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神話の真実の在り処

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神話の真実の在り処

ポリネシア・ツバルにおける憲章作成と合意の政治 小 林   誠

Inquiring about True Myth

Th e Coding of the Charter and the Politics of Consensus in Tuvalu, Polynesia

KOBAYASHI, Makoto

Myth plays a very important role in Nanumea Atoll, Tuvalu, Polynesia, because it justifi es chie ainship. Additionally, as in the case of other societ- ies, controversy exists among Nanumean Islanders regarding what consti- tutes “true” myth and therefore what constitutes “true” chieftainship. What is remarkable in Nanumea’s case is that the islanders in the capital island, Funafuti Atoll, have attempted to settle the controversy by inquiring about

“true” myth through an analysis of texts on many variations of myth. For that sake, the Nanumean Islanders in Funafuti have attempted to code a “charter”

pertaining to myth to which all Nanumean Islanders can agree. is project to code the “charter” was initiated in 1993 during a meeting held by Nanumean Islanders in Funafuti Atoll. Since then, they have inquired about “true” myth and tried to code it with the help of anthropologists who have conducted fi eld- work in Nanumea since the 1970s. A dra was written up in 2004, and copies were sent to the home island community in 2005.

Some anthropological research approaches myth from social contexts and shows how myth constitutes and is constituted by political situations. They have revealed how people argued with or over the myth to justify their own social positions; but have not paid attention to the case in which people try to form a consensus about what the “true” myth is. e attempt to form a con- sensus about the myth, however, has become controversial and led to a recon- stitution of the political situation in Nanumea. In this paper, I describe the process by which the Nanumea Islanders in the capital island inquired about

Keywords: myth, charter, truth, politics of consensus, Tuvalu キーワード : 神話,憲章,真実,合意の政治,ツバル

* 本論文は,筆者によるツバルでのフィールドワーク期間中(2005年10月から11月,2006年4月か ら2007年3月,2008年10月から2009年3月,2009年10月から2010年3月にかけての計26ヶ月)

に得られた資料を基にしている。なお,フィールドワーク期間中,ナヌメア島に計約20ヶ月,フナ フティ島に計約6ヶ月滞在した。本論の執筆に際しては,査読者の方々から丁寧なコメントを頂いた。

ここに記して感謝を申し上げる。なお,本論は平成25年度科学研究費補助金(特別研究員奨励費)

「ツバルにおける気候変動への危機意識の形成と歴史的知識の記録化に関する人類学的研究」の研究 成果の一部である。

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Ⅰ はじめに

ポリネシアのツバル・ナヌメア島(Nanumea)

において,テホラハと呼ばれる伝説的な英雄 に関する神話は首長制を正当化するものとし て重要な意味を持っている。そのため,首長 制をめぐる争いが起きる度に,この神話に多 様なバリエーションが存在することが争いの 根本的な原因であると問題視されてきた。こ うした状況に対して,ツバルの首都フナフ ティ島在住のナヌメア島民は,「真実(tonu)」 の神話を書き記した「憲章(fakavae)」を作 成することで,ホームランドでの争いを防ぐ ことを試みてきた。本論では,この憲章作成 を事例に,いかに首都在住者らが「真実」の 神話に関する合意を形成しようと模索し,そ して,それがホームランドにどのような影響 を与えてきたのかについて考察していく。

これまでの人類学的研究では,神話が当該 社会の政治と密接なつながりを持つことを指 摘し[西本2006; 小松1997],ある個人や集

団が語る神話とその人物や集団の利益の正 当化との関連性について明らかにしてきた

[マリノフスキー1997[1948]; リーチ1995

[1954]; Linnekin 1983]。しかし,これまで に行われた研究では本論で注目するような,

何が真実の神話であるのかをめぐって合意を 形成しようとする動きについてはほとんど注 意を払ってこなかった。本論では,合意を形 成しようとする行為をすぐれて政治的な行為 であるととらえ[cf. 和田1996],そうした 動きによって神話をめぐる政治がいかに再編 成されていくのかについて明らかにしていく ことを目指す。ただし,ナヌメアにおいて神 話は単なる物語ではなく,過去にあった歴史 的事実ととらえられており1),神話をめぐる 争いとは単に政治的な問題であるのみなら ず,事実をめぐる問題と位置付けられている ことにも注意を払う。

以下,二節にて,神話の政治性をめぐる人 類学的な研究を簡単にまとめた上で,本論の 視座を提示する。三節にて,ツバル・ナヌメ ア島の民族誌的な背景について神話と首長制

“true” myth and coded the “charter,” and show how the political situation in the home island was reconstituted by the “charter.” I will also show how the Nanumean Islanders in the home island tried to justify their own variation of myth under the pressure of forming a consensus.

Ⅰ はじめに

Ⅱ 神話の政治性をめぐる人類学的研究

Ⅲ 民族誌的な背景  1 ツバル・ナヌメア社会  2 神話と首長制をめぐる争い

Ⅳ 憲章作成と神話テクストの分析  1 憲章作成の展開

 2 対立する神話

 3 対立の架橋と共通性の模索

Ⅴ ナヌメア社会からの反応  1 憲章の領有と利用

 2 批判と別のやり方の首長制  3 憲章の限界

Ⅵ まとめと考察

 1 政治的な介入としての合意  2 憲章と神話をめぐる政治の再編成

Ⅶ おわりに

1) ナヌメアにおいて,神話とは「昔の話(tala mua)」と形容される。「昔の話」は「作り話(tala

fatu)」と対照的に,過去の出来事を示す「真実」であるととらえられている。このような物語に

ついての民俗分類は他のオセアニア社会にもみられる[Huntsman 1990; 小松1997: 7]。

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を中心に概観する。四節では,まず,憲章作 成をめぐるこれまでの展開について説明した 上で,憲章の中で行われている神話テクスト の分析を紹介し,どのようにして「真実」の 神話を見出そうとしているのかについて明ら かにする。五節では,憲章作成に関するナヌ メア社会からの反応へと視点を移し,憲章に よる合意形成の限界を指摘する。六節では,

それまでの議論をナヌメアにおける合意をめ ぐる政治や真実観と関連づけながら考察し,

憲章作成それ自体がどのような政治的な意味 を持つのかを示すとともに,憲章作成をめ ぐってナヌメア社会の政治的な状況がどのよ うに再編成されてきたのかを明らかにする。

Ⅱ 神話の政治性をめぐる人類学的研究

神話が政治的な意味を持つことは,早くも マリノフスキーが指摘している[マリノフス キー1997[1948]]。マリノフスキーはそれ まで主流であった神話をめぐる研究が研究者 以外の者によって文字化された「歪曲され た」テクストのみに基づいたものであると 批判し,「生活全体」に文脈づけられた「生 きたまま研究される神話」への転換を訴え る。彼の関心は社会の統合や社会的機能にあ り,神話を「常にある社会学的機能を満たし たり,ある集団を美化したり,ある例外的な 地位を正当化するために特別に作られ」るも のととらえる[マリノフスキー1997: 170]。

よって神話は「単に語られる物語ではなく,

実際の生きた現実そのもの」であり,「知的 説明や芸術的創造ではなく,未開の信念や道 徳的知恵の実用主義的憲章」であると主張す る[マリノフスキー1997: 138]。

マリノフスキーは利害関係が異なる集団 と神話のバリエーションについても触れて いる。例えば,「より小さな地域の神話の方 も,その地域集団内では同様に生き,活動し て」おり,「もし,土地についての爭いや,

