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25 モンゴル帝国勃興の鍵に迫る一冊る すでに チンギス=カンの考古学 (同成社 二〇〇一年) モンゴル帝国史の考古学的研究 (同成社 二〇〇二年)という二冊の学術的著作を世に問うている 一般向けの チンギス カン 蒼き狼 の実像 (中央公論新社 二〇〇六年)では 考古 文献双方に基づいて新たなチン

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Academic year: 2021

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チンギス・カン――いわずと知れたモンゴル帝国の創始者 である。モンゴル帝国が世界史に与えた影響の大きさが見直 されるようになって久しく、その研究は大きな成果を得てき た。 チ ン ギ ス・ カ ン ( テ ム ジ ン ) に つ い て は、 そ れ 以 前 よ り 多くの研究蓄積があるものの、その実像、そして帝国勃興の 過程やその背景については、本書の「はじめに」でも述べら れているように、多くの問題が不明、ないし未解明のままで ある。その理由として、第一に、各言語史料間の記述の齟齬 をどのように解決するかという極めてやっかいな難題に直面 し て い る こ と、 第 二 に、 『 モ ン ゴ ル 秘 史 』 以 外 は、 ケ レ イ ト の ト オ リ ル ( オ ン・ カ ン ) の 下 で 頭 角 を 現 す ま で の チ ン ギ ス・ カンの前半生についての叙述が極めて貧弱であることが挙げ られる。この文献史料の制約を受けて、早期のチンギス・カ

モンゴル帝国勃興の鍵に迫る一冊

舩田

 

善之

Book Review A5判 396頁 勉誠出版 [本体 3800円 + 税] ンの伝記的研究は、基本的に『モンゴル秘史』をトレースし た形のものがほとんどであった。そして、近年のモンゴル帝 国史研究の進展は、いくつかの例外を除けば、帝国成立後に 偏ってきたといえる。 こ の モ ン ゴ ル 帝 国 の 勃 興 の プ ロ セ ス と い う 難 題 に 対 し て、 編者の白石典之は、考古学・自然科学・文献史学の学際的な 共 同 研 究 を 組 織 し、 果 敢 に 挑 ん で き た。 そ の 成 果 の 一 端 は、 環境に焦点を当てた同編『チンギス・カンの戒め―モンゴル 草 原 と 地 球 環 境 問 題 ―』 ( 同 成 社、 二 〇 一 〇 年 ) と し て 刊 行 さ れた。そして、一〇年あまりの研究の到達点を包括的にまと めたのが本書である。周知のように、編者は、二〇数年にわ たり、モンゴル帝国を中心とする考古学の発掘調査・研究に 従事しており、この分野で世界を代表する研究者の一人であ 白石典之編

