のプレーパークの事例から
著者 内山 悠
雑誌名 同志社政策科学研究
巻 17
号 2
ページ 99‑109
発行年 2016‑03‑10
権利 同志社大学政策学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014408
概 要
子どもの遊び環境の貧困化が叫ばれるように なって久しい。この状況を憂慮した、母親をは じめとする地域住民や行政によって、全国各地 で冒険遊び場づくり運動が展開されている。
冒険遊び場づくり運動の意義や事例の紹介、
プレーリーダーの役割については、多くの先行 研究があるが、現実に地域にあって活動を続け ている団体が直面する諸課題についての実証的 研究は少ない。また、社会経済環境の変化のな かで、冒険遊び場の運営にも変化が求められて おり、その諸相についても明らかにしていく必 要がある。
そこで、筆者が参与観察を続けてきた「はび きのプレーパーク」について、これまでの経過 を明らかにし、現状と課題の分析を行うことと したい。
はびきのプレーパークは、1998年に発足し た、市民の自由な意思で活動する団体である。
度重なる活動拠点の移転のなかで、自分たちの あるべき姿を常に模索し続け、活動をつくり続 けてきた。
冒険遊び場づくり運動の課題は、人材と資金 の持続性に乏しいことである。これらの人材・
資金の調達については、活動団体内のみで解決 することが難しい。近隣住民や、自治会、行政 等とのパートナーシップを築くことで、その解 決の糸口を探す必要がある。
また、冒険遊び場づくり協会が掲げる「遊び あふれるまちへ!」というミッションの実現の ためには、社会の諸問題をただ単に冒険遊び場 に取り込み、解決の方法として提示するのでは
なく、冒険遊び場の中心的な理念を社会に伝え、
広めていくことが重要である。
1
.はじめに
本稿は、大阪府羽曳野市1で活動する、はび きのプレーパークを事例に、冒険遊び場づくり 運動の現状と課題をまとめ、運動を広めるため の提案を示したものである。
子どもの遊び環境の貧困化が叫ばれるように なって久しい。この状況を憂慮した、母親をは じめとする地域住民や行政によって、全国各地 で冒険遊び場づくり運動が展開されている。
その一つ、はびきのプレーパークは、市民の 自由な意思で活動する団体である。そのため、
度重なる活動拠点の移転のなかで、自分たちの あるべき姿を常に模索し続け、活動をつくり続 けてきた。
また、冒険遊び場づくり運動の意義や事例の 紹介、プレーリーダーの役割については、多く の先行研究があるが、現実に地域にあって活動 を続けている団体が直面する諸課題についての 実証的研究は少ない。また、社会経済環境の変 化のなかで、冒険遊び場の運営にも変化が求め られており、その諸相についても明らかにして いく必要がある。
そこで、筆者が参与観察を続けてきた「はび きのプレーパーク」について、これまでの経過 を明らかにし、現状と課題の分析を行い、今後 さらに冒険遊び場づくり運動を広めるための提 案を示すこととしたい。
「冒険遊び場づくり」 運動の現状と課題
−はびきのプレーパークの事例から−
内 山 悠
1 羽曳野市ウェブサイト http://www.city.habikino.lg.jp (2015年9月1日閲覧)。大阪府羽曳野市は、大阪府の南東部に位置する住宅・工業 都市である。人口は114,445人、面積は26.45k㎡(2015年7月31日現在)である。
2. 2 歴史
このような遊び場は、1943年にデンマーク のコペンハーゲン市郊外につくられたエンド ラップ廃材遊び場が発祥といわれている6
。廃
材置き場で子どもたちが遊んでいたことに示唆 を得て、造園家のソーレンセン教授が提案した ものである。この廃材遊び場を見たイギリスの造園家アレ ン卿夫人が、ロンドンで冒険遊び場をつくり、
『Planning for Play(邦題:都市の遊び場)
7』を
執筆することで、世界中にその存在を広めた8。
日本では、1973年に大村虔一・璋子夫妻が『Planning for Play』を『都市の遊び場』として
翻訳し、紹介したことで知られるようになった。さらに、夫妻が中心となって
1975
年に東京都 世田谷区で「経堂こども天国9」を開き、これ
がもととなって、1979
年に「羽根木プレーパー ク10」が日本初の常設の冒険遊び場として誕生
したのである。1990年代後半になって、全国的に冒険遊び 場づくり活動が広まった。これを受けて、1998 年に第1回冒険遊び場全国研究集会が文部省委 嘱事業として、IPA(子どもの遊ぶ権利のため の国際協会)日本支部11の主催で実施された。
以後、3年に一度、全国研究集会が開催されて いる12
。
2. 3 冒険遊び場づくり運動の目的
2003年、IPA日本支部内にあった冒険遊び場 情報室が独立するかたちで、特定非営利活動法 人日本冒険遊び場づくり協会(以下、冒険遊び2
.冒険遊び場
2. 1 概要
冒険遊び場2
(「プレーパーク」または「プレ
イパーク」として知られている)は、「自分の 責任で自由に遊ぶ」をモットーにしている遊び 場である。活動の頻度や主体、場所はさまざま であるが、日本全国に400
ほどの活動団体が あるといわれている3。400
の団体のなかには、常設型といわれる、週に
3
日以上その場所を冒 険遊び場として開いているところから、月に1
度、公園などの場所を借りて開いているところ、行政の施策として実施しているところや、地域 住民の持ち出しで実施しているところなど、さ まざまな活動形態がある。常設型の遊び場は少 なく、そのほとんどが首都圏に集中している4
