第 Ⅱ 章 調 査 概 要
1調 査 の 経 過
平 城京右 京 八 条 一坊 十三・ 十 四坪 にかかわ る発掘調査 は
,大
和 郡 山市北部 清掃 セ ンター周辺 整備 事業に伴 う事前調査 として行 なった ものであ る。調査 は,1984年
か ら1986年 にかけて4次
5回
にわた って総面積7,500m2に
及 んだ。これ らの調査 は
,本
調査 とそれ に先立 つ予備調 査及 び補 足調査 とに分 かれ る。1984年12月の調査 は
,予
備 調査 として,大
和 郡 山市教 育委員会が行 ない奈 良国立文化財研究 所 が協 力 した調 査,及
び1985年 2月に奈 良国立文化財研究所 が 行 な った 調査 (第15632次
調査
)で
あ る。まず
,予
備調 査 は,十
四坪 のほぼ中央やや東北寄 りにおい て行 な った。調査 の結果,そ
れ ま での予想 とは異 な り,中
世 の上取 りな どに よって地 下遺構 が破壊 され る こ とな く,奈
良時代 の 遺構 が良好 に保 存 され て い る ことを確認 し,漆
紙 文書 な どの貴重 な発見 もあ った。続 いて実施 した第156‑32次 調査 は,前
記調査 区の西 に接 す る地域 を対 象 とし,井
戸1基
のはか,建
物 や土 坑 な どを検 出 し,上
記 の調査 と同様 の成 果 を得 た。この
2回
の調査 に よって,こ
の地 区が鋳造・ 漆工工房関係 の場所 であ る ことが判切 した。以上 の成 果 に よって
,本
調査 が必須 の情勢 とな り,関
係機 関 の協議 の結果,本
格的 な発掘調 査 を実施す る こ とを決定 した。発掘 に要す る費用 は大和郡 山市 が負担 し,発
掘調査 は大和郡 山 市 の依頼 を受 け て奈 良 国立文 化財研究所平城宮跡 発掘調査 部 が あた る こ とに な った。1985年7月か らの本調査 では
,発
掘 の総面積 を6000ド として開始 した。 この調査 は面積 の 関係 で, 2回
に分 けて実施す ることにな り,そ
れぞれ,十
三坪 を対 象に第168次南調査,及
び十 四坪 を主体 に第168次北調査 と名づ けた。 この調査 では
,あ
らた に,多
数 の宅地 関係 の遺構 も検 出 され,鋳
造 工房 との関連が注 目された。ただ し,予
備 調査 区 と本調査 区 との中間地 帯は 未買収地 が存在 したた め,ひ
きつづ いての調査 は見 送 られ る こととな った。翌 1986年 度 には
,中
間地 帯 の土地 買収交渉が完了 し,調
査 が可能 とな った ため,協議 の結 果, 前年度残 され た両調査 区をつ な ぐ補足調査 を実施す る運 び とな った。1986年 度 の調査 は十 四坪 を対象に して11月に開始 し
, 2箇
月 を要 した。 これ が第179次調査 で あ る。 この調査 で も,予
備調査 と同様,鋳
造 工房関係 の上坑,井
戸,掘
立 柱建物 な どが検 出 された。 1987年 度 には,報
告書作成 に関す る協議 が もたれ,1988年
度 の刊行 とし,内
容 は,本
調査 と補足 調査 の成 果 を中心 とし
,予
備調査 の成 果 も一部 盛 り込 む ことで合意 した。2調 査 地 域
今 回の調査地 域 で あ る平城京 の南辺 (八条 。九条
)は
奈 良市域 と大和 郡 山市域 に またが る。この地域 におけ る従来 の主要 な調査 につ いて両市域 あわせ て概 観 してお きたい (Fig l・ 2)。
今回 の調査地 の西方 は
,比
較 的複雑 な地 形 を とる西 の京丘陵 にかか る。西 の京丘陵では,こ
れ までの数次にわ た る発掘調査 が行 なわれてい るが
,男
確 な条坊 の遺構 は検 出 されてお らず,この地域 の条坊 施工 の実態 の解 引は
,今
後 の調査 に課 せ られ て い る。一方
,平
坦地 に属す る 右京八条―・ 二坊 ない し 同九条―・二 坊 では 大 きな 成果 をあげてい る。羅城 門
平城京 の正 門で
,京
最 大 の関であ る。羅城 門 の遺構は,1970年
の調査 で佐保川 の堤防 下 に存在す る ことが判 粥 し,そ の規模 。構造 が明 らかになった。 あわ せて朱雀大路西側溝,九 条1)
大路北側築地 とその側溝 なども検出され,平城京の表玄関の様相が切 らかになった(Fig.外A)。
右京
西市は
,東
市 と並ぶ京の官営市場で,京
の流通経済の中枢 をになった施設である。西市 の範囲は,現
在,右
京八条二坊五・ 六・十一 。十二坪に比定す る説が有力である。五・十二坪 では,八
条大路北側溝,建
物,塀 ,井
戸,溝,土
坑 などが検出 され,多
足机天板な ど特色ある 遺物が出上 している。 しか し,中
世 ない し近世の粘土採掘で奈良時代の遺構は,い
ちじるしく2)
破壊 され
,市
の構造を示す決定的な遺構・ 建物は検出されていない (B)。□ │ │
│ ││ ││ ││ ││ │
□ □ □ │ │□ □
□□ □□□□□□
凹□ □□□□□
目
□ 田
□ □ 劇 配
□
□
□
七 条 人 条
□
□
□
□ 畳
□
1)大
和郡山市教育委員会『平城京経城門跡発掘調2)奈
良国立文化財研究所『平城京西市跡―右京八査報告』1972。
条二坊十二坪の発掘調査』1982。
□
□ 固
□
□
□
□
□
□
□
□
□ □ 団 団
□
□□□□□
二坊
三坊
四坊
平城京条坊 と調査位置 図
0 1000m
Fig l ―
平 城 宮
典福寺
副
舒
右京 八 条一坊十一坪 では中世 の上取 に よる遺構 の破 壊 がいち じる しか った。 しか し
,か
ろ う じて残存 した奈 良時代 の井戸か らは,漆
関係 の遺 物(Fig.3)も
出土 し,西
一坊坊間路西側溝 出上 の未 完成 品を含 む多量 の鋳造関係遺 物 とともに,十
一坪 に鋳造や漆工関係 の工房 の存在す る こ とを示 唆 した。 また,西
一坊坊FHl路西側溝 が通常 の道路側溝 と異 な り,物
資輸送 の機 能 を もつ大規模 な通河 であ る ことも判 明 した。 さらに,多
量 の土製,木
製,金
属製 の祭祀遺物 な ど1)
が 出上 してお り
,祓
川 としての機能 や西 の京 丘 陵 か らの放水路 の役割 も想定 された (C)。県道 九 条城廻 り線 や市道 九条線工事 関連 の調査 (Dl〜
3)で
は,九
条大路 の遺構 とともに,小
2)
型海獣葡萄 鏡
(Fig.4)や
近辺 に 存在 が推定 され る観音寺 の所用瓦 も出土 した。この他
,右
京 におけ る条坊関係 の調査 としては,右
京 九条 四坊七 な い し十坪(E),右
京 八 条3)
二 坊十 四坪
(F),右
京九条三坊十二坪,右
京 八 条一 坊 西一坊大路(G)な
どの調査 があ る。 │ 左京左京八条
,九
条 の状 況 をみて い きた い。 この部分 は奈 良市 内に含 まれてい る。 これ まで 特筆 され る調査 として,東
市,左
京 九条一 坊五・ 十二坪,左
京 九条三坊十坪,左
京 八条三坊,の
左京八条一坊三・ 六坪
,左
京九条東 堀河(H)な
どが あげ られ る。東 市 は
,西
市 と並 が官営市場 であ り,現
在 では,左
京 八 条三坊五・ 六・ 十一 。十二坪 に比 定 す る説 が有 力であ る。奈 良市教育委員会 に よる計画的 な調査が継続 され てお り,市
