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蝸牛廬文庫資料について

著者 田中 晋作

雑誌名 関西大学博物館紀要

巻 1

ページ 104‑113

発行年 1995‑03‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/16508

(2)

蝸牛慮文庫とは︑故林田良平翁の書斎号であり︑翁が所蔵した資料の

総称である︒本資料は︑昭和六二年三月三○日に翁が逝去された後︑

不幸にして資料が流出し︑すべてではないが︑その主要な部分が︑池田

市立歴史民俗資料館の所蔵となった︒池田市立歴史民俗資料館では︑そ

の重要性に鑑み︑入手の後整理に着手し︑平成四年度より逐次その目録し︑平成四年度より逐次その目録

はじめに 蝸牛庫文庫資料について

かぎゅうろ

の刊行を実施してきている︒

本文庫は︑大きく古文書

呼類・書籍類・書画軸類等に

林よって構成きれ︑総数三千 故点を越える膨大なものであ

庫る︒現在︑古文書類・書籍 徹類については目録化が終了

鮴し︑平成六年度事業として

書画軸類等の目録刊行を予 蝸牛盧文庫主︑林田良平翁は︑明治三三年一○月二五日︑父林田安平︑母しつの長男として大阪府豊能郡池田町二四一八番地︵現大阪府池田市新町一番一三号︶に生まれた︒本名は明三であったが︑早くから祖父林田林嬰の号であった良平を名乗っている︒

翁は︑池田をはじめとする北摂地域の郷土史研究に携わる傍ら︑池田

郷土史学会の運営︑池田城跡の保存や歴史民俗資料館の設立などに尽力

され︑また︑和歌・俳句にも深い造詣をもたれた︒

本文庫資料は︑良平翁の祖父林嬰翁の代から収集が始まったものであ

る︒

池田における林田家は︑本姓は乾氏であったといわれ︑林嬰翁の時︑

川辺郡林田村︵現兵庫県川辺郡猪名川町林田︶から池田に出︑炭商を営

み︑また︑﹁群雀﹂という商標で酒造業も営んだといわれている︒とく 定している︒今回は目録化が終了した古文書類・書籍類について紹介するものである︒

① |蝸牛唐文庫主林田良平翁 田中晋作

一○四

(3)

本文庫に収められた古文書類は︑摂津国豊島郡池田村文書二七一件

を中核とし︑同畑村文書三○件︑同新免村・轟村文書三件︑豊島郡文書

一二件︑川辺郡小花村文書一二件︑同小戸村文書三件︑武庫郡中村前田

家旧蔵文書二件︑同今津村福田家旧蔵文書一○件・勝尾寺・滝安寺文書

七件︑その他二六件︑総数一二七六件から構成されている︒

以下︑その中核を占める池田村文書を中心に紹介する︒

池田村文書は︑中世文書一件︑明治時代初期の近代文書が約一七○件︑

他が近世文書である︒中心となる近世文書は︑約二五○件が一七・一八 に幕末には家業が栄えたという︒翁は幼年から学を好み︑とくに︑豊後日田の学塾威宜園を経営した広瀬淡窓の末弟である儒学者広瀬旭荘に師事したことが知られている︒また︑一面奇行の人ともいわれ︑旭荘は︑﹃宜園百家詩﹄のなかで翁を﹁往来牛を牽いて詩を詠じ︑人称して牡丹花肖柏の流れとなす︒﹂と紹介している︒騎牛の図などが残きれていることからも︑よく牛に乗ったといわれている︒

父安平翁︵本名松三郎︶も好学の士として知られ︑炭翁と号し︑鎌垣

春岡に師事︑漢詩人としても知られている︒翁は︑池田史談会の中核メ

ンバーのひとりとして︑さらに︑昭和二七年︑良平翁とともに池田郷土

史学会を設立︑その運営に尽力された︒また一方で︑明治末年には池田

町長に就任し︑町政の粛正︑池田山増林・戸数割の改革の断行︑町役場

②の新築︑学校の改築などに辣腕を振るっている︒

二古文書類

世紀のもので︑他は一九世紀に制作されたものである︒これらの文書は一般諸家にのこされた文書類と異なり︑近世・近代の池田村のがもつ特性を下記の分類にみるように︑系統的に収集がなされたもので︑すこぶる重要なものである︒