。
それだけ、首都圏には、子どもが遊べる隙間が 少なく、親を始めとする大人の危機感も高いと いうことであろう。2011年の東日本大震災以 降は、東北地方の活動団体が増えており、自然 豊かな地域でも子どもが遊んでいない現状が浮 き彫りになっている5。
場所によってさまざまだが、木登り、ロープ を使った遊びや木工作、火遊び、水遊びなどが できるところが多い。普段は大人から禁止され たり、規制されたりすることの多い遊びができ るのが特徴である。特殊な事情がない限り、参 加費は無料で、出入り自由のところがほとんど である。これは、子どもの自由な意思で参加で きることを大切にしているからである。
2 特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会ウェブサイト http://bouken-asobiba.org (2015年9月1日閲覧)
3 梶木典子「冒険遊び場づくり活動団体の活動実態とその経年変化−第6回冒険遊び場づくり活動団体実態調査の結果より−」(一般社団 法人日本建築学会『学術講演梗概集』、2014年)、215-216ページ。
4 同。これによると、地域別にみた活動団体数は、関東が43.4%、次いで関西が17.5%となっている。活動頻度が週に3日以上の常設型の
遊び場は16.7%となっており、その半数以上が関東地方の団体である。
5 同。
6 Lady Allen of Hurtwood, Planning for Play, Thames & Hudson,1968(大村虔一・璋子訳『都市の遊び場(新装版)』鹿島出版会、2009年)ソー レンセン教授による序文に記載されている。
7 同。
8 特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会ウェブサイト 海外の冒険遊び場 http://bouken-asobiba.org/modules/play/index.php?content_
id=8 (2015年9月1日閲覧)
9 大村璋子編著『遊びの力−遊びの環境づくり30年の歩みとこれから−』萌文社、2009年、171-172ページ
10 NPO法人プレーパークせたがやウェブサイト 羽根木プレーパーク http://www.playpark.jp/info_pp/hanegi.html(2015年9月1日閲覧)
11 IPA日本支部ウェブサイト http://www.ipa-japan.org (2015年9月1日閲覧)。IPAは、1961年に設立した国際NGOである。日本支部は、
1979年(国際児童年)に設立され、初代代表は、『都市の遊び場』を翻訳した大村璋子(1940-2008)であった。
12 特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会ウェブサイト 事業実績 http://bouken-asobiba.org/modules/aboutus/index.php?content_id=5
(2015年9月1日閲覧)
13 同。
14 同、設立趣旨 http://bouken-asobiba.org/modules/aboutus/index.php?content_id=1 (2015年9月1日閲覧)
15 同、定款 http://bouken-asobiba.org/info/2009/teikan.pdf (2015年9月1日閲覧)
16 同、私たちがめざす冒険遊び場づくり
http://bouken-asobiba.org/modules/play/index.php?content_id=4 (2015年9月1日閲覧)
17 はびきのプレーパーク代表 岡本裕子へのインタビュー。2009年12月24日、筆者自宅で、同志社女子大学現代社会学部現代こども学科「子
育てネットワーク論」(担当教授:中山まき子)の課題として実施。
18 羽曳野市子育て支援者講座「つながろう人と人〜子育ての輪を〜『安心して子育てできる地域とは…』」(2010年2月18日開催)のパネルディ
スカッションに向けて、スタッフ間での意識共有のために実施。プレーパークでの悩みや苦労、プレーパークでの喜びや楽しみ、プレー パークにおける今後の課題や取り組んでみたいことについて、自由に記述する方式。初期のスタッフからスタッフになって間もない人まで、
17人が回答している。
19 羽曳野市立羽曳が丘小学校ウェブサイト http://www.city.habikino.lg.jp/es/habiki-s/ (2015年9月1日閲覧)
さらに、冒険遊び場づくり運動が広まること によって、「『遊び』があふれる暮らし豊かなま ちをつくっていくこと」を目指しており、冒険 遊び場の内部だけで子どもが遊べるようになる ことを目的とはしていないということを改めて 強調しておきたい。
3
.はびきのプレーパーク
はびきのプレーパークは、1998年から大阪 府羽曳野市で活動している団体である。本章で は、その発足から現在に至るまでの変遷を追う ことにしたい。年表は表
1
はびきのプレーパー クの歩みに、活動拠点は図1
はびきのプレー パークの活動拠点にそれぞれまとめている。筆者は、1999年頃から
2001
年にかけて、小 中学生として活動に参加していた。そして、2007
年の大学入学時からスタッフとして参加 している。なお、本章における記述は、はびきのプレー パークの活動内容や様子、参加者・近隣住民の 言葉、怪我などの事故を記録した、団体と筆者 個人のノートや、スタッフ会議の記録、代表へ のインタビュー17