呪術的問題,漁業権,あるいは他の特権の侵

害が起こった場合は,神話の中の事例が参照 される」という。ただし,彼の力点は神話が 持つ社会的な統合機能にあり,神話と集団間 の政治的な対立という問題に関して分析を進 めることはない[マリノフスキー1997; 西本 2006]。他方,社会的な統合という点に関し て,神話がどのように作られていくのかにつ いて論を進めていく。マリノフスキーは,支 配的な立場になった移民集団の神話を例に,

「異常な事態を正当化し説明する特別な種類 の神話的物語が生まれ」,そして,そうした

「正当化のための神話には,相反する論理的 に和解できない事実や見解が含まれているの に,明らかにその場で作られた,安易な折衷 的な付帯事項によってそれらを覆ってしま う」という[マリノフスキー1997: 169]。

その後の研究においては,マリノフスキー の示したこうした論点が批判的に検討され ていく[Fortes 1945; リーチ1995[1954];

川 田1976; 小 松1988; 竹 沢1997]。 例 え ば リーチは,『高地ビルマの政治体系』[リーチ 1995]の中で,マリノフスキー流の機能主 義を批判し,神話のバリエーション間の差異 に注目する必要性を指摘する。リーチによる と,それまでの多くの研究で,研究者が「た だ一つの文化,ただ一つの構造システム,一 個の一貫した神話群」という前提に基づき,

同一の物語の諸異伝を恣意的に取捨選択し,

時には創作しながら「真実」らしくみえる神 話をつくりだしてきたという。それに代わっ て,彼は,神話を「社会的行動の是非を明ら かにし,特定社会体系内で特定個人・集団が 保持する権利を正当化する」ものととらえ,

「社会体系というものはたとえいかに安定し 均衡が保たれていようと,内部に分派的対立 を含むものだから,必ず相異なる神話があっ て,異なる集団それぞれに特有の権利を正当 化する」と主張する[リーチ1995: 315]。リー チは,神話を「論争のための言語」ととら え,「語り手が語り瞬間にとっている特定の 態度・立場を正当化する」と論じる[リーチ

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1995: 309-315]。

リーチは,さまざまな出来事や行為を含む 神話のテクストの中でも,特にそこで示され る系譜的な関係について注目している。彼は グムサ型社会において諸クランがたがいに政 治的な正統性を主張するのに際し,諸クラン の始祖とされる人物の出生順が重要な意味を 持つが,それぞれのクランによって神話の中 での出生順が異なることを指摘し,自己の正 当化のため新たな系譜関係がつくりだされる と論じている[リーチ1995: 309-313]。

1980年代以降になると,神話の政治性を めぐる人類学的な議論は,「伝統の創造」論 の文脈で論じられていく。例えば,ハワイで はカホーラエ島を聖地とする神話は先住民運 動が高揚する中でアメリカ軍による軍事的な 利用を中止させるために[Linnekin 1983],

また,パプアニューギニアにおいては石油開 発によって発生した利益の分配をめぐって土 地所有権を主張するために[槌谷1999],新 たな神話が「創造」されたと論じられている。

「伝統の創造」論においては,集団間の権力を めぐる利害関係をローカル社会から国民国家,

あるいはそれを越えるマクロな政治経済的な 構造に位置づけ直し,西洋との接触や植民地 支配から現在に至るまでのスパンでの歴史的 な変化の中で神話の政治性をとらえてきた。

このように,人類学的な研究は,神話が その語り手の態度・立場の正当化に資する ものであるととらえ,神話が社会的な対立 といかに関連しているのかについて明らかに してきた。本論では基本的にこうした研究で 示されたものと同様の立場を取りつつも,こ れまでの議論ではほとんど取り上げられるこ とがなかった神話をめぐる合意形成という働 きかけに注目する。広くオセアニアの諸社会 では,全員一致に基づく意思決定である合 意(consensus)が社会的な価値として重要 であることが指摘されてきた[Huffer and So’o 2003, 2005; Lawson 2006; 須藤2000; 東 2003]。オセアニアの諸社会の多くで,合意

とは「伝統的」な意思決定の方法とされ,現 在に至るまで家族や村落,あるいは時に国家 レベルで実践されてきた意思決定の方法であ る[Huffer and So’o 2003; 東2003]。翻って,

「意見の相違(dissent)」は避けるべきこと ととらえられており,意見の相違が深刻な紛 争となることを防ぐような社会的な制度が存 在する[Arno 1976; Howard 1990; Watson- Gegeo et al. (eds.) 1990; Besnier 1990]。

リーチがいうように,人々にとって神話は

「論争のための言語」であるとするならば,

本論では合意をめぐる社会・文化的な文脈の 中で,人々はどのように論争を繰り広げてい るのだろうか。本論では,合意の形成を目指 す動きの中で繰り広げられている神話をめぐ る政治の一端を明らかにしていきたい。

Ⅲ 民族誌的な背景

1 ツバル・ナヌメア社会

事例の説明に入る前に,ここで本論の対象 とする神話の舞台であるツバル・ナヌメア島 について紹介しておく。ツバルは人口1万 人ほどのポリネシアの極小国家であり,9つ の島によって構成されている。本論が対象 とするナヌメア島はツバルの最北端に位置 する環礁島で,人口は2002年現在664人で ある[Secretariat of the Pacific Community 2004]。

ナヌメア島をはじめとするツバルをとり まく政治的な状況は,西洋世界との接触以 降において,キリスト教の受容とイギリス の 植 民 地 支 配 に よ り 大 き く 変 容 し て き た

[Macdonald 1982: cha. 3; Besnier 2009]。

19世紀後半にキリスト教を受容し,ロンド ン伝道協会が派遣したサモア人牧師が島に 常駐するようになると,首長制と結びつい ていた土着の信仰が破壊され,首長(aliki)

が保持していた宗教的な役割は牧師によっ て 担 わ れ る こ と に な る[Macdonald 1982;

Goldsmith 1989]。さらに,サモア人牧師は

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宗教的な権威を背景に,世俗的な領域にまで 介入し始め,政治的な権力をめぐって首長 と 対 立 し て い く[Brady 1975: 121; Munro 1996: 133-134]。

1892年にツバル(当時はエリス諸島)は イギリスの保護領となり,1916年にギルバー ト諸島(現在のキリバス)とともにイギリス の植民地支配下に入ると,今度は植民地行政 府が次第に首長の権威を失わせていく。1917 年に改正されたエリス諸島原住民法(Native Laws of the Ellice Islands)は,植民地行政 府が使命した判事(magistrate)やカウプレ

kaupule)と呼ばれる評議会(council)に 大きな権限を委ねることで,首長制に代わる 政治体制の確立を目指した。植民地支配によ るこうした方針は島の人々に次第に受け入れ られ始め,1957年には植民地政府が「伝統的」

な首長の廃止を命じても人々は特に反対する ことはなかったといわれている[Chambers 1984: 105-109]。

一方,1978年のツバル独立前後には首長制 が大きく見直され,ナヌメアでは1986年に 約30年ぶりに首長位が復活する[Chambers and Chambers 2001: 208; Seluka 2002]。

独立国家としてのツバルは,国政において は,成人男女による普通選挙によって国会議 員を選出し,その中の多数派が内閣を構成す るといった「民主主義的」な制度を採用した のに対して,地方自治においては植民地支配 時代に導入された評議会を引き継ぎつつ,そ こに首長制や集会所での話し合いというツバ ルの「伝統的」なやり方をとりいれていく。

1997年に制定された地方自治に関するファ レカウプレ法(Falekaupule act 1997)では,

ファレカウプレ(falekaupule)と呼ばれる年 長者による「島会議」が地方自治における最

高決定権を持ち,首長は同会議を招集する権 限を持つと定めている。それまで自ら決定権 を持っていた評議会であるが,1997年以降 には,すべての決定事項は島会議に委ねられ るようになったため,評議会で話し合われた 内容は逐一,島会議にて報告され,そこで承 認されることで初めて実行に移されるように なった。

