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Maggieの選択 : The golden bowlにおける "innocence"の意味をめぐって

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Maggieの選択 : The golden bowlにおける

"innocence"の意味をめぐって

著者 西田 智子

雑誌名 主流

号 60

ページ 35‑52

発行年 1999‑03‑10

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015144

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Maggieの選択 35 

Maggie の選択

The Golden Bowlにおける innocence"の 意 味 を め ぐ っ て 一

西 国 智 子

自らの人生観に従って,

I

正しくあるために」I,捨てがたいものに背を向 けること, 放棄"することを決断することは, Henry J amesの描く人物像 に特徴的な一傾向であるといえる.ところがTheGolden Bowl (1904)では,

新旧両世界の和解と融合,そしてアメリカ人のヒロインMaggieの人間悪に 対する勝利が描かれると解釈される傾向が強い.確かにMaggieは二組の夫 婦問に生じた不義を,結婚の破綻を招くことなく解消することに成功する.

Maggieの夫Amerigoや,父の妻Charlotteは,完全にMaggieの思うまま に操られ, Maggieは彼らを支配する.しかし自分の意向どおりにAmerigo とCharlotteを引き離し,父夫妻をアメリカへと送り返したMaggieが,結 末においてなお 恐怖"を感じるのはなぜであろうか.この作品の結末を,

ヒロインの外面的な成功とは裏腹に, Jamesのどの作品の結末よりも中途 半端であるとしたり,先行きが暗いとする見方も存在する 2

Jamesの,いわゆる国際的テーマを持つ作品群における主人公達,例え ば,ThePortrα,it ofαLαdy (1880)のIsabel,The Wings of the Dove (1902)  のMillyらと比較してみると, Maggieには,富も,配偶者も,父親も,す べてが調和した幸福として最初から備わっている.つまり Maggieは, IsabelやMillyと同じく innocence3を保持して登場するアメリカ人のヒロ イン"ではあるが,彼女にはこれから何かを求めて冒険に挑んでいく必要性

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36 

がない.しかしinnocenceを保ち,幸福な彼女の生活には,娘としてまた 妻としては不自然な歪みがあることを語り手は次第に浮き彫りにしてゆく.

そして注目に値することはMaggieの innocence"は, IsabelやMillyが持 つ無防備なまでの純粋さや善良さ,好奇心旺盛な精神の若さといった資質と は違った趣を呈していることである.それゆえ Maggieの内面的変化を検 証する際には,この作品における innocenceという概念に与えられた特異 性を考慮する必要が生じる.

Maggieは自分の生活が含む問題に対しでも innocentであったため,気 が答めることなく思うままの幸福を享受することができた.しかし彼女が 悪 " の 存 在 を 知 り , そ れ と 戦 う こ と を 選 ん だ こ と に よ り , 彼 女 は innocenceを喪失する必要に迫られるのである.そしてinnocenceとともに Maggieが捨てなければならないものは多大である.本論文は, Maggieの 一方的な成功のドラマとしてではなく,彼女が独自の信念に従って捨て難い 価値観を 放棄"していく彼女の内面のドラマとしてこの作品を読み解こう とする試みである.同時に, 放棄"の選択をした彼女の変化を,この作品 における innocence"の意味を分析しながら考察することにより,作品の結 末の意味を探る手掛かりとしたい.

まず,何の不安もなく完全な幸福に浸っていたはずの Maggieが,

"innocenceという状態にある"ことの魅力とその放棄の必要性にいかに目 覚めていったかを追って検討したい.いわゆる Amerigoの「個人的側面」

を詳しく知ることなく,彼を生涯の伴侶と決め,何の不安も持たない romantic" (XXIII, 11)な4Maggie,アメリカで身を粉にして抜け目なく一 大財産を築いた人物にしては,謙虚で, simple"(XXIII, 323)で, infant king" (XXIII, 324)のような印象をAmerigoに与える MrVerver‑この父 娘は,何の非道な行いも無理もすることなく,謙虚でいて,しかも望むもの

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Maggieの選択 37  を何でも手に入れて自由に暮らすことができるという特異な立場にいるとい える.Amerigoからするとあまりに現実的でなく,不思議な父娘の 幸福"

はMaggieと A merigoの結婚後も続く Maggieは夫がいるというのにます ます父と親密になっているし, Principinoが生まれた後は,その子は夫婦 の粋よりも父娘の鮮をより固くする役割を果たす.またMrVerverは, Maggieが父親を捨てたと思わなくても良いようにするために Charlotteと 結婚する.そして二組の結婚が成り立った後もMrVerverとMaggieは何 一つ犠牲にすることなく,結婚の幸せもそれ以上に強い親子の鮮も満喫しな がら,苦手な社交界との付き合いは互いの伴侶に任せきり,自分たちはひた すら訪問ごっこを繰り返す.彼らはすべてに恵まれ,何も失うものはない←ー それほど完全な幸福とは可能なものなのであろうか?