、2010
年に新旧のスタッフに実 施したアンケート調査18をもとに構成している。3. 1 創設期
はびきのプレーパークは、1998年
3
月、幼児・小学生の子どもを持つ母親
20
人ほどが集まり、「羽曳が丘プレイパーク」として活動を始めた。
子育てサークル等を通して知り合った母親たち が、子どもたちの外遊びの場をつくろうと、勉強 会や話し合いをしながら活動を始めたのである。
場所は大阪府羽曳野市にあるベッドタウン、
羽曳が丘小学校19区に隣接する三木ゴルフ場跡 場づくり協会とする)が設立された13
。全国に
冒険遊び場づくり運動が広がるなかで、その
「理
念と実践を普及し14」「子どもたちの遊び環境
の向上に寄与する15」ためである。
冒険遊び場づくり協会は、冒険遊び場づくり 活動の目指す姿を次のように示している。
私たちがめざす冒険遊び場づくり
○子どもの生活圏にあること
○いつでも遊べること
○だれでも遊べること
○自然素材豊かな野外環境であること
○ つくりかえができる手づくりの要素があ ること
これらの5つのことを大切にしています。
そして、冒険遊び場の運原 文 マ マ営ために、
○住民によって運営すること
○ 住民と行政のパートナーシップを築くこと
○専門職のプレーリーダーがいること これら3つの方法を提案しています。
このようにして子どもの自由な遊びを支え ることで、「遊び」があふれる暮らし豊か なまちをつくっていくことをめざしていま す16
。
このように、冒険遊び場は、住民の運営に よってつくられ、プレーリーダーという専門職 によってその質が保たれている。また、既存の 公園のように、遊具を設置し、公園として整備 すれば完成するものではなく、そこに集う人々 が常につくり続け、変わり続ける遊び場である。
ここでは、サービスの担い手と受け手という区 別はなく、子どもも大人も、一人の人間として 関わることができるのが大きな特徴である。
表 1 はびきのプレーパークの歩み (はびきのプレーパーク会議録から筆者作成)
年 名称 頻度 場所
1998年3月〜2002年11月 春のプレーパーク 夏のプレーパーク 秋のプレーパーク
春休みと夏休み、秋の休日 に2〜12日間
(98年のみ、1日)
三木ゴルフ場跡地
(98年夏のプレーパークのみ、
羽曳が丘小学校)
活動休止・場所の移転
2005年3月 春休みのプレーパーク 春休みの数日間 羽曳が丘北公園 2005年7月〜2010年3月 春休みのプレーパーク
夏休みのプレーパーク 春休みと夏休みの数日間 スポーツ公園 2006年4月〜2010年3月 ぷちパーク 毎週金曜日午前中
(2009年から火曜日に) スポーツ公園 2008年9月〜2010年3月 夕方パーク 毎週水曜日夕方 スポーツ公園
活動休止・場所の移転
2010年6月〜2015年3月 ぷちパーク 毎週火曜日午前中 羽曳が丘西中公園 2010年6月〜2015年3月 夕方パーク 毎週水曜日夕方 羽曳が丘西中公園 2010年8月〜現在 春休みのプレーパーク
夏休みのプレーパーク 春休みと夏休みの数日間 羽曳が丘北公園 2015年4月〜現在 水曜日のプレーパーク 毎週水曜日10時〜17時 羽曳が丘西中公園
図 1 はびきのプレーパークの活動拠点
(Google マップを利用して、筆者作成)
「ぼくは 6
年生になったら、お兄ちゃんたちみ たいに自分で基地が作れると思っていたのに、できなくなった。」と、語っており、場への愛 着と喪失感が伺われる。また、高学年への憧れ の気持ちも表れており、異年齢の子ども集団が 形成され、機能していたこともわかる。
3. 2 場所の移転・定期開催の始まり
その後、2005
年3
月に「はびきのプレーパー ク」と名称を改め、羽曳が丘北公園(街区公園)で春のプレーパークを開催する。このとき、創 設期のスタッフは、子どもが大きくなったこと もあり、仕事に就く人も多く、新旧入り混じっ たスタッフで活動を再開することとなった。
名称を変更したのは、隣の西浦小学校区に住 む母親がスタッフに入ったことがきっかけで あった。羽曳が丘小学校区は、1960年代に宅 地造成された新興住宅地であるため、古くから 続く地域の多い羽曳野市内では、あまり格差の ない、特殊な地域と見られている。その上、羽 曳が丘小学校区の大部分が含まれている羽曳が 丘町会連合会のなかでは、造成当時に一からま ちづくりを行ってきたこともあり、「羽曳が丘」
として団結したいという意思が強く、他の地域 に対する閉鎖性が強い。そのため、「羽曳が丘 プレイパーク」という小学校区にこだわった名 称ではなく、「広くみんな」を対象にするため、
「はびきのプレーパーク」に名称を変更した。
変更を検討した際に、「プレーパーク」以外の 名称も候補に挙がったが、「行政・保育関係者 に『プレーパーク』という名が浸透してきてい るので、残した方がいい」という意見があった ため、そのままとなった。なお、羽曳が丘プレ イパークのときには
「プレイパーク」
と「プレー
パーク」の両方が使われており、表記について は曖昧なものであった。2005年
7
月から、南河内ふれあいの郷スポー ツ公園ビオトープ周辺(以下、スポーツ公園と する。近隣公園)に活動場所を移した。スポー ツ公園は、三木ゴルフ場跡地の一部が残された 公園で、NPO法人羽曳が丘E&L
が管理してい 地である。開けた芝生があり、林や池、地面の起伏も多い場所であった。
第
1
回は98
年3
月31
日(火) 10
時〜15
時、参加人数は
200
人ほどであった。パン生地を竹 に巻いて火で炙って食べる「まきまきパン」
や、ダンボールの迷路・基地づくりなどをして遊ん だ。
