「いわゆる慢性膵炎疑診例」 における構造仮説継承型事例研究

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「いわゆる慢性膵炎疑診例」 における構造仮説継承型事例研究

斎藤  清 二

Seiji Saito:Structural Hypothesis―Succeeding Case Study

in Patients with So―called Suggestive Chronic Pancreatitis。

< 索 引 用語 : 構 造 仮 説 継 承 型 事 例 研 究 , 質 的研 究 法 , 慢 性 膵 炎 疑診 例 >

<Keywords i structural hypothesis―succeeding case study,

qualitative research methOd,suggestive chronic pancreatitis>

I   目 的

本項 で述 べ る事 例研 究 は, 以 下 の複 数 の論 点 に つ いて検討 す る ことを 目的 とす る。

1 ) 筆 者 が消化 器 内科 医 と して の診療 にお いて体 験 した, 特 異 な病像 と経過 を呈 す る一群 の患者 ( 血清膵酵素 の持続高値 を伴 う慢性機能性腹痛 : いわゆ る慢性膵炎疑診例)に つ いて,そ の臨床 像 , 治 療 経過 , 治 療 者 と患者 との相 互 交 流, 予 後 な どにつ いて, 事 例報 告 と して記述 す る。

2 ) 上 記 の事例 の診療経験 か ら筆者 が構築 した, 病 態 と治療 戦 略 に関 す る仮説 と, そ の変遷 過程 を記述 す る。

3 ) ,   1 ) と 2 ) の 過程 を,西 條1 ) 3 ) が提 唱 した 科 学 的 な ナ ラテ ィブ ・アプ ローチ ( 仮説 継承 型 ライ フ ス トー リー研 究 )の 観 点 か ら吟 味 し, N B M ( ナ ラテ ィブ ・ベ イ ス ト 0 メ デ ィス ン4 )

にお ける研究戦 略 と して, この よ うな研究法 が 有 用 で あ るか ど うか につ いて考察 す る。

Ⅱ 背 景

筆者 は最近 まで, 消 化器 内科 医 ( 膵臓病専 門医)

と して,15年 以上 にわ た って専 門外来診療 を担 当 して きた。 は っき りと院外 で宣伝 されて い るわ け で はないが,筆 者 の外来 は,院 内で は 「膵臓外来」

と も呼 ばれてお り, コ ン トロールが難 しい膵疾患 の患者 や,他 の臓器 の疾患 が否定 されて,残 る可 能 性 と して は膵 疾 患 くらい しか考 え られ な い とい う患者 が,院 内,院 外 か ら,私 の外来 に紹 介 され て来 るとい う構造 で あ った。

ご存 じの方 も多 い と思 うが,膵 臓 や,膵 臓疾患 とい うの は,消 化器 の うちで もか な リマイナーな 分野 で あ る。 一 般 に は,膵 臓 が身体 の ど こにあ る か,よ く知 らない とい う人 も多 いので はな いだ ろ うか ? 一 方 で は,膵 臓疾患 に関す る診 断法 とい うの もあ ま り進 歩 してお らず (最近 はそ うで もな いが),膵 臓 病 は得体 が知 れ な い とい う印象 を持 たれて いた。 また,膵 臓癌 は,あ らゆ る悪性腫瘍 の うちで ももっと も予後 が悪 い (5年 生存率 が未 だ に 5%前 後 で あ る)こ とが知 られて い る。 その ため,膵 臓 の病気 とい うと,得 体 の知 れ ない上 に, 何 か や っか いそ うな病 気 で あ る とい う印象 が,一 般 の人 の み な らず,医 師 の間 に もあ ったので はな

いか と想像 され る。

さて,教 科書 的 には,膵 臓 の病気 といえば,有

著者所属 :富 山大学保健管理 セ ンター,Center for Health Care and Human Sciences,Toyama University.

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名 な もの は,膵 臓癌 (これ は前 述 の よ うに た いへ ん悪性 度 が高 い),慢 性膵 炎 (これ は,ほ とん ど アル コールが原因 なのだが,ア ル コールをや めな いか ぎ り予後 は良 くな い)と ,聞 いただ けで気 が 重 くな りそ うな もの ばか りで あ る。 家庭 医学書 な どで,膵 臓病 の ペー ジをめ くる と,ま さに気 が滅 入 る こと請 け合 いで あ る。

しか し,実 際 には,膵 臓疾患 を疑 われ る人 は, 必 ず しもそん な は っき り した疾 患 を も って い る と

は限 らな いのだ。 そ うい う患者 さん の ひ とりが, 次 に述 べ るAさ んで あ る。

Ⅲ 事 例 1

Aさ ん。 女性。 当院初診 時39歳の主婦。 Aさ ん は もと もとは,筆 者 の大先輩 で あ る S医 師が 2年 間 ほ ど外 来 で診 て い た人 で あ る。 S医 師 が移動 す る ことにな り,外 来 を私 が引 き継 ぐことにな った のである。 S医 師か らの申 し送 りの内容 はこうだ っ た。

「いや 一,実 は何 だか良 く分か らないが, し ょっ ち ゅうおなか を痛 が る人 でね。最 初 は腸 の症状 か と思 って いたんだ け ど,途 中か ら血 清 の膵酵素 が 高 い ことに気 がつ いてね。 それで慢 性 膵 炎 だ とよ うや く分 か ったんだ。 いや ―, こ うい う人 って い るん だ ね。 じゃあ,あ とはよ ろ しく頼 む よ」。 そ こで,私 が Aさ ん と会 うことにな った。

は じめて お会 い してみ る と,Aさ ん は ご く普通 の中年女性, と い う感 じの人 だ ったが,慢 性 の腹 痛 に悩 まされ て いれ ば無理 のな い ことで はあ るが, 今 一 つ元気 の な さが感 じられ た。 それ まで の経 過 を尋 ね ると,以 下 の ことが分 か った。 病 院 を受診 す る約 1年 前 に子宮筋腫 の摘 出手術 をあ る病院 の 婦 人科 で受 けた。 退 院後 ま もな く上 腹部 痛 を感 じ るよ うにな った。痛 み は鈍痛 で,ひ ど く痛 むわ け で はな いが,い つ もす っきり しな い感 じが した。

い くつか の医療機 関 を受診 し,様 々な検 査 を受 け たが,「胃潰瘍 の疑 い」「膵臓 の働 きが弱 っている」

「膵 機能 が悪 い」 な ど と言 われ,投 薬 を受 けたが 症 状 は改善 しなか った。 そ こで,正 確 な診 断 と治 療 を求 めて,当 院 を受診 した。 初診 の担 当医 は S

医師である。血液検査,腹 部超音波断層撮影,上 部消化管,下 部消化管検査を受 けたが異常 を認め なか った。 その後約 2年 間,原 因不明の腹部不定 愁訴 と して外来 にて対症療法が行われていた。