推定地 の北 西5)
部 に櫓状 建 物 や
,堀
河 にかか る橋 な どが検 出 され て い る (I)。左京九条一坊五・ 十二坪 では
,大
規模 な河川跡 と岸部 で特殊 な土坑 群 が多数検 出 され,多
量 の上馬 な どが出上 している。京 内河川,
特 に 佐保)││の旧流路 に関 し,
新 た な 知 見を もた らし6)
た。 また
,特
殊 な土坑 群 は京南辺部 の特殊 性 を うきば りにす る(」)。左京八条三坊九・ 十・ 十五 。十六坪 は
,約
9000ド に お よが大規模 な調査 で,九
。十坪 を中心 に建物90棟余 りが検 出 され
,1/16町
な どの宅地割 が確認 された。 また,増
渦,輔
羽 口,漆
用ノヽ 条
九 条
1)奈
良国立文化財研究所『平城京右京八条一坊十 一坪発掘調査報告書』1984。2)奈
良国立文化財研究所『平城京九条大路―県道 城廻 り線予定地発掘調査概報I』 1981,同 『昭和 56年度平城概報』1982,同 『市道九条線関係遺跡 発掘調査概報 I〜 Ⅲ』1983〜1985。3)奈
良県立橿原考古学研究所「平城京右京九条四 坊 七・八・ 九 。十坪 発掘調査概報」『奈良県遺跡 調査概報 1984年度』 1985,大 和郡山市教育委員 び会『平城京右京八条二坊十一・ 十四坪発掘調査概 要報告』1984,大 和郡山市教育委員会『平城京西 一坊大路』1987。
4)奈
良国立文化財研究所『平城京東堀河―左京九 条三坊の発掘調査』1983。5)奈
良市 教育委員会 『平城京東市 跡推定地 の 調 査 I〜 Ⅳ』 1989〜1986。6)奈
良県立橿原考古学研究所附属博物館『大和を 掘 る‑1985年度発掘調査速報展Ⅵ』1986。筋 羅城 門 ̲̲坊 ON
Fig.2 平城京南辺 (八条 。九条)と調査位置図
の刷毛 な どの出土か ら鋳造工房
,漆
工 の工房 の可能性が指摘 されている。東市 の北辺 には,深
さ約
1,4mの
堀河 が検 出 され,墨
書 土器,上
馬 な どが 出上 して い る1) (K)。左 京八条一坊三・ 六坪 では
,漆
紙 文書 な どを伴 う奈 良時代 の遺構 以外 に,中
世 佐 保 川 の旧i左路
,大
和平野では例の少ない古墳時代中〜後期の集落が検出されている2) (L)。左京九条三坊では小規模 な宅地割の実態があきらかになった。二行八門制に よる1/16町宅地 が奈良時代前半か ら形成 されてお り
,奈
良時代後半には細分 され従来史料上でのみ知 られてい た1/32町宅地が初めて遺跡で認め られた (M)。最後に京 の外縁部に触れておこ う。
羅城門の南約
0.2kmに
長塚遺跡がある。 この遺跡はいわゆる京南辺特殊条里に含 まれ,そ
の復原案に合致する溝が検出されている。 また
,直
径,深
さともに1.5mほ
どの上坑が6基
あ り,建
物 も5棟
検出されている(N)。 出土遺物か らみて,奈
良時代に属 してお り,平
城京 と時 間的に並行 していることは確実である。従来の ように
,京
の南部にIよ,都
城 の景観 と対照的に水田地帯が広がるといった これ までの 景観復原に再考をせ まることになろ う。以上
,京
南辺部の調査を槻観 して きた。その調査はまだ緒についたばか りであ り,今
後の発 掘調査の進展が期待 され る。東西両市の周辺で大規模な調査が実施 された結果,両
者の遺跡が 共通の様相を示す ことも大いに注 目され るところである。Fig 3 十一坪井戸 SE 930出 上の漆容器の 曲物 (114)
1)奈
良目立文化財研究所『平城京左京八条三坊発 掘調査概報―東市周辺東北地域の調査』1976。2)奈
良目立文化財研究所『平城京左京八条一坊三・ 六坪発掘調査報告書』1985。
Fig.4 九条大路北狼1格出上の 海獣葡萄銃 (3:4)
3)奈
良国立文化財併究所『 平城京左京九条三坊十 坪発掘調査報告』1986。4)大
和郡山市教育委員会『 長塚遺跡発掘調査概要 報告書』1987。3調 査 概 要
今回報告の対象 とす るのは
,1984年
度か ら1986年度にかけて調査 した奈良県大和郡山市九条 町,す
なわち平城京右京八条一坊十三坪及び十四坪にかけての地域で,調査総面積は,7,414m2
である。各調査地区は,奈
良目立文化財研究所 が行 なっている平城京発掘調査の地区設定 に し たが って,大
地区を 6 AII区,中
地区を南か らQ・PoO区
と定めた(Fig.5)。 各調査 ごとの 期間,地
区名,面
積等はTab.1の
とお りである。条坊
調査 次数
調査地 区名
調査期 間
調査面積 (ぽ)
十 四坪
大和 郡 山市
6AH― O区 1984.12,19〜 1985.2.18 890
十 四坪
第
15632次 6AH― O区 1985,2.20〜 3.2 324
十三坪
第 168次 南
6AH― Q区 1985,7.10〜 10.4 2,200
十三・ 十 四坪
第 168次北
6AH一
Q・P区
1985.10。4〜 1986.1.27 2,900
十 四坪
第 179次
6 AII― O区 1986.11.7〜 12.26 1,100
Tab.1
各次調査の期間 と面積Fig.5 6AH地
区地区割図 (斜線部 ;条坊遺存地割)ここで
,今
回報告す る調査 区におけ る地 区設定 につ いて述べてお きたい。従 来
,地
区 の設定 につ いて は,大
地 区が お お よそ決 め られているだけで,細
か な中・ 小地 区 の設定 は調査 の際 に個別 に行 な うのが通例 であ った。そのため1),同
じ大地 区内で も場所 に よっ て は小地 区が微妙 にずれた りす ることもあ った。調査件数が激増 し,調
査主体 も多様化す る傾 向 にあ る今 日, こ うした地 区設定 の体系化 が急務 となっている。右京八条一坊 におけ る調査 は, 1983年の第149次調査 (6 AI卜
0,N区 )が
最 初 で,
その 時 に中 。小地 区を設定 している。 その方法 は,八
条大路 と西一坊坊間大路 の交差点心 を朱雀大 路 の国上方眼第Ⅵ座標系に新す る偏度 (NO° 15′ 41〃W)を
考慮 して推定復原 し, この位置 に 最 も近似す る3の倍数値(X=‑149,215 Y=‑18,572)を
選択 して6AH― AA01区
の東 南 隅 とした。ただ し,こ
の地 区設定 の方法 は,本
発掘調査 時 におけ る暫定的 な ものであ り,今
後
,平
城京 全域 にわた る地区設定 の体系化 が のぞ まれ る。3の倍数値 とした理 由は
,小
地 区が3mを
一辺 とす る正方形だか らであ る。6AH一 Q区
はAか
らUま
で, 6AH― P区
はAか
らLまで,そ
して6AH― O区
はNか
らTま
で の アル フ ァベ ッ トを用 いて小地 区を設定 した。 ただ し,第
156‑32次 調査 の6AH―
O」,OK区
は,第
179次 調査 の6A■‑OF,OG区
と重複 して いる。以下 に
,各
次数 ごとの調査概要 を述べ る。 ただ し,調
査 の時点での見解 であ るので,そ
の後 の遺構・ 遺物 の全面的 な検討 に よって,解
釈 を改 めた点や新 たに判 男 した ことも少 な くない。A
大 和 郡 山 市 調 査この調査 は十四坪 に関す る最初 の調査 であ る。調査区は
,十
四坪 中央北寄 りに位置す る。調査地 周辺 の これ までの調査では
