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著者 富澤 理英子

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(1)

Passing(1929)の中の「二重意識」言説 : パッシン グを巡る"second‑sight"を中心に

著者 富澤 理英子

雑誌名 主流

号 70

ページ 57‑83

発行年 2008‑11‑10

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015216

(2)

P α s s i n g   ( 1 9 2 9 ) の中の「二重意識」言説

ーパッシングを巡る second‑sight"を中心に一

富津理英子

イントロダクション

57 

米国のHarlemRenaissance期1の女流作家, Nella Larsen (1891‑1964) 

の代表作Passing(I 929) 3は二人のmulatto(黒人と白人の混血)の女性達,

Irene Red五eldとClareKendryの「パッシング

J

(肌の色が薄い黒人が白人 として生活すること)を巡る心理を描いている 4二人は幼馴染であり,

Irene Redfieldは黒人社会で医者の妻と二人の息子の母親として裕福な生活 と社会的地位を持ち, Clare Kendryは白人男性と結婚し「パッシングj し ている.この小説は二人が成人して再会し ClareがIreneのいる黒人社会 に出入りするようになってから夫に人種的アイデンテイティを知られること になるまでを主に描いている.

三人の関係性と心理描写についてはこれまで様々な角度から分析されてき た.代表的な批評家の一人である DeboraMcDowellは, IreneがClareに 対して持つ感情(愛情)を「同性愛」だとし, sexualityという面から論じ (ix‑xxxi) ,一方, Queer理論を提唱する批評家の一人JudithButler はこの 作品を「人種

J

とsexuality両方のつながりという面から読み解くべきだと 述べている. (167185)

この作品のプロットの多くはIreneの目を通して捉えられたものであり,

同時にIreneの心理状態を反映したものでもある.中でも, Ireneが相手か らどう見られるかを感知する描写が多い.本稿ではW.E.B.DuBois 5が黒 人の特徴的な心理メカニズムとアイデンティテイの構成を公式化した

(3)

58  Passing (1929)の中の「二重意識J言説ーパッシングを巡る 'second‑sight"を中心に一

"double consciousness"  CI二重意識J)の理論に基づいて,二人の聞の心理 的葛藤を読み解きたい.

デユボイスは doubleconsciousness"を以下のように定義した

Mter the Egyptian and Indian

, 

the Greek and Roman

, 

the Teuton  and Mongolian, the Negro is a sort of seventh son, born with a veil,  and gifted with second‑sight in this American world,‑a world which  yields him no true self‑consciousness, but only lets him see himself  through the revelation of the other world̲ It is  a peculiar sensation,  this double‑consciousness, this sense of always looking at one's self  through the eyes of others, of measuring one's soul by the tape of a  world that looks on in amused contempt and pity.  One ever feels his  twoness,‑an American, a Negro; two souls, two thoughts, two  unreconciled strivings; two warring ideals in one dark body, whose  dogged strength alone keeps it from being torn asunder. CSouls 5) 

この「三重意識」という概念の定義や内包する意味は多様,多層的であり,

一つ一つの定義が相互に関連しているが,代表的な定義の一つは second‑ sight"という機能に基づくものであり,自分の内部にある「他者の視線 C"the eyes of others") 

J

,つまり自分の中に内包された「他者jである白人から自 分を見る抑圧的な視線一「軽蔑」ゃ「憐れみ」ーが黒人の「真の自意識 C"true self‑consciousness") 

J

確立を阻むという心理メカニズムである. また,テ守ユ ボイスは著書TheSouls of Blαck Folk 

c r

黒人の魂.1)の中で,自分とコミュ ニテイの他の子供達との人種的な違いに気づいた時に,

Why did God make me an outcast and a stranger in mine own house? 

The shades ofthe prison‑house closed round about us all: walls strait  and stubborn to the whitest, but relentlessly narrow, tall, and 

(4)

Passing (I 929)の中の「二重意識j言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心に一 59

unscalable to sons of night who must plod darkly on in resignation,  or beat unavailing palms against the stone, or steadily, half  hopelessly, watch the streak of blue above̲  CSouls 5) 

と感じたと明かしているが,この部分を「二重意識」定義の一部として考え ると,自己に内在する「他者の視線j は自らを疎外し,自らの「家

J

の中で

「異邦人」と規定する役割を担うものと考えられる.

そしてもう一つの「二重意識

J

の代表的な定義は,一人の人聞に内在する 二種類の自己 (1アメリカ人」としての自己と「黒人として

J

の自己)に引

き裂かれる心理と人種的アイデンテイティを指す.

この作品をデボイスの「二重意識」概念と結びつけて読み解く試みはこれ までにもなされてきた 7二人の女性達はmulattoであり.

1

パッシング」を して白人として生きている女性ClareKendryを「二重意識」の twoness"

一白人と黒人という二つの人種的アイデンテイテイを持ち,両方の世界にひ きさかれた存在ーの具現化とする読み方も紹介された 8

また,二人の女性を本来一人の人間の分裂した姿(一人は黒人としての人 生をあゆみ,もう片方は白人としての人生を歩む)と捉え.

1

二重意識」概 念の twoness‑anAmerican, a Negro"  (Souls 5) の二種類の自己の具現 化として捉えられでもきた 9

また,この小説は前述した通り,主に黒人コミュニティの中で医者の妻と して比較的高い社会的地位を得て生活しているIreneRedfieldの目を通して 語られるが,このIreneを unreliablenarrator"̲ 10あるいはselfhoodを確 立していない女性.Clare Kendryと対照的な存在として捉えられるケース もある.

この概念は,発表されてから

2 1

世紀の今日に至るまで,社会関係に関す るもの,そして芸術における表現等の多様な分野の研究に適用されてきた.