約 1年 前,腹 痛が増強 し, そ の時点での血液検 査で,血 清 エラスターゼ 1(膵 酵素の一種)の 高 値 (668ng/dl)が 発 見 され た。 この時点 で, S医 師 はAさ ん に 「慢性 膵炎 」 とい う病 名 を告 げた。

しか し,CT,ERCP(内 視 鏡 的 膵 管 造 影 )な ど の膵臓 の画像診 断 で は,慢 性膵炎 の確診所見 は得 られ なか った。 しか し, 2週 間 に一度 の血 液検査 で は,血 清 エ ラス ターゼ 1は 常 に正常値 と超 えて お り,一 番高 い時 に は,正 常値 の 3倍 を超 え た。

膵 炎 と言 われ てか ら約 10ヶ月後 に,主 治 医 が筆者 に交代 した。

筆者 は,Aさ んか らで きるだ け多 くの語 りをひ きだ そ うと した。 その結果 まず分 か った ことは, Aさ ん の訴 えが持続 的 な上腹部痛 だ けで はな く, 背 部痛 ,肩 こ り,腰 痛 ,食 欲 不振,不 眠 な ど多彩 で あ るとい うことで あ った。 また,Aさ ん は 「膵 臓 の病 気 は一生治 らない と聞 いて い ます。 自分 で 家 庭 医学 書 な どを読 む とそ う書 いて あ りま した」

と述 べ,明 らか に悲観 的 な気分 にな って いた。 S 医 師 はまめ な タイプだ ったので,脂 肪制 限 や禁酒 を き っち りと指導 して いたが,Aさ ん はそれを過 剰 な ほ どに守 って いた。 また,外 来 で は, 2週 間 に一度 の血 液検査 を規 則 的 に施行 されて いたが, Aさ ん はその結果 を聞 くた びに一喜一憂 して い る よ うな心境 で あ った。生活背景 と して は, 6人 家 族 で 3児 の母。体調 が悪 いためパ ー トをや めて い るが,仕 事 に復帰 した い希望 を持 って い る こと も 分 か った。

こ こまで,Aさ ん の話 を聞 いて,筆 者 は こう考 え て い た。 「確 か に,血 清 の膵 酵 素 は高 い値 が続 いて い るが,画 像診 断 な どの結果 を考 え合 わせれ ば,Aさ ん は慢性膵 炎 の確診例 で はな い。 膵酵素 の異常 だ けを除 いて考 えれば,む しろ, うつ気分 を伴 う機能性 の腹痛 と考 え た方 が全体像 を説 明で きる。 いず れ にせ よ,慢 性膵炎 の治療 を して も, 状 況 は改善 して いな いの だか ら, この ま まの治療

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「いわゆる慢性膵炎疑診例」

を続 けて も しか たが な いだ ろ う」。

そ こで,そ の 旨を Aさ ん に説 明 した。説 明 の骨子 は以下 の よ うな もので あ る。

< 普 通 の意 味 で い う慢性膵炎 とは違 うと思 い ま す。 これ はだんだん悪 くな って,た いへん な こと にな るとい う状態 で はない と思 います。 それ と,

しっか り検査 を して あ りますか ら,悪 性疾患 な ど の可能性 はあ りません。症状 を完全 に治 す ので は な く,調 子 を整 えて, 日常生活 が今 よ り楽 にで き るよ うな状態 を 目標 に しま しょう。仕事 に復帰 で きる くらいの体調 になれ た らいいです ね。血液検 査 は こん な に しょっち ゅうす る必要 はな いので, 調 子 に変 わ りが な けれ ば 1 か 月 に一 度 くらいに し

ま しょう> 。

この よ うな説 明 を聞 いて,Aさ ん は うれ しそ う に して いた。投薬 と して は,食 欲増進 と うつ気分 の軽減 を狙 って,ス ル ピ リ ドを少量投与 した。

2 週 間後 の来 院時,Aさ ん は,見 違 え るよ うに 元 気 にな って いた。 「痛 み もほ とん どな い し, 夜

も眠 れ るよ うにな りま した。 食欲 もあ ります。 な に よ り も元気 が湧 いて きま した」。 筆 者 の方 が正 直言 って び っ くりす るよ うな変 わ りよ うで あ った。

さ らに驚 いた ことには,そ の一 ヶ月後 の血 液検査 で は, 1年 近 く異常高値 を示 して いた血 清膵酵素 が なん と正 常化 して いた。 その後薬物 を漸減 し, 約半 年 後 に は中止 したが, 再 増 悪 は認 め られず, 血 清膵酵素 も正常化 したままで あ った。 A さ ん は パ ー トの仕事 を再 開 し,そ の後通院 の間隔 は次第 に長 くな った。 5年 以上 にわ た り再発 は認 め られ ず, そ の後通 院 も途絶 え た。

Ⅳ  事 例 1に 関 す る考 察

こ こまで の面接 の内容 と臨床経過 か ら,Aさ ん は,い わ ゆ る慢性膵炎疑診 例 に属 す る と筆者 は考 え た。慢性膵炎疑診例 の定義 は,以 下 の よ うにま

とめ られ る5 ) 。

1 ) 膵 炎 に類似 した腹部症状 が長期 間続 く。

2 ) 血 清膵酵素 の異常 を伴 う。

3 ) 他 の精密検 査 で慢性膵炎 の確診 所見 が得 られ

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な い。

この よ うな患者 との間 に良好 な医 師患者 関係 が 構 築 され る と,   自覚症 状 の軽 減 のみ な らず, 血 液 中 の膵酵素 の値 の異常 が是正 され る ことを筆者 は しば しば経験 して い る。 ど う して この よ うな こと が起 こるのか につ いて科学 的 な証 明 は難 しいが, ひ とつ の可能性 と して心 身 をめ ぐる悪循環 とい う 観 点 を導入 す る と説 明 しやす い。

一 般 に身体 の調子が悪 い時,抑 鬱,不 安,怒 り な どの不快 な気分 が起 こって くることはむ しろ当 然 で あ る。 ところが,   この よ うな不快 な気分 は, 神経系 や内分泌系, 免 疫系 な どの複雑 な身体 的 ネ ッ

トワー クに影響 を与 え,身 体 の感覚 閾値 を低下 さ せ る,す なわち身体 を過敏状態へ とシフ トさせ る。

その結果,痛 みな どの症状 が増強す る。 ところが, 身体 症状 の増 強 は さ らに不 快 な気分 を増 強 させ る ので, こ こに心 身相 関 的 な悪循環 が生 じ,患 者 の 苦痛 ( 身体 的 な苦痛 と精神 的 な苦痛 の両者 の総和) は増 強 し遷延化 す る ことにな る。膵機能 に関 して 言 え ば,   この よ うな悪 循環 が, 膵 液 の過剰 分 泌 を や十二指腸乳頭括約筋 の収縮 な どを引 き起 こ し, 膵 管 内圧 の上 昇 を引 き起 こ し,   これ が感覚 閾値 の 低 下 と相 ま って, 腹 痛 を増 強, 遷 延 化 させ る と考 え られ る。