これらの文書類については︑京都橘女子大学文学部助教授村田路人先

生が中心となり︑大阪大学文学部国史研究室の院生・学生諸氏のご尽力

により整理・分類・目録化されたものであり︑その特質については︑す

③でに村田路人先生の解題が提示きれている︒

まず︑中核となる池田文書は︑四三項目に分類されている︒

一︑支配二︑巡見伝馬三︑土地 四︑年貢五︑租税六︑諸役 七︑村政八︑村財政九︑御朱印一件 一○︑戸口二︑身分一二︑治安・救伽 一三︑猪名川通船一四︑池田馬借一五︑交通 一六︑林政一七︑水利一八︑建築

一九︑家屋敷・田畑二○︑小作・農業二一︑多田銅山 一三︑炭二三︑酒造二四︑市場 二五︑漁業二六︑廻船問屋二七︑鑪糒鋳物師 二八︑その他商工業二九︑奉公人三○︑金融 三一︑国訴三二︑家事三三︑巡礼橋 三四︑御蔭踊三五︑飢鐘三六︑相撲 三七︑生活三八︑宗教三九︑郡役所 四○︑学校四一︑林田家文書四二︑稲束家文書

一○五

(4)

四三︑その他・雑

ここでは︑村田先生の解題により︑池田村文書に関して︑その特質に

ついて紹介する︒

池田村は在郷町として北摂の商品経済の中心地として位置したが︑行

政的には村として扱われている︒村高は︑元和三年︵一六一七︶のもの

と考えられる﹁摂津一国高御改帳﹂では一六六七石七斗五升︑明治元年

︵一八六八︶の﹁旧高旧領取調帳﹂では一七二九石一升四合である︒

一方︑江戸時代の支配変遷は︑幕府領にはじまり︑正保三年︵一六四

六︶から明暦二年︵一六五六︶まで京都所司代板倉重宗領︑ふたたび幕

府領となり︑元禄六年︵一六九三︶から宝永二年︵一七○五︶まで柳沢

吉保領︑続いて同五年までが高崎藩松平輝貞領︑みたぴ幕府領にもどる︒

なお︑正徳三年︵一七一三︶三百石が近衛領となり︑これが享保三一年

︵一七二七︶に収公きれたあと︑文久二年︵一八六二︶一千石が九条家

領に組入れられ︑明治維新を迎える︒

文書の中で池田村がもつ特性を示すものとしていくつかのものを取り

上げ紹介することとする︒まず︑村支配の形態である︒

近世の池田村がもつ特質のひとつとして︑正保期から正徳期にいたる

間にみられる株分けによる支配がある︒すでに︑松下万里子氏によって

④詳細な検討が加えられているように︑池田村は上池田株・西池田株・中

池田株・下池田株・池田町株の5株に別れている︒この株分けは池田村

を地域で区分するのではなく︑それぞれの家がいずれかの株に所属する

というものでありながら︑それぞれの株は一方で下記に示すように︑池

田村を構成する面としての町々を持っているのである︒ それぞれの株には︑

庄屋・年寄・百姓代が置かれ︑ざらに︑江戸時代後期には池田村全体を

統括する取締役とは別に︑各町には町行事が配きれている︒

つまり︑池田村は一二の町と宇保から構成きれ︑かつ︑五つの株に区

分きれるという独自の村政機構を備えていた︒この状況が百点を越える

﹁七︑村政﹂資料から知られる︒

○上池田株立石

町・上池田町・宇保

○西池田株荒木 町・林口町・田中

町・槻木町

○中池田株米屋

町・柳屋町・米山ノロ町・北新町・元新町・新材木町

○下池田株甲ケ谷

町・中之町・小坂前町・西ノロ町・大西

○池田町株東本 町・西本町・内田

町・寺内町となっている︒

繍職灘蕊難灘議簔鱈

94

「乍恐請書奉差上候」 (炭一件につき薩摩屋佐助井に奥郷惣代と掛合のため猶予願)

(5)

『未酒造米高帳』

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可印■︑ロ︒︒◆60.