特に後のアフリカン・アメリカンの文学の主要なモチーフと見なされ,デユ

(5)

60  Passing (1929)の中の[二重意識j言説ーパ、yシングを巡る second‑sight"を中心にー

ボイス本人以外の多くの作家によっても適用されてきたが 11本稿では,こ の概念が「人種j に関してだけでなく,エスニシティ,ジェンダ一等多種の

「二元論

J

のメタファーとしても応用されうる概念である事,そして,各作 品の生まれた時代,主題に応じて多様に機能し,残存してきた事を前提に考 察してみたい.

テやユボイス自身はLarsenが「パッシング」に伴う当事者の心理,そして 周りの人の心理を扱ったことに対して賞賛を送っている戸「二重意識

J

概念 には前述の通り,多数定義が存在するが,本稿では主に「セカンド・サイト」

(、econd‑sight"),

1

他者の視線j("the eyes of others")理論に主に焦点を あて,作品中の「パッシング」を軸とした「二重意識」言説の断片が1920 年代のアメリカという背景の中でどのように具現化されているかを考察した し¥

二人の女性の間で何が起こっているかーご人の関わりを分析するために 二者のアイデンティティの複雑な相互作用, ["見るもの」と「見られるもの j,

自意識の理論を描いたデボイスの理論は助けになるのではないか.

Pαssingの二人の人物は「生き方」において「両極」の目標や性質を持っ と設定されている.これには「両極」である白人と黒人の融合を「溶け合っ た」ものと設定しなかったデュボイスの理論が役立つのではないかと考える.

テやユボイスの「二重意識」概念の中で.rセカンドサイト」言説,すなわち,

「他者の視線」言説は前述した通り,一人の人間の心理に内在する他者の視 線の存在とその影響

( 1

真の自意識」の剥奪)を示している.この作品は主 にIreneの視点を通して描かれるが, ["頼りないナレーター (unreliable narrator) jと評されることもあるように, Ireneの「見る」力の不安定さ

をあらわす部分が多いー例えば,二人のヒロインが成人してからの再会は白

(6)

Passing (1929)の中の「二重意識J言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心に‑61 

人だけが出入りできる,シカゴのDraytonHotelにおいてであった̲13 Light  skinのIreneは気分が悪くなったのでホテルに入り,お茶を飲んでいるが,

その姿を一人の白人の女性が見続ける.後からこの女性が幼馴染のClareだ とわかるが,それまでのIreneの視線は,

her unseeing eyes far away on the lake, when by some sixth sense  she was acutely aware that someone was watching her (17)‑

の部分で["(対象物を気をつけて)見ていない目」と評され,また.Ireneが

「見られるもの」としての認識をもっている事を示している.この部分は他 者から「見られる」意識構造において. ["二重意識」の定義 apeculiar  sensation, this double consciousness, this sense of always looking at one's  self through the eyes of others"  (5)とかなり共通した状態だと思われる.

また, she[Clare] murmured something"  (16)や It[Clare's smile] was  an odd sort of smile̲  Irene couldn't quite define it  [oddity]" (16).そして

For about the woman [Clare] was some quality, an intangible  something, too vague to define, too remote to seize"  (22)等の描写におい て.IreneがClareを「見る

J

力,あるいは把握できる力を持っていない事 がわかる.また,

Instead, it  was Irene who was put out̲  Feeling her colour heighten  under the continued inspection, she slid her eyes down̲ What, she  wondered, could be the reason for such persistent attention? Had  she, in her haste in the taxi, put her hat on backwards? ̲ ̲ ̲ whαt was  it?  ̲ ̲ ̲Did that woman [Clare ,]could that womansomehowknow  that here before her very eyes on the roof of the Drayton sat a  Negro? (17‑18) 

という部分において.Ireneは相手から「見られている」という意識をもっ

(7)

62  Passing (1929)の中の[二重意識J言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心にー ている.これに対して, Butshe [Clare] looked, boldly this time, back  into the eyes still frankly intent upon her [lrene]"  (19)という部分が示す ように.Clareは見ている側であり,

Her [Clare's] demeanour was that of one who with utmost singleness  of mind and purpose was determined to impress firmly and  accurately each detail of lrene's features upon her memory for all  time, nor showed the slightest trace of disconcertment at having  been detected in her steady scrutiny.  (17) 

と他者の意向,他者からの視線を意識にいれない,つまり「見られるもの」

としての意識をもたない人格として措かれる.

テ守ユボイスの「二重意識」概念の中では「他者の視線」がどんな障壁を黒 人達にもたらすかが説明されている.これは「真の自意識

J

を奪うというも のだったが.Pαssingという小説も,登場人物たちが「他者の視線」をあび ながらいかに真の自意識を確立するかの闘いの話とも読める . Pαssingはレ イシズムや肌の色を扱った話だが,これらのテーマを巡って奥に潜む主題は 登場人物の「自意識

J

の持ち方の問題であるといえる.

現に上記の引用部分において.IreneがホテルでClareからの視線を浴び たときには,自分が黒人だということが見つかったかどうかを意識している のではない. ["帽子」の向きがおかしいか,等「人種」と関係ない次元の想 像 を し て お り , こ の 時 点 で 既 に ClareはIreneから見て A certain  impression of assurance" (16)を持った,確信に満ちた存在として描かれ ていること,また,

Presently there were voices, a man's booming one and a woman's  slightly husky.  A waiter passed her, followed by a sweetly scented  woman [Clare] in a fluttering dress of green chiffon whose mingled 

(8)

Passing (1929)の中のf二重意識J言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心に‑63 

pattern of narcissuses, jonquils, and huachinths was a rerninder of  pleasantly chill spring days̲ (14) 

という部分でClareの洋服の柄が narcissuses"という自己愛,自愛の象 椴であることからも,

r

二重意識」定義のテーマの一つで、ある「自信」ゃ「真 の白意識」がPαssingの大きなテーマであると考えられる.