,た
とえば,右
京 八条二坊十二坪 (西市 第1〜 3次
調査)とか右京八条一坊十一坪 (第 149次調査
)の
よ うに,中
世 の上取 りに よって奈良時代 の遺構 が い ち じるし く破壊 され ている場合が多 か ったが,今
回の調査 区には こ うした土取 りは全 く認 め られず,旧
水 田耕上下1.Omで
奈 良時代 の遺構 が良好 に遺存 していることがわか った。検 出 した主 な遺構 は建物
,塀,井
戸,土
坑,溝
な どであ る。建物 は
, 2間
×3間 ,あ
るいは2間
×2間
な どの規模 であ るが,
うち1棟
は, 2間
に3間
の 総 柱 の大型建物 であ る。井戸は,方
形縦板組,横
桟 を もつ構造 で,井
戸枠 内か ら土馬,檜
扇, 箸,竪
櫛,柄
杓,折
敷 な どの木製品が良好 な保存状態 で出上 した。 炭化物 土坑 は,
十 数基 あり
,狭
い部分 に集 中 してお り,形
態や大 き さは一定 しない。 その大部分 に灰 層 の堆積が あ り, なか には底面や壁 の部分が火熱を受け,焼
け しまって い る土坑があ る。同 じよ うな土坑群 は左 京 三条四坊七坪 (第116次調査)で
もみつ か って い る。 また,坑
内か らは,靖
禍,羽
口,鉱
滓 が 出土 した。 また溝状の土坑 か らは漆 の付着 した土器が多量 に出土 した。須恵器の重がほ とん どで,
漆 の貯蔵容器 と 思われ る。 漆 の乾燥 を防 ぐため,
口頸部 に差 し込 んだ栓 も出土 して い る。 これ らとともに漆紙文書 も出土 した。この よ うに
,漆
の付着 した土器や鞠羽 回を出土す る炭化物土坑 な どか らみて,鍛
冶や 漆工 に 関係す る工房が存在 した と 思われ る。 東市 に 隣接す るf左京八条三坊九・ 十坪 (第93・ 94次 調1)奈
良国立文化財研究所『平城京左京三条二坊』2)奈
良国立文化財研究所『平城京右京八条一坊十 1975,p.51「 平城京跡発掘調査要綱」参照。一坪発掘調査報告書』1984,p.2。
査
)で
も,漆
工に関す る工具 などが出土 してお り,今
回の調査を含めて,市
の周辺には多分野 にわ た る工房 が存在 した可能性が高 まった。1)B 第 156‑32次 調 査
先 の調査 区の西に接す る部分 を対象に調査 を行 ない
,東
と同様,井
戸 を中心 として建物,塀
か らなる区画 がつづ い て存 在 す る ことを切 らか に した調査 であ る。
検 出 した主 な遺構 には
,建
物 10棟,溝 3条 ,井
戸1基 ,土
坑 多数 が あ る。この調査 区で も土坑
,溝
に は,焼
土,炭
化物 を含 む ものが多数 あ り,
と りわけSB 2065の南 方 には多 数 の炭化物土坑 が密集 していた。調査 区 の北端 には東 西方 向の溝 があ り,十
四坪 の北 か らほtゞ 1/4の 位置にあた り,坪
内の区画にかかわるもの と考 え られた。井戸枠内か らは奈良 時代前半 の土器や,軒
丸瓦6225C型
式,軒
平瓦6646B a型式のほか,曲
物・折敷 。櫛・ 刀子・鉄鏃・ 鞠羽 口・ 骨など多様 な遺物が出土 した。
調査区全域における多量の焼上の存在 とともに この場所 が東 と一連の鋳造工房である可能性
2)
が強 くな った。
C第 168次 南 調 査
先の調査区の南方約
80m,十
三坪の北半西寄 り部分を対象にした調査である。 この調査は十 三坪におけ る最初の発掘調査で,十
四坪におけるような状況が この坪に も及んでいるか ど うかも調査前の大 きな関心であった。
まず調査区の上層は
,水
田耕土直下に川の氾濫 の痕跡 とみ られ る厚 さlmを
越す砂層の堆積があ らわれた。 このため
,当
初は奈良時代の遺構 はすべて失われているか とも思われた。 しか し,調
査 の進展につれて,そ
の砂層堆積の下に中世の整地層を介 して奈良時代の遺構が良好に 遺存 していることがわかった。 この砂層堆積は北 の十四坪の調査区に くらべて南ほ ど厚 くなっ てお り,
この場所が近世初頭に秋篠川の付け替えに よって東へ直角に曲げ られた場所に近いた め特に厚 く堆積 した もの とみ られた。検出 した遺構には
,建
物・井戸・ 土坑・滞 などがあ り,大
きく3時
期 に分け られ る。I期
東を南北方向の道路で画 し
,坪
の 1/4を 一体 とす る地割で,最
も整 った建物配置を もつ 時期 である。主屋は,身
舎5間 ,梁
間2間
北庇付 きの東西棟で,
この北の東西に2棟
の南北棟 を対称におき,コ字形配置 とす る。 さらに,主屋か ら南に離れて東西棟(身舎3間,梁
間2間
南 庇付)が
あ り,西
北に総柱建物2棟
と南北棟4棟
がある。 この時期には,井
戸2基
を伴 う。H期
塀 お よび南北溝に よって,先
の1/4町が4分
割 されて,1/16町
を単位 とする4区
画に変 わ り,主
屋 と副屋か らなる2ないし3棟
の建物 と井戸1基
が基本的な構成 となる。III期
地割のための南北溝が廃 され
,1/8町
を単位 とす る東西に長い2区
画 となる。北半の区 画は,主
屋・総柱建物か らな り,南
半の区画は,主
屋・ 副屋・ 総柱建物か らな り,そ
れぞれに 井戸が付属す る。これ らの遺構の年代は
, I期
が8世
紀前半から中 ごろ,Ⅱ
期が3世
紀中 ごろから後半,Ⅲ
期1)奈
良県立橿 原考古学研究所 附属博物館『 大和 を2)奈
良 目立文化財研究所『 昭和59年度平城概報 』掘 る‑1984年度発掘調査速報展』 1985,p.58。
1985,p.65。
rθ
が
8世
紀後半から8世
紀末 と考 え られ る。I期の遺構は
,
コの字形配置の建物を中心にして,多
数の付属建物を伴 ってお り,通
常の宅 地 とい うよりは,官
衝的な色彩が強 い と考 え,Ⅱ
・Ⅲ期の遺構については,基
本的には宅地 として も
,工
房にかかわ るものの宅地 である可能性を考 えた。宅地割では
,正
方形の1/16町地割がは じめて姿をあ らわ した。 これまでに知 られている1/16 町宅地 は,横
長であったので今回新たな分割方式が知 られた ことになる。この調査では
,地
鎮具を含む土器埋納遺構3基
も検出 した。そのほか海獣萄萄鏡,あ
るいは1)
鉄鉗
,砥
石 な どの鍛冶具等 の出土遺物 も注 目された。なお
,こ
の調査 と併行 して,十
三坪 の南端で,県
道拡 幅 に伴 う小規模 な発 掘調査 を行 ない, 羽 口を合 む奈 良時代の上坑(Fig.6'SK 2090)な
どを検 出 した (第 164‑10次 調査)。D 168次 北 調 査
この調査地 は
,大
部分十 四坪 に属 す るが,調
査 区の南端 で168次南調査 区 と重 複 させ前 回の 調 査 の及 ば なか った十三坪北端 の様 相 を も明 らかに した。 この調査 で も土層 の状 況 は これ まで と変 わ らず,上
に は,厚
い砂層があ ったが,中
世 の整地 層 の下 に,奈
良時代遺構面 が よ く残 っ て いた。遺構検 出面 の地 山は,十
三坪 に くらべ,粘
質 上 の部分 よ り砂質 の強 い部分 が多 い。この調査 で も
,前
回 と同様,
多数 の 遺 構 を検 出 した。この調査 では
,十
四坪 の遺構 を 中心 に,大
き く4期