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灘蕊蕊蕊蕊蕊蕊蕊蕊蕊謹登溌:謡謹塞蓋

『酒家用秘録』

つぎに︑在郷町として池田の経済・生産・交

通に関しても多くの文書が収められている︒

﹁二二︑炭﹂文書は︑生産地の村々と池田の

炭屋との炭買取り値段をめぐる争いに関するも

のがほとんどである︒生産地村々が池田の炭屋

が不当に低い価格で炭を買叩いているとして︑

薩摩屋佐助︑のちには北国屋金兵衛を一手に引

請け問屋に立ててこれに対抗したものである︒

池田の炭は︑﹁池田炭﹂の名で知られ︑香り

と火持ちの良さ︑また︑切り口が菊の花のよう

に美しいところから﹁菊炭﹂とも呼ばれ︑たいへ

ん珍重きれたものである︒これらの炭は︑池田

で生産きれるのではなく︑奥郷と呼称きれた現

能勢・川辺郡域で焼かれたものが︑池田で集散

されたことによりその名で呼ばれたものである︒

炭とともに池田を代表するものとして酒があ

る︒とくに︑江戸時代中期において︑池田は︑

伊丹とともに全国有数の酒造地として知られ︑

多くを江戸へ積み出している︒その後︑伊丹︑

つづいて灘の台頭をみるにいたり︑内陸部に位

置する池田は︑輸送経路や技術革新︑設備投資

などの面で大きく遅れをとることになり︑相対

的な衰退をみるようになるとはいえ︑やはり︑

一○七

(6)

り︑後者は︑当時の

池田での酒造マニュアルともいうべきもので︑酒造道具・酒造仲間・規

定をはじめ︑杜氏の食事内容にいたるまで事細かな記載を行った大厚の

⑤資料である︒後者についてはすでに柚木学氏によって紹介されている︒

また︑﹁二四︑市場﹂文書は︑﹁一三︑猪名川通船﹂文書・﹁一四︑池

田馬借﹂文書・﹁一五︑交通﹂文書とともに池田がもった物資集散地と

③:ゞ砿

池田のもつ特性とし

︺て注目される︒

﹁二三︑酒造﹂文

一﹂

い書は︑池田の酒造米 離高・酒造仲間・酒造

喰場・酒造道具などに

持関する酒造業全般に 鵬わたる資料が包括さ

柵れている︒とくに注

訴目されるものとして

剛は︑﹁未酒造米高帳﹂

燗や﹁酒家用秘録﹂な

細どがある︒前者は︑

乳一兀禄エハ年における

並摂津・河内・和泉の 斑酒造元の酒造米高を

かきあげたものであ 書籍類の整理︑目録化は肥田晧三先生のご指導により︑﹃蝸牛臆文庫

目録﹄︵二︶として総件数一六○八をあげ︑その特徴に基づき大分類七

⑥項目︑細分類五二項目が設けられている︒

その内容は︑

A総記

一総記二北摂資料三大阪資料

四林田家・稲束家他

B思相心 しての特性を示す資料として見逃すことができない︒

﹁二四︑市場﹂文書は︑池田の特権的な市場問屋仲間による仲間外商

人の問屋業への進出阻止に関するものや出買・途中買禁止︑また︑市場

取替銭に関する資料が中心である︒﹁一三︑猪名川通船﹂文書は︑猪名

川に船を通そうとする船方の願いに対し︑池田村馬借たちがその差止め

を願ったことに関連して作成されたもの︑また︑﹁一四︑池田馬借﹂文

書は︑瀬川・半町の馬借と池田馬借との争いを示すものが中心となって

いる︒

このような文書以外にも︑年貢率の変化や領主変遷の様子︑また︑各

町の人口の推移や婚姻関係などを知ることができる経年の文書群などが

収められており︑池田の近世史の再構築に今後どのように生かざれてい

くか期待するところが大きい︒

三書籍類

一○八

(7)