では, rnulattoという同じ人種的アイデンテイティを持つ二人の役割が,

お互いの素性を知り合う前の段階で「見るもの」と「見られるもの

J

,そし て「自意識を持つもの

J r

自意識をゆるがされるもの

J

の二者に分かれる理 由は何か.また,お互いが幼馴染だと確認した後に, Uncanny,the way  Clare could divine what one [Irene] was thinking"  (58)とIreneが感じる 場面があるが, Ireneの想定するClareの視線がIreneに対して心理的な優 位性を持っているのは何故か これは「生き方の違い」であり,

r

パッシング」

とはこのヒロイン達にとって「生き方

J

を問う一つの基準として機能してい るのではないか.

例えば, IreneがClareの家に招待される場面に Ireneの 価 値 基 準 ‑ Ireneを心理的に抑圧する[他者の視線

J

の特徴ーの一つが表れているだろ う̲Clareの 家 に は 幼 馴 染 のrnulattoの女性, Gertrudeが来ていた.

GertrudeもClareと同様に白人と結婚していたが 「パッシング」はしてお らず,結婚相手やその家族はGertrudeが黒人であることを知っていた.

IreneはまずGer廿udeから自分への視線を以下のように認識した

̲ . she [Irene] discovered, sunk deep in the cushions of a huge sofa,  a wornan staring up at her with such intense concentration that her  eyelids were drawn as though the strain of that upward glance had  paralysed thern.  At first Irene took her to be a stranger, but in the  next instant she said in an unsyrnpathetic, alrnost harsh voice: And 

(9)

64  Passing (1929)の中の[二重意識」言説ーパッシングを巡る second.sight"を中心にー

how are you, Gertrude?"  (54) 

そして,この予期せぬ旧友との再会に際して, Irene は,匂reatgoodness!  Two [Clare and Gertrude] ofthem."  (54)と内心つぶやき,

Her [Gertrude's] presence there annoyed Irene, roused in her a  defensive and resentful feeling for which she had at the moment no  explanation.  (55) 

と感じた.Ireneは自分のこの感情の動きについて,

Later, when she examined her feeling of annoyance, Irene admitted,  a shade reluctantly, that it  arose from a feeling of being  outnumbered, a sense of aloneness, in her adherence to her own  class and kind; not merely in the great thing of marriagebutin the  whole pattern ofher life as well.  (56) 

と分析している.この部分でIreneは自分自身の階級意識,同類の人達への adherence" ,そしてこの三人の女性の中で beingoutnumbered"である ことが「他者の視線

J

に抑圧され,

r

真の自意識

J

を奪われる原因だと見な しているが,これはIreneが主体的に自分の生き方を選び、取ってこなかった 事の表われでもある.

r

パッシング」という「危険」をおかしてまで自分の 生き方を貫く Clareと異なり, Ireneは「生き方」全般において,確固たる 考えを持たず, 自分の属しているコミュニテイの常識一多数派の支持する常 識ーに従ってきたので,いざ生き方の違う人聞がその場に多く存在する時に,

「他者の視線」に打ち勝てるだけの「自己

J

を確立していない事になる.

また,娘を持つClareに関して I'vetwo boys myself, GeI廿ude.Not  twins, though. It seems that Clare's rather behind, doesn't it?"  (58)  と発 言しているように,また, Irenedidn't like changes, particularly changes 

(10)

Passing (1929)の中の「二重意識J言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心に‑65 

that affected the srnooth routine of her household" (103)という部分に見 られるように, Ireneは女性としての生き方に関しである種の保守性を見せ ているが, Ireneが自分に対する Clareの優位性を強く感じる瞬間の一つは 二者が「生き方」の「安全」性について論じる時である.例えば,黒人コミュ ニティに来て黒人達とつきあおうとする ClareにIreneは抗議し, Clareは

Safe!"  (118)と返答する.この返答に関する Ireneの解釈は,

It seerned to Irene that Clare had snapped her teeth down on the  word and then f!ung it  frorn her̲ And for another f!ying second she  has that suspicion of Clare's ability for a quality of feeling that was  to her strange, and even repugnant.  (118) 

というものであり,続いて, Itwas as if Clare Kendry had said to her, for  whorn safety, security, were all‑irnportant: Safe! Darnn being safe!' and  rneant it" (118)という部分で.1安全j志向の自分を見下すClareの視線 (1他 者の視線J)を感知している.これは, rneantit"が象徴する通り,

1

事実」

ではなく, Ireneの想定する Clareであり,自分自身が「安全」の価値に疑 問を持っている事になろう.現に夫Brianについて Shewas, to hirn  [Brian ,]only the rnother ofhis sons̲ That was alL Alone she was nothing̲  Worse̲ An obstacle̲" 

C l

71)と認識している.つまり, Ireneは自分の主体 性の無さと保守性ゆえに,自分自身が想定する Clareの視線 (r他者の視線J)

を通して自分を見る心理メカニズムから逃れられない事になるのである.

次に,いよいよこの二者の聞で「人種

J

という項目が軸になってきた場合,

Ireneの意識はどう描かれたのか̲

r

セカンドサイト

J

言説はどのように機 能したのか̲Irene はClare(白人に見える)に凝視し続けられ, もしや自 分が黒人だとわかったのかといぶかる段階になったとき,

Nevertheless, Irene fe 1t,in turnanger,scorn, and fear s1ide over 

(11)

66  Passing (1929)の中の「二重意識」言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心にー

her̲ It wasn't that she was ashamed of being a Negro, or even of  having it  declared̲ It was the idea of being elected from any place,  even in the polite and tactful way in which the Drayton would  probably do it, that disturbed her̲  (19) 

という心理状態になっている‑

r

二重意識」概念では「他者の視線」によっ て「疎外される」自分の意識が描かれるが この場面では物理的にホテルか

ら追い出される( eject")可能性が描かれ,これが「三重意識」の機能の比 聡だとすれば.Ireneは白人から自分の人種的アイデンテイティを「見られ る」事によって,現実の行動空聞から疎外される可能性にさらされることに なる.そして,ここでは何よりも黒人としてのプライドにIreneの思いが至っ て感情を激している点が大きい‑

r

二重意識」概念の「 theeyes of others" (他 者の視線)Jは自己に,そしてPαssingという小説のClareからの視線は Ireneにプライド,自尊心,自信をもちうるかどうかの闘いを強いている構 造である.