にわけて考 えた。坪境小路 とその南北両側溝 は2時
期 あ り, I期
に は,古
い小 路 が,Ⅱ
期 〜Ⅳ期 には新 しい小路 が対 応 す る。1期
坪境小路 と
,十
三坪 。十四坪 との間 は,そ
れ ぞれ築地 で区画 され る。十 四坪 は,南
北方 向の築地 に よって さらに東 西 に2分
され,坪
内には4棟
の建物 が点在す る。H期
区画施設 が塀 に変わ り,1/32町
とい う,ひ
とつ の区画が,東
西約27m,南
】ヒ約12ない し15mの
東西 に細長 い宅地 に な る。 宅地 内の西端 に南北棟建物1棟 (桁行4間 ,梁
間2間
東庇 付)を
建 て,そ
の東 に丼戸1基
が あ る。 1/32町 宅地 は左京九条三坊十坪 (第 166次 調査)に次 ぐ 平 城京 で2番
目の発見 とな った。IH期
Ⅱ期 と宅地害よに大 きな違 いはな く,
宅地 内の建物構 成が 若千変 化す る。 東 南 の宅地 で は,東
西棟建物2棟
が南北 に並 ぶ構成 とな る。 この建物群 の西側 に2間
×1間の小型建物 があ りり,建
物 内に胞衣重 を埋 納 した 円形 の土坑 が あ る。 この建物 は,規
模や,胞
衣壷 の存在 か ら2)
産屋 では ないか と考 えた。 また
,西
北 の宅地 は,宅
地 が北 へ広 が り,東
南 の宅地 と同 じよ うに 東 西棟2棟
が建つ。IV期
この時期 には坪 を東西 に
2分
す る区画施設 が,2条
の素掘 り溝 に変わ る。 この時期 は, 全体 に建物密度 が うす くな り,宅
地 内に は,南
北棟2棟
が建つのみであ る。これ らの遺構 の年代は
,胞
衣壷 の年代 な どか ら, I・ Ⅱ期 が奈良時代前半,Ш
期 が奈 良時代 中 ごろ,Ⅳ
期 が奈 良時代後半 と考 え られ る。出土遺物 には
,坪
境小路両側溝,そ
のほかの溝,井
戸,土
坑 な どか ら多数 の上師器,須
恵器,3)
若子の瓦
,銭
貨などのほか羊形硯,漆
紗冠,富
本銭な どこれ まで出土例の少ないものがある。1),3)奈
良国立文化財研究所『Π召和60年度平城概2)こ
の建物は その後の 検討に より, 建物 として 報』1986,p.70お よび『年報1986』 198Ъ p.30。は,ま とまらないことが明 らかにな った。
E 第 179次 調 査
この調査区 は
,十
四坪 のほぼ中央 にあた り,大
和 郡山市調査 区・ 第156‑32次調査 区 と第 168 次北 調査 区 との間 の未調査地 を対 象 とした調査 で あ る。検 出 したお もな遺構 は
,奈
良時代以前 の斜行溝1条 ,奈
良時代 の塀5条 ,
建物24棟,
溝 4 条,井
戸3基 ,及
び炭化物 を多 く含 む土坑群 な どであ る。奈 良時 代 の遺構 は大 き くA・
Bの 2時
期 に大別 す る ことが で き,各
時期 は, さ らに細分 が可 能 で あ る。A期
道 路遺構 S F 1970に よって坪 内は東西 に2分
され,そ
の東半分 には,桁
行6間,梁
間 2 間 の南庇付 で,間
仕切 のあ る東西棟 が中心 にあ り,そ
れ を囲む よ うに建物,総
柱倉庫 が あ る。これ らの建物 の間をぬ うよ うに円形
,長
円形 の上坑 や,戊
化物 を多 く含む不整形 な土坑 が多数 存 在 す る。 と くに後者 の上坑群 の出土 品で は,対
渦,輔
羽 口等 の上製品のほか,帯
金具 の未製 品,留
針 な ど,鋳
造工房 と関連 す る ものが めだ つ。井戸 も含 めて,金
属製 品の製作 にかかわ る 遺構 と思 わ れ る。S E 1867からは,平
城官 と同箔 の軒平瓦 とともに,木
簡 も出上 した。B期
十 四坪 内が居住 区域 として細分 され る時期 で,十
四坪 中心 を東西に画す る道路遺構 はそ の まま踏襲 され,区
画塀 S A 1900な どに よって一坪 を さ らに1/16に細分 してい る。第 168次 北 調査 で は,一
坪 を1/32に 分割す る宅地割 が確認 され てお り,同
じ坪 内で も宅地割 に大小 のあ ることがわ か った。
これ までの調査成果 とを総合す る と
,十
四坪 の北3/4の 区域 と,南
1/4を 含めた十三坪 の区域 とは,遺
構 の様 相 が呉 な って い る こ とが 切 らか とな った。北側 は,灰
化物 を含む土坑群 を と も な う建物 を中心 に倉庫 な どがあ り,南
側 は,小
規模 な宅地 内に規格性 の高 い建物 が配置 され る 区画 で あ る。す なわ ち,十
四坪 の中では,北
3/4が金 属製品を製作す る工房,南
側 が呂住 区域 とい う使 い分 けがな されていた とみ られ る。 そ して,後に この居住 区画 は,さ らに北へ も及び,1)
宅地 を細 分 し,1/16あ るいは1/32町 の宅地 として利用 していた ことが明 らかにな った。
Y==―‑18,992 00
Fig.6 第16410次 調査実測図 (1:100)
1)奈
良国立文化財研究所『 昭和61年度平城概報』1987,p.75及び同『年報1986』 1987,p.30。ど2
3m
X=‑149,183.00
幽 廻 同皿 周 凹
4調 査 日 誌
A 大和郡 山市調査
6 AI卜
O地
区1984年12月 19日〜1985年2月18日 12・
19
調査開始。重機で表土除去にかか る。12・
22
調査区東部の遺構検出に入 る。12・
25
土坑 S K2001掘 り下げ。軒丸瓦や,多
数の漆貯蔵土器類出土。
1・
10
調査再開す るも降雪で中止。1・ 16 土坑 S K2016,2017掘 り下げ。いずれ も 黒色灰層が堆積 し, よく似た状況である。
1・
18
井戸S E 2020の掘 り下げ。檜扇,箸,曲
物な どが出土す る。
1・21 S K2051掘 り下げ。灰
,灰
粒を多量 に含 む。靖禍 出土。底 も熱を受け,バ リ′ミリした感 じ。1。
26
調査区西辺の精査 と掘 り下げ。焼土,演,灰等の堆積す る土坑が多い。
1・20 S K2046から多数の上師器出上。
2・ 2 S K2001の掘 り下げ完了。
2・
5
調査区南端で大型建物S B 1890検出。2・
3
写真撮影行な う。2・
10
実測用遣方設定開始。2。 12 S K 1886の 掘 り下げ。
2・
14
実測用遣方設定完了。2・
15
遺構実測を開始。2・
18
実測完了。調査打ち切 る。B 第 156‑32次 調査
6AII―
O地
区1985年2月20日〜 3月 2日
2・
20
発掘器材 の搬入。重機に よる表土除去は 半 日で終了。測量行ない地区杭打つ。2・
21
遺構検出開始。焼土,炭
を含む土坑や柱 穴見え始める。柱根 も数箇所残 る。遺跡のベース は南半部が茶褐色粘土,東
よりと北半部は砂質。遺物は灰褐上で取上げ。砥石
,上
器少量出土。2・
22
遺構の掘 り下げ開始。土坑 には焼土,炭
を含む もの多い。大量の上器を含む土坑あ り。上 坑 と柱穴の重復箇所では,ほとん ど柱穴が新 しい 傾向あ り。西南部のベースは堅 く締 まった暗褐色 粘土で若千の上器を合む遺物包含層。
2・
23
焼土を含む土坑はあるが,壁
自体が院け ているものは見あた らない。東西棟S B 2081は3×2間 でまとまる。
OM52区
の方形土坑は井戸粋 らしき板材がのぞ く。土馬,軒
丸瓦出土。2・
25