ファレカウプレ法は,各島で行われてきた 島コミュニティの話し合いを地方自治の中に 取り入れたものである。そのため,具体的な 話し合いの仕方や首長の選出方法やその役割 などその内実をそれぞれの島の「伝統(tuu

mo aganuu)」に委ねている。ナヌメアでは,

島コミュニティに関するすべての事柄は基本 的にそれぞれの島の集会所で開かれる「島会 議(talatalaga)」で決定されてきた。島会議 で決定されたことは「島の決定(fakaikuga

ote fenua)」とされ,それはナヌメア島民あ

るいはナヌメア島に暮らす人々すべてに拘束 力を持つ。この島会議を取り仕切ってきたの が,7つの首長クラン2)の代表者から構成さ れる「首長評議会(kau aliki)」である。首 長評議会は月に一度,話し合いを開き,現在,

島で問題になっていることについて話し合 い,島会議で話し合うべき「議題(mataupu)」 を決める。島会議においては,彼らの内の一 人が「議長(tuku muna)」として話し合い を取り仕切る。

首長は法律上,島会議を招集する権利を持 つと定められたが,ナヌメアでは実質的に島 会議がそれを担っており,首長が持つ政治的 な影響力はかなり制限されたものになってい る。島会議においても,首長は「みだりに」

発言をすることを慎む必要があり,どうして も発言したい内容がある場合は議長が代わっ

2) 7つの首長クランは以下の通りである。トゥーマウ(Tumau,別名:海のアリキAliki ote Tai), 前のアリキ(Aliki a Mua,別名:ピヘレアPihelea),後ろのアリキ(Aliki a Muli),トゥイナヌ メア(Tuinanumea),パーヘイロア(Paheiloa),タウアレプク(Taualepuku),ポロンガ(Pologa)。 首長クランのメンバーシップは父系的に継承され,島の男性のほとんどが何らかの首長クランに属 する。なお,女性は首長クランには属さない。

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てそれを伝えるように望まれている。首長に なると島内では政治的な発言をすることが難 しくなるために,首長位から離れてようやく 自分の意見が言えるようになった語る年長者 もいる。もっとも,島の人々の意見が激しく 対立している時には,首長は「島の平和を保 つために」発言をすることができる。首長が 発言することを抑制するような圧力は強い が,その反面,一度発言するとそれは争いの 余地なく,「島の決定」とされる。

島会議ではナヌメア島民の中でも男性年長 者らに決定権が委ねられており,参加者全員 が賛同するまで話し合う「合意の政治」が行 われてきた。島会議では,議長から議題が提 示されると,集まった年長者に意見が求めら れる。発言者が二人続けて同じ意見を言い,

そのほかに発言をする者が出なければ,それ で合意されたとみなされる。一方,反対意見 が出された場合には,その後,他の者によっ て意見が寄せられ,どちらかの陣営が意見を 撤回するまで延々と話し合いが続けられる。

このようにして参加者全員が同じ意見である とみなされたものだけが,「島の決定」とさ れる。近年では,多数決によって決断が下さ れることもあるが,そうした「白人のやり 方(fakapalagi)」は島の予算案の承認などの

「政府」に関する議題に限られ,「島(faka te

fenua)」に関する議論においてなされること

はほとんどない3

こうした島会議に端的に表れているよう に,ナヌメアでは,島の人々の意見が一致し,

合意を形成することが島の中で重要なことで あると考えられてきた。ツバル語で「合意」

とは,「思いが一つになる(loto tahi)」や「島 が一つになる(tahi te fenua)」などと言い表 わされ,「一つ(tahi)」というイメージでと らえられている。合意が重要視される背景 には,「平和で内的に統一された調和的なコ

ミュニティ」という「ハーモニー・イデオロ ギー」[Nader 1990; Besnier 1990, 2009]が ある。ツバル最南端の島であるヌクラエラエ 環礁での調査に基づいてベズニエが論じるよ うに[Besnier 2009],島が「平和(filemu)」,

「特に事件がない(heai ne mea fakalavelave e tupu)」 と, 人々は「幸 せ(fiafia)」 で, そ れは一般的に「美しい/よい(gali)」こと であるとされる。さらに,「皆が集まり(kau tahi)」,「力 を あ わ せ(fakatahi tou malosi)」 て,「島が一つである(tahi te fenua)」と島 が「発展(atiakega)」していくと語られる。

翻って,「無知(pouliuli)」な人々が「ばら ばらに好き勝手やる(fai valevale)」と,や がて,「争いが起き(fifi)」,最悪のケースで は島が「二つに割れ(too ki lua)」,人々は「悲 しみ(fanoanoa)」,それは「美しくない/よ くない(he gali)」ことであると言われる。「分 別のある(maina)」大人は,「相互に愛情を もって(fealofani)」相手と接し,争い事を 避けるよう望まれ,合意を形成できる能力に 長けた者が多くの敬意を集める。争いごとは なるべく世帯内などの「私的」な領域に留め ておくように望まれるか,それが人目につく ような「公的」な領域にまで及んでしまう ケースにおいては,年長者らなどによって調 停が図られる。こうして,(少なくとも表面 上は)島の平和が保たれることに大きな努力 が払われる。

2 神話と首長制をめぐる争い

しかし,一方で,ナヌメア島では,何が歴 史的な事実かや何が正義かをめぐって様々な 意見が存在してきたのもまた事実である。そ の中でも,神話やそれと密接に関連している 首長制をめぐっては意見の対立が先鋭化する ことが多い。

ナヌメアの首長制は長年にわたって変容を

3) ただし,遠藤央が報告するパラオの例と同様に[遠藤2000],ツバルにおいても国政については多 数決という西洋的な意思決定のやり方へと移行している。

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被ってきており,特に30年の間廃止されて いたことから,その選出方法や具体的な役割 など,首長制のやり方をめぐって必ずしも合 意が形成されていない。ナヌメアでは首長位 は世襲されることはなく,首長クランの成員 から選ばれるという点ではすべての人の意見 が一致しているといえる。しかし,首長がど のように選ばれるのかや,首長はどのような 役割を果たすのかについては人々の意見が大 きく食い違う。2009年に筆者が聞き取った 限りで最も一般的なやり方は,7つある首長 クランの内のトゥーマウ・クランによって主 導されてきたものである。それによると,首 長は5つの首長クランの成員の中からその 時々の状況によって選出され4),その選出役 となるのがトゥーマウ・クランである。彼ら は自らのクランなしに首長が即位することは できず,問題があれば即位後の首長を解任す ることもできる首長の「監督役」を自認す る。しかし,こうしたやり方に対する異論も 多い。例えば,ポロンガ・クランという首長 クランの成員らは,トゥーマウ・クランでは なく自らのクランが首長を選出する役割を持 ち,トゥーマウ・クランを含む6つの首長ク ランの成員が首長に即位することができると する。また,前のアリキという首長クランの 成員の中には「監督役」となる首長クランは 存在しないと主張する者もいる。

首長制のやり方に多様な意見がある背景に は,首長制を正当化する役割を果たしてきた 神話に多くのバリエーションが存在するとい う点がある。問題となる神話はテホラハとい う伝説的な英雄をめぐるものであり,それは 大まかに説明すると以下のような内容のもの である。