そして,このホテルの場面でIreneは見知らぬ女性 (Clare)からじろじ ろ見られることに不快感をもちながら,また,黒人としてのアイデンテイテイ が知られる事に恐怖をもちながらも,この自分を凝視する人間 (Clare)を にらみかえしたいという衝動を持つ.

Almost immediately, however, her [Clare'sl eyes were back again. In  the midst of her fog of uneasiness she had been seized by a desire to  outstare the rude observer.  (20) 

デユボイスの「二重意識」の解説では.

r

見られる立場

J r

観察される立場」

としての黒人の心理のありかたを紹介している. しかしデュボイスはこの 視線の抑圧的な力を問題視しこの現状に甘んじるのではなくて,自尊心を 失うメカニズムに抵抗したいという意思が埋まっていると考えられる.例え

(12)

Passing (1929)の中の「二重意識j言説ーパッシングを巡る second.sight"を中心に‑67 

ば,多くの研究が「二重意識

J

の心理構造を「二重性にひきさかれ

J

,また「白 人の視線に抑圧,疎外される」悲劇的なものとして理解しているが,違う含 蓄もまだ隠されている.例えば, Lovarie Kingはデユボイスの「二重意識」

概念を "refersto the tensions inherent in the Mrican American's quest to  assert an identity vis.a.vis a society dominated by European Americans" 

(216) と解釈している.これは「他者視線」の直接的な定義に続く部分,"The  history of the American N egro is the history of this strife ‑ this longing  to attain self.conscious manhood, to merge his double self into a better  and truer self'  (5)等から見ると重要な「二重意識

J

の定義の一つに思わ れる .pα,ssingの中で「黒人であることを恥じているのではない」と書かれ ていることから,このIreneの「見返し

J

の中に「二重意識jの一つの定義 である「アメリカ社会の中における黒人のアイデンテイテイの表明」の姿勢 が入っていると解釈できる.

幼馴染である二人のヒロインのつきあいが再開した後に, レイシストの白 人の夫JohnBellewの前ではいつ黒人だとわかるかわからないという Clare一「二重意識

J

概念の「見られる立場」である Clareーに対して,

Irene は,

Why, in the face of Bellew's ignorant hate and aversion, had she  concealed her own origin? .川市y.. . had she failed to take up the  defence ofthe race to which she belonged?  (89) 

と嘆く.この場面におけるIreneのプライドは,再会の場面の「視線

J

への 見返しにつながるものであり,

r

黒人のアイデンテイテイの表明

J

の姿勢に 基づいている.

では, Clareは「他者の視線

J

‑Ireneから自分へ向けられる視線ーを意 識しているか.Clareは白人の夫Johnからレイシスト的な発言を直接受け つづけている.Irene はClareの家に招かれ,そこで白人と結婚している古

(13)

68  Passing (1929)の中の「二重意識J言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心に一

い友人Gertrude(夫に自分の人種的アイデンティティを明かしているので

「パッシング」しているわけではない)と共にClareの夫, Johnと対面して いる.そしてその場面がIreneに与えた衝撃はこの作品のハイライト部分に なっている.例えば, Johnは,

Well, you see, it's 1ike this̲  When we were first married, she was as  white as ‑ as ‑ well as white as a lily̲ But 1 declare she's getting  darker and darker̲  1 te11 her if she don't look out, she'l1 wake up one  ofthese days and find she's turned into a nigger.  (67) 

と客人IreneとGertrudeに向かつて説明する.これを聞いて,激しく憤る IreneがClareを見る場面がある.

. . ̲she turned an oblique look on Clare and encountered her pecu1iar  eyes fixed on her with an expression so dark and deep and  unfathomable that she had for a short moment the sensation of  gazing into the eyes of some creature utterly strange and apart.  (69) 

この場面においてはIreneとClareは「パッシング」をした者としなかった ものの二項対立になる.自己の人種的アイデンティティにプライドを持つ IreneがClareの顔の表情を一夫からレイシスト的な「視線」を言葉の上で 受けて反論しない幼馴染の感情ーを確かめようとして「見る」のだが,その Ireneの視線はClareの視線に向かい撃ちされており,当初[見る

J

者の意 識をもっていたIreneは「見る」側と「見られる j側の役目を瞬時に受け持 つことになる.これはIreneがClareの自分に対する心理的優越性を前提に しているからこそこのようなClareの「他者の視線」を受けたと捉えている ことになろう̲Irene はClareから見透かされているという意識を持ってお り,嫌いながらも同時に自分の持ち得ない「上質の感覚」を持っていると本 能的に捉えて深層心理では尊敬している.Ireneは「パッシングをしない者」

(14)

Passing (1929)の中の「二重意識J言説ーパッシングを巡る 'second‑sight"を中心に‑69 

「白人社会で活動しない者

J

として「パッシング

J

を実行したClareからの 視線を浴びる事になる.Clareの視線はIreneに「生き方」を問うのである.

しかし Clareが現実に先回りしてIreneを見据えていたとしたら,その Clareの心理は,自分に異議を唱えるであろう Ireneからの「視線」を想像 によって浴びていたことになる.強烈なレイシズムを身近な人間(夫)から 受けながら.Clareにとって.

I

他者の視線」として大きく位置しているも のは.Ireneからの視線だ、ったことになろう.Clareの生い立ちと.

I

パッシ ング」という選択を知っており,かつClareと違う生き方一黒人コミュニテイ で生きるーを選択しているIreneからの視線はClareにとっても「生き方

J

を問う基準であり,逃れられない大きな存在だということになる.同時に,

このように.