南端の上坑群を残 して一応遺構検出終え る。方形土坑は井戸 と確定 (S E 2070)。2・
26
南辺土坑群掘 り下げ と清掃,写
真撮影完了 し
,実
測用遣方設定 まで終了。2・
27
遺構実測開始。並行 して遺構検出の補足 にかか る。南辺土坑群を掘 って大型 の方形柱穴あ り,SB 2065と柱筋が揃い同一の建物か。柱穴に は柱痕跡や抜取穴等はな く,埋
土 も堅 く締 まって お り通常の柱穴 とは様相が異なる。3・
1
遺構実測。井戸S E 2070断ち割 り開始。掘形は 2段 掘 りと判明。
南辺には多数の ピッ トや土坑を検出 した。
3・
2
土層図作成。柱穴等の断ち割 り調査。地 盤が軟弱のため,井
戸粋の取上げ難渋す る。本 日 にて調査を終える。Fig.7 大和郡山市 (右
)お
よび第15併 32次 (左)調査地域の地区割 と主要遺構 (1:500)□ P則 卜 O 愛ぽ ぴ 期
′J
C 第 168次 南調査
6 AI卜
Q地
区1985年7月10日〜10月4日
7・
4
発掘区設定。7・
10
発掘区の整備。西端か ら重機による表上 除去開始。水田耕上下には,通
常見 られる床上は な く,砂
層が厚 く堆積 している。上か ら30cmは マ ンガンが沈着 し,近
世陶器を含む。小溝が多数 見える。7・ ■
耕土下の層 (青灰砂層)から瓦器質鉢 片出上。発掘調査用 プレハブ建設。
7・
12
昨夜来の大雨で発掘区は プール と化す。7,13
発掘調査用配電完了。7・
15
昨夜の雷雨で発掘区再び水没す。7・
16
表土除去完了。排土移動は未完。7・
17
排土移動。7・
18
排水完了。7・ 19〜
25再
び重機による排上作業。7・
26
発掘区整備。7・
27
地 区杭補充。土層観察用畔設定。7・
29
北端か ら遺構検出開始。柱穴見え出す。灰褐上には土器多 く
,瓦
少ない。7・
30 R〜
Sラ インまで。ベースは青みがかっ た灰褐色粘質土。焼土含む土坑,溝,柱
穴など遺 構の密度高 く,重
複甚だ多 し。新旧の認定に しばし悩む。
7・
31 S〜
Rラ インまで。柱根残す柱穴あ り。58〜55ラインに南北満 S D 1412,1464な ど4条 の 南北溝あ り。ほぼ坪内の東西三分位置にあた り, 坪 内道路 とその側溝か。
8・
l R〜
Qラ インまで。遺構密度相変わ らず 高い。南北棟のS B 1405の北妻検出。西端には炭 化物 のびっしり詰 まった土坑 SK1430,1438検 出。いずれ も土坑の底はデコボコ。灰褐土か ら円面TS̲
出土。
8・
2 Q〜
Pラ インまで。東西棟S B 1391の北 側柱部分見える。灰褐上 と遺構検出面 との間に部 分的に暗青灰粘質土あ り,奈
良時代の包含層 らしとヽ。
8。
3 P〜
Oラ インまで。Q P65区 の上坑SK
1398の周辺は土層が複雑で
,地
山 と埋土 との差が微妙。ス ラグ出土。
8・
5 0〜
Nラインまで。Q N67で 地鎮具埋納 坑S X 1400検出。上坑を切 る小穴に土師器小皿4 枚以上,和 同銭10枚以上が入 っている。写真撮影, 実測終了。南北棟 S B 1423,1405ほ か塀 SA1414 な ど検 出。8・
6 N〜
Mラインまで。南北棟S B 1405ま と まる。す ぐ西の南北塀 S A1339は,坪
内区画施設 か。地鎮具埋納坑S X 1400の南に土器埋納坑SX
=rT
1401あらわ る。上師器小llIL多数あれ ど銭な どはな さそ う。
8・
7
土器埋納坑 の 濡査, 写真撮影, 実測完 了。65ライン南北塀S A 1399は,同
位置の南北溝 S D 1998埋土か ら柱穴見える。灰褐土か ら軒丸瓦 出土。8・
9 N〜
Lラ インまで。南北棟S B 1402ま と まる。東西に 2列 の柱穴あ り。8・
9 QN54区
で炭化物を含む大土坑S K 1373 検出。石帯,軒
平瓦出土す。東西棟S B 1380・ 13 81が重複する。S B 1380は,北
に10尺の広庇付 くか。
QK65区
井戸S E 1385は掘形,抜
取穴が二重 に見える。8・
10 M〜
Kラインまで。井戸S E 1385掘り下 げ開始。西側の大土坑S K 1376よ り新 しい ことが 判 明。東西棟S B 1406東妻確認。8。12 土坑S K 1376か ら円面硯出土す る。
K〜
Jの 東西方向一列に柱穴多数あ り
,塀
か (のちに 塀S A 1371と 確定)。これか ら南は遺構少な くな
る。
8・13 65〜67あた りのベースは砂質。炭化物多 く含 む土坑S K 1367検出。
8。
16 1〜
Gラ インまで。ベースが砂質である ため遺構は,便
宜上 ツング状の上手を残 して掘 り 進める。井戸S E 1365検出。奈良時代井戸 として は 2基 目。南北棟S B 1350検出。Q G61区 灰褐土 な どか ら土馬出土。8・
17 1〜
Fラ インまで。製塩土器が充満す る 土坑 2箇 所, S K 1347,1353検 出。56〜58のあたりのベースは再び粘質上になる。
8・
19 G〜
Fラ インまで。67,68の あた りは炭 化物含む土坑多い。その中には井戸が含 まれ る可 能性あ り。南北棟S B 1344の南妻検出。8・
20 G〜
Dラ インまで。南北棟 SB 1362南妻 検 出。8・
21 F〜
Eラ インまで。南北棟S B 1344の南 妻を検出。不整形土坑S B 1342検出,大
量 の上器 含む。54ラ イン東端で土坑 または溝 らしき遺構見える。
8・
22 E〜
Dラ イン まで。南北棟 S B 1343検 出。東西棟S B 1326検出。近代の野井戸を挟んで 南北棟S B 1330検出。
8。
23 Cラ
インまで。S B 1343南妻を検出 し,桁行 3間 でまとまる。 さらにその東に東西棟
SB
1325がまとま り
,先
に東西棟 1棟 とみな した もの は 2棟 にわかれ ることが判明。 このあた り小柱穴 多い。8・
24 1回
目の遺構検出が発掘区南端に到達。西端に丼戸S E 1315が顔を出す。東西棟S B 1327 は南庇付か。
8。
26 B〜
Cラ インまで。Q B57区 の井戸SE
1305は掘形の輪郭線が二重にある。井戸に作 りか
えあるか。
3・
27 Fラ
インまで。南北棟S B 1336の北妻確 認。 これで 2× 4間以上 となった。不整形土坑S K1304の 下層に深い土坑あ り。8・ 28 土坑S K 1304はず っと南にのびる。南北 棟S B 1324の柱穴は
,土
坑S K 1304の肩に切 られている。
8・
29
土坑S K 1356に墨書土器「大」「丁」な どあ り。南ヨヒ棟S B 1340は3× 2間 でまとまる。8,30 1〜
Lラ インまで。東西塀S A 1371さ ら に西に 1間 のび る。 この塀は,いよいよ坪内区画 施設 らしくなってきた。東西棟S B 1363の柱穴は 長方形上坑S K 1361の底で検出。3。
31 1〜
Mラインまで。南北塀S A 1430は坪 内を東西に2分す る施設か。東西塀S A 1371の東 延長は,S A 1430に とりつ きL字形の 塀になる か。大土坑S K 1376の掘 り下げ。上器多量出土。9。
l K〜
Mラインまで。Q K57区 の上坑は井 戸 と判明 (S E 1375)。これに南北溝S D 1407が
重複す る。東西棟 S B 1380(5× 3間
)は
メイン建物か。内部の3箇の柱穴は間仕切 または東柱の 可能性あ り。