F語学

G文学 一中国古典哲学

︵国学︶

六宗教

C歴史

一歴史四楠正成

七維新志士・明治史

一○山川正宣

D社会科学

一法制四女訓書

学・物産・技術

E芸術

一美術

五諸芸︵茶・碁・弓︶

一文学四中村良顕

七与謝蕪村

一○田中桐江

一三頼山陽 二和歌五連歌八松下一扇・井上春遅

二清地以立

一四橋本香波 二源頼光五赤穂義士八多田院・多田庄

二伝記

二絵画

四蒙刻

六謡曲 二古銭五懐徳堂 二鎌垣春岡叢書四仏教書

三家集

六俳諮九漢詩文

一二荒木李諮

一五中国古典 三安徳帝六天詠組九池田氏一三後藤捷一七関取千両幟 三書道・法 三教育六数学・相 三日本思想五西国巡礼

池田における和歌・俳譜の流れは︑一五世紀後半︑摂津の有力な国人

池田氏のもとに往来した松下正広・飯尾宗祇・牡丹花肖柏らにはじまる︒

池田氏は︑この地に一四世紀には頭角を顕し︑その勢力を拡大しながら︑

この段階には軍事的・経済的繁栄を誇ったことが知られている︒文明一

文学一六狂歌

これらの書籍類について︑本文庫が持つ特徴的なものをあげると︑ま

ず︑A総記としてあげた二北摂関係が注目される︒池田を中心に︑北摂

地域で出版きれた書籍︑また︑この地域を取り上げた書籍であり︑現在

では入手はもちろんのこと︑出版自体がほとんど知られていない小冊子

までもが含まれている︒また︑C歴史の二源頼光・三安徳帝・四楠正成・

八多田院・多田庄なども︑この地域が持つ歴史的特性に準拠して収集き

れたものであるといえる︒

もっとも注目すべきものとしてG文学がある︒すでに述べたように︑

江戸時代以降の池田は︑在郷町として経済的繁栄をみ︑これを背景に文

化の隆盛を見ることになる︒詳細は後述するが︑C歴史の一○山川正宣

についてもこの関連で理解きれるものである︒

また︑B思想の二鎌垣春岡叢書は︑安平翁が春岡に師事していたこと

によるものと考えられ︑多くの稿本が含まれているし︑C歴史の五赤穂

義士などは良平翁の嗜好によって収集きれたものであると聞き及んでい

⑦ここでは︑とくに︑G文学についてその内容を紹介することとする︒

和歌・連歌・俳譜

一○九

(8)

蕊灘江らの手にょ↓て編まれ

凝議溌溌溌激蕊蕊薩篭篭溌諜綜蕪藤奪総溌蕊蕊蕊諦

﹄溌溌雛溌溌錘蕊織溌鱗蕊難溌議議蕊雛議蕊蕊

ら一六世紀初頭のこととされている︒

肖柏が池田をさってから一時低調な時期を迎えるが︑一七世紀なかば︑

明暦のころ︑松永貞徳の貞門俳譜に親しむ佐伯一族の名が貞徳門の安原 四年︵一四八三︑宗祇らが摂津湯山︵有馬︶へ向かった折︑池田正種はかれらを招き﹃何人百韻﹄を興業している︒この種の興業はその後何度もこの地でもたれることになった︒さらに︑

ている︒池田でとくに注目される

肖柏は︑正盛との関係が深

く︑かれの庇護のもと居を

京都からこの地に移し︑﹁夢

庵﹂という草庵を結んでい

る︒池田到来の時期は明確

ではないが︑一五世紀末か 貞室編﹃玉海集﹄にみえ︑寛文年間には同門の津田道意︵一六○五一六九六︶が池田に居を移している︒その後西山宗因の談林俳譜が隆盛し︑かれ自身池田の酒造家菊屋を訪ねている︒ざらに貞徳の孫弟子平間長雅︵一六三五一七一○︶が池田久安寺に隠棲し︑この地に大きな影響を与えることになった︒また︑一七世紀後半には阪上稲丸二六五四一七三六︶が出﹃俳譜呉服絹﹄を編んでいる︒

