主語 周辺人物,動作対象 中心人物
両手を左右へひろげた小林は,自分で自分の服装を見廻しながら,寧ろ心細そうに(津
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「実はこの着物で近々都落をやる んだよ。朝鮮へ落ちるんだよ」 [第36回]
(4) 主語 周辺人物,動作対象 周辺人物
小林は自分の前にある麦酒の洋盃を指して,内所のような小さい声で,隣りにいる真事 に訊いた。
「真事さん,お酒を上げましょうか。少し飲んで御覧なさい」
「苦いから僕厭だよ」 [第30回]
【受身】
(5)A 主語 中心人物,動作主体 中心人物 (意味:迷惑・恩恵)
利巧な彼(津田)は,財力に重きを置く点に於て,彼に優るとも劣らないお延の性質を能く 承知していた。極端に云えば,黄金の光りから愛其物が生れると迄信ずる事の出来る彼には,
何うかしてお延の手前を取繕わなければならないという不安があった。ことに彼(津田)
は此点に於てお延から軽蔑されるのを深く恐れた。 [第113回]
(5)B 主語 中心人物,動作主体 中心人物 (意味:中立)
(津田)由雄の手に提げた書物は,今朝お延の返しに行ったものに比べると,約三倍の量が あった。彼はそれを更紗の風呂敷に包んで,恰も鳥籠でもぶら下げているような具合にして お延に示した。
彼(津田)は(お延に)招ぜられるままに座敷へ上ってお延の父と話をした。
[第79回]
(6)A主語 中心人物,動作主体 周辺人物 (意味:迷惑・恩恵)
小林の語気は,貧民の弁護というよりも寧ろ自家の弁護らしく聞こえた。然し無暗に取り 合って(小林に)此方(津田)の対面を傷けられては困るという用心が頭に働くので,津 田はわざと議論を避けていた。すると小林がなお追懸て来た。 [第35回]
(6)B 主語 中心人物,動作主体 周辺人物 (意味:中立)
多少気味の悪くなった津田は,お延に背中を向けた儘で,兵児帯の先をこま結びに結んだ。
やがて二人(津田とお延)は看護婦に送られて玄関に出ると,すぐ其所に待たしてある 車に乗った。
「さよなら」
多事な一週間の病院生活は,此一語で漸く幕になった。 [第153回]
(7)A 主語 周辺人物,動作主体 中心人物 (意味:迷惑・恩恵)
継子は容易に結婚問題を口へ出さなかった。お延の方から無暗に云い出されるのも苦痛 らしかった。けれども間接に何処かで其所に触れて貰いたい様子がありありと見えた。
[第70回]
(7)B 主語 周辺人物,動作主体 中心人物 (意味:中立)
お延の見た通りの津田が,すぐ継子に伝えられた。日常接触の機会を自分自身に有ってい ない継子は,わが眼わが耳の範囲外に食み出している未知の部分を,すべて彼女(お延)
38 例 % 主語 中心人物 迷惑・恩恵 (5)A 56 18 動作主体 中心人物 中立 (5)B 5 2 主語 中心人物 迷惑・恩恵 (6)A 154 51 動作主体 周辺人物 中立 (6)B 16 5 主語 周辺人物 迷惑・恩恵 (7)A 22 7 動作主体 中心人物 中立 (7)B 3 1 主語 周辺人物 迷惑・恩恵 (8)A 35 12 動作主体 周辺人物 中立 (8)B 13 4 304 100
【表2 『明暗』 受身 有情物主語 分類】
分類
受身
合計
から与えられた間接の知識で補なって,容易に津田という理想的な全体を造り上げた。
[第66回]
(8)A 主語 周辺人物,動作主体 周辺人物 (意味:迷惑・恩恵)
下女が皿の上に狐色に焦げたトーストを持って来た。
「お延,叔父さんは情けない事になっちまったよ。日本に生れて米の飯が食えないんだか ら可哀想だろう」
糖尿病の叔父は既定の分量以外に澱粉質を摂取する事を主治医から厳禁されてしまった のである。 [第60回]
(8)B 主語 周辺人物,動作主体 周辺人物 (意味:中立)
手紙は彼の命令通り時を移さず車 夫の手に渡った。車夫は又看護婦の命令通り,それ を手に持った儘すぐ電車へ乗った。それから教えられた通りの停留所で下りた。
[第122回]
以上を踏まえて,有情物が主語となる受身を分類した。
5.『明暗』おける受身