9。
3 M〜
Sラ インまで。南北棟S B 1425は 2①
Sヽ 1372×3間 以上で, 北妻は 発掘区の外。 南北棟
SB
1404は 3×
2間
でまとまる。 東端の 南北溝SD
1464は北へ掘 り進む。
9。
4
南北棟S B 1395は桁行 1間 のびて 4×2 間 となる。 これ と重複す る南北濤 SD1408と の新 旧関係は未確認。写真測量のための標定点測量完 了。9・
5
写真測量 の空中写真終了 し,地
上撮影開 始す る。9・
6
地上写真撮影続行。9・
7
地上写真撮影完了。9。
9
井戸の掘 り下げ開始。予想に反 して,掘
り下げ始めた5基すべてに丼戸枠の遺存を確認。
縦板組
,横
板組,円
形 くりぬ きの 3種 あ り。9,10
井戸の掘 り下げ と掘形断ち割 り。 さらに 1基 の掘 り下げ開始。井戸S E 1305の枠内底か ら 海獣葡萄鏡出土。 この井戸の枠は半円形の くりぬき材を2枚合わせた もの。
9・
13
井戸の掘 り下げ と現地説明会に向けて全 域 の清掃行な う。S E 1365から墨書土器「井屋」な ど出土。S E 1315底か ら須恵器壷 (漆容器で栓 を詰めてある),鉄鉗,鉄 匙,大 型砥石など出土。
鍛冶具そのものの出土は注 目された。
―― ―十一 ̲ SA1370 1
国 □蝿 sE謂l
│」 菖誤 己 『頚 ]頃 削 筋
│
Fig.8 第 168次 南調査地域の地区割 と主要遺構 (1:500)
rJ
9。
14
井戸写真撮影。午後 1時30分か ら現地説 明会。来聴者約 100名 。9。
17
土層観察畔はず し,遺
構の精査,井
戸 の 掘 り下げ,断
ち割 り行な う。西南井戸S E 1315の 南半部を拡張す る。S E 1335の掘形は2段掘 り。9・
18
井戸精査 と断ち割 り。S E 1365掘形断面 地山に「 ミツガシフ層」あ らわれ る。9。
19
柱穴断ち割 りと井戸精査。S E 1305の掘 形は二重に見 えるが,内側のそれは,枠
に粘上を 巻 いた ものか。9。20 s E 1375の 掘形に 2時 期あること判明。
下段枠が当初で
,上
段枠は後のもの。下段枠 に多 足机が転用 されている。9。 21 SE 1375井戸枠取 り上げ完了。枠材に由 物 の転用見 られる。
9・
24
次回の発掘区設定 し,重
機投入 し,表
土 除去開始す るも豪雨で中断。9・25 S E 1305井 戸枠取 り上げ 及び 土層図作 成。次回発掘区の表土除去 と電源移動。発掘器材 整備。
9。 26 S E 1315, S E 1385井 戸枠取 り上げ。土 層図作成。Q B61区 埋納遺構S X 1310精査開始。
次回発掘区の測量完了。
9・ 27 s X 1310の 精査。柱根取 り上げ。上層図 作成。井戸S E 1315の東南部を拡張 し
,南
北棟SB1336の 南妻を捜す。
9。
30
発掘区西壁の土層図作成。S K 1438完掘 。 拡張区の遺構検出で,南
北棟S B 1336の西側柱5 間 目まで確認。南北上層観察畔除去開始。10。
1
土層図作成続行。東西土層観察畔除去完 了。Q156区
土坑は掘 り下げによ り小型の井戸 と 判明 (S E 1336)。10・
2
柱穴 の精査。10・
3
柱根の取 り上げ。砂による遺構養生開始。10・
4
養生作業完了 し,本
日で調査終了。D 第 168次 北調査
6AII QoP地
区1985年10月 4日 〜1986年1月27日
10・
4
発掘区壁掃除,排
水溝掘 り,地
区杭打 ち 完了。10・
6
重機に よる南半部表土除去作業。10・
7
重機に よる表土除去完了。西端か ら東 向 きに遺物包含層 (灰褐土)の掘 り下げ開始。10。
9
西端か ら灰褐土を除去 し,その下面で遺 構検 出。68ラインまで進む。Aラ インあた りで東 西溝見え出す。十三・十四坪の坪境小路の南側溝 か。路面 らしき部分に赤褐色粘土あ り。 この溝 の 北肩にかが る。溝には 2時 期あるか。 P G65区 で 上師器Ell数枚を円形に並べた遺構S X 1589見え出′σ
す。
10。 11 67ラ インまで。南北柱列検出。その西に 大型掘形あ り東西棟で庇になるか。 Fラ イン以南 は包含層が残 り
,地
山がでず,複
雑な土層の堆積 となる。10。 12 67ラ インまで。灰褐土面に中世 の小溝多 数あ り。
10。
15
東西棟や南北棟の一部 らしき出る。PG
65区土器埋納坑S X 1589の精査。
10・ 16 66ラインまで。P E62区に バ ラス 層あ り
,土
器 と靖鳩出土。 P D66区 ピッ トに須恵器杯 逆位置にあ り。F・ Gラ イン間で東西に並が柱穴 あ り。S X 1589の上器取 り上げ。 P S66区 に方形 掘形の西辺のぞ く。井戸か。10。17 66〜64ラインまで。 P E65の 上坑 は
,井
戸 らしくなってきた。66ライン上に炭化物を多量 に含む 南北溝S D 1584あ り, Uラインの 南
lm
で
,南
偵1溝の南肩検出。南北の柱穴 と重複す るも 前後関係未確認。10・
18
遺構検出。66〜64ラインまで。Aライン の小路路面には赤褐色粘質土無 く,南
北両側詩の 両肩が不 明確である。北 よりは地山が砂質になっ てお り,】ヒ端では粗砂質 となる部分がある。前回 の検出 と合わせ とて 2× 2間 の総柱建物S B 1480 が まとまった。10。
19
東に向かって遺構検出。道路側溝南肩が63ラインあた りで北へ曲る。
P163区
に現灰岩,焼石が集中する箇所あ り。礎石 の根石か。62ライ ンに南北方向の上層観察畔を設定する。
10・ 21 63〜62ラインまで。O U62区 の野井戸 S E1448の 北側
,土
層畔のあた り南側溝の耳ヒ肩にし が らみのあることが判明。南側溝 自体 に2時期あ り,幅
を狭 くし,】ヒ肩にしが らみを組んだ ことが わかる。 P F61区灰褐土中に 上器埋納遺構SX
1572あ り。P F61区に 瓦が立 った 状態である。
P A62区 のあた り
,北
側溝南肩に灰化物 の厚 い堆 積がある。10・ 22 62〜61ラインまで。Q U60区 東西溝上層 か ら須恵器の羊形硯出土。左京四条四坊(141‑9 次調査)のものに よく似 る。南狽1溝の北肩は
,東
か らのびる溝状の上坑S K 1517に切 られ
,不
明。小路路面上に,炭化物を多 く含む土坑があ り,路面 は荒れている。小土坑S K 1578・1579には土師器 甕がすわ っている。 P C60区 にL字形溝S D 1538 検出。総柱建物S B 1477が見え始める。
10・23 61〜59ラインまで。小路上面は
,相
変わ らず東西方向の溝状土坑で切 られ,路
面はほ とん ど残 っていない。南側溝付近,土
馬多数出土。Q
S59あ た りの柱穴は平均 3回 の重複あ り。P H59 区に大土坑S K 1984検出。
10。
2458〜
56ラ インまで。Q T58区に 柱穴あ り,東
西塀になるか。Q S57区 の上坑S K 1469は北端が出てまとまる。埋土は暗灰色粘上で遺物多 い。
10。 25 57〜55ラ イン。 56ラ インに 南北溝
SD
1567検出。坪 内道路の西狼1溝と思われる。 この溝 は2時期 あった ようで
,北
側溝に接す る所では確 認で きない。 P Q55ラ イン付近で上馬多数出土。鍵 の手状 の溝S D 1538は,57区で北へ折れる。小 路路面上には依然 として多数の上坑あ り。