後にMrVerver自身が ourbenighted innocence" (XXIV, 260)と呼ぶ父 娘の生活は,作品の前半部において外部者の視点,すなわちAmerigoの視 点から主に描きだされ,これにより,父娘の 幸福"に潜む様々な歪んだ要 素が効果的に浮き彫りにされていると考えられる. innocence"とは元来,

善悪の認知以前を示す概念であり,それ自体が美徳ではあり得ない.しかし,

innocentであるという状態において, Maggieはあたかも美徳、と善に包まれ たように思える幸福を信じ,満喫することができる.というのは,人生の苦 しみや人間悪を知らない状態にあるゆえに,彼女は自分の生活に人間悪の元 凶が潜んでいるかもしれないなどと疑う必要がない.Verver父娘は innocenceがもたらす喜びと安定の中で思うままの幸福が善であることを信 じることができる.そして語り手が指摘し予示しているのは,父娘のその ような幸福の疑わしさと崩壊である.

Maggieがこのようなinnocenceの魅力を自覚し始めるのはAmerigoと Charlotteの不倫関係,すなわち自分の幸福を脅かす Evil"CXXIII, 385)の 存在に気付き始めた時である.二人の関係を疑うことは,それまで信じて疑 うことのなかった幸福と,二組の夫婦の調和の崩壊を認めなければならない

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38 

ことを意味するため, Maggieは意識的に疑うことを障踏し,無知であろう とする傾向を示す.この意識的な努力は,例えばMrsAssinghamが, .. .  she [Maggie] wore her blind." (XXIII, 382)と言う言葉 Maggieが, I've ceαsed... Not ωknowプ(XXIV,201‑202)と言う言葉,さらに彼女が内なる

目を聞き始めた場面における Ithad come to the Princess . . . that her  faculties hαd not forαgood while been concomitantly used." (XXIV

, 

8)  [ltalicsはすべて筆者]という描写によっても読み取ることができる.つま

り Maggieは元来,物事を疑い,判断しようとするだけの知性や感受性を 備えているのだが,あえてそれらを働かす必要に迫られることを避けるほど,

彼女の romantic"な生活は魅力的なのである.innocentであることによ り, Maggieは思うままの幸福を,それが含み得る人間悪の要素を詮索する ことも,良心の阿責を感じることもなく満喫できるのである.それゆえ Maggieのinnocenceは,彼女のmoralsenseと幸福を互いに損なうことな く両立させてくれる役割を果たしているといえる.最初の完全な幸福を失い たくないMaggieとしては,自分の innocence"の土台の上に, moral sense"と happiness"が両立して,この三つの要素が一体となっているこ

とを信じ切れることは大きな魅力であると考えられる.だから彼女は悪につ いて開眼する必要を感じながら,悪から日をそらし,意識的にinnocence でいたい気持ちになるのである.AmerigoとCharlotteの不義に対する抑 えがたい疑惑の進行と,自分の幸福を脅かす不義という名の 悪"に対する 本能的な拒絶は彼女が, Knowledge,knowledge, was a fascination as well  as a fear" (XXIV, 140)と感じていることからも読み取ることができる.こ のように Maggieが 知 ら な い で は い ら れ な い " 必 要 性 , す な わ ち innocenceの放棄の必要性に迫られる時には,同時にinnocenceの魅力に対 する彼女の強い執着が明らかになる.しかし,知性に恵まれたMaggieにと って,知識は吸収される一方で、あり,よって彼女のinnocenceは喪失され るべく運命付けられているといえる innocenceについてのこの放棄と執着

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Maggieの選択 39 

をめぐるジレンマにおいて, Maggieが,自分を引き付けずにはおかない innocenceの魅力とその働きのしくみを認識していくことには意義がある.

つまり Maggieはすでにinnocenceの持つ力を認識しているからこそ,彼女 が悪の存在と戦うことを選んだ段階において,彼女はその力を利用し,

AmerigoとCharlotteに対して勝利することができたわけである.