テホラハが,サモアもしくはトンガから ナヌメア島に到着し,パイ(Pai)とバウ

(Vau)という二人の霊的存在を追い払う。

その後,一時的にサモアもしくはトンガに 赴き,再びナヌメア島に戻る。その間,テ ホラハは妻を娶り,子供をもうける。やが てテホラハは自分の子供に,首長として島 を治める役割や食物の切り分けや分配する 役割などのなんらかの役割をそれぞれ与え る。彼らの子孫はテホラハによって与えら れた役割を持つ首長クランを形成し,それ は現在に至るまで継承されている。

パイとバウを追い払う物語はかなり定型化 されており5),筆者の調査中にもほぼ同じプ ロットを何度となく耳にした。上記で記した 以外の内容に関しては,類似したプロットが 使われていることもあるが,その細部に多く の差異がみられることが多い。例えば,前述 のトゥーマウ・クランに伝わってきたとされ る伝承では,ギルバート諸島民が島を襲って きた時に,ロゴタウがそれを撃退することに 成功し,それ以来彼は首長の監督役となった という逸話がある。ロゴタウはトゥーマウ・

クランの始祖とされる人物であり,この逸話 がトゥーマウ・クランが首長の監督役である のを正当化するものであるとされる。他方で,

前のアリキ・クランの成員の間で伝承されて きた神話には,ギルバート諸島民に関する言 及はなく,よって,首長の監督役クランの存 在を示唆するものはない。また,ポロンガ・

クランの成員らが伝承してきた神話では,ギ ルバート諸島民を撃退したのは,ポロンガ・

クランの祖先であるタガタウリという人物で あるとされ,それがポロンガ・クランガが首

4) 首長になれる5つのクランとは,全部で7つある首長クランの内,ポロンガとトゥーマウを除いた 前のアリキ,後ろのアリキ,トゥイナヌメア,パーヘイロア,タウアレプクである。ポロンガ(pologa)

はツバル語で「奴隷」という意味であり,首長の従者であるとされる。また,トゥーマウは首長の 監督役を自認している。よって,首長クランとして数えられるものの,この二つのクランの成員が 首長になることはないとされることが一般的である。

5) こ の 逸 話 に 関 し て 詳 し く は, 以 下 を 参 照[Chambers 1984: 29-31; Chambers and Chambers 2001: 50-51; Isako 1983: 48-49]。

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長の選出を行うことを正当化するものである とされる。

首長制や神話をめぐる多様な意見は,時に 深刻な争いを招く原因になってきた。例えば,

1994年には,首長の役割をめぐる意見の齟 齬を契機に島を二分する対立が形成されてい る。対立の発端となったのは,セブンスデイ・

アドベンティストの宣教師がナヌメアに来島 した際に,島会議が彼らの即時追放を決議し たのに対し,当時の首長であったノアがそれ を覆し,彼らの受け入れを決めたことにあっ た。一部の者による激しい抗議を目の当たり にした宣教師らはすぐに島を去るが,その後 も,首長ノアの行動を支持する者としない者 に分かれて反目が続いていく。その後,しば らく小康状態にあったが,1999年2月に反 対派は自らの立場を弁明するために,シチア という年長者を首長として選出する。反対派 が集会所に集まってシチアの即位儀礼を敢行 し,それまではかろうじて水面下におさまっ ていた島を二分する対立は一気に緊迫した状 況になる。

また,2002年に前のアリキ・クラン出身 の男性年長者であるライナ6)という人物が首 長であった時には,彼の振る舞いをめぐって 争いが起きている。この争いの背景には神話 をめぐる意見の違いがあった。ライナが所属 する前のアリキ・クランに伝わる神話では,

首長の監督役をする首長クランが存在せず,

首長が持つ政治的な影響力を抑制する者が出 てこない。そのために,彼らは,島会議は年 長者が意見を言い合う場所ではなく,首長の 命令を島の人々に伝える場所であるととらえ ている。ライナが首長に即位すると,そうし たリーダー像を実践し始める。彼の取った行 動の中で,最も論議を呼んだのが,長らく敵 対してきたある男性年長者に対して,島会議

において村落が共同で管理していた基金を横 領したとして公然と糾弾した点であった。ラ イナのこの言動に対して,その意図を評価す るものの,その命令の是非に対して反発する 者も現れ,やがて,彼に賛同する者と反対す る者とで島を二分した争いへと転化してしま う。ライナに反対していた者の大半は,首長 の監督役が存在する神話を信じており,こう した首長の言動は正当化されるものではない ととらえていた。

この二つの争いでは,島を二分する対立が 形成され,島全体が緊迫した雰囲気に包まれ ていく。両陣営は島の至る場所で小競り合い を続け,そうした中で何人かが負傷していっ た。そのため,島の集会所で行われる饗宴や 時には島会議すらも開催されなかった。これ は,「ハーモニー・イデオロギー」の強いナ ヌメア社会においては,極めて憂慮すべき事 態であるととらえられてきた。ただし,島全 体が極度に緊張していったが,死者を出すほ どの紛争になったというわけではない。さら に,いずれのケースでも事態を重く見た政府 が,ナヌメアから選出された国会議員,政府 官僚,警察官などを派遣し,当事者たちと話 し合った末に,それぞれ当時の首長が辞任す ることで幕引きが図られている。首都在住の ナヌメア島民の年長者らは,政府の特使に同 行するかたちでナヌメア島に赴き,争いの調 停を行ってきた。

Ⅳ 憲章作成と神話テクストの分析

1 憲章作成の展開

それでは,憲章の作成を進めてきた首都在 住のナヌメア島民について説明していこう。

ナヌメア島民が首都フナフティ島に住み始 めたのは,1978年のツバル独立前後であり

6) ライナは,1950年代にナヌメアに生まれ,ギルバート諸島タラワ環礁にある船員養成学校を卒業 した後,インド,オーストラリア,日本などを繋ぐ海運会社のタンカー船で数年ほど働く。その後,

ナヌメアに帰郷したところで,人類学者チェンバースによって調査助手として雇われた経験を持つ

[Chambers and Chambers 2001: 6]。

(9)

[小林2010],2002年現在ではホームランド の人口とほぼ同数の661人が居住している

[Secretariat of the Pacific Community 2005]。

首都フナフティ島では,ナヌメア島出身者に よって建てられた集会所を中心にコミュニ ティを形成している。首都在住のナヌメア島 民たちにとって,集会所は冠婚葬祭やその他 の饗宴が開かれる場として彼らの社会生活に 不可欠のものとなっているほか,ナヌメア島 と同様に,月に一度,島民たちによる島会議 が開かれ,ホームランドで行われる開発プロ ジェクトに対する資金提供などさまざまな議 題について話し合われる。

首都在住のナヌメア島民のコミュニティ は,ナヌメアの「ナヌ」とフナフティの「フ ティ」を合わせた「ナヌフティ(Nanufuti)」 という名称で呼ばれている。この名前に表れ ているように,彼らはホームランドと移住先 との間に位置し,そして,両者にとって周辺 的な位置にある。首都在住者による会議では,

ホームランドでの活動に関する議題も多く,

彼らの関心は首都での生活の向上と同じくら い,ホームランドでの活動に関心が払われて いる。ただし,首都在住者の会議では,基本 的にはホームランドからの(金銭的な)要求 にいかに応えるのかに焦点が置かれ,通常は ホームランドへの政治への介入は極めて限定 的である。他方で,長らく首都に居住してき たナヌメア島民は,ホームランドに住んだこ とのない者も多く,首都での生活スタイルや 独自のネットワークを構築してきた。しかし,