I

人種

J I

パッシング」という点において二人の人物の生き方は 対立し二人の視線は相手を圧迫し両者とも相手の存在の前では「真の自 意識j を持ち得ない状態に直面している.

この二者の「パッシング

J

を巡る「生き方

J

の違いは正反対に設定されて いる二者の性格描写にも表れている.唱teppingalways on the edge of  danger"  (4)とIreneから評されるようにClareは危険の「境界

J

を歩く 人物と設定され,また,物語のナレーターでもあるIreneは黒人のコミュニ テイにとどまって safety"を誼歌しようと試みるが, Thetruth was, she  [Irene] was curious"  (36)とあるように.IreneもClareのように「パッシ

ング

J

の願望をもっている.この場合.Clareの歩く theedge of danger" 

は「二重意識」概念の veil"ー黒人社会と白人社会を分けるものーと一致し,

Clareは自分が現在属している白人社会と Ireneのいる黒人コミュニテイの 間の物理的,心理的な往復とを望み,実践していったことになる.また,

Clareは You'refree. You're happy. And ',with faint derision, 'safe.'" 

(120)とあるように,Ireneの safety"をうらやんで、いるとも発言している.

この点で,二人の女性は正反対であり,生き方の選択は異なるが,同じ目標 一安定と自由(自己実現)ーを望み,内部に「両極」の願望を持ち合わせて

(15)

70  Passing (1929)の中の「二重意識j言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心に一

いる事になる.

前述したデュボイスの「二重意識」概念の twoness"は「黒人

J

と「ア メリカ人」二つのアイデンティテイ,自己を持ち, twothoughts, two  unreconciled strivings; two warring ideals in one dark body, whose  dogged strength alone keeps it from being torn asunder"を持つ状態であっ たが,この点では二人が「二重意識

J

概念の twoness"を具現化した人物 像であると同時に,二人とも「二重意識」の二重性である warringideal" 

を包含している人物といえる.

この twoness"について,デュボイスは,

The history of the American Negro is  the history of this strife‑this  longing to attain self‑conscious manhood, to merge his double self  into a better and truer self.  CSouls 5) 

と述べている.この図式で考えると, ["他者の視線」である幼馴染からの視 線を意識して戦う IreneとClareは self‑consciousmanhood"や abetter  and truer self'を確立しようとしている事になる. しかし「二重意識」概 念ではこの merge"を以下のように定義している.

In this merging he wished neither of the older selves to be lost̲  He  would not Africanize America, for America has too much to teach the  world and Africa̲ He would not bleach his Negro souls in a flood of  white Americanism, for he knows that Negro blood has a message for  the world̲ CSouls 5) 

こオ1は, twothoughts, two unreconciled strivings; two warring ideals" 

という表現にあるように二つの自己の対立を意味すると同時に冗each" has a message"などの二者の相互作用の可能性も示唆している.そして対立と 相互作用をする二者をそのまま,形を変えないまま包含するアイデンテイ

(16)

Passing (1929)の中の「二重意識j言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心に一 71

テイモデルを提示しているが,この図式でIreneとClare二者の関わりを読 み解くとどうなるか.

まず,二人を「二重意識」の三つの「自己j と考えると,

1

パッシング」

の是否, Clareの黒人コミュニティ行きを巡る両者の意見の相違等,表面的 な対立がある.しかし同時に冗each"もasa message"等の相互作用も考 えられよう.この「二重意識j の二つの自己の相互作用は複雑で、あり,

1

ア メリカ」から「アフリカ」へのベクトルは考えられるが.1黒人の血」は「ア メリカ」を直接目指してメッセージを送っているかどうか多様に解釈できる.

"The world"に「アメリカ」が含まれれば「相互作用

J

であり,含まれなけ れば両者のベクトルは微妙にずれていることにもなる̲ClareとIreneは「視 線

J

を通して相手に「生き方」をつきつけるという teach"を行っている(あ るいは相手の存在によって自動的に相手から自分の生き方を冗each"され ている).また,

1

メッセージ」は主に Clareからの手紙,そしてしきりに Ireneに会いたがる言葉で表されていると考えられる.Ireneの方はClare

を危険視し電話もとらないので,

1

二重意識」概念の三つの自己の相互作 用の片方のベクトルが微妙に別の方向にずれている形に近いとも解釈できる が, IreneがClareに強く魅力を感じている点で相互作用が成り立っている

とも考えられる.

また,前述したとおり, IreneとClareが共通の目標を持っているもの同 士と考えると,二人は「人種」という側面に限らず,

1

生き方j の「理想」

の上で,異種であると同時に同種であり,二人で一人分の self'になる可 能性を考えて「三重意識」概念を適用すると, IreneとClareの二人の人物 の関わりは,同種の自己の共存であると同時に異種の共存であり,時に相互 作用,時にお互いのベクトルが逸れる可能性を持つ関わりである

. 1

二重意識」

概念が,二つの自己をそのまま,形を変えないまま,溶け合わせないまま包 含するという複雑なアイデンテイテイモデルであり,この merge"が better and truer self'につながるならば, IreneとClareが merge"されて,一

(17)

72  Passing (1929)の中の「二重意識j言説ーパッシングを巡る secondsight"を中心にー

つの "betterand truer self'になるためには両者の共通性と,違いの両方 が重要な要素になり,二人の対立や歩み寄りのプロットは「より良く,より 真実の自分」ー違う生き方を選択した者同士の「より良く,より真実の」関 係の形成につながるプロセスーを順調に描くものとも考えられる.Ireneは Clareの性質が "warmth"と amazingmalice"  (5)の共存と見ているが,

IreneがClareの性質を把握しきらず,また深層心理で相手の優位性を感じ,

ある種の崇高な人格と見る瞬間がある理由は, Clareが両極の性質をそのま ま,混ぜ合わせることなく包含していて,その性質を「より良く,より真実 の」自己であると見なす価値基準をIreneは無意識に有しているのかもしれ ない.そして,デュボイスは「二つの自己jが「アメリカの偉大な理想

J

の 実現のために,

r

お互いの欠けている性質を補い合いながら結びつく

J

事を 理想としたが,この理論を万一IreneとClareの関係に適用すると,二人の

「生き方」にはやはり逃れようも無く「人種」の要素が関わり,二人の merge"

の結果築かれた betterand truer self'はアメリカの「より良い,真実の」

アイデンテイテイの在り方という社会における比聡とも解釈できるであろ

っ .