Maggieがジレンマを乗り越え, innocentであることをやめた様子には,

彼女が鋭敏な武器を身に付けるイメージや,役作りに勤しむ女優のイメージ などが付与される innocenceという仮面をつけ彼女は慎重に,自分を 演 出"し始める.それというのも,悪に対する彼女の戦略は,真相を暴露して 二組の夫婦の崩壊を招くのではなく, innocenceを装い,自分の意図を知ら れることなく二つの結婚の均衡を取り戻すことであるからである.そしてこ の計画に取り掛かり始めた彼女がまず気付くのは,結婚と同時に,夫も父も 失わないでいるということは,普通は不可能なことだ、ったということである.

他者が引き起こした悪に対して無知であるわけにはいかなくなっただけでな く,自らのinnocenceに潜む fatuous"(XXIV, 256)であり,かつ selfish"

(XXIV, 261)な要素を意識化したMaggieにはもうそれまでの幸福は 完全"

なものではなくなる.そして彼女は自分自身の手で, ahappiness without  a hole" (XXIV, 216)を得るために戦うことになるのである.

Maggieは自分のinnocenceな生活が李んでいた不毛な要素を察した.そ れではこの作品における人物達のinnocenceに潜む 悪"とはいかなるも の か を よ り 詳 し く 検 討 す る こ と に よ り , こ の 作 品 に お い て 扱 わ れ る innocenceという概念の特徴を明らかにしたい.

まず,財力と幸福に恵まれたVerver父娘のinnocenceには倣慢さや利己 性,さらには暴力性が見え隠れする.5Maggieが結婚する際には,彼らは Amerigoを財力によって購入すべき芸術作品であるかのように考える.当

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然,芸術作品の共有者として父娘の鮮は強く, A merigoは結婚後,彼らの 意志に追従させられる.さらに, Mr Ververは Maggieのために"

Char10tteと結婚しようとするが,彼は自分の結婚の動機がプロポーズの理 由としては非常識なほど無神経で、利己的なものであることに気付き得ない.

だがそんな彼の言葉と,さらに,二人の結婚を 純粋"に喜ぶ 善良な"

MaggieがMrVerverだけに対して祝電を打ってよこした事実は,いずれも 自分を傷つけ得る暴力的な要素であることをCharlotteは感受しているので ある.さらに,二組の夫婦の暮らしぶりはAmerigoとCharlotteが引っ 張る familycoach" (XXIV, 23)に例えられ,父娘は互いの配偶者を働かせ て,自分たちはPrincipinoを真中に,馬車の中で安逸をむさぼるというイ メージによって表象される.これにより,父娘の,自分たちの幸せしか目に 入らない倣慢さ,さらには,馬車が引かれていく方向,すなわち二つの結婚 の行方に対してあまりに無頓着な様子は明らかである.

また, AmerigoとCharlotteも彼らなりのinnocenceを持つ.二人は Verver父娘の暮らしぶりを放任し,また自分たちがよりを戻しつつあるこ とを, rMaggieを傷っけないために

J

協力して隠すことに合意する.彼ら がなりゆきに流され,また自己に暗示をかける様子は, Mrs Assinghamの 言葉を借りれば,次のように表現される.

The incredible side ofit[their situationJ. They make it credible." 

They be1ieve in it themselves. They take it for what it is. And that . . .  saves them."  (XXIII

368)  だから彼らのMaggieに対する innocentな善意は,彼らの自己正当化の手 段となっている.

さらに自分を守るために innocentであることを主張するのがMrs Assinghamである.彼女は二組の結婚にかかわり,常に気を採んでいなが

ら,夫との会話の中で, We'reas innocent . . . as babes." (XXIII, 400)と

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Maggieの選択 41 

言う.実際彼女は三組の夫婦の傍観者であり, innocentなAmerigoや Charlotte以上に彼女はinnocentであるとするMrsAssinghamの主張は 正しい.しかし彼女の言葉には,今後起こり得ることに備えて保身的に責任 を回避しようとする意味合いが含まれているといえる.

AmerigoとCharlotte,そしてMrsAssinghamらのinnocenceが果たす,

自己正当化的役割や保身的役割によって示されることは, innocenceは武器 と な り う る 傾 向 を 持 つ こ と で あ る . し か し な が ら こ こ ま で の 彼 ら の innocenceは,まだ武器としての積極的な攻撃性を発揮する一歩前にあると いえる.そしてこのような傾向を持つinnocenceがいったん人物によって 意識化され,喪失されたならばたちまち武器以外のなにものでもなくなる.