一方︑呉春の到来に触発

された天明年間から一九世

紀前半︑文化・文政期は︑池田の和歌・俳譜が全盛を極めた時期にあた

る︒蕪村の門人で︑池田に呉服の出店井筒屋をもった川田田福・酒造家

大和屋山川星府︵一七六一一八二四︶らに続いて︑酒造家菊屋の井関

左言︵不詳一八一九︶・井上遅春︵不詳一八一二︶・三条家の俳譜興

業に招かれた松下一扇二七九四一八三○︶や阪上呉老︵不詳一八

三四︶らが輩出している︒

(9)

本文庫には︑池田の名所旧跡などに関係のある漢詩・和歌・俳句を選

集し︑また︑池田を代表する画家で︑呉春に師事した呉服神社の神官馬

場仲文︵不詳一八三○︶が挿図を描いた井上遅春編﹃呉江奇覧﹄︑松

下二扇の稿本類をはじめ︑ここにあげたひとぴとの編著になる多くの書

籍類が収められている︒また︑伊丹などとの交流からか︑幕末の歌人で

あり国学者であった中村良顕の稿本類なども含まれている︒

学問と漢詩文

荒木李鶏稿本『大東昭代詩記』

池田における学問と漢詩

文の隆盛は︑享保九年︵一

七二四︶田中桐江の到来に

端を発する︒時に桐江五七

歳であった︒

桐江は︑寛文八年︵一六

六八︶出羽庄内に生まれ︑

元禄一二年︵一六九九︶禄

二百石︑儒学もって柳沢吉

保に仕え︑将軍綱吉に経書

を講じたこともある人物で

ある︒しかし︑正徳三年︵一

七一三︶吉保の姦臣を斬っ

たことにより江戸を出奔︑

仙台に身を隠した︒ 桐江の池田招聰に重要な役割を果たしたのは︑摂津芥川の光徳寺の僧濁麟︵一六七七一七四二であった︒両者は桐江が仙台に走る以前︑すでに江戸で交わりがあり︑濁麟は︑桐江に柳沢家旧領の池田隠棲を勧め︑自らが住持を兼ねていた池田木部の東明寺に招いたとされる︒

桐江の池田来往の報は︑すぐに近在近郷に伝わり︑かれのもとに濁麟・

荒木適翁︵一六八九一七四八︶・平野端的斎︵不詳一七六九︶・清地

以立︵一六六三一七三四︶・清地以悦︵一七○○一七五九︶ら多く

の好学の士が集まった︒かれらは︑桐江のもとで講説を聞き︑漢詩文を

賦し︑さらに︑桐江を

盟主とする﹁呉江社﹂

を設立している︒呉江

社の名は︑呉は古来池

田が﹁呉庭﹂とよばれ

たことに︑また︑江は

猪名川の清流に由来す

るものといわれている︒

桐江が池田で亡くなる

寛保二年︵一七四二︶

までの一九年間︑呉江

社の同人は百十四名の

多きを数え︑かれらは︑

東は京都︑南は大坂︑

西は尼崎と摂津一円に

一一一

(10)