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る。すでに、 『チンギス=カンの考古学』 (同成社、 二〇〇一年) 、 『 モ ン ゴ ル 帝 国 史 の 考 古 学 的 研 究 』 ( 同 成 社、 二 〇 〇 二 年 ) と い う二冊の学術的著作を世に問うている。一般向けの『チンギ ス・ カ ン ―“ 蒼 き 狼 ” の 実 像 ― 』( 中 央 公 論 新 社、 二 〇 〇 六 年 ) では、考古・文献双方に基づいて新たなチンギス・カン像を 提示している。 本書の本論部分は一五章から成り、さらに本論の内容や関 連事項を理解するための助けとして九編のコラムが挿まれて いる。本論は、ディシプリンから便宜的に、①文献史学の第 一 ~ 三、 五、 一 五 章 ( 政 権 の 成 立 過 程 と 統 治 制 度、 国 際 関 係、 世 界 戦 略 と 交 通、 文 字、 近 代 に お け る チ ン ギ ス・ カ ン 崇 拝 ) 、 ② 環 境 学 の 第 六 ・ 七 章 ( 気 候 変 動、 植 生 ) 、 ③ 考 古 学 の 第 四、 八 ~ 一 四 章 ( 銭、 食、 住、 鉄、 武 器 と 防 具、 弓 矢、 防 塁、 墓 ) 、 と い う 三 つ の グループに分けることができる。当然ながら、それぞれの部 分は、他のディシプリンの手法や成果も取り入れて考察され ている。 各 章 の 多 く は、 近 年 の 発 掘 調 査 や 研 究 の 成 果 を 盛 り 込 み、 あ る い は 独 自 の 視 点 を 導 入 し、 新 た な 知 見 を 提 出 し て お り、 最 新 の 研 究 を 発 信 す る 研 究 論 文 集 と し て の 水 準 を 備 え て い る。同時に、一般の読者にも十分理解できるように、明瞭か つ平易な叙述がなされている。主として既知の内容に基づい た若干の部分も、当該あるいは他の章や全体の理解を促すた め に 必 要 不 可 欠 の も の と し て 紙 幅 を 割 い て い る と い っ て よ い。そして、何よりも強調したいのは、本書を通読して感じ る、 共同研究の成果としての各章の有機的なつながりである。 共同研究の成果は、しばしば本書のような論文集として刊行 されるが、個別の研究成果の寄せ集めに終わってしまうこと は少なくない。しかし、本書はそうではない。全体のテーマ と目標に対して、メンバーがしかるべき役割を分担し、かつ 知見や手法・アイデアを共有しながらインタラクティブに執 筆したことが窺える。編者のリーダーシップとメンバー相互 の信頼関係の賜物であろう。この共同研究を推進した編者と 執筆者に敬意を表したい。 それでは、本書の特徴やそこから得られる知見を、評者の 問題関心に基づいてピックアップして紹介しよう。①文献史 学から二点。まず、テムジンが登場した時期のモンゴル高原 を大金国とカラ ・ キタイ (西遼) の両大国のパワー ・ ポリティ クスの中に置いて叙述したことが注目される。モンゴル高原 諸 勢 力 に よ る カ ラ・ キ タ イ の 君 主 号 グ ル・ カ ン の 使 用 や ケ レ イ ト 王 国 の ト オ リ ル ( オ ン・ カ ン ) の 一 時 的 な カ ラ・ キ タ イ 亡 命 な ど か ら、 説 得 力 の あ る 説 明 が な さ れ て い る ( 一 章 ) 。 テ ム ジ ン に 敗 れ た ト オ リ ル や ジ ャ ム カ ( 名 乗 っ た 称 号 は グ ル・

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カ ン ) も 西 方 を 目 指 し て 逃 亡 し た こ と や、 同 じ く テ ム ジ ン に 滅ぼされたナイマンの王子クチュルクがカラ・キタイに亡命 し た こ と も 傍 証 と な る だ ろ う。 「 お わ り に 」 で 今 後 の 課 題 と されているように、考古資料からの検証も期待される。大金 国やカラ・キタイと同様、二章で重要な存在であったことが 言及される西夏も、モンゴル高原の諸集団の抗争に大きな影 響を与えたはずである。トオリルの弟のジャア・ガンボも西 夏に捕らえられたことがあったが、滞在中に尊敬を受けてい たと伝えられる。本書は、おぼろげであったテムジン登場前 後のモンゴル高原の状況の解明を前進させたと同時に今後進 むべき方向性を示してくれた。 次に、チンギス・カンの世界戦略が、モンゴル自身よりは むしろウイグル・ムスリム商人の視点から、すなわち軍事よ り は む し ろ 商 業 の 面 か ら 説 明 さ れ る ( 三 章 ) 。 学 界 で は 商 人・ 商業の重要性も指摘されてきたが、一般にはまだそのイメー ジは定着していない。また、学界でもどちらかというとオゴ デ イ や ク ビ ラ イ 以 降 の 状 況 と し て 強 調 さ れ て い た 傾 向 が あ る。 チ ン ギ ス・ カ ン 時 代 の 軍 事 拠 点 と 交 通 路 の 建 設・ 確 保、 商人の動向、商業政策の関連性が明快に描かれている。そし て、ここでもチンカイ城の比定という考古学調査・フィール ド調査の成果が活用されている。 ②環境学については、湖底堆積物や氷河のアイスコアなど 様々なデータから草原及び森林地帯の乾燥・湿潤の変動や植 生の変遷を復元する。各種データの積み重ねによって、モン ゴル高原あるいは一三世紀前後の環境復元が行われ、それを 長期変動及び中央ユーラシアという広域の範囲に位置付ける ことが試みられている。そして、それぞれ次のような結論が 導かれる。まず、牧畜・農耕の住み分けがみられる (狭義の) 中 央 ユ ー ラ シ ア ( 東 西 ト ル キ ス タ ン ) と 比 し て、 夏 場 の 集 中 的 な降雨に恵まれ、遊牧のみに依拠することが可能なモンゴル 高原の特質が指摘される。両地域の対比が各種の環境データ に よ っ て 実 証 的 に 示 さ れ た ( 六 章 ) 。 次 に、 モ ン ゴ ル 高 原 の 少なくとも山地においては、歴史時代に植生変化がみとめら ない。 より多くの地点の復元が必要であると譲歩しているが、 植 生 が 人 間 活 動 の 影 響 を 受 け て い な い と 結 論 す る。 こ れ は、 遊牧が森林植生に影響を与えてこなかったことを意味し、そ れが森林の持続可能性を保証する生業であることを示唆して い る ( 七 章 ) 。 と も に、 デ ー タ が 得 ら れ る 地 点 と い う 条 件 付 きであるが、今後のモンゴル高原ないし中央ユーラシアの環 境 変 動 の よ り 緻 密 な 復 元 の 可 能 性 を 期 待 さ せ る 論 考 で あ る。 文献史学の研究者による執筆であるが、環境史の成果を取り 込んだコラム一も、運河の活用という人間の事情から南流黄