その一つの例が, FawnsのテラスでMaggieと,ブリッジのゲームから抜 け て 彼 女 が 自 分 の 不 義 に 気 付 い た の か ど う か を 探 ろ う と や っ て き た Charlotteが 対 決する 場 面であ る . (Book Fifth, II)二 人 は 互 い に innocenceを装い,胸中を決して相手にさらすことなく,終始和やかな言葉 と態度を通す.しかし真実のかけらもない彼女らの言葉は,意志伝達手段と して互いの心を結ぶ機能を全く持たず,自らを守り,自らの目的を奪取する ための攻撃手段としてのみ働いている.また, Maggieの心中について次第 に不安感をつのらせ,誰かに尋ねたくて仕方のない Charlotteに対し,

Maggieの変化を知り,慎重になり始めたAmerigoはうまく身をかわし,

innocenceを装う.このような AmerigoのCharlotteに対する態度は Maggieよりさらに保身的でありまた利己的であり, Charlotteを孤立へと 追い込む,冷酷な攻撃性を備えている.

さらにこの作品におけるinnocenceについて特徴的なことは,一人の人 物のinnocenceが苧む悪の要素が,別の人物のinnocenceへと働き掛け,

次なる腐敗を誘発する作用を発揮することである 6他を省みずひたすら父 との幸福に浸る Maggieのinnocenceは,かつて恋人だ、ったAmerigoと Charlotteに,二人きりになりがちな状況を与えてしまい,二人は自然なな

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りゆきに任せて心を通わせ不義に至る.状況に流されたといえる彼らを,

Mrs Assinghamは,二人は運命の餌食となってしまうほど, soabjectly  innocent" (XXIII, 392)であると表現する.また彼らの不義やMaggieの心 境を神のように見通しているようでもあり,また全く知らないようでもある MrVerverについては, Mrs Assinghamは, .. . it's his innocence, above  all  . . . that wi1l pull them through." (XXIII, 397)と言う。確かにMr Ververの沈黙により他の人物達は疑惑の念を掻きたてられる.彼の心中に ついてナーパスになったMaggie,Amerigo, Charlotteは,それぞれに対す る意志疎通を切断しがちになり,彼らのinnocenceに潜んでいた武器とな

りうる資質があらわになっていくのである.

以上の分析からわかるように,この作品にみられるinnocenceの概念に は,怠慢や退廃,卑怯,そして暴力性,といった人間悪の要素の隠れ蓑とい う意味が字まれている.もともと何不自由ない身分にあったMaggieにとっ て,何の不安も気の各めもなく幸せでいられるということ,つまり,

innocence"と moralsense"そして happiness"が一体化しているという 考え方は,信じ切ることができれば大きな魅力であろう.しかしこの三つの 要素には元来 ひび"が存在していたことにMaggieは気づくのである.も はやinnocenceは彼女にとって魅力ではなく,彼女の moralsense"と

happiness"を支えてくれる土台でもなくなる.それゆえ彼女は独自の moral sense"と happiness"を探求する必要に迫られるのである.論議の 多い箇所である, Mrs Assinghamが黄金の盃( thegiltcup" XXIV, 159) 

を床に叩きつけ, Maggieがその断片を拾い上げる場面において,割れてば らばらになった黄金の盃の三つの断片は, Maggieがその一体性をかつて信 じていた 'innocence"と moralsense"と happiness"を意味すると解釈す ることはできないだろうか Maggieは二つの断片しか一度に拾い上げるこ とはできない.正常な二組の夫婦関係を保つためにMaggieが見捨てる断片 とは,すでに腐敗的要素を字んだ innocence"であり Maggieが取り上げ

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Maggieの選択 43 

る断片は,割れたことにより一体性から解放され,以前とは別物となった,

Maggie独自の moralsense"と happiness"である.またMaggieが独自 の幸福を手に入れようとするのなら,既存の価値観によらず彼女独自の moral senseと知性を働かせて,そのための独自の信念と戦略を築かなけれ ばならない.二組の夫婦の危機を,暴露することなく解消するという目的の ために彼女は, innocenceを装いながら innocenceの苧む 武器性"を全面 的に利用し,保身的であること,攻撃的であること,そして時には利己的で あることに徹するべきなのである.これがMaggieの戦略であり,彼女の幸 福の達成を支えてくれる信念となる.

彼女独自の戦略と信念を身に付けたMaggieは,未だ彼女の変化を把握で きない他の人物たちとは違う価値観を持つ,彼らから 離れた"存在となる.