10。
26
東向 きに遺構検出。新聞記者発表。10。 28 54〜53ラインまで。 P D54区 に傘大の礫 群あ り。柱穴か。
10。 29 54〜53ラインまで。小路路面は
,南
側溝 が北へ広がるため幅狭 くなるも,全
体 の検出容易となる。
10。 30 54〜52ラインまで。柱穴多い。
QTラ
イ ンの鍵の手状の溝は,南
狼1溝とは異なる。北狼1溝は
,両
肩 とも 明瞭に 出る。 炭化物含む土坑SK
1965検出。
10。 31 53〜51ラインまで。長方形土坑S K 1983 検出。 Fラ インか ら北は
,遺
構面が高 くなる。11・
1
遺構検出作業が発掘区東端にた ど りつ く。49〜48ラインまで。井戸S E 1555検出
,枠
内掘 り 下げ る。鶯多い。 炭化物を 合む 土坑S K 1968に は,整
形 した凝灰岩あ り。北側溝の肩は,発
掘区 東端では両肩 とも急に落ちる。11・
2
遺構検出折返 し。遺構を掘 り下げなが ら西向 きに進める。48〜50ラインまで。大土坑
SK
1985の東半分検出。ほぼ49ラインに沿 って
, SK
1979。 1981などの土坑が点々とある。
11・
6
井戸S E 1555の中央部掘 り下げ開始。P
F48の 上坑は複数の円形土坑の集合であることが 分か った。
11・ 7 49〜51ラインまで。S E 1555の井戸枠 あ らわ る。北側溝は北で深 く
,南
は浅い。陪灰粘土 の下に灰色粘上の砂質上がある。南復1溝は南が深 く,北
が浅い。理土は均―で,一
部に庚化物 の層 がある。東西棟S B 1532検出。柱根残 る。11・ 8 49〜51ラインまで。北側溝は北側がやや 深 くな り
,灰
色粘土が堆積する。南偵1溝は南が深 くな り,砂
の堆積が見 られ,銅
金具,須
恵器壷 出 土。 P D50に土師器小皿を入れた ピッ トあ り,そ
の南に上師器養を逆 さにしたものがある。P H51 区土坑S X 1552は壁が焼けてお り
,庚
化物,鋳
形状土製品出土。
11・ 9 48〜52ラインまで。 P C48区 に丼戸
SE
1530見え始める。東西棟S B 1532検出。建物 内に 井戸あ り。井戸の覆屋 となるか。
11・ 11 49〜53ラインまで。 S K1987は 炭化物が 幾重に も堆積す る土坑。S E 1530は縦板組 の井戸 枠あ らわる。北復1溝は
,掘
り下げてい くと,中
央 に高所が残 り, 2条の溝に分かれてきた。南側溝 は51ラインで極めて浅 くなる。50
. 65
︲
一 SB 一 SX 一
Fig.9 第168次 北調査地域の地区割 と主要遺構 (1:500)
SX1579o SX1578°
SB1575 SB1585 1 SA1548
SBお幽
1
蜘 542即538SB1559 SA1558
SA1490 SA1433 SA1434 SB1478
蜘 鶴隠】田
SA1410 sA1473
′7
11・ 12 51〜52ラインまで。53ライン西の南北に 1列 の柱穴は, 2時期の重複あ り
,古
い方の柱穴は浅い。P E53に須恵器杯 を 埋納 した 円形土坑 S X 1535あ り。後に胞衣壷 と判明。南側溝は52ラ インあた りで消える。北側溝は南北2条の構で,
上層は埋土異なる。下層は
,波
化物を含む暗灰土 で,南
狽1溝上層は灰褐上で人為的に埋めている。■・ 13 53ラ イン中心に遺構検出。小路上 の土坑 掘 り下げ始める。S K 1491は溝状を呈 し比較的深 い。灰化物を層状に含む。南北棟S B 1554は
,東
庇付 きらしい。
11・ 14 54ラ イン まで。 南側溝北肩の上坑
SK
1494から靖渦 出土。炭化物が層状に詰 まる。下層 か ら二彩小壷出土。南側溝北部の浅い部分で炭 の 多量に詰 まる土坑検出。上面では見えず
,南
側溝 が機能 していた時期にも工房的な使われ方を して いる。土坑S K 1515は浅いが,底
に焼け壁のようなものが見 られ る。
11・ 15 54〜55ラインまで。南北両側溝 とも上屠 畔の観察では,それぞれが重複 している。北側溝 では北
,南
側溝では南が新 しい と推定す る。QU
54区両側溝 とも路面 ぎわに灰化物土坑多 い。ただ し
,南
側溝は上層 と下層に土坑あ り,両
側溝に地 山に張出しあ り,溝
は2筋の流れがあ り,重
なる部分 と重な らない部分 とがある。
11・
16
土坑 S K1515は 上層側溝 に伴 う炭 化物含 む土坑で銅滓出土。土坑S K 1494から小形棒状木 製品が多量に出と した。北側溝下層の土坑 と同時 期 のものであろ う。路面上に円形の上坑S K 1508 検出。■・ 18 55ラ イン南半部中心に遺構検出。56ライ ン南側溝の地山張 り出しは東西
3m,柱
穴 らしき 穴あ り,橋
脚か。最下層 (新)の層には粘土 と粗 砂が堆積 し,水
分多とヽ。地山張 り出 しは東端で北 側溝 (古)の末端検出す る。南北溝S D 1387は二 重のように見えるが未確認。北側溝 も張 り出 しま で確認。北側滞 (古)の先端部分に製塩土器がま とまっている。北側溝か ら和同銭出土。L字型浦 は出入 口に関連するか。11・ 19 56〜57ラインまで。南側溝か ら冠帽破片 出土。Q T57区 南側溝 (下層
)か
ら唐草文鬼瓦出 土。南北溝1387ほぼ完掘。中央が深 くな り,底
にさらに もう一つの溝確認。南へ続 く。ただ し
,最
古の溝は 中途で 切れる。 都合3時期 に 分かれる が
,最
古を除 く2時 期はよく分か らない。■・
20
南側溝では最下層新か ら三彩尊 (垂木先 瓦か)出土。北側濤57ラインでは完掘す るが古溝 はなし。南北溝 S D 1569掘 り下げると底に小溝 (S D 1567)あ り。板を うめ こんだ ものか。 南北 溝 S D 1563で も 同様のものが 一部検 出されてい る (S D 1565)。 南北塀 S A1558は 2時期ある。南北塀S A 1563は
,南
北溝S D 1563よ り古い。溝′ど
か ら溝へ斜行する溝あ り。
■・
21
南側溝は58ラインまで完掘する。最下層 か ら黒漆塗椀出土。北側溝 も58ラインまでほぼ掘 り進む。南狼1に掘 り残 した灰褐砂質上の部分には 土坑が掘 り込 まれている。Q S57区 土坑は全体を 掘 り下げ 始めた。 井戸か ど うかは 未確認。南北 溝 (S D1568)の 西に も南北媛を検 出す る。 この 区画の区画施設の変遷が相当に複雑なことが判明した。
11・
22
南側溝58ラインまで完掘。土坑S K 1469 は,浅
いす り鉢状で,南
西に 一段深い 部分が あ る。北復1溝58ラインまで掘 り進み,南
岸に細長い 土坑が重復す る。 井戸 S E 1560掘 形を 掘 り下げる。全体に遺物少量。
■・
25
井戸S E 1560は縦板 の先端を検出。井戸 枠 内か ら土師器 ミニチ ュア高杯 出上。G〜 H区で 大型の柱穴検出す るもまとまらず。m・
26
南側溝は58〜59ラ イン 最下層の 掘 り下 げ。北側溝は57〜 58で最下層南岸に東か ら続 く溝 S D 1499あ り。炭化物を多量 に含むS D 1499の方 が引ヒ側溝 より古い。■・
27