そ こで,以 下 の よ うな方針 によ り対応 す る こと が効果的 であ る と考 え られ る。

1 ) 訴 え の徹底 的 な傾聴 と丁寧 な内科 的診察。

2 ) 悪 性疾患 の見落 と しが ない ことの保証。

3 ) 悪 循環仮説 に基 づ く病態説 明。

4 ) 原 因探 しの放棄 と治療 目標 の再設定。

5 ) 厳 しす ぎる生活指導 の緩和。

6 ) 少 量 の抗鬱薬 の投与。

A さ ん の場 合,確 か に この よ うな対 応 によ り, 劇 的 な改善 が得 られ た。

と ころで,Aさ ん の よ うな症例 は, 日常 の診療 の中で は,決 して珍 しい もので はない。 しか し, ひ とた び,   この よ うな症例 を客観 的 0 科 学 的 に評 価 しよ うとす る と, 著 しい困難 に陥 る。 例 え ば,

A さ ん の診 断 は ど う表現 す る ことが正 しいのだ ろ うか。 A さ ん は, 軽 症慢性 膵炎 なのだ ろ うか, 消

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化 器専 門 医 と して の筆者 はそれ を否定 す る。 それ で はや は り,慢 性膵炎疑診 例 と表現 す るべ きなの だ ろ うか。 しか し,疑 診例 とい う概念 自体,客 観 性 を欠 いて い る。 「医 師 が疑 った」 とい う事 実 が 診 断 の根拠 にな るとい うこと自体 ,す で に間主観 的 な関係 性 が前 提 にな って い る。 それで は機能性 疾 患 と表現 す るべ きか ?し か し,内 臓機能 を客観 的 に評 価 した デ ー タが あ るわ けで はな い。 フと、身症 と呼 ぶべ きか ?  ′とヽ理 的側面 か ら見 れ ば, 仮面 う つ病 とい う診 断 も否定 で きない。 しか し,そ れ な らば,ス ル ピ リ ドを中止 して もなぜ増悪 しないの か ? 不 定愁訴症候群 ? 更 年期 障害 ? 身 体表 現性 障害 ? ど の よ うな診 断名 をつ けてみて も,

とて も客観 的 ・科学 的 とは思 えな い。

診 断名 に限 らず,病 態生理 的評価 に関 して も, 分 か らな い点 が多 す ぎる。 環境 ス トレスの影響 は どの程度 なのか ? 神 経症 的傾 向 や失感情 的傾 向 の評価 は ? パ ー ソナ リテイ要 因 の評価 は ? 臓 器過 敏性 が あ るので はな いか ? 分 泌 機能 はど う な って い るのか ? 運 動機能 は ? 解 剖学 的要 因 に本 当 に問題 はな いのか ? こ れ らの全 ての項 目 につ いて,評 価 す るため には情報 が絶対 的 に不足 して い る。 しか し, こ こで強調 してお きたい こと は, これ らにつ いての全 て の情報 が十分 に得 られ るな ど とい うことは,実 際 の臨床 にお いて はあ り 得 な い とい うことで あ る。 また Aさ ん の場合,そ れ らの 「客観 的 な」情報 を得 よ うとす る試 みその ものが病態 の悪循環 を増 強 して きた とい う事実 が あ る。 臨床現場 にお いて,一 例一 例 の患者個人 を 大切 に しよ うとす れ ば,病 態生理 に関 す る客観 的 な評価 を完全 に行 うとい うことは机上 の空論 で あ る。

それで は治療 的評価 はどうか ? こ の症例で は, 数年来 にわ た って続 いた苦 しみ は劇的 に改善 した。

それで は何 が効 果 を上 げたのか ? そ の証拠 はあ るのか ? 心 理療法 が効果 を あげたのか ? し か し, この よ うな対応 が そ もそ も心理療法 と言 え る のか ?抗 うつ薬 が効 いたのか ? そ うだ と した ら なぜ 中止 して も再発 しな いのか ? プ ラセ ボ効果 だ ったのか ? で は,な ぜ,以 前 に投与 された種 々

の薬剤 はプ ラセボ効果 を発揮 で きなか ったのか ? 自然 経 過 で治 ったので はな いのか ? で はなぜ 今 回 の治療 前 に何 年 間 も全 く良 くな らなか ったの か ? 医 原性 障害 ? そ うだ と した ら,医 師 にか か る前 の症状 はなぜ 出現 したのか ? 以 上 の よ う な疑 間 に完 全 に答 え る ことは,筆 者 に は絶望 的 に 思 え る。 そ うす る と,そ もそ も科学 的 ・客観 的 な 評価法 自体 が臨床 における現象を把握で きるのか ?

とい う強 い疑 間 を抱 か ざ るを得 ない。

この 頃,未 だNBMの 概念 も,考 え方 も知 らな か った筆者 は, こ の よ うな症例 の病態 を包括的 に 説 明 す るた め に は,ベ ル タ ラ ンフ ィBeltalanffy L6)に よ り提 唱 され た シス テ ム論 的 なパ ースペ ク

テ ィブによ るのが, も っと も見込 みが あ ると考 え た。 システム論 によれば,全 ての事象 は原 因 ―結 果 の単純 な直線 的因果関係 か ら成 り立 って い るの で はな く,多 数 の要素が互 いに関連 しあい,フ ィー ドバ ック しあ いなが ら主 と して 円環構造 を形成 す る シス テ ムか ら成 り立 って い る。 システムには多 数 の レベ ルが あ り,そ れ らは互 いに浸透 しあ って い る。 例 えば,あ る病 を持 った患者 を巡 るさまざ まな状況 を理解 す る場 合,分 子 レベル,細 胞 レベ ル,組 織 レベル,臓 器 レベル,心 身相関 レベル, 医師患者関係 レベル,社 会 レベル,生 態 レベルな どの多層 的 な システムが存在 して い る。 後半 の レ ベ ルにおいて は,医 師 自身 もシステムの内部 の一 要素 と して取 り込 まれて い ることに注意 が必要 で あ る。 この よ うな観点 か らは,病 態 の唯一 の原 因 はそ もそ も同定 で きな い。複数 の病態理解 の併存 が容認 され,ど の レベルの システムに焦点 をあて るか によ って複数 の有効 な治療戦 略が存在 し得 る。

したが って有効 な治療法 は一 つ で はない。 治療者 は システ ムの中 に取 り込 まれて い るので純粋 に客 観 的 な評価 はあ り得 ない。

Aさ ん の ケ ースの経験 か ら,筆 者 は,病 態仮説 と して, シ ステム論 的 な悪循環 が Aさ ん の病態 を 増 悪 させ,固 定 して いたので はないか と考 え た。

その中核 に 「自分 は慢性膵 炎 で あ り,そ れ は一生 治 らな い」 とい う,誤 った (しか し,そ れ はたぶ ん に医療側 か ら与 え られ た情報 で あ るが)思 い こ