つまり,あいまいな innocenceを持て余している他の人々の共通意識から 遊離したという意味において,彼女は心理的に彼らにとってJu1iaKristeva  の言う foreigner"(異人)となると考えられる 7 foreigner"であるとは,

自由であり expatriateとして異文化に接したJamesその人のように他者を 傍観できる立場であると同時に,孤独な状態を意味する.ただ一人で戦うこ とを決意した彼女が,彼らにとって foreigner"となったことは,へ..she  tried to steady herself, she felt very much alone." (XXIV, 45)という描写に

よって示される. foreigner"になることにより Maggieは他の人物達に自 分の意図を見抜かれることなく,彼らからは届かない位置から彼らの動きを 支配し,操作できるという有利な立場を得る.そしてMaggieの孤独は他の 人物達の畏怖と尊敬を呼び起こす威力を発揮していく.皆, Maggieの言動 に つ い て 警 戒 す る A merigoはCharlotteから次第に離れ, Maggieから何 かを聞き出そうとするCharlotteは,孤独に徹し沈黙を守るMaggieによっ てその欲求を抑圧され苦しむことになる.こうしてMaggieの孤独の威力に よって,二組の夫婦は問題を表面化させることなく, Maggieの意志に操縦 されて,正常な夫婦関係の確立の方向へと動いていくのである.

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44 

Maggieが A merigoとChar10tteを一方的に打ち負かし,その勝利がも たらす利益の享受者となると解釈される傾向が強いのは,彼女がAmerigo とChar10tteを引き離すことに最終的に成功し,目的を達成したことがまず 可視的であるためである.しかし, Maggieに課せられた試練は, Maggie  が自分の良心と知性に対して誠実にあろうとするならば,何かを犠牲にして

も「勝たなければならない」試練であるということに注目したいAmerigo とCharlotteの関係は ,The Wings of the DoveのDensherとKateの関係 とは異なり,富にも結婚相手にも恵まれながら, Maggieのinnocenceが苧 む腐敗的要素の誘発作用に流されるままに,

r

他にすることがなかったから」

という退廃的な理由のもとに生じたといえる

Y

幸福を望む人聞が,配偶者 の不義を認めることなどありえないのであるから, Maggieが表立ってこの 問題を取り上げることは,即刻二組の結婚関係の崩壊を意味する.しかし,

AmerigoとChar10tteを,その罪のために自分たち父娘から突き放し,経 済的困窮へと追いやり,自分もまた愛する夫を失うことはMaggieの本意で はない MaggieもTheWings of the DoveのMi1lyと同じく,自分を裏切 った彼らを許し,彼らを救ってやる道を選ぶ Maggieの心境は次のように 描写される.

It was extraordinary: they[Amerigo and Charlotte] positively  brought home to her that to feel about them in any ofthe immediate

, 

inevitable, assuaging ways, the ways usually open to innocence  outraged and generosity betrayed, wou1d have been to give them up,  and that giving them upωαs, mαrvellously, not to be thought 0(. 

(XXIV,237)  [Italicsは筆者]

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Maggieの選択 45 

ただMaggieの場合,彼らを救うことが,同時に,自分の確固とした幸福を 手に入れることに役立つことになる.つまり彼女の献身は,彼女自身の利益 を伴う性質のものなのである.それゆえ,彼女の可視的な成功のかげに隠さ れて,彼女が目的の達成とひきかえに失ったものが軽視されがちになるので ある.

Maggieにとって, innocenceを放棄するということは,単にAmerigoと Charlotteの不義について無知であることをやめるということだけではな い.それ以上に.innocenceという隠れ蓑をなくすということは II章で議 論してきたようなinnocenceが字む利己性や暴力性といった腐敗的要素を 意識化したうえで,それを利用していく自らの姿を,彼女が全面的に認識し,

受け入れるということを意味する.これは元来,良心の命じることに敏感で,

感受性の強いMaggieにとっては堪え難い苦痛であるはずなのである.

Maggieはinnocenceを放棄することを選ぶが,それでも,良心の阿責から 逃避し, innocenceに執着したい気持ちはジレンマとして最後まで彼女につ きまとっている.誰からも事態の変化を開き出すことができず,一人苦しみ,

またMaggieの目的のために犠牲となる Charlotteを, Maggie は辛い思い で見守らなければならず,時には彼女の苦痛を,思って我が事のように涙する.

Fawnsで来客らに美術品を説明して歩く Charlotteの声は, Maggieには

「悲鳴のよう」に聞こえ.Maggieはいたたまれない.しかし彼女は自分の 目的に向かつて行動しなければならず,そのためにはCharlotteの苦悩に対 して何もしてやることはできないのである.そしてMaggieは自分が Charlotteを犠牲にしているということと,それが残酷で利己的な行為であ るということを,はっきりと認め,受けとめているのである

なるほどMaggieは,良心の阿責に耐えることを決意する.ところが彼女 は,なおかつ自分の目的の正当性と勝利を信じることを,良心を救う唯一の 支えとしようとするほとんど無意識的な欲求にも付きまとわれている.成功 を信じようとする.Verver父娘の様子は次のように描かれる.