漱石の三人称小説『明暗』の自の文において主語と動作主体がともに有情物となる受身表現を
【表1】に則して分類した結果が【表2】である。
【表2】を見ると,『明暗』では受身 304 例のうち,主語が中心人物(主人公)の用例が(5) A(5)B(6)A(6)B合わせて 231 例(76%)あり,全体の 80%近い割合を占めていることから,
『明暗』の作品世界において語り手は中心人物(主人公)を視点人物にして語っている場面が多 いことが分かる。一方,主語が周辺人物の用例は(7)A(7)B(8)A(8)B合わせて 73例(24%)で あり,全体からみると用例は少ないが,語り手が周辺人物に視点を移動させ,周辺人物が視点人 物になって語られる場面があることが窺える。
また,受身に「迷惑・恩恵」の感情を伴うかどうかに関しては,主語が中心人物(主人公)で あっても周辺人物であってもこの用法の用例数が多いことは明らかである。そのため,『明暗』
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という作品においては,語り手は中心人物(主人公)に寄り添いながらも,中心人物(主人公)
とは別の周辺人物に捉える視点を転換させて語る場面があることが想像できる。
こうした語り手が周辺人物に一時的に視点を転換させて「迷惑・恩恵」を伴う受身を選択して いる用例にはどのような特徴があるのか,以下の節で考えてみたい。
6.三人称小説テクスト内における受身の選択 6.1受身の選択条件
ここでは,受身の選択条件について考察していくことにする。
多くの研究の中で,文章における受身の選択について言及したのは,奥津(1983)である。
奥津(1983)は,受身の選択の理由に「視点固定の原則」を挙げている。それは,一度立てた 主語は必要のない限り途中で変えないという原則である。
奥津は,例文として『徒然草』の六〇段を取り上げている。この段は,「僧都」に関する記述 であるため,ほぼ全ての文は「盛親僧都」が主人公で,ほとんどが能動である。この中で以下の 例文(9)に受身が存在する。
(9)この僧都,みめよく,力強く,大食にて,能書,学匠,弁説,人にすぐれて宗の法燈なれ ば,寺中にも重く思はれたりけれども,世を軽く思ひたる曲者にて,万自由にして,大方人 に従ふという事なし。
この文には「僧都」を主語として九つの述語があるが,その中の一つ「思はれたりけれども」
が受身表現である。この「思ふ」の主体は「僧都」でなく,「寺中」(注:厳密に言えば,「寺 中の僧ども」)であろうが,「寺中この僧都を重く思ひたりけれども」と能動にせず,<被動作 主>「僧都」を主語にして受身で表されている。「思ふ」を能動にすると,その主語は誰なのか 混乱するおそれがある。そこで,一節だけ主語を変えるよりは,主語をそのままにして受身とし,
後に続けていく方が,文の流れが自然になる。こうした「視点固定の原則」により,受身が使用 されるのだと奥津(1983)は述べている。
さらに,ここでの「思はれる」という受身の動詞は,受身の意味として「中立」を表すもので ある。こうした語り手が客観的に事実を表現していく場面では,「視点固定の原則」に則り,主 語を固定させるために中立の意味を表す受身が選択されることが考えられる。
その一方で,三人称小説においては,一人称小説とは違い,語り手の視点の対象は頻繁に移り 変わることから,視点人物が移動する箇所において「迷惑・恩恵」などの感情を表す受身が使用 されることも考えられる。
奥津が唱える「視点固定の原則」は「視点」を固定させるために受身表現が選択されることは 事実である。しかし一方で視点人物が固定されている中で日本語特有の受身表現である「迷 惑・恩恵」の感情を表す受身の選択には,それまでの語り手の視点がとらえていた中心人物か ら,「迷惑・恩恵」を受けたと感じる周辺人物に視点人物を移動させることがあることが予想 される。
以上の予想を踏まえて,以下の節では三人称小説テクストにおける受身の選択について考察し ていくこととする。
40 6.2視点固定の原則に沿った受身の選択
ここでは,受身の選択について本稿で取り上げている『明暗』のテクストから「視点固定の原 則」に沿った例文を以下に挙げる。