第
2
回は98
年7
月21
日(火)9時〜12
時、羽曳が丘小学校校庭で、水遊びや竹細工をして 遊んだ。
第
3
回は98
年10
月25
日(日) 10
時〜12
時、後に
NPO
法人羽曳が丘E
&L
20となる「南河 内健康ふれあいの郷を考える会」と合同開催で、藁や竹を使っての、人形
・
家づくり、そしてチャ ンバラなどで遊んだ。第
4
回からは、2日〜12
日間の連続開催と なる。春休みと夏休み、そして、秋の休日に開 催し、春は火遊びやダンボール、夏は水遊び、秋は木の実を使った遊びを中心に展開した。
遊びの素材は、どんぐりやまつぼっくり、近 くの竹林から切ってきた竹や、廃材、焦げた鍋 や家で要らなくなったもの、農家からの藁の寄 附、小学校を卒業すると使わなくなる水彩絵具 を
6
年生から集めるなど、自然素材や不用品が 中心であった。当時は、市役所へ行くにも何をするにも「3 人以上で一緒に動く」ことにしていた。同じ話 を聞いても人によって捉え方が異なるため、3 人以上で動くことになった。会議の進め方も、
多数決ではなく、全員が自分の意見を出して話 し合うことで、妥協点を決めていくという方法 であった。そのため、1人でも反対する人がい れば、全員が納得できるところを見つけるまで 話し合いをしており、物事をすぐに決定できる 状況にはなかった。これは、プレーパークのモッ トーである
「自分の責任で自由に遊ぶ」
ことを、スタッフも実践した結果である。
活動が認知されてきたものの、2002年
11
月 の開催を最後に、三木ゴルフ場跡地が宅地開発 のため使用できなくなる。これにより、活動場 所を失い、一旦活動を休止することになる。この当時、参加していた男子(当時
5
歳)は、20 NPO法人羽曳が丘E&Lウェブサイト http://www.habikigaoka.jp/E&L/index.html (2015年8月29日閲覧)NPO法人羽曳が丘E&Lは、羽 曳が丘小学校区を中心に活動するまちづくりNPOである。E&LはEco and Lifeの略で、はびきのプレーパークは主にビオトープクラブと の関わりが強かった。
3. 3 場所の再移転
活動は順調に軌道に乗っていたが、スポーツ 公園も宅地開発されることになり、2010年
6
月に、現在活動している羽曳が丘西中公園(通 称:
りす公園。街区公園)と羽曳が丘北公園に、活動場所を移すこととなる。これにより、ぷち パークと夕方パークは西中公園で、春休みと夏 休みの連続開催は北公園での開催となった。
拠点の移動にあたって、スタッフ会議では、
小学校区内のさまざまな公園を移転先として検 討した。公園そのものは、北公園が広い上に起 伏があり、魅力的だという話になった。しかし、
子どもが多く住む地域からは離れており、放課 後の短い時間で子どもが移動するのには向かな いだろうということになった。そのため、北公 園は長期休みに利用することにした。ぷちパー クと夕方パークの移転先の検討では、子どもの アクセスの良さを重視した。子どもが多く住む 地域に近い公園のなかで、西中公園は、向かい に幼稚園があることもあり23
、近隣が子どもの
遊びや子どもの声に寛容であるという話になっ た。また、プレーパークの外で、子どもたちが 実際に直面している遊びづらさを検討すると、近隣への理解が得られず、ボール遊びができな いという課題が明らかとなった。そのため、子 どもにとってアクセスしやすく、近隣との関係 がつくりやすいと思われる西中公園に移転する こととなった。
また、遊びの内容もドッヂボールやビーズ遊 びなど、これまでと違い、プレーパークでなく ても家庭や学校、普通の公園でもできそうな遊 びや、既製品を使った遊びが増えてきた。
2008年のリーマン・ショック以降、働く母 親が増えたこともあり、スタッフの世代交代が 難しくなってきている。羽曳が丘小学校区で は、他の地域より専業主婦が多かったのが、正 規
・
非正規に関わらず、働く母親が増えている。人手不足を補う意味でも、2010年頃から、近 隣の大学の学生を募集し、夕方パーク、春休み と夏休みのプレーパークに入ってもらうように なっている。
た。
日常的に遊びの場をつくりたいとの思いか ら、2006年から、毎週
1
回の「ぷちパーク」を開催する21
。ぷちパークは、乳幼児親子の遊
び場として、砂遊びや絵の具遊びなどを中心に、母親の情報交換の場ともなった。
このころから、会議の頻度が年
8
回程度と固 定化してくる。それまでは議題があれば集まる という状況であったのが、春と夏の連続開催や、地域の祭での出店などに向けて会議をするよう になり、ある程度、見通しをもって活動できる ようになってきたこと、簡単な話し合いは、週
1
回のぷちパークの際にできるようになってき たからである。また、スタッフではない、参加 者の母親とも運営の話をすることで、徐々にス タッフを増やしていった。さらに、2008年には、小学生を主な対象と して、「夕方パーク」を週
1
回開催することと なる22。ここでは、砂遊び、ハンモック、木工
などを中心に、基地づくりやボール遊びなども 展開された。夕方パーク開催は、スタッフの多様化が大き な要因であった。スポーツ公園での活動の中 で、母親だけでなく、大学生や退職した男性も スタッフに加わるようになったため、主婦の忙 しい時間帯である夕方に活動できるようになっ たためである。また、継続した活動が評価され、
2008
年度から、羽曳が丘青少年健全育成連絡 協議会からの助成金を得ることができ、比較的 安定した収入源となった。活動を広く知らせようと、2010年
2