彼らは依然としてそこでの生活を仮住まいと してとらえている。また,首都フナフティ島 での地方自治はフナフティ島民による会議に

よって決定されており,そこに関与する機会 は事実上ない。

憲章作成プロジェクトは,1993年3月に,

首都在住のナヌメア島民の会議にて,タギシ ア7という一人の年長者の提案から始まる。

タギシアはナヌメア島の伝統文化を網羅した 憲章を共同で作成することを提案し,満場一 致で賛成されたという。首都在住者の賛成を 取りつけた後,タギシアを中心に「憲章委員 会(Komiti Fakavae)」が結成され,有力な 男性年長者らがそこに参加した。憲章委員会 はまず,以下のテーマを記録すべきであると 決定した。1)ナヌメア島民の起源,2)集 会所での慣習と首長制,3)島全体にかかわ る慣習と伝統,4)資源とその伝統的な利用 方法である。本論で扱うテホラハ神話はまさ に1)の中心となるものであり,憲章の中で も最も重要なテーマである。憲章は「ファカ ヴァエ(fakavae)」と呼ばれ,土台や基礎を 意味し,転じて憲法や憲章という意味を持つ

[Jackson 2001]。「伝統(tuu mo te aganuu)」 や「慣 習(faifaiga mahani)」 で は な く, 憲 章という言葉が選択されたのには,ナヌメア 島民にとってこのプロジェクトがどのような 意味を持っているのかが示されている。すな わち,それは単に伝統文化に関する記録では なく,伝統文化に関するさまざまな行為を実 践していくための実際的に利用価値が高いガ イダンスとなることを目指しているのである

[Fenua o Nanumea 2004: 19]。

憲章の作成が始められた背景には,伝統文 化が失われつつあるという危機意識があっ た。首都フナフティ島では生活が急激に近代 化する一方で,ツバルの独立に伴う伝統文化

7) タギシアは,1943年ナヌメア生まれの男性で,小学校を卒業した後,進学のためにギルバート諸 島タラワ環礁に向かう。学校を卒業後,彼はタラワ環礁で大工として働くことで生計手段を確立し ていた。しかし,その後,1975年のギルバート諸島とエリス諸島の分離,1978年の独立という流 れの中でツバルに帰還し,新たに首都が置かれることになったフナフティ島での首都建設に付随す るさまざまな家屋の建築に従事する。なお,彼はポロンガという首長クランに属すが,後述する神 話⑥をはじめとする自らの首長クランの神話や他の神話について,「もともとは知らなかった」と しており,また,彼がポロンガ・クランに所属する点はほとんど彼の活動に影響を与えていない。

(10)

の再評価という流れの中で,伝統や伝統的な 島の生活に関するノスタルジーを感じるよう になっていた。さらに,憲章作成には,首都 在住のナヌメア島民としてのアイデンティ ティをめぐる問題もある。彼らは首都での他 の離島民やフナフティ島民との交渉の中で自 らを差異化するものとして神話に対する関心 が高い。また,ホームランドの「真実」の伝 統からは遠ざかっているものの,それを成文 化することができるのは,教育程度の高い首 都在住者にしかできないという自負心もあ る。一般的に首都在住者の間では,年長者ら が伝統をめぐる争いに終始し,島の「発展

(atiakega)」が遅々として進まないと批判す る者も多い8)

憲章委員会は,首都在住者ではなく,ナヌ メア島在住の年長者たちが「真実」の伝統を 知っているとして,当初は彼らの共通見解を 記録すればよいと考えていた。そのために,

上記のテーマを中心とする質問表を作成し,

それをナヌメア島のコミュニティに回答する ように求めた。これを受けてナヌメア島では 島の集会所にて有力な年長者が週2回集まっ て話し合いを持った。彼らは,何度か話し合っ た後で,島会議で承認を得ることができると 考えていた。しかし,資源利用などのテーマ に関しては合意が形成されたものの,神話や 首長制に関するテーマについては議論が紛糾 し,話し合いが暗礁に乗り上げてしまう。

その後,ナヌメア島では首長制と神話を めぐる争いが何度か起き,それが憲章委員 会の活動方針にも大きな影響を与えること になる。前述したように1994年には,セブ ンスデイ・アドベンティストの宣教師の受け 入れをめぐって島を二分する対立が起きてし まい,何が「真実」の神話なのかを話し合う どころではなくなってしまう。この争いの中 で,伝統の守護者であり,争いごとの調停を

期待されているはずのナヌメア島の年長者た ちは,神話や首長制をめぐる争いに対して無 力であったばかりか,むしろ争いごとに加担 していた。こうした状況に対して,首都在住 の年長者の間で,ナヌメア島の年長者に対す る不信感が募り,ホームランドの政治への介 入を求める声があがっていく。

こうした状態を受けて,プロジェクトの進 め方が変化していく。当初は,ナヌメア島の 年長者に伝統文化の取りまとめを任せていた が,ナヌメア島の年長者から情報を集め,首 都在住のナヌメア島民の年長者らの意見を聞 きながら,憲章委員会がそれを取りまとめる というかたちになっていった。憲章委員会の 中でも特に代表のタギシアは精力的に活動を 展開し,用事があってナヌメア島を訪れた時 や,逆にナヌメア島の年長者がフナフティ島 を訪れた時に,彼らから伝統文化に関して聞 き取っていく。さらに彼はこうした聞き取り 調査に加えて,古文書館に通って植民地時代 の行政資料や,人類学者の民族誌,歴史学 者による著作などを参照しながら,1990年 代末にはツバル語で書かれた草案[Tagisia n.d.]を完成させる。

さらに前述した通り2002年にも,首長の 振る舞いをめぐって島を二分する争いが起き る。争いが収まると,首都在住ナヌメア島民 の島会議にて憲章によってホームランドの争 いに対してより積極的に介入していく必要性 が叫ばれるようになる。これを受けて,憲章 委員会はナヌメア島で1970年代半ばにこの 神話についての調査を行ったアメリカ人人類 学者チェンバースと連絡を取り,協力を要 請する。2003年9月にチェンバース夫妻は フナフティ島に来島し,首都在住のナヌメア 島民の年長者らによる会議に参加し,草案に ついての意見交換をしている。また彼らは 草案を手に12月から翌年1月にかけてナヌ

8) 筆者の調査中でも,首都在住のナヌメア島民の間で「ナヌメアの年長者たちは狂った(ko valea toeaina i Nanumea)」と言われているのをよく耳にした。

(11)

メア島に赴き,内容についての意見を年長 者らから意見を聞き取っていった9)。この時 に得られたコメントは再び,首都在住ナヌメ ア島民の間で話し合われ,草案の中に反映さ れていった。こうして,2004年2月に草案 の改定が完了する10)。この改訂された草案は 2005年11月には,タギシアの手によってナ ヌメア島にて配布され[Fenua o Nanumea 2004: iv],2009年現在彼らからのフィード バックを待っている状態にある。次節では,

この時に配布された最新版の草案のテクスト を詳しくみていこう。

2 対立する神話

それでは,憲章の中での神話をめぐる分析 について説明していく。まずは,神話のバリ エーションの多様性をどのようにとらえてい るのかをみてみよう。憲章では,ナヌメア島

の神話をめぐる現状について「一つではない

(he tahi)」,「錯綜している(fifi)」と形容し,

「もし,ナヌメアの集会所に座って,さまざ まな年長者が話すのを聞くならば,それぞれ 異なる物語を聞くことになるだろう」と描写 している[Fenua o Nanumea 2004: 18, 29]。

その理由として「彼らは異なる社会・政治的 な集団の出身であり,彼らの意見は自らの個 人的な見解を表しているのみならず,自らが 育った家族内での伝統に根ざして」いるか ら だ と 指 摘 す る[Fenua o Nanumea 2004:

18]。そして,神話は政治的なものであり,

「それはある家族に権力や権威を与え,その 社会的地位を確立するように働く」という

[Fenua o Nanumea 2004: 18]。

もっとも,憲章では,さまざまな神話が「錯 綜」する状態をそのまま提示しているわけで はない。神話をめぐる争いは次に説明するテ 9) 憲章作成プロジェクトに参加しているように,そこには人類学者チェンバースの影響が如実に表れ ている。さらに,これに加えて,後述する神話の多くがチェンバースの民族誌[Chambers 1984]

から引用されているように,憲章はチェンバースの民族誌の延長線上に位置づけることができる。

しかし,こうしたことをもって,憲章のすべてをチェンバースの影響に帰することはできない。憲 章はナヌメア島民の間ではタギシアのプロジェクトであるととらえられており,憲章委員会の者は あくまでも自たちがこのプロジェクトを進めてきたと主張する。同じテホラハ神話を扱ったもので あるとはいえ,チェンバースのアプローチは憲章のそれとは対照的である。チェンバースは,自ら の調査について以下のように述懐している。「初め,こうした「テクスト」に対して,私たちは最 も正統な神話を探し出そうとアプローチした。そうした神話を寄せ集めて,過去についてのナヌメ アの集合的な知識を表象するような全体をつくりあげようとした」。しかし,「このアプローチは,

西洋的な世界観に適合的であるが,ローカルな歴史が継続的に展開する本質とそれぞれの家族の意 見には固有の相違点があることを無視するものである」ことがわかったため,神話は「今現在の政 治的と密接に関連しているがゆえに,コミュニティ内での言動の中で重要な位置を占め,人々によっ て語られ,議論される(そして,絶えず言い争われる)のである」[Chambers and Chambers 2001]。これに対して,憲章ではチェンバースが参加する以前につくられた草案の段階ですでに政 治的な利害関心から発する多様性は議論の出発点であり,そこからどのようにして共通性を見出し ていくのかに力点が置かれていた[Tagisia n.d.]。2004年に改定された草案も基本的にこの延長 線上にあり,伝統に関する多様な意見をどのように集約し,それを基にいかに神話の「真実」へと 到達しうるのかについて模索したものである。こうした点から,チェンバースの協力は憲章作成に 不可欠であり,彼の民族誌はそれをつくりあげる上で有力な情報源の一つとして利用されてきたも のの,憲章は首都在住のナヌメア島民,その中でも特にタギシアという年長者によって主導された,

ツバル的な「合意の政治」に基づくプロジェクトであるといえる。

10)この時に,憲章の正式なタイトルは『ナヌメアの起源,行為,知識(Tupuga, Faiga mo Iloga faka

Nanumea)』と定められた。目次をみると,首長制,集会所,ガバナンス,集団,家族,分配・共有,

資源,漁撈,カヌー,家,記念日,ゲームなど実に多くのテーマを網羅していることが分かる。もっ とも,憲章の目的は,「ナヌメアに関するすべてのことを記録すること」[Fenua o Nanumea 2004:

iii]にあるので,こうした項目は「出発点に過ぎない」といい,さらに,教育,医療,天気予報,

星座,詩歌,呪術などの20項目を追加すべきであると述べられている。なお,この時に英語版 もつくられている(英語版タイトル『ナヌメアの起源,慣習,アイデンティティOrigins, Customs and Identity of Nanumea』)。

(12)

ポウ(Tepou)とタキトゥア(Takitua)と いう二人の年長者によって語られた神話の対 立として整理されている(前者を神話①,後 者を神話②とする)11)。以下,それぞれの神 話に概略していく。

神話①

パイとバウを追い払ってナヌメア島を手に 入れた後,テホラハはラウキテ(Laukite)

という名の霊的な存在(aitu)と結婚する。

二人は娘をもうけるが,魚のような口を持 ち,食人をしていたため,テホラハは彼女 を殺してしまう。二人目以降も同様であっ たが,五人目に食人をしない娘コリ(Koli)

が生まれた。他にもテホラハは二人の息子

に恵まれ,それぞれテイロ(Teilo)とテ パー(Tepaaと名づける。(この二人の母 親はラウキテであるかもしれないが,よく わからない)。テホラハはコリが首長となっ て島を治めるように命じたが,コリは女性 であることを理由に首長位をテイロとテ パーに譲り,自らは首長の監督役となった。

テイロとテパーから前のアリキ(Aliki a Mua)と後ろのアリキ(Aliki a Muli)の 系統が始まる。その後,テホラハはトンガ で新たに妻を娶り,二人の間に,トゥータ キ(Tutaki),フィアオラ(Fiaola),ラベ ンガ(Lavega)の三兄弟が生まれる。テ ホラハは彼らにテイロとテパーの二人に仕 えるよう命じた。トゥータキは食物の分配,

11)神話①,②ともにチェンバースの民族誌[Chambers 1984]からほぼそのまま引用されたもので ある。

図1 神話①における系譜関係[Fenua o Nanumea: Ata 2.1を改変]

図2 神話②における系譜関係[Fenua o Nanumea: Ata 2.2, 2.3を改変]

(13)

フィアオラは食物の切り分け,ラベンガ は首長の即位を司る[Fenua o Nanumea 2004: 19-22]。

神話②

フィジーとサモアを征服した後,テホラハ はテアティ(Teati)という名のサモア人 と結婚する。しかし,テアティが子供をも うけなかったため,新たな島を探しに航 海に出て,ナヌメア島に到着する。パイ とバウを追い払ってナヌメア島を手に入 れたテホラハはトンガに帰り,プレアラ

(Puleala)という名のトンガ人と結婚し

た。テホラハとプレアラとの間にはトゥー タキ,フィアオラ,ラベンガの三兄弟が生 まれる。やがてテホラハは三兄弟にそれぞ れ役割を与えた。次男のフィアオラは食物 を正しく切り分ける役割,長男のトゥータ キはそれらを分配する役割を担う。末弟の ラベンガは首長として島を治める。ラベン ガのひ孫であるテイロとテパーの異母兄 弟によって首長の系統が前のアリキと後 ろのアリキに二分する。テパーから数え て12世代後のロゴタウ(Logotau)は襲 来してきたギルバート諸島民を撃退する が,それを契機に首長位を他の系統に譲 り,自らは首長の監督役となった[Fenua o Nanumea 2004: 23-27]。

3 対立の架橋と共通性の模索

こ こ ま で は, チ ェ ン バ ー ス の 民 族 誌

[Chambers 1984]に則るかたちで整理され ている。しかし,これより先の議論ではそれ を乗り越え,神話①と②の対立の解消を目指 す。そこで注目したのが,神話①と②の両 者の要素を併せ持つ神話である。憲章では,

ヴ ァ ハ(Vaha)と ロ ゴ タ ウ(Logotau)と いう二人の男性年長者によるバリエーション

が採録されている(前者を神話③,後者を神 話④とする)12)。神話①と②が「核(malosi)」 とされているのに対して,この二つは「架 橋(fakahokohoko)」するものと表現される

[Fenua o Nanumea 2004: 28]。つまり,「核」

となる神話を両端にし,その間に「架橋」と なる神話が位置づけられることになる。それ ぞれの神話の内容を簡単にみてみよう。

神話③

パイとバウを追い払ってナヌメア島を手に 入れたテホラハは,一度故郷に戻り,妻で あるプレアラを連れて再びナヌメア島に 帰ってきた。彼らの間には,トゥータキ,

フィアオラ,ラベンガという三人の息子と 一人娘コリが生まれる。子供が成長した 後,それぞれの子供に役割を与えて,テホ ラハはサモアに移り住んだ。長男のトゥー タキは食べ物を分配する役割,次男のフィ アオラは食物を切り分ける役割,三男のラ ベンガは首長として島を治める役割が言い 渡された。ラベンガは首長の役割をコリに 譲り,自らは「千里眼(mataili)」を受け 取ることを主張したが,コリはマタイリを 自分が譲り受けて首長の助言役となり,ラ ベンガが首長の役割を担うよう認めさせた