平瓦を 3枚 重ねて並べ る暗渠S X 1489あ り, 南側溝 との 先後は 不明だが 新潜 と共存す る か。東西に 長い土坑をS K 1474の底で 柱穴検出 す る。南側溝59ラインまで完掘す る。北側溝58ラ インまで完掘。南岸に不整形土坑多数あ り,いず れ も炭化物を含み北狽1溝と同時期 のもの と古いも の とが混在す る。北側には柱穴 3個 がある。土坑 1984と S K 1989は接す るが,重
複は しない。円形 土坑S K 1984は井戸ではない ことが 判明。SK
1989は東で検出した炭化物含む浅い土坑 と似 る。
11・
29
南北両側溝60ラインまでほば完掘。南側 溝北岸にある東西方向の上坑S K 1517は60ライン 付近に多量の灰,炭
が堆積。土坑S K 1518は中央 に暗灰土,外
側に黄色油上が輪状に入 るす り鉢状 を呈する。S B 1575は この地区の主屋か。■・
30
南側溝最下層61〜62ラインまで。南側溝 (新)最下層北側に,灰
化物の雅積あ り,東
西に長い濡状の上坑 S K1517で ある。東西棟 3× 2間 の S B 1576に は
,東
西棟 4× 2間のS B 1575が重複 す る。12・
2
南側溝62ラインまで完掘。62区では,新
溝が古 くな り
,靖
壻,鉱
津 な ど出土。63ライン上 層では,右
京二条二坊十六坪(第137次調査)出 土 例 と同じタイプの靖蝸出土。北岸には,古
い土坑がある。北狼1溝62〜64ラインまで。北側溝の北側 に,やは り築地寄柱穴状の小柱穴がある。南屍掘 地では
,東
西棟が まとま り始め るも,南
側溝の南 側には柱穴が続かず,閉
塞施設 の存在は不明。土 坑 S K 1971は, 靖堀出上 し, 重複す る柱穴SB
1544・ 1545よ り新 しい。土器埋納坑S X 1572検出。
S B 1575の掘形は
,大
型で,】ヒ側には,凝
灰岩 の大破片が入 る。
12・
3
南側溝・ 北側溝 とも64ラインまで完掘。南側溝は最下層(新)が 再び深 くなる。北側には, 断続的に続 く不整形土坑があ り
,輔
羽 口出上。北 側溝は炭化物含む埋上を新溝が切 る。南北溝SD
1583は, とぎれなが らも南へ続 く。その東に南北 方向に浅い土坑状の溝S D 1547の北部検出。南側 溝 では,61ラ イン以西で上層 と最下層のみの 2層
となる。
12・
4
南側溝・北側溝 とも64〜65ラインまで。南側溝65以西は幅が広がるか。 もしくは
,北
岸上 坑 (最下層古)が北へ広がるものか。漆付着土器 出土。北側溝か ら土馬出土。tt S D 1484は南側溝 に埋上が 切 られる。 南北溝 S D 1547か ら軒瓦出 土。 この溝は,北
では新旧 2時 期ある。南北塀SA1573ま とまる。東西棟S B 1575の柱穴は2箇所 で3時期の重複あ り。
12・
5
南偵1溝 65ラ インには,新
たに,北
への張 り出 しあ り。小型井戸S E 1550検出。12・
6
南狼1溝 67ラ インまで。複雑な堆積状況で ある。 P C66区大土坑は灰化物が大量につ まる。S B 1587柱列には,角柱あ り。S E 1550の枠 は,
上部が 縦板, 下部が横板。 動物遺存体が 出土 し アこ。
12・
7
南偵1溝66〜68ラインまで。北側溝は,66
〜67ラインまで。
12・
9
現地説明会に向けて清掃 と遺構検出を並 行 して行な う。南側溝北岸に,上
坑の ような庚化物を含む上の堆積がある。路面上 に も汚れた上が 見える。北側溝は66ライン掘 り上げ。最下層新 と した層の最下部に
,灰
色粘上の層がある。12・
10
南側溝北岸には,新
溝 に切 られ る土坑あ り。 発掘区西端では, 古溝が 比較的明瞭に 見え る。12・ ■
清掃 と遺構の精査。土層観察畔65・ 61ラ イン土層図作成の後
,撤
去。12・
12
清掃続行。午後新聞記者発表。12・
13
全域 の清掃。 P C53土坑S K 1965掘り下 げ。軒丸瓦,鴬
出土。12・
14
午後, 現地説明会行 な う。 来聴者約70 名。12・
16
写真撮影に向けて清掃作業。南側溝,北
側溝の計 4箇 所で溝堆積状況の上層図作成。
12。
17
南側滞,北
側溝の堆積状況の土層図作成 完了 し, 畔撤去す る。 土層畔の 観察か ら南北溝 S D 1486よ り南側滞 の方が新 しい ことが判明。発 掘区東南部で柱穴の掘 り下げにかか る。12。
12
清掃続行。井戸枠の洗浄,枠
内遺物取 り 上げ。S E 1550掘形の掘 り下げ。12・
19
写真撮影開始。通常の地上撮影の他に,ハイライダーを利用 しての撮影 も行なった。本 日 は全景中心。
12・
20
遺跡全景及び遺構細部の写真撮影を行な う。本 日もハイライダーを利用す る。12・
23
昨夜降雨あ り。排水作業 と清掃。航空写 真測量のための標定点設定作業完了。12・
24
年前清掃。年後空中写真撮影及び地上写 真撮影。12・
25
地上写真撮影続行。遺構細部中心。土器 埋納坑S X 1593検出。12・
26
写真撮影続行。S X 1593さ らに下に 思土 師器が重なっていた。瓦組暗渠S X 1489の瓦取 り 上げ。調査が年を越すため,砂
埋めを中心 として遺構の養生作業を行なった。
1・
7
作業再開。一面降雪に覆われ,水
中ポン プ凍結す。発掘器材搬入行な う。1・
8
柱穴等の断ち割 り調査開始。土器埋納坑 S X 1578では金箔 も出上 し,地
鎮具埋納坑 と思わ れる。1。
9
断ち割 り及び実測続行。S B 1534は柱下 に石 と木材を入れている箇所あ り。1・
10
井戸S E 1555枠内の掘 り下げ開始。軒丸 瓦 6316K型 式出土。S B 1532の 北側柱列は 土坑S K 1980よ り
'好
しとヽことが半Jtto S B 1980とこ│ま,
柱根残 る。
1・
11
東西土層観察畔の断面図作成。井戸SE
1555の掘 り下げ。須恵器大型褻 口縁部あ らわ る。
井戸内遺物の水洗選別作業始める。他にS E 1530,
QS区
の東西清S D 1440掘 り下げ開始。1・
13
井戸の掘 り下げ。S E 1555からは,銅
片,桃核
,斎
串など出土。1・ 14 S E 1530。 1555の実測完了。S E 1560の 掘 り下げ開始。S K 1989掘 り下げ, 丸瓦な ど 出 土。S B 1537に
,大
型柱根,礎
盤あ り。l。
16
井戸S E 1555の掘形断ち割 り,写真撮影。S E 1530の掘形は 1時期 と判明。S E 1560は横桟 3段 分確認。井戸底には、傘大の礫を敷 く。井戸 内か ら
,神
功開賓,櫛,ガ
ラス小玉 な ど出上。1・ 17 S E 1530底 まで掘 り下げ 終了。 銅片 あ り。発掘区西壁清掃。
1・ 18 S E 1560掘 形の掘 り下げ。南北両側溝西 側の掘 り下げ。
1。20 S E 1555の 井戸枠取 り上げ。須恵器長頸 壷
,短
頸壷, 鉄釘, 曲物など 出土。 南北溝SD
1547は,中央のみ深 く
,南
で浅 くなる。ただ し,底だけが 残 った 南北溝 と考え られ る。 S E 1550 は
,浅
く,井
戸の部分のみ深 くなる。1・ 21 S E 1555堆 積上の水洗選別完了。銅銭,
「富本銭」
,櫛
,碁石 (P)な ど遺物豊富。S E 1560 は枠取 り上げ。 S E 1550は 縦板下端 まで 断ち割 る。小路路面上の上坑を断ち割 り。1・ 22 S E 1550断 ち割 り。重複す る古い井戸は 底が出る。古い井戸を埋めた上を新 しい井戸の掘 形が切 る。東西清S D 1440は とぎれ, L字形の部 r9