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河が長く固定されていたことを論じながら、近年の中国政府 に 主 導 さ れ る「 南 水 北 調 」 ( 長 江 の 上・ 中・ 下 流 か ら 三 つ の ル ー トにより南方の水を北に転送する事業) にまで言及するなど、長 期的な視点からまとめられている。 ③考古学については、大定通宝が聖域に持ち込まれる貨幣 であったこと、 大朝通宝がそれを模倣して鋳造されたこと (四 章 ) 、い わ ゆ る チ ン ギ ス カ ン 防 塁 が 漢 で は な く 西 夏 の 遺 構 で あ ること (一三章) など、 多くの謎と議論を解明 ・ 解決している。 ま た、 モ ン ゴ ル 帝 国 の 考 古 学 が 本 格 化 し た 時 期 に は、 当 然 な が ら 重 要 な 課 題 で あ っ た 遺 跡・ 遺 構 の 年 代 確 定、 プ ラ ン の 分 析、 機 能 の 考 察 に 重 点 が 置 か れ て い た が、 本 書 で は、 こ れ ら だけでなく、生活・祭祀の痕跡や当時の人々の息づかいがわ かるようになっており、近年の長足の進展を実感させる。 このように、 本書は長期的かつ様々な視点から、 チンギス ・ カンの時代を総合的に叙述した最新の成果であり、研究者の 利用と一般読者への還元の双方を兼ね備えた内容となってい る。以下、望蜀の言を述べることで批評の責を塞ぐこととし たい。第一に、千戸制・分封制・ 親 ケ 衛 シ 隊 ク ・裁判・ 宮 オ ル ド 殿 などチ ン ギ ス・ カ ン の 統 治 制 度 が 簡 潔 に 解 説 さ れ る ( 一 章 ) が、 別 に章を立てて詳述した方が、読者の理解を深めただろう。第 二に、 環境学の部分は予断を排除した堅実な行論ではあるが、 モンゴル帝国の勃興と瓦解については、早くから環境変動の 影響が想定されてきているだけに、限定的・暫定的でも、環 境 の 影 響 に 一 定 の 見 解 を 提 示 し て ほ し か っ た と こ ろ で あ る。 第三に、防塁の時期比定に際して、その尺度が西夏の建築物 で用いられていた二種の尺度のうちの一方と合致することが