[Fenua o Nanumea 2004: 30]。

12)神話③はチェンバースの民族誌に収録されていたものである[Chambers 1984: 255-257]。ただし,

チェンバースはこの神話から島コミュニティの統合を求める動きを読み解けると指摘するものの,

神話のバリエーションとその政治性に注目していた彼はそれ以上の分析を行っていない。

3 神話③における系譜関係[Fenua o Nanumea 2004:

Ata 2.4を改変]

(14)

神話④

トンガの戦士であるテホラハは,パイと バウを追い払ってナヌメア島を手に入れ た。ナヌメア島でラウキテという名の精霊 と結婚し,子供をもうけた。その後,テホ ラハはサモア,トンガ,ナヌメア島を往来 しながら戦いに参加しつつ,こうした島々 からナヌメア島を含むツバルの島々に人々 を送った。しかし,ラウキテの子供たちで あるネネフ(Nenefu),モエガ(Moega), フィネハウ(Finehau)はそうした人々を 食べてしまっていると知ったテホラハは,

彼女らを詠唱(oga)によって消し去って しまう。コリという名の娘だけは食人をし なかったので,殺さなかった。その後,テ ホラハはトンガに行き,プレアラという名 の女性と結婚し,トゥータキ,フィアオ ラ,ラベンガという三兄弟をもうける。や がて,テホラハは島を離れることを決意し,

長男のトゥータキには食べ物を切り分けて 分配する役割を,次男のフィアオラには司 祭(olioli)として首長と神の仲介する役 割を,三男のラベンガには首長として島を 治める役割を言い渡した。さらに,この三 人の息子に対して姉のコリのいうことをす べて聞くように命じ,島を去った[Fenua o Nanumea 2004: 31-33]。

この二つのバリエーションで語られている 内容は,神話①と神話②のそれぞれの要素を 含んだものになっていることが確認できる。

その中でも特に重要なのは,コリとトゥータ キ,フィアオラ,ラベンガの三兄弟に関する 言及である。コリを首長の監督役とする神話

①では,トゥータキ,フィアオラ,ラベンガ の三人は単なる補佐役にすぎなかった。一方,

神話②では,三兄弟の末弟ラベンガを首長の 系統とし,コリは登場しない。これに対して,

神話③では,コリとトゥータキ,フィアオラ,

ラベンガは兄弟であり,ラベンガが首長の系 統とされ,コリは首長の助言役とされている。

神話④においては,三兄弟の末弟ラベンガが 首長の系統となり,コリのいうことに従うと される。つまり,神話③,④では,コリとトゥー タキ,フィアオラ,ラベンガの三兄弟の関係 がうまく調停されているように見える。こう した点から,この二つの神話は,「核」とな る二つのバリエーションを「架橋」し,その 対立を緩和するものであると主張される。

こうして神話①と神話②は対立を「架橋」

した上で,憲章では「真実」の神話を探るこ とを試みる。そのためにまず,それぞれの神 話を項目ごとに分割し,その要素の組み合わ せを探ろうとする。神話①から④までは,テ ホラハの出身地,テホラハの子供で霊的存在 である者がいるかどうか,テホラハによって 首長とされた者,首長の監督役の存在などの 点で比較した一覧表が制作されている。四つ の神話の異同を項目毎に簡単に比較できるよ うになっているこの一覧表によって,神話

①と②で出てくる要素が,さまざまな配列 で組み合わされていることがわかる。そし て,ここで問題となるのはそうした要素の組 み合わせであるが,憲章ではこの点について の一つの解答を提示するのではなく,「真実 の真実の神話」は「この中のどこかにある」

ということを示すに留まっている[Fenua o Nanumea 2004: 40]。

図4 神話④における系譜関係[Fenua o Nanumea: Ata 2.4を改変]

(15)

そうした作業を基に,次に憲章では,表面 上の対立を超え,よりメタレベルでの共通性 を取り出そうと試みる。これは,具体的なテ ホラハの子孫の系譜関係,テホラハの子孫の 中で誰が首長になるべきか,テイロとテパー はテホラハの子供か否か,食物の切り分けを するのは誰か,首長の監督役は誰かなど具 体的なレベルでは意見が異なる事項に対し て,それが問題化しない抽象的なレベルで共 通性を見つけようとするものである。憲章で は,テホラハがナヌメア島民の始祖であるこ と,今日のナヌメア島の首長はテホラハの子 孫がなること,テイロとテパーという二つの 系統に分かれること,食物の切り分けと分配 という首長を補佐する役割をする者が存在す ること,首長を監督する役割をする者が存在

することなどが共通点であると指摘している

[Fenua o Nanumea 2004: 28]。

Ⅴ ナヌメア社会からの反応

1 憲章の領有と利用

それでは,ナヌメア社会では憲章や憲章作 成プロジェクトに対してどのように反応して きたのかをみていこう。ナヌメア社会が示し た反応にはさまざまなかたちがあるが,概し て憲章作成の趣旨に肯定的であり,多くの年 長者たちはそれに協力していく必要性を認め ているといっていいだろう13)。もっとも,何 が「真実」の神話であるのかや,「真実」の 首長制のあり方について島会議などの「公 的」な場で取り上げることは大きな論争とな

1 テホラハ神話の諸バリエーションの一覧表

項目 核となる神話 架橋する神話

神話① 神話② 神話③ 神話④

テホラハの出身地 トンガ サモア 言及なし トンガ(ただし,

幼少期はサモア)

テホラハの子の中で 霊的存在である者

いない いる いない いる

テホラハによって首 長とされた者

ラベンガ コリ

(後に,コリはテイ ロとテパーに譲る)

ラベンガ

(ラベンガはコリに 譲ろうとした)

ラベンガ

テイロ/テパー ラベンガの子孫 テホラハの子供 ラベンガの子孫 ラベンガの子孫 ラベンガの地位 全ての首長は

ラベンガの子孫

首長であるテパー とテイロに仕える

全ての首長は ラベンガの子孫

全ての首長は ラベンガの子孫 首長の補佐 食物の分配

(トゥータキとフィ アオラ)

食物の分配

(トゥータキと フィアオラ),

首長の選出

(ラベンガ)

食物の分配

(トゥータキと フィアオラ)

食物の分配

(トゥータキ), 司祭(フィアオラ)

コリの役割 言及なし 監督役 助言役 言及なし

首長の監督役 ロゴタウ コリ コリ(助言), ラベンガ

(首長の選出)

フィアオラ

(宗教的助言のみ)

[Fenua o Nanumea 2004: Ata 2.5を改変]

13)筆者の聞き取りの中で,唯一憲章作成それ自体に対して否定的な意見を公言していたのは,島評議 会の評議員である一人の男性年長者である。この年長者は,1940年代にギルバート諸島タラワ環 礁に生まれ,1980年代にツバル・ナヌメアに移り住んできた経緯を持つ。長らく植民地行政府で 働いていたこともあり,「伝統」よりも,「白人(palagi)」のやり方を重視する年長者としてとら えられている。ナヌメアの神話は,伝承の過程で自分たちの都合のいいように変えられた「嘘の物 語(tala loi)」であり,憲章作成の趣旨そのものが,まったく意味をなさないと主張していた。