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「いわゆる慢性膵炎疑診例」

みが あ ると考 え た。 そ して, こ の よ うな病態 に対 す る治療戦 略 と して前掲 の よ うない くつか を組 み 合 わせ て集 中 的 に行 うこ とを,そ の後 経験 され た 同様 の事 例 にお いて も試 して み る ことに した。

Aさ ん のす ぐあ とに,筆 者 は Bさ ん とい う32歳 の公務員 の患者 の治療 を体験 した。 Bさ ん は,A さん と非常 に良 く似 た病態 を示 して いた。慢性 の 腹痛 と下痢 に悩 ま されて お り,や は り,他 の医療 機 関 で,尿 ア ミラーゼの高 値 とい う比 較 的特 異性 の低 い検査値 の異常 を理 由 に 「慢性膵炎」 とい う 説 明 を受 けて いた。 Bさ ん は,慢 性膵炎 とい う診 断 (もちろん それ は厳密 には正 しい診 断 で はなか たのだが)を 非常 に悲観 的 なイ メー ジで捉 えて い た。

筆者 は, Bさ ん に対 して,Aさ ん に対 したの と ほ とん ど同 じ戦略でかかわ った。 Bさ んの腹痛 は, Aさ ん に比 べ る と軽快 す るまで に少 し長 い時間 を 必 要 と したが,結 局 は軽快 し,そ の後 は長期 間良 好 な状態が維持 され た。

Aさ ん, Bさ んの 2例 の経験 か ら,筆 者 は,慢 性 膵 炎疑 診 例 とよばれ る病 態 の病 態仮 説 と,有 効 な戦 略 を構築 し得 た と考 え,そ れを論文 にま とめ た。 ここまでの経験 によ って,筆 者 が構築 した仮 説 は,簡 略 に表現 すれば,以 下 の とお りであ る。

仮説 1:

1)膵 の器質異常 を伴 わ ない,血 清膵酵素 の上昇 を伴 う慢性腹痛 の患者 の病態 は,心 身相 関的悪 循環 によ って説 明で きる。

2)悪 循環 を増 強 させ る因子 と して,最 も重要 な 役割 を しめ るの は,「慢性膵 炎」 とい う診 断名 に 対 す る,過 剰 な までの悲観 的 な思 い こみで あ る。

3)悪 循環 を緩和 す るよ うな,医 師 と患者 の相互 交流 は,上 記 の病態の改善 に有効である。

しか し, こ の論 文 は評 価 され なか った。 日本膵 臓学 会 の機 関誌 に投稿 したが, も のの見事 に不掲 載 とな った。 内容 が,科 学 的,客 観 的 に検証 され て いない とい うのである。患者が良好 な経過 を とっ た とい うことは検証 とはみ な され なか った。 それ

における構造仮説継承型事例研究

以 上 に, こ の内容 は 「膵臓病学」 の研究 とは認 め られ なか った。 「領域 が違 うので他 の雑誌 に投稿 を 勧 め ます」 とい うのが最終結論 であ った。 膵臓外 来 とい う,最 も膵臓 病 学 的 な現 場 で の経験 か ら作 成 され た論 文 で あ った に もか か わ らず,で あ る。

しか たな く,筆 者 は論 文 の体裁 を少 し変更 して, 別 の学 術 誌 に再 投 稿 し,よ うや く論 文 は掲 載 され た5)。

それか ら しば らく して,筆 者 は上 記 の Aさ ん, Bさ ん と非常 に良 く似 た経過 と病状 を呈 す る男性, Cさ ん に出会 った。 もちろん,筆 者 はAさ ん, B さん の治療経験 を経 た上 で, Cさ ん の治療 を始 め たので あ り,当 然 の ことなが ら,上 記 の仮説 1を 念 頭 に置 きなが らCさ ん に関 わ った。 しか し,仮 説 を強 引 に Cさ ん にあて はめ るので はな く, Cさ ん の との診療 で体験 され る事 実 が,仮 説 1と 矛盾

しな いか ど うか,あ るい は仮説 を変 更又 は改良 す る必要 が な いか ど うか を考 え なが ら,診 療 にあた ることに した。

V 事 例 2

Cさ ん は,筆 者 の外来初診時40歳の男性で,主 訴 は腹痛, 下 痢,体 重減少であ った。3 0歳ころか

ら,油 っこい食事 を摂取 した り,飲 酒後 に上腹部 痛,下 痢が出没 していた。複数の医療機関で内科 的精査 を受 けたが異常 な しと言われた。32歳頃 よ り,不 眠,食 欲不振,無 気力が出現,精 神科 を受 診 し,仮 面 うつ状態 と診断 され,抗 うつ薬 による 治療を受 け,  うつ気分 は改善 したが, 消 化器症状 は持続 して いた。 精神科 へ は 4年 間通 院後 中断 (36歳)し た。 その後 は消化器症状, 呼 吸器症状 (咳,胸 部痛,息 苦 しさ) な どによ り, 断 続 的 に 内科 に通院 していた。40 歳時, 上 腹部痛, 下 痢, 体重減少 にて当科 を再受診。血清 トリプ シンが, 641ng/mlと高値 を認 めた ことか ら,慢 性膵炎 を 疑 わ れ腹部 U S ,   C T ,   E R C P を 施 行 され たが 異 常 は認 め られ なか った。飲酒 は機 会飲酒程 度 で あ り, 症 状 のあ る間 は禁酒 を守 って い るが改善 し な い。 消化 管機能調整薬, 抗 トリプ シ ン薬 な どが

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投 与 され たが,明 か な効 果 は見 られ ず,血 清 トリ プ シ ンの高値 (800〜900)も 持続 す るため,主 治 医 か らコ ンサ ル トを うけ,筆 者 が治療 を担 当す る

こ とにな った。

初 めて の面 接 にお いて,上 記 の よ うな病 歴 が語 られ た。特 に,い ままで に下痢 や腹 痛 な どの症状 に苦 しめ られ続 けて きた こと,ど この医療機 関ヘ 行 って も 「検査 で は異常 が ない」 と言 われ た こと。

そ う言 われ る とます ます不安 にな った ことな どが 語 られ た。精 神 的 な ものだ とか,ス トレスのせ い だ と も言 われ たが,自 分 で はど う して も思 い当 た るふ しが な い。 「ど う して こん な に具 合 が わ るい ん で しょう ?身 体 の具合 さえ良 くなれ ば私 には何 の問題 もないんですが」 と語 る Cさ ん に,筆 者 は 返 す言 葉 が なか った。

こ こまで の Cさ ん の話 か ら分 か った ことは,慢 性 膵 炎 と言 われ るまで に10年近 い長 い病 悩 期間 が あ り,「 慢 性 膵 炎 と言 わ れ た ため の心 配」 が生 じ たの は極 く最 近 の ことで あ る。 この慢性 膵炎 とい う病名 に関す る不安 は,現 時点 で は Cさ ん の増悪 因子 の一 部 にな って い る と感 じられ たが,そ れ だ