この作品には,他にも Ireneから見られる Clareの描写がある.この作品 の冒頭のIreneから見たClareからの手紙の描写である.

It was the last letter in Irene Redfield's little pile of morning mail.  After her other ordinary and clearly directed letters the long  envelope of thin Italian paper with its almost illegible scrawl seemed  out of place and alien.  And there was, too, something mysterious  and slightly furtive about it.  A thin sly thing which bore no return 

(18)

Passing (1929)の中の「二重意識」言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心に‑73 

address to betray the sender. Not that she hadn't immediately  known who its sender was. Some two years ago she had one very like  it  in outward appearance.  Furtive, but yet in some peculiar,  determined way a little flaunting. Purple ink.  Foreign paper of  extraordinary size.  (3) 

この「手紙」がClareの象徴だとすると, Ireneは 、utof place and alien" 

である Clareの姿を感じ取ったことになる.Ireneの感知したClareの異人 種ぶりは,、lien,""ltalian paper," "Foreign paper"などの語句の使用によっ て明確で、あり,そして「場違い」ぶりは,、utof place,"白rtive,""extraordinary  size"等の語の使用,そして "illegiblescrawl"などの語句の使用で明確で ある.つまり,自らの生活圏(白人社会)の中で居場所をなくし異人種と

して生きるClareの姿を見たことになる.

1920年代のアメリカは移民や黒人排除,外国人嫌い (xenophobia)の時 代であったこの背景の中で.Clareはいかに周囲の白人社会から浮き上がっ た存在かがこの「手紙」の描写で明確になる.同時に her[Irene's] other  ordinary and clearly directed letters"という手紙との比較を考えると,

Ireneの属する黒人社会の中においてもこのClareの異人種ぶりは際立つて いたことになる.

このどちらのコミュニテイからもうきあがる性質はデュボイスの「二重意 識」の定義の一部において描かれている.

He simply wishes to make it  possible for a man to be both a Negro  and an American. without being cursed and spit upon by his fellows.  without having the doors of Opportunity closed roughly in  his face. 

(Souls 5) 

また,閉じように,黒人の持つジレンマをあらわしているのは,

(19)

74  Passing (1929)の中の「二重意識j言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心にー

Here, then, is the dilemma, and it is a puzzling one,.  What, after all, am 17 A m  1 an American or am 1 a Negro? 

Can 1 be both? Or is  it  my duty to cease to be a Negro as soon as  possible and be an American? (Conservation of Race" 43) 

という「二重意識」と同年に発表された Conservationof Race"の中のパッ セージである.

「アメリカ人」と「黒人」の両方であることは可能か?と自問する考えも「二 重意識j につながるものである.二者択一するのではなく,両方の自己,ア イデンテイティをもちながら生きられるのか, というこの「二重意識

J

の説 明で組介された黒人のジレンマをPαssingの登場人物が具現化しているの ではないか.まず,上の引用部分の Opportunity"(1機会J)であるが,デユ ボイスは黒人であるということによって,教育を受ける機会,仕事を得る機 会,それも専門職を得る機会を失わない事,また,黒人のコミュニティにと

どまらず,広くアメリカ社会の中で自己表現をし,能力を発揮する機会が制 限されないことを重視し,この「二重意識」の定義の引用で「機会」の重要 性を大文字で始まる言葉を使用することで強調している.一方,混血の女性 Clareの場合.

1

パッシング」することで白人社会で,白人としての結婚生 活を送るという「機会」を得ていることになる.白人の門番の娘で,元々貧 しい階級の生まれだったのが,パッシングで白人になりきることで経済的な 生活レベル,そして階級が上がっていることになり,人種的な壁だけでなく,

階級の壁もパッシングできていることになる 黒人のコミュニテイの中にと どまっている Ireneにとってより広い世界,アメリカ社会に飛び出した Clareをうらやむ場面がある.

She wished to find out about this hazardous business of  passing," 

this breaking away from all that was familiar and friendly to take  one's chance in another environment, not entirely strange, perhaps, 

(20)

Passing (1929)の中の「二重意識」言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心に一 75

but certainly not entirely friendly̲ ̲ ̲ (Pαssing  36‑37)  Clareは「アメリカ人」としての活躍の場を得ていることになる.

しかし問題はパッシング.

r

二重意識」概念の veil"を横断した先の白人 社会において居場所がないということである.前述の通り.Clareの夫 John BellewはレイシストでClareはいつ自分が黒人の血をひいていると気 づかれるかを気にする日々になる.

またもう一つの問題は, Clareは自分が捨ててきた故郷,黒人の仲間,黒 人のコミュニテイがなつかしくなるという点である.

r

二重意識」の

This, then, is  the end of his striving: to be a co‑worker in the  kingdom of culture, to escape both death and isolation, to husband  and use his best powers and his latent genius.  (Souls 5) 

「死と孤立の両方から逃避したい」という目標はまさにPαssingのClareの 課題そのものである.Clareは白人の世界に生きながら,以下にあるように 孤独である.

For 1 am lonely, so lonely. . .cannot help longing to be with you  again, as 1 have never longed for anything before; and 1 have wanted  many things in my life. . .You can't know how in this pale life of mine  1 am all the time seeing the bright pictures of that other that 1 once  thought 1 was glad to be free of.  . .It's like an ache, a pain that never  ceases. .."  (8) 

そして積極的に黒人のコミュニティと接触したいと望むようになる.