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46 

The sense that he [Mr Verver] wasn't a failure, and cou1d never be,  purged their predicament of every meanness . . . . she [Maggie] was‑

n't in that case a failure either . . . . his strength was her  strength... .  (XXIV,274)  さらにMaggieは, It'ssuccess, father." (XXIV, 366)と自分たちの勝利を 強調する.しかし,こういったMaggieの自己暗示の努力にもかかわらず,

彼女の勝利は敗北と紙一重であるといえる MaggieはFanny

v : '

,it's  what ー 仕omthe moment they discovered we could think at all‑will have  saved them.  For they're the ones who are saved. . . . We're the ones who  are lost." (XXIV, 333)と言う.この言葉はまさに彼女の戦いの目的の二義性 一一ー献身であるとともに彼女自身の利益であるということーーが字む唆味さ とその危険性を言い当てている.つまり, rMaggieはinnocenceを装いな がらその武器性を利用して人々を支配し,悪の元凶は自らの生活にもあった というのに自分の利益のために利己的にも Charlotteを犠牲にした

J

,とい う見方が,もし自他ともに公認されたなら, Maggieは被害者ではなく,自 ら悪に染まった加害者となってしまう.そしてAmerigoとCharlotteの良 心は救われる innocenceの放棄,つまり利己性の全面的受容により,

Maggieの良心は救われる方法を狭められ,危機へと追いやられる.

Maggieは表面上 勝利"するが,それとひきかえに失うものがあまりにも 大きかったのである.それゆえこの作品はMaggieの勝利というよりも,試 練に打ち勝つため,捨てがたいものに苦悩を伴いながらも背を向ける Maggieの放棄のドラマといえるのではないだろうか.

Jamesの新旧両文化に対する洞察の深まり,そして彼の国際的テーマの 成熟段階に位置するといえるこの作品においては,もはやmoralsenseの 問題というよりは知性のなした業に焦点がおかれていると解釈される傾向も ある 10しかしmoralsenseの問題は,ひねりを加えられ,やはりより複雑

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Maggieの選択 47  な次元へと成熟しているといえる Maggieの試練において表れるのは,い わば良心を犠牲にしなければならない条件下でのmoralsenseの問題であ ると考えられるのである Maggieにとって,まず三組の夫婦関係が「正し くあるために

J

,彼女は悪に打ち勝ち,自分の戦略と目的を遂行しなければ ならない.そして次に彼女の良心と知性に対して「正しくあるために

J

,彼 女は自分の戦略に存在する利己性を認めなければならない.悪の存在の認知 とともに発達させたmoralsenseによって, Maggieはこのことをも察する ことになる.それゆえMaggieはCharlotteを犠牲にした良心の阿責に最後 までこだわることになるのである Maggieが目的を遂行したことを賞賛す るMrsAssinghamは, Youknow how you feel."ぽX N,305)とMaggie の計画性をほのめかしつつ問う.それに対しMaggieは 1know nothing.  IfI did. . .1 should die," CXXIV, 305)と答えている.しかし彼女は無知のは ずはない.このMaggieの答えから,彼女にとってinnocenceの放棄は,死 さえ意味するほどの犠牲であることがうかがえる.

innocenceの放棄はMaggieに多大な苦痛をもたらすが,それでも彼女は 暴露することなく不義という名の 悪"を解消し,正常な夫婦関係を成立さ せるという,自他ともに利益のある目的に誠実であることを選ぶのである.

つまり Maggieは,自我が求めるところに率直な生き方を選ぶ.彼女は自分 の信念をひとすじに肯定したいとする一つの,いわば innocent"な欲求と 生き方に目覚めたといえる.この欲求はIhabHassanのいう,アメリカ人 の 根源的なinnocence"と考えることができるかもしれない 11Maggieは 最初に備えていたinnocenceとは違う,いわば 独自のinnocence"にめざ めている.この innocence"は悪を知らない無防備な純粋さと善良さへの回 帰ではない.それは悪をト分認識したうえで,善悪を超越し,自我が本能的 に求める信念を貫こうとするエネルギーといえる.しかしこの 独自の innocence"は彼女の良心を迫害し,また彼女を取り巻く現実と相容れない 資質を備えている.つまりAmerigoとの結婚の維持,すなわち foreigner"

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48 

との相互理解の試みをMaggieが独自の幸福として選んで、いる現実は,彼に 理解されないこの 独自のinnocence"もまた彼女は抑圧しなければならな くなることを意味していると考えられるのである Maggieは,最初に備え ていた innocenceを放棄し,また, 独自のinnocent"な生き方を Amerigoとの幸福の達成に役立てることができない.彼女は二種類の innocenceをめぐって苦悩し,選択の必要に迫られるのである.