けで は全 て を説 明で きるとは思 われ なか った。

話 を聴 きなが ら,筆 者 は こん な風 に考 えて いた。

Cさ ん の身体症 状 は, も ちろん,い わ ゆ る消化器 の機能 的 な症状 と して説 明 し得 る。 器質 的 な異常 は, これ まで に種 々の検 査 が行 われ て も何 も発見 されて いな いのだか ら,お そ らく無 いのだ ろ う。

身体 の機 能 的症 状 に は色 々 な要 因 が影 響 す る。 も ち ろん 日常生 活上 の ス トレスな ど も大 いに影響 す る。仕事 の問題 や家庭 の問題 はどうなのだろ うか ? しか し,Cさ ん はそれ につ いて は何 も語 らな い。

隠 して い るわ けで はな く,身 体 の問題 で頭 が い っ ぱ いな のだ。 こん な状況 で,心 理 的 な ことを根掘 り葉掘 り問 いただ して も,お そ ら くうま くはいか な いだ ろ う。 それ は,今 まで の医療 機 関 で,身 体 症 状 の原 因 を探 りだ そ うと して延 々 と検 査 を繰 り 返 し,か え って状況 を悪 く して きたの と全 く同 じ こ と (こん どは心理 的 な原 因 を探 す努 力 を繰 り返 す)を して い る ことにな る。 それで は,今 一 番大 切 な ことは何 か。 それ は,今 ここで 「身体 の具 合

を なん とか して ほ しい」 と真剣 に悩 んで い るCさ ん の存在 その ものを受 け入 れ る ことで はな いか。

そ う考 えて い る うち に,つ ぎの よ うな言葉 が筆者 の 口を突 いて出 た。

< ど う もお話 を聞 いて い る と,い わ ゆ るどつ ぼ に はま って い るとい うか,弱 り目にたた りめ とい うか, そ うい う状態 の よ うですね。 身体 の調子 が 悪 い と気分 が滅入 る。 気分 が滅入 るとます ます身 体 の調 子 が悪 くな る6 い わ ゆ る悪循環 とい うやつ ですかねえ >。

す る と C さ ん の顔 色 が ば っと輝 い た。 「そ うそ う。 そ うです。 その とお りです。 ま さに悪循環 に は ま って い るん で す」。 筆 者 は, これ で Cさ ん と つ なが る ことがで きた と感 じた。 しば らく,こ れ か らの方針 につ いて話 し合 ったあ と, これ以上 の 身体症 状 の原 因探索 は と りあえず や め る こ と,   日 常 生活 に さ しつ か え な い程度 の体調 へ の復帰 を 目 標 と して治 療 を続 け る ことで合意 し, ス ル ピ リ ド と桂枝加 芍薬 湯 を投与 した。

2 週 間後 の来 院時, Cさ ん は 「前回 に比 べ る と うその よ うに調子 が良 くな りま した。仕事 も問題 な くで きます」 と うれ しそ うに述 べ た。 それ に続 いて 「10年前 は確 か に仕事上 の ス トレスが あ り, それが体調 を崩 した きっか けだ った と思 います」

と,前 回 は語 られなか った ス トレス との関連 につ いて 自発 的 に話 す よ うにな った。 その後,薬 物 を 漸 減 して も体調 は安 定 す るよ うにな った。 治療 開 始 後 6 カ 月 頃,   C さ ん は 「以前 か らス トレスが た ま った り, 色 々考 え込 んだ りす る と,ま ず不眠 に な り,そ の後必 ず腹痛 や下痢 が起 こりま した。 そ うす る とそれが気 にな って,ま す ます朝 の気分 が 悪 く, だ るさが ひ ど くな るとい うことを繰 り返 し て い ま した。検査 を受 けて異常 な しと言 われて も, 不安 にな るばか りで した。 今 は, 自 分 の心 と身体 が連動 して い るとい うことが実感 で きます。 だか らひ どい状 態 にはな りません。私 は10年間悪循環 に は ま って いたんですね。 こうい うのを心 身症 と 言 うんで しょうね」 とに こやか に語 った。 その後, 通 院 は半年 に 1 回 程度 とな り, 問 題 な く日常生活 を送 ってお り,血 清 の トリプ シ ン値 も正常範 囲 内

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「いわゆる慢性膵炎疑診例」

に あ る。

Ⅵ  事 例 2に つ い て の 考 察

筆者 は この C さ ん の病 状 の推 移 は, 病 態 仮説 1 に よ って もか な りの程度説 明で きると考 え た。 し か し,そ れ に加 えて,Cさ ん の経過 は,NBMの 観 点 か らも説 明 す る ことが で き, そ の両 者 は必 ず

しも矛盾 す る もので はない と考 え た。 以下 に,N B M の 観 点4 ) を加 え て,   C さ ん の経 過 を考 察 し た い。

医療 人類 学 的 に は, 患 者 の体験 す る主 観 的 な苦 しみ を 「病 い :illness」と呼 び,そ れ に対 して生 物 医学 的 な観点 か ら定 義 され る, 客 観 性 を持 った 異 常 を 「疾患 : d i s e a s e 」 と呼 ぶ。 C さ ん の主 観 的 な苦 しみ で あ る 「病 い」 は, 主 と して 「腹 部 症 状」 と 「うつ気 分」 か らな って い た。 それ に対 し て,そ れ まで訪 れ た医療機 関で は, Cさ ん の症状 を説 明す る 「疾患」 を発見 す るため に色 々な検査 が繰 り返 され た。 しか し,10年 間 に も及 ぶ身体 の 不調 に対 して 「疾 患 の物 語 り」 が確立 され る こ と はな く,常 に 「異 常 はな い」 「原 因 は不 明」 とい う説 明が繰 り返 され るばか りで あ った。 C さ ん は 自分 自身 の身体 の不調 を説 明 で きる 「説 明物語 り」

を確立 す ることがで きず, 常 に 「何 か重大 な疾患 を見落 とされて い るので はな いか」 とい う不安 に 苛 まれ て きた。 この持続 す る不安 が, 自 律 神経 系 や 内分泌系 を通 じて, 消 化 器諸臓器 の機能異常 や 知 覚 閾値 の低下 を来 た し, 症 状 を慢性化 させて い た こ とは,容 易 に想像 で きる。

次 に, 精 神 科 を訪 れ た C さ ん に対 して, 「 仮 面 うつ病」 とい う新 たな 「疾患物語 り」 が与 え られ た。 Cさ ん は少 な くと も一 時 的 には この物語 りを 受 け入 れ, 抗 うつ薬 の服 用 に よ って病 状 の軽快 を み た。 しか し, この 「仮面 うつ病」 とい う物語 り は, Cさ ん の消化器症状 の たびたびの増 悪 を十分 に説 明す る もので はな く, Cさ ん は結 局通 院 を中 断 して しま う。