月から 活動予定を知らせるブログを開設している。当 初は、近隣に住む親子をターゲットにしていた が、ブログを開設することで、卒業論文で冒険 遊び場を取り上げたいという大学生の見学が増 えた。関西(特に大阪府)の冒険遊び場で週1
回以上の活動をしている団体は少なく、さらに インターネット上でこまめに情報更新がなされ ているところが少ないことが、その主な理由と 考えられる。21 当初は、金曜日の午前中に開催していた。2009年にスタッフの都合により、火曜日に変更した。
22 小学校の下校時刻の早い水曜日の夕方に開催した。
23 羽曳野市立羽曳が丘幼稚園。当初は西中公園の向かいにあったが、耐震強度不足のため、2013年に羽曳が丘小学校の敷地内へ移転した。
また、住宅地のなかでの活動となったことか ら、近隣住民への理解を求めなければならない 場面が増えてきており、子どもの代弁者として の大人の役割がさらに重要となっている。
3. 4 時間の変更
2015年
4
月から、ぷちパークと夕方パーク を同じ水曜日にして、水曜日のプレーパークと した。これは、子どもの遊びの時間感覚をゆる やかにしようとする試みである。時間の変更に あたって、スタッフの間では、子どもの遊び環 境を考える上で、大人は遊ぶ空間が少ないとい うことに注目しがちであるが、子どもたちの様 子を見てみると、空間よりも時間の方が切実な 課題なのではないかという話になった。当然、遊びの空間を考え、それを確保していく必要は あるが、子どもたちの抱える「忙しさ」にもっ と目を向けるべきではないかという話になった のである。夕方パークに来る小学生のなかには、
習い事の合間に来る子も多く、極端な場合は
「あ
と3
分遊べる」という声も聞くほどである。そ れほど、子どもの時間感覚が厳密になってきて いるということである。そのため、朝10
時から、夕方
5
時まで切れ目なく遊べるようにした。典型的な参加状況は、次のようなものである。
午前中は未就園児の親子連れが遊びに来て、そ の子たちが帰り始めるお昼ごろに幼稚園児の親 子連れがやってくる。幼稚園児がお弁当を食べ 始めると、給食を食べて帰ってきた小学校低学 年の子どもたちがやってくる。ひとしきり遊ん だ幼稚園児が帰るころに、午後の授業が終わっ た高学年の子どもたちや、隣の西浦小学校区の 私設学童保育
「ぼちぼち
24」
の子どもたちがやっ てくる。人数の多い時間や少ない時間はあるも のの、誰もいないということはめったになく、切れ目のない遊び場となっている。
スタッフの間では、この時間の変更によって
「気のせいかもしらんけど」と前置きがつくも
のの「子どもたちの様子が落ち着いている」 「前
よりせかせかしてる子が減った」と話している。時間の変更と並行して、再度、場所の検討も 行っている。西中公園での活動のなかで、既製 品を使った遊びや、スタッフが「〜してあげる」
という、サービスを提供しているような遊び場 になってきてしまっているからである。子ども たち自らが遊びをつくり出せるような、場とし て魅力のある遊び場づくりを目指している。
このように、現状に満足せず、子どもや親の 声を聞きながら、変化する遊び場づくりを続け ている。
4
.はびきのプレーパークの変化 4. 1 目的
はびきのプレーパークは、自分の子どもの外 遊び環境を憂慮した母親たちの集まりとして発 足した。当時、スタッフの合意としての目的が あったわけではないが、代表は「自分の子ども
たちが
100%子ども時代を過ごしきる」という
想いはあったと振り返る。
スタッフが子どもの保護者だけではなくなっ ているなかで、「自分の子どもたち」という限 定は外れ、対象は地理的にも年齢的にも広がり を見せている。
子どもたちが
100%子ども時代を過ごしきる
という想いには変わりないが、スタッフの共通 項が少なくなっているなか、目指すもののずれ があることは否めない状況である。4. 2 組織
発足当初のスタッフは、幼児・小学生の母親
20
人であった。活動が継続するなかで、創設 期のスタッフの子どもは中高生、大学生、そし て社会人になっている。子どもの成長とともに、活動から遠のく人が多いなか、代表をはじめ、
数名はそのまま活動を続けている。また、活動 の中心からは遠のくものの、不要品を寄附する 人や、空いた時間に覗きにくる人も多い。
中心となって活動する人は、少しずつ世代交 代をする、子育て中の母親である。かつては専 業主婦が中心であったが、現在はパート等で働 きながら活動する人が増えている。2008年の リーマン・ショック以降、子育て中の母親の参 加が大きな課題となっている。特に切迫した課
24 学童保育施設ぼちぼちウェブサイト http://bochibochi391.web.fc2.com/index.html (2015年9月1日閲覧)
題は、保護者への連絡に時間がかかることであ る。冒険遊び場は、禁止事項を減らし、危険な 遊びも一定程度許容している。当然、スタッフ は大きな事故につながらないよう、遊び場をデ ザインし、見守っているが、はびきのプレーパー クでも、過去に骨折等、病院への搬送が必要な 怪我が発生している。その際、保護者への連絡 が必要になるが、不審者への不安や携帯電話の 普及等の理由により、保護者の連絡先が言えな い子どもが増えているため、現場にいる保護者 のネットワークに頼らざるを得ない。特に夕方 パークは、保護者の同伴なく、子どもだけで来 ているケースも多いため、保護者のネットワー クに直接アクセスできるスタッフが必要なので ある。さらに、遊び場運営に欠かせない、子ど もの声を拾うためには、プレーパーク以外の場 所でも子どもと関わる人の存在が非常に重要で ある。