Maggieの努力の結果, AmerigoとCharlotteの鮮は絶え, Mr  VerverとCharlotteはアメリカへと帰るが,それにより彼女は望みの Amerigoとの完全な幸福を手に入れているとは言いがたい.一度孤独の殻 に閉じこもり,他の人々とは遊離した価値観と想像力を養ったMaggieは, やはりAmerigoにとっては完全に foreigner"になっているのである.例え ばAmerigoはCharlotteについて,彼女はMaggieの意図や,自分たち夫 婦の嘘を見抜けなかったと考えるが, Maggieは, She[Charlottel knows  enough. Besides . . . she  doesn't believe us." 

( x x r v

, 349)と言う.また,

Charlotteの考え違いを「正す」などと言うAmerigoに対し, Maggieは驚 い て 句orrect'her? . . . Aren't you rather forgetting who she is?" (XXIV,  356)と尋ねる.こういった会話は,二人のCharlotteの心理に対する洞察 の違いを示していると考えられる.二人の想像力や感受性の差と,二人の分 離は明らかである.また, MaggieがCharlotteについて, Isn'tshe too  splendid?"と念を押し,夫が, Oh,splendid!" (XXIV, 368)と答える会話に おいては,二人はCharlotteを犠牲にしたことについて,まだお互いに innocenceを装っていることがわかる.Maggieには彼女の 独自の innocent"な生き方を彼に理解させたり,それを彼と共有することは許され ない.つまり,もう戦うべき人間悪は消滅したはずの状態において,なお彼 らは互いに対して 武装"する必要性を感じているのである.そして彼らが

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Maggieの選択 49 

武装"しているということは,今後もまだMaggieの苦悩と戦いは続くと いうことをも暗示するといえるのではないだろうか.この未来についての不 安 がMaggieに 恐怖感"を与える.それゆえMaggieは望みの a happiness without a hole"とは違った状態に行き着いたといえる.彼女が 得たものは何の確固たる幸福の達成をも保証してくれることのない,頼りな げな信念だけであり,彼女の中では失った既存の価値観の存在感の方が大き いと考えられる.それゆえ結末において彼女は,何か一つの ゴール"に行 き着いたというよりは,新たな戦いに身を投じていくための出発点に立たさ れる Maggieがもっとも確実に獲得しているものは,彼女の信じる価値観 と幸福を,彼女の作り上げた「現実

J

観の中を模索しつつ追求していくとい う生き方の方向性といえる.

この作品は,兄WilliamJamesに止められながらも, Jamesが二十年ぶ りにアメリカを再訪し,当時のアメリカの現実を突き付けられる前の,いわ ば最後の段階において完成されている.だが露骨にその現実を提示されなく ても,社会の変化は彼の作品へと忍び込んでいる Maggieのジレンマにあ ふれた選択は, Jamesがアメリカに対して抱く理想と,彼の人生観,現実 観が,避けようなく時代の変化の波の影響を受け,揺らぎ始めたことを反映 しているといえる.揺らぎつつある理想になお独自の信頼の手がかりを求め ようとする人間の心理が, Maggieが二種類のinnocenceを放棄しなければ ならない,または抑圧しなければならない際の葛藤によって示唆されると考 えられるのである.この心理は,歴史を下降相においてとらえようとする,

人間の 単純さ"に対する回帰願望とともに,新たな時代の現実に,新たな sense of reality"を築こうとする,ダイナミズムに向かう姿勢を表している.

そうすると社会的背景の欠如が指摘される傾向があるにもかかわらず,この 作品は時代の reality"の影響を色濃く反映しているととらえられるのでは ないだろうか Maggieのinnocenceの放棄の選択によって表されゆく,彼 女の senseof reality"は, Jamesがとらえる時代の reality"に対応して導