及んだといわれている︒呉江社の門人によって歳首歳晩の詩集を毎年一

冊づつ多年にわたり編蟇︑発行された﹃呉江水韻﹄︑また︑門人等のた

めに桐江が制作した詩文集﹃樵漁餘適﹄などが収められている︒

桐江の足跡は︑かれの門下にあった荒木蘭皐︵一七一七一七六七︶︑

その子李諮︵一七三六一八○七︶に引き継がれ︑隆盛を迎える︒

蘭皐は︑享保二年︑道明寺屋吉左衛門こと富永芳春の四男として生ま

一鯛

馬寅(馬場仲文)編『展観書画品録』

れた︒芳春は︑懐徳堂開設に尽

力した五同志のひとりで︑蘭皐

も懐徳堂開講と同時に入門し︑

三宅石庵らの教えを受けている︒

ところが︑同一二年︑池田の酒

造家鍵屋荒木適翁の養子となり︑

池田に移る︒

適翁は︑すでに述べたように︑

桐江の門下であり︑蘭皐も懐徳

堂に通うかたわら桐江のもとで

詩文の才をみがき︑多くの文人

たちと交わり︑池田での漢詩文

の隆盛の礎を築いた︑また︑薗

皐の兄︑加上説を説いた当代屈

指の思想家富永仲基も桐江のも

とで深い感化を受けたといわれ

ている︒元文元年︵一七三六︶ に生まれた蘭皐の子李鶏は︑七二年の生涯を漢詩文をもって終えたといっても過言ではないとぎれる︒また︑懐徳堂の中井竹山・三宅春楼・中井履軒︑また︑混沌社の片山北海・葛子琴・頼春水らとの深い交流も知られ︑大坂と池田を結ぶ太い文化のパイプとしての役割も果たしていた︒後年親交があった頼春水がその才を絶賛したことはまさに的を得たものである︒本文庫には︑かれの稿本﹃東雅﹄・﹃大東昭代詩記﹄などが収められている︒

このように隆盛をみた池田文化ではあったが︑李諮亡き後︑求心力を

急速に喪失し︑衰微の途を辿ることになる︒この中で注目される数少な

い人物に当時池田最大の酒造家西大和屋の当主山川正宣︵一七九○一

八六三︶がある︒かれは︑京都上賀茂神社の神官賀茂季鷹に師事し︑和

歌・国学を修め︑大和薬師寺にある仏足石の碑文に関する論孜﹃仏足石

和歌集解﹄や神武天皇から平城天皇にいたる御陵に関する﹃山陵考略﹄

などを著した国学者である︒

ここに紹介したものは︑本文庫のごく僅かの部分でしかない︒他の分

類︑たとえば︑E芸術の一美術では︑呉春をはじめ池田に関連のある画

家たちの展覧目録なども含まれ︑池田は当然のこととして︑池田と大坂︑

また︑摂津地域︑さらには︑京都などとの関連を明らかにする資料が存

在している︒江戸時代以降︑北摂において池田がもった文化的・歴史的

位置を余すことなく示すものである︒ 一一一一

(11)

自身の研究がより深まることを念願する次第である︒ に沿い︑今後これらの資料がより広く活用きれると同時に︑本文庫資料 化の顕彰に努められてきた︒池田市立歴史民俗資料館では︑そのご遺志 継承・保管し︑数々の公開・収載の求めにも快く応じられ︑長く池田文 ついて紹介した︒これらの資料は︑林田良平翁が生涯にわたり︑大切に 今回池田市立歴史民俗資料館の所蔵する﹁蝸牛臆文庫資料﹂の一端に

七六五 四三二一

おわりに

﹃蝸牛濾文庫目録﹄︵二︶池田市立歴史民俗資料館一九九四

林田良平﹁近世池田の文人展望﹂︵池田市立歴史民俗資料館昭和五六年

度特別展﹃近世池田の文人﹄図録︶池田市立歴史民俗資料館一九八一・

田中晋作﹃池田文化と大坂﹄︵池田市立歴史民俗資料館平成四年度特別 柚木学﹁池田酒家用秘録﹂︵日本酒造史学会﹃酒史研究﹄七︶ 出版一九八四 肥田晧三﹁林田良平﹂︵﹃大坂春秋﹄七○︶一九九三﹃新版池田市史﹄概説編池田市史編纂委員会一九七一﹃蝸牛蘆文庫目録﹄︵二池田市立歴史民俗資料館一九九三松下万里子﹁畿内在郷町における町政機構l摂津国池田の場合l﹂︵梅渓昇教授退官記念論文集刊行会編﹃日本近代の成立と展開﹄︶思文閣 参考文献

稲束猛・吉田鋭雄﹃池田人物誌﹄上・下一九一三・九二三 展﹃池田文化と大坂﹄図録︶池田市立歴史民俗資料館一九九二

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参照

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