(10) 彼女(お延)は自分で床を上げて座敷を掃き出した後で鏡台に向った。そうして結って から四日目になる髪を解いた。油で汚れたところへ二三度櫛を通して,癖が付いて自由にな らないのを,無理に廂に束ね上げた。それが済んでから始めて下女を起した。
食事の出来る迄の時間を,下女と共に働らいた彼女は,膳に着いた時,下女から「今日は 大変お早う御座いましたね」と云われた。何にも知らないお時は,彼女の早起を驚ろいてい るらしかった。また自分が主人より遅く起きたのを済まない事でもしたように考えているら しかった。 [第80回]
(10)は,語り手が主人公の一人「お延」の様子を語っている場面である。ここでは,「お延」
を主語にした動詞が 線で示したように8例使用されている。(10)の中で「下女から『今 日は大変お早う御座いましたね』と云われた」と受身が使用されているが,この箇所の直前の文 は「彼女(お延)は」と主語になっていることから,「お延」を主語にして「下女から『今日は 大変お早う御座いましたね』と云われた」と視点人物を固定した受身表現が選択されている。こ のように,『明暗』という小説テクスト内の受身表現にも,「視点固定の原則」に則ったものが 多く選択されている。
6.3視点人物が移動する受身の選択
次に,三人称視点の小説テクスト内における受身の選択について「迷惑・恩恵」の感情を表す 受身表現に焦点を当て,考察していきたい。三人称小説においては,一人称小説に比べて語り手 の視点の移動は頻繁に行われることから,視点人物が転換する箇所において「迷惑・恩恵」の感 情を表す受身が使用されるという予想を立てて,調査した結果,『明暗』に視点人物の移動と見 られる受身の使用例が存在した。それを以下に挙げて,考察を行っていくことにする。
*各例文の中で 部分は最初の主語, は視点が移動した主語, は視点が移動した際 に表された受身動詞, 部分が心情に関わる句である。
(11) 小林は恰もそこに自分の兄弟分でも揃っているような顔をして,一同を見廻した。
「見玉え。彼等はみんな上流社会より好い人相をしているから」
挨拶をする勇気のなかった津田は,一同を見廻す代りに,却って小林を熟視した。小林は すぐ譲歩した。
「少くとも陶然としているだろう」
「上流社会だって陶然とするからな」
「だが陶然としかたが違うよ」
津田は昂然として両者の差違を訊かなかった。それでも小林は少しも悄気ずに,ぐいぐい 杯を重ねた。
「君はこういう人間を軽蔑しているね。同情に価しないものとして,始めから見縊ってい るんだ」
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こういうや否や,彼は津田の返事も待たずに,向うにいる牛乳配達みたような若ものに声 を掛けた。
「ねえ君。そうだろう」
出し抜けに呼び掛けられた若者は倔強な頸筋を曲げて一寸此方を見た。すると小林はす ぐ杯をそっちの方へ出した。
「まあ君一杯飲みたまえ」
若者はにやにやと笑った。不幸にして彼(若者)と小林との間には一間程の距離があった。
立って杯を受ける程の必要を感じなかった彼は,微笑する丈で動かなかった。しかしそれで も小林には満足らしかった。出した杯を引込めながら,自分の口へ持って行った時,彼は又 津田に云った。
「そらあの通りだ。上流社会のように高慢ちきな人間は一人も居やしない」
[第34回]
(11)では,最初に語り手は中心人物「津田」と津田の知り合いである「小林」のやり取りを
「津田」と「小林」を主語にして作中世界で描いている。しかし,途中で語り手は「小林」が呼 び掛けた「若者」に視点を移し,被動作主である「若者」を主語にし,「出し抜けに呼びかけら れた若者は…」と受身を選択して使用している。これは,その後の「若者はにやにやと笑った」
とあるように,「若者は」出し抜けに呼びかけた小林に対して初めは「迷惑」な感情を持ってい る。小林の強引な性格や下等社会での陶然とした例を表現するため,ここではどうしても「若 者」を登場させる必要があった。だからこそ,「語り手」は「小林」から「若者」に視点人物を 移動させ「若者」を主語にして若者の感情とともに受身表現を選択して表現したことが窺える。