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50 

き出された,一つの信念であるからである Maggieが模索する moral senseや幸福はあやふやで、,可変的なものといえる.やや視覚的なイメージ による表現に頼れば,黄金の盃が割れた際に, Maggieは innocence"の断 片を除いて,他の二つの断片を取り上げなければならない.これはMaggie の信じる幸福形態の追求において必要な行動なのであるが,二つの断片だけ では水漏れすることのない盃を形作ることはできない Maggieには決して 不動の安定感を保証してくれる器, ahappiness without a hole"は手に入 らない。 Maggieが手にする moralsense"と happiness"は不安定な価値 観ではあるが,その反面,変化させることができる,そして変化に対応でき る価値観であるわけである.そこには不安定性とともに,それゆえの利点が 存在する innocenceが放棄される結果浮かび上がる,両面価値を持った Maggieの moralsense"と happiness"が表象するものは,一つの安定性 を保った価値体系の終罵である.そしてそれは同時に,新たな現実にいかに 接し,その現実をいかに一つの現実観であり人生観の創造へと取り込むかと いう, Jamesの試みの片鱗と,新たな時代の 始点"に向かう人間の心理 を表しているといえるのではないだ、ろうか.

1 The Ambαssαdors (1903)の結末において, Stretherが彼のmoralsenseに対し て「正しくあるためにJ(To be right.")自分は何も受け取るべきではないとする言 葉.

2 このような見解を示す批評家としては,例えば, Dorothea Krook, Ruh Bernard Yeazellらがいる.Yeazellは,結末においてAmerigoがMaggieに,

.  . . 1 see nothing but you." (XXIV, 369)と言い,二人が抱擁する場面について,

.  . . in this impassioned declaration oflove we may also hear a confession offail‑ ure‑and the sign of an irremediable division between husband and wife."と解 釈している.Ruth Bernard Yeazell, Languα:geαnd Knowledge in the Lαte  NovelofHemッJαmes(Chicago: The University ofChicago Press, 1976) 125.  3  'innocence"は,無垢,あるいは,無知,と訳すことができるが,本論文ではい

ずれの意味もふまえ,さらにinnocenceという概念そのものの意味を検証していく

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Maggieの選択 51 

ため,原語のまま使用していくこととする.

4 Henry James, The Golden Bowl, Vols.XXIII and XXIV of The Novelsαndl1αles  ofHenηJαmes (New York Edition"; New York: Charles Scribner's Sons, 1909),  XXIII, 11.以後この作品からの引用はすべてこの版を使用し,括弧内に巻数とペ

ージ数を示す.

5 innocenceが残忍さを発揮する可能性については, R.W.B.Lewis, The American  Adαm: Innocence, tragedy, and Tradition in the Nineteenth Century (Chicago:  The University of Chicago Press, 1955) 154においても示唆されているが,本論で はさらに,このような傾向を持つinnocenceの働きの仕組みを検証していく.

このような腐敗的要素の誘発作用は,未完の作品,The Ivoη Toωer (1917)にお いて,より強調されると考えられる.財産の追求に対し,歯止めなく innocent"

であったアメリカは,金権主義的な腐敗社会へと墜落しており,そこではさらなる 富への執着が,人物達の悪意を誘発していると考えられる.

7 Julia 1istevaは,Strlαngers to Ourselves, trans, Leon S. Roudiez (New York:  Columbia University Press, 1991) 1の中で, 異人"について, Strangelythe  foreigner lives within us . The foreigner comes in when the consciousness of  my difference arises, and he disappears when we all acknowledge ourselves as  foreigners . "と定義付けている圃この見地に立っと, Maggieの意識は,他の 人物に対して,異文化性を持つと考えられる.

8  Dorothea Krook,The Ordeal of Consciousness: Henry James (New York:  Cambridge University Press, 1962) 287の中で, KateとDensherに比べると,

AmerigoCharlotteは, curiouslymiddleaged, somehow past their prime"で あると書いている.やはり Krookも,彼らの退廃性を,年令の比町会によって指摘

しているといえる.

9 例えばMaggieはCharlotteが 犠牲"となったことを次のように認識してい る. 1feel somehow as if she [Charlotte] were dying. . But dying for us .  '. It'sasifherunhappiness had been necessary tωo田自一u asifwehad needed her, at  her own cost, to build us up and start us."  (XXIV, 346) 

10例えばYeazellは, Inthis obscurely compelling novel, James is  most pro foundly concerned not with the vexed question of morality, but with problems of  knowledge, of passion, and of power."と書いている.Yeazell, 103.本論において は, moral senseと知性は,むしろ複雑に作用し合うことにより, Maggieの信念 は築かれたとする見地をとった.

11  イーハブ・ハッサンは「根源的な無垢一現代アメリカ小説論一」の中でアメリカ 人の持つ,自己を肯定し,人間の生命感を肯定したいという押さえがたい欲求心を

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radical innocence" (根源的な無垢)と言っている.岩元巌訳(新潮社, 1972)  参照.

参照

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