また、母親以外のスタッフも増えており、大 学生や、退職した男性などが市民活動の一つと して関わっている。特に、2014年からは、大 学生スタッフの占める割合が高くなり、スタッ フの質の向上が必要となった。そのため、2014 年春休みのプレーパークから、大学生スタッフ 向けの研修を実施している。研修内容は、ロー プワーク、危険について、遊びについて、プレー リーダーの役割等である。しかし、学生もアル バイトや部活動等で忙しく、安定して現場に入 れるというわけではない。安定したスタッフ体 制をつくることが喫緊の課題である。
スタッフの多様化・多忙化に伴い、会議のあ り方も変化してきた。発足当初は、スタッフの 都合が合わせやすかったため、ほとんど全員が 参加するかたちであったが、仕事をしながら関 わる人も多くなったため、会議に参加できる人 数も減ってきたのである。そのため、参加でき ない人は、事前に他のスタッフに意見を伝える などしているが、すり合わせに参加できないた め、全員が納得するまで話し合うかたちではな くなってきている。
4. 3 財政
発足当初は、不要品や自然素材を使っていた ため、さほど支出は多くなかった。支出に占め る割合が最も高かったのは、行事保険代であっ
た。これを補填するため、開催時にはカンパ箱 を設置し、費用に充てていた。地域の祭でフリー マーケットを出店したり、他の冒険遊び場が主 催するイベントで話をして謝礼をもらうなどし ていた。また、助成金等は申請していなかった。
2008年からは、羽曳が丘青少年健全育成連 絡協議会からの助成金を得ることができ、安定 した収入源となっている。これにより、既製品 を購入することが増えたり、長期休暇中の開催 時にイベントが増えたりしている。
支出の大きな変化としては、
2013年 3
月から、長期休暇中の開催時、大学生に交通費程度の謝 礼を支払うようになったことである。このとき に、大学生を支える基金をつくり、一口
1000
円の寄附を募集した。その後、羽曳が丘青少年 健全育成連絡協議会からの助成金が増額された ため、一般会計と基金とを分けずに、まとめて 管理するようになった。4. 4 活動内容
発足当初から変わらず、一貫して実施してき たのは、春と夏の長期休暇中の開催である。開 催日数や時期こそ、その時々のスタッフの都合 によって変化しているが、長期休暇中の開催を 楽しみにしている子どもは多い。
2006年
4
月から2015
年3
月まで、平日午前 中に乳幼児親子の遊び場として、ぷちパークを 開催した。また、2008年9
月から2015
年3
月 まで、水曜日の放課後に小学生を主な対象とし た夕方パークを開催した。この2
つの活動が、2015
年4
月から合流し、水曜日のプレーパー クとなっている。この週1
回の開催は、長期休 暇中の開催とは異なり「今日の続きが明日でき る」わけではなく、規模も大きくないが、子ど もの日常に遊ぶ機会をつくり、保護者や近隣住 民を始めとする大人へメッセージを伝える機会 となっている。4. 5 近隣・行政等との関係
2.3冒険遊び場づくり運動の目的で述べたよ うに、冒険遊び場づくり協会は「住民と行政の パートナーシップを築くこと」と提案している が、はびきのプレーパークの現状は、羽曳野市 から公園の使用の許認可を得ていること、社会
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.おわりに
以上で見てきたはびきのプレーパークの事例 でも明らかなように、冒険遊び場づくり運動は、
住民運営が基本となっているため、個々の活動 の持続性に大きな課題がある。本章では、はび きのプレーパークでの活動から見えてきた課題 を、冒険遊び場づくり協会が
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年に一度行って いる冒険遊び場づくり活動団体実態調査と、筆 者も編集委員を務める冒険遊び場づくり協会の 機関紙「N遊S ―
にゅうす―」をもとに整理す る。また、冒険遊び場づくり運動を広めるため の提案を述べて論を締めくくる。5. 1 冒険遊び場づくり運動の課題
冒険遊び場づくり運動が直面している大きな 課題は、スタッフの世代交代ができないために、規模の縮小や活動休止せざるを得ない団体も多 いということである。実態調査によると、5人 以下で活動している団体が全体の
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割となって いる25ことから、その危機は切迫していること が見て取れる。団体の持続については、乳幼児 親子のサークルづくりなどで保護者の居場所を 増やすこと、大学生や高齢者等、保護者以外の 人も視野に入れることで運営者を増やしていく ことが解決策として挙げられている26。多くの
団体が、同じように子どもを抱えた母親たちの 活動から始まっているが、子どもが大きくなる につれて、活動から遠のく人も出てくる。その ため、多様な主体の関わりが必要になるが、当 初のように全員が同じ方向を向いて活動できる というわけではない。その時々のスタッフ、子 どもたち、社会の状況に合わせて、柔軟に活動 を変化させていくことも重要である。遊び場を つくり続け、変え続けていくのと同時に、自分 たちも変わり続けていくことが必要なのであ る。資金源の確保も、安定した運営には欠かせな い。はびきのプレーパークの創設期のように、
活動を始めるにあたっては、さほど資金を要し 福祉協議会のボランティア団体に登録して保険