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根 拠 と し て 挙 げ ら れ る ( 一 三 章 ) 。 こ の 実 証 に 異 論 は な い が、 西夏で二種の尺度が用いられた背景、さらに防塁の尺度がそ の一方と合致することの意味についても検証が望まれる。第 四に、モンゴル国及び内モンゴルからの留学生を対象として 行ったチンギス ・ カンのイメージに関するアンケート調査 (コ ラ ム 九 ) の 分 析 は、 興 味 深 い。 ぜ ひ 有 意 な サ ン プ ル 数 で 実 施 してほしい。 続 い て、 若 干 の 事 実 誤 認 と 誤 植 の 指 摘 及 び 補 足 を し て お く。三七頁でチンギス・カンの王庭で情報と技術をもたらし た人々の一つとしてソグド人を挙げるが、この時期、彼らが エスニシティに類するようなまとまりをなお保持していたと は考えがたい。あるいは「ウイグル人」の誤記か。四〇頁の Jūzjānī ・1881 、五五、 五七頁の杉山二〇一〇が参考文献に見え ない。七七頁ほかの「邱処機」の「邱」は清代に孔子の諱を 避けたことによる表記なので「丘」が適切。一〇四頁の『元 史 』 タ タ ト ゥ ン ガ 伝 の 日 本 語 訳「 故 の 主 君 ( タ ヤ ン ) に 授 け よう」は原文も「授」であるが、 ここでは「返還する」の意。 一 二 一 頁 で 言 及 す る『 元 史 』 巻 一「 太 祖 本 紀 」 に つ い て は、 小林高四郎の日本語訳注がある。なお、同箇所の「夷敵」は 「夷狄」 。一二二~三頁の『集史』について、底本など問題点 も指摘されるものの、 Thackston による第一巻「モンゴル史」 英語訳も紹介しておきたい。三二〇頁の「祁連」の現在の発 音「チーニェン ( qi-nian ) 」は「チーリェン ( qi-lian )」 。 以 上 は 、 な い も の ね だり や 瑕 疵 に 過 ぎ ず 、 本 書 の 価 値 を 低 め る 類 い の も の で は な い 。 本 書 が 、 堅 実 か つ 新 し い チ ン ギ ス ・ カ ン 像 と そ の 時 代 像 を 提 示 し て く れ た こ とを 、 改 め て 強 調 し た い 。 最 後 に 、 編 者 ら が 、 チ ン ギ ス ・ カ ン 研 究 を さ ら に 継 続 し て 本 書 の 提 示 し た 課 題 を 解 決 す る と とも に 、 彼 に 続 く オゴ デ イ 以 降 に つ い て も 類 書 を ま と め る こ と を 期 待 し て 擱 筆 す る 。 (ふなだ・よしゆき   九州大学) 日本儒教学会創立大会開催のお知らせ ▼ 日 時 : 5月 14日 ( 土 ) 13時 00分 ~ 18時 00分 ( 受 付 11時 30分 よ り ) ▼ 場 所 : 東 洋 文 庫 講 演 室 ▼ 参 加 費 : 一 五 〇 〇 円 ( 併 設 の 儒 教 展 が 半 額 ( 四 五 〇 円 ) で 見 学 で き ま す ) 懇 親 会 費 : 一 般 五 〇 〇 〇 円 、 学 生 二 五 〇 〇 円 ▼ プ ロ グ ラ ム : 開 会 挨 拶   土 田 健 次 郎 ( 早 稲 田 大 学 )、 シ ン ポ ジ ウ ム 「 日 本 に お け る 儒 教 研 究 の 現 在 」 司 会 : 伊 東 貴 之 ( 国 際 日 本 文 化 研 究 セ ン タ ー ) 1.日 本 近 世 儒 教   前 田 勉 ( 愛 知 教 育 大 学 )、 2.日 本 近 代 儒 教 河 野 有 理( 首 都 大 学 東 京 )、 3.朝 鮮 儒 教   山 内 弘 一( 上 智 大 学 )、 4.中 国 古 代 儒 教   渡 邉 義 浩 ( 早 稲 田 大 学 )、 5.中 国 近 世 儒 教 小 島 毅 ( 東 京 大 学 )、 6.中 国 現 代 儒 教   中 島 隆 博 ( 東 京 大 学 )、 総 合 討 論 、 総 会 、 懇 親 会 ( 東 洋 文 庫 レ ス ト ラ ン 「 オ リ エ ン ト ・ カ フ ェ 」)

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87)がある。二〇〇三年判決については、その評釈を行う Schneider, Zur Annahme einer konkludenten Täuschung bei Abgabe einer gegenteiligen ausdrücklichen Erklärung, StV 2004,

〔付記〕

モノーは一八六七年一 0 月から翌年の六月までの二学期を︑ ドイツで過ごした︒ ドイツに留学することは︑

十四 スチレン 日本工業規格K〇一一四又は日本工業規格K〇一二三に定める方法 十五 エチレン 日本工業規格K〇一一四又は日本工業規格K〇一二三に定める方法