再 度 症 状 が増 悪 し, 当 科 を受 診 した際 に, 今 度 は血清膵酵素 の上昇 とい う新 たな事実 が浮上 した。

こ こで 「膵 炎」 とい う新 しい 「疾患物語 り」 が,

における構造仮説継承型事例研究

C さ ん に提 示 され た。 これ に よ って,「 原 因 が不 明 で あ る」 とい う 「物 語 り不 在 」 の状 況 は打 破 さ れ るか に見 えた。 しか し,   この 「慢性膵炎物語 り」

は,新 たな問題 を Cさ ん に もた らす ことにな った。

「膵 臓 の病 気 は一 生 治 る こ とはな く,不 摂 生 す る ことによ って進行す る」 とい う悲観 的 な物語 りは, C さ ん に益 々の不安 を与 え る ことにな った。 この よ うな不正確 な 「慢性膵 炎物語 り」 が,機 能性消 化 器 障害 の患 者 を心 身相 関 的 な悪 循 環 に陥 れ る こ とは,Aさ ん, Bさ ん の例 で,よ り典型 的 な形 で 観 察 され て い る。

上記 の よ うに,   C さ ん は自身 の陥 って い る状態 を説 明で きる十分 に有効 な物語 りを確立 で きず に い た。 そん な Cさ ん と筆 者 との対 話 の中 で浮 か び上 が って来 たのが, 「 こ ころ と身体 の悪 循環 」 とい う新 たな説 明物語 りで あ った。 この説 明物語 りは, 普 通 の意 味 での 「診 断」 とはいえず, む し ろ 「み たて」 に近 い。 この物語 りは C さ ん に とっ て,ぴ った りと くる もので あ った。 それ は,対 話 の中での 「そ うそ う。 そ うです。 その とお りです。

ま さに悪循環 にはま って い るんです」 とい う感情 の こ もった Cさ ん との言葉 には っき り示 され て い る。 その後 の治療経過 は, この 「新 しい物語 りの 共 有」 が,   C さ ん の身体症状 と気分 を大 き く変化 させ た こ とを明瞭 に示 して い る。 そ して 6 ヶ 月後 の面 接 で は, Cさ ん 自身 に よ って再 構 築 され た

「心 身症 の物 語 り」 が詳 し く語 られ る こ とにな っ た。 「今 は, 自分 の心 と身 体 が連動 して い る とい うことが実感 で きます。 だか らひ どい状 態 に はな りませ ん。 私 は1 0 年間悪循環 に はま って いたんで す ね。 こ うい うのを心 身症 と言 うん で しょうね」。

この C さ ん によ って語 られ た,新 たな 「心身症 の 物 語 り」 は筆 者 に も感動 を与 え る もので あ った。

この物語 りは,筆 者 とCさ ん の共 同執筆 によ る作 品 で あ る と言 え る。

こ こで,幾 つか強調 して お きたい点 が あ る。第 1 点 は, Cさ ん に 「悪循環 の物語 り」 が受 け入 れ られ たの は, 筆 者 か ら提案 され た この物語 りが, C さ んが潜在 的 にすで に感 じと って いた 「物語 り の筋書 き」 に一致 したか らで あ り,そ うで な けれ

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ば この物語 りが共有 され る ことはなか ったで あ ろ うとい う ことで あ る。 治療者 か ら与 え られ た 「心 身相 関」 に関 す る説 明物語 りが,往 々に して患者 さん に受 け入 れ られ ない ことは決 して珍 しい こと で はな い。 物語 りの共有 は,医 師か ら患者 へ の物 語 りの一 方 的 な押 しつ けによ って生 じる もので は ない。対話 の中で,新 しい物語 りが浮 か び上 が り, 共 同執筆 され る ことが重要 なので あ る。 ホームズ Holmes」 7)は,乃 ら、理 療 法家 の役割 とは,患 者 自 身 の無意 識 にお いてす で に半 ば書 きか け られて い る物語 りを患者 自身 が徐 々 に再構 築 して い く作 業 を援助 す る ことで あ る」 と述 べ て い る。 また ロー ナ ー Launer J8)は ,「 物 語 りに対 す る医 師 の寄 与 は,患 者 が それ を患 者 自身 の物語 りの筋書 きに と って有益 で あ ると認 め る場合 に限 り価値 を持つ」

と述 べ て い る。 これ らはNBMの 治 療 過 程 の基 本 を よ く表現 して い る。

第 2点 は, Cさ ん に よ って受 け入 れ られ た 「心 身症 の物語 り」 は,決 して 「唯一 の正 しい物語 り」

で はな い とい うことで あ る。他 の説 明物語 り,例 え ば 「体 質 のせ いだ か ら気 に しな くて良 い」 「仮 面 うつ病 」 「過 敏 性腸症候群」 「軽度 の慢性膵 炎」

な どの物語 りによ って,そ れ な りの安定状態 が達 成 され る とい うこ と も,異 な った医師 ―患者 関係 にお いて は十分 にあ り得 るで あろ う。実 際 に,そ れ まで 「不定愁訴」 と して扱 われて きた患者 に何

らか の診 断病 名 が下 され た場合,極 端 に言 えば そ れが どの よ うな病 名 で あ って も,一 時的 に患者 の 苦痛 が和 らぐとい うことは, しば しば観察 され る。

しか し,だ か らとい って, Cさ ん に と って それ ら の物語 りは 「どれで も良 い」 とい うわ けで は決 し て な い。 筆者 との対 話 の中で, Cさ ん に と って一 番 ぴ った りとす る物 語 りが選 択 され たので あ る。

第 3に , Cさ ん の生 育歴,家 庭環境,仕 事 の環 境 ,あ るい は人生 の生 きが いの問題 な ど,心 身症 の病態 に重要 な影響 を与 え る と思 われ る 「Cさ ん の個 人 的 な物語 り」 につ いて は,今 回提示 され た 治療 過 程 にお いて ほ とん ど明 らか に されて いな い こ とを忘 れ て はな るま い。 しか し,NBMの 立 場 か ら言 えば,治 療 にお いて全 ての物語 りが語 られ

る必要 はな い。 また,ど れか一 つ の 「一 番正 しい 物 語 り」 を追 求 す る必 要 もな いの で あ る。 NBM

は,そ の人 に とって有益 な物 語 りは一 つ で はない とい う事実 を謙虚 に認 め る ことをその基本姿勢 と す る。

C さ ん の事 例 で示 され た よ うに,NBMに は あ る一 定 の固定 され た方法論 が あ るわ けで はない。

「ナ ラ フ ィブ= 物 語 り」 を重 視 す る とい う視点 を 明確 に保 ちつ つ, 患 者 さん との柔軟 な対話 の中か ら自然 に浮 か び上 が って くる ものを最大 限 に尊重 す るの が,NBMの 基 本 的 な方 法論 と言 え るだ ろ う。 Cさ ん の事 例 を経 験 した後 ,筆 者 は, こ の よ うな病態 につ いて の仮説 を以下 の よ うに修正 し た。