You don't know, you can't realize how 1 want to see Negroestobe  with them again, to talk with them, to hear them laugh."  (129) 

(21)

76 p,ωsing (1929)の中の「二重意識」言説ーパァシングを巡る second‑sight"を中心にー

前述した通り,このPαssingという作品の冒頭の手紙はIreneが受け取る 手紙であるが.IreneにとってClareはかかわりあいになりたくない存在で あり,これはテゃユボイスの「自分の仲間によってののしられたり唾を引っ掛 けられたりすることもなく」という部分と「黒人である

J

事を「アメリカ人 であること」と同時に望む,というコンセプトに合致している.

テやユボイスの「二重意識

J

概念の定義の一つは「他者の視線」によって自 らのアイデンティティの中で疎外されるというものであった.デユボイスの

「二重意識」はmulattoのケースではないが.

r

他者の視線」からの影響とい う点においては「二重意識」言説の断片の具現化と捉えられよう.

しかし「二重意識」概念の定義の一つ.

r

他者の視線

J

という点から考え る場合,問題は何故Ireneの目から見たClareが周囲と異なる,周囲から「疎 外」された「場違い

J

な存在に見えるのか,あるいは何故Clareの「異人種 性」が手紙の描写で強調されているのか,過去の素行の記憶以外の面でも考 察する必要があろう.あくまで手紙の描写における Clareの姿は作品の語り 手であるIreneの白から見た姿であるからである.

この冒頭の場面 (Clareの手紙の描写)の前にIreneはClareが「パッシ ング」をしていると知っているので,第一にIreneにとって.Clareが,白 人社会の中で浮き上がった存在として認識されている可能性がある.

第二にClareの姿一周囲からの浮き上がりと異人種性の際立ちーは,同じ 人種的アイデンティティを持つIreneの心理の投影である可能性がある.

Irene はClareの危険をいとわない性質や.

r

パッシングj という行動を問 題視し嫌悪している反面.Clareに自己同一化している面がある.例えば,

以下の場面では.

r

人種

J

という項目が抗いようもなく二人を結び付けてい る事が強調されている.

That instinctive loyalty to a race. Why couldn't she get free of it?  Why should it include Clare? Clare, who'd shown little enough 

(22)

Passing (1929)の中の「二重意識j言説ーパ、yシングを巡る second‑sight"を中心に一 77

consideration for her, and hers.  What she felt was not so much  resentment as a dull despair because she could not change herself in  this respect, could not separate individuals from the race, herself  from Clare Kendry. (184‑185) 

前述した通り,デュボイスがLarsenのこの作品を賞賛しているポイントは

「パッシング」にまつわる心理描写であったが,この場面も「パッシング

J

という中心的なプロットを軸に考察すべきであろう.IreneがClareの「パッ シング」を知った後に,懇り, Clareを「他者」として認識するのと同時に,

「パッシング

J

を経験した当事者としての心理も有し,他の「普通の封筒

J

(白 人)の中に混じって居場所を失っている自分(黒人)の姿を認識していると 考えられる この点で「二重意識」言説の断片の一種がこの場面に存在して いると言えよう.

第三に,

r

階級」の面で「他者の視線」理論が作動してたとしたら, Irene  がClareの手紙を「人目をはばかる

J r

いわくありげな

J r

人目をはばかるよ

うでいながら奇妙にも毅然とした」と捉えるのは, Ireneがもともと Clare とは違う階級の出身であり, 10代の頃の素行の悪さや貧しさを知っている からであろう 現にこの「手紙」を受け取った後に, Irene はClareの貧し い幼少時代の姿一父親の暴力の恐怖におびえる姿やーを回想している.

habbyroom" (4) という表現に両者の階級差,そしてIreneから Clare への「階級

J

面での見下しが表れているといえよう.また,幼少期のClareの

pathetic little red frock"  (5)という言葉の使用に,デユボイスの「二重 意識」概念の「他者の視線

J‑ r

あわれみ」の視線が同じ人種に属するもの 同志で機能していたと捉えられる.

そして,肝心のClareはこの自分と Ireneの幼少時の階級差を強く意識 している.Clareの苦労ぶりを初めて本人の口から聞いたIreneは同情をし めすが, Clareは,

(23)

78  Passing (1929)の中の「二重意識j言説ーパッシングを巡る second‑sight"を中心に一

No̲ Not at alL You couldn't. Nobody, none of you, could," Clare  moaned. . .How could you know? How could you? You're free. You're  happy. And, "with faint derision,safe." (120) 

と強く Ireneに反発している.今は白人と結婚し「階級」の面でも「パッ シング」を成功させて生活している Clareであり, Ireneも結婚後の,再会 後のClareの経済状態を目の当たりにしているが,記憶から消えずにIrene のClareへの目線を規定しているものは, Clareの,

r

人種」以外の出自で あり, Clareの「見られる」意識一「他者の視線

J

(Irene)を形成している のが階級面での二者の差である.この点で「人種」とは違う面での「他者視 線」が機能しているといえる.

結 論

以上, N ella LarsenのPαssingの二人のヒロインの関係ー「パッシング

J

を巡るやりとりーをW.E.B.デュボイスの「二重意識」言説一中でも「他 者の視線

J r

セカンドサイト

J

という人間一人の中に内在するもうひとつの 自己や,抑圧的な視線が「真の自意識」をいかに奪い,そこで二つの自己は いかに葛藤するかという理論ーに基づいて考察してきた.この作品を「人種

J

という切り口を中心に分析する研究,そして「人種」とsexualityという点 から分析する研究など多様な研究があり,また 「人種」を必ずしも媒介と

しない人間ドラマと読む試みもこれまでにあった.