さらに,ここで「小林が呼びかけた若者は」と「呼びかけた」と能動にしたら,語り手は「青 年」の様子を客観的に表現しているにすぎないという表現になる。しかし,ここでは「呼びかけ られた若者は」と,若者の迷惑している感情を表現した受身表現が選択されている。つまり,若 者の迷惑な感情を表現するために,「若者」を視点人物に捉え,主語に据えて受身が選択された 用例であると考える。
(12) 此様子を黙って眺めていた津田は,自分の持って来た用事のもう済んだ事に漸く気が付
いた。斯んなお付合を長くさせられては大変だと思った彼は,機を見て好い加減に席を切 り上げようとした。すると小林が突然彼の方を向いた。
「原君は好い絵を描くよ,君。一枚買って遣り給え。今困ってるんだから,気の毒だ」
「そうか」
「どうだ,此次の日曜位に,君の家へ持って行って見せる事にしたら」
津田は驚ろいた。
「僕に絵なんか解らないよ」
「いや,そんな筈はない,ねえ原。何しろ持って行って見せて見給え」
「ええ御迷惑でなければ」
津田の迷惑は無論であった。
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「僕は絵だの彫刻だのの趣味の丸でない人間なんですから,何うぞ」
青年は傷けられたような顔をした。小林はすぐ応援に出た。
「嘘を云うな。君位鑑賞力の豊富な男は実際世間に少ないんだ」
津田は苦笑せざるを得なかった。 [第162回]
(12)では,語り手は初めは「津田」の視点に寄り添い,「津田」の考えていることを描いてい る。すると「小林」が「津田」に自分が連れてきた「原」という男の絵を買うことを勧めるが,
「津田」は断る。その直後,語り手は「津田」に断られた「青年」に視点の向きを変え,「青年 は傷けられたような顔をした」と「青年」を視点人物と捉え,主語に据えて語る。そして,それ を見た「小林」が「青年」の応援に出たと語る。そして,その二人の動作を受けて,「津田は苦 笑せざるを得なかった」と語る。この場面において,もし「青年は傷つけられたような顔をし た」の一文がなかったら,以下の「小林はすぐ応援に出た」も「津田は苦笑せざるを描かった」
の描写もされない。作者漱石は,小林の強引な性格や身近な社会的弱者を放っておけない性格,
また津田の優柔不断な性格を表現したいため,ここでこのような表現を使用したと考えられる。
さらに,「青年は傷ついたような顔をした」と「傷ついた」と能動にしたら,語り手は「津田」
に寄り添い「津田」の目から「青年」の傷ついた様子を客観的に表現しているにすぎないという ことになる。しかし,ここでは「青年は傷つけられた顔をした」と「青年」を視点人物である主 語にし,「青年」の精神的ショックを受けたという感情を表現した受身表現が選択されている。
こうした「青年」の感情を表現するために,語り手は「津田」や「小林」から「青年」に視点を 移動させ,「青年」を視点人物にして,受身が選択されている用例であると言えよう。
(13) 彼(津田)は招ぜられない先に,まず自分から設けの席に着いた。そうして立ちなが
ら果物を皿に盛るべく命じている清子を見守った。
「何うもお土産を有難う」
是が始めて彼女の口を洩れた挨拶であった。話頭はそのお土産を持って来た人から,其土 産を呉れた人の好意に及ばなければならなかった。もとより嘘を吐く覚悟で吉川夫人の名前 を利用した其時の津田には,もう胡麻化すという意識すらなかった。
「道伴になったお爺さんに,もう少しで蜜柑を遣っちまう所でしたよ」
「あらどうして」
津田は何と答えようが平気であった。
「あんまり重くって荷になって困るからです」
「じゃ来る途中始終手にでも提げていらしったの」
津田にはこの質問が如何にも清子らしく無邪気に聴えた。
「馬鹿にしちゃ不可せん。貴女じゃあるまいし,斯んなものを提げて,縁側を彼方へ行っ たり此方へ来たりしていられるもんですか」
清子はただ微笑した丈であった。其微笑には弁解がなかった。云い換えれば一種の余裕が あった。嘘から出立した津田の心は益平気になる許であった。