修 正仮 説 ( 仮説 2 )

1 ) 膵 の器 質異常 を伴 わ ない,血 清膵酵素 の上昇 を伴 う慢性腹痛 の患者 の病態 は,心 身相 関 的悪 循環 によ って説 明 で きる。

2 ) 悪 循環 を緩和 す るよ うな,医 師 と患者 の相互 交流 は, 上 記 の病態 の改善 に有効 で あ る。

3 ) 悪 循環 を増 強 させ る要 因 と して,「説 明物語 りの不 在 」 「不適 切 な説 明物 語 り」 は, と もに 重要 で あ る。

4 ) 患 者 自身 の苦 しみを説 明す るよ うな 「新 しい 説 明物語 り」 の構 築 は, 悪 循環 の緩和 を通 じて 病 態 を好 転 させ る。 「心 身相 関 的悪 循環 の物 語 り」 は,   この よ うな説 明物語 りの一 つで あ る。

5 ) 「 新 しい物 語 り」 は,治 療者 か ら患者 に一方 的 に与 え られ るので はな く, 治 療 にお け る相互 交流 の 中か ら浮 か び上 が り,治 療者患者 の双方 に共 有 され る ことによ って その有効性 が発揮 さ れ る。

この修正仮説 は, Cさ んの事例 のみ な らず,A さん と B さ ん の事例 を も説 明 しうる,よ り拡 張 さ れ,精 緻化 され た仮説 で あ る。 それ は,Aさ ん,

B さ ん との治療経験 をお、まえて,筆 者 が Cさ ん と の新 た な体 験 , さ らにNBMと い う新 しい説 明原 理 を比較検討 した結果,生 み出 された ものであ る。

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「いわゆる慢性膵炎疑診例」

システム論 的視点 とナ ラテ ィブの視点 の双方 を導 入 す る ことに よ って, よ り広 い視野 が確保 され た と考 え られ る。 「悪 循環 仮 説 」 は 「多数 あ り得 る 物 語 り」 の一 つ で あ り, 同 時 に 「新 しい物語 りの 創 出」 は 「悪 循環 」 を改善 す る ことに よ って, 患 者 の病 態 を改善 す る。 「物語 りの視 点 」 と 「シス

テ ム論 の視点」 は,互 いに相補 的 で あ り,ど ち ら が よ り優 れて い る とい うわ けで はない し,一 方 が 他方 を包 含 す るわ けで もな い。

Ⅶ  構 造 仮 説 継 承 型 事 例 研 究 法 の 提 唱

ライ フス トー リーの研究 とは, 日常生 活 で人 々 が ライ フ (人生,生 活,生 )を 生 きて い く過程, その経験 プ ロセスを物語 る行為 と,語 られ た物語 につ いて の研 究 を指 す 9)。NBMの 立 場 は,患 者 の病 いの経験 や,病 いへ の対処法,ま た医療従事 者 と患者 の相互 交 流 を巡 るス トー リーな どを, よ

り大 きな, 患 者 の人生 の物語 りの一部 で あ る と考 え る4)。 し たが って, NBMの 研多電とは, ラ イ フ ス トー リー研究 の特殊 な一形 態 で あ るとい う見方 が成 り立 つ。

NBMの 研 究 とは,「 体 験 され た現 象 か ら一 般 的 な知 を求 め よ うとす る試 み」 と定義 で き,そ の 方 法論 と して,仮 説 ,理 論 ,モ デル構成 を利 用 す る。。西條2)は,広 い意 味 で の質 的研 究 の方法論 にお いて,仮 説生成 (モデル構成)が 強調 され る あ ま り,生 成 され た仮説 の連続 的 な検証 のための 方 法論 が未 整 備 で あ る ことを指 摘 し,仮 説 の連続 的検証 の過程 を含む 「仮説継承型 ライフス トー リー 研 究 」 の方法論 を具体 的 に提 唱 し,や まだDも こ れ に呼応 した研究 を報告 して い る。 これ らの研究 法 は,知 見 を縦列 的 に積 み上 げなが ら,先 行仮説 を柔軟 かつ大幅 に修正,変 更,追 加 す る ことを可 とす る ものであ る。 なお,西 條 1)は,池 田Dの 構 造主 義科学論 を援用 して,客 観化 を追求 す るため に は仮説 は構造 化 され る必要 が あ る と してお り, この よ うな観点 か らの連続 的仮説検証 の プ ロセス を,「構造仮説継承」 と呼 ぶ ことを提 唱 して い る。

また西條3)は,構 造 主 義 科 学論 の立 場 か ら, この

における構造仮説継承型事例研究

よ うな研究 は,予 測可能性,再 現可能性,反 証可 能 性 を留保 す る ことが理 論上可能 で あ り,科 学 的 な ナ ラテ イ ブ ・アプ ローチ と呼 ばれ るの におゝさわ しい と主 張 し, この よ うな認識論 を基盤 にお いて 行 わ れ る心 理 学 領 域 にお け る質 的研 究 を,「 構造 構 成 的質 的心理 学」 と呼 ぶ ことを提 唱 して い る。

先 に述 べ た よ うに,NBMに お け る事例研究 は, ライ フス トー リー研究 の一特殊型 と考 え る ことが で きるので,筆 者 は,西 條,や まだの研究法 を, NBM領 域 の事例研究 に応用 し, これ を 「構造仮 説 継承型事例研 究」 と呼ぶ ことを提 唱 したい。本 稿 は, こ の方 法論 に よ り,一 研究 者 が試 行 した縦 列 的事例研究 の一例 で あ る と言 え る。 本稿 で提示 した仮説 は,最 終 的 な もの とは考 え られず,他 の 研 究者 によ る,異 な った コ ンテ クス トにお け る同 様 の事例研究 を積 み重 ね,仮 説 の修正,精 緻化 が 試 み られ る ことが期待 され る。 本稿 で示 したよ う な研究法 が,ど の程 度 「科学 的」 と見 な しうるか につ いて は,意 見 が分 かれ る ところで あ るとは思 うが,従 来, と もす れば単 な る経験報告 か エ ッセ イ と して しか認 め られ なか った事例研究 が,一 般 性 追求 の方法論 と して その価値 を再認識 され る可 能 性 を示 す有 力 な方 法論 足 りうるので はな いか と 筆者 は考 えて い る。

Ⅷ 後 日談

さて,筆 者 はその後,さ らに数例 の同様 の患者 の治療 を経験 したが,そ れ らの患者 はみ な短期 間 の うち に症 状 が軽快 し,「 膵 酵素 の高値 」 が継 続 的 に話題 にな る ことはな く,筆 者 も,経 過観察 中 に血清膵酵素 を測定す ることはほとん ど しな くな っ た。 そ うこうす る うちに,あ る日筆者 は, この よ うな 「慢性膵炎疑診例」 の定義 を満 たす よ うな患 者 を, も う 5年 以 上 ,全 く経験 しな くな った こと に気 が付 いた。 おそ らく,筆 者 が 「膵臓」 に注 目 しな くな ったために,そ もそ も 「慢性膵炎疑診例 とい う物語 り」 が構築 され る ことその ものが な く な って しま ったためで はないか,と 筆者 は考 えた。