(16)

るため,「ハーモニー・イデオロギー」が強 いナヌメアでは,それについて話し合うこと をためらうことが多い。よって,憲章作成に 協力を表明しつつも,実際にはナヌメアの年 長者の多くは,憲章作成に対して一定の距離 を保っており,積極的に関与しているわけ ではない。そういう意味で,ナヌメアにお いては,憲章は積極的に関与すべきものと いうよりも,表向きにはその活動が「賛辞

(fakamalo)」されるが,実際的にはそれに消 極的に関わっているものであるといえる。年 長者の多くは,積極的に合意を形成すること よりも,むしろ,いかに自らのやり方で首長 制を実践するかに関心があり,何が「真実」

の神話であるのかについて話し合うよりも,

その情報を手元においておく傾向にある。

この点について,2005年11月にナヌメア に配布された草案の顛末をみてみよう。ナヌ メア社会に配布された草案は合計10部であ り,主な配布先は首長,評議会,首長クラン 会議の長などの何らかの役職にあった者に届 けられた。草案には一読した後に他の年長者 に渡して多くの者が読めるように注意書きが なされていたが,他の者に回されることはほ とんどなく,当時,受け取った者がそのまま 家で保管していた。筆者が調査をした2009 年には,何人かの年長者が個人的に所有して いたほか,何部かは行方不明であった。草案 を所有していた一人である年長者60代であ るイリアラという人物は,同書を保管してい た理由として,それには伝統についての「重 要な(taua)」情報が書かれているためといっ ていた。イリアラは有力な年長者であったが,

必ずしも伝統についての知識を持っている者 としては考えられていなかった。また,彼が 所属するのはトゥイナヌメアという首長クラ ンであるが,そのクランを正当化する神話は 現在,知られていないため,彼にとって,ど のような神話が書かれているのであれ,この 草案を保持しておくことは,伝統についての 多くの情報を領有し,年長者(toeaina)と

して自らの政治的な立場の権威性を強化する ための資源であったと考えられる。

イリアラ以上に憲章によって政治的な利益 を受けるのが,トゥーマウ・クランの年長者 らである。トゥーマウ・クランは,首長の監 視役を自認する首長クランであり,その役割 は神話②によって正当化されている。トゥー マウ・クランの正統性を端的に表すのが,神 話②におけるロゴタウと呼ばれるトゥーマ ウ・クランの創始者となった人物が襲来して きたギルバート諸島民を撃退し,それを契機 に自らは首長を監督する役割を担うことに なったという逸話である。この逸話により,

首長よりもその監督役クランの方が最終的な 決定権を持つことが示される。実際,少なく とも1986年の首長位の復活以降において,

トゥーマウ・クランが首長の選出を担うこと が多く,このクランなしに首長が即位するこ とはできないと主張してきた。また,即位後 の首長にも影響力を及ぼしており,例えば首 長の言動に何か問題があればそれを改善する よう要求したり,場合によっては首長を解任 したりしてきた。

元をただせば,憲章に収録されている神話

②は,トゥーマウ・クランの年長者である ソーセメアの語りが記録されたものであり

[Chambers 1984: 85],彼が所属するトゥー マウ・クランの立場から首長制の成り立ち を説明するものであった。これが記録され た1970年代から1980年代においては,ナ ヌメアの神話をめぐる政治的な状況は,神話

①と②の対立としてとらえることができる ものであった[Chambers 1984; Chambers and Chambers 2001]。しかし,1990年代か ら2000年代にかけて,神話①の政治的な重 要性は低下し,筆者が調査を行った2009年 においては,神話①の語り手は複数人いた が,それが政治的な意味を持っていなかった。

よって,神話①と②の対立を解消することを 目指す憲章は結局のところ,神話②の正当化 するものとして作用してきたと考えられる。

(17)

トゥーマウ・クランの成員もまた,憲章が 持つ政治的な意味について自覚的であった。

そのため,例えば,筆者が同クランのソーセ メアから神話についての話を尋ねた時に,「真 実は憲章にすべて書いてある」とし,「他の 年長者らは何も知らないからそれを参照する のが一番よい」と薦めてきた。さらに,チェ ンバースが人々の意見を聞きに来たり,憲章 委員会の代表のタギシアが草案を配布しに来 たりと,憲章委員会に関連する者がナヌメア に訪れた際に行われた饗宴では,真っ先にそ れを歓迎する演説をしている。

憲章が具体的にどの程度トゥーマウ・クラ ンの影響力を強めていたのかについてはより 慎重な議論が望まれるが,ここでは,憲章の 草案がナヌメアに配布された2005年以降に 顕著にトゥーマウ・クランの影響力が増加し ていることだけを指摘しておこう。1986年 に首長位が復活されて以降,トゥーマウ・ク ランを中心とするような上記のやり方の首長 制が実践されていたが,1990年代後半から 2000年代初頭にかけて,首長制をめぐる争 いが起き,トゥーマウ・クランの影響力が次 第に弱体化していく。後述するように,2004 年には,トゥーマウ・クランではなく,ポロ ンガ・クランによって首長が即位されること になり,トゥーマウ・クランの影響力の低下 が決定的になる。しかし,憲章の草案がナヌ メアで配布された2005年以降,再び,トゥー マウ・クランによって首長が即位するやり方 へと回帰し,筆者が最後にナヌメアに滞在し た2010年に至るまでそれが続いていた。

2 憲章批判と別のやり方の首長制

他方,憲章に対して批判的な声が聞かれる ことも確かである。批判的な意見を表明して いるのはもっぱら憲章の中で記述されていた ものとは異なる神話のバリエーションを伝承 してきたクランの成員である。ただし,彼ら もまた憲章作成それ自体は意味のあることだ と評価している。彼らは現在の憲章の草案が

不適切であり,それを改正する必要性を訴え ているのである。例えば,2004年1月に憲 章委員会の要請により人類学者チェンバース がナヌメアに滞在していた時,先述の首長制 をめぐる争いの招いてしまった男性年長者ラ イナが,集会所での饗宴の中でそれを非難す る演説をしている。彼は,自らの信じる「真 実」の神話を披露し,それを憲章に反映させ るように主張していた。筆者の聞き取りで再 構成したライナの神話は以下のものである

(これを神話⑤とする)。

神話⑤

パイとバウを追い払ってナヌメア島を手に 入れた後,テホラハは一度トンガに戻り,

フィネハウ(Finehau)という名の妻と結 婚する。再びナヌメア島に赴くが,しばら くして今度はサモアに向かい,プレアラと いう名の二人目の妻と結婚する。さらに,

テホラハはナヌメア島にてラウキテという 名の霊的な存在を三人目の妻として迎え る。三人の妻からそれぞれ子供を授かった が,テホラハはフィネハウの子供であるラ ベンガ,トゥータキ,フィアオラにそれぞ れ重要な役割を与えた。ラベンガが戦いの 首長(Aliki Taua)として島外からの侵略 者と戦う役割を持ち,トゥータキが海の首 長(Aliki o te Tai)として首長の旅行を司 り首長の不在中に島を治めるという役割を 持つ。そして,フィアオラが即位する首長

(Aliki Hopo)として首長になる。即位す る首長であるフィアオアラの系統が首長で あり,このクランのメンバーのみが首長に なることができる。同クランは,フィアオ ラの一人目の妻の系統である前のアリキと 二人目の妻との系統である後ろのアリキの 二つに分かれる[Fenua o Nanumea 2004: 210-215]。

神話⑤を神話①,②と比較すると,次のよ うな共通点と相違点が見出せる。まず,首長

参照

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