「相変らず貴女は何時でも苦がなさそうで結構ですね」
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「ええ」
「些とももとと変りませんね」
「ええ,だって同なじ人間ですもの」
此挨拶を聞くと共に,津田は急に何か皮肉を云いたくなった。其時皿の中へ問題の蜜柑を 盛り分けていた下女が突然笑い出した。
「何を笑うんだ」
「でも,奥さんの仰しゃる事が可笑いんですもの」と弁解した彼女(下女)は,真面目 な津田の様子を見て,後からそれを具体的に説明すべく余儀なくされた。
「成程,そうに違い御座いませんね。生きてるうちはどなたも同なじ人間で,生れ変りで もしなければ,誰だって違った人間になれっこないんだから」
「所がそうでないよ。生きてる癖に生れ変る人がいくらでもあるんだから」
「へえ左右ですかね,そんな人があったら,ちっとお目に掛りたいもんだけれども」
「お望みなら逢わせて遣っても可 いがね」
「何うぞ」といった下女は又げらげら笑い出した。 [第184回]
(13)においても(11)(12)同様,語り手は初めは「津田」に視点を合わせて昔の婚約者清子との やり取りや津田の思いを描いているが,二人のやり取りを見ていた「下女」が突然笑い出す。そ れを見た「津田」は「何を笑うんだ」という。そこまでは語り手は「津田」に寄り添っているが,
「何を笑うんだ」と受けたことで,語り手の視点は「下女」に移動する。「下女」が「津田」に 弁解したにも関わらず,津田は納得できない様子で,黙ったまま真面目な表情でいたことから,
「下女」はさらになぜ笑ったかについてさらに具体的な説明を「余儀なくされた」のであり,そ こで「下女」に迷惑な感情が生まれたことを表すために語り手は中心人物である津田から周辺人 物「下女」に視点を移動させ,「下女」を視点人物にして受身を選択して語っているのである。
7.おわりに
本稿では,夏目漱石の三人称小説『明暗』における有情物が主語となる受身に焦点をあて,
受身と視点の関わり,受身の選択について考察を行った。その結果,以下のことが明らかとな った。
小説テクスト内では奥津(1983)が唱えるように,大筋において文章構成上一度立てた主語 は途中で変えないとする「視点固定の原則」に基づき,中心人物(主人公)を視点人物とした 受身が選択される。しかし,『明暗』などのような三人称視点の小説では,テクスト内で視点 の移動が行われる。このような文章の中では視点人物が移動する箇所において受身が選択され ることがある。それは,ある周辺人物が中心人物(主人公)から動作を受けたことで「迷惑・
恩恵」などの感情を表す際に,語り手はそれまでの視点人物であった中心人物(主人公)から 周辺人物に視点を移動させ,周辺人物を視点人物にして「迷惑・恩恵」の受身を伴った受身が 選択される。それとともに中心人物(主人公)を対象にした叙述から周辺人物が「迷惑」を受 けた叙述へと流れが変わる。つまり,叙述の流れを一時的に転換させる際にそれまでの視点人
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物を移動させ,周辺人物を主語とした受身が選択されることがある。
以上のことから,受身の選択において「視点固定の原則」は視点を固定させたい場合には適応 されるが,周辺人物の「迷惑・恩恵」などの主観的な感情表現を表す場合や,中心人物(主人 公)から周辺人物に視点を移動させ,周辺人物を視点人物として叙述の流れを変えたい場合に おいても受身が選択されることを明らかにした。
本稿では考察の対象を夏目漱石の『明暗』に限ったため,全体の小説テクストの傾向として把 握するには至らなかった。小説テクスト全体における視点と受身表現の選択を定義づけるため に,他の作家の小説テクストを考察することを今後の課題としたい。
【引用テキスト】
岩波書店の『漱石全集』をテキストとし,旧仮名遣いを現代仮名遣いに改めて引用した。『漱石全集 第十 一巻』(1994)岩波書店『明暗』(初出は1915)
【注】