も しそ れ が正 しい とす るな らば, こ れ は,「 病気

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とは客観 的 に実在 す る もので はな く,社 会 的 に構 築 され る もので あ る」 ことの, 典 型的 な実例 で あ っ た とい うことにな る。 この 「物語 りの持続 的構築」

に は,膵 臓病 の専門家 た る筆者 も実 は一役買 って いた とい うことにな る。

2 0 0 1 年9 月 ,英 国 ケ ンブ リッジで,第 2回 ナ ラ テ ィブ ・ベ イス ト 0 メ デ ィス ン 0 カ ンフ ァ レンス が開催 され,筆 者 も参加 す るチ ャンスに恵 まれた。

カ ンフ ァ レ ンスの後 で,BM」 b 6 0 k s 版 ナ ラテ ィ ブ 0 ベ イ ス ト ・メデ ィス ン4 ) の編著者 の 1人 であ る, ブ ライ ア ン ・ハ ー ウ ィ ッツBrian Hurwitz教 授 と上 記 の よ うな内容 につ いて話 をす る機 会 を得 た。 私 の説 明 を聞 いた後 で,ハ ー ウ ィ ッツ教授 は こ う言 った。

「こん な病態 は英 国 で は全 く知 られて いないね。

英 国 のG P ( 総 合 医) な ら,   こ うい う患 者 は, 機 台ヒ個ヒ7肖化 [器響長月景 (functional gastrointestinal d i s o r d e r ) と して治療 す るよ。 それ で特 に問題 に な る ことはない。 そ うい う患者 の血清膵酵素 を調 べ た りす る ことはまず な いね。 な に しろ英 国 のN H S 制 度 で は,意 味 の な い検 査 をす れ ば,GPは そ れだ け費用 の持 ち出 しをす ることにな るか らね」

筆者 はそれ を聞 いて, 今 まで薄 々気 付 いて いた が,認 め る ことを ため らって いた真実 を悟 った。

「慢 性 膵 炎疑 診 例」 とは,検 査 をす れ ばす るほ ど 儲 か り, 薬 を 出せ ば 出す ほ ど儲 か る とい う日本 の 医療 保 険制 度 の コ ンテ クス トの中で, 他 の領域 の 医 師 と自分 は違 うの だ との アイ デ ンテ ィテ ィを主 張 した い膵 臓 病 の専 門家 ( もち ろん筆者 もその 1 人 ) と , 「 説 明物語 りの不 在」 に苦 しむ患 者,   と の相互交流 の中 に浮か び上 が った 「一つの物語 り」

で あ ったのだ。 その物語 りを構築 す る必要 が な く な った時 に,そ の病気 は もとよ り,そ の患者 さえ も, 筆 者 の 目の前 か ら消 え失 せ たので あ る。

それで は 「機能性消化器疾患」 や 日心身症」 と い う物語 り,い やそれ どころか 「疾患」や 「病気」

とい う物語 りさえ も,そ の必要性 が な くなれば消 え失 せ る もの なのだ ろ うか。 そ うで な い とは誰 に も言 え ない と しか, 現 時点 での筆者 に は言 え な い ので あ る。

文   献

1 ) 西 條剛央 ( 2 0 0 2 a ) : 人間科学 の再構築 I ; 人 間科 学 の危機. ヒ ューマ ンサイエ ンス リサーチ1 1 : 1 7 5 ‑ 1 9 4 . 2 ) 西 條剛央 ( 2 0 0 2 b ) : 生死 の境界 と 「自然 ・天気 ・

季節」の語 り : 「仮説継承型 ライ フス トー リー研究」

のモデル提示. 質 的心理学研究 1 : 5 5 ‑ 6 9 . 3 ) 西 條剛央 ( 2 0 0 3 ) : 「構造構成的質的心理学」 の構

築 : モ デル構成的現場心理学 の発展 的継承. 質 的心 理学研究 2 : ( 印 刷 中) .

4 ) G r e e n h a l g h   T , H u r w i t z   B ( 1 9 9 8 ) : N a r r a t i v e   b a s e d medicine,Dialogue and discourse in clinical practice.

BA/1」Books,London.

5 ) 斎 藤清二, 北 啓一朗, 田 口恭仁子, 高 木 由夏, 黒 田 昌弘 , 初 瀬 リマ, 大 澤 幸 治 , 渡 辺 明 治 , S o u z a P R , M a g a l h a e s   A F N 。( 1 9 9 4 ) : 慢性 1 率炎 疑 診 例 の 病態仮説 と治療戦 略 一現象学 的 ・システム論的観点 か ら―. ,こヽ身医彎圭 34:463‑471.

6)Bertalanffy L (1956):General Systern Theory ( 長野 啓, 太 田那 昌訳 : 一般 シス テ ム理論。 みすず 書房, 1 9 7 3 )

7)Holmes」 (1998):Narrative in psychotherapy.

In Greenhalgh T, Hurwitz B eds, Narrative based medicine,E)ialogue and discourse in clinical practice.

B A / 1 」B o o k s , L o n d o n , 1 7 6 ‑ 1 8 4

8)Launer」 (1998):Narrative and mental health in prirnary care.In Greenhalgh T,Hurwitz B eds,Nar―

rative based medicine,E)ialogue and discourse in cli―

nical practice.Bヽ4」Books,LondOn,93‑103.

9 ) や まだ よ う こ ( 2 0 0 0 ) : 人生 を物 語 る ことの意 味―

ライ フス トー リーの心 理 学 。 や まだ よ う こ編 「人生 を物 語 る 一生 成 の ライ フ ス トー リー」,   ミ ネ ル ヴ ァ 書 房 , 京 都 , 1 ‑ 3 8

1 0 ) 斎 藤清 二 ( 2 0 0 3 ) : N B M の 研 究 法 。 「ナ ラテ ィブ ・ ベ イ ス ト ・メ デ ィス ンの実 践 」, 金 剛 出版 , 東 京 . ( 印刷 中 )

1 1 ) や ま だ よ う こ ( 2 0 0 2 ) : な ぜ生 死 の境 界 で 明 る い 天 空 や天 気 が語 られ るの か ? 質 的 研 究 に お け る仮 説 構 成 とデ ー タ分 析 の生 成 継 承 的 サ イ クル。 質 的 心 理 学 研 究 1 : 7 0 ‑ 8 7 .

1 2 ) 池 田清 彦 ( 1 9 9 0 ) : 構造 主 義 科 学 論 の 冒険 。 毎 日 新 聞 社 , .

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参照

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