に加入していることくらいである。市からは長 年活動していることが評価されており、子ども の活動をしている団体として一目置かれている 部分はあるが、具体的にパートナーシップを築 けているとは言い難く、これは発足当初からの 課題である。
もう少し規模を小さく、羽曳が丘小学校区で 見てみると、羽曳が丘青少年健全育成連絡協議 会からの助成金を受けたり、倉庫を借りられた りと、繋がりが深い。また、長期休暇中の開催 については、小学校で全校児童にチラシを配布 し、羽曳が丘町会連合会の広報誌に案内を掲載 することもできている。これらの支援は、活動 を継続するなかで得られるようになってきたも のである。
活動拠点の近隣住民との関係の変化は、その 距離との関係が大きい。発足当初の三木ゴルフ 場跡地は、住宅地と隣接しているとはいえ、活 動の中心となっていた場所は、住宅地から少し 離れており、子どもの声も、火遊びの煙も、住 宅地には届かなかった。そのため、それらの配 慮をする必要はほとんどなく
、子どもの遊びを
大人が制限することは少なかった。また、外か らは見えない場所にあるため、チラシ等を見て 来る人がいるだけで、偶然通りかかって参加す るという人はいなかった。しかし、スポーツ公園に移ると、住宅地との 距離が縮まったため、スタッフが近隣を少し意 識するようになった。スポーツ公園内には遊歩 道が整備されており、ウォーキングや犬の散歩 等で通る人も多く、「子ども会か何かですか?」
と声をかけられることもあった。
さらに、西中公園と北公園に移ると、場所の 狭さも相まって、ますます「公園の外」を意識 せざるを得なくなった。両公園とも、比較的交 通量の多い道路に面しているため、公園の外に ボールが飛び出さないように場のしつらえを工 夫したり、花見の季節は、桜の木にロープをか けることを自粛したりしている。
25 梶木典子「冒険遊び場づくり活動団体の活動実態とその経年変化−第6回冒険遊び場づくり活動団体実態調査の結果より−」(一般社団
法人日本建築学会『学術講演梗概集』、2014年)、215-216ページ。
26 特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会通信「N遊S−にゅうす−」61号、2014年、1-4ページ、特集「遊び場の運営」シリーズ
第一弾「運営者倍増計画!!」に詳しい。
いのが「スタッフ全員が一致団結して同じ活動 を同じようにしなくていい」ということである。
活動を開始した当初は、同じような動き方が 可能かもしれないが、多様な主体がスタッフと して関わると、まず時間を合わせるということ が困難である。平日の午前中だと合わせやすい 人もいれば、夜や土日が合わせやすいという人 もいる。平日の方が都合を合わせやすいのに、
土日の活動だと、参加するだけで負担になって しまう。そうではなく、平日に合わせやすい人 だけで行う活動と、土日に合わせやすい人だけ で行う活動を、思い切って分けてしまうといっ た方法はないだろうか。その方が、都合を合わ せやすい日や時間だけ参加すればよくなり、運 営に関わるハードルが下がるのではないだろう か。
また、子育て中の保護者は、自分の子どもと その友だちに合わせた動き方がしやすいため自 宅の近所だと活動しやすいが、行政との交渉や、
他の団体と連絡を取り合うといった活動は難し い。逆に、高齢者は地縁団体との関係が築きや すく、大学生は身体を使って子どもと群れて遊 んだり、インターネット等を介して他の団体と 連絡を取り合ったりすることが比較的容易であ る。
さらに、活動の持続性が切迫した状況になる 一歩手前であれば、場所を限定せずに活動する ことで、新たな担い手と出会える可能性も広が る。冒険遊び場は、「火遊びができなければ冒 険遊び場ではない」といった、遊びの内容が限 定されるものではないため、ボール
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つ、ロー プ1
本でも展開することが可能である。近年注 目されている「一畳プレーパーク28」の活動に
見られるように、家の前に七輪を置けば遊び場 になるという活動も可能であるし、冒険遊び場 づくりの活動から派生して、子ども食堂や学習 支援の活動を行う団体もある29。
ないが、保険や材料費等、どうしても多少の資 金は必要になる。また、常設ともなると、プレー リーダーの人件費が必要になるため、多額の資 金を確保しなければならない。そのため、常設 の遊び場を持つ団体の多くが、行政から何らか の資金援助を受けている。他には、人件費を支 えるための会をつくり、会費等の寄附収入で運 営しているところ、講演等の活動を行い、その 謝礼で運営しているところなどがある。いずれ にせよ、プレーリーダーの給与は低く、プレー リーダーを主な職業とするのは、現状としては 困難である27
。
これらの人材・資金の調達については、活動 団体内のみで解決することが難しい。近隣住民 や、自治会、行政等とのパートナーシップを築 くことで、その解決の糸口を探す必要がある。
また、冒険遊び場づくり協会は、「遊びあふ れるまちへ!」をミッションとして掲げている が、運動を続けるなかで、冒険遊び場の柔軟性 や汎用性の高さのために、ともすれば、冒険遊 び場至上主義のような考えに陥ってしまうこと がある。多くの
NPO
活動がそうであるように、冒険遊び場づくり運動の最終的な目標は
、冒険
遊び場がなくても子どもが遊べる社会の実現で ある。遊びあふれるまちの実現のためには、社 会の諸問題を冒険遊び場に取り込むのではな く、冒険遊び場の中心的な理念を社会に伝え、広めていくことが重要である。