本稿では,デュボイス自身が着目したこの小説の「パッシング」を巡る心 理描写を中心に,いかに「他者の視線」理論が多様な二項対立のバリエーショ

ンの中で機龍したかを探ってきたが,

r

人種」という項目が二人のヒロイン を逃れようなく結ぶ項目であり,時に相手に対する自己同一化,そして「二 重意識」言説の「二つの自己」が内在した人間のモデルを形成したりしてい

(24)

Pssinf?(1929)の中の「二重意識」言説パッシングを巡る Sond‑sight"を中心に一 79

るが, ["パッシング」という問題をヒロイン達が直視したときに,両者が「生 き方

J

を問われている図式が浮かび、上がった, どちらか片方だけでも満足の いく生き方にならず,ヒロインはお互いをnemesisとして,そして補完し あう存在として見つめながら,同時に相手からの「視線

J

を浴びて, ["真の 自意識

J

確立の機会を失っていた.

また. ["人種」に限らず, ["パッシング」という項目の周辺には「経済的な

J

面での「パッシング」も存在し,新しい人格を「パッシング」によって再形 成したヒロインはもう一人のヒロインから「経済面」における「他者の視線」

ーさげすみも浴びるという構造を見せ,多様な形の「二元論」そして「二つ の自己」の葛藤を具現化した小説であることが明らかになった.

本稿は2006年同志社大学英文学会年次大会で口頭発表したものに加筆修正したもの である.

1ハーレム・ルネッサンスの作品の中でこの作品は比較的近年に再評価されたもので ある.

Larsenは1891年米国シカゴにデンマーク人(白人)の母親と黒人の父親の子とし て生まれた Larsenが幼少のときに父が亡くなり,母の再婚した白人の父親とな じめない生活を送ったといわれている.フイスク大学卒業後1912年までデンマー クの大学で学び,帰国後はニューヨークで看護学を学んだ.その後ニューヨークで 看護士として病院に勤務し,ニューヨーク公立図書館に勤務するが,小説を書き始 め,ハーレム・ルネッサンスの作家等と交流した.そしてSαnctuαryという作品が 剰窃であると訴えられて筆を折ることになった.1964年に死亡している.最近再発 掘されたと言われる作家である

3元々は Nig"という小説であった.

Cheryl A. Wallが, Larsen自身が「ハーレム・ルネッサンス期に彼女と接触する ようになった人達にとって謎の人物であったJ(89)と述べているように,彼女の 人生には謎が多いとされるが,アフリカン・アメリカンとデンマーク人の混血であ ることを初めとして,あらゆる面において,作品のヒロイン達をラーセン自身の姿 と見る傾向もある.

(25)

80  Passing (1929)の中の「二重意識j言説ーパッシングを巡る second.sight"を中心に一

5アフリカン・アメリカンの社会学者,歴史学者,哲学者,公民権運動の活動家,芸 術批評家,作家,人種問題のコメンテータ一等,多様な側面を持って活躍した W.E.Bデユボイス (W.E.B.Du Bois 1868.1963)は1897年にこの理論を発表した.

6デユボ、イスは現アフリカン・アメリカンを Negro"と表記した

7たとえば, Jacque1yn Y. McLendonはこの小説がデユボイスの二重意識を示して いると指摘している. (94.111) 

GeorgHutchinsonInSearch of NellαLαrsen: A Biogrα:phy of The Color Line  の中で ClareKendryという人物を指しながら,この小説が thedisturbance  generated by a woman both white and black"に関するものであり, Withher  combination of skin color, social positioning, and racial background, Clare  Kendry is, literally, both a black white woman and a white black woman. 

Classwise she has been both low' and lIgh.'"と述べている (294). J ennifer  De Vere Brody はClareをIreneと比較して, AlthoughClare looks white and is  married to someone white, she oddly maintains a stronger sense of  double.  consciousness" than does Irene.  She remains perpetually aware of her own  racial origin and her duplicitous positionality"  (1055)と述べている,また,こ の二つの人種的アイデンテイティに引き裂かれる人物像は tragicmulatto myth" 

として多様な小説,映画に登場したが,この作品の発表された1920年代までには 一つのジャンルとして確立されたテーマであった

Lori HarrisonKahanは Inusing twin protagonists, one who chooses to live her  life as black and the other as white, the novel appears to be a testament to the  duality of black identity, the Du Boisiandoubleconsciousness.'"と述べている.

(117)が,同時に Butthis doubling gets progressively more complex, as the  women move between black and white worlds and the text movsbetween  sexuality and race."  (117)と安易にこの「二重意識」の構図に収まらないという 見方も示している.

10 Ireneを unreliablenarrator"と見なしているのは例えばJenniferDevere Brody  である. (1053) 

11文学作品の分析にデユボイスの「二重意識」概念を適用している研究はこれまでに もある.例えば, Henry Louis Gates Jr.はジ、ェームス・ウェルドン・ジョンソン (James Weldon Johnson)のTheAutobiography ofαn Ex.Colored Mα九を「二重 意識」概念で読み解いている. (x.xxiii) 

12デユボイスは Itis a good close.knit story, moving along surely but with enough  leisure to set out seven delicately limned characters. Above all, the thing is done  with studied and singularly successful art.  . ."  (521) and  She explains just 

(26)

Pssing(1929)の中の「二重意識j言説ーパッシングを巡る seeond‑sight"を中心に‑81 

what passing' is:  the psycho10gy of the thing; the reaction of it  on friend and  enemy̲ It  is  a difficult task, but shattacksthe prob1em fearlessly and with  consummate art.  The great problem is  under what circumstances would a  person take a step likthisand how would they feel about it? And how would  their fellows feel?"と述べている.(Pαssing by Nella Larsen" 522) 

13大森尚子氏が, sexualityという面で読み解く際, Ireneが自分を見る女性がClare だと気づいた時点で, Clareが「見る側Jから「見られる主体」に転換すると記し,

両者の[見るJ['見られるj という関係性を指摘している事は重要である.(235) 

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大森尚子

n

白い黒人』の新しさJ

r

白い黒人jネ ラ ・ ラ ー セ ン 著 植野達郎訳(春 風社、 2006)231‑244 

参照

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