1)小平(1989)は,「〈場〉を構成する描法も,病院での由雄を中心とする,お延,お秀,吉川夫人との 対話・会話では,由雄,お延の間の葛藤,あるいはその二人をめぐる葛藤を劇的に集中的に示す場面を 形成する。また,劇場での見合いの場面や藤井や岡本の家での会話にも適用されて,男と女の組み合わ せの問題等,効果を発揮して,作品のふくらみを大きくしている。」とも述べている。
2)岸元(2014)は,第90回以降お延が視点人物である回は,103,111,112,123~130,143回である と述べている。
【参考文献】
糸井通浩 半沢幹一 編(2009)『日本語表現学を学ぶ人のために』世界思想社
奥津敬一郎(1983)「何故受身か?-<視点>からのケーススタディ-」『国語学』132巻 奥津敬一郎(1992)「日本語の受身文と視点」『日本語学』11巻9号
岸元次子 (2014)『漱石の表現-その技巧が読者に幻惑を生む-』和泉書院
小嶋栄子 (2004)「文学作品における効果的なうけみ文の使用」『21世紀言語学研究 鈴木康之教授古希 記念論集』白帝社
小平武 (1989)「『明暗』その虚構の構造-作者の<語る視点>」『比較文学研究』57号 東大比較文学会
山本和恵 (2011)「小説テクストにおける受身表現の使用傾向」『同志社国文学』第74号
山本和恵 (2014)「夏目漱石の三人称小説テクストにおける発言動詞の受動態の選択-能動態との比較を 通じて-」『同志社大学日本語・日本文化研究』第12号
【付記】
本稿は、第 34回表現学会近畿例会での研究発表を加筆修正したものであり、ご指導やご教示 賜りました方々に心より御礼を申し上げます。
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Transition of First Person Perspective through the Use of the Passive Voice in Soseki NATSUME’s “Meian ”
Kazue YAMAMOTO
Keywords: Japanese novel texts, Soseki Natsume, Person, First Person Narrative, Passive Voice
This thesis examines the transition of the first person perspective through the usage of passive voice by studying a third person narrative written by Soseki NATSUME, “Meian”.It aims to clarify the reason behind the use of the passive voice in novels.
The result of the study shows that on the basis of the “fixed viewpoint principle” in the novel’s structure, the passive voice is used in order to make the central character a first- person narrator.
However, in third person novels such as “Meian”, changes in the perspective occur throughout the text. In such cases, it is clear that the passive voice is selected in order to show the surrounding characters' subjective emotions such as “annoyance or benefit”, or to change the flow of the narrative by moving from the central character's point of view to that of surrounding characters.