5. 2 冒険遊び場づくり運動を広めるため の提案
これまで課題について、その解決策の例も交 えて述べてきたが、「そうは言っても、少ない 人数で手を広げるのは無理」「行政はどうせ聞 く耳を持ってくれない」といった声が聞こえて きそうなものである。そこで、筆者が提案した
27 梶木典子「冒険遊び場づくり活動団体の活動実態とその経年変化−第6回冒険遊び場づくり活動団体実態調査の結果より−」(一般社団 法人日本建築学会『学術講演梗概集』、2014年)、215-216ページ。これによると、プレーリーダーがいると答えた団体は全体の67.6%で、
そのうち、プレーリーダーを主たる職業としている人がいるのは22.8%であった。なお、月給が支払われている団体の平均は、17.6万円、
アルバイトの時給の平均が941円となっている。
28 特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会通信「N遊S−にゅうす−」57号、2013年、3ページ、特集「冒険遊び場全国一斉開催特
集 あそびば珍六景」。自宅の前に七輪を置く活動をしていると、近所の人から「うちでもやってよ」と声がかかり、さまざまな場所で活 動している。この活動にヒントを得て、自宅で「おうちプレーパーク」を始める人もいる。
29 NPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワーク(http://www.toshimawakuwaku.com)の運営する「要町あさやけ子ども食堂」が、子ども
の貧困対策の一つとして全国的に有名となっている。豊島子どもWAKUWAKUネットワークは、池袋本町プレーパークや、無料学習支 援の活動も行っている。他にも、NPO法人ゆめ・まち・ねっと(http://www.h6.dion.ne.jp/~playpark/)では、「冒険遊び場たごっこパーク」
の他に、「個別学舎寺子屋」、「子育て勉強会ワンコインゼミ」、「こども食堂」、「子ども若者シェアハウスむすびめ」等の活動を行っている。
・学童保育施設ぼちぼちウェブサイト http://bochibochi391.web.
fc2.com/index.html (2015年9月1日閲覧)
・特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会 http://www.
ipa-japan.org/asobiba/ (2015年9月1日閲覧)
・羽曳野市ウェブサイト http://www.city.habikino.lg.jp (2015年9 月1日閲覧)
・羽曳野市立羽曳が丘小学校ウェブサイト http://www.city.habikino.
lg.jp/es/habiki-s/ (2015年9月1日閲覧)
・はびきのプレーパークブログ http://habikino-play-park.blogspot.
jp(2015年9月1日閲覧)
このように、活動に関わる人が、それぞれの 得意なところを持ち寄って柔軟に活動を続けて いくことで、活動に持続性が生まれるのではな いだろうか。団体としてのまとまりには欠ける かもしれないが、多様な主体が全く同じ活動を 続けていくということは困難である。「みんな で全く同じ活動をしなければならない」という 束縛ほど無意味なものはない。冒険遊び場は、
そこに集う人々が常につくり続け、変わり続け る遊び場であることが、その最大の魅力である。
場所や時間、活動内容に縛られることなく、さ まざまな主体が、さまざまな方法で、自分の自 由と責任で、社会に働きかける機会を得ること が、「遊びあふれるまち」の実現に最も近づく 方法だと考える。
文献
参考文献・ Lady Allen of Hurtwood, Planning for Play, Thames & Hudson, 1968(大村虔一・璋子訳『都市の遊び場(新装版)』鹿島出版会、
2009年)
・大村璋子編著『遊びの力―遊びの環境づくり30年の歩みとこ れから―』萌文社、2009年
・梶木典子「冒険遊び場づくり活動団体の活動実態とその経年 変化―第6回冒険遊び場づくり活動団体実態調査の結果より
―」(一般社団法人日本建築学会『学術講演梗概集』、2014年)、
215-216ページ。
・特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会通信「N遊S
−にゅうす−」57号、2013年
・特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会通信「N遊S
−にゅうす−」61号、2014年
参考ウェブサイト
・IPA日本支部ウェブサイト http://www.ipa-japan.org (2015年9 月1日閲覧)
・NPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワークウェブサイト http://toshimawakuwaku.com (2015年10月26日閲覧)
・NPO法人羽曳が丘E&Lウェブサイト http://www.habikigaoka.
jp/E&L/index.html(2015年9月1日閲覧)
・NPO法人プレーパークせたがやウェブサイト http://www.playpark.jp
(2015年9月1日閲覧)
・NPO法人ゆめ・まち・ねっとウェブサイト http://www.h6.dion.
ne.jp/~playpark/ (2015年10月26日閲覧)